少年 (78)

青木一は高校生である。

入学前にキラキラと輝く日常を夢見た、いたって普通の高校生である。

特に夢や目標と呼べるものはなかった。

ただ家に近いからという理由で今の高校を選び、入学した。

そして中学生から続けているということで、部活動はバスケットボールにした。

やはりそこに目標はなかった。

バスケットボール部はそこそこの強豪で、日々の練習がとてもハードなものであった。




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その部活終わりに決まって一は言っていた。

「部活やめたいな」

しかしその言葉は、ただ、宙にさまようだけであった。

もちろん、そこには誰もいない。

ある種の愚痴のようなものだったのだ。

OLが会社帰りに、気に入らない上司の悪口を、同僚に言う。

その程度のことをしていただけだった。

その日までは。

その日一は部活帰り、家に帰る途中のいつもの公園の、いつもの自販機の、

いつもの飲み物を買い、いつものように言葉発した。

「部活やめたいな」

そしていつものようにその言葉は当てもなく、宙に舞うだけのはずだった。

しかし夕日に焼けた雲と同じように、空を浮かんでいくだけのそれは、

ある少女によって行く手を阻まれたのだ。

「なんで?」

一は驚いた。

それは無論、誰もいないと思っていたところで

急に見知らぬ人物から声をかけられたからである。

もしかしたら見知った人物でも驚くだろう。

そして一は自分に唐突に投げかけられた質問に答えられないでいた。

それはその少女の言葉の意味が分からなかったからでは、決してない。

その少女の疑問に答えるには、あまりにその少女に対しての疑問が多すぎたのだ。

この少女は誰なのか、なぜ話しかけてきたのか、どこに住んでいるのか、など。

動揺した一は、抱く必要のない疑問まで持ってしまった。

ごちゃごちゃとした疑問を片付けるべく、一は質問に質問で返した。

「君は誰?」

少女は、一の質問に即座に答えた。

「私は、天使。」

少年は狼狽した。

まさか、自分の眼の前に天使が現れるなんて、と思った。


のではない。

つまり一は、私は花子って言います、とか、近所の高校に通ってる高校生よ、とか

質問に質問で返さないで、とかとか。

とにかく現実に即した返答を予測していたのに、

みごと真逆の考えに驚かされた、ということだ。

「ええっと、そういうことじゃなくて・・・。」

「君の本名が知りたいんだ、ニックネームとかじゃなくね」

一は聞き直す。

しかし少女は笑っている。

「うーん、質問にはこたえているのになぁ」

と、首をかしげながら。

一はようやく少女のいうことを理解した。

彼女は文字通り、天使である、ということを。

もちろん、天使のように優しいとか、天使のように可愛いとか、

そういうふうに比喩は込められていない。

彼女の名前が、「天使」だったのだ。

「ああ、ごめん。」

2度目の驚きということもあってか、冷静な状態で一は話すことができた。

「ちなみに名字なの、名前なの。」

と、またも質問ができるほどに。

少女、もとい天使は、名前だよ。と答えた。

それに対して一は、もしも名字だったら、結婚の時、相手の男は婿入するだろうな、

珍しい名字は残さなければいけないと聞いたことがあるぞ。

と、どうでもいいことを考えていた。

もちろん高校には一のように近所から通っている生徒ばかりではない。

何駅も向こうから時間をかけ来る生徒も少なくない。

そしてそういった生徒もバスケ部に入るわけだから、

当然、一よりも早く起きるのである。

電車に1時間揺られるやつもいるから、4時半に起きてるのかな。

と思うと、尊敬の念さえ彼らに抱く。



練習は、朝からきつい。

そう考えると憂鬱な気分になるが、

優しい日差しが差し込み、鳥が朝を告げるように鳴いているこの通学路は、

練習に暗雲たる気持ちを抱える一の心情とは、まるで真逆である。

そんな気持ちを抱えているならさっさとやめればいい。

実際にそういうことも考えているのだから。

だが、一はやめることはなかった。

やめることに足止めをかける理由はいくつかあった。

高校生になった一だったが、最初はやはり適当にバスケ部に入ろうとしていた。

ここは一のめんどうくさがりな性格と一致する。

そして同級生に部活のことを聞かれた時は、

「まあ、中学生の時にやってたバスケかな」

と真正直に答えた。

だがその相手が驚いたように言った。

「お前、それはやばいぞ」と。

「やばい」は不思議な言葉である。

たった三文字の言葉が何通り、いや何十通りの意味を持つ。

それはしばしば文脈によって意味を変化させる、

まるで現代の、言葉の魔球のようなものである。

その変幻自在の魔球は、特に高翌齢者を翻弄する。

「若者の言いたいことがわからない」ということである。

言葉とは形を変えて意味を変化させるものである。

そうであるからこそ「言葉」なのであり、

形をかえずに意味が変化するならば、「言葉」は

その存在意義を失う。

人間はやはり進化か共に「言葉」を獲得してきたのだから、

やばい、という言葉は人間の退化を示すようにも見える。

だが、やばいの意味をとるには文脈判断という極めて理知的な技術が必要だ。

そう考えれば、「やばい」は退化を表すのか、進化の産物なのか。

こういう疑問に至るわけで、やはり言葉とは、やばいとは、

摩訶不思議なものだ。

めんどうくさがりの割にはこういうことを考えるのが

一、という男の性であった。

だが目の前の同級生はその、摩訶不思議な言葉を惜しげもなく使う。

一は、彼にこの「やばい」についての不思議さを説いたことがあるが、

「めんどくせっ」

と快活な6文字とともにばっさり切り捨てられてしまった。

その時、一はなかなかのショックを受けたわけだが、

目の前の同級生は、知る由も無い。

話を戻そう。

ようは一がバスケ部はやばいと聞いて、別の部活を検討していた日のことだ。

「ただいま~」

夕暮れどき、一の母が帰ってきた。

そして一に新しいバスケのTシャツを見せ、

「じゃーん、買ってきたよ!」

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