藤原肇「手を伸ばせばそこにあって」 (27)
アイドルマスターシンデレラガールズ。藤原肇のss
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夏の青ささえどこかへ吹き飛ばしてしまったような、透き通った風がひとつ、そこに吹いていました。
朱に染まった西日はどこか遠くへと溶けきってしまい、辺りはもう星を迎える準備をしているみたい。
「お疲れ様」
「プロデューサーさんもお疲れ様です」
渡された水筒を傾け、のどを潤す。
冷たさがゆっくりと体の中に沁み込んでいくようで、自分が思っていた以上に体が火照っていたことを知り、撮影の時に汗が顔に流れていたかもしれないと、ちょっとだけ不安になってしまったり。
「撮影、どうでしたか?」
「ああ、良かったよ。その路線もいけるんだなって」
「このお仕事をとってきてくれたのはプロデューサーさんじゃないですか」
「だから、信じてよかったって」
「なんだか照れてしまいますね……」
「口に出さなきゃいいのに」
「言葉にすることが大切ですから」
「そういうもんかなぁ」
ぼやくように、プロデューサーさんが片眉を上げながら首を傾けた。
なんだか、信じて良かったという言葉を反芻しては、その言葉がたまらなく嬉しくて、少しだけ視線を宙に浮かせてしまった。緋色に染まったその頬は少し見せられない。
自分の視線を上へ上へと押しやり、やがてひとつの到達点へと止まった。
プロデューサーさんも一点を見つめている私の視線に気づいたのか、それを追い、やがて小さく声を零した。
いつの間にか目の前には、すぐにでも届いてしまいそうなぐらい、近く、大きな月が私たちを煌々と照らしていた。
「素敵な皓月ですね……」
いつの間にか秋の色に移り変わっていたそれを、プロデューサーさんと二人で眺める。うるさい胸を抑えるために吸い込んだ空気が体の中を駆け抜けていったおかげで、さっきよりもずっと頭が冴えていくのがよく分かってしまった。
「こんなにもはっきり見えるもんなんだな」
「うさぎさんは見えますか?」
「居たとしても餅をついてるかどうか……」
私の言葉にプロデューサーさんがうーんと唸る。
「そういえばなんで餅なんだ?」
「餅つきと望月ですよ」
人差し指をピンと伸ばしながら、私が昔家族に教えてもらったことをプロデューサーさんにも教えてあげると「そんなばかな」と返されて信じてもらえなかった。
天を仰げば、闇に溶けきらない強い光がまばゆく輝く。夜空は故郷の海の様にただただ広がっていって果てが見えなくなってしまった。
「確か、天の海って表現がどっかの詩にあったよな」
私のそんな表情を見ていたのか、プロデューサーさんが思い出したように呟く。
「天の海に雲の波立ち、月の船、星の林に漕ぎ隠る見ゆ。ですね」
「よく覚えてるなぁ」
「言葉のひとつひとつが綺麗だったものでつい……」
それにしても船と呼ぶにはこの月は、いささか太りすぎている。そんなような気がするけれども。
「それならこの月は何に例えましょうか?」
「月か、月でポピュラーなのはやっぱりかぐや姫だな」
「かぐや姫で月なら帰る場所でしょうか?」
私の言葉に、少し顔をしかめながら「ああそうか」って納得したようなそんな表情を浮かべていた。
「どちらかと言えば届かない場所、かな」
「届かないというのは……」
「俺はかぐや姫を見送る側だからさ」
そう言うプロデューサーさんの視線は、どこか遠くを見つめるようで、その瞳の色は、私がアイドルになるということを伝えた時のおじいちゃんと同じ色をしていた。
少し自嘲気味に笑うプロデューサーさんの、そういうところが嫌で、気づけば私は両手を差し出して彼の右手を包み込んでいた。
熱が流れて私の手のひらを温めていくのが分かる。少し骨ばっていてゴツゴツしていて、この手がいつかの私の手を取ってくれていたんだ。
「プロデューサーさん、私の姿はちゃんと見えていますか?」
見上げた視線がぶつかる。いつもなら何言ってるんだって、茶化してくるはずなのに、こんな夜だからなのかな。真っすぐ私のことを見つめたまま「見えているよ」って。
「それなら私の声は……」
プロデューサーさんが目を閉じて静かに頷く。
空気が震えるくらいハッキリと私の言葉がちゃんと届く。ただそれだけなのにそれがなんだかとても特別なことのように感じて、それがたまらなく嬉しくて……。
「プロデューサーさん」
名前を呼びながら繋いだ手を離さないように強く、強く結ぶ。
「私はちゃんとここに居ます」
どんなに幻想的な衣装をまとっていても私は日々の中で生きる器でありたいから。
「どこまで先へと進んでも、私は離れたりはしませんよ」
頬に空気が溜まりきる前に口角を上げ、笑って答える。
かぐや姫はあなたを置いて月には向かいません。
「肇」
「どうしました?」
「……いや、ありがとうな」
そっぽを向きながらプロデューサーさんがまつげを伏せる。だけど、その口元には笑みが広がっていた。
何か、言葉をかけようかまごついているとプロデューサーさんはいつもの表情で「身体が冷える前に車に戻ろう」と踵を返した。
「さすがに帰りは空いているな」
これなら予定よりも早く帰れそうだとプロデューサーさんは嬉しそうに呟く。
「眠かったら寝てていいぞ」
「いいえ、私は大丈夫ですよ」
お仕事が終わった後の車内でいつも同じようなやり取りをする。ただの意地かもしれないけれど、ここで寝てしまうのは、嫌だ。
「あともう少し、お待ちくださいね」
「免許取ったとしても運転席は譲らないぞ」
「え?」
「そんな顔をしても駄目だ」
「でも私、トラクターとか運転したことありますよ?」
ロータリーで畑を耕すためだったから公道は走っていないけれど、それなりにうまくできたと思う。
それを聞いたプロデューサーさんは「そういうことじゃないんだよなぁ」ってゆるく頬を掻いた。
車の免許をとったら真っ先にプロデューサーさんを乗せて走ろうと心の中で決めながら窓の外を眺めれば、進む先に橙色の明かりが現れてはあっという間に流れていく、その間も大きな月は悠々と浮かび、私たちを照らしていた。
「……っと、ほら着いたぞ」
いつの間にか見慣れた事務所の駐車場に着いていて、降りる準備を、とプロデューサーさんに促される。
ふと、私が初めてここへ来た時のことを思い出した。
あの時の自分は、今ここに居る私をイメージしてちゃんと捉えていたのかな、できれば、あの頃の想像していた今より、少しだけでも前へ進められていたならいいな。なんて。
今も変わらずにそこにある月に手をかざしてみた。
やっぱりというか、当たり前というか、その手は虚空を掴むばかりだったけれど、それでも私が歩みを止める理由にはならない。
目指すは彼方。されど、誰の近くにも居られるようなアイドルへ。
「ちゃんと私の変化、見ていてくださいね」
「ん? なにか言ったか?」
一歩前を行くプロデューサーさんが振り向いて心配そうに声をかける。
「いえ、千里の道も一歩から。ということです」
なんのことか分からないという風な表情のプロデューサーさんへ一歩近づき、その手をとって、事務所まで歩みを進める。
私の伸ばす手の先に、理想の私とあなたがいつも居てくれるように。
手を伸ばせばそこにあって、誰かの伸ばす手の先にいつも私が居られるように。
「手を伸ばせばそこにあって」おわり。
おまけ
「ん、キキョウがきれいに咲いてるね」
「はい、凛ちゃんのおかげです」
「いや、私は何もしてないけど」
「でも凛ちゃんのお店で買った子達ですから」
「じゃあそういうことにしておくよ、お父さんたちも喜ぶし」
「はい!」
「……」
「凛ちゃん? どうしました?」
「いや、それでさっきの話に戻るんだけどさ」
「さっきの……?」
「ほら、伸ばす手の先にってやつ」
「はい、それがどうかしましたか?」
「そ、手の話といえばなんだけど」
「……はい」
「肇っていつもプロデューサーの手を目で追ってるよね」
「……え?」
「肇って手フェチなの?」
おわり。
担当の声が聴こえます。
トリップ変わっちゃいましたけど元◆ULuwYLs/ds です改めてよろしくです。
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