千早「振り返ることもないだろうから」 (18)

事務所の窓から外を眺めると、忙しなく歩く人の群れが目に入った。
今日は大雨だというのに肩が濡れることも気にせず傘をさして街中を行く人々の背中に、ついあの人の面影を重ねてしまう。

パシャリ、とシャッターの音。仕事柄聞き慣れた音だが、不意に鳴ったそれに少し驚いて振り返る。

「……千早ちゃんかぁ。びっくりした~」

そこには、カメラを構えて少しいたずらっぽく笑う友人がいた。
普段はあまり見せない笑顔に、少しドキッとする。

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「春香がそんな顔してるところは、なかなか珍しいから。写真に収めておこうと思って」

そう言われて、無意識のうちに頬に手を当てた。

「あ、あはは……そんなに酷い顔してた?」

「いいえ、いつも通り可愛い顔よ」

茶目っ気のある笑顔で、そんな事を言う。
初めて会った頃の彼女からは考えられないようなセリフだ。
出し抜かれたようで、なんだか少しだけ悔しい。

「もう……千早ちゃんったら」

だからわざと頬を膨らませて、可愛こぶってみる。
でも、彼女はそれを見て優しく笑うだけだった。

「ふふ……それで、何かあったの?」

隣に座り、じっと私の顔を覗き込んでくる。
その透き通った瞳の中には、少しだけ疲れた顔をした私が映っていた。

「……外」

「外?」

私の言葉につられるように外を見る。少ししてから、カメラを構えた。しかし、その指はシャッターを切らない。

「ポストカードにするには……少し、世知辛い絵面ね」

ゆっくりとカメラを降ろし、私の方を見る。

「どうせ、プロデューサーの事を考えていたんでしょう?」

驚いた。やはり彼女には私のことなどなんでもお見通しなのだ。

「……なんか、プロデューサーはああいう風に歩いてたなぁって」

「確かにあの人は、自分より私達のことを重要視していた節があったものね。自分が濡れることなんて気にしないで、仕事のために雨の中を歩くなんていかにもだわ」

そう言いながらまた窓の外に視線を落とした彼女の瞳も、どことなく物憂げに思えた。
やはり彼女もプロデューサーが旅立ってから、寂しさを感じているのかもしれない。

「……いつも慣れたと思うけど、やっぱりプロデューサーさんがいないと変な感じ」

なんとなく気恥ずかしさを覚えて、唇に手を当てながら続ける。

「べ、別に寂しいって程じゃないけど……違和感っていうか……」

なんだか余計に言い訳がましくなってしまった。でも、実際は少し……いや、結構寂しいのだから仕方ない。
そんな私を見て、彼女は少し表情を曇らせた。

「そうね、やっぱり長く一緒にいた人がいないって変な感じよね」

少しの無言。雨の音が静寂を消しているが、それが余計に空白を際立たせる。

暗い空気を断ち切るように、慌てて口を開く。

「千早ちゃんってさ」

「何?」

「結構変わったよね。なんていうか……柔らかくなったというか」

「ど、どうしたの急に」

突然自分を客観的に評価されて、ちょっと慌てている。
さっきやられた分……と言うわけではないが、小さく狼狽える彼女を見て意味もなく少し嬉しくなる。

「だって、昔の千早ちゃんならさっきみたいな事、言わないと思うから」

笑いながらそう言うと、彼女は照れて顔を背けた。

それから少しの間視線を泳がせたあと、フッと笑ってまた窓の外を見る。

「……そうね、ちょっと照れくさいけど、私はここに……765プロに来て大きく変われたと思う」

「うん」

「良くも、悪くもね」

意外な言葉に、少し目を見開く。

「悪くなんてないよ。昔のストイックな千早ちゃんも確かにすごかったけど……なんていうか、張り詰めてて……」

そう言いかけたところで、彼女はおもむろに口を開いた。

「それよ。今の私には、少し緊張感というか……歌へのストイックさが足りない気がするの」

そんなことはないと思う。確かに昔に比べれば練習量は減ったかもしれないけど、それは私や他のアイドルと遊ぶようになったり、歌以外の事――例えば、写真とか――に時間を割くようになったからだ。
そしてそれは、彼女の歌声をより深くする事への、別角度からのアプローチなのだ。
……まあこれは、プロデューサーからの受け売りなのだけれど。

でも、彼女も私達と過ごす時間を楽しんでくれていると思っていた。だから、そういう言葉が出るのは予想外で――とても、悲しかった。

「……ごめんなさい春香。そんなに悲しい顔をしないで」

不意に意識が思考の中から現実に戻る。そこには心配そうな顔をした友人がいた。

「違うの、今言ったのはあなた達との時間を否定してるとかそういう訳じゃないのよ。春香や他のみんなと話したり遊んだりするのは楽しいし、ただ練習を繰り返す事とは違う有意義さを感じてるわ。それは本当よ?」

その言葉に少し安心する。

「でもね、たまに思うの。昔の私は、とにかく今を生きていた。それは、過去を振り返る事が恐ろしかったから、目を背けていたというのもあるわ。でもその分、すべてを今に、自分だけに注げていた」

まるで過去の巨像を目で追うように、天井を見つめる。

「それが今は違う。春香との……765プロの皆と過ごす時間が、とても大切。過去を偲ぶようになったし、未来を見据える時間も出来た。もちろん私なんて、まだまだひよっこなのも分かっているけれど」

そんなことないよ、と言いかけた私を目で制して彼女はさらに続ける。

「でも、たまに雑誌なんかで、如月千早には昔の鋭さが失われたって書いてあったりするのを見るとね。もしも私がここ以外の事務所に行っていたら、あるいは……今よりも高みへ行っていたのかもしれないって」

「だってそんな私は……過去を振り返ることもないだろうから。未来を考えることも、今を楽しむこともないだろうから。そしてそれはとても楽で、とても辛いの」

「楽なのに、辛いの?」

「そうよ。どこにも逃げ場がないから辛いけど、逃げ場がないからこそそれを紛らわすために一心不乱に一つのことに打ち込めるの」

私はそんな言葉を聞いているのがとても辛くなったが、当の彼女はそんな言葉を慈しむような、優しげな笑みを浮かべていた。
それはきっと、懐古的ともいえるような、少しだけ苦い記憶を楽しむような感情なのだろう。

「でも、今の千早ちゃんの方が私は好きだよ」

他人がとやかく口を出しても、当人の考えは変わらないだろう。それでも苦し紛れに近い言葉を、私は吐きだした。

「今の千早ちゃんは、昔より優しく笑うもん。私の勝手な意見だって分かってるけど……私と、みんなと触れ合って、少しづつ変わった今の千早ちゃんを見てると私、幸せな気持ちになるの」

彼女は何か言いたげな顔をしたが、口をつぐんで代わりに笑い、次の言葉を促してくれた。

「だから……そんな事、言わないで、欲しい……」

それは消え入るような小さい声になってしまった。
私の言ったことはあまりにも一方的で自己中心的だ。
あくまでも仮定の話をしただけの彼女に対して、あまりにも敏感過ぎて過剰な反応だっただろう。
そんな自分が情けなくて、どこかへ行ってしまいたくなる。

「ごめんなさい、ちょっと意地悪だったわね。春香があんまり可愛い顔をするから、少しいじめてみたくなって」

彼女は申し訳なさそうに笑うと私の頭をなでた。

「私、765プロに入らなければ良かったなんて一度も思ったことはないわ。だって、ここに来たから春香と出会えたんだもの」

俯いていた顔を上げると、あの優しげな瞳が私を見つめていた。

「千早ちゃん……」

「そして、最近は歌声に以前よりも豊かな感情が乗っているって、ボイストレーナーの方に言われたの。それは間違いなく春香達のおかげで、私一人では辿りつけなかった場所だと思うから」

彼女は、ニッコリと笑って私の頬を撫でる。

「どんな風に歌うのが正しいのかなんて、そんな事は誰にも分からない。だから夢想するの。今とは違う私……異なる道を歩んだ私を。
でも、それは今の生き方や今の自分を否定している訳じゃないの。……ごめんなさい、私口下手だから、うまく伝わるかわからないけれど」

「ううん、分かるよ。私こそごめん、千早ちゃんの言いたいこと全部理解しないまま、すぐに否定するようなこと言っちゃって……」

また、お互いに無言になる。
でも今度はさっきとは違う。細くてしなやかな手が私の頬を撫でている。
そこから彼女の体温が伝わってきて、無言のうちに分かり合えそうな、そんな気持ちになっていた。

「……あら、雨もだいぶ小降りになったわね。今からなら歩けばちょうど電車時間に間に合いそうだし、すこし歩いて行かない?」

そう言って、温かい手のひらが私の手を掴んだ。
だから私も、しっかりとその手を握り返す。
決して彼女が離れていかないように。
そして……

「うん!私、今日はもっともっと千早ちゃんと話したいもん!」

……彼女が、間違っても『異なる道を歩んだ私』に靡いてしまわないように。

おわり

―――
おまけ

今日はオフの日。私は今、事務所のパソコンを借りてデジタルカメラのデータと悪戦苦闘している。
撮った写真は毎回律子か音無さんに頼んで印刷してもらっているのだが、なるべくなら印刷するところまで一人で出来るようになりたい。
そう意気込んで朝から独力で挑んでいたのだが、まずパソコンにデジタルカメラを接続して写真のデータを開くところまででほぼ丸一日費やしてしまった。

「ふう……」

少し凝ってしまった肩を伸ばしながら何気なく窓際に目をやると、外を眺めている春香の姿が目に入った。
いつから事務所にいたのか、全く気付かなかった。多分集中している私を気遣って、邪魔しないようにそっと窓際まで行ったのだろう。
そう思うとなんだか愛おしくて、悪戯したくなった。幸いにも、向こうもこちらに意識を向けていないようだ。
カメラを構えてそっと近づく。珍しく長いまつ毛を伏せて物思いに浸るような表情をしている春香。その儚げな雰囲気に息を呑むが、その視線の先を見て少し胸が痛んだ。

それは、雨の中を早足で歩く人の集団だ。
その姿を見て、きっと春香はプロデューサーの事を思っているのだろう。

春香はプロデューサーがニューヨークへ研修に行ってからというもの、いつもより明るく振る舞うことが多くなった。
みんなは春香はいつも元気だ、などと評するけれど、私に言わせればどこか空転気味だ。
そして、稀にこうして物憂げな顔をしている。
それは決して人に悟られないようにしているらしく、私もこれで二度しか見ていない。

そんな春香の想いが積もりに積もって大きくなってしまわないように、私は不意にシャッターを切った。

パシャリ。

「……千早ちゃんかぁ。びっくりした~」

―――

こんどこそおわり
ほんとは>>1のIDのうちに全部投稿したかったしもっとネタ系のが書きたかったけどどっちも無理でした


雰囲気いいね

乙だぜ

ああ雑談スレに書き込んでた人か
俺は引き込まれたぜ。乙

>>1
無茶振りしてごめんなの

良かったです

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