飛鳥「日の出を見に行こうよ」 (9)
「日の出を見に行こうよ」
彼女はだしぬけにそう言った。
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最近は特に刺激のない日々を送っていたから、そろそろ旅行にでも行こうかとほんのり思っていた俺ではあったが、まさか日の出を見に行くなんて考えには到底及ばなかった。
一見、いやこの場合は一聞と言うべきか、日の出を見に行くというのは非常に魅了的なイベントに思えた。
しかしよく考えてみれば、一見魅力的に思える日の出参りというイベントがいまいち大衆に定着していないのには相応の理由があるからで、この場合、理由というのは時間的制約に他ならなかった。
即ち、日の出を見る為には当然ながら日の出の時間に特定の場所に行く必要がある訳で、これは普通のサラリーマンにはなかなか辛い制約となる。
それこそ旬の時期の漁師と同じような時間帯に起床するか、あるいは大学に入って初めての夏休みを迎えた大学生と同じくらいの時間まで夜更かしをする必要があるのだ。
じゃあなんだ、早朝以外の時間帯で日の出を見る方法を何とかして探そうじゃないか、と思う人も中にはいると思うのだが、それは論理的に考えて無理な相談である。
そもそも早朝というのは朝早くという意味であって、朝というのは「日が昇ってから正午までの時間のことだよ」と、俺の業務用パソコンで検索したウィキペディアにはそう書いてある。
日の出がまず先にあって、早朝という意味が追従してくるものだから、これはもうどうしようもない。
要するに、日の出を見に行くためには早朝時に既に活動を開始している事が必要で、けれども世の大半の社会人にとってそれは酷な出来事であって、それ故に、日の出参りというイベントは大衆に根付かないのである。
それじゃあ俺がこの提案を断るかといえばそれは否で、なぜなら飛鳥と一緒に旅行出来る千載一遇のこの機会を俺はゆめゆめ逃したくはないのだ。
恐らく彼女が俺を誘ったのは単なる気まぐれで、そりゃあアイドルと担当プロデューサーという関係上、俺達は普通以上には近しい距離感であるものの(うちの事務所のアイドルとプロデューサーは、基本仲が良い。何故だかは分からないけれど、仲睦まじきは良い事に違いない)、決して恋人だとか、そういった関係ではない。残念ながら。
彼女の提案が気まぐれである以上、今後このような魅力的な提案を彼女がしてくれるかというとそれは謎である。
そして謎である以上、自分としては今回の機会に乗っかるしかないのだ。それが例え、日の出参りという酷なイベントであるとしても。
だから俺は、
「……仕方ないなあ」
と一見乗り気でない様子で彼女の意見に同意した。
――めっちゃ行きたい。飛鳥と日の出見に行きたい。しかしここでそのようなそぶりを見せるのは、二流のする事である。
今回のこの件、この話を持ってきたのが彼女である以上、イニシアチブはこちら側にあるのだ。
ここで俺が下手に出たとなると、イニシアチブは彼女の手に渡る事になる。
そう、あくまでクールに。
そうする事で、俺は飛鳥に恩を売りつつ、旅行の約束を取り付けることが出来るのだ。ジーニアス俺。
「フフ、ありがとう。じゃあキミ、詳しくは任せていいかい」
「えっ」
「日の出かあ、楽しみだな……。さて、キミはボクにどんなセカイを見せてくれるんだろう」
「えっ、飛鳥、えっ」
「じゃあボクは帰るね、今日はもう仕事は無いし。ああ、日程が決まったら早めに教えてくれないかい? ボクにも予定というものがあるからね」
「ちょっと飛鳥さん、ちょっと」
そのまま彼女は今にも鼻歌を歌いだしそうな上機嫌で去って行った。二つのウィッグが心なしかいつもよりも楽しげに踊っているように見えた。
――流石だった。流石は俺の二宮飛鳥。
そもそも俺が飛鳥にメロメロ(あれ、もしかして死語かこれ)なのは事務所内では(おそらく飛鳥当人を含んで)周知の事実だった訳で、もはやその時点で俺にイニシアチブなんて無かったのだ。
惚れた弱みとは言い得て妙で、相手に好かれたい、あるいは嫌われたくないという感情が働く以上、交渉事ではどうしても不利な状況に立たされるのである。
ぽつり、事務所に独り残された俺は暫く目をぱちくりさせながら茫然と突っ立っていたが、やがてガックリと肩を落とすと、インターネットの海に身を投じたのである。
何故ならば急遽、日の出参りのプランをプロデュースする必要が生じたからであって、飛鳥とのデートプランニングと比べたら、机の上に散らばっている書類の山の処理はどうしても優先順位が低いと言わざるを得ない。出直してこい。
明日ちひろさんにどんな言い訳をしようか考えながら、俺は着々と準備を進めていった。
決して安くはない特上スタドリをぐい、と一気飲みすると、霞んだ思考が加速するのを感じた。
夜は更けていく。
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