雪乃「今年も、よろしく」 (22)
くぐもった振動音が聞こえた。
ぼんやりとした頭で、ベッドから窓を見る。僅かに開いたカーテンの隙間からは光が差し込んでいて、ひっそりとした寝室をやわらかく照らしていた。
いけない。少し寝過ぎてしまったらしい。そうはいっても、まだ冬休みだから慌てることもないのだけれど。
身体を起こしてベッドから出るその時に、そういえばと思い出す。
枕元の携帯電話に通知あり。差出人は由比ヶ浜さん。
『ゆきのん誕生日おめでとう!!ホントは0時になった瞬間送ろうと思ってたんだけど……えへへ。また今度お祝いするから楽しみにしててね!!』
顔が綻ぶ。
自分でも不器用だな、と思う手つきで返信文を打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを繰り返した。そうしてできた自分なりに納得のいく文章を、少しの勇気を持って送信した。さてと……。
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立ち上がってうん、と伸びをして窓辺まで歩く。カーテンを開け放って、ベランダに出て外を眺めた。年末に降った雪は未だに道路に白く残されたままだ。
遠くに見えるあれは兄弟? 子供たちが朝から元気に雪遊びをしているのが目に入って、思わず笑みがこぼれた。
「私も頑張らないと」
センター試験まであと2週間。今更頑張っても何か大きく変わるとは思わないけれど、何かしていないと気持ちが落ちつかない。
だから、何度解き直したかわからない過去問に今日も向き合う事にしよう。
しっかりとやってきたことを確認しよう。いつも通りに過ごせばいい。
特別な何かを期待しないように。
× × ×
机に向かっていると、またメールが届いた。小町さんからだった。
『雪乃さんお誕生日おめでとうございます☆ ごみ……間違えました! 兄からも何かするように言っておきますのでお楽しみに!』
相変らず兄妹仲が良さそうで安心する。どこかの家とは大違いねと、少しだけ羨ましく思った。じっと、メールの本文、そのさらに後方を無言で読み返す。
『兄からも何かするように言っておきますのでお楽しみに!』
とくん、と心臓が跳ねた。急に暑く感じて、ぱたぱたと手の平であおぐけれど、それでも顔の熱は引いてはくれなかった。
意識しないように、そのことには触れずに返信文を打ち込んで送信した。
「……ちょっと素っ気なかったかしら?」
たった今手拍子で送ってしまったメールを見返す。
そんなことをしても、いまさら何も出来ないというのに。
学校で会った時に謝ればいい。でも、何て言えば良いのだろう?素っ気ないメールを送ってしまってごめんなさい? ううん、そんなことをいきなり言われてもきっと小町さんは困ってしまう。だから……どうしようか?
かぶりを振って勉強を再開することにした。
瞬間、携帯が震える。また小町さんからだった。
『はい! 今度小町も部室におじゃまするので、その時に誕プレ持って行きますからね。そちらもお楽しみに~』
「ありがとう、小町さん」
それは、きっと色々なことに対して。
携帯を机の上に丁寧に置くと、今度こそ勉強を再開した。
× × ×
ふと外を見れば、もう薄暗い。
冬至を過ぎたとはいえまだ1月。日が伸びたなと感じるには、もう少し時間がかかりそうだ。
「紅茶でも飲もうかしら」
そうひとりごちて、ひとり分だけの準備を始める。慣れたものだ。慣れているはずなのに、どこか寂しい。机の上の携帯を見やる。通知はなかった。
らしくない。そう思っても、どうしても気になる。
勉強中も、休憩中も、こうして紅茶を淹れている時も。ついつい気にしてしまう。
「らしくないわ、本当に」
はぁと息を吐いて、マグカップで淹れたミルクティーを啜っていると、断続的な振動音が聞こえる。メールではなく電話だった。
必死に気持ちを落ちつけて画面を確認すると、なんのことはない。深い溜息の後、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『ひゃっはろー雪乃ちゃん!』
「姉さん、うるさいわ。少し静かにしなさい」
『えーひどーい。第一声がそれ? お姉ちゃん悲しいなー』
「用件を言いなさい。今勉強中だから、何もなければ切るわ」
『雪乃ちゃんなら今更勉強しなくても大丈夫だと思うけどなぁ。あ、用件はあるから切らないでね』
実家に顔を見せなさいとかそういった類だろうなと、おおよそ見当はつく。
「それで、なにかしら?」
『誕生日。おめでとうね、雪乃ちゃん』
素直に驚いた。
予想の斜め上だったから。姉さんがこれだけわかりやすい言葉を掛けてくれることが、久しくなかったから。電話の向こう側からは退屈そうな声が聞こえてくる。
『雪乃ちゃーん?おーい』
「……なんでもないわ。ありがとう、姉さん」
『んふふ~いいっていいって。今年はどうするの? こっち帰ってくる?』
「いえ、帰らないわ。ここの方が集中できるし」
『ふーん、そ。それでもいいけど。今年度中に1回くらいは顔見せなさい。もう高校も卒業するんだから』
「ええ。正直気は乗らないけれど」
『お子様みたいなこと言わないの。……あっ、そうそう』
「なに?」
うふふ、という含み笑いが聞こえてきた。今電話の向こうでどんな顔をしているかを想像すると、一刻も早く電話を切りたくなってしまう。
『いや、愛しの彼からプレゼントは貰ったのかなーって思って』
とくん、とまた心臓が跳ねた。
「……馬鹿馬鹿しい」
『ありゃ意外。愛しの彼の存在は否定しないんだ? 誰を想像しちゃったのかなー?』
「切るわね」
言って、一方的に通話終了ボタンを押してソファに沈み込む。けらけらという笑い声と一緒に「今年もよろしくね」と言っていた気がするが、気にしないことにする。
「ホントに姉さんは……もう」
机上のお気に入りのパンさんぬいぐるみを掴むと、それを優しく抱きしめた。
「……はあ」
誰を想像したのかなんて、聞かなくてもわかってるくせに。いや、わかってるからこそ聞いてきたに違いない。
だが何よりも悔しいのは、姉の予想に寸分違わぬ想像をしてしまったことだ。
ソファに鎮座する携帯電話を見やる。
通知は、まだ来ていなかった。
× × ×
夕食は冷蔵庫に残ったもので簡単に済ませた。
本来であればもう少し机に向かうところだけれど、今日はどうにも手に付かなかった。
原因はわかっている。けれど、その原因を自ら除くことが出来ない。やる、やらないではなく、出来ない。なら私にはどうしようもない。そんな諦めの境地だった。
お風呂にでも入ろう。そして本を読んでもう寝てしまおう。
今日何度したかわからない溜息をもう1回吐き出すと、携帯から長い振動音が聞こえた。
「もしもし」
『ゆきのんやっはろー。今だいじょうぶ?』
「こんばんは。ええ、問題ないわ」
『ありがと。あっ、改めてだけど誕生日おめでとう』
「……ありがとう、由比ヶ浜さん」
メールに加えて電話までしてくれる。そんな彼女の優しさに胸が温かくなった。
『うんうん。でね? この前メールで話したかもだけど、部室でパーティしようかってなってるんだけど』
「でも迷惑、ではないかしら? みんな受験勉強で忙しいだろうし」
『ぜんぜん迷惑じゃないよ。でもちょっとだけその辺の事情も考えて、始業式の日はどうかなって思ってるんだけど』
「始業式?」
『うん。その日って授業ないから午前中で終わるでしょ? だから午後から始めて早めに解散ってのはどう?』
「私は構わないけれど……その、本当にいいの?」
『大丈夫だってば。あたしにまかせて!』
「……ええ。ありがとう」
ふふっ、と短い笑い声が聞こえる。思わず首を傾げた。
「どうしたの?」
『ううん何でもないよ。 ところで今日どうだった? なにしてたの?』
「特に変わらないわ。朝から勉強して、それだけね」
『ほえー1日勉強してたんだ。偉いなーさすがゆきのん』
「……由比ヶ浜さん。まさか勉強していないの?」
『えっ! いやほら今日はちょっと疲れちゃったし……お正月だし……』
「言い訳しない。……本当に大丈夫なのかしら?」
『だ、大丈夫大丈夫勉強するから。…………でも明日からじゃダメ?』
「今日からしなさい。センターまで時間もないし。それに……目標があるんでしょう?」
『……そうだよね、うん。わかった頑張るよあたし』
「ええ。頑張りなさい」
『うん。それじゃ、おやすみゆきのん』
おやすみなさい。そう言い残して電話を切った。
彼女との付き合いももうすぐ2年。あの頃よりきちんと成長したと思えば、どこか抜けていて。けれど、彼女も私にないものを持っている。それに随分と助けられてきた。
だから、今日言ったありがとうだけじゃきっとまだ足りない。由比ヶ浜さんに言えば否定されてしまうのだろうけれど。
笑みが自然とこぼれる。
今日は良く眠れそう、そんなことを考えていたら再び手の中の携帯が震えた。
「また? ……これは?」
登録外。それを意味する数字の羅列に眉根が寄る。番号を交換した人間は限られているし、数も少ないから登録漏れをしていることもないはずだった。
訝しんでいる間も振動は続いていたが、やがて途絶えた。
番号を見つめる。少しの不安と、大いなる期待を込めて。気が付けば番号をタップして耳に押し当てていた。
呼び出し音が聞こえる。相手は3コール目で電話に出た。
『……もしもし』
声を聞いた途端、心臓が跳ねる。
『もしもし? 雪ノ下か』
息を吸って、大きく吐く。努めて平静に。普段と変わらぬように。
「先ほどお電話をいただいたのですが、どちらさまですか?」
『俺だよ俺』
「誰?」
『俺だ。比企谷だ』
「……誰?」
『おい泣くよ? 泣いちゃうよ? つーかお前、最初の時点でわかってただろ』
こんなやり取りが楽しくて仕方がない。ひとしきり声を殺して笑うと、目尻に浮かんだ涙を拭った。
「冗談よ。こんばんは、比企谷くん」
『おお。悪いな夜分に』
「いえ、気にしないでいいわ。それより、なぜこの番号を知っているのかしら?」
『あー小町に聞いた』
「そう。小町さんから」
そうだろうなと予想はしていた。けれど、まさか電話が来るとは思わなかった。
意外な心境で、彼の言葉を待った。
『えっと、あれだ。用件なんだけどな』
「ええ」
『……おめでとさん』
顔が熱くなる。嬉しかったけれど、その言葉に満足できず、彼に対していじわるをしたくなってしまう。
「ええ。あけましておめでとう」
『いや、それもそうだけど。そうじゃなくてだな』
「でも、おめでとうだけではわからないわ」
『……お前遊んでる?』
「ふふっ。さあ、どうかしら?」
暫し沈黙。やがて観念したように息を吐いたのが電話越しに聞こえた。
『あー雪ノ下』
「なにかしら?」
『ちょっと遅くなって悪かったけど……今日誕生日だろ? だから、おめでとう』
頬が緩むのを抑えられない。
ただこの言葉を聞きたかった。他でもない、ぶっきらぼうな彼の口から。
「ありがとう比企谷くん。それと」
『なんだ?』
そして私も、あらかじめ準備していた言葉を返そう。小さな声で囁くように。
「今年も、よろしく」
× × ×
満ち足りた気持ちで文庫本を閉じた。
立ち上がって文庫本をしまった時にふと、枕元に置いた携帯が目に入った。
「……そうね」
電話履歴を眺める。一番上には登録外の番号があった。それを選択して編集で文字を打ち込んでいく。
「登録、と」
履歴の一番上。ただの数字だったものが「比企谷くん」に変わったことを確認して携帯を閉じた。
電気を消して、もぞもぞと布団に入るとゆっくりと目を閉じる。すると、たちまちに意識が暗闇に吸い取られていく。
「おやすみなさい」
カーテンから漏れる月光が、まるで木漏れ日のようにゆらゆらと揺らめいていた。
<了>
超短編ですので以上で終わりです
ありがとうございました
乙
ゆきのん視点は珍しいな
乙
ゆきのんかわええ……
乙です
次回作も期待
いい…
トリップつけ忘れ
HTML申請してきます
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