安部菜々「大宮サンセット」 (10)
いわゆるモブ視点です。苦手な方は注意してください。
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俺の恋人はかわいかった。嘘でも、誇張でもない。
なにしろおっぱいは大きかったし、身長はちっちゃかった。笑った時や怒った時、トレードマークのポニーテルがぴょんと跳ねた。
でも、それを知っているのは俺だけだった。
アニメが好きなこと。部屋がとっ散らかっていること。酒を買うとき、2回に1回は年齢確認をされること。
そういうことも含めて、彼女のかわいさを知っているのは俺だけだったのだ。
比較的大型の駅の、へんてこなモニュメントの前。
いつものように、彼女はその小さな体を丸めて立っていた。
「待った?」
「いえ、さっき来たばかりですから」
そう言いながら、手をすり合わせるのをやめた彼女の耳は真っ赤だった。
ういやつめ。きっと、仕事が終わってから約束の時間までずっとここにいたのだろう。
「ほら、お詫びのしるし」
そう言って、さっき買ったばかりの暖かい缶の紅茶を手渡してやる。
彼女はミルクティーが好きなんだけど、最近はカロリーを気にしだしていたから、きっとこれでよかったはずだ。
「あぁ、あったまりますねぇ」
にぎにぎと手を温めて、それからプルトップを開けた彼女は、中身に一口口をつけてからほう、と息を吐いた。
「じゃ、行こうか。菜々」
「はい」
俺達のデートは、いつもこんな感じで始まった。
夏には冷たい飲み物を。冬には暖かい飲み物を。春と秋には俺の軽い謝罪から。
兎角、彼女は時間よりも早い時間にいた。そんなことを今でも覚えている。
葉っぱの抜け落ちた木の、そのみすぼらしくなった体にグルグルと電飾が巻かれている、そんな季節。
俺たちは外のきらきらとした光をたまに見守りながら、いつもは食べない、高価で大きな鶏に口をつけていた。
世間的には大きなイベントの日で、それに乗じてこうして食事をしているのだけれど、俺たちの会話はいつもとあまり変わらなかった。
俺の職場の出来事とか、彼女の好きなテレビの話とか。それに、彼女の好きなアニメの話とかも。
「やっぱり、年末は歌番組がたくさんあっていいですねぇ」
ショートケーキが運ばれてきたころ、彼女はそう言って軽く微笑んだ。
「なあ」
少し、語気が強くなっていたのかもしれない。
呼びかけると、彼女はこちらに目を向けて、ちょっとしゅんとしたような表情になった。
「仕事の件、考えてみてくれたか?」
「……うん」
「……ごめん。べつに急かしているつもりはないんだけど。でも、菜々の仕事っていつまでも続けられるものじゃないし。俺の職場も、春には求人出すって話だからさ。だから……」
「うん」
うん、うんと。
怒られた子供みたいに、彼女は俯いたまま数回頷いた。
会話はそれきりで、次に彼女が口を開いたのは食後のコーヒーを半分ほど減らしてからのことだった。
「あのね」
「うん」
「もう少しだけ、続けたいんです。もう少し」
「うん」
でも、ありがとう。
そう言って、彼女は悲しい目で微笑んだ。
もしかしたら、この時強引にでも引っぱるべきだったのかもしれない。
彼女が、どうしてメイド喫茶で働いていたのか知っていたのだから。
休みの日に、電車で1時間もかけてどこに行っていたのか知っていたのだから。
きっと、このままじゃいけないってお互いわかっていた。
彼女のかわいさをわかっている俺は、きっと引き留めるべきだったのだ。
その日は、唐突にやってきた。
「スカウト、されちゃいました。……はは」
いつもの場所で、いつもより真剣な表情をした彼女と待ち合わせた日のことだ。
彼女は、いつもの喫茶店で大きく深呼吸をした後で、そう言って反応を窺うようにこちらを覗き見た。
「おめでとう」
そう返した俺のことを、彼女はどう思ったのだろうか。
甲斐性なしだと思ったかもしれない。そんなもんかと、拍子抜けしたかもしれない。
それでも、その時はそう言うことしかできなかったのだ。
好きになった人の、期待外れの日がようやく終わったのだから。
「アイドルになった菜々のこと、応援するよ」
その言葉の意味するところは、お互いにわかっていた。
ごめんなさいと、ありがとうを繰り返して泣きじゃくる彼女の頭を撫でながら。
ああ、もうこいつを抱きしめることはできないんだな、なんてどこか他人事のように思った。
冷血だって? とんでもない。その日は眠れなかったし、暫くは何も手につかなかったさ。
駅のモニュメントの前で、いるはずのない彼女の姿を探すのをやめたころには、彼女の姿をテレビで見かけるようになっていた。
◇
音楽に疎かった俺がライブに行った。もし、過去の自分に言ったら驚かれるだろうか。
そんなこともあるだろう、と呆れられるかもしれない。それでも、それが元カノのライブだと言ったら大層驚かれることだろう。
ライブの始まるほんの数時間前、彼女から久しぶりに連絡を受けた俺は、生で見る、大分キャラクターの違う彼女を見てうろたえることになった。
「お久しぶりですっ!」
「久しぶり。にしても、はは……」
「な、なんですか?」
「17歳ってお前……。それに、なんだよウサミン星って。正気じゃないぜ」
「い、いいじゃないですか! ずっとやりたかったんですよ!」
照れ臭くなって、二人で笑った。
頑張れよ、と言った。頑張ります、と言われた。
そして、ライブで楽しそうに歌う彼女の姿を見て、これでよかったんだと、チクリとする胸に右手を添えた。
俺の恋人はかわいかった。嘘でも、誇張でもない。
小さいくせにおっぱいはでかいこと。笑った時や怒った時、トレードマークのポニーテルがぴょんと跳ねること。
今ではたくさんの人が知っている、彼女のかわいさと。
アニメが好きなことだったり、部屋がとっ散らかっていることだったり、酒を買うとき、2回に1回は年齢確認をされることだったり。
みんなが知らないことですら、もっともっとたくさんの人が知ってしまえばいいんだと、今では思っている。
おわり
おわりです。読んでいただいてありがとうございました。
元ネタはスピッツのアルバム色色衣から「大宮サンセット」です。
https://www.youtube.com/watch?v=k0CZEzWsnL4
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