男「僕は駄目な人間だと思う」(173)


自分で言うのもなんだが、僕は相当駄目な人間だと思う。
これと言って具体的な理由を挙げる気はないが、全体的に見て僕はきっとダメ人間だと思う。

この二年間、アパートの小さな部屋に引きこもり、
ゲームやインターネットを暇をつぶすためだけにやり続けてきた。

最後に人と会話をしたのは覚えていない。
最近、顔の筋肉が衰えてきている気がする。
起きるといつも日が落ち始めている。
冷蔵庫の中身がドレッシングしかない。

そうした状況をただぼんやりと眺めつづけている。



男「……なんにも、する気が起きない」

ここ何日か、ロクな食事をとっていない。
布団から立ち上るのも、自分のためだけに食事を作るのも、
理由はわからないがひどく面倒くさいのだ。

もしかしたら、僕はここで死んでしまうのかもしれない。


目をそっと閉じて死後のことを想像してみる。


どこか知らない広い空間が広がっていて、
死んだ僕の魂が落ちるように消えてしまって、
何もかもがどうでもよくなってしまうのだろうか。


ファンタジーな妄想を2~3回繰り返して、馬鹿らしいと悪態をついた。
死ぬのはやめよう。面倒くさい。


そうやって、今日も僕は駄目な人間を続ける。


男「………」グー

と、思ったが体のほうは正直で、空腹でからっぽな胃がぐぐっと軋んだ。

男「コンビニでも行くか…」


のそりと体を起こすと水分不足でぼんやりした頭がズキリと痛んだ。

まともな生活に戻そうか、
いや、もしかしたらこのまま食わずにいたら悟りを開けるかもしれない。
いや、そんなわけない。


頭の中でツッコミとボケを繰り返しながら、最低限の身支度をしてコンビニへ向かうことにした。


「っしゃいあせー」

コンビニの店員は、僕がいらっしゃるのを快く思っていないのではないだろうか。
だるそうに品物を棚に陳列している店員の目線から逃げるようにして、弁当コーナーに向かった。

男(…パスタ…ハンバーグ…焼肉…)

粗末な弁当コーナーには、見事に僕の興味をそそらないラインップが並んでいた。
というか、何が食べたいというものがない。

迷ったふりを少ししてから、カレーとサラダを買った。
スナックとアイスを追加して会計に向かう。


「温めはございますかー」

男「あっ、ございます」

なんだよございますって。
というか店員の日本語もおかしいだろ、温めはございますかってなんだよ。


僕は、俯きながらカレーが温まるのを待った。
店員は女子大生くらいの年齢で、爪をいじりながらこちらをチラチラとみてくる。



気まずい。
なぜ、この店員はこちらを見てくるのだろうか。


もしかかしたら僕の顔が気持ち悪すぎて、
彼女の気持ち悪い男ランキングにランクインされているのかもしれない。
だとしたら、僕は何位ぐらいなのだろう。

「あの……」

そんなことをぼんやり考えていると、店員が声を発した。

マニュアルではないその対応に僕は固まってしまった。


男「…はひっ?」

何とも情けない声がした。
久しぶりに自分の口からは久しぶりに自分の声を聞いて、少し新鮮な気持ちになった。
あぁ、僕ってこんな声していたんだ。

「…もしかして、男…さん?」

男「えっ…あっ…はいっ私の名前は男といいますっ?」

My name is 男 
なぜか英語訳のような返しをしてしまった。しかもなぜか疑問形で。


「嘘…なんで…」

「あっ、ごめんなさい。おひさしぶり、ですね」

男「あー…おひっさしぶり、です」

「本当に久しぶり。えーと、中学以来かな?会ってないの」

男「えっあぁ、そうだね。中学ぶりだね、うん」



ご察しの通り、現在、記憶の中にダイブして情報を探っている最中である。
僕は、この女の子のことを微塵も覚えていなかった。
中学以来、ということは僕の中学校時代のクラスメイトなのだろうか。


「あー…いいなぁ。私フリーターだよ?大学行けばよかったかなー…」

「そしたら、男くんとキャンパスライフとか楽しめたかも?」


屈託のない笑顔でこちらを見てくる。
異性に接したのは本当に久しぶりだったので、僕は異様に緊張した。

畜生。この子はなんでこんな可愛らしい笑顔を僕に向けてくるのだろうか。
どうせ、男性にはみんなそんな対応をしているのだろう。
僕はその笑顔から目を逸らした。

胸は、ドキドキしていた。



ピーピーピー


カレーが温まり終えた音で、ふと我に返る。

何をやっているんだろう僕は。
女の子に笑顔を見せられただけでうっかりときめいてしまう自分が無性に腹立たしかった。


「はい、お待ちどう様。あっ、スプーンいる?」

男「あっ、うん。お願いします」


店員としては0点の対応だろうと思う。
しかし、この砕けた友達のような軽いやり取りに嫌な気はしなかった。


「あっ、ちょっと待っててね…」

徐に懐から小さなメモ用紙を取り出すと、
胸ポケットに刺さってあるボールペンを取り出してサラサラと何かを書き記した。


「これ、私のアドレス。今は仕事中で返せないけど、ヒマな時連絡ください」

彼女はサラリとそう告げて、カレーの入ったレジ袋の中にアドレスの書いてあるメモを入れた。

男「あっ、えっ?うん、わかった」


流れるような彼女の一部始終に、ただ突っ立って焦ることしかできなかった。
目が泳いでいるのが自分でもわかる。


「ありがとーございましたっ」

男「あっ、うん。ありがとうございました」


入店してきた声とは打って変わって、明るい元気な声にお礼をしつつコンビニを出る。
僕は暫く何も考えないまま、ひたすら帰路を急いが、
このままあの腐りきった部屋に戻るのが惜しくて、近くの公園に寄ることにした。

あたりはもう暗くなっていて、公園には人影がなく、僕一人だった。
ブランコに座り、漫画のようなシュチエーションに酔いながら懐に閉まって置いたタバコを吸う。


男「スゥー…ゲホッ!!ゲホッ!!おえっ!!」

僕はタバコが吸えない。
けれど、格好を付けて吸うのだ。カッコいいから、吸うのだ。

男「……メアド、かぁ」

レジ袋の中から漂ってくるカレーの匂いと、タバコの沁みるような匂いが交差して
何とも言えない気持ちになった。
僕は、レジ袋の中から先ほど貰ったメモを手に取り、じっと眺めた。

男「…これ、夢じゃないよな」

これも好きなマンガのセリフを引用したものだったが、今の気持ちにぴったり当てはまっていた。
もしかしたら一般的な社交辞令的コミュニケーションなのかもしれない。
でも、本当に僕に好意があって、こんなものを渡したのかもしれない。
天使と悪魔。ポジティブとネガティブが頭の中でぐるぐると闘っていた。



ずいぶん長い間一人だった僕は、他人の行為を信じることができなくなっていた。

何か裏があるだろう。なぜかというと、自分にも裏があるから。
自分勝手な考えを当てはめることでしか、他人を理解するしかない。
人と会話をしないという弊害はこんなところに現れるのだと思う。

それでも、2年間ずっと動かなかった僕の周りにちょっとした変化が起きたのは確かで、
僕はそのことに戸惑って、慌てているわけで、
他人と関わることが、こんなにも労力を使うことだとは思わなかった。
いや、それから遠ざかっていたのは紛れもなく僕自身のせいなのだが。



考えるのは明日でいい。
クールになってから落ち着いて考えよう。

僕は誰もいない公園を背筋を伸ばして眺め、漫画の主人公気分を堪能したのち帰宅した。
ちなみに、カレーと同じ袋に詰めてあったアイスはすっかり溶けてしまっていた。

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翌日、目が覚めて真っ先にしたのは昨日貰ったメモを眺めることだった。
彼女の書いた字は思いのほか綺麗で、女の子が書く字の丸っこい雰囲気が出ていた。

男「…どうしようかな。これ」

アドレスを渡してきたということは、僕が返事を返さない限り、
あちらからは連絡が来ないということだ。僕はしばらくメモを眺めていた。

とりあえず連絡をするかしないかは置いておいて、携帯にアドレス保存をしておくことにした。

男「あっ…名前」

そう、いまだに僕はあの女の子の名前を思い出していなかった。
名前というか、彼女の存在自体、記憶の中を探っても見当たらなかったのだ。
と言うことは、僕と彼女は中学時代に話したことはないのだろう。
でも、あのフランクな接し方を見る限りそんな感じはしない。


男「んー…どうしよう」

「名無し」アドレスの名前をそう記入してとりあえず保留。
いまだに正体が分からないコンビニ店員にもやもやした気持ちはあるが、
それが女の子で結構可愛い、それだけでもう満足だった。

男「……」

とりあえず、メールしてみよう。
このまま放置してしまってもいいのだが、いずれあのコンビニには行くだろうし、
彼女の行為(好意?)を足蹴にしてしまうのも酷だろう。


男「こ…んにち…は、おげんき…ですか、っと」

ここまで書いて気が付いた。僕はメールを書いた経験がない。
もっとフランクにするべきだろうか。いや、軽い男だと思われるか…?
いやいや、普通でいいだろう。ん?普通ってどうだったっけ?

まるで、中学生男子が初めて携帯を手にして、
ドキドキしながら意中の女の子にメールを打っている気分になった。
というか、手汗が止まらない。


30分ほど両手でポチポチ文章を打って、やっとメールの内容を書くことに成功した。


こんにちは。
この間はありがとうございました。
メールよかったら返信してください。
では



結局、余計なことを除いてシンプルに書くことにした。シンプルイズベストだ。
手のひらで震えた小さな勇気を指に込めて送信ボタンを押す。
気分はまるでチェリーボーイである。


その30秒後、彼女から返信。早すぎる。
こういうのは直ぐに返信しちゃいけないんじゃないのか?
どっかの歌で言っていた気がする。



うーす。
てか、固いよ笑
今何してんのー?


しまった。文が固すぎたのか。30分以上練ったのにまだ固いのか。
2~3分ほど思考が止まる。どうやら心の準備ができていなかったようだ。
他人との会話のキャッチボールがこんなに緊張するものだとは思わなかった。



あ、ごめん。固かったね
いま、メールの文章をかいてるよ


…何をしているか、今、僕は全力をかけてメールを打っているのだ。
もう、この時点で何が正解なのか分からなくなってしまった。
キャッチボールが始まって一往復しただけで顔面にボールが当たってしまった気分だ。


そりゃそうだわ笑
今、飲んでるんだけど来ない?


ここで、相手はえげつない変化球を投げてきた。
おい、キャッチボールは楽しいものじゃなかったのか。
相手の顔面にクリーンヒットさせるのはキャッチボールとは言わない。


とにかく、僕は完全にテンパってしまった。
妄想で考えた展開の過程を、だいぶ飛ばしてしまった気がする。

窓の外を見ると、夕方が夜に移り変わる寸前だった。
どうしようか。正直なところ面倒くさい。

身支度をするのもそうだが、他人と会って、緊張して、
そういう心のあれこれの右往左往に振り回されるのが面倒くさい。


…そうやって、僕は友達をたくさん失ってきた気がする。
もう、いいかげん変わらなければいけないのかもしれない。
いや、変わるとかそんな大層なことじゃないけれど、
面倒くさいで全てをなかったことにするのはさすがに駄目な気がする。


そんな気がして、僕はメールを打った。





ごめんなさい。
今日は用事があるので、また今度にしてもらえますか
絶対今度は行きますので。




今日は、十分頑張った。
これ以上頑張ってしまったら死んでしまう。
うん。まずは明日から、頑張ろう。

繰り返すが、僕は相当駄目な人間である。我ながら本当にそう、思う。

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あれから、一週間が過ぎて彼女からまた誘いのメールが来た。
1時間ほど悩みぬいた結果、僕は彼女に会うことにした。

下心がないと言えば嘘になる。というか、90%くらい下心だった。
日常の中で女性に触れる機会といえば、
アダルトビデオかエロ本、アニメ、同人誌の中だけ。

僕はもう人肌が恋しくて辛抱たまらなかった。
誰かに触れる、触れることを許可して欲しい。

誰かに認めて欲しい、そういった欲求が溜まっていたのだろう。


コンビニ近くにある居酒屋で21時集合。
ここからだと歩いて15分ほどで着く場所だ。
僕はその日は朝の7時に起きてパソコンに張り付き、知恵袋を漁っていた。

女の子 初めて 居酒屋 

出てくるのはデートの仕方だとか、どんなお酒を頼んだらいいかとか
見ているだけで頭の中のポジティブが暴走しそうになる内容ばかりだった。

部屋の中をウロウロし、お気に入りのエロ本で2~3回抜いた。
少女漫画を1巻から読み直し、風呂に入って全身を磨いた。
それでも、僕の心臓は落ち着きを取り戻さなかった。
どう接したらいいのだろうか、何の話をしたらいいのだろうか。

脳裏を彼女の笑顔がチラつく。不味い、完全に舞い上がっている。
我ながら、なんて情けないのだろうと思う。


そんなこんなで約束の時間。
僕は一時間前から居酒屋の前をうろつき、彼女のことを待った。

「おっす。ごめんね、待った?」

男「あっ、どうも。いや、全然」

15分ほど遅れて彼女が現れた。
コンビニの時と変わって、小奇麗な格好で現れた。
可愛らしい女の子が、僕の前に現れた。
僕は、見事に舞い上がってしまった。


「まだ9月も始めなのにもう涼しいねー」

男「そ、そうだね」

「先月まであんなに暑かったのにさ、もう秋なんだもん」

男「そっか、もう…秋なんだよな」


僕は一年中部屋に引きこもっていたので季節の変化があまり実感できなかった。
夏の間はずっとクーラーをつけていたし、冬の間もきっと暖房を付けっぱなしにするだろう。


「……あー」

男「……」

「ま、入りましょうか」

男「あっ、うん」

彼女はニッと笑うとガラガラと引き戸を開けて軽やかに店内に入っていき、僕もその後に続く。
店内は夜だというのに異様に空いていて、僕達は待つことなく奥の座敷に座った。

店員「いらっしゃい。注文は?」

「えーっと、私ビールで。男くんは?」

男「えっ、あっ、僕…俺もそれで」

「生ふたつとー…枝豆と、やっこ、あと唐揚げ。男くん、はいメニュー」

男「あ、ありがと。えーっと…」


メニューを見て驚いた。居酒屋っていうのはこんなに種類が豊富なのか。

普段、コンビニぐらいしか行かない僕は食べる料理のパターンが決まっていて、
食べたいと思ったものでもコンビニに売っていなければ我慢していた。

ところがこの居酒屋は和、洋、中、とオーソドックスな料理はほとんど揃っている。
ていうか、なんで居酒屋なのにサバの味噌煮とか、ビーフストロガノフがあるんだ?

男「えーっと…オムライスをください」

「ぶっ!!」

向かいに座っていた彼女が噴き出した。


「オムライスって、男くん、なかなかなチョイスだね…」

男「えっ、ごめん。駄目だったかな…?」

「いやいや、全然いいよ。ほかにも頼みたいの頼んでよ」

男「うおっ、大学いもまである」

「あはは、たのんじゃえば?」

男「あ、じゃあ大学いも。あと、砂肝ください」

「見かけによらず雑食なのかな…?」

男「ん?」

「いやいや、とりあえず注文はここら辺で、あとは追加で頼もうよ」

男「あっ、そうだね」


生ビールがジョッキで運ばれてくる。
どうやら大きいサイズで頼んでいたらしく、両手で持っても重い大きさだった。

「んじゃ、再開を祝して」

男「うん。乾杯?」

「乾杯っ」

ゴチンとジョッキをぶつけ合い、彼女はゴクゴクとビールを胃に流し込んでいる。
僕もつられてグッと飲んでみたけれど、喉がヒリヒリしてなかなか飲めなかった。

「あー…うまい…」

男「ゲホッ、ゲホッ」

「あれ、もしかして男くん飲めない人?」

男「いや、久しぶりだったから、むせただけ」

「へぇー以外。大学生とか飲み会とか多そうなのに」

男「…まぁ」


ふとした拍子に心が軋む。
僕はもう一度飲み慣れていないビールを飲んだ。


「でも、本当に久しぶりだね。中学からだから…もう5~6年前になるんだね」

男「…そうだね」

「ふーむ…なんていうかさ、男くん変わったね」

男「そっ、そうかな」

「なんていうか、おとなしくなったって言うか、昔はもっとはしゃいでいたのに」

男「?僕はずっとこんな感じだけど」

「そうかなぁ?まぁ男くんも大人になったってことだね」

男「……」


僕は、向かいに座って胡坐をかいているこの女の子のことを今だに思い出せずにいた。
幾ら頑張って記憶を絞り出してみても、この子は出てこなかった。
でも、今更名前を聞く勇気も僕には出せなかった。


「……あのさ、もしかしたらなんだけどさ…」

男「えっ、あっうん。なに?」

「もしかして…私のこと、思い出して…ない?」


僕は固まった。なぜだかバレてしまった。
何故だ?何がいけなかった?ていうかこの子はテレパシーなのか?


男「…ごめんなさい」

「あー…やっぱりね。通りでなんか固いと思った。」

男「あの、ほんとごめん。騙すつもりじゃなかったんだけど」

「いいの、いいの。私だって男くんとそんなに親しかったわけじゃないし」


ここで驚愕の事実。ここまでフランクな会話をしておいて親密な仲じゃない。
どういうことなのだろう。やはりこの子はビッチなのだろうか


「私、途中で転校しちゃったし、男くんと一緒の学校行ってたの、ほんの数か月だったから」

男「転校?」

「親が昔から転勤が多くてさ、あっちの学校、こっちの学校行ったり来たり。もう大変さ」

男「それなのに、なんで僕のこと知ってるの?」

「…私、ずっと男くんのこと好きだったんだよねぇ」

男「ゲホッ!!ゲホッ!!」

「ちょっと、大丈夫!?」


フラグの神様、一体どういうことなのでしょうか。
先人たちが築き上げてきた知恵袋にもこんなパターンは書いていなかった。
居酒屋に入店して30分。レパートリーが豊富な居酒屋は戦場と化した。


「私、途中で転校しちゃったし、男くんと一緒の学校行ってたの、ほんの数か月だったから」

男「転校?」

「親が昔から転勤が多くてさ、あっちの学校、こっちの学校行ったり来たり。もう大変さ」

男「それなのに、なんで僕のこと知ってるの?」

「…私、ずっと男くんのこと好きだったんだよねぇ」

男「ゲホッ!!ゲホッ!!」

「ちょっと、大丈夫!?」


フラグの神様、一体どういうことなのでしょうか。
先人たちが築き上げてきた知恵袋にもこんなパターンは書いていなかった。
居酒屋に入店して30分。レパートリーが豊富な居酒屋は戦場と化した。

多重投下申し訳ない



「あっ!!違う違う!!当時ね!!今じゃなくて!中学校の話!!」

途中で気付いたのか、彼女(名無し)は赤面しながら手をバタバタさせている。
僕はその3倍ほど赤面し、耳の先まで真っ赤になっていた

「ふぅ、まぁ、とにかくっ、初恋の相手だったわけですよ」

ビールを半分以上飲み干して、彼女は呟く。
僕はちょっとがっかりしたが、安心していた。

「って言っても、ほんと遠くから眺めているだけっていうか、男くんモテたでしょ?近寄れなかったっていうか」

男「僕、そんなにモテてたの!?」

「いや、もうめっちゃくちゃに!!ファンクラブとかありましたって!!」

男「めっちゃくちゃかぁ…」


正直な話、僕の中学校時代はそんなに華やかなものではなかったはずだ。
男友達は何人かいたものの、彼女は結局できなかったし、
女の子との交流と言えばクラスで日直の仕事を手伝う時ぐらいだったし。
そんな僕にもファンクラブがあったとは驚きだ。

当時教えてくれよ、畜生。


「まぁー…そんなわけで、つい声をかけてしまったというか…申し訳ない」

男「いや、全然。むしろありがたかったって言うか…」

「…そうですか?」

男「うん。嬉しかったけど」

「はぁー…よかった。もしかしたら迷惑かなぁって思ってたんですよ」

男「そんなことないって」

「とにかく、私のこと覚えてないっていうのは当然って言えば当然だから、あんま気にしないでくださいね」

男「あのさ、なんで急に敬語…?」


何か違和感に気付いた。さっきまでフランクに話しかけてきたはずなのに、
今は敬語を混ぜながら話している。


「いやっ、一応先輩ですから。ちょっとさっきまで興奮して崩れてましたけど」

男「僕が先輩…?っていうことは、僕より…年下?」

「はいっ、ふたつ下です」


完全に僕と同じか、それとも年上かと思っていた。
彼女から出ている雰囲気というか、外見はもう完全な大人の女性だった。
というか、21の僕の二つ下だから…?

男「あのさ、未成年…」

「すいませーん!ビールおかわりー!!」

男「……」

「男さん、おかわりします?」

男「いや、まだ残ってるからいいよ。うん。あと、敬語もしなくて大丈夫」

「あれ、そうですか。んじゃ普通に戻すね」

「あと、私の名前だけど」

男「あっ、そうだ。聞いておかなきゃ」

「今更ですけどねっ、私、晴海っていいます。晴れた海って書いて晴海」


男「……晴海さん、ね」

晴海「あっ、さんなんかつけなくていいって。呼び捨てでいいよ」

男「えっ、あっそう?んじゃ…晴海……」

晴海「はい、なんでしょう」

男「…ごめん、ちゃん付けで許して」

晴海「あはは、別にいいよ」


彼女はあの屈託のない笑顔でニカッと笑う。
なんだか細かいことがどうでもいいように思えた。


それから僕たちは当たり障りのない話題で会話をして、お酒を飲んだ。

僕は、思っていたよりも下戸だったらしく、
ビールを半分ほど飲んだ時点で世界がメリーゴーランドのように回り始めた。

それに引き替え、彼女はビールを2回おかわりした後、日本酒と焼酎を飲み干していた。
お酒が好きなんですよ、と笑いながら飲み続ける彼女の姿を見るのが思いのほか楽しかった。

僕は酒で回転する世界の中で、彼女の話をずっと一方的に聞いていた。
中学校の話、最近のコンビニの状況、お気に入りのブランド、今日の運勢。
話の内容はほとんど覚えていないが、話すたびに笑う顔は不思議とはっきり思い出せる。

11時を回った時点で、僕の眠気が限界にきてしまい彼女の手を借りながら店の外に出た。


晴海「ふー…なんだか、ごめんね。あんまり飲めなかったでしょ」

男「いやっ全然。たのしかったから」

晴海「もうフラフラじゃないですか。少ししか飲んでないのに」

男「あー…、ホントにありがとうなぁ」

晴海「どうしたんですか、急に」

男「こんなに楽しかったの、ひさしぶりだったから」

晴海「…また飲みましょうか」

男「うん。ほんとお願いします」

晴海「あはは、おおげさだよぉ」

男「おおげさじゃ、ない、んだって…」

晴海「あぶなっ…!!うわっ」


足がもつれてしまい、彼女にもたれ掛る。
柔らかな女の子の匂いがして、温かな感触に支えられた。
僕は、久しぶりに触れる人肌の温もりに安心してしまい、静かに眠りについてしまった。

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気が付くと、僕はラブホテルにいた。
薄暗い部屋のなか、僕だけがベッドに横になっていた。

酒で鈍くなった頭をフル回転させて状況を整理する。
まるで朝に見た少女漫画のワンシーン。
確かあれは、主人公の女の子が酒に酔い潰れて、
ライバル的存在の男にお持ち帰りされてしまうといったシーンだった。

この状況、もしかして僕はあの女の子ポジション?
いや、待て待て。僕がお持ち帰りされる立場なのか?
もしかしたら泥酔した僕が、無理矢理彼女に迫ったのかもしれない。
そう考えてみても、彼女は受け入れてこうしてホテルまで来てるわけだし、
もしかしてそういうこと、なのか?

耳を澄ますと、奥の方からシャワーの音が聞こえてくる。
なんだこれ、夢か?
決まりきったようなシュチエーション。
何度となく頭の中で繰り広げられてきた妄想が実現している。


狼狽えながら蹲って状況を整理していると、シャワーの音が止んで彼女が奥から現れた。

晴海「あっ…起きたんだね」

男「はぁ…うん、そうだけどって、うわっ!!」

彼女は裸だった。
シャワーで温まった肌がほんのり赤く、薄暗いライトに照らされている。
ショートカットの黒髪が濡れて、瞳はなぜか愁いを帯びて
彼女は胸を腕で隠しながら、恥ずかしそうに俯いていた。
僕はとっさに彼女から背を向けた。

男「ごめんっ!!」

晴海「なんで謝るの?」

男「だって…僕が、君を、こんなところに」

晴海「ううん。私がしたかったからだよ」

男「……」

背中越しに、彼女の胸が当たる。
細くて、柔らかい腕が、僕の首に絡みつく。


晴海「ねぇ、しようよ」

男「……」

晴海「どうしたの?いいんだよ」

男「……」

晴海「私、初めてだからうまくできないかもしれないけど…」

晴海「男くんだったら、私、なんだって受け止めるから」

男「……」


男「…ごめん」

晴海「なんで謝るの?」

男「僕には…何がどうなっているのか、さっぱりわからないけれど…ごめん…」

晴海「だから、なんの…」

男「…間違ってたら、ごめんね」

男「晴海ちゃん…嘘、ついてない?」

晴海「……っ」

男「本当なら、黙ってればいいのかもしれないけど…ごめん」


僕に触れたとき、彼女は苦しそうに震えていた。僕の首にしがみついて震えていた。
今にも泣きそうな声で彼女は僕を誘惑していた。

何故だかわからないけれど、彼女のすべての行為は偽りで、言葉も嘘で、
何かの目的のために、こんなことをしているのだろうと思った。
根拠はない。それでも、僕はわかってしまった。

この子は、自分を犠牲にしてまで何かをしようとしている。
僕を見ていない。この子は、僕の姿など見ていないのだ。
その冷たい目線と、仕草と、痛みは、よくわかる。

その気持ちが、僕には痛いほどわかってしまった。


男「本当に、ごめん。僕は本当に駄目な奴なんだ」

男「だから、きっと期待に応えることはできないと、思う。お金とかも…全然持ってないし」

晴海「……ごめ、ん、なさい」


彼女が僕の背中で静かに泣き出す。
やはり僕の勘は当たっていた。
最初から、おかしいと思っていたんだ。
こんな駄目な奴に好意を持ってくれる人なんているはずがないんだ。

僕は、幸せになる資格なんてないんだ。



晴海「ごめんな、さい…」

彼女が僕を抱きしめて泣き続ける。
嘘だったとしても、この短い間、僕はとても楽しかったし彼女を責めるつもりもなかった。


男「別にいいんだって…ほんとごめんね、僕は」

晴海「違うんです…!!」

男「……えっ?」

晴海「助けて…ください…!!」


彼女の今にも崩れそうな声が、僕に助けを求めた。
理由も義理も責任もなく、理不尽で我儘で下心いっぱいだけど
僕は彼女を苦しめる何かを、取り除いてあげたいと思った。

本当にそう、思った。



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僕の住んでいる町から少し離れた病院に僕と彼女はいる。
少し距離を開けて、僕の前を彼女が歩く。

あの独特の消毒液の匂いが充満した白い廊下を暫く歩くと、
彼女はある病室の前で止まり、僕の方をチラリと見た。


晴海「じゃあ、合図したら入ってきて…あとは打ち合わせ通りにお願い」

男「うん…わかった」

引き戸を開けて、彼女が病室に入っていく。

晴海「お姉ちゃん。来たよー、どう調子は?」

「あっ、晴海ちゃん、いらっしゃい。うん、今日は調子がいいわね」

晴海「よかったね、天気がいいからかな?」

「ふふっ、そうかもね」


病室の中から楽しそうな会話が聞こえてくる。
二人の女の子の声、1つは凛と芯の通った晴美ちゃんの声、もう一つは優しくて温かな声。


晴海「実は…今日はお姉ちゃんにサプライズがありますっ」

「えぇ…なに、プレゼント?」

晴海「そう、準備はいい?」

「えー…そういわれると、緊張しちゃうわね」

晴海「…じゃあ、入ってきていいよ?」


彼女から合図があった。僕は、息を整えて病室のドアを開ける。


「……嘘」

男「ひさし…ぶりだね」

晴海「どう、驚いた?」

「………」

ベッドにもたれ掛り、こちらを驚いた様子でじっと見つめてくる女性。
髪はふわふわと天使のように長く綺麗で、晴美さんの美しさとは対照的な美しさを放っていた。
しかし、顔の色は病的なまでに白く、体は痩せ細っていた。


「……おひさしぶりですね」

男「うん、ごめんね、ずっと来れなくて」

「きっとまた来てくれるって信じていましたから」

女性は目に涙を浮かべながら弱弱しく微笑んだ。
僕は、罪悪感で胸が苦しくなったが、同じように微笑み返した。


「こっちに、来てくれませんか?」

男「……」

僕がベッドのほうへ近寄ると、女性は手を伸ばし、僕の手を掴んだ。
力を込めれば折れてしまいそうな細い腕、手のひらの骨が薄ら浮き出ている。



「ごめんなさい、こんなみすぼらしい姿になってしまって」

男「全然…そんなこと、ないよ」


まるで祈るように、両手で僕の手を包む
涙が、ポタポタと流れて落ちていった。

「まさか、本当にもう一度会えるなんて思っていませんでした」

男「……」

「もう少しだけ…このままでいさせてください」

男「…うん」


暫くの間、僕達はそのままの状態で静止していた。
この病室がまるで時間が止まってしまったような気分になった。
映画のワンシーンをそのまま切り取ったかのような時間。
窓から入ってくる日差しが、白い病室の壁に反射して僕たちを包み込んでいた。


晴海「実はね…お姉ちゃん…嘘みたいな話だけど信じてくれる?」

「っ…うん。なぁに?」


晴美ちゃんの一言で、止まっていた時間が動き出した。
女性は袖で涙をぬぐって、また柔らかな笑顔で答える。



晴海「男くんが、海外に留学してたことは知ってるでしょ?」

「うん、そうだったわね」

晴海「それでね、実は男さん、あっちでちょっとした事故に合って…」



晴海「記憶喪失になってしまったの!」

「……」


正直、アホな話である。
確かにつじつまを合わせるためには記憶喪失になった、
というのが一番手っ取り早いが、今時こんな小学生も信じないような設定を信じる人はいるのだろうか。
僕は半ばヤケクソになりながらこの茶番を演じている。


晴海「だから、男さんの記憶とか、言動とかちょっと違和感あるけど、気にしないでね…?」

「……」

彼女は僕の方をジッと見つめてくる。
あ、駄目だわこれ、絶対バレた。

「そうなの…男さん、大変だったわね…もう体は大丈夫なの?」

女性は、安心したように微笑んだ。
信じた。信じたよこの人。


男「あっ、うん。もうすっかり平気だよ。ほら、この通りピンピンしてる」

僕は台本通りにスクワットをする。
膝が全力で痛い。

晴海「ほら、ピンピンしてる!元気ピンピン丸だね!」

「本当ね!ピンピン丸ね!」

なんだよピンピン丸って。



「それで、どんな事故に合ったの?」

晴海「あっ、えっ…えーっと…なんだったっけ男くん」

それを考えてなかったのか。このシナリオ担当は晴海ちゃんだったはずなのに
飛んだ無茶ぶりである。

男「えっ!?あ…えーっと…シャッターに頭をぶつけて?」

晴海「そうそう!ホームステイ先のガレージにあるシャッターに頭強打しちゃったんだよね!」

「あらあら、海外のシャッターって怖いのね」

つい前日にみた映画の設定をパクってしまった。
そういえば、あの記憶喪失も嘘だった気がする。


「それじゃあ、改めて自己紹介しなきゃいけないかしら」

「私、晴海ちゃんのお姉ちゃんやっています、美月と言います」

美月「新しくなった男さん、よろしくお願いしますね」

男「…はい」


晴海ちゃんは、嬉しそうにしている美月さんを見て涙ぐんでいる。
美月さんが喜んでいるのが、嬉しいのだろう。


美月「あっ、そうだ。晴海ちゃん、ちょっとお願い事を頼んでもいいかしら」

晴海「グスッ…うん!なに?」

美月「この間もってきてくれたお花、枯れちゃっていたのよ」

美月「申し訳ないんだけれど、新しいお花、買ってきてくれないかしら」

晴海「えっ、いまから?」

美月「ごめんね、ちょっと、我儘かもしれないんだけど…」


美月さんは物欲しそうな目で僕をチラリと見た。


晴海「あっ!!そうだよね、ごめん気付かなかった。んじゃいってくるから、ごゆっくり!」

晴海ちゃんは、そういうとパタパタと病室を出て行ってしまった。



再び、病室は時間の流れが遅くなった。
彼女は窓の外をぼんやりと眺め、僕はその横顔を眺めていた。

美月「あの子、いい子でしょう?」

男「晴海ちゃんのことですか?」

美月「そう。私なんかのためにいろんなもの犠牲にして、本当に申し訳ないわ」

男「私なんかのためにって…」

美月「わかっているわ。でも、自虐しているつもりはないの」

美月「私、もう残り少ないから、あの子の負担になるのが辛いのよ」

男「……」

窓の外を眺めるその横顔は、寂しげに何かを見つめていた。
目線を合わせてみても、そこに映るのは窓枠に囲まれた空だけだった。


男「もう、長くないん…ですか?」

美月「えぇ、これでも長くもったほうなんだけれどね」

男「そんな…」

美月「ふふっ、記憶喪失になってからずいぶん女々しくなっちゃったわね」

男「……」

男「もしかして、気付いてますか?」

美月「なんのこと?」

男「僕が、本当の男じゃ…」

美月「そんなこと、いいじゃない。あなたは、記憶喪失で何もかも忘れてしまって、ここにいるんでしょう?」

美月「私は、信じてるわ」

男「……」


胸が締め付けられて酷く痛んだ。
きっと、美月さんにはとっくにばれていて、この偽者の再会を一緒に演じているのだ。
とんだ茶番だ。だけど、彼女はこの時間と関係を壊したくはないように見えた。


男「僕の、ことを教えてくれませんか」

美月「あなたのこと?」

男「記憶喪失になる前の、僕のことです」

美月「……そうねぇ」

美月さんは目を瞑り、ふっと息を吸った。ゆっくりと目を開けて、再び窓の外を眺める。

そうしてしばらく沈黙が続いた後、大切なものを確かめるように
ポツリポツリと、話し始めた。



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わたし ごはん たべる
すこし きゅうけい

再開します



私は子供の頃から体が弱くって、いつも何かしらの病気にかかっていたの。
家族もそんな私を見かねて、いろんな病院に連れて行ってくれたけど効果はなかったみたい。

特に私の父は、異様なまでに私のことを思ってくれていたのね、
全国の有名な医者を片っ端から訪ね回っていたわ。

何回か転校を繰り返して、私は中学三年生。晴海は一年生。
彼のいる学校へ転校したの。


「よぉ、今の時期に転校だなんて珍しいなぁ」

「あっ、えっと、その…」

「男っていうんだ。よろしく」

「えっ?」

「俺の名前。あんたは?」

「美月…」

「へー、なんかいいね、名前。俺なんて男、だぞ?」

「かっこいいとおもう…けど」

「えっ?ほんと!!初めて言われたわ!!やっほい!!」


男くんは、その学校の生徒会長で私たちに優しく接してくれたわ。
中途半端な時期に転校してしまって友達も少なかったからとても嬉しかった。
クラスの中で人気者だった男くんは、いつも明るくて、元気で、
病弱な私とは正反対で羨ましかった。

私は、まぁ簡単に惚れてしまったわね。


それで、私自身この学校にずっといるのは無理だろうって思っていたから、告白したの。ダメ元でね。

「あの…男くん…」

「なんだ?話って」

「わたしっ…男くんのこと、好きなのっ…」

「……えっ」

「ごめんね、一方的に好きになっちゃったの…」

「…嘘だろ」

「あのっ、それだけっ、いいたかったっ、からっ」


「ちょちょ、ちょっとタンマ!もう一回最初から!」

「えっ?」

「俺が言うから!もう一回最初から頼む!」

「えっ?うん、えっ?」

「スー…ハー…」

「あの、男くん?」

「俺は、美月のことが好きだああああああ!!!」

「ほえっ?」

「…ごめん、俺が先に言いたかったんだけど、先越されちゃったな」


「あっ…あっ…」

「おっ、おい。なんで泣くんだよ!」

「違うの…!嬉しくて…!ごめんね…!」

「うわわわ、泣くなって!ごめんごめん!」

「ううん、こっちこそ、ごめんね…」

なんか可笑しな告白だったけど、成功した。
泣きじゃくる私を彼は慌てて抱きしめてくれて、嬉しくて涙が止まらなかった。


それから半年後、私はまた転校することになってしまったの。
彼と離れ離れになるのは寂しかったけど、いつかまた会いに行くって約束してくれた。
当時、まだ携帯電話も持ってなかったし文通ぐらいしか連絡する手段もなかったけれど、
私はとても嬉しかった。病気なんかふっ飛ばしちゃうくらいに、ね。

何回か彼は私のところに来てくれて、いろんな話をしたわ。
一緒にいる時間は少なかったけど、とても大切な時間、だった。



彼が受験勉強を始めることになって、会うことが難しくなって
しばらくして、私は体の調子がいよいよ悪くなったわ。



病院に長期入院することになって、高校を辞めた。

きっと、もう父も限界だったのね。私を病院に閉じ込めて過労死であっけなく逝ってしまったわ。
もともと母親も病気で亡くなっていたし、父の体も心もボロボロだったのね。
私のために、父は死んでしまった。
私にはそれが耐えられなかった。

その頃からね、妹、晴海が高校を辞めて働くと言い出したの。
私のせいで皆が傷ついていくのが、もう嫌だった。
そんな時、大学生になった男さんが久しぶりに病院に会いに来てくれたの。
なんでも、海外に留学して絵の勉強をするらしくて、しばらく会えなくなることを私に告げたわ。
久しぶりに男さんに会えた。それだけで私は嬉しくって、それだけが希望だった。
もう一度会うことを約束して、彼は行ってしまった。


それっきり。もう、彼はもう姿を現さなかった。

今日、あなたに会うまでは、ね。


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晴海「あっ、こんなところにいたんだ。探したよ」

男「スゥー…ゲホッゲホッ、おえっ」

屋上で、吸えないタバコにむせ返っていると隣に晴海ちゃんが座ってきた。

晴海「吸えないなら、吸わなきゃいいのに」

男「いや…ゲホッ、吸いたいから、吸ってるの」

晴海「ふーん。おいしいの?」

男「わかんない」

晴海「へんなの」


晴海ちゃんはそういうと、ゴソゴソとレジ袋からうまい棒を取り出した。
手慣れた手つきで包装を開けると、二本の指で支えてタバコのように咥えた。

晴海「こっちのほうがおいしいと思うけどねぇ」

男「僕もそう思う」

晴海「あっ、たべる?チーズ味しかないけど」

男「えっ、普通サラミ味でしょ」

晴海「あー分かってないなぁ」


ここで不毛な争いをしても特にならないことはわかっているので
僕はおとなしくチーズ味を咥えることにした。


晴海「ふぅー…いやぁ最近どうですかねぇ」

男「なにそれ」

晴海「タバコ吸ってるおっさんのまね」

男「何て返せばいいのさ」

晴海「ぼちぼちでんなぁ?」

男「なんで関西弁…?」

晴海「なに言うとりまんねん!」

男「それ使い方あってる?」

晴海「あはは、わかんないっ」


もう少しで日が暮れる。そろそろ面会時間も終わるころだろう。
白い日光は、焼けるようなオレンジの光に変わっていた。


晴海「ちょっと、元気出た?」

男「えっ、なにが?」

晴海 「なーんか、元気なさそうだったからさ。どうしたんだろうなぁって」

晴海「やっぱり…演技とかするの、嫌かな」

男「……」

正直、この茶番ををするのは気が進まない。

でも、もう美月さんにはバレているだろうし、
今更どうこう言ったところで、晴海ちゃんが納得してくれるわけもないだろう。


男「……大丈夫。嫌じゃないよ。お姉さんのためだもんね」

晴海「心から感謝してるよ。ごめんね、こっちの都合で振り回しちゃって…」

男「まぁ、ね」

晴海「でも、ほんとびっくりしたなー。本当にドッペルゲンガーっているんだね。最初、会った時信じられなかったもん」

男「最初って、コンビニ?」

晴海「そうそう。最近始めたんだけどね、本当に偶然だったのかなぁ」

男「なんで、こんなことしようと思ったの?」

晴海「…やっぱり怒ってる?」

男「いや、違くてさ。結構この計画いろんなところがぶっとんでるから」

晴海「あはは、記憶喪失?」

男「まぁ信じるとは、思ってなかったけどね」

晴海「お姉ちゃん天然なんだよ。この前までサンタさん信じてたし」

男「あはは…」


晴海「……」

晴海「…お姉ちゃん、いつも笑ってるけど、裏では寂しいんだよきっと」

晴海「昔、一緒に撮った男さんの写真、ヒマな時ずっと眺めてたんだよ?」

晴海「でも…ずっと待ってても、男さん来ないし。何とかして元気づけたいなー…っておもってたら、君が現れたわけさ」

男「僕が、男さん本人だって思わなかったの?」

晴海「初めはそう思ったけど、あれ、返事で違うと思った」

男「返事?」

晴海「はいっ、私は男と言う名前ですっ」


晴海ちゃんは、すっと立ち上がり敬礼をしながら言った。



晴海「あーこれは男さんじゃないなーってすぐわかったよ。あんな変なこと言わないもん」

男「忘れてくれよ…」

晴海「あはは、あとあれかな、オムライスとか」

男「好きなんだからいいじゃん」

晴海「えー、居酒屋でオムライスはないと思うけどなぁ」

男「それはあの店に行ってくれよ。僕が悪いわけじゃない、オムライスがあったから悪いんだ」

晴海「いいわけしてるー」

男「してないよ」


男「…もう、あんなこと、しないでね」

晴海「あんなことって?」

男「……自分の身体を蔑ろにすること」

晴海「あー…うん。ごめん。あれは、ちょっと焦ってたって言うか」

男「ちゃんと話してくれれば協力したのに」

晴海「いやー…まぁそうなんだけど。下心もなかったと言えば嘘になるし…」

男「……」

男「初恋の相手を思い出して?」

晴海「…ちょこっとだけ」

男「まぁ…そうだよな」


結局、晴海ちゃんも、美月さんも、僕じゃない「男」に惹かれていて
その失った穴を、僕を蓋にして覆っているだけなのだ。


晴海「でも、本当に男さんに関係してる人じゃないの?君」

男「…秘密」

晴海「秘密って、えぇー」

男「いつか、ちゃんと話すよ」

晴海「うーん、別にいいんだけどさー」


夕日で赤く染まっていた空は、徐々に夜に浸食されて
星がまばらに散らばり始めていた。


男「…そんじゃ、そろそろかえりますか」

晴海「そうだね」

病室に戻ると、美月さんは小さく寝息を立てていた。
僕達は、そっと別れを告げ病院を後にした。


九月のまんなか。美月さんが亡くなる2週間前だった。

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次の日も僕と晴美ちゃんは美月さんの病室を訪れた。
なにか、お見上げを買おうかという話になりお金を出し合ってコスモスを買った。

美月「あら、綺麗ね。コスモス?」

晴海「うん。私と男くんで買ったの。いいでしょ」

美月「仲良くお買いもの?それは、私に対する宣戦布告ってことでいいのかしら」

晴海「えっ、ちっ、ちがうよぉ!ねぇ、男くん!!」

男「えっ、なにが?」

晴海「もー!!」

美月さんは、僕の正体を知っていながらふざけて晴海ちゃんをからかって楽しんでいた。
慌てて狼狽えてる晴海ちゃんを見るのはとても楽しい。


美月「本物のお花もいいんだけど、私は男さんの描いたお花が見たいわ」

晴海「男くん、絵描けるの!?」

美月「あら知らなかったの?男さんは絵の勉強のために留学してたのよ?」

晴海「ほえーすごいなぁ。それじゃあ期待できそうだね」

男「いやっ、僕は…」




美月さんは、晴美さんではなく僕のこともからかう対象にしているようだ。
少し意地悪そうに微笑んでいる。


晴海「えー見たいなー。男くんの絵」

美月「…ごめんね、わがまま言っちゃったかもしれないわ。忘れてね」

男「…なんの花がいいんですか?」

美月「えっ?」

男「描きますよ。僕は、男ですから」

美月「無理しなくていいのよ…?」

男「いえ、描きます。好きな花、教えてください」


もうこれは美月さんに対するちょっとした八つ当たりだった。
どうせ、あなたには男さんにはなれない。そういわれているような気がして。


美月「…花じゃなくてもいいわよ。あなたの好きなように描いて」

男「好きなように、ですか?」

美月「えぇ、あなたが私のために描いてくれるってことだけで十分。あとは任せるわ」

男「うーん…」

美月「本当に…大丈夫?」


美月さんは、少し悪戯をしすぎてしまった子供のような顔をしている。


男「わかりました…一応、やってみます」

美月「…指切りしましょう」

男「えっ」

美月「今度は約束破らないように、ね」


少し寂しそうな顔をして、細い小指を差し出す。
僕は、壊れないようにそっとその指に自分の小指を絡めて誓う。


笑顔で言っているが、目が笑ってない。本気だこの人。

男「はっ、はりせんぼんじゃ、ないんですか?」

美月「あら、針千本飲むのと同じじゃない。変わらないわよ」

晴海「これは、男くん。絶対に約束守らなくちゃだね…」

美月「へたくそだったら、ボロクソ言ってもいいわよね?」

男「うぅ…」

そんな感じで僕は美月さんのために絵を描かなければならなくなった。

正直、絵をちゃんと描いたのは2年以上前のことで、ちゃんとできる自信がなかった。
でも、今まで頑なに手に取ろうとしなかった筆をもう一度取ろう、と思えた自分に少し驚いた。


晴海「あっ、そうだ。お姉ちゃん今日は体調はいい?」

美月「えぇ、だいぶ楽ね」

晴海「じゃあさ屋上いこうよ。いいものがあるんだー」

美月「いいもの?」

晴海「ふふふ、じゃーんこれ」

晴海ちゃんは、バックの中からプラスチックの小さな容器を取り出した。
子供の頃に見覚えがある、ピンクの安っぽいヤクルトみたいな容器。


男「シャボン玉?」

晴海「そう!懐かしくて買ってきた」

美月「いいわねぇ」

晴海「そうと決まれば、すぐ行こう!ね!」

美月「そんなに急かさないでよ。ねぇ男さん、そこにある車椅子持ってきてもらえるかしら」

男「あっ、うん。これですか?」

美月「そう。晴海ちゃん、お願い」

晴海「うん。しっかりつかまってて」

晴海ちゃんは、慣れた手つきで美月さんを車椅子に乗せる。
シーツで見えていなかった下半身は、本当に細く、筋肉がほとんどなかった。



美月「外の空気を吸うのも久しぶりねぇ」

晴海「うわー絶好のしゃぼん日和だね」

男「そうだね」

晴海「はい、お姉ちゃん吹くやつ」

美月「ありがとう。本当に何年ぶりかしら」

晴海「ふふふ、私の唇さばきを披露する時が来たようだ…」

男「唇さばきって…」


3人でシャボン玉を吹いた。
小さな真珠のような泡が、ぷくぷくと宙に舞い上がった。

美月「きれい…」

キラキラと輝いて空に舞うシャボン玉に美月さんは手を伸ばした
泡に触れることはなく、手は空に漂ったままだった。



晴海「今度は、大きいの作るよ!」

誰もいない病院の屋上は、シャボン玉で埋め尽くされていた。
丸い泡のなかにある虹色が幻想的に映る。

楽しそうにはしゃぐ晴海ちゃん。

そして、微笑みながら手を伸ばし続ける美月さん。

僕は、ぼんやりと2人を眺めていることしか出来なかった。
こんな幸せな時間が何時までも続けばいいのに、と思った。

晴海ちゃんも、美月さんも、幸せそうに過ごして、
僕は、僕は…
この幸せの中に、僕の居場所はない。

それが、無性に寂しかった。



晴海「あー、もう無くなっちゃった。もっと買っておけばよかったかな」

男「もう十分じゃない?」

晴海「えー、まだ足りないって、ねぇお姉ちゃん…お姉ちゃん?」

美月「…ハァ…ハア…」

晴海「お姉ちゃん!?」

美月「大丈夫…ちょっと、疲れてしまった、だけだから」


美月さんの顔は青白くなっていて、額には汗が浮かんでいた。
先ほどまで伸ばしていた手はぐったりと車椅子に掛っている。


男「あっ、あっ…」

晴海「男君!はやく、お医者さん呼んできて!」

美月「大丈夫だって…ほんと、少し、休めば、」

男「わかったっ呼んでくる。とりあえず、晴美ちゃんは美月さんを病室にお願い」

晴海「うんっ…うんっ」

美月「ごめんね…、晴海ちゃん…ごめんね」

僕は急いで、医者を呼びに走った。
朦朧としていた美月さんは、ずっと謝り続けていた。

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美月「……」

晴海「お姉ちゃん…」

男「……」

美月さんの口元には酸素マスクがつけられている。
一命は取り留めたものの、いい状態ではないのは確かだ。

晴海「ごめんね…私が、無理に誘ったばっかりに」

男「…晴海ちゃんのせいじゃ、ないよ」


僕は、どう慰めていいかわからず、ありきたりな言葉を投げかけることしか出来なかった。
その行為の無意味さは、僕が一番よく分かっているはずなのに、言葉が出てこない。


晴海「…グスッ」

男「……」

男「…晴海ちゃん、今日夜からバイトでしょ、時間大丈夫?」

晴海「…グスッ、そうだけど、お姉ちゃんが…」

男「僕がしばらくいるから。大丈夫」

晴海「…わかった、ごめん、よろしくね」


晴海ちゃんは、寝ている美月さんに近寄ってそっと手を握る。


晴海「ごめんねお姉ちゃん。また明日来るからね」

晴海「…じゃあ、いくね。男さん、後はよろしく」

男「うん、いってらっしゃい」

晴海「いってきます」

今にも泣きそうな顔をぐっと堪えて、晴海ちゃんは病室を出て行った。
彼女が働く理由は、きっと美月さんの為なのだろう。

詳しい事情は分からない。けれど、彼女もまた自分以外の人のために必死で頑張っているのだ。


男「……」

薄暗くなってしまった病室は、まるで誰もいないかのようにしんと静まり返っていた。
目をつぶれば、そこに美月さんがいることも忘れてしまいそうな雰囲気で、
僕は美月さんがここにいることをしっかりと確認し続けていた。


美月「……んっ…」

男「美月さん…!!」

美月「…男、さん?」

美月「やっと、来てくれたのね…」

男「……っ!」

美月「来てくれないんじゃないかって、不安で不安で仕方がなかったの…」

美月「お願いだから、もう、どこにも行かないで…お願い…」

僕は、美月さんの手をそっと握り締める。
青白い頬を、彼女の涙が流れ落ちていく。


男「俺、はどこにもいかないから。大丈夫だよ」

美月「…そう、よかっ…た」

美月さんはそう呟くと、ゆっくりと目を閉じて安心した表情で再び眠りについた。
僕は、偽者の茶番を演じながら、彼女の手をずっと握り続けていた。

泣きたくて、申し訳なくて、
それでも、彼女の安心した顔を見れたことが嬉しくて、どうしようもなかった。

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次の日から、僕はもう一度絵を描く事にした。
押入れから使わなくなった絵の具とパレットを引っ張り出した。
染み付いていた絵の具の汚れはあの頃と変わらないまま固まっていて、
最初に僕はその固まった絵の具を、ゆっくり、時間をかけて洗い流す作業から始めた。

時間をかければかけるほど、筆はやわらかくなり、当時の形を思い出していく。
しかし、筆の奥にこびりついた絵の具は、いくら洗っても落ちることはない。
ゴシゴシと力強く押し付けて洗っても、駄目なのだ。

落ちないものとして、受け入れるしかない。
僕は、それが苦手なのだ。


美月「あら、今日もきたのね。暇なのかしら?」

男「美月さん…もう身体は大丈夫なんですか?」

美月「えぇ、お薬が効いているから。話しするくらいはね」

男「晴海ちゃんは?」

美月「まだ来てないわよ。あの子がいなくて寂しい?」

男「いや、別にそんなことは」

美月「ふふっ、私は寂しいわよ」

男「…ここで、絵描いていいですかね」

美月「あぁ、その大きな荷物。絵を描く道具だったの?」

男「えぇ、家で描いてもいいんですけど、ちょっと…」

美月「たぶんばれなきゃ問題ないわ、いいわよここで描いても」

男「ありがとうございます」

美月「あっ、でも完成するまで私に見せないでね。楽しみが減っちゃうから」

男「分かりました」


病室の隅、邪魔にならないようなところに椅子を置いて絵を描き始めることにした。
道具の準備をしている姿を、美月さんは興味津々にその光景を観察している。

男「どうかしました?」

美月「いや、本当に絵がかけるんだなーって。半分冗談だったから」

男「まぁ、ここ数年描いてなかったですけどね」

美月「どうして?」

男「…まぁ、いろいろ、あって」

美月「ふぅん」


しばらく僕の姿をじっと見つめていて、動きにくくて仕方がなかった。
誰かに見られながら作業をするのは、思いのほかやり辛い。
筆を持つ手が震える。
最初の一描きが出来ない。
真白な紙に、色をつけることが出来ない。


男「あ、あの。ずっと見てて面白いですか」

震える手を誤魔化したくて、美月さんに話しかける。


美月「おもしろいわよ?」

男「…どこらへんが?」

美月「んー…なんとなく」

男「なんとなくって…」

美月「じっくり人間観察するのも面白いわね。あっ、いま鼻掻いたっ」

男「…実況しないでください」

こういう無邪気なところは、晴海ちゃんにそっくりだと思う。
2人ともタイプは違うけど、やはり姉妹なんだと実感する。


美月「あのさ、思ったんだけど」

男「はい?」

美月「あなた童貞?」

男「っ!!」

美月「ふーん…なんか分かってきたわ」

男「美月さん、そんなキャラでしたっけ」

美月「私は、いつもこんな感じですよ、おとこさん?」

男「……」

晴海「やっほー!おねえちゃんきたよー」

美月「いっしゃい晴海ちゃん」

晴海「あれっ、男くんもいたんだ」

男「えぇ、いましたとも」

晴海「?なんでふてくされてるの?」

男「…なんでもない」


晴海「おぉー絵描いてるんだ。道具、本格的だね」

男「別に…普通だよ」

晴海「描いたやつみたいなぁ。なんかない?」

男「スケッチブックに、ちょこっとなら」

美月「あら、私も見たいわ」

晴海「それじゃ一緒に見ようっ。どこにあるの?」

男「…笑わない?」

晴海「なんで笑うの?」

男「……下手だから」


晴海「笑わないよー、ねぇお姉ちゃん?」

美月「どうかしらねぇ」

男「やっぱ見せません」

晴海「もーらいっ!!」

男 「あっ、ちょっと!そっちじゃないって!」

美月「でかしたわ晴海ちゃん。さっそく鑑賞しましょう」

晴海「ほいきたっ」

男「あっ…」




晴海「……」

美月「……」

男「返して…お願い」

晴海「うわぁ…すごい上手だ…」

美月「……」

男「もういいでしょっ、返してっ…」

晴海「えー!!もうちょっとくらいいいじゃん」

男「駄目」

美月「…ねぇ、男君。その絵、あなたが描いたの?」

男「えっ?」

美月「そのスケッチブックの絵よ。」

男「…そう、です」

美月「…そう」


晴海「どうしたのお姉ちゃん?」

美月「いや、なんでもないわ。冗談抜きにして本当に上手よ。もっと自信もってもいいとおもうけれど」

男「そんなこと、ない…です」

晴海「えー上手だったけど。プロになれそうなくらい…」

男「無理なんだって…」

晴海「えっ…?」

男「分かったように言わないでよ!!無理なんだよ…もう」

美月「……」

晴海「ごめん…」


美月「みんな喉渇かない?私、喉乾いちゃった」

美月「晴海ちゃん、申し訳ないんだけどジュース買ってきてもらえる?」

晴海「えっ、あっ、うん!まかせて!」

晴海「えっと…男くん、何がいい?」

男「…なんでもいい」

美月「私はドクターペッパーね」

晴海「えーっと、うん!わかった、ちょっと行ってくるね!」


晴海ちゃんは、そそくさと病室を飛び出した。


男「……」

美月「……」

美月「ごめんなさい。ちょっと意地悪が過ぎたわね」

男「いえ…そんなこと」

美月「でも、八つ当たりは感心しないわ」

男「ごめん…なさい」

美月「もっと言わなきゃいけない人がいるでしょ?私はいいから、いってきて、ね?」

男「……」

男「ちょっと、僕もジュース買ってきますっ」

美月「いってらっしゃい」


ジュース売り場に急いで向かう。
しかし、どこを見渡しても美月ちゃんはいなかった。

男「……屋上か?」

屋上に行くと、晴海ちゃんがひとりでぽつんと黄昏ていた。
僕は、その横に並ぶ。

晴海「あっ、男くん…」

男「……さっきは、ごめん」

晴海「いや、私も、なんか気に触れること言っちゃって、ごめんね」

謝りたいけれど、どう謝ればいいのかわからず、口から出た言葉はごめん、だった。


晴海「私、馬鹿だからさっ。どうして男くんがなんで怒ったのか分からないけど…」

晴海「…なんか、辛いなら話、聞くよ?」

男「辛い?…僕が?」

晴海「うん。なんだか、辛そうだった。絵の話し始めたときからずっと」

男「……」

晴海「言いたくないんだったら別に言わなくてもいいよ?」

晴海「男くんが言いたくないってことは、言わなくてもいいことなんだろうし、私も無理に聞かないから」

晴海「でも、辛いなら…吐き出したほうが、すっきりするよ?」

晴海「私は、黙って聞いてるから」



晴海ちゃんが、優しい笑顔でこちらを覗いてくる。
僕は、ずっと心に閉じ込めてあった壁のようなものが、ポロポロと崩れ去っていくような気がした。
誰かに、一人きりで抱えていたものを支えて欲しいと思ってしまった。

ずっと、待ち望んでいた言葉が、僕の我慢を解いてしまった。

男「ちょっと…タバコ、吸っていいかな」

晴海「えっ、あっうん。いいけど…」


男「スゥー…げほっ!げほっ!」

晴海「だっ大丈夫?」

男「だいっ、じょう、ぶっ」

晴海「吸えないなら、吸わなきゃいいのに」

男「げほっ…僕の、憧れの人が…吸ってたから…」

晴海「憧れのひと?」

男「僕の…兄ちゃん…」




美月さんの恋人、晴海ちゃんの初恋の相手、僕が憧れた人。
僕の、かけがえのない兄。


彼は、この世にはもういない。


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僕と兄は、ふたつ年の離れた兄弟で、
顔こそ瓜二つで、双子なんじゃないかとよく言われたけど、僕と兄は中身が全然似てなかった。

僕が文化系であるならば、兄は理系。
内向的であるならば、外交的
読書が好きなら、外で運動するのが好き
綺麗なまでに反対側にいて、決して分かり合うことはなかったな。

僕は、兄の軽い口調と感情的なところが大嫌いだったし
楽観的で、適当なところなんか絶対に許せなかった。

そして、嫉妬の対象だった。


僕の持っていないものを兄はほとんど持っていたんだ。
たくさんの友達、運動神経、カリスマ性、そして、彼女。
兄の周りにいる人はみんな楽しそうに笑い、まるで太陽のように光り輝いていた。

僕は、その光に怯えながら陰に隠れて息を殺していた。ずっと、ね。
僕にとって、兄と言う存在はコンプレックスの象徴で、
最大のライバルで、変わることのない憧れだった。

兄のようになれたら、どんなに世界は楽しくなるのだろう。
兄のようになりたい。

そんな風に、僕はあの人の背中をずっと追い続けてきた。


「なぁなぁ!聞いてくれよ、俺、彼女できたんだ!」

「ふーん」

「いいだろ!!写真見るか?」

「いいよ別に」

「そんなこと言うなってーほら、この子。美月っていうんだ。可愛いだろー」

「…まぁ、そうだね」

「だろー?こんど一緒にどっか行こうぜ。美月の妹がお前と同じ学年だからさ、ダブルデートしようぜ」

「なんでそんなことしなきゃいけないのさ」

「えー…いいと思ったんだけどなぁ」


兄は、僕によくちょっかいをかけてきた。

僕が何も手に入れることができないことを知りながら、
自分の持っているものを自慢してくるのだろうと、当時は思っていた。

きっと、それは兄なりの弟に対するコミュニケーションで、
僕はそれを頑なに拒んでいただけだったんだ。


僕は、小さなころから絵を描くのが好きで、落書きやイラストなど暇なとき描いていた。

それは、僕が唯一兄に対して持っている武器で、
これだけは兄に勝てる自信があった。

兄はそのとき絵が超絶へたくそだったんだ。


「だってさー、見た景色を描く色がねーんだもん」


兄はスケッチしに行く僕についてきて、
いつも隣でそう言いながら一緒に絵を描いていた。

僕は一言も兄と話をしなかったけど、
兄は僕に対していつも一方的に話しかけてきた。

学校での出来事、最近の漫画の売れ行きの状況、お気に入りのゲーム、今日の運勢。

話の内容はほとんど覚えていないけど、
話すたびに笑う顔は不思議とはっきり思い出せるよ。


僕に連れ添って絵を描いていた兄は次第にうまくなり始め、
適当に描いたという絵が賞を取るまでになった。

僕は、嫉妬に駆られ、それでも負けるもんかと努力し続けた。

「俺さ将来、絵描きになろうかと思ってるんだよね」

「なに、言ってんの。無理に決まってるじゃん」

「そんなの、やってみねーとわかんねぇだろうが」

「無理だよ…好きで続けられるほど、世の中は甘くないんだって」

「じゃあ、お前は甘い世界じゃないと、なんにもしないの?」


兄は、高校を卒業した後、美術系の大学に進み、海外に留学した。


一人残された僕は、いまだに彼の背中を追い続けていた。
僕は、兄になりたかったんだ。

いや、兄のように自分の決めた道を、自らの足で、自由に進みたかった。

僕は高校3年生になり、進路を決めなければいけない時期に差し掛かった。

僕は兄と同じように美術系の大学に行き、その道へ進む。

そのつもりだった。


兄が、事故で死んだ。

朝、日の出をスケッチしに行った帰りの出来事だったらしい。
池で溺れた子供を助けようとして溺死。
子供は助かり、それに応じるかのように兄がこの世からいなくなった。


僕は、受験を2か月後に控えた時期だったよ。

目の前が、真っ暗になった。
涙も、出なかった。
僕は、絵が描けなくなった。

心の一部がどこか壊れてしまったような気がして、なにも手に付けられなくなった。

ずっと目標にしていた人がもうこの世にはいない。

追いかける背中が、いない。

当然、受験は失敗。勉強も身につかず、浪人。
親に、東京の有名な予備校に通いたいからと嘘をついて一人暮らしを始めた。

…僕は、兄の匂いが残っているあの家から逃げ出したかったんだ。

あとは、そのままずるずると引き籠るようになった。


もう一度言うけど、僕は相当駄目な人間だと思う。

それは、僕自身が一番よくわかっているんだ。
僕は一人になってしまって、この駄目な自分を変える術を、
僕のことを笑いながら奮い立たせてくれた人を、失ってしまって、
どうしたらいいのか分からずに、出口のない迷路をずるずると迷っているんだ。

もしかしたら、簡単に抜け出せたかもしれない。
誰かから見たら単なる甘えかもしれない。

だけど、僕にはどうしても、
兄の背中が、目に焼き付いて離れないんだ。

それは呪いのようにこびり付いてはがれようとしない。

…僕は、本当に兄のように、なりたかったのかな

…今は、それさえも分からなくなっちゃったよ。



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晴海「なんでっ!!」

晴海ちゃんが、スッと立ち上がる。
涙が頬をボロボロ流れ落ちている。

晴海「なんでっ、そこまで分かってるのに…!!逃げるの…?」

晴海「自分は駄目な奴っ、なんて言って、言い訳して…」

晴海「わかんないよっ…なんで…君は…」

晴海「ちゃんと真っ直ぐ…生きられないの…?」


晴海ちゃんは、そういって僕のために泣いていた。
そして、怒ったような、悲しんでいるような、そんな顔をして、僕を叱った。


男「なんで、なんだろうね…どうして、僕は…」

男「まっすぐ、生きられないんだろう」


僕は、わけも分からず泣いた。
僕は、もしかしたら凄く単純なことを複雑に考えていたのかもしれない。
僕は、一体なにに言い訳をしていたのだろう。

僕が欲しかったものは、一体なんだったんだろう。


晴海「うえっ…うえっ…」

男「なんで、晴海ちゃんが泣くんだよ」

晴海「私、知らなくって、ごめんね、辛かったんだね…ごめんね…ヒック」

男「うん…うん…」


沢山の言葉が頭の中に浮かんできたけれど、どうでもよくなった。
ただ、僕のために叱って、泣いてくれる晴海ちゃんの姿があった。

僕たちは、少しの間、一緒になって泣いた。

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晴海「あー…ないたぁー」

男「はい、ハンカチ」

晴海「ありがと、私のも貸してあげる」

男「…ありがと」

お互いのハンカチを交換し合って、垂れ流しになった涙を拭いた。
晴海ちゃんは丁寧に洗って返すと言ってくれた。
僕も洗って返そう。


晴海「ていうかさ、そのお兄さんって…」

男「うん。いま僕が演じてる人」

晴海「えっ、だって君も男って言うんでしょ?」

男「うん。男って苗字だし」

晴海「あぁー…なるほどねぇー…」

男「…あのスケッチブック、兄ちゃんのなんだ」

晴海「私たちが見たやつ…?」

男「そう、上手だったでしょ」

晴海「うん…」

男「…ごめんね、ずっと黙ってて」

晴海「…うん、私は…大丈夫」

晴海「でも…お姉ちゃんが…」

男「そうだね…」


たぶんこの茶番のことは十中八九ばれているだろうけど、
兄が死んでしまっていることは、美月さんは知らないはずだ。


男「…このまま、続けるよ」

晴海「なにが?」

男「記憶喪失のふり」

晴海「でも…辛くないの?お兄さんの…その」

男「うん。もう、大丈夫…な気がする」

晴海「ならいいんだけど…」


立ち上がって、背伸びをする。
あんなに泣いたのに、なぜだか頭の中は妙にスッキリしていて、
体中の膿が抜けていったような気がした。


男「…よしっ、んじゃ帰って絵、描くか」

晴海「あっ、私飲み物買って来なきゃ」

男「別にもういいんじゃないの?」

晴海「だめだよー。お姉ちゃん約束破ると呪うもん」

男「それ、本当だったんだ…」

晴海「この前は、一週間便座の温度が冷たくなるのろいをかけられたよ…」

男「夏場でよかったね」


僕達はドクターペッパーを探しに病院内を歩き回ったが、なかった。
仕方がなく、マックスコーヒーを買っていったら、美月さんに怒られて呪いをかけられた。
確か、買うガリガリ君が絶対に当たらなくなる呪いだそうだ。地味に辛い。


美月「…なんかスッキリした顔してるわね…2人とも」

男「えぇ、おかげさまで」

美月「……まさかっ!!あなたたちっ!!」

男「ちっ違いますって!!」

晴海「なにが?」

美月「お姉ちゃん悲しいわ…」

男「だから違いますって!」


どうでもいいやり取りを数回繰り返した後、美月さんは笑顔でおかえりなさいといった。
いってきますも、おかえりなさいも、随分長い間言われてなかったから、
嬉しくて少し泣きそうになった。



晴海ちゃんがバイトで病院に行けないらしく、
ここ数日は僕一人で美月さんのお見舞いに行っている。
お見舞いといっても、他愛のない雑談を数回と、ずっと絵を描いているだけなのだが。

男「ごめんなさい。つまらなくないですか?」

美月「えぇ、一人じゃないってだけでとても嬉しいわ」

男「僕でもですか?」

美月「そうねぇ、記憶喪失が治ってくれたらもっと嬉しいかも」

男「…当分治りそうにない気がします」

美月「案外、融通が利くのね。記憶喪失って」

男「上級者だと、一度呼んだ小説とかうまい具合に忘れられるらしいですよ」

美月「本当?」

男「うそです」

美月「あら、ひどい」



美月さんは、よくしゃべるようになっていて、回復に向かっている気がした。
晴海ちゃんも元気そうにしゃべる美月さんを見て喜んでいる。

晴海「あのさ、春になったらお花見しようよ。みんなでさ」

美月「あら、いいわねぇ」

男「僕、花見なんてしたことないよ」

晴海「嘘…信じられない…あんな楽しいイベントやったことないなんて…」

美月「私もしたことないけど?」

晴海「えーあったじゃん!子供の頃だけどさ、覚えてない?」

美月「そうだったかしら」

男「なんにせよ、晴海ちゃんはお酒が飲みたいだけなんでしょ」

晴海「うひひ。正解っ」


男「好きだね…というか、晴海ちゃん未成年じゃないの?」

晴海「えっ、私21だけど」

男「あれ?僕と同じだ、前、居酒屋で僕の二つ下って…」

晴海「あー…男さんの二つ下、ね」

美月「あら、まるで男さんが2人いるみたいな会話ね」

晴海「わっ私、ジュース買って来るねっ」

男「そろそろ僕、絵描くんで」

美月「あ、逃げた」


順調に、時間は過ぎていった。

僕の絵もだんだん完成に近づいてきて、なんとか見せられるレベルまでには出来た。
月並みな言い方だけど、毎日が、キラキラしていた。

僕も、晴海ちゃんも、美月さんも、幸せそうに過ごしていて
やっと僕の居場所が見つかったような気がした。


彼女たちと出会って、2週間が経とうとしていた。

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その日僕は、ここ数日と同じように朝の8時に起きた。
簡単な朝食を食べて、身支度をする。

病院の面会は9時からなので、それに合うように家を出る。
通勤のサラリーマンに押されながら、
今日はどんな話をしようか、
どんなお見舞いを買っていこうか、
そんなことをぼんやり考えていた。

絵はもうほとんど描きあがっていて、すぐにでも美月さんに見せることが出来るはずだ。


病院に着いて、いつもどおり晴海ちゃんが来るのを待っていると、メールが届いた。
メールの差出人は晴海ちゃんだった。


ごめん、病室に来て。


それだけのメール。


今日はたまたま晴海ちゃんが先に病院に着いていて、先に病室に行ったのだろう。
僕は、病院の中に進む。

さっきから、動悸が止まらない。
歩く足が早まる。

はやく、絵を完成させなくちゃ。もう、すぐ描き上がるんだ。
僕は、走って美月さんの病室に向かう。

あ、お見舞い買うのを忘れていた。また、へんな呪いをかけられてしまう。
全身から嫌な汗が吹き出てくる。

そういえば、美月さんが漫画貸してくれって言ってたな、持ってくればよかった。
いやな想像が頭の中をよぎる。

もう一度、あの意地悪そうに微笑む顔が見れるはずだ。
僕は、走る。



病室のドアを開けると、医者と、晴海ちゃんと、横になって寝ている美月さんがいた。
晴海ちゃんは、ボロボロと大粒の涙をこぼして美月さんの手を握っている。

男「ハァ…ハァ…どうし、たんですか」

晴海「男くん…うっ…うっ…」

男「ははっ…どうしたの晴海ちゃん、なんで、そんな泣いてるのさ」

晴海「お姉ちゃんが…お姉ちゃんが…」


美月さんは、いつもと同じように眠っている。
何も変わらない、いつもの風景だ。


医者「私たちが、朝来たときには…もう」

医者「きっと、安らかな最後だったと思います」

医者が、何かを言っているが頭の中には入ってこなかった。



男「……っ!!」

僕は、病室を飛び出した。
何も考えたくなくて、わけも分からず飛び出した。



気付いたら僕は屋上にいて、頭を抱えていた。

嫌だ、信じたくない。嘘だ。
普通なら、なんか言い残してからじゃないのか。
なんで、皆こんな、あっけなく、誰にも言わないでいってしまうのか。
理不尽だ。なんでこんなに理不尽なんだ。
神様、なんでこんな酷いことするんだ。
物語にしたって最低レベルの結末だよ。こんなのって、ないだろう。


頭の中をいろんな言葉と感情がグルグルと埋め尽くして、どうにかなってしまいそうだった。
兄がいなくなったときと同じ。

体から心が離れていってしまって、空っぽになっていく感覚。


何も考えることが出来ずに、訳が分からなくなる感覚。


目の前が、真っ暗になる。











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「よぉ、久しぶりだなぁ」

どこからか、懐かしい声が聞こえた。
飄々とした垢抜けた声。いつも僕に話しかけるときの口調だった。


「…そうだよなぁ、悲しいよなぁ。誰かが死ぬっていうのは、すげぇ悲しいよな」


「でもさ、俺思うんだ。何時だって、真っ黒で薄暗いモンが俺たちの近くにあるんだよ」


「当たり前のことを受け入れることができなくて、腐ったり、駄目になったりしてる」


「そういえば、お前も駄目な奴だったな、…そんな辛気臭い顔するなよ。冗談だって」


「悲しみとか、苦しみとか、消すのは無理だって、お前も知ってるよな」


「だから、一緒になって慰め合う奴が必要なんだよ」


「できれば、一緒に泣いてくれる奴がいいな。そして、普段はいつも笑ってる奴だ。」


「ごまかして、ごまかして、いつか長い時間が経ったときに、ふと悲しみに暮れるんだ」


「そうやって一緒になってくれる奴を、お前は必死になって探さなきゃいけないんだ」


「死ってやつは、生きてる奴のためにあるんだよ」


「だから、お前はちゃんと生きなきゃいけねぇ」


「もっと図太く、適当に、ごまかしながら、な」


「…なんだか、説教みたいになっちゃったな」


「なぁ、まだお前、自分の約束守ってないだろう?」


「とぼけんじゃねーよ。人の彼女と勝手にいちゃいちゃしやがって」


「まぁ、奇跡を起こすのは無理だ。そんなご都合主義な世界じゃねぇからな」


「でも、約束果たすぐらいの時間は、あってもいいよな。」


「俺は、約束を守れなかったから。お前が俺の代わりに守ってくれよ」


「…あー、もう時間みたいだ。悪かったな、落ち込んでる邪魔して」


「またあえて、嬉しかった。達者で暮らせよ、いいか?」


「…なんだか、説教みたいになっちゃったな」


「なぁ、まだお前、自分の約束守ってないだろう?」


「とぼけんじゃねーよ。人の彼女と勝手にいちゃいちゃしやがって」


「まぁ、奇跡を起こすのは無理だ。そんなご都合主義な世界じゃねぇからな」


「でも、約束果たすぐらいの時間は、あってもいいよな。」


「俺は、約束を守れなかったから。お前が俺の代わりに守ってくれよ」


「…あー、もう時間みたいだ。悪かったな、落ち込んでる邪魔して」


「またあえて、嬉しかった。達者で暮らせよ、いいか?」




「こんどは、ちゃんと真っ直ぐ生きるんだぞ?」




晴海「男くん…!!」

僕を細い腕が抱きしめた。
その衝撃で、意識が戻る。

晴海「駄目だよ…一人になっちゃ…!!」

晴海「私だって死ぬほど苦しいよ?胸が張り裂けそうになるよ…!!」

晴海「でも、このまま男くんが、今までと同じみたいになっちゃ、駄目だよ…」

彼女は、震えていた。
僕にしがみ付いて、泣きながら震えていた。
大粒の涙を流し、それでも芯の通った声で、僕に話しかける。


男「…いこう」

晴海「えっ…?」

男「絵を、完成させなくちゃ」

僕は、晴海ちゃんの手を握って一緒に立ち上がる。
病室に行かなきゃ。本当にもう少しで完成なんだ。
僕は約束を守らなきゃいけない。

病室には、先ほどと変わらずに眠っている美月さんがいた。

僕は、急いで絵の具を用意して、描きかけの絵に色をつける。
晴海ちゃんは、困惑したように僕を見ている。


そうして、僕の絵は完成した。
美月さんの隣に向かい、絵が見えるように持つ。


男「ほら、美月さん…出来ましたよ、絵」

男「ちゃんと、約束守りましたよ…?」

男「だから、ちゃんと感想…聞かせてくださいよ…」

男「お願いだから…目を開けてくださいよ…美月さんっ…!!」

晴海「男くん…」


僕が描いたのは、あの日皆で屋上で見たシャボン玉の景色だった。


僕と、晴海ちゃんと、美月さん、おまけで、兄ちゃんも描いておいた。

絵の使い方はぐちゃぐちゃで、構図もなってない。正直言ってへたくそだと思う。
それでも、僕はこの絵を美月さんに見て欲しかったんだ。


美月「……」

美月「……おと、こさん?」

男「…美月さんっ!!」

晴海「お姉ちゃん!!」

美月さんが、ゆっくりと目を開ける。
晴海ちゃんは、美月さんの手を握り締める。


美月「夢を見たの…男さんの夢…」

美月「こら、って怒られちゃった…ちゃんとお別れを言いなさいって」

男「兄ちゃん…」

晴海「嫌だよっ…そんなこと…言わないでよぉ…」

美月「…晴海ちゃん…泣いてちゃ駄目よ」

美月「ねぇ、私、あなたのお姉ちゃんで…とても幸せだったわ」

晴海「お姉ちゃん…」

美月「最後まで駄目なお姉ちゃんでごめんね…」

晴海「そんなことないよ、私も、幸せだったからっ…お姉ちゃんの妹で、幸せだったから…」

美月「ふふ…そういってくれて嬉しいわ」


美月「…男くん。絵、完成したのね」

男「…はいっ」

美月「…ありがとう…約束、守ってくれて…もう、あなたは何からも縛られなくて…いいのよ」

美月「自由に生きて…いいのよ?」

男「美月さん…」

美月「私のために、いろいろしてくれてありがとう…これからは、晴海ちゃんと仲良く、ね」

男「…分かりました…分かりました…っ」


美月「…なんだか、まだ夢を見てるみたい」

美月「男さんに、もう一度、会いたいな…」

美月「………」

そう言って、美月さんはもう一度深い眠りについた。
僕と晴海ちゃんは、美月さんの手を握りながら涙が枯れるまで一緒に泣いた。


―――――――――
――――――
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――




自分で言うのもなんだが、僕は相当駄目な人間だと思う。
これと言って具体的な理由を挙げる気はないが、全体的に見て僕はきっとダメ人間だと思う。

それでも、僕のことを叱ってくれる人がいた。
僕のことを励ましてくれる人がいた。
僕のために泣いてくれる人がいた。

きっと、誰でもそういう人がいて苦しみや寂しさを忘れさせてくれるのだと思う。
けれど、駄目な奴に限ってひとりで、抱え込んで、何も口にしないのだ。


晴海「ほらー、男くん飲めないんだから、やめときなって言ったじゃん」

男「うっ…気持ち悪い…」

晴海「うぎゃー!!ここで吐かないで!!」

男「…平気。少し歩けば、気分もよくなるって…」

晴海「うぅ…びっくりしたよ。んじゃ少し歩きますか」

男「ちょっと、待ってよ。歩くの早すぎ…」

晴海「早く来ないとおいて行っちゃうよー」


男「……」

晴海「もぉー…」

晴海ちゃんは、僕の手をギュッと握る。


晴海「そうしたいなら、最初から素直に言えばいいじゃん…」

男「…ばれた?」

晴海「男くん、嘘へたくそなんだもん」

男「えーそうかな…」



晴海「そうだよっ」


僕と、晴海ちゃんは手をつないで歩いていく。
きっと、これからも変わることなく、それは続いていくと思う。


最後にもう一度だけ行っておこう。
僕は駄目な人間だと思う。



世界中の駄目な人間に、幸あれ。


http://www.youtube.com/watch?v=dUogEP0ItmY


長文を読んでいただきありがとうございました。
感想など書いていただけると嬉しいです。

誤字脱字、連投が多くて萎えた部分が多くて申し訳ない。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年11月02日 (日) 10:46:24   ID: Djvi3JD2

いいです!
後日談みたいなのを期待しています。

期待してますよ・・・

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