ほむら「RavenS」(255)

1.

そう邪険にするなよ。あんただって聞いたことくらいはあるだろ?
何がって、あれだよ。黒い魔法少女、「レイヴン」の話さ。

そうさ、あたしらみたいな魔法少女ならみんな知ってる話。そして、みんなが思うのさ、おとぎ話だってね。

でもさ、もし奴が本当に実在したとしたら……あんたはどう思う?
そしてかつて実在しただけじゃない。ソイツが今も生きてて、世界中で魔獣たちを狩っているとしたら……?
おいおい、そんな面をするなよ。おい、引くな!ワンドリンク奢るからさ、最後まで話を聞けって!

そうそう、レイヴン、レイヴン。遥かな過去から悠久の時を戦い続けてるっていう黒い魔法少女。

黒い髪に黒い衣装。誰よりも速く、誰よりも強く、そして誰よりも孤高で気高い――毛深いってことじゃないぞ?
何か、自分の大事なものを守るためにずっと戦っているって。より強力な魔獣を倒すため、世界各地を転々としているって、そういう話。
その見た目と行動様式からワタリガラス、"レイヴン"の名前が、いつのまにやらくっついて歩くようになったって、そう聞いたよな。

で、だ。一言で「レイヴン」とは言っても、その姿や戦法には諸説紛々でさ。
ガン&バレットで炎の臭い染み付いて咽るクーリッシュ・ガールだって話もあれば、最大火力で敵さん吹っ飛ばすバーサーカーって説もある。

まぁ、噂が独り歩きしてるってわけさ。

なに、話が長い?
最後まで聞けよ、そのジュース飲んでいる以上は、な。

それで、本題。

なんと、あたしは見ちまったのさ。その、レイヴンを、な。
おい!かわいそうな生き物を見る目であたしを見るな!
頭を撫でるなチェホン・ウーマン!
あんたがチビなだけだって……、余計なお世話だこんちくしょー!

ハァ、ハァ……もういいや。

じゃあ教えてやるよ。あたしが見た、レイヴンの正体と、なんでそんなにいろんな姿が諸説入り乱れるようになったのか、その真実を、さ。
最後まで付き合えよ?でなきゃ、あんたがこないだ、深山先輩の蒸れ蒸れになったスパッツクンカクンカしてたって事、バラすからな。

それも映像つきで!


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1355947766

2.
何十年かぶりに帰ってきた日本は、もう蒸し暑かった。

東京は相も変らぬコンクリートジャングルは、放射冷却できっと夜なお暑いのだろう。
それでも、ずっと前に行われた大規模区画整備や近年開発されたインテリジェント・マテリアルのお蔭で、以前よりは格段に過ごしやすくなっているのだとか。
もっとも、つい先刻までモスクワに居た彼女はその恩恵には与れていないのだが。

43年ぶりに祖国の土を踏んだ暁美ほむらは、しかし帰国に際して日本人の大部分が味わうような感慨をこれといって抱くこともなく、常態と変わらない足取りで街を歩いた。

20世紀には隆盛を誇っていた先進国は経済的には軒並み凋落していたが、日本の東京は未だに世界の先端都市の一つとしての機能を担っている。
その姿は常に変化を続け、こうやって大体半世紀を周期として帰ってくる毎にその姿を変えていく様は、まるでそれ自体が意志を持ち変化し続ける軟体動物のようだった。

人間は、その技術的な側面はさておいて、進化も退化もせず、しいて言えば継続し続けている。

相も変わらず世界のどこかではドンパチが起こり、血が流され、それについてどこかのインテリがワインを飲みながら批評する。
猟奇殺人、銀行強盗、誘拐、麻薬、その他諸々の犯罪が日夜発生し、1週間も経てば人々の記憶からは消え去る。
文化の衰退、回帰。風俗の乱れ、綱紀粛正。抑制と発散。それらは連綿と繰り返され、結局の所人類は歴史から何も学ぶところはなく、ただひたすらの反復を継続し続けていた。

かつてインキュベーターの言った、将来的な人類の宇宙進出、感情の消失は、当分――いや絶対に、起こりそうもない事に思える。
肩がぶつかったと因縁を吹っ掛けてきた、在日何世かのチャイニーズ・ストリートギャングを叩きのめしつつ、ほむらはぼんやりとそんなことを考えた。

三枚に畳んだ少年たちを薄汚い路地裏に放り込み、じりりと照る太陽に手を翳す。

暑い。

こういうことなら、もっと帰ってくる時期をずらせば良かったという気に駆られる。しかし、そうもいかないのだ。彼女が帰ってきたのには、明確な理由があるのだから。

数週間前にウェブ・サイト上に流された、とある噂。それは、かつてある魔法少女の一人が設立した魔法少女のコミュニティが運営するサイトに書き込まれたものだった。
世界各地の魔獣に関する情報が集積する、一大データベースの様相を呈した魔導書庫。
そこでは、ありとあらゆる魔法少女がらみの情報が迅速にやりとりされ、極めて活発な交流がなされていた。

Read Only Menber専門の暁美ほむらも、当然そのサイトのことは知っておりたびたび利用している。
世界各地の魔獣を潰してまわっているほむらにしてみれば、これほどありがたいツールはない。

そこの掲示板に書き込まれた、たったの一文。


――黙示録の獣<Apocalyptic Beast>が、東京に現れる――


それは、それだけでほむらを動かすに足る十分な理由だった。

「黙示録の獣」。

それはかつての時間軸に存在した「ワルプルギスの夜」と取って代った、超弩級の魔獣集合群体の事だ。
表れる時期は不明。周期、理由、その他諸々も不明の、完全なイレギュラー。
過去から現在に至るまで幾度となく世界各地に顕現し、数多の名だたる魔法少女たちを葬り去ってきた最悪の存在。
そして、そいつが現れた場所は例外なく恐るべき天災に見舞われ、極めて甚大な被害が齎される。

ヨハネの黙示録に於いて終末に現れるとされる悪しき怪物の名を冠するそれは、当に災厄と言えた。

もっとも、最近では各国の災害対策能力が向上しているのか、人的被害はかなり抑えられているようだが。

当然、かつての見滝原にも顕現――そう、神の出現を意味する"顕現"という語が相応しい――し、巴マミ率いる魔法少女群と壮絶な死闘を繰り広げた事もある。
その際には、美樹さやかの捨て身の自爆攻撃にてこれを撃退("撃破"ではないのだ、恐るべきことに)し、彼女の犠牲と引き換えに見滝原は守られたのだった。

その、ある意味で暁美ほむらと極めて強い因縁を持つ「黙示録の獣」が、この東京で発生する。

東京は日本の首都だ。未だ東京を中心とする中央集権国家を維持し続けている日本にとって、その陥落が国家単位での甚大なダメージとなることは間違いない。

それはきっと、まどかが望むことではないだろう。

だから暁美ほむらは帰ってきたのだ。

この日本に。

幾多の友の思い出が眠るこの地に、帰ってきたのだった。


宿は既に取ってある。新宿にある素泊まり5000クレジットの安宿だ。

それを10日分。

東京は物価が高く、他と比べるとどうしても宿泊費が高くなってしまうためあまり長居をしたくない場所ではあったが、仕方がないと割り切ることにする。
幾星霜の年月を生き、戸籍なんかとうの昔に消失している暁美ほむらは、正規の方法で活動資金を得ることはひどく難しい。
なけなしの資産、ほむらにとってお金はいつだって大事にしたいものだった。

簡素な、というよりも閑散とし、調節してもガンガンに冷風が吹き込んでくるというおんぼろエアコンが置かれた二重苦の部屋で、作業用の多機能携帯端末<Type:Abacus S-38990>を起動する。
黒光りする薄い板のようなそれは、単にスマホと呼ばれることが多く、海外では未だに"Cellphone"の通称で呼ばれている。
「電話」という機能が、ごったごたに詰め込まれた通信用ツールズの一つに過ぎなくなった現在に於いても、それは「携帯電話」という古の端末の延長線上に存在するものだという認識がなされているのだ。

普通のビジネスマンが用いるものよりも随分と値の張るその携帯端末を愛おしそうに指先で撫で、ほむらはワールド・ウェブへとダイブする。

目的地は、魔法少女相互扶助連盟・法の光協会が運営するサイトだ。
ごてごてとしたスクリプトを使用しておらず、簡素で見やすいつくりのページ。
現行リリースされている携帯端末の全ての機種で閲覧可能な、パケット代のかからないありがたい仕様だった。

先ず目に入るのは、Light of Low(法の光)の文字。

しばしば茶化されてlol(=笑)と言われる協会のサイトを、実際に笑うものは一人も居ない。
ここのデータベースに蓄積された情報群はあまりにも有益なもので、現在の魔法少女には不可欠な存在となっているからだ。

便利が過ぎると人は駄目になると言う。それはこの世界に延々と存在し続けているほむらにとって、自明の理として思えるものだった。

今の魔法少女は、魔法制御の精緻さ巧妙さにおいてはもはや臨界点とも呼べる域にまで達している。
反面、過去の魔法少女たちと比べると、個々の状況への判断力・応用力の低下が見られ、ある定められた規則性から外れた魔獣が出現した場合には、すぐさま危機へと陥るケースが後を絶たないでいる。
ほむらとしては、この情報は利用しつつも昔ながらの経験則に従っての戦闘となるため、その手の劣化は現状免れてはいる。
それでも、情報過多なこの世界で加減を知るというのはかなり難しい事で、少し気を抜けばすぐさま情報の海に溺れ能力の劣化が始まるだろうという事は、ほむらにしても自覚済みの事だった。


サイトに設けられた情報交換掲示板に存在する例のスレッドに目を通すと、予想通り一笑に付す書き込みが多数を占めていた。

高度に発達した翻訳機能によっておよそ書き込み内容の全ては不自然なく使用端末の当該言語に訳され、閲覧者は苦も無く内容を知ることができる。
それがなければ、記号としてしか認識できないような文字を持つどこかの国からの書き込みなど、暁美ほむらはその持つ意味を受け取る事が出来ないだろう。


Topic: 黙示録の獣<Apocalyptic Beast>が、東京に現れる
Name: Nameless
 Text: 8/10の夜に、黙示録の獣が東京に現れる。現地在住の魔法少女は迎撃の構えを。

  Re: そんな馬鹿なことがあるか。ここはガセネタ禁止の筈だぞ
  Re: 出現法則も明らかになっていないのに、何故そんな事が言えるのか
  Re: ガセだろ、ガセ。それも随分と性質の悪い
  Re: まぁ、東京の魔法少女は粒ぞろいだって聞くし。万一出現しても大丈夫だろ
  Re: ↑自画自賛乙ww

  ……


暁美ほむらは、そこの書き込みの一様な反応に溜息を吐いた。誰も本気にする者などいない。いつだって、人は"起こって"から後悔するというのに。

覆水は盆には返らない。

事前の対処ならばいくらでも出来る。しかし、事後にそれをひっくり返すことは出来ないのだ。

もはやかつての能力を失った暁美ほむらだからこそ言える。何事も、予断無く。「転ばぬ先の杖」の精神で動く事こそ、何よりも肝要なのだと。

何ら有益な新情報が持ち込まれてはいないことを確認して、暁美ほむらはワールド・ワイド・ウェブからログアウトする。

指で画面を弄り、グラフや図表、文字がびっしりと書き込まれた図鑑のようなアプリを起動する。

これは、古くから文献に乗る大型魔獣の特徴や出現傾向を記録した文字通りの「魔獣全書」で、L.O.Lのフリー配布物にほむら自身が手を加えたものだ。
ヒステリックなまでに情報が書き込まれたその全書は、それを見るだけでおおよその魔獣について把握できるという恐るべき代物で、ほむらにとっての一つの財産とも言える。
この情報が公開されれば、全世界の魔法少女は泣いて喜ぶことになるだろう。

もっとも、この全書を個人の私的財産としてしか見ていないほむらは、これをL.O.Lのデータベースに提供するつもりなど毛頭ないのだが。

頭をフルに活用し、現在東京に出現する魔獣の傾向を大体把握したほむらは、血中内のグルコースの欠如を感じて席を立った。

要は腹がへったのだ。

食事は、生命の維持にとってはもとより、精神の安寧にも深く関わっている。
美味い食事は心を安らかにし、満腹感は至福を与える。

彼女自身としては、胃に血が行くことでの脳機能の低下を嫌い、それほど満腹でいようとは思わないのだが。

しかし空腹によるイライラの発生は如何ともしがたい。
このままでは集中力を著しく欠如させると判断したほむらは、ある程度でも口にした方が良いと最寄りの食事処を検索することにした。

滞在する安宿から、徒歩20分程度のところにあるファミリーレストランに決める。ほいほいと姿を変えていく東京の地理を、40年ぶりに訪れる人物が把握している訳がない。
それでもこうやってあたりの経路をやすやすと把握できるのは、やはり携帯端末内蔵のGPS地図機能のお蔭だった。

こうして街を出歩くのに端末の世話になりっぱなしになっている事実を鑑みるに、ほむらも十二分に駄目になってしまっているようだ。

この事実を暗に突き付けられて若干気分を損ねながら、ほむらは夜なお暑い夜の東京へと繰り出したのだった。

食事を摂り、レストランを出た。

技術の向上から、業務用の冷凍食品であっても、それはそれなりに美味だ。
正直、ほむらが作るよりもはるかに食える味をしている。というよりも、ほむらの料理の腕前がひどすぎるというのが先に立ってはいるのだが。

軍用レーションすらも大層美味となってしまった昨今では、彼女が敢えてその劣悪な腕前を振う必要は存在しない。

きちんとした栄養バランスさえ計算すれば、かつては賄いきれなかった食物繊維や身体機能の調節に必要なミネラル等も、コンビニエンスストアで安く購入できる簡易食糧で十分に摂取できるのだ。
故に、料亭等で美味しい食事にありつくことに価値を見いだせない暁美ほむらは、かなりの長期間"手作り料理"というものを味わっていない。

本人はそれで全く気にしていないのだが、一般の視点からすれば味気ない生活だと思えるだろう。

ちなみに、彼女の夕食は鯨肉のステーキと、シーフードスープ、夏野菜のナポリタンだった。

かつては物議を醸していた鯨の資源利用も、今ではそれに疑問を持つ者すらおらず、世界のスタンダードな食糧品の一つとして数えられている。
なにしろ鯨というのは肉から骨から血液までも無駄となる部位が存在しない、極めてエコロジカルな水産資源なのだ。
世界の食糧資源がいよいよ枯渇すると、それまで威勢の良かった環境テロ屋があっという間に手のひらを返し捕鯨利権獲得に奔走し出したのは全世界の物笑いの種となったものだ。

久方ぶりのまっとうな食事で、ほむらはご満悦といった(しかし傍から見てもそれとは分からない程度の些細な)表情を浮かべる。
胃に血が行って判断力が鈍るのはもっぱら御免だが、たまには、こうやって満腹感に浸るのも悪くはないだろうと、ほむらは思った。

胃袋にずっしりと詰め込まれた食物の重量感を感じつつ、上機嫌で街を行く。東京の夜は未だ暑いが、魔法少女の特異な身体は既に順応を始めており、直に苦も無くなるはずだ。

派手なネオンや街頭に包まれた東京の繁華街は、高伝導性の伝達媒体と低消費電燈によって、21世紀前半と比べて十分の一に満たないエネルギーで当時の数倍は明るい。
しかしそんな衛星写真にばっちりと写るような明るさの東京で、暁美ほむらは一つの違和感を感じた。

それと断定するまでもない。魔獣の発する瘴気だ。

全世界に共通して、魔獣たちは薄暗く湿っぽい路地裏や廃墟に好んで潜む。
当然こいつらも同様で、その負のオーラ――視覚に映るほどに濃い瘴気は、薄汚れた、いかにもチンピラがたむろしていそうな裏路地の一角から発せられていた。

煌々と光る街から、まるで切り取られたかのように暗く口を開くその四角い穴――結界の入り口は、魔法少女でなければその異質さに気付くことはない。
知らずに酔っぱらって入り込んだ仕事帰りのワーカーは、その時点で帰らぬ人となる事が決定されるだろう。
まさか科学万能主義万歳なこの世の中で、そんな意味不明モンスターがこの大都会に棲んでいるなど、誰も想像しはしない。

ほむらは、ホテルへと向けていた踵を真逆に返し、その真っ暗な路地裏へと歩を進めた。
なんであれ、魔獣の存在を知覚してこれを見逃す法はない。もしそれを見逃して誰かが死ねば、きっとまどかは悲しむだろうから。

サーチ・アンド・デストロイ。

魔獣は見つけ次第斃す、それこそが暁美ほむらのライフワークだ。

ほむらは、周囲から怪しまれないよう極力常態と変わらない足取りで、黒い路地の中へと侵入していった。

***


「どぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

咆哮と共に振り下ろされ蒼色の鎚、その中点に嵌め込まれた紅の宝玉からこれまた深紅の炎が燃え出でると、魔獣を包み込んで灰に変えた。

しかし背後から、別の獣の爪が迫る。

「だぁ!もう!数がぁっ……多いぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

左脚に装着された深紅の具足で背後の敵に回し蹴りを叩き込む。インパクトの瞬間に爆炎を生じさせるおまけ付きの一撃が、魔獣を瞬時に粉みじんに吹き飛ばす。

その粉塵を割り、さらに魔獣が迫る。

「ちっくしょーめ、これじゃ埒が開かねぇ!くっそ、魔力残量も不味いな……一気にぶちかましてぶっ飛ばせるか……?」

少女はへんてこりんな恰好をしていた。

全身を覆う、蒼を基調として赤いラインの入ったボディ・スーツ。
頭部にはメカメカしいヘルメットを装着し、左手にはシンプルな手甲を、右手には装飾過多の巨大なガントレットを付け、そこには人の身で振うには余るサイズのハンマーが保持されている。
両すねには頑丈そうなプロテクトを履いており、ごてごてとした刺さるととても痛そうなパーツで彩られている。

彼女は確かに魔法少女だった。だが見た目としては"魔法少女"というカテゴリに属すべきでない出で立ちであるというのだけは確かだった。

少女は、魔獣の群れに囲まれていた。一匹の魔獣を追って、路地裏に突入した矢先の出来事だった。

まるで肉食のアメーバが対象を捕食せんと包み込むようにして結界が展開され、彼女はそれに為す術も無くとらわれたのだ。
この決して弱小ではないチビの戦士は少々浅慮なところがありしばしばこういう場面に陥る事があったが、今日のこれはその中でも最上級に不味い事態だと言えた。

倒しても斃しても湧いてくる魔獣の群れ。砕き、潰し、裂き、蹴りをいれ、ぶん殴る。
だが吹き飛ばしてもなお次々と現れるこの怪物どもは、まるで数を減らす気配がない。

常に最大戦力を投入し続ける飽和攻撃の連続に、キャリア2年の15歳は圧倒され始めていた。


魔法少女は、魔翌力を使用するたびに自身の魂の結実、ソウルジェムを濁らせる。

ソウルジェムの"輝き"とは希望の光だ。

魔法少女は、自身の希望の力、希望のエネルギーを消費して魔法を用いる。
そしてそれは無尽蔵ではなく、いずれは枯渇する有限なものなのだ。言ってしまえば魔法の行使とは、自分の未来への希望をすり減らし他人へと与える行為に他ならない。

通常、一般人の魂は無形だ。それは体内に格納され、スポンジに滲みた水のように肉体の内部に満ちている。
よく肉体は器として例えられるが、絶えず揺らぎ続ける人間の情動はコップや茶碗の中で荒れ狂う水ではなく、むしろスポンジ内部で所により濃度を変える水溶液なのだ。
「病は気から」と言う諺が指し示すように魂はスポンジたる肉体に影響を与え、逆にスポンジの状態――つまり肉体の状況、風邪をひいたり怪我をしたり――如何で溢れたり零れ落ちたりもする。

この無形無質量な筈の魂が無理やり成形された姿がソウルジェムだ。

本来の無形な魂は、少なくとも他人に希望を振り撒いたくらいで自身の希望をすり減らしたりはしない。
これは、そもそも精神エネルギーというものに熱量保存の法則を当てはめるのが不可能だからだ。

それは確かに消費しても減じることのない夢のようなエネルギーではあったが、反面肉体の外部に与える影響力というものが著しく希薄だった。
せいぜい周囲の人々をピリピリさせたりほっこりさせたりするのが関の山で、それで以て物理的な現象を引き起こすのは至難の業だったのだ。
インキュベーターたちの技術的発想は、その「減らない・効果の弱い」精神エネルギーを「減る・効果の強い」ものへと変じさせる事にある。

その前提条件となるのがソウルジェムだ。
無形のものを有形にすることで、魂という代物に「限界値」を設定する。
無形であるが故に無限となり得る魂と、それに包含された希望の光は有形化により有限となる。
その恩恵として、有形化された魂は、外部への多大な影響力を行使するためのバッテリーとなるのだ。

そう、魔法少女にとってソウルジェムとは、自己を規定する本体=己自身の本質ではなくバッテリーなのだ。
これがないと、肉体という部品を起動することも魔法を用いることも出来ない。

魔法少女を含めた人間の、もっと言えばの全ての生命体が保持する"自我"とは、脳髄の生み出した単純な化学反応の連続性に終始し、脳神経のイオン電位差が生み出した幻影に過ぎない。
魂とは、羅針盤――脳髄でしきりにうつろうイオン電位差が生み出す具体性ある"自我"の方向性を指し示す仕組み――を動作させるための電源装置なのだ。

魔法少女は、その本来ならば無形・無限のバッテリーを有形・有限なものへと変じさせ、魔翌力の行使、肉体の動作、その他一切の生命活動にも適用させている。

かつては意志の淵源を司るだけだった精神エネルギーは、魔法少女にとっては全てのボディパーツを作動させるための重要なエネルギー源となっていたのだ。


そして精神バッテリーの有限っぷりは今現在鎚を振う当の彼女にとっても例外ではなく、その残量は刻一刻、一挙手一投足ごとに失われていく。
そうなれば、待っているのはソウルジェムの崩壊と肉体の消滅だ。

魔力を極限まで行使しソウルジェムが濁り切ったとき魔法少女は、先ほどまでそこに立っていたという痕跡すらも残さず、綺麗さっぱり消え失せる。
それは比喩でもなんでもなく、質量保存の法則をガン無視した体で為される「現象」だった。

ドライアイスが気化するように為されるそれは通常「円環の理に導かれる」と表現され、もっと短く単に「導かれる」あるいは「連れて行かれる」と揶揄されることも多い。

現状この少女には、この常軌を逸した数の魔獣に魂ごと喰われるか、力を使い果たして消え去るかの二択しかなかった。
自分で足を踏み入れた結界ならばいざ知らず、こうやってトラップを仕掛けてきた以上は抜け道など用意されてはいないだろう。

脱出には敵を殲滅するしかない。

しかし、それをやるには圧倒的に魔力が足りないのだ。

どのように節約しても無理なものは無理だ。
むしろ一撃で仕留めなければ、この瘴気充ちる結界内部では瞬く間に再生され、放った一撃分の魔力が無駄になる。
戦力の逐次投入はいつだって非効率な戦り方にしかならないのだ。

それを分かっているからこそ、少女は一撃一撃に魔獣撃破に必要十分なだけの魔力を込めて放つ。
そしてその度に少女は、魔力の枯渇を確かな痛み、代謝能力の失われた老人のような関節・器官の痛痒として味わった。
それは幻の痛みでもなんでもなく、魔力の枯渇で実際に生体活動に支障が生じ始めた顛末としてのものだった。

「くっそ、痛ぇ!身体が痛――」

そうやって額に玉の汗を浮かべて戦う少女は、とうとう変身が解けその場に力なく倒れ込んでしまう。
彼女の自己防衛本能が、魔力の枯渇を感じ取って身体を省エネモードに切り替えたのだ。

つまり、変身の自動解除だ。

非戦闘時ならば何の問題も無い事だが、残念ながらここは戦場であり紛れもない修羅の巷だった。
変身が解かれるのは、鉛玉がひゅんひゅん飛び交う銃撃戦の最中にその身を躍らせるようなものだ。

無防備となった少女の背中に、魔獣の醜くおぞましい爪が恐るべき速度で迫る。


はは、これでお終いか。

少女の頭の中で、自嘲の声が響く。同時に、今までの人生の全てが、リニアモーターカーの最高速度をはるかに凌駕する勢いで駆け抜けた。

それは確かに、走馬灯だった。

日頃大口を叩いていた割に、こんなものなのか。
仲間は、アイツらは、勝手に飛び出していって勝手にくたばっていったあたしを嗤うだろうか。

それとも、悲しむだろうか。馬鹿な奴だったと、嗤いながら泣くのだろうか。

まぁ、どちらでも良いか。どっちにしたって、もうここですべてが終わってしまうんだから。

ああ、でも。望めるなら、たった一つだけを言いたい。


――おかあさん、ごめんなさい。


轟音と閃光。
それは少なくとも、今まで彼女が聞いた事がない音だった。

以上、第一回でした。
一応改変後、ほむら主人公となります。
あれから何年経っているかは具体的には明記しませんが、かなり先ということでご理解を。

書き溜めは半分ほど終わっているので、適宜投下していきたいと思います。


魔法少女なのにハードボイルド系とはこれいかに……

こういうエセ科学みたいな感じ嫌いじゃない
ところでまど神様は出てきますか

かっこいいけどほむらではないなこれ
かっこいいけど

レイヴン。活躍は聞いている

アーマードコアとのクロスかと思ったら違った

字の文ktkr乙

これは期待感が持てる

ギミックとしてのACが出てこないだけで空気は似てるな

ACはACでもエース・コンバットっぽいんじゃない?

公共広告機構が何だって?

期待!

3.

暁美ほむらの心はささくれ立っていた。

出会いたくない顔に出会った。

それは出会う筈のない顔でもあり、また同時に出会うべきではない顔でもあった。


「ははっ!奇遇じゃないかぁ、暁美ほむらぁ!」


呉キリカ。


魔法少女としての衣装はシックなデザインのものに変じ、体格も成人女性のそれへと変わっている。
それでも、その戦闘時に浮かべる独特の狂鬼じみた顔は見間違える筈がない。

比喩でもなんでもない遥かなる古の時代に死んだとばかり思っていたこの女が、今になって朗らかな笑みを浮かべて自らの眼前に立っている。
シトリンのような黄金の瞳を獣禽のそれのように光らせて、両手の鉤爪からは今しがた屠ったばかりの魔獣の瘴気、断末魔の欠片が立ち上っている。

魔獣の結界に侵入した暁美ほむらが見たのは、不遜でけたたましい笑い声と共に、まるで蝋燭の火を吹き消すかのような容易さで結界内部を制圧する呉キリカの姿だった。

実際に爪で切り裂く以外にもそこここで魔獣が寸断されていく様を見るに、恐らくは結界内の速度低下の効果を場所によって変えているのだろう。
空間単位で物体の物理的現象を操作――低下させる固有能力を持つキリカは、発生する効果に差を設けて相手をぶった切るという器用な真似が出来る。
これはかつて美国織莉子が考案した技で、巴マミが嬉々として必殺技名を付けようとしていたのを思い出す。


――かつて黄金時代があった。

まどかを失って、さやかが死んで。

それでも、皆でなんとか笑って生きて行こうと必死だったあの時代。

生き残った仲間たちと共に歩んだあの時間は、悲しみももちろんあったが、それ以上に喜びで満ちていたように思う。


少なくとも、佐倉杏子が死ぬまでは。

***

それは古い話だった。発端は、美国織莉子が魔法少女の相互扶助機関の設立を考案した所まで遡る。

かねがね、美国織莉子は魔法少女に秩序を齎したいと考えていた。
地域単位ではある程度結託する事もあるとは言え、総じて魔法少女の世界は、その言葉の響きからはかけ離れた弱肉強食に終始していた。
その強大な力の源にして存命の手段でもあるグリーフキューブを巡り、少女らは常に争っていた。

魔法少女たちは魔法少女システムの変容により、旧世界よりも遥かに長い平均寿命を得ていた。
概して魔獣は集団で姿を現し、それに抗するため魔法少女は嫌でも徒党を組むことを迫られ、それが結果として総体としての延命を可能にしていたのだ。
それ自体は歓迎するべきことだが、実際にはそれはさらなる悲劇の始まりに過ぎなかった。

集団としての生存競争の開幕。

誰しも死にたくはない。自らの存在が綺麗さっぱり消えてなくなる円環の理になど――少なくとも進んで連れて行って欲しがるような娘はそうはいない。

それがために誰もがキューブを独占したがり、それを巡って争いが、端的に言ってしまえば殺し合いが、世界の至る所で起こった。
その中には、単なる生存本能からではなく力の行使、つまり魔法少女の強大な力を思う存分に振いたいがためだけに同胞を殺すような不埒者もいたようだ。
そしてそれは、魔法少女の集団化によって一つの「戦争」という領域にまで成り果てていた。

美国織莉子は考えた。必要なのはキューブの安定供給の実現と、危険な魔法少女・集団を排除するための仕組み<System>だ。

古くから、そういった考えを持つ魔法少女は少なからずいた。
しかし、大抵はそれを煙たがる当の「危険な魔法少女」とそれを率いる集団によって、彼女らは物言わぬ肉塊へと変じさせられる破目となった。
出る杭は打たれるし、出過ぎた杭は引き抜かれるものだ。

だが、それでもなお美国織莉子はそれを実行することにした。失敗は――少なくとも道半ばで誰かに斃されることはないだろうという、確信めいたものを抱いて。

因果、即ち魔法少女の基本スペックを決定づける"素養"というものは、様々な要素が複雑に絡み合って決定される。
例を挙げれば親の重ねた業であったり、本人が渇望する叶わぬ夢想であったり、またその性格に起因したりする部分もある。

その点においては美国織莉子も同様で、様々な条件が絡み合った結果、彼女は見滝原市においては――まどかの魔力キャパシティの一部を継承したほむら以外で――最高の素養を持っていた。
つまるところ彼女は強く、魔法少女との戦闘においても堅実かつ嫌らしい戦法で幾度もの勝利を収めていた。
また、彼女を全力で守護する騎士の存在もあり、気の置ける親友たちもいた。
これほど恵まれた状況だ、当時の美国織莉子にはことを起こさない方が間違いであるように思えたのだろう。

また、理想主義者の巴マミの存在もその動きに拍車をかけた。彼女もまた、魔法少女の軍団が日々殺し合い、憎しみ合う現状に悲しみを覚える心優しき少女だった。

カリスマ性に溢れ人を束ねる力に長けた織莉子と古くからこの地に根を張り近隣の魔法少女とも太いパイプを築いていた巴マミが結託すれば、不可能など無いように思えた。


まず彼女らは、ホームページを立ち上げる事にした。
無関係な者からしてみれば手の込んだジョークサイトにしか見えないものの、魔法少女からしてみれば運営も同じ立場の人物である事が一目瞭然に分かる、そういった造りにした。

彼女らは手始めとして、近隣に出没する魔獣たちのデータをそこへ載せる事にした。
効率的に魔獣を狩ることが出来れば個々の魔力の消費が抑えられ、結果として全体の延命へとつながり、ひいては余剰グリーフキューブの捻出にも繋がる。

彼女らはジョークサイトを装いながら、様々なソーシャル・ネットワーキング・サービスを介してサイトの情報を拡散させていった。

幸いにして、効率よく魔獣を狩るという点においては反対する者がいなかったらしい。
情報は日に日に蓄積されていき、終いには英語やどこかの記号としか思えない文字での書き込みも為されるようになった。

織莉子とマミは手を叩いて喜んだ。この試みは、大いなる成功を収めたと言えたのだった。

最近では、グリーフキューブを巡る争いが少ないね、とインキュベーターが言っていたのを、暁美ほむらはよく覚えている。

そう、成功だったのだ、ここまでは。美樹さやかの死後、人が変わったように慈善的な魔獣狩りを行うようになった佐倉杏子も胸を撫で下ろしたものだったのだから。

「ウチには大喰らいがいるからなぁ」

緑髪の少女の頭を愛おしそうに撫でながら、杏子は穏やかな笑みを浮かべた。

千歳ゆまは、始めは逝ったさやかの代用品だった。
どこまでも気高く、自らが生まれ育った街を守ろうとしたさやかは、かつて巴マミとコンビを組んでいた杏子の過去を嫌が応にも想起させる存在だった。

故に杏子は、自らの過去の鏡面たるさやかを憎悪し、嫌悪し、排除しようと動いた。たかがルーキー、力で脅せば簡単に屈服すると思い込んで。

しかし、さやかは折れなかった。それはかつての世界で見せた、マミを尊崇するあまりに生じた意固地になった正義感ではない。
自らが歩く屍体になること、魔獣を倒すためだけの機関になり果てるということをも織り込み済みのさやかは、これまでのどの世界での彼女からも想像もできないほどにタフで、気高く、そして美しかった。

話に聞く限りには。

実の所、暁美ほむらはこの時間軸の美樹さやかとは面識がない。彼女がこの世界に登場したのは、ちょうど美樹さやかが円環の理に導かれた直後だったからだ。
どうやら彼女が彼女である以前の彼女はさやかとはかなり懇意の仲だったらしく、魔法少女となったのも涙ながらにさやかの遺志を継ぐことを表明しての事だった、らしい。

事実、ほむらには自分が"今の"暁美ほむらになる以前の記憶はまるで存在しない。まるで名前が同じで中身の異なる二つのファイルを誤って上書きしてしまったかのように。
この世界にかつて存在した暁美ほむらは、眼鏡を掛けてさやかの後ろをいつも付いて歩いていた三つ編みの少女は、完全に消滅してしまっていたのだ。

だからほむらは、この世界のさやかの姿を伝聞でしか知らない。

マミの語る言葉には常に美化が混ざる。
だがそれを差っ引いても、全てを了承し覚悟の上で魔法少女となった美樹さやかは、恐らくほむらの知らない次元の強さを発揮していたのだろう。
大事な戦友を喪った、とさめざめ言っていたキリカの科白からもその信頼度がうかがえる。嘘も虚飾も存在しない彼女の言だから、これは非常に信頼できるソースとなった。

その強く気高い少女を喪って、殆どの時間を敵としてしか過ごせなかった杏子は悲嘆に暮れた。

「やっと、友達になれたと思ったのに……!」

絞り出すかのような声で、そう呻いた。

失意は、とある少女の救出と共同生活にて癒された。
千歳ゆまとの出会い。彼女との生活は、杏子の心を解き解していった。
そして、代用品でしかなかった千歳ゆまを個としてとして受け容れれた時、佐倉杏子は幻覚の魔法を復活させるに至った。

杏子は再び正義の魔法少女として、明るい世界へと舞い戻ったのだった。


終わりは、ある日突然に訪れた。

危険な魔法少女をシステムから弾き出し、魔法少女の世界に秩序を齎そうという試みは最終段階にあった。

その頃のほむらは、先輩としての確かな実力と精神力を兼ね備えた巴マミはもちろん、かつてのわだかまりから口も利かずにいた美国織莉子、呉キリカとも一定の友好関係を築くに至り、佐倉杏子、千歳ゆまとの関係もすこぶる良好だった。
見滝原のチームは、近隣に名を轟かせるほど強固な絆で結ばれた一つの戦闘集団となっていた。

美国織莉子は考案する。危険な魔法少女の排除の手段を。

それはこれまでのような消極姿勢、触らぬ神に祟りなしという理論からの脱却を図った大胆なものだった。つまり、積極的に「悪」を排除する仕組みだ。

やり方自体はシンプル極まる。
一対多数の戦闘へと持ち込み、確実に相手を撃破し、円環の理を発動させるというものだ。
一般的な魔法少女の基本的能力値は横並びであり、どんぐりの背比べ状態にある。
相手がどんなに悪どい遣り方でキューブを溜めこんでいようと、数で圧してしまえば魔翌力の供給をする暇もなくジェムを枯渇させてしまえる。
そうすれば十二分に勝機はあるのだ。

そして、その打ち合わせをする「場」というものをインターネット上にて提供する事が、彼女らには可能だった。

言ってしまえば、これは公然たる集団リンチだ。

よって、場の提供に当っては慎重な審査を要する。世の中善人だらけではない。嘘の情報をばらまいて、気に入らない相手を潰そうという輩も少なからずいる。
よってそれを、本当に相手が悪党で排除するに足る要件を満たしているかどうか、曇りのない視点で監査する人物が必要となる。

美国織莉子は寸暇を惜しんで近隣を動き回り、直接面接を施して監察官を選出した。
織莉子の人を視る目は大したもので、彼女らは全員が公明正大極まった魂を持ち合わせていた。
これにより、少なくとも近隣を支配する悪辣な者たちは駆逐されることになった。

そう、完膚なきまでに。

かつて悪辣であった、一般人を何人も見殺しにし幾多もの魔法少女たちを再起不能にしてきた佐倉杏子が告発されるのに、そうはかからなかったのだ。


自分以外の家族が全員死に絶え、全てにおいて捨て鉢になっていた杏子は「悪辣さ」をまさに体現したような魔法少女だった。
その能力で以て盗みをはたらき、ATMを破砕し、無銭飲食や窃盗は当たり前。
縄張りに立ち入った魔法少女を必要以上に傷めつけ、魔獣が一般人を喰らう様を、何も映さない瞳で眺めていたこともあった。

生きるための必要な犠牲だった、とは言い切れない。現実逃避の為に享楽に浸った時点で、そんな言い訳は通用しなくなった。

魔法少女を再起不能にしたのもまずかった。
誰もがさやかのような回復能力特化型であるわけではない。手足を砕かれ、傷も癒えぬままに命を繋ぐための狩に出るも、その多くが満身創痍での戦いを強いられそのまま散って行った。
一度も出撃できないままに"導かれ"た者もいる。

幾度も佐倉杏子の行いを見てきたほむらは断言できる、彼女の性は善だ。
その本質は、困った人がいればどうしようもなく手を差し伸べ、川で溺れる者がいれば即座に飛び込む様な善人なのだと。

しかし、彼女が行ってきた偽悪の行いは、絶望から目を背けるための延命手段は、仕方がなかったでは利かないほどに罪を重ねてしまっていた。
彼女の手によって潰された風見野の新米魔法少女は累計で14人にも及ぶ。この内その時に受けた傷により満足な戦闘が行えずに死んでいった者は、総計で9人。
監察官たちが杏子を危険人物だと断じるのは、まさに必然の成り行きだったのだ。

佐倉杏子は絶望した。過去の過ちが牙をむき、今の平穏を打ち砕いたことにではない。自分のしでかしてしまった、その罪の大きさにだ。

自らの行為が原因で、9人もの命が失われた。
彼女らは大抵が期待を胸に魔法少女となった、言うなればさやかのような善人たちだった。
しかし彼女らは死んだ。導かれることもなく、魔獣に全身を食い千切られて。生きたまま喰われる痛みにのた打ち回り、家族や友の名を叫びながら。

「死」というものがどれほど悲惨なものなのか、佐倉杏子はじゅうぶんに知っているはずだった。家族が死んだ段階で、骨身に滲みて知っていたはずだった。

しかし彼女は、他者がそれを感じる事に対してはあまりにも無頓着だったのだ。
インターネット上にて為された処刑宣告に、佐倉杏子はただただ呆然とし、瞳を絶望色に染め上げていくことしかできなかった。

ここにおいて、美国織莉子と巴マミの関係にも亀裂が走る。
飽くまでも現実のシステム維持を重視する織莉子は、杏子の処刑を承諾するべきだと主張した。喰いしばった口の端から、無念の血が流れていた。

片や理想主義に偏る巴マミは、杏子の助命嘆願を主張した。

二人の意見は常に平行線だった。

杏子の助命を許せば、せっかく作り上げたシステムが瓦解する。
システムの中枢にいる主宰たち自身がダブルスタンダードを行うのでは、他の魔法少女たちに示しがつかない。
逆にマミは、改心し善行を重ねる杏子は、死ではなくこれからの行為によって贖罪するべきだとした。
あくまでもシステムはシステムに過ぎず、運営には血の通った人間の裁量が必要だとしたのだ。

事態は思わぬ形で収束する――それを収束と呼んで良いものなのかどうか怪しいところではあったのだけれど。

取り敢えず、この一件については落着することとなったのだ、佐倉杏子の死によって。


複数名の魔法少女による襲撃。それはシステムの外側で為された事であり、またシステムによって為された事でもあった。

美国織莉子の創設したシステムは魔法少女の相互扶助を一応の目的としてはいたものの、究極的には魔法少女を管理し統制するためのシステムだと言える。

管理、それは登録と認証によってしか為されない。

織莉子のシステムは、言うなれば魔法少女に魔法少女としての戸籍を与えるようなものだ。
それはかつて杏子によって死に追いやられた者、その友人或いは本人に、かつて自分たちに危害を加えた悪しき者が誰であったのかという事の特定を許す結果となった。

その夜も、杏子はいつもの通り実家――教会のホールで祈りを捧げていた。
さやかが死んで以降欠かすことのなかったこの礼拝は、例の事が明るみになって以来その意味を変えつつあった。

さやかの心の死後の安寧を祈るものから、自らの過ちを懺悔し手に掛けた魔法少女たちの魂の救済を祈るものへ。
そして終いには、それは世界全体の魔法少女たち安寧を願ってのものになった。

その祈りの最中に、襲撃は為された。


ほむらは巴マミからの連絡を受けて教会へと向かった。
そこには既に瞳に色の乗っていない千歳ゆまを抱え怒りを顕にするマミと、白い顔で身体を震わせる織莉子、その肩を支えるキリカが集結していた。

重く大きな扉を開けると、濃い血の匂いがむわっと襲いかかってきた。

血の匂い自体は慣れている。自分のものも他人のものも、繰り返す過程と魔獣との戦いの日々で散々に嗅いできたからだ。

だが今日のこれはあまりにも濃かった。
教会、という閉鎖空間の中で臭気は籠もり鬱積し、吐き気すら催させる強烈なものへと成り果てていた。
あるいはそれが杏子の血、恐らくは死んだ彼女のものであるという事実が、余計ほむらにそう感じさせたのかも知れない。

ぷちっ、という音がした。ブーツの裏で柔らかな"何か"が爆ぜた音。

聖堂奥に祀られる聖母像の真ん前を爆心地として、血と肉と骨とが放射状に飛散していた。

浮世離れしたその凄惨な光景を脳が受け付けようとしないためか、頭のどこかでその散らばった肉がマグロの叩きのようにも思われた。

古く、それでいて荘厳な祭壇の上に見慣れたものが置いてあった。

けれどそれは見慣れた格好をしてはいなかった。

空っぽの眼窩と削ぎ落とされた肉。
頬肉が裂かれているせいで、両方の奥歯が露出してしまっている。それが杏子の頭部だと辛うじて分かったのは、紅く長い髪が未だ残されていたからに過ぎない。

原型を留めていた部位はそこだけだった。あとの部位、四肢も胴体も、全てが刻まれ潰されてミキサーの中身をぶちまけたような有様になっていた。

巴マミは断じ、糾弾した。織莉子はこの襲撃を知っていたのだと、知っていて止めずに杏子が殺されるのを容認したのだと。
怒りと悲しみと、その他の色々な感情がごちゃ混ぜになってわけの分からないことになった瞳で、マミは織莉子を責めた。
客観的に視て、織莉子は本当にこの件については関知していなかったようだったが、織莉子自身は何も言わずに俯いているだけだった。

誰が事を起こしたのかは分からず終いだった。

地域の魔法少女たちは誰もが口を閉じて、何も語ろうとしない。もしかしたら全員が何らかの形で関与し、それが故に口を閉じるしかなかったのかも知れない。
かつての杏子しか知らない者たちにとって、佐倉杏子という魔法少女は「悪」そのものでしかなかったのだから。
これがどんな残酷な形で命を奪われようと、彼女らにしてみればまったく問題のない事だったのだろう。

いずれにせよ、これが決定的な要因となって美国織莉子と巴マミは袂を分かった。

織莉子はL.O.Lを発展させるために、活動をさらに積極的に行った。

マミはL.O.Lに籍は置きつつも不干渉の立場を貫き、地域の魔法少女たちの訓練に当った。
千歳ゆまは巴マミの薫陶を受け、10-20年代最高の魔法少女の一人として名を馳せた。それはまるで狂乱をそのまま行為に当て嵌めたかのような戦いぶりだったと聞く。


そして、暁美ほむらは――。

***


「あーっと……大丈夫、っすか……?」

心配そうに顔を覗き込む少女の姿。物思いに耽っている間に、かなりの時間が過ぎてしまっていたようだった。

「放って置き給えよ。彼女はちょいと人格に問題があるのさ。大方、頭の中だけにいるお友達と話でもしているのさ」

馬鹿にしたもの言いにむっとする。

旧世界についての記憶を持ったほむらと違って、呉キリカはそれが無い。
つまりまどかの存在も、キリカが何度まどかをその手に掛けたのかも、憶えていないのだ。
まどかを否定するという事は、今の魔法少女たちの一般的な末路、絶望をまき散らす化け物となる事もなく"導かれる"という次善の終わり方をも否定するという事だ。
現在において尚も存続しているキリカにしても、いずれは"導かれる"運命にある――途中で戦死しない限りは。

故にほむらにとって、キリカの今の一言は白痴の戯言に過ぎないものではある。

しかし、それでも、彼女の最高の親友の存在が否定されるのは、やはりあまり心地の良いものでもない。

「てっきり死んだと思っていたのだけれど、あの女の後を追って。それをする度胸がなかったのかしら」

「ところが、こちらにはそうそうくたばるわけにはいかない理由があるのさ。それを成就するまでは、私は織莉子の元へと還るわけにはいかないんだよ」

胸に溜まった毒を吐くと、不敵な笑みで返された。

どうやらこの旧知の女は、最愛の友――彼女にとっては妻か夫をも兼ねる存在の想いを受けて今を生きることを選んだらしい。
腹の立つ事実だが、客観的な視点に立てばほむらとキリカの立ち位置は殆ど一緒なようだ。

「あのー……ところで、あんた方はナニモンで……?魔法、少女……少女?ってことは分かるんスけど、この辺りでは見ない顔だし……」

おずおずと、赤髪の少女が訊いてきた。結界内部で倒れ伏していた彼女はてっきり一般人だと思っていたが、どうやら現地在住の魔法少女の一人であるらしい。

「私は――」

「私の名は呉キリカ。データベースを照会すれば、私が何者なのか、はすぐに分かると思うよ」

発言しようとして遮られるのは気分の良いものではない。それが、つい今しがたまどかの存在を否定した者であるなら、尚更。

自慢の髪を払い、踵を返して立ち去ろうとする。

ほむらの存在は、いつどこであっても歓迎されることがない。
美国織莉子のシステムからはみ出したアナーキスト、と言うのが現状の――否、あの日からずっと続く暁美ほむらの暫定的で永続的なスタンスだった。
もちろん、今のこの行動にキリカへの幼稚な反抗心が含まれているのだという事については、彼女自身自覚していることではあったのだけど。

まぁ、待ちなよ、と背中から制するキリカの声。あの時と何らも変わっていない、少年じみたものだった。

「キミの目的は分かっているよ。だってアレは、私の立てたスレッドなんだからね」

思わず振り返って、その顔を睨め付けた。そのほむらの応対に、キリカが肩を竦めて苦笑する。

「冗談やガセネタじゃない。私は知っているんだよ、アレが何時何処に出現するのかを、ね」

視線に込める感情を、さらに強くする。
なぜ、この黒い魔法少女はアレ――アポカリプティック・ビーストが顕現する事を知っているのか。
もはや未来を予知できるあの女は、美国織莉子はこの世にいないというのに。


「ま、こんなきったない路地でいつまでも立ち話もつまんないからね。もしキミに私の話を聞く能があるっていうんなら、A-2-21区画のモアっていうバーに来てくれ。
 時間は2130(ニィヒトサンマル)だ。そこで"なんで"と"どうしたいか"について話すよ」

モア(=more)。もっと酒を飲んでもっと銭を落とせという意味合いだろうか。だとしたら、随分と世俗的なものだと思う。

あぁっ、と声がした。少女の声。結界に倒れていた赤毛の彼女のものだ。

「呉キリカ……呉キリカ!もしかして、最上級監察官!?まさか、うぇえ……!?」

「……最上級監察官?」

怪訝な顔でキリカを見据える。いつもL.O.Lのサイトを利用しているほむらではあったが、その内部の権力関係、組織図については明るくない。
それは、織莉子がシステム構築にあたって大きな遊び、ゆとりを残して置いたせいに他ならない。
英文章のように覊束的なものではなく、日本語のような「人間の裁量する予知の大きい」システム。

巴マミの嫌った、そしてインキュベーターたちが作るコンクリートで固めたような硬直的システムでは、人間はやっていけない。
その人とシステムの齟齬が、革命的な、つまりは既存のシステムを打倒し新たなる権力体系を作ろうとする運動を加速させ、ついにはそれを実現させてしまう。
それを防ぐために、美国織莉子はシステムと組織運営に大きな遊びの余地を残しておいたのだ。

たとえどんなに良く出来たシステムだろうと、それが硬直的なものであるならばすぐさま時代に取り残され、いずれは骨董品以下の用も為さない代物へと成り果ててしまうだろう。

「大昔に織莉子がくれたのさ。一応、L.O.Lのなかでは最高の権力を持った役職だね。水戸黄門の印籠みたいなもんだと考えてくれればいいよ。
 あまり大きな責任は持ちたくないんだけど?これからの貴方には必要な職権だって言ってね」

キリカは苦笑いを浮かべている。
その最上級監察官とやらが何人程度いるのかは把握してはいないしするつもりもなかったが、呉キリカはこの膨れ上がった組織の中でもそれなりに大きな発言権を持っているようだ。

「役には立っているよ。少なくとも、現地の魔法少女らから一定の信頼を受けられる程度にね。
 これがあるから、私はアレが出るたびに迅速に住民を避難させることが出来るんだから」

「はぁ……?」

各国の災害対策能力の向上が、アポカリプティック・ビーストによる人的被害を最低限に抑えているのではないのか。

「まさか!地形的に常に災害の事を念頭に置かないとまずい日本と違って、ほかの国々はあんまりそれについて気にしないからね。
 敵わないと見たら、さっさと統治局に働きかけて最も良い場所へ住民を避難させるんだ。でなかったら、アレは人ごと街を呑み込んで辺り一面を真っ平らにしてしまうだろう。
 もちろん、倒せるんならそれに越したことはないんだけれど、私を含む一般魔法少女の力じゃアレを倒すことは出来ないから、ね」

残念だけど、私の人並みしかない魔翌力キャパシティじゃ、アレを削り切れずに"連れて行かれ"てしまうんだよ、とごちてキリカは口を閉じた。

各々の技量は実戦で磨くことは出来るが、一度に使える魔翌力の量はその素養にて決定され生涯変わることはない。
ソウルジェムの魔翌力キャパシティ以上の一撃を、魔法少女は放つことができないのだ。

水槽の水の扱い方は工夫できるが、たとえひっくり返してみても水槽の容積以上の水を扱うことは出来ない。
魔翌力キャパシティとは、一度に使える魔翌力の量を規定するものであり、またジェム内部の魔翌力総量を規定するものでもある。

幾星霜の夜を越えその技量は臨界点を迎えていたとしても、一般の魔法少女たちと大差ない呉キリカの魔翌力キャパシティでは、たとえ全ての魔翌力を用いた自爆攻撃をしたとしてもアレを撃破するには至らないということらしい。
当然全てを使い切れば、彼女はその場で"導かれ"る運びとなる。

たとえそれで撃退できるとしても、美国織莉子から何事かの言伝を仰せつかっているキリカは、それを絶対にやろうとはしないだろう。

「つまり、貴女があの書き込みをしたのは……」

私をおびきだし、アポカリプティック・ビーストに抗し得る戦力として招聘するためだったのか。

そう言おうとして、呉キリカが手で制する。

「それも含めて、バーで説明するよ。まさか、永世に渡って魔獣狩りを続ける"暁美ほむら"ともあろう者が、怖気づいて欠席をする筈がないよねぇ……?」

くだらない挑発だ、とほむらは思った。

相手が挑発をしてくるのは、こちらに対して何らかの行為を要望しているときだ。
それを為させるに足る取引材料が存在しないために、相手の心象に訴えかけて動かすしかない。冷静な頭で考えれば悪手とも言えるやり口だ。
してほしい行為の特定を許し、取引材料の有無を露見させてしまう。今回のキリカの物言いにしても、要は暁美ほむらにバーに来てもらいたいだけなのだ。

問題は、恐らくはキリカがほむらの知りたがっている事すべてに答えられる、という事だ。
つまり、きっちりと取引材料が用意されている。
物言いは完全な挑発でその言い方はガキそのものだが、少なくとも交渉のための位置には立っている。

実際の所、この時点で既にキリカの発言は挑発には当たらないのだが、頭に血の行ったほむらはそれに気付かない。

ふ、と周囲に気取られない程度に溜息を吐いて、暁美ほむらは踵を返す。
とかく顔を合わせたくない相手ではあるが、アポカリプティック・ビーストの情報を得るためには誘いに乗るしかない。

腹立たしいが、それはどうすることも出来ない事実だった。

以上で本日の投下は終了。

紛らわしいタイトルで申し訳ない。
小ジャンプでぴょんぴょん飛び跳ねながら撃ち合いするACは出て来ません。
悪しからず。

乙です

乙 saga忘れているようだけど良いのかな?

乙!

じゃあファンタズマみたいなのもないのか

乙。
これは一風変わってるな。完結まで期待してる。

>>1はAC知ってるじゃん。しかも旧世代のww


ゆまも今は生きてないのかな……。

sagaは入れて欲しい。入れないと魔力が魔翌力になっちゃうから。

面白いし、かっこいい
期待

水槽の件でスレイヤーズ思い出した
いいねぇ、やっぱり期待通りだ乙

これより今年最後の投下を開始します。
今回、少々カップリング要素が強いため、あらかじめの投下アナウンスにて報告させていただきます。

具体的にはほむ杏。
では。


d.

モアはとても小さなバーだった。
レストランもやっているそこは喫茶店を改装した風のもので、間取りもそれに近く、こそこそ話をするのに適した場所もちらほらと見受けられる。

美国織莉子と巴マミが喫茶店でサイト運営について激論を交わしていた太古の記憶が呼び起されて、ほむらは少しばかり自分の感情が昂ぶるのを感じた。

かぶりを振ってそれを打ち消す。ずっと昔のあの事で、今更心を揺さぶられてどうするというのだ。もはや当事者は自分と呉キリカしか残っていないというのに。

黒いスーツでぴっちりと極めた店員に導かれるままに席へと移動する。

店内には他に客はおらず、ボサノバ風にアレンジされたポップソングがスピーカーから滲み出ている。

それがほむらの身体を包み込むと、すぅ、と昂ぶった心が鎮められていく。
鉄が冷めるような自然さで、ほむらの心は平常へと戻った。

そのまま店の最奥、ほとんど四方が壁で囲まれた4人掛けの席へと至る。
いかにも若者風といったファッショナブルな出で立ちの彼女が、かちゃかちゃと銀の食器を両手に食事を摂っている。

半袖ワイシャツの上に黒いタンクトップのチョッキ、そこネクタイを緩く締め、

「来たかい。暁美ほむら」

でかい肉の塊を器用そうな指つきでカットしながら、呉キリカが言った。

驚くべきことに、キリカがうまそうに口へと運ぶそれは牛肉だった。
北米大陸と豪州の地下水が枯渇して以降、大規模な食肉畜産はほとんど行われていない。ごく少数の酪農家が、一部の富裕層向けに細々と生産を続けるのみだ。
今や食肉業界のスタンダードは、海の巨獣、鯨なのだ。

「珍しいものを食べているのね。そういう見栄は張らないほうが良いんじゃないかしら?」

見栄だとしたら酷く無理をしているものだと、暁美ほむらは思った。

とかく牛肉は値が張る。豚や鳥はさほどでもないが、それでも一般家庭ではそうそう口に出来る代物ではない。
4足の獣を食すという行為は、もはや一種のステータスにまでなっている。

「いや、残念ながら金なら腐るほどあるんだよ、これがね」

一口大にカットされた肉の一つを飲み込んで、口をナプキンで拭いながらキリカが涼しい顔で答えた。
ナイフを置いて、恐らくはレモンの香り付けがなされているだろうスパークリング・ウォーターへと手を伸ばす。

「ずっと生きていると、いろいろとやってみたくなるものでね。
 まぁ、完全に正規の方法とは言えないけれど?一応は、後ろ指を指されないやり方でそれなりに巧い事やってるよ」

「本当は……?」

疑いの視線を投げる。


長年生きているせいでとうの昔に戸籍が消滅した暁美ほむらは、ありていに言ってしまえばあまり金がない。
無国籍自由人と言えば聞こえは良いが、現在においては何をするにも個人認証が必要とされる。
ある個人が、彼ないし彼女自身であるという事を証明できない限り、その人物はコンビニでガムすらも買えないのだ。
戸籍もなく静脈登録も行っていないほむらは、厳密に言えばこの世界には存在しないものとして看做される。

呉キリカとて、それは同様の筈だ。

アダルトサイトを複数運営することでようやく糊口を凌いでいるほむらの身としては、どうしてこうまでも生活水準に差が生じているのか訊き出す必要があった。

「いやいや、本当さ。織莉子の遺言だもの。人倫の道に背くような真似はできない。それに反することは天地新明に――いや織莉子に誓って、あり得ない事だ」


ごくり、と喉を鳴らす音がした。

ほむらのものではない。その背後の、やや下方から発せられたそれは、先ほどキリカが助けた少女の口腔の奥から生じたものだった。

それに気付かずにさらにキリカを問い質そうとするほむらを押し退けて、赤毛の少女が大声を発した。

「すっげぇ!それモノホンのビーフ!?あたし、初めて見た!」

少年のような甲高い声は、半ば個室状態になった店の一角に反響しほむらの耳を鳴らした。

キリカは眉間に皺を寄せ、ほむらを見た。なんでコイツがいる、という意思がありありと見て取れた。

「彼女、呉キリカ最上級監察官"殿"とのコネをつくっておきたいそうよ」

「やだなぁ、そんな下世話な目的じゃありませんって!あたしはただ、その強さの秘訣……みたいなのを知りたいだけっすよ!」

大げさな溜息を吐き、次いでキリカは赤毛の少女に目を向ける。
射抜くような眼差しだった。

「すまないが、今日は帰ってくれないか。これは、ごくごくプライベートな会談なんだ。
 それも、部外者には聞かれたくないほどのね。明日の日中にでも連絡をくれれば、その時に話をしてあげるよ」

有無を言わさぬ口調。それと視線とのコンビネーションは、ほむらが背筋に冷たいものを感じるほどの威圧感だった。

馬鹿な、と思った。最も多くの修羅場をくぐって来た自分が、これほどの恐怖を感じる筈がない。

だがほむらは、すぐにその考えを改める。
ループしていた時間を勘定に入れなければ、キリカはこの世界に現存する最古の魔法少女だ。
この世界でのキャリアの差はたかだか数週間でしかないが、それでも古いものは古い。
恐らく、彼女――呉キリカは、火力・実力の面で魔法少女最強と言える暁美ほむらに唯一対抗しうる存在だろう。

火力それ自体は、魔法少女同士の戦いでそこまでの意味を持たない。となれば、あとは互いの魔力特性と実戦経験を活かした技量面での戦いとなる。
もっとも、気に入らないとはいえ旧知の仲とドンパチしたがるほどには、ほむらは戦闘狂ではなかった。

「そこをどーにか!」

しかし、両の手を勢いよく合わせて嘆願するこの少女には、そのほむらすらも怯ませるキリカの威圧が通用しなかったようだ。
胆が異常に太いのか、単純馬鹿なだけか。どちらにせよ只者ではない。

キリカはしばらく睨めていた目を緩め、再び溜息を吐く。大げさ、というよりも本心からの、まるで肺の空気が全て抜けるかのような脱力したものだった。

「ほむら、話そうと思っていた"プライベート"な話は明日で良いかい?何で、どうしたいか、については今からでも話せるけれど」

ほむらは黙って頷く。彼女にしてもそれほど突っ込んだ内容の話は求めていない。なによりもそちらの方が、顔を合わせる時間が少なくて済むからだ。

***

予言書。それはアポカリプティック・ビーストの顕現を予見する、美国織莉子の最後の遺物だった。

「ずっとずっと書き溜めていたものを私が継承した、というわけだよ」

美国織莉子の魔法は、未来予知だった。

曰く、「時間」とは「いま」の積層と定義される。ボール紙のように連なった「いま」という薄壁の連なりが、「時間」という総体を為しているのだと。

織莉子の能力はその積層物に穴を穿ち、その先に在る薄壁の何枚かを覗き見するものだ。
魔力消費量と比例して精度を増し、より遠くの未来を見通すことが出来るその魔法を、ほむらは散々に出歯亀と揶揄したものだった。

それが今こうして巨大な魔獣の出現を知らしめているのだから、これは大いなる皮肉だ。

また、基本的に織莉子の視た未来像は他のメディアに書き写すことが出来ない。
魔力の産物たるそのビジョンはソウルジェム内にのみ保存が可能な代物で、彼女の存命中にそれを他のハードに移すことは出来ず終いだった。

織莉子は死の間際にこれをキリカのジェムに継承させ、キリカは長年をかけ電子媒体に手動でまとめあげた。

データ量にして数十ギガバイトに達するそれはテキストオンリーで、図表は一切含まれていない。これは驚異的な量だと言えた。

「なぜ一般公開をしないの?L.O.Lが組織だって動けば、打倒は無理でも近隣住民を避難させることくらいは可能でしょうに。
 どうしてわざわざ、貴女は流言飛語を飛ばす形でそれを書き込んだのかしら?
 なによりも、そういった"システム"による魔法少女の統治こそが、美国織莉子の悲願ではなかったかしら?」

ほむらのもっともな疑問に、キリカは瞳を悲しみで翳らせた。

「途中で考えが変わった、と言うべきかな。"あんな事"があって、強力すぎる統制プログラムは魔法少女の悲劇を一層助長するだけだと思ったんだよ、織莉子は」

だから、と言ってキリカは説明した。

L.O.Lは魔法少女を指揮しない。
世界中に散らばる異能集団たる魔法少女を一手に束ねるL.O.Lは、ほむらが考える以上に強大な存在たりえる。
もしもそれが独自の指揮権を持てるようになれば、それは魔法少女による社会秩序への反逆すらも可能としかねない。
"法の光"協会は、飽くまでも中立の立場から魔法少女の動向を監査する、司法機関的な役割に専心しなければならない――というのが美国織莉子の最終回答だった、らしい。

「だから、これは私のごくごく個人的な活動なんだよ。織莉子っていう、私にとって一番の人の最後の頼みを実行するっていうね。
 普通だったら現地の子たちと協力する程度だけど、今度はいかんせん東京だからね、さすがに全住民を避難させるわけにいかないし。
 それで、唯一"アレ"に対抗しうる魔力キャパシティを持つキミを誘い出したってわけさ、お察しの通りにね」

これで疑問の一つは解けた。キリカがアポカリプティック・ビーストの襲来を告知できたのは美国織莉子の遺産の賜物だったわけだ。

「それで、貴女はどうしたいのかしら?」

言わなくとも、答えは分かりきっている。

「キミと協力して、アポカリプティック・ビーストを"撃破"したい。報酬は、全世界で通用する正式な戸籍情報だ。
 残念ながらグリーフキューブは渡せない。私にとっても、それはとても貴重なものだからね」

報酬はそれで良かった、というよりはそれこそが暁美ほむらの欲するものだった。
銃撃を主体とする戦闘法を用いるほむらにとってみれば、魔力は節約次第でどうとでもなるものだ。
反面、その他の方面に関してはとことん疎く、どうにかこうにか社会の隙間を縫って生きているのが現状だ。アングラ街道まっしぐらと言える。

不器用なのだ、と暁美ほむらは自身をそう分析する。

だから尋ねた。

「それで構わないわ。私も、貴女に無理難題をふっかけるつもりはない。ただ、もう幾つか答えて欲しいことがある」

「まあ、答えられる範囲だったらね」

ほむらは身を乗り出す。

「まず一つ。貴女、どうやって生計を立てているの?」

それが一番訊きたいことだった。どういうルートを用いているのかは分からないが、彼女が偽の身分証を用意できるような地位にいるというのは察した。

しかし今のご時世、勤労なしには生活できない。
一般人には到底手の届かないほどに高級な"四脚の肉"をぱくつけるほどの資金を、いったいキリカがどうやって得ているのか。


答えは簡単に返ってきた。

「色々さ。本を書いたり、ドラマや映画の脚本を書いたり、基本は文筆業で稼いでる、今はね。
 一つ一つは大したもんじゃないけれど、いくつもの名義で年に何冊か書いてるよ。
 その中に、少しずつ織莉子のメッセージや考え方を仕込んで、彼女の生きた足跡を残してるんだ」

「"今は"って?」

「うん、大体不自然のない時期を見計らって死を偽装したり、狂ったふりをして引退してる。そうやって幾つもの職を転々としてきたんだ。
 大体は高給取りで、顔を見せない仕事を選ぶけどね。そこで貯め込んだお金があれば、しばらく勉強して他の職に移る事は十分に可能なのさ」

幾星霜の年月を生きる魔法少女にそういった芸当が出来るというのは、ほむらにとっては素直な驚きだった。

異能の存在たる魔法少女は、一般の人々が生きる"世間"から隔絶された世界でひっそりと生きるしかないと思っていたのに。
そう思っていたからこそ、日の当たる場所は避け、裏側から人々を守り魔獣を倒す存在として生きてきたのに。

目から鱗が落ちる思いだった。

「貴女にそんな器用な生き方が出来るなんて、驚きの事実ね」

「時間だけはたっぷりあったからね。どんなにひどいぶきっちょだって、それくらいは出来るさ」

言葉のドッジボールをして、次の質問。

「どうして、私が存在し続けていると分かったの?そして何故、私の報酬は"戸籍"で良いと思ったの?
 私は、完全に貴女達の管理の外側にいるはず。存在を関知できるはずがないわ」

「簡単だよ、私だって伊達に長く生きてるわけじゃない。大昔から今に至るまでに、ずっと共通しておんなじパターンでプログラム構築してるやつがいたのさ。
 それを知ったのはごくごく最近で、それも全くの偶然だったのだけどね。
 それは私たちのL.O.Lの初期型ウェブページの造りと、あまりにもそっくりだったんだ。
 ああ、これは暁美ほむらだって思ってね、それと似た形式のファイルをしらみつぶしに探して、ようやくたどり着いたのが一月前のことさ。
 てっきり導かれてしまっていたものだと思っていたからね、すっごく驚いたよ」

黄金時代、暁美ほむらはL.O.L.のサイトを立ち上げた張本人だった。
というのも、彼女以外には一からサイトを立ち上げ、厳重なセキュリティを課した監査室――"悪い"魔法処女が真に悪なのかどうかを審議するネットワーク上の場を構築することが出来なかったからだ。
世代を越え、徐々にL.O.Lが巨大になっていくにつれ多数の人の手が加わり、今やそれは残滓すらも残してはいないのだが。

その、もはや忘却の彼方にまで置き去られたシステム構造を、呉キリカは覚えていた。

ほむらは、ほんの少し嬉しいと、そう思ってしまった自分に腹立たしさを感じた。


「生存が確認できれば、あとは話が早い。上位監察官専用の連絡回線で人相書きを配布して見つけ出し、特に隠密活動に長けた連中にそれとなく見張らせた。
 そしたら、なんと食料雑貨エトセトラに安物しか使っていないというじゃないか。
 それも、その場限りの簡易アカウントなんていう社会的には最も信用ならない身分証を使っての買い物だ。
 キミが昔っから、"品質の良いものを末永く使う"タイプだってのは知っていたからね。これはもう、にっちもさっちもいかない生活状況なんだな、と勘付いたってわけさ」

「尾行させたの?そんな気配は全くしなかったわ、私の警戒をかいくぐってそんなことを出来る娘がいるとは思えない」

少なくとも、こと戦闘に関して言えば暁美ほむらには絶対の自信がある。
周囲の状況把握、銃撃による直接的戦闘、まどかから受け継いだ翼・弓による重爆撃、その他様々な点において、ほむらは誰にも負けないと自負していた。
それほどまでに、彼女は戦い続けていたのだから。

しかし、

「あまり自惚れちゃいけないよ?上級監察官になる条件は、魔法少女として60年以上のキャリアを積み、一定数以上の例外個体<イレギュラー>を撃破すること。
 私やキミには遠く及ばないとはいえ、誰もが優れた能力の持ち主なんだから。
 実際、遠距離からの"偵察"という一点に的を絞れば、私やキミのレーダーを掻い潜って動く事自体はかなり容易なんだ。
 それはもちろん、私やキミもやろうと思えば同様の事が出来るって意味でもあるんだけど」

信じられないことだった。長年、自らを研ぎ澄ましひたすら魔獣と戦ってきた自分が、たかだか60年程度のルーキーに出しぬかれるなどと。

だがそれは事実なのだろう、とほむらは即座に認識を改める。認めたくない事だが、近年の魔法少女たちの魔法技術は恐るべきものなのだ。
それは、世代を超えて培われてきたL.O.L所属魔法少女たちの練磨の賜物であり、また美国織莉子が目指した魔法少女コミュニティーの在るべき姿でもあった。

美国織莉子はかつてこう語った――全てを救うことなどできない。けれど、皆が手を伸ばし、互いにそれを取り合えば、皆が皆でカバーし合える領域は格段に広くなる。

彼女の理想は盤石なるシステムによって適正に運用され、彼女の想いはかつての相方によって世界に拡散されている。

彼女の残滓は世界に留まり、もはや世界と共に在ると言っても差支えないのだろう。
その意味では、美国織莉子という人物は"あの娘"と、暁美ほむらにとっての"最高の友達"と、極めて近い位置にいるのかもしれない。

――かつて存在し、そして今もなお世界に足跡を残し続ける彼女は。

「あの~……すいません。"最上級監督官殿"は"協会"の発足当時からの面子だっていうのは知っているんスけど……
 そちらの方は?初期型ホームページがどうとか、なんだかずっと古くからの知り合いみたいな話ぶりなんですけど……」

ずっと要領を得ない顔をし、黙って話を聞いていた少女がとうとう発言した。

それはあって当然の疑問だろう。

呉キリカの、というよりは最上級監察官の威光は世界中に響いているらしいが、L.O.L.が管理するシステムの外にいるほむらは言うなれば"モグリ"の魔法少女だ。
魔法少女の一般常識としてはそういった存在は存在しないという事になっている。
それがために、暁美ほむらは現状世界の何処へ行っても曲者扱いされるさだめにある。

いかなる社会<Society>でも、そこからはみ出した者は村八分にあうしかない。


「ああ、彼女は……言ってしまっても良いかい、ほむら?」

一瞬の逡巡。美国織莉子のシステム外にいる自分を、キリカがどう評するのか。

しかし目配せにて肯定する。一体どんな言葉がその口から飛び出してくるかはわからないが、協力を要求した相手に対してそうそう粗忽な態度は取らないだろう。

ほむらはスパークリング・ウォーターを飲んで気取って見せた。

そんなほむらの期待を盛大に裏切る説明が、キリカによって為される。

「彼女は、私の友達さ。L.O.Lの創立当初からの、ね。なんてったって、L.O.L.の一番最初のサイトは彼女の作なんだからね!私の、誇らしい友人だよ!」

ぶふぅっ、と口に含んだ炭酸水を噴き出してキリカの顔にぶちまけた。

「うわぁ!ばっちぃじゃないか暁美ほむら!」

びしょびしょになった顔をナプキンでぬぐうキリカの、当然の抗議をスルーしてほむらが言う。

「友達?貴女が、私と?冗談でしょう?」

ほむらのアミラーゼが含まれたスパークリング・ウォーターで、びしょびしょになった顔を拭きつつキリカが言った。とても、はっきりとした口調だった。

「いや、友達だよ。少なくとも、かつては友達だった。そして、特段喧嘩をしたわけでもなく痴情のもつれもない。関係はまだ続いてるだろう?だから友達さ」

目を丸くして、少女が言う。

「すっげぇ!じゃぁ滅法強いんじゃん!?」

「うん、今この世界で一番力の強い魔法少女だろうね。
 なによりも魔翌力の桁が違う。彼女が本気でL.O.Lを潰そうと思ったら、きっとそれを阻むには多大な犠牲が払われることになるだろう。
 もちろん、私もその勘定には含まれている。まぁ、敢えて秩序をどーたらしようという意思はないだろうから、そこんとこは気にしなくても良いだろうけどね」

キリカの言う通りで、ほむらにその気はない。

曲がりながりにも、現在の魔法少女社会には秩序があり、一定の平穏がある。
そこを崩すのは大いなる混沌と幾多の悲劇を生むことになるだろうし、当然のことながらほむらの一番の友達――鹿目まどかはそんな事を望んだりはしないだろうから。

だが、

「褒めたところを悪いのだけれど、私は貴女の友達などではない。――そう、志を同じくする同志、といったところかしら。
 飽くまでも、アレを倒すために利害の一致した同志に過ぎないわ」

「寂しい事を言ってくれるね、ほむら。私はキミの事を、ずっと友達だと思ってたってのに」

キリカは困り眉になった。

「あれだけ和気あいあいとくっちゃべったりなんだりしたっていうのに、キミも随分と薄情になったもんだね」


私は、とほむらは言った。

「貴女と、美国織莉子を、友達だと思ったことは一度もないわ、無いのよ。ただその方が都合が良いと考えたから、友達のように接しただけ。ただ、それだけのことよ」

「ふぅん、まぁ、キミがそう思ってるんならキミの中ではそうなんだろうな」

炭酸水を拭き終え、ようやく取り澄ました顔を再構築できるようになったキリカが言う。

「だがね、キミが何と言おうがほざこうが、私たちにとってキミは、暁美ほむらという魔法少女はね。確かに友達だったんだよ。
 そして今も、少なくとも私の方ではキミのことをまだ友達だと思っている。忘れないでいてもらいたいな」

不快だ、そう言わんばかりにほむらは席を立つ。荒々しく動いたせいで、木製の椅子が床と擦れて甲高い悲鳴が上がった。

「すでにキミの居場所は把握済みだ。そこに、アレの出現する場所、移動ルート、その他様々な詳細データを送付しよう。そして、私がキミを招いた本当の理由も、ね」

暁美ほむらは歩みを止めない。徐々に小さくなりゆくキリカの言葉を背中で聞く。赤毛の少女は取り残されたようにあたふたとしていた。

「キミではアレを倒すことはできない。魔獣という存在のなりたちと、キミの魔力の性質上、これは揺らがないことだ」

暁美ほむらはその言葉を無視した。ずっと今まで魔獣を狩ってきて、負けるようなことはおろか窮地に陥ることすらなかったのだ。

そんなこと、あり得る筈がない。

だからきっと、キリカのセリフは嘘っぱちだ。


店の扉に手を掛ける。

「でなかったら、私はキミと直接コンタクトをとろうだなんて考えなかったさ。キミが"私たちを恨んで"いるのは、重々承知していることだからね」

 何も言わず、ほむらはmoreを出た。

***

ホテルへの道すがら、ぽつぽつと雨音が響いたかと思うと、それはたちまち勢いを増して水のカーテンになった。
ゲリラ豪雨だ。今や亜熱帯さながらの気候な東京では、上昇気流のあおりを受けて時折こういった集中豪雨が発生することがある。

この雨はほむらにとって僥倖そのものだった。頭のてっぺんからつま先までをもくまなく濡らすこの雨は、止め処なく溢れる涙を流し打ち消してくれる。

ほむらは泣いていた。杏子を想って、泣いていた。

幾度となく葛藤した。自分は、まどかのことを愛しているはずなのに、なぜこうも杏子の笑顔が頭にちらつくのだろうか、と。

何度も何度も反問した。自分にとって、佐倉杏子とは一体何なのかと。

頼れる戦友、それはもちろんだ。同士、友達、仲間、全て正解だ。だがほむらが欲したのはそんな関係ではなかった。

彼女の笑顔が胸を高鳴らせた。言葉が、菓子をつまむ指の先が、汗ばんだうなじが、どうしようもなくほむらを惹き付けた。

いったいこの感情はなんだ。

自分は、杏子とどう在りたいというのだ。

自分にはまどかという最高の友達が、親友がいるというのに、なぜこうも彼女に心惹かれてしまうのか。

ほむらは自問自答を繰り返した。

そしてそれに対する最適解を導き出した時、既に杏子はこの世の人ではなくなってしまっていた。

ぐちゃぐちゃになった杏子の遺骸を前にして、ほむらの心はひどく空虚だった。喪失感、まるでナイフで深々と抉られたかのようなクレバスが、ほむらの内に出来上がった。

――ああ、そうだ。私は、杏子がすきだった。本当なら男の人に抱くべき感情と同じものを、私は杏子に向けていたんだ。
散々揶揄したあの二人の関係を笑えないわね。もう、素直になろう。私は、杏子がすき。だいすき。もう、友達ではいられないの。
ねぇ、眼を開けて、私の想いを聞いてちょうだい。気持ち悪がっても良いから、とにかく、私の想いを知ってほしいの。
だから、ね?お願い、杏子。眼を、あけて――。

どんなに語りかけたところで、佐倉杏子のからっぽになった頭蓋骨は何も応えなかった。応えられるはずがない、佐倉杏子は死んだのだから。

生きながら身体を刻まれ、潰され、円環の理に導かれる事すら許されず、かつての彼女自身の家で赤黒い染みになった。これ以上ないくらい確実に、佐倉杏子は死んでいた。

そしてそんな惨たらしい死が齎される引き鉄となったのは、美国織莉子の構築したシステムだった。

ほむらは美国織莉子を憎んだ、呉キリカを恨んだ。

たとえ死の直接の原因が杏子自身によるものであろうと、ああまで悲惨な死が、あの杏子に、清らかで信仰心に溢れた彼女に、与えられて良いはずがない。
織莉子のシステムが、織莉子が、彼女を死に追いやったのだ。それは絶対に、許されざることだった。

 仲間たちの傍には、もうおられなかった。見滝原には、もういられなかった。嫌でも思い出してしまうからだ、あの大事な人たちのことを。










    まどか。










    杏子。

 
 
 
 
 
 
 


彼女らが喪われたあの地は、ほむらが居続けるにはあまりにも居た堪れなかった。

ほむらは当て処なく世界を放浪した。そうすることで、少しは気が晴れるかもしれないと思ったからだ。


だが駄目だった。


先進国と発展途上国との格差が生む貧困、部族間対立に端を発する少数民族虐殺劇、領土の境界線を巡る軍事紛争、独裁政権下の弾圧。

世界は悲劇に満ち満ちていた。

そしてそんな悲劇、世界の現実をまざまざと見せつけられるにつけ、ほむらの心は沈んでいった。さながら、踏みつけられ泥濘に沈みゆく金貨のように。

ひどく歪で、醜悪で、救いようのない世界だけがそこにあった。まどかが救ったのは、杏子が祈りを捧げたのは、こんな世界だと言うのか。

注意書きありがとう
おかげで地雷踏まずに済んだ









"こんな"世界。

 
 
 
 
 
 
 


いや違う、世界は悲劇に満ちている。だけれども、少なくとも悲劇と同じくらいには、世界には幸福が満ちていてるはずだ。いや、きっとそうだ。そうに違いない。

けれど結局、ほむらはそれを見出すことが出来ずにいる。

どこに行っても、世界は悲劇だったのだ。

そのうちにほむらは考えることに疲れ、見出すことに疲れ。次第に自らを、魔獣を倒すためだけの機関と化していった。

まどかが救った世界を、杏子が祈りを捧げた世界を、ただ守るための機関として。

美国織莉子が殺されたと聞いたときは、少しだけ気が晴れた気がした。
彼女のせいで杏子が死んだのだというのはほむらにとって覆りようのない事実であり、それが転じていつの間にか、ほむらの中に美国織莉子と言う存在は即ち悪であるとの認識が出来上がってしまっていたのだ。

そう、あの女はいつかの時間軸でもまどかを殺してのけたではないか。あいつは自分がやりたい事を実現するためなら、どんな犠牲だって簡単に払ってのけるのだ。

あの女は、美国織莉子は、悪だ。
たとえあいつの作ったシステムがどれだけ多くの魔法少女を救っていたとしても、あの女がどうしようもなく悪であることに何らの変わりはない。

この雨はほむらにとっては僥倖そのものだった。頭のてっぺんからつま先までをもくまなく濡らすこの雨は、止め処なく溢れる涙を流し打ち消してくれる。



けれど。

けれどこの、全てを洗い流すような豪雨でさえ、ほむらの心だけは洗い流すことは出来なかった。

以上、本日の投下でした。

sagaは……入れようと思っても投下する時に気が急いてつい忘れがちになってしまうので、以後気を付けます……



まさかのほむあんだったのか、作風相応っちゃそうだけど

ほんあんはいいよね

誰も触れないけどベエさんは一体どうなったんだ

乙乙。
ほむらの今の外見の描写が欲しいな。

続きに期待。


ほむあん注意書きサンクス
来年も期待してる


「美国織莉子が殺された」という表現は、戦死や導かれたわけじゃないと思ってよいのかな

注意書きは最初にして欲しかった
途中まで期待して読んでたのに

もんくいうまえにそっとじしとけよ


あれから10年と赤いリボンに次ぐ50年後くらい?の改変後SSとして期待
個人的な受け取り方ですが

>>62
そういう宗教気違いみたいな事言うのやめたほうがいいよ^^

なんか怖い人がいる

所でサラッと凄いこと書いてあるが、ほむほむの収入源にだれもツッコまないのは何故なんだぜ?

アダルトサイトの経営と女神は断じて違う
ヒキコモRe:と絵師くらい違う

ヒキコモとかなにそのレベル1くらいの懐かしさ

ワンクリ詐欺まがいのアフィリエイト収入か

まだか

 









美国織莉子――世界最高の魔法少女。
それが現在の、全世界の全魔法少女たちの共通認識だった。








 

 
革命、なるものは絶対的な「悪」があって初めて成り立つ代物と言える。
その「悪」が、実際に悪逆非道であるかどうかはそれほど問題ではない。
為政者、彼/彼女がどんなに善政を施していようと、人は上に立つものを疎ましく思う。

美国織莉子の采配の下で、L.O.Lは年代を経る毎に風船のように膨れ上がっていった。
魔法少女同士の諍いを仲裁する司法機関、法の光協会は実定法を定め、それまでは力と力の応酬でのみ行われていたグリーフキューブの流通に一定のめどを付けた。
魔法少女人口の圧倒的大部分を占める若年層の為に、極力専門用語を省いた簡便な文章と分かりやすい筆致で表されたそれはL.O.Lの発展の伴ってブラッシュアップされていった。

グリーフキューブの流通に資本主義の概念を導入したのも功を奏した。
これは本来、膨れ上がる一方にあった組織の運営費をどうにか賄うために採られた苦肉の策だった。
L.O.Lは司法機関なため、魔法少女から運営費を直接的に強制徴収することは出来ない。

運営にかかる費用の大部分は、社会人として勤労する魔法少女の懐や、一部有力者の魔法少女、そして美国織莉子のポケットマネーから捻出されていた。
その限界はもはや目に見える領域にまで到達してしまっており、来たるべき破綻を回避するため市場原理を導入せざるを得なかったのだ。

この苦し紛れの方策は、結局はグリーフキューブのだぶつきを解消し、総体としての魔法少女を延命させるに至る。「金さえ払えばグリーフキューブが買える」という怠け者を生じさせないよう、L.O.Lが以後キューブの遣り取りに細心の注意を払わなければならなくなったのは、この瞬間からだ。


だが、暁美ほむらは知っている。どれだけ多くの魔法少女たちが、L.O.Lに取り残され乾いていったのかを。

L.O.Lは発足当初から、インターネットに軸足を置いた活動を展開していた。ヒトやモノが移動するには相応の金がかかる。
表の世界にパトロンを持つことが適わないL.O.Lでは、それほど頻繁にヒトやモノを移動させるわけにはいかない。
その点、情報の移動は他と比べると圧倒的に安価で済む。この事は初めから織り込み済みの事だった。

逆に言えば、ネットワークのインフラストラクチャーが存在していない場所に住まう者たちは、L.O.Lに参画出来ないということだ。
アフリカで、中東で、東南アジアで、南米で、主に魔法少女となるのは貧困層の少女たちだ。
毎日を食うや食わず、初めからキューブを鬻いで口に糊していた者たちは、ワールドワイドウェブに触れる機会がとても少ない。

また触れられたとて、誰もがL.O.Lの理念に賛同する訳ではない。

既に確固たる地方組織を築いていた魔法少女組合や、あるいは力で近隣の魔法少女を統べていた猿山の大将まで。
彼女らにとっては、むしろL.O.Lの方こそが既存の慣習を乱す闖入者だった。

L.O.Lは彼女らを圧殺する。

数の上で圧倒的に勝るL.O.Lの前では、弱小組合など村八分に遭うようなものだ。
直接手を下さずとも、いずれ均衡は崩れ、集団は瓦解する。小さな縄張りでのやりくりは、はるか昔から続く営みとして「淘汰」と「間引き」を発生させる。

もっとも救うべき者たちと、まつろわぬ者たち。彼女らを置き去りにしてL.O.Lはどこまでも肥大していく。
そうして生み出された悲劇、システムから弾き出された者たちがどれだけの絶望を噛みしめながら生き、そして導かれていったか。
ほむらはその多くを目の当たりにしている。

 
L.O.Lの活動が安定期に入って、しばらく経った頃の事だった。

美国織莉子は元老としてその辣腕を振るい、名実ともに最高権力者として君臨していた。
組織の創設者にして「魔法少女」という存在について高い見識を有していた織莉子は、合議制のL.O.Lの中でも特に発言力の強い存在としてあった。

彼女の膨れ上がった権能は、自らが制定した合議制の運営下でもその意見の全てを通してしまえるほどには強大だった。
言うなれば専制、それに近い運営が、事実上行われていた。

彼女は常に善政を敷いた。

佐倉杏子への償いか、創設者としての矜持か、あるいは汚職の疑惑を掛けられ自死した父の思想を何らかの形で引き継ぎたかったのか。

いずれにせよ、織莉子は知識を蓄え、それを活かし、L.O.Lの運営に当たった。
半ば専制と化していようと、少なくともシステムの内側の魔法少女たちは、比較的安寧な魔法少女生活を満喫することが出来る環境があった。

だが結局、人は上からの抑圧を嫌う生き物だ。
どんなに彼女がL.O.L下の魔法少女を愛しもうと、彼女の実質的専制を疎ましく思う者たちが現れるのは、時間の問題に過ぎなかった。

L.O.Lが偽装名義で所有するビルの最上階にあった美国織莉子のオフィスは、アナキズムにかぶれた魔法少女群の襲撃を受ける。

具体的には60ほどの魔法少女が、つるべ撃ちするかのように押し寄せた。
階下のL.O.L一般職員を皆殺しにし、グリーフキューブを簒奪しながら、血走らせた眼で最上階へと向かった。

彼女らは自らを「正義を為す者」と喧伝していた。

曰く、設立者でありながら公共組織たるL.O.Lを私物化している美国織莉子は救いようのない老害である。
もはや独裁者である。それを打破するには、革命しかない。
よって我らは美国織莉子を抹殺し、L.O.Lに再び、設立当初の理念を齎そうと思うものである――。

オフィスに押し入った最初の4人は瞬く間に灰になった。
極限まで小さく生成された織莉子の固有武器――水晶球が、魔法少女たちの身体に突き刺さり分解したのだ。
人体の細胞一つ一つを剥離し、さらに分子一つ一つにまで分解するその技は、不可視・不可避の文字通りの必殺技だった。
ただし、人間と言う体積のある物体を分解するという性質上倒すにはそれなりに魔力を消費し、必然的に一体多数の戦闘では不利にはたらく。
津波のように押し寄せる魔法少女の軍勢に、織莉子は戦闘のやり方を変える必要があった。

織莉子は善戦した。
彼女は己の魔法少女としての戦闘経験を総動員し、水晶球を繋いだワイヤーブレードとして用いる、あるいは水晶球を炸裂させるなど多彩な技を駆使して応戦した。
織莉子の執務室は、瞬く間に同じ魔法少女たちの血と肉で彩られていく。

「化け物」と叫んで逃げ出そうとする魔法少女を、背後の別の魔法少女が文字通り潰した。督戦だ。
だが骨肉を踏み越えて部屋に押し入ったその魔法少女も数秒後には織莉子によって細切れの肉片に変えられる。

織莉子は強かった。蓄積された戦闘経験と知識、高い魔力キャパシティを持った彼女を撃破できる"個人"はそういない。

だが数の暴力の前には、少数は常に劣勢に立たされる定めにある。
歴史に名高い第二次世界大戦では、練度も武装も遥かに上回るドイツ軍を圧倒的多数のロシア軍が駆逐した。
次第に織莉子の純白の魔法少女衣装は千切れ飛び血に濡れ、ソウルジェムに備蓄された魔力は削ぎ落とされていく。
肉体の修復もままならず、織莉子の身体の動きは鈍くなり、攻撃能力も低くなっていく。救援が来なければ敗北は必至だった。



そして、とうとう救援は来なかった。

 
48人目を撃破したその次の瞬間、49人目が放った魔力の弾丸が織莉子の胸――ソウルジェムを撃ち抜く。

銃弾から与えられた運動エネルギーのままに、背後へと重心が移動する。2歩、それに抗うようにたたらを踏む。

そして倒れた。糸が切れたように。

そうして、美国織莉子は死亡した。

ソウルジェムを撃ち抜いた弾丸は胸骨を貫き、脊椎にまで達していた。

叛乱勢力は美国織莉子の死を大々的に喧伝した。
ことを起こす以前、彼女らは織莉子に独裁者としてのレッテルを貼っていたからだ。L.O.Lの組織力で私腹を肥やす搾取回想なのだと糾弾していたからだ。

美国織莉子の資産は、我ら魔法少女に還元すべきものなのだと声を荒げ、L.O.Lの運営の裏側を暴き立てた。

要するに、彼女らは戦勝後の略奪を行ったのだ。当然「それ」があるものとして。

だが、独裁者の常として当然そこに在るべき資産、魔法少女たちから搾取したはずのグリーフキューブ、資金、そういった財物はほとんど見つからなかった。
織莉子がまだ正規の戸籍を有し表の世界で稼いだ多額の資産も、ほとんど残されてはいなかった。

織莉子はL.O.Lの運営に全霊を傾けていた。
生まれ育った家も、土地も、その身を粉にして生み出した富も。
何もかも、一切を注ぎ込み、L.O.Lとその機能を拡充させていた。

織莉子が私財として纏っていたのは、ほんの小さな家と、必要なだけのグリーフキューブだけだった。

美国織莉子は、ことL.O.Lの運営に関しては、恐ろしいくらいの潔癖さで臨んでいたのだ。

織莉子が潔癖であると判明し、反抗勢力たちは求心力を失った。
元より、織莉子との戦闘で先鋭化した連中の大部分は死亡しており、残ったのはノンポリの寄り合い所帯に過ぎないような面子だけだった。
あっという間にアナキストたちの勢力は瓦解していった。

彼女らはことを起こした報いとして、システムから弾き出される破目になる。
アナキズムを気取りつつ結局システムの内側でのうのうと生きる彼女らにとってみれば、言わば反権力はファッションに過ぎないものだった。
システムの外側に追いやられ、グリーフキューブの枯渇にあえぐことになった彼女らは、きっと大いに後悔したことだろう。

かくて、美国織莉子は、清廉潔白、無私の為政者としてL.O.Lのアーカイブに刻まれるようになる。
今や織莉子はL.O.Lの統合のシンボルであり、魔法少女が現在の境遇で生きられるのは彼女のお蔭ということになっている。
L.O.Lという組織の発展の文脈では、美国織莉子という存在は聖女として扱われている。


 























冗談ではない、とほむらは声を大にして叫びたくなる。あんな女の、いったいどこが聖女だと言うのか。

あの女は膨らみ切った権力欲に圧し潰されただけだ。その裏で、どれだけの声なき声たちが踏みつぶされてきたか、知っているのか。

今、確かに魔法少女の界隈はそれなりに平穏だ。だが膨れ上がっていく組織の裏側で押し潰されていった怨嗟の叫び声は、決して消えることはない。

 
五感のうち、まず認識したのは視覚だった。

瞼に突き刺さる白い光。次いで香ばしい、何かを炒めるような臭いが鼻をくすぐる。最後に触覚が、身体を覆う柔らかな感触に気付いた。

暁美ほむらが借りたビジネスホテル四畳半サイズの部屋のおおよそ3倍ほどの広さの部屋、そこに置かれた清潔なベッドの上に、暁美ほむらは寝ていた。
カーテンの閉まった窓からは一片の陽光も射してはこない。白い光は、3メートルほど上空の天井に据えられた電燈から降り注ぐものだった。

部屋は簡素な造りだった。漆喰で形成したような白壁で四方を固められた直方体の空間。
ベッドの置かれた窓際の壁の右手には天井まで連なる書架が、左手にはマットレスが敷かれた木製の作業用デスクと、これまた天井まで連なる書架がそれぞれ設けられている。

書架はそれぞれの機能を存分に謳歌しており、つまりは全部が本でぎっしり埋まっていた。
デスクには閉じたノートパソコンとマウスが一つだけが置かれている。
ほむらは銀に光沢を放つそれが、ウォーターゲート社の1世代前の作業用PC<Scallop-63bs>だと見て取った。ホタテの名を冠している理由はおおよそ察しが付くだろう。

ベッドに対面して部屋の向こう側には、長方形に切り取られた部屋の出口が据えてある。ドアの類は存在していない。

快温に調整された空調のお蔭でほむらは殆ど汗を掻いていない。
肢体を覆うパジャマの生地は上等なものを使っているのかとてもさらさらで、常日頃から晒されるような不快感は微塵も感じられない。

そこで、気付く。果たして自分は、寝間着などを持っていただろうか。

突如として不安になったほむらは、胸のボタンを一つ外して襟元を覗き込んでみる。

自分の知らないブラジャーだった。それもひどく上等な。

ズボンのゴムを延ばして下の方も確認してみる。自分の知らないショーツだった。こちらも、ひどく上等な品だ。

ほむらは天井を仰ぎ見る。

精神的にも物理的にも痛む頭を指先で押さえ、ほむらは昨晩の出来事を整理する。

確か、そう、確か柄にもなく激情し、moreを出た。そうして、雨に濡れながら(認めるのも癪なことだが)涙を流し――。

――そして、どうしたのだったか。

ほむらには、その後の記憶がなかった。忌々しいことに。

過去の記憶を掘り返され心を抉られ、雨の中ほむらは嗚咽した。
明らかに体温低下以外の理由で震える脚をなんとか支え、壁についた左手を擦らせて歩いた。

昼頃に食べた鯨のステーキを戻しそうになり、口を押さえつけ――そこから先の記憶が、ない。

つまり、今の自分は何者かにより拉致されている。

今の東京はそれほど治安が良いとは言えない。この待遇から言ってこちらに危害を加えるつもりはないだろうが、それでも用心するに越したことはない。

 
ほむらは腰に手を遣って、拳銃がない事に気付く。

一度剥かれてパジャマ姿に着替えさせられている以上、武装解除されているのは当然の事だと再びほむらを頭痛が襲った。

なんだかひどく心細くなった気がした。
システムの外側にいるほむらは常にグリーフキューブの枯渇に悩まされている。
必要以上の魔力を消費する訳にはいかないのだ。

ところがまどかから受け継いだ弓は極めて燃費が悪いため、そうばかすか撃つことは出来ない。
結果ほむらは、拳銃に魔力を込めてぶっ放すという旧世界と近い戦闘法を採るしかなかった。
ほむらにとって、銃はとても身近な存在だったのだ。

その慣れ親しんだ鉄の塊を所持していないことに、ほむらはひどく浮足立った。舌打ちを一つ、仕方なしに変身を行う。

ほむらは弓を出現させ光を纏わせた。
室内戦闘ではどう考えても不利な弓だが、こうして魔力の塊を付与することにより剣のようにも扱うことが出来る。
それでも閉所では振り回すには向かないが、最悪ぶん殴れば良いと開き直る事にする。

四角く繰り抜かれたような出入り口を抜けると、すぐそこは居間だった。
広さは六畳ほどで、小奇麗な調度品が揃っている。

クリアマットレスが敷かれたガラスのテーブルも白いソファも全てが清潔感で溢れており、一目見て高級品と分かる造りだった。
少なくとも、昨今のほむらには到底縁のない品だと言える。

空いた壁のスペースにはやはり書架が配置してある。こちらは本ではなく、分厚いファイルホルダーだった。
ただ数字だけが記入されたそれらは少しずつ更新されていくものなのか、左にあるものからふすぐれ古くなっている。

ほむらは半ば本能的にそのうちの一つへと手を伸ばす。

震える指先がファイルの背表紙に触れる寸前、だが今なすべき事を思い出して手を止める。――今は、この空間にいる何者かに接触するのが先だ。

思い直し、再び神経の尖らせたほむらはゆっくりと進んでいく。
書架の群れ、その隣に位置するやはり切り取られたように存在する出入り口――臭いの元へと。

何を炒めているのか、そんなことはほむらには分からない。
ただの料理なら幸いだが、世の中には同族を嬉々として調理する御仁も確かにいる。
そういった奴らをほむらは何度も見てきたし、ついでに叩き潰してもきた。

恐らくは調理場へと続く2メートルばかりの廊下をすら、ゆっくりと歩く。
居間もかなりの明るさだったが、向かう先もかなり明るいらしい。包丁がまな板に打ち付けられる音がしてくる。
何を刻んでいるのやら、見当もつかない。料理を全くしないほむらだからこそ、余計にそうだった。

見えた。厚底のスリッパを履いて身体を軽くスイングさせながら料理を作る背中。

「お前は……」


「やぁ、眼を醒ましたかい――暁美、ほむら」

 















――呉、キリカだった。

以上、ちょい短いけどここまでです
ちょいプロット見直したりしてたんで遅くなっちゃいました、すいません

ほむらは自画撮りしてないです
あくまで運営なので

あと一応時間軸としては少なくとも200年以上は経過してるつもりだったり
その割に技術革新がへぼいのは私の想像力不足です、申し訳ない


組織が個人の手に負えなくなるには充分すぎる時間だな

乙。
面白い。続き待ってます。



文体だけでも脳内麻薬ビショビショになるほどたまらん

実は杏子が生きてる的な展開を望む俺。
めっちゃおもしろいと思うので是非に頑張ってください

乙です

>>83
あの死体はフェイクだったってのかい?
さすがに無理だろ。

まあ、最終的には>>1の判断次第だが、
いまのところ、少なくともほむらは杏子があのときに殺されたと信じてるし、
マミもさいごまでそう信じてたっぽいし、

杏子が実は生きていたって形にするのはかなり難しくないかなあ。
不可能じゃない(たぶん)から、>>1の思惑次第だろう。(大事ry(

ロッソあるし確かに不可能ではないな

そんなONE PIECEのペルが生きてたくらい無茶苦茶な

ヘタするとQB経由で生存してるとバレる危険があるし、
マミやほむらにすら知られずに逃げ延びるのって難しいよなあ

それか、死んだと思わせてすぐに遠くに去れば逆に見つからないかな

QBを、どうにか言いくるめて味方につけたら、以後も誤魔化せなくはないかもな

予想は控えてくれよ、ネタ潰してどうすんだ


殺されたは殺されたでも、内ゲバだったとは…

世界観が面白いね
200年後でしたか…

lolは地方で組織確立してる魔法少女たちをそっとしておいてやれよ……(><

あとlolといいsearch and destroyといいなんとなく作者FPSすきそうって思ったり…
いや、ほんとに勝手な憶測ですが

こういう未来もので、なんやかんや重大な事件が起きて
結局原因はほむらの存在で
ほむらー貴様は運命を変えなければ良かったのだー!
みたいな話を読んだ気がするが、違う人ですよね?

生存報告
来週中には投下できそうです

>>91
違います

おりキリスレの住人な気がしてならない
期待

おお、生存報告が来てる
投下待ってます

末尾0は頭おかしいな
良スレでは浮いて見える

ヒャァ! 我慢できねぇ 新鮮な生存報告だ

0324
投下開始

 
目の前に鎮座した白い皿の上にウィンナーエッグが乗っている。ぷりんとした黄身とそれを陶器と同じ色の白身。その端だけが焦げ見事な三色を描いている。
視線を奥に泳がすと深い盛り付け皿があり、蒸したニンジンやブロッコリーが欲しい儘に湯気を立ち上らせている。
左手には玄米を混ぜ込んだ適量のご飯、右手には玉ねぎと油揚げの味噌汁が、これまたもうもうと白い蒸気を上げている。

この和洋折衷とは到底呼び難いひどい付け合せの料理を作った張本人、呉キリカはにっこにこと良い笑顔を作った。
「いただきます!」の声に続いて箸をウィンナーエッグに伸ばす。

ほむらは黙って湿った視線をキリカに送った。キリカがそれに動じる様子はない。

再び痛み始めた頭にこめかみを押さえ、ほむらは箸を蒸し野菜へと伸ばす。

「こーら、ほむら。ちゃんとご飯を食べるときには挨拶をしないか。ほら、いただきますって」

「……いただきます」

溜息を吐いて声を発する。大昔、こうして窘められていたのはキリカの方だった。美国織莉子に。

キリカは良く噛んで、それぞれの料理を少しずつ食べる。三角食いに口中調味をミキシングした、伝統的かつ純和風な食事法だ。
これをやるのなら、せめて全部和風の料理を作れば良いのに、とほむらは思う。

ともあれ今は腹ごしらえをしなければならない。
なぜ自分は呉キリカの私室に招かれこうして寝かされていたのか――そして何よりも昨日の話の続きを、しなければならないからだ。

 
「まぁ、まずは朝ごはんと洒落込もうじゃないか。話はその後ってことで」

「今、話しなさい」

「話はその後にって言ってるんだ。この言葉の意味をいちいち説明しなくちゃいけないっていうのかい?」


こんなやり取りがあったため、極めて遺憾な事ながら、ほむらはキリカに従うしかない。
情報というものはそれだけで人間関係における優位性を確保できる代物だ。とても、腹立たしい。

せめてほむらは、このキリカの作った料理をけちょんけちょんに貶してやろうと考えた。
口に入れた瞬間顰め面をして、これはあまり良い肉ではないわね。そう言ってやろうと思った。
こんなことでしか彼女に抵抗をすることが出来ないと言う事実にさらに腹を立てつつ、ほむらは箸を卵の白身に食い込んだウィンナーソーセージへと伸ばす。

ぱりっ、と音を立てて熱い肉汁が口中を占める。様々な香草や胡椒を練り込まれたソーセージが、その風味を余すことなくスパイシーさを発揮させる。

「おいしい」

思わず声が出ていた。

しまった、と思ってキリカを見遣ると、彼女はとても綺麗な笑顔をしていた。三日月を仰向けにしたような口から八重歯が覗いている。

八重歯。

思い出したくない事を思い出し、ほむらはどうにか食欲に身を委ねずに済んだ。心の均衡を犠牲にして。

「良かった。口に合うかどうか心配だったんだ。なにせ一緒に食事を摂るのは、随分久しぶりのことだから、ね」

「ええ、そうね。この"ウィンナー"はとても美味しいわ」

「うん、まぁね。"私の見立て"は合っていたようだ」

料理はとても美味だった。
どれも比較的手のかからない類の料理ではあったものの、火の通し方、調理時間、ちょっとした味付けなどなど。そのどれもが非の打ち所がなく高い水準で仕上がっていた。

もっとも、心の均衡を失ったほむらはもはやどんな料理であっても美味だと感じる事はなく、盛り付けられたご飯ももそもそとした不気味な白いつぶつぶにしか思えなかった。

 
食後に出てきたのはコーヒーだった。黒い液体が白いマグの内側で波打ち、挽きたてのコーヒー豆特有の芳醇な香りがほむらの鼻をくすぐる。
つい今しがた、キリカが豆を挽き、目の前で淹れた代物だ。

ごぼごぼと丸底ビーカーの中で気泡を生じさせる湯を縦長の円筒ケトルに移し、ドリップパックの敷かれたドリッパーに渦を巻くような軌道で注ぐ。
すると、中にたっぷりと詰められたコーヒー豆が湯と空気の影響でイスラム教におけるモスクの屋根のようにまるもっこりと膨らむ。

キリカはそれで30秒だけ時間を置き蒸らすと、再び湯を注ぐ。
中心から辺縁に、辺縁から中心に、渦を描くように、適度な湯の量を維持しながら、決してモスクの屋根が崩れてしまわぬよう、丁寧に。
20分後には、コーヒーサーバーになみなみと黒い液体が満ちていた。

まるで手品のようだ、とほむらは思った。どれだけ魔法の力に優れていようと、この辺りの技術――技能は、そうそう真似できる代物ではない。

マグカップに注がれたコーヒー。興奮作用がある筈の黒い液体の、このどことなく酸味を漂わせる芳香。湯気を媒介として鼻に香るそれに、ほむらの心は不思議と落ち着いた。

「さて、食器は機械が勝手に片づけてくれることだし、そろそろ話そうかな」

そうキリカが切り出したのは、ほむらがコーヒーの初めの一杯を半分ほど飲んだ辺りの事だった。

程よい苦味とコク、少量の砂糖により齎された特有の酸味が口と喉を潤し、ついついカップを動かす速度が増していたのに気付いたほむらは、気取られない程度に慌てて澄まし顔を作る。
どうやら何だかんだと言いつつも、先の食事でほむらはじゅうぶん餌付けされてしまっていたようだ。ほむらはとても複雑な気持ちになった。

そんなほむらの胸中を知ってか知らずか、キリカは取り澄ました顔で口上を述べる。

「まず、私の役目について話そうか」

「美国織莉子からお役目を賜った。そうではないの」

「ガワはそうなる。でもその中身、役目という名の箱の中身に関して言えば、キミは何も知ってはいないはずだ」

「……そうね。けれど、それって私が知る必要のある事なのかしら。
あの店で、私たちの商談はまとまったと思うのだけれど。
もう黙示録の獣の出現まで幾ばくも無い以上、作戦を練ったり実地へ出向いて地理の確認をした方が有益なのではないの?」

 
「もちろん、アポカリプピ……アポキャリ……アポカリプティック・ビーストが顕現するまであと3日だ。3日目の夜、奴が現れる。
だけど、こうして話をする時間くらいはある。焦ったって、待つだけの私たちに出来ることってのは、かなり限られてくるわけだし」

「残り3日ですって……?」

それはほむらにとっては寝耳に水の話だった。東京に降り立ったのがビーストが現れる1週間前の事だったので、かれこれ4日間、ほむらはキリカの家で眠りこけていたことになる。

そう言えば――。

「私の荷物はどこへ――」

「キミが寝ていたベッドの足元にまとめて置いておいた。
キミが携帯していた銃器やなんかはそのままの状態で置いてある。
ホテルもちゃんと正規のキャンセル料を払ってチェックアウトしたし。その辺に抜かりはないと思ってもらいたい」

ほむらは額に手を当てて溜息を吐く。そして確信する。今この場にいるのは、あの日見たやんちゃ小娘の呉キリカなどではないと言うことを。

呉キリカは、長年L.O.L.という巨大な組織において中核を担ってきた存在なのだ。人心掌握術の鍛練具合はかなりのものだと見てよいだろう。

他方、ほむらは延々とロンリーウルフで魔獣を狩ってきたOutlawだ。

対人スキルや実務遂行の面で圧倒的な差が生じているのは言うまでもない。
ほむらは、これまでの遣り取りの中でどれだけの情報を抜き取られているのか不安にすらなる思いだった。

「まぁ、仕方ない。そういう事もあるさ。誰にだって、疲れて何日か寝入ってしまうときくらいある。ちょっと、時期が悪かったけどね」

キリカの苦笑いに、ほむらは酷く苦々しい感情を噛み締める。

「ことここに至って焦ってみても、仕方のない事さ。キミと言う存在にひどく密接した、昔話でもしよう」

「昔話……」

「そう。あの店で、私が、君では決して"黙示録の獣"を倒せないと言った、その理由も含めて」

そう言って、キリカは語り始めた。

 
「まず、私の属するL.O.L.の真の目的を話そう」

「真の目的?世界征服でもするつもりなのかしら?」

「そんなまさか。そんなのは無意味さ。だって、世界征服というなら既に完了済みだからね。今や全世界、99%以上の魔法少女たちはL.O.L.に所属している。
全地球包囲網、つまりワールドワイドウェブを通じて、私たちは既にある種の共同体意識を築き上げている。
大地や海上に敷かれた国境線に覆いかぶさるレイヤーとして、私たちの魔法少女共同体L.O.L.は、世界なるものを補完済みだ。
今更そんなお題目を掲げることに意味などない、と言うことだよ。

 私たちが目標とするのは、魔法少女の生存率をどこまでも上げ続けることだ。これは単なる理想からくるものなんかじゃなく、れっきとした価値目標からくるものだ」

「価値目標……」

かつて、美国織莉子と巴マミがL.O.L.を立ち上げた時の理念。それは偏に良心からのものだった。

魔法少女どうしが、ソウルジェムの維持や、それを実現するためのテリトリーを巡って血みどろの抗争を繰り広げていた時代。
その事に胸を傷めた二人の少女が立ち上げた、ネットワーク上の形無き組織。

魔法少女どうしの互助機関として、司法機関として。皆が手を取り合えば皆が救われる。
そんな理想を具体化させるためのものとして立ち上げられたL.O.L.は、今やその存在理由すらも変化してしまったらしい。

「現在のL.O.L.の形が出来上がってからしばらくして、私たちはデータの収集を行い始めた。まだ、織莉子が生きていた頃の話だ。
L.O.L.は究極的には、魔法少女を秩序立てて管理する存在だから、居住地や年齢――死亡情報とか、そういった類のものを集める必要があった。
けどその時点では、『そういうもんだ』という漠然とした目的意識だけがあって、誰も何に使うかなんて考えやしなかったんだ。もちろん、織莉子も含めて。

 だけど、10年、20年と統計を取っていって、どんどんデータに精度が増していって、私たちはある事に気付いたんだ。
それはこの世界が、どれだけ益体のない仕組みで動いているか、という事についての具体的な証左になった」

キリカは語尾を荒げた。

「その仕組みと言うのは――」

「魔法少女の死亡者数と魔獣の発生数に相関関係が見つかった」

「……?それって、普通の事ではないの?」

魔獣の量と魔法少女の死亡者数は概ね比例関係になる。
魔獣の数が多くなればなるほど、魔法少女たちはジリ貧になり、結果未熟な者・弱い者から死んでいくこととなる。

 
「いいかい?『魔法少女が多く死ぬ』と『魔獣が増える』んだ。逆じゃない。
魔獣が沢山増えるから、魔法少女が沢山死ぬ破目になる、なんてことには、ことL.O.L.の統治下ではなり得ない。
そうならないための人手やテクノロジーを、私たちは延々必死扱いて磨き上げてきたんだから」

「つまり……どういうこと……」

頭の整理が出来ない。魔獣は人々から零れ落ちた負の思念が具現化したものであり、また人々の負の思念を吸収しながら成長する。
その過程で、魂を抜き取ったり、物理的に喰らったりすることもある。

ちなみに、物理的に喰らうのはその時に生じる苦痛や恐怖、悲しみの感情を喰らうための手段だからで、人間それ自体を構築するたんぱく質やなんかの物質的要素は、魔獣にとっては何の栄養にもならない。
これはL.O.L.の公式見解でもある。

魔法少女は魔獣を狩り、グリーフキューブでソウルジェムを浄化し、穢れを最大限まで溜め込ませる。
インキュベーターはそれらを回収して宇宙延命のための燃料だかにしているようだが、詳しい説明は理解の及ばない領域にあるため捨て置いてある。

つまりインキュベーターとしては、魔獣は多ければ多い方が良い、しかし逆にそれにより魔法少女が淘汰されてしまっては元も子もない、という微妙な立場に身を置かれていることになる。
特に直接的干渉が禁じられている以上、事の成り行きは、彼らにしても見守るほかないのが現状なのだろう。

だがそれと、魔法少女の死亡者数増加に伴う魔獣の増加に関する因果関係は、ほむらには見えてこない。
魔獣が増えて魔法少女が圧されれば、結局キューブの回収効率が悪くなってしまう。
敢えてそんな仕組みを残している理由など、無いように思えるからだ。

「魔獣は、自然的に発生したものじゃない。魔獣と魔法少女はセットになってこの世に存在している。
魔獣なんてものをこの世界に持ち込んだのはインキュベーターさ。にも拘らず、彼らはいけしゃあしゃあと『人類の為に戦って欲しい』なんて言う。
地球規模のマッチポンプが行われているんだ。

 魔獣はヒトの負の思念、悲しいなぁ、とか妬ましいなぁとか、そんな感情から生じる。その中でとりわけ大きな負の感情を想起させるのは何だと思う?
そう、身近な人の死、だよ。

 人間は、誰か身近な人が死んでしまった時、ひどく空虚で、やり場のない怒りや感情を心に抱える。そしてそんな大きな感情から、魔獣が生じる。
では魔法少女が死んだらどうなる?それも同じだ。縁のあった魔法少女はもとより、家族、友人、教師、その他諸々の人々に波及的な悪感情を齎すことになる。
特に死亡するリスクの高い魔法少女は、人々に絶望的な感情を抱かせるのにうってつけの素材なわけだ。

 魔法少女の死亡者数と魔獣の発生数に相関関係がみられるというのは、つまりそういう事なのさ。
インキュベーターにとって、私たちはどこまでも食い物でしかなかった、ということになる」

キリカはコーヒーを一口啜る。既に冷めてしまっていて、湯気は立っていない。

 
でも、とほむらは言う。自分の声が若干高い事には気付いている。

「そんな風に魔法少女が数多く戦死してしまったのでは、インキュベーターの方もシステムを維持するのが難しくなるはず。
いくら魔獣が増えたところで、それの狩り手がいなければ彼らにとっても非効率的な筈よ」
さっき考えたことを口に出してみる。

少なくともほむらにとっては、インキュベーターは油断ならない相手ではあるものの、ことさら魔法少女を搾取するようなことはないと思っていたからだ。
魔法少女に死なれると、困る。そう言ったのは彼らではなかったか。

「キミは、巴マミの事を憶えているかい?」

唐突な問い掛けだった。

憶えている。あのレモンバームを思わせる髪の色をした先輩魔法少女にはとてもお世話になったものだった。
もちろん、ループ中は彼女のお蔭で散々な目に遭ってきたのも事実だが、それ以上に、尊敬すべき部分が多すぎた。

「マミは、強かった。2446年に身体機能が停止して死亡するまで、彼女は常に常在戦場の魔法少女として戦い続けた。まさに英雄だった。
彼女だけは、何が起こっても気残り続けた。――そう、マミは、どんなに多くの仲間たちが死んでも、なお生き残り、そして魔獣たちを滅殺し続けた。
そしてそんな魔法少女は、実のところ世界中至る所にいたりする。これが意味するのは、実はインキュベーターたちは、魔法少女をそれほど多く必要としていない、という事だよ。

 もっと簡単に言おう。
つまり雑魚の魔法少女がどれだけ死のうと、どれだけ惨たらしい思いをして、大事な人の名前を叫びながら導かれる事すらなく死んでしまおうと、インキュベーターは興味関心がない。

 大部分が淘汰されていく中で、一部の、一握りの非凡な魔法少女だけが生き残り、そして魔獣を狩ってくれる。
彼女らの殆どは戦死はしない。多くは加齢や妊娠による継戦能力の欠如だ。
キミは、妊娠した魔法少女が導かれる瞬間を見たことがあるかい?そしてその後の、残された夫の悲痛な叫び声を。

 彼女らが導かれる際には、お腹の胎児を遺していくんだ。赤ん坊は別の生き物としてカウントされるからね。
本来膣を通って頭から取り出されるべき赤ん坊は、羊水すらも失われた状態で突如としてこの世界に放り出されることになる。
そんな胎児に、私たちも、医師にも、出来ることなんかありはしなかった。そしてその悲劇が、また新しい魔獣を産むんだ」

少々興奮したのか、キリカはすぅ、と深呼吸する。

「インキュベーターの魔法少女システムは、私たち魔法少女の――いや、人間の、絶望により担保されている。
ふざけるな、というのが私たちの見解だ。私たちの希望も、絶望も、彼らの食い物にさせたりはしない!

 魔法少女が、魔法少女らしく在ることが出来る世界。押し付けられた絶望から、魔法少女を解き放つこと。

 魔法少女の、真の独立――それが、私たち、Light of Lawの目最終的になる。

 ――そしてそれを実現させるため、織莉子直々の特命を帯びて、今もなお動いているのが私、というわけだ」

以上説明回でした
世界の枠組みが変わろうとべえさんが魔法少女を搾取する気満々なことから思いついた思いつきのアイディア
次回からちょっとずつ過去の解明をしていく(予定)です

乙です

キリカの作ったご飯が食べたいです(深夜の空腹並の感想)


まどかの願いも所詮中学生が考えた改善案だったということか
胎児が残るとか残酷すぎる
どんな気持ちで円環の理やってんだか

まどかと円環の理を貶めるような真似はしないでもらいたい

乙。
まあ、魔獣というのが、「魔女共々円環の理で失われた絶望を世界に補填して、魔法少女の希望と均衡を取る存在」という公式設定から考えると順当だわな。
とりあえず、「自分自身=絶望である魔女」よりは魔法少女達から見てマシになっている分、それでも尚、まどかが祈った価値はそれなりにあると思うね。

結局はまどかはQBを理解しきれてなかったことになったんだな。
まぁマシにはなってるからいいんじゃないの。

マシにはなってるだろうけど
誰も報われていないという点では前とあまり変わってなくない?

極端な話、元のシステムだと少数の魔法少女すら生き残らさせる必要もなかったんだから
その分はマシだとは思う

乙乙
>>107
別のSSでその設定見たことあるけど・・・

>>112
杏子、マミ、織莉子や胎児の話を見てるととてもそんな風には思えないんだが…
特に杏子や織莉子の最期なんて魔女化とどっこいどっこいだし
ほむらだって、改編前もしくはそれ以上に精神的に荒んでる感じだし
それから、ほむらはよく全てに絶望しないな……
まどかが人柱になっても悲劇や絶望ばかりの魔女化以外は殆ど変わっていない世界を見たら
もっと世を儚んでもおかしくない

>>114
原作の最後でも「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど」って言ってるから問題ないんじゃね?
小説版に至ってはある意味、このSSより救いようのない設定だし

ほむらが最後に聞いたまどかの声は
弱ったほむらの幻聴で実際にはそんな声してません^^
全部ほむらの妄想です^^
とかだっけ?

最後の英文が二人に掛かってて、二人の孤独死は確定。ほむらの死亡と同時にまどかの精神も崩壊するってオチ
ほむらの改変に対する解釈はバッドENDでやり直したい。その後の戦いに対する考えも生き地獄、贖罪と言ったネガティブ全開

小説版噂には聞いたが夢も希望もねえな…
救いが何ひとつないじゃないか
どこが希望を肯定する話なんだよ

一応、まどかは「誰かの為に破滅することが真の友情」って悟りの境地に達したから、まどか的にはハッピーENDなんだよ

>>114
「ゾンビみてーなもんと思ってたから、
そもそも妊娠するとか考えていなかったんじゃないか?

子供も一緒に導かれる(=親子とも死亡)よりは、
子供だけでも残る方がマシと思うがね。
運がよければ普通の早産と同様に生き残れる。
普通の早産に比べて生存率はかなり低いと思うけど。

ただまあ、新作映画の「反逆の物語」でどんでん返しがあるみたいな話もあるし、
現状のTV版でのまどかの選択があくまで不備のある次善策であったとしてもまあ、アリと言えなくも無いかも?

さらっと小説版の捏造レスが出てきてんな
きめえから[ピーーー]よ

捏造ってどこが?

魔法少女が多く[ピーーー]ば魔獣が増えるって言うけれど、それは死んだ魔法少女の関係者が負の想念を抱くからに過ぎないよね
仮に災害とかで一般人が多く死んで、魔法少女が一人も死ななくても、被害者の関係者が負の想念を抱くから魔獣は増えるだろうし、
もし魔法少女がたくさん死んでも、被害者の関係者が一人も居なければ魔獣は増えないだろうね

たしかに魔法少女は死亡率が高いから、関係者に負の想念を抱かせやすいかもしれないけど、
そもそも元来繋がりの希薄だった魔法少女達に、数多くの繋がりを与えたのは君たちL.O.L.なんじゃないかな。

人が多く死ぬ → 関係者が負の想念を抱く → 魔獣が増える、って言う事実に対して
魔獣と魔法少女がセットだとか、魔獣を持ち込んだのがぼkインキュベーターだなんて、論理が飛躍しすぎなんじゃないかな
本当にわけがわからないよ、きゅっぷい

マミの最期もやられた相手が違うだけで魔獣ビームで穴だらけとか無いよな…?

>>124
きゅうべえたんかわかわ

魔法少女が正(希望)で魔獣が負(絶望)でワンセットなんじゃ

あと>>109設定から、魔法少女がいなければ魔獣もいなかったという解釈をすると魔法少女をつくるインキュベーター=魔獣を持ち込んだってことでは



結局の所はどうあがいても救いがない世界だったという事なのか……

まあ、虚淵だしね。
当事者が納得できる最後に到達できただけでハッピーエンドと見なすのが順当。
ちなみに今まで見た二次創作で一番目鱗だったまどかの願う奇跡は・・・

まどか「脚本家をプリキュアと交換して!!」

だったな。

その理屈ならクリームさんの人類が結界に呑みこまれて
「この世から悲しみがなくなりました。結界内ではみんなが仲良く暮らす争いもない理想の世界です」って終わりもハッピーエンドになっちまうよ
いやぶっちゃた話これなら魔女化しないだけで改編前とたいして変わらない

言っとくけど虚淵が悪いわけじゃない
アニメ最終話についてのコメントでもほむらがどうなっているのか好きな解釈ができるように
あえて余地を残して結論は出さなかった書いてあったし。
俺が結論だって書いたのが小説の人ね。だから微妙にアニメと相互性が取れてない。
ゲームはギアスのロストカラーズみたいなファンディスクだと思え。

ごめん誤爆した

>>127
持ち込んだと言うよりも、既に蔓延していた負の感情を未来技術で具現化させたんじゃないかなぁ、と思ったり
持ち込んだようなものではあるか

生存報告
少し多忙なので、次の投下はちょっと先になりそうです

楽しみに待ってます

生存報告
来週には投下できるかと思われます

おう、了解。待ってるよ

予告から遅れましたが、これより投下開始します

 
ひび割れた埠頭に、暁美ほむらは佇んでいた。
L.O.L.所有の廃倉庫を背中に、どんよりと曇った水平線の先に睨みを利かせる。廉価品のTシャツにデニムのパンツ、その上に袖の短いジャケットを纏っている。
この夏のさなかにもジャケットを着ているのは、ホルスターにしまった手製のリボルバーを2丁、脇と腰とに隠して吊ってあるからだ。

敢えてリボルバーピストルを選んだのは、単純さゆえの堅牢性と薬莢の回収効率アップを見込んでのことだった。
魔獣の結界は魔女のそれと比べて脆弱であり、魔獣が消失する際には内部の物理的存在をしばしば現実へと放擲してしまう。
オートマチックタイプの場合、射撃と排莢が同時に行われるため薬莢を辺りにばらまいてしまうことになる。
銃器の持ち込みが許可されていない区画で使用済みの薬莢が見つかれば大騒ぎとなるだろう。実際の経験から、ほむらはそれを良く知っていた。

回収した薬莢はハンドローディングで安価に使い回しが利くため、収入面で不安の大きいほむらにとっては経済的メリットも大きい。
ネックとなる装填可能弾数の少なさと再装填の手間に関して言えば、ほむらの腕前ならば2丁12発の弾丸で大凡の魔獣はケリがついてしまうため、リスクは大したことではなかった。
緊急時には徒手空拳や杖――まどかの魔法弓によりカバーが可能でもある。
そういったメリットとデメリットの兼ね合いから、ほむらはこの古式ゆかしい回転式拳銃を愛用していた。

ほむらが今この埠頭にいるのは、例の魔獣――黙示録の獣<アポカリプティック・ビースト>の出現予想地点を下見するためだった。

作戦は全て織莉子の予知データを受け継いだ呉キリカが立案するものの、実際に戦場となる場所は自分の目で確認しておきたい、というのがほむらの――表向きの理由だった。
実際は、朝食の後のあまりに衝撃的な宣告に、呉キリカと一緒の空間にいることに堪えられなくなったからだ。
そんな心情を推し量ることなく、キリカはそれを制止して言った、キミが出ていってもできることは何もないよ、と。

ほむらは声を振り切って外へ出た。外は、曇天だった。

濃い湿り気を帯びどこか埃臭さを感じる空気に鼻を侵されながら、ほむらはぼんやりと先ほどの話を考える。
あの後、キリカの語ったさらなる事実は、ほむらの心をさらに掻き毟ることとなった。

 
魔獣は魔法少女からは生まれない。外界に放出されて魔獣を育む負の感情は、魔法少女の場合には魂の内側――ソウルジェムに溜め込まれるからだ。
つまり、魔獣の出現は改変前の世界の逆位置をとることになる。魔法少女の祈りによる世界の歪みに生み出された魔獣は、事情を何も知らぬ一般人の魂を糧として成長する。
この辺りは魔女と共通だが、奇跡に裏切られることのなくなった魔法少女の多くは、奇跡の代償を払うことなくその生を終える。

簡単に言うと、魔法少女は歪みの代償を一般人に押し付けて生きている。
ゴルゴダの十字架にかけられ魔法少女の原罪を贖っているのは、今や人類という総体だということだ。

キリカの語った事実は、ほむらにとっては少しばかり違う意味を持っていた。
一般の魔法少女にとっては碌でもない事実に過ぎないその事柄は、ほむらにとってはまどかの願いが、ひどい方向に作用していることを意味していたからだ。

呉キリカは言った。魔法少女は、身の裡に穢れを溜め込んだり、ちっぽけな宝石が砕けただけで死んでしまう、脆弱な生き物なのだ、と。
そしてその死は、彼女らを愛する者に絶望を与え、敵対者たる魔獣を肥え太らせ――そして罪なき人々を襲うのだと。

それでは、まどかの願いとは結局なんだったのだろう。

魔法少女がただ悲劇を生むだけの存在でしかなく、魔女にならないことにより一層の惨事を齎すことになってしまっていたのなら――。


――まどかの願いは、いったい何を生んだのだろう。

どんな希望を、この世界に生み出したというのだろう。

その身を概念なるものに変え果ててまで叶えたあの願いは、いったい――。

 
ほむらは眼を見開いた。まっすぐ見据える正面には、ただ鉛色に染まった空と、鈍色を湛えた水面しか存在していない。
進むべき未来も、守るべき過去も、この濁りきった世界のどこにも見えない。

ほむらはふいに、その鈍色に身を躍らせたくなった。海面に身体を投げ打ち、沈み、泡となって消えてしまいたくなった。

そうして泡となって消えてしまったらどれほど楽なことだろう。
魔法少女になった時点であまり意味を持たなくなった筈の心臓が、早鐘のように鳴るのが分かる。甘美なる死への欲求が、ここにきて爆発的に膨らむのが自覚できる。

ああ、どんなに楽だろう。悩むことも苦しむことも失って、その身を横たえることができるのなら――できるのなら――失って……?


そうだ、まだ自分は失うわけにはいかない。まだこの身は朽ちてはいない。あの想いを、まどかへの想いを、杏子への想いを、失うわけにはいかない。
まどかを憶えているのは、もはや世界で自分だけだ。あの、優しすぎるがゆえに自らの存在を消し去ることになった少女を、最高の友達を、憶えているのは、もはや自分だけなのだ。
自分がいなくなったら、それを憶えているのは世界で誰もいなくなってしまう。
まどかの残滓は、「円環の理」という無情なるシステムを残して完全に消え去ってしまう。そんなことには、させない。

杏子も――そう、杏子にしてもそうだ。杏子の身体がどれくらい鍛えられていたか、その筋肉の繊維がどのように走っていて、その瞳がどのような色を湛えていたか。
その身体がどれだけ柔らかく、どれだけ良い匂いがして、つややかな赤毛がどのように風に揺られていたか――。

――それをこうまで鮮明に憶えているのは、おそらく自分ただ一人だけなのだ。

私は、まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。この想いを失うには、まだまだ早すぎる。あの交わした約束は、この想いは、まだ失うわけにはいかないのだ――。

ほむらはひとつ、息を吐く。深く、息を吸う。埃臭い、湿った潮風が肺を満たす。ひどい気分だったが、まだこの二本の脚は自分を支えてくれそうだった。

 
やるべきことは、下見だ。外出するためにでっち上げた表向きの理由だったが、こうしてしがみつくことで正気を保つことが出来たのは僥倖だった。
なにかやることが見当たれば、少なくとも何を考える必要もなくそれに打ち込むことができる。

ほむらは足元に置いてあるふすぐれたショルダーバッグを取り上げると、眼鏡ケースを取り出した。
中には四角く角張ったサングラスが入っており、ほむらはそれをゆっくりと装着する。

このサングラスは、ほむらの持つ多機能携帯端末<Type:Abacus S-38990>と無線接続されている。
Abacusで処理したデータを視界に重ねて投影するための、いわばディスプレイ・デバイスだ。
現実の視界に情報を重ねて表示する、古き良きSF小説やビデオゲームにはおなじみな「拡張現実」と呼ばれる技術だ。

ほむらはもう何年も前に購入した、この型落ち品の"つる"部分に位置するスイッチを入れた。
すると画面が起動し、受信装置が投影すべき情報を探して微かに鳴動する。

Abacusに標準搭載の外部ディスプレイ接続アプリケーションを起動してサングラスに接続する。
出立の前に慌ててダウンロードしておいたアポカリプティック・ビーストの情報を送信すると、眼を覆う黒い硝子板に様々な情報が投影される。

視界が黒くなる。激しい雨と雷。荒れ狂う波に、遠くのタンカーがゆらゆらと揺れる。
ゆっくりと、顔を上げる。視野の移動に伴って、洋上に浮かぶその威容が明らかになる。





















それは、大仏だった。顔にモザイクが掛かった、何かの冗談のような廬舎那仏――『黙示録の獣』。

 

 
奈良の大仏、それに酷似した巨大な大仏が、様々な化け物を連れだって東京湾から上陸してくる。まるで百鬼夜行だ。
そんな色々な意味で悪夢のような光景に、ほむらは眩暈を起こしそうになった。

もちろん、これは呉キリカ――というよりはL.O.L.が作成した『黙示録の獣』のシミュレーションだ。

太平洋から上陸する『黙示録の獣』がどういった姿で現れ、そしてどんなルートをとるのか。
今までに蓄積されたデータから算推し、ディスプレイ・デバイスに投影しただけの代物だ。
つまり、これまでに世界各国に出現した『黙示録の獣』たちも、これに類似した姿をとって現れたということになる。

魔獣――彼らは概ね人型をとり、身体の至る所にモザイクを伴って現れる。纏っているのは法衣、ギリシャ神話に出てくるような頼りげない布きれだ。
だが実際の戦闘では、平均から上の上級種――半数ほどがその姿を変じさせることになる。

頭が縦にぱかっと割れ牙だらけの口腔を見せてみたり、はち切れんばかりの筋肉が漲ったかと思うと腕が四つに分かれて恐ろしい爪が生える、等さまざまだが、どれもこれもが人の悪意をそのまま体現したような形になる。

低級の魔獣はそのまま人型の姿で人間の精神に影響を与えるに留まるが、上級はヒトをダイレクトに喰らいにいく。
本来は姿かたちを持たない魔力的存在である魔獣は、等級が上がるにつれ物理的な干渉能力をより強く得ていくのだ。

そして、魔獣の最上位――『黙示録の獣』は、当然のことながら破格の物理攻撃能力を持つ。
上陸し、この鬱蒼とビルが林立する東京ジャングルでその猛威を振るった場合には、どれほどの被害を被るか見当もつかない。

皮肉は、年に何度もの災害に見舞われるこの極東地域において、対災害の建築技術がブレイクスルーを起こしてしまったことだ。
新素材と新技術、そして電燈の建築技法の融合により、もはや"通常"のスーパーセルは恐るるにたるものでない。
台風なぞよりもずっ強烈な破壊力を持つこの化け物を、人間は克服してしまったのだ。そのため、東京の人々は「避難」などということを考えもしない。

だが、今回建物が相手にしなければならないのはただのスーパーセルではない。今回のスーパーセルは、魔獣そのものなのだ。

その強力すぎるエネルギーが周囲の気象に作用し、あたかもスーパーセルのように見える、というのがこの天災の本旨だ。
魔力を伴った大いなる破壊の力に、通常の建造物はなすすべもなく打ち壊されてしまうだろう。当然、その中に住まう人々などひとたまりもない。

今回はこの埠頭周辺で大立ち回りを演じることになる、というのが、キリカの隠れ家でダウンロードした情報含まれる作戦の概要だった。
万が一魔獣が、民間人がたっぷりと詰め込まれた市街区に乗り込んでしまった場合、その時点で作戦は失敗と言ってしまって良いだろう。

水際作戦――その点において、ほむらも異議はなかった。

 
ほむらはサングラスを外してスイッチを切った。プツン、とデバイスが悲鳴を上げる。
それを意に介さず眼鏡ケースに放り込むと、途端にほむらは手持無沙汰になった。やるべきことが、なくなってしまったのだ。

ほむらは棒立ちのまま、『ワルプルギスの夜』と戦った時のことを思い出す。戦い――それは直接的な戦闘に留まらず、その準備段階から既に始まっていた。

 ・情報の収集――世界各地の文献から『ワルプルギスの夜』と思しきデータを引っ張ってきてデータベースを作った。
 ・武器の確保――自衛隊や米軍の基地、暴力団事務所から武器を盗んできては盾に仕舞いこみ、自身を歩く武器庫と化した。
 ・作戦の策定――軍事メソッドに基づいた兵器使用。有効な配置や使用順序を探り、秘匿の魔法を用いて予め配置した。

戦闘能力のみならず、己の知力と発想力をも総動員した、文字通りの総力戦だった。
美国織莉子の父・久臣の自殺の原因がほむらが自衛隊・米軍から武器を収奪していたことに起因していると気付いて以降、武器の収集を先送りにしたことで、余計に事態が厳しくなったことをよく覚えている。

ところが、今はどうだろう。情報はデータベースから一瞬で引っ張ってこれる。武器はまどかの弓がある。そして作戦は――呉キリカが考える。
かつては自分一人の手で全てをこなしていたというのに、その権利の一切をはく奪されてしまった気がした。

自分にできること、この世界を守るためにできることがあまりにも少ないように思えて、ほむらは足元がひどく覚束なくなったように思えた。

私にできるのは、これっぽっちでしかない。これでいったい、どうやって私が「世界を救う」だなんて言えるんだろう。

やるべきこと、目前のしがみつくべき目的を消失したほむらは、再び深い泥沼のような思考に落ちていきそうになる。

と、

「ども、こんちゃっす」

ここでほむらの思考を掬い上げたのは、一人の少女だった。

「貴女は……」

「ええ、まぁ、こないだの」

4日前に呉キリカが救出した、あの魔法少女だった。
L.O.L.所有の廃倉庫、その窓から上半身を出して手を振っている。ショートカットにした赤毛、よれた黄色のTシャツ。

そこにプリントされた文字が寄りにもよって"I Love SEX"であることに、ほむらはこめかみにひどい痛みを感じた。もっとましなTシャツはないのだろうか。

「貴女、学校は……?」

ほむらは無国籍自由人であるため、曜日の縛りを基本的には受けない人間だ。
せいぜい自分の管理するエロサイトに週末増量キャンペーンを設けてユーザーを稼ぐことくらいで、ことさら何曜日だからといってどうこう感じることはない。
一応は組織人である呉キリカも、現在は分筆業で金を稼いでいるとのことなのでやはり曜日は関係がない。

他方、この少女は――あの日見た姿だと、たしか制服姿だった。そして、今日は平日。ほむらが第一にその問いを発したのは至極当然なことだった。

「修学旅行すね。まぁ、あたし以外は」

「どういう事」

「うち、母子家庭で貧乏なもんだから、修学旅行のおぜぜ積み立ててなかったんすよ」

 よれたTシャツの理由とは、つまりそういうことだったのだ。

 
「で、他の連中がオキナワでヒャッハァーしてる間、あたしはここで暇してるってな感じで。課題も碌に出なかったもんだから、もうやることなくって……魔獣もあんまり出ませんし、ねぇ」

「魔獣が出ない……?」

「いぇぁ、そうなんすよ。昨日からですかね、魔獣がてんで出やがらない。
 そんなもんだから、あたしとしちゃあ商売あがったりですわ。せっかくしばらく魔獣狩り放題だと思ってたのに……」


魔獣が出ない、とはどういうことだろう。
このタイミング、『黙示録の獣』に関連していると考えざるを得ないが、少なくともL.O.L.のデータベースにはそんな予兆があるなどと記録されてはいなかったはずだ。
さらに言えば、かつての世界の『ワルプルギスの夜』でさえ、そういった全長はなかった、と思う。

ここにおいて、ほむらは自分がこの世界に関していかに無知であるかを思い知らされた。
それはつまり、世界が改変されて以後、どれだけほむらがこの世界に無関心でいたか、ということだ。

今まで、絶望はたっぷりと見てきた。
L.O.L.の外側で、どれだけの魔法少女たちが苦しみながら生きてきたか、あるいはL.O.L.の内側での勢力争いというものも――何度も見てきた。

そういった怨嗟の叫び声や血みどろの戦いを前にして。では、自分は。"暁美ほむら"は、何をしてきたのだろうか。

何も、してこなかった。何も、だ。それを良くしようとも悪くしようとも思わず、ただただ傍観を貫いてきたのだ。

それは、かつて経験したループ――何をしても空回りし悪い結果しか導けなかったことからくる絶望だろうか。
それとも、まどか――杏子を、喪ってしまったことからくる諦観だろうか。

自分は、なぜ、動かなかった。

それと知らず、ほむらは自らの口を押えていた。まるで、込み上げてくる"何か"を吐き出してしまわぬように。

「あ、でも、ストックはまだまだあるんで、もし必要ならご用立てますよ?今なら――いやいや、いつでも!適正価格でご奉仕させていただきます!」

口を押えたまま少女を一瞥して、ほむらは足早にその場を立ち去った。

以上、本日はこれまで
間が空いた割に短い……ですがキリが良いので
次回の後進はまだ未定ですが、折を見て生存報告と投下予告はしていきますので、今後ともよろしくお願いします

長くなりましたがこのSSはこれで終わりです。
ここまで支援、保守をしてくれた方々本当にありがとうごさいました!
パート化に至らずこのスレで完結できたのは皆さんのおかげです(正直ぎりぎりでした(汗)
今読み返すと、中盤での伏線引きやエロシーンにおける表現等、これまでの自分の作品の中では一番の出来だったと感じています。
皆さんがこのSSを読み何を思い、何を考え、どのような感情に浸れたのか、それは人それぞれだと思います。
少しでもこのSSを読んで「自分もがんばろう!」という気持ちになってくれた方がいれば嬉しいです。
長編となりましたが、ここまでお付き合い頂き本当に本当にありがとうございました。
またいつかスレを立てることがあれば、その時はまたよろしくお願いします!ではこれにて。
皆さんお疲れ様でした!

乙!
ほむらが急にめがほむ化してきたのかしら

乙です

乙でしたー

おつおつ。ほむらは結構機械的に魔獣狩りだけ続けてきたってことなのかね。


ほむらもだいぶ病んでるな
最愛の人が概念になってその代わりの依存相手まで死んだらそりゃそうなるか


乙。
ほむらが過ごしてきた時間相応に精神的に年老いた感じが出て面白い。名無しの若い魔法少女との対比もいい。
虚淵氏が意識したというヤクザ映画調が生かされてる二次創作は珍しいんじゃないか。

面白いのに誤字がやや残念 
続きを楽しみに待ってます

まどかの願いって糞だな
根暗で行動力のないガキが思いついたレベルの願いだから当然といえば当然の結果だが
さやかちゃん居なかったら虐められて登校拒否しそうなメンタルだしww

そうなんだ、凄いね

s

まだかしら

お待たせいたしました。
これより投下致します

++++++++++
 

ひたひたとほむらの後をつけるのは、さきほどの少女だ。
恐らくは好奇心で、ひょこひょこと魔法少女の様式に則った尾行のメソッドを繰りだしてきている。

L.O.L.に所属していないにも拘らず、L.O.L.の発足当初からのメンバー・呉キリカに『ともだち』と呼ばれた、そんなイレギュラー極まる存在に対して好奇心を抱かないものなどない。
ましてや根拠なき自信に支配され、その場その場の衝動で人生を生きるような思春期の世代にとっては、暁美ほむらは格好の面白ネタなのだろう。
さらに言えば、この少女はとても活動的であるらしい。ほむらをつけるのに一片の躊躇もないだろう。

好奇心は猫をも殺す、そんな諺を叩き込んでやろうかと、ほむらは一瞬だけ思った。
けれどそんな気力が己の肉体にもはや宿ってはいない事に気付き、結局は無視する事に決めた。

身体がひどく重い。今はとにかく休みたかった。肉体は然程疲弊してはいないが、精神の負担があまりにも大きい。
恐らくはソウルジェムも――それなりに濁り始めている。

どこか休める場所はないか。どこか、肉体の力をすべて抜きさって、そうして何も考えることなくぐったりとしていられる場所はないか。

ここ数日の曇りですっかり肌寒さを感じるまでに平均気温が低下した東京、インテリジェント・マテリアルに舗装された歩道を、ほむらはさながら幽鬼のようなありさまで歩いた。
ちらりと目を遣る喫茶店は、軒並み満員だった。

じゃりり、と靴と砂埃が摩擦に悲鳴を上げる音がした。

茫漠とした視界の中、斜め下、ほむらの目線の先に、厚底のブーツが見える。それはほむらの前に立ちはだかる足だった。

ゆっくりと、目線を上へと移動させる。黒いズボンがあり、派手なベルトがあり、黒いデニムジャケットがあった。
そしてその上に乗っているのは、どう見ても西と東の混血な顔立ち。
口元に浮かぶ余裕ありげな笑み。薄いライムグリーンな瞳、蛍火のような髪の色。真っ黒いキャスケットを被っている。

ほむらは彼女から発せられる、微弱な魔力の波動を感じ取った。
今の東京は、少なくとも中学生に限っては一斉旅行なため本当の意味での魔法"少女"はいない筈だ。

大学生やその上の世代は定かではないが、今の東京はL.O.L.によって戒厳令が敷かれているため現役世代が出張っていることはないだろう。
となると、外部からの魔法少女、つまり――。

「君が――暁美ほむら」

にまり、と笑って彼女が言う。呉キリカとは異なる、ニヒルな笑みだった。

 
「……誰」

「私はL.O.L.のChief Inspectorを務めさせてもらっている、神那ニコと言う。
 同じくChief……あー、最上級監察官の呉キリカの招聘を受けて、はるばる赴任先のコロンビアからやって来た。
 短い付き合いになるだろうけど、ここはよろしく、と言っておくべきかな」

静寂。東京の雑踏のさなかであるにも関わらず、二人の間に横たわる張りつめた空気は驚くほどの冷徹さを保ち続けていた。

「この場で私に接触してきた理由は」

「なぁに、ちょっと昔話を、とね。それとまぁ、顔合わせの意味もあるな」

「昔話――」

「そうさね、例えば……L.O.L.が現在のような――つまりインキュベーターに対抗する組織になった、そのきっかけだとか。あとは、『襲撃』に関して、とかならどうだろう」

「襲、撃……」

「左様。つまり佐倉――」

その名詞が虚空に放たれた刹那、ほむらは駆けだしていた。完全に反射的な行動だった。気付いた時には既に、神那ニコと名乗った彼女の襟首を掴み締め上げていた。

脳が血に沸き立つのが分かる。これほど激情を露わにしたのはどれくらいぶりのことだろう。ほむらのどこか彼方にある冷静な部分が、この事態に驚きの意を示していた。

「どういうこと!?なぜ、ここで彼女の名前が出て来るの!」

「少し、落ち着くんだ、暁美ほむら。Calm down, calm……」

ニコは両手を前に押し出す動きをして、ほむらをなだめる。
声帯を圧し潰されてしまってるせいで、彼女が発する声はまるでカエルが潰れたようなノイズにさえ聞こえた。

ほむらは無造作にニコを放った。ニコはみっともなく尻もちをついて激しくせき込んだ。

「あー……キリカの奴……話に聞いてたのと全然違うじゃないか……。君、かなりの激情家なんだね、っと。まったく……」

ズボンに付いた砂埃を払い落としながら、喉元をさすりつつニコが右手の親指でその背後を指す。

「あっちに喫茶店の席を用意してある。まったく……なんでこんなのがキーマンなんだろうかね」

先ほどのにまにま笑いを世界の端へと追いやったかのような苦い顔つきで、ニコがぼやく。

「あぁっと……これから話す事は、あまり若い魔法少女には聞かせたくない事柄だからね……今あっちでちょろちょろしてる彼女には、ちょっとお休みしてもらおうか」

『コネクト、ステイ』。彼女はそう呟き、右手を前に構え、

「じゃ、行こうかな……ああ、そうだ。言っておくけど、私は君をそれほど良く思ってはいない。
 それでもこうして誘っているのは、あの人に妙な誤解を抱いたままくたばってもらいたくないからだ。嫌だっても無理やり連れていくから、そのつもりでいておくことだ」

棘のある口調でそう言い捨てた。

ほむらは黙って後に続いた。『コネクト』の以後、尾行の気配は消失していた。

++++++++++

快温が、ほむらの身体を包む。喫茶店内は厚くも寒くもなく、人間の生体構造にどこまでも適した温度を維持していた。
真夏にして肌寒さを感じるほどの外気に曝されたせいか、ほむらはことさらこの室内温度を好ましく思った。

喫茶店<勒生(ろくしょう)>は防音加工が施された個室群によって構成される、独特の間取りを持つ喫茶店だった。
監視カメラが設置されている以外は録音装置の類もなく、つまりは内緒の雑談にもってこいというわけだ。

机の上には小さめのディスプレイモジュールが置かれ、画面をタッチすることでメニューを注文することができる。
この装置は旧型だが今でも人気の高いモデルで、5年以上前から改修を重ねつつ生産が続けられているメジャーな商品だった。
独特の機能として、登録したメニューの芳香を出力する事が出来るため、カスタマーの食欲を刺激してより強い購買意欲を創出することができる。
ニコはその匂いに釣られ、白亜のシフォンとエスプレッソを頼んだ。

ほむらはストレートのアメリカンコーヒーを注文することにした。挽きたての豆から作る、それも淹れたてのコーヒーに勝るものはない。
それに少しだけのシュガーを投入すると、コーヒーは程よい酸味を孕み、豊潤さが増す。
朝食後に呉キリカが淹れたコーヒーも良い味をしていたが、いかんせん長話のせいで冷めてしまいコクと香りを堪能するまでには至らなかった。今度はきちんと味わいたものだ。
ついでに小腹も空いてきたので、軽食にホットドッグサンドをつまむことにした。

と、ここでほむらは自分の精神がとても平常であることに気付く。
あれほど昂ぶっていた精神は、いまや凍りついた池のようにさざ波ひとつない。
鼻腔をくすぐる芳香、個室の壁面から発散されるリラクゼーション成分が脳に作用し、肉体を鎮静させたのだ。

魔法少女の本体は一般的にソウルジェムだとされる。
だが実際には肉体と魂は相互補完的役割を持っており、どちらかが欠落すれば魔法少女は生きていくことはできない。
他の生物とは、魂がスポンジを満たす溶液のように全身に染み渡っているか、ソウルジェムとして固形化しているかの違いでしかない。
つまり科学的な対処により、魂は統御できる。

L.O.L.のホームページには、精神に不調を来した際に周囲のクルーはどう動くべきかということがイラスト付きのマニュアルとして掲載されている。

まずはグリーフキューブを用いての浄化に努めましょう。その際、対象が錯乱状態に陥り暴走する危険があるので、浄化役にプラスして最低2人は補佐として待機しましょう。
対処療法としての浄化が済み次第、最寄りのL.O.L.管轄事務所に足を運び、必要な検査と鎮静剤の処方を受けてください――。

かつての魔法少女にとって、精神状態の悪化は即ち死を意味していた。
だが今はそうでもなく、必要な処置さえ行えば戦線復帰も可能である、というのがL.O.L.の公式見解だった。

 
「君は<昴かずみ>という魔法少女を知っているかな」

「……」

「まぁ、知らなくても良い。一応はオープンソースとして提示されてはいる。もっとも、学術系のレポートなんて読む子はいないけど。
 まだL.O.L.が黎明期だった頃に、私たちが出会った一人の――生まれながらの魔法少女だ」

「生まれながらの……胎児の状態で契約したとでも?」

「そういうことがあったらそれはそれで面白かったかもしれない。けれど、事態はそれ以上に入り組んでいた」

まだ組織がL.O.L.ではなく、ネットワーク上での活動が主体だった時代。
地域ごとの個別ネットワークが構築され始め、当時のメンバーたちはそれらを統合すべく忙しく歩き回っていた。

<彼女>が出現したのはそんなさなかだった。

かつて、あすなろ市という街があった。そこで、ある日突然魔法少女が出現した。
魔法少女になる前の<人間の少女>はそもそも存在せず、インキュベーターは契約行為を行っていないと言う。にも拘わらず、彼女は契約して魔法少女になった。

代償となる願いは「自分を人間にしてほしい」。<人間の少女>は魔法少女になった時点で<人間>という枠から逸脱した生命体になる。
彼女はそれを知ってなお、契約したのだと言った。

当然のことながら現場は大いに混乱した。ある日突然魔法少女が、映画『ターミネーター』冒頭のシーンのように<出現>したのだから当然と言えるだろう。
魔法少女は少女がなるものだと相場が決まっている。
虚無から魔法少女が生み出されるなど、ありえるわけがない。

そんなわけで、当時現地にいた魔法少女たちは、『昴かずみ』という存在をどう取り扱うかで大いに揉めたのだった。

ところが、この地に根を張っていた魔法少女グループ<プレイアデス聖団>にとって、この昴かずみという存在はより大きな意味を持っていた。

彼女の姿は、プレイアデス聖団を結成した魔法少女――<和紗ミチル>に酷似していたのだ。
魔法少女装束は随分と異なっていたものの、体型から顔立ちから、ちょっとした仕草に至るまで彼女の姿は和紗ミチルと瓜二つだった。

和紗ミチルは、昴かずみ出現の半年ほど前に死亡していた。
強大な(ただし黙示録の獣ではない)魔獣からプレイアデスの仲間を逃すため、特攻した。

その和紗ミチルの似姿をとる昴かずみに対して、プレイアデス聖団のメンバーはどのように接したら良いのかひどく思いあぐねたものだった。

 
「私はプレイアデスのメンバーの一人と、ちょっとした因縁があった。
 そこで、当時既に親しくしてもらっていた織莉子さんの頼みであすなろに行き、<昴かずみ>の調査に乗り出すことになった」

「結果は?」

「『分からない』ということが『分かった』」

「は?」

「つまり、私たちの持つ世界観では彼女の存在は説明がつかない、ということだ」

「世界観?技術や知識の間違いでなくて?」

「そういうのも包括した『世界』というシロモノさな。少なくとも、私たちには理解も分析も不可能な存在だった――<昴かずみ>という魔法少女は。
 驚くべきことに、彼女の身体は一般的な魔法少女のそれと全く同じだった。
 簡単に言うと、あの子はある日ぽこんとその場所に産み出され――出現した。
 それ以外の事は、極めて普通の魔法少女だった。魔法少女としての素養もかなり高くて……そうさね、織莉子さんより少し上くらいだったか」

「それと、さく――あの子とどういう繋がりがあるの」

「それはまたの機会だ。なぁに、私はキリカの家に泊まらせてもらうから、時間はまだある。まずは、L.O.L.が今の体制に移行する事になった、真の理由についてだ」

「私はあの子の話があるからとついてきたのだけれど」

「君、私の首を絞めたよね?」

 つまり、現在の主導権は自分にある、とニコは言っている。

「……」

「話を戻そう」

<昴かずみ>という魔法少女の存在を、誰も説明することができなかった。
そこで美国織莉子は発想の転換を図ることにした。現在の世界観でかずみの存在は説明できない――ならば、異なった世界観で計れば良いのだ、と。

「それが、暁美ほむら。君が織莉子さんに語って聞かせた、以前の時間軸の物語だった」

魔女のいた世界。
魔法少女が絶望しきると魔女になる世界。
魔法少女が生き延びるため、己が同胞たちの血でその魂を灌がねばならなかった、そんな碌でもない世界。

 
神那ニコは語った。かつて、ほむらが織莉子とキリカに、恨みと、少しばかりの優越感を込めて語った宇宙開闢の物語を。

「織莉子さんは以前から疑問に思っていた。なぜ、われわれ魔法少女は、契約したのだろうか、と。

 魔法少女の多くは、随意的な契約によって魔法少女になる。
 肉体から魂を抜き取られ、そいつをこんなちっぽけな石っころに封じられ、あげく死ぬまで戦い続けるような苛烈な世界に身を置く事を、己の意志で選択する。たった一つの願いと引き換えに、だ。
 若気の至りとは言え、それだけの情報を事前開示されて、そこで踏みとどまる少女というのがあまりにも少ない。
 なぜか?織莉子さんはそれをずっと考え続けていた。そして、<昴かずみ>という魔法少女の出現が、織莉子さんの中で一つの解を生み出した。

 結論から言うと、私たちが魔法少女に契約するのは、世界が再編される前――つまり<魔女>と呼ばれる存在が闊歩していた時代に行われた業の名残なのではないか、と。
 君の話によれば、再編前のインキュベーターたちは、少女と契約する際、魔法少女の魂に関する事項や魔女化の事実について告げなかったらしいね。

 そういった事実を知らぬまま魔法少女になった彼女らの契約が、再編後世界での少女たちの契約を確定させているのではないか、と。
 つまり、再編前に魔法少女になった少女は、契約内容の如何に拘わらず、再編後世界でも魔法少女になる」

<昴かずみ>の出現は、再編前と後とで魔法少女システムが変更された、そのエラーによるものだというのが織莉子の結論だった。

再編前に存在し、再編後には存在しないもの――魔女。恐らく<昴かずみ>が契約する依然、彼女は魔女が密接に関わった存在だったのだろう。
そのため、魔女自体が存在しないこの世界では彼女もまた存在できない。

ところが、魔法少女の契約は既に再編前世界の段階で運命づけられてしまっている。
つまり、<昴かずみ>は再編前の世界でも契約をしていた。再編後でも契約が為されていなければおかしいことになる。
結果、存在が認められていなかった彼女は、<契約>をターニングポイントとしてこの世界への出現が許されることになった――。

「やれやれ……長い話だったが、これで理解できたはずだ。結論を言うと、L.O.L.は君の語った御伽噺を下敷きに活動している。

 かずみの登場は私たちL.O.L.の活動に大きな影響を与えた。彼女の存在は、現在で言う<円環の理>、再編前で言う<鹿目まどか>の存在を裏付けた。
 私たち魔法少女は全て、鹿目まどかという一人の少女の犠牲の上に成り立っているのだと。

 彼女の犠牲で、私たち魔法少女の終わりは救われた。だけど、私たち魔法少女それ自体が救われたかどうかと言えば、必ずしもそうじゃない。
 坊主の前には医者が来なければならない。現世に生きる魔法少女の魂を救済するのは、今を生きる私たちの役目だ。

 そしてそれは、この世界の礎となった彼女への、ささやかな手向けの意味もある」

――私が君を嫌っているのは、君が、私たちが一生懸命世界をどうにかしようと動いてるのに、身勝手に畑荒らしをして回ってるどうしようもない手合いだからだ。

今回は以上です
推敲はしてるつもりなんですが、誤字……自分じゃ気が付かないものですね

それではまた次回

上げないでください

つまんね

乙。星団は何人生き残ってるのかとか、杏子が本当に死んだのかとか非常に先が気になる。
あいつ幻術使いだしね……

乙です

カ、ニコも存命組だったか…
他に聖団で生き残ってそうなのは能力や性格的に海香あたりかなぁと想像してしまうのでした

コネクト使ってるからカンナ

海香「とは言い切れないわね」

やっぱりほむらは害悪だな
魔法少女全体から嫌われてる

続きが楽しみすぎる

願い事なんでも叶えてもらっている上に人外としての末路からも救われているのに宇宙の延命もしているのに尚インキュベーターに対抗か

まあでも希望をいたくのが魔法少女だしね、地上をとりまく現状をよりよくしたいのならその方向にむかっていくストーリーか

とはいえ魂抜き取られて円環による魔法少女の消滅が余計に絶望ふりまく現状世界をLoLはどう変えていくのか楽しみだ

生存報告
ちょい私用があるため、更新はもう少しだけ先になりそうです
お待たせして申し訳ありません

待ってるでー

魔法少女の生に対する態度というか在り方が実に浅ましくて逆に好き

際限なく要求を繰り返すどうしようもない生き物だけど
それでも私は生きていたい()



待ってる

0047、投下開始

――――――――――
―――――
――

その不味いコーヒーを一口飲んだ時点で、暁美ほむらの眉間には深い皺が刻まれることになった。
平素、あまり感情を表には出さない性質の暁美ほむらが、こうまで不快感を露わにするのはとても珍しいことだと言える。

ほむらは勉強の友として、コーヒーをよく飲んだ。適度なカフェインを摂取するためのみならず、嗜好品としてもまた、ほむらはコーヒーを愛した。
コーヒーの香りを振り撒く仏頂面系堅物女子、というのが暁美ほむらの専らの評判として周辺に定着する程度には、ほむらはコーヒーを良く飲んだ。
だが実際には、ほむらは本格的なコ-ヒーを飲んだ経験などほとんどなかった。
粉末を湯に溶かして飲むインスタントタイプが、ほむらにとってのコーヒーのおよそ全てだったのだ。

美味しいコーヒーを飲みたい、ある日そう思い立ったほむらは、ドリップセットの購入に踏み切ることにした。
三角フラスコのようなガラスのポットと、入り口に乗せるドリッパーがセットになった、郊外の大型量販店で市販されているごく一般的なモデルだ。
ついでにちょっとだけ値の張る豆も買った。せっかくなのだから少しくらいの贅沢は構わないだろう、という考えだった。

自宅へ戻り、早速コーヒーを淹れる。製粉された豆をパックの敷かれたドリッパーに流し込み、次いで沸騰した湯を注ぐ。
すると、フラスコのようなポットに黒々とした液体が溜まっていく。

良い香り、そう思った。豆に湯を注ぐときに立ち上った芳香は、美味いコーヒーに餓えはじめていたほむらの鼻と胃を大きく揺さぶった。
溢れんばかりの涎が口中に満ち、ほむらは喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。

と、ここで呼び鈴が鳴る。時間ぴったり、美国織莉子の来訪だと、すぐに分かった。

ほむらは織莉子に学校の勉強を看てもらっていた。
同じことの繰り返しだったループ中では、学業において常にトップクラスをひた走っていたほむらだが、それはあくまでも恐るべき反復により嫌でも憶えてしまったからに過ぎない。
そこから先、つまりループの1ヵ月間から先の出来事について、ほむらはどこまでも無知だったのだ。

そしてそれがために、ほむらはループが終わって初の定期考査後に始まった新単元で学年最低クラスの点数をマークしてしまう。
その落差は、ほむらに担任の早乙女和子からの呼び出しを受けさせるほどだった。
調子が悪いなら別の日にテストを受けても大丈夫ですからね、と言われ、ほむらは何も言わずに職員室を後にしたものだった。

 
そんな理由から、ほむらは先達に――つまり学年が上の先輩に、勉強を習う必要が出てきたのだ。

魔獣退治と学業との間で板挟みになる魔法少女は基本的に多忙だ、もう何度も繰り返すなどと悠長なことは言ってはいられない。
学校は毎日あるし、そのたび単元は進行していく。
そこでほむらが白羽の矢を立てたのは、魔法少女になって以後も、お嬢様学校で未だ学年トップクラスの成績を維持し続けている美国織莉子だったというわけだ。

本当のことを言えば、ほむらは最初巴マミに勉強を看てもらおうとした。
ところが、マミは確かに学校の成績は良かったものの、割りと自分のことだけで手一杯の状態だったのだ。
もとより魔獣退治と学業との板挟み云々は、特に巴マミに顕著な事柄だった。

ひどく心苦しそうに、マミはほむらのお願いを断った。

他方、美国織莉子は学業において他の追随を許さないレベルだった。
実際に呉キリカの勉強もよく看てやっているらしいという話を聞き、嫌々ながらも背に腹は代えられぬと、ほむらは織莉子に家庭教師をお願いする。
織莉子はそれを快く引き受けた。それからというもの、織莉子は僅かなグリーフキューブと引き換えにほむらの勉強を手伝っているのだった。

今回ほむらがコーヒーをわざわざドリップで淹れようなどと思い至ったのは、彼女に対するちょっとしたお礼のような意味合いもあった。
癪な事実だったが、織莉子の教え方は恐ろしく上手い。お蔭でほむらの成績は鰻登りだ。

ここら辺でゴマを擂っておいた方が良いかも知れない。
素直なお礼の気持ちをそうして理屈付けし、ほむらはコーヒーを2杯、織莉子が勉強道具を広げ始めているだろう学習室へと運んで行ったのだった。

 
言いたくないのだけれど、と言って織莉子は続けた。

「ひどいわね。来客の立場としては、これを出されて喜ぶ人なんていないでしょうね」

そんなまさか、とほむらは自分のカップに口づける。
それはコーヒーではなく、ただの苦い汁だった。豆に湯を掛けた時の豊潤な香りも、いつか喫茶店で飲んだコクも、何もかもが存在していない、ただの苦い汁。
かくて、ついぞ珍しいことに、ほむらは不快な感情を露わにしたのだった。これは不味い、我ながら。

「暁美さん、これはどうやって淹れたのかしら?」
「どうって……勘、でかしら」

織莉子ははぁと溜息を吐き、

「きちんと下調べをしておくべきだったわね、これじゃああんまりだもの」

心底呆れ顔でそう言った。

「仕方ないじゃない……初めて淹れたんだから」
「初めてなのは良いとしても、事前に調べないのはおかしいでしょう。自分の無知を誇るものではないわ」

ああ、そうだ。ほむらは自分自身の愚行に落ち込んだ。
かつてワルプルギスの夜と戦った時――戦い続けていた時、自分は徹底した下調べと入念な計画設定を行っていた。
結局自身の力での打破は出来なかったものの、それだけの用心深さが自分には備わっている筈なのだ。

にも拘わらず、今回はそれを怠った。やれば出来るはずなのに、やらなかった。
ほむらは自身の経験を、ことここに至り微塵も発揮できなかったことにひどく落ち込んだのだ。

そんなほむらの落ち込みように織莉子も心を動かされたのか、

「じゃあ、暁美さん。今日はちょっと勉強はお休みして、私主催のコーヒーの淹れ方講座をしません?」
「……貴女、紅茶派ではなかったかしら?」
「あら、私がコーヒーを飲むのはおかしいかしら?モーニングはコーヒーを飲むことにしているの。紅茶は午後のお茶の時間に、ね」

そうして、織莉子によるコーヒー講義が始まった。

 
先ずは湯を人数分沸かす。ドリッパーにパックを敷き、湯の量に応じたコーヒー豆の粉末を、きちんと計量して投入する。
投入した粉の表面をドリッパーの端を手で軽く叩くことで平らにならす。沸いた湯を一旦ポットに注ぐと、再度ケトルに戻し湯の温度を調整する。これで準備完了だ。

一投目の湯を注ぐ際には、粉の中心部分から辺縁へと渦を巻くようにして粉全体に湯が掛かるようにする。
ここで上手くいくと、お湯と空気の作用で粉の表面がカップケーキのようにふっくらと膨らむ。

「あっ……」

だが、ほむらがお湯を掛けると粉はべちゃっと潰れてしまい、ドリッパーの表面へと張り付きまるですり鉢のような形を為してしまった。
ほむらは思わず落胆の声を上げる。

「大丈夫、みんな初めは失敗するものよ。私だって、初めのころは何度も失敗したのだから」

ほむらは織莉子を見遣る。失敗したけど次はどうすればいい、と無言で問う。

「ええと、次は――」

織莉子はほむらの手を取った。ケトルを持った右の手を。その手の冷たさに、ほむらは驚く。
そのまま身体をほむらの背後にまわして、雛を包み込む親鳥のような恰好になると、織莉子はゆっくりとケトルを傾けドリッパーに湯を注ぎ始める。
中心から辺縁へ。辺縁から中心へ。ほむらの手を取ったまま、織莉子は手早く、そして丁寧にお湯を注いだ。

手の冷たさとは裏腹に、ほむらを包む織莉子の身体はとても温かだった。
手の冷たい女性は情熱家である――とは、いったい誰の言葉だっただろうか。ほむらは思った。

美国織莉子――かつての仇敵。今でも、決して意見の合う相手ではない。
それでも、今くらいはこうして、彼女の優しさに触れられているのも、悪くないかもしれない。

ほむらは眼を閉じた。
今少しだけ、織莉子の冷たい手の心地よさを、背中から伝わる温もりを、味わっていたいと思った。


――
―――――
――――――――――

――――――――――
―――――
――

あたしが、と彼女は言った。

「この時間に何やってるか、そっちだって知ってると思ったんだけど」

祭壇越しに聖母像へと跪く彼女に、目前に立つ美国織莉子は言った。ひどく機械的で、冷徹な声だった。

「3日後、貴女は襲撃される。貴女に恨みを抱いている者たちの襲撃で、貴女はひどく無残な死に方をすることになる」
「へぇ、あたしもとうとう年貢の納め時ってわけだ」

黒いシスター服に身を包んだ杏子が自嘲する。

「自業自得ってヤツだな。まぁ教えてくれたお蔭であたしも心の整理ができるってもんだよ」
「ところが、そうでもないの。私たちには、秘密裏に貴女を逃がす用意がある」
「……どういうことだ」

一瞬だけ間を置いて、

「組織が擁する監察官たちは、貴女の過去の行いからして貴女を危険人物だと断じ……死んだ方が良いと判断した。
 グリーフキューブの供給を断つことで、貴女は円環の理へと導かれることになる、筈だった。私たちは組織の名のもとに、貴女を殺さねばならなかった」
「……」
「3日後の襲撃は、私たちの組織の規範から外れた出来事なの。簡単に言うと、貴女を殺すのは私たちでなければならない。
 他の者が貴女を殺すのは単なる殺人に過ぎないわ。少なくとも私たちの組織の統治下では、自力救済――復讐は禁じられている」
「要は、ヤツらに復讐を遂げさせちゃなんねぇってことか」
「そういうこと。復讐の連鎖を断つにはそうするしかない。
 本人に代わって第三者が罰を与えることで、遺恨を残しつつも互いが互いに復讐し合う地獄のような環境は少しずつ薄まっていく。
 私たちが目指すのはそれであり、貴女には逃げてもらわなければならない。でなければ、貴女を想う別の誰かが復讐者たちに復讐を企むことも……ありえる。
 ところが、私たち自身の組織の基盤も、今は脆弱極まる状態。
 そういった現状の元、おおっぴらに貴女を逃がすようなことになれば、近隣の魔法少女たちからの求心力は一気に低下することでしょう。
 そうなれば、せっかくここまで育った芽が潰えてしまう。貴女にはこっそりと逃げてもらわなければならないの」

――私たちのためにも、どうか、逃げてほしい。織莉子はそう言った。

二人の間に静寂が横たわった。教会に叩きつける窓ガラスを揺らす強風が嘘のような、ある種異質な静けさ、静謐さが、教会内部を占めていた。

 
ややあって、杏子が口を開く。

「あたしは、逃げない」

織莉子の息を呑む声が聞こえた。

「……なぜ」

口調を荒くして問う。

「これは、あたしが負わなくちゃいけない咎だから、さ。
 例えば、マミやゆまや……ほむらや、もちろんあんたたちも。あたしの大事な連中が誰かにぶち殺されでもしたら、きっとあたしは怒り狂うと思う。
 たぶん、死に物狂いで探し回ってさ、そして絶対にぶっ殺してやろうとすると思う。
 で、あたしのことをそんな風に――ぶっ殺してやりたいって心の底から思ってる連中が何人もいるんだろ?
 あたしも、その痛みを知ってるんだ。誰かの命が喪われて、それがどんなに辛くて哀しいことかって、知ってるんだ。
 だから、あたしはそいつらの想いを、復讐したいって感情を、受け留めてやんなけりゃいけないんだ。他ならぬ、あたし自身の命でさ」

そうして振り向いた杏子の顔は、涙と、鼻水と。そういった諸々でみっともないくらい歪んでいた。
自分が踏み躙ってきた魂たちへの罪悪感と、そして自らの命が遠からぬ未来に絶たれてしまうことに。

けれど、杏子は嗤ってもいた。

それは自嘲だった。自分のこれまでの行いが、あまりにもストレートな殺意となって返ってくることへの、自嘲の嗤い。

「これは自業自得なんだよ。なんてことはない、ただの自業自得なんだ。
 あんたたちもさ、組織のことで色々とあるんだろうけど、これはあたしの問題なんだ。そういうことにしといてやってくれねぇか」

杏子は、もはや死ぬことを決心してしまっていたのだ。死で以て罪を償うことを、受け容れてしまっていた。

自分は罪びとだ、咎人だ。罪は――雪がれなければならない。断罪者が第三者であるのか、当事者であるのか、そんなものは些細な事柄だ。
むしろ当事者であるほうが、自分を罰するに相応しい。杏子はそう考えているように思われた。

織莉子は息を吸った。そして吐いた。昂ぶった心は、たったそうするだけで鎮静化される。生命体としての軛により、織莉子は自身の心を気の赴くままに制御したのだ。

「我ながら調子の良い話だとは思っていたわ」
「何がさ」
「世の中は不幸で満ち満ちている。いつだって、どこかで誰かが死んだり苦しんだりしている。
 私たちは数量的にそれを知って、けれど決して心動かされることはない。どれだけの悲惨さが転がっていようと、眉一つ動かしたりはしないのよ。
 ……けれど、いざ自分に近しい人が苦境に立たされたとなれば――悲惨の憂き目に遭うとなれば、心動かされ全力で対処しようとする。
 私たちは皆等しく、ダブルスタンダードで動いている」

織莉子の声は、さきほどまでの機械的なものではなくなっていた。

 
「誰しも大事なのは仲間なのよ。それ以外の有象無象なんてどうだって構わないの。
 魔法少女にしても、人間にしても、それは変わらない。
 ――貴女がどれだけのことをしでかしてしまっていたのだとしても、私にとって大事なのは復讐者でも組織の規範でもない、貴女なの」

杏子が眼を見開いた。まさか、あの織莉子からこんな言葉が飛び出すなど考えもしなかったのだろう。

美国織莉子。
目的達成の為に必要とあらば、最低限の犠牲を惜しまない女。そう言う他の魔法少女が持ち得ない特性で以て、彼女は一端のリーダーとして信頼される人物だった。

杏子にしてもそれは同様で、だからこそ杏子は見滝原魔法少女群の首魁として織莉子を認めていたのだ。

「ねぇ、佐倉さん。私は美樹さんを救うことが出来なかった。
 キリカを円環の運命から逃れさせることに成功して天狗になった私は、美樹さんの運命も打ち壊せると確信していた。
 けれど駄目だった。美樹さんは、私の見ている目の前で魔獣に特攻して――死んで、死なせてしまった。
 佐倉さん、私は、もう仲間を死なせるわけにはいかないの。
 運命、宿命、そんなものなんかくそくらえよ。そんなものに、私の仲間をもう奪わせたりはしない……!」

だから、ねえ、佐倉さん。逃げて。貴女は――貴女は、あんなに無残な死に方をして良い人間じゃないわ。お願いだから、ねえ、逃げて。

ぽたり、と音がした。織莉子の握りしめた拳から、血が垂れ落ちていた。

杏子は笑った。もはや自嘲の笑みではなかった。自分を――こんなに汚れきった罪びとの自分を、こうまで思ってくれている人間がいる。
仲間がいる。それが心底嬉しくて、笑った。

ははっ。

そうやって、乾いた、だけどとても綺麗な声で、笑った。

「こいつは、ますます逃げられなくなっちまった……」
「どうして!?」
「あたしが逃げたらさ、卑怯者になっちまうだろ?色んなことやらかして、そんでスタコラサッサと逃げたらさ、あたし卑怯者になっちまう。
 やったことのツケは、他でもない、あたしが払わなくちゃいけないんだ。織莉子、あんたにも泥は被せられねぇ。こんなに想ってくれてる仲間には、さ」

また笑って、杏子は言う。

「キリカ、後は頼んだぜ。見滝原のトリックスターの座は、あんたに譲ってやるよ」

視界が、頷くように上下した。

結局、杏子の意志は変わらなかった。杏子は復讐心を受け留めて、そうして死ぬことを選んだ。
 

教会を出て、織莉子は嗚咽した。予知、運命のビジョンで見た、あまりにも凄惨な死に方を想って。
杏子の痛みを、結局背中を押すことになってしまった自らの不甲斐なさを呪った。

口を押えて、何とか嗚咽を噛み殺そうとする。掌から溢れ出た血が、織莉子の顔を真っ赤に染めた。

月すらも見えない曇天の下、織莉子は杏子を想って泣いた。この視界の主には、それを、肩を貸して支えてやることしかできなかった。

――
―――――
――――――――――

――――――――――
―――――
――

ほむらは眼を醒ました。反射的に顔に手を遣る。
危惧した通り、顔は涙に濡れていた。

なぜ、今更になってあんな夢を見たのだろう。古い記憶、もはや封印したはずの記憶が、今頃になって呼び覚まされたのだろう。
それどころか、なぜ、誰か――恐らくキリカの記憶をも見てしまったのだろう。

分からない。分からないと言うことが、ひどく、ほむらの心を掻き乱した。

よろよろとベッドから降りる。神那ニコとの会談で飲んだコーヒーは、ほむらにとって十分な量のカフェインではなかったらしい。
あの後キリカの隠れ家に帰ってきたほむらは、そのままベッドにその身を横たえると泥のように眠ってしまったのだった。

コーヒーが飲みたいと思った。脳細胞の一つ一つまでをも活性化させるほどに熱く、そして濃いやつを。

喉の渇き以上に、ほむらはコーヒーを飲みたいと思った。

――呉キリカの淹れたコーヒー。
美国織莉子が淹れたそれと極めて近しい味をしたあれを、もう一度だけ、飲みたいと思った。

壁を埋める本棚に半ば身体を預けつつ、漆喰の壁に切り取られたように存在する出口へと向かう。
部屋と直接繋がるリビングルームへと顔を出す。ちょうど振り向いた呉キリカと眼が合った。

「ちょ!おい、ほむら!大丈夫かい!?体調が万全でないのなら、まだ寝ていた方が良いんじゃ……」

キリカは駆け寄ってきて、ほむらに肩を貸した。その瞳が、心配そうな色を点してほむらの顔を覗き込む。
ほむらはそれを睨め付けて言った。

「コーヒーを淹れて頂戴……朝の、あれと同じで良いわ。それだけで、大丈夫よ」

視界の端で、神那ニコがせせら笑うのが見えた。

今回は以上となります
間が空いて申し訳ありませんでした

乙。杏子生存のフラグは完全に折れたかチクショー

ほむほむぅ

おう談義スレでステマすんのやめろや

乙でしたー
グリーフキューブの供給を断つことで、貴女は円環の理へと導かれることになる
って、恐いな

人間でいうところの水も食糧も絶たれてくる死を待つ感覚だよね…

更新きたぁあああ

ほむらがアメフトする話かと

生存報告です
ただいま進行状況50パーセントほど
もうしばらくお待ちください…

生存報告 乙

こんな風にしかならない誰も救われない世界なら……
いっそ魔法少女の存在をなくした方がよかったかもな
魔女化がなくなっても結局は魔法少女という存在自体が悲しみしか生み出さない…

生存報告です
今週はちと忙しいのでアレですが、来週中には更新できるかと思われます
大変お待たせして申し訳ありせん…

まつよー

まーたエタ候補スレが無駄に寿命伸ばしてやがる

無駄って言葉の意味を知らないのかな?

穢多は黙っとれ

穢多って何?
死体の処理に関係してる人みんな穢多?
動物の皮加工してる人みんな穢多?
犯罪者捕まえる人みんな穢多?
ネットでも使っていい言葉と使っていけない言葉はあると思うけど

その議論はここでしなくていいね、はい終了

 
ガラス製(実際はそれよりも強度の高い特殊素材)のテーブルの上に、一枚の紙が置いてある。それをぐるりと囲むようにして、3人の魔法少女が鎮座している。

"法の光"協会最高監察官・呉キリカ。
同じく、神那ニコ。
そしてアウトロー・暁美ほむら。
事情を知らない者が今の光景を見ればきっと目を疑うことだろう。L.O.L.の中でも最高の権威、権力を持った二人が、組織に属さないはみ出し者と共同戦線の段取りを組んでいる。
それはL.O.L.がまつろわぬ者たちを排斥してきたという歴史を鑑みれば、およそ考えもつかない事態だった。

テーブルの上に置かれた一枚の紙切れには港湾区画一帯の地図と、<黙示録の獣>の進出経路が矢印マークとして描かれている。
矢印は海から至ると、そのまま本土に上陸し居住地域へと真っ直ぐに伸びている。
縮尺に則れば、その間はおよそ2km。
魔法少女がまともに戦闘可能なのが専ら陸の上であることを考えると、その2kmの間に魔獣を撃破しなければ作戦は失敗となる。人的被害は空前絶後のものとなるだろう。

「作戦、と言ったって別に妙ちくりんなことはあまりしない。備え、迎撃する。たったそれだけさ」

 と、キリカが言う。

「"あまり"ってどういうこと」
「こないだ酒場で言ったことを憶えているかな、"キミではアレを倒すことはできない"って」

 ほむらは記憶を手繰り寄せ、

「言ってたわね。どういう確証があるのかは分からないけれど」
「現在の私たちの活動が、かつて存在していたとされる"鹿目まどか"なる人物に立脚しているというのは――」
「それは私が懇切丁寧に話しといた」
「ありがとうニコ。――で、だ。私たちは考えた、魔獣の成り立ちってやつを」

++++++++++
 
ニコが言ったように、今のこの世界が鹿目まどかという一人の魔法少女の願いにより再編された後のものだ、という認識の下で私たちは動いている。
では、その結果生まれた魔獣とは何なのだろうかと考えた時、それは"反作用"だという結論に私たちは至った。
物を殴った時には、物に対してだけでなく殴った拳の側にも同じだけのエネルギーが返ってくるって、アレさ。
鹿目まどかの願いで魔女は消滅したが、魔法少女の願いにより引き起こされた条理の歪みは消えるわけじゃない。だから代わりに、その歪みを引き受ける何かしらが必要だった。
その"何かしら"っていうのが魔獣ってわけさ。
鹿目まどかという実際に逢ったというキミならそこの所はもう分かっているかもしれないけれど、私たちは長年の研究の末にようやくそのことに辿り着くことができた。

――そう、魔獣は鹿目まどかの願いの反作用として発生した。ここがミソさ。

繰り返しになるけど、魔獣は魔法少女の願いの、その歪みを是正するための存在だ。
そして前に言ったように、世界にはびこる魔獣の数と魔法少女の数は――統計上釣り合っていない。
それは魔法少女が周囲に不幸を振り撒き結果として絶望を喚ぶ、そんな存在だからってわけじゃない。
確かに絶望……怒り、悲しみやなんかの悪感情は魔獣を肥え太らせるけれど、魔獣が発生する根源、つまり種というか卵というか……中核となる発生源にはならないんだ。
魔獣の発生には条理の歪みが必要で、それなしにはどれだけマイナスの感情が発生したところで魔獣は生まれっこないってことだよ。

そして――思い出してほしい。ニコは『魔法少女は再編前の因果に引き摺られて、この世界においてなお魔法少女になる』、そう言った筈だ。
じゃあ、鹿目まどかが契約した時に生まれた"条理の歪み"ってのはどこに行ったっていうんだろう?
鹿目まどかは再編前の世界で消えてしまったと言うけど、この世界にもその"願い"と"歪み"は引き継がれていなければおかしいんだ。

私たちは考えた。恐らくは、鹿目まどかの契約により生まれた歪みこそが、この世界で為された魔法少女の願い、以上の数の魔獣を生み出しているんじゃないか、と。
つまり魔獣は、ヒトと魔法少女に仇なす存在である以上に、鹿目まどかの願いに反抗する存在なんじゃないか、と。

そこで――キミだ。
かつてキミは私たちに語って聞かせた。この魔法(ちから)はまどかから受け継いだものなのだ、と。
鹿目まどかの力が、鹿目まどかに対抗するために存在する魔獣たち相手に有効打となり得るはずがない。

もちろん、それでダメージを与えることはできる。だが他の魔法と比べると圧倒的に効率が悪い。
キミは他のどんな魔法少女も追随できないような強力な魔力キャパシティを持ち、高度な戦闘技能を兼ね備えた、私たちとしても喉から手が出るほど欲しくなる人材だ。
だけど、それほどの魔力を持ってしても、キミの力だけでは絶対に足りない、黙示録の獣を倒すには。

何らかの変換機を用いて、キミの魔力を別のものとして置き換えなければ――。

++++++++++
 
「"あまり"の中身はそこさ。キミと私をニコの魔法で接続<コネクト>して、キミの魔力を私が変換し、ぶっ放す。
 キミが弾倉と弾丸で、私が銃身、ニコが装填機構としての役目を担うわけだ」

ああ、説明はやっぱり苦手だ。そうぼやいて、キリカは口を閉じる。

「私は少し離れた地点からキリカと――お前をフォローさせてもらうよ。
 この中で情報制御関連の魔法を持っているのは私だけだ……接続<コネクト>で二人の魔力を同期しつつバックアップに当たることになる。
 本当のこと言うと、お前なんかコネクトするのすら嫌なんだけど……織莉子さんとの約束だからね、仕方ない」
「随分と嫌っているじゃないか、ほむらのこと」
「むしろキリカ、私はお前の方こそ分からないんだけどな。もう随分と長い付き合いだが、キリカだって織莉子さんのことを尊崇している筈だ。
 ずっとL.O.L.に……織莉子さんが心血を注いで作り上げた組織に反抗し続けるこんな奴に、そんな風に親しくする理由なんて、ない」
「私だって、別に親しくしてもらう必要なんてない。利害の一致と、そして正当な報酬の下に協力する段取りになっているだけよ」
「はぁ……そう刺々しくばかりしないでもらいたいんだけどな。一緒の部屋にいる私の身にもなってくれ、心労でジェムが濁ったらどうするのさ」

 そうしてキリカはおどけてみせるも、ほむらとニコは応じることなく鋭い視線の応酬を繰り広げるばかりだった。

「キリカ、貴女は言ったわね。私が貴女を、美国織莉子を恨んでいる理由は知っているって。その罪は赦されない。私が、許さない」

 じろり、とほむらはその刃のような視線でキリカを睨む。おどけ顔だったキリカは途端に居住まいを正すと、

「ああ、うん。そうだったね……私たちでは止めることができなかった――私たちのせいで大事な仲間の一人を、ああも無残に死なせてしまったこと、そのことでキミは怒っているんだろう?
 キミとさやかはとても懇意だった。キミはさやかが死んだ直後、彼女の意志を継ぐようにして契約したんだったね。
 私は――織莉子のお蔭で危うく死ぬことを免れた。その事で、織莉子は運命は変えられると確信したんだ。そして黙示録の獣に挑み――結局、さやかを死なせてしまった。
 そしてその次は杏子だ。しかも杏子の場合には、ほとんど私たちが手を下したと言っても良いくらいのシチュエーションだった。
 キミが私たちを恨んでいるのも、だから当然のことなんだろう。」

キリカはまっすぐにほむらの眼を見据えた。思いきり殺意を込めて睨むほむらの視線を、受け流すことも撥ね退けることもせずにしっかりと受け止めて。
けれどその理由、キリカが自身の罪として認識しているそれは、ほむらにとってはあまりにも的外れに過ぎた。
ほむらは声を大にして叫びたくなる。

違う。私は杏子に恋してた。いいえ、愛していたの。
けれどその愛が成就する前に、熟れた果実が弾け散る前に、貴女たちのせいで杏子はその生を奪われてしまった。
私は思いを告げることすらできなくなってしまった。
私が貴女たちを恨んでいるのは、誓いを破ったからなどではない。そもそも、さやかが貴女たちのせいで死んだなど、私には知る由すらなかった。
貴女たちの取るに足らないエゴイズムのせいで、杏子が殺されてしまった――あんな死に方をして良い子じゃなかったのに。

私は、貴女たちに、愛する人を奪われたのだ。
過去の時間軸では幾度となく。
そしてこの世界の、もう逃れようのなく広がる浮世で、またも。

だから、私は、貴女たちを――お前たちを、恨み、憎み続ける。

 
それが理不尽な恨みだということくらい、ほむらは自覚していた。
ほむらが杏子への愛を自覚したのは、杏子が死んだ後だったのだから。
織莉子が彫り上げた墓の前にして、初めてその感情が込み上げてきたのだから。
まどかを奪ったのだって、"今の"美国織莉子と呉キリカとは何の関わりもないことなのだ。
自分が今、どれだけ理不尽なことで二人を恨み続けているのか、理解できないほむらではない。

それでも、恨まずにはいられない。
自分と言うものがそれほど良く出来た人間などではないこともまた、ほむらは自覚していたから。

眼を閉じれば思い出す。風にたなびく赤のポニーテールを。その向こう側にあるすらりとしたうなじのラインも、しっかりと筋肉の乗った背筋も、腰つきの女性らしさも。
ほむらは今でもその愛らしさを、しなやかさを、いとも簡単に想起することができる。

――想起。

ここで、ほむらははたと気付く。そうして思い起こすのが、いつも杏子の後姿ばかりだということに。

記憶を手繰り寄せてみると、もう一つ気付いたことがあった。
自分は、あの日、杏子の墓の前で泣き崩れた。両手で顔を覆い、歯を食いしばって泣いた。
そこでほむらは気付いたのだ。私は、杏子に恋していた、そう思ったのだ。
けれどさらに記憶を遡ってみても、そこから先の思い出は何一つも存在してはいなかった。
そのことに、ほむらは気付いてしまったのだ。

記憶と言うものは単にそれだけでは脳には保存されない。
実際に起きた出来事は、他の何かしらの出来事とリンクされることで、引き出し自由な記憶として保存される。
つまり誰かの容姿を思い出そうとしたときには、その容姿と紐付けされたシチュエーションが必要なのだ。

だが暁美ほむらにはそれがなかった。
佐倉杏子の姿かたち、匂いや声を喚起するに足るシチュエーションが、ほむらがどれだけ記憶を掘り起こそうと存在してはいない。

もしほむらが杏子に恋していたとしたら、たとえそれにほむら自身が気付いていないとしても視線は杏子に引き摺られるはずだ。
少なくとも、

この事は同時に恐ろしい事実をも指し示していた。そしてそれを、ほむらに突き付けるのだ。

"その佐倉杏子はお前の想像上の産物なのだ"と。
"お前が佐倉杏子に恋していたのだと思うのは、ショックが生み出した幻影にすぎないのだ"と。

「貴女は」

思わず口を突いて出ていた。

「何のために戦っているの」

キリカに問う。

「貴女の愛した人はこの世界にはもういない。それどころか彼女の作り上げた組織の内紛で――殺された。
 結局彼女は、美国織莉子は、自分自身で作り上げたものに裏切られたのよ」

 
反逆者たちが起こそうとしたのは革命だった。

『我々はこれより過去を切り捨てる。泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ』

流石にここまでドラスティックな考えで動いていたとは考え難いが、当時の彼女らが取り憑かれていた思想というのはまさにそれだった。
美国織莉子――L.O.L.の創設者の一人。当時のL.O.L.の象徴たる人物。
彼女らにとって美国織莉子というのは過去のL.O.L.の具現だった。よって現体制を打破し、新しい秩序を齎すためにはその象徴を完膚なきまでに破壊する必要があったのだ。
それは美国織莉子の死を意味してはいなかった。物理的な、破壊だった。

ソウルジェムを砕かれて執務室に横たわる織莉子の亡骸を、反逆者たちは文字通り八つ裂きにした。
巨大な肉斬り包丁を思わせる巨大な刃物で、いくつもの部品<パーツ>に分断したのだ。
そしてその一部始終を記録した画像と動画を、インターネット、L.O.L.の公式HPにアップロードしたのだ。
今を生きる魔法少女を救う、ただその一念だけを胸に巨大な組織を運営するに至った彼女は、その遺体切り刻まれを晒し者にされるという無惨にも余りある末路を遂げたのだった。

反逆者たちにとって誤算だったのは、この凄惨な光景を目の当たりにした多くの魔法少女たちが反体制派を非難する立場をとったことだった。
彼女らは"やりすぎ"たのだ。
仮にも現在の魔法少女たちがそれなりに安定した生活を送れているのは、美国織莉子の手腕によるところが大きい。
多くの魔法少女たちはその事を理解していた。だからこそ、不満こそあれ一応は現体制に反旗を翻すような真似をする者など碌にはいなかったのだ。

確かに、当時の協会が多くの問題を孕んでいたのは事実だった。
だが、織莉子の惨殺遺体を目の当たりにした魔法少女たちは思ったのだ、美国織莉子はこれほど残虐な死を遂げて良いほどの悪人などでは決してない、と。

反逆者たちを支持する者はあっというまに少数派になり雲散霧消した。
その後、呉キリカを筆頭とする最上級監察官たちのもと反体制派は芋蔓式に炙りだされ、文字通り法の外側の存在――何の庇護も受けることのできない"Out Low"として放擲されたのだった。

「貴女は――キリカ、貴女は最愛の人を失った今、何を考えてL.O.L.に携わっているの」

なぜ貴女は立っていられる。
あれほど愛していた美国織莉子を失って、喪って。どうしてそうも前を向いていられる。

ほむらの記憶の中のキリカは、常に美国織莉子だけを見ていた。
もちろん仲間を思い遣ったりすることもあったが、キリカの行動原理の殆どは美国織莉子という一個人に大きく依存していたのだ。
過去の時間軸で、織莉子の為だけの魔女とかし見滝原中学を襲ったあの執念を、ほむらは今でも憶えている。

だからこそ、織莉子が殺された後、キリカもそれを追ったのではないかとほむらは思っていたのだ。
もっとも、協会の公式HPを覗けばキリカが存命で、その後も元気に組織運営に携わっている事は明明白白たる事実として横たわってはいたのだが。
徹底してL.O.L.から距離を置いていたほむらは、その事すら知らずについ先日までいたのだった。

知りたいと思った。
たった一人の大事な人を喪失したキリカが、どうしてこうも朗らかに笑っていられるのか。

まどかはもうこの世界にはいない。
いや、確かに存在はしている。けれど実際には言葉を交わすことはおろか、この眼で姿を捉えることすらできない。
そんなのは、結局のところ彼岸と此岸に分かたれたようなものだ。

杏子に対してなど、もっとひどい。
ほむらは今までずっと杏子に恋心を抱いているかと思っていたのに、もしかしたらその感情は後付けの思い込みかも知れないことに気付いてしまった。

ぎゅう、と自分の着る服の、その胸元を掴む。

何か、言って。お願いだから。
一番救いたい人を救えずに、たった一人この世界に放り出されて。そうして今まで生きてきた私に、何か言って。

貴女も私も、自分にとって一番大事な人とはもう出会うことはない。
貴女は今、何を思って、何を支えに、今を生きているの。

ニコがどんな顔をしてこちらを見ているかなどどうでも良かった。
ほむらと、キリカと。世界で一番大事な人を失った魔法少女同士、お互いの視線を真っ直ぐに交える。

 
キリカは、ふぅ、と息を吐いた。

「もう織莉子はこの世界はいない。死んでしまったから。そして私の中にも――いやしない。私の中の織莉子っていうのは、私の記憶が作り出した織莉子の幻影にすぎないから」

ほむらは眼を見開く。
それは、まどかと――そして杏子と、その記憶を糧に生きるほむらの今を否定するものだったからだ。

「私は織莉子を愛している。それは今も、変わらない。だからこそ、私は私の記憶が作りだした都合の良い美国織莉子と訣別することにしたんだ。
 織莉子との生活は、色々あったよ。嬉しいことばっかりじゃなく、悲しいことも――山ほどあった。その記憶ってのは、私にとってもとても大事なものだ。
 けれどその記憶が生み出した織莉子っていうのは、所詮は記憶に過ぎなくて、本物の織莉子じゃない。織莉子が織莉子として言葉を紡ぐことは、決してない。
 想いを継ぐ、なんて簡単に言うけれど、実際そこにいない人の言葉を実行することなんかできない。
 だから私は考えた。ただ遺言を実行するだけではなく、"自分は如何に在るべきなんだろう"ってね」

「如何に在るべきか……」

「私は織莉子と一心同体のつもりでいた。けれど実際には、織莉子が死んでしまった今、何をしたら織莉子が喜ぶかなんて本当の意味では分かりはしないんだ、未来永劫。
 だから私は、私として動くことにした。今となってはもう織莉子の言葉は知れない。でも織莉子が遺した記憶じゃなく、織莉子が遺した"もの"を、次代に繋いでいくことは出来る」

そしてキリカははっきりと言う。芯の通った声で。

「私は、私の意志で、織莉子の残した"もの"を、L.O.L.を繋いでいくことに決めたんだ。織莉子にお願いされたからってのもあるけれど、それだけじゃなく、私個人の意志で」

そしてそれは、きっととても素晴らしい事なんだと思う。

そうしてキリカは言葉を区切り、たった一つだけカップに残されたコーヒーを飲みほした。

「それは私のなんだけども」

ニコが苦笑いした。

今回は以上です
またも短い、そして予告より大幅に遅れて申し訳ありませんでした

乙、短さはなんら問題ではないよ、更新さえあれば

乙です

確かにエタらないほうが重要ではある

                   '"  ̄ ̄ ̄  '   、
          /⌒\ /              \/ ̄ ̄|
           |: .  ノ                  ‘:, . : |
         /|: : . /     | |    |         ∨ : /\
         // ∨:..| ,       | |    | |         ', 〈   \
       ⌒7  :/. : :| |    |  | 八    | | \  |     |: :゚, 〈⌒
.       ′ | : : :| |  __|_|_ノ \  |V\__|_  | |  |   '
       ;   |__;| |    |\|     \|    \|:. | | |_|    i
        | |  /:八| \ |;;::  ィ●ァ  ィ●ァ :::;;||  | |ノ∧     |
        | | :〈__人|   ゝ;;::          ::;;|| 八  人|   |
        |ノ|   | /゚ |   |;::     c{ っ   ::;||/ ムイ⌒|   八
.          八  /∨ :八  |;;::    __   ::;;;|  /  Vヘ.| /
.            ∨     \|ヽ;;::   ー   ::;;/|/     ∨
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               |;;::              ::;;|


書いてくれることだけが望みだ

生存報告
しばらくお待ちください

舞ってる

保守!落ちんでくれよ

ちょっと最近マジで忙しいので更新できずに申し訳ないです
落とす気は無いので、リアルがひと段落したら更新致します

ごめんなさい

待ってます

保守

報告
やっとめどが立ったので、15日には投下できそうです
今暫くお待ちください……

書かなくていいです

さんざん待たせやがって……グスッ

(」・ω・)」 (/・ω・)/ (」・ω・)」 (/・ω・)/ (」・ω・)」 \(・ω・)/

きめえ

 
 これほどまでに感情というものを疎ましく思ったのは、いったいどれくらいぶりのことになるだろう。
前を向くべきだ、そう意識の裡で叫び続ける理性に、ほむらの感情は徹底抗戦を続けている。

 ここにきて、ほむらは完全に自覚の淵にあった。
見滝原を離れてから云百年もの間ずっと続けてきたこの戦いが、その実碌な意味を為していなかったということを、自覚し始めていた。

 戦争だってそうではないか。局地戦で勝ったとしても意味がない。
大事なのは全体としての勝利を収めることで、小手先の勝利を重ねることは――こと魔獣との戦いにおいては全く以て無意味なのだ。
寧ろ各地を転戦し、世界中の魔獣を狩って歩いていたほむらは、実質上の正規軍と化していたL.O.L.の和を乱し続ける傍迷惑な存在でしかなかった。

 最悪だったのは、その延々たる戦いでほむら自身が、自らに対して何らの成長をも見出していなかったことだ。
もちろん転戦に転戦を重ねたその経緯から、魔法の行使に関しては効率化の極致を究めてはいる。
必要な魔法を必要なだけ必要なように用いるほむらの技能は、ほかの一切の魔法少女たちの追随を許すことはないだろう。

 けれどそれは、数百年もの長きに渡り魔獣との戦いを続けていたにしては、あまりにも儚いものであるように思われた。

 それに比べて、呉キリカはどうだろう。彼女は今や組織を纏め上げ、強大な魔獣の撃破と魔法少女たちの福利厚生の向上に努めている。
お山の大将と笑い飛ばすことだって出来る。けれどそれで実際に益を受けている少女たちがゴマンという事実がある以上、ほむらはそれに対して何を言うこともできない。

 暁美ほむら、あなたのこの戦いは無意味なものでした。それどころか害悪でした。
 佐倉杏子への思慕の情は、あなたの思い出が作り上げた幻想でした。
 戦って得たものなど、何もありませんでした。
 これからは心を新たにし、前を向いて歩いていきましょう――。

 吐きそうな現実が転がっている。
 歯を食い縛る。奥歯がぎりぎりと悲鳴を上げる。
 これほどまでにレゾンデートルを脅かされたのは、いったいどれくらいぶりのことになるだろう。
 かつての時間軸で戦った美国織莉子は、心臓を抉り抜くような言葉を紡ぎ、ほむらを揺さぶった。
 終わりの時間軸でインキュベーターは、彼らの極めて高度な推論を開陳し、ほむらを絶望の淵へと追いやった。
 そして今、ほむらはかつてと同じように、自らでした行いの数々により、他ならぬ自分自身の首を締め上げている。

 
「自分というものはね、履歴そのものなの」

 織莉子が言う。

「履歴?」

「そう、履歴。少なくとも、自分自身をしっかりと定義するには、それくらいしかないわね。例えば、ある日突然貴女が分裂して、二人の暁美ほむらが発生したとするでしょう?」

「あまり想像したくないわね」

「分裂した直後は、正真正銘の同一人物だと言えるかもしれない。
 けれどその後に辿る人生は、それがどんなにお互いに似通っていようと……全く同じというわけにはいかないでしょう?
 だから二つに分かれた暁美ほむらは、それぞれちょっとずつ違う人間に分化していくでしょうね」

「つまり?」

「辿った人生の集積こそが『私』である以上、ある時点で分化し異なった選択をした自分は、厳密な意味での『私』ではないってこと」

「はぁ……何でそれを唐突に、それも私なんかに言うのかしら」

「いえね、ちょっと自分の存在について頭を悩ませてる迷い子がいたものだから、ちょっと私の意見を言ってみたのよ。貴女ならどう答えるかしらって、ご意見をお聞きしたいわ」

「考えてみたこともないから分からないわね」

「その子は自身のアイデンティティと周囲の認識とのギャップに苦しんでいた。そうなる原因になった子に復讐を考えていたくらい、それは深刻なものだった」

「貴女ってずいぶん"哲学的"なのね。普段からそんな事を考えて時間を潰すより、自分の魔法をきっちり制御できるよう訓練した方が良いんじゃない?」

「これは手厳しい。……では、ご教授くださいな、暁美"先生"」

 ふと湧いて出た記憶の欠片。確か、予知魔法の制御の甘さを気に病んだ織莉子が、ほむらに対して指導を願い出た時の会話だったように思う。

 織莉子が世間的に手ひどいバッシングを受けたのは知っている。だからこそ、織莉子は何者の言にも揺るがない自我を定義する必要があったのだろう。
『わたし』は『私』だ。誰が何と言おうと、これまでに継続されてきた自分と言うものは確かにここにいる――在る。

 自分とは履歴だ。そしてその履歴は、今の自分がこれから積み上げていくものなのよ――。織莉子は哲学的な話題になる度そう言って憚らなかった。
 そして目下のところ、ほむらの履歴はひどい有り様だった。直視すればするほど眩暈がしてくる。

 履歴は人を裏切らない。履歴とは、自分自身の過去の集積に他ならないのだから。
 履歴は人を裏切らない。裏切らないからこそ、履歴は時として、過去の自分の在り方というものを容赦なく突きつけてくるのだ。

 数百年間戦い続けてきたほむらの履歴は、今ここにいるほむら自身を蝕みつつある。

 
 だから、とほむらは思うのだ。
 自分にはまだ先がある。この世界を、これからも守り続けなければならない。それは自分に課せられた義務だ。
 そうだ、自分は未来を向かねばならない。前を見据えねばならない。旧い自分を脱ぎ捨て、心新たに生きていかねばならない。

 ――本当にそんなことができるのだろうか。

 前を向くということは、今のほむらにとっては過去の自分を否定することだ。自分をリセットし、新しく構築し直さねばならないということだ。
 自分の歩みを、自分自身で否定する。履歴に蝕まれ続ける自分には、それしか前を向く手立てがない。

 けれどかつて織莉子が言ったように、自分とは履歴そのものなのだとすると――それを否定するということは、およそ自殺するに等しい行いになる。

 ありていに言ってしまえば、怖いのだ。履歴を切り捨ててしまうのが。
たとえそれがどんなに無意味なものであったとしても、自分自身の歩んだ数百年ぶんの蓄積をふいにしてしまうのが。

 それに憤懣もある。結局個人ではどうすることもできなかった以上、どうにかするためには組織内に入る必要がある。
それにはL.O.L.に加入するのが一番手っ取り早い。対抗組織など、今の肥大化したL.O.L.の前では塵芥に等しい。

 今の自分にとって佐倉杏子がいかなる地位を占めているか、はさて置き、大事な仲間を失うきっかけとなったL.O.L.の軍門に下るのはいかにも腹立たしいものがある。
 前を向くべきなのは理解している。だがそのためには過去からの脱却が必要で――今の自分にはそれを為すための踏ん切りがついていない。

 溜息を吐いて立ち上がる。キリカが後見人となったお蔭で、取り敢えずのアカウント保証はある。
 こうやって何か一つの事に鬱々と思い悩んでいる時には、少し身体を動かしてみるのが良いだろう。

 Abacusを開くと、外気温は夏場にあるまじき低水準であるようだ。
 運動をするには、少し涼しいくらいがちょうど良いだろう。

 無刻印のリボルバーピストルをホルスターに収める。ジャケットを着こみ、傍目にはそれと分からないように隠す。

 さぁ、外出だ。

 
 日中に茶々を入れてきた少女曰く、黙示録の獣を前にして、最近魔獣は現れていないらしい。
 とんでもないことだ、とほむらは思う。
 魔獣はいる。それもたっぷりと。

 日中に現れないのは、L.O.L.が招集した多数のベテランたちが明け方を前に綺麗さっぱりと片づけてしまっているからだ。
来たるべき決戦に備え、グリーフキューブの回収をおこなっているのだ。

 家にはキリカももう一人の魔法少女もいなかった。たぶん彼女らも、夜の魔獣狩りに出かけているのだろう。
部屋の鍵はアカウントで管理されているため、ほむらを含めた3人に限っては出入りが自由だ。
だから鍵のかけ忘れも、鍵をなくして部屋の前で立ち往生する心配もない。

 もしかしたら、こういった事態は織り込み済みなのかもしれない。勝手を知らない同居人が、家主の不在時に出歩くといった事態を。

 雨が降っている。いかにも台風が近づいています、といった横殴りの雨だ。
 着衣は玄関に置いてあった撥水スプレーのお蔭でそうそう濡れることはない。だが長い髪の毛はそうはいかず、やはり玄関に置いてあった安物の傘を使わざるをえない。
その傘も、風のせいで今にもぽっきりと折れてしまいそうだ。

 通りを歩くだけでわかる。長年の勘が、どのあたりに魔獣が潜んでいるかを極めて正確に告げている。
 あの裏路地には結界持ちが6体ほど潜んでいる。あそこには無数の雑魚が罠を張って待ち構えている。
『テナント募集中』と書かれた店舗の中は、きっと瘴気で満ち満ちていることだろう。

 勘がはたらく。長年の戦いで培った勘が。
 否定しようと思っていた長年の戦いは、しかし確実に、ほむらに対して何かしらを齎してもいたのだ。
 揺らぐ。過去は棄てねばならない。前を向かねばならないというのに。

「来たのか。てっきり寝たと思っていたんだけど」
「あれだけ濃いコーヒーを飲んだのよ。眠れるわけがないわ」

 背後からの呼びかけに応える。キリカだ。

「帰ったら靴がない! まったく、泡を食っちゃったよ。逃げられたら私たちに勝機はなくなってしまうからね。それに、勝利の晩餐にも誘えなくなってしまう」

 振り返ると、キリカは屈託のない笑みだった。まったく濡れていないのは撥水スプレーのお蔭ではないのだろう。彼女の周囲だけ、雨が避けている。

「みんな、よくやってくれているよ。私は立場上指示を出さなくちゃいけないから外にいるけど、もうそんな必要もないくらいだ。組織がまだ貧弱だったころと比べると、ね」

 マニュアルに沿った集団での狩り。最適化された戦闘。今の御世では、魔法少女は全て規格化された存在だった。
 けれど、とほむらは思う。自分もまた、規格化された存在なのかもしれない、と。その規格が個人によるものか、組織によるものか、の違いくらいなのだ。

「そういえば、キリカ。貴女は――」

 どんな気持ちで契約したの。

 キリカの顔から笑みが消えた。
 まだ黄金時代の頃、一度だけ、ほむらはキリカから契約の理由を聞き出していた。

 ほむら、私はね、織莉子に告白するために契約したんだ。
 はにかんだ笑みでそう言っていたのを思い出す。

 
 まぁ、一目惚れだったよ。織莉子は見た目が綺麗だし、何よりも厚みがあった。厚みっていうのは……何て言うかな、すごく満ち足りていたんだ。
めちゃくちゃに努力して、自分を磨き上げて、そうやって初めて手に入る厚みって言うのかな……。とにかく、織莉子は輝いていたように見えたんだよ。内側から光を放つような、そう、雰囲気がね。
……っと、これじゃ惚気っぱなしになってしまうね。まぁそんなわけで私は織莉子に一目惚れしたんだけど、当時の私ときたらそれはもうダメダメだったよ。
グズでノロマのおこちゃまだったね。たぶんその時の私の人生が薄っぺらだったせいで、織莉子に惹かれたって部分もあったんだとは思うんだけど、まぁそれはさて置き。
ダメダメだった私は、織莉子に告白する勇気を持っていなかった。だからインキュベーターと契約して、人格にメッキをかけてもらったのさ。
けれどせっかくメッキをかけたって言うのに、結局告白には勇気が必要だった。率直に言って、契約自体はそれほど私の役には立たなかったのさ。

「覚えているわ、貴女の事。美国織莉子に告白するために契約したんだったわね……」

「覚えているのか……あの恥ずかしい話」

 口調こそ砕けているが、キリカは真顔だった。

「そうだね……あの時はまだ若かったし、思慮も足りなかった。だからまぁ、何も考えてなかったんだと思う」

 返ってきたのは、ひどい答えだった。

「あ、こら! 笑わないでほしいんだけど!」

 ほむらは思わず噴き出していた。

「貴女……真顔でどんな事を言うのかと思ったら、何も考えてなかったとか……」

「いや、真面目な話、そんなものだったよ。あの時の私ときたら、本当に織莉子のことしか考えていなかった。
織莉子の隣にいたい、織莉子と話したい、織莉子と……まぁごにょごにょとね。目の前にニンジンをぶら下げられた馬みたいなものだよ。
何も考えず、反射的に契約したようなものだったのさ」

「ひどい話」

「我ながらそう思うよ。結果は良かったけどね」

 結果は良かった。つまりキリカは、今に至る全てを肯定している。

「一時は思い悩んだこともあったよ。私の人格はメッキで、作りモノで、本当の自分じゃない。言うなればウソの自分だ。
ウソの自分で塗り固めたまま、織莉子との仲を保ち続けていいものかどうかって。すると、織莉子は言ったんだ」

「何て」

「私がここにいるのは、結局私自身の選択なんだって。今私が織莉子の隣にいるのは、私自身がそういう選択をした結果なんだって。
織莉子は咎めるどころか、そうまでして自分と友達になりたいと思った私のことを愛しいって言ってくれたものだよ」

 人生とは履歴だ。積み重なった選択の数々が、そのまま今へと繋がっている――。

 
「では、今は」

「うん?」

「今は、どうなの。美国織莉子と分かたれ、延々戦い続けることを選んだ貴女は、今の境遇に後悔は、ないの」

 少しだけ考え込んで、キリカは答える。

「後悔が無いと言えば嘘になると思う。ずっと生きてきたんだ、あそこでああすれば良かった、なんてことは星の数ほどあるよ。
けど、向き合っていくしかないんだ。私たちにはまだ先があるからね、遅すぎることなんかないさ」

 そうしてキリカは踵を返す。

「今夜の狩りはもうちょっとだけ続く。キミの為のキューブ集めさ。
集まってくれた子たちのほとんどは、魔力を維持するのに必要な最低限のキューブ以外は、まるまる全部を私たちに寄贈してくれるそうだ。お蔭で随分楽になるよ」

「貴女は? キリカ」

「私は帰っておねんねの時間、だよ。って言うか、キミが外出しなかったらわざわざ外に探しに行くこともなかったんだからね!」

 少し歩いたところで、振り向く。そうだ、と思いついたような声。

「実は明日遊園地に行こうと思っているんだけど」
「遊園地……」

 この唐突すぎる提案に、ほむらは眉間に皺を寄せざるをえない。

「外に出るってのは大事なことだよ。でないと、ベッドの中でぐだぐだ寝るだけの一日になってしまう。なぁに、敵さんがやってくるのは明後日の夕方だからね、時間はあるよ」

「……何で遊園地」

「童心に還るのは嫌かい?」

 ほむらは、それを承諾した。
 遊園地に行こう、そう言ったキリカの眼に、何やら怪しく光るものがあったからだ。

 それに決戦を前にして、ただの遊園地に行くなどという馬鹿なことを、この何だかんだ言って賢しく生き残っている魔法少女がやる筈がない。

 何か考えがあるに違いない。
 ……何もなかったら? その時は帰るだけだ。

 遠くで剣戟の音が鳴った気がした。
 この街では、まだまだたくさんの魔法少女たちが、戦い続けている。
 結局、持ち出したリボルバーは使わず終いだった。

今日はここまでです
厄介事が片付いたので、ちょっとペースアップしていきたい……

意固地になっててとても醜いのかもしれないけど、ほむらにはLOLに入って欲しくないなあ
まどかの手前、杏子のことは仕方なかったとか言ったら自分の中でほむらに愛想を尽かしちゃいそうで

乙です。進めて下さい。

乙乙
祈りを捧げたその人を失った二人の今が対照的だな。
続きに期待

待ってるよ

今月中には投下できるかと思います。
もう暫くお待ちください……

まってます

保守

今全部読んだ
めっちゃおもしろいわ
希にこういうのがあるからおもろいなこの板は

クリスマスプレゼントか

1の書き込みから2ヶ月後まで保持だっけ?

おーい、>>1やーい!

とりあえず忙しいなら保持だけはして来年度から頑張って欲しいところだけれど

今年いっぱい全く書けないようだったら流石に一度落として書ける目処がついてから立て直したらいいんじゃないですかね?

保守

たのむもう一度たってくれ。

序盤が良かっただけに最近の失速具合が目に余るから仕方ないわ
筆が止まってるのはそういうことだしな

失速してても面白いからエタらないことを願う

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