藤原肇「しんしんと、あたたかい夜に」 (50)
第5回シンデレラガール総選挙応援SS
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すっかり冷えきった唇には熱過ぎた。
思わずカップを揺らした俺を目にして、さもおかしそうに肇が笑い出す。
この上なく楽しげな様子に、俺も苦笑いを返すしかなかった。
「……猫舌って訳じゃないんだ」
「まだ何も言ってませんよ?」
ミルクティーを一口啜って、温かいですね、と肇が息をついた。
今度は油断するなよと舌に言い聞かせ、俺ももう一口。
渋味と酸味を抑えた苦めのブレンド。
馴染みの無いチェーン店だったが、存外に好みの味だった。
「Pさん、ミルクもお砂糖も入れないんですね」
「甘いのをよく食べるからな。健康には、なけなしの気を遣ってる」
「苦くありませんか?」
「苦い」
俺の答えを聞くと、肇が頬に指を当て不思議そうに考え込む。
寒さで赤らんだ頬が、指先に触れた部分だけ白く染まった。
「……よく分からない私は、まだ子供という事でしょうか」
「コーヒーをそのまま飲めるのが大人の証明じゃない」
「どうしたら大人に成れるんでしょう」
「もう二年で成人だ。日向ぼっこでもしてれ……冗談だ、その目は止めてくれ」
「Pさんの冗談は面白くないです」
「師事する先を間違えたかな……」
脳裏で頬を膨らませた楓さんを隅へ追いやって、思考を本流へ押し戻す。
大人……大人か。
そういえばちょうど先日、東郷さんと二宮さんがコーヒー越しに話し合っていた。
どうして大人として扱われないのかと鼻を鳴らす二宮さん。
私もまだ大人ではないかな、と笑う東郷さん。
さて結論がどう纏まったのかは記憶に無いが、ひとまず――
「――大人に成りたがってる内は、まだまだ子供だな」
子供っぽい答えを返す。
やっぱり大人ってズルいです、と肇が嘯いた。
空耳の人かと思ったら全然違った
あっちは安斎肇だったなw
「そろそろ行くか。ほら、肇の分」
「はい…………えっ?」
渡された切符と乗車券を見て、肇が目を丸くする。
その顔が見たくてここまで黙っていたのは、まぁ、このまま黙っておいた方が良いだろう。
「帰りは普通の新幹線って」
「行きは楽しむ余裕も無かったろ。帰りはよいよい、って奴だ」
「でも、その……結構お値段が」
「種を明かすが先方のご厚意だ。今から返しに行くか?」
「……」
しばらく切符とにらめっこして、諦めたように笑う。
「……オトナになりましょう」
「それが良い」
最新の豪華寝台列車は、乗車券も中々に煌びやかだった。
いま最も勢いに乗っている天女こと藤原肇ちゃんのSSです
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前作とか
塩見周子は速水奏とデートがしたい ( 塩見周子は速水奏とデートがしたい - SSまとめ速報
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季節の肇ちゃんシリーズ冬の章だよ
待ってました
― = ― ≡ ― = ―
急行ではない為、速度も抑え目だ。
それを差し引いてもこの列車は揺れも無く静かで、技術の進歩を実感させる。
「……行きの慌ただしさが嘘みたいです」
個室の車窓に流れる東北の風景を眺めながら、肇がぽつりと呟いた。
「ミスはどう注意したって起きる。幸い今回は肇が空いてたが」
「幸子さん、今頃は何をしてらっしゃるんでしょう」
「そろそろ釣り場に着いた頃かもしれないな」
最新鋭の列車。その乗車レポートを終えて、肇は一息ついている。
輿水さんのダブルブッキングが発覚したのはつい三日前だった。
海外ロケの出発直前という事もあり、大慌てで代役を探し回ったらしい。
そこで白羽の矢が立ったのがスケジュールの空いていた肇。
申し訳無さそうに謝罪しながら、輿水さんを引き摺って担当はアラスカへと向かっていった。
釣りと聞き、てっきりそちらへ肇を充てるのかと思えば、彼は頑として否定した。
「ノルウェーが気に入っていたようですし、きっと楽しんでいるでしょうね」
「ああ。何でも大自然とサーモンとグリズリーが名物らしい」
期待しかない
待ってた
アラスカも悪くないが、何はともあれこちらも旅を楽しむか。
なかなか予約が取れないので有名な列車だと聞いているしな。せっかくの機会だ。
新青森から東京までの四時間弱、ゆっくりと気を休めよう。
「朝からレポートの仕事なんて捩じ込んで悪かった、肇」
「困った時はお互い様ですから」
「準備の時間も無いのに上手くこなしてくれた。よく出来たな」
「いえ。思った事を素直に、なるべく分かりやすくお伝えしただけで」
だけ、というのが俺にとっては信じがたい。
前日にこの列車をレポートしろ等と言われても、俺なら当日は立ち尽くすだけだろう。
場慣れしてきているのは、一人前のアイドルの証か。
「握手」
「?」
「求められる事が多くなったな。行きの空き時間にも」
「……そう、ですね。昔よりも、随分と」
「面倒か?」
「まさか」
外の景色とは正反対の、温度を感じる笑みだった。
視線を落とした先で、両手を何度か握っては開く。
「ただ、私……アイドルなんだな、って」
「今に、面倒に感じるくらい握手を頼まれるさ」
「楽しみにしておきます」
ぱん、と柏手を一つ。
残念だが俺は神様じゃない。
「せっかくの景色だ。眺望車に行かなくてもいいのか」
あそこの窓はこの個室のより数段広い。
「はい。混んでいますし……握手をいっぱい頼まれてしまいますから」
「言うようになったな、肇」
「ふふ」
自信もまた、アイドルの証なのだろう。
「それに」
「ん?」
「…………せっかくの、二人きりですから」
「……」
――言うようになったでしょう?
そう微笑む肇に、俺は何と返すべきか答えあぐねていた。
― = ― ≡ ― = ―
細かい事は置いといて、藤原肇ちゃんへ投票しましょう。
― = ― ≡ ― = ―
「……こうして列車で向かい合っていると、秋を思い出しますね」
黙り込んだ俺に苦笑して、肇が話題を振ってくれる。
「あれから半年弱か。早いもんだ」
「茶碗、使ってくれていますか?」
「……」
「私は使っていますから。いつでも、ご遠慮なく」
肇と揃いの、桜をあしらった茶碗。
夜桜の描かれた、大ぶりな俺の茶碗と。
満開の桜を描いた、小ぶりな肇の茶碗。
「肇」
「はい」
「……喋らせたいのか黙らせたいのか、どっちなんだ」
「Pさん次第です」
「俺は――」
言葉を続けようとして、視界の端に桜が舞った気がした。
肇ちゃん、せめるようになったなw
「――雪、ですね」
車窓に付いては剥がされ、また舞い降りる。
空を見上げると、行く先の雲はだいぶ分厚く見えた。
「予報より早いな」
「えっと……都内でもかなり降り出しているみたいです」
携帯の画面をスライドさせて肇が呟く。
大雪の前には着くだろうと踏んでいたが、分からなくなってきた。
明日は……肇はオフだが、俺は外回りが二箇所あった筈だ。
「一応連絡しておくか」
そろそろ替え時の携帯を開いて、事務所の番号を呼び出す。
いつもは多くて三コールも待たないが、今日はどうしてだか繋がらない。
『――もし……お電話、ありがとうございます。CGプロダクション……です』
ようやく繋がった先の声は、聞き慣れた同僚達のものではなかった。
「…………渋谷さん?」
『その声は……うん。ちょっと今、事務所もてんやわんやで』
「雪か」
ちらりと外を眺めれば、いつの間にか本格的に降り初めていた。
『後でちひろさんに伝えておくけど』
「仕事は全て完了、今は岩手に。遅れるかもしれないので明日の予定の確認を、と」
『えっと…………うん。分かった』
メモを書き付ける音の背後が騒がしい。
この分だと今日はどうも荒れそうだ。
「なるべく早く帰るので」
『そう祈ってるよ』
「では」
『あ、待って』
「っと」
『肇、まだ一緒に居るんだよね?』
「え? ああ」
『取り消すよ。ごゆっくり』
返答する前に、ぷつりと通話が切れた。
無機質な終了音を聞きながら黙り込んだ俺を、向かいの肇が不思議そうに見つめる。
「凛さんですか?」
「……ああ」
「凛さんは、何と?」
再び黙った俺を見て、肇が首を傾げる。
十秒たっぷりと考え込んで、ゆっくりと口を開いた。
「…………慌てずにゆっくり帰って来い、と」
「慌てると危ないですもんね」
俺はリポーターに向いてないなと、改めて思った。
― = ― ≡ ― = ―
福島を抜ける直前の駅で、列車はとうとう完全に止まってしまった。
車内放送によると降雪のため運転再開の見通しは立っていないらしい。
しばらく慌ただしそうに歩き回っていた乗務員さん方の足音も、今は落ち着いている。
「……」
「……」
特にする事も無いので、俺はただ黙って窓辺に座っている。
向かいの肇もまた何をするでもなく、ご機嫌そうに笑みを浮かべていた。
「暇だな」
「そうですね」
「……肇は、そうは見えないが」
「そうでしょうか」
また上機嫌そうなその呟きに、何度目かの苦笑で返す。
一つ息をついて、数時間ぶりに立ち上がった。
先程の放送によれば、乗降扉は手動になっているらしい。
「外、出てみるか」
「良いですね」
「岡山に雪は降るのか?」
「もちろん。こちら程ではないですけれど――」
ドアが軽快な音と共に開く。
広がった風景に、肇の言葉が途切れた。
「――これ程の雪を見るのは、初めてです」
しんしん。
降雪を表す最も有名な擬態語だ。
先程よりは幾分か弱まっているものの、それでも止む事無く降り続けている。
四方に降り積もった雪は世界の音を覆い隠し――しん、としていた。
「よ、っと」
我慢出来ずに飛び出して行った子供達の足跡が無ければ、地面があるかも分からなかったろう。
プラットホームへ踏み出した靴は、俺の予想よりも5センチほど深く沈んだ。
「はぁ……」
肇の言葉と感嘆と吐息が、白い霧となって淡く消えた。
踏み締める雪の他に聞こえる音は、子供達のはしゃぎ声だけだった。
「大人の姿は俺以外無し、か」
「逆に考えましょう。Pさんも子供なのかもしれません」
「蒸し返されたな」
「ほら、寒いですし」
肇は、冗談が上手くなった。
ホームの端まで歩いて行こうとして、結局途中で断念する。
視界の九割を白が占める風景を、肇と二人並んでじっと眺めていた。
「……陶芸家の手というのは、特別なもので」
出し抜けに呟いた肇が手袋を外す。
指先に僅かな雪を掬うと、数秒もしない内に水滴へ変わった。
その光景を何とはなしに眺めていた俺に、肇がにこりと笑い掛ける。
「冬でも、雪の中でも、いつもと同じように温かいんです」
「……」
同じような真似をして見せようと雪へ伸ばした俺の手に、柔らかい温度。
骨張った俺の右手を、新雪へ紛れそうに白い、肇の両手が包んでいた。
「ほら、ね?」
「……温かいな」
「ご存じありませんでしたか?」
「ああ」
「プロデュース不足、ですね」
「すまん」
「今日、覚えて帰ってください」
「……そうするよ」
自身の理解不足を反省して。
いつもの様子よりずっと力強い意志に勝てずに。
別世界のような雪景色の中で、別世界のような温度を。
肇がくしゃみをするまでの間、繋ぎ留めていた。
― = ― ≡ ― = ―
あれから降雪は弱まる様子が見られない。
車掌からの心遣いで、夜の便の為に積み込まれていた弁当が乗客へ振る舞われた。
「旨かった」
「得しちゃいましたね」
食堂車に集まる客の様子も様々だ。
のんびりと文庫本を捲る老婦人。
頭を掻きながらどこかと通話するスーツ姿の男性。
我関せずとはしゃぎ回る子供の姿――
「……」
家族連れに人気の列車なのだろう。
小さな子供達の姿は多く、夕食後の時間を持て余しているようだった。
いつまでも雪の中で遊べる訳でもないし、どうしようも無い事ではあるのだが。
「……」
車内を走り回ってご両親に窘められる男の子。
窓の外の暗闇を不安そうに見つめる女の子。
肩身の狭そうな父親に抱えられる、先程まで泣いていた赤ん坊。
「…………肇」
「はい」
「まだ、元気はあるか?」
「……? ええ、ゆっくり休めましたから」
すっかり空になった、目の前の弁当箱を眺める。
対応をみる限りでも、なかなか柔軟そうな車掌さんだ。
それに――食った以上は、俺も働かねばなるまい。
「仕事を頼みたい」
「はい。私に出来る事でしたら」
「アイドルにぴったりの仕事だ」
俺の言葉を聞いて、肇が目を丸くした。
すぐに、納得したような柔らかい笑みを浮かべる。
「そういう事ですか」
「頼めるか?」
「はい」
肇の携帯と、いつもの携帯用スピーカーと……。
必要な物を頭の中で並べ立てながら、車掌さんを探しに立ち上がる。
忙しそうでないのを祈ろう。
「皆さんに、笑顔を」
「ああ」
静かな夜も悪くないが、賑やかな夜もなかなか良いもんだ。
― = ― ≡ ― = ―
肇ちゃんが陶器も良いけどガラスも好きですって言ってたよ
― = ― ≡ ― = ―
― = ― ≡ ― = ―
『――ゆーきやこんこ♪ あーられやこんこっ♪』
携帯に繋げたスピーカーから伴奏が流れる。
歌を邪魔しない程度に音量を抑えて、合わせるように俺も口笛を吹いた。
『ふってーはふってーはずーんずーんつーもる♪』
肇の膝に抱えられた女の子も元気いっぱいに唄っていた。
ご両親方が手拍子を合わせて盛り立てている。
スーツ姿の男性が首を傾げると、隣の学生さんが、有名な方は二番なんですよと教えていた。
『――ねーこはコータツでまーるくーなるー♪ にゃおっ!!』
最後に女の子が猫の鳴き真似をすると、笑いが巻き起こった。
声量もあるし、将来はあの子も良いアイドルになるかもしれない。
「――盛況ですな」
「ええ、お陰様で」
「何、見通しも当分立ちませんで」
静かに戸を引いて現れた車掌に会釈を返す。
無線機のイヤホンを耳に差し、食堂車を眺めて満足そうに頷いた。
「突然の依頼へのご協力、深く感謝致します」
「退屈な車内をライブで楽しませてくれると言うなら、断る理由もありませんや」
先ほど文庫本を捲っていた老婦人が演歌をリクエストする。
津軽海峡冬景色なら、と肇が返せば、婦人は嬉しそうに頷いた。
「Pさん」
「ああ。津軽海峡だな」
「お願いします」
携帯で動画サイト内を検索し、伴奏を探し出す。
あまり褒められた行為ではないが、まぁ、責任を被るのは肇じゃなくて俺だ。
問題無い。
「さて、と」
車掌が抱えていた帽子を確かめながら呟く。
「お次は鉄道唱歌をリクエストしても?」
「……ああ、ええと」
「冗談で。こんな光景見せられちゃあ、私も自分の仕事をしませんとな」
分厚いコートのボタンを留め直すと、車掌は駅舎へざくざくと歩いて行った。
まだまだ運転再開までは掛かりそうだ。
「……」
口笛を吹きながら、雪の中で小さくなっていく車掌の背中を眺める。
しんしんと雪の降りしきる世界と、賑やかに歌の響く世界。
『息で曇る窓の硝子拭いてみたけど――♪』
それぞれが、それぞれのするべき事をして、思い思いの夜を過ごしている。
普段の忙しない日々とは遠く離れた世界に居るようで、柄にも無く心が躍っていた。
明日からの憂鬱なスケジュール調整も、今だけは雪の中に埋めてしまおう。
「……はは」
食った分は働かないとな。
口笛に加えて打った、思いのほか大き過ぎた手拍子に、俺は慌てて誤魔化すしかなかった。
― = ― ≡ ― = ―
即席ライブは無事に終わった。
そしてすぐに、大変な問題に気付いてしまった。
「お疲れ様、肇。よくやってくれた」
「まさかライブするとは思いませんでしたけど、楽しかったです」
「疲れただろ。ゆっくりと休んでくれ」
「はい。…………あ、はい」
そこで会話が途切れて、肇が何事か考え込んだ。
やがて気付いたように眉を上げて、ちらりと俺の顔を見遣る。
「…………あの」
「…………ああ」
「Pさんも……えっと、お休みになるんですよね」
「……」
肇の視線の先には、今は折り畳まれている二段のベッド。
本来ならば使う予定の無かった、寝台列車にはごく当たり前の設備。
列車は未だ、動かない。
「……」
「……」
先程よりも明らかに深い沈黙が流れる。
肇は窓の外を眺めるばかりで、俺も真似をして眺めるばかりだった。
「俺は、やる事がある」
俺の言葉に、肇がじっと視線を投げ掛けてきた。
「タブレットもあるし、たまには事務所のブログも更新しないとな」
「……」
「さっき撮った写真の許可が取れ次第――」
「休まないんですか?」
肇にしては強い語調だった。
普段からすれば強過ぎるくらいの、詰問するようなトーンだった。
「ああ」
「どうしてですか」
「どうしてって」
「……」
「そりゃあ……そりゃあ、アイドルと同じ部屋で男が寝る訳にはいかないだろう」
言語道断の行為だ。
「私は、気にしませんよ?」
「事務所と俺が気にするんだ」
「告げ口なんてしませんし」
「そういう問題じゃない。担当としての姿勢の話だ」
まずい。
祖父譲りらしい頑固な面が顔を覗かせ始めていた。
こうなると肇はテコでも動かない。
「Pさんが休まないなら、私もずっと起きています」
「馬鹿言うな。早く寝なさい」
「一晩くらい平気です」
「肇はいま疲れてる。風邪でも引かれたら堪らない」
「どうして私だけ寝なくてはいけないんですか?」
「肇は…………肇は、俺の大切なアイドルだからだ」
多少のリップサービスを交えて丸め込みに掛かる。
嘘は一切、ついていない。
「――Pさんは、何も分かっていません」
肇が俺の両手を握った。
「Pさんだって。私の大切な、大切なプロデューサーなんです」
冬でも、雪の中でも。
きっと夜にだって変わらない温かさが触れる。
「肇」
俺は、肇の両手をそっと押しのけた。
「担当プロデューサーとして、指示する。準備をして、ベッドで眠るように」
押し返された手を、肇は黙ったままじっと見つめる。
そのまま何を言うでもなく、するでもなく、上の段のベッドを拡げて、ぽすんと横になった。
「……」
これでいい。
俺に向けられた無言の背中をしばらく見遣ってから。
部屋の灯りを落として、俺はタブレットの電源を入れた。
「――よし」
手がかじかみ始めた頃、ブログ用の記事の下書きが完成した。
雪景色と、乗客と、肇の笑顔とを飾る事無く並べただけだ。
だが、それで充分だろう?
「……」
一瞥したベッドから聞こえるのは穏やかな寝息。
仕事帰りだというのに無茶をさせてしまった。後で埋め合わせをしないとならないな。
今はただ、どうか存分に休んでほしい。
「さて」
やる事もやるべき事も無くなってしまった。
何をしようか少し考えて、ふと思い出す。
「……たまには、いいか」
途中に立ち寄った古本屋で買い求めた文庫本を鞄から取り出す。
題すらろくすっぽ確認せず適当に摘み上げた一冊だった。
鷺沢さんの耳に入れば静かに怒られそうな選び方だったが、まぁ暇潰しにはなるだろう。
妙な題が飾る表紙をめくる。都合の良い事に第一巻らしい。
ジャンルはいわゆる青春小説だった。
毛布を身体に引っ掛けて、ページをめくっていく。
「……」
転校してきた主人公は誰よりも早く登校し、誰よりも遅く下校する。
雨の日に限りそそくさと帰宅する彼には、どうやら秘密があるらしく――
― = ― ≡ ― = ―
掌の中の振動で、すっかり寝入っていたのに気が付きました。
ぼんやりする頭でアラームを止め、じっと耳を澄ませます。
「……」
深夜二時、まだ列車は停まったままのようでした。
静かな室内で唯一聞こえるのは、規則正しい呼吸音だけ。
被っていた毛布をそっと退けて、極力音を立てないように起き上がりました。
「寒い……」
寝る前に入っていた暖房は切られていたようです。
冷たくなった鼻の頭を指で揉みほぐして、ベッドの上から室内を見下ろします。
「……」
あまりに予想通り過ぎて起こる気力も湧きませんでした。
溜息をついて、ひたひたと梯子を降ります。
「……はぁ」
Pさんはソファーに座ったまま、規則正しい寝息を立てていました。
机の上にはタブレットとカメラと、それから伏せられた文庫本。
身体に掛けられていたらしき毛布はすっかりずれて、申し訳程度に片膝を覆っています。
ネクタイは流石に解いていて、それ故に寒そうでした。
恐らくPさんの事です。
私の喉に良くないと考え、寝入ってすぐに切ってしまったのでしょう。
作業をしている自分の方が、よっぽど暖かくする必要がある筈なのに。
ベッドすら使わないで、無理をして、疲れに逆らえないまま寝てしまって。
とてもぐっすりと、深く深く眠っているようです。
「……」
毛布を直そうとしている内に、何だかちょっぴり腹が立ってきました。
Pさんは、自分の事を考えなさ過ぎます。今も、いつだって。
あなたの事を考えている人は、確かに居るのに。
「……このままだと、風邪を引いちゃいますね」
暖房無しに毛布一枚では、きっと朝には鼻声でしょう。
明日、いえ今日以降の仕事にだって支障が出てしまうに違いありません。
何せこの人は話に聞く彦星さんみたいな仕事中毒ですから。
きっと、いえ絶対、よくないに違いありません。
そうです。はい。
「Pさんが、悪いんですから」
― = ― ≡ ― = ―
実は肇ちゃんへ投票すると、彼女がシンデレラガールに一歩近付きます。
― = ― ≡ ― = ―
― = ― ≡ ― = ―
重い目蓋を開けて、すっかり寝入っていたのに気が付いた。
尻の下から僅かに振動が伝わってくる。
窓の外を、うっすらと明け始めた雪景色が過ぎてゆく。
「……いま、何……」
腕時計を確認しようとしてようやく気付いた。
何だか無闇と暖かくて、心地良い。
嫌な予感は的中して、首を捻るとすぐ近くに艶やかな黒髪があった。
「――すぅ……くぅ……」
「…………」
二枚重ねの毛布の中で、肇が寝息を立てていた。
俺の左腕にがっちりと抱き着いて、そこだけが別世界のように暖かい。
「……」
冷や汗が出た。
幸いな……幸いなのか? とにかく、密室だし目撃者は無い。
起こさないよう細心の注意を払って、絡んだ腕をほどきに掛かる。
「――ぐぅ」
ぎゅっ。
「……」
……万に一つ、気のせいかもしれない。
もう一度引き剥がそうとして、
「ぐぅ」
ぎゅうっ。
俺の左腕を、肇が再び強く抱き締めた。
「肇」
「ぐぅ」
「ぐぅじゃない」
「すぅ」
「そうじゃない」
目を閉じたまま、肇が俺の腕に鼻を埋める。
それが無性にくすぐったくて、思わず溜息をついた。
「……離れなさい」
「……」
「こういうのは駄目だと、もう分かる歳だろう」
「コーヒーの飲めない子供なので、分かりません」
「やっぱり起きてるんじゃないか」
「寝言です」
「……そうか」
「ぐぅ」
もう一つ溜息をついて、さてどう引き剥がしたものかと頭を捻る。
そうだ、ひとまず。
「肇」
「ぐぅ」
「せめて暖房を点けさせてくれ」
「……」
しばらくの間黙り込んだ後、肇は俺の腕から顔を上げた。
閉じていたまぶたをゆっくりと開き、けれど俺へ視線を向ける事は無い。
「――陶芸家の身体というのは、特別なもので」
何処かで聞いたような台詞だった。
「朝は、毛布の中では特に――とても、とっても、あたたかいんです」
「……」
それも、もちろん知らなかった。
恐らく、いや間違いなく、俺のプロデュース不足によるものなのだろう。
きっと、そうなのだろう。
「…………肇」
「ぐぅ」
「……そうか、寝言だったな」
「んー……あと、五分……」
「……」
「……いえ、十分……十五分…………ううん、出来れば三十分くらい……」
「……」
「……」
「…………十五分な」
「…………ぐぅ」
自由な右手で携帯電話を開く。
「……」
疲れか、眠気か、大人だからか、分からないが。
アラーム時刻の設定が、どうしてだか上手くいかなかった。
― = ― ≡ ― = ―
「JRの広報さんから許可取れましたよ」
「ありがとうございます。記事も今アップロードしますので」
ちひろさんへ頭を下げつつ、ブラウザで下書きのブログ記事を呼び出した。
誤字やミスが無いかを再確認していると、モニタの向こうを渋谷さんが歩いて行く。
「渋谷さん」
「ん?」
「先日はありがとう、助かった」
「……? ああ、雪の。いいよ、困った時はお互い様だからね」
「青森土産があるけど、食べるかな」
「じゃあ貰っておこうかな」
リンゴ煎餅を受け取ると、渋谷さんがモニタの記事に気付く。
「突発ライブだっけ。儲かった?」
「利潤目的で開催した訳じゃあ」
「冗談だよ。この人達の顔見れば分かるしね」
渋谷さんがマウスを握って画面をスクロールさせる。
余す所無く雪化粧の施された駅舎。
雪だるまを作る子供。
手拍子をしながら唄う肇。
食堂車に集まる乗客の笑顔。
「たまにはいいんじゃない?こういうのもさ」
渋谷さんの言葉に、深く頷いた。
「それにしても寒そうですねぇ」
ちひろさんがお盆に湯呑みを載せてやって来た。
礼を言って肇お手製の備前を受け取り、一口。
熱めに淹れられた緑茶が喉を下って、身体の芯まで温まるようだった。
「かなり冷え込みましたよ。大雪になる前に帰ってくるつもりだったんですが」
「風邪引かなくて良かったね」
「プロデューサーさんの身体に侵入するほどガッツのあるウィルスも居なそうですけどね」
「まぁ、俺は鍛えてますから平気ですが――」
「――おはようございます。今日は特に冷えますね」
事務所の扉を開けて、肇が現れた。
冬でも変わらず温かいらしい身体は、マフラーと帽子と手袋でモコモコに覆われている。
陶芸家の随分な重装備に、渋谷さんとちひろさんが顔を見合わせて笑った。
「ご覧の通り、彼女はたいそう寒さに弱いようですし」
話を続ける俺と笑い合う二人を見て、肇が困惑の表情を見せる。
「あ、あの。何のお話ですか……?」
ふと、脳裏に楓さんが現れた。
そうだ。何せ、今日は冷える。
「ですから風邪なんて引いたりしないように、しっかりと」
まぁ、少しぐらいは滑ったって許されるだろう。
「――はじめの方から、暖かくするよう気を遣っていましたよ」
おしまい。
肇ちゃんはいつも可愛い。寝てても可愛い。
なら寝たふりも可愛いんじゃないかなって思って書いた次第可愛い
総選挙中間発表はもうご覧になったでしょうか。
聡明な皆様なればすべき事はご存じであろうと思います。
肇ちゃん、可愛いですよね。
という事で、引き続き鷹富士茄子さんの話をお楽しみください↓
鷹富士茄子のブーケトス
鷹富士茄子のブーケトス - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1462010577/)
おつおつ
おっつおっつ!
肇ちゃん、中間では良い位置だったよね
乙
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