ハプニング・ニンジャデイ (39)
【モバマスSS】です
注意点
◆2月22日がニンジャの日ということで思いついたネタ
◆ニンジャスレイヤー風の文体重点のため、名前の呼び方が実際と違ったりする、あと長めな
◆アヤメ=サンが敵ニンジャと戦ったりする、チヒロ=サンはほとんどブッダ
以上が許容出来る方は楽しんでいただければ、駄目でしたら閉じて頂いて
よろしくお願いします
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「……やっと見つけました」
焦燥に満ちた声。夕日に照らされた五重塔を見上げるその少女の全身は汚れており、ここに来るまでの激闘を物語る。
彼女の名前はハマグチ・アヤメ。316プロダクション所属のアイドルであり、そしてニンジャである。彼女が見上げる
五重塔にはなにが……ナ、ナムサン!
なんたることか! そこには五重塔の頂上に縛り付けられたニワ・ヒトミと側に立つニンジャの姿! 一体なにが起きて
いるというのか!それを知るために、我々まずはここからさらに前の時間に遡って事態を見てかなければならぬ!
――時間は巻き戻り、2月22日、朝、キョート市内ホテル。ニンジャデイと指定されたこの日に向けて日本各地のニンジャ
イベントや営業に飛び回っていたアヤメは、いよいよ本番当日を迎えて緊張の面持ちを浮かべていた。
「だ、大丈夫でしょうか……これほどの大掛かりなイベントを、わたくしが主役を任せて頂いて」
「大丈夫です。ハマグチ=サン、あなたが今日までに積み上げてきた物を、信じてください」
アヤメの緊張をほぐすように励ます大男。彼の名前はタケウチ。アヤメを含めた316プロダクション所属の者達を何名も
同時にプロデュースしている優秀な男であり、そしてなによりアヤメの大切な主君でもあった。
「あ、ありがとうございます、タケウチ=サン。……そうですね、ここまで来た以上今更緊張しても仕方ありません。
アヤメの全身全霊を持って、今日という日を盛り上げます! ニンッ!」
自らの主に励まされたアヤメは一転して笑顔を見せると、机に置いていた朝食のスシを食べ始める。なにはともあれ、
まずは腹ごしらえをせねばならぬ。
「どうやら迷いは晴れたようでなによりー。やはりアヤメが緊張しているとわたくしも少々不安でしたのでー」
「ヨシノ=サン! 食べるものは決まったのですか?」
そこへ、ビュッフェの料理を選びに行っていたヨリタ・ヨシノも戻ってくる。彼女もまたアヤメと同じくタケウチPに
プロデュースされている少女の一人であり、今日のイベントにおいてはアヤメのサポートメンバーとして共に仕事を
しに来ていた。
「このとおりでしてー。このような形の食事は初めてのためにー、少々迷ってしまいましたがー」
そういって机に置いたのはチャに焼き魚、味噌汁と漬物、そしてご飯と極めて質素な和食。とても彼女らしい選択に、
アヤメは思わず笑みをこぼす。
「……そういえば、ヒトミ=サンはまだなのでしょうか」
武内「今、センカワ=サンが呼びに行っていますから、もう少しで来るとは思いますが……」
ヨシノが食事を取り始めたのを見てから、この場にいないもう一人の友人のことを口にするアヤメ。今彼女たちがいる
場所はホテル内のレストランのため、迷って遅れているということもないはずなのだが。
「まだ眠りにつかれているという可能性もー」
「さすがにそれは考えられません。今日は大事な日だということをヒトミ=サンも分かっているでしょうし」
ニワ・ヒトミ。今日の仕事においてもう一人の大事なメンバーであり、いくつかの地点のイベントにおいては彼女を姫に
見立てた殺陣も行わる予定となっているため、その存在はとても重要である。
それを本人も理解しているはずなのに、朝食に現れない。なぜか。
(なんでしょう、この嫌な感じは)
このホテルの警備は万全であり、なにかの事件に巻き込まれる可能性も低い。にも関わらずアヤメのニンジャ第六感は
先程から重点警戒するように危機感を訴えていた。そして彼女の感じる危機感と同様の物をタケウチPも感じていたために、
アシスタントのセンカワ・チヒロをヒトミの部屋に向かわせていた。
「ともかく、センカワ=サンが戻ってくればすべて分かると思いますから、お二人は先に食事を」
その時である。ヒトミの部屋に向かわせていたチヒロが、駆け足でレストランに飛び込んできたのは。
「大変です!」
奥ゆかしさの欠片もない叫び声に他の客から非難の視線が集中するがそんなものなど意に介さず、チヒロはタケウチP達の
姿を見つけると、さらに駆け足で詰め寄ってきた。
「ヒトミ=サンが部屋にいません! それと、部屋にこんな物が」
持っていたオリガミ・メールを渡すチヒロ。それを広げ内容を確認したタケウチPは険しい顔つきになると、不安そうな
アヤメ達に事実を端的に伝える。
「ニワ=サンが攫われました」
「なっ……」
絶句し、机を叩くアヤメ。ヨシノも困惑した様子でタケウチを見る。
「そんな、ここはセキュリティは万全だと! それなのにどうやって……!」
なによりアヤメとタケウチPの二人、そしてチヒロの監視を逃れてヒトミを捉えるなど人間技とは考えられない。
……人間技では不可能? では、まさか。
「もしもし、失礼ですが」
その時、アヤメ達へ一人の男が話しかけてきた。全員が一瞬で警戒態勢へと移るが、その男はどう見ても普通のモータル。
だが、漂うアトモスフィアの異様さが、アヤメ達の不安を煽る。
「あの、なにかご用でしょうか?」
交渉役を買って出たチヒロが、男に対して質問を返す。だがその男の視点は定まらず、声をかけてきたチヒロを見ることも
なく、更に言葉を続ける。
「トレード=サンからこの小型UNIXモニタを渡すようにとのご命令で。電源を入れればすぐに動画が始まります」
「……誰です、そのトレードというのは!」
友人が攫われたことで気が立っているのか、アヤメは語尾を強くして男に詰め寄る。その様はかつて恐ろしいニンジャで
しかなかった彼女を思わせ、それだけで気の弱い者なら失禁してしまいかねない。コワイ! けれど男は動ずることなく
……いや、まるで特定の行動しか出来ない機械めいて返答する。
「あなた達はやりすぎたのです。故に、こうなった。反省することだ、もう遅いかもしれぬがな」
「なに……? なにを!」
「アヤメーいけませぬー。どうやらその方はー」
ここで異様なアトモスフィアの原因に気づいたヨシノがアヤメから男を引き離そうとするが時すでに遅く、突然目に
正気が戻った男がアヤメの剣幕に悲鳴を上げた。
「ア、アイエエエエ! な、なんですか貴女! ナンデ私掴まれて!?」
「え……?」
まるで先ほどまでの姿が嘘のような怯えようにアヤメは驚き、男から手を離すと、自分の行動を反省し、今度は優しい
声音で男に問いかける。
「あの、この小型UNIXモニタに見覚えは……?」
「な、なんですかそれは! そもそもここはどこ!? 私、確かキョートを観光してたはずなのに! アイエエエエ!」
錯乱した男は叫びながらレストランを飛び出して行き、すぐさま姿が見えなくなった。あの様子では捕まえた所でもはや
なんの情報も得られないだろうと判断したタケウチPは、残された小型UNIXモニタの電源を入れる。今はとにかく状況を
掴まなくてはならない。
『ザリザリザリ……ドーモ、ちゃんと映っているか?』
再生され始めた動画に最初にエントリーしたのは、紫色に白のラインが入った装束の人物。顔は「貿易」と刻まれた
フルフェイスメンポによって眼の部分しか露出しないように隠されており、映像からこの人物個人のことを特定するのは
不可能である。けれどもアヤメとタケウチPにとっては、この人物の姿はこれだけで別の意味を持つ。そう、装束に
メンポとくれば、相手がニンジャであると判断するには十分なのだ!
『この映像を見ているということは、私の力を知ったな。そして君たちの探し求めているの娘はここだ』
ここでカメラが移動し、新たに別の人物が映し出される。両腕を鎖で縛り上げられ、うなだれている人物。
その胸は豊満であった。
「ヒトミ=サン……!」
映像に映ったヒトミの姿にアヤメは衝撃を受ける。自分がいながらむざむざと敵ニンジャの手に渡してしてしまった上、
このような囚われの身にさせてしまうなど、どうケジメをつければよいというのか。
その気持ちはタケウチPも同じらしく、見たものを怯えさせる恐ろしい表情で動画を睨みつけている。もしこの映像が
相手と通じていたのなら、視線だけで相手は爆発四散したかもしれないほどの凄みだ。
だが実際にはこの映像は録画されたものであり、二人の気持ちは相手のニンジャに伝わることは決して無い。無慈悲にも
動画は進み、紫色のニンジャはヒトミに近づくと、一瞬その豊満な胸に手を当てる仕草をしながら、彼女の顎を持って
無理やり面を上げさせる。
『見ての通り、この娘のすべては今私の支配下だ。生かすも楽しむも、どうするかは私次第ということだ』
映しだされたヒトミの表情は、先ほど小型UNIXモニタを渡してきた男と同じく視線が定まっておらず、いつも彼女が
見せている明るさはどこにもない。その姿はジョルリ人形めいていており、その豊満な胸のかすかな動きが、ヒトミが
まだ息をして生きている僅かな証であった。
『お前たちは我々の商売の邪魔をしただけでなく、その権利まで奪い取ろうとしている。これはそれを戒めるための行動だ』
『ただし、一方的な要求は奥ゆかしくないのでな、交渉のチャンスをやろう。そちらにアヤメというニンジャがいるな』
突然自分の名前を呼ばれたアヤメであったが、すでにその表情は決断的だ。たとえどんな条件を出されようと、ヒトミを
助けるためなら飲むという決意の現れだ。
『モータル共の下劣な娯楽と化した創作のニンジャのようにになろうと尽力してきた貴様は、ニンジャデイである今日、
キョート各地で9個のイベントを行うはず。そのすべてをこちらでニンジャクエスト仕様に変更させてもらった』
「なんですって……?」
信じられない言葉を聞き、チヒロは急いで自分の端末で各地のイベント会場の様子を確認する。すると恐るべきことに
このニンジャの言うとおり、各地のイベント会場で異常な事態が発生していることが判明し、チヒロはタケウチPに
すぐさま事態の悪化を伝える。
「プロデューサー=サン、各イベント会場で突如としてバイオビーストやトラップ群の出現、または殺陣出演者が武装し
立て篭もるなどの事態が確認出来ました。どうやらこちらが用意したイベントを全て利用した脅迫のようですね」
冷淡な口調ながらも、すでにチヒロの思考はこの状況をどう利用し利益にするかの算段を整える段階に移っており、
その姿には焦りが微塵も感じられない。
「ちなみに、このような脅迫を行う可能性のある企業や個人の目星は」
「いくつか候補は。聞きますか?」
「いえ。最終的にはこのニンジャからインタビューするか、案内してもらうほうが早いでしょう」
チヒロからの情報も合わせて、タケウチPも事態の解決のための策を考える。わざわざ危険と分かっているニンジャ
クエストにアヤメを向かわせずとも、自分が動けばいい。そう判断しようとしたところで、動画のニンジャは先を制する。
『ああ勿論、こちらが指定した方法以外で私の事を探ろうとしたら、この娘の命はないぞ。わかりやすく例を見せるとだな』
パチンとニンジャが指を鳴らした瞬間、アヤメ達の側に立っていたレストランの従業員二人が突然痙攣したかと思うと、
白目をむいて自らの首を180度回転させる! コワイ!
「「アバーッ!」」
「いけませんー」
それが致命傷となる寸前でヨシノが回復させ始めたために事無きを得たが、タケウチPはまさに自分の考えを封じられた
ことに苦虫を噛み潰した表情を受かべ、動画のニンジャが油断ならぬ強敵であることを認識する。
『さて、分かってくれたか。無謀な考えはこの娘の死につながると思え。貴様達に与えられたのは、9個のニンジャ
クエストを攻略し情報を集め、私を見つけて交渉する権利のみだ。期限は今日の日没まで。それでは勝手ながら健闘を
祈る、オタッシャデー』
BANG! 動画はそこで途切れ、小型UNIX端末も小さな爆発を起こして壊れてしまった。あまりにも短い制限時間に厳しい
条件。これをアヤメ一人に背負わせてしまわねばならない自分の不甲斐なさに、タケウチPは頭を下げる。
「申し訳ありません。自分の注意が足りないばかりに、このような事態を……!」
「大丈夫ですタケウチ=サン。イベントが出来ないのが残念ですが、ヒトミ=サンを助けるという点で考えれば、あまり
難しく考える必要のない条件なだけマシですから。ともかくわたくしはすぐに出ます!」
日没までの一分一秒が無駄にできないアヤメは、もうすでにニンジャクエストに向かう準備を始めており、長期戦を
考えてできるだけチャとスシを補給した彼女は、すぐさまレストランから飛び出そうとを足に力を込める!
「ちょっと待ってアヤメ=サン」
「わ、わわ!」
それを笑顔で止めたチヒロは、タケウチPとヨシノにも視線を向けてから、「変更内容」とショドーされた紙を
全員に見せる。
「これは一体なにを……」
「今日のイベントを利用されたのなら、また利用し返すだけだと考えまして。アヤメ=サン、あなたが
ニンジャクエストを行う姿を、イベントのショーとして公開させて頂きます」
「……センカワ=サン、それはあまりにも危険です」
普段アヤメが見せているのはアイドルとして、そしてカトゥーンめいた存在としてのニンジャであり、それならば
一般市民にニンジャリアリティショックを引き起こすことはない。だが敵ニンジャの用意したクエストを攻略すると
なればそんな甘い姿を見せ続けるわけにはいかず、どこかで本物のニンジャとしての姿を見せなくてはならぬだろう。
そうなった時に周りに一般市民がいれば、そこはニンジャリアリティショックを発症した人々によって
アビ・インフェルノの場と化すのは必然であり、タケウチPはその事象の発生させようとしているとしか思えない
チヒロの提案を拒否しようとする。しかしチヒロはそんなタケウチPの心配など想定済みだと言わんばかりの
笑みを浮かべて言葉を続ける。
「心配いりません。346プロダクションのアシスタントがこの程度の問題に対処出来なくてどうします。ちゃんと、
人々のニンジャリアリティショックを抑える方法も考えていますよ」
「まさか、そんな方法が」
「信じてください。タケウチ=サンは最後の最後でどうしようもなくなったときに対応出来るように私と共に行動。
アヤメ=サンは指示された通りクエストをこなしてください。ヨシノ=サンは、恐らくヒトミ=サンを助ける時に
その力が必要ですから、それまで待機でお願いします」
今後の予定の変更内容がショドーされた紙に足りない部分を補足しながらチヒロはさらに説明する。予想される事態に
敵ニンジャの反応なども含めて、その内容は急な変更とは思えないほど綿密だ。彼女にとっても、今日までにかけた
費用をすべて無駄にするような事態は避けたいのだろう。
そして全ての話を聞いたアヤメは一瞬だけ迷う。自らのイクサをショーにされるということは、必然的に一般市民を
巻き込む可能性が増えるということであり、今の自分のカラテは人々を巻き込まず、また巻き込まれた人々を救える
だけの力を保っているのかと。
今のアヤメには武器はスリケンしかなく、愛刀も、誕生日にタケウチPからもらったヌンチャクもない。素手のカラテで
どこまでやれる……? いや、やるしかない!
「これで進めていきますが、大丈夫ですか、アヤメ=サン?」
「はい、問題ありません! 今のわたくしの全てを持って、ヒトミ=サンを助け、そしてイベントを成功させます!」
決断的な表情で強く返事をしたアヤメを、タケウチPはもはや止めることが出来ない。なによりタケウチPが企画したこの
イベントの行末はすでに彼の手から離れてしまっており、そのことを悟ったタケウチPはチャド―呼吸をすると、アヤメを
見つめて激励する。
「無茶だけは、しないでください。ヒトミ=サンもあなたも、いなくなったら困りますから。最悪の場合は必ず自分が」
「分かっております。タケウチ=サン。ですが、わたくしは必ずヒトミ=サンと共に帰ってきます! ニンッ」
「ヒトミを助ける時はー、絶対わたくしを呼ぶのでしてー。わたくしならばー、あの者の力を消し去ることが
出来ますー。だからアヤメー、どうかご無事でー」
操られていた従業員の回復を終えたヨシノも、クエストに向かうアヤメのために祈る。事態が進展するまで何も出来ない
自分に無力感を覚えながらも、それを表に出すことは無い。
「はい、必ず。ではチヒロ=サン、もうクエストに向かっても大丈夫でしょうか」
「ええ、最初はキヨミズ・テンプルのニンジャクエストに向かってください。こちらの準備が整ったら、クエスト開始の
アナウンスを私がしますので、よろしくお願いします」
チヒロの指示を受けたアヤメは頷き、一瞬でニンジャ装束へと着替えマフラーで口元を覆い隠すと、タケウチP達以外の
誰にも認識されること無く、レストランを飛び出していったのだった。
――こうして予定されていたイベント内容すべてがニンジャのイクサに相応しい物へと替えられてしまったアヤメは、
それでも愚痴も不満ももらさずニンジャクエストを攻略していき、ついに元凶であるトレードというニンジャのいる
場所を突き止めたのだ!
「……やっと見つけました」
それがこのトウ・テンプルに存在する五重塔であり、その頂上に縛り付けられたニワ・ヒトミと側に立つニンジャの
姿を確認したアヤメは叫ぶ。
「言われたとおりにニンジャクエストをすべて攻略しました! ヒトミ=サンを返してください!」
遥か五重塔の上からその叫びを聞いたトレードは、今をときめく忍ドルの悲痛な叫びにニンジャとしての嗜虐心が
刺激されるのを感じながら、一方で冷静に状況の変化を観察していた。
(……まさか、本当に時間内にすべてのニンジャクエストを攻略するとはな。まぁそれはいい、だがなんだあの市民共は)
五重塔の頂上から見ると、アヤメの周りにはかなりの人集りが出来ており、しかも彼らはニンジャの姿を隠そうとも
していないトレードを恐れることなくカメラで写真を撮ったり、UNIX端末で記録をつけているのである。
(私を見ても恐れないどころか楽しんでいるのは、馬鹿の集まりか、ニンジャを正しく認識できていないだけか……。
どちらにせよ邪魔ならその時片付ければよいか)
市民達の不審な行動に警戒しつつも、そろそろ返答しないのもシツレイだと判断したトレードは、その場から
躊躇いもなく飛び降りると、アヤメの前へとウケミも取らずに平然と着地し、アイサツを決める。
「ドーモ、ハマグチ・アヤメ=サン。トレードです」
「ドーモ、トレード=サン。ハマグチ・アヤメです。降りてきたということは、ヒトミ=サンは返してくれるのですね?」
カラテ警戒しながらも、アヤメはトレードを真剣な眼差しで見つめる。そこには忍ドルとしてはともかくニンジャ
としてはあるまじき人の善意を信じる意思が現れており、あまりのくだらなさにトレードは失笑したあと、アヤメを
絶望させる一言を放った。
「いいや、この程度で娘を返すつもりはない」
「それでは約束が違うのでは!?」
「こちらの出したのはクエストを攻略したら交渉する権利、だ。娘を返すなどとは一言も言っておらん」
「そんな……」
どこかで覚悟していたとはいえ、あまりにも呆気なく返すつもりはないことを示されたアヤメは、その表情を曇らせる。
その姿にさらにニンジャとしての嗜虐心を刺激されたトレードは、メンポの下で恐ろしい笑みを作りながらアヤメに
近づいていく。
「交渉内容もあの娘のことがメインではない。我々の商売の邪魔をしている者に、手を引かせるためにこちらが
指示を出す。受け入れなければどうなるかを示す。このように」
無造作に振り払った腕から投げられたのは4本のクナイ・ダート! それがアヤメを取り囲むようにしていた市民に
無差別に飛んで行く! アブナイ!
「くっ!? イヤーッ!」
クナイが市民に直撃する寸前に軌跡を見きったアヤメは、同じく4個のスリケンを投擲しすべて相殺消滅させる!
「見事なワザマエだ。やはり貴様はこちらの交渉を有利にするため、ここで見せしめに潰しておくとしよう。
残念なことに、市民共も巻き添えだ」
アヤメの力を確認したトレードは無慈悲なカラテを構える。ナムサン! ヒトミを誘拐し、アヤメをニンジャクエストに
誘い出し、この場に呼び寄せたのもすべては交渉のためだというのか! だとしたらなんという大胆かつ遠回りな作戦!
しかし、こうでもしなれけばまともに交渉出来ない相手が346プロダクションにいるというのだろうか?
ならば一体それは誰なのか。
いいや、今はそのようなことを考えている暇などない。このままではアヤメの周りにいる市民たちはイクサに巻き込まれ
ニンジャリアリティショックを引き起こし、この場はマッポーに相応しい地獄めいた光景となってしまうぞ!
「……チヒロ=サンの予想通り、ですか。まったく、あの人は恐ろしい」
「なに?」
カラテを構えて威圧していたトレードは、そんなアヤメの呟きに眉をひそめ、そして知る。なぜ市民たちがこうまで
アヤメ達の周りに集まって尚ニンジャリアリティショックを引き起こしていないかを。
『さあ、敵ニンジャによる戦闘開始の合図がありました! 我らが正義のニンジャ、アヤメ=サンは見事この邪悪なる
敵ニンジャを打ち倒し、ヒトミ姫を救うことが出来るのでしょうか!』
(アナウンスだと……! 馬鹿な、今のは……!)
突如としてトウ・テンプル内に響いた女の声に、トレードは辺りを見回しその大本を探す。そして五重塔の入り口の
正面に位置する建物の屋根の上でマイクを握っている緑色の服を来た女の姿を発見した。
(いつの間にあの場所に。あのアナウンスの女は……誰だ……?)
警戒をすり抜けて行動するという、自分がヒトミを誘拐する時にやったのと同じ方法で現れた緑色の服の女に、
トレードはメンポの下で驚愕の表情を浮かべながらも、すぐさま状況の再確認を行う。
(奴はこちらに手出しをしてくる様子がない。つまりはこのアナウンスだけで……そういうことか)
『どうやら敵ニンジャはいよいよ攻撃を開始する模様です! なお、これからの戦闘におきましては映画撮影でも
使われるエフェクト重点ですので、観客の皆様は少し距離を取られると安全に楽しむことが出来ます』
「エフェクトだって、ヤンバーイ!」「アヤメ=サンのニンポすごいもんな」「さっきまで見てたトラップとか化け物
とか本物みたいだったしな!」「エナジードリンク遥かにいいですね!」「そうですね、もっと飲みましょう!」
タテマエめいたアナウンスと周りを囲む市民の声。さらにその市民たちが落としたと思われるチラシには「衝撃体験」
「見なければ損をする」「エナジードリンク無料配布」の文字。それらを確認したトレードは、市民たちのこの状況が
タケウチP達によって引き起こされた物だと確信する。
(この催眠効果を感じるアナウンスに、なんらかの薬物が混ざったドリンク。なるほど、これらで市民の精神を
惑わしつつ、ニンジャクエストで強引なまでに一時的なニンジャへの耐性を付けさせたか!)
自らが使うジツの内容もあってか、状況の理解をすんなりと行ったトレードは、このアナウンスをどうするべきかと
屋根の上にいる緑色の服の女を見て、それから放っておくことにした。
多少耳障りであるが、これがなければ市民たちのニンジャへの耐性が一気に薄れ暴動に発展しかねず、それは
トレードにしても面倒極まりないからだ。
「ならばせいぜい利用させてもらう! そして覚悟しろアヤメ=サン! イヤーッ!」
「覚悟するのはあなたです! イヤーッ!」
場の状況を把握しきったトレードは、とうとう宣言通りアヤメへの攻撃を開始する! まずは先ほどの倍、8本の
クナイ・ダートをすべてアヤメに向けて投げる! それを同じく8個のスリケンを投擲しすべて相殺消滅させながら、
アヤメは一気に間合いを詰める!
「イヤーッ!」アヤメは詰め寄る勢いで右ストレートを繰り出す! ハヤイ! だがそれをトレードは左拳で弾き、
返す形で左脚のハイキックを繰り出す!
「イヤーッ!」これをアヤメは上体をかがめて避ける! だがハイキックを避けられた反動を利用してトレードが
次の攻撃を仕掛ける方がハヤイ! 勢いをつけその場で回転したトレードは、その力を加えて右後ろ回し蹴りを
叩き込む! 「イヤーッ!」
「イヤーッ!」体を横にずらして致命的な蹴りを躱したアヤメだったが、そこへさらにもう一撃!
トレードは回転跳躍の力も加えてアヤメの側頭部を狙う! ローリングソバットだ! 「イヤーッ!」
だが紙一重で蹴りの動きに合わせて首を傾げてアヤメは避け、技の反動で空中に留まった状態のトレードに左ショート
掌打を浴びせる!「イヤーッ!」
「イヤーッ!」ショート掌打を肩で弾いたトレードは、その勢いを利用して空中でさらに身を捻りすぐさま着地すると、
右フックを繰り出して応戦する!「イヤーッ!」
「イヤーッ!」左ショート掌打の戻しかけの腕でこのフックを防いだアヤメは、反撃の右掌打を行う!「イヤーッ!」
この掌打をトレードは左拳で弾くと、再び右フックで反撃!「イヤーッ!」
お互いの攻撃を防ぎ、反撃する! 恐ろしいほど近いこのワン・インチ距離で、ニンジャ動体視力の持ち主でなければ
反応することも出来ない掌打とフックの応酬が開始される!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
打つ! 防ぐ! 再び打つ! 永遠に続くかと思われる応酬であったが、少しづつアヤメが押され始める。やはり
ここに来るまでにバイオゴリラやバイオコモドドラゴンなどのバイオビーストとの戦闘に、危険なニンジャトラップ群の
踏破、さらには操られた人々には無抵抗を貫きニンジャクエストを攻略してきた代償は決して軽くないのだ!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「ンアーッ!」
ついに均衡が破れ、アヤメがトレードのフックをまともに喰らってしまう! その場に崩れ落ちかけるアヤメであったが、
トレードはそれを許さずさらに連続して右フックを繰り出し、彼女を無理やりその場に立たせる!
「イヤーッ!」「ンアーッ!」「イヤーッ!」「ンアーッ!」
そしてフックで無理やり棒立ちの形にさせられたアヤメのガードがついに崩れる! トレードはそれを見逃さず、身体を
バネめいてしゃがませ一気に跳躍! あれは伝説のカラテ技、サマーソルトキック!
「イヤーッ!」「ンアーッ!?」
これまで蓄積したダメージにこの痛烈な一撃が決定打となったのか、アヤメはもはや空中でウケミを取ることもなく
吹き飛ばされ、トレードからタタミ7枚ほど離れた位置で地面に激突した。
『ああ、なんということでしょう! 敵ニンジャの猛攻になすべなくアヤメ=サンは地面に倒れてしまいました。
このままヒトミ姫は助からないのでしょうか……!? なお、今回のアクションはすべて映画撮影技術を元に
していますので、実際危険はありません』
「ワァースゴーイ!」「なんて迫力あるんだ!」「まるで本当にカトゥーンの世界だ!」
チヒロの欺瞞的アナウンスとエナジードリンクに含まれる薬物成分が合わさり異常興奮した市民たちは、目の前で
行われているニンジャのイクサをまるでTV画面を通して見る迫力映像とでもしか認識することが出来ない!
「……ぐ……あ……」
「起き上がるのも辛いか。だが耐えているだけ見事だ。……潰す気でいたが、少々勿体無いな」
興奮している市民たちの声を耳障りに思いながらアヤメに近づいたトレードは、爆発四散もせずにまだ意識も残っている
アヤメのニンジャ耐久力を素直に賞賛し、また少しの間とはいえ自分と互角に渡り合ったそのウデマエを惜しみ、
なにやらメンポの奥の瞳を怪しく輝かせ始めた。
「なに……を……」
「貴様を私の物とする。私のフドウカナシバリ・ジツは他者の精神を思うがままに操る。どれだけ主従の絆が
強かろうと、どれだけ思い焦がれていようと、どれだけ愛を語らおうと、私のジツの前では全てが無意味だ」
『こ、これは、敵ニンジャは我らがアヤメ=サンを操ってしまおうというのか! そんな! ブッダよ、
寝ておられるのですか!』
「そんな、ヤメロー!」「卑怯だぞ!」「正々堂々カラテしろー!」「アヤメ=サン起きるんだぁ!」
アナウンスに合わせて市民たちが非難の声を上げるが、トレードはすべてを無視してジツに集中する。実際彼の
フドウカナシバリ・ジツは強力ではあるが、ニンジャ相手にはその威力の調整が難しいのである。
「……その、ジツで……あなたは、今まで……なにを……」
「そうだな、生まれ変わる手土産に教えておこうか。私の主は人を商品とした仕事をしていてな、特に芸能人は良い
マニーになる。ドリンクにもな。その時以前の人生の記憶など不要ゆえ、このジツで新しく生まれ変わらせていた」
「つまり……交渉というのは……その仕事が上手くいかないから、商品確保のための交渉ですか……?」
「察しが良いな。ますます欲しくなったぞ。……なに、次に目覚めた時は貴様は私を主と認めている。心配ない」
少々喋りすぎてしまったと気づいたトレードは、これ以上は時間の無駄だとフドウカナシバリ・ジツの調整を
完了させると、アヤメの瞳を覗きこむ。するとトレードの瞳から発せられる紫の光がアヤメの瞳にも灯り、
彼女の身体を侵食していく。ヒトミを助ける事も出来ず、もはやこれまでなのか!
(……なんだ?)
だがここで、トレードは奇妙な違和感に気付く。アヤメの瞳を覗き込み、ジツは上手く作用しているはず。
なのにアヤメの精神に侵入できているという感覚がない。まるで、入ったはいいがそれ以上先に進めない洞窟めいて、
ジツの侵食が進まなくなっているのだ。
「……ふ、ふふ」
困惑しているトレードの姿を見て、ジツをかけられているはずのアヤメは笑った。……笑った?
「ナンデ?」
「種明かし、してみせましょう」
瞬間、トレードがジツをかけていたアヤメの姿がぼやけ始め、彼が驚き間合いをとった時には、すでにその姿は
幻めいて霧散してしまっていた。……つまり、完全にいなくなってしまったのだ!
「消えた……だと!?」
『これは、どうしたことでしょう!? 先ほどまでいたアヤメ=サンが突然その姿を消してしまいました!
一体どこに行ったのでしょうか! なお、これも映画技術を使っておりますのでご安心ください』
「消えた」「スゴーイ!」「ニンポかな!?」
アナウンスも、周りを囲んでいた市民も、アヤメが消えたことは見ていたがどこに行ったかまでは分からない。
市民たちはそれを喜び興奮するだけで済むが、相対していたトレードにとってみれば恐ろしいことこの上ない状況だ!
(馬鹿な、さっきまで触れた感触も気配もそこにあったんだぞ! しかもジツを使える暇などなかったはずだ!
どこだ、どこに行ったアヤメ=サン!)
市民の中に紛れ込んだのかと意識を集中するが、それらしい気配は見つからない。あの一瞬でそう遠くに行ったとは
考えられないトレードは、さらに広く市民を観察するために距離を取り、五重塔の入り口辺りにまで戻ろうとする。
……その時、空から一つの影が落ちてきた。最初に気づいたのはチヒロであった。
『……五重塔からなにかが飛び降りました! 皆様、上をご覧ください!』
「上?」「上だって」「え?」
(上だと? 馬鹿な、上には攫った娘以外誰も…………!?)
もしも物を透過して人の表情を窺い知れるジツの使い手の方がいたとしたら、見ることが出来ただろう。
空から落ちてくる者を見た時のトレードの情けない表情を。
「バカなぁー!?」
落ちてきているのは……ゴウランガ! アヤメである! 先ほどまで地上にはずのアヤメが、トレード目がけて
落ちてきているのだ! しかもただ落ちてきている訳ではない、これはカポエイラにも伝わるエリアルカラテ技、
フォーリャ・セッカの動き!
自らの危機を認識し、トレードのニューロンをニンジャアドレナリンが駆け巡る! 時間感覚が鈍化し、すべての
事象がゆっくりと視える。アヤメの動きを観察する。遅い、初めに見た時は脅威と感じたが、これならば避けられる。
トレードはバックステップで距離を取る……取れない!
(なぜだ!?)
バックステップのための足が動かず、視線をそちらに向けたトレードの眼は極限まで見開かれる。なぜなら匍匐の形で
足を掴んでいるアヤメがそこにいたからだ!
「ドーモ、ヒトミ=サンを酷い目に合わせた報いは受けてもらいます」
「な、なぜだ! ……まさか、ブンシン・ジツ……!?」
けれど、驚愕するのはそこまでだった。アヤメのブンシンが技に巻き込まれないように消えたからである。
そして避けることが無理なのであれば、せめて防がねばならぬ! あの技をまともに喰らえば一撃で爆発四散して
しまうことはトレードには容易に想像がついたからだ!
「イイイヤアアァァーッ!」
「イ、イヤーッ!」
アヤメのフォーリャ・セッカがトレードを直撃! ゴウランガ! 位置エネルギーとアヤメのカラテのワザマエが
乗ったその威力は実際隕石が落下したかと思うほど! 衝撃がトレードの身体を突き抜け、地面にクモの巣状の
ひび割れが起きる!
「グ、グワッー!?」
フォーリャ・セッカを腕で防いだはずのトレードは、しかし自分の全身から響くなにかが砕け散っていく音に恐怖する。
さらに防いでいるはずの腕が潰れていく、支えきることが出来ない!
「グワーッ!」
もはや威力を支えられなくなったトレードの身体が、ピンボールめいて弾き飛ばされ、五重塔へと叩きつけられる!
弾き飛んでいく彼の身体を蹴って地面へと華麗に着地したアヤメは、ザンシンし息を整えてから振り向いた。
「わたくしの、勝ちです」
『勝った! 勝ちましたー! アヤメ=サンが、敵ニンジャを倒しました! しかも、これは!?』
「まだなにか降りてくるぞ!」「天使……?」「ブッダ……?」
上を見上げると、今度はふわふわとなにかが降りてきていた。よく見ると、それはヨシノであり、彼女の平坦な胸に
抱かれるようにして、ヒトミも共に降りてきていた。
『ヨシノ=サンがヒトミ姫を救っていたようです! 見事なチームプレイでしたね!』
「スゴーイ……」「いつの間に」「ヨシノ=サンだから気づかない内にじゃないか?」
もはや衝撃の連続とドリンクが全身に回りきった影響で、市民たちは事態を正しく認識出来ていない。
真相はこうである。元々、トレードとヒトミの居場所を突き止めた時点で、アヤメはブンシン・ジツを使い、
トレードに相手をさせる囮を作っていたのである。その間にアヤメ本人はヒトミにかけられたジツを解くために
ヨシノを連れて五重塔に登り、その後ブンシンが限界に達した時点で本人が足止めのブンシンと共にトレードを
強襲したのである。ゴウランガ!
「ありがとうございます、ヨシノ=サン」
降りてきたヨシノの側へと近寄ったアヤメは、彼女が抱きかかえていたヒトミを代わりに抱きかかえる。すでに
ヨシノの力によって意識を取り戻していたヒトミは、自分が姫めいて抱かれていることを認識して顔を赤らめるが、
ジツの後遺症のためか、その表情は眠たげであった。
「あー……もしかして、また大変なことに巻き込まれた……?」
「はい、ですがすでに終わりました。ヒトミ=サン、あなたが無事で良かった……」
「あはは……アヤメ=サンもボロボロだ。帰ったら、ゆっくり休も? ヨシノ=サンも一緒にね?」
「それは楽しみでしてー」
朗らかななアトモスフィアが流れ、これで終わったのだとアヤメが気を抜いた刹那!
「まだ、だ……!」
殺気を漲らせ、地面に倒れ伏していたはずのトレードが起き上がる。その腕はもはや原型を留めておらず、
全身から出血しているというのに、なんたる執念! なんたるニンジャ耐久力!
「交渉は……させる! 必ず! だから、貴様らは、消す!」
「やめてください! ニンジャなら、その傷も治ります! だからもう、これ以上は!」
「黙れ! まだ私には、ジツがある!」
トレードの瞳は今までの中でも最も明るく、そして危険な赤色を放っており、恐らくは彼のフドウカナシバリ・ジツの
奥の手が発動しようとしているのが見て取れ、とっさにヒトミとヨシノの盾になるように身を投げ出すアヤメ。
せっかくヒトミを助けられたというのに、このままアヤメは危険なジツによって消し炭になってしまうというのか!
「イヤーッ!」「グワーッ!?」
……どこからか飛来したスリケンが、トレードのフルフェイスメンポに突き刺さり、真っ二つに割る。もはや理解が
追いついていない表情を曝け出したトレードは、初めからそこにいたと言わんばかりに市民の中から姿を表した大男を
見て呟く。
「誰だ……貴様……」
「ドーモ、トレード=サン。タケウチです。ハマグチ=サンの慈悲を無駄にしないでください。それとも、
自分にも試してみますか、そのフドウカナシバリ・ジツを」
「ドーモ、タケウチ=サン、トレードです。まさか、ここで追加が来るか……!」
全身に漲るカラテとそのアトモスフィアから、目の前のタケウチPが相当の強者であることを瞬時に理解したトレードは
思考する。フドウカナシバリ・ジツを最大出力で放てば、アヤメかタケウチPのどちらかは仕留められる可能性がある。
けれど、その後は? それにこの二人はどちらも強者、場合によっては最大出力であっても弾かれる可能性すら……。
そもそも、先ほどのスリケンで本当であればすでに爆発四散していてもおかしくなかったことを鑑みると、もはや
これ以上の戦闘継続は意味が無いことを悟る。ミヤモト・マサシの格言にもツー・ラビッツ・ノー・ラビットとある。
欲を出して良い結果など得られないのだ。
「……覚えていろ、いつか必ず、貴様らには代償を支払ってもらう!」
そう言い残して、トレードは去っていった。もはや戦う意志のない相手を追撃することはせず、タケウチPは少女達に
向き直り、いつもよりも優しい表情を浮かべて3人を労う。
「今日は本当にお疲れ様でした。そして……お帰りなさい、三人共」
『――本日のプログラムはこれで終了ドスエ。観客の皆様は荷物のお忘れ物がないか確認してからお帰り頂きたいドスエ』
すっかり日が暮れたキョートの夜、その冷たくも歴史ある厳かな空気に包まれるアヤメ達の無事を祝うように、今日の
イベントが終了したことを告げる合成マイコ音声が、しばらく辺りを満たし続けるのだった。
「――失敗しただと!」
机を拳で叩いた男の名前はフクアカ・ウント。キョート市内に存在するトーチ・ボウエキ社のCEOであり、トレードに
ヒトミを誘拐させ、アヤメのイベントをニンジャクエストへと変貌させた黒幕である。
「お前ほどのニンジャがなぜ失敗をする! 分かっているのか! あの346プロダクションの裏にいる謎の人物を交渉の
場に引きずり出し、我々の権利を回復させなければ、このままだと倒産なんだぞ!」
傷を押して報告してきたトレードに気遣う言葉一つかけずに怒鳴り散らすフクアカ。それもそのはず。彼の
チート・ボウエキ社は表向きはたいまつやランプ、灯籠などの景観を彩る調度品の製造輸出会社でありながら、
裏では人身売買によって多額の利益を上げてきた暗黒メガコーポなのだ。
特に社長が彼の代になってからというもの表の家業の利益は右肩下がりとあって、裏の家業への依存率が
高くなっていた。そんな折、突如として346プロダクションと呼ばれる芸能プロダクションが彼らの裏の商売の
領域に割り込んできたかと思うとあっという間にシェアを奪われ、今やチート・ボウエキ社の社運は
ロウソク・ビフォア・ザ・ウィンドであった。
「忌々しきは346プロダクション! 後から来たくせに売買における規則を勝手に変更し、独占して……! 老舗の
芸能プロダクションだかなんだか知らないが、キョートじゃこっちが昔から幅を利かせていたんだぞ……!」
いい大人が人目も憚らず泣き喚く姿にトレードはため息をつく。先代のころから付き合いでこの会社に尽くしてきたが、
こんな重傷を追ってまでこの社長に本当についていくべきなのか。
(そもそも、あんな回りくどい方法でなくとも、私に全て任せてくれればすぐに交渉の場を整えたというのに)
346プロダクションにいる人材をいつでも好きに潰せること証明して、裏にいる人間を引きずり出す。そのためにこの
フクアカが考えた作戦を忠実に実行した結果の自分の身体の状態をもう一度見て、トレードは再びため息をつく。
「おいトレード、なにをさっきからハァハァと! うるさいんだよ! そんなこと言ってる暇があったらさっさと次の」
「……! 社長、静かに!」
騒ぎ立てるフクアカに黙るよう睨みを聞かせたトレードは、社長室の扉前から感じる異質な気配に警戒する。彼の腕は
今だ潰れたままであるが、必殺のフドウカナシバリ・ジツがあるため、余程の相手でない限りは瞬殺出来るのだ。
「な、なんだよトレード、どうしたんだよ」
「誰か、来ています。うちのものじゃありません。この感じ……なんだ?」
ニンジャでもモータルでもない、だが両者に限りなく近いような、それでいて遠い感覚にトレードのニューロンは
ざわめき立つ。まるで、これを相手にしてはいけないと魂が警告を発しているかのような……。
「なんだ、と言われましても困りますね」
「ア、アイエエエエ!?」
フクアカの悲鳴を聞いて後ろを振り返ったトレードは目を見開く。そこには先程まで社長室の扉前から感じていた
気配と同じ物を発している女が立っていた。
「な、なんだ貴女! どこから入った!?」
「扉からですよ。もしかしたら、あなた方には見えなかったかもしれませんが」
「なんだと……いやまて、そもそも貴様、見覚えが……アナウンスの女か!」
一度見たら忘れられない緑色の服の女。それが今こうして目の前にいることに疑問を通り越して生存本能が働いた
トレードは、とっさにフドウカナシバリ・ジツを発動するため女と視線を合わせ、見てしまった。
見てはいけないものを。
「ア、アイエエエエエ!? アイエエエエエエ!! アイエエエエエエエエ!! アーイーエーエーエー……」
「ト、トレード! どうしたんだよ! トレード!」
いつも冷静沈着、そしてなによりニンジャである腹心が本気の絶叫を上げて失神した姿を見て、フクアカは失禁する。
彼が一体なにを見たのか、そしていきなり現れたこの女はなんなのか。心臓が早鐘を打つのが分かる中、それでも
フクアカは社長としてのプライドを総動員して質問する。
「あ、貴女一体誰なんだ、要件はなんだ!」
「要件? あなた方が交渉したいとあんなことをされたものですから、わざわざこちらから出向いたんですよ」
「へ……? じゃあ……」
女はぺこりをオジギをすると、改めてフクアカに対してアイサツする。
「申し遅れました、私、346プロダクションアシスタントのセンカワ・チヒロと申します。あなた方が人身売買の事業の
件で交渉されたいとのことで参りました」
「な、あ、貴女みたいな人が我々の裏の家業の交渉役!? ば、馬鹿にしてるのか!?」
すると一瞬、本当に一瞬。恐らくはニンジャ動体視力の持ち主でなければ気付くことも出来ないようなわずかの間
チヒロが浮かべた笑みに気づけなかったフクアカは幸運であった。人生すべての運を使い切ったとも言えるが。
「馬鹿になどしていませんし、もう一つ。346プロダクションの意思を伝えます。今後もこの事業は我々が独占し、他に
譲るつもりはありません」
「な! それじゃ交渉じゃないじゃないか! 本当になにをしに……」
するとチヒロは社長机に腰掛けると、フクアカの口に指を当てて喋らせないようにしつつ、視線を合わせてここに来た
理由を語りだす。
「私が来た理由は3つです。一つは先ほどの意思をあなたに伝えること。一つはそちらのニンジャをうちの社員として
引き抜くこと。フドウカナシバリ・ジツの力はとても魅力的ですから。ああもちろん、引き抜くと言っても、以前の
記憶はすべて書き換えますから安心してください」
トレードを引き抜かれるということにフクアカは抗議の声をあげようとするが、何故か口が動かない。それどころか、
チヒロの視線に不思議な魅力を感じて心臓が激しく痛くなっていくのが分かる。
「そして最後は、今回のような妨害が今後起こらないように、あなたには346プロダクションに敵意を抱く者達への
見せしめになってもらいます。あなたがヒトミ=サンにしようとしたこととある程度同じ、といえば
分かりやすいですかね?」
それはどういう目に合わせるかということを暗に示してる発言であったが、もはやチヒロの視線に魅入られた
フクアカにはその言葉の真意をつかむほどの知性は残っていなかった。彼の心臓の鼓動はさらに早くなる。
「これが今回私がここに来た理由です。さて、なにか質問はありますか? 最後に一つだけお答えしますよ」
フクアカが喋れるように口から指を離したチヒロ。だがもはや、まともな知性は溶けきったフクアカには、
これといった質問内容がもはや思い浮かばず、チヒロを見て気になったことを口にするだけであった。
「あの……貴女は……ニンジャ……なのか……?」
その問いにチヒロは本当に面白そうに笑った後、再び指をフクアカの口につけて微笑み、答えた。
「フフ、まさか……私はあくまでアシスタントですよ」
――次の日。配られた新聞には、アヤメ達のイベントの成功記事が紙面を大きく飾ると共に、キョートのとある企業の
社長が謎の死を遂げたとの記事がひっそりと載るのであった。
〈終〉
ニンジャの日ということで書き始めたはずなのに、オチがアヤメ=サンじゃなくチヒロ=サンになってたナンデ?
どこかの悪魔執事的なセリフが似合っちゃったのもナンデ?
長めでしたが、読んでくださった方ありがとうございました
それと>>4で「今、センカワ=サンが呼びに行っていますから、もう少しで来るとは思いますが……」とすべきところが
武内「今、センカワ=サンが呼びに行っていますから、もう少しで来るとは思いますが……」 と間違えて名前がついておりました
担当者はケジメしましたのでご安心ください
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