男「僕の家の雪女」 (60)
僕の家には、雪女がいた。
お祖父様やお父様が小さい頃からいたらしく、僕もそれが当たり前として育ってきた。
男「ねぇ、雪女。雪を出してよ」
雪女「なりませんよ、坊っちゃん。 奥様に冬以外で雪を出してはいけないと、先日怒られたばかりでしょう?」
そんな我儘を言っては雪女を困らせる。
僕はそんな子供だった。
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春の日。
雪女「坊っちゃん、おかえりなさいませ」
男「うん、ただいま!」
学校から帰るといつも通り青白い顔の雪女が出迎えてくれる。
雪女「学校は楽しかったですか?」
男「うん、今日はクラスのみんなでドッチボールをしたんだ! 僕のチームが勝ったんだよ!」
雪女「それはそれは、ようございましたね」
くすくすと口許を抑えながら笑うのが雪女の癖。
その笑い方が好きだった。
男「…雪女とも外で遊べたらいいのにな」
雪女「なりませんよ、坊っちゃん。 私はこのお屋敷に憑く雪女。 このお屋敷から出ることは許されておりません」
男「わかってるよ!」
雪女「お庭にも…まあ夜でしたら出ることは可能かもしれませんが、坊っちゃんは早寝の良い子でございますからね。
私が遊べる時間帯には夢の中かもしれません」
んー、と考えるような仕草をしているものの、目が笑っているように見える。
男「うぅー…、雪女、面白がってない?」
雪女「さすが坊っちゃん、よくわかっておいでですね」
男「もう! 僕だって遅くまで起きてられるよ!」
また笑う。
雪女はよく笑う人だった。
母「男、おかえりなさい」
男「お母様! ただいま帰りました!」
僕は母に飛びつくように駆け出して、その後ろをゆっくりと雪女が付いて来る。
雪女「奥様、お加減はよろしいのですか?」
母は、僕が生まれた頃からあまり体調がよくないようだった。
記憶にあるのはベッドで寝込んでいる姿ばかり。
こうやって起きて迎えてくれることは滅多になかった。
母「大丈夫よ、今日は少し暖かいし…。
男、今日の学校はどうだった? 楽しかった?」
男「はい! 今日はクラスのみんなで…」
母「楽しかったみたいね、あとでお茶でも飲みながら聞かせて頂戴」
そう言って僕の話を遮ると、
母「雪女、これ以上近寄らないで頂戴」
雪女「…失礼致しました、それでは、坊っちゃんの荷物をお部屋に」
母「ごめんなさいね」
雪女を下げさせた。
男「お母様、」
母「ごめんなさいね、男。
でも勘違いしないで欲しいの。
雪女の冷気は、私のような身体の強くない者にはとても辛いものなのよ」
それは、よく、わかっていた。
雪女に、何故この家にいるのか聞いたことがある。
雪女「そうですね…、先々代の旦那様、坊っちゃんの曾お祖父様に拾っていただいてからこのお屋敷におりますよ」
男「拾うって」
雪女「夏の暑い日でございました。
私共雪女は、普通雪山に住んでおります。
しかしその年は冬が早くに終わり、春がとても暖かく、夏はそれはもう、解けてしまうほどに暑かったのでございます」
僕はノートに走らせていた鉛筆を置き、雪女の話に集中する。
雪女「仲間が一人解け、二人解け、とうとう最後の一人になったとき、先々代がたまたまハイキングに来ていたのです。
解けかけていた私を見て、何を思われたのか、着いて来いと私に縄をかけて山を降りたのですよ」
男「縄!?」
雪女「直接触ってしまうとそこから解けてしまいますからね。先々代はそこをわかっておいででした。
そのまま、地下の倉庫へ連れて行ってくれたのでございます」
そう言うと雪女は遠い目をして、話を続けた。
雪女「そこは山よりも涼しく、当時貴重な氷もあり、私はなんとか命を取り留めることができました」
男「それから?」
雪女「ご恩を返させてほしいと頼み込んで、役目を頂いてお屋敷に置いてもらっているのでございますよ、坊っちゃん」
ふふっと笑って僕を見やる。
雪女の髪が少し僕の肩に触れて、背筋に悪寒が走る。
ぱっと見はただの顔色の悪い女性でも、やはりこの人は幽霊とか、妖怪とかの類であると実感させられる瞬間だ。
雪女「さあ坊っちゃん、お勉強の続きと致しましょう。
まだ八の段が苦手だと仰ってたでしょう?」
男「うぅー…、算数は苦手だよ」
僕が凹んで見せると、雪女はまた笑った。
僕の家は所謂お金持ちに分類される。
僕の曾お祖父様が建てた屋敷は当時としては珍しい洋館風の造りで、何気に金持ち御殿と呼ばれていたらしい。
どうやって財を成したのかは知らないが、僕も裕福と云われる生活ができるのは、曾お祖父様から受け継いだ事業をお祖父様やお父様が拡大させて行ったからだろう。
雪女「このままで継がれるのであれば、坊っちゃんがこの家を守っていかなくてはならないのですよ」
男「わかってますー」
雪女「ですからほら、八の段に躓いている場合では」
男「わかってるよー!」
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夏の日。
雪女「坊っちゃん、おかえりなさいませ」
男「…ただいま」
雪女「学校でなにかあったのですか?」
男「なんでもないよ!」
僕は雪女の脇を通り過ぎ、自分に与えられた部屋に向かう。
雪女の体温というか、漂う冷気が程よい季節になってきた。
雪女「坊っちゃん」
男「なに」
雪女「今日は水泳の日でございましたね、水着を洗いますのでお出しください」
男「…学校に忘れてきた」
雪女「坊っちゃんの右手に握られている鞄はなんですか?」
僕は基本的に抜けているというか、すぐバレるようなところで嘘を吐いてしまう。
雪女「またズル休みされたのですね?」
男「…僕は一生海とか川とかプールには行かないから」
雪女「だからって泳げなくていいわけではありませんよ」
溜息が冷たい。
雪女「苦手なものがあるのは仕方ありませんが、やりもしていないのに出来ないと言い張るのは…そうですね、ダサいことですよ」
男「…うん」
雪女「旦那様もお祖父様も苦手なものはあります。
でも一度は挑戦して、できるようになるまで努力されてきたのです。
坊っちゃんだって八の段ができるように頑張ったじゃありませんか。
だから坊っちゃんもできるはずですよ。
頑張ってみましょう?」
男「…わかった」
僕が頷くと、雪女は嬉しそうに微笑んだ。
秋の日
雪女「坊っちゃん、おかえりなさいませ」
男「ただいま!お父様は?」
雪女「戻られてますよ、食堂におられるはずです」
男「わかった!」
雪女「坊っちゃん、お荷物をお預かりしますので、走らずお静かに」
男「はーい!」
その日は珍しく父が帰ってきていた。
普段仕事ばかりであまり家にいない父が明日までいるということで、僕ははしゃいでいた。
雪女に言われた通り、静かに食堂の扉を開ける。
男「お父様…?」
父は静かにそこにいた。
静かに、寝ていたのだ。
まだ少し湯気の立つコーヒーを目の前に、そのままの姿勢で。
男「………」
僕は入ってきたときと同じように静かに扉を開け、食堂を出る。
執事室へ向かい、執事に父を部屋に運ぶか毛布を持って行くよう言いつけ、自分の部屋に戻った。
雪女「あら、坊っちゃん、どうなさいました?」
雪女は驚いた顔で僕を見る。
雪女は知っていたのだ。
僕がどれだけ、父に会いたかったか。
父に構ってもらいたかったのか。
男「…お父様、疲れていらっしゃるみたいだった。
食堂で座ったまま寝てたんだ」
雪女「…さようでございましたか」
男「だから、そのまま寝ててもらおうと思って。
執事に毛布を持っていくか、部屋に運ぶように言ってきた」
雪女「それはそれは…偉いですね、坊っちゃん」
雪女は僕を撫でるような仕草をした。
本当に撫でてしまえば、解けてしまうから。
頭の上を冷気が撫でる。
雪女「でもね、坊っちゃん。
坊っちゃんはまだ子供なのですから。
旦那様を起こしてもよかったのですよ?」
男「できないよ、だって、お父様が忙しくて疲れてるの、わかってる…から」
知っているのだ。
月に一度も、下手したら年に一回も休めないこと。
それでも僕と会うために無理やり仕事をこなしていること。
無理をさせているのは僕自身だから。
だから、
男「僕のために休んでくれるのは、嬉しい、けど。
…でも、それは、本当ならお父様の時間、お父様だけの時間なんだから、ゆっくりしてもらいたい」
雪女「…本当に、いい子に育ちましたね、坊っちゃん」
そう言って、雪女は少し悲しそうに笑った。
冬の日。
雪女「坊っちゃん、おかえりなさいませ!」
男「…嬉しそうだね、雪女…」
雪女「だってほら! こんなに雪が!」
その日、数年ぶりに雪が降った。
僕も雪は嬉しい。
嬉しいけど、
男「寒い…」
雪女「大丈夫ですか?そういえば心なしか顔が赤いように思えます」
男「んー、頭も痛いんだ…」
僕は思いっきり風邪をひいていた。
雪女「それでは仕方ありませんね、お部屋に入ってゆっくり休まれてください」
男「うん…」
何年かぶりにひいた風邪は、微熱と軽微な頭痛だけの、一晩寝たら治るようなものだった。
でも、僕には久方ぶりの感覚である。
それはもう、辛い以外のなにものでもなかった。
男「…寒いなぁ…」
自室のベッドに潜り込んで僕は呟く。
パリッとしたシーツの感覚、ほのかに感じる洗剤の香り、小学生に与えられるには広すぎる部屋。
それらだけで、僕を寂しくさせるには充分だった。
男「………」
天蓋を見上げながら考える。
僕は裕福で、欲しいと思ったものはだいたい持ってる。
成績も悪くないし、水泳は苦手だけど、運動神経も悪くない。
そんな恵まれた星の元に生まれているのに、どうして、こんなに寂しさが溢れるのだろう。
男「……お母様…」
母は、先日から少し体調を崩していた。
僕の風邪が移って、母の体調が悪くなるのは嫌だ。
だから、こういう日には絶対母には会えない。
男「……お父様…」
父は海外出張中である。
たかだか僕の風邪程度で帰ってこれるわけがない。
男「……ぁ…」
僕には、僕自身にはなにもない。
それに気づくのに、そう時間はかからなかった。
雪女「坊っちゃん?」
男「…なに…」
目元を強く擦り、流したものが見つからないように背を向ける。
静かに近づいてくる雪女。
冷気が背中を這い、少し震えた。
雪女「氷枕と、水と、体温計をお持ちしました。
身体を起こせますか?」
ベッドサイドにかたん、とトレーが置かれる音がする。
「…うん、大丈夫」
身体を起こそうと仰向けになり腕に力を入れる。
少しふらついたときに、雪女が支えようとしてくれたが、触ると溶けてしまうので躊躇ったようだ。
仕方ない、他人より我が身が可愛いのは誰だって一緒だ。
男「…大丈夫、だから」
雪女「申し訳ありません」
僕に水を勧め、飲んでいる間に氷枕が置かれる。
程よく冷えた水が喉を通って胃に到達すると、途端に空腹感が押し寄せてくる。
男「少し、お腹空いたな」
雪女「かしこまりました、ではお粥かなにか作ってお持ちいたします」
男「おじやがいいな。ねぎととり肉が入ったの」
雪女「食欲があるようで安心しました、ではそのようにお作りいたしますので、しばらくお休みになられててくださいね」
薄く笑って、雪女は部屋を出て行った。
空になったグラスをベッドサイドに置き、また横になる。
後頭部を冷やす氷枕の音が面白くて、しばらく頭を揺すって遊んでいたらいつの間にか眠っていたらしい。
気がつくと空がオレンジから黒へ変化していた。
雪女「お目覚めですか?」
近くにいた雪女が声を掛ける。
男「うん、…なんかすっきりした」
雪女「汗をしっかりかかれていましたからね。あとで執事に着替えを頼みましょう。それとお食事はどうなさいますか?」
男「さっき言ったおじやは?」
雪女「仰せの通り、お作りいたしましたよ。温めてからお持ちしますね」
男「うん」
雪女が出て行ったのを見送って、つがれていた水を飲む。
少しぬるい水は、汗をかいた身体に潤いをもたらしてくれた。
雪女「お待たせいたしました」
10分ほどぼうっとしていると、雪女が部屋に入ってきた。
手にはトレーに載った一人前用の土鍋と取り皿。
湯気が自分に当たらぬよう、ちゃんと布巾が載せてある。
男「ありがと」
雪女「蓋を開ける際には…」
男「大丈夫だよ、やけどしたりしないから、もう少し離れてて。湯気に当たるよ」
雪女「申し訳ありません、そのようにさせていただきます」
トレーをテーブルに置くと、雪女は離れた。
布巾で土鍋の蓋を開けると、いつか嗅いだことのある優しい匂いが立ち込める。
男「…?」
確かに僕が頼んだものだ。
ねぎととり肉がたっぷり入ったおじや。
取り分けて、湯気を吹き飛ばし、口に運ぶ。
熱さに舌が驚いたが、それよりも。
男「…ねぇ、雪女、これって…」
雪女「奥様が作られました」
男「でも、お母様は」
雪女「坊っちゃんが風邪を引いているのに、なにもしないのは母親失格だと、みんなお止めしてるのに台所に立って作られてましたよ。
お部屋まで運んで来られたのですが、坊っちゃんが寝ていましたので、起きたら食べさせるように言いつけられました」
母が、僕のために。
雪女「それと、旦那様から一時間おきに状態を報告するように言いつけられておりますので、失礼します」
そういうと、雪女は携帯電話を取り出し、ピロリロリーンと間抜けな音を発生させた。
男「…写真?」
雪女「ええ、写真付きでメールを送るようにと」
父が、僕を心配して。
雪女「坊っちゃんは、愛され坊っちゃんですね」
携帯でメールを打ちながら、雪女は言う。
僕には、何もないわけじゃない。
愛情をもらっているのだから、父と母からもらった愛情を持っているじゃないか。
それだけで、満たされる。
携帯がまた鳴り出す。
雪女の顔が綻んで、僕に携帯を渡す。
雪女「旦那様からですよ、坊っちゃん」
そう言って、雪女は礼をした後、出て行った。
男「…もしもし」
父の驚いたような声と、心配しているという言葉で、僕の顔は、喜びに変化していった。
そうだ、僕はこんなにも両親から思われていて、幸せだったんだ。
いつかの日
日記を閉じて、思い出す。
そう言えば、雪女の役目を知らずに過ごしていた。
お役目自体は夏頃にしかなく、あとは坊っちゃんのお世話係なのですよ、と笑っていた雪女。
いつかの夏の日に、溶けていなくなってしまった雪女。
母に久方振りに雪女の名前を出すと、ああ、と思い出すかのように遠い目をした。
母「もう男もいい年齢になりましたからね。お話してもいいでしょう」
そういうと、母は着いてくるよう言い、先に歩き出す。
薬があっているのか、病弱であったはずの母はここ数年調子がいい。
少し日に焼けた母を見下ろしながら、小さくなったものだな、と考えてしまう。
いや、僕が大きく、それだけ時が流れたのだ。
母についていくと、そこは厨房だった。
こんなところで仕事をしていたのか。
母「雪女の役目はね、ここで害虫を駆除することよ」
…は?
母「夏の時期、特に厨房には食糧を齧るねずみや虫がたくさん出るの。だからそれらを氷漬けにして、処理していたのよ」
母「昔は殺虫剤というものがなくてね、曾お祖父様が雪女を見かけた時、これだ!と思ったそうよ」
母「今はこれがあるから雪女がいない家庭でも、似たようなことができるようね」
本当、便利な世の中になったわ、と笑う母が持っていたそれは、スプレー缶だった。
ゴキブリなどを氷漬けにできるという、あの。
男「…雪女」
やっと雪女の全てがわかった。
役目について言わなかったのは、虫が苦手な僕のためだろう。
雪女がいなくても、雪女はそこにあった。
おわり
期待しててくれた人たち、本当ごめん。
メモ帳に「オチ:スプレーにとってかわる雪女たん」とか書いてあって勢いでそこに繋がるストーリー考えてたらなんかもうわけわからなくなった。
一応最後まで書いたけど、もうなんか夏までに終わらなかったし、もうどうにでもなぁれ状態で書いたから本当ごめん。
ちゃんと全部書き終わってから投下すべきだった。
ちなみに元ネタはみんなわかると思うが、フマキラーのゴキブリ凍止ジェット、雪女編です。
期待してくれた人、待っててくれた人、本当にありがとう。
あ、あと以前書いた、魔王「田植えの季節だ!」をまとめてくれたまとめブログの方々、ありがとうございました。
いい加減、魔王の稲刈り書きます。
それじゃあ。
このSSまとめへのコメント
最後が悲しすぎる
雪女……