まどか「ありがとう」 (201)

1

「ちゃらちゃら踊ってんじゃねーよウスノロ!」

杏子が笑いながら槍を振り回す。

「舞い上がっちゃってますね、あたし! これなら負ける気がしないわ」

それを回避しながら立ち回り、杏子に切り掛かっていくのはさやか。
なんとか槍の隙間を縫って近付こうとするが、近付けば今度は体術で阻まれる。

「は! そんなもんかよさやか!」

「にゃろー。見てろよー」

一歩下がったさやかは音を立てて跳び上がった。
空中に出現させたいくつもの剣を掴んでは杏子に投げつける。



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「しょぼい攻撃してんじゃねーぞボンクラぁっ!」

その全てを弾いた杏子へと、空中で魔法陣を蹴って、さやかが翔ぶ。
浮かんでいた双剣をひっつかんで投擲。

「負けるもんかぁーっ!」

余裕で二本を打ち払って、杏子が悠然と構え直す。
丸腰で杏子に迫ったさやかは、その目前に展開させた魔法陣に手をつき、滑るようにその頭を越えて杏子の背後に着地。

「なっ!」

「だああああああああ!」

即座に落ちていた剣を拾って振り返りざまに杏子に切り掛かる。
その切っ先が杏子の脇腹の寸前で止められた。
さやかの首筋には槍の穂先が突き付けられている。

「………」

「………」

「二人ともそろそろ休憩にしようよー」

少し離れたところから、まどかが声をかけた。

2

「くくっ、さやかもやるようになったじゃねーか!」

杏子が笑って変身を解く。
さやかも続いた。

「あたしも日々成長しているのですよ!」

さやかと杏子はまどからへと歩み寄った。
高架下の芝生跡にビニールシートを敷いて、まどか、マミ、ほむらが座っている。

「はい、さやかちゃん」

「あんがと」

手渡された清涼飲料水をさやかはごくごくと飲んだ。

「ぷっはー! このために生きてるぅっ」

「オッサンくさいわさやか」

杏子にペットボトルを投げるほむら。

「あー腹減ったぞー」

「はいどうぞ。佐倉さん」

マミの差し出したサンドイッチに杏子は食らいついた。

「うめー!」

「あ、それ、わたしがつくったんだよ。杏子ちゃん」

「そーなのか? よくできてるぞ、まどか」

「サンドイッチなんか誰が作っても一緒でしょ」

けらけら笑うさやかをほむらが睨んだ。

「実に愚かねさやか! まどかが手ずから作ったという、そこに価値があるのよ」

「そっそんなことないよ! そんな特別なものじゃないよ」

「いいえ鹿目さん。手作りというのはやっぱりそれだけで特別なものよ」

「珍しく意見が合うわねマミ」

「わかったからサンドイッチを口に詰め込むのは止めなよほむら。あと杏子もから揚げばっかり取らないの!」

「んだよ、うっせーな」

「ポテトサラダも美味しいよ、杏子ちゃん」

「おう、いただきます」

まどかとマミのつくった昼食を食べ終え、五人はまったりとお茶を飲んだ。

「それでそれで! あたしの戦いっぷりはどうだったよ!」

飲み干してさやかが楽しそうに問い掛ける。

「ムダな動きはだいぶ減ってきたな。いーんじゃねー?」

杏子は爪楊枝をくわえた。

「そうね、回避や攻撃の速度はより速くなったと思うわ。ただそれにともなって軌道や反応がワンパターン化しているところがあるわね」

「まだまだよさやか。貴女はようやくまっすぐに球を投げられるようになっただけなのだから」

「うおー手厳しいー……」

がっくりするさやかの頭をまどかが撫でる。

「大丈夫だよ、さやかちゃん。さやかちゃんはもっともっと強くなれるってことなんだから」

「あうーまどかーパパがんばるからねー」

「そういえばさやか貴女、上条恭介とはどうなの」

ほむらの言葉にさやかはがばりと身を起こしてにこにこした。

「えへへー。この前は恭介の部屋でいっしょに勉強しちゃった♪」

杏子がうんざりした顔で、

「そんなどーでもいいよーなことでアタシにいちいち電話してこんでいいっつーの」

「あらあら」

「杏子ちゃんずっと聞いてあげてたもんね。わたし先に寝ちゃったよ」

杏子は現在、鹿目家の養子であり、法律上の妹であるまどかの部屋で暮らしている。

「だってー、嬉しくてさー」

「なんか鬱陶しいわ、さやか」

「自分から振っといてそのコメントはひどい!」

3

ここは改編された世界。
すべての魔女がまどかの願いによってそのなかに封印された世界。
祈りが絶望で終わらない世界。
この世界で、いつまで魔法少女たちは戦い続けなければならないのか——

4

一週間前。
まどかはキュゥべえとテレパシーで会話していた。

『……君もわかっているんだろう?』

傍目にはまどかがひとり、公園のベンチでまどろんでいるようにしか見えない。

『魔法少女の戦う原因が、君にあるってことにさ。君の願いによってすべての魔女は君のなかに封印された。
 魔女がそれをくぐり抜けるために生み出したのが魔獣だ。すべての魔法少女は、まどか、君がいる限り戦い続けなくちゃならない』

『……そうだね』

木葉を透かして陽光がこぼれる。
あたたかな日差しに反して、まどかの心は冷えていく。

『もしかしたら君は、自分が死ねば解決すると思ってるかもしれないけど、』

『——魔女が解き放たれちゃう可能性もある、そうでしょ?』

『訂正するほど間違ってはいないね。つまり君の願いが無効化されてしまうわけだ。まぁ魔獣は不必要になって出現しなくなるかもしれないけれど。
そして、君には残された時間すら少ない。まどか、君は自分の因果が減衰しているのを感じるかい?』

目を閉じたまま、まどかはわずかに眉根を寄せた。

『どういうこと』

『契約の際に叶えられる願いの規模は、基本的に当人に接続された因果の量に比例する。
因果とは自己と他者のあらゆる相互関係だから、その量というのは生涯を通じて世界に及ぼせる影響のことだね。
ふつうは願いが叶えられてもその因果の量は変化したりしない。あくまでそれは可能性の話だからね。
でもまどか、君は違う』

キュゥべえがまどかを見上げた。

『魔女システムの改編という、壮大すぎる願いは、魔女を永劫封じ続けるという概念を生み出した。
それは君の因果が概念のレベルにシフトして生み出されたものだ。わかるかい? 君はもう、この世界にさしたる影響を及ぼせないのさ』

まどかは目を見開いた。
唇を噛む。

『君の因果の大部分は喪われた。
まどか、君がたとえ何事もなく生活していったとしても、君は誰にとっても印象の薄い、たいした価値も持たない人間になるだろう。
君は何者にもなれはしないんだ。

そして君の願いの概念は、残りわずかな因果の糸まで巻き取りつつある。因果が欠落してしまうと、君は誰にも干渉できず認識され得なくなってしまう。
そんな亡霊のような存在に成り果ててしまえば、もはや魔法少女たちをその闘争の輪廻から解き放つことは、不可能だ』

風が木葉とまどかの髪を揺らす。
まどかはまた目をつむり、一度深く呼吸した。

『……それで、あなたははそれをわたしに話して、どうしようと言うの?』

『簡単な提案さ。君には世界を変える力がある。契約は一度きりだけれど、改編はそうじゃない。
 まどか。 君のその力で、世界を変えよう——もう一度』

『………』

いったい何を企んでいるのか、彼らにどんなメリットがあるのか。
そんなことを聞いたりはしない。どうせこの獣がまともに答えるわけはないのだ。

『……再改編のために、わたしはなにをすればいいの』

だから、まどかは自分の目的のためにこの提案を最大限利用する。
たとえ隣に座る地球外生命体がまどかの力を謀りに用い、そのために彼女自身を供犠とすることがわかっていようとも。

『なに、そんな複雑なことじゃないよ。君に潜む世界改編の力を析出させて、それを打ち倒せば、再びその力を手にすることができるようになる』

言うは易しだとまどかは思った。

『析出させるのは僕がなんとかするから、準備ができたら声をかけてくれ。待ってるからね、まどか』

隣にあった気配がすうと消えた。
まどかは目を開けて立ち上がった。

5

「じゃ、まどか、アタシはさやかん家泊まってくから、よろしく」

「うん! パパにいっておくよ」

「頼む」

世界を変える力。
それに負ければまどかは取り込まれて消滅する。
倒して力を得たとしても、改編の結果まどかそのものが概念となってしまう可能性が高い。

「私たちも帰りましょうか、暁美さん」

「ええ。スーパーに寄ってもいいかしら」

「もちろんかまわないわ」

それでもやるしかないのだ。まどかの目的のために。みんなの幸せのために。

いつもと同じ道、いつもと同じ風景。
なのに、まどかはなんだか自分が小さくなってしまったように感じた。
皆が遠い。
お別れをしなくちゃならない。本当はしたくない。まだもうちょっと一緒にいたい。

——でも……、それでも。

まどかはにっこり笑った。いつもと同じように。

「それじゃみんな———また、あした」

「バイバーイ!」「おう、じゃあなー!」「また明日ね、鹿目さん」「まどか。それじゃあ、また」

笑顔で手を振って嘘をつくまどかに、それぞれ別れを告げて四人が踵を返す。

「よっしゃー杏子をふるぼっこにしちゃるぞーっ」

「ゲームだろーがさやかには負けねー!」

さやかと杏子が言い合いながら立ち去っていく。

「マミ、また料理を教えてほしいのだけれど」

「ええいいわよ。ふふっ、暁美さんが失敗してもだいじょうぶなように食材はたくさん買っておかないとね」

「あっあれは時間停止が……」

マミとほむらも談笑しながら歩いていく。

「………」

哀しそうに微笑んで、手を下ろすまどか。
そして、ひとり、四人とは違う道を歩き始めた。

6

「インキュベーター。いるんでしょ」

夜。学校の屋上で、まどかは呼びかけた。

「やぁまどか。決心してくれたんだね?」

「……うん」

決意をこめて、まどかは頷いた。

「それじゃあ、はじめようか」

変身するように言われ、まどかはそうした。
その首元のソウルジェムにキュゥべえは触腕を伸ばす。
煌、とまどかの魂が輝きを増した。
同時にまどかの前、キュゥべえの後ろに蜃気楼のような門が現れた。結界の入口である。

「さぁ、あとは君が、このなかの君自身を倒すだけだ」

いつもとなんら変わらない調子でキュゥべえが告げる。
まどかは弓を握りしめて頷こうとしたそのとき。

「——その必要はないわ」

まどかの背後から、そう声がした。

ちょっと中断

7

「その必要はないわ」

まどかは振り返った。
月が出ている。
その手前に、給水塔の上に四人が立っていた。

「………」

「おや。まどか、見送りでも頼んだのかい。それとも援護かな」

「みんな、どうして」

「まどか! やめて!」

魔法少女姿のほむらがまどかの目前に飛び降りた。

「ほむらちゃん……」

「まどか! よくわかんないけど待ちなよ!」

さやかもマントをはためかせて続く。

「魔力反応は隠しておいたはずなのに……」

「おねーさんをナメんじゃねー、っつったろ?」

着地した杏子が串をくわえたままにやりと笑った。

「鹿目さん。隠し事はなしにしましょう?」

満月をバックにマミが宙を舞う。

「役者がそろった、というのかな」

キュゥべえを無視して、ほむらが一歩踏み出した。

「ねえ、まどか。なにをするつもりなの?」

「なんでもないよ、ほむらちゃん」

「世界をもっかい改編するつもりだろ、まどか」

「杏子ちゃん……」

「マジ、なんだ。まどか」

「まどかは、君たちが戦わなくてもいい世界を作るために、すべての絶望を消し去るつもりなのさ」

「インキュベーター……!」

まどかが白の獣を睨んだ。

「鹿目さん。それがどんなに恐ろしい願いか、わかっているの?」

マミは沈鬱な様子で問うた。

「あなたは、絶望を消し去り続ける概念として宇宙に固定されてしまうのよ」

まどかは四人に顔を戻して、少し微笑んだ。

「……いいんです。そのつもりです」

「まどか! だめ!」

ほむらが手を伸ばす。

しかし、その手が取られることはなかった。
まどかは困ったように笑って、

「ごめんね。ほむらちゃん」

ゆっくりと後ろに下がり始めた。

「させねえッ!」

杏子が手を組むと、まどかの足元から鎖がほとばしり、檻を形成する。
だが、

「杏子、危ないッ!」

まどかの放った矢が鎖をたやすく射ち砕き、手加減された一本が杏子の腹に叩きこまれた。
声もなく杏子が気絶。

「まどか! あんた本気なの!?」

飛ぶ鳥のごとくさやかがまどかに接近。
目にも止まらない速度で掴みかかる。

「さすがさやかちゃん。速いね」

その手をまどかはかい潜る。

「インキュベーター!」

キュゥべえの横に立ってほむらは矢を突き付けた。

「いいのかい? まどかの存在は今とても不安定な状態だ。魂と因果が引き裂かれたこのまま、それを維持している僕を殺せば、まどかは消滅しかねない」

「そうしたのはお前でしょう!」

怒りにぶるぶる震えるほむら。

「これはまどかが望んだことさ。僕は方法を提供したに過ぎない。選び取ったのはまどかだよ」

「くっ……!」

風か水のようにその手から逃れるまどかに我慢できなくなってさやかはタックルを試みた。

「まどか、ごめん!」

弾丸となったさやかに手を伸ばして、まどかはさやかの手首を掴んだ。
軽くひねる。

「あっ!?」

さやかがぽおんと横っ飛びにすっ転んだ。
ごろごろと屋上を転がったさやかは、フェンスにぶつかって動かなくなった。
結界に向き直ろうとするまどかの足をリボンが捕縛。

「マミさん」

「今の貴女をそのままにして行かせるなんて、私には絶対にできない……!」

躊躇なくまどかは弓を構える。

「鹿目さん……!」

「出来の悪い後輩でごめんなさい——マミさん」

杏子と同様にマミも昏倒した。
力を失ったリボンを振り払って、まどかが結界に歩み寄る。

「まどか……」

細い声。
ほむらである。
隣でキュゥべえが尻尾を揺らした。

「ごめんね、ほむらちゃん。わたし行かなくちゃ」

まどかは弓を消して立ち止まった。

「だめ、だめよ。まどか。貴女がいなくなってしまうなんて、そんなの……!」

「これがたったひとつの冴えたやり方なんだよ、ほむらちゃん。みんなが戦わなくてもいい、苦しまなくていいようにするには、こうするしかないの」

「そんな……!」

頼りない足取りでまどかに近づき、肩に手をかけるほむら。
その目から涙がぽろぽろと零れた。

「このままじゃ、わたしがいる限り世界には魔獣が現れ続けて、魔法少女のみんなも戦い続けなくちゃならない。
 だから、世界を変えなくちゃ。もう一度」

「いや……いやよ……そうしたらまどかは概念になって消えてしまう……もう私は貴女のことを思い出すことすら出来なくなってしまう……!」

「泣かないで、ほむらちゃん」

優しく、まどかはほむらを離した。

「だいじょうぶ、信じようよ。きっと奇跡だって起こせる。わたしはそう信じてる」

にっこりと笑いかけたまどかは、そのまま結界の入り口へと歩を進めた。

「……まどか……っ」

「さよなら、ほむらちゃん。——元気でねっ」

まどかの後姿が、門の向こうの闇に呑まれて消える。

「いかないで、まどかあぁぁっ!」

ほむらの叫びは、届かない。

8

「んぅ……うあ……」

さやかが呻いて、起き上がった。
常駐の治癒魔法によって痛みはもうない。

「ぐすっ……うぅ……、まどかぁ……」

「ほむら? まどか、まどかは!?」

駆け寄って肩を揺するさやかに頓着せずに、ほむらは心を失ったように泣き続ける。

「もうっ!」

さやかは杏子とマミに魔法を施して起こした。

「おいほむら! まどかはこの中に入ったんだろ!」

「そう、そうよ……ひっく……もうだめ、だめなの、おしまいなのよ……」

「暁美さん! そんなことはないわ!」

「ムリよ! まどかはすべての魔女を封じる円環の理を倒しにいったのよ!?
  世界を改変する力そのものなんて、……勝てるわけないよ……ッ!」

涙を散らして頭を振るほむら。
その傍らに立ってさやかは剣を抜いた。

「——行こう。まどかを助けに」


9

結界の最奥部。
なにもない白い部屋で、まどかは自分自身の闇と向かい合っていた。

《やっぱりまた会ったね》

闇はまどかとほぼ同じ姿をしている。
だがその禍々しさは比類なく、凄絶ですらあった。
唇を引き結んで、まどかは弓を構えた。

「あなたを倒して、わたしはもう一度世界を変えるよ」

赤い口を半月状に歪ませて、闇は嗤った。

《あなたを倒して、わたしは世界を終わらせるよ》

闇の構える弓は無機質で、冷たく、光を拒絶するように黒々としていた。
そこにつがえられた矢はまっくらな虹色。
双方が同時に指を離し、お互いに向けて矢を放った。

10

四人が駆け抜けていく。
結界内部は白と黒の幾何学的な模様に埋め尽くされている。
先頭を走るのは杏子。
槍を携えた彼女にマミが続く。

「くそッ! なげえな!」

「魔獣がいないのが幸いね」

そのうしろにさやかとほむら。
気力を失ったほむらの手をさやかが引いている。

「ほむら! がんばって!」

「………」

大小さまざまな扉をいくつも開いて、四人は結界の最奥部を目指す。
もとからいないのか、それともまどかが倒したのか、魔女や魔獣、使い魔のたぐいは見当たらない。

だが、それは、後ろから迫っていた。

ほむらの様子をみるために振り返ったさやかは、とっさにほむらをかばって剣を構えた。

「なにこれっ!?」

「さやか!?」「美樹さん!」

背後から襲いかかってきたのは細く長いワイヤーのようなものだ。
防御した剣と触れ合って、それが金切り声をあげた。

「うあッ!」

耐えきれずに吹き飛ばされたさやかが壁へと叩き付けられる。
砕け散る白黒の壁。

「さやかぁっ!」

「まだ来るわよ!」

音もなく高速でワイヤーが迫る。
ふら、と力なくそちらを見るほむら。逃げられない。

「っざけんな!」

杏子の鎖とマミのリボンによる防壁がほむらを守った。
だがそれも一瞬で破壊される。

「いったん退くわよ!」

銃弾を後方に向かって撃ち込みながら、マミが指示を飛ばす。
舞い戻ったさやかが再びほむらの手を引いて走り出した。
杏子がすぐにそれを追い抜いて閉じられた扉をぶち開けていく。

「マミさん!」

「ええ!」

硝煙を吐く銃を放り捨てて、マミも離脱。
一拍遅れて、そのマスケット銃がばらばらに分割された。

11

「くぅっ……!」

爆風を転がって回避し、即座に矢をつがえるまどか。
魔力を感知して見上げたまどかへ、闇の落雷のような踵落とし。
反射的にまどかが弾けるように跳びすさった。

《ほらほらっ♪》

闇のハイキックをのけぞって躱したまどかに今度は後ろ回し蹴りが急襲。
まどかはそれをいなして距離をとろうとする。
しかしその隙間を暗虹色の矢が翔ける。

《あったれぇっ♪》

「当たらないよ……っ!」

射撃を回避したまどかへと休む間もなく闇のローからの前蹴り。
受け流したまどかへと貫手が疾る。

「やぁっ!」

半身を開きながらその手首を掴んでひねろうとするまどか。
だが逆にその手を掴んだ闇が跳び上がり空中で身をねじってまどかを蹴飛ばす。

《あはは! 弱いなぁ! その程度で何をしようとしたの?》

「あうっ!」

とっさに手を離して防御してなお衝撃を逃がし切れずに倒れ込むまどか。
闇がまどかの背中を踏んで右手を掴んだ。ぐいと引っ張る。

「うあああっ!」

ぼきりといやな音がして、まどかの腕がひん曲がった。

《ほうら次は左だよ♪》

手を伸ばしてくる闇をなんとか跳ねのけて、蹴りで牽制しつつまどかが起き上がって退がる。
まどかの右手はだらりと下げられて、動かない。

涙を浮かべた目で自分を睨む彼女を見て闇は笑った。

《あははっ! その目、その敵意、すっごく気持ちイイよ!》

言い終わらないうちにまどかが横に走り出す。
追う闇。

《無駄だよ。そんな腕じゃ弦も引けないでしょ?》

まどかはぎり、と奥歯を噛んだ。
次の瞬間、まどかの前に闇が転移していた。

「!」

《やっと調子がでてきたよ》

素早く横へ跳んだまどかの足を蹴飛ばして闇が笑う。
右手をかばって左肩から床に突っ込むまどか。

「うぐっ!」

闇が、起き上がれないまどかへとゆっくり近づく。

《すべての希望は、絶望へ変わる——》

《あなたの夢物語みたいな希望が、悪夢のような絶望を生み出した——》

《あなたはあらゆる呪いと祟りの源。あなたこそ——世界を滅ぼす魔女》

闇がまどかの足をまたいで立つ。
膝をついて顔を伏せていたまどかが、勢いよく振り返る。

「知ってるよ、そんなこと!」

矢を銜えて弓につがえている。

《!》

至近距離から闇の顔面に矢が炸裂した。

12

「さやか、大丈夫か?」

「うん、たいしたことない。でもさっきの、何?」

四人が駆けているのは細い空中回廊である。
全天にきらきらと幻想的な灯りが漂っているが、回廊のしたは底も見えない。

「魔獣だろ。後ろからなんて卑怯なやつだ」

「や、それはわかるけどさ。蛇みたいな魔獣なのかな?」

「あれからはとてつもない魔力を感じたわね」

「広いところに出たらぶった切ってやる!」

「斬れるかなぁ……」

「今は鹿目さんに追いつくのが先決よ」

「そうだけど、あのやろーをほっとくわけにもいかねーだろ!」

杏子の声を遮って、ごおんという音とともに、回廊が傾いた。

「うわわっ!」「あぶねえッ」「なに!?」「………」

今度は四人のすぐ後ろで、ばつんと音を立てて回廊が千切り落とされる。

「あいつだ!」

「急いで!」

急激に崩れていく回廊を四人は全力で走り逃げる。
漂う灯りすべてがきゃらきゃらと笑い声を上げている。
次の扉が見えた。

「もう少しだよ!」

「間に合えええええ!」

後ろから伸びたワイヤーが壁から回廊を切り離す。

「だッ!」

杏子の投げた槍が扉を爆砕、穴を開けた。

「跳ぶわよ!」

虚無へと崩落していく回廊を蹴って扉へと跳ぶ。

「着地! 10点!」

さやか、マミ、杏子と無事にたどり着いた。

「——ほむらは!」

杏子が振り返ると、ほむらは底の見えない中空へと放り出されていた。
足を切り裂かれている。
即座に、一片の躊躇もなく、さやかがほむらへと跳んだ。

マミ「美樹さんッ!」

さやか「ほむらあああああああ!」

13

灯りが笑う。
落ちる二人を歓迎するように。

「ほむら! 手を!」

「……なんて……ない……」

「ほむら!」

手を伸ばすさやかを振り仰いで、ほむらは涙をこぼした。

「まどかのいない世界なんて、生きていく意味がないのよ……!」

「だから! だから止めにいくんでしょうが!」

「無理よ……、まどかはもう助からない、闇に呑まれるか、概念になってしまうか、どちらかなの……!」

落ちる。
落ちていく。
底を見透かせない闇の底から無数の手がふたりを掴もうと伸びている。

「そんなの———知るかああああああ!」

さやかは吼えた。ほむらがびくりと反応する。

「勝手にそんな風に決めて、あきらめんなよ!
 まどかが大事なんでしょ! 助けたいんでしょ! だったらあきらめないでよ!」

「わ、私は……」

まわりが虚無に飲み込まれていく。
それでもためらいがちに伸ばされたほむらの手を、しっかりとさやかは掴んだ。

「まどかを助けよう、ほむら」

そういって、さやかはにっと笑った。

14

「マミさん!」

灯りも見えなくなった暗がりのなかで、さやかはいつのまにか巻き付いていた手首のリボンを引っ張った。
制動。
落下をまぬがれた二人は、ゆっくりと巻き上げられていった。


「佐倉さん、来るわよ」

「おう!」

釣り竿のようにリボンを巻き付けた槍を、杏子が振り上げる。

「どおりゃああ!」

暗闇のなかからさやかとほむらが勢いよく吊り上げられる。

「……やべ」

「ちょっと杏子ってば……!」

「きゃあっ」

その勢いのまま2人は杏子にぶつかり、マミも巻き込んで次の部屋へと転がり込んだ。

「いててて……」

「杏子、やりすぎ……」

そこは四方に階段が配置された大広間だった。
四人が入ってきた方とは逆の階段のうえには『EXIT』の文字。

「もうすぐのようね……———!」

立ち上がったマミが恐怖に引きずられるようにして天井を見上げた。

【……アハッ】

ぼとりと落ちたそれに向かって、マミが銃を、杏子が槍を向ける。

「こいつ……!」

フードを目深にかぶった小柄な少女。
ドレススカートから円錐形の一本足がはえている。

ぐねりと起き上がったそれが、嗤った。

【アハハハハハハハッ!】

ワルプルギスの夜の魔獣である。

舞台観客の魔獣。その性質は幸福。
演者の手の届かないところから喜劇を観覧する魔獣。
世界の幕が下りれば、満足して消えていくだろう。

「さっきのも、こいつか!」

杏子の目の前で、夜の魔獣の指がしゅるしゅると糸状に伸びていく。

【アハッ】

左右三対の糸が魔獣の正面で編み上げられた。
そこに突き立つ紫電の矢。

「ほむら!」

「また、お前と戦うことになるなんてね。ワルプルギスの夜……!」

膝立ちのまま弓を構えたほむらが吐き捨てた。
立ち上がる。

「先に行きなさい。こいつは、私が倒す」

「馬鹿野郎! テメエひとりで倒せると思ってんのか!」

「早くまどかを助けにいきなさい!」

【アハッ!】

急襲したワイヤーを迎え撃ったのはまたもさやかである。

「今のうちに! 杏子、マミさん!」

今度は床に踏ん張り、こらえるさやか。

瞬時に決断したマミが走り出す。

「佐倉さん、いくわよ!」

「ちっ……早く追いつけよ!」

それに続いた杏子を狙ったワイヤーがほむらの矢に撃ち落とされる。

「お前の相手は、いつも私だ……!」

ワイヤーを弾いてさやかがほむらのもとへ戻る。
もう一本剣を引き抜いて、さやかはほむらに笑いかけた。

「大船に乗ったつもりでいーよ、ほむら! なんてたってあたしがいるんだからね!」

「ええ、そうね。あいつを倒しても、おつりが来るわね!」

矢をつがえてほむらも不敵に笑って応える。

【アハハハハハハッ!】

夜の魔獣が、両手を広げて哄笑した。

あれ?今日はここまでで

さやかが一瞬でほむらの目の前に移動する。
右手の一振りでワイヤーを叩き斬り、さやかはしゃがみこんだ。

「さ、さやか、それは、その力は……」

黙ったままほむらに鎧篭手をかざすさやか。
青の魔法陣が展開し、ほむらの怪我を快復させていく。
さやかは立ち上がって夜の魔獣に向き直った。

「だめ、だめよさやか、その力を使えば、貴女は、貴女のなかの魔獣に飲み込まれてしまう!」

膝を起こし、さやかに手を伸ばすほむら。
さやかは振り返らない。

【ごめん、ほむら。あたしだって、魔法少女なんだ。あいつを倒したいんだよ。
 そのためなら魔獣になったってかまわない。後悔なんて、あるわけない】

さやかは両手の剣を構えた。

【それにさ、もしかしたら、なんとかなるかもしれないよ?】

立ち上がれないほむらを残して、さやかが走り出す。

「さやか、だめえええええええええええええええっ!」

【アハッ!】

高速で駆けるさやかへとワイヤーが縦横無尽に躍りかかる。

【———ッ!】

足音を置き去りにしてさやかの姿が消失。
次の瞬間、魔獣の背後に現れたさやかが双剣を構え直す。
ワイヤーがめちゃくちゃに暴れたあとに床に落ちて動かなくなった。

【アハッ!?】

遠く離れたところへ血を撒き散らして魔獣の両腕が落下する。
一瞬でさやかが斬り落としていたのだ。
魔獣がふらりと振り返る。

【オオオオオオオオオオッッ!】

咆哮するさやかの剣が真っ暗に光り輝き、魔獣を袈裟懸けに斬り裂いた。
勢い止まらず、刃が床に刺さる。

【アハッ!】

身体を傾がせながら魔獣が魔力線を放つ。

【オオオオアアアアアァァァァァッッ!】

さやかの掲げた右手が剣ごと消し飛ぶ。
だがそれにかかずらわずに左手で魔獣の顔面を掴むさやか。

【ウオオオォォォォォッ!】

振り抜かれたさやかの右足が魔獣の腹に突き刺さり、魔獣は傷口から血と無数の目玉をぶち撒けながら床に転がった。
再び一瞬で移動したさやかが倒れた魔獣に馬乗りになる。

【アアアアアアアアアアアァァァァァァァッッ!】

再生した右手の掴んだ剣が魔獣の顔面に深く突き込まれた。

【ア、ハ、ハッ!】

魔力線が再度さやかの右腕を灰燼に帰す。
さやかは無造作に左手を魔獣の傷口に突っ込んで、血に塗れたはらわたをごっそりと引っこ抜いた。捨てる。

【オオオオオオオォォォォォォォォッッ!】

冥い光に包まれて再構成された右腕が魔獣の顎に手をかけて、めりめりと音を立てて首を千切る。
吼えながらそれも放り捨てる。
内臓を掻き出す。

【オオオオアアアアアアァァァッ!】

首だけになりながらも魔力で瞳を輝かせた魔獣の頭部に、もう一本さやかの投げた剣が突き刺さり、爆散させる。
魔獣の返り血で濡れたさやかを、駆け寄ったほむらが抱き止めた。

「さやか! もうやめなさい! さやかぁっ!」

【………】

解体されたワルプルギスの夜の魔獣がばらばらと細かな立方体にばらけて消える。
夢を見ているように、さやかが口走った。

【あたしは、獣を狩る獣———】

ほむら「さやか!?」

がくんと揺れて、さやかの瞳に光が戻った。
瘴気が収まり、その姿がもとの魔法少女に戻っていく。
頬を濡らすほむらに、さやかは笑いかけた。

「……そんなに心配しないでよ、ほむら。なんとかなるかもって、いったっしょ?」

「さやか……、よかった……」

「もうっ! ほむらはもうちょっとあたしのこと、——げほっ」

「え?」

「ごほっ! はぁ、はぁ、な、なにこれ、げほっ!」

さやかは立ち上がろうとして、足に力が入らずにぺたりと後ろにへたり込んだ。
手を伸ばそうとしたほむらが顔色を変える。

「この魔力パターン——! やはり魔獣なの……!?」

さやかの存在の内側から、折り畳まれていた魔獣の力が急激に膨張。
常駐の治癒魔法がさやかの身体の異常を修復しようとするが、その魔力すら魔獣のものに書き換わっていく。

「げほ、げほっ! うそっ? 力を貸してくれたと思ったのに……っ!?」

「さやか! 変身を解いてッ! このままじゃ魔獣に飲み込まれる!」

さやかを中心にして真っ黒な魔法陣が展開。
弾かれるようにさやかが立ち上がる。

「うああアアッ!】

瘴気が吹き荒れ、さやかの姿が再び変貌していく。

【いやだッ! あたしは負けない!】

胸を掻き毟るさやか。
その手にまで禍々しい紋様が広がる。

【この力がいるんだ……! これを得ないと、あたしはみんなと一緒に戦えない、まどかを助けられない……っ!】

ぐっと拳を握る。
瘴気が一挙に量を増した。

「あうっ!」

ほむらが転がる。
すぐに身を起こしてさやかを探す。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

「さやか!?」

「はぁっ、はぁっ、だい、じょうぶ……っ! なんてことないって、はぁ、はぁっ」

魔獣の気配は薄れている。
さやかもなんとか魔法少女姿を取り戻していた。

「さやか!」

「はっ、はっ、はぁ……、あははっ、あっぶねぇー」

苦しそうに笑いながら、さやかは額の汗を拭う仕草をした。
ほむらがその手を取って涙をこぼす。

「無茶しないで、さやか……。もう、いやよ。もう、誰も失いたくないの……!」

困ったような顔をして、ほむらの頭を撫でるさやか。

「だいじょうぶ。誰も失わせやしない。あたしも、まどかも——!」

21

「どけェッ!」

杏子の振り回した槍が使い魔の群れを吹き飛ばす。

「散りなさい!」

マミが瞬時に十丁のマスケットを連射し、使い魔に風穴をあける。
できた隙間を杏子が駆け抜ける。
その左右に鎖による壁が作られていく。

「だああああああっ!」

正面から押し寄せてくる竜の首をした使い魔たちに槍を投げつけて爆砕。
残骸を踏み越える一体を下段から斬り捨て、そのまま柄で二体目の首をごきりと折る。
牙を剥く竜の口に穂先を突っ込んで跡形もなく爆破させて、杏子はさらに押し通る。

「ダンスの時間よ!」

軽やかに回転したマミの両手と足元にマスケット銃が召喚される。
一回、二回、三回。
マミが回転するたびに面白いように使い魔たちが撃ち抜かれていく。
伸び上がった竜の首が口を開けて炎を吐き出した。

「あら。そんな火じゃお湯も沸かせないわよ?」

竜の懐に飛び込んだマミが銃身を叩きつける。
左から接近してきた使い魔をもう片方の銃で射撃。
マスケット銃を新たに掴みながら竜を煉瓦畳に倒してその向こうの使い魔を撃つ。

靄から湧き出すような使い魔たちを蹴散らしながら杏子とマミは古都をさまよう。
走っても走っても靄から抜け出ることができない。
焦りと疲れが二人の顔にはりついている。

「くそがッ! キリねえじゃねーか!」

罵る杏子の背後に使い魔が忍び寄る。
それにマミの銃弾と杏子のソバットが同時に命中。
しかし圧倒的な物量で二人は押し込まれていく。

「佐倉さんッ!」

大量の使い魔に押さえつけられる杏子。
助けようとするマミも使い魔に取り囲まれてその余裕がない。
動けない杏子の前で、竜が鎌首をもたげた。

「ちくしょう、やるならやれッ!」

ひゅん、
と、風を切ってなにかが竜の首に突き立った。
剣である。

「ストライク! アウト!」

「——さやか!」

ひしめく使い魔を斬り飛ばし、さやかが二人の下へと駆け寄る。
その後ろから周囲に矢を飛ばしながらほむらが続く。

「美樹さん! 暁美さん!」

「お待たせしました! みんなのアイドル、さやかちゃんただいま推参!」

竜の首をみっつに切り分けてさやかがポーズをとる。
そのさやかに群がる使い魔たちを射抜くほむら。

「こんなところで手間取っているとは予想外だったわ」

「うるせえ!」

蹴りと肘鉄で使い魔を振り払った杏子が怒鳴った。

「この靄と使い魔で道がわからなくなってしまったの」

「これは幻覚よ。——さやか」

「あいよ!」

力を込めてさやかが剣を振ると、空間がすっぱりと切れて学校の廊下が覗いた。

「な……!?」「あら……」

「こんな幻覚に引っかかるなんて、本当に予想外だわ。杏子、貴女意外と動揺しているのね」

「ちっ……げーよバカ!」

「私もまだまだね。それはそうと暁美さん? 目元が赤いけど、どうかしたの?」

「え! い、いえ、なんでも、ないわ」

「はー? なんか隠してんなコイツ! ほら! 吐け!」

「置いてくよー」

22

無人の学校を瘴気の濃いほうへと歩いていくと、ひとつの教室にたどりついた。
本来なら黒板があるはずの教室前方に、意匠の刻まれた大きな鉄扉がとりついている。

「ここね」

「この先に鹿目さんが……!」

「そんで、倒さなきゃならねーやつもいるわけだ」

「よし。開けるよ」

さやかが手を触れると、錆びた音がして、扉が開いた。
どろどろと瘴気が中から拡がり出る。

「まどか!」

四人が室内に踏み込んだ。

《えへへ。ようこそ、みんな》

真っ白な部屋の中心で、まどかに似たなにかが嗤った。

「!」

足を止める四人。
まどかの闇は後ろで手を組んで、小首を傾げた。

《どうしたのかな?》

「あ……、まどか、まどかぁっ!」

ほむらが戦慄き、叫ぶ。
その視線の先、闇の足下には、まどかが転がっていた。

「嘘、だろ……?」

「鹿目さん!?」

「あんたぁ! まどかになにしたの!」

剣を構えるさやかに、闇は可憐に微笑んだ。

《これは『鹿目まどか』じゃないよ。その魂はもうわたしが食べちゃったから。だからこれはただのゴミ》

そういってまどかの身体をごろりと蹴飛ばした。

「ああああああああ! うわあああああああああ!」

絶叫しながらほむらが一挙動で何本も矢を放つ。
さっと闇が右手を動かして、直撃コースの矢をすべて掴んだ。

《えへ。ちょっと弱すぎるって、思ってしまうのでした》

まとめて折る。

「てめえッ!」

跳んだ杏子の渾身の突きは弓で軽く捌かれる。
床を叩き割って杏子が勢いのままに転がっていく。

「こっちよ!」

空中からマミが十数のマスケット中に一斉に点火。
轟音を響かせて弾幕が闇の視界を埋め尽くす。

《そんな広範囲を攻撃していいんですか? マミさん》

するするとすべての魔弾を躱して闇が足下を見る。
しかしそこにまどかの身体はない。
杏子が転がり様に引っ掴んでいったのだ。

《あれれ。そんなもの大事にしたって意味ないのに》

不思議そうな顔をした闇に、煙幕をくぐってさやかが斬り掛かる。

《おっと》

「まどかを返せ———!」

剣を弓で受け止めた闇がうふふと嗤う。

《ねぇさやかちゃん。『わたし』だよ。『わたし』が『まどか』だよ》

「ぐあっ!」

笑顔のまま、闇はさやかの首を掴んで持ち上げる。
ふわ、と闇が浮かび、さやかの足も床から離れた。
さやかが剣を取り落とし、闇の右手にすがる。

「ぐ、う、あっ」

《あれ? さやかちゃんのなかに魔獣がいるね。ちょっといたずらしちゃおう♪》

「なんだと……?」

闇の手が冥く光り、さやかのソウルジェムも呼応して黒く明滅した。

「うあっ、ああああっ、や、やめ、」

「やめて! これ以上さやかを魔獣に近づけないでッ!」

さやかを人質に取られた形になり、誰も手を出すことができない。

「暁美さん!? 魔獣って、どういうことなの!?」

《わたしが教えてあげるよ、マミさん》

唇を歪ませて、闇が三人を見下ろす。
呻くさやかの両手に鎧篭手が現れる。ぞりぞりと模様が全身に広がっていく。

《さやかちゃんはね、魔獣の力を得たんだよ。でも、それって、ちょっと間違えたら魔獣そのものになっちゃうってことなの》

「そんな——!」

「でたらめ言ってんじゃねえ!」

《嘘じゃないよ杏子ちゃん。ほむらちゃんに訊いてみればわかるよ》

「ほむら! 嘘だろ!? さやかが、魔獣になるなんて……ッ!」

まどかの身体を抱き上げて退却しながら杏子が問いつめる。
ほむらは目に涙を浮かべた。

「本当よ……ワルプルギスの夜は、魔獣化したさやかが倒したの」

「———!」

《あっはは! 苦しい? ねぇ苦しい? さやかちゃん!》

【ゴアアアアアアアアアッ!】

苦悶の声をあげるさやかから手を放し、闇は手を広げて高らかに嗤った。

《あはは! あははははははは!》

吐き気がするほどの圧迫感が三人を縛り付ける。
ほむらはくずおれ、マミは床に手をつく。杏子はまどかを抱いていられず、二人して倒れた。
床に落ちたさやかは喉を掻き毟って苦しみ続ける。

「やぁ、はじめまして、でいいのかな。君とは」

どこからともなく白い獣が現れて、闇に声をかけた。

《あ、キュゥべえ! えへへっ協力してくれてありがとう》

「感謝には及ばないさ。記憶もあるようだね、魂を取り込んだからかな。
 因果の昇華した概念でしかない君が前駆体の魂を印加されたことで現存在の反転を励起した、といったところかな」

《えへっ、わけがわからないよキュゥべえ》

「それじゃあ、さっそくだけど案内するよ。君のために部屋を用意したんだ。そこで、約束通り世界を変えようじゃないか」

《やった! 呪いと祟りで世界を埋め尽くしちゃおうよっ》

キュゥべえがしっぽを立てて歩き出す。
その前方で空間が開き、通路が出現した。
闇が背を向ける。

「待ちやがれ……!」

槍を支えにして杏子が立ち上がる。
顔面蒼白である。

《? がんばるなぁ杏子ちゃん》

振り返った闇が無造作に弓を構えて、矢をつがえた。

「! やめ———」

闇は微笑んで、指を離した。
ひょうと飛んだ矢が杏子の胸に直撃する。

「がは……ッ!」

反応することもできずに杏子が吹き飛び、床を転がって、壁にぶつかって止まる。

「佐倉、さんっ!」

額に汗を浮かべたマミが重い身体を引きずるようにして杏子へと向かう。
闇が手を伸ばすと、放り出されたまどかの体が光に溶け、その指先へと吸い込まれた。

「ま、どか——ぁ……っ!」

震えながら立ち上がろうとするほむらを見てくすくすと嗤い、

《そこでおとなしく見ているといいよ。世界が絶望でいっぱいになるのをね!》

楽しそうに、軽い足取りでまどかの闇は通路へと消えていった。

23

ノイズがかったクラシックが流れている。
よく知るカフェに制服姿のさやかはひとり気怠げに座っていた。
夕日に照らされた店内にはほかに誰もいない。

「………」

顔を上げると、いつのまにか対面の席に誰か座っている。
魔法少女姿のさやかである。

「あたしはさ、」

対面のさやかは無貌の仮面をつけている。
そこに描かれているのは、さかしまの八分音符。

「みんなを、みんなのいる世界を守りたいって、そう思うんだ」

【………】


「あんたも、それに力を貸してくれるって思ってたんだけどな」

【………】

「だめなの?」

【………】

「お願いだよ。あたしに力を貸して。いっしょにまどかを助けて」

【………】

仮面は、黙したまま手を伸ばした。
さやかがぱっと笑って、その手を握る。

「ありがと! さぁ——いっちょ助けにいきますか!」

24

「!」

がばっとさやかは起き上がった。
制服姿に戻っている。

「あいつは!?」

立ち上がったさやかは自分のそばにいたほむらと、ぐったりとした杏子、そして杏子に治癒魔法をかけるマミに気がついた。

「さやか……!」「美樹さん……!」

「き、杏子!?」

さやかはほむらとともにそちらに駆け寄る。

「さやか、貴女、だいじょうぶなの? 身体に異常はない?」

「あたしのことはいいって! それより杏子はどうしたの!?」

「攻撃を胸に喰らってしまって、傷は塞いだのだけれど意識が戻らなくて、」

涙目のマミに強くうなずいて、さやかは膝をついて杏子に手をかざした。

「代わります、マミさんは休んで下さい」

青い光が杏子を包む。
マミは下がった。

「あいつは?」

「インキュベーターに連れられていったわ」

「おっけー。杏子の目が覚めたら、追いかけよう」

「でも、美樹さん。あなたの、その力は……」

「もう大丈夫です、マミさん! さやかちゃんガンガン戦いまくっちゃいますからね!」

「さやか、本当なの……?」

「ほんとだってば! ちゃんと頼んだからね!」

さやかが笑った。

「う……」

「杏子!」「佐倉さん!」「よかった……」

「ほっ!」

さやかが変身。
黒を基調にした軽装に、鎧篭手と漆黒の剣。
魔獣の力を得たさやかの新しい姿である。

「おいおい、ほんとに大丈夫なんだろーな?」

【ぐへへ、お嬢ちゃん今日のパンツ何色なのかな?】

「変態じゃねーか!」

「本当に平気そうね」

【それで、まどかはあいつに吸い込まれちゃったってことだったよね?】

「ええ……、鹿目さんの魂も肉体も、どうやら両方とも取り込まれてしまったようだったわ」

沈痛そうな表情のマミ。
対照的にさやかは朗らかに笑う。

【よっしゃー、それじゃあまどかを取り返しに、】

ほむら、マミ、杏子を見回してうなずく。

【いこうよ、みんな!】

「無論よ」「ええ!」「っしゃおらぁ!」

あれ?今日はここまでで

25

四人がたどり着いたのは、不思議な光に満たされた伽藍である。
正面の祭壇の前で少女の姿をした闇と感情のない地球外生命体が待ち構えていた。

「やっぱり来たね。思っていた通りだ。君たち魔法少女は条理をねじまげる存在。あれくらいで諦めはしないだろう」

白い獣が感情のない声で一行を迎えた。
闇はふわりとスカートの裾を揺らしてくつくつと笑う。

《ちょっと遅かったね。もうわたしは、キュゥべえにあらゆる楔を解かれ、世界を絶望で終わらせられるようになったところだよ》

さやかが両手の黒刀を握り直す。

【あんたなんかに終わらせやしない。あたしが見つけたのは、世界を守る力だ!】

ほむらが矢をつがえる。

「お前の思い通りにはさせないわ。まどかを返しなさい!」

杏子が槍を構える。

「悔い改めたっておせえかんな。ぶっ潰してやるッ!」

マミが多数の銃を取り出す。

「お願い、キュゥべえ。もうこんなことはやめて、帰りましょう!」

肩を震わせていた闇は堪えられなくなって大きく笑い出した。

《あっははは! なにそれ。可笑しい。笑っちゃうよ。キュゥべえ! 始めるよ!》

キュゥべえは赤い瞳を伏せた。

「マミ。君はよくやってくれた。小さな頃から長い間、魔法少女として戦ってくれた。事実、僕は君のことを良きパートナーだと思っていたよ」

「キュゥべえ……?」

「だから、君はもう休んでいいんじゃないかな。二度と目覚めない、絶望のなかでね」

「……!」

「てめえッ」

青筋を浮かべて白い獣に飛び掛かった杏子の槍が闇に掴まれ阻まれる。

《あはははっ! 心地好いよ杏子ちゃん! その怒りも、憎しみも、みーんなわたしの力になる!》

闇の小さな手でつままれていた穂先にぴしりと亀裂が走り、そのまま槍そのものが粉々に砕け散った。

「!」

驚愕した杏子の腹に闇の貫手が吸い込まれる。
内臓を掻いて背中へと突き抜ける。

「ぐあああああああっ!」

絶叫する杏子に闇は笑みを深くした。
その左手に握られた弓が背後から襲い掛かったさやかの剣を受け止める。

【ちっ!】

撃ち込まれたほむらの矢をかわしながら杏子をさやかへと投げる闇。
びしゃびしゃと血をこぼす杏子を抱き留めてさやかは後退。即座に治癒を開始。

「それじゃあ始めるよ。さぁ、君の力で世界を変えよう——まどか」

キュゥべえがぴんとしっぽを立てた。
ばきんとなにかが割れるような音がした。

「ティロ・フィナーレ!」

十数のほむらの矢とともに飛来したマミの砲弾。
それを闇は一瞥するだけで止めてみせた。
絶大な魔力が闇から溢れ出る。

「……ッ!」

あまりに禍々しい魔力に四人は言葉を失った。
腹の底に氷を落とされたようなプレッシャー。
砲弾が爆発し、炎を巻き起こす。
その炎のなかから闇はふわりと浮かび上がった。

《あはは、あははははは!》

意志に関係なく身体を震わせながら四人はそれを見つめるしかできない。

《すごい、すごいよ! なんでもできる、なにもかもわたしの思うままだよ! 世界は、これで終わる!》

【させるかああああっ!】

黒い魔法陣がさやかを中心に展開、どっと障気が噴き出る。
それを一条の黒い雷光が切り裂いた。
魔獣の力を増幅させたさやかが一瞬で闇の背後に回り込む。

【だッ!】

さやかの薙ぎ払いを身を回転させて闇がかわす。
雷撃のように突き込まれるもう一方の剣も当たらない。

【お前を倒す! 世界を終わらせたりなんかさせるもんか!】

刃を返した逆袈裟、突きからの払い、唐竹割り、低く沈んで横薙ぎと繋がる連撃も紙一重で回避される。

闇がその手に掴んだ暗い光の矢でさやかの両手首を貫く。

《あはッ♪ 終わらせてあげるよ、総てを!》

【こんなもんであたしを止められると思ってんなよ!】

さやかからぶわりと噴き出した障気が幾本の黒剣となって闇に突き立たんとする。
後ろへ跳んだ闇をさらに剣が追尾。
矢をつがえて剣を撃ち落とそうとする闇に向かってほむらの矢が飛来。

《あっぶないなぁ!》

厳しい顔のほむらの横にいつのまにか魔獣が立っている。

「な……!?」

驚愕するほむらが行動を起こすより早く闇の裏拳がその顔面に叩き込まれる。
さらに身を翻した闇の膝蹴りとハイキックによってほむらは成すすべもなく吹き飛び失神した。

「くそッたれ!」

「佐倉さん!」

「応!」

杏子とマミが魔獣を挟撃。

《えへへ。二人まとめて壊してあげる♪》

風を切る穂先、柄、そして杏子の拳に続いて左足刀。
側方へと移動しながらそれらを捌いた闇へと銃弾を撃ち込みながらマミが歩み寄る。
闇に掴まれたマスケット銃を放棄してマミのハイキック。
これをかわした闇へ杏子の刺突。

《退屈だなあ。あくびが出ちゃうかも》

闇に掴まれた槍が崩壊。
即座に杏子が両手を組み、闇の足元から鎖を噴出させる。

「マミ! やるぞ!」

「ええ!」

張り巡らされた鎖の結界。
足を縛っていた鎖の因果に介入して戒めを解いた闇がすうとその中心に浮かぶ。

《子供の遊びじゃないんだよ、杏子ちゃん》

「ほざいてやがれ!」

鎖を駆け登った杏子が槍を投げる。
無造作にそれを避けた闇の背後でリボンが槍を搦め捕る。

鎖を蹴って闇に飛びかかる杏子。

「てめえなんかに終わらせねえ! まどかも返してもらう!」

微笑みを浮かべた闇が杏子の二本目の槍を弓で受け止める。
伸ばした鎖に立って杏子が水平に槍を振り抜く。
今度は軽々とそれを掴んだ闇に向かって一本目の槍が飛んだ。
リボンを操ったマミの攻撃である。

《なにかと思えば!》

鼻で笑って闇がその槍を弓で打ち払う。
その隙に杏子がさらに槍を取り出して突き出した。
手放された二本目の槍を闇も捨てて三本目を掴もうとする。

「"主は言われました。今あるものがいつまでもあると思ってはいけないと"」

槍がその形を失い、闇の手が空を掴む。

《!》

二人の下方から槍がリボンに射出される。
それを感知した闇がかわそうとするが、さらにその後方から二本目の槍が迫る。

《このっ!》

「だりゃあっ!」

弓手をあげた闇の懐に杏子が飛び込む。
空中でつかみ合いになる二人のすぐ横を二本の槍が掠めた。

《マミさんを先に壊さなきゃだめかな!》

強引に弓に矢をつがえて、頭上を狙う闇。
その視線の先でマミが巨砲を構えていた。

「ティロ・フィナーレ!」

《さよなら、マミさん》

撃ち出された弾丸ごと、マミは闇の魔力の波濤に飲み込まれた。

「………」

《どうしたのかな? 杏子ちゃん。言葉も出ない?》

己にしがみつく杏子の顔を闇が覗き込む。

《……?》

杏子は笑っていた。

あれ…? ちょっと中断

「やれ! マミ!」

《!》

再び見上げた闇の上で、ぼろぼろになったマミが落下しながら胸元のリボンをちぎり捨てた。

《さっきの槍は——!》

闇は真後ろから槍が迫っていることを感知。
杏子の手を振り払って右手を背中側に伸ばし、それに触れた槍を因果崩壊させた。

《ふふっ、もう少しだったね! 今のはちょっと危な……どうしてまだ笑ってるの》

「力を振るうしか能のねえヤローを騙すのはなんて簡単なんだろうって思ってな」

《———!》

床に落ちてぐったりと倒れたマミがそれでも不敵に笑って指を鳴らす。
頬を歪める杏子の後方、闇の死角でぎりぎりと引き絞られていた二本目の槍が射出された。
慌てて回避行動をとろうとする闇にむしゃぶりつく杏子。

「逃がすかよ!」

《杏子ちゃん!?》

槍が闇を貫いた。
杏子とともに。

鎖とリボンの要塞が宙に溶ける。
杏子は血を吐いた。

「じゃ、あ、な。雑魚、ヤロー……」

槍も消え去り、代わりに鎖が闇の全身を縛り上げる。
支えを失った杏子が力無く床に落ちた。

《ぐ……! あは、は、やられたよ……! でも、三人いて、こんなもの、かな?》

【——四人だよ!】

手首の戒めをちからずくで解いたさやかが魔法陣を蹴って接近。
闇は、


《——さやかちゃん、やめて……!》


よく知る表情で細い声をあげた。

【!】

《さやかちゃん、わたしだよ、まどかだよ!》

寸前で制動をかけるさやか。

【まどか……? まどか、まどかなの!?】

《そうだよ、さやかちゃん!》

さやかはぱっと顔を明るくして剣を下ろした。

【あぁよかった! さっすがあたしの——】

「馬鹿野郎……! さっさとそいつを斬れぇっ!」

【——嫁、え……?】

杏子の怒号と同時に、光の矢がさやかの鳩尾に突き刺さっていた。

それを呆然と見たさやかは、

【……ぇ】

ゆっくりと顔を上げる。
その視線の先で、闇が邪悪な笑顔を浮かべていた。

《ウ・ソ・だ・よ♪》

意識を取り戻したほむらが見たのは、ぐらりと姿勢を崩し、そのまま床に墜落するさやかの姿だった。
血が床に広がっていく。

「さやかあああああああっ!」

ほむらは悲痛な声で叫んだ。

闇が笑いながら鎖をやすやすと千切ってふわりと降りていく。
立ち上がろうとしたほむらの手を闇が踏みつけた。

「うあ!」

《あはは。血の味がするよ、これが肉体なんだね。ぺっ》

べきべきと音を立てて骨を踏み折る。
呻きながらほむらがもう片方の手で闇の手首を掴むが、力が入らずどうにもできない。

《痛そうだね、ほむらちゃん! えへへ、だーいじょうぶ♪ すぐにその痛みもなにもかも、ぜーんぶ消し飛ばしてあげるからね!》

けたけたと笑いながら闇が弦を引き絞る。
ほむらは涙をためた瞳でそれを睨みつけた。

「ほ、むらぁっ……!」「あけ、み、さん……!」

《ばいばい、ほむらちゃん!》

嗜虐的な笑みを浮かべる魔獣に、ほむらはぎゅっと目を瞑った。

26

「………。……?」

何も起こらない。
ほむらはそっと目を開いた。

《ぐっ……!?》

ふらりと後ろにさがって、闇ががくりと膝をついた。

「……?」

怪訝そうに様子をうかがう四人。
闇は苦鳴を漏らした。

《まさか、わたしを……、騙したの……? キュウ、べぇ……!》

「騙す? 理解できないなぁ。僕は言ったはずだよ。君の力を使って、世界を変えよう——ってね。
 それを君の意思で行うとは言わなかっただけさ」

《……! キュゥべえ……ッ!》

怒りをこめて闇に睨まれても、白い獣は瞬きすらしない。

「やれやれ。君も円環の理ならそれくらい推測できなかったのかい。
 鹿目まどかはおそらく僕らの計画をほぼすべて見通したうえで、それでも提案に乗ってきたというのに。
 まあそれを賢明だとは言わないし、君を愚かだと言うつもりもないけどね。しかし記憶の継承が完全でないのは気にかかるなあ」

そこで四人も、闇すらも利用されていたということに気付いた。
ほむらが無意識的に震える声を出す。

「インキュベーター、お前は……」

「すべては僕らの計画通りというわけさ、暁美ほむら。世界の改編をまどかに願われたときから、ね」

《がああああああっ!》

闇の全身に力をみなぎる。
障気が吹き荒れた。
だが、

「うるさいなあ。話ができないじゃないか」

キュゥべえがしっぽを立てるとどちらも収まり、闇は力無く頭を垂れた。

「まどかの願いがそのまま叶えられれば、これまでの僕らの努力はすべて水泡に帰してしまう。そして今後、取り戻すこともできないだろう。
 だから僕は彼女の願いを別の解釈で叶えることにしたのさ。そうすることで、再び世界を改編できるチャンスを残したんだよ。
 魔女システムを復元させるため——あるいはより良い世界を作るためのね。
 そしてまさに今、そのチャンスを僕は手にしているわけだ。計画は成功したんだよ。
 ——さて。僕らの計画、その目的がわかるかい。美樹さやか」

【なんだっていうのさ】

「もちろん、エネルギーを得るのさ。この星の人類すべてからね。君たちはエネルギーの供給源として実に素晴らしい。
 この計画の最終フェイズはね、世界を変える力を使って、感情エネルギー発生系として君たち人類をより効率的な存在へと改編することなんだ」

「ふざけんじゃねえ! アタシらをなんだと思ってやがる!」

激昂した杏子が槍を掴み直して床を蹴った。

「その反応は理不尽だよ、杏子。君たちだって家畜の品種改良を——聞いてないね。しかたない」

卒然、闇が勢いよく立ち上がる。
その瞳に感情はない。

獣に向かって突き出された杏子の槍は、しかしあらぬ方向へとひんまがり、床を砕くのみ。

「なっ……!?」

「君の攻撃は僕にはあたらない。そういう因果だからね」

舌打ちし、後退した杏子がへたりこむ。
血を流しすぎたのだ。

「キュゥべえ。エネルギーの無くならない世界ではだめなのかしら……? そうすれば誰も犠牲にならずに、」

「残念ながら、それはできないんだよ、マミ。
 なぜなら、宇宙の法則を根底から覆してしまうと、今の僕らの存在そのものも保証されないからさ。今とはまったく異なる世界になりかねない、ということだね。
 それでは本末転倒だ」

マミの言葉を遮った白の獣は、首筋を掻いて続けた。

「この計画も当初の予定からは結構変化してしまったけどね。たとえば、杏子。君とさやかのどちらかないし両方は、早々に死んでいるはずだったんだ」

「なんだと……?」

「そのために君の罪悪感を増幅させる話をして、さらに精神の不安定なさやかと殺しあってもらったんだ。
 君の、さやかたちへの依存度が予測よりも高くてこれは失敗してしまったけどね」

「てめえ……!」

「そして君もだ、暁美ほむら。気取られないように魂の負荷を増幅させて魔女との相互共鳴を生起させた。思惑通り君の魔女は円環の理から引きずり出された。
 あとはマミと共倒れすればよかったんだけど、これも失敗した」

「お前が、お前のせいで……っ!」

拳を握りしめるほむら。

「ちなみに、さやかの魔獣化は想定外だったんだよ。まあさやかはどうでもよかったんだけれど、まどかに死なれてしまうと計画が崩れてしまうからね。
 その点ではお手柄だったよ、さやか」

【許さない……、あんただけは絶対に許さない!】

さやかが癒しの魔法を全員に発動させ、双剣を構え直す。

「君たちがどのような感情を抱いたって無駄だということがわからないかなあ? きゅっぷい。
 いいだろう、因果律を司る神の力を思い知るといい」

白い獣がしっぽを立てると、人形と化した闇が四人のほうを向いた。

「さあ——終わりを、始めようか」

死闘が、始まった。

27

闇が両腕を広げる。
その周囲に、翼のように光の矢が出現。

《——矢・展開。斉射・貫通。——始動》

機械的な闇の声にしたがって数えきれないほどの矢が四人に向かって降り注ぐ。

【だああああああっ!】

真っ黒な有刺鉄線を振り回して矢の雨をかいくぐり、さやかが疾駆。

《——面・展開》

闇のかざした右掌を中心にほのかにゆらめき光る障壁が現れる。
有刺鉄線が、続いてさやかの剣が障壁に激突。

【くそっ!】

「貫けぇッ!」

その頭上から槍を振り回して杏子が落下してくる。
炎を噴き上げる穂先も、しかし不可視の障壁を砕けない。
マミとほむらによる射撃が次々と闇を狙うが、すべて障壁に阻まれてしまった。

【斬っれろおおおおおおおおおっ!】

さやかの黒刀が鮮やかな蒼色に光り輝く。

「書き換えられた因果の定数まで【断ち切る】のかい。さやかの魔獣」

キュゥべえの独言と同時にさやかの剣が闇の障壁を切り裂いた。
眉一つ動かさずに闇が祝詞を紡ぐ。

《——爆裂・収斂。——始動》

轟音とともに障壁が爆風と熱波と化し、さやかに向かって吹き荒れた。

【ぐあっ!】

ずたずたになって後ろへ吹き飛んださやかをほむらが受け止める。

「てめえええええええ!」

炎をまとって杏子が上から急襲。
それを見もせずに闇の繊手が槍に触れる。
槍の因果律が崩壊し、構造を保てなくなって砕け散る。

「囮だバーカ」

唇の端を吊り上げて杏子が両手を組んだ。
床から伸びたいくつもの槍が闇を貫く。

《————》

着地した杏子が転がって避難する。
その向こうには、巨砲を構えたマミ。

「ティロ・フィナーレ!」

直撃。
爆炎をあげる闇へと快復したさやかが肉薄。
とどめの一太刀がその胸から背中へと突き抜ける。

《——……始動——》

ぼそりと聞こえた闇の声に目を見開くさやか。

「さやか! 逃げなさい!」

ほむらの叫びに弾かれるようにしてさやかが離脱。
同時に一瞬前までさやかが占めていた空間がごきりと音を立てて"閉じた"。

【なに、さ、これぇっ!】

後方宙返りで距離を取るさやかを追うようにして空間が断続的に"閉じる"。

「三次元空間の存在因果そのものに対する消滅改編だね。巻き込まれればその部分はこの世界との繋がりを消し去られて二度と戻ってこないだろう」

キュゥべえの台詞を無視して杏子とマミが闇の周囲に鎖とリボンを出現させる。
燃え盛る闇は人差し指を立てた。

《——刃・展開》

ぞり、と闇の四方の床から白い光の切っ先が突き出し、鎖とリボンをばらばらにする。

「そう簡単にやらせてくれねえか!」

《——追走・截断。——始動》

「来るわよ!」

矢を放ちながらほむらが叫ぶ。
四本の光刃がさやからに向かって音もなく移動し始めた。

【遅いっての!】

《——球・展開》

指を広げる闇。
すると、四人の周囲に暗い光の球体が十個、出現した。

「みんな、気をつけて!」

《——接続・貫通。——始動》

突如、光球同士が光線で連結された。

「つうっ!?」「これは、魔力線!」

連結は即座に解除され、光球はふわふわと動き始める。
杏子とマミは腕を、ほむらは足をかすめて負傷していた。

【みんな、大丈夫!?】

ひとり、回避しきったさやかが振り返る。

「さやか、危ねえ!」

光の刃が反応の遅れたさやかの左の膝から下を斬り飛ばす。

【あぐっ!】

さらに光球が動きを止めて連結する。
二本の魔力線が体勢を崩したさやかを貫通した。

【かはっ!】

ほかの三人も躱そうとするが、どの光球とどの光球が繋がるかわからないうえに、光球の数が多いためにすべての軌道を予測しきれない。

「うあっ!」「くそが!」「きゃあっ!」

《——函・展開。断絶・消滅。——始動》

光球と光刃に翻弄される四人のそれぞれの空間が、"閉じる"。
目に見えない消滅の危機を必死に回避する四人。
マミのマスケット銃の銃身が、『存在するという因果』を削除されて消滅。
ほむらも同様に髪を持っていかれた。

「はぁっ、はあっ……! 強すぎる……!」

息を切らせて闇を睨むほむら。

「さて、そろそろ終わらせようか。この星が絶望のるつぼとなって、宇宙のエネルギー源となれることを歓んでほしい。
 今までありがとう。君たちは実に役立ってくれた。これでようやく僕の役目もおしまいだ」

白い獣が無表情で邪悪な言葉を吐いた。

「君たちともお別れだね。さようなら———消せ」

闇が立てた人差し指の先に火が灯る。
同時に燃え上がっていた炎がそれに吸い込まれる。
闇は無傷である。

《——転移》

煙を残して火が消えた。

「っきゃあああああ!?」

マミが突然炎に包まれる。

「マミ!?」【マミさん!】「マミ!」

治癒の途中で立ち上がろうとしたさやかを光球が取り囲む。

【くっ———……!】

「マミ、あぶねえッ!」

迫った光刃を杏子が槍で受け止める。
だが、その槍もろとも切り裂かれる杏子。

「ちく、しょう……ッ!」

「杏子! マミ! さやか!」

血を迸らせて倒れた杏子。
火に焼かれてのたうち回るマミ。
体中を魔力線で撃ち抜かれたさやか。
ほむらは愕然としてその惨状を見つめた。

《——函・展開》

光球と光刃が掻き消える。
リボンが灰になって解けた髪をなびかせて、闇は両腕を大きく広げた。

《——断絶・消滅》

喪失の予感に蹴り飛ばされてほむらは駆け出した。

「あああああああああああ!」

血を流して意識を朦朧とさせている杏子をひっぱり、マミに抱きついて消火を試みる。

「さやか! さやか! さやかああああああああっ!」

すこし離れたところで、さやかは穴だらけになって倒れていた。
なにも聞こえない。
空間が分離されたのだ。

【ちぇっ……これでおしまいか……】

ほむらが駆け寄ってくるのが視界の端に見えた。
ぼろぼろと涙をこぼして、傷だらけで、髪も切られて、そんなほむらにさやかは、

【へへっ……美人が、台無しだよ……。ほむら……】

微笑みながら涙を流した。

《——始動》

【まどか、ごめん———】

暗転。

28




「          」




 


29

「………!?」

"閉じた"と思われたさやかの空間が光に包まれる。
くずおれたままほむらはその光景を眺めるだけで動けなかった。
光が収まる。
そこには、さやかと、


「———終わらせないよ」


まどかの姿があった。

制服姿で、さやかの手を握っている。さやかは残っている右目を見張った。

【まどか……!? ほんとうに……!?】

「うん。ほんとうだよ、さやかちゃん」

ゆっくりとまどかが立ち上がる。

「まどか! まどかぁっ!」

「うん、ほむらちゃん。だいじょうぶだよ」

なんとか火を消し止めたマミが杏子に治癒魔法を施しながら、口を開く。

「鹿目さん、あなた、魂を食べられたんじゃ……?」

「そうだね。鹿目まどか。君は概念に魂ごと呑み込まれたはずだ。
 君という存在は反転して組み替えられ、二度と"あり得ることがなくなった"のに、なぜ君はそこにいる?」

赤い目をした獣に、まどかが向き直る。

「あなたにはわからないよ。インキュベーター」

「どういうことかな。鹿目まどか」

「魔獣の"心"だよ」

「魔獣だって? ……あれは円環の理のはずだ」

「そいつぁてめえの勘違いだ」

苦しそうに半身を起こす杏子。

「杏子、君はなにか気付いているようだね」

「アタシだけじゃねえよ。誰にでもわからあ。円環の理はただの概念、なにかをしようなんて”意志”を持ってないんだよ。
 てめえが支配したと思ったのは改編する力じゃねえ、まどかの魔獣なんだよ」

「……ふむ。疑問点は残るけれど、とりあえずあれは魔獣だということにしておこう。
 けれど、まどか。君は、まさか、魔獣に心があるとでもいうのかい?」

「そうだよ。魔女にも、魔獣にも、みんな心がある。たしかにわたしは魔獣の心に飲み込まれた。
 でも、インキュベーター。あなたが魔獣の心を消して支配したから、わたしは出てくることが出来たんだよ」

獣がしっぽをゆらめかせた。
沈黙。
誰も動かない。

「なるほど。魔女が魔獣を生み出したように、因果も魔力も失って、ぬけがらになることで形象を奪還した、ということかな」

「やっぱりそういう理解しか出来ないんだね。だから、あなたにはわからないっていったんだよ」

「それで、君はなにをするというのかな? 魔法も使えないのに戦う気かい?」

「わたしの武器は魔法じゃないよ。本当の武器は心なの」

胸に手をあてるまどか。

「心? そんなちっぽけなもので世界を救えるとでも?」

「たしかにひとりの心はちっぽけかもしれない。
 でも、わたしたちの心はつながってる。家族と、友達のみんなと。大好きで、とっても大事なひと達と!」

四人を振り返って、まどかは笑った。
そしてまた白い獣に向かって言葉を続ける。

「誰かがわたしのことを思ってくれていたら、たったひとりでも忘れずにいてくれたら——わたしの心は消えない。
 つながる心が、わたしの力だよ!」

世界に光が満ちた。

30

【ここは……】

いつのまにか傷の癒えている四人が辺りを見回す。
そこは、星々に囲まれた、宇宙空間である。

「みんな。安心してね」

「鹿目さん、その姿は……!」

まどかは通常の魔法少女とは違う姿になっていた。
背丈を越えた髪に、真っ白なドレス。

「まさか……ありえない。どうしてだ、鹿目まどか。君はすべての因果と魔力を失ったはずだ。
 それなのに、なんだその姿は。なんだその魔力は。なぜ君がそんな力を持っている!」

白い獣が常にない調子でわめいた。

「うるせえやつだな、なんでもかんでもテメーの計画通りにいくと思うなよ!」

「インキュベーター。これが信じる心が起こす奇跡だよ」

「……いいだろう。君が信じる、その心も、奇跡も、すべてエネルギーに変えてあげよう!」

獣がしっぽを立てる。
がくんと魔獣が両腕を前に突き出した。

「くる……!」

弓を構えようとするほむらをまどかが制した。
ふわりと浮かんだまま、前へ出る。

「だいじょうぶだよ、ほむらちゃん。わたしを信じて」

《——円・展開。極光・還元。——始動》

魔獣の両腕に出現した光輪から無色の波動が解き放たれる。
因果を逆算しながら空間を食い荒らす光だったが、

「いくら因果を操っても、むだだよ」

まどかの直前で爆ぜ散る。
勢いを減衰させられた爆風がそよ風のようにまどかの長い髪を揺らした。

《——檻・展開》

昏い稲妻による檻がまどかを閉じ込める。
鋭い目つきでそれを見回すまどか。

《——爆裂・蹂躙。——始動》

檻の中で十を越える爆発が起こり、その狭い空間を埋め尽くした。

「まどか!」

檻が消滅し、熱と煙が外へと弾ける。
それを吹き払ったのは半透明の翼。一対のそれが、ふわりと広がった。

「おそれないで。願いを信じる限り、希望は消えない」

焦げひとつないまどかが、静かに微笑んでいる。
その後ろで四人は驚きのあまり絶句していた。

「——だから、もうおしまいにしよう?」

《——線・展開。終焉・滅亡》

銀色の線が魔獣とまどかを繋いだ。

まどかが弓を構える。

《——始動》

すべてを滅ぼす因果関数が周囲の空間を歪めながらまどかへと展開。
魔獣とまどかを繋ぐ線に紫電を散らして魔力が充填される。

【まどか!】「おい!」「まどかぁっ!」「鹿目さん!」

もたらされる滅びの恐怖に、悲鳴のように名前を呼ぶ四人。
前を向いたまま、まどかは少し笑った。

「だいじょうぶだよ。——フィニトラ・フレティア」

瘴気が吹き荒れ、真っ黒な絶望の瀑布が耳を聾する轟音をあげながらまどかへと侵攻する。
同時にまどかの放った矢が線を逆向きに翔け、滅びの因果を打ち消していく。
瀑布を中和した矢が、棒立ちの魔獣に突き立った。

《———!》

「まさか——……!?」

動揺するキュゥべえ。
光が爆発した。

31

「………」

光が収まる。
通常の魔法少女姿に戻ったまどかが見つめる先には、だれもいない。

【たお……した……?】

「まどかぁっ!」

ほむらが駆け寄り、まどかを抱きしめる。
まどかは頬をゆるめて、ほむらの背中に手を回した。

「ごめんね、ほむらちゃん。ありがとう」

「まどか、いいのよ、まどかが無事でいてくれさえしたら、私は……っ!」

目から涙をあふれさせるほむら。

「けけ。泣いてやんの」

「よかったわねぇ、ほんとに……ぐすっ」

「マミもかよ!」

「やられたね。まさしく君たちは魔法少女だ。君たちについて、僕らはもっと研究を重ねなければならないようだ」

【もう諦めなよ。アンタたちはとっとと自分の星に帰って、別の方法を探すべきなんだってば】

「そうはいかない。魔法少女から発散される祈りのエネルギーはこれから研究をすすめて、最も効率の良い宇宙の延めぎゅっ」

「!?」

真っ黒な手が虚空からはえて、キュゥべえのからだを握りしめた。
全員の視線がそちらに釘付けになる。

【え……】「まさか……」「嘘だろ!」

どろどろと世界が暗転。

《——あっはぁ……♪》

澱んだ笑顔で、まどかの魔獣がたたずんでいた。

終焉の魔獣。
その性質は滅亡。すべての物語を絶望で終わらせる。
因果を司り、万物を呪詛で塗りつぶして世界の幕を引くだろう。

「……!」

「おや。これはもしかして、まどかの攻撃で僕の拘束が解けてしまったようだね。
 ということは、ここにいるのは正真正銘、因果律を司る魔獣というわけかい。
 ねえ、君にひとつ訊いていいかな?」

《あはは……わたしねぇ、今すっごく怒ってるんだぁ……。
 でも、冥土の土産に、ひとつくらいなら答えてあげるよ?》

「君は、いつ、どうやって、僕が析出させた世界改編の力、円環の理という概念をその手にしたのかな?」

油断無く五人がそれぞれの武器をかまえて注視する。

《簡単だよ。わたしが、鹿目まどかより先に結界に入り込んで、取り込んじゃったんだよ。それで、神の力を手に入れたんだ。
 だって、わたしも『鹿目まどか』だからね》

「なるほど。対称転写体である魔獣だからこそ、まどかだけのはずの力を取得することができ」

ぐしゃ。
軽い音をたてて、魔獣がせりふの途中で異星人を握りつぶした。

《質問には答えたから、もう壊しちゃっていいよね♪》

沈黙したキュゥべえの死骸に膨大な魔力が注ぎ込まれ、内側からその”『それ』が『それ』であるという因果”を改編されていく。

「!」

高濃度の瘴気と化したキュゥべえがさらりと宙に溶けて消えた。

《えへへ……さぁ、次はあなたたちの番だよ》

【させるわけねーでしょ! もっかいやっつけてやる!】

神速でさやかが魔獣に肉薄。剣を振り抜く。
魔獣はその手をさやかに伸ばした。

《魔獣同士、仲良くしようよさやかちゃん!》

「さやかちゃん! だめッ!」

確実に首を刎ねたと思われた刃が魔獣に触れた部分だけ消失。
振り切られた剣は半分以下の長さになって、残った部分も連鎖的に崩壊していく。
かしゃんと澄んだ音を立てて刃先が床に落ちて砕けた。

【!?】

柄だけになった剣に目を剥いたさやかの左肩に魔獣の細い指が触れる。
じわりとそこが黒く濁った。

【あっ?】

さやかが柄を取り落とす。
だらんと下げられた左腕には力が入っていない。

ぱあん!

前置きもなしに放たれたマミの銃弾が魔獣の額に触れて、それだけだった。
顔を上げた魔獣がにたりと笑う。

《キュゥべえの拘束もなくなって、今度こそわたしがすべての因果律を支配してるんだよ!
 ただの攻撃がわたしに通じるわけないよね!》

勢いよく跳び退ったさやかと入れ替わるようにして杏子が前進。

「だらァッ!」

炎をまとった槍が投擲されるが、それも魔獣の腹に消える。
驟雨のように降り注いだほむらの矢も同様である。

「なんなの、こいつは……!」

《えへへ♪ わたしは鹿目まどかの魔獣だよ。すべてを滅ぼす魔獣。だから、鹿目まどかはすべてを滅ぼす存在》

「いいえ! 違う、違うわ!」

銃口を突きつけてマミが叫ぶように否定する。

《違わないよ、マミさん。ねぇ、そうでしょ『わたし』?》

「っ!」

まどかは眉間にしわを寄せながら矢を放った。

《あはは! ムダだよ! わたしは因果を操る円環の理を従えてるんだから! もう、誰にも、わたしの邪魔をさせないよ!》

無造作にその矢を手で受け止め、吸収する魔獣。

【くそぉっ! どうしてよ! どうしてあんたこんなことすんのよ!】

存在の内側に撃ち込まれた崩壊因果に快復を阻止されつつも、なんとか施術するさやか。
だが左腕はいっさい動かない。
魔獣は嗤った。

《どうして? ふふ。わかりきってるよね! わたしは、すべてを救済しようとする鹿目まどかの魔女の対称として生まれたんだ。
 『わたし』がみんなの幸せを願う限り、わたしはみんなを絶望させ、祟り、滅ぼすんだよ!》

まどかが唇を噛んだ。

「知るか! くたばりやがれッ!」

あるのかないのかもよくわからない床を蹴立てて杏子が疾駆する。

「杏子ちゃん! 待って!」

《あはぁ…♪》

突き出された槍をその身に埋没させながら魔獣が杏子の腹の辺りを撫でる。

「なんっ……だッ!?」

急に杏子はへたりこみ、立ち上がれなくなった。

「ちくしょうっ、足が動かねぇっ!」

「杏子!」「佐倉さん!」

《あはは。ひとの心配してる場合じゃないよね》

輪郭のぶれた魔獣の腕が距離という概念を書き換えてふたりの腹に触れる。

「っ!?」「あぁっ!」

マミが横に倒れ、ほむらは膝をついて頭を垂れた。
にたりとした魔獣がゆっくりとまどかへ歩み寄る。

《わたしの勝ちだよ、鹿目まどか》

「………」

「逃げろ……まどかァっ!」「鹿目さん!」「まどか! 逃げるのよ!」

《どこに逃げるっていうの? えへへ、ここは世界の狭間。あらゆる世界から隔絶した虚無の領域。誰も助けにこないし、どこにも逃げられないよ!》

【——あんたを倒せば出られるんでしょ】

魔獣の前にさやかが立ちふさがる。
左手は動かせないまま、右手だけで剣を握っている。

【あんたを倒せば元に戻るんでしょ。いつもの生活に戻れるんでしょ。みんな幸せになれるんでしょ!】

さやかの双眸が赤く煌めく。
彼女は絶叫した。

【そうなんでしょ? そうだって言えよッ!】

暴風のような瘴気を伴ってさやかが魔獣の背後に一瞬で移動。

【りゃあああアアアアアアアッ!】

吼えながら斬りつけるも、やはり魔獣に触れた刃は消失してしまう。

《あははっ! さやかちゃんはほんとに面白いことをいうよね! わたしを倒せば元に戻る? みんな幸せになれる?》

魔獣の裏拳を躱してさやかが次の剣を抜き放つ。
蒼く輝いた刃が魔獣の右足刀を受け止めた。

《そんなわけないよね! だって鹿目まどかはもうすぐ消えちゃうんだからさ!》

【なッ!?】

ふわりと宙を舞った魔獣が振り下ろす左足を避けたさやかの右胸に、仄暗い矢が突き立った。
軽い音がして、矢を中心にさやかの身体が抉りとられる。

《わたしのなかの円環の理がね、因果の糸を巻き取り尽くせば、鹿目まどかはもう存在していられなくなるんだよ》

さやかの右腕の肘から先だけがぼとりと床に落ちた。

骨と肉を露出して、血と内臓を撒き散らしながらさやかが床を転がる。

【あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!】

「さやかちゃんっ!」

まどかが駆け寄ろうとするが、魔獣に行く手を阻まれる。

「てめえっ!」

足の動かない杏子が上体だけで槍を投擲。
背中でその槍を受けてそのまま吸収し、魔獣はため息をついた。

《ムダだっていうのが、わからないかな!》

距離の概念を書き換えて魔獣が杏子のそばに転移する。
背中を蹴飛ばしてうつぶせに倒して、そのまま片足を乗せた。

「てめ——ぉごァッ!」

《杏子ちゃんにかかる重さの概念を書き換えてまーす♪ どこまで耐えられるかな?》

「ぐぁ……ぉぇ……!」

「さ——くら——さん……っ」「杏子ぉ……!」

武器を構えようとするマミとほむらの胸の中心から魔獣の腕が生え、口を塞ぐ。
ふたりは床に倒れたまま、もはや見ていることしか出来ない。

《おぉーけっこう耐えるね! 人間ってすごいっ。はいじゃあもう一声〜♪》

骨が砕け内臓が潰れる音が響いて、どこへとも知れぬ場所へと消えた。

「ごぼォッ!」

杏子が血を吐いた。
魔獣が嗤いながら足をどける。しかしもう杏子は動けない。

「うあああああああああ! ぎっ、がはっ、ぐううああああああっ!」

《痛覚さんが仕事できるようにサービスしておいたよ杏子ちゃん♪》

吐血しながらのたうち回る杏子には魔獣の言葉を聞く余裕はみじんもない。

「もうやめて!」

悲愴な顔つきでまどかが叫ぶ。

「わたしが死ねば、それでいいんでしょ? だからもう、みんなにひどいことしないで!」

《……えへへ。何を言ってるのかわからないなぁ?》

「!」

《もう鹿目まどかの魂なんて必要ないんだよ。わたしにはもう、なにもかもがあるんだから》

半身を喪い、片腕を不随にされ、治癒魔法も阻害され、倒れて痙攣するしかないさやかの頭を蹴って、魔獣がまどかに再び近付く。

「そ、んな……」

《でも、そうだなぁ、わたしのお願いを聞くなら、考えてあげてもいいよ?》

「なにを……?」

《えへへ、じゃあね———ほむらちゃんを殺して》

「な……!?」

《あなたの手でほむらちゃんを撃ち殺して? そしたら残りの三人は助けてあげる》

「そんなこと……っ!」

まどかの前に立って、魔獣は至上の愉悦をおぼえたように笑んだ。

《早くしないとさやかちゃんも杏子ちゃんも苦しいままだよ? それともマミさんも同じ目に遭わせないと決められないかな?》

「やめて!」

目に涙をためて、まどかがほむらのほうを見る。
ほむらも同じように目を潤ませて見返し、決意をこめて頷いた。

「……っ!」

マミが叫んでいる。しかしそれは、声にならない。
ほむらはゆっくりと目を閉じた。
——ごめんなさい、まどか。
静かに心の中で謝る。
——貴女にこんな辛いことをさせてしまって、ごめんなさい。

まどかが小さく震えながら弓を構え、ほむらを狙う。

《あぁ……すごくイイよ、ふたりとも。最高だよ!》

「ほむらちゃん」

「………」

「ごめんね」

目を瞑ったままほむらはぽろぽろと涙を零した。
頬を伝い、おとがいから垂れて、その滴が真っ暗な床に落ちた。
まどかが矢を放った。

32

——ああ、そうだった。

覚悟を決めたほむらの瞳を見て、まどかはキュゥべえの謀略に気付いたときのことを思い出した。
改編された世界を調べるにつれて予感だったものが予想に変わり、
杏子が惑わされ、ほむらが苦しめられるに至ってそれは確信になった。

それは、ようやく手に入れた幸せな生活を、再び絶望の淵へと引きずり込む謀略だった。
だから、その計画を崩してみんなを幸せにしようと思った。
もう二度と失わない、本当の幸せに。

そのためには、諦めない。
みんながずっと笑顔でいられるようにするまで、諦めない。
絶対に、みんなを幸せにしてみせる。
そう思った。

「ほむらちゃん」

思い出したよ。
みんなを幸せにするんだ。
もしかしたら、わたしは消えてしまうかもしれないけれど、それでも。
だから、

「ごめんね」

泣かないで、ほむらちゃん。
わたしが必ず、この魔獣を倒すから。
そして、皆を幸せにするから。

33

まどかの放った矢は、魔獣の胸に突き刺さり、一瞬で吸収された。

「!」

《……これは、どういうことかな》

怒りをにじませた台詞に、まどかは強気な笑顔を見せた。

「言ったでしょ。わたしはみんなを幸せにするまで、負けないって」

ほむらが目を見開いた。

《鹿目まどか……ッ!》

自分を睨みつける魔獣に向かってまどかはありったけの力をこめて矢を束ね射つ。

それら全てを右手でたやすく受け止めて、嘲笑する魔獣。

《あはははッ! なんて無力! なんて小さいの! 弱い、弱い、弱いよ鹿目まどか!》

「わたしは! 諦めないよっ!」

光輝く矢を射ち続けるまどか。
苛立たしげに魔獣が左手で指を弾く。
魔力で形作られたまどかの弓矢が爆発した。

「あうっ!」

倒れそうになったまどかだが、こらえて再び弓矢を作り出し、構える。
血だらけになった指が震える。

《いい様だね! そんな体でどうしようっていうの? 滅んじゃえ!》

魔獣が暗い弓を構えた。
矢を引きずり出す。
息を呑むほどの魔力がどろどろと拡がり、魔法陣が展開される。

《心も身体も魂も、みーんな一緒に消し飛ばしてあげるよッ!》

「……っ!」

苦し紛れに放たれたまどかの矢をぱくりとお菓子のように食べて、魔獣は嗤った。

《あは♪ ——フィニトラ・フレティア!》

34

矢を放とうとした魔獣の指先でばきりとそれが二つに折れる。

《!?》「!」

驚いた魔獣の右腕が腐蝕したかのように落ちる。
瘴気とは異なる、純粋な魔力がごうごうと逆巻き、魔獣を飲み込みだした!

《どうして!? 神の力を手に入れたのに!》

「……!」

《円環の理っていったい……———!》

もがいていた魔獣の声が途切れる。
我に返ってまどかが油断なく矢をつがえる。

「まどか……これは……」

自由を回復したほむらがよろけながら立ち上がる。
マミは杏子に駆け寄り、治癒魔法をかける。

「なにが……ごほっ、起こった……?」

「わからないわ。でも魔獣は力を失ったみたいね」

さやかは倒れたままである。
恒常治癒魔法が損壊した身体を快復していく。

【………】

魔力の嵐が止み、『なにか』が姿を現した。


《———ひどいよ……こんなの、あんまりだよ……》


まどかが目つきを鋭くする。
それは、小さな少女だった。
見たことのない、無個性的な、幼い子供だった。
暗闇のなかに座り込んで、涙を流している。

「これは、」

「”円環の理”、そのものだね」

「こんな、小さな女の子が……?」

ほむらとまどかの会話を聞いて、杏子が歯を食いしばりながら立ち上がる。
マミは施術を続けながらマスケット銃を取り出した。

《いやだぁ……もういやだよ》

「まどか……、あの、これはどうすれば……」

「うん。あの子を倒さなきゃいけないん、だよね」

【——そうだよ】

ゆらりとさやかが立ち上がった。

「さやか! 貴女まだ治癒し切ってないでしょう」

再生した右手で剣を抜いて歩き出すさやかにほむらは駆け寄る。

【こいつを倒して、早く帰ろう。それでいいんでしょ】

「そうだけど、さやかちゃん、慎重に……」

【こんなの叩き斬っておしまいでしょ!】

幼子の前に立って剣を振り上げるさやか。
ほむらがその腕を掴む。

「さやか!」

【……ごめん。わかったよ、ほむら】

幼子が前兆もなしにがばりと顔を上げた。眼球が欠落している。

《もう———イヤアアアアアアアアアアアアアッッッ!!》

「!」【!】

絶叫とともに謎の光が襲いかかる。

【なに、これっ!?】

円環の理からの攻撃の正体が掴めない!

「は、え? なに、私……?」

ほむらが一歩下がってへたりこんだ。
涙が止まらない。

「きゃああああっ!」

「マミ!?」

マスケット銃を取り落とし、マミが頭を抱えて倒れる。

「いやっ! やめてぇ! こんな、こんなの見せないでッ!」

マミの脳内にはあらゆる魔法少女の末路が注ぎ込まれているのだ。
血の気が引いた顔でまどかが呟く。

「制御を失って、円環の理が崩壊し始めてる……このままじゃなにもかもめちゃくちゃになっちゃう!」

【このッ!】

己に斬り掛かるさやかを幼子は呆然と見上げた。
同時に発生した激烈な魔力反応にほむらと杏子が息を呑む。
暴走する魔力が爆発を起こす!

【う———っ!?】

真っ正面から熱と風を受けたさやかはなす術無く吹き飛ばされた。

「さやかちゃん!」

「くそッなんだこの化け物!」

杏子が円環の理へと駆け出す。
出現した赤銅色の鎖が幼子を縛り付けた。
槍を投げつけようと振りかぶる杏子。

《イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!》

宇宙の因果律が乱れる!

「な、んだと……ッ!?」

糸が解けるように杏子が魔力を喪失。
鎖と槍は消え去り、格好も私服に戻ってしまった。

「嘘だろ、おいっ!?」

慌ててソウルジェムを掴むが、宝石は光を無くしている。

【ゴアアアアアアアアアアッ!】

稲光になったさやかが円環の理に接近。
蒼く光り輝く刃が幼子に深く沈み込む。

《クルシイ……クルシイ……》

魔力線が吹き荒れ、さやかの身体を削り取る。

「さやか! もうやめて!」

【オオオオオオオオオオオオオオオオッ!】

咆哮するさやかの剣が矮躯を両断せんと食い込む。

《イタイ……クルシイ……。……チガウ……》

さやかの真っ赤な瞳に少女の笑顔が映った。
目のない黒々とした眼窩に吸い込まれそうな恐怖を覚える。

「さやかちゃん!」

火花が弾ける。
次いで真っ黒な魔力の奔流が雷鳴のような轟音を伴って発射された。

【ギアアアアアアアアアアアッ!】

絶叫するさやかの双剣が光を増し、凄絶なほどの魔力に対抗しようとする。
しかし、

《キ モ チ イ イ ……》

苛烈に過ぎる魔力負荷に剣が折れ砕け、さやか自身も声すら失って、後ろに倒れた。
後ろにいたほむらも巻き込まれ、床に打ち付けられる。

「まどか! こいつ……!」

「ごめん杏子ちゃん……、もう、わたしにも力が残ってないんだ。もう、倒せないよ……っ!」

「チクショウ……どうすればいいんだ……!?」

マミは目を固く閉じ、いやいやというように頭を振っている。
杏子は魔法を使えなくなり、治癒も不完全だ。
ほむらは涙が止まらず、全身に力が入らない。
さやかは魔力を使い果たし、満身創痍である。
まどかも弓矢を形作るのが難しいほど、消耗している。

《トモダチ……ウレシイ……》

天から降り注ぐ光がすべてを滅ぼす!
爆撃されたかのような衝撃に五人は枯れ葉のように吹き散らされた。

《  アー  アー  アー  》

円環の理は座り込んだまま、無邪気に笑っている。
痛みで目の醒めたマミが驚きの声を上げた。

「鹿目さんっ! 腕が!」

「……時間、だね」

まどかの腕が色を失い、消え始めている。
因果の糸をすべて巻き取られる時が、近付いているのだ。
持っているという因果がなくなり、弓矢が床に落ちて消える。

「まどか! お前っ!」

「そんな……いやよ……まどかぁっ!」

傷だらけの杏子がまどかに駆け寄り、肩を掴む。
ほむらも続こうとするが、立ち上がることすらかなわない。

「杏子ちゃん、離れて」

「なに言って……これは、オイまどか!」

まどかの存在の内側からぞろぞろと黒い糸のようなものが生え出て、まどかの身体を覆っていく。
糸が杏子のほうにも伸びて巻き付こうとしてきたので、慌てて振り払い、飛び退く。

「この魔力パターン……、——まさか、魔女なの!?」

「円環の理が暴走することで、なかに封じられていた魔女が出てきてるんだと、思います」

「なに冷静に言ってんだまどか! くそっまどかから離れろよォッ!」

マミが立ち上がり、銃を構える。
狙うのは幼子のような姿をした円環の理である。

「この子さえ倒せば……!」

一発、二発、さらに何発も幼子に銃弾が叩き込まれるが、笑っているばかりでまったくダメージがない。
ぽとりとマミが銃を取り落とす。

「マミ! しっかりしろ!」

「ち、違うの、佐倉さん……私、も」

「マミ!?」

マミの両手がほろほろとリボンになって落ちていく。
恐怖に彩られた表情でマミは杏子を振り返る。

「嘘、だろ……」

「いや……いやよ……。佐倉さん、助けて、佐倉さん……私、魔女になりたくない……!」

「うッ」

ざわざわと黒い糸に飲み込まれるまどかの向こうで、ほむらも下半身を砂に変えていた。

「ほむら! なんだこれ、なんなんだよ!」

「ごめんね、みんな——ありがとう」

「やめろよまどか! まだだ、あいつを倒せばいいんだろ! 魔法なんてなくたって——うァッ!」

杏子の右腕と右足が火の粉となって飛び散る。
どさりと倒れた杏子の髪が燃え始める。

「佐倉さん……! もう……わた、し、意、識……が……あぁっ」

頭もリボンに変わってしまったマミの残された胴体と両足がくたりとくずおれ、すぐにリボンの山に変わる。

「ま、ど、か……さい、ごに……」

ばさぁっ。
ほむらがすべて砂に変わる。

【——悪ヲ、斬ル……!】

その砂を踏んで、幽鬼のようにさやかが立ち上がった。

「さや、か。お、ま、え……アタシ……ごめ」

杏子が燃え尽きた。

《ウレシイ……キ モ チ イ イ ……》

四方から飛来した真っ黒な剣が円環の理に突き刺さる。

【オオオオオオォォォォォォォッッ!!】

魔風となって幼子に飛びかかったさやかがその一本を掴んで切り裂きながら抜き放つ。

《  アー  アー  アー  》

【ゴボォッ!】

全身に禍々しい紋様を刻み込んださやかが口からまだら色の粘液のようなものを嘔吐した。
ぺっと吐き出したのは目玉である。

粘土細工のような幼子からは血が出ない。
笑顔のその下の細い首にさやかは両手をかけた。

【ウウウウアアアアアアアアアアアッ!】

眼球の無い少女は笑い続けている。
さやかの左腕が前兆もなしに黒い水と化した。

《イタイ……ウレシイ……》

さやかの後ろで魔力が燃え上がり、火炎のなかから突き出された巨大な槍がさやかを貫いた。

【グオオオオオオオオオオオオオッッ!】

灼熱の穂先はさやかの背骨を両断して、右の脇腹まで達していた。

さやかは右手でずるりと引き抜いた剣を炎の塊へと投げつける。
そして今度は幼子の顎に手をかけて喉笛に喰らいついた。

《          》

さやかの下半身が、続けて右腕も液化して滴り落ちる。
胴と首だけになったさやかがそれでも幼子の喉を喰いちぎり、床に落ちた。
円環の理の真っ暗な眼窩と、さやかの真っ赤な双眸が、一瞬見つめあった。

【……ちくしょう】

掠れた声を最後に、ばしゃりとすべてが黒い水に変わった。

リボンはくるくると丸まり宙に浮かびだす。
炎は人馬となっていななく。
砂から身をもたげたのは、黒色のローブと帽子。
黒い糸はいつのまにか少女の形をとっている。
さやかだった水から、鎧篭手が生まれた。

幼子は、円環の理は、ただ笑っている。
そうして、魔法少女たちは魔女と堕したのだった。

35

その、少し前。
因果を失い、魔女に飲み込まれつつあったまどかは、目を瞑り両手を組んで祈っていた。

わたしはもう、世界と繋がっていないかもしれない。
——でも、心は、魂は、みんなと繋がってる……!
そう信じてる!
だから、この祈りも誰かに届くって、わたしは信じてる。

お願い……。
みんな……、祈って……!

奇跡を———

———
——


まどかとさやかの親友、志筑仁美は日本舞踊の稽古の途中であった。
しかし、突如背中を走り抜けた寒気に腰を抜かして座り込んでしまう。

「志筑さん? どうかしましたか」

それには応えられず、仁美は胸がからっぽになったかのような喪失感に震えた。

「まどかさん……さやかさん……?」

座り込んだまま、仁美はふたりの親友の無事を強く祈った。

まどかは闇のなかにいる。

誰か……届いて、この祈り……!

奇跡が起こることを信じるんじゃない。
信じることで、奇跡を起こすんだ——!
みんなの、力で……!

———
——


バーでひとり杯を傾けていた、まどからの担任早乙女和子は、目を見開いた。
握っていたグラスが力も入れていないのにぱあんと音を立てて割れたからだ。
慌てて怪我が無いか確認してくるマスターに目もくれず、和子は恐ろしい予感を覚えた。

「まどかちゃん、さやかちゃん、ほむらちゃん……!」

グラスの破片を握り締めて、和子は教え子たちの無事を強く祈った。

円環の理は、敵じゃない。
わたしたちの本当の敵は、わたしたちのなかにいるんだ。
それが集まって円環の理ができてる。
呪いと祟りはわたしたちのなかにあったものなんだ。

汚くて、怖くて、見たくないもの。
そういったものをみんながちょっとずつ捨てていって、この世界の絶望はできている。
誰かひとりが悪いんじゃない。
わたしたちの、小さな小さな弱さが、暗いところで芽を出すの。

それが、魔女なんだ。

———
——


さやかの幼馴染みにして恋人の上条恭介は、自室でひとりダーツに興じていた。
集中して投げたダートがボードの中心に刺さったと同時に、ぴしりと音がした。

「?」

振り返った恭介は、さやかと二人で撮った写真の入ったガラスケースがひび割れているのを見た。
なぜかさやかが遠いところに行ってしまったように感じて、

「さやか……」

恭介は大切なひとの無事を強く祈った。

わたしたちは、自分のなかに絶望を見つける。
呪いを見つける。
祟りを見つける。

わたしたちはそれから目を背けたくなる。
なかったことにしたくなる。

でも、それはなくならなくて。
今、ここにあるんだね。

———
——


まどかの家族は仲良くご飯の片付けをしていた。
詢子と和久は怪訝そうに首を傾げた。
タツヤがぺたぺたとひとりで歩いて、空に手を伸ばしたからだ。

「ねーちゃ?」

「えっ?」「どうしたんだ、タツヤ」

「ねーちゃ! ねーちゃ!」

「まどか?」「……まさか」

両親は、ここにいない愛する娘の身を案じて、その無事を強く祈った。

魔女が呪いと祟りを生むんじゃない。
ひとの呪いと祟りが、魔女を生むんだ。

わたしたちに必要なのは、そうやって生まれた魔女を退治する力じゃなくて、
自分のなかの闇と向き合う勇気なんだよね。
ひとりひとりが自分自身と向き合って、そしてその内にある闇を受け入れることで、
この世界の絶望は減らすことが出来る。

だから———、
みんな、お願い。
闇をおそれないで。

36

鹿目まどかは、祈り続けた。

37

——えへへ。そんなきれいごとで誰が救えるのかな?

闇に包まれたまどかの前に、終焉の魔獣が現れる。

——わたしはね、みんなを幸せにしたいんだ。

——ムリだよ。

——ムリじゃない。魔法少女だけじゃない、人間だけじゃない。魔女も、魔獣も、みんな幸せになれるはずなんだよ。

——夢物語だね! 魔女も、魔獣もひとの弱い心から生まれる。絶望を抱いた人間がみんなそれを乗り越えられる訳じゃないんだよ!

——そうかもしれない。でも、わたしは信じたい。

——まだ希望があるっていうの。

——希望はあるよ。だって、わたしたちは魔法少女だから!

——……魔法少女はみんなそうやって希望を信じて裏切られ、絶望してきたんだよ。

——みんなじゃない。

——何?

——わたしは自分のなかの魔獣と向き合って、それを受け入れたひとを知ってる。

——まさか、それは

——そう。さやかちゃんだよ。

——……!

——さやかちゃんは自分の弱さから逃げなかった。それを認めて、戦って、そして受け入れたんだ!

——たった、たったひとりだよ。なんの力もない、たったひとりだけ!

——ううん。

——!

——今から、ふたりになるよ。

——あなたも、闇を受け入れられるって言うの……?

——うん。

——ごめんなさい。わたし、自分の弱さから逃げてた。
——きっとこのまま、誰の役にも立てないまま、迷惑ばかりかけていくのかな、って、諦めてた。

——……知ってる。

——魔法少女になって、ちょっとはひとの役に立てたかもしれない。でも、やっぱり迷惑かけちゃった。
——わたしは、みんなを幸せにしたい。わたしの大切なひとたちに、幸せになってもらいたい。

——欲張りだね。

魔獣は苦笑した。まどかも笑う。

——諦めたくない。ムリかもしれない、大変だろうし、もしかしたら死んじゃうかもしれない。でも、諦めたくないんだ。
——それが、わたしの希望だから。

——そうだったね。あなたは最後まで諦めなかった。

——ねえ。

——うん。

——わたしに、力を貸してくれないかな?

——………。えへへ、あなたが怖くなってきちゃった。これも策略なの?

——ううん。ほんとは策なんてなかったんだ。キュゥべえの好きなようにはさせたくなくて……、ただ夢中だったの。

——あはは。信じられないや。

——えへへ。わたしも。

——……いいよ、チャンスをあげる。あなたに、託すよ。

——ありがとう。

——ま、みんなが幸せになんてなれっこないけどね! あなたが絶望したら、またわたしが世界を滅ぼしてあげる!

——だいじょうぶ。きっと、だいじょうぶだよ。

ふたりはそっと両手をあわせる。
魔獣が光の粒になって、まどかと融け合った。

「いってきます」

38

そのとき、様々な場所、様々な時代で同じことが起こった。

草原の遺跡で、ふたつお下げの少女が。
サバンナの樹の下で、目の下に装飾を施した少女が。
近未来都市の片隅で、クマのぬいぐるみを抱いた少女が。
蒼海に浮かぶ諸島の砂浜で、角のついた兜をかぶった少女が。
黒煙の噴き出す荒涼とした大地で、薄紫のドレスを着た少女が。
戦火熾烈な廃墟で、涙を流す少女が。
多くの人々とともに収容され、運命を待つ少女が。
燃え盛る炎のなかで、なお気丈さを保つ少女が。
砂と石の宮殿を、王たる気品さで歩む少女が。
群衆に囲まれて火刑に処される寸前で、それでも天を見つめる少女が。

そして、さやかが。マミが。杏子が。ほむらが。

強い祈りに導かれるようにして、自らの闇と向き合い、受け入れていく。
円環の理に満ち満ちていた呪いと祟りが、ゆっくりと、しかし確実に、消え失せていく。

《………》

幼子を囲んでいた五体の魔女が、ぼろぼろと溶けるように崩れた。

「さやかちゃん爆誕!」

「くはっ、うるせえ赤ん坊だな」

「私たち、フェニックスみたいね!」

「……眩しい」

それぞれ、魔法少女の衣装ではない格好で、床を踏んだ。

「——みんな」

円環の理の正面に、まどかが降り立つ。
四人は、その姿を見て、

「ぶふぉっ!」「あっはっは!」「か、鹿目さん……」「ほむらが吹いた!」

「え、な、なに?」

「その、頭の上に……」

マミに言われて、まどかは帽子のように魔女の残りかすを頭に乗せていることに気付いた。
慌てて振り落とす。

「ありゃりゃ、似合ってたのに」

「や、やめてよさやかちゃん」

頬を染めて照れるまどか。
ほむらは笑いすぎて咳き込んでいる。

「締まんねえなぁオイ」

「ともかく、これは……」

「はい。円環の理が、力を失いました」

「ようやくおとなしくなりやがったか」

表情を無くした幼子が、ゆるゆると立ち上がる。無傷だ。
純白のドレスの裾をゆるく握っている。

「まどか……」

「もうだいじょうぶだよ」

まどかが幼子に歩み寄り、その手を取る。

すると、うつむいていた顔を上げて、慈しむように笑った。

《ありがとう》

まどかも頷いて笑い返す。

「こちらこそ——」

四人も、それぞれ笑顔を見せている。

幼子が光に包まれる。いや、光そのものになる。
光は、輝きを増しながら頭上へと昇り、きらきらと粒を撒いた。
星空である。


「ありがとう」


辺りを見回すと、見滝原の夜景が五人を迎えるように煌めいていた。

39

「まどかーっ、早く早く!」

「さやかちゃん、待ってよう」

あの戦いが終わって、しばらく経った。
まどか達は平穏な生活を取り戻していた。

「おっせーぞ、まどか!」

「やめなさい杏子」

「鹿目さん、だいじょうぶ、まだ時間はあるわ」

円環の理は完全にまどかと切り離され、祈りのシステムをしっかり遂行している。
まどかは時間遡行によって接続された因果をすべて失い、平凡な魔法少女に戻った。

「ほらほらまどか、どのクレープにする?」

「わぁっ、迷っちゃうなぁ」

「アタシこれな。イチゴショコラブラウニー」

「杏子、けっこう可愛いの好きだね」

「うっうるせーな!」

「あたしはイチゴカスタードチョコにしよ」

「奇遇ねさやか。私もそれがいいと思っていたのよ。でも止めるわ」

「なにゆえ!?」

「なんだか貴女と仲いいみたいじゃない」

「それじゃあ暁美さんは私と同じものにしましょうか♪」

「しかたないわね」

「わたし、杏子ちゃんと同じやつがいいな」

「ああーっ! あたしもあたしも!」

魔獣がいなくなったわけではない。
それでも、出現する頻度も数もぐっと減った。この戦いに終わりが見えたのだ。
魔法少女に希望がもたらされたのである。

「うんっ! 美味しい!」

「さやかちゃん鼻にクリームついてるよ」

「うへえ、ホント?」

「ぶふぉっ! さ、さやか貴女今底抜けに阿呆よ……」

「きったねえ! てめえほむら、食い物を粗末にすんなよ!」

「ほら美樹さん拭いて拭いて」

「あ、マミさんサンキューです!」

「マミ、アタシにも貸してくれ」

「杏子ちゃん、これ使って?」

「おう、さんきゅー」

クレープを食べながら、道を歩き出す五人。

「いい匂いだね」

どこから現れたのか、インキュベーターが目の前を横切る。

「ちっ」

明確に敵意を表しながら蹴りだされたほむらの足をするりと避けて、異星人はため息をついた。

「なにをするんだい。この前のことについてなら釈明は済ませたじゃないか。
 魔女システムを取り戻すことは事実上不可能になってしまったから、今後は祈りのシステムの効率を上げる方法を模索していくって。
 そうすれば、もしかすれば魔獣という前駆体あるいは魔法少女というエネルギー発生端末の片方ないし両方の必要性が無くなるかも、おっとと」

「ちょこまかとうぜーな」

おもむろに杏子が突き出した槍に道の端まで転がされる獣。

「あっち行け! しっしっ」

「ごめんねキュゥべえ、今はあなたを見たくないの」

「やれやれ。相変わらず君たちの思考回路は理解しがたいなぁ。僕としては最大限譲歩しているつもりなんだが」

インキュベーターを無視して歩き出す四人。まどかはひとり振り返って、見下ろした。

「ありがとうね。あなたのおかげで、みんなを幸せに出来た」

「おや。まどかが皮肉をいえるなんて、知らなかったな」

「わたしも、あなたがそれを理解できるとは思わなかったよ」

「当然だよ。僕らは感情を、すなわち君たちを理解しようと努めているからね」

「わたしもあなたを理解しようとしてるんだけどね」

「君は僕の計画を見透かしていたんだろう? 理解する段階は過ぎたと思っていたよ」

「理解しても、けして共感できないことがあるっていうことを学べたかな」

「………」

「………」

「おい、まどかー。置いてくぞー」

獣と睨み合う少女に杏子が声をかける。

「すぐいくよー!」

「じゃあね、まどか。また魔獣狩りの夜に会おう」

「ばいばい、インキュベーター」

40

「ごめんごめん、おまたせ」

「おう。それじゃ帰るかー」

「恭介のとこ寄って帰ろうかなぁ」

「マミ。今日も料理の特訓よ」

「熱心ねえ。もちろんいいわよ!」

交差点で、五人は別れようとしていた。
まどかはふと、思い出した。
円環の理を倒そうとしていたあの日、みんなと別れるときに嘘をついたことを。

もう会えなくなるかもしれない——
それでも、みんなを巻き込まないようにするために、またあした、と言わざるを得なかった。
でも、今は。

「——みんな!」

まどかの声に、四人が彼女のほうを向く。

「あの、あのね」

ほむらは静かに見返している。
さやかはにっこり笑っている。
マミは微笑みながら髪を撫でる。
杏子は八重歯を見せた。

そしてまどかは、息を継いで万感の想いを込めて、言うのだ。

「わたし、もっとみんなと遊びたい!」

「いえーすっ!」「おう!」「もちろん!」「私もよ」

「みんな……」

まどかは一瞬、泣き出しそうに顔を歪め、そして花が咲くように笑った。

「よーっし! そんじゃあほむらん家にいこーっ!」

笑って歩き出すさやかに、頭の後ろで手を組んで杏子が続く。

「ちょ、ちょっと待って」

「ん? 何ほむら、部屋汚いの?」

「だいじょうぶよ暁美さん。私たち、それくらいのこと気にしないわ!」

「いえ、そうじゃなくて、あ、そうそう、そうなのよ」

「じゃあみんなで掃除しよっかほむらちゃん」

「あぁまどか、あの、ありがとう……でもね、ええっと」

「もしかしてほむら、アレ見られたくねえってことか?」

「アレ?」

「ちょっ待ちなさい杏子!」

「ぬいぐるみだよ」

「あら」

「へっへぇー? ほむら、ぬいぐるみとか持ってるんだ?」

「そのにやにや笑いをやめなさいさやか! 杏子も、あれは杏子が持ってきたんでしょう!」

「あー? そりゃあクレーンゲームで取ったやつだけどな。ほむらってば抱いて寝ちゃうくらいお気に入りだもんなぁ?」

「きゃああっ杏子! 黙ってるって約束でしょう!」

「ほむらちゃん可愛い」

「大丈夫よ暁美さん。私も子供の頃は手放せなかったわ」

「私はもう子供じゃない!」

「あっは! ほむらもあたしの嫁になるのだ〜!」

「えへへ♪」

五人は同じ道を歩いていく。
その後ろ姿は、みんな幸せそうに見えるのだった。




      ——Don't forget.

      Anytime,anywhere,

   anyone is fighting with myself.

  ——As long as you remember her,

      you are not alone.






ありがとござましたー

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