ほむら「RavenS」(255)

1.

そう邪険にするなよ。あんただって聞いたことくらいはあるだろ?
何がって、あれだよ。黒い魔法少女、「レイヴン」の話さ。

そうさ、あたしらみたいな魔法少女ならみんな知ってる話。そして、みんなが思うのさ、おとぎ話だってね。

でもさ、もし奴が本当に実在したとしたら……あんたはどう思う?
そしてかつて実在しただけじゃない。ソイツが今も生きてて、世界中で魔獣たちを狩っているとしたら……?
おいおい、そんな面をするなよ。おい、引くな!ワンドリンク奢るからさ、最後まで話を聞けって!

そうそう、レイヴン、レイヴン。遥かな過去から悠久の時を戦い続けてるっていう黒い魔法少女。

黒い髪に黒い衣装。誰よりも速く、誰よりも強く、そして誰よりも孤高で気高い――毛深いってことじゃないぞ?
何か、自分の大事なものを守るためにずっと戦っているって。より強力な魔獣を倒すため、世界各地を転々としているって、そういう話。
その見た目と行動様式からワタリガラス、"レイヴン"の名前が、いつのまにやらくっついて歩くようになったって、そう聞いたよな。

で、だ。一言で「レイヴン」とは言っても、その姿や戦法には諸説紛々でさ。
ガン&バレットで炎の臭い染み付いて咽るクーリッシュ・ガールだって話もあれば、最大火力で敵さん吹っ飛ばすバーサーカーって説もある。

まぁ、噂が独り歩きしてるってわけさ。

なに、話が長い?
最後まで聞けよ、そのジュース飲んでいる以上は、な。

それで、本題。

なんと、あたしは見ちまったのさ。その、レイヴンを、な。
おい!かわいそうな生き物を見る目であたしを見るな!
頭を撫でるなチェホン・ウーマン!
あんたがチビなだけだって……、余計なお世話だこんちくしょー!

ハァ、ハァ……もういいや。

じゃあ教えてやるよ。あたしが見た、レイヴンの正体と、なんでそんなにいろんな姿が諸説入り乱れるようになったのか、その真実を、さ。
最後まで付き合えよ?でなきゃ、あんたがこないだ、深山先輩の蒸れ蒸れになったスパッツクンカクンカしてたって事、バラすからな。

それも映像つきで!


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1355947766

2.
何十年かぶりに帰ってきた日本は、もう蒸し暑かった。

東京は相も変らぬコンクリートジャングルは、放射冷却できっと夜なお暑いのだろう。
それでも、ずっと前に行われた大規模区画整備や近年開発されたインテリジェント・マテリアルのお蔭で、以前よりは格段に過ごしやすくなっているのだとか。
もっとも、つい先刻までモスクワに居た彼女はその恩恵には与れていないのだが。

43年ぶりに祖国の土を踏んだ暁美ほむらは、しかし帰国に際して日本人の大部分が味わうような感慨をこれといって抱くこともなく、常態と変わらない足取りで街を歩いた。

20世紀には隆盛を誇っていた先進国は経済的には軒並み凋落していたが、日本の東京は未だに世界の先端都市の一つとしての機能を担っている。
その姿は常に変化を続け、こうやって大体半世紀を周期として帰ってくる毎にその姿を変えていく様は、まるでそれ自体が意志を持ち変化し続ける軟体動物のようだった。

人間は、その技術的な側面はさておいて、進化も退化もせず、しいて言えば継続し続けている。

相も変わらず世界のどこかではドンパチが起こり、血が流され、それについてどこかのインテリがワインを飲みながら批評する。
猟奇殺人、銀行強盗、誘拐、麻薬、その他諸々の犯罪が日夜発生し、1週間も経てば人々の記憶からは消え去る。
文化の衰退、回帰。風俗の乱れ、綱紀粛正。抑制と発散。それらは連綿と繰り返され、結局の所人類は歴史から何も学ぶところはなく、ただひたすらの反復を継続し続けていた。

かつてインキュベーターの言った、将来的な人類の宇宙進出、感情の消失は、当分――いや絶対に、起こりそうもない事に思える。
肩がぶつかったと因縁を吹っ掛けてきた、在日何世かのチャイニーズ・ストリートギャングを叩きのめしつつ、ほむらはぼんやりとそんなことを考えた。

三枚に畳んだ少年たちを薄汚い路地裏に放り込み、じりりと照る太陽に手を翳す。

暑い。

こういうことなら、もっと帰ってくる時期をずらせば良かったという気に駆られる。しかし、そうもいかないのだ。彼女が帰ってきたのには、明確な理由があるのだから。

数週間前にウェブ・サイト上に流された、とある噂。それは、かつてある魔法少女の一人が設立した魔法少女のコミュニティが運営するサイトに書き込まれたものだった。
世界各地の魔獣に関する情報が集積する、一大データベースの様相を呈した魔導書庫。
そこでは、ありとあらゆる魔法少女がらみの情報が迅速にやりとりされ、極めて活発な交流がなされていた。

Read Only Menber専門の暁美ほむらも、当然そのサイトのことは知っておりたびたび利用している。
世界各地の魔獣を潰してまわっているほむらにしてみれば、これほどありがたいツールはない。

そこの掲示板に書き込まれた、たったの一文。


――黙示録の獣<Apocalyptic Beast>が、東京に現れる――


それは、それだけでほむらを動かすに足る十分な理由だった。

「黙示録の獣」。

それはかつての時間軸に存在した「ワルプルギスの夜」と取って代った、超弩級の魔獣集合群体の事だ。
表れる時期は不明。周期、理由、その他諸々も不明の、完全なイレギュラー。
過去から現在に至るまで幾度となく世界各地に顕現し、数多の名だたる魔法少女たちを葬り去ってきた最悪の存在。
そして、そいつが現れた場所は例外なく恐るべき天災に見舞われ、極めて甚大な被害が齎される。

ヨハネの黙示録に於いて終末に現れるとされる悪しき怪物の名を冠するそれは、当に災厄と言えた。

もっとも、最近では各国の災害対策能力が向上しているのか、人的被害はかなり抑えられているようだが。

当然、かつての見滝原にも顕現――そう、神の出現を意味する"顕現"という語が相応しい――し、巴マミ率いる魔法少女群と壮絶な死闘を繰り広げた事もある。
その際には、美樹さやかの捨て身の自爆攻撃にてこれを撃退("撃破"ではないのだ、恐るべきことに)し、彼女の犠牲と引き換えに見滝原は守られたのだった。

その、ある意味で暁美ほむらと極めて強い因縁を持つ「黙示録の獣」が、この東京で発生する。

東京は日本の首都だ。未だ東京を中心とする中央集権国家を維持し続けている日本にとって、その陥落が国家単位での甚大なダメージとなることは間違いない。

それはきっと、まどかが望むことではないだろう。

だから暁美ほむらは帰ってきたのだ。

この日本に。

幾多の友の思い出が眠るこの地に、帰ってきたのだった。


宿は既に取ってある。新宿にある素泊まり5000クレジットの安宿だ。

それを10日分。

東京は物価が高く、他と比べるとどうしても宿泊費が高くなってしまうためあまり長居をしたくない場所ではあったが、仕方がないと割り切ることにする。
幾星霜の年月を生き、戸籍なんかとうの昔に消失している暁美ほむらは、正規の方法で活動資金を得ることはひどく難しい。
なけなしの資産、ほむらにとってお金はいつだって大事にしたいものだった。

簡素な、というよりも閑散とし、調節してもガンガンに冷風が吹き込んでくるというおんぼろエアコンが置かれた二重苦の部屋で、作業用の多機能携帯端末<Type:Abacus S-38990>を起動する。
黒光りする薄い板のようなそれは、単にスマホと呼ばれることが多く、海外では未だに"Cellphone"の通称で呼ばれている。
「電話」という機能が、ごったごたに詰め込まれた通信用ツールズの一つに過ぎなくなった現在に於いても、それは「携帯電話」という古の端末の延長線上に存在するものだという認識がなされているのだ。

普通のビジネスマンが用いるものよりも随分と値の張るその携帯端末を愛おしそうに指先で撫で、ほむらはワールド・ウェブへとダイブする。

目的地は、魔法少女相互扶助連盟・法の光協会が運営するサイトだ。
ごてごてとしたスクリプトを使用しておらず、簡素で見やすいつくりのページ。
現行リリースされている携帯端末の全ての機種で閲覧可能な、パケット代のかからないありがたい仕様だった。

先ず目に入るのは、Light of Low(法の光)の文字。

しばしば茶化されてlol(=笑)と言われる協会のサイトを、実際に笑うものは一人も居ない。
ここのデータベースに蓄積された情報群はあまりにも有益なもので、現在の魔法少女には不可欠な存在となっているからだ。

便利が過ぎると人は駄目になると言う。それはこの世界に延々と存在し続けているほむらにとって、自明の理として思えるものだった。

今の魔法少女は、魔法制御の精緻さ巧妙さにおいてはもはや臨界点とも呼べる域にまで達している。
反面、過去の魔法少女たちと比べると、個々の状況への判断力・応用力の低下が見られ、ある定められた規則性から外れた魔獣が出現した場合には、すぐさま危機へと陥るケースが後を絶たないでいる。
ほむらとしては、この情報は利用しつつも昔ながらの経験則に従っての戦闘となるため、その手の劣化は現状免れてはいる。
それでも、情報過多なこの世界で加減を知るというのはかなり難しい事で、少し気を抜けばすぐさま情報の海に溺れ能力の劣化が始まるだろうという事は、ほむらにしても自覚済みの事だった。


サイトに設けられた情報交換掲示板に存在する例のスレッドに目を通すと、予想通り一笑に付す書き込みが多数を占めていた。

高度に発達した翻訳機能によっておよそ書き込み内容の全ては不自然なく使用端末の当該言語に訳され、閲覧者は苦も無く内容を知ることができる。
それがなければ、記号としてしか認識できないような文字を持つどこかの国からの書き込みなど、暁美ほむらはその持つ意味を受け取る事が出来ないだろう。


Topic: 黙示録の獣<Apocalyptic Beast>が、東京に現れる
Name: Nameless
 Text: 8/10の夜に、黙示録の獣が東京に現れる。現地在住の魔法少女は迎撃の構えを。

  Re: そんな馬鹿なことがあるか。ここはガセネタ禁止の筈だぞ
  Re: 出現法則も明らかになっていないのに、何故そんな事が言えるのか
  Re: ガセだろ、ガセ。それも随分と性質の悪い
  Re: まぁ、東京の魔法少女は粒ぞろいだって聞くし。万一出現しても大丈夫だろ
  Re: ↑自画自賛乙ww

  ……


暁美ほむらは、そこの書き込みの一様な反応に溜息を吐いた。誰も本気にする者などいない。いつだって、人は"起こって"から後悔するというのに。

覆水は盆には返らない。

事前の対処ならばいくらでも出来る。しかし、事後にそれをひっくり返すことは出来ないのだ。

もはやかつての能力を失った暁美ほむらだからこそ言える。何事も、予断無く。「転ばぬ先の杖」の精神で動く事こそ、何よりも肝要なのだと。

何ら有益な新情報が持ち込まれてはいないことを確認して、暁美ほむらはワールド・ワイド・ウェブからログアウトする。

指で画面を弄り、グラフや図表、文字がびっしりと書き込まれた図鑑のようなアプリを起動する。

これは、古くから文献に乗る大型魔獣の特徴や出現傾向を記録した文字通りの「魔獣全書」で、L.O.Lのフリー配布物にほむら自身が手を加えたものだ。
ヒステリックなまでに情報が書き込まれたその全書は、それを見るだけでおおよその魔獣について把握できるという恐るべき代物で、ほむらにとっての一つの財産とも言える。
この情報が公開されれば、全世界の魔法少女は泣いて喜ぶことになるだろう。

もっとも、この全書を個人の私的財産としてしか見ていないほむらは、これをL.O.Lのデータベースに提供するつもりなど毛頭ないのだが。

頭をフルに活用し、現在東京に出現する魔獣の傾向を大体把握したほむらは、血中内のグルコースの欠如を感じて席を立った。

要は腹がへったのだ。

食事は、生命の維持にとってはもとより、精神の安寧にも深く関わっている。
美味い食事は心を安らかにし、満腹感は至福を与える。

彼女自身としては、胃に血が行くことでの脳機能の低下を嫌い、それほど満腹でいようとは思わないのだが。

しかし空腹によるイライラの発生は如何ともしがたい。
このままでは集中力を著しく欠如させると判断したほむらは、ある程度でも口にした方が良いと最寄りの食事処を検索することにした。

滞在する安宿から、徒歩20分程度のところにあるファミリーレストランに決める。ほいほいと姿を変えていく東京の地理を、40年ぶりに訪れる人物が把握している訳がない。
それでもこうやってあたりの経路をやすやすと把握できるのは、やはり携帯端末内蔵のGPS地図機能のお蔭だった。

こうして街を出歩くのに端末の世話になりっぱなしになっている事実を鑑みるに、ほむらも十二分に駄目になってしまっているようだ。

この事実を暗に突き付けられて若干気分を損ねながら、ほむらは夜なお暑い夜の東京へと繰り出したのだった。

食事を摂り、レストランを出た。

技術の向上から、業務用の冷凍食品であっても、それはそれなりに美味だ。
正直、ほむらが作るよりもはるかに食える味をしている。というよりも、ほむらの料理の腕前がひどすぎるというのが先に立ってはいるのだが。

軍用レーションすらも大層美味となってしまった昨今では、彼女が敢えてその劣悪な腕前を振う必要は存在しない。

きちんとした栄養バランスさえ計算すれば、かつては賄いきれなかった食物繊維や身体機能の調節に必要なミネラル等も、コンビニエンスストアで安く購入できる簡易食糧で十分に摂取できるのだ。
故に、料亭等で美味しい食事にありつくことに価値を見いだせない暁美ほむらは、かなりの長期間"手作り料理"というものを味わっていない。

本人はそれで全く気にしていないのだが、一般の視点からすれば味気ない生活だと思えるだろう。

ちなみに、彼女の夕食は鯨肉のステーキと、シーフードスープ、夏野菜のナポリタンだった。

かつては物議を醸していた鯨の資源利用も、今ではそれに疑問を持つ者すらおらず、世界のスタンダードな食糧品の一つとして数えられている。
なにしろ鯨というのは肉から骨から血液までも無駄となる部位が存在しない、極めてエコロジカルな水産資源なのだ。
世界の食糧資源がいよいよ枯渇すると、それまで威勢の良かった環境テロ屋があっという間に手のひらを返し捕鯨利権獲得に奔走し出したのは全世界の物笑いの種となったものだ。

久方ぶりのまっとうな食事で、ほむらはご満悦といった(しかし傍から見てもそれとは分からない程度の些細な)表情を浮かべる。
胃に血が行って判断力が鈍るのはもっぱら御免だが、たまには、こうやって満腹感に浸るのも悪くはないだろうと、ほむらは思った。

胃袋にずっしりと詰め込まれた食物の重量感を感じつつ、上機嫌で街を行く。東京の夜は未だ暑いが、魔法少女の特異な身体は既に順応を始めており、直に苦も無くなるはずだ。

派手なネオンや街頭に包まれた東京の繁華街は、高伝導性の伝達媒体と低消費電燈によって、21世紀前半と比べて十分の一に満たないエネルギーで当時の数倍は明るい。
しかしそんな衛星写真にばっちりと写るような明るさの東京で、暁美ほむらは一つの違和感を感じた。

それと断定するまでもない。魔獣の発する瘴気だ。

全世界に共通して、魔獣たちは薄暗く湿っぽい路地裏や廃墟に好んで潜む。
当然こいつらも同様で、その負のオーラ――視覚に映るほどに濃い瘴気は、薄汚れた、いかにもチンピラがたむろしていそうな裏路地の一角から発せられていた。

煌々と光る街から、まるで切り取られたかのように暗く口を開くその四角い穴――結界の入り口は、魔法少女でなければその異質さに気付くことはない。
知らずに酔っぱらって入り込んだ仕事帰りのワーカーは、その時点で帰らぬ人となる事が決定されるだろう。
まさか科学万能主義万歳なこの世の中で、そんな意味不明モンスターがこの大都会に棲んでいるなど、誰も想像しはしない。

ほむらは、ホテルへと向けていた踵を真逆に返し、その真っ暗な路地裏へと歩を進めた。
なんであれ、魔獣の存在を知覚してこれを見逃す法はない。もしそれを見逃して誰かが死ねば、きっとまどかは悲しむだろうから。

サーチ・アンド・デストロイ。

魔獣は見つけ次第斃す、それこそが暁美ほむらのライフワークだ。

ほむらは、周囲から怪しまれないよう極力常態と変わらない足取りで、黒い路地の中へと侵入していった。

***


「どぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

咆哮と共に振り下ろされ蒼色の鎚、その中点に嵌め込まれた紅の宝玉からこれまた深紅の炎が燃え出でると、魔獣を包み込んで灰に変えた。

しかし背後から、別の獣の爪が迫る。

「だぁ!もう!数がぁっ……多いぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

左脚に装着された深紅の具足で背後の敵に回し蹴りを叩き込む。インパクトの瞬間に爆炎を生じさせるおまけ付きの一撃が、魔獣を瞬時に粉みじんに吹き飛ばす。

その粉塵を割り、さらに魔獣が迫る。

「ちっくしょーめ、これじゃ埒が開かねぇ!くっそ、魔力残量も不味いな……一気にぶちかましてぶっ飛ばせるか……?」

少女はへんてこりんな恰好をしていた。

全身を覆う、蒼を基調として赤いラインの入ったボディ・スーツ。
頭部にはメカメカしいヘルメットを装着し、左手にはシンプルな手甲を、右手には装飾過多の巨大なガントレットを付け、そこには人の身で振うには余るサイズのハンマーが保持されている。
両すねには頑丈そうなプロテクトを履いており、ごてごてとした刺さるととても痛そうなパーツで彩られている。

彼女は確かに魔法少女だった。だが見た目としては"魔法少女"というカテゴリに属すべきでない出で立ちであるというのだけは確かだった。

少女は、魔獣の群れに囲まれていた。一匹の魔獣を追って、路地裏に突入した矢先の出来事だった。

まるで肉食のアメーバが対象を捕食せんと包み込むようにして結界が展開され、彼女はそれに為す術も無くとらわれたのだ。
この決して弱小ではないチビの戦士は少々浅慮なところがありしばしばこういう場面に陥る事があったが、今日のこれはその中でも最上級に不味い事態だと言えた。

倒しても斃しても湧いてくる魔獣の群れ。砕き、潰し、裂き、蹴りをいれ、ぶん殴る。
だが吹き飛ばしてもなお次々と現れるこの怪物どもは、まるで数を減らす気配がない。

常に最大戦力を投入し続ける飽和攻撃の連続に、キャリア2年の15歳は圧倒され始めていた。


魔法少女は、魔翌力を使用するたびに自身の魂の結実、ソウルジェムを濁らせる。

ソウルジェムの"輝き"とは希望の光だ。

魔法少女は、自身の希望の力、希望のエネルギーを消費して魔法を用いる。
そしてそれは無尽蔵ではなく、いずれは枯渇する有限なものなのだ。言ってしまえば魔法の行使とは、自分の未来への希望をすり減らし他人へと与える行為に他ならない。

通常、一般人の魂は無形だ。それは体内に格納され、スポンジに滲みた水のように肉体の内部に満ちている。
よく肉体は器として例えられるが、絶えず揺らぎ続ける人間の情動はコップや茶碗の中で荒れ狂う水ではなく、むしろスポンジ内部で所により濃度を変える水溶液なのだ。
「病は気から」と言う諺が指し示すように魂はスポンジたる肉体に影響を与え、逆にスポンジの状態――つまり肉体の状況、風邪をひいたり怪我をしたり――如何で溢れたり零れ落ちたりもする。

この無形無質量な筈の魂が無理やり成形された姿がソウルジェムだ。

本来の無形な魂は、少なくとも他人に希望を振り撒いたくらいで自身の希望をすり減らしたりはしない。
これは、そもそも精神エネルギーというものに熱量保存の法則を当てはめるのが不可能だからだ。

それは確かに消費しても減じることのない夢のようなエネルギーではあったが、反面肉体の外部に与える影響力というものが著しく希薄だった。
せいぜい周囲の人々をピリピリさせたりほっこりさせたりするのが関の山で、それで以て物理的な現象を引き起こすのは至難の業だったのだ。
インキュベーターたちの技術的発想は、その「減らない・効果の弱い」精神エネルギーを「減る・効果の強い」ものへと変じさせる事にある。

その前提条件となるのがソウルジェムだ。
無形のものを有形にすることで、魂という代物に「限界値」を設定する。
無形であるが故に無限となり得る魂と、それに包含された希望の光は有形化により有限となる。
その恩恵として、有形化された魂は、外部への多大な影響力を行使するためのバッテリーとなるのだ。

そう、魔法少女にとってソウルジェムとは、自己を規定する本体=己自身の本質ではなくバッテリーなのだ。
これがないと、肉体という部品を起動することも魔法を用いることも出来ない。

魔法少女を含めた人間の、もっと言えばの全ての生命体が保持する"自我"とは、脳髄の生み出した単純な化学反応の連続性に終始し、脳神経のイオン電位差が生み出した幻影に過ぎない。
魂とは、羅針盤――脳髄でしきりにうつろうイオン電位差が生み出す具体性ある"自我"の方向性を指し示す仕組み――を動作させるための電源装置なのだ。

魔法少女は、その本来ならば無形・無限のバッテリーを有形・有限なものへと変じさせ、魔翌力の行使、肉体の動作、その他一切の生命活動にも適用させている。

かつては意志の淵源を司るだけだった精神エネルギーは、魔法少女にとっては全てのボディパーツを作動させるための重要なエネルギー源となっていたのだ。


そして精神バッテリーの有限っぷりは今現在鎚を振う当の彼女にとっても例外ではなく、その残量は刻一刻、一挙手一投足ごとに失われていく。
そうなれば、待っているのはソウルジェムの崩壊と肉体の消滅だ。

魔力を極限まで行使しソウルジェムが濁り切ったとき魔法少女は、先ほどまでそこに立っていたという痕跡すらも残さず、綺麗さっぱり消え失せる。
それは比喩でもなんでもなく、質量保存の法則をガン無視した体で為される「現象」だった。

ドライアイスが気化するように為されるそれは通常「円環の理に導かれる」と表現され、もっと短く単に「導かれる」あるいは「連れて行かれる」と揶揄されることも多い。

現状この少女には、この常軌を逸した数の魔獣に魂ごと喰われるか、力を使い果たして消え去るかの二択しかなかった。
自分で足を踏み入れた結界ならばいざ知らず、こうやってトラップを仕掛けてきた以上は抜け道など用意されてはいないだろう。

脱出には敵を殲滅するしかない。

しかし、それをやるには圧倒的に魔力が足りないのだ。

どのように節約しても無理なものは無理だ。
むしろ一撃で仕留めなければ、この瘴気充ちる結界内部では瞬く間に再生され、放った一撃分の魔力が無駄になる。
戦力の逐次投入はいつだって非効率な戦り方にしかならないのだ。

それを分かっているからこそ、少女は一撃一撃に魔獣撃破に必要十分なだけの魔力を込めて放つ。
そしてその度に少女は、魔力の枯渇を確かな痛み、代謝能力の失われた老人のような関節・器官の痛痒として味わった。
それは幻の痛みでもなんでもなく、魔力の枯渇で実際に生体活動に支障が生じ始めた顛末としてのものだった。

「くっそ、痛ぇ!身体が痛――」

そうやって額に玉の汗を浮かべて戦う少女は、とうとう変身が解けその場に力なく倒れ込んでしまう。
彼女の自己防衛本能が、魔力の枯渇を感じ取って身体を省エネモードに切り替えたのだ。

つまり、変身の自動解除だ。

非戦闘時ならば何の問題も無い事だが、残念ながらここは戦場であり紛れもない修羅の巷だった。
変身が解かれるのは、鉛玉がひゅんひゅん飛び交う銃撃戦の最中にその身を躍らせるようなものだ。

無防備となった少女の背中に、魔獣の醜くおぞましい爪が恐るべき速度で迫る。


はは、これでお終いか。

少女の頭の中で、自嘲の声が響く。同時に、今までの人生の全てが、リニアモーターカーの最高速度をはるかに凌駕する勢いで駆け抜けた。

それは確かに、走馬灯だった。

日頃大口を叩いていた割に、こんなものなのか。
仲間は、アイツらは、勝手に飛び出していって勝手にくたばっていったあたしを嗤うだろうか。

それとも、悲しむだろうか。馬鹿な奴だったと、嗤いながら泣くのだろうか。

まぁ、どちらでも良いか。どっちにしたって、もうここですべてが終わってしまうんだから。

ああ、でも。望めるなら、たった一つだけを言いたい。


――おかあさん、ごめんなさい。


轟音と閃光。
それは少なくとも、今まで彼女が聞いた事がない音だった。

以上、第一回でした。
一応改変後、ほむら主人公となります。
あれから何年経っているかは具体的には明記しませんが、かなり先ということでご理解を。

書き溜めは半分ほど終わっているので、適宜投下していきたいと思います。

 









美国織莉子――世界最高の魔法少女。
それが現在の、全世界の全魔法少女たちの共通認識だった。








 

 
革命、なるものは絶対的な「悪」があって初めて成り立つ代物と言える。
その「悪」が、実際に悪逆非道であるかどうかはそれほど問題ではない。
為政者、彼/彼女がどんなに善政を施していようと、人は上に立つものを疎ましく思う。

美国織莉子の采配の下で、L.O.Lは年代を経る毎に風船のように膨れ上がっていった。
魔法少女同士の諍いを仲裁する司法機関、法の光協会は実定法を定め、それまでは力と力の応酬でのみ行われていたグリーフキューブの流通に一定のめどを付けた。
魔法少女人口の圧倒的大部分を占める若年層の為に、極力専門用語を省いた簡便な文章と分かりやすい筆致で表されたそれはL.O.Lの発展の伴ってブラッシュアップされていった。

グリーフキューブの流通に資本主義の概念を導入したのも功を奏した。
これは本来、膨れ上がる一方にあった組織の運営費をどうにか賄うために採られた苦肉の策だった。
L.O.Lは司法機関なため、魔法少女から運営費を直接的に強制徴収することは出来ない。

運営にかかる費用の大部分は、社会人として勤労する魔法少女の懐や、一部有力者の魔法少女、そして美国織莉子のポケットマネーから捻出されていた。
その限界はもはや目に見える領域にまで到達してしまっており、来たるべき破綻を回避するため市場原理を導入せざるを得なかったのだ。

この苦し紛れの方策は、結局はグリーフキューブのだぶつきを解消し、総体としての魔法少女を延命させるに至る。「金さえ払えばグリーフキューブが買える」という怠け者を生じさせないよう、L.O.Lが以後キューブの遣り取りに細心の注意を払わなければならなくなったのは、この瞬間からだ。


だが、暁美ほむらは知っている。どれだけ多くの魔法少女たちが、L.O.Lに取り残され乾いていったのかを。

L.O.Lは発足当初から、インターネットに軸足を置いた活動を展開していた。ヒトやモノが移動するには相応の金がかかる。
表の世界にパトロンを持つことが適わないL.O.Lでは、それほど頻繁にヒトやモノを移動させるわけにはいかない。
その点、情報の移動は他と比べると圧倒的に安価で済む。この事は初めから織り込み済みの事だった。

逆に言えば、ネットワークのインフラストラクチャーが存在していない場所に住まう者たちは、L.O.Lに参画出来ないということだ。
アフリカで、中東で、東南アジアで、南米で、主に魔法少女となるのは貧困層の少女たちだ。
毎日を食うや食わず、初めからキューブを鬻いで口に糊していた者たちは、ワールドワイドウェブに触れる機会がとても少ない。

また触れられたとて、誰もがL.O.Lの理念に賛同する訳ではない。

既に確固たる地方組織を築いていた魔法少女組合や、あるいは力で近隣の魔法少女を統べていた猿山の大将まで。
彼女らにとっては、むしろL.O.Lの方こそが既存の慣習を乱す闖入者だった。

L.O.Lは彼女らを圧殺する。

数の上で圧倒的に勝るL.O.Lの前では、弱小組合など村八分に遭うようなものだ。
直接手を下さずとも、いずれ均衡は崩れ、集団は瓦解する。小さな縄張りでのやりくりは、はるか昔から続く営みとして「淘汰」と「間引き」を発生させる。

もっとも救うべき者たちと、まつろわぬ者たち。彼女らを置き去りにしてL.O.Lはどこまでも肥大していく。
そうして生み出された悲劇、システムから弾き出された者たちがどれだけの絶望を噛みしめながら生き、そして導かれていったか。
ほむらはその多くを目の当たりにしている。

 
L.O.Lの活動が安定期に入って、しばらく経った頃の事だった。

美国織莉子は元老としてその辣腕を振るい、名実ともに最高権力者として君臨していた。
組織の創設者にして「魔法少女」という存在について高い見識を有していた織莉子は、合議制のL.O.Lの中でも特に発言力の強い存在としてあった。

彼女の膨れ上がった権能は、自らが制定した合議制の運営下でもその意見の全てを通してしまえるほどには強大だった。
言うなれば専制、それに近い運営が、事実上行われていた。

彼女は常に善政を敷いた。

佐倉杏子への償いか、創設者としての矜持か、あるいは汚職の疑惑を掛けられ自死した父の思想を何らかの形で引き継ぎたかったのか。

いずれにせよ、織莉子は知識を蓄え、それを活かし、L.O.Lの運営に当たった。
半ば専制と化していようと、少なくともシステムの内側の魔法少女たちは、比較的安寧な魔法少女生活を満喫することが出来る環境があった。

だが結局、人は上からの抑圧を嫌う生き物だ。
どんなに彼女がL.O.L下の魔法少女を愛しもうと、彼女の実質的専制を疎ましく思う者たちが現れるのは、時間の問題に過ぎなかった。

L.O.Lが偽装名義で所有するビルの最上階にあった美国織莉子のオフィスは、アナキズムにかぶれた魔法少女群の襲撃を受ける。

具体的には60ほどの魔法少女が、つるべ撃ちするかのように押し寄せた。
階下のL.O.L一般職員を皆殺しにし、グリーフキューブを簒奪しながら、血走らせた眼で最上階へと向かった。

彼女らは自らを「正義を為す者」と喧伝していた。

曰く、設立者でありながら公共組織たるL.O.Lを私物化している美国織莉子は救いようのない老害である。
もはや独裁者である。それを打破するには、革命しかない。
よって我らは美国織莉子を抹殺し、L.O.Lに再び、設立当初の理念を齎そうと思うものである――。

オフィスに押し入った最初の4人は瞬く間に灰になった。
極限まで小さく生成された織莉子の固有武器――水晶球が、魔法少女たちの身体に突き刺さり分解したのだ。
人体の細胞一つ一つを剥離し、さらに分子一つ一つにまで分解するその技は、不可視・不可避の文字通りの必殺技だった。
ただし、人間と言う体積のある物体を分解するという性質上倒すにはそれなりに魔力を消費し、必然的に一体多数の戦闘では不利にはたらく。
津波のように押し寄せる魔法少女の軍勢に、織莉子は戦闘のやり方を変える必要があった。

織莉子は善戦した。
彼女は己の魔法少女としての戦闘経験を総動員し、水晶球を繋いだワイヤーブレードとして用いる、あるいは水晶球を炸裂させるなど多彩な技を駆使して応戦した。
織莉子の執務室は、瞬く間に同じ魔法少女たちの血と肉で彩られていく。

「化け物」と叫んで逃げ出そうとする魔法少女を、背後の別の魔法少女が文字通り潰した。督戦だ。
だが骨肉を踏み越えて部屋に押し入ったその魔法少女も数秒後には織莉子によって細切れの肉片に変えられる。

織莉子は強かった。蓄積された戦闘経験と知識、高い魔力キャパシティを持った彼女を撃破できる"個人"はそういない。

だが数の暴力の前には、少数は常に劣勢に立たされる定めにある。
歴史に名高い第二次世界大戦では、練度も武装も遥かに上回るドイツ軍を圧倒的多数のロシア軍が駆逐した。
次第に織莉子の純白の魔法少女衣装は千切れ飛び血に濡れ、ソウルジェムに備蓄された魔力は削ぎ落とされていく。
肉体の修復もままならず、織莉子の身体の動きは鈍くなり、攻撃能力も低くなっていく。救援が来なければ敗北は必至だった。



そして、とうとう救援は来なかった。

 
48人目を撃破したその次の瞬間、49人目が放った魔力の弾丸が織莉子の胸――ソウルジェムを撃ち抜く。

銃弾から与えられた運動エネルギーのままに、背後へと重心が移動する。2歩、それに抗うようにたたらを踏む。

そして倒れた。糸が切れたように。

そうして、美国織莉子は死亡した。

ソウルジェムを撃ち抜いた弾丸は胸骨を貫き、脊椎にまで達していた。

叛乱勢力は美国織莉子の死を大々的に喧伝した。
ことを起こす以前、彼女らは織莉子に独裁者としてのレッテルを貼っていたからだ。L.O.Lの組織力で私腹を肥やす搾取回想なのだと糾弾していたからだ。

美国織莉子の資産は、我ら魔法少女に還元すべきものなのだと声を荒げ、L.O.Lの運営の裏側を暴き立てた。

要するに、彼女らは戦勝後の略奪を行ったのだ。当然「それ」があるものとして。

だが、独裁者の常として当然そこに在るべき資産、魔法少女たちから搾取したはずのグリーフキューブ、資金、そういった財物はほとんど見つからなかった。
織莉子がまだ正規の戸籍を有し表の世界で稼いだ多額の資産も、ほとんど残されてはいなかった。

織莉子はL.O.Lの運営に全霊を傾けていた。
生まれ育った家も、土地も、その身を粉にして生み出した富も。
何もかも、一切を注ぎ込み、L.O.Lとその機能を拡充させていた。

織莉子が私財として纏っていたのは、ほんの小さな家と、必要なだけのグリーフキューブだけだった。

美国織莉子は、ことL.O.Lの運営に関しては、恐ろしいくらいの潔癖さで臨んでいたのだ。

織莉子が潔癖であると判明し、反抗勢力たちは求心力を失った。
元より、織莉子との戦闘で先鋭化した連中の大部分は死亡しており、残ったのはノンポリの寄り合い所帯に過ぎないような面子だけだった。
あっという間にアナキストたちの勢力は瓦解していった。

彼女らはことを起こした報いとして、システムから弾き出される破目になる。
アナキズムを気取りつつ結局システムの内側でのうのうと生きる彼女らにとってみれば、言わば反権力はファッションに過ぎないものだった。
システムの外側に追いやられ、グリーフキューブの枯渇にあえぐことになった彼女らは、きっと大いに後悔したことだろう。

かくて、美国織莉子は、清廉潔白、無私の為政者としてL.O.Lのアーカイブに刻まれるようになる。
今や織莉子はL.O.Lの統合のシンボルであり、魔法少女が現在の境遇で生きられるのは彼女のお蔭ということになっている。
L.O.Lという組織の発展の文脈では、美国織莉子という存在は聖女として扱われている。


 























冗談ではない、とほむらは声を大にして叫びたくなる。あんな女の、いったいどこが聖女だと言うのか。

あの女は膨らみ切った権力欲に圧し潰されただけだ。その裏で、どれだけの声なき声たちが踏みつぶされてきたか、知っているのか。

今、確かに魔法少女の界隈はそれなりに平穏だ。だが膨れ上がっていく組織の裏側で押し潰されていった怨嗟の叫び声は、決して消えることはない。

 
五感のうち、まず認識したのは視覚だった。

瞼に突き刺さる白い光。次いで香ばしい、何かを炒めるような臭いが鼻をくすぐる。最後に触覚が、身体を覆う柔らかな感触に気付いた。

暁美ほむらが借りたビジネスホテル四畳半サイズの部屋のおおよそ3倍ほどの広さの部屋、そこに置かれた清潔なベッドの上に、暁美ほむらは寝ていた。
カーテンの閉まった窓からは一片の陽光も射してはこない。白い光は、3メートルほど上空の天井に据えられた電燈から降り注ぐものだった。

部屋は簡素な造りだった。漆喰で形成したような白壁で四方を固められた直方体の空間。
ベッドの置かれた窓際の壁の右手には天井まで連なる書架が、左手にはマットレスが敷かれた木製の作業用デスクと、これまた天井まで連なる書架がそれぞれ設けられている。

書架はそれぞれの機能を存分に謳歌しており、つまりは全部が本でぎっしり埋まっていた。
デスクには閉じたノートパソコンとマウスが一つだけが置かれている。
ほむらは銀に光沢を放つそれが、ウォーターゲート社の1世代前の作業用PC<Scallop-63bs>だと見て取った。ホタテの名を冠している理由はおおよそ察しが付くだろう。

ベッドに対面して部屋の向こう側には、長方形に切り取られた部屋の出口が据えてある。ドアの類は存在していない。

快温に調整された空調のお蔭でほむらは殆ど汗を掻いていない。
肢体を覆うパジャマの生地は上等なものを使っているのかとてもさらさらで、常日頃から晒されるような不快感は微塵も感じられない。

そこで、気付く。果たして自分は、寝間着などを持っていただろうか。

突如として不安になったほむらは、胸のボタンを一つ外して襟元を覗き込んでみる。

自分の知らないブラジャーだった。それもひどく上等な。

ズボンのゴムを延ばして下の方も確認してみる。自分の知らないショーツだった。こちらも、ひどく上等な品だ。

ほむらは天井を仰ぎ見る。

精神的にも物理的にも痛む頭を指先で押さえ、ほむらは昨晩の出来事を整理する。

確か、そう、確か柄にもなく激情し、moreを出た。そうして、雨に濡れながら(認めるのも癪なことだが)涙を流し――。

――そして、どうしたのだったか。

ほむらには、その後の記憶がなかった。忌々しいことに。

過去の記憶を掘り返され心を抉られ、雨の中ほむらは嗚咽した。
明らかに体温低下以外の理由で震える脚をなんとか支え、壁についた左手を擦らせて歩いた。

昼頃に食べた鯨のステーキを戻しそうになり、口を押さえつけ――そこから先の記憶が、ない。

つまり、今の自分は何者かにより拉致されている。

今の東京はそれほど治安が良いとは言えない。この待遇から言ってこちらに危害を加えるつもりはないだろうが、それでも用心するに越したことはない。

 
ほむらは腰に手を遣って、拳銃がない事に気付く。

一度剥かれてパジャマ姿に着替えさせられている以上、武装解除されているのは当然の事だと再びほむらを頭痛が襲った。

なんだかひどく心細くなった気がした。
システムの外側にいるほむらは常にグリーフキューブの枯渇に悩まされている。
必要以上の魔力を消費する訳にはいかないのだ。

ところがまどかから受け継いだ弓は極めて燃費が悪いため、そうばかすか撃つことは出来ない。
結果ほむらは、拳銃に魔力を込めてぶっ放すという旧世界と近い戦闘法を採るしかなかった。
ほむらにとって、銃はとても身近な存在だったのだ。

その慣れ親しんだ鉄の塊を所持していないことに、ほむらはひどく浮足立った。舌打ちを一つ、仕方なしに変身を行う。

ほむらは弓を出現させ光を纏わせた。
室内戦闘ではどう考えても不利な弓だが、こうして魔力の塊を付与することにより剣のようにも扱うことが出来る。
それでも閉所では振り回すには向かないが、最悪ぶん殴れば良いと開き直る事にする。

四角く繰り抜かれたような出入り口を抜けると、すぐそこは居間だった。
広さは六畳ほどで、小奇麗な調度品が揃っている。

クリアマットレスが敷かれたガラスのテーブルも白いソファも全てが清潔感で溢れており、一目見て高級品と分かる造りだった。
少なくとも、昨今のほむらには到底縁のない品だと言える。

空いた壁のスペースにはやはり書架が配置してある。こちらは本ではなく、分厚いファイルホルダーだった。
ただ数字だけが記入されたそれらは少しずつ更新されていくものなのか、左にあるものからふすぐれ古くなっている。

ほむらは半ば本能的にそのうちの一つへと手を伸ばす。

震える指先がファイルの背表紙に触れる寸前、だが今なすべき事を思い出して手を止める。――今は、この空間にいる何者かに接触するのが先だ。

思い直し、再び神経の尖らせたほむらはゆっくりと進んでいく。
書架の群れ、その隣に位置するやはり切り取られたように存在する出入り口――臭いの元へと。

何を炒めているのか、そんなことはほむらには分からない。
ただの料理なら幸いだが、世の中には同族を嬉々として調理する御仁も確かにいる。
そういった奴らをほむらは何度も見てきたし、ついでに叩き潰してもきた。

恐らくは調理場へと続く2メートルばかりの廊下をすら、ゆっくりと歩く。
居間もかなりの明るさだったが、向かう先もかなり明るいらしい。包丁がまな板に打ち付けられる音がしてくる。
何を刻んでいるのやら、見当もつかない。料理を全くしないほむらだからこそ、余計にそうだった。

見えた。厚底のスリッパを履いて身体を軽くスイングさせながら料理を作る背中。

「お前は……」


「やぁ、眼を醒ましたかい――暁美、ほむら」

 















――呉、キリカだった。

以上、ちょい短いけどここまでです
ちょいプロット見直したりしてたんで遅くなっちゃいました、すいません

ほむらは自画撮りしてないです
あくまで運営なので

あと一応時間軸としては少なくとも200年以上は経過してるつもりだったり
その割に技術革新がへぼいのは私の想像力不足です、申し訳ない

0324
投下開始

 
目の前に鎮座した白い皿の上にウィンナーエッグが乗っている。ぷりんとした黄身とそれを陶器と同じ色の白身。その端だけが焦げ見事な三色を描いている。
視線を奥に泳がすと深い盛り付け皿があり、蒸したニンジンやブロッコリーが欲しい儘に湯気を立ち上らせている。
左手には玄米を混ぜ込んだ適量のご飯、右手には玉ねぎと油揚げの味噌汁が、これまたもうもうと白い蒸気を上げている。

この和洋折衷とは到底呼び難いひどい付け合せの料理を作った張本人、呉キリカはにっこにこと良い笑顔を作った。
「いただきます!」の声に続いて箸をウィンナーエッグに伸ばす。

ほむらは黙って湿った視線をキリカに送った。キリカがそれに動じる様子はない。

再び痛み始めた頭にこめかみを押さえ、ほむらは箸を蒸し野菜へと伸ばす。

「こーら、ほむら。ちゃんとご飯を食べるときには挨拶をしないか。ほら、いただきますって」

「……いただきます」

溜息を吐いて声を発する。大昔、こうして窘められていたのはキリカの方だった。美国織莉子に。

キリカは良く噛んで、それぞれの料理を少しずつ食べる。三角食いに口中調味をミキシングした、伝統的かつ純和風な食事法だ。
これをやるのなら、せめて全部和風の料理を作れば良いのに、とほむらは思う。

ともあれ今は腹ごしらえをしなければならない。
なぜ自分は呉キリカの私室に招かれこうして寝かされていたのか――そして何よりも昨日の話の続きを、しなければならないからだ。

 
「まぁ、まずは朝ごはんと洒落込もうじゃないか。話はその後ってことで」

「今、話しなさい」

「話はその後にって言ってるんだ。この言葉の意味をいちいち説明しなくちゃいけないっていうのかい?」


こんなやり取りがあったため、極めて遺憾な事ながら、ほむらはキリカに従うしかない。
情報というものはそれだけで人間関係における優位性を確保できる代物だ。とても、腹立たしい。

せめてほむらは、このキリカの作った料理をけちょんけちょんに貶してやろうと考えた。
口に入れた瞬間顰め面をして、これはあまり良い肉ではないわね。そう言ってやろうと思った。
こんなことでしか彼女に抵抗をすることが出来ないと言う事実にさらに腹を立てつつ、ほむらは箸を卵の白身に食い込んだウィンナーソーセージへと伸ばす。

ぱりっ、と音を立てて熱い肉汁が口中を占める。様々な香草や胡椒を練り込まれたソーセージが、その風味を余すことなくスパイシーさを発揮させる。

「おいしい」

思わず声が出ていた。

しまった、と思ってキリカを見遣ると、彼女はとても綺麗な笑顔をしていた。三日月を仰向けにしたような口から八重歯が覗いている。

八重歯。

思い出したくない事を思い出し、ほむらはどうにか食欲に身を委ねずに済んだ。心の均衡を犠牲にして。

「良かった。口に合うかどうか心配だったんだ。なにせ一緒に食事を摂るのは、随分久しぶりのことだから、ね」

「ええ、そうね。この"ウィンナー"はとても美味しいわ」

「うん、まぁね。"私の見立て"は合っていたようだ」

料理はとても美味だった。
どれも比較的手のかからない類の料理ではあったものの、火の通し方、調理時間、ちょっとした味付けなどなど。そのどれもが非の打ち所がなく高い水準で仕上がっていた。

もっとも、心の均衡を失ったほむらはもはやどんな料理であっても美味だと感じる事はなく、盛り付けられたご飯ももそもそとした不気味な白いつぶつぶにしか思えなかった。

 
食後に出てきたのはコーヒーだった。黒い液体が白いマグの内側で波打ち、挽きたてのコーヒー豆特有の芳醇な香りがほむらの鼻をくすぐる。
つい今しがた、キリカが豆を挽き、目の前で淹れた代物だ。

ごぼごぼと丸底ビーカーの中で気泡を生じさせる湯を縦長の円筒ケトルに移し、ドリップパックの敷かれたドリッパーに渦を巻くような軌道で注ぐ。
すると、中にたっぷりと詰められたコーヒー豆が湯と空気の影響でイスラム教におけるモスクの屋根のようにまるもっこりと膨らむ。

キリカはそれで30秒だけ時間を置き蒸らすと、再び湯を注ぐ。
中心から辺縁に、辺縁から中心に、渦を描くように、適度な湯の量を維持しながら、決してモスクの屋根が崩れてしまわぬよう、丁寧に。
20分後には、コーヒーサーバーになみなみと黒い液体が満ちていた。

まるで手品のようだ、とほむらは思った。どれだけ魔法の力に優れていようと、この辺りの技術――技能は、そうそう真似できる代物ではない。

マグカップに注がれたコーヒー。興奮作用がある筈の黒い液体の、このどことなく酸味を漂わせる芳香。湯気を媒介として鼻に香るそれに、ほむらの心は不思議と落ち着いた。

「さて、食器は機械が勝手に片づけてくれることだし、そろそろ話そうかな」

そうキリカが切り出したのは、ほむらがコーヒーの初めの一杯を半分ほど飲んだ辺りの事だった。

程よい苦味とコク、少量の砂糖により齎された特有の酸味が口と喉を潤し、ついついカップを動かす速度が増していたのに気付いたほむらは、気取られない程度に慌てて澄まし顔を作る。
どうやら何だかんだと言いつつも、先の食事でほむらはじゅうぶん餌付けされてしまっていたようだ。ほむらはとても複雑な気持ちになった。

そんなほむらの胸中を知ってか知らずか、キリカは取り澄ました顔で口上を述べる。

「まず、私の役目について話そうか」

「美国織莉子からお役目を賜った。そうではないの」

「ガワはそうなる。でもその中身、役目という名の箱の中身に関して言えば、キミは何も知ってはいないはずだ」

「……そうね。けれど、それって私が知る必要のある事なのかしら。
あの店で、私たちの商談はまとまったと思うのだけれど。
もう黙示録の獣の出現まで幾ばくも無い以上、作戦を練ったり実地へ出向いて地理の確認をした方が有益なのではないの?」

 
「もちろん、アポカリプピ……アポキャリ……アポカリプティック・ビーストが顕現するまであと3日だ。3日目の夜、奴が現れる。
だけど、こうして話をする時間くらいはある。焦ったって、待つだけの私たちに出来ることってのは、かなり限られてくるわけだし」

「残り3日ですって……?」

それはほむらにとっては寝耳に水の話だった。東京に降り立ったのがビーストが現れる1週間前の事だったので、かれこれ4日間、ほむらはキリカの家で眠りこけていたことになる。

そう言えば――。

「私の荷物はどこへ――」

「キミが寝ていたベッドの足元にまとめて置いておいた。
キミが携帯していた銃器やなんかはそのままの状態で置いてある。
ホテルもちゃんと正規のキャンセル料を払ってチェックアウトしたし。その辺に抜かりはないと思ってもらいたい」

ほむらは額に手を当てて溜息を吐く。そして確信する。今この場にいるのは、あの日見たやんちゃ小娘の呉キリカなどではないと言うことを。

呉キリカは、長年L.O.L.という巨大な組織において中核を担ってきた存在なのだ。人心掌握術の鍛練具合はかなりのものだと見てよいだろう。

他方、ほむらは延々とロンリーウルフで魔獣を狩ってきたOutlawだ。

対人スキルや実務遂行の面で圧倒的な差が生じているのは言うまでもない。
ほむらは、これまでの遣り取りの中でどれだけの情報を抜き取られているのか不安にすらなる思いだった。

「まぁ、仕方ない。そういう事もあるさ。誰にだって、疲れて何日か寝入ってしまうときくらいある。ちょっと、時期が悪かったけどね」

キリカの苦笑いに、ほむらは酷く苦々しい感情を噛み締める。

「ことここに至って焦ってみても、仕方のない事さ。キミと言う存在にひどく密接した、昔話でもしよう」

「昔話……」

「そう。あの店で、私が、君では決して"黙示録の獣"を倒せないと言った、その理由も含めて」

そう言って、キリカは語り始めた。

 
「まず、私の属するL.O.L.の真の目的を話そう」

「真の目的?世界征服でもするつもりなのかしら?」

「そんなまさか。そんなのは無意味さ。だって、世界征服というなら既に完了済みだからね。今や全世界、99%以上の魔法少女たちはL.O.L.に所属している。
全地球包囲網、つまりワールドワイドウェブを通じて、私たちは既にある種の共同体意識を築き上げている。
大地や海上に敷かれた国境線に覆いかぶさるレイヤーとして、私たちの魔法少女共同体L.O.L.は、世界なるものを補完済みだ。
今更そんなお題目を掲げることに意味などない、と言うことだよ。

 私たちが目標とするのは、魔法少女の生存率をどこまでも上げ続けることだ。これは単なる理想からくるものなんかじゃなく、れっきとした価値目標からくるものだ」

「価値目標……」

かつて、美国織莉子と巴マミがL.O.L.を立ち上げた時の理念。それは偏に良心からのものだった。

魔法少女どうしが、ソウルジェムの維持や、それを実現するためのテリトリーを巡って血みどろの抗争を繰り広げていた時代。
その事に胸を傷めた二人の少女が立ち上げた、ネットワーク上の形無き組織。

魔法少女どうしの互助機関として、司法機関として。皆が手を取り合えば皆が救われる。
そんな理想を具体化させるためのものとして立ち上げられたL.O.L.は、今やその存在理由すらも変化してしまったらしい。

「現在のL.O.L.の形が出来上がってからしばらくして、私たちはデータの収集を行い始めた。まだ、織莉子が生きていた頃の話だ。
L.O.L.は究極的には、魔法少女を秩序立てて管理する存在だから、居住地や年齢――死亡情報とか、そういった類のものを集める必要があった。
けどその時点では、『そういうもんだ』という漠然とした目的意識だけがあって、誰も何に使うかなんて考えやしなかったんだ。もちろん、織莉子も含めて。

 だけど、10年、20年と統計を取っていって、どんどんデータに精度が増していって、私たちはある事に気付いたんだ。
それはこの世界が、どれだけ益体のない仕組みで動いているか、という事についての具体的な証左になった」

キリカは語尾を荒げた。

「その仕組みと言うのは――」

「魔法少女の死亡者数と魔獣の発生数に相関関係が見つかった」

「……?それって、普通の事ではないの?」

魔獣の量と魔法少女の死亡者数は概ね比例関係になる。
魔獣の数が多くなればなるほど、魔法少女たちはジリ貧になり、結果未熟な者・弱い者から死んでいくこととなる。

 
「いいかい?『魔法少女が多く死ぬ』と『魔獣が増える』んだ。逆じゃない。
魔獣が沢山増えるから、魔法少女が沢山死ぬ破目になる、なんてことには、ことL.O.L.の統治下ではなり得ない。
そうならないための人手やテクノロジーを、私たちは延々必死扱いて磨き上げてきたんだから」

「つまり……どういうこと……」

頭の整理が出来ない。魔獣は人々から零れ落ちた負の思念が具現化したものであり、また人々の負の思念を吸収しながら成長する。
その過程で、魂を抜き取ったり、物理的に喰らったりすることもある。

ちなみに、物理的に喰らうのはその時に生じる苦痛や恐怖、悲しみの感情を喰らうための手段だからで、人間それ自体を構築するたんぱく質やなんかの物質的要素は、魔獣にとっては何の栄養にもならない。
これはL.O.L.の公式見解でもある。

魔法少女は魔獣を狩り、グリーフキューブでソウルジェムを浄化し、穢れを最大限まで溜め込ませる。
インキュベーターはそれらを回収して宇宙延命のための燃料だかにしているようだが、詳しい説明は理解の及ばない領域にあるため捨て置いてある。

つまりインキュベーターとしては、魔獣は多ければ多い方が良い、しかし逆にそれにより魔法少女が淘汰されてしまっては元も子もない、という微妙な立場に身を置かれていることになる。
特に直接的干渉が禁じられている以上、事の成り行きは、彼らにしても見守るほかないのが現状なのだろう。

だがそれと、魔法少女の死亡者数増加に伴う魔獣の増加に関する因果関係は、ほむらには見えてこない。
魔獣が増えて魔法少女が圧されれば、結局キューブの回収効率が悪くなってしまう。
敢えてそんな仕組みを残している理由など、無いように思えるからだ。

「魔獣は、自然的に発生したものじゃない。魔獣と魔法少女はセットになってこの世に存在している。
魔獣なんてものをこの世界に持ち込んだのはインキュベーターさ。にも拘らず、彼らはいけしゃあしゃあと『人類の為に戦って欲しい』なんて言う。
地球規模のマッチポンプが行われているんだ。

 魔獣はヒトの負の思念、悲しいなぁ、とか妬ましいなぁとか、そんな感情から生じる。その中でとりわけ大きな負の感情を想起させるのは何だと思う?
そう、身近な人の死、だよ。

 人間は、誰か身近な人が死んでしまった時、ひどく空虚で、やり場のない怒りや感情を心に抱える。そしてそんな大きな感情から、魔獣が生じる。
では魔法少女が死んだらどうなる?それも同じだ。縁のあった魔法少女はもとより、家族、友人、教師、その他諸々の人々に波及的な悪感情を齎すことになる。
特に死亡するリスクの高い魔法少女は、人々に絶望的な感情を抱かせるのにうってつけの素材なわけだ。

 魔法少女の死亡者数と魔獣の発生数に相関関係がみられるというのは、つまりそういう事なのさ。
インキュベーターにとって、私たちはどこまでも食い物でしかなかった、ということになる」

キリカはコーヒーを一口啜る。既に冷めてしまっていて、湯気は立っていない。

 
でも、とほむらは言う。自分の声が若干高い事には気付いている。

「そんな風に魔法少女が数多く戦死してしまったのでは、インキュベーターの方もシステムを維持するのが難しくなるはず。
いくら魔獣が増えたところで、それの狩り手がいなければ彼らにとっても非効率的な筈よ」
さっき考えたことを口に出してみる。

少なくともほむらにとっては、インキュベーターは油断ならない相手ではあるものの、ことさら魔法少女を搾取するようなことはないと思っていたからだ。
魔法少女に死なれると、困る。そう言ったのは彼らではなかったか。

「キミは、巴マミの事を憶えているかい?」

唐突な問い掛けだった。

憶えている。あのレモンバームを思わせる髪の色をした先輩魔法少女にはとてもお世話になったものだった。
もちろん、ループ中は彼女のお蔭で散々な目に遭ってきたのも事実だが、それ以上に、尊敬すべき部分が多すぎた。

「マミは、強かった。2446年に身体機能が停止して死亡するまで、彼女は常に常在戦場の魔法少女として戦い続けた。まさに英雄だった。
彼女だけは、何が起こっても気残り続けた。――そう、マミは、どんなに多くの仲間たちが死んでも、なお生き残り、そして魔獣たちを滅殺し続けた。
そしてそんな魔法少女は、実のところ世界中至る所にいたりする。これが意味するのは、実はインキュベーターたちは、魔法少女をそれほど多く必要としていない、という事だよ。

 もっと簡単に言おう。
つまり雑魚の魔法少女がどれだけ死のうと、どれだけ惨たらしい思いをして、大事な人の名前を叫びながら導かれる事すらなく死んでしまおうと、インキュベーターは興味関心がない。

 大部分が淘汰されていく中で、一部の、一握りの非凡な魔法少女だけが生き残り、そして魔獣を狩ってくれる。
彼女らの殆どは戦死はしない。多くは加齢や妊娠による継戦能力の欠如だ。
キミは、妊娠した魔法少女が導かれる瞬間を見たことがあるかい?そしてその後の、残された夫の悲痛な叫び声を。

 彼女らが導かれる際には、お腹の胎児を遺していくんだ。赤ん坊は別の生き物としてカウントされるからね。
本来膣を通って頭から取り出されるべき赤ん坊は、羊水すらも失われた状態で突如としてこの世界に放り出されることになる。
そんな胎児に、私たちも、医師にも、出来ることなんかありはしなかった。そしてその悲劇が、また新しい魔獣を産むんだ」

少々興奮したのか、キリカはすぅ、と深呼吸する。

「インキュベーターの魔法少女システムは、私たち魔法少女の――いや、人間の、絶望により担保されている。
ふざけるな、というのが私たちの見解だ。私たちの希望も、絶望も、彼らの食い物にさせたりはしない!

 魔法少女が、魔法少女らしく在ることが出来る世界。押し付けられた絶望から、魔法少女を解き放つこと。

 魔法少女の、真の独立――それが、私たち、Light of Lawの目最終的になる。

 ――そしてそれを実現させるため、織莉子直々の特命を帯びて、今もなお動いているのが私、というわけだ」

以上説明回でした
世界の枠組みが変わろうとべえさんが魔法少女を搾取する気満々なことから思いついた思いつきのアイディア
次回からちょっとずつ過去の解明をしていく(予定)です

乙。
まあ、魔獣というのが、「魔女共々円環の理で失われた絶望を世界に補填して、魔法少女の希望と均衡を取る存在」という公式設定から考えると順当だわな。
とりあえず、「自分自身=絶望である魔女」よりは魔法少女達から見てマシになっている分、それでも尚、まどかが祈った価値はそれなりにあると思うね。

ただまあ、新作映画の「反逆の物語」でどんでん返しがあるみたいな話もあるし、
現状のTV版でのまどかの選択があくまで不備のある次善策であったとしてもまあ、アリと言えなくも無いかも?

まあ、虚淵だしね。
当事者が納得できる最後に到達できただけでハッピーエンドと見なすのが順当。
ちなみに今まで見た二次創作で一番目鱗だったまどかの願う奇跡は・・・

まどか「脚本家をプリキュアと交換して!!」

だったな。

予告から遅れましたが、これより投下開始します

 
ひび割れた埠頭に、暁美ほむらは佇んでいた。
L.O.L.所有の廃倉庫を背中に、どんよりと曇った水平線の先に睨みを利かせる。廉価品のTシャツにデニムのパンツ、その上に袖の短いジャケットを纏っている。
この夏のさなかにもジャケットを着ているのは、ホルスターにしまった手製のリボルバーを2丁、脇と腰とに隠して吊ってあるからだ。

敢えてリボルバーピストルを選んだのは、単純さゆえの堅牢性と薬莢の回収効率アップを見込んでのことだった。
魔獣の結界は魔女のそれと比べて脆弱であり、魔獣が消失する際には内部の物理的存在をしばしば現実へと放擲してしまう。
オートマチックタイプの場合、射撃と排莢が同時に行われるため薬莢を辺りにばらまいてしまうことになる。
銃器の持ち込みが許可されていない区画で使用済みの薬莢が見つかれば大騒ぎとなるだろう。実際の経験から、ほむらはそれを良く知っていた。

回収した薬莢はハンドローディングで安価に使い回しが利くため、収入面で不安の大きいほむらにとっては経済的メリットも大きい。
ネックとなる装填可能弾数の少なさと再装填の手間に関して言えば、ほむらの腕前ならば2丁12発の弾丸で大凡の魔獣はケリがついてしまうため、リスクは大したことではなかった。
緊急時には徒手空拳や杖――まどかの魔法弓によりカバーが可能でもある。
そういったメリットとデメリットの兼ね合いから、ほむらはこの古式ゆかしい回転式拳銃を愛用していた。

ほむらが今この埠頭にいるのは、例の魔獣――黙示録の獣<アポカリプティック・ビースト>の出現予想地点を下見するためだった。

作戦は全て織莉子の予知データを受け継いだ呉キリカが立案するものの、実際に戦場となる場所は自分の目で確認しておきたい、というのがほむらの――表向きの理由だった。
実際は、朝食の後のあまりに衝撃的な宣告に、呉キリカと一緒の空間にいることに堪えられなくなったからだ。
そんな心情を推し量ることなく、キリカはそれを制止して言った、キミが出ていってもできることは何もないよ、と。

ほむらは声を振り切って外へ出た。外は、曇天だった。

濃い湿り気を帯びどこか埃臭さを感じる空気に鼻を侵されながら、ほむらはぼんやりと先ほどの話を考える。
あの後、キリカの語ったさらなる事実は、ほむらの心をさらに掻き毟ることとなった。

 
魔獣は魔法少女からは生まれない。外界に放出されて魔獣を育む負の感情は、魔法少女の場合には魂の内側――ソウルジェムに溜め込まれるからだ。
つまり、魔獣の出現は改変前の世界の逆位置をとることになる。魔法少女の祈りによる世界の歪みに生み出された魔獣は、事情を何も知らぬ一般人の魂を糧として成長する。
この辺りは魔女と共通だが、奇跡に裏切られることのなくなった魔法少女の多くは、奇跡の代償を払うことなくその生を終える。

簡単に言うと、魔法少女は歪みの代償を一般人に押し付けて生きている。
ゴルゴダの十字架にかけられ魔法少女の原罪を贖っているのは、今や人類という総体だということだ。

キリカの語った事実は、ほむらにとっては少しばかり違う意味を持っていた。
一般の魔法少女にとっては碌でもない事実に過ぎないその事柄は、ほむらにとってはまどかの願いが、ひどい方向に作用していることを意味していたからだ。

呉キリカは言った。魔法少女は、身の裡に穢れを溜め込んだり、ちっぽけな宝石が砕けただけで死んでしまう、脆弱な生き物なのだ、と。
そしてその死は、彼女らを愛する者に絶望を与え、敵対者たる魔獣を肥え太らせ――そして罪なき人々を襲うのだと。

それでは、まどかの願いとは結局なんだったのだろう。

魔法少女がただ悲劇を生むだけの存在でしかなく、魔女にならないことにより一層の惨事を齎すことになってしまっていたのなら――。


――まどかの願いは、いったい何を生んだのだろう。

どんな希望を、この世界に生み出したというのだろう。

その身を概念なるものに変え果ててまで叶えたあの願いは、いったい――。

 
ほむらは眼を見開いた。まっすぐ見据える正面には、ただ鉛色に染まった空と、鈍色を湛えた水面しか存在していない。
進むべき未来も、守るべき過去も、この濁りきった世界のどこにも見えない。

ほむらはふいに、その鈍色に身を躍らせたくなった。海面に身体を投げ打ち、沈み、泡となって消えてしまいたくなった。

そうして泡となって消えてしまったらどれほど楽なことだろう。
魔法少女になった時点であまり意味を持たなくなった筈の心臓が、早鐘のように鳴るのが分かる。甘美なる死への欲求が、ここにきて爆発的に膨らむのが自覚できる。

ああ、どんなに楽だろう。悩むことも苦しむことも失って、その身を横たえることができるのなら――できるのなら――失って……?


そうだ、まだ自分は失うわけにはいかない。まだこの身は朽ちてはいない。あの想いを、まどかへの想いを、杏子への想いを、失うわけにはいかない。
まどかを憶えているのは、もはや世界で自分だけだ。あの、優しすぎるがゆえに自らの存在を消し去ることになった少女を、最高の友達を、憶えているのは、もはや自分だけなのだ。
自分がいなくなったら、それを憶えているのは世界で誰もいなくなってしまう。
まどかの残滓は、「円環の理」という無情なるシステムを残して完全に消え去ってしまう。そんなことには、させない。

杏子も――そう、杏子にしてもそうだ。杏子の身体がどれくらい鍛えられていたか、その筋肉の繊維がどのように走っていて、その瞳がどのような色を湛えていたか。
その身体がどれだけ柔らかく、どれだけ良い匂いがして、つややかな赤毛がどのように風に揺られていたか――。

――それをこうまで鮮明に憶えているのは、おそらく自分ただ一人だけなのだ。

私は、まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。この想いを失うには、まだまだ早すぎる。あの交わした約束は、この想いは、まだ失うわけにはいかないのだ――。

ほむらはひとつ、息を吐く。深く、息を吸う。埃臭い、湿った潮風が肺を満たす。ひどい気分だったが、まだこの二本の脚は自分を支えてくれそうだった。

 
やるべきことは、下見だ。外出するためにでっち上げた表向きの理由だったが、こうしてしがみつくことで正気を保つことが出来たのは僥倖だった。
なにかやることが見当たれば、少なくとも何を考える必要もなくそれに打ち込むことができる。

ほむらは足元に置いてあるふすぐれたショルダーバッグを取り上げると、眼鏡ケースを取り出した。
中には四角く角張ったサングラスが入っており、ほむらはそれをゆっくりと装着する。

このサングラスは、ほむらの持つ多機能携帯端末<Type:Abacus S-38990>と無線接続されている。
Abacusで処理したデータを視界に重ねて投影するための、いわばディスプレイ・デバイスだ。
現実の視界に情報を重ねて表示する、古き良きSF小説やビデオゲームにはおなじみな「拡張現実」と呼ばれる技術だ。

ほむらはもう何年も前に購入した、この型落ち品の"つる"部分に位置するスイッチを入れた。
すると画面が起動し、受信装置が投影すべき情報を探して微かに鳴動する。

Abacusに標準搭載の外部ディスプレイ接続アプリケーションを起動してサングラスに接続する。
出立の前に慌ててダウンロードしておいたアポカリプティック・ビーストの情報を送信すると、眼を覆う黒い硝子板に様々な情報が投影される。

視界が黒くなる。激しい雨と雷。荒れ狂う波に、遠くのタンカーがゆらゆらと揺れる。
ゆっくりと、顔を上げる。視野の移動に伴って、洋上に浮かぶその威容が明らかになる。





















それは、大仏だった。顔にモザイクが掛かった、何かの冗談のような廬舎那仏――『黙示録の獣』。

 

 
奈良の大仏、それに酷似した巨大な大仏が、様々な化け物を連れだって東京湾から上陸してくる。まるで百鬼夜行だ。
そんな色々な意味で悪夢のような光景に、ほむらは眩暈を起こしそうになった。

もちろん、これは呉キリカ――というよりはL.O.L.が作成した『黙示録の獣』のシミュレーションだ。

太平洋から上陸する『黙示録の獣』がどういった姿で現れ、そしてどんなルートをとるのか。
今までに蓄積されたデータから算推し、ディスプレイ・デバイスに投影しただけの代物だ。
つまり、これまでに世界各国に出現した『黙示録の獣』たちも、これに類似した姿をとって現れたということになる。

魔獣――彼らは概ね人型をとり、身体の至る所にモザイクを伴って現れる。纏っているのは法衣、ギリシャ神話に出てくるような頼りげない布きれだ。
だが実際の戦闘では、平均から上の上級種――半数ほどがその姿を変じさせることになる。

頭が縦にぱかっと割れ牙だらけの口腔を見せてみたり、はち切れんばかりの筋肉が漲ったかと思うと腕が四つに分かれて恐ろしい爪が生える、等さまざまだが、どれもこれもが人の悪意をそのまま体現したような形になる。

低級の魔獣はそのまま人型の姿で人間の精神に影響を与えるに留まるが、上級はヒトをダイレクトに喰らいにいく。
本来は姿かたちを持たない魔力的存在である魔獣は、等級が上がるにつれ物理的な干渉能力をより強く得ていくのだ。

そして、魔獣の最上位――『黙示録の獣』は、当然のことながら破格の物理攻撃能力を持つ。
上陸し、この鬱蒼とビルが林立する東京ジャングルでその猛威を振るった場合には、どれほどの被害を被るか見当もつかない。

皮肉は、年に何度もの災害に見舞われるこの極東地域において、対災害の建築技術がブレイクスルーを起こしてしまったことだ。
新素材と新技術、そして電燈の建築技法の融合により、もはや"通常"のスーパーセルは恐るるにたるものでない。
台風なぞよりもずっ強烈な破壊力を持つこの化け物を、人間は克服してしまったのだ。そのため、東京の人々は「避難」などということを考えもしない。

だが、今回建物が相手にしなければならないのはただのスーパーセルではない。今回のスーパーセルは、魔獣そのものなのだ。

その強力すぎるエネルギーが周囲の気象に作用し、あたかもスーパーセルのように見える、というのがこの天災の本旨だ。
魔力を伴った大いなる破壊の力に、通常の建造物はなすすべもなく打ち壊されてしまうだろう。当然、その中に住まう人々などひとたまりもない。

今回はこの埠頭周辺で大立ち回りを演じることになる、というのが、キリカの隠れ家でダウンロードした情報含まれる作戦の概要だった。
万が一魔獣が、民間人がたっぷりと詰め込まれた市街区に乗り込んでしまった場合、その時点で作戦は失敗と言ってしまって良いだろう。

水際作戦――その点において、ほむらも異議はなかった。

 
ほむらはサングラスを外してスイッチを切った。プツン、とデバイスが悲鳴を上げる。
それを意に介さず眼鏡ケースに放り込むと、途端にほむらは手持無沙汰になった。やるべきことが、なくなってしまったのだ。

ほむらは棒立ちのまま、『ワルプルギスの夜』と戦った時のことを思い出す。戦い――それは直接的な戦闘に留まらず、その準備段階から既に始まっていた。

 ・情報の収集――世界各地の文献から『ワルプルギスの夜』と思しきデータを引っ張ってきてデータベースを作った。
 ・武器の確保――自衛隊や米軍の基地、暴力団事務所から武器を盗んできては盾に仕舞いこみ、自身を歩く武器庫と化した。
 ・作戦の策定――軍事メソッドに基づいた兵器使用。有効な配置や使用順序を探り、秘匿の魔法を用いて予め配置した。

戦闘能力のみならず、己の知力と発想力をも総動員した、文字通りの総力戦だった。
美国織莉子の父・久臣の自殺の原因がほむらが自衛隊・米軍から武器を収奪していたことに起因していると気付いて以降、武器の収集を先送りにしたことで、余計に事態が厳しくなったことをよく覚えている。

ところが、今はどうだろう。情報はデータベースから一瞬で引っ張ってこれる。武器はまどかの弓がある。そして作戦は――呉キリカが考える。
かつては自分一人の手で全てをこなしていたというのに、その権利の一切をはく奪されてしまった気がした。

自分にできること、この世界を守るためにできることがあまりにも少ないように思えて、ほむらは足元がひどく覚束なくなったように思えた。

私にできるのは、これっぽっちでしかない。これでいったい、どうやって私が「世界を救う」だなんて言えるんだろう。

やるべきこと、目前のしがみつくべき目的を消失したほむらは、再び深い泥沼のような思考に落ちていきそうになる。

と、

「ども、こんちゃっす」

ここでほむらの思考を掬い上げたのは、一人の少女だった。

「貴女は……」

「ええ、まぁ、こないだの」

4日前に呉キリカが救出した、あの魔法少女だった。
L.O.L.所有の廃倉庫、その窓から上半身を出して手を振っている。ショートカットにした赤毛、よれた黄色のTシャツ。

そこにプリントされた文字が寄りにもよって"I Love SEX"であることに、ほむらはこめかみにひどい痛みを感じた。もっとましなTシャツはないのだろうか。

「貴女、学校は……?」

ほむらは無国籍自由人であるため、曜日の縛りを基本的には受けない人間だ。
せいぜい自分の管理するエロサイトに週末増量キャンペーンを設けてユーザーを稼ぐことくらいで、ことさら何曜日だからといってどうこう感じることはない。
一応は組織人である呉キリカも、現在は分筆業で金を稼いでいるとのことなのでやはり曜日は関係がない。

他方、この少女は――あの日見た姿だと、たしか制服姿だった。そして、今日は平日。ほむらが第一にその問いを発したのは至極当然なことだった。

「修学旅行すね。まぁ、あたし以外は」

「どういう事」

「うち、母子家庭で貧乏なもんだから、修学旅行のおぜぜ積み立ててなかったんすよ」

 よれたTシャツの理由とは、つまりそういうことだったのだ。

 
「で、他の連中がオキナワでヒャッハァーしてる間、あたしはここで暇してるってな感じで。課題も碌に出なかったもんだから、もうやることなくって……魔獣もあんまり出ませんし、ねぇ」

「魔獣が出ない……?」

「いぇぁ、そうなんすよ。昨日からですかね、魔獣がてんで出やがらない。
 そんなもんだから、あたしとしちゃあ商売あがったりですわ。せっかくしばらく魔獣狩り放題だと思ってたのに……」


魔獣が出ない、とはどういうことだろう。
このタイミング、『黙示録の獣』に関連していると考えざるを得ないが、少なくともL.O.L.のデータベースにはそんな予兆があるなどと記録されてはいなかったはずだ。
さらに言えば、かつての世界の『ワルプルギスの夜』でさえ、そういった全長はなかった、と思う。

ここにおいて、ほむらは自分がこの世界に関していかに無知であるかを思い知らされた。
それはつまり、世界が改変されて以後、どれだけほむらがこの世界に無関心でいたか、ということだ。

今まで、絶望はたっぷりと見てきた。
L.O.L.の外側で、どれだけの魔法少女たちが苦しみながら生きてきたか、あるいはL.O.L.の内側での勢力争いというものも――何度も見てきた。

そういった怨嗟の叫び声や血みどろの戦いを前にして。では、自分は。"暁美ほむら"は、何をしてきたのだろうか。

何も、してこなかった。何も、だ。それを良くしようとも悪くしようとも思わず、ただただ傍観を貫いてきたのだ。

それは、かつて経験したループ――何をしても空回りし悪い結果しか導けなかったことからくる絶望だろうか。
それとも、まどか――杏子を、喪ってしまったことからくる諦観だろうか。

自分は、なぜ、動かなかった。

それと知らず、ほむらは自らの口を押えていた。まるで、込み上げてくる"何か"を吐き出してしまわぬように。

「あ、でも、ストックはまだまだあるんで、もし必要ならご用立てますよ?今なら――いやいや、いつでも!適正価格でご奉仕させていただきます!」

口を押えたまま少女を一瞥して、ほむらは足早にその場を立ち去った。

以上、本日はこれまで
間が空いた割に短い……ですがキリが良いので
次回の後進はまだ未定ですが、折を見て生存報告と投下予告はしていきますので、今後ともよろしくお願いします

お待たせいたしました。
これより投下致します

++++++++++
 

ひたひたとほむらの後をつけるのは、さきほどの少女だ。
恐らくは好奇心で、ひょこひょこと魔法少女の様式に則った尾行のメソッドを繰りだしてきている。

L.O.L.に所属していないにも拘らず、L.O.L.の発足当初からのメンバー・呉キリカに『ともだち』と呼ばれた、そんなイレギュラー極まる存在に対して好奇心を抱かないものなどない。
ましてや根拠なき自信に支配され、その場その場の衝動で人生を生きるような思春期の世代にとっては、暁美ほむらは格好の面白ネタなのだろう。
さらに言えば、この少女はとても活動的であるらしい。ほむらをつけるのに一片の躊躇もないだろう。

好奇心は猫をも殺す、そんな諺を叩き込んでやろうかと、ほむらは一瞬だけ思った。
けれどそんな気力が己の肉体にもはや宿ってはいない事に気付き、結局は無視する事に決めた。

身体がひどく重い。今はとにかく休みたかった。肉体は然程疲弊してはいないが、精神の負担があまりにも大きい。
恐らくはソウルジェムも――それなりに濁り始めている。

どこか休める場所はないか。どこか、肉体の力をすべて抜きさって、そうして何も考えることなくぐったりとしていられる場所はないか。

ここ数日の曇りですっかり肌寒さを感じるまでに平均気温が低下した東京、インテリジェント・マテリアルに舗装された歩道を、ほむらはさながら幽鬼のようなありさまで歩いた。
ちらりと目を遣る喫茶店は、軒並み満員だった。

じゃりり、と靴と砂埃が摩擦に悲鳴を上げる音がした。

茫漠とした視界の中、斜め下、ほむらの目線の先に、厚底のブーツが見える。それはほむらの前に立ちはだかる足だった。

ゆっくりと、目線を上へと移動させる。黒いズボンがあり、派手なベルトがあり、黒いデニムジャケットがあった。
そしてその上に乗っているのは、どう見ても西と東の混血な顔立ち。
口元に浮かぶ余裕ありげな笑み。薄いライムグリーンな瞳、蛍火のような髪の色。真っ黒いキャスケットを被っている。

ほむらは彼女から発せられる、微弱な魔力の波動を感じ取った。
今の東京は、少なくとも中学生に限っては一斉旅行なため本当の意味での魔法"少女"はいない筈だ。

大学生やその上の世代は定かではないが、今の東京はL.O.L.によって戒厳令が敷かれているため現役世代が出張っていることはないだろう。
となると、外部からの魔法少女、つまり――。

「君が――暁美ほむら」

にまり、と笑って彼女が言う。呉キリカとは異なる、ニヒルな笑みだった。

 
「……誰」

「私はL.O.L.のChief Inspectorを務めさせてもらっている、神那ニコと言う。
 同じくChief……あー、最上級監察官の呉キリカの招聘を受けて、はるばる赴任先のコロンビアからやって来た。
 短い付き合いになるだろうけど、ここはよろしく、と言っておくべきかな」

静寂。東京の雑踏のさなかであるにも関わらず、二人の間に横たわる張りつめた空気は驚くほどの冷徹さを保ち続けていた。

「この場で私に接触してきた理由は」

「なぁに、ちょっと昔話を、とね。それとまぁ、顔合わせの意味もあるな」

「昔話――」

「そうさね、例えば……L.O.L.が現在のような――つまりインキュベーターに対抗する組織になった、そのきっかけだとか。あとは、『襲撃』に関して、とかならどうだろう」

「襲、撃……」

「左様。つまり佐倉――」

その名詞が虚空に放たれた刹那、ほむらは駆けだしていた。完全に反射的な行動だった。気付いた時には既に、神那ニコと名乗った彼女の襟首を掴み締め上げていた。

脳が血に沸き立つのが分かる。これほど激情を露わにしたのはどれくらいぶりのことだろう。ほむらのどこか彼方にある冷静な部分が、この事態に驚きの意を示していた。

「どういうこと!?なぜ、ここで彼女の名前が出て来るの!」

「少し、落ち着くんだ、暁美ほむら。Calm down, calm……」

ニコは両手を前に押し出す動きをして、ほむらをなだめる。
声帯を圧し潰されてしまってるせいで、彼女が発する声はまるでカエルが潰れたようなノイズにさえ聞こえた。

ほむらは無造作にニコを放った。ニコはみっともなく尻もちをついて激しくせき込んだ。

「あー……キリカの奴……話に聞いてたのと全然違うじゃないか……。君、かなりの激情家なんだね、っと。まったく……」

ズボンに付いた砂埃を払い落としながら、喉元をさすりつつニコが右手の親指でその背後を指す。

「あっちに喫茶店の席を用意してある。まったく……なんでこんなのがキーマンなんだろうかね」

先ほどのにまにま笑いを世界の端へと追いやったかのような苦い顔つきで、ニコがぼやく。

「あぁっと……これから話す事は、あまり若い魔法少女には聞かせたくない事柄だからね……今あっちでちょろちょろしてる彼女には、ちょっとお休みしてもらおうか」

『コネクト、ステイ』。彼女はそう呟き、右手を前に構え、

「じゃ、行こうかな……ああ、そうだ。言っておくけど、私は君をそれほど良く思ってはいない。
 それでもこうして誘っているのは、あの人に妙な誤解を抱いたままくたばってもらいたくないからだ。嫌だっても無理やり連れていくから、そのつもりでいておくことだ」

棘のある口調でそう言い捨てた。

ほむらは黙って後に続いた。『コネクト』の以後、尾行の気配は消失していた。

++++++++++

快温が、ほむらの身体を包む。喫茶店内は厚くも寒くもなく、人間の生体構造にどこまでも適した温度を維持していた。
真夏にして肌寒さを感じるほどの外気に曝されたせいか、ほむらはことさらこの室内温度を好ましく思った。

喫茶店<勒生(ろくしょう)>は防音加工が施された個室群によって構成される、独特の間取りを持つ喫茶店だった。
監視カメラが設置されている以外は録音装置の類もなく、つまりは内緒の雑談にもってこいというわけだ。

机の上には小さめのディスプレイモジュールが置かれ、画面をタッチすることでメニューを注文することができる。
この装置は旧型だが今でも人気の高いモデルで、5年以上前から改修を重ねつつ生産が続けられているメジャーな商品だった。
独特の機能として、登録したメニューの芳香を出力する事が出来るため、カスタマーの食欲を刺激してより強い購買意欲を創出することができる。
ニコはその匂いに釣られ、白亜のシフォンとエスプレッソを頼んだ。

ほむらはストレートのアメリカンコーヒーを注文することにした。挽きたての豆から作る、それも淹れたてのコーヒーに勝るものはない。
それに少しだけのシュガーを投入すると、コーヒーは程よい酸味を孕み、豊潤さが増す。
朝食後に呉キリカが淹れたコーヒーも良い味をしていたが、いかんせん長話のせいで冷めてしまいコクと香りを堪能するまでには至らなかった。今度はきちんと味わいたものだ。
ついでに小腹も空いてきたので、軽食にホットドッグサンドをつまむことにした。

と、ここでほむらは自分の精神がとても平常であることに気付く。
あれほど昂ぶっていた精神は、いまや凍りついた池のようにさざ波ひとつない。
鼻腔をくすぐる芳香、個室の壁面から発散されるリラクゼーション成分が脳に作用し、肉体を鎮静させたのだ。

魔法少女の本体は一般的にソウルジェムだとされる。
だが実際には肉体と魂は相互補完的役割を持っており、どちらかが欠落すれば魔法少女は生きていくことはできない。
他の生物とは、魂がスポンジを満たす溶液のように全身に染み渡っているか、ソウルジェムとして固形化しているかの違いでしかない。
つまり科学的な対処により、魂は統御できる。

L.O.L.のホームページには、精神に不調を来した際に周囲のクルーはどう動くべきかということがイラスト付きのマニュアルとして掲載されている。

まずはグリーフキューブを用いての浄化に努めましょう。その際、対象が錯乱状態に陥り暴走する危険があるので、浄化役にプラスして最低2人は補佐として待機しましょう。
対処療法としての浄化が済み次第、最寄りのL.O.L.管轄事務所に足を運び、必要な検査と鎮静剤の処方を受けてください――。

かつての魔法少女にとって、精神状態の悪化は即ち死を意味していた。
だが今はそうでもなく、必要な処置さえ行えば戦線復帰も可能である、というのがL.O.L.の公式見解だった。

 
「君は<昴かずみ>という魔法少女を知っているかな」

「……」

「まぁ、知らなくても良い。一応はオープンソースとして提示されてはいる。もっとも、学術系のレポートなんて読む子はいないけど。
 まだL.O.L.が黎明期だった頃に、私たちが出会った一人の――生まれながらの魔法少女だ」

「生まれながらの……胎児の状態で契約したとでも?」

「そういうことがあったらそれはそれで面白かったかもしれない。けれど、事態はそれ以上に入り組んでいた」

まだ組織がL.O.L.ではなく、ネットワーク上での活動が主体だった時代。
地域ごとの個別ネットワークが構築され始め、当時のメンバーたちはそれらを統合すべく忙しく歩き回っていた。

<彼女>が出現したのはそんなさなかだった。

かつて、あすなろ市という街があった。そこで、ある日突然魔法少女が出現した。
魔法少女になる前の<人間の少女>はそもそも存在せず、インキュベーターは契約行為を行っていないと言う。にも拘わらず、彼女は契約して魔法少女になった。

代償となる願いは「自分を人間にしてほしい」。<人間の少女>は魔法少女になった時点で<人間>という枠から逸脱した生命体になる。
彼女はそれを知ってなお、契約したのだと言った。

当然のことながら現場は大いに混乱した。ある日突然魔法少女が、映画『ターミネーター』冒頭のシーンのように<出現>したのだから当然と言えるだろう。
魔法少女は少女がなるものだと相場が決まっている。
虚無から魔法少女が生み出されるなど、ありえるわけがない。

そんなわけで、当時現地にいた魔法少女たちは、『昴かずみ』という存在をどう取り扱うかで大いに揉めたのだった。

ところが、この地に根を張っていた魔法少女グループ<プレイアデス聖団>にとって、この昴かずみという存在はより大きな意味を持っていた。

彼女の姿は、プレイアデス聖団を結成した魔法少女――<和紗ミチル>に酷似していたのだ。
魔法少女装束は随分と異なっていたものの、体型から顔立ちから、ちょっとした仕草に至るまで彼女の姿は和紗ミチルと瓜二つだった。

和紗ミチルは、昴かずみ出現の半年ほど前に死亡していた。
強大な(ただし黙示録の獣ではない)魔獣からプレイアデスの仲間を逃すため、特攻した。

その和紗ミチルの似姿をとる昴かずみに対して、プレイアデス聖団のメンバーはどのように接したら良いのかひどく思いあぐねたものだった。

 
「私はプレイアデスのメンバーの一人と、ちょっとした因縁があった。
 そこで、当時既に親しくしてもらっていた織莉子さんの頼みであすなろに行き、<昴かずみ>の調査に乗り出すことになった」

「結果は?」

「『分からない』ということが『分かった』」

「は?」

「つまり、私たちの持つ世界観では彼女の存在は説明がつかない、ということだ」

「世界観?技術や知識の間違いでなくて?」

「そういうのも包括した『世界』というシロモノさな。少なくとも、私たちには理解も分析も不可能な存在だった――<昴かずみ>という魔法少女は。
 驚くべきことに、彼女の身体は一般的な魔法少女のそれと全く同じだった。
 簡単に言うと、あの子はある日ぽこんとその場所に産み出され――出現した。
 それ以外の事は、極めて普通の魔法少女だった。魔法少女としての素養もかなり高くて……そうさね、織莉子さんより少し上くらいだったか」

「それと、さく――あの子とどういう繋がりがあるの」

「それはまたの機会だ。なぁに、私はキリカの家に泊まらせてもらうから、時間はまだある。まずは、L.O.L.が今の体制に移行する事になった、真の理由についてだ」

「私はあの子の話があるからとついてきたのだけれど」

「君、私の首を絞めたよね?」

 つまり、現在の主導権は自分にある、とニコは言っている。

「……」

「話を戻そう」

<昴かずみ>という魔法少女の存在を、誰も説明することができなかった。
そこで美国織莉子は発想の転換を図ることにした。現在の世界観でかずみの存在は説明できない――ならば、異なった世界観で計れば良いのだ、と。

「それが、暁美ほむら。君が織莉子さんに語って聞かせた、以前の時間軸の物語だった」

魔女のいた世界。
魔法少女が絶望しきると魔女になる世界。
魔法少女が生き延びるため、己が同胞たちの血でその魂を灌がねばならなかった、そんな碌でもない世界。

 
神那ニコは語った。かつて、ほむらが織莉子とキリカに、恨みと、少しばかりの優越感を込めて語った宇宙開闢の物語を。

「織莉子さんは以前から疑問に思っていた。なぜ、われわれ魔法少女は、契約したのだろうか、と。

 魔法少女の多くは、随意的な契約によって魔法少女になる。
 肉体から魂を抜き取られ、そいつをこんなちっぽけな石っころに封じられ、あげく死ぬまで戦い続けるような苛烈な世界に身を置く事を、己の意志で選択する。たった一つの願いと引き換えに、だ。
 若気の至りとは言え、それだけの情報を事前開示されて、そこで踏みとどまる少女というのがあまりにも少ない。
 なぜか?織莉子さんはそれをずっと考え続けていた。そして、<昴かずみ>という魔法少女の出現が、織莉子さんの中で一つの解を生み出した。

 結論から言うと、私たちが魔法少女に契約するのは、世界が再編される前――つまり<魔女>と呼ばれる存在が闊歩していた時代に行われた業の名残なのではないか、と。
 君の話によれば、再編前のインキュベーターたちは、少女と契約する際、魔法少女の魂に関する事項や魔女化の事実について告げなかったらしいね。

 そういった事実を知らぬまま魔法少女になった彼女らの契約が、再編後世界での少女たちの契約を確定させているのではないか、と。
 つまり、再編前に魔法少女になった少女は、契約内容の如何に拘わらず、再編後世界でも魔法少女になる」

<昴かずみ>の出現は、再編前と後とで魔法少女システムが変更された、そのエラーによるものだというのが織莉子の結論だった。

再編前に存在し、再編後には存在しないもの――魔女。恐らく<昴かずみ>が契約する依然、彼女は魔女が密接に関わった存在だったのだろう。
そのため、魔女自体が存在しないこの世界では彼女もまた存在できない。

ところが、魔法少女の契約は既に再編前世界の段階で運命づけられてしまっている。
つまり、<昴かずみ>は再編前の世界でも契約をしていた。再編後でも契約が為されていなければおかしいことになる。
結果、存在が認められていなかった彼女は、<契約>をターニングポイントとしてこの世界への出現が許されることになった――。

「やれやれ……長い話だったが、これで理解できたはずだ。結論を言うと、L.O.L.は君の語った御伽噺を下敷きに活動している。

 かずみの登場は私たちL.O.L.の活動に大きな影響を与えた。彼女の存在は、現在で言う<円環の理>、再編前で言う<鹿目まどか>の存在を裏付けた。
 私たち魔法少女は全て、鹿目まどかという一人の少女の犠牲の上に成り立っているのだと。

 彼女の犠牲で、私たち魔法少女の終わりは救われた。だけど、私たち魔法少女それ自体が救われたかどうかと言えば、必ずしもそうじゃない。
 坊主の前には医者が来なければならない。現世に生きる魔法少女の魂を救済するのは、今を生きる私たちの役目だ。

 そしてそれは、この世界の礎となった彼女への、ささやかな手向けの意味もある」

――私が君を嫌っているのは、君が、私たちが一生懸命世界をどうにかしようと動いてるのに、身勝手に畑荒らしをして回ってるどうしようもない手合いだからだ。

今回は以上です
推敲はしてるつもりなんですが、誤字……自分じゃ気が付かないものですね

それではまた次回

 
 これほどまでに感情というものを疎ましく思ったのは、いったいどれくらいぶりのことになるだろう。
前を向くべきだ、そう意識の裡で叫び続ける理性に、ほむらの感情は徹底抗戦を続けている。

 ここにきて、ほむらは完全に自覚の淵にあった。
見滝原を離れてから云百年もの間ずっと続けてきたこの戦いが、その実碌な意味を為していなかったということを、自覚し始めていた。

 戦争だってそうではないか。局地戦で勝ったとしても意味がない。
大事なのは全体としての勝利を収めることで、小手先の勝利を重ねることは――こと魔獣との戦いにおいては全く以て無意味なのだ。
寧ろ各地を転戦し、世界中の魔獣を狩って歩いていたほむらは、実質上の正規軍と化していたL.O.L.の和を乱し続ける傍迷惑な存在でしかなかった。

 最悪だったのは、その延々たる戦いでほむら自身が、自らに対して何らの成長をも見出していなかったことだ。
もちろん転戦に転戦を重ねたその経緯から、魔法の行使に関しては効率化の極致を究めてはいる。
必要な魔法を必要なだけ必要なように用いるほむらの技能は、ほかの一切の魔法少女たちの追随を許すことはないだろう。

 けれどそれは、数百年もの長きに渡り魔獣との戦いを続けていたにしては、あまりにも儚いものであるように思われた。

 それに比べて、呉キリカはどうだろう。彼女は今や組織を纏め上げ、強大な魔獣の撃破と魔法少女たちの福利厚生の向上に努めている。
お山の大将と笑い飛ばすことだって出来る。けれどそれで実際に益を受けている少女たちがゴマンという事実がある以上、ほむらはそれに対して何を言うこともできない。

 暁美ほむら、あなたのこの戦いは無意味なものでした。それどころか害悪でした。
 佐倉杏子への思慕の情は、あなたの思い出が作り上げた幻想でした。
 戦って得たものなど、何もありませんでした。
 これからは心を新たにし、前を向いて歩いていきましょう――。

 吐きそうな現実が転がっている。
 歯を食い縛る。奥歯がぎりぎりと悲鳴を上げる。
 これほどまでにレゾンデートルを脅かされたのは、いったいどれくらいぶりのことになるだろう。
 かつての時間軸で戦った美国織莉子は、心臓を抉り抜くような言葉を紡ぎ、ほむらを揺さぶった。
 終わりの時間軸でインキュベーターは、彼らの極めて高度な推論を開陳し、ほむらを絶望の淵へと追いやった。
 そして今、ほむらはかつてと同じように、自らでした行いの数々により、他ならぬ自分自身の首を締め上げている。

 
「自分というものはね、履歴そのものなの」

 織莉子が言う。

「履歴?」

「そう、履歴。少なくとも、自分自身をしっかりと定義するには、それくらいしかないわね。例えば、ある日突然貴女が分裂して、二人の暁美ほむらが発生したとするでしょう?」

「あまり想像したくないわね」

「分裂した直後は、正真正銘の同一人物だと言えるかもしれない。
 けれどその後に辿る人生は、それがどんなにお互いに似通っていようと……全く同じというわけにはいかないでしょう?
 だから二つに分かれた暁美ほむらは、それぞれちょっとずつ違う人間に分化していくでしょうね」

「つまり?」

「辿った人生の集積こそが『私』である以上、ある時点で分化し異なった選択をした自分は、厳密な意味での『私』ではないってこと」

「はぁ……何でそれを唐突に、それも私なんかに言うのかしら」

「いえね、ちょっと自分の存在について頭を悩ませてる迷い子がいたものだから、ちょっと私の意見を言ってみたのよ。貴女ならどう答えるかしらって、ご意見をお聞きしたいわ」

「考えてみたこともないから分からないわね」

「その子は自身のアイデンティティと周囲の認識とのギャップに苦しんでいた。そうなる原因になった子に復讐を考えていたくらい、それは深刻なものだった」

「貴女ってずいぶん"哲学的"なのね。普段からそんな事を考えて時間を潰すより、自分の魔法をきっちり制御できるよう訓練した方が良いんじゃない?」

「これは手厳しい。……では、ご教授くださいな、暁美"先生"」

 ふと湧いて出た記憶の欠片。確か、予知魔法の制御の甘さを気に病んだ織莉子が、ほむらに対して指導を願い出た時の会話だったように思う。

 織莉子が世間的に手ひどいバッシングを受けたのは知っている。だからこそ、織莉子は何者の言にも揺るがない自我を定義する必要があったのだろう。
『わたし』は『私』だ。誰が何と言おうと、これまでに継続されてきた自分と言うものは確かにここにいる――在る。

 自分とは履歴だ。そしてその履歴は、今の自分がこれから積み上げていくものなのよ――。織莉子は哲学的な話題になる度そう言って憚らなかった。
 そして目下のところ、ほむらの履歴はひどい有り様だった。直視すればするほど眩暈がしてくる。

 履歴は人を裏切らない。履歴とは、自分自身の過去の集積に他ならないのだから。
 履歴は人を裏切らない。裏切らないからこそ、履歴は時として、過去の自分の在り方というものを容赦なく突きつけてくるのだ。

 数百年間戦い続けてきたほむらの履歴は、今ここにいるほむら自身を蝕みつつある。

 
 だから、とほむらは思うのだ。
 自分にはまだ先がある。この世界を、これからも守り続けなければならない。それは自分に課せられた義務だ。
 そうだ、自分は未来を向かねばならない。前を見据えねばならない。旧い自分を脱ぎ捨て、心新たに生きていかねばならない。

 ――本当にそんなことができるのだろうか。

 前を向くということは、今のほむらにとっては過去の自分を否定することだ。自分をリセットし、新しく構築し直さねばならないということだ。
 自分の歩みを、自分自身で否定する。履歴に蝕まれ続ける自分には、それしか前を向く手立てがない。

 けれどかつて織莉子が言ったように、自分とは履歴そのものなのだとすると――それを否定するということは、およそ自殺するに等しい行いになる。

 ありていに言ってしまえば、怖いのだ。履歴を切り捨ててしまうのが。
たとえそれがどんなに無意味なものであったとしても、自分自身の歩んだ数百年ぶんの蓄積をふいにしてしまうのが。

 それに憤懣もある。結局個人ではどうすることもできなかった以上、どうにかするためには組織内に入る必要がある。
それにはL.O.L.に加入するのが一番手っ取り早い。対抗組織など、今の肥大化したL.O.L.の前では塵芥に等しい。

 今の自分にとって佐倉杏子がいかなる地位を占めているか、はさて置き、大事な仲間を失うきっかけとなったL.O.L.の軍門に下るのはいかにも腹立たしいものがある。
 前を向くべきなのは理解している。だがそのためには過去からの脱却が必要で――今の自分にはそれを為すための踏ん切りがついていない。

 溜息を吐いて立ち上がる。キリカが後見人となったお蔭で、取り敢えずのアカウント保証はある。
 こうやって何か一つの事に鬱々と思い悩んでいる時には、少し身体を動かしてみるのが良いだろう。

 Abacusを開くと、外気温は夏場にあるまじき低水準であるようだ。
 運動をするには、少し涼しいくらいがちょうど良いだろう。

 無刻印のリボルバーピストルをホルスターに収める。ジャケットを着こみ、傍目にはそれと分からないように隠す。

 さぁ、外出だ。

 
 日中に茶々を入れてきた少女曰く、黙示録の獣を前にして、最近魔獣は現れていないらしい。
 とんでもないことだ、とほむらは思う。
 魔獣はいる。それもたっぷりと。

 日中に現れないのは、L.O.L.が招集した多数のベテランたちが明け方を前に綺麗さっぱりと片づけてしまっているからだ。
来たるべき決戦に備え、グリーフキューブの回収をおこなっているのだ。

 家にはキリカももう一人の魔法少女もいなかった。たぶん彼女らも、夜の魔獣狩りに出かけているのだろう。
部屋の鍵はアカウントで管理されているため、ほむらを含めた3人に限っては出入りが自由だ。
だから鍵のかけ忘れも、鍵をなくして部屋の前で立ち往生する心配もない。

 もしかしたら、こういった事態は織り込み済みなのかもしれない。勝手を知らない同居人が、家主の不在時に出歩くといった事態を。

 雨が降っている。いかにも台風が近づいています、といった横殴りの雨だ。
 着衣は玄関に置いてあった撥水スプレーのお蔭でそうそう濡れることはない。だが長い髪の毛はそうはいかず、やはり玄関に置いてあった安物の傘を使わざるをえない。
その傘も、風のせいで今にもぽっきりと折れてしまいそうだ。

 通りを歩くだけでわかる。長年の勘が、どのあたりに魔獣が潜んでいるかを極めて正確に告げている。
 あの裏路地には結界持ちが6体ほど潜んでいる。あそこには無数の雑魚が罠を張って待ち構えている。
『テナント募集中』と書かれた店舗の中は、きっと瘴気で満ち満ちていることだろう。

 勘がはたらく。長年の戦いで培った勘が。
 否定しようと思っていた長年の戦いは、しかし確実に、ほむらに対して何かしらを齎してもいたのだ。
 揺らぐ。過去は棄てねばならない。前を向かねばならないというのに。

「来たのか。てっきり寝たと思っていたんだけど」
「あれだけ濃いコーヒーを飲んだのよ。眠れるわけがないわ」

 背後からの呼びかけに応える。キリカだ。

「帰ったら靴がない! まったく、泡を食っちゃったよ。逃げられたら私たちに勝機はなくなってしまうからね。それに、勝利の晩餐にも誘えなくなってしまう」

 振り返ると、キリカは屈託のない笑みだった。まったく濡れていないのは撥水スプレーのお蔭ではないのだろう。彼女の周囲だけ、雨が避けている。

「みんな、よくやってくれているよ。私は立場上指示を出さなくちゃいけないから外にいるけど、もうそんな必要もないくらいだ。組織がまだ貧弱だったころと比べると、ね」

 マニュアルに沿った集団での狩り。最適化された戦闘。今の御世では、魔法少女は全て規格化された存在だった。
 けれど、とほむらは思う。自分もまた、規格化された存在なのかもしれない、と。その規格が個人によるものか、組織によるものか、の違いくらいなのだ。

「そういえば、キリカ。貴女は――」

 どんな気持ちで契約したの。

 キリカの顔から笑みが消えた。
 まだ黄金時代の頃、一度だけ、ほむらはキリカから契約の理由を聞き出していた。

 ほむら、私はね、織莉子に告白するために契約したんだ。
 はにかんだ笑みでそう言っていたのを思い出す。

 
 まぁ、一目惚れだったよ。織莉子は見た目が綺麗だし、何よりも厚みがあった。厚みっていうのは……何て言うかな、すごく満ち足りていたんだ。
めちゃくちゃに努力して、自分を磨き上げて、そうやって初めて手に入る厚みって言うのかな……。とにかく、織莉子は輝いていたように見えたんだよ。内側から光を放つような、そう、雰囲気がね。
……っと、これじゃ惚気っぱなしになってしまうね。まぁそんなわけで私は織莉子に一目惚れしたんだけど、当時の私ときたらそれはもうダメダメだったよ。
グズでノロマのおこちゃまだったね。たぶんその時の私の人生が薄っぺらだったせいで、織莉子に惹かれたって部分もあったんだとは思うんだけど、まぁそれはさて置き。
ダメダメだった私は、織莉子に告白する勇気を持っていなかった。だからインキュベーターと契約して、人格にメッキをかけてもらったのさ。
けれどせっかくメッキをかけたって言うのに、結局告白には勇気が必要だった。率直に言って、契約自体はそれほど私の役には立たなかったのさ。

「覚えているわ、貴女の事。美国織莉子に告白するために契約したんだったわね……」

「覚えているのか……あの恥ずかしい話」

 口調こそ砕けているが、キリカは真顔だった。

「そうだね……あの時はまだ若かったし、思慮も足りなかった。だからまぁ、何も考えてなかったんだと思う」

 返ってきたのは、ひどい答えだった。

「あ、こら! 笑わないでほしいんだけど!」

 ほむらは思わず噴き出していた。

「貴女……真顔でどんな事を言うのかと思ったら、何も考えてなかったとか……」

「いや、真面目な話、そんなものだったよ。あの時の私ときたら、本当に織莉子のことしか考えていなかった。
織莉子の隣にいたい、織莉子と話したい、織莉子と……まぁごにょごにょとね。目の前にニンジンをぶら下げられた馬みたいなものだよ。
何も考えず、反射的に契約したようなものだったのさ」

「ひどい話」

「我ながらそう思うよ。結果は良かったけどね」

 結果は良かった。つまりキリカは、今に至る全てを肯定している。

「一時は思い悩んだこともあったよ。私の人格はメッキで、作りモノで、本当の自分じゃない。言うなればウソの自分だ。
ウソの自分で塗り固めたまま、織莉子との仲を保ち続けていいものかどうかって。すると、織莉子は言ったんだ」

「何て」

「私がここにいるのは、結局私自身の選択なんだって。今私が織莉子の隣にいるのは、私自身がそういう選択をした結果なんだって。
織莉子は咎めるどころか、そうまでして自分と友達になりたいと思った私のことを愛しいって言ってくれたものだよ」

 人生とは履歴だ。積み重なった選択の数々が、そのまま今へと繋がっている――。

 
「では、今は」

「うん?」

「今は、どうなの。美国織莉子と分かたれ、延々戦い続けることを選んだ貴女は、今の境遇に後悔は、ないの」

 少しだけ考え込んで、キリカは答える。

「後悔が無いと言えば嘘になると思う。ずっと生きてきたんだ、あそこでああすれば良かった、なんてことは星の数ほどあるよ。
けど、向き合っていくしかないんだ。私たちにはまだ先があるからね、遅すぎることなんかないさ」

 そうしてキリカは踵を返す。

「今夜の狩りはもうちょっとだけ続く。キミの為のキューブ集めさ。
集まってくれた子たちのほとんどは、魔力を維持するのに必要な最低限のキューブ以外は、まるまる全部を私たちに寄贈してくれるそうだ。お蔭で随分楽になるよ」

「貴女は? キリカ」

「私は帰っておねんねの時間、だよ。って言うか、キミが外出しなかったらわざわざ外に探しに行くこともなかったんだからね!」

 少し歩いたところで、振り向く。そうだ、と思いついたような声。

「実は明日遊園地に行こうと思っているんだけど」
「遊園地……」

 この唐突すぎる提案に、ほむらは眉間に皺を寄せざるをえない。

「外に出るってのは大事なことだよ。でないと、ベッドの中でぐだぐだ寝るだけの一日になってしまう。なぁに、敵さんがやってくるのは明後日の夕方だからね、時間はあるよ」

「……何で遊園地」

「童心に還るのは嫌かい?」

 ほむらは、それを承諾した。
 遊園地に行こう、そう言ったキリカの眼に、何やら怪しく光るものがあったからだ。

 それに決戦を前にして、ただの遊園地に行くなどという馬鹿なことを、この何だかんだ言って賢しく生き残っている魔法少女がやる筈がない。

 何か考えがあるに違いない。
 ……何もなかったら? その時は帰るだけだ。

 遠くで剣戟の音が鳴った気がした。
 この街では、まだまだたくさんの魔法少女たちが、戦い続けている。
 結局、持ち出したリボルバーは使わず終いだった。

今日はここまでです
厄介事が片付いたので、ちょっとペースアップしていきたい……

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom