ジャン「焼き芋」(45)
年も押し詰まった師走の末、足先に冷たい隙間風を感じて目を覚ますと、窓から覗くまだ暗い空には傾いたオリオン座が見えた。
二度寝しようかと思ったが、起き上がって肩掛けを被り、暖炉に火をおこした。
肘掛け椅子に腰を下ろし、ぱちぱちと言う音と共に燃える火を眺める。あたたかさを顔に感じながら、常に形を変え続ける炎を見ていると、ふと昔のことを思い出した。
目を瞑り、記憶の糸を辿り始めた――
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そのときオレは十五か十六だったろうか。どちらにせよ年齢はこの物語にさして大事な役を務めてはいない。読者は唯、十代半ばの少年とも青年ともつかない未熟なジャン・キルシュタインを思い浮かべればいい。
前回の壁外調査終了後、ちょっとした配置換えがあった。亡くなった先輩方には不謹慎だが、オレはミカサと同じ班になれないだろうかと期待した。
理由は分からないが、人生何故かそう上手くいかないもので、彼女とは班はおろか分隊すら違かった。
その代りに同じ班になった奴が、芋女ことサシャ・ブラウスだった。
同期とは言えコイツとは余り話したこともなかったし、同じ班員として飯を食ってる折にも隙あらばオレの皿を狙ってくるので鬱陶しく感じた。
一度などは、パンを丸々奪われたこともある。
「獲物を奪うのに作法が必要ですか?」
これが奴の理論らしいが、食が好きならば最低限のテーブルマナーくらいは身に着けて欲しかった。
とは言っても同期、同年代ということで一緒に行動する機会は増えた。立体起動装置の整備をしたり、買い物に付き合わされたり、食事に行ったりなど。そこでオレはそれを利用して、コイツを教育しようと思い立った。
まず何よりもオレの胃の為に食礼を叩き込んだ。最初は嫌がったが、旨い飯をたらふく食えると言ったら簡単に釣れた。
「違う、こう持て、こう」
奇怪な持ち方をしている手をとって教える。少し自分より細く、あたたかい指。
「でも、持ちにくいですよーこれ」
「うるせえ、食べたきゃ覚えろ」
電球色を基調としたシックな照明に、耳に心地よいジャズが流れるレストランの中、拙いナイフ使いでとても旨そうに食べる芋女を何だか不思議な気分で眺めた。
そんな日々が続き、結局ミカサとの距離を縮めるような出来事も持てぬまま、次の遠征となってしまった。
今回のオレ達の班は索敵陣形の最も外側に配置された。自分の実力が評価された嬉しさもあったが、やはり巨人に対する恐怖は拭いきれなかった。
小さな雲が幾つか浮く、天高き秋晴れ。北から渡ってきたツグミの冴えた鳴き声が響いている。大地は一歩一歩をしっかりと受け止めてくれる。
巨人がいなければこの世界はどれだけ美しいだろうか。そんなことを頭の隅で考えながら、街を発った。
「奇行種だ!」
その言葉を最後に班長ともう一人の班員が食われた。小さな松林に入った刹那だった。
指揮をできるのはオレしかいない、ここで対応を間違えたら、死ぬ。
「うわあああ!!!」
パニックに陥ったサシャが飛び出す。まずい、太陽の正面――
掴まれた
「あ……、ごめんなさ
稲妻より速く全身が反応した。巨人の右手側の木を一旦経由してからうなじを狙った。この冷静な脊髄反射にオレは今でも感謝している。直接狙っていたら二人ともども死んでいただろう。
奴は倒れた。一時の方向からもう一体来るのが見えた。
こちらは一度太陽を背にして、相手の視力を奪ってから処理した。
「怪我はないか!?」
着地した後、膝をついて震えていた彼女をすぐさま抱き起し、馬を全速力で駆けて辛くも他の班に合流することができた。
「……ノ林ニテ巨人二体ト遭遇。二名戦死ス。我其ノ二体ヲ討伐セリ。馬二頭戻ラズ」
もう日も落ちて帰還した後、幕営所の自室で報告書を書いている時、ドアをノックする音が聞こえた。
開けると、沈痛な面持ちをした芋女が立っていた。何も言わず中に入れ、ベッドに腰掛けさせると、オレは背を向けて机に座り直し、報告書の作成を続けた。
暫くの間どちらも一声も発しなかった。何故か虫も鳴かず、聞こえるのは単調な万年筆の音だけ。
「私は……私は自分だけでなくジャンまでも
「何も言わなくていい」
また寂として声なし。風に窓が揺れている。気が付くと辺りは闇に包まれており、ただぼやっとしたランプの光が手元を照らしていた。
灯りを消して振りかえると、彼女は横になって眠り込んでいた。三日月の淡い光が青白く顔を照らしている。目じりにうっすらと浮かんでいた涙をハンカチでぬぐってやった。
「風邪、引くぞ」
そう静かに呟いて、毛布を掛けた。
その時から俄かに彼女に対する気持ちが変わり始めた。それと同時にミカサへの少年らしい一目惚れは何処かへ去ってしまった。
何だか自分がお調子者のような気がしたが、オレの快適な脳は全部都合よく解釈してくれた。
また男子の好意というのは隠そうとしても土台無理な話で、一週間もすると色んな奴にからかわれ始めた。
特に恐ろしかったのはアルミンだ。記憶力が凄まじいだけに、一度食堂でこんなことがあった。
「ねえジャン、この前までミカサミカサ言ってたのはどうなったのさ?」
「い、いやあれはだな、いわゆる少年の初恋ってやつで、弥生の風のように現れては、かげろうのように消えていく運命だったんだよ」
「そーかあ、少年の初恋ってやつで、弥生の風のように現れてかげろうのように消えてく運命だったのかあ」
と何処から飛び出したか分からないポエムを呟いたら、大声でそれを暗誦しやがった。
そんなこんなで三か月程が経った年の暮れ、オレは彼女を湖のある公園に誘った。待ち合わせ場所に行くと、紺のロングスカートと冬外套に身を包んだ彼女が待っていた。笑顔で手を振る姿が愛らしかった。
天はサファイアの碧さを湛え、降り注ぐ日差しは露と白銀に彩られた道に反射して、さながら自然の宝石箱の中を歩いているようだった。
互いに白くなる息を見て笑いあう。繋ぐ手に体温を感じる。彼女の歩幅に自分の歩幅を合わせる。一瞬一瞬に幸せを感じた。
空がわずかな赤みを帯び始めたころ、湖畔のしゃれたバーに入った。ワインを飲み、小さな楽団が奏でる音に耳を傾けながら、時を過ごした。
店を出たころには、もう日は暮れかかっており、オレは彼女を送って帰るつもりだった。
「もう少しだけ……」
確かにそう聞こえた。心臓の鼓動を感じた。
一寸思案して、ローボートに乗ろうと提案した。彼女が承諾すると、オレは店じまいをしていたおっさんから焼き芋を一つ買い、手を取って小舟に乗り込んだ。
「裾、濡れないようにな」
「はい……」
新月の夜、一番星が小さく光を放っている。ボートは油のように滑らかな湖面をすべってゆく。岸辺のあちらこちらで奏でられた音楽が彼方から聞こえる。物憂げな水は、オールに切られるたびに単調な音を立てる。
湖の半ばで漕ぐのを止めた。向かいに座った彼女は空を眺めている。青い静寂が続く。意を決してオレは口を切った。
「なあ」
ジャンサシャ増えてきた感じ
ブラウンの目がこちらを見つめる。栗色の髪は夜風に揺れている。
「これを、受け取ってくれ」
そういってオレはさっき買った焼き芋を半分にして、彼女に差し出した。
彼女は驚いたようにオレを見つめた。
「お前とこれを食う未来も悪くないんじゃないかなって」
全身が爆発するような熱さを感じてオレは目線を湖へと転じた。彼女は目を丸くしてこっちを見つめていたかと思うと、プッと吹き出した。
「残念ですが、その未来はありえません」
余程オレが酷い顔をしていたのか、彼女は更に笑いを強めると、言った。
「だってあなたのものは私のものですから!」
そういうと、彼女はオレの手にあった半分をひょいととり、自分のと一緒にぱくっと食べてしまった!
オレは彼女がそれを平らげる一部始終をぼんやりと眺めていた。すると、彼女は近づいてオレの手をとった。
二人並んで空を見上げる。小さく輝く星々がどんな時より美しく見えた。
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この間抜けな告白譚は班長になっても、分隊長になってもネタにされ続け、今も――
「ねえ、ジャンはどんなふうにプロポーズしたんだい」
「それはですね……
「おいババア! サシャに変なこと聞いてんじゃねえ!」
からかわれ続けている。
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何時の間にか空は白み始めていた。窓外に垂れた氷柱からは水滴が落ちている。ふと、隣のベッドを見ると肩が掛布団から出ているのに気付いた。
掛け直し、静かに呟いた。
「風邪、引くぞ」
おわり
早っ
でも長く続けられると遅刻しちゃいそうだったので 乙!
>>17
レスありがとうございます。
正直なところを申しますと、本篇での関係が余り見えない分、二次創作の余地が少なからずあるという点が要因ではないでしょうか。
>>23
ありがとうございます。行ってらっしゃいませ。
乙!朝から素敵な話をありがとう
>>「獲物を奪うのに作法が必要ですか?」
これ、他のジャンサシャスレにもあったな。サシャこんなこと言ったシーンあったっけ?
なんにせよ乙。
呼び方がコイツとか奴からサシャや彼女に変わるのがすごく良かった
乙
乙
>>30
ありがとうございます。
乙
面白いし心温まる
名画を見てるような感覚だった。乙。
乙。いいものを読んだ
乙乙
焼き芋の話を楽しく読んでいたら屁が出た
乙です!
これはイケジャン!
乙、何より文章が美しい。読んでて気分が良くなる。
乙
文章も好きだし、読んでで良い雰囲気を感じ取れた
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