ズズッ…
その少女は、蕎麦のつゆを飲む仕草さえも上品に写った。
僕は既に食べ終わっているものだから、少女を見つめて次の言葉を待つほかない。
少女「ふぅ……ん、そうですねー。あなたは至極単純です」
男「改めて言い直す必要…あるか?」
少女「ええ、ありますとも。あなたは、さっそく年越し蕎麦なんて縁起物に乗っかった、哀れな人間ですからね」
男「そういう君だって……」
ズズッ…
僕の言葉を遮るように────…いや、わざと間につゆを飲んだのだ、この少女は……。
少女「私は良いのですよ、私は」
少女「美味しいものが食せれば、それで!」
男「……はぁ」
この目の前の女こそ、僕よりも幾分機能が簡略化されていると思うのだが……。
少女「それよりも男。お か わ り は ?」ニコッ
そんなこと、口が裂けても言えない。
いや、言ったら口が裂けるの間違いか。
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男「おかわりは構わないけどな…少女?」
少女「なんでふか……?」モグモグ
男「……」
こたつの上にあった最後のミカンを頬張りながら、
少女は僕に目を向けた。
そして、最後の一欠片を食べ終わると、満ち足りた顔で飲み込んだ。
少女「んっ…ごっくん! ……ぷふぅ」
少女「それで。何ですか、男?」
こいつはこのまま行けば危うい。
そう確信した僕は、忠告することにした。
男「あのなぁ…よく食べることは確かに良いことだ。食べないよりは圧倒的に健康になれる……」
男「だがな、その健康な自分を得る代償に…君はその……体型を失う」
少女「……え、ええと? つまりそれはどういう意味で?」
しょうがない。少女を思ってのことだ。
無欲な直球でいこう。恐れるな、僕。
男「つまりだな……」
男「このまま行けば少女……君は肥る!」
少女「っ……!」
男「確実に!!」
少女「!?」
男「分かってほしい……」
僕はそう言いつつ視線を下げた。
怖い。純粋な恐怖が、僕を後から襲ってきた。
少女『何抜かしてんじゃあッ! あたいは肥えたりしないわ、戯けッッッ!!』
などと言って、少女は僕を撲殺しかねない。
僕は恐る恐る彼女に目を向けた。
少女「えっ……ええと」
男 (あれっ? 思いのほか狼狽えている!?)
僕の目の前に居るのはいつもの暴君などではなく、
それは正しく年相応の乙女に見えた。
目尻にはうっすらと……涙?
男「あ、あれ?」
少女「……ぐすっ」
男「どうして泣いてるの……?」
少女「…いいえ。泣いてません」
嘘である。
でなければこんなに、僕が少女を愛らしく思うはずがない。
男「少女……」
少女「あぁ、あの、かっ…勘違いしないでください。私は別に、最近気にしていることをズバリとあなたに言われ落ち込んだ訳では、断じてない!」
この少女の慌てぶりから察するに……、
体重が最近2kg増えたとか、そんなところだろう。
それもそうだ、我が家の食べ物といえば全てこの少女の為にあるようなもので、気がつけば食されているものだ。
それで増えない道理など、この世にはない。
男「少女、自覚があるなら抵抗をしよう。肥えていく自分を黙って見たくはないだろう?」
まあ、現状見る限りでは少女はいたって普通のスレンダーな女の子である。
胸には随分と栄養がいったようだが。
少女「でもどうすれば良いか……」
男「僕に提案がある」
少女「え? 何ですか、聞かせて下さい!」くわっ
僕らの間をこたつが隔ててはいるが、
今の少女はそんなものを飛び越える勢いで、僕に迫っている。
男「それはだな、運動だよ」
少女「運動? それはいかがわしいものですか?」
男「誰がそんな運動しろと言った。極めて普通でポピュラーな、ウォーキングやランニングの類いのこと!」
男「更に痩せるには、勿論筋トレなんかも絡むけど…今の少女だったら、軽い運動ですぐ痩せられるだろう」
少女「…それは、またどこかから仕入れた受け売りですか? やっぱり単純ですね、男」
男「そうだな、単純でいいさ。物事をありのまま受け入れられる……」
少女「そうですか…まあ、単純が良いか悪いかはさておいて」
少女「運動といっても色々あるわけで、私は何からすべきでしょうか」
男「そうさなぁ」
いきなりランニングで10km! と言っても、
少女は一日の大半を自室に籠って仕入れてきた古本を読み耽るだけで、インドアだというのが顕著であるから、無論体力はない。
男「だとしたら…そうだな、ウォーキングなんかどうだろう」
少女「歩くだけですか? 良いですね!」
男「良いだろう? 体力のない少女にはピッタリの運動方法だ」
少女「はいっ! ではさっそく今、歩きましょう!」
男「そうだな。では、さっそく今から────……えっ?」
僕が固まる時間さえも許してはくれずに、
少女はいつの間にか外行きの服装に着替えて僕を待っている。いや、急かしている。
少女「早く!」
男「昔から君は興味のあることには積極的だったけど…その高速お着替えは一体……?」
少女「いいから!」
男「あ、ああ……」いそいそ
そんなわけで、年を跨いだばかりの夜を僕らは歩くことになってしまった。
少女もやはり、野放図でも女の子である。
体重関連はタブーというのは本当だったのだと、僕は思い知らされた。
人への善意は得てして、自分にとっては裏目に出るものだ。
そんな、ジャージに着替える間に後悔した僕である。
少女「それじゃあ、行ってきます!」
男「行ってきます…」
僕らは、我が家に暫しの別れを告げて、
新年薫る夜道を静かに歩き始めた。
男「風が強いな」
少女「ええ、冷たい……でも、不思議と不快感は無いですね」
男「そうだな、むしろ清々しいよ。ほら、見てごらん」
男「今日は月が綺麗だ」
僕に言われてはっとして、少女も夜空を見上げた。
「うわぁ、綺麗……」と驚嘆した。彼女も人並みの感性を持ち合わせていたようだ。
ここは純朴な田舎であるから、星の輝きを妨げるものは何もない。
夜空は月と星だけの、輝くキャンパスである。
男「……今年も、色々あったなあ」
少女「今回の一年は、とても充実したものでした……あなたとは違ってね」
男「そうか、それは良かったよ」
少女「……ええと、男に改まって言うのも照れるけど」
男「ん?」
少女は俯いて赤くなった。
そしてやっと絞り出せたようなか細い声で、
少女「ありがとう……」
と、言った。
男「お、おい嫌だなあ、感謝されるようなことはなにも……」
少女「いいえ。私は感謝しないといけない……」
少女「身寄りのない私をあなたは、僅かに血が繋がっているというだけで引き取ってくれました」
男「少女……」
そうだ、この娘がうちに来たばかりのことを今思い出した。
あの頃は少女も、今のようにはいかなくて、
たった一度の出来事で、両親を失ったことがショックで。僕の第一印象は根倉な女の子、だったかな。
少女「去年の今頃…あなたは私に言ってくれました。過去を想うのは良いことだ、でも過去に囚われるのは自分を苦しめるだけだ……って」
少女「男……いや、叔父さんはそう言って私に本を与えてくれました。本は過去のものだけど、不思議と前を向いているからっ…て」
少女「今でもその贈り物は大切にしています。私に世界を与えてくれたものだから……」
僕は歩くのを止めて、少女と向き合った。
少女「だから、その…ええと……叔父さん?」
男「少女」
ギュッ
少女「わっ! ちょっ…叔父さん!?」
堪らなく愛しい────自分の娘を、
僕は想いの分だけ強く確かに抱き締めた。
少女「痛い痛い! ……痛いよぉ、おじさん…ぐすっ」ポロポロ
男「…少女は痛くて泣いているのかい?」
少女「ち、違うの……」ブンブン
少女「お父さんも、お母さんも居なくなった時からずっと、ずっと寒かったのに……」
ギュッ
少女「暖かいよ…叔父さん……」
男「少女、僕は単純な人間だ」
少女「そうですね。私がよく知っています」ギュー
男「ああ、君のよく知る叔父さんは酷く単純だよ」
男「君が兄さんの忘れ形見だとしても、僕は何の雑じり気もなく、ただ、純粋に君を愛していると言えるくらいに……」
僕は一層抱き締める力を強めた。
少女もそれに応えて、ぎゅっと抱き締め返してきた。
この娘は、僕よりも力が弱くて、僕より何倍も華奢で、僕よりも何十年生きていくというのに、
僕よりも重い、あまりにも重いものを背負わされているんだ。
少女「叔父さん……」
男「単純っていうのはね、少女。自分の想いに何の枷もつけずに相手に伝えられるものなんだ」
男「……悪くないだろ、単純も」
少女「そう、ですね……でも、単純過ぎても駄目ですよ?」
そう言って少女は満ち足りた笑みを浮かべて、
少女「────今日は、月が綺麗ですね。男……?」
僕を真っ直ぐ見て言った。
男「?」
少女「……はぁ。今日はもうウォーキングはおしまいです、帰りましょう」
男「そうだな。いやでも、さっきのは……?」
少女「じゃあ我が家まで競争です! ────はいヨーイドン!!」ダダッ
男「ああっ、おい! ……ったく」
僕も今満ち足りた顔をしているのが、見ないでも分かった。
こんな幸せな気持ちを夜空に描いてほしくて、
僕は顔を上げて月を眺めた。
男「月が綺麗ですね……か。どういう意味だろうな、お月様は知っているのかい?」
当然、答えは返ってこない。
後ろの急かす声で、僕も我が家に帰ることにした。
男「ただいまー」
少女「遅かったですね、男。罰として蕎麦のおかわりを要求します!」
おいおい折角運動しても食べたら元も子もないじゃないか。
そう忠告しようとしても、見えない圧力が僕にかかるのである。
コトッ
男「おまたせっ…と」
少女「ありがとう、男。ちゅるちゅる…」
男「……はぁ」
僕の口から漏れた息は、今月の食費の憂いから来る溜め息ではなかった。
きっと、目の前の幸せを目一杯含んだものだ。
少女「ほうひへば、おほこ」もぐもぐ
男「なんだよ、食べながら喋るんじゃない」
少女「んっ────ゴクン! ……ぷふぅ」
少女「いや、何でうどんか蕎麦という選択肢があるなかで蕎麦を選んだのか、疑問に思いまして」
男「んー、そりゃあもう…」
男「細く長く生きて、少しでも長く少女と一緒に居たいから」
少女「……」プルプル
男「少女……? 一体どうしt────」
少女「やっぱり単純ですね! 男ーーーー!!」がばっ
男「わわっ!? おい、少女! そこは……!」ドキドキ
少女「あれ? これは……?」ぐにっ
男「アアーーーーッ!」ビクンビクン
終われ
初ssって体を百足が這い回るような感覚なんですね。
依頼出してきます。
待て、はやまるな、まだ書けるはずだ
乙
気が変わったら続けても良いのよ?
続きはよ
良かったよ 乙
終わるまではよかったのに…
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