藤原肇「蜃気楼少女」 (16)


・「アイドルマスター シンデレラガールズ」のSSです
・地の文形式





 それは、とある夏の出来事。
 太陽がじりじりと照り付け、けれど、からからに乾いた空気と時折吹く風のお陰でそれほど暑くは感じない、そんな日のことでした。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1502914480

参考:藤原肇
http://i.imgur.com/a/JLNOS.jpg

 家から少し離れた場所を流れる、川のほとり。
 おじいちゃんに教えてもらった、いつものスポットで、私は静かに釣り糸を垂らしていました。

 いつもなら一匹や二匹程度かかっていてもおかしくない頃ですが、その日は調子が芳しくなく、釣果はなし。いわゆるボウズというやつです。

 これだけ音沙汰が無いと、思考は少しずつ、魚以外のことへとシフトしていきます。
 焼き物のことだったり、夏休みの宿題のことだったり、昨日見たアイドル番組のことだったり。
 私も一度くらい、飾り気の無い作務衣じゃなくて、テレビの中の女の子が着ているような煌びやかなドレスに身を包んでみたいな。でも、おじいちゃんが見たら驚いて腰を抜かすかも。

 そんな妄想をしていたからでしょうか。
 恥ずかしながら、私はその声を耳にするまで、すぐ後ろに立つ人の気配にまったく気づいていなかったのです。

「何をしているのでございますかー?」

「!?」

 びくん、と跳ねるように振り返った私は、その姿に言葉を失いました。

参考
http://imgur.com/a/2RK3a

 真っ白なワンピースに麦わら帽子という服装もさることながら、褐色の肌に、流れるような金髪。そして何より、こちらをじっと見つめる、大きな蒼い瞳。
 まるで映画かなにかから出てきたかのような、あまりに現実離れした佇まいに、私の目はすっかり奪われてしまいました。

「えっ……と、あの……」

 それこそ釣り上げられた魚のように口をぱくぱくさせる私に対し、彼女は表情を変えることなく、少し首を傾げてじっと私の目を覗いてきます。
 数刻。やっとのことで絞り出した言葉は、

「こ……こんにちは……」

 という、何の変哲もなさすぎる挨拶だけでした。

「はい、こんにちはです」

 そう返事をした彼女は、目をきゅっと細めて微笑みます。
 風がブロンドの髪をひらりと揺らし、私は思わず、綺麗、と声に出さずに呟きました。

「えぇと、それで……」

 普段、それほど口下手な方ではないと自負しているのですが、その時は何故だか、上手く言葉を紡ぐことが出来ませんでした。
 確かに、生まれてこのかた異国の人と喋る機会など殆どありませんでしたが、たぶん原因はそれだけでは無いような気がします。

「……お邪魔だったら、ごめんなさいですね。一人でずっと川を見つめているあなたが、気になったのでございますですよ」

 申し訳なさそうに言う彼女に、私は慌てて両手を振り否定します。
 というか、ずっと、ということは相応の時間、妄想に耽っている姿を目撃されていたのでしょうか。
 そう思うと、途端に顔が熱くなります。

「いえ、お邪魔だなんて……! わ、私はただ、釣りを……」

「釣り……お魚さんを、捕まえるのでございますか」

 透き通るような蒼の瞳が、私の手にある竿に向けられます。

「は、はいっ!」

「ほー……」

 彼女の視線は、竿と川面、それから私との間をきょろきょろと行き来します。興味津々、といった様子です。

「…………あのぅ」
「…………あのー」
 
 気まずい沈黙を打破しようと、思い切って声をかけてみます。が、間の悪いことに、同じタイミングで向こうも切り出してきました。

「あっ、はい」

「よろしければ、少し、お話しませんかー?」

「え、えぇ……私で、よければ……」

「ありがとうございますです」

 私の緊張をよそに、彼女はにへら、と笑いながら、すぐ横にすとんと座りました。
 真似るように、私も川べりの石の上に腰を降ろします。

「ここでは、どのようなお魚が釣れるのですか?」

「そうですね。イワナやアマゴ……ヤマメあたりでしょうか」

「なるほどー。バラクーダはいますですか?」

「ばら、くーだ……? それは聞いたことがありませんね……」

「故郷の海で釣れるお魚でございます。以前パパの知り合いが大物を釣った、と写真を送ってくれたことがありますですよ」

「へえ……って、海水魚なら、ここにはいないかと……」

 とりとめのない話をしながら、私は失礼にならない程度に、彼女の姿をちらちらと見ていました。
 多分、この辺りに住んでいる人では無いでしょう。このような辺鄙な田舎にこんな目立つ少女がいれば、噂にならないはずがありません。なにせ、近所の人がみんな顔馴染みのような環境ですから、少しでも変わったことがあると、瞬く間に話は広がっていきます。
 今朝もお母さんが友達の友達からとか言って、噂話を持ってきたっけ。なんでも近いうちに、旅番組のロケで芸能人の方が近所へやってくる、とかなんとか。この辺りは自然こそ豊富ですが、果たして観光できそうな場所があったでしょうか。
 
 隣の異国の少女も、もしかしたら旅行の最中だったりするのかもしれません。やってきたはいいものの、あまりに田舎過ぎて何もないが故に、こうして現地の人とおしゃべりして時間を潰している、とか。
 歳はいくつぐらいなのでしょう。背は私より低いですが、整った顔立ちは大人っぽくあり、けれど笑った顔は幼そうでもあり。まるで見当が付きません。

「この虫さんは、お魚さんのご飯でございますか」

 彼女が細い指で、脇に置いてあったタッパーの中のブドウムシをちょんちょんと突っつきます。

「あ、はい。その餌を針につけてます」

「白くて可愛らしいですねー」 

「可愛い、ですか……?」

「……? なにか、おかしかったですか」

「おかしいというわけでは……。ただ、友達の中にこの手の虫が平気な子は見たことがなかったので、少し意外で」
 
 変わった感性の人だな、と思いました。もっとも、人のことは言えないかもしれませんが。
 友人を釣りに誘ったことは何度かあるにはあるのですが、みんなこの餌の用意の段階でギブアップしてしまうのです。気持ち悪い、無理だと言って。
 まあ、私も決して可愛いとまでは思いませんが。
 陶芸もそうですが、肇の趣味は変わってるねとはよく言われます。枯れた趣味だね、とも。
 考えてみれば、女の子と並んで釣りをする経験は初めてかもしれません。大抵は一人で来るか、おじいちゃんと一緒ですから。

 そんなことを考えている間も、彼女にとってはチャーミングらしい餌に、魚が食いつくことは無く。

「……あの、暇ではありませんか?」

「そんなことはありませんですよ」

「でも、全然釣れないですし……」

「お魚が釣れなくても、あなたとのおしゃべりは楽しいのでございますですよ」

 そう彼女はあっけらかんと言い放ちます。

「知らない人とおしゃべりをすることが、わたくしの趣味でございますから」

「そう、なんですか……」

 なかなかどうして、随分と変わった、まるでおばあさんのような趣味に私は親近感を感じ、思わずくすりと笑いを零してしまいます。
 やはり彼女は旅人なのかもしれません。こうやっていろいろな場所を訪れては、現地の人との会話を楽しんでいるのかも。
 そうだとしたら、自由で素敵な生き方で、少し憧れます。
 私の場合、将来が決まっている、とまではいかなくとも、おじいちゃんはやっぱり跡継ぎが欲しいでしょうし。
 けれど、陶芸家以外にも、やってみたいこと、挑戦してみたいことがまるで無いわけではなくて。それは……

「あのー。お魚さん、ひっかかったみたいでございますです」

「……えっ? あっ、ひゃあ!」

 考えに耽っていた私は、浮きが沈む瞬間を見逃してしまいました。
 慌てて竿を引きますが、時既に遅し。そこに魚の重みはなく、水面から上げた釣り糸の先には、餌の無くなった針が揺れていました。

「……逃げられてしまいました」

「残念でございます」

「むぅ……仕方ない、もう一度ですね」

「おー。わたくし、応援しますですよ」

「あっ……よかったら、あなたもやってみますか?」

 私の申し出に、彼女は綺麗な瞳をぱちくりと瞬かせます。

「よろしいのでございますですか?」

「えぇ、もちろん」

 こうして、私は異国の少女に釣りのいろはをレクチャーすることになりました。
 まずは餌の付け方。先の通り、私の同年代の友人は必ずここで躓くのですが、彼女は覚束ない手つきながらも、臆することなく虫の背に針を突き刺しました。
 針で手を突かないように。竿の持ち方はこう。もし根がかりした時は、竿を下げながら上流側に引いて……と、昔おじいちゃんに教わったことをひとつひとつ思い出しながら、出来るだけ丁寧に説明します。その都度、彼女が大きく頷く度にお洒落な麦わら帽子がゆらゆらと揺れるのが可笑しくて、少し笑いそうになってしまいました。

「えいやー」

 なんだかあまり覇気のない掛け声と共に竿が振られ、仕掛けが川の中程に着水しました。

「おっきいのを釣り上げてみせますですよー」

「ふふっ。頑張ってくださいね」

 前言撤回。語気とは裏腹に、彼女はやる気満々のようです。
 じっと水面を見つめながら、リズムに乗るかのように身体を揺らすその姿は、わくわく、とか、そわそわ、といった表現がぴたり当てはまります。
 私も、釣りを始めた頃はこんな感じだったのでしょうね。改めて思い出すと、少しだけ恥ずかしいです。

「うむむむ……お魚さん、なかなかご飯を食べにきてくれないですね」

「今始めたところですから。辛抱強く待ちましょう」

「この虫さん、あんまりおいしくないです?」

 そう言って彼女は、また残りの餌をぶにぶにと突っつきます。感触が気に入ったのでしょうか。

「どうでしょう……いつもなら、それなりに食いついてくれるのですが」

「わたくしだったら、虫さんよりもアイスが食べたいですねー」

「アイスですか。いいですね、この季節にはぴったりです」

 いくら風通しの良い川辺といっても、夏の日差しは相当なもの。額の汗を拭いながら、私も急に冷たいものが恋しくなりました。

「……けれど、私はどちらかというと、かき氷の気分ですね」

「…………かきごおり? 氷を食べますですか?」

「あれ、ご存じないですか? かき氷。こう、器に細かく砕いた氷を盛って、シロップをかける……」

 軽くジェスチャーを交えて説明します。言われてみれば、かき氷って、日本特有のものなのでしょうか。いやでも、フラッペとも言いますし、海外にもあるのかな。
 しかしながら、目の前の彼女にはやはり馴染みのないものだったらしく、少し釈然としない様子で眉をしかめています。
 ご馳走してあげたいところですが、残念ながら我が家にはかき氷機がありません。氷を盛れそうな器なら、たくさんあるのですが。

「そうですね……夏ですし、もしお祭りにでも行く機会があれば、屋台を覗いてみるといいですよ。きっと売っているでしょうから」

「おー、それは楽しみですねー」

 その言葉が社交辞令などではないことは、表情で分かりました。
 まるでもう想像の中でかき氷を堪能しているかのような、幸せそうな笑顔。その様子がやっぱり綺麗で、また少し、見惚れてしまいました。

 それからも、気が付けばたくさんのことをお話しました。
 学校のことや友達のこと。
 私がこの間近所で見かけた、狸の親子がとっても可愛かったこと。
 彼女が公園でおしゃべりをしたおばあさんに、たくさんのミカンをおすそ分けしてもらったこと。
 話のタネはなかなか尽きません。相手がさっき会ったばかりの異国の少女であることなど、すっかり忘れてしまいそうなほど。
 途中、驚かされたのが、すっかりご機嫌になった彼女が不意に口遊んだ歌が、とても上手だったことです。
 英語の歌だったので歌詞の意味は殆ど分かりませんでしたが、まるで清流のように澄み切った、美しい歌声でした。

「すごい……。まるでアーティストか、アイドルみたいです」

 そう正直に感想を述べると、一瞬彼女は驚いたように目を見開き、やがて「ありがとうございますです」と、少し照れたような柔らかい笑みを浮かべたのでした。

 ただ、その間も魚は一匹たりとも釣れてはくれず。
 何度か当番を交代し、今は私が竿を握っています。

「……こんなにたくさんお喋りしたの、久しぶりかもしれません」

「おー? わたくしは、いつもどおりでございますですよ」

 彼女はきょとんとした顔で、こちらを見つめ返します。趣味だと言っていたくらいですから、本当に彼女にとっては、これが日常茶飯事なのでしょう。

「いえ、私も学校にいる時はよく友達とお喋りしていますが……釣りをしている時なんかは、どちらかというと、自然の声に耳を傾けていることが多いもので」

「自然の、声……?」

「……聞こえませんか?」

「……うーん。わたくし、あまり日本語が上手じゃありませんですから」

「充分お上手だと思いますよ? ……でも残念ながら、自然の声は『言葉』ではないので」

 首を傾げる彼女の頭上に、はてなマークが浮かぶのが見えた気がしました。
 その様子がとても可愛らしくて、私は思わず吹き出してしまいます。

「ふふっ。では、試しに目を閉じてみてもらえますか?」

 私の提案に、彼女は素直に頷いてくれました。宝石のように綺麗な瞳が、瞼に覆われます。
 一瞬またしてもその横顔に見惚れてしまいそうになりましたが、直ぐに私も、並んで目を瞑ります。






 さらさらさら。

 
 ざわざわざわ。

 
 じじじじじ。

 
 ぴぃぴぃ。ちちち。






「……おー……」

 程無くして、隣から溜息のような、感嘆の声が聞こえました。

「……いかがですか?」

「たくさん、聞こえましたです」

「でしょう? 川のせせらぎの音。木々が風に揺れる音。それに」

「虫さんや鳥さんも、歌っていましたねー」

「こうやって自然の声を聞いていると、例え目を閉じていても、世界が色付いて見えるんです」

「なるほど、それは素敵なことですねー……わたくし、初めて知りましたです」

「他にも、語りかけてくれるのは音を出すものだけじゃないんですよ? 花の彩りや、土の温かさなんかもっ」

 思わず、声が上擦ってしまいました。
 柄にもなく饒舌に語ってしまったと、少し照れくさくなりましたが、彼女は変な顔ひとつせず、深々と頷いてくれました。

「わかりますですよー。土はいいものです」

「わ、わかるんですかっ!?」

「はい。わたくし以前、公園で出会った少年たちと、土のお団子を作りましたです。まんまるの、つやつやでしたね」

「あぁ、なるほどそういう……」 

 彼女が顔や綺麗な金髪まで泥んこにしながら、子供たちとはしゃいでいる姿が容易に想像出来ました。
 私も小さい頃、陶芸を習い始める前は、よくおじいちゃんの真似をして泥んこ遊びに興じていたことを思い出します。

「知っていますか? 泥団子は、作った後に一度乾燥させたあと、乾いた土をまぶしながら磨くのがコツなんです。そうすれば、ぴかぴかになりますよ」

「おー、本当でございますかー? 物知りさんでございますねー」

「うふふ。私も、土については一家言ありますから」

 少し誇らしくなったついでに、ウインクをひとつ。こういうのを、世間では「どや顔」というのでしょうか。

「土のこと、釣りのこと、自然の声のこと……今日はたくさん、たくさん教えて頂いて、ありがとうございますです。優しいひととお友達になれて、幸せですねー」

「えっ、そんな、優しいだなんて」

 結局のところ、私はただ自分の好きなことを嬉々として語っていたに過ぎません。自己表現といえば聞こえは良いですが、単なる自己満足とも取れます。
 彼女があまりにも聞き上手なので、つい夢中になってしまったのです。独りよがりの表現では、真に説得力のあるものは創れないと、いつだったかおじいちゃんから指摘されたこともあったというのに。

 しかしそんな私の前で、彼女はふるふると首を振ります。揺れる金色の髪が、落ち始めた陽の光を反射してきらめきました。

「おしゃべりをすると、優しい気持ちになるのでございます。それは、みなさんがわたくしに、優しさのおすそ分けをしてくれるからでございますですよ」

 もうすっかり慣れ親しんだ、少し癖のある日本語。
 それでもすらすらと、流暢に言葉が紡がれるのは、彼女のバックボーンにその考え方が根付いている証拠だと思います。

「優しさがいっぱいになると、幸せな気持ちになりますね。だからわたくしは、戴いた幸せをたくさんの人にお返しするために、おしゃべりをするのでございます」

「……あなたの方が、よっぽど優しいじゃありませんか」

 おしゃべり……会話という行為に、それほどの意味を持たせている人に、私は初めて出会いました。
 言葉のやり取りは、優しさのやり取りであり、幸せのやり取りである。彼女の想いが詰まったポリシーは、乾いた土に落とした雫のように、私の心にすっと沁み込んでゆきました。
 想い、という漢字は、相手の心、と書きます。
 自分一人だけでは成り立たない。自分ではない誰かを感じ、認め、慈しむことが、人を想うということ。その為の手段が、彼女にとってのおしゃべりなのでしょう。

 ……なんだろう。今ならすごく良い器が作れるような気がします。
 今までよりももっと、『想い』の籠ったものが。

「帰ったら、工房使わせてもらおうかな……あ、でも今からじゃ、夜遅くなるかも」

「……? どうかしましたかー?」

 知らずの内に、思考が漏れてしまったようです。
 私はごまかすように、こほん、と咳払いし、彼女に笑いかけました。

「いえ、もう遅い時間だな、と。気が付けば、だいぶ暑さが和らいできましたね」

「おー、なるほど」

 ついさっきまで鳴いていた蝉の声も、いつのまにか聞こえなくなっていました。代わりに、川を流れる水音がより大きく感じます。
 しばらくの間、静寂が二人の間を訪れました。

「そろそろ、行かないといけませんねー」

 ぽつり。小さな声で、彼女がそう呟きました。

「え、行くって、どこに……」

 どこか宿にでも泊まるのか、もしよかったら家に泊まってもらっても、などということが脳裏をよぎった次の瞬間。
 視界の隅で、すっかり存在を忘れかけていた釣り糸の浮きが、水底に消えました。同時に、ぱしゃりという小さな音。

 私は反射的に川の方へと向き直り、タイミングをはかって一気に竿を引きます。先程より少し大きな飛沫とともに、小さな黒い影が川面から飛び出してきました。
 糸にぶら下がったまま、ぴちぴちと踊る、今日初めての魚。
 標準サイズではありますが、立派なイワナです。

「見て下さい! 釣れましたよ! やっと……釣れ……」

 つい興奮して振り返った私の目の前で、彼女は、


 お喋り好きな異国の友達は、姿を消していました。

「…………夢……のはず、ないよね」

 そんな考えが咄嗟に浮かんでしまうほど、それは本当に突然なことで。
 私は彼女が立っていた場所をただ茫然と見つめ、彼女の声を聴こうとして、風と木の葉の音を聞きました。
 足跡すらも残さず、というのは砂利の上なので当然ですが。
 それにしてもあまりに忽然と、初めからそこに誰もいなかったとすら思えるほど、彼女は一瞬で消えてしまったのです。




 
 まるで、蜃気楼のように。




「……変わった子だったなぁ」

「そんなに綺麗な子なら、私も一目見たかったわね。次に会えたら、うちに招待してあげなさい」

「うん」

 その夜は、食事をしながら普段より少しだけ、お母さんとたくさんお喋りをしました。もちろん、お父さんやおじいちゃんとも。

「……あ、でもその前に、かき氷機が欲しいな。その子、食べたことがないみたいだったから」

「ん? かき氷機、確か棚の奥底にしまってあった気がするけど」

「え、本当?」

 思い返してみれば名前も知らない彼女と、もしもまた出会うことが出来たら。今度はもっとお話をしたいなと思いました。
 彼女のことをもっと知りたい。彼女の持っている幸せを共有して、私の……生まれてからこれまで、家族や友達、たくさんの人に分けてもらった幸せを、彼女にも分けてあげたいな。
 二人で縁側にでも並んで、アイスとかき氷を食べながら。

「あとで探してみるわ。……それより、いつまでもここにいていいの? もうすぐ肇の好きなテレビ、始まる時間じゃない?」

「あ、そうだった。……あぁでも、おじいちゃんと工房にいく約束しちゃったし……ごめんお母さん。録画しておいてくれない?」

「はいはい。作務衣に着替えるなら、今着てるの洗濯かごに入れておきなさいよ」

「わかった!」

 少しでも、私を表現できるように。
 想いを色にして、器に宿せるように。
 今ならきっと出来る。不思議と、そんな感覚がしました。





 しばらく経って。

 録画していたアイドル番組で、とても見覚えのある褐色肌で蒼い瞳の女の子がステージで優雅に踊っているのに気が付き、心臓が飛び出るほどに驚かされることになるのですが、

 それはまた、別のお話です。



 おわり


以上、お付き合いありがとうございました。

買い物帰り、橋の上で釣り糸を垂らすおっちゃんを見かけた時に何か降りてきたイメージを、思うがままにぶつけてみた次第です。

久々の地の文、肇ちゃん初書き、釣り未経験という三重苦で書き上げた作品ですが、少しでもほっこりして頂けたなら幸いです。
……コレジャナイ感とニワカ知識はご愛嬌、ということでひとつ。


前作
キャンディアイランドのおおよそ毒にも薬にもならないおしゃべり

も、よろしければどうぞ。

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