フィアンマ「それで、いつ結婚するんだ?」オッレルス「げほっごほっ」 (269)



「それで、いつ結婚するんだ?」

目の前の男の問いかけに。
曲がりなりにも旧神を名乗る、魔神のなり損ないたる魔術師は、口に含んでいる水を吹き出すかと思った。
赤髪の青年は聖職者であり、恋愛ごとには一切興味の無さそうな素振りしか普段は見せていない。
そして、この問いかけの指し示すオッレルスの結婚相手は、勿論彼などではなく。

「……シルビアとはそういう間柄じゃない」

水を飲み込み、ひとまず落ち着きを取り戻す。
彼女は『下女すなわちメイド』だ。
その職務は巫女的役割を兼ねるし、結婚など許されようはずもない。

そもそも。

世界中から追われている魔術師が、結婚など出来るものか。
彼女を幸福に出来る自信がないのに、して良いはずがない。

「彼女はいつかイギリスに戻る。
 今は私に付き合ってくれているが、それは添い遂げる様な類のものではない。
 立場的にも、自信の無さを考えても、彼女と結婚は出来ないよ」
「ありとあらゆる条件が取り払われれば、或いはしたいと、そういうことか」
「……」

常は日常生活でもない限り動揺を見せぬオッレルスの顔色が変わる。
具体的には、それは図星を突かれた際に出る様な羞恥の表情だった。

「げほっごほっ」
「水で噎せるとはそうとう動揺しているな」

くすりと笑い。
フィアンマも水を飲みながら。





―――彼の瞳は、どこまでも無感動に照明を眺めていた。

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・寝取りっぽい様なホモスレ

・オレシル前提のオレフィア(フィレルス?)

・ネタバレがありそうです

・ゆっくり更新

・ヤンデレンマさん等キャラ崩壊有り

・雑談他ネタ提供ご自由にお願いします

・ゆっくり更新


『君は動き回り、それでも目立たない様にしてくれ。ステルス性の確認をしたい』

オッレルスの言葉を思い返しながら、フィアンマは学園都市の街中をゆっくりと歩いていた。
空っぽの右袖を指先で弄り、お祭り気分の学生を眺める。
いくつかの戦闘風景を目撃することもあったが、参加をするようなことはない。
全ては流れゆくままに。やったことといえば、上条が死なない様にちょっとした手助けだけだ。
あの少年さえいれば、いくらでもこの世界はやり直すことが出来る。そんな気がする。

「……ん」

日差しが眩しい。
オッレルスは今頃、雷神トールとでも交渉を開始しているかもしれない。
ディナーの最中のオッレルスの様子を思い返す。唇を噛んだ。

渡したくない。

フィアンマの感情を総合的に一言で表現するのなら、これが正しいだろう。
彼は、オッレルスを独占したかった。より正確に言うなら、彼の優しさを。

「………、」

勿論、この世界は大切だ。
自分に優しくしてくれたオッレルスという存在が、それ以上に思えてしまっただけで。
無論、自分に彼の行動や考えを制限する権利はない。
同性である以上、何がしかの色仕掛けで篭絡することも不可能。


誰にも渡したくない。
あの優しさが他に向けられることが我慢ならない。
でもどうしようもない。何も出来ない。

歯がゆい。
辛い。
苦しい。

空っぽの右袖を握り、フィアンマは路地裏へ入る。
ひんやりとした空気は、何となしに精神を落ち着けてくれる。

「…ふ…」

特別な何かをしてもらった訳ではない。
オッレルスだって、特別何かを考えて接している訳ではないはずだ。
だが、その優しさは、長年世界の悪意に触れすぎておかしくなったフィアンマにとって、正に恩寵だった。
そして、こんなにも執着心が揺れ動いたのは、世界を救うことに次いで二度目だった。

乾ききった土に、水が染み込んでいく様に。

必要だった。貪欲に欲しい。

「……」

ふと。

全身に冷水を浴びせかけられた様な感覚に、後ろを振り返る。
そこに立っているのは、金髪碧眼の、魔女の様な少女だった。


「右方のフィアンマ、で間違いないな」
「………俺様を殺しに来たのか?」
「いいや」

自分の計画は失敗に傾き始めている、と少女は―――オティヌスは、呟いた。
フィアンマは無言のままに、無表情で、彼女を見据える。
彼女は多くの戦闘結果を調べながら、何の気なしに壁へ寄りかかる。
まるで、フィアンマなど眼中にないかのように。実際そうなのだろうが。

「交渉をしに来た。提案とも言えるか」
「乗ると思うのか? この俺様が」
「条件によっては、充分。故にわざわざこの私が出向いてきたんだよ」

ふんわりとした金髪が、風に揺れる。
オティヌスは、隻眼でフィアンマを静かに捉える。
にぃ、と端正な顔立ちの口箸を吊り上げ、彼女はこう提案した。

「あの出来損ないをお前だけのものにしてやる。
 代償は簡単明快。私の役に立ち、あの出来損ないの力を失わせるだけだ」

ローマ正教が組織的に編み出した最高峰の魔術すら知り尽くした、右方のフィアンマならば。
或いは、オッレルスを騙し抜くことも出来るだろう、とオティヌスは言って。

好意を見透かされたことを激昂するでもなく、フィアンマは呆れた様に言った。

「信じると思うのか?」
「私は約束は破らない。故に、大概は約束ではない形にする。期待させるだけで」

その自分が約束をしてやるのだ、とオティヌスは告げる。
実力を伴い、オッレルスの警戒を解き、裏切りの可能性を宿す人物。
そのたった一人が、右方のフィアンマだった。彼の願いを叶えてでも、オティヌスにはやりたいことがあるのだ。


「お前とあの出来損ないを、新しい世界に二人で取り残してやる」
「……、」
「もう誰もヤツを浚えない。ヤツも、誰かを助けに行くことはない。
 お前を見る他なくなるだろう。さながら二人のアダムといったところか」

それは、楽園から人を追放する原罪の宿りの誘惑に等しかった。
蛇、或いは悪魔の甘言により、女は誑かされ、禁断の果実を手にする。
そうして人は天の国を追われ、死して罪なき身になるまで戻ることを禁じられた。

「お前が力づくで出来損ないの周囲の人間を排除するリスクは高い」
「………」

緑の瞳。
見つめていると、どうしようもない悪魔の心が首をもたげる。
今の状況では、いつかオッレルスと別れる日が来る。それが自然。
今は魔神オティヌスを止めるという名目で共に行動しているのだから。
離れてしまえばオッレルスは自分を忘れるだろうし、シルビアと結ばれるかもしれない。

フィアンマの左手が、拳を握った。

一度だけ深呼吸をして、彼はオティヌスを見つめる。
自分と彼女が立っているこの場所だけ、時間が止まっている様な気がした。






「約束内容を、確認させてもらおうか」


とりあえず最初はここまでで。
エロはないかもしれないですがグロはあるかもしれないです。


どうにもフェアリー化はフィアンマさんが提案したような気がする。ヤンデレ説が捨てきれなかった。

















投下。



神の領域に居ればノーラグでどんな術式でも発揮出来るかというとそんなことはなく。
むしろ、誰かに化けるのなら丁寧に霊装を揃えて実現した方が良い。
魔術師の優秀さは詠唱の短略化なども含まれるが、短縮した分弱まったりもする訳で。
変化など見目に関わる魔術は一から十まで用意した方がバレ辛い。

(まあ、看破されることはないと信じたいものだ)

魔神を騙せるのは、同じく魔神の領域に存在する人間だけ。
魔神のなり損ないたるオッレルスは、オティヌスの目論見を阻止するべく動いていた。
彼女の世界支配、或いは世界創造は、決して誰かの幸福にはつながらない。
過去や安定を振り返らず顧みぬ『グレムリン』にとっては良いことなのかもしれないが。
個人的感情による世界統治などロクなことにならないのは、多くの書物や歴史が証明している。

(さて、)

事件は終局に近づきつつある。
幻想殺しに多少情報を吹き込んでおいたのはよかったかもしれない。
結果としてフロイライン=クロイトゥーネは救われたのだから。
後は、交渉材料として第二位の内臓を回収すれば良い。

「………」

シルビアに連絡しようか、一瞬だけ迷う。
彼女は、オッレルスにとって何よりも大切な人間だった。
世界の命運と天秤にかけても、きっと一瞬では切り捨てられない程の価値を持つ。

それは聖人だからではなく。
それは『下女すなわちメイド』だからでもなく。

彼女と積み重ねてきた時間と、思い出によるものだ。

「………」

通信用霊装に手をかけ。
それから、手を引く。

やはりやめておこう。


オッレルスという男にとって。
世界というのは、いつでも作為に満ちたものだった。
今や没落した貴族の出身である彼だが、過去には貴族の一人。
故に、個人がどれだけ抗っても乗り越えられない"流れ"というものを知っていた。

何一つ、自分の思い通りにならない。

人生の最初から最後までを、親や周囲に決められた。
相応しくない趣味は没収され、自分の思う人間関係を構築することもままならなかった。
神様に祈ってみても、何の力もない個人の単純な祈りなど、何一つ奇跡を産まなかった。

『なにないてんの?』
『えぅ、』

あまりにも束縛された現状に、しかしてその幼さでは太刀打ち出来ず。
一人で庭の端で泣いていると、少女に発見された。
彼女はメイド見習いとして、彼の家で働いている少女だった。
年齢はほぼ同じで、その頬には掃除の最中に付着したと思われる黒い煤の様なものがくっついていた。
腰に手をあて、後ろ手に箒を持った彼女は、とても強そうに見えた。

『…あれ? あ、やば。もうしわけありませんごしゅじんさま』

一応、オッレルスも自分の主人の子息なのだから、主人に当たる。
丁寧な言い方をしないのはマズイと思ったらしい彼女は、慌てて清潔なハンカチを差し出しつつ言い直す。
取ってつけたような言い方が何だか面白くて、彼は少し笑った。


『下女すなわちメイド』は、イギリス王室に仕えるメイドだ。
魔術師としての力量、メイドとしての所作、真っ当な人格性、この全てが必要とされる。
そのため、通常、修行の際には世界中の貴族の家へ奉公へ出、自らを研磨する。
シルビアもその例に漏れず、今はオッレルスの家に仕えている訳だった。
一年後には別の家、それも国の違う家に行くのだ、と彼女は言う。

『さみしいな』

そんな言葉が出る位には、オッレルスはシルビアが好きになっていた。
一緒に過ごしたのはまだ一ヶ月程なのだが、期間など関係なかった。
前述の通り、オッレルスは自分の力で何かをしたことがなかった。
故に、初めて自分で作った人間関係が、酷く心地よかった。
加えて言えば、同じ年頃の少女と話したのは、彼女が初めてだった。

初恋という表現が、最も正しいだろうか。

少し勝気な彼女の笑みが、好きになった。
怪我をして、痛みを堪える、少し泣きそうな顔も。

ずっと一緒に居たいと思った。
けれど、やはり世界の"流れ"はオッレルスの思った様にはならない。


家が潰れ、オッレルスは自分の人生を自ら選択することになった。
幸いにして幾ばくかの金を持たされてたたき出されたため、生活は出来た。
シルビアと過ごしながら、彼は少しずつ魔術を学んでいた。
どこかの宗教組織に頭を下げて魔術師として登用してもらうのも悪くない、と思った。

多くの知識を学び。
沢山の魔道書を読み。

その熱意はやがて、『魔神』と呼ばれる魔術師の頂点の一つにたどり着ける程の力になった。
何万年かに一度と言われる、『魔神』になるための儀式を履行する、その日。

『シルビア、君に話がある』
『ん? 話?』

魔神になれば、誰にだって認めてもらえる。
そうすればきっと、彼女と結婚しても許されるはずだ。
明確な告白こそしていなかったが、オッレルスとシルビアは、紛れもなく恋人だった。
性行為に耽ったその夜明けに話を持ちかけられ、彼女は首を傾げる。
プロポーズをしようとして、けれど勇気が出ず。

『……帰ってきたら改めて』
『? そう。ま、頑張んなさいよ』

もし、魔神へ達することが出来たなら。
区切りとして、彼女に結婚の申し出をしよう。

そう、思っていて。


目の前で震えているのは、小さい子猫だった。
生まれたてなのか、或いは産まれて日が浅いのか。
そのどちらにしても、今にも死んでしまいそうだった。

見捨てることは簡単だった。

でも、弱ったその小さな獣に自己投影してしまうと、どうにも無視出来なくなった。
自分の力で、何一つ決められない幼い生き物。

『ッ、』

気がつけば、子猫を抱え、病院を捜していた。
こんなことをしている場合ではないということ位、わかっている。
一刻も早く魔神になるための儀式を終わらせるべきなのだが、理性とは別の部分で身体が動いていた。

結果として。

『魔神』の座は、オティヌスという少女に奪われた。
子猫の命は助かったが、長くは保たないだろうと医者から言われた。
自分という個人の足掻きが世界の"流れ"には逆らえないことを、忘れていたのだ。


子猫を連れて帰宅して。
洗いざらいシルビアに話した。
別れの言葉もついでに告げようとしたのだが、涙の方が先に出てきた。
そんな情けない男と、バカバカしい事情と、どうしようもない失敗を見て、聞いて。

かえって、シルビアは彼を愛おしく思った。

どうしようもない大馬鹿だけれど、付き合ってやろうと思った。
彼女だって、幼い頃から、オッレルスのことが好きだった。
好きでなければ抱かれる訳もないし、一緒に暮らす訳もなかった。

『この、大馬鹿野郎』

一発だけビンタをした後。
彼女はオッレルスを抱きしめ、無言で癒した。
彼が泣き止むまで、何時間でもその状態で居た。
そんな女性だったからこそ、オッレルスは彼女が好きだった。今でも。


『それで、いつ結婚するんだ?』

フィアンマの言葉のせいで、余計なことを思い出してしまった。
オッレルスは霊装の調子を整え直し、自らの見目を変化させる。
鏡で一応確認をしながら、彼はため息を吐いた。

「……出来る訳がない」

魔神になれなかったのだから、その時点でもうダメなのだ。
今出来ることといえば、魔神オティヌスを止め、シルビアに別れを告げることだ。
そして、最後まで嫌われたくはないから、歪んだところを見せない為に別行動をしている。
フィアンマであれば、歪んだ部分をいくら見られようと構わない。

『ありとあらゆる条件が取り払われれば、或いはしたいと、そういうことか』

「…今更遅いが、出来ることならしたかったというのは、……嘘じゃないな」

呟く。
確認を終え、鏡をゴミ箱へ。
雷神トールの見目をした彼は、『グレムリン』メンバーの集合場所へと向かった。


条件は、オティヌスが勝利すること。
報酬は、自分とオッレルスだけが存在する世界。

たったそれだけだ。
逆に言えば、オティヌスの勝利が叶わなければ、フィアンマの願いも叶わない。
フィアンマが願うのは、報酬―――オッレルスが自分だけに優しい世界だ。
邪魔な他者の存在しない、聖書で語られる天の楽園の様な場所だ。
そのためなら何でもしよう、と思う。

オティヌスが勝利して約束を守るという奇跡が起きれば、自分の幸福に。
オティヌスが敗北してしまえば、オッレルスの周囲の大切なものは全て壊し、自分の幸福に。
オティヌスが勝利して約束を守らなければ、オッレルスを道連れに死に、自分の幸福に。

どう転んでも良い、とフィアンマは思う。
何にせよ、自分の利に繋げられれば悲しむことはない。

「……俺様も堕ちたものだな」

聖職者が恋愛を禁じられるのは、こういった理由なのかもしれない。
神に仕える程の強い信仰心を持つ人間がその矛先を変えた時、それは一国をも滅ぼす狂気に通ずる。

ステルス性の確認は終了。

フィアンマは一旦、隠れ家たるログハウスへ戻ることにした。
本を読み、術式の細部を詰めなければならない。
そして術式を強化すればする程、それを理解したオティヌスはオッレルスに返すだろう。
もしオティヌスが返さなかったとして、彼女をそのまま殺害出来ればそれでも良いのだ。
何にせよ、自分はオッレルスの味方を続け、オティヌスに目的を達成させる。
表面上は誰を裏切ることなく、水面下では全てを裏切って自分の目的だけを達成させなければならない。




広大な世界に、二人きり。




「……なあ、オッレルス…そうすれば、お前は俺様以外を選べなくなるのだからな…?」


今回はここまで。


フィアンマさんはこの機を逃すと結婚されちゃうと思ってるしオッレルスさんはこの機に別れようと思ってるし何にしてもシルビアさん被害者。















投下。



隠れ家たるログハウス、そのテーブル上。
絵本は、様々なものが置かれている。
テーブルの上、不気味な雰囲気を放つ羊皮紙。
それにいとも簡単に触れ、むしろ書き込みながら、フィアンマは絵本を読む。

アメリカ、ドイツ、フランス、その他様々な国に根付いた妖精のお話。

テーマが『妖精』なのは、一つの術式を作り上げるための資料だからだ。
彼の読み進む絵本の中、シンデレラは妖精の助けを得て王子様と出会う。
こうして本を読んでいると、プロチタイプの術式を構築した時のオッレルスとの会話を思い出す。

『……体調でも悪いのか?』
『ん?』

ぺたり、と額に触れられた。
いたって真面目な表情で、発熱していないかどうかを尋ねられる。

『最初は情報を聞くだけのつもりだったのに、無理をさせてしまったからね』
『……多少の体調不良があろうとも、パフォーマンスは通常通り―――自信はある。
 お前がそこまで心配することでもないよ』
『働きぶり如何じゃなくて、もっと個人的な理由だよ』

目の前で体調が悪い人が居たら嫌だろう、と首をかしげられる。
正直に言って、理解出来なかった。つまり"今すぐ失せろ"という意味ではないのだから、尚更。


『シルビアや他の人員ならばともかく、俺様の体調不良など気にしてどうする』
『どちらかというと、君が一番の戦力なんだけどな』
『途中で裏切り、或いは逃亡するなどという考えはないのか?』
『んー……とりあえずは無いよ』
『ほう』

理由は、と問いかける。
嘘を見抜く自信があるだとか、そういうことかと考えた。
或いは、自分が裏切ってもさしたるマイナスにはならないだとか、そういう文句。
結果、彼の口から出てきた言葉は、想像とはまったく違うものだった。

『私は、君を信じているからね』

薄い笑みと共に、そう言われた。
計算や思惑は感じられなかった。
単純に魔神の領域に存在する彼の考えが自分には読めないだけかもしれない。
しれないのだが、その言葉は、表情は、フィアンマにとって嬉しいものだった。

それと同時に。

いつかこれが失われると考えただけで、吐き気がした。
心の底から、世界を救えないと確信したより余程、恐ろしいと思った。
本物の怪物であるアレイスターに対抗したよりも、余程、よほど。

『………本気で言っているのなら、お前は馬鹿だな。
 知識面ではなく、人格面での意味合いだが』
『よく言われるよ。馬鹿なお人好しだとか、散々言われてきた』

今まで色々とやってきたし、喪ったものも沢山あって、今でも後悔していることが沢山ある。
それでも、それなりに得られたものもあるし、後悔していないこともあるんだ。
後者の中には、フィアンマの命を助けたことだって、含まれているんだよ。
多少の策謀が含まれているとはいえ、一度助けた存在には幸せで居て欲しいと思うのが常じゃないか。

そんなことを言った彼は、どこか歪んでいる。
普通、自分が引き金を引いた第三次世界大戦でどれだけの犠牲が出たかを思えば、そんなことは言えないはずなのに。


別に。
自分に甘い言葉をかける存在だけが良いものとは、フィアンマは思わない。
今までも甘い思いはいくらだってしてきたし、使い潰してきた。
その中にはぎっしりと作為や悪意、思惑が詰め込まれていた。
だから、人間の心はどこまでも醜いものだと、フィアンマは思ったのだ。
結果として自らの救済が間違っていたことは理解したが、それでも、上条に感化されただけだと自分に言った。

こんな人間を手放しで愛してくれそうな人間が居ない限り、人の善意など信じられるものか。

善意ではなく、熱狂によって倒されただけだとも、思っていた。
世界を見て回っていく中でわかることもきっとあるのだろうとは思ったものの。
結局、それは自分を絶望へ突き進ませる道なのではないか、とも。

『熱が下がった様で安心したよ』

目が覚めた時。
自分の額へ乗せられていたタオルを冷たいものに取り替えていたのはオッレルスだった。
体調が悪い方が、情報は聞き出し易いというのに、わざわざ看病をしてくれていた。

『私は、君を信じているからね』

オッレルスは、きっと博愛主義だ。
シルビアから軽く聞いた過去の経歴からしても、きっとそうだ。
頭ではそう理解していても、感情が追いつくかというとそうではない。


フィアンマは一旦手を止め。
絵本を、ぎゅう、と抱きしめる。
博愛主義だとしても構わない。いいや、そうならばむしろ。
自分のものだけにしなければ気が済まない。
フィアンマの意見は、幼い子供が自らの玩具の所有権を主張することに等しい。
けれど、誰がそれを否定出来るだろうか。誰だって、こう思うはずだ。

自分の好きな人に、自分だけを好きでいてもらいたい。

男性であれば、この感情は顕著なものだ。
女性よりも、男性は本能的に所有欲が強く出来ている。
今まで一度も恋をしたことのない人間に、初恋を諦めろというのは酷なものだ。
たとえそれが同性だったとしても、フィアンマの前に立ち塞がる困難にはなりえない。

「………、…」

絵本を抱きしめたまま、フィアンマは暫し黙り込んだ。
信じている、と言ってくれたのに。
そんな嬉しさも、彼を手に入れるという目的の前には霞んでしまう。

「オッレルス……」

実を言うと、彼にはサーチ術式を仕掛けてある。
彼の使用する霊装に忍ばせたものだが、恐らく気づいてはいないだろう。
そして、彼の現在位置を割り出しても、その情報は公表しない。
それは彼の仕事だし、やらない理由は適当に用意出来る。

「……さて、向かうかな」


「お前の優しさは、お前自身を滅ぼす」

フィアンマの動きを予想しながら。
オティヌスは、口の中でそうぽつりと呟いた。
オッレルスの博愛主義がなければ、フィアンマは自分の提案には乗らなかった。
その場合は、フィアンマを殺害するつもりだった。

「………どうしようもない馬鹿なところは、何年経過しようと変化しないものだ」

そして、そんな愚かな男だったからこそ、自分は魔神の座を攫えた。
あの場に弱った子猫を設置しておけば時間は稼げると踏んだ。
実際にその通りだったのだから、あの時は大笑いしたことを覚えている。

今も。

失敗のために生き急いでいるのだから、多少嘲笑っても許されるだろう。

「何をしている」
「何、そろそろ頃合かと思ってね」

目の前の醜悪な道化は、まだ気がついていない。
自分の不必要なお情けが首を絞め、敗北を持ってきていることを。
オティヌスは笑みも浮かべずに、敵を見据えた。

敵と呼ぶのも間違いかもしれない。

ただの的として評価したところで、問題はあるまい。


今回はここまで。



いや、別にシルビアさんに対する暴力描写とかはないですよ。




















投下。



フィアンマを取り巻く世界には、これといって何もなかった。
悪意という点を抜き出せば幾ばくかの要素があったのだろうが。
もはや悪意に触れすぎて感覚が麻痺しつつあるフィアンマにとっては、記憶のないこと。

何一つ手に入れたことなどなく、欲しいとも思わなかった。

無欲が過ぎて貪欲だったのが、彼の生き方だった。
誰かに、何かに手を伸ばすことすらあり得なかったフィアンマは。
同じく、誰かに手を差し伸べられたこともなかった。

『働きぶり如何じゃなくて、もっと個人的な理由だよ』

そんな彼が、初めて手を差し伸べられた。
否、上条の分をカウントするのなら、人生二度目か。
しかして、タイミング的なものだが、オッレルスのそれは拒否の感情の働かないものだった。

魔術師とは、世界から見捨てられた子供の行き着く先。

同時に、何か一つの目的を達成するためなら手段を選ばない人間。
フィアンマだって、類に漏れず魔術師の一人だった。


「第一希望は外したが、第二希望の範疇だ」

ドチュッ、という肉の潰れた様な嫌な音と、感触。
手に遺るそれを確かに感じながら、フィアンマはオティヌスを見つめる。
説明の出来ない力が放たれ、船の残骸へと身をうずめた。
見た様子からすると、どうやらオッレルスはオティヌスの『反撃』を受けたらしい。
その身は妖精化を受け、既に旧神を名乗って良い様なものではなくなっているだろう。

「が、ッげ、」

血を吐きだし、オティヌスは数度深呼吸をする。
何度も何度も血の塊を吐き出す彼女に対し、オッレルスは勝利者の顔で言い放った。

「もはや私には、魔神への執着などなかった」
「ぐ、っげほげほ、」
「お前は私の目的を図り違えた。それが敗因だよ。
 勝てずとも構わないと言ったはずだ。
 …私は、かつて自らが目指した"魔神"が利用されることが気に入らなかっただけだ」

転がっている腕は、恐らくオッレルスのものだろう。
フィアンマはオティヌスを見つめたままに、言葉を紡ぐ。
さも、何の約束事もしていなかったかの様に。


「以前、学園都市で有意義な実験をさせてもらった。
 多くの強者が集まる中で、俺様ほどの実力者が感知されない様にする方法の、だ」

勿論、オティヌスには見つかった訳だが。
オティヌスは喉につっかえた血痰を不愉快そうに吐き捨てる。
フィアンマは目を細め、口端から赤黒い血を伝わせつつ言った。

「結果は成功だった。そして、お前を殺す一手へ繋がった」

その声音は、どこか浮ついている。
オティヌスはその真意に気がついたが、オッレルスは気づかない。
彼はただ単純に、フィアンマも勝利の美酒に浸っていると思っている。

けれど。

フィアンマの『勝利条件』は、この先にある。

「は、ぁは、はははははははは!!!!!!」

オティヌスが、笑い声を吐き出す。
醜悪なまで、愉悦に歪んだその笑顔。
さしものオッレルスも、思わずたじろいだ。

「お前はやはり天才だ。お前なら、私を殺す手段を持ってくるだろうと思っていた。
 百パーセントの勝利に、百パーセントの敗北。完璧だ。もはや単なる魔神ではすまない!」

ありがとう、と魔神は言った。
まさか、と魔神のなり損ないは呟いた。


そうして、オティヌスは振り返った。
思っていたよりもずっとずっと優しい表情で。
神様の様に、事実、その身に神の力を宿し、彼女は無言でこう告げた。
その一言は、フィアンマにとって福音の様なものだった。


『今度は、こちらが約束を守る番だ』


直後。
先程よりも大きな力が吹き荒れ、オッレルスとフィアンマを客船からなぎ払った。
輪切りになった甲板から、二人の身が投げ出され、そのまま海へと落ちていく。

このままでは、船の残骸に突き刺さる。

オッレルスは満身創痍であり、自力で防御出来ないだろう。
フィアンマは仕方なしに詠唱を口にする。
空気が柔らかな綿の様な感触になり、一バウンドしてから、二人の身が改めて船の残骸へ投げ出された。
一度速度を下げたので、軽い打撲程度の痛みしかない。

「ぐ、……」

それでも、腕を片方切断され、身体中が疲れ、痛みを訴えるオッレルスには辛い刺激だった。
フィアンマは慌てて船の残骸から這い出ると同時、彼に近づく。
広がる血だまりに、船の残骸である木材などを手繰り寄せ、即席の霊装を作る。
その霊装を使用し、治癒を施しながら、フィアンマはオッレルスを見つめた。

「動けるか?」
「…すまない、無理そうだ。……君は、逃げても…いいや、この状況でもはや…」

ギリ、と歯噛みして、オッレルスは唇を噛む。
その表情は悔しそうで、辛そうで。


勝てないばかりか、彼女の強化を手伝ってしまった。
誰も悪くないとはいえ、自分の責任であると、オッレルスは思う。

「は、……」

立ち上がれない。
身体中が痛くて、力が入らない。

「フィアンマ、」

もう治癒はしなくていいよ、と顔を上げて。
視線を向けた先、フィアンマは笑みを浮かべていた。
てっきり、落ち込んでいると思っていた。
或いは、またしても世界を救えなかったショックに軽く気をやったか、とオッレルスは思い。

違った。

彼は、至極楽しそうに笑っていた。
喉を低く鳴らし、幸福そうに、狂信者のそれで。

「ああ、」

愛おしそうに、フィアンマの左手が、オッレルスの頬へ触れる。
オッレルスの視界に広がる青年の表情は、歪んだ笑みを浮かべていた。

「俺様の勝ちだ」
「な、にを…言っている、んだ…?」
「く、くく。はは、ははははははははは!!!」







遠く。

オティヌスが、何かを言っていた。
世界を終わらせると同時、世界を創るのだろう。

『ちまちま戦うのも面倒臭ぇな。まずは世界でも終わらせてやるか』









そして、世界は終わりを告げ


今回はここまで。

フィア→オレ→←シル←ブリュとかどうですか?


しばらくオレフィアがいちゃいちゃほのぼのします。

>>72
ブリュンさんの口調に自信が無いのですが頭に入れておきます、もしかしたらそうなるかもしれないです













投下。



チュンチュン、という小鳥の鳴き声は非常に愛らしいものだった。
隻腕の青年は目を覚まし、のろのろと起き上がる。

「……」

昨夜は、何があったのか。
何も思い出せない、と眉を寄せる。
くしゃり、と金の髪をかき乱した。
何となしに頭が痛むので、もしや二日酔いだろうか。
しかし、酒を飲んだ記憶がない。そもそも昨日何があったのかすら。

「………記憶、喪失?」

そんな言葉だけが、脳内に浮かんだ。
呟いたきりベッドに座り、無言で首を傾げる。
左肩切断面は既に縫合されているようだった。

ガチャリ

ドアが開く。
視線が合った。


「……君は?」

問いかけてみる。
見覚えがあるような、でも思い出せない。
赤い髪の青年も同じく隻腕であり。
彼の存在しない腕は、自分とは対照的に右腕だった。
穏やかな笑みを浮かべて、赤髪の青年は首を傾げる。

「フィアンマ、だ。覚えていないのか」
「……記憶がないんだ」

素直に告げると、フィアンマは少しだけ俯き。
それから後ろ手でドアを閉め、金髪の青年の座るベッドへ腰掛けた。
そうして控えめに、青年の服袖を掴みつつ言葉を紡いだ。

「俺様はお前の恋人なのだが」
「……」
「それで、お前の名前は『オッレルス』だ」

言われてみると、そうだったような気がしてくる。
少し甘えた様に、フィアンマはオッレルスに寄りかかる。

「腹は空いていないか」
「え、ああ…少し」
「作ってくる」

笑みを絶やさずにそう言うと、フィアンマは部屋から出て行く。
オッレルスは暫く、自分と彼について考えてみることにした。


賭けたのは、ルーレットのゼロ。
天文学的確率に、全てを賭けた。

元の世界の命運も。
自分の命や人生も。
オッレルスの命も含めて。

オティヌスは、約束を守った。
一応確認はしてみたが、自分とオッレルスしか、この世界に人類は存在しないようだ。
実際、オティヌスとしてもそちらの方が都合が良かったのだろう。
もしかするとこれは仮想世界に近い、いうなれば"見せられているだけ"の世界なのかもしれないが、構わない。

何はともあれ。

右方のフィアンマは、一世一代のギャンブルに勝利した。
後は何もしなくても、普通に過ごしているだけで、好きになってくれるはずだ。
何せ、他に候補がないのだから。自分以外を見ることなど出来ない。

「……」

オッレルスの記憶がないのは予定外だった。
が、自分という存在との関係性(捏造)を教え込みやすいので、喜ぶことではあるだろう。


適当に作った朝食は、適当さがにじみ出たものだった。
後天的隻腕の為、フィアンマは凝った料理が苦手である。
魔術の下準備であれば、細かい作業も出来るものの。
そもそも不得手なことを片手間に沢山出来るはずがないのだ。

「……この程度で良いか」

テーブルに並ぶ皿。
トーストと、オムレツと、野菜スープ。
簡素な朝食だったが、バランスは悪くない。
適度に口を使いつつ皿を洗って片付け、フィアンマは再びノックをして部屋に入る。
考え込んでいていた様子から一転、オッレルスは彼を見て笑みを浮かべた。

「朝食は出来たが、食べられるか。体調が悪いようなら、」
「いや、大丈夫だよ」

遮り、オッレルスは毛布を脇に退けて立ち上がる。
靴を履くと、フィアンマに近寄った。
フィアンマは彼が目を覚ます前に、とある術式を執行していた。

恋心の差し替え。

元々存在する感情を、目が覚めて初めて目にした人物(即ち自分)に矛先を変える術式だ。
元々は、実在したと言われる『神の子』が人々の悪意を自らへ一手に引き受けたところからきている。
他にも目を覚まして天使の奇跡を目撃した・或いは諭された事から十字教に改宗した人間のエピソードなども参照とした。
頭の中の知識を手繰り寄せて作った術式は、果たして通用しただろうか。


僅かに緊張するフィアンマの髪を、近づいてきたオッレルスの指先が撫でた。
視線を向けると、穏やかな笑みは健在で、気がついた様子もない。

「少し、色々と忘れていたけど、いくつかは思い出せたから大丈夫だよ」

彼の中では。
フィアンマは幼い頃に出会った唯一の友人であり。
家が没落した時も、一人暮らしをするときも、ずっと支えてくれた人間であり。
何か大きな失敗をしても、一生懸命カバーをしてくれた親友。
そんな中、徐々に芽生えた恋心から今現在は一緒に暮らしてくれている、恋人。

…という扱いになっているようだ。
恐らく、そこには元々シルビアが存在していたのだろう。
横から思い出を掠め取った形だが、フィアンマに後悔はないし、良心も痛まない。
本当に欲しいものを手に入れるためなら、人は悪魔にだってなれる。

「……食べ辛いな」

席に着き、トーストを食べようと試みたオッレルスは、そう呟いた。
つい昨日まで両腕があった人間が突然片腕だけで食事をしようとすれば、確かに困難だろう。
フィアンマは自分の分の食事はひとまず放置し、彼の隣に椅子を持っていく。
同じ隻腕でもオッレルスより幾分か手馴れた様子でバターを塗り、トーストを掴む。


「…口を開けろ」
「ありがとう」

トーストを口に運ばれ、彼は素直に食べた。
フィアンマの手から。嫌がったり、躊躇することなく。

「………」

無言のままでいると、オッレルスの手が動いた。
手元にあったジャムをトーストに乗せる。
それから、お返しとばかりにフィアンマの口元へと持ってきた。

フィアンマは思わず硬直する。

嫌という訳ではない。
嬉しいのだが、嬉しいのだけれど。
一般人で言えば、どうせ当たらないだろうと一枚だけ買っておいた宝くじが一等だったような気分に近い。
自分の身には過ぎる幸福だった。

「……何だ」
「いや、食べるかなと思って」

苺ジャムは嫌いだろうか、と首を傾げられた。
そういうことを言っているのではなく、とフィアンマは視線を彷徨わせる。
勘違いさせるのも申し訳ないので、口を開けてあむりと食べた。
僅かに舌先に彼の爪の様な感触があり、顔を引いて、そらして食べる。
表情を作ることなど簡単なのに、顔に熱がこもって、赤くなっていることがわかる。
あまりにも情けないので、左手のひらで自分の顔を覆った。

「フィアンマ、」

こちらを向いてくれ、と手を引かれる。
何の悪気もない笑顔で、可愛いと言われた。
シルビアが時々暴力をふるって黙らせていた理由がわかる気がする。
フィアンマは額をオッレルスの右肩にコツンとぶつけ、暫く無言で羞恥に耐えるのだった。


今回はここまで。


目を合わせて同時に動くってよっぽど仲良し♂なんだろうな、と思っております。
















投下。


冷蔵庫の中身は勝手に増えない。
使った分だけ消費されるし、使いすぎれば空っぽになる。
そんな訳で、二人は買い物に出た。

夢の中の様に。

この世界には、二人しかいない。
当然、普通は食物を作る人間と、それを卸す人間などがいなければ商売は成り立たない。
成り立たないのだが、そういった世の中の常識を捻じ曲げるのが、そもそも魔神の力。
純粋な魔神が創り出したこの世界に、世の中の常識など不必要。

そのため現在、二人は無人のスーパーマーケットに居た。

料理で言えば食べ放題状態。
現在の状況に不可解さを覚えるでもなく、二人は食物を選別していた。

「どれにしようか」
「んー」

並ぶ食パンには多くの種類がある。
これとこれにしよう、とフィアンマは提案した。
こっちもいれよう、とオッレルスは返す。

誰かを"使う"のではなく、誰かと"一緒"に何かをする。

初めて挑戦するパズルを組み上げるよりも、それはずっと楽しい。
そうだな、と肯定の返事をして、フィアンマは小さく笑った。


買ってきた、もとい持ってきたのは、レーズン食パンとバターロール、シュガーロールの三種類。
ほかにも肉や魚、きのこ類、野菜なども適宜持ってきた。
それらを詰め込んだ紙袋は酷く重い。

「……、…」

重いものは、なるべく楽をして運びたい。
でも、オッレルスの目の前で、魔術を使いたくなかった。
それがきっかけで全てを思い出せば、彼は自分を罵るだろう。
裏切り者と糾弾されるかもしれない。それが、怖かった。
しかし、自分に腕力で持てるだろうかと悩んでいると、その紙袋はひょいと持たれた。

「……どうか、した?」
「重くないか」
「買い物の荷物持ちなら慣れているしね」

昔からいつも俺が持っていたじゃないか、などと彼は言う。
フィアンマは口ごもり、彼と同じペースで歩き始める。


「手、繋ごうか」
「……良いのか?」
「良いも何も、恋人なら普通だと思うよ」
「いや、荷物を持ちつつというのは辛いのではないかと思っただけだ」
「大丈夫」

オッレルスの方から、手を差し出された。
本当に良いのだろうかと思ってしまうのは、彼が言う様な過去などないから。
フィアンマの方には、最初から最後まで全ての記憶があるからだ。
後ろめたさを感じてしまうのは、なけなしの良心のせいだろう。

「……、…」

それでも、フィアンマは手を出した。
お互いに残った方の手を握り、歩くペースは変えずに進む。
指先から伝わる体温は、すこし、低い。

「………」

左手が残っていてよかった、とフィアンマは思う。
同時に、オッレルスの右手が残っていてよかった、とも。

こうして、手を繋げるのだから。




現実には、世界は元通りとなった。
幾人か、新しい世界に取り残された者も居たが、幻想殺しの特性によって救われた。
拘束を施されたオティヌスは、退屈そうに欠伸を噛み殺している。
『世界の基準点』程度に敗北するとは思わなかったが、負けてしまったものは仕方ない。

「…何だ」
「オッレルスは何処へやった」
「言うと思うのか?」

オティヌスを問い詰めているのは、金髪の女性。
イギリス王室に仕えるべき『下女すなわちメイド』。
即ち、シルビアだった。姓については、誰も知らない。
オティヌスは酷く退屈そうにまた欠伸を漏らして、つまらなそうにシルビアを見つめる。

「というか、死んだよ」
「……嘘を吐くのも大概にした方がいい」
「何を怒っている? ああ、そういえばお前はあの出来損ないのオンナだったか」

くすくすくす、とオティヌスは笑った。
彼女は、約束を守る。どんなことがあっても。
そして、約束した相手のことだって、守る。

だから。

フィアンマの望んだ世界を、邪魔などさせない。

胸ぐらを掴まれ、聖人の力で頬を打たれる。
シルビアの取り乱し様は珍しいものだったが、ブリュンヒルドは止めなかった。
愛する者がいなくなれば、誰だって取り乱すだろう。

元魔神にして未だ強力な力を持つ魔術師は、空を見上げる。

「だから、言っているだろう」

拘束されたままに、楽しげに。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「私があの二人を殺してやったんだ。いい加減諦めやがれ」


家に到着すると同時、雨が降りだした。
冷蔵庫に食物を入れ、冷蔵の必要がないものをテーブルへ。
適宜配置すると、軽い疲れを覚えた。
何か冷たいものを飲もう、という話になり、フィアンマはお湯を沸かす。
適当にアイスココアでも飲もう、という結論に至った訳である。

「火傷しない様に気をつけてくれ」
「言われるまでもない」

素っ気なく返してしまうのは癖だが、歯がゆい。
かといって嬉しそうに反応するも自分らしくない気がする。
後ろから気配が近づき、振り返る。

「何だ、手伝いか?」
「下手に手を出すとペースが崩れてかえって怪我をしそうだし、やめておくよ」

したい気持ちはあるけど、などと口にして。
彼は退屈なのか、フィアンマの体を抱きしめてお湯が沸くまでを待つ。
フィアンマは少しだけ考えて、軽くオッレルスに寄りかかった。
体重を預けても、退く様な雰囲気は感じられない。

「……」

わかっている。
シルビアへの恋心の矛先を自分に向けたから今のこの状況があるのだと。
でも、仕方がなかった。こうでもしなければ、確証がもてなかった。

「……オッレルス」
「…ん?」
「……好きだよ」
「俺も好きだよ」

素直な笑みが、やっぱり愛おしかった。
自分は間違ってなどいない、フィアンマは自分に言い聞かせる。


今回はここまで。
今回のテーマは純愛かもしれない


(純愛といっても沙耶のうた的純愛)

二人が居るのは快適な程度に常識を捻じ曲げた世界です。


















投下。


雨は、未だ降り続けている。
窓の外、しとしとという水音が心地よい。
ソファーに腰掛けたオッレルスに寄りかかり。
ぼんやりとしながら、フィアンマは目を閉じる。

「……」
「……」

無言の空間の中、髪をいじられる。
くすぐったいような、こそばゆいような。
他人に優しく触れられていると眠くなることは、オッレルスと出会って知ったことの一つだ。
幸福な浮遊感に乗せられ、フィアンマはこみ上げる眠気を堪える。

「眠いのなら、寝ても良いよ」

のんびりと言われ、ますます眠くなる。
寝てしまうのは何だか時間が勿体無い様な気がする。
せっかく傍に居るのに、と思い、別にこれから先もそうじゃないか、とはたと気がつく。

「おやすみ」
「……ん、」

仕方がなく、眠ることにした。
目が覚めても、この生活が継続されていることを信じて。


オティヌスが約束に固執するのには、理由がある。
そして、約束相手にフィアンマを選んだことにも、理由があった。

「……死体なら捜せばあるんじゃないか?」

そう言うと、シルビアは出て行った。
暴力と糾弾から解放され、オティヌスはゆっくりと息を吐き出す。
目を閉じて思い浮かべるのは、昔通っていた教会のことだ。
両親は一度懺悔を始めると長く、自分はいつも退屈していた。
別に神様に祈りたいことなどなかったし、そもそも信仰心がなかった。
よくよく読んでみると、聖書の中の神様では自分を救えないような気がしたのだ。
『神の子』が実際に今現代存在するのならばともかく、それ以外では無理に決まっていた。

オティヌスは。

『オティヌス』と呼ばれる前から。
生まれつき、右目が悪かった。
視力が悪いどころか存在しないだけでなく、その痼は新種の病気かもしれないと言われていた。

『Kyrie eleison, 』

教会の敷地内で、誰かが歌っていた。
木陰から覗くと、そこには赤い髪の青年が居て、ベンチに腰掛け、気ままに歌っていた。
本来賛美歌は気安く歌う様な内容ではないのだが、彼は神を踏みつける様にして、気軽に歌っていた。
音程こそ合っているものの、酷く無機質な歌声だ、と感じた。

『……そこに誰か居るのか?』

問われ、びくりとした。
恐る恐る顔を覗かせてみれば、青年は存外に怒るでもなく迎え入れた。


期間にすれば、たった一週間程。
幼い少女に強請られ、仕方なしに青年は賛美歌を歌った。
その歌声には何ら魔術記号を乗せていなかったが、それでも後にオティヌスと呼ばれる少女は聴き入った。
目が悪いために教会以外ほとんど外出しない少女にとって、彼の歌声は珍しいものだった。

『さぼたーじゅなの?』
『半分程はそうかな』

彼の瞳は金色だった。
オティヌスの持つ緑色とはまるで違う色だった。

『わたしのみぎめ、なおるかな』

神様にお祈りすれば、などという言葉がかえってくるか、と彼女は思った。
対して、神父なのかどうかすら曖昧な赤き青年は答えた。

『見えずとも、もう片方で世界を見れば良いんじゃないか?』

それは、解答ではなかった。
励ましでも慰めでもなかったし、優しくもなかった。
でも、片目に障害を持つオティヌスにとっては、その一言が重要だった。

『そっか』

無理に治そうとするから辛いし、悩むのだ。
ならばいっそ、諦めてしまえばいい。


それからすぐに両親が死に、教会に行くどころではなくなった。
あの時の青年が右方のフィアンマであると知ったのは随分と後だった。
劣っているのなら、それをなかったことに出来る位の生き方をすればいい。
オティヌスはフィアンマの一言からそこまで思考を飛躍させ、ついには右目を抉った。
痛みはほとんどなかったし、後悔もなかった。

そして。

『わたしのみぎめがなおらなくても、わたしはいきていけるとおもう?
 おかあさんやおとうさんがいうみたいに、つらいじんせいにはならない?』
『ああ。たかが片目だろう。両目ともある俺様が言うのも何だが』
『じゃあ、やくそくして。えーっと…"ほしょう"!』

それは、口約束に過ぎなかったかもしれない。
けれど、オティヌスはその"保証"があったから、何だって出来た。

「……私は、約束を守る」

両親よりも余程肯定的な保証をくれた彼の願いを、叶えてあげたかった。
きっと自分のことなど覚えていないから、『ありがとう』ではなく、もっと即物的に。
その彼が望んだ条件が"あの男と一緒に居る二人きりの世界"なら、叶えるのが当然。

「絶対に、……守る」

約束だけでなく、フィアンマのことだって。


目が覚めた。
首筋をなぞられ、こそばゆさに身をよじる。

「ん、…何だ」
「いや、あまりにも長く寝ているから少し暇で」

ごめんね、と申し訳なさそうに笑み混じりに謝られると何も言えなくなる。
手を伸ばし、仕返しのごとく、というよりも事実そのまま、オッレルスの頬をつまんだ。
そのまま、さほど肉のついていない頬をぐにぐにと引っ張る。

「い、いひゃいよフィアンマ、」
「俺様の眠りを妨げるとは良い度胸だ。そもそも寝ても良いと言ったのはお前だろう」
「だから謝ったじゃないか、」

しばらく引っ張ってから手を離す。
痛かった、と頬を摩る姿が情けなくて、でも、愛おしい。

「……すまなかった」

素直に謝って、頬を摩る。
別に寝起きでイラついていた訳ではない。
単なるイタズラ心にしてはやりすぎた、というだけだ。

「……怒っているか?」
「怒っていたらもう少し態度が荒くなってるよ」
「………」
「それに、…好きな相手にはなかなか怒れないものだよ」

惚れた弱みかな、とオッレルスは笑う。
そうかもしれないな、と笑みを返して、フィアンマは胸の痛みを抑え込む。


今回はここまで。


最終的に幸せな人は…三人かな? 三人ですね。















投下。


雨が止んだ。
長い雨が止んですぐに晴れたので、空には虹が架かっている。
魔術の知識よりも先に、本当に久しぶりに、感想が先行した。

「……綺麗だな」

虹を見てこんな感想が浮かんだのは、本当に久しいことだ。
今までは、如何にして世界を救うかしか考えてこられなかった。
世界救済が失敗に終わってからも、闘争のことばかりで忙しなかった。
全て終わってみれば、大したことではなかったような気もしてくる。
そんな気分になるのは、幸福だからだろうか。
幻想殺しが言った様に、世界中を確かめることは出来なかったけれど。
それでもオッレルスと出会い、世の中には確かな優しさがあると知った。
そして、今なら、人間の心の奥底に潜む善意とやらも信じられる。

「虹、か……」
「……確かに、綺麗だね」

虹が出来るメカニズムは知っている。
虹を使った術式の構成だって考えられる。

でも、今はそんなことは考える必要がなかった。
何しろ、魔術を使う必要がない。戦う必要性が無いのだ、この世界には。


「お前と、ずっとこうしていられればいい」

もうそれ以外には、何も望まない。

ぽつりと呟かれた言葉の響きは、寂しいものに思えた。
わざわざ願わなくても良いことだよ、とオッレルスは言葉を返した。
これまでそうだったように、これからもずっと一緒に居ればいい、と。
フィアンマは良心をかなぐり捨てることで、痛みを打ち消した。
何も余計なことを考えないで、純粋な笑みを浮かべて、こくりと頷く。

「……約束、してくれるか?」

恋心の上書き。
それは、彼が人を好きになったきっかけをも上塗りしたこと。
シルビアとの思い出を横から掠めさらって、フィアンマは一人彼に愛される。

そうでもしなければ。

賭け金に報酬が見合わない。

「約束?」
「たとえ何があっても、俺様を愛してくれると」
「何だ、そんなことか」

何も疑わず、オッレルスは頷いた。
愛情は約束で縛れるようなものではない。
フィアンマはそれを理解出来る程、誰かに愛されたことがなかった。


死体"は"見つからなかった。
見つかったのは、生きている身体が二つ。
二つ、という呼称も正確には正しくない。

仮死状態の青年の身体が2人。

シルビアが必死に捜してどうにか見つけたものだった。

「……仮死状態だった。殺しはしなかったのか」

シルビアに言われ、オティヌスは退屈そうに欠伸を噛み殺す。
多くの宗教組織に対する奉仕による特赦的待遇が与えられているものの、今は逃げ出すつもりはなかった。
オティヌスが行ったのは、オッレルスとフィアンマの魂を別の世界へ移動させる方法だ。
別の世界とはいえ、完全な魔神であった自分が創造したものなので、自分だけはアクセスが可能。
とはいえ、連れ戻す気などさらさらなかった。解決のヒントを与えるつもりもない。

オティヌスはあくまで、フィアンマの味方でしかない。

肘掛に右肘をつき、暇を持て余した様子で、オティヌスは首を傾げる。

「それで、どうする。まさか、嘘を糾弾しに来たなどと、どうでもいいことじゃないだろうな?」
「オッレルスを連れ戻す」
「好きにしたらどうだ? 私は手伝わんがな」

肩を竦め、オティヌスは窓の外を眺める。
土砂降りの雨だな、とぼんやり思いながら。


「……一筋縄じゃいかないか」

そんなことをぼやいたシルビアが居るのは、ミラノのとある病院だった。
大部屋の入院患者は二人だけ。フィアンマとオッレルスの二名。
仮死状態だが、計測してみると微かに心臓は動いているとのことだった。
シルビアが推測するに、二人の魂だけが剥離している。
魂とはつまり自意識だ。それが同じ世界にある場合、幽体離脱の体験談などとして語られる訳だが。

「……さっさと、」

戻ってこい。戻って、きて。

その声音に、元気はなかった。
シルビアはオッレルスを見つめ、それからフィアンマに視線を移す。
せめてフィアンマだけでも目を覚ましてくれたなら。
フィアンマの扱う術式は、異世界とこの世界を繋ぐものが幅を利かせている。
一介の聖人に過ぎぬ自分には届かない領域の術式を作り出している彼の意見を聞けば、或いは。

…或いは、オッレルスの目を覚ますことが出来るはず。

反対に、オッレルスが目を覚ましても、フィアンマを起こす努力をするつもりだった。
何はともあれ、シルビアは二人に起きて欲しかった。
たった一人の家でも、オッレルスを待ち続けられたのは彼が戻って来る確証があったから。
こうなってしまっては、確証など持てるはずもない。

「………はあ」

ため息をつき、立ち上がる。
また明日も来るよ、と言い残して。


クッキーを焼いた。

一言にまとめるとくだらな過ぎるが、実際には何種類かのクッキーで、なかなか楽しい時間だ。
隻腕になってしまったリハビリも兼ねての製菓作業。
もちろん、前述のリハビリはどちらか片方ではなく両者に必要なことで。

「パールシュガーか」
「珍しいから持ってきたんだ」
「なるほど」

クッキー生地に混ぜ込んだのは、チョコチップ。
ホワイトチョコチップ、ダークチョコチップ、パールシュガー、アーモンドスライス。
大きめのタッパー容器が満杯になる程に焼き上げたところで、今日は御終い。

「……紅茶でも淹れるか」

さくさくもぐもぐと口に含みつつ、フィアンマはふと提案する。
同意があったので、さっさとお湯を沸かし、カップを温めてからミルクティーを淹れた。
口の中でミルクティーに浸り、柔らかくなった甘いクッキーを呑み込む瞬間は酷く気分が良い。

「フィアンマ」
「……ん?」

次はどれを食べようかとあてもなく左手をうろうろさせていたところで、話しかけられた。
口の中は空っぽのはずなのだが、彼は何やら口ごもっている。
何か真面目な話でもするのだろうか、と姿勢を正した。

「………今夜、良いかな」
「? ……構わんが」
「……そ、そうか」

よくわからないまま、頷く。
対して、オッレルスは安堵した様子でほっと胸をなで下ろした。


今回はここまで。
誰ですかエロはないとか言ったの(憤怒)

フィアティヌスの薄い本は今年も出なさそうなので書くしかないですね…。



エロがあんまりエロくない。無念。
フィアティヌスレは構想がまとまったらその時に…というわけでどなたかオッレヌスレください。













投下。


夜になるのは存外早いものだ。
とはいえ、"この世界"における時間の感覚はまるでアテにならない。
体内時計とはまるで違って世界の時間が流れているのだ。

(……まあ、楽しい時間はすぐに過ぎるともいうが)

何となく、オッレルスと生活する様になってから、時間が早く流れている様な気がする。
まだ一緒に暮らして二ヶ月程なのだが、これまで共に過ごしていた時間を考えるともう少し長い。
今の方が邪魔も何もなく、純粋に楽しくて幸せだが。

「……結局、俺様は人間が嫌いだったのかな」

ふとそう自らを振り返り、満月を見上げる。
真っ黒な夜空に浮かぶまん丸の月。
他に星は見えないが、望めば見えるようになるのだろう。
フィアンマにとって不都合なことが起こらないよう、この世界は変革される。
それもオティヌスの配慮だったとしたら、本当に素晴らしい報酬だと、思う。

「…冷えるな。そろそろ戻るか」

ぽつりと呟き、家の中へ戻る。
シャワーを浴びて寝室に入ると、既に入浴を終えた様子のオッレルスがベッドに座っていた。


「フィアンマ」
「んー?」

手招かれ、隣に座る。
右手で左手を握られ、そのまま指を絡める。
体温が溶け合う様な感覚が、フィアンマは好きだった。

「…改めると何だかやり辛いな」
「何の話だ。ああ、昼に何やら言っていたな」

何をしたいんだ、と首を傾げられ。
性行為、などとはっきり言えるはずもなく、オッレルスは沈黙した。
暫く黙り込んだ後、恐る恐る問いかける。

「……察しがついていて頷いたんじゃ…?」
「いや、何をやりたいのかはわからなかったが、内容がどうであれ、付き合うつもりはある」

結局何がしたいのだと再度問われ、オッレルスは口ごもる。
手を握ったまま、またしばらくして決心がついたのか、彼はこう言った。

「………だから、君を抱きたいと言っているんだけどな」


抱きたい。

四文字の示す意味合いが理解出来ず、フィアンマは黙り込む。
抱きしめたいのなら断りを入れずにそうすればいい。
というより、日中、したいときにそうしているのだから。
となると、つまりそれ以外の意味を指し示す言葉であると推測可能。

「……つまり、…だから、」

意味を持たぬ言葉が漏れ出す。
隣から伝わる緊張に感化され、フィアンマは口ごもった。

「……性行為か」
「……そういうことになるかな」
「………のか?」
「…うん?」
「…出来るのか? 興奮というか、」

やり方がわからない上に、性的興奮を自分などに抱けるのか。

フィアンマの質問の意図が読めず、オッレルスは眉をひそめる。

「出来る出来ないより先に、今までだって何度かしてきただろう?」
「……………。……そう、だな」

シルビアと立ち位置を交換しているのだ。
つまり、何度か性行為をしたことがあるというのは嘘ではない。
少なくとも、オッレルスにとっては。

初めてだとか、よくわからないだとか、真実は伏せるべきだ。
その小さな小さな『違和感』から、全てが露呈してしまっては元も子もない。

「好きに、しろ」


過去数度だけ行った自慰行為は、背徳感がありこそすれ、快楽など感じたことはなかったが。
組み敷かれることに対して、屈辱よりは先に緊張の方が先行した。
その強張りを解す様に何度も口づけられ、首筋を甘く噛まれる。
口づけられて唾液を絡ませながら服を脱がされると、少し寒く感じた。
思い出されたかの様に部屋の電気が消され、髪を指先でなぞられる。
隻腕でよくもと思う程に、オッレルスの手の動きにもたつきはなかった。
手馴れている、という感じはするが、愛情のこもった優しさも感じられる。

きっと。
シルビアは、何度もこうやって抱かれてきたんだろう。

別に、嫉妬と呼べる様な感情ではなく。
それを遥かに上回る独占欲が、ぐらぐらと沸騰する。
左腕を伸ばし、金の髪を指先で弄び、それから抱き寄せた。
キャラメルミルクに浸した様に甘みがかった声で誘う。

「お前が飽きるまで、好きなだけ、好きなように抱いてくれ」

何を捧げても構わない。
愛してくれるなら、優しくしてくれるなら、何でもいい。
欲しかったものが手に入るのなら、どんな代償も払って見せよう。
少し前だけれど、絶対、誰にも渡さないと決めた。


内臓を押し上げられる様な快楽は、同時に苦痛をも引き起こす。
本来の用途ではない方法で身体を使えば、体が悲鳴を出すのは自然の理。
思うも、フィアンマは抜いてくれと懇願するでもなく。
むしろ、娼婦の様に、或いは娼夫の如く、脚を絡ませて引き寄せる。
胃液がこみ上げぬ様何度も唾液を飲み込み、浅い呼吸を繰り返しながら、フィアンマはオッレルスを見上げた。
痺れる快感が視界すらぼやけさせるが、彼の姿だけは決して見誤らない。

「すき、だ。離したくない、」

思うままを口に出し。
理性の薄れた様子で、フィアンマはオッレルスを抱きしめる。

「お前は、おれさまの、ものだ、」
「フィアン、マ」

律動のペースを落とすでもなく、オッレルスはフィアンマを見つめた。
片方は髪に隠れて見えないが、右目から注がれる視線は優しく、慈しみすら感じられる。

「俺様だけを見ていればいい。俺様だけをすきでいればいい。
 誰も好きにならなくていい。お前に必要とされるのは、」

おれさまだけで、いいんだ。

どこまでも歪んでいて、どこまでも真っ直ぐな愛情。

自分だけを必要として欲しいという欲求。
自分だけが彼を必要としていればいいという傲慢。

世界すら賭けに出せる程、フィアンマにとっては彼の優しさが全てだった。

「あ、っぁ、」

どろどろと粘質な白い体液が注がれる。
その違和感にびくつき、熱い息を吐き出して、フィアンマは身体の力を抜いた。


眠い。
倦怠感に微睡みながら、フィアンマはオッレルスに寄り添っていた。
素肌同士の触れ合いは少しこそばゆいような気もする。
夢と現実の境界が曖昧で、しかし、そもそもこの世界すら夢なのかもしれない。

(夢でもいい。嘘でも、幻想でも、幻でも、幻覚でも、思い込みでもいい)

ようやく、縋れそうなものが出来たのだ。
宗教よりも余程深く安心感を与えてくれる存在を我が物に出来たのだ。

「オッレルス」
「……ん?」

彼も眠いのだろうが、返事はしてくれた。
どうでもいい、些細なことで、当たり前のことでもある。

「俺様を、好き―――いや、……愛しているか」
「もちろん」

言葉にするまでもなく、といった様子で彼は頷く。
それが嬉しくて、哀しくて、嘘塗れで、けれど真実で。
最終的には嬉しいのだから救いようがなくて。

「……おやすみ」
「おやすみ」

この幸福な気持ちのまま死んでしまいたい。
時間が止まってしまえばいい。


「わざわざ悪いね」
「いや、戦いでも何でもないし、謝られるようなことでもないよ。
 俺の右手が役にたてば良いんだけど…」

シルビアは上条当麻を招き、病室に居た。
横たわる二人の青年を交互に見、彼女は少しだけ申し訳なさそうに頼んだ。

「まずはオッレルスに触ってみて欲しい」

ありとあらゆる異能を打ち消す、右手。
或いは、世界の基準点としての役割を果たす存在。
そんな『幻想殺し』で触れてしまって、仮死状態の人間と異世界の繋がりは断たれないのか、と上条は一瞬不安に思う。
が、シルビアはのんびりと、明るい声で答える。

「他ならぬオッレルス自身が『正常に戻す力』だと言ったからね」
「つまり、元に戻れる可能性の方が高いってことなのか」
「と、信じたい。ま、やらないよりはやった方が良い…位の話か」

シルビアの言葉に励まされ、上条はこくりと頷いた。
今回は、拳を振るわない戦いだ。
右手で、オッレルスの額に触れる。ひんやりとしていて、本物の死体の様で、ゾッとした。
同時に、パキィン、と薄いガラスが砕けた様な音がした。

つまり。

『幻想殺し』が、"何か"を壊したということだ。


幸せは長くは続かない。

フィアンマはそのことを、昔から知っていたはずだった。
どんな理想郷も、一つの過ちや悲しい偶然で消え失せてしまうことを。

「……、…オッレルス?」
「……フィアンマ、か。ここはどこなんだ?」

そして今回も、フィアンマは相対的に見て負けた。
人の『善意』に。正しさに、負けたのだ。
オッレルスは困惑した様子で、服を着用し、台所に居た。
辺りを見回しては分析し、フィアンマを見やる。
そこに愛情は感じられなかった。昨夜までの蜜月は終わったのだと、フィアンマは悟る。

「……君は、『俺様の勝ちだ』と言っていた」
「………、…」
「この世界は、法則が入り乱れている。常識が通用しなさ過ぎる世界だ。
 まるで一から魔術ベースで創作したように。絵本のおとぎ話の世界とも言える。
 君は何をした? いいや、君一人では不可能だ。こんなことが出来るのは…」
「……察しが良いな」
「シルビアは、……いや、聞いても意味がないな。君は誰と組んでいた?
 推測は簡単だ。……この状況を君が『勝利』と呼称した時点で」
「………」
「……何故オティヌスと組んだ」

答えろ、とばかりの視線。
フィアンマはふらつきながらも、きちんと服を着直した。
俯き、唇を、血が出る程に強く強く噛み締める。

それから。

何の感情も浮かばない顔で、言葉を返す。







「単純で愚直で下劣な理由だよ。シンプル過ぎて目眩がする程に、な」


今回はここまで。


後味悪い展開も好きではあるんですけどね。














投下。


特別な理由なんてなかった。
というより、フィアンマが動く理由の大半は特別なものではない。
誰もが抱える、それでいて普通であれば我慢する理由が大体だ。

「俺様は、お前が欲しかった」
「……欲しかった?」
「たとえ世界中の人間が犠牲になったとしても、お前に愛されるだけの世界が欲しかった」
「………」
「純粋にして完璧な魔神とは即ち、神の領域に身を沈めた人間だ。
 思い通りの世界の一つや二つ創造出来るし、他人に分け与えることも出来るだろう」

だから、魔神オティヌスと約束をした。契約ともいうべき内容。
オッレルスの無力化という単純な項目。
それを守ることで自分の望みが叶った。
今の世界は、自分が全てを賭けたことに対する報酬に過ぎない。
何故オッレルスの記憶が唐突に戻ったのかは知らないが、勘付かれた以上は仕方ない。

「お前が好きだった」
「……フィアンマ」
「お前が、好きだった。愛していたんだ。愛されたいと思った。優しくされたかった。
 理由なんて、これ位しかない。この程度のものだ。深い理由も、納得させられるだけの理論もない」


そう言ったきり、フィアンマは沈黙する。
オッレルスは少しだけ考えて、視線を床へ落とす。

「……私は、特別君に何かをしてあげた訳ではないよ」
「わかっている。お前としては、当たり前に他者に接していただけだろう。
 だから、惚れたのは俺様の勝手だよ」
「………」

軽く壁に寄りかかり。
フィアンマはオッレルスを見つめたまま、夢でも語る様に。
夢見心地な、どこか現実離れした様子で言った。

「初めて、だったんだ」

誰かに策略なく微笑みかけられたのも。
幸福になって欲しいと願われたのも。
何一つ責めず、味方でいてくれたのも。
好意を抱いてしまう程、何の気なしに優しくされたこと全て。

独り占めしたいと思うのも、致し方ない。

「……そんな理由が免罪符になると、本気で思っている訳じゃないだろう?」

返答は、冷えていた。


氷を後ろ首に唐突に当てられるよりも余程。
その言葉の響きは、フィアンマの頭を冷やしていった。
そもそも興奮している訳でもないのだが。

「……まあ、良い。お前には眠ってもらうだけだ」

一つ、オッレルスが寝ている間に実験をして判明していることがある。
この世界では死ぬことが出来ない。少なくとも、自分は。
そして、自分が望めば死体が腐らないということもわかっている。

こういった要素が判明しているのなら、やることは一つ。

もはや自分の元には居てくれないであろう恋人を殺害し、死体を愛でるだけだ。
やがてこの身は死なずとも心が擦り切れるかもしれないが、構わない。
オッレルスが他の誰かを再び愛すると考える位なら、殺した方が気が楽だ。

「……怪我程度じゃすまないかもしれないが、構わないな」
「構わんよ。……俺様を抱いたその腕で、俺様を殺してくれても」

オッレルスの体質は、オティヌスの一撃によって著しく劣化している。
そして、妖精が大天使に勝利するということは神話の相性上ありえない。
となればもっと即物的な殺し方でくるだろうか、とフィアンマは思う。


お得意の『北欧王座』は行使されない。
或いは、もう使えなくなってしまっているのか。

雪の弾丸が飛んできたが、フィアンマは避けない。
代わりに僅かだけ右肩を動かし、もやもやとした『聖なる右』でなぎ払った。
床に落下した雪は突如霧に変化し、フィアンマの視界を覆う。
彼の持っていた右手、その体に宿る力は特別だが、"打ち消す"力ではない。

右手が伸びてくる。

直感的に一歩退いたフィアンマは、詠唱をしながら左手を振るった。
ありとあらゆる法則が入り乱れる世界の中から『天使の力』を選択した。
何の制限もかけられずに呼び出された天使の力は際限がない。
が、それを応用して術式を暴走させ、元はお呪い程度の内容を膨張させる。

愛する人が不貞に走らない様"縛り付ける"。

元の意味合いはその程度だが、天使の力の過剰投与で膨張した術式は捕縛と攻撃の色をもつ。
オッレルスは少しだけ判断に迷い、しかし一瞬にして術式に介入した。
完成された数式に要らない記号を足して滅茶苦茶にする様な暴挙だ。
ただでさえ暴走を前提とした術式を崩しすぎれば、それは災害に変わる。


小規模の爆発だった。
視界を奪われたその間に間合いを詰められたらしい。
煙が晴れた頃には、フィアンマは床に拘束されていた。
横たわった状態ではなく、罪人の様に頭を垂れた状態で。

身体固定。

古くは北欧神話における最大のトリックスター・ロキを束縛したエピソードだろう。
鉄の素材を用いることで、ロキを拘束した『ナリの腸』を代用しているのかもしれない。
そこまで推測してみたところで、抜け出せる訳でもない。

「は、」

項垂れ、フィアンマは唇を噛み締める。
視界の端に映る斧は恐らく、オッレルスが持っているものだ。

「君が頷かなければ、まだ勝機はあったかもしれない」
「………」
「オティヌスが約束を守らなければ、君だって死んでいた」
「……それならそれで構わなかった」

オティヌスが約束を守れば、自分の勝利。
オティヌスが約束を守らねば、オッレルスと一緒に死ぬだけ。
オティヌスを倒せなければ、オッレルスの周囲の大事なものを奪うだけ。

何にせよ、自分の都合が良い様にセッティングはしておいた。


「ここまでしなければ、お前は俺様を選ばなかっただろう?」

諦念に満ち、糾弾に屈したフィアンマは掠れた声で指摘した。
世界の命運、自らとオッレルスの命、人生全てを投げ打った、正に一世一代の賭け。

究極の自己犠牲にして、最悪の自分勝手。

そこまでしなければ、フィアンマはオッレルスに愛される自信がなかった。
当たり前のことだった。彼は、親にすら愛されたことがなかったのだから。
経験がないことに自信を持つという方がかえって不可能なこと。

「いいや」

が、オッレルスは否定した。
フィアンマは視線を合わせず、ただ彼の言葉を聞く。

「…ただ、単純に。俺が好きだと言ってくれたなら。
 ……俺はそれで構わなかったんだよ」

それだけで、君を選んだよ。
彼は言う。
世界を作り直さなくたって、世界に2人きりじゃなくたって、人生や命を賭けなくても。

ただ、告白してくれれば良かった。

真っ直ぐに好きだと告白されたなら。
こんな方法を使わなくたって、オッレルスはシルビアに諦めを抱き、フィアンマの手をとったはずなのだ。
フィアンマは、臆病な青年だった。
自分を信じられずに世界を戦争へ追い込んだ男が、他人を信じられるはずもなかった。


「そんなはずが、あるか」

そんな優しい話が、あるわけがない。
どうして、全て終わってしまった今更、そんなことを言い出すのだ。
否定して、頭を垂れたまま。
フィアンマは、少しだけ笑った。

「………まあ、諦める他あるまい」

オッレルスは、元の世界へ戻るだろう。
そこがどんな場所であれ、ここに居たいとは思わないはずだ。
創造主たるオティヌスがこの場に居ない以上、ここは特殊な空間に過ぎない。

彼は、去っていくだろう。

やがて終焉を迎える哀れで愛おしいこの世界に、自分を捨て残して。

望んだのは、ルーレットのゼロ。
オッレルスが自分だけを愛し、優しさを向けてくれる世界。
そんな、たった一つの奇跡。
その賭けには勝利したが、総合するならば。





「俺様の負けだ」

斧が、やや斜めに上がり、それから、死刑を執行する様に振り下ろされた。


内臓が潰れた様な嫌な音と血腥さと、手に遺る殺人の感触。
それを感じ取ってからなのか、或いは感じる前なのか。
時間の概念が曖昧なまま、オッレルスはベッドで目を覚ました。

「………」

視線を動かす。のろのろと、多少の無理をして起き上がった。
軽く眠りかけていたシルビアが、オッレルスを見て立ち上がった。
口を動かし、声が出ず、動揺して、それから。

「……お帰り、………オッレルス」

それだけ言うと、シルビアはオッレルスを抱きしめた。
ただいま、と囁く様に返して、彼は視線を移す。

隣のベッドで眠り続けるフィアンマに、思わず息が詰まった。

次の瞬間。

未だ昏睡状態、及び仮死状態のフィアンマの身を、一人の少女が抱え上げた。
ずっと前からそこにいたかの様に違和感の無い登場。
一度は完全な状態にまで上り詰めた魔神・オティヌスの姿がそこにはあった。
物々しい眼帯に隠されていない隻眼が、オッレルスを睨みつける。
シルビアをつまらなそうに見やり、そうして、オティヌスは彼らに背を向ける。

「……出来損ないが捨てたのなら、この男はもはや私のものだ」

それだけ言うと、誰の制止も聞かずに病室から姿を消す。
最初からそこにフィアンマもオティヌスもいなかったかの様に、世界は整えられた。

「………シルビア。君に、話があるんだ」
「奇遇だね。私もある」


今回はここまで。
このまま元鞘でオレシルになれば円満なんでしょうけどその予定はないです。

ほう乙

フィアンマ+オティヌスの愛しさ余って憎さ100倍な復讐劇でも始まるのかね


>>182
復讐劇でサンホラ思い出しました。















投下。


随分と前に廃墟と化したホテルの一室。
そこを美しく整えて、オティヌスはベッドの掃除をした。
清潔さを確認した後、ようやっと腕に抱いていた青年を降ろしてやる。
意識を持たぬ肉の器がゴロリと転がったので、毛布をかけてやる。
敗北し、多くの力を喪ったオティヌスだが、扱える魔術の幅は広い。
勿論、自らが創り出した世界ならば、管理も出来る程度には。
とはいえ、もはや新しく世界を創造することは出来ないので、やはり力は劣ったと言えよう。

「……」

無言で、オティヌスは視線を床へ落とす。
マントに意味もなく指先をすべらせ、唇を噛んだ。

「……約束を守れなかったな」

独り言。
これではいけないと思い直し、オティヌスは指先を動かした。
干渉するのは、独りぼっちでいるであろうフィアンマが存在する世界。
最初で最後、自分が創造した、まだ誰にも壊されていない世界。


目の前がチカチカする。
痛みを超えてもはや痺れを感じる腹部は、血まみれだった。
斧が身体の中心にまでめり込んでいるらしい。
勢い良く振りすぎだろう、とため息を飲み込み、フィアンマは凶器をよろよろと除ける。
だくだくと血液が溢れ、傷口が痛んだ。が、放置しておけば治るだろう。
自分を"殺した"ことで、オッレルスは脱出したようだ。追いかけようとも思わない。
本気になって策を練ればこの世界からは逃れられる自信はある。

でも、追いかけたところで。

きっと、自分は失望し、或いは絶望するだけだ。
フィアンマはあれだけの戦闘の余波一つ受けていない家の中の様子に苦く笑って。
血液などの片付けをすると、ふらふらとソファーに座り込んだ。
意識を失っていた時間はわからないが、どうでも良い。

「…………」

世界に一人きり。
正真正銘の一人ぼっち。

孤独はなかった。
むしろ、誰かが居るのに一人ぼっちである方が、余程孤独を感じるものだ。


『右方のフィアンマ』

低い、少女の声だった。
幻聴か、と眉を顰めるも、違った。

『……約束を守れず終いになってしまったな』
「…努力はしたんだろう? オッレルスは最初は記憶がなかった。
 そして、俺様の都合に世界が合わせる。望み通り、他の人類は居ない。
 ヤツの異常性的嗜好発露の可能性についても考慮して、小動物すら居ないように設定してくれたんだろう?」

環境は完璧だった。
自分の努力不足と単純な不運が原因だ、とフィアンマは思う。
神のお告げの様に天より聴こゆる少女の声は、正しく魔神オティヌスのものだった。

『これから、どうする』
「何がだ?」
『一応、お前の身体は手元にある。戻って来ることも出来るが』
「……必要がないな。俺様が見るべき"世界"はもう見た」
『………あの出来損ないを殺したいのなら手伝っても良い』
「無駄なことだ。……もう、終わったことだからな」

気がつけば、傷は修復されていた。
この世界がそういう風に出来ているのか、今オティヌスが干渉したのかは不明。
血で汚れた服を洗う気にもなれず、フィアンマは目を閉じる。


「そちらの俺様の身体は壊してしまっても構わんよ。好きにしろ」
『………』
「魂は限界を迎えると霧散する。この世界における『死』はそう設定したんだろう? 
 だから、俺様は自らが限界を迎えるまで此処に居る。お前の創造した世界なんだ、文献もあるだろう。
 多少の"汚染"も早死への一つの手段ではあるし、改めて魔術の勉強でもして時間を潰すさ」

二人には二人の。
一人には独りの、時間の過ごし方というものがある。
昔からひとり遊びは得意なんだ、とフィアンマは薄く笑ってみせて。

「気に病むな。一人というのも気が楽ではある」
『……お前の身体は好きに使わせてもらう。本当に、戻らないのか』
「言ったはずだ。戻る必要性が感じられない」

もう一度会ったところで、オッレルスとは友人にすら戻れない。
勿論、愛されることもないだろう。
そんな場所に戻っても意味はない。どうせ、世界は自分を淘汰しようとする。

「魔神オティヌス。お前には感謝している。ありがとう」

俺様も魔神でも目指してみるか、などと冗談めかして言う彼は。
どこか、大事なものを無くした様な顔をしていた。


「………のか」

オティヌスは、フィアンマとの会話を終えた。
あまり干渉しても、自分では嫌かもしれない。
どうして自分ではオッレルスの代わりにはならないのだろう。
仮に見目や声を似せたところで、フィアンマは軽々と看破してみせるに決まっている。

「………壊せる、ものか」

約束を守れなかったあまりか。
自分をある意味で救ってくれた男を、必要もないのに殺せるものか。
好きに使うとは言ったが、何かに使用するつもりだってない。
人形の様に愛で、いつ戻ってきても問題の無い様にコンディションを整えてやるしか、オティヌスには出来ない。
肩を落とし、少女は立ち上がる。
彼の体を仮死状態から一般的な生者のそれへ戻しながら。

「……食事を購入してくるか」

呟いて、外へ出た。
フィアンマの好きな食べ物なんか知らないけれど、嫌いなものを引当なければ問題ない。
そもそも彼はこちらでものを食べても味など感知出来ないが、これは自己満足だ。

『見えずとも、もう片方で世界を見れば良いんじゃないか?』

眼帯を、指先でなぞる。
見える方の目でしっかりと前を見て、オティヌスは二人分の食事を買いに歩き出した。


オッレルスは、無事ミラノのアパートメントへと戻ってきた。
内装を見て一瞬フィアンマを思いだしたが、頭を振って忘れることにする。
区切りとしてシルビアに別れ話をしようとした彼だったが。
同じく話があると言い出した彼女に先に話す権利を、譲った。

「今回、アンタが眠っていて、思ったことがある」

虚無感が絶え間なかったこと。
目覚める時をずっと待っていたこと。
どんな手段を使ってでも、と思いつめたこと。

様々なことを思い、結果として。

「私は」

恋人や相棒というポジション以上に、傍に居たい。

結論から言えば、結婚をしたいということだった。
逆プロポーズという言葉が最も正しい説明になるかもしれない。
別にオッレルスは彼女が嫌いで別れ話を考えていた訳ではない。
故に、決意が鈍る。口ごもり、彼は暫し考え込む。

「まあ、アンタが帰って来ただけでも充分ではあるがね」

別に関係性を変えなくたって良いんだ、と彼女は明るく笑う。

「んで、そっちの話は?」

促され、彼は悩む。
苦悩して、しかし、言えなかった。

「……いや、何でもないよ。結婚、しようか。
 俺も、するべきだろうと考えては、いたんだ」


フィアンマは、図書館に出かけた。
蔵書の多くは、魔術に関するものだった。
原典もあれば、写本、一般的な書物もある。
『魔術知識』を漠然と望んだから与えられたのかもしれないが。
初めて目にする知識を頭に叩き込み、彼は寂寥感を無視する。

「……ん」

気がつけば、日が暮れていた。
重ねていた本の山に埋もれたまま、机に上体を預ける。
家に戻ったところで、出迎えてくれる人はもう居ないのだ。

笑いかけてくれた唯一の青年は、この世界のどこにもいない。

彼が居る世界へ行ったとしても。
もう二度と、微笑んでなどくれない。

積み上がった蔵書に指先で触れ、フィアンマは目を瞑る。
幼い頃、一人で図書館に通っていた頃を思い出す。
あの時も一人で、今も独り。何も変わらない。

「記憶喪失になれる術式でも、模索してみるか……」

毛布で眠ることを覚えた人間は、新聞紙ではそうそう眠れない。
エピソード知識だけを殺す方法はないか、とフィアンマは思った。

それほどまでに。
フィアンマにとって、今は無きオッレルスは、愛すべき存在だったのだ。


今回はここまで。


(女フィアンマの心当たりが多すぎてわからないのですが多分>>1です)



















投下。


結婚といっても、籍を入れただけ。
式をしたとして、呼べる相手は居なかった。
シルビアからフィアンマを助けに行かないのかと尋ねられ、首を横に振った。
けれど、何があったのか、彼が何をしたのかは話さなかった。

「……二年、か」

"あれ"からもう二年も経過したのに、今でも忘れることは出来ない。
何がそんなに蟠っているのかと問われると答えることは出来ないけれど。

『それで、いつ結婚するんだ?』
『ああ、………俺様の勝ちだ』
『……良いのか?』
『……オッレルス』
『……好きだよ』

思えば、自分にとっての同性の友人は彼が初めてだったかもしれない。
実際には、友人と呼ぶには相応しくない関係まで堕落してしまったが。


「シたいって言い出すなんて珍しいね」
「……まあ、たまには良いだろう?」

相棒兼元恋人現妻であるシルビアを組み敷いて。
オッレルスは穏やかにそう返すと、彼女の金髪を撫でた。
綺麗な髪がさらさらと指の上で滑る。
いつもは豪胆でさっぱりとした彼女が浮かべる笑みはどこか繊細で美しい。

『お前が飽きるまで、好きなだけ、好きなように抱いてくれ』

ふと蘇る記憶に、オッレルスは唇を噛んだ。
それから忘れたがる様に、シルビアの服へ手をかける。
今宵はどこか甘える様な抱き方をする男を、シルビアは抱きしめた。
隻腕となってしまったオッレルスのために、自分からも服を脱ぐ姿勢を見せる。

「シルビア」
「ん? 何」
「好きだよ」
「……何だい、急に」

私も好きだけどさ、と軽く返される。
口付けながら、目を閉じた。

『すき、だ。離したくない、』

『俺様だけを見ていればいい。俺様だけをすきでいればいい。
 誰も好きにならなくていい。お前に必要とされるのは、』


「ッッ、ごめん、」
「オッレルス、大丈夫?」

体調が悪いのか、と心配する彼女の手。
オッレルスは青ざめた顔でこくりと頷くと、一旦部屋から出た。
洗面所まで移動し、冷たい水で手を冷やす。
動脈を冷やすと血液が冷え、血液が冷えると頭も冷える。
冷静さを取り戻したオッレルスは、そのままずるずるとしゃがみこんだ。

「……………」

シルビアが好きな気持ちは、確かにある。
なのに、彼女に愛情表現をする度、胸が軋んで、酷く痛む。
たとえ方法がどうであれ、彼は自分を好きだったのだろう。
そしてきっと、生活している中で放った言葉に、嘘はなかった。
記憶喪失による帳尻合わせ程度の嘘はともかく。

一緒に食事をしたりした時のあの笑顔に、策など一つもなかった。

なのに。
方法が気に入らないからと自分は彼を拒絶して、最後には殺した。
実際の死体は観測してはいないが、あの感触からして殺してしまったのだろう。
あの世界は予測するに魂のみが存在する場所だった。
その世界における死とは、即ち魂が消滅するとことと同義と言える。

そこまでする必要はあったのか。


『ここまでしなければ、お前は俺様を選ばなかっただろう?』

真っ当な正攻法じゃダメだ、と思ったのも無理はない。
同性で、特別な出会い方でもない。
自分だって、ああしていたかもしれない。
否定は出来ない。想像は出来るのだ。

「……同情なんてして、何に…、……何になるんだ」

自分にそう言い聞かせる。
目を閉じて、下を向いた。

或いは、もしかしたら。

彼が女性であったなら、自分はフィアンマを選んでいただろうか。
答えは何となしに出ている。それも、シルビアには酷な内容で。
だとするなら、性別にこだわる必要など無い。
そもそも、性別など生殖をするための区別でしかない。
子供が欲しいとは思わない自分にとっては些細な問題だ。

「……何を馬鹿なことを。俺は、シルビアが好きで、彼女を選んで、結婚したんだ…」

そして。
『世界すら惜しくない』と言い切り、全てを捧げた男を捨てた。

「…………今更、」

選びなおすことなんて。
苦悩しながらも目を開けると同時、ドアが開いた。


「吐き気か何か?」

心配そうな声音。
視線を向ければ、そこにはシルビアが立っていた。
背中を摩る手の感触。幼い頃から好きだった。

幼い頃、自分にとっての愛すべき対象は唯一彼女だけで。
彼女もまた、自分だけが愛するべき対象だった。

煙草の味を知ってしまった人間は、味を知る前には戻れない。
一度男に抱かれた女が処女には戻れない様に。

"それ"を精神力だけで断つような強い人間も、世の中にはいるだろう。
大切な人の為に禁煙をする様な人間は、世界に多くいるはずだ。
オッレルスは、かつて自らのことをとある少年にこう語った。

『根性無し』と。

彼の本質は、決して強いものではない。
冷たくなれても、完全には割り切れない。

「シルビア、……ごめん」
「何謝って」
「本当に、ごめん」
「……何の話?」
「それでも、今ならまだ、間に合うかもしれないんだ」

オッレルスの表情に、また厄介事か、と彼女は眉を顰める。

「二年前、君に言おうか迷ったことを、言うよ。
 罵ってくれていいし、殴ってくれても構わない。
 それでも俺は、自分がずっと楽に生きられる方に流れようと思う」


オティヌスは、ヘアブラシを手にしていた。
ドライヤーと軽く戦って勝利した彼女は、現在完璧にドライヤーの使い方を覚えている。
タオルで大体の水気を拭き取った赤く長い髪を、ヘアブラシでとかす。
引っかからない様、慎重に、ドライヤーの熱風を当てながら。
20cm弱伸びた彼の赤い髪は背中程にまで伸びているが、意思を問うていないので切ってはいない。

「熱ければ身を捩れ」

どうせ聞こえていないことを知りながら。
生きた死体の様にされるがままの彼の髪を乾かしながら、オティヌスはそう言った。
人形遊びでもするかの如く、それでいて楽しそうではなく。
ただ責任感から、そして寂しさから、彼女は彼の世話をしている。
決して、決してこの世界に戻って来ることはないであろう彼の身体を、大切に。

「…大方これで問題無いか。後は……菓子でも食べるか」

今日買ってきたのは甘いアイスキャンディーだ。
バニラ味のそれは白く、ミルクベースの優しい甘味が特徴。
オティヌスは包装をべりべりと剥がし、フィアンマの前に椅子を持ってきて座る。
そっと指を彼の唇へあてがい、くい、と開けさせた。
ぼんやりとした表情で口を開けた彼の口にアイスキャンディーを突っ込む。
口の中の生ぬるさで、甘い汁が溶けていく。
人の行動を制限する術式の応用で、彼には口の中のものを咀嚼、または呑み込む様にしてある。
甘くとろとろとした白い液体を口端から溢しそうになりながら、こくん、と飲み込んだ。
その体に意思と呼べるものはなく、そもそも自我が宿っていない。
果たして『これ』を右方のフィアンマと呼称して良いのかどうかすら、オティヌスには判別つきかねるものの。

「……私は、お前を捨てはしない」

別に愛情ではない。友情でもない。同情かもしれない。
ただ、フィアンマの身体は、自分が大事にしておこうと思った、それだけ。


とある紙がある。ティッシュ一枚でもいい。
理論上は、それを折りたたんでいくと、月にも届く高さへなるという。
しかし、現実問題そんなことを出来る人間は居ない。
仮にそんなことが出来るとしたら、それは取り組んだ人間の努力に神様が微笑んだということ。
それこそが『奇跡』の正体。努力無しに奇跡は起こらない。

奇跡を司るはずのフィアンマは、努力を放棄した。
積み上げられた魔道書を横目に、彼は机に上体を預ける。
一体どれだけの期間こうしているのか、まるで覚えていない。
時々申し訳程度に家に戻り、適当な食事や入浴を行って。
再び図書館に戻っては、魔術の知識ばかりを蓄える。
その毎日の積み重ねは、だけれど、何も生み出しはしなかった。

彼は、気がついているだろうか。
積み上げた本の角度やその色合いが、魔術記号を示していることを。
そしてそれらから導き出される術式が、『連れ戻す』という目的を持つことを。
彼が思っている以上に、彼は愛する人を未だ強く願っているということを。

「……オ、ッレル…ス…」

ぽつりと、呼ぶ様に言葉を零した。
返答もなければ、本人も現れない。
フィアンマは聖書を抱きしめ、崩れ落ちる様に眠りへ堕ちる。








トントン。

ノックの音に、魔神であった少女は振り返る。
もしや右方のフィアンマの身柄を狙う者か、と警戒する。
自分を狙われる分には構わないが、彼を狙われると少し面倒だ。
殺してしまうのも簡単ではあるものの、隠蔽処理が面倒臭い。
オティヌスは静かに立ち上がり、フィアンマを気にしながらドアに近づいた。

「誰だ」

返答はない。
となると、自分の味方であるとは考え辛い。
オティヌスは先制するべく、ドアを開けた。

そこに立っていたのは、一人の青年だった。
人生か世界のどちらかに失望した様な顔つきで、陰気そうな、長身の。

彼の頬は少し赤くなっていた。
恐らく打たれるか何かして、治療していないのだろう。

「………出来損ないか。今更何をしに来た」

オティヌスは、彼を睨みつける。
鋭い眼光を気にするでもなく、彼は言った。
自分が振り切ってしまった大切なものを振り返らず。
どこまでも身勝手で、しかし魔術師としてはむしろ正しい生き方を選択して。
百人中九十八人は賞賛しないであろう自分に、しかして僅かの決意を抱きながら。






「彼と、やり直しに」


今回はここまで。


(フレ上…?)

フィアンマちゃんスレなら
フィアンマ「あ、あん、安価で世界を」上条「あんかけが何だって?」
フィアンマ「天使…?」垣根「それじゃ、安価旅行に洒落込むとしようぜ」
上条「俺は、美琴が好きなんだ」フィアンマ「……ッ」
上条「安価でヤンデレなフィアンマから逃げたい」

とか色々と。














投下。


「……今更、やり直すことが出来ると思っているのか? 
 そもそも、お前はあの女聖人を選んだのだろうに。
 風の噂で聞いたが、結婚までしたそうじゃないか」

嘲弄するかの様なオティヌスの言葉は、全て真実だ。
言葉の端々から感じる悪意に傷つくでもなく、オッレルスは息を吸い込む。
唇を軽く噛むと、改めて口を開いた。

「確かに、私は彼女を選び、結婚までした。
 彼を一度殺害してでも、あの世界から脱出した。
 だから、やり直すことなど出来ないのかもしれない」
「………」
「お前が彼の体を世話しているということは、戻って来る可能性はあるんだろう。
 彼にその意思がないというだけで。そして、あの世界に潜り込める人間は私とお前だけだ」

ゲームと違って、オティヌスが創造した世界に、当のオティヌスはもう干渉出来ない。
入り込んだりすることは出来ても、もはや魔神ではない彼女に世界を変更することは不可能。
そして、世界の"作り"は、人類はオッレルスとフィアンマしか居られないというもの。
創造主たるオティヌスならば、或いは存在を許されるかもしれないが。

「……それで、"中継点"として右方のフィアンマの身体が必要、ということか」
「ああ」


オティヌスは、ちらりと視線を寄越す。
ベッドに腰掛けたままの青年は、ぼんやりとしていた。
きっと、何をしても表情が変わることはないだろう。
痛みが許容量を凌駕すれば嘔吐位はするだろうが、その程度だろう。

「………」

沈黙と共に、熟考する。
異世界に今も独りでいるフィアンマは、どれだけ寂しいだろう。
どれだけの無力感に満たされ、どれだけこの男を焦がれているだろうか。
それを思えば、ここで拒絶すべきは自分の勝手な考えだ。
約束の内容を思い返したのなら、頷くべきだろう。

「……もしも、再びお前が他の人間を選んでみろ」

オティヌスはオッレルスから離れ、フィアンマに近づく。
背もたれがなければ今にも倒れそうな隻腕の青年の体を、そっと抱えた。

「私は、お前を殺す」
「構わない。その時は、私も抵抗はしないさ」

オッレルスは、オティヌスの腕から青年の体を受け取った。
眠っているのか起きているのかも曖昧な彼の表情を見て。
そうして、自分の胸の痛みが治まった事を感じ取る。


夢を見た。
幸せな夢だった。
過去をそのまま再生したかの様な、暖かな夢。

皿の上に積まれたクッキーをかじる。
紅茶で渇いた喉を潤し、目の前の青年と飽きることなく会話をする。
その大半が酷くどうでも良いことで、生産的ではない。
それでもそんな会話の一つ一つが楽しいのは、きっと相手が相手だからだ。
これまで人類を歪んだかたちで平等に見てきたフィアンマの、例外。

『フィアンマ』

穏やかな笑顔が、好きだった。
髪を撫でる指が、好きだった。
心配してくれる声が、好きだった。

特別なことなんて、何一つされていないはずだ。
特殊な事情なんて、何もなくて、ただ。

やり直すことなど、出来ないのなら。
最初から、出会ってしまわなければよかった。
人生でたったひとつ、心の底から欲しかったものすら、手に入らないのなら。


「ん、………」

フィアンマは、目を開けた。
前髪が目に入りそうになり、不愉快さを感じる。
とても幸福な夢だったのに、もう起きてしまうとは。

「………」

聖書を枕にしていたようだ。
とはいえ、神を敬う気持ちなど失せているので、何とも思わない。
道理で頬が微妙に痛むはずだ、と笑って。
それからフィアンマは立ち上がり、本を片付ける。
適所に本を納めていきながら、欠伸を飲み込んだ。

「…………」

また、今日もつまらない一日が始まる。
悪意も善意も投げかけられない、幸福過ぎる孤独な世界で。

ガチャ、とドアが開いた。

気が、した。
フィアンマは、最後の一冊を棚へ入れて、振り返る。
そこに立っていたのは、文字通り夢にまで見た青年の姿だった。

「………ただいま、フィアンマ」
「…、…? ……っ、」


『今ならまだ、やり直せるかもしれない』
『君が好きだった。これは、嘘じゃない』
『でも、二年前。…本当は、別れようと思っていた』
『君が逆プロポーズをしてくれて、そちらに流れた』
『それでいいんだと、ずっと思って…いいや、思おうとしていた』
『現実には、君を愛する度、今も独りでどこかに居る彼の顔が浮かんだ』
『忘れようとして、振り払おうとして、でも、ダメだった』
『これから先、二人への愛情と関係を両立させられる自信はない』

『―――――別れよう』


オッレルスの言葉から全てを把握することなど、シルビアには出来なかった。
けれど、彼が言わんとしていることや、やりたいことは理解出来た。
自分を選んでも、ずっと、ずっと後悔していたんだろう、と。
かつて子猫一匹のために魔神の座を攫われたことと同じように、ずっと。

謝罪する彼、その頬を。

一発叩くことしか、シルビアには出来なかった。
彼が好きだったから。愛していたから、出来なかった。
『殺害』以外の何をしてくれてもいいと、言われても。
絶対に抵抗しないと言われても、なら、尚更出来なかった。

「………根性なし」

呟いたその声は、掠れていた。
みっともなくしがみついてみたところで、彼はどのみち進んだだろう。

「馬鹿野郎、…」

君は、強くて優しい女性だから。
きっと、俺よりも良い人が見つかる。

そんな、テンプレートでも倣ったかの様な台詞が、耳から離れない。
少し拙い罵倒をこぼして、シルビアは唇をきつく噛み締めた。


フィアンマは、自分の心臓が止まったのではないか、と思った。
そして、深呼吸して、ふらふらと彼に近づく。
どうして、の四文字が、頭の中をとめどもなく巡っていた。

何故。
彼が、此処に居るんだろう。

そして。
自分に対して、敵意を見せないのか。
どうして、怒っていないのだろう。わからない。

左手で、オッレルスの服を掴む。
触れている。幻覚ではないと信じたい。
じわじわと視界が水分に侵食されていく。

「ゆめ、か」

それだけ言った。
ああ、きっとこれは夢に違いない。
彼は元の世界へ戻り、シルビアを選んだのだから。

でも、もういい。
そんなことはどうだっていい。

これが夢でも構わない。

「夢なら、……許される、はずだ。…お前を、だきしめる、くらい、」

左手で、彼を抱きしめる。
精一杯、自分が出せる力の全てで。
ぼろぼろと流れ出した雫が頬を伝い、熱を遺す。
そんな彼の頭を撫で、背中を摩り。
オッレルスは、少しだけ泣きそうな様子で、言った。

「……一人にさせて、ごめんね」


今回はここまで


お互いが好きだったら仲直り出来るものですが、大体は喧嘩した時点で嫌いになるパターン多いですよね。大人になると。














投下。


夢でも構わない、と思ったフィアンマだったが。
家に戻り、オッレルスの話を聞き、夢ではなかったことを確信した。
現実(こちらもある意味現実でがある)世界では、二年もの期間が過ぎたらしい。

「……それで、二年も経って、何故戻ってきた」
「シルビアと過ごしていて。…君の事が頭に浮かんだ」
「……」
「何度も、…常に、と言っていいレベルか」
「お前は、シルビアを選んだんだろう?」
「それは事実だが、…君を、選び直した」

やり直そう、とオッレルスは言った。
これで良いのか、とフィアンマは思う。

「………たかが同情で、シルビアを捨てたのか?」

聞き返す。
自分は、独りで居るべき罪人で。
でも、彼女は何も悪いことをしていないのに。

「同情ではない」


きっぱりと言い切るオッレルスに、フィアンマは視線を向ける。
その表情は真剣なもので、嘘や虚実は含まれていなさそうだった。

「俺は、君が好きだった」
「………」
「いや、…好きに、なったんだ」

二年前に、と言葉が付け加えられた。

「俺様は、何もしていないが」
「それを君が言うのか?」

オッレルスはくすりと小さく笑う。
そんな言葉は、自分が何度もフィアンマに言ってきたはずだ。
誰かを好きになるのに、特別な理由は必要無い。

「……しいて言えば、君の笑顔が好きだった」

そして、全てを捧げても構わないと本心から思っている、その献身が。
フィアンマは口ごもり、視線を外す。

「後悔はないのか」
「特には。それと、此処に留まるつもりもないな」


首を傾げるフィアンマに、オッレルスは右手を差し出した。
未だ健在の優しさで、決して甘くはない言葉をかける。

「一緒に戻ろう」
「………」
「…俺も君も罪人だ」
「………」
「こんな理想郷で過ごす権利はない。そうだろう?」

戻れば、オッレルスはまた他の人間を想うのではないか。
そもそも、元の世界に戻れば自分も彼も世界から追われる側。
世界的戦犯である自分を、この先ずっと守らせるのか。

「…………」

沈黙の内に悩むフィアンマを、オッレルスは見つめる。
その唇から紡がれた言葉は。

「世界中から君を隠し通せる位の自信はある」

文言は、世界中のプロポーズを集めても、きっと敵わないものだった。
フィアンマはその言葉の意味を、考える。よく、考えた。
オッレルスが戻ってきてくれたその意味も含めて、思考した。

「だから、一緒に帰ろう」


理想の世界でやり直しに来たのではなく。
わざわざ広い未来へ誘いに、オッレルスは戻って来た。
愛した女性を振り切ってまで、自分を迎えに。

ここで拒絶するのは、もうワガママじゃない。

そんなものはもう、臆病以上の問題だ。
ここまでしてくれた誠意に応えずに、何に応えるべきだろう。

「……良いのか。本当に」
「良いも何も、そのために俺は来たんだ」

差し出された手を、掴む。
罪深くても、その罪すら覆い隠して、歪んだ世界で生きよう。
それが、正直で、何のまやかしもない彼の心が導き出した答え。

「行こうか」
「ああ」

返事をして、本当の意味で『外』へ踏み出す。
怯えるための懸念材料は、もうどこにもなかった。


意識を一瞬だけ喪って。
目を開けて見たのは、とあるホテルの一室だった。
ビジネスホテルなのか、さほど豪奢ではなく、粗末でもない。

「……」

視線を走らせると、多くの記号が散りばめられている。
水性ペンで描かれたもの、チョークで描かれたもの、種類は多い。
共通しているのは、導き出せる解答が『接続』ということだろうか。

「ん……」

後ろを見やる。
ちょうど、意識を取り戻したオッレルスが、そこには居た。

"戻って来た"

その事実を、理解する。

「お、っれるす、」
「…おはよう」

ぎゅう、と後ろから抱きしめられる。
身動こうとするが、力は入らなかった。

「…リハビリをしなければ、ならないか」
「二年間ほぼ寝たきりの様なものだったようだからね」
「……長くなりそうだな」

まともに体を動かせるようになるまで、とぼやくフィアンマに。
オッレルスは目を閉じ、彼を抱きしめたまま、優しく応えた。








「付き合うよ。君が死ぬまで、一生を賭けて」


終わり。
最後の賭けて、は誤字じゃないです。
それでは次回、オティフィアかフィア火野でお会いしましょう。

火野って誰得?
オティヌス×フィアンマ×オッレルス
にシルビア×上条
が見たい


今回も面白かった。相変わらず文体が美しい

唐突だけど、アレフィアとかどうですかい?
アレイスター×フィアンマが俺得なんだが見たことないんで…
>>1の書く☆攻めフィアンマ受けが見たい


(どうしてみんな火野さん嫌いなんですか…?)
紙を折りたたむ~は某奇跡の魔女の方です  HTML化してきます

>>260
シルビア×上条が書けない(震え声)

>>261
【陵辱】フィアンマ「こ、…こは…?」【安価】が一部アレフィアになってますので是非。

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