律梓「桜ヶ丘律梓伝承」 (17)
律「おーい!こっちの角材切り終わったぞー!」
おじさん「おつかれい嬢ちゃん!ほらよ給料だ」
律「サンキュー!お先に失礼するよ!」
律「うへー……工事現場のバイトは身体にくるなー。今かけもちしてる中じゃ一番大変くるんじゃないか」
律「あーっ飯の買い出しもしないと。米が尽きてたよな」
律「洗剤もそろそろ切れたような……一応買っとくか」
律「醤油も…鍋に穴空いて…洗濯機の修繕にネジとハンマーと…」ブツブツ
通行人(こわっ。近寄らんとこ)
律「はあ……学校に通えず、仕事も家事も女手ひとつでこなさないといけない毎日。仕事の同僚もこの貧困とした村じゃムサイおっさんしかいないし」
律「あたしを癒してくれるのはボロ屋でくすぶってるドラムセットくらいだ。叩くわけでなく眺めるだけですまんが」
律「どこかにわたしを養ってくれるイケメン兄ちゃんはいないものかねー……この際イケメンでなくてもいい」
律「なーんてな。何度同じ妄想してんだろうなあたしってば!アァハハハ!!」
律「……わたしってなんのために生きてんだろう……」
律「ん?おいおい段ボール箱をつぶさずに道の真ん中に捨てる奴って……いくら貧乏なわたしでもゴミを不法投棄しないぜ」
?「ナーーーーーオ」
律「って生き物入ってんのかよ!不法投棄以前の問題だろ!」ガサガサ
ネコ「ニャウ!」
律「黒猫か……ペットどころか自分を養う余裕もほとんどないのに……」
律「わるいな。おまえにはわたしみたいな貧乏な女じゃなくて一般家庭の奥さんくらいがお似合いだ。箱の蓋を開けといてやるから良い飼い主見つけろよ。じゃあな」
ネコ「ニャーーーーアッララララッラァーーーーーーニャアニャッニャーーーーーールルルルルルルゥーーーーーーーーーーーーーーーーオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン」
律「うっさいわバカ猫!!わかったよ!飼えばいいんだろ飼えば!」
ネコ「ニャッ!」
律(それから一週間、自分に費やす金からやりくりして黒猫の世話をしてきた)
律(当時はその黒猫がわたしにそこまでなついていないと思っていた。なでてやろうと手を伸ばすと激しい威嚇を浴びたからだ。かわいくないもんだから名前はテキトーに考えて与えた)
律(わたしが家事でミスをしても威嚇された。猫の餌をやり忘れて出勤した日は、帰宅と同時に顔を引っ掻かんばかりに飛びかかられて大変だった)
律(そんな手のかかる猫だったけれど、可愛げはあった。くたくたに疲れて帰宅すると玄関に駆け寄ってきたんだ。それがわたしの癒しで生き甲斐だった。なでようとするとやっぱり逃げられたが)
ネコ『はむはむ、はむはむはむ』
律『おまえバナナ好きなのか。変わった猫だな……て皮まで食べようとするな!返せ!こんの!』
ネコ『ウニャーーーーーーーラーーーーーーアッミャッミャーーーーーーーーーーーーーフシャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!』
律(不思議なことに黒猫に出会う以前は面倒だった夕飯の支度も、猫の餌を用意するついでだと思えばなんとも思わなくなった。掃除も洗濯もなんもかんも、猫の世話をするついでだと考えると不思議と気分が楽になった)
律(同僚のおっちゃんからデコの輝きが増したと言われた。よけいなお世話だがたしかにデコに艶がでてきたようだ)
律(あの猫と出会ったことでわたしの精神は安定してきたようだった)
律『おまえ横になってる人様の顔面におしっこするクセやめろよ!!!』
ネコ『ニャンニャーン』シュピッ シュピッ
律『今日という今日こそは許さねーぞ!待て!!』
律(だがある日、黒猫が姿を消した)
律(気づいたのはあいつの朝食を用意したあとだ。家の中はもちろん近隣の庭まで捜索したが見つかることはなかった)
律(わたしの7日間ばかりの日常はこうだ、朝布団から身体を起こし餌の準備をし猫の名を叫ぶ。そうすると猫は家のどこからともなく姿を見せて餌をシャクシャク食うんだ)
律(あの猫は深夜になると家の中を放蕩する癖があって、夜中どこにいるかわからないという不安に悩んでいた時期があった」
律(一度わたしの布団に入れてやったことがある。だが猫は嫌がり続けた。布団内に押し込めようとするわたしは這い出ようとする猫との根気バトルに負け眠ってしまった)
律(朝になりやっぱり姿が見えないので猫の名を呼んだら台所の棚の中から出てきた。棚の中を確認するとしまっておいた餌が2日分食い荒らされていたよ。おそらく夜のバトルでストレスが溜まって人間で言うヤケ食いをしたんだろう)
律『あたしだってヤケ食いしてみたいわい!おまえも働けー!』
ネコ『ニャンニャーン』シュピッ シュピッ
律(そんな過去があるから、就寝前は猫におやすみを告げてさっさと布団に沈むことにしていた)
律「それももう三日前なんだなあ……」
律「現在も黒猫は発見できずにいる。猫は飼い主の気持ちに関係なく放浪するもんだと同僚のおっさんが言っていた。つまり帰ってこない可能性も十分にあるから諦めろ、てことか」
律「まあ……猫が居なくなってからは餌代は元の飯代に還ってくるし、下の世話もなくなるし、わたしが失敗するたびに威嚇されることもないと良いことづくめか」
律「ただ、帰宅しても出迎えはもうない……」
律「たったそれだけで黒猫のことを諦められないほど執着はできない。猫が来る以前の、生きる目的のない歯車としてわたしは身を引き締め働かなければならない。心に余裕は無いんだ」
律「唯一の休息は睡眠。そこにしかない」
律「時々夢をみるんだ」
律「布団でみっともない寝顔を浮かべるわたしのくちびるを、ペロリと舐めて闇へ消える黒猫の夢を」
律「なあ、あの夢は夢じゃないのか?」
猫のぬいぐるみ「 」
律「いや所詮夢は夢だ。だがもしも黒猫がほんとうにやってきたのだとすれば、あいつめ、じつはわたしになついてんじゃないか。所詮夢だが」
律(ここからが妙な話なのだが、ある晩わたしは変な夢をみた。何の変哲もない、ただの私道だ。両脇には落葉の済んだ木々が立ち並んでおり、実のところ、つい最近も通勤に使った。公道を使うよりも職場との道のりが短いからだ)
律(そこの景色が延々映し出されるだけの夢だった。変化といえば次第に夕日が差しやがて暮れる、ただそれだけだった)
律(変な夢もあるもんだ、と目覚めてから回想しさほど気にせず職場に向かった)
律(事件は職場からの帰路で起こった。わたしは毎日同じように肉体労働でヘトヘトだった。そのときは思考するのがめんどくさくなり今朝の変な夢も頭からすっぽ抜けていた。本能的に近道を選び進んでいくと例の私道へ足を運ぶことになる)
律(夕日が沈みきった時刻なのもあって通行人は誰も通らないと油断していた。意味もなく大げさに肉体の疲労を表現しようとわざわざ身体をゆーらゆーらとくねらせて歩を進めていたのだ)
律(唐突に半身に衝撃を受けた。大きな金属音が鳴ったと思ったら続けざまにもう半身に受けた)
紬「あいたた~」
律(状況の判断にやや時間を要したがつまり、通りすがりの彼女が漕ぐ自転車とわたしが衝突し、互いに地面へ身体を打ちつけたのだった)
紬「お怪我はございませんか!?」
律(暮色蒼然とした暗がりではっきりとは見えないが、事故の直後の痛々しい声から察するに彼女も怪我をしているはずだった。それなのに彼女は自身の傷そっちのけでわたしの心配をしてくれる。事故の原因はあきらかにわたしにあったのに)
律(10分ぐらいか、彼女のお人よしっぷりに付き合わされた。ようやく謝罪の声が止んだのではい解散というわけにもいかず、お互いに自己紹介することにした)
律(聞けばこの辺の高校に通う一年生だそうだ。同い歳のわたしなんかとちがってなんて優しい女の子だろう。)
紬「ではお怪我を負わせてしまったお詫びにうちで治療させてください……」
律(わたしが招いた状況だけにそこまでお世話になるわけにもいくまいと遠慮した。が、彼女が誰かへ電話した直後に現れた黒塗りの車両を前に何も言えなくなった)
律(彼女との出会いがわたしの生活を豹変させた。鶴の一声とはまさに彼女のためにあるようなものだろう。黒塗りの車両の中でわたしの生活状況を話すと)
紬「今日から彼女を専属メイドに雇いま~す」
律(などと意味不明な供述をしており……。同席していた黒ずくめの男の方も小さな奇声が口から漏らした)
律(黒塗りの車両が現れたときから察していたが、彼女の家は大富豪らしい。かくして女の子らしさとは縁のないわたしがメイド業に勤しむなどという前代未聞の出来事が起きたのだった)
紬「さっそくだけどわたしの入浴に付き合ってくれる?」
律「うえ!?」
紬「なってないわ。わたしの専属メイドなんだから『はい』て笑顔で返事してくれないと」
律「は、はい!」
律(浴場にはわたしと紬さんしか居らず、お互いの怪我した箇所を労わるようにして洗いっこした。洗いっこなんて何年ぶりだろう)
紬「前も洗ってあげる、て言ってるのに……」ショボン
律「許してくださいお願いします」
律(おまけに近隣の高校、というか紬さんの通う高校へ通わせてもらえることになった。細かい過程はわたしが聞いてもよくわからないが出来ちゃったものはありがたく享受する。学校に通いなおすのが夢だったしな)
律(転校という扱いで迎えた登校初日。数年ぶりの『教室』という箱へ身を運んだ。何十人という女子の前に立つのは十数人のムサイおっさんに囲まれて仕事を熟すよりも緊張した)
律(人間第一印象が大切なのは仕事で承知している。たとえ滑舌が悪かろうと明るいキャラを演じなければならない。そうした覚悟を決め、担任の教師が黒板にわたしの名前を記す音を背後に聞いていた)
?「律!?」
律(教室のある一点から叫ばれた名前に反応すると、そこには懐かしい顔がいた)
律(休み時間を告げるチャイムが鳴ると間髪容れずに幼馴染が抱きついてきた。その締め付けが強すぎて酸欠になりかけた。立派に成長したじゃないか、パイ乙)
律(本筋に関係ないので細かい背景は省かせてもらうが、要するに澪とは長い間会えていなかったのだ。まさか金持ちのお嬢様が通うような学校に澪がいるとは思いもしなかった。せっかく会えたんだ。これまでのわたしの人生をかくかくしかじかと伝え、ともに涙した)
澪「律はまだドラムをやってるか?」
律(まことに残念ながら、今は紬さんとこの倉庫に運ばれ死蔵してある。そう伝えると今すぐ引っ張り出してこいなどと強引な要求を突きつけてきた。聞けばなんでも澪はこの学校でバンドを組みたいのだそうだ)
律(一学期から二学期の今日までドラム候補が見つからず半ば諦めていたらしいことを聞いた。で澪と紬さんは入部確定、勧誘に成功したのが一人。その子はまったくの初心者だが演奏技術の伸びは速い、か。まずはその子に会ってみたい)
律(そうして澪と紬さんに案内された部屋へ足を踏み入れると、そこにはギターが椅子に立てかけられカップとお菓子がギターのために配膳されており、ギターの対面には机に突っ伏して眠っている子がいた……)
唯「ほへ~わたしの中学時代は家でゴロゴロしてばっかりだったやぁ」モグモグ
律「そのころならわたしは自転車の車輪をゴロゴロさせまくってたな」
唯「どこか遠いところに行ってたの?」ホムホム
律「ようするに新聞屋のバイトだよん☆」サワサワ
唯「イヤン喉元くすぐったらよー、てやっ」サワサワ
律「ごろごろ~ごろごろ~」サワサワ
唯「ごろごろ~ごろごろ~」サワサワ
澪「なにやってんだおまえら……」
紬「あらあらまあまあ」
律(なるほど、唯も良い奴そうだ。人懐っこいしノリがいい。紬さんは言わずもがな、澪は小学生のころと打って変わってはるかに暴力性が増したがそれ以外はわたしの知る澪のままだ)
律(そんなこんなで一通りけいおん部(仮)メンバーと親睦を深めると、澪がメンバーの三人でセッションしてくれた。おそらく澪と紬さんはドラムの必要性を訴えたかったのだろう。唯は考えてることがまだわからん)
律(彼女らの訴えをしかと受け止めた。その晩わたしは紬さんにドラムセットを蔵から出してくれるよう頼んだ――)
律「うおりゃああああああああああああああああああああああああああああああ」
ドラム「バシバシバシ!ドコドコドコドコ!!パーン!パーン!パーン!シャンシャンシャンシャン!」
唯「りっちゃんヤル気いっぱいだねー」
澪「そうでないと困る」
紬「はいりっちゃん!次は8ビート刻みで!」
律「全力を出して力が出ない……お茶にしたいよムギ」
紬「お茶にしましょうか♪」
律「やっほほーい!」
唯「おかえりなさーい」
澪「じゃ交代で唯が特訓するか」
唯「うえっ!?お腹が空いて力がでない……」
澪「さっきまでお菓子食べてだろ!」
律(――そして冬が過ぎ去り春がやって来た。季節的な意味でも、けいおん部(仮)がけいおん部に花咲く意味でも、そしてわたしの人生的な意味でも)
律(この部が気に入った。新しい家兼職場も好きだ。行けば誰かがおかえりと顔を出してくれる。たまにわたしのほうがおかえりと声をかけてやる。やはり人生、一人っきりで生きていくことはできないんだな。今のこの生活が失われるなんて考えたくもない)
律(一度失ったものは二度と戻らない。それはおまえもそうだよな……)
猫のぬいぐるみ「 」
律「……よし気持ちを切り替えるぞ。澪が言うにはけいおん部最初の公的活動として新入生歓迎会に参加するらしい。望むところだ」
律「わたしたちの初めてのライブは一つ下の女子たちに捧げてやるよ!」
律(結果から言えば演奏としては成功の部類だった。わたしのミスがちょこっと目立ったかもしれないが素人聴きじゃわからんだろう。素人なら)
唯「入部希望者来るかな~」
律「来てくれ~!でないとあたしの責任だって澪にどやされる~」
唯「許してあげて澪ちゃん!」
澪「待って!?そこまで言わないよぉっ!」
紬「みなさ~ん……ドアに張り付いてると来るものも来ないんj」
律「足音だ!」
唯「駆け足だね」
澪「音が大きくなってく!」
紬「あらあら~お茶の準備を急がないと」ムギュ
唯「間違いなくここに向かってるね」
律「いよっし!部長のあたしが一番に迎えてやんよ」
澪「ほんとなんで入部どころか入学の遅いおまえが部長なんだろうな……」
唯「そこは人望ってやつだよ澪ちゃん」
澪「うわあああああああああああああああああああ」
梓「あ……!」
律「キミ!もしかしてうちへ入部希望者?!」
澪「言葉が足りなくてすまん。うちはけいおん部なんだよ。でこれが部長」
律「これ、て酷くね!?」
梓「そ、そうですよ!律はこんなでも優しくて立派な人です!律に謝ってください!」
律・澪「えっ、えっ?」
澪「あ、うん。ごめん……?」
梓「律に、です!」
澪「あーその、律ごめん」
律「いやべつにかまわないけど?それよr」
唯「お名前なんて言うのー?」
律「勝手に話を進めるな!」
梓「中野梓です!よろしくお願いします、ギターの先輩」
律「中野……?」
律(中野…中野…あっ!!わたしが飼ってた黒猫にテキトーにつけた名前じゃん!?)
律(当時のわたしはあの黒猫がかわいくなくてテキトーに名前を考えた。無秩序な文字の羅列とか歴史上の人物名とか候補はほかにもあったが結局、くじ引きで『中野』って……)
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