弟「ねえ兄ちゃん! 腕を引きちぎってよ!」 (76)

弟「ねえいいでしょ! お母さんには内緒にするから!」

弟「あ、大丈夫! お父さんにも内緒にするよ!」

弟「お願いだよ兄ちゃん! 見たいんだよー!」

兄「またそんなわがままを言う」

弟「だって、そんな事兄ちゃんにしかできないんだよ?」

兄「父さんだってできるだろ」

弟「お父さんもすごいけど、兄ちゃんのほうがもっとすごい!」

兄「仕方ないな……」

  ブチィッ

  ビチビチ

弟「わあ! ちぎれた! 動いてる!」

兄「これ結構痛いんだぞ……」

兄「……フンッ!」

  ニョキ
  
弟「わあ! 生えた! すごい!」

兄「そこは『気持ち悪い』とか言うところではないか」

弟「あ、兄ちゃん! ちぎれた腕が……!」

  ムニムニ
  
弟「すごいや! ヒトデになったよ!」

兄「うーむ、いつ見ても気持ち悪い」

弟「ねえ兄ちゃん」

兄「なんだ弟よ」

弟「このヒトデは、兄ちゃんじゃないの?」

兄「お前にはこれが俺に見えるのか」

弟「でも元兄ちゃんの腕だよ」

兄「切り離した時点でこれは俺ではないのだ」

  ウネウネ

兄「ただのでっかいヒトデだ」

弟「……」

弟「じゃあさ、もしもの話なんだけど」

弟「兄ちゃんの頭を割ったらどうなるの?」

兄「考えたことはあるが、やりたいとは思わないな……」

兄「おそらくだが、俺は死ぬのではないかと思う」

弟「腕とか生やせるのに?」

兄「うむ、今までの経験からして頭はマズい気がするのだ」

兄「どうやら、頭との接続を絶たれた俺の肉片はヒトデへと成長するらしい」

兄「ならば頭が壊れたらどうなるのか、想像することすら憚られる」

弟「はば……何?」

兄「怖くて想像したくないという事だ」

兄「俺は痛いのよりもずっと、死ぬのが怖い」

兄「しかしどうやら、お前は俺と違ってヒトデの血が薄いようだな」

弟「そうなのかな」

兄「まだ怪我が治らないのか」

弟「うん……お母さんに薬、塗ってもらったよ」

兄「そんな小さな傷、俺や父さんならば一瞬だというのに」

弟「やっぱり兄ちゃんはすごいよ」

兄「お前だってすごいさ」

兄「俺と違って、お前の腕は軽く引っ張ったくらいじゃちぎれない」

弟「でも兄ちゃんは簡単に腕を生やせるじゃない」

兄「簡単なようで簡単ではないのだよ」

弟「ふうん」

兄「人と違うということは、それだけで大変な事なのだ」

兄「もしお前がこの先この能力を手に入れても、決して人前で使ってはいけないよ」

弟「どうして? きっとみんな驚くよ!」

兄「驚くからさ」

弟「すごい! って言われるよ!」

兄「だとしても、いや、だからこそ駄目なのだよ」

弟「わからないよ、どうして?」

兄「……ええと」

兄「……人はな、ビックリさせすぎると心臓マヒで死んでしまうのだ」

弟「そうなんだ……!!」

兄「さあ、そろそろ寝なくてはいけない、明日からはお前も学校に行くのだから」

弟「うん!」

  ……

母「さあ、気をつけてね。いってらっしゃい」

弟「うん! 兄ちゃん、早く!」

兄「そんなに急いでも、転ぶだけだぞ」

弟「もう小学生だもん! 転ばないよ!」

母「お兄ちゃん、ちゃんと学校まで連れて行ってあげてね」

兄「……連れて行った後が、一番の問題なんだが」

母「なあに?」

兄「……なんでもない」

兄「行ってきます」

弟「いってきまーす!」

  ……

女子A「……やだ、こいつ生きてたの?」

男子A「なんでまたヒトデ男と同じクラスなんだよ……」

女子B「なんかくさーい」

女子C「もうやだ、学校来るのやめようかな」

男子B「あれがヒトデ男……?」

男子C「そうだよ、ちょっと見てろ」

  スタスタスタ

男子C「よう、ヒトデ男」

兄「……」

男子A「……おーっと、手が滑った」

  ドスッ

兄「……うぐっ……!!」

女子A「きゃぁっ!!」

男子B「指! 指落ちたぞ!」

兄「な、何を……」

男子C「悪いな、事故だよ事故」

女子D「せ、先生呼んだほうが……」

男子A「なーに、大丈夫だって」

男子C「ほら、見てみろよ」

  ムニムニ

男子B「……ヒトデになった!!」

女子B「気持ち悪い! やめてよ!」

男子C「何度見ても気持ち悪りいなー」

兄「……」

男子A「ほら、何我慢してんだよ」

兄「……何を」

男子C「さっさと生やせっつってんだよ」

兄「……そんな事……」

男子A「だからほら、治さないと痛いんだろ?」

  グリグリ
  
兄「……!!!」

男子A「だーかーらーさー」

男子A「……我慢は毒だぜ?」

兄「ううっ……」

  ……ニョキ

女子D「……う……おえっ」

  ビシャッ

女子D「ううっ……」

女子A「ちょっと、大丈夫!?」

女子B「男子が変な事するから!」

男子A「俺達は別に悪いことしてねえよ、なー?」

男子C「悪いのはヒトデ男だよなー」

男子C「あーあ、吐かせてやんのー」

男子A「キモいのは罪だよなー」

兄「……」

男子C「ほら、何座ってんだよ」

男子A「おら、立てよ!」

  ドカッ

  ……

山田君(仮)「ねえ、もしかして君の兄ちゃんって六年生?」

弟「うん、そうだよ!」

弟「優しくて物知りだし、えっと……すごいんだよ!」

山田君(仮)「そっかー」

山田君(仮)「ぼくのお兄ちゃんもね、六年生なんだよ!」

山田君(仮)「五年生のときは、君の兄ちゃんと同じクラスだったって!」

弟「本当!?」

山田君(仮)「うん、だからさ、その、お願いがあるんだ」

弟「お願い?」

山田君(仮)「うん!」

  ……

  ウネウネ

兄「……」

兄「……気を失ってたのか」

  ウネウネウネウネウネウネウネ

兄「ヒトデが売りものになったら、大儲けだな……」

兄「……」

兄「……そうだ」

兄「弟を、迎えに行かなければ……」

  ウネウネ

  ……

ハナタレ「さっき山田君(仮)とトイレに行ったよ?」

兄「山田君(仮)?」

ハナタレ「ええと、山田君(仮)は弟君と席が隣なんだよ」

兄「トイレか、ありがとう」

ハナタレ「どういたしまして!」

  スタスタスタ

兄「……」

兄「ちゃんと、友達ができたのか」

兄「……」

兄「そうか、よかった……」

  ……

  グスッ……グスッ……

兄「……?」

  ギィ

山田君(仮)「ひっ……!」

兄「……ど、どうしたんだ……?」

山田君(仮)「違うの……」

山田君(仮)「あの……生えるってお兄ちゃんが言ってて……」

兄「……血……」

山田君(仮)「だけど、生えなくて……」

兄「……!!」

兄「弟!!」

弟「……にい……ちゃ……」

兄「おいッ!」

山田君(仮)「ひっ……」

兄「先生を……いや、救急車……なんでもいい、人を呼べ!!」

山田君(仮)「……あの……」

兄「早くッ!!」

山田君(仮)「あ……ああ――」

  ドテッ

山田君(仮)「せんせ……せんせい!!」

  ダッ

兄「すぐに、すぐに病院に連れて行ってやる!」

弟「にい、ちゃん……」

兄「ああ! 兄ちゃんだ! 大丈夫だからな!」

弟「……」

兄「お、おい……!」

弟「……にいちゃん、みたいには……」

弟「できな、かったよ……」

兄「……!?」

兄「何を言ってる……!?」

弟「……しっぱい、しちゃった……」

弟「……」

兄「おい……おいッ!!」

  ……

兄「……」

兄「……俺の、部屋……」

兄「……」

兄「夢……?」

兄「……そうだ、弟……」

  ギィ
  
  ペタペタ ペタ

母「……」

兄「なあ、母さん」

母「……なあに?」

兄「弟は、どこ?」

母「……」

兄「今日から学校だから」

兄「あいつ、楽しみにしてたから」

母「……」

兄「……父さん、家に居るなんて珍しいな」

父「……今日くらいはな」

兄「弟が、釣りがしてみたいって言ってた」

父「……そうか」

兄「俺は、うまくできないから」

兄「カモメに襲われるから」

兄「父さんが連れて行ってくれよ」

父「……俺も、襲われるんだがな」

兄「ねえ、父さん」

父「……なんだ?」

兄「あそこに居る人は、誰?」

父「……お前の、おじいちゃんだ」

兄「……はじめまして、おじいちゃん」

爺「はじめまして、ではないよ」

兄「そうなんですか」

爺「お前さんはまだ小さかったからな、覚えていなくても仕方ない」

兄「……あの」

爺「なんだい?」

兄「俺……僕の弟を見ませんでしたか」

爺「ああ、お前のお母さんによく似てる子だね」

兄「はい、今日から学校に行くので」

爺「まだ小さいのに、可哀想にね」

兄「弟は、学校を楽しみにしています」

爺「そうかい、残念だね」

兄「……?」

爺「お前さんの弟なら、そこだよ」

兄「……」

兄「まだ、寝てるんですか?」

爺「違うよ、よく見てごらん」

兄「……」

爺「頬に、触ってごらん」

兄「……」

  ペタ
  
兄「……」

  ペタ  ペタ

兄「……そうか」

  ……

兄「そんなはず無いだろ!?」

医者「蘇生を試みましたが――」

兄「だってほら……見ろよ!」

ナース「君、何を……!」

  ブチッ

兄「……ぐッ!!」

  ニョキ

兄「ほら……! 俺はこんな簡単に腕を生やせるんだ……!」

兄「俺の弟は、そのくらいで死ぬはず無いんだ!」

医者「できる限りのことは……」

兄「死ぬはず、無いんだよ!!」

  ガァン

兄「どうして、あいつが……!」

ナース「お、落ち着いてください……!」

兄「嘘だ、俺にはわかる! 嘘に決まって――」

  ドカッ

兄「うぐっ……!」

ナース「あ……あなたは……」

犬「……病院で暴れるのは、よくないんじゃないか?」

兄「い、犬……なんで病院に犬!?」

犬「おいおい……」

犬「お前だって、似たようなもんだろ?」

兄「……!!」

犬「もっとも、俺はわりと犬だがな」

犬「見たところお前はヒトの血が多めに見えるが、まあそんな事はどうでもいい」

兄「……な、何だって言うんだ……」

医者「あの、犬さん、彼も落ち着いたようですし……」

犬「おっと、そうだな、すまなかった」

  スタッ

犬「詳しい事情は知らないが……まあ、なんとなくはわかっているつもりだ」

犬「ともかく、病院で怪我人を出すのはやめたほうがいいと俺は思うぜ」

犬「じゃあな」

  ガラッ

兄「……」

  ドタドタドタ
  
  ……
  
  ガラ……
  
母「……」

兄「……母さん」

母「……」

母「……そう……」

  ペタ

母「……健気な子ね」

母「最期まで、笑顔で居ようとしたのね」

兄「……」

母「……あの……」

母「ありがとう……ございました……」

医者「いえ、我々は……」

医者「……失礼させて、頂きます」

母「ありがとう、ございました……」

  ガラッ

兄「……」

兄「……なあ、母さん」

母「……なあに」

  ペタ  ペタ

兄「……弟は、俺のことをすごいって言ってくれたんだ」

母「……」

兄「俺みたいになりたいって、言ってくれたんだ」

母「……そう」

兄「……」

母「……この子は、馬鹿な子ね」

母「……どう頑張っても、あなたみたいな事はできないのに」

兄「父さんの血を、受け継ぎ損ねたのかな……」

母「……」

母「……受け継ぐはず、ないじゃない」

  ……

兄「……あの、聞いてもいいですか」

爺「なんだい」

兄「こいつは……俺の弟の、本当の父親は」

兄「……本当にあなた、なんですか」

爺「……そのはずだな」

兄「弟は、友達の期待に応えて、俺の真似をしようとしたんです」

兄「ただの人間なのに、腕を引きちぎったんです」

爺「ああ、そう聞いてる」

兄「最初からただの人間だと教えていれば、そんな事はしなかったはずです」

爺「……そうかもしれない」

兄「お前たちの嘘が、よってたかって弟を殺したんだ」

兄「お前たちが殺したのに……そんな悲しそうな顔をしている」

兄「揃いも揃って、被害者みたいな顔をしている」

爺「……フン」

爺「それは、お前も同じ事だ」

兄「何を……」

爺「この子は、お前の真似をしたのだ」

爺「『いつか僕も兄さんみたいになれる』、そんな期待を持たせたのはお前だ」

爺「どのツラ下げて私を非難しようというのか」

父「……少し、静かにしてくれ」

爺「お前もそうだ、老いぼれに女房を寝取られても、顔色ひとつ変えない」

爺「そうして平気でいるのがさぞ正しいかのように振舞う」

爺「いい父親でこそ無かったようだが、せめて正しい人間であろうとしたのか?」

爺「半分ヒトデのくせに」

母「……」

父「……出て行ってくれ」

爺「死んだのは私の息子だ、何故私が出て行かねばならない」

父「こいつは、俺の息子だ」

爺「そこの女にも聞いてみろ、こいつが誰の息子かを」

母「……」

父「ここは、俺の家だ」

爺「それはまた奇妙なことだな」

爺「お前の家なのに、お前の居場所が無い」

母「……」

母「……お願い、もう……やめてください」

爺「お前は四六時中、何をしてるんだったかな」

爺「朝から晩まで海でボーっとして、それでどうやってこいつらを養ってるのだ?」

父「……」

爺「私から金をせびってる身分だということを、忘れてもらっては困る」

爺「お前達が泣いて頼むから、仕方なく金を出していたのだ」

爺「今でも覚えているぞ」

爺「『ヒトデ男など、誰も雇ってはくれません』とな、言い訳も甚だしい」

爺「少し出し渋れば、色仕掛けなどと古臭い手を使う」

母「私は、そんな事……!」

爺「よく聞いておけよヒトデ男二世よ」

爺「お前の父は、女房を金で売ったのだ」

兄「なっ……」

父「……」

爺「お前を育てるため、などとそれらしい理由を立ててはいるが……」

爺「結局のところ、そうだ、金なのだよ」

爺「ふうむ」

爺「……随分と、静かになったな」

爺「こういう雰囲気は好きではない、私は失礼させてもらう」

爺「もう会うことも、無いだろう」

  ガチャ

父「……」

父「……すまなかった」

兄「……何で、謝るんだ」

兄「人間ってのは嘘つきだから」

兄「今のも、全部嘘だって知ってるから」

母「……」

兄「ちゃんと、知ってるから」

母「……ごめんなさい……」

父「……」

兄「本当に、人間っていうのは嘘つきだらけだ」

兄「おまけに意地悪で、本当にタチが悪い」

父「……そんな事はない」

兄「それだって嘘だ、本当に嫌になる」

兄「俺は、人間が嫌いだ」

兄「人間として生きてる自分も、心底嫌いだ」

母「……」

兄「だけど、嫌になる」

兄「俺は何よりも、死ぬのが怖い」

母「……お願いだから、やめてちょうだい」

母「あなたまで居なくなったら、お母さんは……」

兄「勘違いしないで、母さん」

兄「俺は、死ぬのは本当に怖いんだ、そんな事考えていないよ」

父「……」

母「なら、どうしてそんな事を……」

兄「人間として生きることを、やめようと思うんだ」

兄「ヒトデとして、暮らしたい」

父「……俺も、以前はそう考えていた事もある」

父「だが、俺にもお前にも、ヒトの血が流れているんだ」

兄「そんな事関係ない、父さんにできなくったって、関係ない」

兄「俺はもう人間じゃない、ただのヒトデになるんだ」

  ……

ヒトデ「……」

ヒトデ「……」

  ムニムニ

ヒトデ「……」

  ウニウニ

犬「……」

犬「お前、こんな所で何してるんだ」

ヒトデ男「……ヒトデになるのって、難しいな」

犬「まあ、そりゃあな」

ヒトデ男「お前は、ちゃんと犬になってるな」

犬「こんな男前な犬が居るかよ」

ヒトデ男「……自分で言うか」

  ……
  
 おしまい

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