妹「温もりがほしい笑いかけてほしい受け入れてほしい。寂しい。」(645)

妹「もっと違う私に生まれたかった」

兄「……」

妹「もっと、こう」

妹「もっと……」

妹「もっ、と……」

妹「…………」

兄「うん」

妹「た」

妹「たとえばね、たとえば、兄さんと私がもしも他人で」

妹「他人、で……他人だったとして」

兄「うん」

妹「そしたら」

兄「……」

妹「そしたら、きっと」

妹「きっと……」

兄「うん」

妹「きっとね」

妹「たぶん、ね」

妹「ね……」

妹「…………」

妹「……………兄さんが居なかったら生きていけるわけない」

妹「よね」

兄「……」

妹「はは」

兄「そんなことな」

妹「いいの」

妹「ごめん。兄さん。ごめん」

妹「だめな妹で、ごめん。ごめんなさい」

妹「ごめんなさい」

兄「……」

妹「本当に、もっと、違う何かに生まれればよかった」

妹「虫だっていいよ。草だっていいの」

妹「こんなに辛くて怖いなら」

妹「何だって良かった」

兄「……」

妹「兄さん」

兄「うん」

妹「私が生きていられるのは、兄さんのおかげだから」

兄「……」

妹「でも、兄さんには幸せになってほしいから」

兄「……うん」

妹「ずっと、覚悟しているから」

妹「いつか兄さんが」

妹「私以外の誰かのものになることを」

兄「……」

妹「だから」

妹「だから……」

妹「だか、ら……」

妹「……」

妹「…………」

兄「寝ようか」

妹「……うん」

兄「どうする?」

妹「一緒に、寝たい」

兄「うん」

妹「抱きついて、いい?」

兄「いいよ」

妹「胸に顔こすりつけても、いい?」

兄「いいよ」

妹「……ん」

妹「私たちがよく一緒に寝てるのを知ったら、お母さんは、なんて言うのかな」

兄「そうだね」

妹「驚くかな。駄目って言うかな。……怒る、かな」

兄「どうだろうね」

妹「やましいこと、してないのにね」

兄「そうだね」

妹「……ね」

兄「ね」

妹「……兄さんは、あったかいね」

兄「そう?」

妹「ねえ、笑ってみて」

兄「……え」

妹「笑ってほしい、……な」

兄「え、っと」

兄「に、…………にぃ」

妹「ぷ」

妹「……ふふっ、あ、はは……」

兄「あ、ははは」

妹「兄さん、可愛いよ」

兄「そ、そうか」

妹「うん。……可愛い」

兄「照れるな」

妹「……でも、嫌だったら、嫌って言ってほしいな」

兄「別に嫌じゃ」

妹「……そうかな」

兄「うん」

妹「そうか、な」

兄「妹のお願いだから」

妹「……」

妹「あのね」

妹「兄さんの、そういうところ、うれしいの」

兄「……」

妹「うれしくて、でも、だから、でも、………でも」

妹「でも、ね」

妹「ううん。やっぱり」

妹「今は……甘えさせてほしいよ」

妹「今だけだから」

妹「……ねぇ」

兄「ん」

妹「ずっと、ずっと昔に」

妹「キスをしたよね」

兄「そうだな」

妹「……した、よね」

兄「うん」

妹「あの頃は、よかった、な」

妹「あの頃の私は、10年後、……うぅん、1年後の事さえ想像しなかった」

妹「ずっと刹那の中に生きてた」

妹「いつの間にか、打算的になって」

妹「気づかないふりをするのが上手くなった」

妹「今だって、そう」

妹「私は」

妹「わたし、は」

妹「未来の、私は」


妹「とても寂しがっている……!」

妹「お願い兄さん」

妹「私を兄さんのものにして」

妹「私の寂しさを永遠に埋めて!」

兄「……」

妹「私は、兄さんの為に生きたいよ、ぉ……」

兄「……」

妹「お願い」

妹「兄さん、お願い……」

兄「大丈夫、大丈夫だから」

兄「ずっといるから。傍に居るから」

妹「……ほんと?」

兄「いつも言ってるだろ?」

妹「そうだけど」

妹「言葉だけじゃ……足りない」

兄「……妹」

兄「父さんが、見てる」

妹「見てたって、いい」

兄「悲しむよ」

妹「娘の幸せを願ってるなら、きっと父さん喜ぶよ」

兄「……妹」

妹「もういい。……なら、言葉でいい。言葉でいいから」

兄「……」

妹「もう、今、この刹那でもいいから」

妹「兄さんに慰めの言葉を言ってほしい」

兄「……わかった」

兄「好きだよ」

兄「愛してるよ」

妹「……うそつき」

兄「……」

妹「……」

兄「……」

妹「……私も」

兄「……」

妹「おやすみなさい」

兄「おやすみ」

第1章

 
友「ねぇ、妹さんって、好きな人とかいる?」

妹「え、………っえあ……?」


 休み時間。
 なんとなく、だった。

 本を読んでいる隣の子――妹さんの事が気になって話しかけた。
 確かに、突然だったと思う。妹さんとは普段あまり話さないし。
 ……でも。

妹「へ? ……あ? っっう」

友「ぷっ」

妹「ふぇふぇっっ」

友「あっ、はははっ! 妹さん、おっかしー!」

妹「え、っ……え……」

友「あ、ごめん。ごめん。本読むのじゃましちゃって」

妹「……ぁ」

妹「ぁ、ぁ……ぅ」

 今頃事態を把握したのだろうか。
 妹さんは顔を赤くして、読んでいた本に頭を埋めた。
 
 ……そのしぐさが、またまた私のツボを刺激する。

友「くっ……ぷっ……」

 先ほどの慌てっぷりといい、照れ隠しの仕方といい、妹さんがこんなに可愛い人だとは思わなかった。
 私の妹さん像は、もっと……

妹「いない……です」

友「……へ?」

妹「好きな人」
妹「いない……です」

 ……もっと、壁のある人だった。

 妹さんの事は、この高校に入学してすぐ知った。
 初めての定期試験で学年トップの成績を修めて、廊下の掲示板に妹さんの名前が張り出されていたのだ。
 ……それだけなら印象は薄いはずだった。

 彼女は、なんと1年間の定期テストすべてで1位を守り抜いた。
 当然、妹さんにまつわる噂は、嫌でも私の耳に入ってきた。

 曰く――― 「つまらない奨学生」


友「ぜんぜんつまらなくない」

妹「……へ?」

友「ね、ね。私も居ないんだ。好きな人」

妹「……はぁ」

友「何か話ししようよ。もうね、恋バナ飽きちゃって」
友「TVとか何みるの? 音楽は? 好きな映画とか」

妹「……」

 私が矢継ぎばやに話しかけると、妹さんの眉が僅かに寄った。

 いけない。
 いつもの相手にいつもの様に話しかけるふうにしてはだめだ。

 なにしろ、相手は学年1の秀才。
 そしてなにより「つまらない」。

友「……なんてね」
友「もうね、こういう話はいいの」

妹「……」

友「疲れちゃう」
友「そう、思わない?」

妹「……べつ、に」

 「別に」。
 同意とも否定ともとれる。……どちらかといえば否定よりかな?
 しかし、何よりも相手を不快にさせる言葉。

友「うん。そう。……どうでもいいよね」

妹「え」

友「おもしろいよ」

妹「……え」

友「妹さんって、おもしろい」

妹「……」

 またさらに眉が寄った。
 妹さんの整った顔の中央上部に皺が一筋走る。

友「ごめん。からかってる訳じゃないの」
友「興味があるの」
友「妹さんに」

妹「……?」

友「この学校、鳥かごみたいでしょ?」
友「うぅん。私たちが住んでいる世界が、鳥かごみたいだって、思ったことない?」

妹「……」

友「誰もが鳥かごの中で飼われてる。殆どの人が、かりそめの自由を謳って喜んでる」
友「私は時々、そんなふうに思う」

友「ねぇ」
友「妹さんはかごの中から出たい人?」

妹「……」

友「ねぇ」
友「かごから出ちゃった小鳥は」
友「どうなると思う?」

妹「…………」

 じっ、と私の目を、妹さんは覗いた。
 どうしてそんな事を聞くのかとは、妹さんの目は少しも訴えていなかった。
 少しの時間の後、まるで先生の質問に答えるかの様にはっきりと妹さんは答えてくれた。

妹「きっと」
妹「死ぬ」

 私がいつもつるんでいる女子たちに、同じ質問をしてもこんな返し方をする人は絶対に居ない。
 きっと、怪訝な顔をされて「友ちょっとどうしたの? 変なものでも食べた?」とか言われるに違いない。

友「あはっ、ほんと……おもしろい」

 くだらなくって、ガキっぽい考えだってわかってる。
 それでも、私の幼い妄想に妹さんが付き合ってくれた事が、どうしようもなくうれしかった。
 

 ……学校に居る間、妹さんと一緒にいるようになったのは、それからだ。

ちょっとご飯行ってきます。
早く書けるよう努力します。

友「う、……わ。今日もおいしそ」

妹「別に」

友「照れない照れない」

 私たちは、お昼を一緒に食べるようになった。
 はじめは嫌がっていた妹だけれど、今ではすっかりこれが日常になった。

 そんな妹が持ってくるお弁当はいつも手作り。
 今日は美味しそうな唐揚げが入っている。
 冷えていても美味しいように、甘辛いたれがからめてある。

妹「残り物、だし……」

 彼女が言うには、お弁当の中身はいつも前日の夕飯や朝食の残り物だという。
 しかも、その夕飯や朝食もすべて彼女が作っているそうだ。

友「妹さんって、思ったよりもずっと家庭的」

妹「別に」

友「また照れてる」

妹「え……べ、別に」

 そっぽを向いて、ぱく、とご飯をひとすくい口に入れた。
 どうもこの娘は、褒められるのに弱いらしい。
 いつも物静かで、表情に乏しいけれど、よく観察しているとわかってきた。

 私の言動で、彼女のちょっとした動作に差異が出る。
 そんなささいなことが、なかなか楽しい。

友「いいなー、私、料理へただから」

妹「……」

友「おしえて、ほしいな」

妹「嫌」

友「そんなこと言わずにさ」

妹「……駄目」

友「それ、言い方変えただけジャン!」

 たまに、さりげなく、ボケてくれる。
 彼女のボケはつまらないし、わかりにくい。
 それでも私は、彼女が発信する細く弱い信号をなんとかキャッチして、それに応える。

妹「……ん」

 ……あ。
 いま、ほんの少し、笑った。

 会話はキャッチボール。そういう言葉がある。
 キャッチボールは、相手がどんなに上手くたって、ボールを投げてくれなければキャッチボールにはならない。
 しかし、会話だけがコミュニケーションの道具ではない。
 ボールなんか投げなくても、意思を読み取る事はできるはずだ。

友「今度、妹さんち行っていいかな。それで、料理おしえてよ」

妹「……」

友「……だめ?」

妹「無理」

 珍しく、彼女は強い拒否をあらわにする。
 何か私に触れられたくない事があるのだろう。

 まぁ、それは後々ひもといて行く事にしよう。

友「そっかぁ。……じゃあ、うちにくる?」

友「どう? お菓子でも一緒につくろ?」

妹「……」

 正直のところ、あまり家に人をあげるのは趣味ではない。
 けれども妹さんは別だ。

 私は彼女のことがもっと知りたい。
 なら、彼女には私のことを曝け出さないとフェアじゃない。
 そのためには、大も小も、私の痛いところを全部見てもらわなくちゃだめだ。

 そうしてはじめて、彼女を安心させることができる。
 ……そう、思う。 

友「きっと、楽しいよ。妹さんはお菓子、何がすき?」

妹「……いそが、しいから」

友「妹さんが忙しくない日でいいよ」

妹「……」

 ちょっと、意地悪かもしれない。
 でもこれくらいしないと、妹さんはきっときてくれない。

友「ごめん。……でも、どうしても、妹さんと遊びたくて」
友「ほら、学校以外で会わないでしょ? それって、なんか……」

妹「必要ない」

友「……え」

妹「会う必要、ない」

 冷たい一言。
 ……けれども、妹さんは二言目に僅かに澱んだ。

友「それって」
友「私の会いたい気持ちと、どっちが上かな?」

妹「……」

友「いつでもいいから。ずっと、待ってるから」
友「考えておいてほしいな」

うぁ……変な寝方しちゃった……首痛いし寒いし寝すぎ
保守ありがとうございます。
もう少ししておちついたらまた書かせてください。
濃厚なエロはないかもしれません。

友「お菓子作りじゃなくってもいい」
友「買い物だって、お茶しにだっていいの」

妹「……」

友「妹さんのしたいことでいいから」
友「そうだ、妹さんは何か私としたいことない?」

妹「別に」

 ……あ。

友「今日の放課後、どこか行こうよ。ね、決まり」

妹「……」

 妹さんは答えてくれない。
 無言でお弁当を口にゆっくり運んでいく。

 短い付き合いで、キャッチボールもろくにできない私たちだけど。
 妹さんのこの反応は、NOじゃない。それくらいは分かる。

友「ふふっ」

 なんだか嬉しくなって、笑顔がもれた。

友「ちょ、ちょとまって」

妹「……」

 放課後。
 先生の号令と同時に席を立って教室を出て行こうとする妹さんの手をつかんだ。

友「海いこうよ、海」

 昼休みから今まで、妹さんと今日どこに行こうかずっと考えてた。
 迷いすぎて、最初にパッと浮かんだところに決めた。
 海だ。

友「ほら、歩いてすぐのところに公園あるでしょ。海沿いに」
友「あのあたりをさ、一緒に散歩しようよ」

妹「……でも」

友「いいから、いいから。いこ?」

妹「……」

 妹さんの反応は、相変わらず薄い。
 それでも私は、多少強引でも妹さんと関わりたい。

 私たちの学校は、横浜の丘の上にある。
 西洋かぶれの古い校舎で、一見敷居が高そうに見えるけれど、なんてことはない。
 ギャルもいればガリ勉もいる。偏差値だって普通だ。
 ちょっと校則が厳しくて、制服が……自分で言うのもなんだけど、可愛い水色セーラー服。

 そんな私たちの学校から坂を下って15分ほど歩くと海に出る。
 海といっても、泳げるような浜はない。
 豪華客船なんかが着く港だ。
 それから屋形舟なんかも浮いてたりする。

 ともかく、私は半ば無理やり妹さんの腕を引っ張って、海沿いの公園までやってきた。

友「いい天気だねー」

妹「……」

友「あ、ねぇねぇ、かもめだよ。かわいい!」

妹「……」

友「あはは……」

 だ、大丈夫。
 こんな事で折れる私じゃない。

友「今日、あんまり元気ない?」

妹「……」

友「ごめんね、こんなところに連れてきちゃって」

妹「……て」

友「ん?」

妹「手、……ちょっと、痛い」

友「あ」

 妹さんに言われて、私は繋いでいた手を離した。
 そんなに私は痛くなるほど引っ張った覚えはないのだけれど……

妹「……ぅ」

 妹さんは繋いでいた手が自由になると、反対の手で撫でた。
 よく見ると、顔が少し赤い。

 うーん、恥ずかしかった……かな?

友「えへへ……。ほんとごめんね。怒った?」

妹「……別に」

友「そっか……うん、そっか」

 静かな波の音。
 かもめの高い鳴き声。
 今日はあまり観光客が居ない。

友「私ね、海って、好き。ここの海も、……泳げないし、汚いけど……嫌いじゃない」
友「妹さんは?」

妹「……どうだろ」

友「家族で海とか、行かない?」

 私がそう言うと、妹さんは目を反らしてうつむいた。

妹「……」

 ……分かりやすい反応。
 何かを心の内に隠しているのは分かる。
 けれど、それだけだ。私はその「何か」を、妹さんが話してくれるのを待つだけ。 

友「今度、一緒に泳ぎに行こうよ」

 つとめて、明るく言った。

友「お昼にも行ったけどさ……、どこか、一緒に行こうよ。遊ぼうよ」

妹「……どうして?」

友「どうして、って……妹さんと、仲良くなりたいから」

妹「どうして?」

友「気になるから」

妹「…………どうして?」

友「妹さんが、何を思ってるのか知りたいから」

妹「迷惑」

友「ほんとに?」

妹「……」

友「……じゃあ、ちょっとだけ、話すね」
友「私ね、秘密があるの」

妹「秘密」

友「誰にも言えないの」
友「だけど」
友「いつか、私の秘密を話せる人が現れるって、信じてるの」

妹「……」

友「もしかしたら、その人が……妹さんかもしれない」

妹「……なにそれ」

友「知りたくない? 私の秘密」

妹「……」
妹「別に」

友「ふふっ、……そう」

 私はもう一度、妹さんの手をつかんだ。
 今度は、できる限り優しく。

 そうして海沿いの広い公園を、ゆっくりと歩く。

友「海を眺めてるとね、いつも思うの」
友「海は、終点で、始まり」

妹「……?」

友「山から流れる川は、めいっぱいの水を受け止めて、海に流れる」
友「海にながれた水は、少しずつ空気になって、雨になる」
友「雨はまた川にながれて……海にたどり着く」

友「これって、すごく面白くて……悲しいよね?」

妹「……うん」

友「うなづいてくれるんだ」

 ずっとずっとそれを繰り返して、ずっとずっと変わらない。
 仏教ではこういう事を輪廻とか言うのだろうか。

友「妹ちゃん」
友「私ね、……私は終点かもしれない」

妹「……」

ちゃんとかさんとか呼び捨てとか安定してないですごめんなさい

友「……なんてね」
友「今のって、なんか意味ありげでしょ?」

妹「……」

 妹さんは、不思議なものを見るような目で、私を覗いてくる。
 少し悲しい目をしているのは、気のせいだろうか。

友「あ、あそこ……クレープ売ってるよ。ね、ね。買い食いしようよ」

妹「……」

友「クレープ、嫌い?」

妹「別に……」

友「じゃあ、決まり」

 チョコバナナクレープを二人分。
 生クリームがたっぷり入ってるやつだ。
 クラスの女の子が、あそこのクレープは美味しい、と話題にしていたから、ちょっと気になっていた。

 妹さんはお金を持ってなかったので、私が出した。

妹「……」

友「食べないの?」

妹「……いい、の?」

友「奢った事、遠慮してるの? いいって。一緒に食べよ?」

妹「……ん」

 何か意を決した様にうなづいた後、妹さんはゆっくりとクレープに向かって口を開いた。

 あむっ。
 そんな効果音が聞こえてきそうな、可愛い食べ方だった。

妹「わ、……おいし」

妹「わゎ、わぁ……」

友「~~~っ」

 ブルブルッ、と、体が震えた気がした。
 奢ってよかった。つれてきて良かった。
 食べる前から、私はご馳走様な気分だった。
 
 クレープは偉い。美味しいから、偉い。

友「よかった、口に合ったみたいで」

妹「……ん、んぅ」

 はぐらかしたって、ちゃんと歓喜の声を聞いちゃったもんね。

友「私もたべよっ、と」

 ぱくり。
 クリームの柔らかい甘みと、チョコのほんのりした苦味、とろけるバナナ、そしてなにより香ばしいクレープ生地が……

友「う~~~っ、うま……じゃなくて、美味しいっ」

妹「ぷっ……ふふっ」

友「あ、わ、笑った!」

妹「だ、だって……おかしっ。 言い直さなくても……っ」

友「だ、だって一応わたし乙女だしっ。乙女が『うまい』とか言っちゃ駄目でしょ」

妹「いちおう……」

友「お、乙女に見えないですか……見えませんか……?」

 精一杯、乙女っぽいポーズをとってみた。
 口に手を当てて、妹ちゃんを下から覗き込む。もちろん目はウルウル。

友「うるうる」

妹「っ、ふ、ふっ……。別にっ」

友「うあーっ、もうっ、妹さんのばかーっ!」
友「それくらいちゃんと答えてよー! じゃないと妹さんの分までクレープ食べちゃうぞ」

妹「駄目、無理」

友「そ、それは否定するんね!」

妹「あは」

友「……あはっ、あはははっ!」

 嬉しさと、面白さ。感動と、驚き。
 いろんなものが、いろんなプレゼントが、いっぺんに私に贈られてきた。

 ……もっと、妹さんと打ち解けたい。笑い合いたい。

 純粋に、そう強く願った瞬間だった。

教師「じゃあ、次……妹、読んで」

妹「はい」

友「……」

 妹さんは、いつも背筋がきれいだ。
 しっかり顎を引いていて、座ってる時は頭から腰までまっすぐ。

 所作の一つ一つも丁寧。
 椅子を引いて立つ動作ひとつとっても、ゆっくり。
 食事の時にスプーンを鳴らしたりしないのがマナーであると同じかの様に、イスを引く音もさせない。

妹「御かたがた公達上人など、御前に人多く侍へば」
妹「廂の柱によりかかりて、女房と物語してゐたるに、物をなげ賜はせたる。」

友「……」

 普段のか細い声がうそのように、声がしっかりと出ている。
 しかも、私が読めない漢字を妹さんは平然と読んでみせた。

妹「あけて見れば」
妹「『思ふべしやいなや、第一ならずばいかが』」
妹「と問はせ給へり。」

友「妹さんは、どうしてそんなに勉強ができるの?」

妹「……え」

 昼休み。
 お弁当を食べながら、私は常々気になっていることを妹さんに聞いてみた。

友「ずっと学年一位でしょ? 行きたい大学とかあるの?」

妹「……ううん」

友「じゃあ、なんで?」

妹「勉強、好きだから」

友「……ふぅん」

 好きこそものの上手なれ。
 確かに、勉強が何よりも好きだっていう人は、誰よりも成績が良くなるのは道理だろう。
 けれど、なぜか私は釈然としなかった。

友「勉強が好きな人なんて、いたんだね……」

妹「……」

友「じゃあ、将来の夢とか、そういうのは?」

妹「……」

友「私の勘違いだったら、ごめんね」

友「勉強してるの、奨学金のため、とか」

妹「どう、だろ」

 お弁当を口に運ぶ手を止めて、妹さんはつぶやいた。
 その表情は、苦笑しているようにも見える。

友「お金、大変なんだ?」

妹「……どうだろ」

友「そ、っか……」

 妹さんは、家庭の事を話さない。
 家族や兄弟の話を、少しも聞いたことがない。
 ほかにも話してくれないことは一杯ある。
 けれど、そういった基本的なことを話してくれないのは、私が信用されていないからだろうか。
 それとも、何か理由があるのだろうか。

友「ねぇ、今日うちに来てよ」

妹「……え」

友「ほら、前に言ったでしょ? お菓子づくり……は、まぁおいておいて」
友「一緒に遊ぼうよ」

妹「……でも」

友「でも?」

妹「この前……怒られた」

友「この前? 怒られた、って。誰に?」

妹「……」

 この前とは、多分海に行った日の事。
 怒られた……っていうのは……?

友「門限とか、あるの?」

妹「そういう、んじゃ」

友「じゃあどうして?」

妹「……」

 私がしつこく聞くと、やがて妹さんは下唇を噛んだ。
 言いたくない事はしょうがない。
 
友「じゃあ、今日は遊べない? 明日からは?」

妹「……え」

友「ごめんね。私、うざいよね」
友「でも、この前言った。……もっと、妹さんの事を知りたい」
友「何を思って生きてるのか、知りたい」

妹「……」

友「だから、学校以外の妹さんも、見てみたいの」

妹「……ちょっと、なら」
妹「少し、なら」

友「遊べる?」

 コクリ。
 妹さんは、ゆっくりうなづいてくれた。

友「やった。私の家、ここから10分くらいだから。すぐ着くから」

妹「……ん」

友「何しよっか? あ、犬って大丈夫? おっきい犬がいるんだけど……」

朝からメガネが行方不明なんだが
誰か知らない?

犬「ハッハッハッハッ」

妹「あ……ぅ……」

友「あはは、チョビっていうんだ」

妹「チョビ………にしては、おっき……うゃっ」

犬「ハッハッハッハッハッペロペロペロ」

妹「や、やめっ……んっ」

 うちの自慢のセントバーナード犬・チョビに襲われて、妹さんは床に倒れこんだ。
 妹さんは相当好かれてる……にしても、顔をナメナメはやりすぎだ!

友「ちょ、チョビ、やめ! やめ!」

 飼い始めの頃は「チョビ」っていう名前がぴったりの子だった。
 それがいつの間にかチカラが敵わないくらい大きくたくましくなっていた。
 げんに、妹さんからチョビを引き離そうとしても、びくともしない。

犬「ペロペロペロペロ」 

妹「っ、ひっ……や、ん……ぁっ」

妹「……ぁぅ」

友「ご、ごめん。ほら、チョビも謝って!」

犬「くぅん」

妹「だ、大丈夫。……うん」

友「ほ、ほんといきなりごめんね。私の部屋いこ?」

妹「……うん」

 妹さんの手を引いて、私の部屋への階段をのぼる。
 当然の様にそれについてくるチョビ。

友「チョビは駄目!!」

犬「……わぅ……」

 私の家は、学校と同じ丘の上にある。
 この街は古風な西洋建築が多い。もちろん通っている学校もそうだし、多くの民家も街の雰囲気に溶け込むような家並みがおおい。
 私の家も例に漏れず、『明治時代の外交官の家』と言われても遜色ない位の雰囲気を持っている。

 決して自慢ではない。
 むしろ、私はこの家を嫌っている。

友「見て」

 部屋に妹さんを招きいれると、私はすぐに窓を開けた。

妹「わ、ぁ」

 窓枠の向こうには、海が広がっていた。
 奥には水平線。手前には横浜の臨海工業地帯。

友「いい眺めでしょ。これだけは、気に入ってるの」

妹「うん……、素敵」

 いつも一人で眺めている窓からの風景を、今は妹さんと一緒に見ている。
 それが、なんだか不思議で、くすぐったい気持ちになった。

友「ねぇ、妹さんの家はどのあたりにあるの?」
友「ここから見える?」

妹「うん」

 妹さんは軽くうなづくと、指をさした。

友「……?」

 その方向には、工場と海しかない。
 妹さんが住んでいるのは、景色のもっと手前……丘の下にある住宅地ではないみたいだった。

友「もしかして、外国……とか?」

妹「まさか」

友「じゃあ、工場の中?」

妹「ううん。……工場の、近く」

友「あのあたり、行ったことないかも」

妹「……あんまり、いいところじゃ、ない」

友「そうなんだ。でも、妹さんの家なら行ってみたいな」

妹「……」

 私の言葉など聴いてなかったかの様に、妹さんは表情を変えずに窓の外を眺めている。
 その目線の先にあるのは、海?
 それとも妹さんの家?

友「妹さんは」

妹「……」

友「妹さんはいつもあまり自分の事を話してくれないね」

妹「……う、ん」

友「だから、私の話ばっかりになっちゃうけど」
友「いいかな?」
友「聞いて、くれる?」

妹「うん」

 妹さんの目線は、ずっと窓の外を向いていた。

友「私ね、この家好きじゃないの」

妹「……」

友「バカみたいな家でしょ? わざわざレトロな風にしてさ」
友「気取って……自慢したい、って……そういうオーラがすごい出てる」
友「そう思わない?」

妹「……」

友「だから、こういう家を建てたお父さんも、お母さんも、嫌いなんだ」

友「……嫌いになった理由はね、一杯ある」
友「だけどその理由を無視して、反抗期だからって理由を決め付けて、何度も片付けられた」
友「もう、そんな年じゃないのに」

友「でもね、知ってるの」
友「あの人たちは、……お父さんとお母さんは、致命的に、寂しがってる」
友「たった一人の娘にさえ、すがろうとしてる」

友「きっと、私に受け入れて欲しかったんだと思う」

友「でも、私は人柱じゃないから」

 父と母は、世間の目からすれば、よくできた夫婦だと思う。
 資産は潤沢だし、仲もいい。
 私の事も可愛がってくれているのだろう。

 それでも、私はずっと「疑問」を抱き続けていた。

妹「わかるよ」

 ずっと窓の外を眺めていた妹さんが、私を見据えて、やさしく言った。
 
 吸い込まれる瞳。
 そんな、ありふれた言葉が出てきた。
 吸い込まれたものは、心。

友「……え」

妹「それ、わかる」

てs

OCN規制かかったのでP2導入
ずっと耐えてきたのについにお賽銭……orz

保守ありがとうございます。続けます

妹「お父さんとお母さんを拒むのも、友さんの自由」
妹「受け入れるのも、自由」
妹「友さんには、それだけの権利があるよ」

友「……」

妹「でも」
妹「拒まれるのは、辛いこと」

 どんなエゴな愛だとしても、私は親に愛されている事に変わりはなかった。

 出かけたいと言えば時間を作ってくれた。
 クリスマスや誕生日なんか、いつも盛大にやった。
 欲しいものは、大抵手に入れてくれた。

 私の喜びは、親の喜びだった。それはまさしく、愛と呼べるものだろう。
 ……けれど。

友「私ね、高校卒業したら、家を出ようと思うんだ」

妹「……それが、秘密?」

友「そう。 秘密の、ひとつ」

妹「ほかにも、あるんだ」

友「うん。なんだかミステリアスでしょ?」

妹「……そうかも」

 私と妹さんは、にはっ、と笑った。
 
友「もっと、壁のある人だと思ってたんだ」

妹「……?」

友「妹さん。無口で、人と話すのを嫌ってて」
友「でも、話してみたら、案外面白い人で……」

妹「……えっ」

友「今は、……うぅ、ん」
友「今は……」

妹「……ん?」

友「……ねぇ」
友「私、妹さんと友達くらいにはなれたかな?」

妹「……ともだち」

友「そんなの、確認するような事じゃないって知ってるけど」
友「でも、私なりに不安なんだ」
友「ねぇ。迷惑じゃない?」

妹「……」

友「妹さんの領域に、ずかずか入って荒らそうとしてるんだって、自覚してるよ」
友「それでも私は、……私は」

妹「迷惑」

友「あ、……」

妹「中途半端は嫌なの」
妹「友達は、いらない」

 何かが、崩れて、再構築された。
 この瞬間、知った。
 彼女が私に何を求めているかを。

 彼女は私が思っている以上に、寂しがっている。

友「抱きしめて、いい?」

妹「……」

 妹さんに、一歩近づいた。
 妹さんは逃げない。

友「ごめん」

 小さくつぶやいて、私はゆっくりと妹さんの腰に手を伸ばした。
 引き寄せると、妹さんの全身から、ほのかな温もりが伝わってくる。

友「嫌だったら、言ってね」

妹「……別に」
妹「嫌じゃ、ない」

友「良かった」

 そっと、頬を寄せた。
 ……熱い。

友「私ね、お父さんのことも、お母さんのことも、好き」
友「でもね、好き、だから……」

妹「うん」
妹「分かる、よ」

 耳元で。ささやきあう。
 吐息。
 くすぐったい。じれったい。
 鼓動が。はやい。
 火照る。

友「チョビもね、そのうち、いなくなるから」

妹「うん」

友「……かごの鳥の話、覚えてる?」

妹「うん」

友「ずっとね。探してたの」
友「一緒にかごの外に出てくれる人」

妹「そう」

友「しばらく、こうしてて、いい?」

妹「……うん」

友「ドキドキ、してる?」

妹「……」

友「私はしてる」
友「誰かにこんなに近づいたのって、チョビくらい」
友「お母さんとお父さんとは、覚えてない」

妹「そう」

友「妹さんは?」

妹「……」

 返事はない。
 その代わり、私に頭を預けて、ゆっくりこすり付けてくる。

 髪と皮膚が擦れる高い音が、私の耳を犯す。

友「……んっ」

妹「私は、寂しい人だった」
妹「友さんと、会って……もっと、寂しくなった」

友「……私もだよ」

妹「ひとりぼっちは、嫌」

友「うん。……嫌」

妹「はじめてだった」

友「何が?」

妹「友達」
妹「うぅん、……誰かと、帰ったりとか、そういう、の」

友「そうだったんだ」

妹「私、つまらないから。……面白い、って言ってくれたの」
妹「うれし、かった」

友「お世辞じゃないよ」

妹「うん……」

 妹さんの手が、私の腰に回った。
 私は、私自身を彼女に受け入れられたように感じて、幸せな気持ちになった。
 ささいな反応。
 でも、それが私の生きる喜びそのものなのかもしれない。

妹「……ごめんね」
妹「そろそろ、時間」

友「……え」

妹「……」

 体を解いて初めて見た妹さんは、悲しい目をしていた。

 妹さんがくれた熱が、あっという間に空気にさらわれていく。
 ……寒い。

妹「かえる、……ね」

友「待って!」

 反射的に叫んで、妹さんの手を掴まえていた。

友「これからも、仲良くしてくれる?」

妹「寂しさを埋めるのは、寂しさしかないから」
妹「きっと、もっと、寂しくなるだけだから」

友「なら、今この時間、妹さんは寂しかったの?」

妹「好きな人が、いるの」

友「……」

妹「ずっとずっと、生まれたときから一緒で、恋かどうかもあやふや」
妹「でも、私の全部を受け入れてくれる人」

妹「友さんは、私の寂しさに気づいてくれた」
妹「気づいてくれた人なら、今まで何人かいたけれど」
妹「私の寂しさを埋めようとしてくれたのは、友さんだけだよ」

友「ずるいよ。……妹さん、好きな人居ないって、言ってた」

妹「嘘ついて、ごめん」
妹「でも、本当言うと好きかどうかもはっきりしない」
妹「恋愛ってしたことないから」
妹「ただ、ずっと、これからも、一緒に居たいってはっきり思える人なの」

友「そう……」

 つまりは、こうだ。
 ……私と一緒にはいられない。

妹「じゃ……。お邪魔、しました」

友「ねぇ! また、遊んでよ!」
友「学校でお昼食べて、放課後は一緒にどこかに行って……」
友「そういうさ、そういう……普通の女の子がするようなこと、一緒にしようよ!!」
友「うぅん、……して。私と、して。……お願い。妹、さん……」

妹「……」

友「妹さんには、その人が居るかもしれない」
友「でも、私には……妹さんしか居ないんだよ」

妹「友さんは、友達一杯いた」

友「あんなの、100人居たって私の寂しさは埋まらないっ!」
友「私に必要なのは、妹さん一人だけなんだよぅ」

 すがるように、妹さんの手を握る。
 私が思っている以上に、私は妹さんに依存していた。
 また以前のような、お互いに干渉しない日々に戻るなんて、死んでも嫌だった。

妹「……別に」

 そうつぶやいて妹さんが部屋のドアノブを捻った瞬間、巨体が飛び出してきた。

犬「バウッ!! バウウウッ!」

妹「きゃっ」

犬「ハッハッハッハッペロペロペロペロ」

妹「ちょ、ちょっと、……あっ、んっ…ぅ」

 部屋の前でずっと待っていたであろうチョビは、入ってくるやいなや、妹に飛びついてまたもや顔を舐めだした。
 我慢していた分、さっきよりも激しいペロペロ攻撃。

友「……ふっ、あ、ははっ。ふふっ」

妹「わ、笑ってないで助け……ひぅっ、ん、ぁっ!」

友「ご、ごめん……でも……でもっ、くっ……ふふっ」

犬「ペロペロペロペロペロペロペロペロ」

妹「いあぁ、……汚され、……んひっ」

友「あはっ、……あははっ、ごめん、でもっ、うれしくって……!」

 口元のゆるみがとまらない。
 おかしくて、しょうがない。
 しあわせで、たまらない。

 「別に」と答えてくれた妹さんと、私はまだ関係を深める事ができるのだ。

友「また、うちに来てね。チョビも、そう言ってるよ」

妹「……う、ぅ……またこんな目に……ひぁっ!」

友「待ってるからね」
友「ずっと、待ってるから」


 とりかごの中で私が出会った小鳥さん。
 いつか共に巣立てる日が来ると夢見て、私は寄り添う。




第一章  終わり

 第二章


兄「遅かったね」

妹「……うん」

 妹が珍しく、日が暮れてから帰ってきた。 
 いつも学校が終わると真っ直ぐ家に帰る子だ。
 なにか、あったのだろうか。

兄「大丈夫か?」

妹「大丈夫」

兄「どうかした?」

妹「少し、寄り道した」

兄「へぇ……」

兄「どこに行ったの?」

妹「海」

兄「どこの?」

妹「氷川丸がとまってるとこ」

兄「山下公園か」

 学校から家とは反対方向だ。

兄「ひとりで?」

妹「……」

兄「友達、できたんだ?」

妹「……ううん」

 妹は、怒るとすぐに顔に出る。
 いまも、眉の間に皺が寄っている。

兄「もう少し早く、帰ってきなよ。心配した」
兄「このあたりは治安がいいわけじゃないから」

妹「……はい」

兄「夕飯どうする?」

妹「リクエストある?」

兄「味はともかく、今は腹いっぱい食べたい」

妹「じゃあ、冷凍したご飯でチャーハン作るね。すぐできるから」

兄「よろしく」

 妹は鞄を置いて、制服を脱ぎだした。
 衣擦れの音が部屋に反響する。
 やがて、妹はブラとショーツ、ハイソックスだけになる。

 もう、慣れっこの風景だ。
 妹が生まれてからずっと、妹と俺は同じ部屋で育ってきた。
 兄妹二人分の部屋が、この家――アパートにはないからだ。

兄「下着のサイズ、大丈夫か?」

妹「……うん」

兄「ちゃんと、言えよ?」

妹「うん」

 妹は部屋着を身に着けると、台所へと向かった。
 玄関前の小さなシンクとガスコンロ。
 冷凍庫からパック詰めされたご飯をとりだして、レンジに入れる。
 ネギを簡単に洗い流したら、小気味いい包丁の音が鳴りだした。

妹「……」

 妹は、料理をしている時、いつもとは違う表情をする。
 楽しんでいるのかは分からない。
 ただ、嫌がっているようには見えない。
 最近は……特に、弁当を作っている時、なんだか嬉しそうな顔をしている。

 今日は寄り道をしてきた。
 何か、妹に変化がおきているのかもしれない。

兄「うまそうな匂い」

 ガスコンロの上でフライパンが踊りだすと、小さな家を香ばしい匂いが満たした。

妹「……っ、……っ」
 
 俺が一杯食べられるようにと、めいっぱいのご飯を使ってくれたのだろう。
 フライパンをゆするのに妹は苦労しているように見える。

兄「こぼしそう」

妹「大丈夫。待ってて、兄さん」

兄「いただきます」

 湯気の立った山盛り炒飯。
 チャーシューは入ってない。
 スプーンですくって、空っぽの胃に放り込む。
 味はいつもと一緒だ。妹の味。

兄「うん、美味い」

妹「ゆっくり食べてね」

兄「妹は、それだけでいいのか? 俺はもっと少なくても……」

 ご飯茶碗に半分もない位に盛られた妹の炒飯を見て、そう言った。

妹「大丈夫。あんまり、おなか空いてないの」

兄「そうか……」

 もしかしたら、寄り道した先で何か食べたのかもしれない。
 ただ、妹はお金を普段持ち歩かない。

兄「何か、隠してる?」

妹「……」

 妹は答えず、無言で炒飯を口に運んでいく。

ちょっとペース遅くて申し訳ないです
時間ください

今日はもうちょっと書かせてください

兄「まぁ、いいんだ。でも何か辛い事だったら、遠慮なく言ってな」

妹「……うん」

 暗い声で妹は答えた。
 妹は、一人で何でも抱える癖がある。
 理解して、悩みを共有したくても、なかなかできない。

兄「……ほんと、美味いよ」

妹「うん」

兄「いつも、ありがとな」

妹「兄さんこそ……いつも」

兄「そうだったな、言いっこ無し、だったな」

妹「うん」 


 ボロくて、古い、木造のアパート。
 周りには無機物的な工場。ただっ広い道路。汚い海。
 
 俺たち兄妹は、ここで寄り添って暮らしている。

 ピリリ、と目覚ましが鳴った瞬間、アラームを止めた。
 いつもの朝だ。
 まだ、日が昇りきっておらず、部屋の中はうす暗い。

兄「ん、ぅ……」

 軽く伸びをする。
 血圧が徐々に高くなって、意識がはっきりしてくるのが分かる。

妹「おはよ。兄さん」

 隣で寝ていた妹が、朝の挨拶とともに微笑んでくれた。
 それに応えて、妹の髪をくしゃ、と撫でる。

妹「……ん」

兄「おはよ」

妹「ごはん、作るね」

兄「頼む」

 妹が朝ご飯を作っている間、俺は出かける準備をする。
 顔を洗って、歯を磨いて、服を着て。
 すぐに終わる流れ。
 けれど、あとはもう出かけるだけという頃には、朝ごはんはしっかりと出来上がっている。

兄「……」

妹「……」

 淡々と、朝食を口に運んでいく。
 朝は静かに食べるのが通例だ。
 二人が朝ごはんを食べている横には、死んだように眠っている母が居るから。

 我が家のアパートの食卓兼居間は、母の寝室でもある。
 母は、昼頃仕事に出かけ、夜遅くにひっそり帰ってくる。
 近くの工場で働いているらしいが、詳しい事は話してくれない。

 そんな母をささやかに気遣って、俺たちは粛々と朝ごはんを済ませるのだ。

兄「それじゃあ、行ってくるから。妹もがんばって」

 妹の頭を軽く撫でる。
 もはや、儀式みたいなものになっているかもしれない。

 その撫でている俺の手を、妹は両手で包む。そうして、挨拶を返してくれる。

妹「行ってらっしゃい」

 我が家の稼ぎ手は、俺と母の二人。
 父はもうずっと前に他界した。

 父の遺産は、莫大な借金。
 母がどんなに働いても、利子を払っていくのがやっとな位だという。
 そして、母は相変わらず、その収入の殆どを借金の返済に充てているらしい。
 らしい、というのは、母は俺たちに多くを語らないからだ。
 自分の事、父の事、借金の事。
 ずっと母と暮らしているのに、知らないことばかりで、知ることも出来なかった。

兄「いらっしゃいませー」

 スーツ姿の人たちが、入れ替わり立ち替わり出入りしていく。
 駅前のコンビニ。
 俺の職場だ。

兄「こちらはあたためますか?」

 「んー」という返事に、「あたためますね」とつとめて明るく返した。
 コンビニの早朝勤務なんて、こんなものだ。
 皆死んだような目をして、会社へと向かっていく。

 アルバイトは、彼らのはけ口にされたり、冷たくされるのも仕事の一つなのだろう。
 中卒の俺には、ぴったりなはずだ。 

 そういえば、そろそろ妹が家を出て学校へ向かう時間だ。
 ちゃんと出発できただろうか。

 そんな妹への思いを馳せる時間も無い位、コンビニの朝は忙しい。
 妹が学校へ着いて授業が始まる頃……9時や10時になってはじめて、少し落ち着いてくる。

兄「……ふ、ぅ」

女「やっと客足引きましたね」

兄「だな」

 隣でレジを打っていた女さんと、束の間の会話。
 女さんとは、週に1~2回くらいシフトがかぶる。
 俺と同じで、朝番が多い。
 それに、俺と同い年だったはず。

 もっとも、俺は中卒。彼女は大学生なのだが。

女「……兄さんって、怒ったりしないんですか?」

兄「なに突然」

女「いえ、ちょっと気になって」

女「朝って、不機嫌で失礼な客が多いじゃないですか」
女「そういうのに、兄さんはイライラしないのかな、って」

兄「あぁ、するよ。すげーする」

女「でも、そういうの表に出さないんですね?」

兄「……? まぁ、出す必要ないし」

女「そうなんですか? 私はムカつく客がいたら、誰かに報告したくなっちゃいます」

兄「そういう事もあるけど……そこまでのって、なかなかなくない?」

女「えぇ? ありますよ」

兄「うーん……あ、こちらどーぞ」

 どっちのレジに行けばいいのか迷っていた客を先導する。
 するとすぐに、女さんのレジも別の客で埋まって、また列ができた。

 バーコードを読み込ませながら、また上手く会話が出来なかったと、心の中でため息をついた。
 バイト仲間で、女さんとはまだ話せる方だ。

 自分で言うのもなんだけど、俺は結構、浮いてると思う。

 コンビニでバイトをしている理由は、いくつかある。
 時間に融通が利くから。
 中卒でも雇ってくれるから。
 仕事が単純だから。

 この中でも、時間に融通が利く点が一番でかい。
 妹とできるだけ一緒に居られることが、俺の中では最優先事項だから。
 妹が作る朝ごはんを食べて出発して、妹が帰ってくる頃に自分も帰宅する。
 そういうことが出来るのは、このバイトしかなかった。

男「でな、そっからもう連チャンしまくり。結局ねー4箱出た」

兄「へぇ、すごい」

 男さんはフリーターで、趣味はパチンコとスロット。
 よく午後から同じシフトになる。

男「おまえもやれよ。ぜってー儲かるから。俺が台選んでやるよ」

兄「いいですよ。俺、運悪いですから」

男「運じゃねーって。あれは。台さえちゃんと選べば勝てるんだって」

 男さんだけじゃない。他のバイトは皆、ギャンブルをやってるみたいだった。
 男連中でやっていないのは、俺ぐらいなのだそうだ。


男「だからな、今度一緒に並ぼうぜ?」

兄「いえ、遠慮しときます」

男「……なぁ」

兄「なんですか」

男「お前、趣味とかあんの?」

兄「……特には」

男「生きてて楽しい?」

兄「……」

男「なんつってー」

 男は俺以外の別のバイトを掴まえて、何か話をし始めた。
 会話の内容は、なんとなく想像がつく。


 時々、中学三年の時の担任が言った言葉を思い出す。

 高校には行きなさい。
 将来を決めるには、まだ幼すぎる。

 違うんだ、先生。
 俺の将来を決めたのは、俺だけど、俺じゃないんだ。

そろそろ、寝ます。
明日は多分遅くまで用事があるので
夜のうちに一杯書きたかったですが、これくらいで。

また明日、残っていたら続きを書かせてください。

てs

兄「ただいま」

 返事はない。
 妹はまだ帰ってきていないようだ。
 
 母もとっくに家を出たらしい。

兄「ふぅ……」

 玄関のドアを閉めると、肩の力が抜けた。
 外にいると、無意識に心が張り詰めている気がする。


 靴を脱ぐ。
 バイト帰りにスーパーで買った食材を、丁寧に冷蔵庫に詰めていく。

 家事は、兄妹で分担している。
 俺は買い物と掃除担当。妹はもちろん料理、それから洗濯担当。
 たまに逆になったり、一緒にやったり。

 母は滅多に家事をしない。
 ただ、家事に口を出すこともない。

 チャリ、チャリリ。
 高い金属の音が、アパートの玄関の方から聞こえる。
 そしてガチャリと開錠の音が続く。

妹「……」

 ゆっくりと、玄関の扉が閉まる。
 ……バタン。
 
妹「……は、ぁ」

兄「おかえり」

妹「あ、……兄さん」

 声をかけると、妹の明るい声が返ってきた。

妹「ただいま。帰ってたんだ」

兄「うん。頼まれたやつ、買ってきておいたよ。小間切れ。」

妹「ほんと? ありがとう。100gいくらだった?」

兄「78円。ちょっと多いパックで買っちゃったかも」

妹「余ったら冷凍かな。……でも、本当は兄さんがいっぱい食べたいんでしょ?」

兄「ばれたか」

妹「……」

兄「……」

 妹はいつも学校から帰ってくると、夕飯を作る2時間ほどの間机に向かう。
 俺は、邪魔しないようにそれをぼんやり眺めている。

 3年くらい前までは妹に教える事ができる教科もあった。
 けれど、今は妹が勉強している内容は、中卒の俺には未知の領域だ。
 教えてやりたくても、俺がバイトをしている間じゅう、学校で勉学に勤しんでいる妹にかなうはずもない。

 『来年も奨学金とるから』

 そうやって意気込む妹を見る度に、苦しくなる。
 欲しいものを聞いたら、いつも参考書の名前が挙がる。
 参考書以外のものをと聞いたら、単語帳、筆記用具、それから調理器具。

 なにかプレゼントしてやりたくても、女子高生が欲しがるようなものは、てんでわからない。

兄「なぁ、服とか今度、買いに行かないか?」

妹「んー、……破けた?」

兄「いや……」

妹「……んー」

 勉強中の妹に聞くべきじゃなかった。
 まぁ、どのタイミングで言ったとしても、うまく断られたと思う。
 それくらい妹はお金に対して謙虚なのだ。

妹「……ふぁ、そろそろ時間かな」

兄「今日は俺が夕飯作ろうか?」

妹「駄目」

兄「そうか……」

妹「ありがと兄さん。テスト前とかに、またお願い。……私に出来ることは、やりたいから」

兄「……」

 机から離れて台所へ向かう妹を見送った。
 布団に寝転がりながら、夕飯の準備を始める妹の後ろ姿を、じっと目で追う。

 妹は後ろ髪を結い始めた。
 真白いうなじがあらわになる。
 少し、色っぽい。

 そういえば、髪もずいぶんと切りに行かせていないように思う。
 たぶん、前髪は自分で切っているのだろう。
 ……忘れてた。後でそれも言ってやろう。

 ほかに妹にしてやれることはないか、考えた。
 何か、あっただろうか。
 何か……

 普通は、やっぱり、子供は親にせがむんだろうな。
 あれがほしい、これがほしい、って……。

 ごめんな、妹……我慢、させて…………

 
 視界がぼんやりしてきた。
 心地よい誘いが、やってくる。
 そうして、どこかでみた風景が、闇の中に投影された。

 幸せな記憶。
 かつての記憶。
 
 無邪気に生きて、無邪気に甘えた。
 理不尽がこの世に存在する事すら知らなかった。
 願えば何もかも手に入ると信じていた。

 『おにいちゃんは わたしの おうじさま――』

 あぁ、そう。これは、たしか、眠り姫に、口付けをした、記憶。

 頬に温もりを感じて、目が開いた。
 妹が、いた。

兄「……」

妹「……」

 俺を覗いていた妹を、覗き返す。
 目が合う。
 時間がゆっくりと流れる。 

 頬の温もりが動いた。
 妹の手のひらだった。

 子猫になった気分で、その妹の手に甘えた。
 皮膚と皮膚が擦れあうと、ほのかに熱を発して、心地良い。
 ……もう一度、まどろみたい。

妹「疲れてるんだよ」

 消えそうなくらい小さい声だった。
 ただ、やさしい声だった。

兄「眠いだけだよ」

 ありがとうの気持ちを込めて、できるだけ柔らかく答えた。

兄「ごめん、……ご飯」

妹「もう少し、このまま」

兄「……うん」

 妹の手のひらは、俺の頬をゆっくりと撫で続ける。

妹「兄さんの寝顔、好きだよ」

兄「寝顔がイケメンでも困るな」

妹「そうじゃないよ。なんか、ね。穏やかなの」

兄「つまり、遠まわしにイケメンではないと」

妹「もう。……兄さんのバカ。せっかく褒めてるのに」

兄「だって、照れるだろ」

妹「そう、だけど……」

妹「……今、いいムードだった」

兄「兄と妹に、ムードもへったくれもあるのかな」

妹「兄さんが壊さなければね」

兄「そうかい」

妹「そうです。今度からは気をつけてくださいね」

 言い終わると、妹がふふっ、と笑みをこぼした。
 俺も釣られて、ははっ、と笑った。

兄「夢を見てたんだ」

妹「へぇ、どんな?」

兄「……昔のこと、だったと思う」

兄「父さんも、母さんも、妹も」
兄「みんなが笑っていた頃の夢だった」

妹「楽しかった?」

兄「さぁ……、でも、たまにこうやって夢に見るんだ」
兄「だからか分からないけれど、あの頃の記憶は、なかなか忘れられない」

妹「父さんが生きている頃って、あまり覚えてないけど」
妹「私も焼きついてるあの頃の記憶、あるよ」

兄「キスをしたのも、あの頃だったな」

妹「そうだね」

 頬を撫でていた妹の手が止まった。

兄「さ、……起きる」

妹「ご飯、よそうね」

 妹は立ち上がり、俺は腰を起こした。
 つかの間の愉しみだった。

 ……腹ごしらえをしたら、風呂に入って、また寝よう。

 それから、ひと月ほどが過ぎた。
 相変わらずバイトに勤しみ、妹を見守る毎日だ。
 
兄「いらっしゃいませー」

 夜のコンビニ。
 朝と違って客足のペースはまばらで、レジを打つのも急がず丁寧にできる。

 今日は遅番に欠勤が出て、俺が朝から延長して入る事になった。
 妹に帰りが遅くなると連絡したいが、携帯電話なんかもちろん持たせてないから出来ない。
 まぁ、こういう事はたまにあるから、そんなに心配はしないだろう。

女「おはよーございまーす」

兄「おはよう」

 夜なのに『おはよう』。
 なぜか挨拶は夜だろうが昼だろうが『おはよう』なのが決まりになっている。

女「わ。もしかして朝からずっと居るんですか。うわー」
女「私ならぜったい死んでます」

兄「はは。でも、まぁ、もうすぐ帰れるし」

女「あ……欠勤、男さんなんですか」

兄「そうみたいだね」

女「絶対パチンコですよ。あー、スロットでしたっけ?」
女「やめるにやめれなくて、仮病でも使って休んでるんですよきっと」

兄「いやあ、どうだろう」

女「もう、……ほんっと、腹立ちますねー。一回問い詰めてやりたいぐらいです」

兄「……」

 仮病だろうがなんだろうが、どうでもよかった。
 男さんは男さんなりの生き方があるんだろう。
 もし本当に仮病だったとしても、俺はむしろ、仮病を使う甲斐性がある男さんが少しうらやましい。

兄「女さんは、今日は遅番なんだね」

女「あぁ、えぇ。毎週この曜日は大学の授業が朝から昼すぎまでなんで」
女「朝晩に入ってる時は昼からなんですけどね」

兄「……大学って、面白い?」

女「え? つまらないですよー」

兄「そう」

 つまらないのか。
 なら、なんで通っているんだろう。

女「もうすぐ就活はじまるんすよー……もう最近欝で、欝で……」

 あぁ、そうか。大学に行けば、就職に有利だ。

兄「どんな仕事したいの?」

女「えー、まだぜんぜん決めてない、っていうか、うー、大手、っていうか……とりあえず給料高めで楽そうなのっていうか」

兄「なるほど、……」

女「……そういえば、兄さんって、私と同い年なんでしたっけ」

兄「そうだね」

女「大人っぽい、ですよね。兄さんって」

兄「え?」

 大人っぽい? まさか。心外だ。

女「前から思ってたんですけど、……朝晩だと忙しくてなかなか聞けないんで、今聞いちゃいますね」
女「兄さんってなんでフリーターしてるんですか?」

兄「生活のため、かな」

女「……」

兄「駄目だった?」

女「いえ、あの…………、えっと。兄さん、って彼女さんとか居るんで……す、か?」

兄「いないけど」

女「ほんとですかっ?」

兄「けど……大切な人なら、いる……かな」

女「……」

 やがて、客足が増えてきて、女さんとの会話はそこで終わった。
 なかなか上手く会話が出来たと思った。
 けれど、会話が終わった時、女さんは少し悲しい目をしていた。
 
兄「いらっしゃいませー」

 バイト上がりの直前に、気になる客が一人やってきた。
 妹が通っている学校の制服を着た女の子だ。
 夜もだいぶ遅い。塾帰りだろうか。
 
店長「もうあがっていいよー。朝から晩までおつかれさん」

兄「あ、はい。おつかれさまです」

 ようやく今日の仕事が終わった。
 早く帰って、妹を安心させてやりたい。

 手早く着替えて、まだ働いているバイト仲間に軽く挨拶をしてコンビニをでた。
 あたりはすっかり暗い。
 駅前の周辺はまだいいが、アパートに近づくにつれ街灯が少なくなっていく。

兄「すっかりおそくなったなぁ……」

 途中スーパーで寄って、弊店間際売れ残りタイムセールの半額ヒレカツを買った。
 オーブンで焼きなおせば、十分おいしい。
 たまにはこういうのも……半額だし、いいよな。

 ……い……て
 …た……け……か…

兄「……?」

 どこからか、声が聞こえる。

 「……たすけ……だれか……!」

 女性の声だった。

 だいぶ遠いところから聞こえる。
 声色からすると、切迫した状況かもしれない。

兄「だいじょうぶですかー!」

 声が聞こえた方向へ、出来る限り大きな声で叫んだ。
 あたりに工場はあっても民家はほとんどない。遠慮はいらなかった。

 「こっち……こっちです……!」

 今度ははっきり聞こえた。
 声の主を求めて駆け出す。

兄「今行くから!!」

 工場と工場の間の細い道をくぐって、裏路地に入る。
 このあたりは街灯すらない。
 月明かりを頼りに、人影をさがる。

兄「どこですかー!!?」

 「たすけ……たす……っ」
 「うるせえ!」
 「だまれ!」

 男の声が混ざる。しかも、複数の。
 ……いやな予感がする。

 かなり近い。
 おそらくひとつ先の角を曲がったあたりだろう。

 「いや……いやあっ!!」

兄「……っ!」

 嫌な予想は当たってしまったらしい。
 女性一人を男三人がかりで組み伏せているところだった。
 
 暗がりでも十分わかった。
 男は三人が三人とも、できることなら一生関わりたくないような部類の人たちだった。

兄「おい! もう警察に通報したからな!」

 あるものを突きつけて、出来る限り去勢を張ってみた。

兄「か、……帰れ!」

 叫んでから「何処にだよ」と自分で突っ込みを入れたくなった。
 俺だって人の子だ。勢いで走ってきたはいいものの、強面三人を前にしたら足が震えて立つのがやっとだ。

 「あ゛? てめえなんだ? あ゛?」
 「マッポだ? あ゛? だからん゛だっての?」

兄「こ、これが見えねえのかよ! もうずっと前に、け、携帯で警察呼んだんだぞ! も、もう、来るぞ!」
兄「このあたりは、ち、痴漢防止厳重見回り区域っ、な、なんだからな! すぐ来るぞ!」

 「……ちっ」
 「んだよ……」

 よかった。 
 このあたりのアウトローな奴らにも、公権力はまだ効果があるみたいだった。
 彼らは腐った声を残してフラフラと消えていった。

兄「ふ、……ぁ……っ」

 脱力。
 女性を襲っていた奴らがが見えなくなった瞬間、俺はその場に倒れこんだ。

兄「死ぬかと、思った」

 これまでカツアゲだってされたことがないのに、いきなりあんな……今思えば人殺しもしてそうな奴らはレベルが高すぎる。
 まぁ、でも……これでめでたし、めでたし……

 「あの」

兄「え……」

友「あの、ありがとう……ござい、ます」

 乱れた服を抑えながら、襲われていた女性が俺の傍までやってきた。
 普通は男の方が駆け寄って『お怪我はありませんか』だろうに。
 どこまで俺はヘタレなんだろう。

兄「けが……ないです、か?」

友「だいじょうぶ、……で、す……」

 言い終わる前に、目の前の女性の足が崩れた。

兄「……っ、と」

 残る力を振り絞って、なんとか抱えて受け止めた。
 やはりこの娘もひどく怖かったのだろう。

友「あ……す、すいま……せん」

兄「ほんとに平気か? 病院、行くか?」

友「あの……面倒な、事は、避けたく、て」
友「警察も、その……」

兄「……分けあり、なのかな」

友「……」

兄「まぁ、答えたくないならいいよ。少しおちつくまでここに居よう」

友「え……でも、警察を呼んだ、って……」

兄「あぁ、あれね」

 俺はさっき奴らに突きつけたものを取り出した。

友「え、これ……」

兄「さっき買ったヒレカツ。俺、携帯電話とか持ってないからさ」
兄「だから警察とか言ったのは、いわゆるでまかせ、ってやつ」
兄「うあ……直に握ったから手が油っぽい」

友「……」

兄「あれ、その制服……」

 水色のセーラー服。
 暗がりで、しかも服が乱れてるものだから今まで気づかなかった。

友「うちの学校、知ってるんですか?」

兄「ん? あぁ、まぁね。家族が通ってて」

友「家族……」

兄「あ、もしかして、さっきうちのコンビニ来てた?」
兄「駅前なんだけど」

友「えぇ、っと……あ、はい。あそこの駅前でしたら」

 やっぱり。
 この時間に、この制服でうろついてる娘なんて、あまり居ないからな。

兄「遅くまでなにしてるんだ。親は心配してるんじゃないのか?」

友「……どうでしょう」

 俺の質問を彼女ははぐらかした。
 まぁいい。あれこれ詮索するのも、無粋ってやつだろう。

兄「俺はお説教できるような立場じゃないからな……はは」

友「そんな。でも、本当に、ありがとうございました」

 うん。
 そんじょそこらのやさぐれた生意気娘には、とても見えない。
 むしろ、しっかりしたお嬢様って感じだ。

 とすると、益々こんな時間にうろついてることが疑問だが、それは心の片隅に置いておく事にした。

兄「ま、帰るか。お嬢さんの家はどのあたり?」

友「えっと……あっちの方です」

 彼女はずっと向こうの丘の上を指差した。

兄「あの丘の上か。学校も、あそこにあるよね」

友「はい。私の家、学校から歩いてすぐなんです」

もう少し小間切れに投稿した方がいいのかもしれないと
思いつつもついつい30行近く使っちゃう困った


また明日、残っていたら続きを書かせてください。
昼くらいに書き始められたらと思います。

兄「何かの縁だ。送るよ。またさっきみたいな奴らに襲われるかもしれない」
兄「このあたり、治安悪いんだ」

友「そうだったんですか」

 少し、妹の事が気がかりだった。
 彼女は妹と同じ学校に通ってるみたいだし、もしかしたら知り合いかもしれない。
 彼女の身にこれ以上危険が及んだら、彼女だけではなく、妹も悲しむかもしれない。

 まぁ、日が変わる前に帰ってくれば、きっと妹は許してくれる。

友「あ……でも、あの、……」

兄「送り狼を心配してる? 大丈夫、襲うなら今襲ってる」

友「い、いやそういう訳では。えっと、なら途中までお願いしてもいいですか?」

兄「もちろん」

友「あのコンビニで働いてらっしゃったんですか?」

兄「そう。いわゆるアルバイト。フリーター」

 まだ彼女に信用されてなさそうなので、簡単に自己紹介を済ませた。
 彼女もまだ足に力が入りきらないのか、それとも俺に合わせてくれているのか。
 お互い歩くペースは遅めだ。 

友「私、時々あのコンビニ行きます」

兄「ほんと? んー、今日以外に見たことあったような、無いような」

友「夕方に行くことが多いんですけど」

兄「俺いつも朝番なんだ。3時くらいに帰っちゃう」

友「そうですか……なら、今度は朝行ってみようかな」

兄「学校があるだろ?」

友「あ、そうでした」

 彼女はあはは、と静かに笑った。

兄「……」

友「……」

 会話が途切れた。
 二人の足音と、遠くから聞こえる自動車の低音だけがあたりに響いている。

 自分がこのあたりに住んでいる事や、コンビニで働いていることなんかは、もう話した。
 あとはこういう時、何を話せばいいんだろう。
 あんまりプライバシーに関わるような事以外で……んぅ……

友「あの……」

兄「ん?」

友「何か、はなし……ません、か」

 か細い声。
 言葉の節々が震えていた。

 きっと、会話でもしていないと、さっきの事を思い出してしまうんだろう。

兄「あ、ぁ……すまない。えっと……あ、そ、そうだ。お嬢さんと同じ学校にね、妹が通ってるんだ」

友「へ、……ぇ」

兄「お嬢さんは何年生?」

友「2年です」

兄「じゃあ、同じ学年だ。俺の妹のこと、知ってるかもしれない」

友「……」

兄「名前、妹って言うんだけど」

友「……」

兄「どう?」

友「妹さんの、……お兄、さん……?」

ちょい飯

兄「うん。そうだけど。妹の、……友達?」

友「あ……」

 彼女は少し困った顔をした。
 無理も無い。
 妹は内弁慶だし、学校の友達の話なんかほとんどしない。
 彼女とは友達と言える関係でもないのかもしれない。

兄「クラスメイトとか」

友「そ、そうですね。クラスで、一緒です」

う、ぅ。すいません
ちょっと取り込んでます。

兄「そっか」

友「はい……」

兄「……」

友「……」

兄「あの……」

友「はい」

兄「……その、妹は学校でうまくやれて、……ますか?」

 親心、いや兄心がつい出てしまった。
 妹にしたら、きっと妹のクラスメイトにこんなことを聞くのは余計なお世話なんだろう。
 でも聞かずには居られない。
 妹のクラスメイトと話したことなんて、これまで一度だってなかったのだから。

友「……」

兄「そ、そんな無理に答えなくていいんだ。話せることがあったらで、いいから」

友「……妹さんは」

兄「……うん」

友「妹さんは、妹さんなりに、うまくやっているんだと、思います」
友「静かで、誰かと話すことなんて滅多にないですけど……でも、無視されるとか、そういうのは、無いですし」

兄「……」

友「お兄さんは、安心していいと……わ、私がこういう事言うのは勿論差し出がましいって分かってるんですけど」
友「大丈夫だと、思うんです」

兄「ありがとう」

友「え……」

兄「妹のこと、ちゃんと見てくれてるんだね」

兄「妹はいつもどうってこと無いって顔してるけど」
兄「すごい寂しがりやなんだ」

友「寂し、がりや……」

兄「家では俺がいるけど、学校ではどうしてるか分からなかったから」
兄「お嬢さんみたいな娘がクラスに居てくれて良かった」

友「私は、ただ」
友「ただ……」
友「……」

 言葉を濁らせて、彼女は黙ってしまった。
 何か気に障る事を言ってしまっただろうか。

友「……もう、このあたりで大丈夫です」

 丘へとのぼる坂道の手前で、彼女は言った。

兄「大丈夫? まだ危ないんじゃ。家の前まで送るよ」

友「このあたりはもう明るいですし。歩き慣れてますから」
友「それに、男の人と歩いてるところを見られたら、両親に何か勘違いされそうで」

兄「……できる事なら、今日あったことは警察にちゃんと言ったほうがいい」
兄「俺の名前を出してくれても構わないから」

友「まだ、分からないですけど」
友「ありがとうございます。……お兄さん」

兄「そうだ。一応、名前だけでも教えてくれないか?」

友「……もちろん、いいですけど」
友「ひとつ、約束してくれませんか?」

兄「約束?」

友「妹さんに、私の事を言わないで欲しいんです」

兄「もちろんかまわないけど……まぁ、いい。約束するよ」

友「私、友って、言います」
友「本当に、ありがとうございます。……お兄さんは、妹さんと似て、とても優しい方ですね」

兄「俺と比べたら妹がかわいそうだ」

友「ふふっ。そんなこと、ないですよ」
友「それでは、おやすみなさいです」

兄「あぁ、おやすみ」

 友と名乗った彼女は、ペコリと挨拶をすると、静かに坂を上って行った。
 しばらくその背中をじっと見送った後、俺も家路につく。

 友さんって言ったか。
 なにか、どこかで……

兄「ただい……うわっ」

妹「……にぃ、さ……ん」

 玄関を開けてまず目の前に飛び込んできたのは、布団にくるまって小さく座っていた妹だった。

妹「ばか……! ばかっ! 心配した!!」

 靴を脱ぐ間もなく、飛びついてきた妹がポカポカと俺の胸をたたく。

兄「すまん……」

妹「ずっと待ってた……待ってたんだから。長かったん、だからぁ……!」

兄「ごめん。ちょっと、いろいろあって」

妹「一人は、やだよぉ……」

兄「……」

 妹の瞳から涙がポロポロ零れ落ち、嗚咽する。
 そんな妹を、俺はそっと抱き寄せた。

兄「おみやげ、買ったんだけどさ。途中でだめにしちゃった」

妹「そんなの、いいから……」
妹「どんなおみやげなんかより、兄さんがいいの」

兄「……」

妹「兄さんと少しでも長くいられれば、それで、いいの……っ」

 妹の髪を、そっと撫でた。
 慰めというよりも、自分を求めてくれる妹が愛しくなった。
 自然に手が動いていた。

妹「何にもいらないの……っ、何にも」
妹「でも、一人は……寂しいのは、嫌なの……!」

 今日したことを、俺はあまり後悔していない。
 選択するということは、何かを犠牲にすることなのだと、実感するだけだ。

 もし妹の幸せだけを選ぶ事ができるのなら、生きることに迷いなんて少しもないのに。

妹「うっ……う、うっ……」

兄「ほんと、ごめんな。ごめん……ごめん」
兄「もうこんなこと、無いから。側にいるから」

妹「……一緒に、寝る」

兄「うん、寝ような」

妹「一人で、寝たくない」

兄「……うん。いいよ。これから毎日、一緒に寝よう」

妹「抱きついて寝ていい?」

兄「夏以外なら」

妹「……ばか」

兄「……うん」

 それからすぐに、俺と妹は一緒の布団に入った。
 今日は歯磨きも風呂に入るのも出来そうに無い。

妹「……あったかい」
妹「あった、かい」

 俺の胸に頭を預けて、妹は何度もそう呟いた。

兄「寝にくくないか?」

妹「うぅん、落ち着く」
妹「兄さんの音を聞いてると、すごく、落ち着くの」

 俺の音。
 心臓の鼓動の事だろうか。

妹「でも」
妹「まだ、しばらく、眠れないかも」

妹「あのね、兄さん」
妹「思ったの」

兄「ん?」

妹「胸が、少し大きくなってきたの」

兄「え、……うん。」

妹「わかる、かな」

 そう言って、妹は自分の胸を俺の体にこすり付けてくる。
 腹部のあたりに、感じる。
 気にしない振りをしていた、布一枚隔てた、やわらかみ。

 寝ているので、ブラはしていない。

兄「あまり、そういう事、するなよ」

妹「うれしいくせに」

兄「そういう問題じゃなくて」

妹「ちえ」
妹「もう。……言いたいこと、わかるかな?」

兄「今度、買いに行こうか」

妹「……うん」

兄「今まで、Bだっけ」

妹「……デリカシーないんだ」

兄「やましい気持ちで聞いてるんじゃないぞ。ブラを買う上で必要な知識だろう」

妹「もう」
妹「なら、私も必要な知識を調べておく必要あるかな」

兄「え、何?」

妹「兄さんはどんな柄が、……好き?」

兄「お、おまっ」

妹「色でもいいよ。白とか、ピンクとか」
妹「透けてるのとか……あと、ヒモとか」

兄「後者はブラの話じゃなさそうだな」

妹「最近は、ブラもショーツもセットが普通なんだよ」

兄「そうだったのか」

 知らなかった。
 高校生も、みんなそうなのだろうか。
 体育の時間、着替えている時に、これまで妹は恥をかいてきたのだろうか。

妹「だからね。兄さんが着けて欲しいもの、着たい」
妹「それなら、……兄さんに見てもらえるためなら」
妹「スーパーで売ってる下着、卒業してもいいかなって、思うの」

兄「俺が着けて欲しいったってな……」

妹「無いなら、別にいつものでも、いいかな」

兄「う、むぅ」

兄「あのさ……」

妹「うん」

兄「俺の為とか、そういうのさ」
兄「あんまり考えて、欲しくないかもしれない」

妹「……」

兄「あ、いや。もちろん嬉しいんだけど、さ……」

 そう、嬉しい。
 妹に想われて、妹に好かれて、妹に愛されて嬉しい。
 妹のすべての行動は、俺ありきで成り立っている事実は、しごく甘美だ。
 このまま酔いしれて、妹に溺れるのもきっと幸せな人生なのかもしれない。

 ……けれど。

兄「普通の家族に、なりたいんだ」

妹「……」

兄「だから、……だから」
兄「……うまく、言えないんだけど」
兄「妹は、もっとわがままでも、いいと……思う」

 何度か同じ様な事は言ってきた。
 十分わがままさせてもらってるよ、と返されてきた。
 けれど、何度だって言うのだ。
 
 俺の過去も将来も命も、妹の為にあるのだから。
 妹が妹たりえる為なら、俺は何だってするのだから。

妹「兄さん」
妹「……話」
妹「もどす、ね」

兄「……?」

妹「思ったの」

妹「下着ひとつとっても、私は兄さんが居なければ、用意することが出来ないの」

兄「それは違う」

妹「聞いて」

兄「……」

妹「……私は、ずっと兄さんに甘えてきた」

妹「もう何万回って後悔したよ」
妹「高校なんて行かずに働けば良かった」
妹「勉強なんか鼻にかければよかった」

妹「ずっとずっと、悔やんでる」
妹「ずっとずっと、甘えちゃってる」

妹「こうなるって……後悔するって、分かってた」
妹「でも無理だったの」
妹「私が一人で生きていけるようになったら、きっと兄さん」

妹「私から離れていっちゃう……」

兄「そんな、こと……」

 言い切れなかった。
 もし、……もし、妹が自分の力で生活できるようになったとして。
 今と同じぐらいの距離を保って居られるだろうか。

妹「兄さん……」

 妹は、俺の手のひらを掴んで、自分の胸に押し付けた。
 はっきりとした乳房の感触。
 ぞくりと何かが掻き立てられる。
 
妹「わかりますか?」
妹「私の、気持ち」

兄「……」

妹「もっと、兄さんとの繋がりが欲しいの……」

妹「そうすれば、もっと安心して兄さんに甘えられると思う」
妹「兄さんが望む姿の私で居ることに自信が持てると思う」

兄「……愛してる」

妹「愛してるなら、抱いて、ください」

兄「嘘じゃない」

妹「たとえ嘘じゃなくても、言葉は残らないから」

妹「私の体に、残してほしいの」
妹「傷を」

兄「だめだ……、出来ない」

妹「兄さん」
妹「私を傷つけて……」

 キスをした、あの頃。

 唇と唇を重ね合わせて幸せを感じた、あの時。

 『結婚できるのは4等親から』が産まれるもっともっと前に決められていた事を、知らなかった頃。


 よく、物語を読んで聞かせた。
 いつも絵本のお姫様にあこがれていた。

 運命の王子様とお姫様を演じて、誓いのキスをした。
 何度も。


 けれど。
 そんな「ごっこ」はすぐ卒業した。

 「お姫様と王子様」から「兄と妹」になるのだと
 どこにでもいる兄妹になるのだと

 ぼんやり分かってきた、その頃。


 父が命を絶った。

 死の際に、父の声を聞いた。

 学校で「グリーングリーン」という唄を習っていたから、父はなにか大切なことを言ってくれるのかと思っていた。
 しかしそうではなかった。
 
 父は何度も何度も、謝るだけだった。
 弱弱しい声で、死んだ後も謝り続けるのかと思うくらい「すまない」を繰り返していた。

 その時、なぜ謝るのか理解できなかった俺は、父に聞いた。

 「ぼくはこれから どうすればいいですか」

 謝る事を辞めた父は、2つの答えを言った。
 言い終わると、もう一度だけ「すまない」と言って、静かになった。


 それから数年が経ち
 中学3年生になり、担任がこう言った。

 「高校には行きなさい。将来を決めるには、まだ幼すぎる」

 違うんだ、先生。
 俺の将来を決めたのは、俺だけど、父さんなんだ。

兄「俺は妹を傷つけたりなんか出来ない」

兄「俺は妹を守るために生きているから」

 妹の目をまっすぐ見据えて、俺は言った。
 言葉が残らないなんて言わせない。
 俺は父さんの言葉を頼りに、ずっと生きてきたのだから。 

妹「……言うと、思った」

兄「父さん言ってた。兄は妹を守るものだって」

妹「意気地なし」

兄「……」

妹「父さんのせいにしたって駄目なんだから……」
妹「知ってるんだから。私に手を出す勇気が無いんだって……知ってるんだからっ」

 ボロボロと涙を零しながら、ずっと堪えていたものを妹は吐き出した。

兄「……」

妹「ほら、否定できない……っ」

 妹を大切に想う気持ち。
 妹を手に入れたい気持ち。

 ずっと抱え続けてきた、二律背反の苦しみ。
 大切に思えば思うほど、妹への想いは募ってきた。

 そんな俺に否定できるはずもない。 

妹「お願い……もう、限界なの……!」
妹「兄さんが今日、いろいろあったように、私にもいっぱいいっぱいあるんだよぅ」
妹「兄さんはずっとコンビニで働いて、私を養ってればいいと思ってるの?」
妹「違うんだよ……」

妹「私も、選ばなきゃいけない」
妹「何かを犠牲にして、前に進まなきゃいけない」
妹「……言ってること、分かる?」

妹「お願い」
妹「私に兄さんを選ばせて……」

兄「……」

妹「兄さん、お願い……兄さんっ」

 俺を求めて、俺の名前をを呼んでくれる。
 嬉しい。心地が、いい。
 こんなに自分の事を想ってくれる人が居ることを、幸せに思う。

妹「もういいの……。私の為に、父さんの為に、苦しまないで」
妹「私が、父さんの呪いを解くから……」

 父さんの、呪い。
 そう、俺は父さんの言葉に忠実に……
 兄は妹を守るものだと、忠実に……
 常に俺を衝き動かしていたものは、父さんの言葉―――

 ―――いや

 違う


妹「思い出して」

妹「兄さんは、兄さんである前に」

妹「王子様だったこと」

 王子は竜と戦った。
 王子は悪い魔女をこらしめた。
 王子は姫を永遠の眠りから解き放った。

 なんてことはない。
 父の言葉はきっかけにすぎない。

 俺を衝き動かしていたものは、父が死ぬよりもずっと前にあったじゃないか。


兄「王子は、姫を、守る」

妹「それから、姫と王子は、幸せになる」

兄「……もう、兄と妹には戻れないかもしれない」

妹「いいよ」

兄「幸せにしてやれないかもしれない」

妹「兄さんと一緒に居られる以上の幸せなんて、ないよ」

兄「なら、俺は王子として呪いを解かなきゃいけないな」

妹「お約束だね」

 いっぱいの涙で濡れている妹に、笑顔がこぼれた。

兄「あぁ、お約束だ」

 笑顔に引き寄せられるように、妹を近くに引き寄せた。
 ぐっ、と顔が近づく。
 吐息が熱く、くすぐったい。

妹「呪いを解く方法は?」

 まるで秘密を言い合う様な、ささやきあい。
 昔もこうやって、親に内緒の秘密を教えあった。

兄「もちろん―――

 ずっとずっと隔てていた、保ってきた距離を、今、縮めた。
 唇が、誓いを帯びて、妹の唇と触れ合った。

 そして兄妹の呪いは解かれ、男女の契りへと変わる。

 ずっと見ていた肢体。
 狭い家だ。成熟してきた妹の裸を見たのは、一度や二度ではない。
 感じぬ振りをしていた。嘘を自分についていた。

 いつだって、この肢体を手に入れたくて仕方なかった。

兄「ごめん」

妹「なに……が……?」

兄「待たせて、ごめん」

 ふくよかな双丘。ツンと勃ちあがった乳首。
 折れそうな程細い腰。その中央の薄い茂みに隠れた、妹の秘密の部分。
 
 すべて、いつも近くにあった。

兄「好きだ」

 祈るようにつぶやいて、やがて妹と繋がった。

 俺は生まれて初めて、妹を傷つけた。

 「死ぬほど」という言葉が使いたくなるほど、妹の粘膜は気持ちが良かった。
 狭くきつかったが、俺自身が締め付けられれば締め付けられるほど、求められているような気がした。
 快楽に夢中になって、妹を壊してしまうのではないかと怖くもなった。

 それでも妹は、俺の欲望の全てを肯定して、受け入れてくれた。

 この行為が命を産み出す行為だと、もちろん知っていた。
 妹が俺を求めて、俺も妹を求めて、お互いを受け入れ合っているのだ。
 兄妹で無くなった今、引け目を感じる必要などまったく無かった。
 
 俺はむしろ、もっと先の事を想像していた。
 1年後の事すら想像できなかった、あの頃とは違う。
 10年以上先の、未来を。
 この行為の結果を。

妹「兄さんの温もりが、全部、ほしい……!」

 最高だ。幸せだ。
 やっと、叶えられる。
 妹の願いを。

兄「妹―――」

 ずっと、ずっと耐えてきたものを、妹の中に解き放つ。
 生まれてからずっと、何か足りないと感じたものが埋まった充足感に、俺は打ち震えた。

兄「透けてるやつが、いいな」

妹「え?」

兄「下着」
兄「一緒に買いに行くんだろ?」

妹「あ……」

 俺の腕を枕に寝ている妹の、にごった返事。
 顔に「しまった」と書いてある。

兄「エッチな下着をはいてる妹、見たいな」

妹「も、もう……兄さん、調子に乗りすぎ」

 そう言って、赤くなった顔を隠すように布団に隠れた。

兄「嫌?」

妹「べ、別に嫌じゃないけど……」

兄「心配しなくても、普通の下着も買ってやるって」

妹「……ほんと?」

兄「ただし、条件がある」

妹「条件?」

兄「遠慮なく、妹の好きな柄を選ぶこと」

妹「……兄さん」

 そうだ。
 もう、我慢しなくていい。
 もっと俺に甘えていい。わがままを言っていい。望みを持っていい。
 いいんだ。

兄「ほしいものはほしいって、ちゃんと言っていいから」

妹「……うん」

 小さい体を、愛しい気持ちを込めて抱きしめる。
 妹を守り、共に生きていくのだと、そっと自分に約束をした。


 第2章 おわり

 第3章


妹「い、いらない」

友「どうしても?」

妹「……」

友「じゃあ、こうしよ」
友「私ったら、美味しそうなもんだから、つい2つ買っちゃって」
友「でもやっぱり食べきれないから食べてほしいの」
友「妹さんに」

 よくもまぁ、口が動くなと思った。
 受け取ってしまったら、また友さんのペースに乗せられてしまう。
 けれど、目の前のクレープは、私にとって魅力的過ぎた。
 好物――主に生クリーム――をはねのけられるほど、私の意志は強くない。

友「さ、どうぞ」

妹「……」

 クラスメイトに奢ってもらうなんて、初めてだ。
 しかも、驚くほど高価だった。
 二つで千円以上するものを、友さんはポンとお金を出してみせた。

 ……もしこのクレープを返金できるなら、夕飯のおかずを2品は増やせるのに。

すいません朦朧としてきたのでおやすみを下さい……
遅いくせに助詞とかに間違い一杯あってごめんなさい

また明日、……遅くなるかもしれませんが
残っていたら続きを書かせてください。

ただいまです。遅れてごめんなさい。
具体的な感想や意見は本当にありがたいです。

もう少ししたら、はじめさせてください。

 友さんは不思議な人だ。

 いつも私が保とうと思う距離よりも、友さんは内側に入ろうとしてくる。
 だから何回も、これ以上近づかないで欲しいという信号を出した。
 友さんは、その信号をちゃんと分かっていたはずだ。
 それなのに、友さんはどんどん私に近づいてくる。

 こんな人と出会ったのは、初めてだった。

 
 
友「おいしかったぁ」


 友さんと私は、公園を散歩しながらクレープをたいらげた。
 はじめは奢ってもらう事に抵抗があったけれど、一口食べたらそんな事はそんな事は頭から消えていた。

 だって、あまりにも美味しかった。
 
 料理の腕にはちょっと自身がある。
 でも、こんなに美味しいクレープ……うぅん、生クリームを、私は作れた事がない。

友「あ、見て」

妹「……?」

 友さんが指さした方向に、船がとまっていた。
 白くて、大きい船。

友「あれね、氷川丸。もうずっと昔の船なの」

妹「昔……」

友「私のおじいちゃんよりも、年とってるんじゃないかな」
友「もう引退しててね。確か中を見学できたはずだよ」

 そんなに前からある船なんだ。
 船の事なんかぜんぜん知らない私にとって、今の船とどこが違うのか分からない。
 
友「入ってみる?」

 返事を待たずに、友さんは私の手をとって氷川丸に向かって歩き出した。
 ……やっぱり、友さんのペース。
 嫌じゃないけど。

友「いいよ、私だすよ」

妹「あ、……大丈夫、だから」

友「でも、せっかく来たんだし」

 船の中を見学するには入場料がいるみたいで、また友さんは奢ってくれようとしてくれた。
 気持ちはうれしいけど、……なんだろう、どうしても受け付けない。

 兄さんもよく私の好きなものを買ってくれようとする。
 兄さんが私の事を想って、お金を出そうとしてくれるって、分かってる。
 でも……そうじゃ、ないんだ。

妹「……」

友「ご、ごめん。そうだよね」
友「私、ごめんね。妹さんの気持ちも考えず……」

 知らず知らずのうちに、不機嫌な顔をしてしまっていたらしい。
 謝らなくていいのに。
 私は、自分でも良く分かってない意地を張ってるだけだから。

妹「……うう、ん」

 私はそう言って、首を横に振った。
 ……もっとしっかり意思を伝えられたらいいのに。

友「私が誘ったから、さ……。妹さんに楽しんで欲しくて」

妹「……うん」

友「でも、今度また来ようね。一緒に」

妹「……」

 返事はかえさない。
 嫌、とは言えなかった。

友「私ね、こういう……昔からあるもの、好きなの」
友「妹さんは?」

妹「……どうだろ」

 友さんは歴史が好きなのかな。
 私はべつに嫌ってわけじゃない。
 歴史のテストは覚えたところがそのままでやすいから、楽でいいけど。

友「妹さんは、この世界が『用意されたもの』とか、思うことない?」

妹「……?」

 友さんは、ちょっと変わった事を言う癖がある。
 私は友さんのこういう面が、嫌いじゃない。
 むしろ、好きかもしれない。
 テレビの話とか、アイドルの話なんかよりも、私にとってはよっぽど興味深いから。
 なんとなく感じていた日々の疑問に、友さんの言うことがぴったり当てはまる時だってある。

友「もし、私っていう意識を生かすために、歴史があったとしたら……」
友「ありえない事なんだけどね、考え方によっては、正しい気がするの」

 ……なるほど。
 これまでの歴史が、友さん一人を生み出す為に『用意された』のだったとしたら。
 そういう仮説の話を、友さんは言っているのだ。
 確かにそれは誰にも証明や否定ができない。

 そして友さんは、歴史の末端にいる。
 「歴史の歯車が友さんを生み出した」とも、それは言い換えられるだろう。

友「だからね。私は生まれながらにして、歴史を与えられてる」
友「用意された世界に、生きている」

妹「……」

友「私だけじゃないよね」
友「みんな、生まれた時から、何かを与えられている」
友「用意されている」

友「それって……」
友「……」

 ひとしきり話すと、友さんは海の方に視線を向けた。
 波のおだやかな港。

 遠くの方で、白いかもめが2羽飛んでいる。
 つがいだろうか。

 ……きっと、友さんは「運命」とかそういう類のものを「用意された」と言っている。
 自分の置かれた境遇や立場は、振り返ってみないと分からない。
 私だって、兄さんと二人寄り添って生きている現実が、「用意された」ものだなんて、これまで思ったことは無かった。

友「氷川丸はね、太平洋戦争を生き残った、数少ない貨客船らしいの」
友「そして今日この時、私は妹さんと氷川丸を見れた」

友「……そう思うと、なんだか面白いよね!」

 海を見ていた友さんが、私の方に振り返って明るい声でそう言った。
 ……一瞬見えた悲哀は、多分、私の勘違いじゃない。
 きっと、友さんは何かを抱えている。

 その「何か」を知りたい欲求が、この時、私の心に芽生えた。

 それからしばらく友さんと海沿いの散歩を続けた。
 友さんに先導されて歩いていたら、いつの間にか桜木町に着いていた。
 気がつけば、日はとっくに傾いている。

友「せっかくだから、観覧車乗っていこうよ」

 遊園地にたどり着いて友さんがそう誘ってきたが、私は今度も断った。
 観覧車は、ちょうどライトアップをし始めたところだった。
 虹色に光る大きな円。
 あの高さから横浜の街を見下ろしたら、きっと気持ちがいいだろうなぁ……。

 私の家は、海に程近い低地にあるから、景色を見下ろす事なんて殆どなかった。
 丘の上にある高校からの景色は、入学当初すごく新鮮だったのを覚えている。

友「じゃあ今度、絶対乗ろうね」

妹「……」

 やっぱり、私は嫌ともウンともいえない。
 ……友さんと乗りたくないなんて言ったら、うそになる。
 でも、私は普通の女の子みたいに、遊んだりできないから……

 桜木町から家に帰るのは、大変だった。
 そんなに長い間一緒にいた感じがしなかったから、すっかり油断しちゃってた。
 
友「ごめんね、ほんと、遅くまでつき合わせちゃって」

 何度かこうやって謝られたけれど、私は首を振って返事をした。

 謝らないで。今日は、楽しかったよ。
 ……そうやって、口に出して言ってあげたい。
 タイミングが分からないし、気恥ずかしいから言えないけど。

 
友「あ、私、道こっちだ」

妹「……そう」

友「今日はありがとね。こんな遅くなっちゃったけど……妹さんと一緒に遊べてよかった」
友「すごく、楽しかった」

 私が言いたいことを、友さんは当たり前のように言ってのける。
 ……いいな。うらやましいな。

妹「……じゃ」

友「うん。また、明日」

妹「う、……ん」

友「にひっ」

 私がなんとか返事をすると、友さんは笑顔を見せてくれた。
 そしたらなんだか、その笑顔に答えたい義務感が溢れてきて、気がついたら口が動いていた。

妹「今日は、ありが、と。えっと……クレープ、とか」

友「美味しかった?」

妹「……ん」

友「あの時、妹さんの笑顔見れて、……嬉しかった」

妹「え、……?」

友「なーんって。じゃ、ね! 気をつけて!!」

 ほおける私を置いていく様に、友さんは家路に向かっていった。
 ……ほんとに、もう……どうしてあの人は恥ずかしい事を平気で言えるんだろ。

ちょ
意識飛んでた……orz
せっかくネカフェ入ったのに死にたい

 その日、兄は少し不機嫌だった。
 
 学校からまっすぐ帰る暗黙の了解を、私が破ってしまったからだろうか。
 それとも、私が誰かと一緒にいた事を気にしてくれているのだろうか。

 ……後者だったらいいな、と思う。


妹「兄さんのバイト先には、どんな人がいるの?」

兄「え、何。突然」

 夜。
 夕食と寝る準備をお互い済ませた頃、私は聞いてみた。

妹「……ちょっと、気になって」

 思えば、兄は自分の事をあまり話してくれない。
 それは私もだけど。

兄「コンビニだからさ、人がしょっちゅう出たり入ったりするよ」

妹「うん」

兄「俺はあそこで働いて結構経つけど、俺みたいなのは珍しいんじゃないかな」
兄「みんな1年経たないでやめてくから。2年持てばいいほう」
兄「半分くらいが大学生で、あとは俺含めてフリーターとか、主婦の人とか」
兄「シフトは被った事ないけど、高校生も居るらしいよ」

妹「ほんと? どんな人?」

兄「さぁ……。会った事無いから」

 私と同じ年くらいの人が、お金を稼いでいる。
 うらやましい。
 奨学金が貰えて、学費も殆ど免除になるからと今の学校に決めた。
 今思えば、普通の公立高校に通って、バイトをするのも良かったかもしれない。

 どうしてバイト禁止の学校なんか、選んでしまったんだろう。

兄「あんまり、お金の事考えるなよ」

妹「う、うん……、でも」

 私の気持ちを読み取ったのか、兄が私の頭を優しく撫でてくれた。

 でも、考えない訳には行かない。
 だって、兄さんは私と違って、高校へ行く選択肢すらなかったじゃない。

妹「くやしいな」

 今日、友さんが話してくれた事が、頭に浮かぶ。
 『用意された世界』。
 兄さんが私と同じ年の頃から、毎日働きに出なければいけない事や
 私が兄さんの荷物になっている事は
 あらかじめ決まって居たのだろうか。

兄「妹は十分がんばってくれてるよ」
兄「妹が一生懸命に勉強とかしてくれてるとさ……俺も、働いてる甲斐とか、あるからさ」

妹「……うん」

すいませんナイトパックの時間切れるので失礼します……
寝てる間に保守して下さって、本当にありがとうございます
また続きを書かせてくれると嬉しいです

兄「出来のいい妹で、俺も鼻が高いよ」

妹「兄さんこそ。高校行ってたら、きっと私なんかより凄かったよ」

兄「そんなことないさ。昔から俺は勉強嫌いだから」

 私が今がんばれてるのも、兄さんが昔勉強教えてくれたからだよ。
 そう言いたいけれど、今は兄さんの優しさに甘えたい。
 ……撫でてくれるだけじゃ、足りないよ。

妹「……んー」

 兄さんの胸板に、頭をこすり付ける。
 猫になってじゃれついている気分で、不思議と落ち着く。
 要は、私が甘えん坊だってこと。

兄「寝るか?」

妹「……もうちょっと」

 まだ話したりないし、兄さんの温もりも感じたりない。

兄「じゃあ、……もうちょっと」

 胸の中の私を、兄さんは両腕で包み込んでくれた。
 甘えてもいいよ、と体で言ってくれているのだ。

 なら……心も甘えちゃおうかな……

妹「……仲のいい人とか、いるの?」

兄「え?」
兄「あ、あぁ……バイトの話か」

妹「気になってる人とか」

兄「ぶふっ、……ど、どういう意味」

 あれ。
 思ったよりも兄さんが動揺してる。

妹「あやしい」

兄「あ、怪しいって。決め付けはよくない。冤罪だ」

妹「なら正直に話してほしいな」

兄「う、うーん。困ったな。正直なところ、仲のいい人なんて居ない」

妹「……そうなの?」

兄「俺バイト先では浮いてるから」

 私も、クラスの中では浮いている。
 もしかしたら、沈んでるって表現した方が正しいかも。
 テストの成績関係以外で、目立ったことなんてないし。

妹「バイト中、話したりはしないの?」

兄「それはする、かな……」

妹「お話できるのに、浮いてるの?」

兄「俺、趣味とかないし。あんまりほかの人と話合わないんだよね」

仮眠とってご飯を食べさせていただきました。
何度も保守スレにしてしまって申し訳ないです。

そういえばバレンタインのやつをかいてから、もう一年経つんですね
成長してない感ハンパねぇっす

妹「そっか……」

兄「妹は俺がほかの人と仲良くした方がいいと思う?」

妹「……」

 少し悩んだ。
 顔の見えない誰かと、兄さんが笑い会っている姿が頭の中に浮かんで消えた。

妹「……やだ」

兄「なら、このままでいいかな」

 独占欲が無いって言ったら嘘になる。
 でも、それだけじゃないの。
 兄さんと私は、ずっと支えあって生きてきた。

 私は兄さんが居なかったら生きられない。
 ……だから、兄さんも私無しで生きられないで居てほしい。

 こう思うのって、いけないことかな。
 悲しいことかな。
 でも、私を求めてくれる兄さんじゃないと、私は安心して息もできないくらい、苦しいの……。

 そんな兄さんに、私以外の理解者が現れるなんて……許せない。
 受け入れられない。

妹「ごめんね、兄さん。わがままな妹で」

兄「もっとわがままになって欲しいくらいだけどな」

 兄さんの声は優しい。
 「私以外の誰とも仲良くしないで」なんて言ってる私を許してくれるのは、兄さんだけだ。
 兄さんが居ればいい。
 兄さんしか、要らない。

兄「……妹はいいんだからな」
兄「俺に遠慮なんか、しなくていいんだからな」

妹「うぅん。……友達とか、そういうのは、やっぱりいらない」

兄「……決め付けちゃ、だめだよ」
兄「俺は、俺に何かあったとき、妹の支えになってくれる人が……」

妹「やめてよ……」
妹「そんな悲しいこと、言わないでよぅ」

 想像すらしたくなかった。
 もし、兄さんが居ない世界が『用意された』としたら。
 私は迷わず、こんな世界を捨てるだろう。

 兄さんが寝息をたて始めたころ、、友さんの事を思い出した。

 友さんは、私と仲良くなりたいんだろうか。
 私なんかと友達になりたいんだろうか。

 だとしたら、私は友さんを拒絶しなきゃいけない。

 ……今日、友さんに抱いた想いは、すべて幻想だ。
 誰かに慕われて、悪い気になるはずがない。
 慣れてない事だから、ちょっと浮かれてしまっただけだ。
 そうなのだ。
 私には、兄さんしか居ないのだ。
 兄さん以外の人に慕われて、幸福を感じるべきではない。
 そうでなければ、兄さんに対して筋が通らない。申し訳が立たない。
 兄さんは兄さんの全てを賭して、私と生きてくれている。
 だから、私も私の全てを、兄さんにささげなければいけない。
 いけないんだ。

妹「おやすみなさい、兄さん」

 兄さんの胸元に、そっと口付けをして、私は眠りについた。

うだうだ何度もすいません
もう全体の3分の2以上終わってるんですが
いま他の用事を済ませているので、もう少し時間を下さい

 結局のところ、私は友さんを拒むことができなかった。

友「お昼たべよっ」

 いつもこの時、一瞬迷う。

 誘われるのは分かっていた。
 頭の中で断る練習を何回もした。
 それでも私は友さんに「嫌」の一文字が言えない。

妹「……ん」

 創造してしまうのだ。
 友さんを私の中から消してしまった後の事を。

 そしたら必ず怖くなって、伝えなきゃいけない事も、伝えられなくなってしまう。
 いつかは友さんとの関係を絶たなければいけない。
 遅ければ遅いほど、きっと別れはつらくなる。

 それでも私は、一時の幸福を選んでしまう。

 ……ごめんなさい、兄さん。
 私は弱いです。

友「えへへ、やった。今日はどこで食べよっか?」

友「妹さんに、私の得意料理教えてあげる」

妹「あるんだ」

友「ホットケーキ。市販の粉で作ったやつ」

妹「……景色、きれい」

友「ちょ、ちょっとスルーしないでよぉ」

 今日は学校の屋上でお昼を食べることにした。
 屋上まで出るのは結構めんどくさいので、ほかの生徒はあまり立ち寄らない。
 眺めがいいのでそれでも休み時間に来る生徒はちらほらいるけど、今いるのは私たちだけ。

 この学校は丘の一番高いあたりに建っている。
 屋上は、その学校の一番高い場所なので、あたり一帯視界を遮るものはほとんどなかった。

妹「ちゃんと計らないと、案外、難しい」

友「ホ、ホットケーキの事?」

妹「うん」

 私なりに、友さんの事を褒めたつもりだった。

友「そ、そうなの。ちゃんと粉に合った分量の牛乳入れたりとかさ」
友「トッピングにこだわってみたりとか、焼き加減とか」
友「ホットケーキひとつとっても難しいの!」

妹「そう、だね」

友「……だから」
友「私なんか、ホットケーキを作るのが精一杯なのに」
友「妹さんはお弁当においしそうな煮物が」

妹「……食べたい?」

友「いいの?」

 察してあげると、友さんはすぐに目をキラキラさせた。
 なあんだ。欲しいなら普通に言ってくれればあげたのに。
 
妹「はい」

 煮物の中からレンコンを一つお箸で挟んで、友さんの方に向けてあげる。

友「いただきますっ」

 レンコンが私の箸ごと友さんの口の中にパクリと収まった。
 ちょっと行儀は悪いけど、別に悪い気はしなかった。

友「おいしぃ……っ」

妹「……ども」

友「うちの家ってさ、お母さん料理するにはするんだけど、洋風なのばっかりで」
友「簡単にできる炒めものとか多いし。あとスパゲッティ」

妹「うん……スパゲッティは簡単」

友「だから、妹さんみたいに家庭的な和食作れるのって、ちょっと憧れるんだよね……」

 なんてことんはない。
 要は、ご飯を作らざるを得ない環境にあったから、自然と覚えただけ。
 私はむしろ、自分で作るよりも作ってもらう方に憧れてしまう。

妹「……」

 ついこの前、友さんの家に行った。
 人の家に入ったのはどれくらいぶりだったろう。
 
 家というと、私の住んでいるアパートが普通だったから、ちょっと驚いた。
 もしかしたら、友さんにとってはあの家が普通なのかもしれない。

 友さんの家に行ったときから、友さんと一緒にいることへの後ろめたい気持ちが、急に薄くなったと思う。

 あの時、友さんは私に「友達になれたかな」と言った。
 それを聞いて私は、凄く残念な気持ちになった。
 私はずっと、友達なんて要らない人だったから。
 やはり友さんは友達なんだなと、思えた。
 だから友さんへの踏ん切りがついた気がした。気がしたのに。

 気付けば、私はこうして友さんとお弁当を食べている。
 以前よりもよく話して、よく笑いあって。
 そして明日は、今日よりも仲良くなるだろう。

 ……私は友さんに、いったい何を求めてるんだろう。

妹「友さんの家から見た景色、思い出す」

 目の前に広がる、横浜の街。
 青い海。工場。道路。住宅。
 そんなごちゃごちゃした街並みから生える、幾つかの高層ビル。
 ……私の家は、ごちゃごちゃの中にある。

友「よかったら、また来てね。チョビも、さびしがってる」

妹「うん」

妹「ただいま」

 返事がない。
 まだ兄さんは帰っていないみたいだ。

妹「……は、ぅ」

 玄関のドアを閉めると、心と体が緩んで、ため息が出た。
 この瞬間が、私にとっての一日の終わりな気がする。

妹「兄さん、早く帰ってこないかな……」

 家にあがって、朝干した洗濯物を取り込んだ。
 それからカーテンを閉めて、制服を脱いで部屋着に着替える。

妹「……やっぱり、最近ちょっと苦しいな」

 怖いから計っていないけど、ここしばらく胸がとても窮屈に感じる。
 そういえば一年以上新しい下着を買っていない。

妹「なんで、大きくなっちゃうかなあ」

 兄さんは大きいほうが好きだろうか。
 前に何回かふざけて聞いたことがあったけど、一度も答えてくれなかった。
 ブラが合っていないと形が崩れると聞いたことがある。
 大きさはともかく、兄が形の崩れた乳房を好き……なんてことはないよね。 

兄「昨日のも美味しかったけど、今日の煮物もうまいな」

妹「ほんと? かぼちゃ、頑張って切ったんだ」

 夕食の時間。
 私は、この時間が一日の中で一番好きかもしれない。
 頑張って作った料理を、兄さんが食べてくれる。褒めてくれる。
 朝も食べてくれるけど、お母さんを起こしちゃうからあまり話せないし。

兄「最近、いつにも増して料理頑張ってないか?」

妹「え? そ、そう……かな」

兄「気のせいかな。なんかお弁当も前より見栄えとか気にする様になった気がする」

妹「料理って味より見栄え、って言う事でしょ?」
妹「出来が悪くても、見た目がよければなんとなく美味しく感じたりするって気付いたから」

兄「そっか」

妹「う、うん」

 変だな。
 これじゃあ、私が隠し事をしているみたいだ。

 うぅん、実際、隠し事してるんだった。
 ……友さんのこと。
 友さんと一緒に居るようになって、もう一ヶ月ぐらいになってしまう。
 きっと兄さんは、友さんの事を話しても嫌な顔なんかしないだろう。
 むしろ、私に友達が出来たと笑顔で喜んでくれると思う。

 でも、違う。
 そういう問題じゃない。
 
 私たちはお互いに、唯一で最大の理解者じゃないと、駄目なんだ。

妹「……」

兄「大丈夫か?」

妹「えっ。う、うん。ちょっと考え事してて」

兄「……何か、悩みでもあるのか?」

妹「悩みとか、そういうんじゃないから、大丈夫。大丈夫」

兄「そうか……」

 あ……しまった。
 これじゃあブラがきつくなった事が話せないよ……

 ご飯を食べてから寝るまでの間に、少しだけ授業の復習をした。
 今日は、古典。
 清少納言の書いた枕草子が今やっている範囲だ。
 教科書を使わずに、古典の先生が枕草子から好きなところを抜粋したプリントを使っている。

妹「……あ、ここ、授業中に私が読んだとこ」

 『御かたがた公達上人など、御前に人多く侍へば、廂の柱によりかかりて、
 女房と物語してゐたるに、物をなげ賜はせたる。
 あけて見れば、「思ふべしやいなや、第一ならずばいかが」と問はせ給へり。』

妹「……」

 枕草子の九十七段。
 清少納言と、清少納言が使えている藤原定子のやりとりだ。
 簡単に現代語訳すると、こうだった。

 藤原定子が高貴な方を回りに侍らせていたので、清少納言は柱に寄りかかって他の人と話をしていた。
 そんな定子の姿を眺めていた清少納言に向かって、定子が何かを投げた。
 その何かをあけてみると、こう書いてあった。
 「あなたを可愛がってもいい。でも、それが一番じゃなかったらどう思う?」

妹「……一番じゃなきゃ、やだよね」
妹「私は、一番じゃないとやだな」

 千年も前の人が、私と同じ様な悩みを持っている事に、少し愛着がわいた。
 ただ、この語訳には、少し語弊がある気がする。

妹「なんだか、これじゃあ藤原定子と清少納言が同性愛者みたい」

 現代語訳を書いたノートから、「あなたを」という部分を消しゴムで消した。

兄「風呂、あいたよ」

 消し終わったところで、兄が部屋に入ってきた。

妹「うん。ありがと」

兄「もしかして、テスト近い?」

妹「んー、まだ。ひと月くらい先かな」

兄「だったら、早く風呂入って、寝ちゃいな。今からやってると体力もたないよ」

妹「うん、……ありがと」

ちょっとご飯行ってきます。
語訳に間違い発見伝
「定子の姿を眺めていた」とか完全に脳内俺訳
うん、ありがとorz

友「妹さんって、何カップ?」

妹「え゛ぅっ」

 いつもの要にお昼を食べていると、友さんがいきなり変な事を聞いてきた。
 思わずオカシイ声がでちゃったじゃない……。

友「ぷはっ、変な声ー」

妹「と、友さんこそ。突然……」

友「ごめんごめん。ふふっ」
友「ほら……思春期だから、そういうの気になる年頃なんだ」

 いまいち理由になってないのは、きっと気のせいじゃない。

妹「……セクハラだよぅ」

友「女の子同士にセクハラはないんだよぉ」

妹「そんな事言っても、教えない」

友「けちー」

友「あのね、私の予想ではね、妹さんって結構大きいよね?」
友「足も腰も顔も細いのに、出るとこでてる、みたいな」

妹「……」

 しつこいので、もう無視することにした。

友「セーラー服の妹さんも可愛いけど、おしゃれしてるとこ見てみたいな」
友「それで横浜駅にでも行ってみなよ。きっといっぱいナンパされるよ」

妹「……」

友「こう、胸が目立つ様な格好して……くびれのラインも見せ付けちゃって」
友「もちろん直視できないくらい眩しい生足で……」
友「でもやっぱり妹さんが人目にさらされるのはやだなぁ」

妹「……」

友「ねぇ、……もしかして、ブラのサイズ合って……ない?」

妹「……」
妹「……えっ?」

友「ごめん、体育の時まじまじと見ちゃった」

妹「……えー」

友「げ、幻滅しないで欲しいよ。胸がキツそうだな、って思っただけなんだから」

妹「う、うん……」

 しょうがないなぁ。
 この際、疑わしきは罰せずにしてあげよう。

妹「実は、ちょっと、今も苦しい」

友「だよ、ね……」
友「ほかのサイズは持ってないの?」

妹「うん。なんだか急に苦しくなったから」

友「それじゃあ、まだまだ膨らみそうだね」

妹「なんだか今日の友さん親父くさい……」

友「て、照れ隠しだよっ!」
友「真面目に……こういうの聞いたりとか、なんて、ちょっと私には難易度高い」 

妹「ふぅん」

友「ニヤニヤしないでよぅ」

妹「そうじゃないよ。……ちょっと、うれしくて」
妹「見ててくれてるんだと思って」

友「え? ほんと?」

 う……。
 柄にもない事を言って、自分も恥ずかしくなってきた。
 
妹「や、やっぱり、うそ」

友「聞いちゃったよ。聞いちゃったー」

 こういう事になるんだったら、前みたいに黙ってれば良かった。
 そうすれば、余計な事も恥ずかしい事も言わないで済むのに。
 ……でも、友さんの前だと不思議と口が滑ってしまう。
 
友「じゃあ、さ。今度一緒に、下着見にに行こうよ」

妹「えっと。見る、だけなら……」

友「そ、っか……」

妹「うん」

友「……」

妹「……」

 そこで、なぜか私も友さんも、黙ってしまった。
 お弁当を食べる手も、二人とも止まってしまった。
 
 ……今日も、屋上に来ている。
 前に来てから、ここは私のお気に入りの場所になっていた。
 バカと猿は高いところが好き、っていうけれど。
 私って単純だから。

友「くやしい」

 友さんが、小声でつぶやいた。
 きっと私にではなく、自分に言っている。
 つい口にでてしまったんだろう。

妹「……ごめん」

友「あ、やだ……。ごめん。ごめんは、私の……方だよ」
友「はは。空気、読めって感じ」

妹「そんなこと……」

 そんなこと、ない。
 友さんはいつも、私に良くしようとしてくれてる。
 不思議な位、私の事を思ってくれてる。
 そんな友さんに謝らせる私が、悪いんだ。

友「理不尽、ばっかり」
友「こんな世界、なんで、あるんだろ」

 友さんが、遠くを見てそう言った。
 そうして、ゆっくり立ち上がると、屋上のフェンスへと歩いていった。
 私もそれに続く。

友「いつだって、私たちはかごの中」
友「自由だ、自由だ、って……ちっとも、そんなの感じない」
友「全部の理不尽と戦うには、結局はかごの外に出なきゃいけない」
友「でも、そんなことしたら、世界に見放されちゃうんだ」

 フェンスの網を、友さんは強く握る。
 ギギ、と金属のこすれる嫌な音がした。

友「……この学校にいるのも、あと、一年と、ちょっとだね」

妹「……うん」

友「あのね、妹さん」

妹「……なに?」

友「あのね……」
友「……」
友「……」

 長い沈黙。
 でも、その間、友さんは口を開けたり閉じたりして、何か言いたげだった。
 私はそれを、じっくりと待った。

友「……なんでも、ない」

妹「いいの? ほんと……?」

友「よくない」
友「でも、言いたく、ない」

妹「そ、っか」

友「言いたくないけど、……言う」

妹「……うん」

 それまで見ていたフェンスの向こう側から、私に視線をうつしてから、友さんの口が動いた。

友「卒業したら、さ」
友「一緒に暮らしませんか」

 ……え?
 一緒に?
 友さん、と?

妹「……どうい、う、こと?」

 言葉だけが頭を滑って、理解に行き着かない。
 想像が働かない。
 それくらい、友さんが言ってる事は私の予想を超えていて、唐突だった。
 
友「卒業したら家を出る、って言ってたの、覚えてる?」

妹「……」

友「私、たぶん……ううん、絶対、妹さんの為なら、どんなことでも頑張れると思う」

友「私……わた、し……っ」

友「妹さんのために、生きたい」

妹「……よく、分からない」

友「急に変な事言ってるって、分かってる」
友「まだまだ、時間はあるし……」
友「ただ、私の今の気持ちを、伝えたかっただけだから」

妹「どうして、友さんは……」
妹「どうして、私なんかに、そんな、どうして」

 混乱していて、うまく言葉が紡げない。
 友さんの気持ちはうれしいはずなのに、……はずなのに。
 釈然としない、納得できない気持ちがどんどん沸き上がってくる。

友「私だって、教えて欲しいぐらいだよ!」
友「……どうして、こんなに妹さんに惹かれるのか」

 「惹かれる」。
 まるで、恋をしてる人が使う単語みたいだ。
 
友「私の家に、来てくれた時、あったよね」
友「あれから私、考えたんだ。ずっと」

友「妹さんと、友達以外の何かに、どうやったなれるかを」

友「ずっとね、ずっと、考えた」
友「妹さんとはもうお別れした方がいいんじゃないかって」
友「何度考えたか分からないよ」

友「でも、妹さんと話して、仲良くなって、打ち解けていくうちに」
友「どんどん、妹さん、喋るようになってくれて」
友「妹さんとの壁が低くなっていくのが、すごく、うれしくって」
友「もっともっと、一緒にいたら、もっともっと、妹さんと私を遮るものがなくなっちゃうんじゃないかって」
友「そう、思えて」

友「あの時……私の家で、抱き合った時みたいに」
友「うぅん、それ以上に」
友「もっと、……もっと……妹さんを、近くに感じたくて」

友「要するに、そのっ……」
友「その……」
友「……」

友「好き、……なの」

妹「友さんは、おかしいよ」

友「……」

妹「好きとか、そういうの、おかしいよ……」

友「ねぇ、好きな人居るって、前に言ってたよね?」

妹「……」

友「まだ、妹さんが誰の事を想っているのか、知らない」
友「でも、こう言ってたよね」
友「生まれた時から一緒で、妹さんを受け入れてくれた人、って」

友「……だったら、変だよ」
友「ずっと一緒で、妹さんと受容しあってる人と居るのに」
友「どうして妹さんは、頑張ってるの?」
友「どうしてそんなに、縛られてるの?」
 
友「歯がゆいの……っ、妹さんを見てて、私ならっていつも思ってた」

友「私なら、……私がその、妹さんの『好きな人』と同じ距離にいたら」

友「もっと妹さんを幸せにしてみせる……!」

妹「う、ぁ……」

妹「うあああああああああああああ!!!」

 叫んだ。
 腕が上がって、振り下ろした。
 全力で。

友「―――っ!」

 煮えくり返って沸騰しきった何かをぶつけた。
 吹きこぼれたヤカンごと、叩き割った気分。
 その中身はぶちまけられただけで、決して消えない。

妹「知らない癖に」
妹「何も知らないくせに!」

友「ごめんっ、私はただ―――」

 返す手で、振り上げる。

友「―――っぅ!」

妹「違うんだよ!!」
妹「世界が……場所が……っ!」
妹「知ったふうに……そんな……っ、勝手にっ!!」

妹「全部、幻想っ」
妹「私に、友さんの勝手な私を重ねないで!」

友「……え」

妹「……分かる、もんか……」
妹「生まれてからずっと、窓から私を見下ろしてた友さんとなんか」
妹「絶対に、暮らせない」

友「や、だ……うそ……やだぁ……っ」

 ボロボロ涙を流して、友さんが私に抱きついてくる。
 ずっと前に抱きしめてもらった時の温もりは、感じなかった。

妹「やめてっ……離してっ!!」

友「離さない……絶対離さないっ!」
友「妹さんとこれっきりなんてやだっ、嫌だっ、いやだああっ!!」

妹「いつかこうなってた! ずっとこうなるって分かってた」
妹「友さんみたいに言わせてもらえば」
妹「これも、ずっとずっと前から『用意されて』いたのっ!」

友「ごめんっ、分からなくて、ごめんっ!」
友「妹さんの事何も知らないのに、独りよがりな事言って、ごめんっ!」
友「でも、だって、でもっ! 妹さん何も言ってくれないからっ」
友「私に話してくれないから……っ」
友「きっと、話せないような辛いことなんだろうって、だから、」

妹「それが、幻想なのっ!!」

友「じゃあ話してよぉっ」
友「もっと知りたいの! 妹さんのこと、妹さんの、全部っ」

妹「言っても分からないよ!」

友「それじゃ、何も進まない」
友「私たちのこのひと月は、何だったのっ?」
友「少しは妹さんに心を開いてもらってるって思ってたのは、自惚れだったの?」

妹「知らないっ……知らないっっ!!」

 振り払って、突き飛ばす。
 友さんは地面に倒れこんだ。

友「……んっぅ」

妹「はぁっ……はぁぁっ……」

妹「もう……」
妹「私に、かかわら、ない、で」

 言った。
 言ってやった。
 ずっと堪えてきた言葉。
 何度も喉まで出掛かった言葉。
 今、言えた。

友「……ずっと、ずっと、疑問に思ってた」
友「私は、幸せすぎるって」

妹「……」

友「海に水が流れ込んでいる間に、どこかの山で雨が降ってる様に」
友「誰かが幸せでいると、誰かが不幸になる」

妹「私は……不幸じゃ、ないっ」

友「みんな、『用意された』世界で、生きてる」
友「でも、そんなの、おかしいって、思った」
友「疑問に、感じてた」

友「私は……わたし、はっ……」
友「妹さんと、いっしょに」
友「世界を作りたかったよ……!」

 駆けてから気付いた。
 私の顔は、ぐちゃぐちゃに濡れていた。

 悲しいからなのか、よく分からない。

 ただ世界は、無慈悲で、理不尽で
 私に手を差し伸べてくれる人にさえ、拒絶を強いる。


 ……兄さん。

 …………兄さん!!

 今すぐ会いたい。

 会って、抱きしめて、抱きしめられて、そのまま、ぐちゃぐちゃにして欲しい。

 こんな私も、世界も、兄さんになら壊されたって構わない―――

 教室へ荷物を取りにすら行かず、ただ夢中で走って、家についた。

妹「兄さんっ!!」

 玄関を開けてすぐ叫んだ。

 ……返事はない。

妹「兄さん……早く、帰ってきて……」

 玄関に、ペタリと座り込む。
 まだ、昼が過ぎたばかりだ。
 兄さんが帰ってくるまであと3時間はある。

妹「……辛いよ」
妹「……怖いよ」

 もう、迷わないよ……兄さん、だけだよ。
 だから、早く帰ってきて。

 一人で生きていたら埋まらないものを、早く兄さんで満たして欲しいよ。

妹「兄さんの温もりが欲しい。優しく笑いかけて欲しい。私を受け入れて欲しい」
妹「……兄さん」

妹「寂しい、よぉ……」

 「ん……誰か、帰ってきたの?」

 奥の居間から、声が聞こえた。

妹「え……」

母「……あら」

妹「おかあ、さん」

 出てきたのは、お母さんだった。
 そうだ。
 もうすぐお母さんの、出勤の時間だ。

母「つらいこと、あった?」

 いつも、寝ている姿しか見れないお母さん。
 久しぶりに聞いたお母さんの声は、優しかった。

妹「……あ」

 枯れかけていた涙が、また溢れてきた。
 こんなタイミングで……卑怯だよ、お母さん……。

 近づいてきた母に、わっ、と抱きついた。
 たまらなくなって、声が出てしまう。

妹「あぁ……う、ぁぁっ……っ、っ」

母「妹は、少し大きくなったと思ったけど」
母「甘えん坊なのは、変わらないね」

妹「うん、……ごめんっ、でも……私っ、……わたし……っ」

母「普段甘えさせてあげれてないからね……」
母「こういう時に甘えてくれるのは、冥利に尽きるわ」

 そういって、お母さんはわたしの頭をなでてくれる。
 兄さんの手より、すこし、ふあふあしてると思った。

母「何があったか、話せる?」

妹「大切な、人を……裏切っちゃった……」
妹「辛く、当たっちゃった」
妹「悲しませちゃった」
妹「もう、元には……戻れないの……っ」

 不思議だった。
 私はお母さんの前で、すらすらと溜まったものを吐き出していった。

母「それは辛かったね。今まで、苦しかったろうに」

妹「うん……」

母「大丈夫」
母「安心して。妹が選んだ道に、間違いなんてないから」

妹「そう、なの、かな……」
妹「きっと、もっと違うやり方があって……もっと、優しくできたはずで……」

母「私もね、たぶん兄も、不器用に生きているわ」
母「どこかに最善の選択があると思って、迷って、なかなか自分で選べない」
母「でもね、選んだ道に間違いなんてないから」
母「今は悪いと思える事でも、時間が経てば、良かったりするの」

母「大事なのはね」
母「やり通す事じゃないかな、って、お母さん思うな」

 ……ねぇ。
 お母さんも不器用に生きてるなら、……今、何かをやり通しているの?
 お母さんが毎日疲れた顔をしているのは、何かをやり通しているからなの?

 胸に抱かれながら、私は母の思いを探った。

妹「お母さん」
妹「私、決めたの」

母「……うん」

妹「兄さんと、これからも、ずっと、暮らそうと思うの」

母「……うん」

妹「兄さんの事が、好きなの」

母「……そう」

妹「許して欲しいけど、許してくれなくても、いい」
妹「でも、それくらい、私は兄さんを大切に思ってる」

母「生まれた時から迷惑かけてるから」
母「せめて、妹と兄には、何にも縛られず生きて欲しい」

妹「おかあさん……」
妹「迷惑とか、ないよ。私、兄さんの妹で……お母さんの娘で、良かったって、思ってるよ」

母「ありがとう、妹」
母「母さん嬉しい」

母「……忘れないで」
母「妹は、妹の選んだ事をすればいいから」
母「あなたが産まれる前から決まっていた事に、負けないで」

妹「……うん」

 私はずっと、戦ってきた。
 肉親への想い。
 お金の無い事への憤り。
 他人に壁を作ってしまう、弱い自分。

 私の知らない、誰かが決めた、何かと、ずっと戦っている。
 ……たぶん、これからも。

母「落ち着いた?」

妹「おかげさまで」

母「よかった。……じゃあ、お母さんお仕事がんばっちゃおうかな!」

 お母さんは、笑顔で家を出て行った。
 きっと、疲れているはずなのに。
 私のために、笑ってくれている。

 ……強いな、お母さんは。
 私も、お母さんみたいな人になれるかな。
 私も、お母さんみたいなお母さんに、なりたいよ……。
 私がお母さんと居られなかった時間の分だけ、私は私の子供と一緒に居てあげたい。
 ……その隣には、兄さんが居て欲しい。

妹「……兄さん、まだ……?」

 玄関前の天井を見上げる。

 変哲も無い、白い天井。

 ……今度、兄さんと観覧車乗りに行きたいな。
 二人で、この街を見下ろしてみたい。

 私は、兄さんと一緒がいいよ……。

もうちょっと、続きます。
今日のところはこのあたりで。

的確な保守をありがとうございます。
お蔭様でやっと終わりが見えてきました。
できれば完結させてください。
今日は夜何時になるかまだ分からないですが
残っていたら、また続きを書かせてください。

 日が暮れても、兄さんは帰ってこなかった。


 すこし、寒くなってきた。

 まだかな、兄さん……

 はやく兄さんの体で、あっためてほしいな……


 なにか、バイト先であったのかな
 それとも買いたいものがスーパーになくて、どこか他の所に行ってるのかな。
 気まぐれで寄り道とか、してるのかも。

 
 ……兄さん。 
 今何をしてるのか分からないけど。

 私の事、考えててくれてますか?

 私は今、兄さんの事しか考えてないよ。

 だから、早く帰ってきて……

 ……日が暮れてから、だいぶ経ってきた。

 いつまで待てばいいのかな。
 いつもは、こんなに遅く帰ってくることなんて、なかった。
 どうして、今日に限って、こんなに遅いの?

妹「兄さん、寒い、よ……」

 体が震えてきた。
 どうしよう。

妹「……兄さん」

 フラフラと、玄関から私と兄さんの部屋へと入った。

 ……もし、このまま帰って来なかったら、どうしよう。
 もう一生兄さんのぬくもりを感じる事ができなかったら、どうしよう。

妹「兄さんの、香り……」

 兄さんが普段使っている布団に倒れこんだ。
 顔を埋めて息いっぱいに吸い込むと、布と綿の匂いの間に、兄さんの香りが混ざっているのが分かる。

 もし兄さんが居なくなったら、こんな残り香を頼りに私は生きなきゃいけなくなる。
 そしてその残り香も、やがて薄れ消えていく。

 ……そんなのは、嫌だ。

妹「いやだよ、ぉ……」

 兄さんの布団を抱きしめる。
 今は、たとえ偽者でもすがりたい気分だった。

妹「布団さん」
妹「あなたの持ち主、帰ってきてくれないよ」
妹「いっしょに、待とっか」

 玄関に戻って、布団にくるまった。
 ……兄さんの香りに覆われている。
 今日この布団で眠っていた兄さんの温もりは、もう流石に無いだろう。

妹「……兄さん」
妹「布団も、兄さんが恋しいって」

来て早々ですが
ごめんなさい2時間ほど空けます

保守ありがとうございました
冥利に尽きます

 どれくらい、待ったろう。
 怖くて時計は見ていない。

 嫌な想像が働いたのは、一度や二度なんてものじゃない。
 事故や事件の可能性が頭に浮かんでは消え、消えては浮かんだ。


 永遠とも思える時間。
 過ぎる感覚の無い時間。


 このまま朝が来ずに、私は夜に飲まれていくかもしれない。
 そんな錯覚さえ覚えた。

 その度、兄さんの布団を握り締めて、心の中で何度も祈り続けた。

 ……なんてことはない。
 ずっと、待ってきたんだ。耐えてきたんだ。
 大丈夫だよ、兄さん。私、がんばれるよ。

 でも、ほんの少し心配だから……はやく、帰ってきてね―――

 


 ―――まどろみの中に在って、ドアが開く音を聞いた。

 その数秒後、私はやっと、本物の温もりを感じる事が出来た。

 服を、脱いで、いく。

 ゆっくりと、丁寧に、厳かに。

 体を覆う布が消えるたび、鼓動が早く強くなっていく。


 兄さんの目の前で服を脱いだ事などたくさんあった。
 けれど、今は目的が違う。
 私も兄さんも、お互いの求めに応えるようにして、生まれた時の姿に帰ろうとしていた。

 ……あの、無邪気だった頃に、無意識の内に帰ろうとしていた。
 せめて、姿だけでも。

兄「綺麗だ」

妹「今さら気づいた?」

兄「いや。ずっと、言いたかった」

妹「……ぅ」

 それから兄さんは、私の体中にキスをし始めた。
 兄さんの熱いその部分に触れるたび、私の皮膚が悦んでいく。

兄「待たせて、ごめん」

 ごめんな、と何度も謝りながら、兄さんはやさしく口付けをしていった。

 そうしているうちに、私の体はすっかりとろけてしまった。
 恥ずかしさと喜びとが、何度も交互にやってきて、もうどっちがどっちなのか分からなくなった時間だった。

 ぼんやりとした意識。
 なぜか、友さんの事が頭に浮かんだ。

 ……友さん、今、何してる?
 
 私は……

妹「にぃ、さん」

兄「ん?」

妹「わたし、からも……」

 私は初めて、自分から兄さんにキスをした。
 求めるキスも、気持ちがよかった。

 あぁ……はやく、兄さんだけしか考えられないようにしてほしい。

妹「……き、て」

 そうして、私は初めて兄さんに傷つけられた。

 お腹の中に、不思議な感覚が残っている。
 傷つけられて、穿たれたにしては、心地がいい。
 
 ……ここに、兄さんの想いが残ってるんだ。

妹「ん……」

 愛しくなって、兄さんを抱きしめる手に力を入れた。
 温かい。
 もう、兄さんをずっと待っていた時の様な、寒さはない。
 この温かさが幸せの象徴のようにも思える。

妹「ねぇ、兄さん」
妹「さっき、欲しいもの、言っていいっていったよね?」

兄「うん。何か思いついた?」

妹「子供」
妹「……なんちゃって」

兄「なんちゃって?」

妹「ごめん、冗談じゃなくて、冗談じゃないっていうか……」

兄「俺は、欲しいよ」
兄「妹と俺の子供」

妹「……」

 昼間に夢想した事を思い出す。
 私と、子供と、その隣にいる兄さん。
 あの時は夢物語に近い想像だった。

 それが今は、とてもリアルを帯びている。

兄「今したのって、さ」
兄「そういう事だろ?」

妹「……うん」

 そう。
 だから、私も兄さんを求めた。
 私と兄さんをつなぐものを手に入れたかった。

妹「兄さんに、欲しいものを言っていい、って言われたとき」
妹「私、そういう事しか思い浮かばなかった」
妹「たぶん、これからも、そんなに欲しいものは出てこないと思う」

兄「そうか……」

妹「もちろん、本当に必要なものは遠慮しないで言おうと思うよ」
妹「でも、そうじゃなくて」
妹「本当の本当に必要なのは……私にとって、『もの』じゃない様な気がして」

 ただ、それが具体的になんなのか、漠然としていてうまくつかめない。
 けれど、ひとつだけ分かることがある。

 独りでいたくない。

 もう、無限の夜を独りで待つのは、きっと耐えられないから。

妹「……今日ね、母さんが、言ってた」

兄「会えたんだ。……なんて?」

妹「兄さんは、不器用だって」

兄「なんだそれ」

妹「決めるまでに、迷うんだって」

兄「……」

妹「私の事も、ずっと迷っててくれたよね」

兄「……その分、待たせて、つらい思いをさせちまった」

妹「だから、母さんこうも言ってた。やり通すことが大事なんだって」

兄「やり通す……」

妹「私は」
妹「兄さんを選んだ事、後悔しないよ」

 友さんという存在を捨てた。
 兄さんを手に入れるために。
 これは、悲しい事だけど、必要なこと。
 だから、私はやり通す。

兄「俺は、死ぬまで妹の側にいるよ」
兄「約束だ」

 ……やり通すんだ。
 

  次の日。

兄「じゃあ、行ってくる」

妹「うん」

 いつもこの時、頭を撫でてくれる。
 でも、今日は違った。

妹「……んっ」

 唇が、兄さんの柔らかい唇に優しく触れて、熱を帯びた。
 まだ、慣れない。
 そのうち、キスひとつするにもドキドキしない日がくるのかな。

兄「妹も学校、がんばって」

妹「うん」
 

 その日。

 私は学校へ行かなかった。

 制服を着て、お弁当を持って、かばんを下げて。

妹「いってきます」

 寝ている母に向かって、小さく挨拶。
 扉を開けて、出発。

 いつもの朝、いつもの風景。

 ……ただ、今日は目的地が違った。

 歩いて向かうのは、学校ではない。
 
 駅の方角。

 駅前の公園のベンチ。
 そこに私は腰掛けた。

 小さな公園。
 茂みに囲まれている。

 その、茂みの向こう。
 公園の対面に、コンビニがある。

 レジの方を見ると、見覚えのある顔がいた。

妹「……兄さん」

 遠くて、よく見えない。
 けれど、近くに行ったら兄さんに見つかってしまう。

 でも、このままで、よかった。

 兄さんがそこにいると分かっているだけで、よかった。
 それだけで、十分だった。

妹「……」

 じっと、兄さんの動きを見る。
 
 レジが混んできた。
 大変そうだな。

 あぁ……でも、兄さん笑ってる。
 あの笑い方、見たことないな。
 接客用のスマイルかな。
 あの笑顔で、勘違いする女の人とかいなのかな。

 私だったら、一目惚れしちゃうな。
 毎日通っちゃうな、このコンビニ。

 あ……謝ってる。
 お客さんに怒られたのかな。
 朝だもんね。イライラしてるお客さん、多いって言ってたもんね。
 
 ……えらいなぁ、兄さん。

 ぐー。

 ……あれ。

妹「お腹の音かな」

 ぐー。

妹「お腹の音だ」

 時計を見ると、もうすぐ1時になるところだった。
 学校だったら、とっくに昼休みが始まっている。

妹「やっぱり、ご飯をいつも食べてる時間に、お腹が空くんだなぁ」

 カバンの中から、お弁当を取り出した。
 昨日の夜はご飯作らなかったから、朝の残り物だけ詰めた。
 卵焼きとか、焼き魚とか。

妹「いただきます」

友「今日は、シンプルなんだね」

妹「え……」

 そばから、声がした。
 友さんだった。

友「座るね」

 友さんはベンチの私の隣に座った。
 私は返事もしていないのに。

妹「……」

 無視して、お弁当を口に入れていく。
 ……味が、しない。

友「ここから、よく見えるね」
友「妹のお兄さん」

妹「っ?」

友「なんで、って顔してるね」

妹「……」

 意味が分からない。
 友さんに、兄さんの事を紹介した覚えが無い。

 そもそも、なんで友さんが、ここに。

 今日は学校が普通にある日だったはずだ。

友「私もお弁当、食べようかな」

 友さんは、カバンの中からお弁当を取り出して、包みを広げた。

 ……あれ。
 いつもの友さんのお弁当の中身は、一見小奇麗だけど、冷凍食品みたいなものが多かった。
 けれど、今日のはお弁当は、彩りが悪いし、おかずの包みもろくに出来てない。

友「ふふ、ひどいでしょ」
友「……私もね、お弁当作って見たんだ」

友「さ、食べよ?」

 そう言って、友さんは自分のお弁当を口に入れていく。
 
 ……おかしい。こんなの。
 これじゃ、いつもと同じ昼休み。

妹「なんなの……?」
妹「どういうつもり?」

友「妹さんと、お弁当が食べたかったの」

妹「もう、関わらないで、って言った」

友「私は頷いてない」

妹「……」

 屁理屈だ。
 私が、あの言葉を言うのがどれだけ大変だったか。

妹「関わらないで」
妹「……もう、会いたくない」

友「……」

友「昨日、ね」
友「お兄さんに、会ったの」

妹「……いつ」
 
 ……昨日。
 兄さんの、帰りが遅かった。
 理由は、まだ、聞いてない。
 はぐらかされた。
 もしかしたら、友さんが関わってる……?

友「気になる?」

妹「はやく答えてよ!」

友「……そんなに、私の事、嫌い?」

妹「兄さんに何したの?」

友「お兄さんの事、好きなんだね」

妹「……っ」

友「妹さんを探しに行ったの。あれから」
友「前に、うちに来たとき、窓から指さしてくれたでしょ?」
友「その方向だけを頼りに、がむしゃらにさ」
友「見つかりっこないのにね……」

妹「……」

友「……夜になって。それでもムキになって探してた」
友「そしたら、怖い人たちに襲われちゃって」
友「お兄さんにたすけられた」

 なるほど。
 それで兄さんは帰ってくるのが遅かったんだ。
 
 友さんを、守るために。

妹「友さんなんか」

妹「友さんなんか、居なければよかった」

妹「友さんとなんか、会わなきゃよかった……!」

友「……ほんと?」

妹「なんで、私と兄さんの、邪魔するのっ!?」
妹「友さんと居るとっ、私、苦しい思いばっかりする……っ」

 友さんといることで、ずっと兄さんへの後ろめたい気持ちに苛まれてきた。
 そんな友さんが、私の決意を邪魔しようとしている。
 許せない。
 昨日、あんなに苦しい思いをした。
 そのすべてが、友さんのせい。

友「ごめん。……そんなつもりは、なかったんだ」
友「純粋に、妹さんと仲良くなれるのが、嬉しくて……」

 分かってる。
 私の独りよがりだって。
 ……でも、それでも。
 私はもう決めたから。選んだから。

 兄さんを。

妹「もう何も言わないでよ……っ!」
妹「はやく、居なくなって……お願い」

友「うん……でも、学校は、来てほしい」

妹「……」

 友さんに、見抜かれていた。
 私はもう、学校には行くつもりはなかった。
 兄さんと一緒に居ることを選んだ今、もう学校で勉強する意味も見出せない。
 早くどこかで働いて、お金を貯めて、いつか兄さんと家庭を築くんだ。
 
 そしてなにより。
 ……学校には、友さんが居る。

妹「行かないよ」
妹「行ける、はず、ない……っ」

 きっと、友さんと会う度、私は苦しむ。
 決意が、揺らぐ。

 だってそれほど、私にとって友さんは、かけがえの無い人だから……

友「そ、っか……」 

友「朝、学校に居ないのが分かって」
友「もかして、って思って」
友「昨日お兄さんに教えてもらったコンビニに来てみた」
友「でも……おせっかいだったみたい。

友「もう、妹さんにとって」
友「私は、いらないんだね」

 最後の一言は、悲しい声だった。
 私が拒否の言葉を何度発しても、友さんはあきらめなかった。
 それなのに……

友「じゃあ、これが、一緒に食べる最後のお昼かな」

妹「う、……、ぁ、ぁ」

 苦しい。
 切ない。
 ……だから、会いたくなかった。
 
 涙が出てきた。
 ポタポタ、お弁当の上に粒が落ちていく。
 これじゃあ、お別れが嫌だって言ってるみたいじゃないか。

妹「っ……うっ、……ぐすっ」

妹「ごめんっ、……ごめん、なさっ……」
妹「私、……友さんのこと、」
妹「すきっ……大好きっ」
妹「でも、兄さんが、いる、からっ……だからぁっ……!」

友「……大丈夫、分かってる」
友「分かってる、から」

妹「ずっと、うらやまし、かった」
妹「私と、あまりにも、違って、……全部、ちがってっ」
妹「友さんはっ、私が、もってないもの、全部、持ってて」

妹「一緒にいると……私も、友さんが見ている景色、見ていられるみたい、でっ」
妹「すごく、たのしかっ、たっ!」

妹「でも、やっぱり、違うよ……私と、友さん……違う、よぉっ」

 忘れない。
 奢ってもらったクレープの事。
 一緒に見た、友さんの部屋の窓からの景色。
 お弁当を食べた、昼休みの時間。

 全部、私ひとりじゃ手に入れられないものばかりだった。

妹「ありがと……、いっぱい、いっぱい、いっぱいくれて、ありがとう……!」

友「うれしい……うれしい、よ」
友「ありがと……」

 友さんも、静かに涙を流した。
 二人して、ベンチに座って。
 お弁当にも手をつけないで。
 最後の時間を、慈しんでいる。

友「……朝、自分で、お弁当作った」
友「それで、分かった」
友「やっぱり、妹さんって凄いんだな、って」

妹「……ぇ」

友「私も、妹さん、……うらやましかったよ」
友「こんな事いうと、見下してるみたいに思われるかもしれないけど」
友「私は、ずっと……自分が幸せなことに疑問を持ってて」
友「でも、疑問なだけで、戦ってなかった」

友「……私と同い年の妹さんは、もうずっと前から運命みたいなものと戦ってた」
友「だから、ただ……私も、一緒に……」
友「でも、もう」

友「……もう」

 世界は、多くの理不尽が、当然の様に存在する。
 ひとつを選べば、もうひとつが手に入らない。
 そんなことは、幾らだって起こっている。

 ……私たちは、そんな理不尽の犠牲者なのかもしれない。

妹「元気で、ね」

友「……妹さんも」

 いつか、そんな理不尽の無い世界が、来る日が。
 ……いつか。

妹「お弁当、最後に……食べてこうよ」
妹「交換、しない?」

友「いいの?」
友「……いただきます」

 お弁当には、私と友さん、それぞれの世界が詰まってる。
 そして私たちは、最後にお互いの世界を噛みしめる。
 
 決して上手とは言えない、でも、精一杯作った、友さんのお弁当。

 こんなお弁当を作る女の子に、……私はなりたかった。



 第3章 おわり

 最終章

 
 その日、コンビニでのバイトを終えた兄は、いつもと違う道を歩いていた。
 横浜の繁華街を一望できる丘へと続く坂道。

 昨晩も、この坂道の前まで来た。
 友という少女を見送るためだった。

兄「……」

 いつも、遠くから見上げていた丘だった。
 その丘を今、上っている。

 この上には、観光施設や、学校、公園、それから住宅街がある。
 全体的に西洋の雰囲気を帯びた町である。
 港町の横浜らしく、その昔外国から来た人が、このあたりに集中して住んでいたらしい。

 そんな町の雰囲気に憧れてやってくる、丘の上の住宅街の住人。
 その殆どが資産の余分にある、いわゆるお金持ちといわれる層の人たち。
 みな競って、町の雰囲気に調和した家屋を立て、自己主張をしているのだ。

 一軒の家の前までやってきた。
 この家も例に漏れず、クラシックな西欧建築を彷彿とさせる作りだ。

兄「……」

 しばらくその家の前で、無言で立ち尽くしていた兄だったが
 やがてインターホンを押した。

 ピンポンという電子音のしばらく後に、「どちらさまですか」という女性の声が続く。

兄「はじめまして。突然すいません。自分は、兄といいます」

兄「友父さんは、いらっしゃいますか」

 「……今、留守にしていますが」

兄「何時ごろ帰られますか」

 「あの……何の用でございましょうか」

兄「友父さんに、直接伝えたい事があります」
兄「大事な事です。お願いします。また今日来ます。いつのお帰りになりますか」

 「わからない」との返事に兄は

兄「そうですか」

 と答えて、その家から少し離れたところまで歩いた。
 家の入り口がよく見える場所だった。
 ただ、家の住人からすると、その位置は死角になっていた。

兄「……」

 兄は、友父を待っていた。
 家の前では不審がられるので、少し離れた場所で。

 じっ、と動かず、ただその家の入り口を凝視していた。
 兄は友父の顔を知らない。
 だから、それらしき人物が側を通る度に凝視していく。

「……あれは」

 見覚えのある少女が兄の視界に入った。
 友だった。
 不審がられるのを恐れて、兄は身を隠した。

友「……」

 友は、うつむいて、とぼとぼと歩いていた。
 そしてその家の門をくぐり、中に入っていく。

兄「何か、落ち込んでるのか……」

 友の様子は気になった。
 が、それにかまってあげる事はできなかった。
 声をかければ、予定が狂ってしまう。

兄「……」

 兄はまた元居た場所へと戻り、友父をの帰りを待つ事に専念し始めた。

 日が傾き始めた頃、中年の男性がその家の門に向かった。
 高そうなスーツに身を包んでいたが、肉つきが少なく、いやらしさを感じない体つきをしていた。

兄「すいません」

 兄は、その中年の男性に声をかけた。

友父「はぁ……なんでしょうか」

 友父は、賢明そうな顔つきをしていた。
 緊張していた兄に、幾分かの安息が生まれた。

兄「自分は、兄と、言います」

友父「……失礼ですが、お会いした事が……」

兄「無いかもしれません」
兄「ただ、自分の父とは、面識がいくつもあるはずです」

友父「……父」

 思案の顔つきを少しの間見せた後、友父は自分の耳を疑った。
 彼にとって、もう十年以上に聞かなかった名前だった。

 その頃、妹は自宅のアパートに帰ってきていた。
 友と別れた後、虚無感が妹の心を支配していた。

 大切なもののために、大切なものを失った。
 その傷が簡単に癒えるはずもない。

妹「……また、ひとり」

 制服のまま、妹は布団の上に転がっていた。
 もう、この制服を着ることもないだろう。
 そう思うと、なかなか脱ぐことができなかった。

妹「兄さん」

 天井に向かって、愛しい人の名前をつぶやいた。
 そうして、昨晩の情愛の風景を思い出す。

妹「また、抱いて、欲しい」

 妹にとって、これまで生きてきた中で一番幸せな時間だった。
 嫌なことを忘れていられて、兄の為に存在している事を証明できた行為だった。

妹「……ほしい」

 そういえば、兄は「欲しいものは欲しいと言ってもいい」といった。
 ……本当に自分が欲しいものはなんだろう。
 妹は、ぼんやりとその事を考え始めた。

 兄は家の中に通された。
 この家は外見に比して、中も予想以上に壮麗だった。
 壮麗といっても、輝いている感じではなく、むしろシックな雰囲気であった。
 そのシックさ、シンプルさは、奥深いゆえに選ばれた者しか持ち得ない。
 その作りは、友父とよく似ているな、と思った。

 パッと見は友父は「お金を持っている」ようにみえる。
 しかし接してみるとその清潔さに、金に溺れている呈が見受けられないのだ。
 けれどもその清潔さは、資産家だからこそ持ちえる、心の余裕なのだ。

兄「……」

友母「……どうぞ」

 そっけない態度で、友母が紅茶と茶菓子を置いた。
 やはり、自分は招かざる客であるようだと、兄は思った。

友父「……もしや、と思うが、父は……」

兄「十年以上前に亡くなりました」
兄「ご存知、なかったですか」

友父「すまない。しらなかった」
友父「そうか……亡くなられたか」

兄「父が、なぜ借金を背負う事になったのか、自分は知りません」
兄「……ただ、父が、死ぬ直後に、言ったんです」

兄「友父さんに、会えと」
兄「会って……」
兄「……」

友父「かまわない、言って欲しい」

兄「謝ってもらえ、と」

友父「……」

 言い終えると、友父は目を見開いた。
 それまで冷静だった友父は、初めて自失した。
 父の言葉に、驚いているように兄には見えた。


 父が兄へと言い残した言葉は、2つあった。

 1つは「兄は妹を守るもの」
 もうひとつが「友父に会って謝ってもらえ」
 だった。

 友父という人を、父の口から聞いた事があるだけで、これまで兄は知らなかった。
 しかし、暴漢から救った友という少女に出会った事で、友父へと辿り着く事ができたのだった。

兄「なぜそんな事を言い残したのか、何となく想像がつきます」
兄「ただ、その事を自分は掘り返そうと思っていません」
兄「今の生活に、満足……とはいいませんが、過不足はありませんから」

 それは、本心からだった。
 兄は自分の生まれを呪ってはいたが、その生まれと向かい合う事に生き甲斐を見出していた。
 そして妹というかけがえの無い存在を、手に入れた。
 これは兄にとって何者にも代えがたい価値であった。

友父「簡単に、言うと、な」

 落ち着きを取り戻した友父が、ゆっくりと口を動かし始めた。

友父「裏切ったんだよ。君の、お父さんを」

兄「……」

 兄は、動じなかった。
 そういう事だろうと、なんとなく予想はしていた。
 ……ただ、父と母の苦しみの元凶がもしも本当に友父なのであれば
 自分は子として、恨んでしまうかもしれない。
 兄は、その恐怖を感じていた。
 自分に友父を寛容する力があるか不安だった。
 大人になる過程で、兄はずっと「そうはなるまい」と思い続けてきた事であったからだった。

 それは、父の言葉が「謝ってもらえ」であって「恨め」では無かったからではないだろうか。
 もっといえば、「殺せ」でも、おかしくなかったはずだ。
 兄は、そういった父の精神を、知らず知らずのうちに受け継いでいたのである。

友父「会社を、再建させるためにな」
友父「どうしても君のお父さんに、全てを押し付ける必要があった」
友父「言い訳など、出来ようも無い」
友父「紛れも無く、私の選択は悲劇を生んだのだから」

 淡々と。
 だが、一つ一つ自分の罪を確認するように、友父は語った。

 そして、座っていたイスから立ち上がり、床にひざをついた。
 友父の頭が、この部屋の何よりも低い位置に、こすり付けられた。

友父「すまない」
友父「本当に、すまない」
友父「…………すまない!」

兄「……」

 兄は、黙って友父を見下ろしていた。
 丘の上の瀟洒な家の住人が、今、自分の目下にある。
 
 ……それが、兄の十数年間溜まり続けていたものを噴出させた。

兄「父は……父さんはっ」
兄「俺に、妹に、母さんに謝りながら死んでいった……っ」
兄「そんな死に方をさせたのは、……あんただったのか!!」

兄「あんたに想像できるか???」
兄「狭い安アパートの下で、家族が心苦しく生活する様を!」
兄「こんな家に住んでいて……」
兄「のうのうと、高い丘の上から俺の家を見下すように建っていて!」
兄「ずっとずっと、お前ら家族の、踏み台に……っ!!」
兄「それで父に謝りも、死に目にも、来ないなんて……くそっ、くそっ!!!!」

 今すぐ暴れまわって、この家をぶち壊してやりたい気持ちを、兄は必死で抑えた。

友父「あの後すぐ、友父さんの行方が掴めなくなってしまった」
友父「……言い訳がましいが、ずっと、気にかけていたんだ」
友父「こんな家に住んでいて、なにをと思うだろうが」

兄「……畜生っ、……ちく、しょぉおっ!!!」

 嘆いてもせんない事だと、分かっていた。
 恨んでも無駄だと、知っていた。
 そういった兄の理解を超えた、家族への思いが兄を駆りたたせていた。
 母の、父の、そして妹の思いの丈を、兄は代弁せずにはいられなかった。

兄「……もう、立ってください」

 ひとしきり兄が叫び終わって、兄が声をかけた。
 兄が叫んでいる間、友父はずっと土下座をしていた。

兄「あなたにも、守るべき家族があったでしょう」
兄「それと同じように、父にも、守るべき家族がいた」
兄「家族を守るために、他の家族を犠牲にする……」
兄「それは、仕方の無い事かもしれません」
兄「……ですが、理不尽な事だと思いませんか?」

 聞かれて、友父は顔を上げた。

友父「……君たち家族だけじゃない」
友父「俺は、理不尽を積み上げて、ここに居る」

 友父の目には涙があった。
 その涙は、兄にとって嘘には思えなかった。

 彼もまた、選択し、何かを捨てて何かを得てきた一人だった。

 友父の家を出ると、兄の見覚えのある少女が後ろからついてきた。
 友だった。

友「あの……っ」

兄「やあ。昨日は、どうも」

友「……話、少し、聞きました」

 友はいつものハツラツとした雰囲気が消えていた。
 妹との別れ、そして妹の家との因縁。
 今日は彼女にとって、重い出来事がかさなりすぎた。

兄「そうか。……まぁ、そういう、事なんだ」
兄「昨日、帰ってる途中で友さんの名前に聞き覚えがあるのを思い出してね」
兄「もしやと思って……家を探させてもらった」

友「そうだったんですか……」

兄「どうしたの?」

 何かいいたげな彼女の雰囲気を察して、兄は出来るだけやさしい声で聞いた。

友「差し出がましいお願いかもしれないです」
友「でも、どうしても、なんです」

友「……私を、妹さんの家に、連れて行ってください」

 結局のところ、兄は友父のことを許せているのかどうか、分からなかった。
 家から出る直後まで、もっと何か言ってやろうかという気持ちは消えなかった。

 だが、兄はそういった自分が嫌いである。
 嫌いであれば、いつか、本当に許せる日が来るだろう。
 兄はそう思い、今の自分を肯定することにした。


友「今日、妹さんと、お話しました」
友「その、……今日、私も、妹さんも、学校を休んだんです」

兄「……そうだったのか」

 兄は妹が自分のことを昼の間ずっとみていた事を知らなかった。
 これまで、妹が高校を休んだことは無かった。
 多少の風邪を引いても、奨学金が貰えなくなるからと、無理を押して通学していたくらいだ。

兄「どうして……いや、……でも」

 兄にその心当たりはあった。
 

友「私、妹さんと、仲良くさせてもらってたんです」

兄「……」

 それも、兄にとって初耳だった。

友「でも、その……ちょっと、私が妹さんに近づきすぎちゃったみたいで」
友「……お別れ、したんです」

 妹は、普段から友達などいらない、と言っていた。
 だとすれば、不思議な事ではない。
 しかしそれは、自分へ筋を通す妹の意地の様なものだと、兄は知っていた。
 つまり、その遠因は兄にもあった。

兄「ごめん……俺が、悪いんだ」
兄「妹にそんな事をさせているのは、俺だ」

友「それだけ、きっと……愛されてるんです」
友「うらやましいです」

 友は、笑ってそう言った。
 この人にはかなわない、という諦めの自嘲も含んだ笑いだった。

 アパートに辿り着き、兄は鍵を開けた。

兄「ただいま」

 返事は無い。
 
兄「まだ、帰ってきてないのかな」

 兄が靴を脱いで上がり、友もそれにつづいた。

兄「……あ、居た」

 妹は、部屋の布団の上で眠っていた。
 その顔は、兄ですら見たことの無い、安らかなものだった。

友「……妹さん……」

 その幸せそうな寝顔を見て、友は自分も幸福を感じた。

 この家の様な安アパートに入るのは、友は初めてだった。
 これまで、色んな友達の家に遊びに行って来た。
 しかし、どの家もここまで狭くはなかった。

 自分の知っている世界との格差に、驚きを隠せない。

友「……」

 黙って、家の隅々を観察しながら、友は思った。
 自分の知らない世界は、まだまだいっぱいある。
 そういう世界を知らないで、幸せを享受する事は、良いことなのだろうか。
 罪なのではないか。
 
 友は、本質的に優しい。
 そして、物事を深く突き詰める癖がある。
 だからこそ、自分の身近な事に常に疑問を持って、筋の通っていないを是とすることができない。

兄「さて……姫君をどうやって眠りから覚ませようか」

ぐっすり眠っている妹を見ながら、兄が言った。

友「む、無理に起こさなくても」

兄「……友さん」
兄「やってみる?」

友「え……?」

 友の目前に、妹の寝顔がある。
 かすかな寝息の音が、友の耳をくすぐる。

友「……ど、どうしろと」

兄「好きにしていいよ」

友「そ、そんなこと言われても」

 相手は寝ているから、あまり無茶な事はしたくない。
 今すぐ目前の綺麗な寝顔に、有り余るくらいの口付けをしてあげたいくらいだ。
 ……でも、それは妹さんの了承を得てないし、第一卑怯だ。
 
 友はそんな事を考えながら、アイディアを実行に移した。

 友は口元を、触れるか触れないかの距離で、妹の耳に寄せた。
 そして、そっとささやく。

友「おはよ」

妹「……ん」
妹「あれ……」
妹「って、え? と、友……さん!?」

 居る筈の無い人が目の前に居た驚きで、妹は一瞬で目を覚ました。
 どうやら兄の思惑の効果は抜群だったようだ。

友「ふふっ……あはっ」

 妹の反応がおかしくて、友はコロコロ笑った。

妹「え? う、嘘っ?? に、兄さん……どういう……こと?」

兄「妹の大切な人を、連れてきてあげただけだよ」

妹「……大切、な……」

 何か大事な事を思い出すように、妹は言葉を反芻した。
 
友「ごめんね、起こしちゃって」
友「でも……あははっ、妹さんはやっぱり可愛くて、面白い」

妹「今、……夢、見てたの」

友「夢?」

妹「うん……未来の、夢」
妹「そんなに遠くない、未来だった」
妹「私が、本当に欲しいものが、全部あった世界だった」
妹「……幸せ、だった」

兄「それはきっと、正夢だよ」

妹「え……」

兄「言ったろ? 欲しいものは欲しいって言ってくれって」
兄「我慢しなくていいんだ」
兄「そうすれば、その世界は、正夢になる」

兄「妹はもう、嘘をつかなくても良い」

妹「……だって、それじゃ、兄さんが」

兄「俺はそんな事で喜ばないよ」
兄「昨日、妹が望んだ俺との関係は」
兄「俺の喜びが妹の喜びで、妹の喜びが俺の喜びで……」
兄「そんな関係じゃなかったのか?」

妹「そう、だけ、ど……」

兄「俺も、好きで一人でいる訳じゃないんだ」
兄「もし、妹が……俺にわがままを言ってくれるようになったら」
兄「俺もがんばれる気がする。……だから」

妹「う、ん……うん……」

友「え、へへ……やっぱり、お兄さんにはかなわないな」

 兄と妹の会話を初めて聞いて、友は自分の妹との歴史の浅さを自覚した。
 生まれてから妹の側に居る兄に、出会ってひとつきである自分がかなうと思っていたと思うと、恥ずかしくなる。

妹「友さん……」

友「今日は、ごめんね……。懲りずにまた来て、ごめんね……」
友「私、いいから……妹さんの、側に居られれば、それでいいから」
友「やっぱり、お別れは……嫌だ……」

 この時、妹は古典の授業でやった、枕草子のことを思い出した。
 「あなたを可愛がってもいい。でも、それが一番じゃなかったらどう思う?」
 という藤原定子の問いに、清少納言は
 「あなたにお仕えするのであれば、一番下でも満足です」
 と答えていた。

妹「友さん……私が欲しいものを、全部もってる」
妹「私の、憧れ」
妹「……これから、もっと、教えて欲しい」

妹「私に、友さんを」

友「うぅ……うあぁっ」

 友は、たまらず妹に抱きついて、涙をこぼした。
 はじめて友の家で交わした抱擁。
 それからずっと、お互い求めていて、できなかった。

友「……ありが、と……ありがと……っ」

妹「私なんかに、こんなに想ってくれて……ありがとう」

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年08月13日 (土) 17:59:04   ID: HDnecIq4

同性愛は死すべし
自分は同性愛を嫌悪する

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