男「俺の幼馴染は男に困らない癖に身体関係を迫ってくる」(17)

幼馴染が居る。

幼稚園の頃だったか、向かい隣の一軒家に越してきた家族。その一人娘が俺の幼馴染となる人だった。
実際のところ、幼稚園の記憶は俺にもほとんどない。

小学生の時、その幼馴染とはクラス違いの学年の時も昼休みなんかに会っていたという。
どちらの家庭も忙しい両親の都合もあり、途中から学童保育施設に通っていた。その頃辺りから記憶がはっきりしてくる。覚えている限り一番初めの出来事は、お泊まりの日に夜中泣きながらトイレに連れて行ってもらったこと。なんとも情けない次第だと、少し大きくなってから彼女と笑い話にした。

その後彼女は私立中学へ進学。うちは家庭の都合もあり公立中学へ進学した。
かといって疎遠という程でもなく、家族ぐるみの付き合いは続いていた。
だが中学2年生の春、彼女らは仕事の関係上また引っ越すことになった。
車に乗り込む前、最後まで振り向かなかった幼馴染。
サイドミラーに映った大きく潤んだ目。
それの意味するところを考える暇もなく、車は発車していった。

時は飛んで高校2年生。
俺は中学でトラック競技のある程度の記録を残して、推薦として私立高校に入学していた。
ここが地区でも有名な進学校であると知ったのは入学してからだった。
もっとも、進学実績を残しているのはうちのクラスではなかったのだが。

高校の実情は知らなかったものの、志望動機は随分前に決まっていた。
引っ越し先にも近く、また中学にも近かった。
もちろんそこに進学すると限らないのは分かっていたが、近くであることに変わりない。でも、

幼馴染に会えるかもしれない。それだけで十分だった。

中学の誰かにそれを話すと女々しいと嘲られた。引っ越してしまった幼馴染というものに憧れがないとは言えない。雰囲気に弱いタイプなのだろう。
それから他人には、志望動機は「陸上を続けたい」ということにした。
こういうところが女々しい。分かっている。言うな。

話を戻そう。高校2年生。
結局今の今まで彼女に会うことはなかった。学校でそれらしい人間の話を幾度か耳にしたが、どの宛も外れた。
怖いぐらいに虚しかった。覚悟の上でしていたことだが、当面何をしたいのか、何も思い浮かばなかった。

何度も繰り返すようだが、高校2年生。その夏。
部活の帰りに彼女の姿を見かけた。軽く跳ね上がった。

続けて

期待

これは期待

「あの、すみません」

なるべく落ち着き払おうとして、声が上ずった。
振り返ってから、先に俺に気付いたのは彼女ではなく、連れ添っていた彼女の母親の方だった。

「もしかして、霧山さんのとこの」

少し懐かしい、綺麗な声だ。確か昔、歌手を目指していたという話を幼馴染から聞いていた気がする。

「はい、お久しぶりです」

途端に安心した俺の返事も、彼女にチューニングされるようにして声色が安定した。
不意に幼馴染の方を見てみると、軽く口が開き、目を丸くしていた。

「ひさしぶり」

もしかして忘れてないかと不安になり、声をかけた。

「……うん、ひさしぶり」

安心した。覚えていてくれていたらしい、ということもあったが。何よりも。
変わっていなかった。大きな瞳も、親譲りの声も、笑うとなだらかに上がる口元も。
でも少し、大人びた気もする。
男子が馬鹿騒ぎしている間にも、女子は女を磨く。だったか。

「……ちょっと変わったね」

「そう、か?」

あっちの方はそうも思っていないらしい。
確かに背はかなり伸びたが、成長期の男子なら有り得る範囲だと思うが。

「顔つきとか、身体もそうだし。あと、色とか?」

「色ってなんだよ」

くすくすと笑う彼女を、俺は恋焦がれるよりも安堵感で眺めた。
一人暮らしを始めてから長らく家族以外の知り合いに会っていなかった。
別に故意に避けていた訳ではない。言った通り、顔を見せに何度か実家に戻ってもいる。

――でもなんとなく。幼馴染だけでなく、知り合いが変わっていくのを見るのは寂しい。
そんな風に思っていた。
でも、彼女のそれは思春期の成長のものだ。
心根は何ひとつ、変わっていない。そう信じることができた。それが何より嬉しかった。

「あ、ほら芽依、ちゃんと説明しなきゃ」

どうやらぼうっと黙っていたのが、俺がなぜ二人がここにいるか考え込んでいるように見えたらしい。
すみません。あなたの娘さんに見惚れていました。

「あそっか、ごめんごめん。えっとね」

こほん、と声調を整えて。

「私、この高校に転入するんだ」

はよ

気がつくと俺はうつ伏せに倒れていた。
右半身に鋭い痛みと舌の上の砂利の感触を伴って。

「……あれー?」

「せんぱーい」

空から耳慣れた声がする。両腕で体を起こし、仰向けになる。
栗色のショートヘア。両目が顔の半分あるかってくらいデカい。今風の顔と言えば、そうなのか。

「なにぼーっと突っ立ってんすか。これからあたし計測なんすけど」

「……時に我が後輩、俺今何してた」

立ち上がりつつ、そして平然を保ちつつ。

「トラックの上で立ってました。しかもわざわざ?あたしのコースの上で」

不満気だ。

「……我が後輩よ。もう一ついいか」

「ちゃんと名前呼んでくんないっすかね」

ふん、と息を吐いて腰に手を当てる。

「今何時だ」

「……ゆきちゃん、今何時よ?」

ああ、俺が直でマネージャーに聞けばよかった。

「んーと、17時11分ですねぇ」

「だそーっすよ。分かったらどいてくれませんかね。後ろつまってるすから」

早口でそうまくしたて、呆れてスタートラインへ戻って行く。
周りを見れば部員にくすくすと笑われていた。
さすれば恥ずかしさやら何やらを原動力にしてそそくさと退散するしかない。

「俺にしてはめずらしい」なんてぶつぶつと呟き、ベンチに座ると「そうでもないですよぉ」と隣にゆきちゃん。

「あなたが入部したての時もそうでしたから」

入部したて、って高1の前半か。幼馴染のことを引きずってたのだろう。幼馴染のことで頭がいっぱいで忘れたが。

ほほう

「我ながらアホらしい」

舞い上がるにも限度がある。でも、こんな底抜けのアホはそれでも嬉しく感じてしまう。
空を見ながらにやつくと、隣からため息が聞こえる。

「アホですよぉ。あんまりスーパーマネージャーの手を焼かせないでください」

と、真っ白な手からタオルを差し出される。気づけば額についた砂が汗で垂れてきている。

「悪い。顔洗ってくる」

「ついでにそのニヤニヤも洗い落としてきてくださいな」

「……おう。あと、後輩にまでゆきちゃんって呼ばれてんのはどうなんだ?」

「ああ、にやつきがひどいことに。早く行ってきてください」

怪訝そうな顔をしながら自称スーパーマネージャーがしっしと手を払う。

上を向いた蛇口から溢れる液は、温い鉄と泥の味がした。 でも、そんなものは気にならなかった。

「落としてきてくれって言ったじゃないですかぁ」

落胆する彼女は可愛いと思う。浮気とかでなく、男の本能という、客観的指標において。

はよ

上げ

その後、後輩とぶつかった右半身の無事を確認し、今日の部活はお開きとなった。
誰かと帰りに誘おうとしたが、気が付けば誰も居ない。
どうやらまたぼうっとしていたらしい。他人事のようだが、事故に遭わないか心配だ。
きちんと記憶を整理せねばと、頬をパンパンと叩く。
……そういえば、あの時我が後輩はケガ一つ無かった。あいつもしや、ぶつかった振りをしてわざと蹴ったんじゃなかろうか。非があるのはこちらなので文句は言えないが。
腕にスパイクの痕がないか確認しようとした時、エナメルバッグのポケットがブブブと擦れた。

携帯を確認すると、幼馴染の名前があった。
久々のメッセージだった。どれだけ仲が良かったとしても、会わなければ途切れてしまうのが、旧友との連絡である。
そんな事態を想像し、安堵しつつアプリを開く。



「お邪魔しまーす。おおう、男の子の匂いだ!」

「う、うるせえ。嗅ぐな嗅ぐな」

「へへへ、いい部屋住んでるんだねえ」



なにがどうして家に居んのよ、お前。

生きててよかった

保守

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