カカシ「春野サクラ……!」 (35)
毎日、外の音に怯えていた。例えまともな来客があろうと、俺はドアを開けなかっただろう。扉の向こう側の話し声が怖くて、カーテンを締め切った薄暗い部屋で、一人布団を被っていた。
耳を塞いでいても、甲高い子供の声だけは鮮明に聞こえた。それが家に向けられたものであろうが無かろうが、俺には関係無かった。すべての音が俺を蝕んでいく。
所詮、俺にできることは指を耳に突っ込むぐらいだった。その程度ではほとんど変わるはずもなく、少し音量を絞っただけの騒音が、今日も響き渡る。
扉を壊さんばかりのノックの音、何かのスプレーを噴射する音、窓に固いものがぶつかる音、ガラスが割れる音、そして極めつけはドアを蹴飛ばし大人が怒鳴る声、防ぎきれない多様な音に俺はもう耐えられなかった。
次第に俺は俺自身の音さえも必死に押さえ込むようになり、居留守を使うようになった。どんなに小さな音でも心臓が止まるほど緊張し、家の中いるのがバレてしまうのではないかと恐怖に囚われた。実際は、そんなことをしようとしなかろうと、俺が中にいるのはバレバレだった。
まだアカデミーにも通っていない俺に、家以外の居場所などなかったからだ。明らかに俺に向けた罵詈雑言か、扉の向こうから聞こえてくることもあった。
あの薄い扉一枚だけが自分を守る砦だと思うと、俺は抱えきれないほどの不安に苛まれた。それでも俺には逃げる場所すらない。
無駄だと頭では分かっていても、とにかくここにはいないと思わせたくて、音の出ることを徹底的に避け始めた。
水を流す音が怖くて、トイレに行くこともできなくなった。冷蔵庫のドアを開ける音さえ、聞き耳をたてられているような気がした。
中でもビニール袋のカサカサいう音が苦手だった。恐らく外に響くことはないが、妙に大きな音に感じてしまう。うっかり触れてはその度に冷や汗をかいた。未だにビニールの音は、俺にとって恐怖の象徴であり続けている。
その結果、俺は本当に一日中、布団の中で過ごしていた。
遂には、自分の呼吸さえ鬱陶しく思うほど、俺は追い詰められていた。耳を塞いだまま分厚い布団の裏側を見上げ、気まぐれに呼吸を止めては、また息を吸ってしまう自分に嫌気が差す。もう、いっそ死んでしまいたかった。
そんな俺でも、鍵が開く音だけは楽しみにしていた。父さんが任務から帰ってきたという合図だからだ。その音が聞こえたらやっと一日が始まる。俺は嫌でも夜型になるしかなかった。
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とある日、いつもよりかなり早く、家のドアはあの待ち望んだ音をたてた。父さんと話している間だけは、やむことのない騒音を忘れることができる。任務明けにいつも待ち構えている俺は、父さんからしたら迷惑だったかもしれない。
それでも、父さんは嫌な顔一つせず俺の相手をしてくれた。世間がなんと言おうと、俺にとってはただ一人の味方であり最高の父親だった。
そして今日もまた、いつもと同じ笑った父さんの顔を見ることができるはずだった。
その日も俺は日中に活動することはなく、鍵が開く音がするまで眠っていた。まだ重く垂れ下がる瞼をこすり、ゆっくり布団から這い出たとき、俺の耳は異常事態を敏感に察知しとっさに屋根裏へと隠れた。
狭く埃っぽい屋根裏で音をたてないよう慎重に体をよじり、わざと開けられた板の隙間から自室を見下ろす。月明かりに照らされた見覚えの無い男が二人、金属製の棍棒を担いで中へと入ってくるのが見えた。
二人共、父さんがつけているベストと同じものを着ている。中忍以上であることは確実だった。
いくら気配を消しても、見つかるのは時間の問題だと身構えた時、片方の男が歩みを止める。
そして何を思ったのか、おもむろに棍棒を振り上げ家具に叩きつけた。木製のタンスは大きくひしゃげ、上に飾られていた写真立てのガラスと木片が散らばった。ゲラゲラと笑い声をあげる男は、土足のまま室内をうろつき、鈍器を振り回した。白色の枠に囲われた母の写真が、何気ない足の下敷きになる。
もう一人の男も何がおかしいのか、笑いながら扉や壁を蹴り飛ばし穴を開けていた。そのまま男は別の部屋へと移動し、様々な音をたてる。破壊音であることだけは間違いなかった。
その間も眼下では棍棒がところ構わず振るわれる。部屋の全ての物が、何かしらの損傷があることを確認し、目の前の男も別の部屋へと消えていった。家中からありとあらゆる破壊音と下卑な笑い声が響く。
余りの出来事に、俺は叫び声すらあげられなかった。次元の違う恐怖に手足は小刻みに震え、歯はガチガチと音を立てる。涙こそでなかったものの、数分も経たない内に強烈な睡魔に襲われ、地獄のような現状から逃げるようにして俺は深い眠りに落ちた。
そのお陰かどうかは知らないが、男達は最後まで俺を見つけ出すことはなかった。この日の事は今も鮮明に俺の頭に刻み込まれている。
しばらくして正気づくと、男達はすでに引き上げていたようだった。気配を入念に探り慎重に天井から降り立つと、執拗に荒らされた部屋は、上から見ていた様子よりずっと酷い有り様に思えた。
蛍光灯とカバーは見るも無惨に散らばり、他の残骸と共に床を埋め尽くしている。これでは電気をつけることすら出来ない。
それでも月の弱い光を受けて浮かび上がる部屋でさえ、俺にとっては愕然とするものだった。所々塗装が抉られ歪んだ家具に、穴の空いた窓や壁、廊下まで吹き飛んだ扉やヒビの入った姿見を見て、俺は意識が遠くなる気がした。
だが、現実は再び気絶することさえ許してはくれなかった。ただ呆然と立ち尽くしている訳にもいかず、俺の足は箒が置いてある台所へと向かった。
二人組による被害は家全体に及んでいた。当然、台所だけが免れているはずもなく、食器類や棚のガラスはやはり粉々に打ち砕かれていた。
割れた窓から月明かりと冷たい夜の空気が侵入する。記憶と薄明かりを頼りに、箒を探した。
台所の床一面に陶器の破片が散乱し、箒より先に一際月光を反射する白いコップの残骸を見つけてしまった。母が生前大事にしていたらしい、いつも食器棚の手前にしまってあったコップだ。見覚えのある花の模様と持ち手の一部だけが残り、粉砕されていた。この時も、まだ俺は涙が出てこなかった。
暗がりの中をモソモソと動き、鋭利な凶器と化した床を箒を左右に滑らせながら歩く。そのときには、すでに俺の両足は血まみれになっていた。真っ先に靴を玄関に取りに行けば、もっと楽だっただろう。
それを選ばなかったのは、単純に怖かったからだ。まだ扉の外にアイツらがいるかもしれない。そう思うと玄関に近寄ることなど出来なかった。
仕方なく台所にあった大嫌いなビニール袋を足に履いて、明かりが灯らない廊下を進んだ。立っているだけで激痛が走ったが、なにかやっていないと、どうかしてしまいそうだったのだ。
破片がぶつかり合う高い音と箒が床を擦るザッザッという音、それにビニールの不愉快な音が重なり、いつしか足の痛みも忘れ単調な騒音だけが頭を支配する。きっと、俺なりの自衛であり現実逃避だったのだろう。だから、誰かがドアを開けた音さえ、俺は気がつかなかった。
「カカシ……」
大人の声が背後で突然響く。度肝を抜かれた俺は、聞き慣れた声だとも気がつかず反射的にクナイを構えた。そんな俺を見て、父さんは悲しそうに呟いた。
「………ごめんな……」
俺は、父さんの姿を見てやっと涙が溢れだした。箒はいつの間にか手から滑り落ち、痛覚を取り戻した足を引きずって、地獄に現れた唯一の味方にすがり付いた。このままいつまでも何も考えず、父さんに抱きついて泣いていたかった。
もしかしたら父さんも泣いていたのかもしれない。暗くて顔はよく見えなかったが、体が小刻みに震えていたのを覚えている。
鬱陶しく泣きじゃくる俺を父さんは嫌がることなく、朝まで抱きしめていてくれたんだと思いたい。でも、実際はどうだか分からない。
いつの間にか泣き疲れて寝ていたらしく、やっと目が覚めた時には、父さんはすでにクナイで首を切り裂き自殺していた。冷たい体から、血液が一滴残らず排出されたのかと思うほど、床一面が赤く染まっている。壁にも血飛沫が飛んでいた。
静まり返った部屋を、朝を告げる小鳥の鳴き声だけが、いつも通り響いていた。
読みにくいってレベルじゃない
とりあえず改行して
あれだけの扱いをしておきながら、葬式だけはしっかり行う木の葉を、この時ほど恨んだことはない。
見たくもない顔が形だけの喪服を纏い、死者を悼む表情を作り込んでいる。どの面下げて参列しているんだと、怒鳴り付けられるほど俺は成長していなかった。
その気味の悪い集団に、俺はあの二人を見つけてしまった。明るいところで見ると、男というより少年と言った方が正しいように思える。あろうことか、二人揃って涙を流していた。俺の涙は枯れてしまったかのように、一滴も出てこなかった。なのになぜあんな奴等の方が堂々と泣けるのだろう。
すすり泣きや嗚咽が不気味に響き渡り、俺は吐き気をもよおした。いっそ吐いてやれば良かったと今なら思えるが、その時の俺は父さんを自殺に追い込んだ他人などに気を使い、吐き気を必死に押し込んでいた。
誰が喪主なのかも分からないまま、白煙がゆらゆらと空に上っていくのをぼんやりと見つめ、自分はなぜこんな所に立っているのかふと疑問に思った。
父さんが間違っていたのだろうか。確かに忍者にとって、仲間の命よりも任務の方が大事に決まっている。それは俺でも分かることだ。しかし、それはこれほどまでの仕打ちを受けなければいけない事だったのだろうか。自殺しなければいけない程のことを、父さんはしてしまったのだろうか。ルールや掟の方が、父さんの命よりも重かったのだろうか。
……きっとそうなのだろう。でなければ、俺はこれから木の葉の里でどう生きていけばいいのか分からない。里を恨んで生きていく道など、当時の俺は思い付きもしなかった。大多数の意見の方が正しいに決まっていると、自分に言い聞かせてしまった。
ここで、俺は里の方針通りの歪みきった決断をする。父さんのようにはならないと、誓ってしまったのだ。幼さが俺をルールや掟に固執させ、それに忠実に従うことで無駄に自信をつけていった。
その呪縛は何年にもわたり俺を縛り付け、大きな犠牲を払うことになる。そして、俺は「写輪眼のカカシ」として、生き始めることになった。
>>6
こんな感じでどうでしょう
年を重ねるごとに喪失感は増していき、あまりに愚かすぎた自分への後悔は膨らむばかりだった。慰霊碑にいくら足を運ぼうと、誰も帰って来はしない。それでも、ふと気がつくと俺は慰霊碑の前に居た。
あの時、どんな判断をしていれば最善だったのだろう。里を憎み、反発していれば良かったのか。それとも、俺も父さんの後を追っていれば良かったのだろうか。今さら何を思おうと全てが無意味だった。何時間、石の前で佇んでも、何かが変わることは無い。俺はすべてを諦め、惰性で生きていた。
そんなある日、火影様に呼び出された俺は、また下忍試験の試験官を任せると言い渡された。俺にはやる気が無いことを、いい加減気が付いてくれないものだろうか。うんざりしながら仕方なくリストを確認すると、そこには心を揺さぶるような名前が連なっていた。
うずまきナルトがミナト先生の息子だということは知っていた。俺が面倒を見れるなら嬉しくはあっても、拒絶する理由がない。うちはサスケについても、写輪眼を有する上忍が俺以外にいないので、俺が適任だと言えるだろう。
しかし、春野という名字を見た瞬間、俺は凍りついた。あの葬式の日、俺は件の二人の後をつけたのである。いくら父さんが間違っていたとしても、この二人だけは許せなかったのだ。
片方は残念ながら途中で見失ってしまった。仕方なく残った一人を尾行すると、そいつは瓦屋根の家へと消えていった。
表札の名前は忘れるはずもない。“春野”という二文字が、立派な桐の板に彫りこまれていた。
俺がいくら二人のことを訴えても、警務部隊は俺を軽くあしらい、調査もそこそこに引き上げていった。がらんどうの家と、血溜まりだけを残して、俺の周りからはたちの悪い連中も父さんも姿を消した。
もう一人の少年は警務部隊の関係者だったのではないかと、勝手に憶測を巡らせたりもしたものだ。しかし、それは想像の域を出ることはなく、俺には春野という名字だけが刻まれた。
それをこれだけの年数が経ち、まさか自分の担当する下忍試験のリストで見ることになるとは、露ほども思わなかった。だが、俺の手の中にある簡素な文書には、確かに春野サクラと記されている。
尋常ではない気配を察知したのか、三代目は声をかけてくれた。柔らかい声に俺はふと我に帰る。
同時に俺の中で、どす黒い考えが沸き上がった。火影様は全てを知って、ほくそ笑んでいるのではないか。
「大丈夫か?今から一緒にナルトの家へ来てもらおうと思ったのじゃが……」
すぐに下らない考えを振り払い、俺は火影様と共にナルトの家へと向かった。想像以上に汚い部屋と卓上の腐った牛乳が、一人暮らしの侘しさを物語っている。
ナルトもまた孤独と戦ってきたのだと、物が散乱した部屋は、彼の波乱に満ちた人生を反映しているようだった。彼を下忍にしてやりたいなんて、試験官が思うべきではない感情が頭をよぎる。
しかし、そんな思いにさえふっと影が差す。ナルトを部下にするということは、春野サクラを部下にするということと同義だった。
ナルトの家を後にした俺は、遂に春野サクラについて一言も口に出さないまま、三人と顔を合わせることになる。
どんなことを思えばいいのか、正直分からなかった。もしかしたら、名字が同じなだけの赤の他人かもしれない。
もし、他人でなかったとしても、サクラには何の罪もないのである。当時産まれてすらいなかった彼女は、どうこじつけても復讐の対象にはならないはずだ。
……こんなに冷静に頭が回っていたのかと聞かれれば、全くの逆だと答えるしかない。次々と勝手に沸き上がる感情に苛まれながら、彼らの待つ教室の扉を開けた。頭上に仕掛けられた黒板消しにさえ、俺は気がつかなかった。
俺の頭で見事にバウンドした黒板消しを見て、大成功といった体でナルトが飛び跳ねる。サスケは不安そうに俺を見た。そして、春野サクラは全身で「私は止めたんです」とアピールしていた。もしかしたら実際にそう口に出していたのかもしれない。
それよりも俺は、特徴的な桃色の髪から目を離すことが出来なかった。
「お前らの第一印象は…嫌いだ」
やっと言葉を捻りだし、場所を移すことにした。解放感のある屋上なら、このはち切れそうな感情も少しは休まるような気がしたのだ。
実際は屋上へと辿り着く前に、俺は平静を装える所まで落ち着いていた。三人の簡単な自己紹介を聞き、それぞれの人物像は俺の中におぼろ気ながら出来上がった。
ナルトは、こんな里でどうやって真っ直ぐに育ったのか不思議だが、存在が眩しく思えるほど言葉が希望に満ち溢れていた。
サスケは、やはり復讐に取り憑かれていた。何とかしてやりたいが、復讐の無意味さを説けるほど俺は綺麗な人間なのだろうか。
サクラは、話を聞いた限り普通の女の子だった。サスケに恋心を寄せている、年頃の女の子。部下にならなければ、なんの接点もなかっただろう。つくづく自分の運命を呪うしかなかった。
しかし、彼らを下忍と認めたからには、上司として責任を持たなければならない。下忍試験の演習から数日後、俺達は初任務へと向かっていた。
忍者には不似合いな、綺麗な桃色の髪が風になびく。
俺はそれを見て、何を感じていたのだろう。
俺に出来ることは考えないようにする事だけだった。
任務を重ねるにつれ、三人共ある程度俺を認めてくれたらしい。
慕ってくれるようになるには、後どのくらいかかるのだろう。
もしかしたらそんな日は来ないのかも知れないが。
今日も俺達は、雑用と言って良いような低ランクの任務をこなし、汚い声で鳴く猫を依頼主へと引き渡した。
この時、ナルトがごねなければ未来は大きく変わっていたのかもしれない。
再不斬や白との出会いもなかっただろう。
波の国での任務で三人は大きく成長したはずだ。
ナルトもサスケもサクラも、忍に必要な何かを感じ取ってくれたようで、俺は嬉しかった。
……嬉しかった、はずなのだ。
何の雑じり気もない感情であって欲しかった。
しかし、俺の記憶はそれを許さない。
そばにいる時間が長くなっていくほど、心の奥で何かが疼き出していた。
俺はそれを押さえ込むでもなく、ただ無視を決め込んだ。
自分の汚い部分など見たい者がどの世界にいるだろう。
そんな言い訳を自分にしつつ、俺はサクラ達と一緒に任務をこなし続けた。
結局、俺はあの頃から何も変わってはいない。
現実逃避しか出来ない人間なのだ。
これでどうでしょう
行空けるとスカスカになる気がして……
自宅から外の景色を最後に見たのは、あの演習の日だっただろうか。
ぴったりと閉じられたカーテンには、浅く埃が積もっている。
日光を取り入れなくなってから、うっきー君は段々と萎れていき、遂には枯れてしまった。
忙しいからと、逃げ続け鉢入れは未だ窓辺から場所を移していない。
植物すらも枯死した今、陽光を必要とする者はこの部屋からいなくなった。
しかし、カーテンだけでは全てを遮断する事は出来ず、光だけでなく外の賑わいも遮ってはくれなかった。
いつまで過去を引きずる気なのかと馬鹿にされるだろうが、俺はサクラに抱く感情も去ることながら、外からの音も未だに苦手だった。
子供の声が聞こえるとあの頃に戻ったかのような、錯覚に陥ってしまう。
なので任務が無い時は、日がな一日、耳栓をして過ごしていた。
音がなければ無いで、厄介な俺の頭は過去や悪意に囚われ始める。
これについては、最近発症したらしい。
強い後悔や反社会的な考えが浮かび上がっては、脳裏にこびりついて離れないのだ。
おぞましい思考を打ち消そうとするたびに、必ず失敗した。
それでも放っておくのは耐えられず、何とか消し去る方法を探り続けた。
そんな事を繰り返していると、俺は強烈な睡魔に襲われる。
昔から変わらない自己防衛の方法ではあったが、これも最近再発したようだった。
今は任務に影響が無いことを祈るしかない。
調べれば病名がついていそうなほど深い眠気が、無駄な思考の連鎖を強制的に終了させた。
そのまま素直に眠りについても、安眠という訳にはいかず、次の日は酷い疲労感に加えどこかしらに不調が出た。
こんな下らない毎日に終止符が打てるのはいつなのだろう。
四人で撮った写真を見ては、ただ溜め息をつくしかなかった。
いえいえ、次から行空けることにします
ですが、用事ができてしまったので一旦落ちます。ここまで読んでいただきありがとうございました!
あの再不斬達の一件からしばらくたった時、ある些細な事件が起きた。
本当にそれは些細なことで、気にする必要など無かったはずなのだ。
なのに、俺は今でもこの日を忘れることが出来ない。
誰かが、俺の本に落書きをした。
字からして犯人はナルトだった。
落書きという行為自体には薄ら寒いものを感じるが、ただのイタズラに本気で怒るほど俺は馬鹿ではない。
ナルトに注意してその場は収まるはずだった。
しかし、一ヶ所だけ文体が違う落書きを見つけてしまった。サクラだ、と俺は確信した。
軽く、本当に何気ない感じでサクラにも注意する。
ナルトは素直に謝った。サクラはというと……逆ギレした。
「いつも遅れて来るんだから、そのくらい当然じゃないですか」何が、当然なのだろうか。
遅刻と何か関連があるのだろうか。
そのくらいという基準は誰が定めた物なのだろうか。
なぜ俺が遅刻するのか考えたことがあるのか。
それは誰のせいなのかお前は知っていて言ってるのか。
遅刻は事実だし相手は女の子だ。
むくれているだけの、普通の女の子だ。
彼女と俺とは何の因縁もない。
サクラに感情をぶつけるべきではない。
そもそも全ては俺の責任だ。
誰も助けられなかった俺が悪いのだ。
言い訳などしていい筈がない。
相反する意見が俺の中で交差し、俺は口に出すべきではない一言を吐き出してしまった。
「……何が、当然なんだ?」
結果、ただのイタズラに本気で怒る馬鹿に、俺は成り下がってしまった。
「だって……先生が悪いんですよ。私達いっつも何時間待たされてると思ってるんですか?それをちょっと落書きされたぐらいで怒るなんてどうかしてます」
「俺は、遅刻との関連を聞きたいんだよ。どうやったら、この行為が正当化されるのか聞いてるんだ」
「だから、いつも私達にしてる事を思えば、こんな些細な事どうでもいいじゃないってことよ。なによ、エラソーに……」
「……遅刻と落書きが何か関係あるのか!」
場の空気が凍りついたのは分かっていた。
ナルトとサスケさえも、目を見開いて驚いている。
それでも、俺の口は止まらない。
「どこをどうやったら二つの事象が結び付くんだ!お前のやったことは報復にすらなっていない!ただの八つ当たりだ!」
「か、カカシ先生!きっと、サクラちゃんも反省してるってばよ!なぁ、サクラちゃん!」
「私は……」
『報復にすらなっていない。ただの八つ当たりだ』あれは俺に向くべき言葉だった。
「落書きぐらいで何をごちゃごちゃ騒いでやがる。こんなことどうでもいいだろ」
「どうでもいい……?」
「バカ!何言ってんだよサスケ!」
「ホント、こんな下らない事で騒いじゃって、大人気ないわね」
「もうやめろってばよ!サクラちゃん!」
「……俺がどんな思いでお前らの上司やってるのか、考えたことがあるのか……!」
「へっ?」
「……元々俺には下忍試験の合否を判定する権利なんて無かったんだ!メンバーを見れば分かるだろ!これは三代目に押し付けられただけの立場なんだよ!なのに何が悲しくて、こんな目にまで遭わされなきゃいけないんだ!」
「なんだと……!」
「……最低……!」
「そんな……そんな嘘だろ先生?合格って言ってくれたじゃねぇかよ……!俺たちの事、認めてくれたんじゃなかったのかよ!」
吐き出してしまった言葉を取り消せるほど、世の中は甘くない。
確かに俺の言ったことは、俺の胸の中でわだかまりを作っていた事だった。
しかし、あの三代目が立場を押し付けてきたりする筈がない。
事実、強制など一切されてないのだ。
自分の中でそう納得していたのに、なんて馬鹿なことを口走ってしまったのだろう。
今さら、全ては出任せだと伝えても、きっと誰も信じはしない。
第七班はこの日、終わってしまった。
数日後、俺達はいつものように雑用をこなしていた。
しかし、現場に流れる空気は重く、チームワークも壊れてしまった。
いや、俺が壊してしまったんだ。
いっそ、本当に思っていることを言えば俺の気持ちだけでも、晴れていたのかもしれない。
結局のところ、自分を表に出すのが怖かったのだ。
馬鹿らしい出任せよりはマシだったかもしれないのに、もう取り返しはつかない。
恐らく本人は気が付いていないのだろうが、隣で作業をするサクラの髪がいちいち俺にぶつかってきた。
別に作業の邪魔にはならない程度だ。
本当にどうでもいい事なのに、酷くイラつくのはなぜなのだろう。
俺はどうかしてしまったのだろうか。
無言で距離を開ける俺に、鋭い視線が突き刺さった。
意外にもサスケが俺の事を睨んでいた。
見れば、サクラはかなり落ち込んでいるようだ。
だからといってお前に俺を責める権利があるのか、サスケ。
三時間ほど過ぎたのち、俺達は執務室に居た。
事務的に任務内容を報告し、俺達は帰途につく。
この日も第七班は俺以外、誰もいないのかと思うほど静かだった。
しかし、何とかしようとすら俺は思わなくなっていた。
扉を閉めて廊下をしばらく進んだとき、突然サクラが立ち止まった。
予想外の行動に、俺たちも立ち止まり振り返る。
これでもまだ、一言も発する者はいなかった。
無言の重圧に苛立ちを覚え、俺は遂に耐えられなくなる。
「……どうしたの」
答えなければ無視して帰ろうと思っていた。
ナルトとサスケも、何も答えないことを期待していたのかもしれない。
しかし、サクラは口を開いた。
「……ごめんなさい」
きっとまた突っかかって来るんだろうと身構えていた俺は、拍子抜けしてしまう。
同時に自分の馬鹿さを責めた。
こんな子供が素直に謝っているのに、俺は何をしていたのだろう。
だが、それに続く言葉がその後の俺達の運命を大きく変えた。
「カカシ先生も謝ってください」
謝れば良かっただけなのだ。
少し生意気な子供にやり直しのチャンスを貰ったと思えば、それで良かった。
ただそれだけの事だった筈なのに、俺は本当に馬鹿だった。
「……どうして俺が謝るのよ。理由は?」
「いっつも遅刻してきている事に対してです。あの落書きは私だけが悪い訳じゃありません」
「お前はそれが言いたかっただけなんでしょ。謝る気なんて最初から無かったんだな」
「私も悪いとは思ってます。でも、先生だって悪いんだと思います」
「悪いのはサクラちゃんまで巻き込んだ俺だってばよ!だから、これ以上喧嘩しないでくれよ……お願いだからさ……」
サスケの舌打ちにすら腹が立つ。
ナルトの無駄な仲裁も神経を逆撫でした。
俺は本当にどうかしてしまったらしい。
もう、歯止めはきかなかった。
「あのね……俺は、お前達の面倒なんかみなくてもいいのよ。俺一人の方が、よっぽど楽だしな」
「チームワークがどうのって、言ってませんでしたっけ?言うことコロコロ変えちゃって……」
「お前は別だよ、春野サクラ。お前が俺の部下だなんて、考えるだけで吐き気がするね」
「……落書きだけでそこまで言うんですか。呆れを通り越して凄いとまで感じますよ」
「カカシ先生……それはちょっと言い過ぎだと思うぞ」
「どうかな……。こいつは、俺の親父を自殺に追いやった奴の親族なんだよ」
「えっ!?ど、どういう事だってばよ?」
「何よ突然……。意味分かんないんだけど」
声を荒げておかしな事を口走らないよう、慎重に呪いの言葉を吐いていく。
サスケだけは表情を変えなかった。
「お前の父親、桃色の髪だろ」
「……そうですけど」
「桃色の髪に春野……年齢的にも多分間違いないだろうな。恐らく、お前の父親が俺の家を執拗に荒らし回ったんだ。何が面白かったのか、馬鹿笑いしながら家中に穴を開けていった。その結果、俺の親父は自殺したんだよ」
「お父さんはそんなことしません!」
「なら本人に聞いてみろ。ま、正直に答えるって保証は出来ないけどね」
「デタラメばっかり……。言い返せないからって嘘まで吐くなんてホント最低ですね!」
水面下で俺は腸が煮えくり返っていた。
長年の鬱積したものが、いつ腕を操り首を締め上げてもなんらおかしくはない。
なんとか寸でのところで押さえ込んではいたが、サクラに罪はないなんて綺麗事はすっかり消え去ってしまったようだ。
「……俺は、嘘は吐いてない。聞いてみろって言ってるだろ」
「じゃあ、本当にそんなことをしたならなぜお父さんは捕まってないんですか?おかしいですよね」
「俺の家を襲ったのは二人組でね。恐らく、もう一人は警務部隊の関係者だったんだろう。まともな捜査は行われなかったよ」
「なんですか、だろうって。そんなの憶測に過ぎないって事じゃ無いですか。お父さんが破壊してるのでも見たんですか?」
「特徴的な桃色の髪の男が、家を荒らしていくのをこの目で見たよ。もう一人は別にして、犯人がお前の親族以外である可能性はほとんど無いだろう。年齢からしてお前の父親である可能性も限りなく高い」
「ほとんどって……さっきからテキトーな事ばっかり。バッカみたい」
「なんなら今からお前の家についていって確認してやってもいいぞ。お前の親族に犯人がいなかったら死んで詫びてやるよ。だがな、もし間違ってなかったら犯人の命を差し出せ」
「何言ってんのよ……!」
「お前は自分の父親を信じているんじゃないのか?このくらいの約束軽いもんでしょ。それとも親戚に思い当たるやつでもいるのかな?」
「そんな……!」
「なぁ、もうやめようぜ!俺ってばこんなの嫌だ!なんでこんなことになっちまうんだよ!」
「……ナルトの言う通りだ。仲良くしろとは言わねぇが、これはやり過ぎだ」
「サスケ……お前に俺を止める資格なんてないでしょ。お前だって復讐に囚われているんじゃないのか」
「俺達は仲間なんだろ。内輪揉めを止めて何が悪い」
……俺はサスケに何も言い返せなかった。
確かに俺達は仲間だったはずなのだ。
子供に八つ当たりをして、子供に止められて、俺は何をしているのだろう。
二人のお陰でやっと我に帰った俺は、泣きたくなった。
どんなに泣きたくても涙が流れることは無かったが。
「……俺が悪かった、許してくれ」
「ふざけないでよ……。もうアンタの事なんか先生だと思わないから」
「サクラちゃん!」
捨て台詞を吐き、サクラは今度こそ家路についたようだった。
俺は少し迷ったが、ナルト達との別れも早々に切り上げ、サクラのあとをつけることにした。
表に出してしまった以上、真実を確認しなければ気がすまなかったのだ。
今日じゃなくても、今までいくらでもこんなチャンスはあった。
しかし、俺は敢えて特定しようとはしてこなかった。
もし何かが間違っていたら、犯人の手掛かりがなくなってしまう。
誰のせいにすればいいのか、分からなくなるのが怖かったのだろう。
それか犯人と対面した場合、何か間違いを犯してしまう気がして怖かったのかもしれない。
見知らぬ路地を抜け、サクラは一戸建てへと吸い込まれていった。
どのタイミングでも、顔さえ確認できればそれでいい。
それまでずっと張り込むつもりでいたが、その時はあっさりと訪れた。
結論から言うと、あの日の人物はやはりサクラの父親だった。
年をとってはいたものの、面影は失われていない。
兄弟という可能性もなくはないが、最早俺はそんな事を言える精神状態ではなくなっていた。
このときの最大の失敗は、顔を見たらどうなるか考えていなかった事である。
一目見た瞬間、俺は憎しみではなく恐怖に囚われてしまった。
あの日と同じように、手足が小刻みに震え体温が急激に失われていく。
恨みや殺意など抱く余裕はなく、ガクガクと揺れる体を支えきれなくなりその場で膝をついた。
浅く温度の無い呼吸を繰り返し、早鐘を打つ心臓を押さえたまま体の自由が効かなくなり倒れこんだ。
固い地面の感触を布越しに頬で感じ、土の匂いが鼻につく。
強い睡魔が追い討ちをかけるように、俺を襲った。
しばらくして目を覚ますと、辺りは暗くサクラの家には明かりが灯っていた。誰も俺が倒れていることに気がつかなかったらしい。
頭痛が収まらない頭を抱えて、何とか体を起こし地面に座り込んだ。
ゆっくりと記憶を辿っている内に、ふと疑問に思った。
任務でさえこんなことにはならなかったのに、なぜ俺はここまで恐怖を感じなければいけないのだろう。
間髪入れず、自分でも驚くほどの膨大な殺意が沸き上がった。
今すぐにでも喉をズタズタに切り裂いてやりたい。
いや、目ん玉抉って口に捩じ込んで顎から脳天へ串刺しにして頭蓋骨カチ割って腐った脳味噌引きずり出して心臓を握り潰してやろうか。
考えただけで吐き気がするが、目の前でサクラに性的暴行を振るえばあの男を自殺に追い込めるだろうか。
こんなことを素面で思えるほど、俺は狂ってしまった。
今までトラウマと対峙してこなかった代償だ。
だが、今さら悔やんでも遅い。あの男をどうやって生き地獄に叩き込むか、俺の頭にはそれしか無いはずだった。
しかし、次々と浮かぶ残酷なイメージを必死に引き剥がそうとする俺は確実に居た。
右足のホルダーに伸びる手を、なんとしても止めなければならない。
子供は大人の感情に敏感な生き物だ。サクラが妙に生意気なのも、俺の態度によるものだったのかもしれない。
引き金を引いたのはサクラの落書きではなく、全て自分の責任なのだろう。
自分の未熟さを自覚し、試験官を断ってさえいればこんなことにはならなかった。
はたから見れば、忍者がただ座り込んでいるようにしか見えなかったかもしれない。
衝動と理性で板挟みになり、泥沼にどっぷりと浸かってしまった俺は、そこから一歩も動くことが出来なかった。
そして、結局俺はいつもしてきたように現実逃避の道を選ぶ。
この出来事は俺の許容範囲を遥かに越えていた。
何度も葛藤し悩み抜いた頭は休息を求め、再び睡魔を誘う。
また倒れてしまう前に、ぐらつく体を引きずって全てから逃げるように自宅を目指した。
もう、復讐なんてどうでも良くなってしまった。
俺は心底疲れていた。
早く眠りについて、何もかも忘れてしまいたかった。
しかし、命を絶たない限り、眠りは永遠ではない。
短い睡眠を何度も繰り返している内に、目覚ましが終わりの来ない日々の始まりを告げた。
朦朧とする意識の中、俺は寝台の上で身を起こす。
強い眠気は未だ猛威を奮い、鈍い頭痛も健在だ。
それでも昨日よりは冷静な自分が居た。
夢を見ることで頭の中を整理しているのだと聞いたことがある。
なら、今日の自分はどんな夢を見ていたのだろう。
何も思い出す事は出来なかったが、かえってその方がいいのかもしれない。
どうせろくな夢ではないのだ。
今日も、俺は下忍達と任務に向かわなければならない。
サクラにどんな顔をして会えばいいのだろう。
彼らにどんな言葉をかければいいのか、考えたくも無かった。
カーテンを締め切った薄暗い部屋に、秒針の音だけが響く。
ずっと前、リンが死んだときに購入した縄の存在がふと頭を掠める。
ただ、家には梁がない。
ドアノブなら、もっと細いものの方がいいだろう。
鉛のように重たい体をのそのと動かし、クローゼットに手をかけた。
ベルトを一本引っ張り出し、長さを調節する。
形見としてとってあっただけの、俺の趣味には合わない白いベルトは、長年の癖でまっすぐには伸びてくれなかった。
あの日と同じように、小鳥の鳴き声が聞こえた。
止めたはずの目覚ましが、再びけたたましい音をたてた。
昨日と今日の違いなど、この部屋には何もないように感じる。
しかし、たった数時間の出来事で俺は酷く疲れてしまっていた。
重だるい疲労感と鈍痛を伴う全身の浮腫が、俺の心の内を現しているかのようだった。
催眠術にかけられたかのようにフラフラと玄関を目指す俺の足を止めたのは、控えめなノックの音だった。
しばらく音の意味が理解できずその場に立ち尽くしていると、扉は再び音をたてた。
無視しても良かった筈なのに、判断力が鈍っていた俺は鍵へと手を伸ばす。
そして、扉を開けてしまった事に深く後悔した。
玄関先に立っていたのは、サクラだった。
なんと言って招き入れたのか、思い出せない。
気がつくと俺は、彼女にお茶まで出していた。
無言のまま正座をするサクラの顔は暗く、黙りこんでいる。
このまま俺まで黙っている訳にもいかず、仕方なく口を開いた。
「……どうしたの」
意図せず昨日と全く同じ台詞を、サクラに投げ掛けることになった。
彼女もまた、同じ台詞を繰り返した。
「……ごめんなさい」
昨日の記憶と結び付いて再燃しそうな何かを意識の外に置き、俺は次の言葉を待った。
今度は何を言われても謝ってしまおうと、頭の中で予防線を張り巡らせる。
今はサクラと言い争うより、土下座してでも帰って欲しいほど俺は憔悴しきっていた。
「私……聞いてみたんです。先生が言ったことが本当なのか怖くなって……否定してもらえるとばかり思っていたら、結果は正反対でした」
「……何の事?」
「お父さんが……先生のお父さんを自殺に追いやったって……」
予防線は全く意味をなさず、土下座するタイミングを失った俺は、何かに亀裂が入るのを感じた。
あの姿見のような大きなヒビが、映った俺ごと侵食していくような気がした。
収まらない目眩が俺の意識を徐々に遠ざける。
「お父さん、後悔してました……謝りたいって言ってました。全て自分の責任だって……」
サクラの言葉を聞けば聞くほど、崩れるスピードは早くなっていく。
ただ何が崩れていくのかはさっぱり分からなかった。
得たいの知れない現象に、猛烈な危機感と焦燥感だけが募る。
こういう時に限って、日常の些細なことがやけに目についてしまう。
本の並びが正しくない事や、カーテンに積もった埃や、写真の中の笑顔が俺を日常に引き戻してくれるような、きっとこれもまた現実逃避に違いなかった。
聞こえてくる小鳥の鳴き声は、相変わらずいつもの調子で響いている。
部屋はいつもと同じように薄暗く、積み上げられた書類の高さもいつもと変わらなかった。
多分、俺以外は何もかも日常そのものだったのだろう。
「先生は全てを知っていたのに、我慢してきてくれたんですよね。私が落書きなんてしなければ……本当にすみませんでした」
謝罪を耳にしたのを最後に、今までとは比べ物にならない睡魔が俺の意識を奪った。
俺の意識は途絶えてなどいなかった。
ただ、正気は失っていたと思う。
急にニヤニヤ笑い出す俺をサクラはどう感じているのだろう。
何にしろ、もう手遅れだった。
サクラは何か勘違いをしたようだが、俺はガキに興味はない。
俺の腕から逃げようとするサクラの左目に、手近にあったボールペンを突き立てる。
悲鳴が響かないよう口を右手で押さえつけ、左手で眼球の中身をかき混ぜた。
長年心を覆っていたモヤモヤが、ペンを動かすたびに晴れていく。
インクが少しずつ混ざっていき、サクラの綺麗な翡翠の目は、赤黒くドロッとしたものに変化していった。
何とか逃れようと死に物狂いで暴れているようだが、下忍の力などたかがしれている。
いい加減飽きてきたのでボールペンを引き抜き、今度は左耳に突き刺した。
くぐもった悲鳴が、手のひらの下から聞こえてくる。
一体どこまで奥に入るのだろうか。
力加減をしながら押し込んだつもりだったのだが、すぐにサクラの耳からは血が垂れてきた。
右目からは涙を、左目はなんだかよく分からない液体を吐き出して、サクラは暴れている。
気絶させる訳にはいかず、縛るのも面倒なので手足を切り落とすことにした。
利き手じゃないとうまくいかなそうなので、左手で口を塞ぎ直し、右手に構えたクナイを垂直に突き立てた。
サクラの右腕から血液が盛り上がるように吹き出し、鉄の匂いが部屋に立ち込める。
クナイの先を軸に右手を前後に動かしていると、いつの間にかサクラは白目を剥いて泡を吹いていた。
とりあえずベッドに寝かせて、気付け薬を与えた。
寝台との落差を利用し腕を宙に浮かせるようにして、裏側にもクナイを滑らせる。
しばらくして、クナイが腕を一周すると隙間から骨が見えるようになった。
勢いよく足で蹴り飛ばす直前に、サクラは意識を取り戻したらしい。
目を開けた瞬間、右腕は床に叩きつけられ、俺の右足によって踏み潰されていた。
断面から血と肉の塊が飛び散る。
サクラの右肩の辺りには、飛び出した骨が少しぶら下がっていた。
止血のためにベルトを巻こうとしたが、サクラは再び暴れだしてしまい中々狙いが定まらない。
足を先に切り落とすべきだったと、少し後悔しここで俺は頸椎の存在を思い出す。
場所さえ誤らなければ、殺すことなく動きを止められるはずだ。
確か第四頸椎だったか。
早速サクラを裏返しにし、首の辺りにクナイを突き立ててみると、ピタリと動きが止まった。
しかし、叫び声をあげているので死んではいないようだ。
ひとまず成功と言った所だろう。
もう一回サクラを裏返し仰向けに寝かせ、口を塞ぎつつベルトを腕に巻いた。
後は特にやりたいことも思い付かないので、頭蓋骨を取り出すことにした。
「ちょっと静かにしててくれると助かるんだけど」
そう呟いてみたが、サクラには聞こえていないようだ。
仕方がないので、頭の脇に立ち右手だけで骨をゴリゴリと削るように切っていく。
力を込めすぎると突き抜けてしまうので、加減が難しかった。
広めのおでこを赤い線が真っ二つに横切り、前半分は恐らく切れただろう。
問題は後ろ半分だった。
口を押さえつつうつ伏せにし、右手でクナイを操るのは無理がある。
面倒なので少し計画を変更し、頭の前半分に小さな穴を開ける事にした。
顔の方に目を向けると、サクラは叫び声もあげず残った右目も固く閉じてしまっている。
一瞬死んでいるのかと焦ったが、そうではなさそうなので放っておく事にした。
クナイはそこまで切れ味がよくないので、骨を切るというよりは力で砕いていったという方が正しいだろう。
蓋を開けるようにして骨を取り除くと、断面はやはりボロボロだった。
頭蓋骨を枕の脇に置き、拳が入りそうで入らないぐらいの穴に指を伸ばす。
中身は思っていたよりかは弾力があり、触った瞬間溶けて流れていくなんて事は無かった。
これが原因でサクラは吐き気をもよおしたらしく、布団の上に吐かれるのは迷惑なので床に体を移した。
しかし、サクラはえずくだけで嘔吐する様子はない。また脳味噌をつついてみる。
あまり代わり映えのしない反応がつまらないので、指を突き刺した。
その瞬間、固く閉じられていた瞼が見開いて少し驚いた。
ズブズブと沈みこむ人差し指と中指に合わせて、サクラの眼球は忙しく動いていた。
押さえるのを忘れていた口からは、何語か分からない言葉を吐き出している。
当初の目的通り、指先を頭の中で動かして、中身をつまみ上げた。
とはいっても指先に塊がこびりついているだけで、内臓を引きずり出すような派手さは無かったが。
サクラは涎を垂らし、苦しそうに浅い呼吸を繰り返した。
もう一度指先を沈みこませ、そのままボールペンと同じようにぐるぐるとかき混ぜた。
ハンバーグを捏ねる音をもっと激しくしたような生々しい音が響き、サクラは奇妙な叫び声をあげ、何の反応も示さなくなった。
呆気ない最後に拍子抜けしつつ、俺は壁に寄りかかり天井をぼんやりと見つめた。
意識を取り戻した時、俺は壁に背を預け天井を見上げていた。
何気なく床についた右手が水っぽい音をたてたのに驚き、目線を下へとずらす。
サクラは俺のすぐ隣で絶命していた。
凄惨としか言い様のない死体は目を見開いたままだ。
考えるより先に体が反応し、口布をとった瞬間、吐瀉物が堰をきって流れ落ちた。
肩で息をしながらずりずりと後退し、俺はサクラの死体から距離をとった。
再び壁に体を預け自分の両手を確認すると、柔らかい薄桃色の物体や血液が、指先と手袋にこびりついていた。
赤黒い染みはベストにまで及び、誰が犯人なのかは一目瞭然だった。
どうしようもない絶望のどん底に突き落とされ、俺の目からは自然と涙が溢れる。
カーテンはいつの間にか夕映えに染まり、サクラに出したお茶はそのままだった。
しかし、壁や床は赤く染まり、窓際の写真も血にまみれている。
なぜ、眠くならないのだろう。
これほどの事が起きれば、気を失うような強い睡魔に襲われてもいいはずだ。
なのに一向に眠気は訪れず、俺は頭を抱えるしかなかった。
既に俺は寝ているのかもしれない。悪夢にうなされている俺を起こす人間はいないのだ。
きっと、もう少しすれば目覚ましの音が響いてくれる……。
そんな下らない事を考えていたとき、突如腹の底から込み上げる物に俺は困惑する。
明らかに異常な反応を押さえ込もうとしたが、口角が勝手に歪み、押さえきれない衝動が俺を揺さぶった。
くぐもった笑い声が指の隙間から漏れだしていく。
一体俺に何が起きているというのだろう。
なぜこんなに笑いたいのか、自分でも理解できず、言い知れぬ不安に押し潰されそうになる。
だが、俺にはもう抗う気力さえほとんど残されてはいなかった。
やがて悪魔の誘惑に乗るようにして、俺は口を塞いだ手を外した。
口が大きく開き、内臓が裏返って飛び出るんじゃないかと思うほど、俺は大声をあげて笑った。
笑っても笑っても笑い足りず、もっと笑い声をあげたくて仕方なかった。
呼吸困難に陥りそうになっても衝動は収まらない。
腹筋と頬の筋肉がひきつれ、悲鳴をあげた。
それでも俺は笑い転げていた。
なのに、頭だけは冴え渡っていた。
ずっと目を背け続けてきた真実を、冷静な自分は唐突に受け入れる。
なぜ親父に毎日任務があり、夜にしか帰ってこなかったのか。
俺も含めてやっぱりこの里にはクズしかいない。
今度こそ俺は心の底から腹を抱えて笑った。
高笑いというよりは馬鹿笑いと言った方が正しい。
その馬鹿笑いを聞きつけ、大家が扉を叩いた。
ふと我に帰り、と言いたいところだが、もう俺が我に帰る事はない。
不気味なほど俊敏に衝動は引っ込み、変化の術で身なりを整えた俺はいつもの調子でドアを開けた。
「いやー、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
それほど経たない内に、第七班には欠員の補充があった。
根に所属する肌の白い少年が、暗く沈みこむナルト達に作り笑いを向けている。
サクラは一体どこへ消えてしまったのだろう。
俺の家の付近で目撃されたのを最後に彼女は姿を消してしまった。
俺がもっと注意していれば、サクラは消息不明にならずに済んだのかも知れない。
悔やんでも悔やみきれない思いが、また一つ俺に刻み込まれる。
ナルトとサスケも、随分口数が減ってしまった。
和気あいあいとしていた頃が懐かしく、二度と戻れないのだと意識するのが辛い。
サクラがいなくなってから二人とも、何かに怯えているように見えた。
理由も分からないまま仲間の失踪を受け入れなければいけないのだから、当然の反応だと言えるだろう。
里に潜む脅威に、俺も危機感を募らせていた。
残った二人だけでも、俺は守り抜かなければならない。
そして新たな第七班のメンバーも、当然その対象だ。
彼らを守り育てる責任が俺にはある。
そう思うと、俺は無性に笑いたくなるのだった。
終わり
グロは初めて挑戦してみたのですがいかがだったでしょうか。ピクシブにもあげているので、見かけたらよろしくお願いします。
前にssVIPにあげた
三代目「ナルトはお前に任せる」
も読んでいただけたら嬉しいです。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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