男「なんで俺に死んで欲しいわけ?」(217)
男「オラ、飯できたぞ」
女「…早く死ねばいいのに」
男「食わなくてもいいぞ?」
女「食べてあげますから、死んでは頂けないでしょうか」
男「ウチに居座って3日間、死の一文字が入らない台詞、ほとんど喋ってないよね?」
女「とんでもない。自殺して頂けませんかとお願いした事もあったでしょう?」
男「うん、確かに死の文字は入ってないねー」
ぺらぺら…(ページめくりの音)
女「…こちらなどいかがでしょうか?」
男「ばっか、俺には派手すぎるよ」
女「とてもお似合いかと思います」
男「そんなお願いポーズしてもダメ」
女(うるうる…)
男「だめです」
女「…飛び降りなら確実に死ねると思ったのですが」
男「昔ネタに買った完全自殺マニュアル、捨てときゃ良かったよ」
男「なんで俺に死んで欲しいわけ?」
女「…教えたら死んで頂けますか?」
男「嫌」
女「なら教えません」
男「理由によっては…(ウソだけど)」
女「…でも教えられません」
男「とにかく理由もなく俺にただ死ねと?」
女「それは違います。理由はありますが教えません、それでも納得して死んで下さいとお願いしているのです」
男「それ通ると思う?」
女「美少女のお願いですから、あるいは」
男「」
…三日前の深夜、男のワンルーム
男(今日から8月かぁ)
男(学校も休みだし、バイト代も貯まったし)
男「念願の二輪免許でも取るかー」
女「あ、それは無意味だと思います」
男「そっかー…って、誰だお前」
女「女、と申します」
男「いや、名前を訊いてるんじゃなく」
女「はぁ」
男「なぜ、いつからそこに、鍵を掛けた玄関か2階の窓か、どこから入ったと訊いたんだが」
女「…まず前者の問いの答えは、ついさっき…といったところでしょうか」
男「ほぅ」
女「後者の答えは…残念ながら玄関と窓のどちらでもありません。また正しく答えるのは困難を極めます」
男「じゃあもう一つ訊こう」
女「あまり暇ではないのですが」
男「俺は恋人もいないし、あまり女に縁のある方じゃない」
女「はい、部屋の雰囲気からも察せられます」
男「けど見ての通り、血気盛んな年齢の健康な男子だ」
女「先程も申しましたが暇ではありません」
男「そんな俺の前に…いや背後に、なぜ裸の女が立っているんだ」
男「俺の服しかないけど」
女「お借りするのですから、こんな服でも文句は言いません」
男「随分な物言いだな」
女「失礼、この程度の…と言うべきでした」
男「変わらないし…。まぁいいか、お茶どうぞ」
女「恐れ入ります」
男(わけがわからない)
男(最初はエロゲよろしく女っ気の無い俺のところに神様が天使でも遣わせたのかと思ったけど)
男(冷静に考えて、んなわけないよな)
男(このアパートに引っ越してきて、管理人が間違えて俺の部屋の鍵を渡したとでも考えた方が自然だ)
男(ただ、それなら何故…)
男「で、どうして裸だったんだ」
女「止むを得ずです」
男「いや、その止むを得ない理由は」
女「ちょっと説明は難しいです」
男(…もしかしたら、言いたくないような可哀想な目にあったんだろうか)
男(それ位しか思いつかない。ひとまず訊かずにおこうか)
男(とりあえず、これはラッキーかもしれない)
男(落ち着いて見れば、この娘…とびっきり可愛い)
男(歳は…16か17位か?)
男(こんな娘とお近づきになれる機会なんて、今後も含め無いんじゃないだろうか)
男「それで、どうして此処に」
女「貴方…男さんを訪ねて参りました」
男「俺を知ってるのか」
女「はい、一通りのデータ位は」
男「なんだそりゃ」
女「名前は男、どうでもいい三流大学に通う20歳。失礼ながらご両親は御他界されており、大学の近くに一人暮らし」
男「当たってる」
女「比較的裕福なご親戚からの補助を得て、またご自身もアルバイトをして生活していらっしゃいます」
男(…なぜそんな立ち入った事まで)
女「性格は温厚、気弱、周りに流されるタイプで自分の意思はどちらかと言うと希薄」
女「友人には親友と呼べる程の方はおらず、もちろんガールフレンドもいません。そして…」
男「そして?」
女「童貞です」
男「当たり」
男「そんな冴えない男の所に、何の用で来た?」
女「とあるお願いをしに参りました。さすがにいきなり申し上げるのも不躾と思ったのですが」
男「すでに色々と不躾な事は言ってると思うよ」
女「あくまでご自身の判断で、男さんの望む意思として…」
男「ふんふん」
女「お一人で実行される分にはどんな方法でも構いませんので」
男「ほぅほぅ」
女「是非、自殺をして頂きたいのです」
男「帰れ」
女「そうはいきません。なんとしても自ら命を絶って頂きませんと」
男(なんだこの娘)
男(可愛いけど、とんでもない事を言う)
男(電波…というか、どっかネジがとんでるのか)
男(ただそれにしては、そうと思えないほど凛とした眼差し。何かの使命感を持っているかのような…)
女「実行して頂けますか」
男「そうする義理はないね」
女「こちらとしては大ありなのですが」
男「何故、理由は?」
女「…説明できません」
男「はいそうですか、って言うわけないだろ」
女「…では」
女「私は死神なのです」
男「へぇ」
女「つまり貴方の死期はもう近いのです」
男「ほぅ」
女「だから仕方ないと思って、前もって自殺しませんか」
男「その場合、むしろ残された時間を有意義に使いたいよね」
女「そこをなんとか」
男「しかもそれ、今考えただろ」
女「ばれますか」
…そして現在
男(自殺しろ、いやだ、理由を教えろ、教えられない)
男(そんな水掛け論のようなやりとりばかりを繰り返して、あれから3日)
男(全く出て行こうとはしないし、もしかして夜寝てる間に殺されたりするかもと思ったけど、それも無さそうだ)
男(なんというか俺が憎いってわけじゃないみたいだし、ただ単純に俺が死ぬ事を望んでるんでもない)
男(恐らく本当に何かわけがあって、そのためには俺が自殺する必要があるんだろう。ただ…)
男「なぁ」
女「はい?」
男「俺、絶対自殺なんかしねえよ?」
女「いいから早く死んで下さい」
男(焦ってるのかキツい言い方をする事も増えてきた)
女「お願い…ですから」
男(でも、その度にひどく辛そうな顔をするんだよな)
女「…こんなの、いかさまです」
男「いや、正々堂々とやってるけど」
女「だって28連敗ですよ」
男「角を取られないように、その周りはできるだけ置かない方が良いんだよ」
女「だってそこしか置くところが無くなります」
男「まぁ、そうやって勝つゲームだからね。ハンデで角ひとつかふたつあげようか」
女「結構です。その代わり、もし私が勝ったら自殺してくれますか」
男「あ…すげえ、全消しになった。で、何だって?」
女「…何でもないです」
男(めっきり出掛けてない)
男(たぶん外に出てもついて来てこの調子だろうから、人目のあるところに行きにくい…というのもあるけど)
男「………」
女「…私の顔に何かついてますか?」
男「目がふたつと鼻がひとつ、口がひとつかな」
女「残念ですね、貴方もですよ。だから死ぬといいと思います」
男(ひどい言葉を投げられても、こんな美少女とひとつ屋根の下で寝起きを共にするってのを、幸せに感じてるんだよな)
男(ただ、さすがに冷蔵庫が空っぽになってきた)
女「どこに行く気ですか」
男「食品の買い出しだよ。二人分消費してるから、足りなくなった」
女「それは…ごめんなさい」
男(おや、しおらしいじゃないか)
女「…ちょうどいいから、死にましょう」
男「却下。晩飯は何がいい?」
女「ハンバーグがいいですっ!」
男「そんな大きい声、初めて聞いたな」
女「えっ!?あっ…」
男(顔を赤くするのも実に可愛い)
女「だだだって、昨晩の夕食でハンバーグが得意だって言ってたから」
男「あれ?じゃあそれを作るまでは死ななくて良かったりするのかな」
女「ばか!早く死んじゃえ!…です」
男(うん、可愛い。これは死にたくないな)
男「やっぱりついて来るんだ」
女「逃げられてはいけませんので」
男「…手を繋いでるのも?」
女「当然、確保するためです。他意はありません」
男(近所のスーパー店内、食品売り場を美少女と手を繋いで…)
女「何をキョロキョロしているんです?本当に逃げる気ですか」
男(誰かに見られてえぇぇぇ!大学のやつ居ねえかな…居ねえな…残念)
女「なんだかニヤニヤして気持ち悪い…死ねばいいのに」
男「お、今のは本気だったね」
女「私はいつでも本気です」
女「…綺麗」
男「ん?何が」
女「これが…夕焼け」
男「あー、ここな…俺もこの河川敷から見る夕陽、好きなんだ」
女「………」
男(泣いてる?まさか…いや、泣いてる)
男(どうしたの?…って、こういう時は言わない方がいいのかな)
…ギュッ
男(手を握る力だけちょっと強めてみたり。きっと、ハッとなって『死ね』とか言うんだろーな)
女「………」
…ギュッ
男(あれ、握り返された。これはアレか、LとOとVとEの四文字で表されるものが芽生えていたりなんかするのか…!?)
男「あ、電車」
女「シルエットになってる…」
男「いっそあれに乗ってどこか遠くへ行」
女「そうだ、電車に飛び込むのもいいですよ!」
男(それから十日あまり。関係は変わらない)
男(ただ毎日のように二人で出かけるようになったけど)
男(きっと女は振り回されてるだけだろう。でも俺はこの手を繋いでの外出が癖になってしまった)
男(それに…)
女「男さん!あれは!?」
男「カーフェリーだよ。自動車を載せて海を渡る船だ」
女「海、すごいです」
男(どういうわけか、女はこの世の中の事を全然知らない)
男(いや…知らないというより、知識としては知っていても見た事が無いといった感じだ)
女「男さん」
男「何?」
女「楽しい…です」
男「それは良かった」
女「でも、どうして。私は男さんを傷つける事ばかり言っているのに」
男「…俺が海を見たくなっただけだよ。君はそれについて来てるだけだろ?」
女「…そう、です」
男「そうだよ」
女「早く、死んで下さい」
男「嫌です」
女「………」
男「自殺なんかしない。俺は今、幸せなんだ」
女「呪う言葉ばかり言う私がつきまとっているのに、ですか」
男「ああ」
女「…これ以上」
男「ん?」
女「何でも…ないです」
女「すごい人…みんな楽しそう」
男「あっちは海水浴場だね」
女「この暑さですから、気持ち良いのでしょうね」
男「…海、入るか?」
女「入水自殺ですか」
男「帰ろうか」
女「………」
男「水着なら何でもよければ近くで売ってると思うよ」
女「私は遊びに来たのではありません」
男「じゃあ俺だけ行って来るから、手を離してくれる?」
女「………」
男「でも、出来れば…」
女「出来れば」
男「…一緒に、どう?」
女「に…逃げられる訳にもいきませんし。仕方がないですね」
男「これはすごい」
女「何がです」
男(自意識過剰じゃない、注目の的だ)
男(そりゃそうだろ、たぶんこの浜辺で一番可愛いぞ。幼児体型気味ではあるけど…)
女「元々かもしれませんが、顔に締まりがありません」
男「無理を言わないでくれ」
女「泳ぐんじゃないんですか」
男「お、おぅ。もちろんだ」
女「あまり深いところへ行かないで下さい」
男「うん?」
女「ごにょごにょ」
男「うん?」
女「………んです」
男「あん?」
女「泳げないんですっ」
男「ん、という事は…泳げばすぐ逃げられるって事か」
女「だめです!」
男「分かってるって。それにその気になれば、さっき着替えてる間でも簡単に逃げられるじゃないか」
女「それは…そうですね」
男「夜寝てる間に逃げたりした事も無いだろ?」
女「確かに、でもじゃあ何故そうしないんです」
男「いーからいーから、泳ぐぞ」
…その夜
男(よく寝てるなあ、まあ無理も無い)
男(連日の外出、しかも今日なんかとびっきりに遊び倒したもんなぁ)
男(…結局、いまだ分からない事だらけだ)
男(何故、俺に死んで欲しいのか。そうまで言うなら、どうして俺を殺すんじゃだめなのか)
男(どこから、どうやって来たのか。なぜ世の中の事を珍しがるのか)
男(…何故、こんな俺を)
男(自惚れかもしれない…けど、死んで欲しいとは言いつつも多分、俺は嫌われてはいないんだろう。…むしろ)
男「…まさか、な」
男(たまにはビールでも飲んで、頭冷やして…寝よ)
女「う…ん…」
男(起こしたか?)
女「死んで…くださ…」
男(………)
男(…いいんだよ。これが俺とこの娘の距離感なんだろ)
男(その内、まぁいつか…死んであげてもいいかな)
男(その位、今までの人生の中には無かったような幸せを感じてるのは確かだ)
男(ありがとうな、俺に…自殺を勧めに来てくれて)
…次の朝
男「おはよう」
女「…おはようございます」
男「もう起きてたんだな。今日は何処に行こうか」
女「………」
男「歩いて行ける範囲の町は大体回ったし、電車で海も行ったし…」
女「男さん」
男「ベタだけど、遊園地とか」
女「男…さん」
男「映画とか、水族館とか…」
女「…男さん」
男「………はい」
女「自殺、どうしてもして頂けませんか」
女「当たり前…ですよね。死ねと言われてすぐにハイと言う人なんて、いるわけありません」
男「どうして…泣いてる」
女「…男さんのせいです」
男「俺が死なないから」
女「そうだけど…そうじゃない」
男「………」
女「どうして男さんは、私に良くしてくれるんですか」
男「俺は、何も」
男(そうだ、俺は俺がいいようにしていただけだから)
女「貴方に死ねと、早くしろと…私は最初からそんな事ばかりを言ってきたのに」
男「…でもその言葉には、悪意が感じられなかった」
女「昨日、逃げようと思えばすぐ逃げられるって。それに…男さんが私を力づくで追い出そうとすれば、そんなの簡単なはずなのに」
男「俺は」
男(俺は…君と居たいんだ)
女「…もう、貴方に死を勧めるのが嫌なの」
男「女…」
女「死んで欲しくなんかない…」
男(その日は結局、どこにも行かなかった)
男(女はいつの間にか泣きやんではいたけど、時おり鼻をすする音がする)
男(俺はその度、彼女の頭や背中を撫でるくらいの事しかできなかった)
男(そして日も暮れかかった頃、彼女はぽつりぽつりと話し始めた)
…2032年、とある研究室
女「博士、今のところ起動状態良好です」
博士「ああ、ついに完成したな」
女「おめでとうございます、博士。貴方が成した偉業は人類の夢、そして今となっては人類最後の希望です」
博士「本当に…このタイムマシンを作り始めた時には、そんなつもりなど無かったのだが」
女「時標(ときしるべ)が設置されたのは2013年8月1日です」
博士「うむ…忘れもしない、私がこの手で設置したのだからな。タイムワープは時標が存在する時代にしか出来ない」
女「つまりその日が、時間を遡る限度なのですね」
博士「さあ、この世界を…歴史を救わなければ」
…現代、男の部屋
男「タイムワープ…時標…?」
女「はい、信じられないかとは思いますが」
男「いや…信じるよ。信じた方が色々と合点がいく」
女「タイムワープさせる事が出来るのは、思念の波長を完全にスキャンしてタイムマシンに記憶させてある者だけ」
男「思念の波長…」
女「思念とは思考や身体の各部への運動命令など、脳が発する言わば電気信号」
女「この時代の言葉を借りれば、魂に近いものです。また記憶も思念の一部と言えるでしょう」
男「つまり魂を持たない物質を送る事は出来ない、と」
男(なるほど…それで最初の日、裸だったのか)
女「私が居た時代、2032年は…人間が絶滅の危機に瀕しています」
女「その原因は『寄生蜂』正体はほとんど明らかではありませんが、恐らくは宇宙からの生命体」
女「僅か体長10cm弱ほどの昆虫と爬虫類の中間のような生物で、知性を持つわけではありません。でも人智を超えた生態を持っています」
女「こちらからはその存在は見えず、触れられない。唯一見て触れられるのは、死骸となったものだけ」
女「見えない卵を産みつけすぐに幼虫が孵化した後、およそ2年をかけて羽化します。…宿主の体を食い破って」
男「こっちからは見る事も触る事もできないのに、食われるのか」
女「羽化した成虫は僅か数日の命ですが、その間に10個前後の卵を残します。しかも卵が10個なら一切の被り無く10人の人間に」
男「つまり二年で10倍を繰り返す…」
女「最初、その異常さに気付いたのは2017年。ほとんど日本国内で、100人がほぼ同時に肉体の一部を欠損した屍になりました」
女「寄生蜂の存在…死骸が見つかったのはその二年後。2019年に1000の命が犠牲になった時です」
男「2019年に1000、2017年に100で2015年が10…」
女「つまり2013年に…最初のひとつが」
男「…もう馬鹿でも察せられる話だな」
女「その後、無数に見つかり始めた蜂の死骸を調べた結果、それらは全て1匹の女王蜂の子孫である事が判りました」
男「その女王蜂が、俺の中に」
女「蜂の中に、貴方の思念の欠片が見つかったのです」
男「…女王はいつ羽化するんだ」
女「未来の記録では突然貴方が亡くなったのは、今年の…9月1日」
男「なるほど、このまま生きてもあと半月の命ってわけか」
女「………」
男「俺が死ななきゃいけない理由は解った。だけど、何故自殺じゃなきゃいけないんだ」
女「…蜂は宿主の思念からその状況を察知し、宿主を殺害した者がいる場合その者に寄生し直すのです」
男「瞬間移動でもするってのかよ」
女「その症例は少なく、メカニズムはよく判りません。ただ宿主を殺害した者を、より強い宿主と認識するのでしょう」
男「それで自殺…か」
女「もし…このまま男さんが自殺を拒み続けた場合は、私が男さんを殺害した後、自殺する事になっています」
男「それはさせたくないな」
女「ごめん…なさい」
男「…この話を今まで内緒にしてたのは、どうしてだったんだ」
女「ひとつは信じて貰えないだろうから、信じて頂けたとしても貴方が逃げ出す可能性が高いと思われたから…」
女「もうひとつは、可能性の話ですが」
女「自らの体内に蜂が居る事を貴方が確信した場合に、蜂がその思念を察して何か行動に出る事を恐れたからです」
男「つまり、違う宿主に移動する…?」
女「いえ、これは恐らく考えすぎです。でもできるだけ伝えずに自殺を決意させる…それに越した事は無いと」
男「…二年毎に10倍になり続けると、2031年の発生は約10億…か」
女「そして私がいた時代の一年後、2033年には…」
男「蜂の発生数は総人口を超える」
女「恐らく」
男「うん…解った」
女「はい…?」
男「解ったよ…、自殺しよう。なに、もともとそれほど捨てるに惜しい人生じゃない」
女「そんな」
男(…むしろ君に会ってからの人生の方が、それまでの全てよりも大切だった)
男「世界を救うためなら自殺するのも、悪くないかも…な」
女「男さん…」
男「ただ、さ。8月末ギリギリまでって言うと少し心配だから…今から一週間でいいからさ」
男「俺の誕生日…22日まで最後の時間、生きてもいいかな」
男「両親が死んでから、誰に祝って貰う事もなくなった誕生日。最後に君が祝ってくれないか」
女「男…さん…」
男「そのくらいの我儘は、きいてくれるよね?」
女「…どうして」
男「何年ぶりかに、ホールのケーキでも買うか…はは」
女「やっと…使命が果たせるのに…」
男「それで…いいんだよな」
女「どうして、こんなに…」
男(それからまた女は泣きはじめ、いつしかそのままソファで眠った)
男(俺は部屋の灯りを落とし、そのソファの脇の床に座って女の寝顔をただ眺めた)
男(強がりはしたものの、一週間後に死ぬ事を思うと恐くもなる)
男(自分の身体に巣食う蜂を何とか追い出せないだろうか、考えはしても良い答えが出るはずも無く)
男(そもそも蜂が俺に入りさえしなければ…そんな今更すぎる思いを馳せては、そうでなければ女に出会う事もなかったのだと自分に言い聞かせた)
男(明日から、今までにないような日を生きよう)
男(一人きりになってから、誰かのためはおろか自分のためにさえ生きてはいなかった)
男(ただ死ぬ気もないから、なんとなく命を繋いでいただけの日々)
男(そこに大きな意味なんて、無かった)
男(明日からは自分に報いるために生きよう。そして)
男(この娘と、未来に報いるために死のう)
男(誕生日、楽しみだな…)
男(できれば来ないで欲しいな)
男(あれ、俺…泣いてんだ)
男(こんなの、女には見せられないな…)
短髪女「ふん、女々しい男だ」
男「え」
短髪女「死ね」
バキッ!!
男「うぉっ!?…ちょっ」
男(なんだこの娘…!?また突然現れて、また裸で…)
短髪女「逃げるなよ!」
女「男…さん…?…えっ!?」
短髪女「ちっ、次は外さない!死ねっ」
女「参号っ!?何故、今…!?」
短髪女「え…!?そこに居るのは、弍号…!」
男「参号?弍号…?」
女「参号、聞いて…!貴女が男さんを…」
短髪女「弍号、話は後だよ!こんな事をしている間に宿主に逃げられては…!」
女「参号っ!やめて…!」
男「うわっ!?」
ベキベキッ!!
男(素手でテーブルが…!?)
短髪女「くそ、どけっ!血迷ったのか、弍号!」
女「だめ!参号、攻撃をやめて!話を聞いてっ!」
短髪女「弍号…キミがここに居るという事は、まさかボクは任務に失敗したの…!?」
女「違う、貴女は確かに男さんの殺害には成功したわ…!」
男(俺を…殺害…)
短髪女「なら何故…キミがボクよりも過去に来てるんだ!?キミはボクが任務に失敗した時の保険だったはず!」
女「貴女が男さんを殺した事で、明らかになった蜂の習性があるの…」
短髪女「………」
女「参号…蜂は宿主を殺されると、その宿主を殺害した者に伝染るわ。だから…」
短髪女「蜂が…ボクに伝染るっていうのか」
女「ええ…貴女が過去へ飛んだ後、すぐに歴史は変わった。蜂から検出された思念の欠片は、参号…貴女の物になったわ」
短髪女「そんな…」
女「そして博士は次の計画として、男さんに自殺をさせるために私を更に過去へ飛ばしたの」
短髪女「…じゃあ」
…ぎりっ
短髪女「じゃあ…!ボクが過去へ飛んだ事は、完全に無駄だって事なの…!?」
女「参号、無駄なんかじゃない。そのおかげで次の計画が定められたの…」
短髪女「…けど、そこのマヌケ面が自殺しなかったら」
男(…俺の事、だよな)
女「…男さんは、あと一週間後の誕生日に自殺するって、約束してくれたわ」
短髪女「…ない」
女「参号…?」
短髪女「そんなの!信じられないよっ!」
男「うわっ 」
短髪女「だったら…!」
バキッ!
短髪女「コイツを殺して、ボクが自殺すればいいんだろっ!」
ミシッ!ガラガラガラ…!
女「待って、参号!」
短髪女「何の恨みもないけど、死ねっ!」
男(くっそ、こうなったら…!)
ガッ!
男(蹴り上げた脚を掴んで…!)
男「うーん、初めてじっくり見た。これが女の子の仕組みかぁ」
短髪女「…なっ!?ななな…!?」
男「ありがたやありがたや、ちょっと触っていい?」
短髪女「だ!め!馬鹿!」
男「だめかぁ、ちぇっ」
ぽいっ
短髪女「う…ううう…」
女「さ、参号…」
短髪女「うわああぁぁぁん!」
…一時間ほど後
女「そうだったの、参号を飛ばした先は8月25日の予定だったけど…」
短髪女「うん、タイムマシンの精度がそこまで高く無かったんだろうね」
女「私は時標が設置された日…タイムワープできる限界まで過去に飛んだから、狂いようがなかったのね」
男「じゃあ、どっちにせよ俺は8月25日に殺される予定だったんだ?」
短髪女「オマエは黙れ!がるるる…」
女「参号!仕方がないじゃない…貴女が止まらなかったんだから。男さんに当たっちゃだめよ」
短髪女「だって…コイツ、ボクの…ボクの…!」
男「いやー、この目に焼きつけさせて貰ったよ」
短髪女「うえぇぇぇん…」
女「男さん!見損ないます!」
男「…スミマセン」
女「参号…、とにかく一週間後。男さんの誕生日まで、彼を信じてあげて」
短髪女「………」
男「うん、約束は守るよ。それに…」
短髪女「…なんだよ」
男「俺が死ななかったら、女か短髪女のどっちかが俺を殺して自殺するんだろ?」
女「その時は私が」
短髪女「だめだよ弐号!最初の計画通りなら、どうせボクは死ぬ運命だったんだ…」
男「どっちもさせたくはないよ。どのみち俺は死ぬんだろ?なら、一人でも少ない方がいい」
短髪女「…ふん。格好いい事言って、その時が来たら逃げ出すんだろ」
男「お、格好よかった?」
短髪女「ばーか」
女「男さん…とにかくごめんなさい」
男「…いいよ。もともと俺を殺す計画だったってのは、ちょっとショックだったけどな」
短髪女「計画が無くなったわけじゃない。死ななかったら殺すからな」
男「すげぇ理不尽な台詞だな」
短髪女「今殺してもいいんだぞ」
男「うるせー。お前もう用ないだろ、未来へ帰れよ」
短髪女「帰れるならそうしてるよ!」
男「え」
女「男さん、タイムマシンは2032年の段階では片道切符…帰れないんです」
男「じゃあ俺が自殺して目的を果たしても、君達は…」
女「…この世界で生きる事になります」
男「そんな、何とかならないのか」
短髪女「そんなやっすい同情いらないよ」
女「男さん、それは気にしないで下さい。ある意味、私達はやっと自由を手に入れる事になるんですから」
男「自由…?じゃあ、今までは」
女「…私達は、未来で造られたクローンなんです」
短髪女「思念のスキャンや同期を繰り返して、それ以外は博士の研究の手伝いばっかり」
男「………」
女「あ、ちゃんとお休みもあったんですよ?勝手に外には出られないから、本や映像で学習してましたけど」
短髪女「ボクはあれ苦痛だったなー。だって見れば見るほど外に出たくなるんだもん」
男「どうして外出は許されなかったんだ」
短髪女「ばっかだなー、ボク達はクローンだって言ったじゃん」
女「そもそも許された研究ではありませんでしたから…外に出ればオリジナルの生活に影響を与えかねません」
短髪女「たぶんそっくりな顔してるからね、大問題になるよ」
女「私のオリジナルは2015年に産まれる予定の、どこの誰かも知らない女の子」
短髪女「博士の学者仲間の子の遺伝子だって聞いたよ?」
女「そうかもしれないわね、その頃は博士にも研究仲間がいたから」
男「2032年では仲間はいないのか」
女「タイムマシンなんて突拍子も無い物を研究していましたから…いつしか離れていったそうです」
短髪女「ボク達は研究所から外の世界へ出られてワクワクしてるんだ、オマエは死ぬけど」
女「参号!言っていい事と…!」
男「そうか…そうなのか」
女「…男さん?」
男「うん…うん、そうだよな」
短髪女「なに一人でブツブツ言ってんだよ」
男「決めた、それがいい」
女「?」
男「これから一週間、俺の誕生日…俺が死ぬ日までの最後の時間の使い方、決めたよ」
女「男さん…申し訳ないですが、何をするにしても私達がついて回る事になりますよ」
男「解ってる。ってか、そうじゃなきゃいけない」
短髪女「面倒な事は手伝わないよ」
男「よし、二人とも明日から時間を有効に使うぞ」
女「は、はい…?」
短髪女「聞いてねーし」
…翌日
女「すごい人です」
男「迷子になるなよー」
短髪女「うわ!あれ、本で見た!えーと、あれだ、ブス!ブス!」
男「バスな。そこにある停留所で待ってりゃ10分おき位に来る」
女「乗れるんですか」
男「誰でも乗れるよ。料金は後払いだ」
短髪女「じゃあ乗ろう!」
男「あとでな。こっちがコンビニ、これは24時間営業してる」
短髪女「え、じゃあ店員は寝ないのか」
男「交代制に決まってんだろ」
女「男さん、あれは」
男「…パチンコ店だな」
女「あれは2032年の資料にはありませんでした」
男「そうか、廃止されてるんだとしたら良い事だ。あれは覚える必要は無い」
短髪女「うわ!でっかい建物…」
男「これが駅だ。女は海に行く時、来たよな」
短髪女「え!、弐号はもう海に連れてって貰ったのか!?…ずるい!」
男「駅から電車に乗るには切符が要る、あそこの券売機で買うんだぞ」
女「はい」
男「ただし路線図とか時刻表の見方はなかなかややこしい。特に路線図は地名を覚えなきゃいけないしな」
短髪女「おい、変態」
男「誰が変態だ」
短髪女「オマエ以外に誰が居るんだよ。…あれ、自転車ってやつか?」
男「ん?…ああ、正解だ。すごいぞ、つるぺたチビ」
短髪女「やっぱテメー、今殺す」
女「自転車は乗るのにお金は要るんですか?」
男「買うにはもちろん要るけど、買ってしまえば後はタダだよ」
女「買うのは高いんですか」
男「まさしくピンキリだね。一万円を切る物から100万円を超える物まで」
女「…気持ち良さそう、ですね」
男「乗ってみたいかい?」
短髪女「乗る!乗る!」
女「でもいくらピンキリのキリでも、そんな衝動買いは」
男「はは、駅前にはね」
ちゃりん、ちゃりん
女「………?」
男「レンタサイクルってのがあるんだよ」
短髪女「うぉ!これ、乗っていいのか!?」
男「待て待て、どーせ初めてだろ?人混みで乗るのはだめだ」
…河川敷
短髪女「いいか!?もう、乗ってもいいか!?」
男「まだだめー」
短髪女「え!?なんでだよ!」
男「嘘だよ。ここなら車も来ないから、好きに走ってこい」
短髪女「やった!いっくぞー!」
女「…参号、本当に楽しそう」
男「おお…やっぱ運動神経はいいんだな、あいつ」
女「…私の分まで、参号に取られてる感じです」
男「そういや泳げなかったっけ」
女「あまり言わないで下さい…」
男「短髪女が帰ってきたら練習しなよ。上手く乗れそうなら一週間の内に、ピンキリのキリの方なら、何とかするから」
女「…男さん」
男「ん?」
女「男さんの最後の一週間にする事って、もしかしなくても…私達がこの世界で生活するための訓練なんでしょう?」
男「訓練とは大げさだけどね」
女「本当に限られた時間ですよ?それを私達の為に使っていいんですか」
男「逆にそれしか思いつかないよ」
女「もっと、男さん自身がしたくて出来なかった事とか」
男「君が最初に言っただろ?俺は自分の意思が希薄だって」
女「どこか旅行に行きたかった場所とか無いんですか?やってみたかったスポーツとか」
男「大きな旅行に行くには元手が不足してるし、スポーツは今からはじめてもね」
女「じゃあ美味しい物を食べるとか、それから…それから…」
男「美味しい物はいいかもしれないね…それから?」
女「それから…恋、とか…」
男「…そんなアテは無いって、それも君が言っただろう?」
女「いますよ!きっと…男さんに似合う女性が…!」
男「それに…もしも俺と付き合ってくれる娘がいても、すぐに俺死ぬし」
女「………」
男「いいんだよ、俺の事は。女と短髪女が俺の事を覚えておいてくれたらさ」
女「…私、なら」
男「ん?」
女「もし、ですよ」
男「うん」
女「もしもの話です」
男「うん」
女「やっぱり何でもないです」
男「…うん」
女「何だそりゃ…って言わないんですか」
男「言わない」
女「ずるいです」
男「ごめんな」
女「じゃあやっぱり何でもあります」
男「何だそりゃ」
女「今度は言うんですか」
男「うん」
女「もし…私が」
短髪女「たっだいまー!弐号、これすっごく気持ちいいよ!」
男「汗びっしょりじゃないか」
短髪女「仕方ないじゃん、暑いもん」
男「着替えは無いぞ」
短髪女「用意悪いなー」
男「それから短髪女」
短髪女「何だよ」
男「ブラ無いから、透っけすけだぞ」
短髪女「………!!!!…死ねっ!」
女「…馬鹿」
短髪女「え!?に…弐号にバカって言われた…」
男「やーい、ばーかばーか」
やべぇかなり面白い
>>78
ありがとう、めっちゃやる気出る
…その夜
男「短髪女、ぐっすりだな」
女「一昨日の私みたいですか」
男「そうだね」
女「コーヒー、淹れます」
男「うん」
女「砂糖は入れるんですか」
男「いや、俺はブラックでいい」
女「苦くないですか」
男「最初はね、苦くてマズくて。ただの格好つけでブラック飲んでたよ」
女「今は?」
男「ブラックか元々好きだったミルクたっぷりのどっちかじゃないと嫌になっちゃったんだ。慣れだね」
女「慣れ…ですか。はい、どうぞ」
男「ありがとう」
女「…慣れない、だろうなぁ」
男「ん?コーヒー苦手かい?」
女「ううん…、男さんが居なくなった後」
男「ああ…そりゃ、いきなり外の世界に放り出されりゃな。でも出来るだけの事は教えとくからね」
女「そうじゃ…なくて」
>>78
同意
>>81も、ありがとう
もう全部書き溜めてるから、あとはどこで区切って投稿するか、悩みながら投稿中
男「大丈夫、なるようになるさ。幸いこの日本は生きるだけなら、生きやすい」
女「…男さん」
男「ん」
女「私、研究所でお休みを頂いた時、たくさん本を読みました」
男「どんな本を?」
女「最初は歴史の本とか辞典なんかを。そうじゃないと文学的な本は解らない事だらけだったから」
男「なるほど」
投稿中だからROMってたけど楽しんでるよー
女「それから小説や伝記、映画の原作小説なんかも」
男「へえ、じゃあ映画の話なんかも知ってるんだ」
女「はい。色んなお話を読んだけど、本当に参号の言う通り…どれも外の世界に興味を惹かれるものばかりで」
男「うん」
女「でもね、多くの物語でいちばん大事なところを占めるように描かれていた、そのテーマが…私、よく解らなかったんです」
男「………」
女「それは、愛…って表現されてました」
>>84
ありがとー
とりあえず集中して投稿するけど、あとで俺もあちこち見るよー
男「愛…か」
女「家族の愛となると…なんとなくだけど解る気がするんです。例え夫婦二人の家族愛でも」
男「それは無償の愛…だね」
女「いちばん解らなかったのは愛という感情の内で、恋と呼ばれるもの」
男「それは俺にも解らないな」
女「男さんが言うように愛は無償の物なのに、恋はそうじゃないように感じられました」
男「………」
女「恋って、愛みたいに綺麗なものばかりじゃない…みたいな」
男「たぶん、間違ってはないと思うよ」
女「男さん」
男「はい」
女「恋、しましょう」
男「昼に話したろ、一週間後…いやもう六日後には死ぬんだから」
女「だからこそ、です」
男「第一、そんな相手がすぐに見つかるわけないじゃないか」
女「…います」
男「いないよ」
女「いるんです」
男「…いない」
女「すぐ…近くに、いるの」
男「女、そんな娘はいないんだ。いちゃ…いけないんだよ」
女「………」
男「いたとしても、見つけちゃいけないんだ」
女「その女性が悲しむ…から?」
男「…そんな格好いいもんじゃないよ」
女「じゃあ、どうして」
男「女、この話は終わりだ。俺はそれよりもやらなきゃいけない、君達に教えなきゃならない事がたくさんある」
女「勝手に終わらせないで」
男「もう俺の時間は限られてるんだよ。だから恋なんて」
女「私の時間だって!…限られてる!」
男「何がだよ、お前らは生き」
女「私と男さんが一緒に過ごせる時間!もう限られてるの!」
女「どうして聞こうとしてくれないの!私が恋を知る時間だって、もうあと六日間しかない…!」
男「女…」
女「解ってるくせに!今日の昼間だって伝えようとしたのに…逃げてばっかり!」
男「それは」
女「六日後には死ぬから!?相手が悲しむから…!?言い訳ばかりじゃない!」
男「声が大きいよ、短髪女が起きる…」
女「私が嫌いなら、そう言って!…最初から貴方にひどい事ばかり言ってきた私と恋なんてできないなら…!」
男「そんな事、言ってない」
女「私は…男さんに、恋を教えて欲しい…です」
男「…女」
女「………」
男「さっきの理由…な」
女「…?」
男「恋をしないのは、俺が死んで悲しませる事になる…そんな格好のいいもんじゃないんだ」
男(…本当に格好悪いけど)
男「君みたいな娘と恋なんてしたら、俺自身が死ぬのが嫌になりそうなんだ」
女「…私だって、死んで欲しくなんか」
男「本当は今だって、喉元まで出かかってる言葉があるんだ。でも言えない…言っちゃいけない」
女「やっぱり…ずるいです」
男「だから女、今の話は無かった事にしてくれないかな」
女「告白も…させてくれないんですか」
男「…ごめん」
ヒュッ!
短髪女「死ね」
男「なんかデジャヴが」
バキィッ!
ドカッ、ガラガラ…
男「ぐっ!」
短髪女「デジャヴじゃねーよ、今度は外してない」
女「参号…!」
短髪女「寝てらんないよ、ギャーギャー痴話ゲンカしてさ」
男「いってて…手荒いな」
短髪女「男!オマエ情けないぞ!それでもキン○マついてんのか!あぁ!?」
男「一応ついてるよ、役立ててないけどな」
短髪女「いーか、オマエは死ぬんだよ!あと六日でな!でもそれは孤独死するんじゃないんだ!」
女「参号、ひどい事言わないで…!」
短髪女「弐号と恋して!普通なら何年もかかるような、グッと濃縮された六日間を過ごして!」
男「………」
短髪女「泣きじゃくる弐号にキスして!抱きしめて!仕方ないんだって慰めて!」
女「参号…」
短髪女「そんで微笑んでサヨナラって言って、弐号の頭を撫でて…!ボクに全財産を遺して死ぬんだよ!」
男「最後は余計だ」
短髪女「全人類を護るために…最愛の女性を残して、英雄的に死ぬ。なんか癪だけど一番格好いいじゃないか!」
男「…まるで映画だな」
短髪女「世界のどこにそんな最高の死に花を咲かせられるヤツがいるってんだ!あぁ!?」
男(くっそこのチビ…)
短髪女「そんな男と限られた時間を愛しあうんだ!弐号はそれで幸せなんだよ!なんでそれが解らないんだ!」
男「解った」
短髪女「解ってない!オマエ、少しは自分の意思と自信を持てよ!」
男「解ったって」
短髪女「ボクには全然理解できないけど、オマエは弐号が惚れた男なんだぞ!オマエだって弐号の事…!」
男「解ったって言ってんだろ!」
短髪女「…!」
男(つい昨日、今までとは違う自分を生きようって決めたのに)
短髪女「な…なんだよ、急にデカイ声出して」
男(…やっぱ俺、情けねーな)
短髪女「なんか…言えよ。言い返してみろよ」
男(ありがとう、短髪女…)
短髪女「弐号があれだけ感情をブチ撒けたんだ、オマエに黙秘権なんて無いんだぞ」
男「うるせー、チビのくせに…つるぺたのくせに、大の男の耳が痛てえ話ぶちまけてくれるじゃねーか」
短髪女「…ちっ、やっと目が覚めたような顔しやがって」
女「男さん…」
男「女…、すまなかった」
女「は、はい」
男「俺は、君に恋を教える事はできない」
女「………」
男「俺も、知らないから。…でも、女」
女「はい」
男「俺は…君が好きだ。一緒に、恋を知ろう」
女「…はいっ」
短髪女「…かっ!一緒に、恋を知ろう…だってさ!うひー!くっさ、死ぬほどくっさ!」
男「本当に…ごめん」
女「いいの、男さん…ありがとう」
短髪女「うっへー!この立役者を無視してもう自分達だけの世界ですか!そうですか!」
男「必ず、六日間…幸せにするから」
女「さっき言いました…恋は無償のものじゃないです。男さん自身が幸せになって下さい」
短髪女「オマエが死んだら弐号はすぐに、もっとイケメンと恋に落ちるけどねー!って、いい加減無視するなよ!」
男「女…」
女「男さん」
短髪女「…うええぇぇぇん。告ったその場で大人のキスするなよー、相手にしてよー」
男「短髪女」
短髪女「おぅよ!?」
男&女「ちょっと台所行ってて」
短髪女「うええぇぇぇん…」
…翌朝
男「…おはよう」
女「おはようございます。もうすぐ朝食できますから、座ってて」
男「…なんか、いいな」
女「はい?」
男「朝起きたら女の子がゴハン作ってくれてる、なんて。憧れてたなー」
女「…照れます。それと」
男「それと?」
女「女の子…じゃないです。彼女?恋人?…でしょ」
男「…お、おぅ」
短髪女「…くっは、こりゃキツイわ」
男「起きてたのか、チビ。いちいち茶化すな」
短髪女「朝からそんなAV導入部みたいな台詞を聞かされるボクの身にもなってよ」
男「なんで世間を知らないくせにAV知ってんだよ」
短髪女「研究所で休みの時は色々と資料を学んでたって言ったろ」
男「…もしかして女も?」
女「そ…そんなの観るわけないじゃないですか!」
短髪女「本当に観てないなら、知ってるのがおかしいよね」
男「そーか…色々と学んでるんだな」
男「ごちそうさま、美味しかったよ」
女「お粗末さまです」
短髪女「んー、よっし…準備するかぁ」
男「あん?…何を?」
短髪女「おい、変態。今着てる服と、あと…これとこれ位もらってもいいか」
男「ああ、まあ…もう数日分のローテーションあればいいしな」
短髪女「それから何でもいいんだけど、使わないバッグ無い?」
男「あるぞ、もう大学に行く事も無いからな」
短髪女「じゃあそれも、くれよ」
女「参号、何をするつもり…」
短髪女「出てく」
男&女「は?」
短髪女「…出ていくって言ったんだよ。いけない?」
男「いや、そりゃ昨夜は除け者にして悪かったよ。でもさ…」
女「さ…参号、ごめんなさい。あんまりノロケた事言わないようにするから」
短髪女「いや、そーじゃなくて。…それもあるけど」
男「だって出て行くってどこへ行く気だよ」
短髪女「どこって、決まってるじゃん。そこしか知らないもの」
女「もしかして…研究所へ?」
短髪女「あったりー、…っていうか弐号も行こうよ。コイツが死んだら、どうせそこへ行く事になるでしょ」
女「でも、この時代の博士は私達の存在も知らないのよ」
短髪女「もう時標は設置して、自分はタイムマシンを作る気マンマンなんだから、話せば解るよ」
男「チビにしちゃ賢明だな。俺が死んだ後でも頼れる人がいるなら、是非あたりをつけておくべきだ」
女「でも…」
男「どうした、悪い話じゃないぞ」
短髪女「もう…解ってるって、弐号は話がついたら帰ればいいじゃん」
男「…?」
短髪女「今日を含めて六日間、二人っきりでいたいんでしょ?」
女「だって…」
短髪女「まったくもう、弐号ってこんなだったかなー」
男「それで、研究所はどこにあるんだ」
短髪女「そうそう、それを弐号に訊こうと思ってたんだよ」
男「知らないのかよ」
女「研究所に届いた郵便物、私が整理する事が多かったですから」
短髪女「ボクは格闘訓練ばっかしてたもんねー」
女「たしか住所は…」
短髪女「…あった、ここだ」
女「間違いない、ですね」
短髪女「2013年ならもっと新しくて綺麗だと思ってたのに、この時からもうボロいって…」
男「すげえな、壁に蔦がびっしりで何の建物か判らない」
短髪女「たしかこのあたりの壁にインターホンが…あった」
ピンポーン…
博士『…はい』
女「あ、博士…女です」
博士『金なら今、ありません。では』
ガチャッ
短髪女「だめだよ参号…この時代の博士はボク達を知らないって、自分が言ってたじゃん」
女「博士の声はほとんど変わってなかったから、つい…」
男「俺が話してみようか」
短髪女「だめだめ、オマエなんか余計に借金取りか怪しいリフォーム業者にしか見えないよ」
男「地味にヘコむな、それ」
短髪女「くっそー、あのヘボ学者…話を聞けってんだ」
ピンポーン…
ピーンポーン…
ピンポンピンポンピンポンピンポン
ピーーーーーーーン………
………ポーーーーーーーン
博士『…しつこいぞ』
短髪女「博士!開けてくれなきゃ、ここで大声で言うよ!?」
博士『この研究所に借金があるのは、もう近所中知っている事だ』
短髪女「…アンタが研究所の地下を勝手に拡張して作った実験室に、8月1日…何を設置したか…!」
博士『…住宅の不法改造でも咎めにきたのか?私は何もしてはいない、帰ってくれ』
短髪女「もおおぉぉ!ちゃんとハナシを…」
女「待って」
博士『待つ義理はないな…それでは』
女「…時計を壁にかけようと貴方はトイレの縁に立っていた」
博士『………?』
女「便器が濡れていて、貴方は滑って洗面台の角で頭を打った。そして意識を取り戻した瞬間、閃いた」
がちゃっ、ぎぃ…
男(ドアが…開いた)
博士「その時…」
女「…ビジョンが」
博士「君達は…まさか」
女「…お久しぶりです、ドク」
博士「驚いたよ、まさか本当にタイムマシンが完成しているとは」
短髪女「できるつもりじゃなかったのかよ」
女「あの、それで」
博士「ああ…もちろん、ここに居てくれて構わない。決して贅沢な暮らしは出来ないがね」
短髪女「よっし、これで変態が死んでも困らないな」
博士「しかし男君、よく決心したね」
男「…他に方法は無いですしね。俺の命ひとつなら、安いもんかなって」
博士「すまない、私は君から蜂を追い出す方法を発見する事はできなかったのだな」
短髪女「…オッサン、今からじゃその方法は見つからないかな」
博士「ええと、被験体参号くん…だったかな?君のいた時代の私にはそのオッサンという呼称が似合うのかもしれないがね」
女「そうよ、参号。この時代ではまだ博士は三十代なんだから」
博士「…ぎりぎり二十代なんだが」
短髪女「若くても喋り方がオッサンだから、オッサンだと思うよ」
男「それにしても珍しいな、短髪女が俺を気遣ってくれるなんて」
短髪女「べっつに、ボクが気遣ったのは弐号の事だから」
男「同じ事だよ、ありがとな」
短髪女「ふん。で…どうなの、オッサン」
博士「2019年に蜂の存在に気付いてから、おそらく多くの学者がそれを研究したのだろう」
男「それで見つからないものは、数日じゃ無理だろ」
短髪女「そうじゃないよ。2019年からじゃなくて、今からそれを研究すれば2032年までには6年も多く稼げるじゃん」
博士「…確かに、しかしそれによってタイムマシンの発明が遅れてしまっては、不測の事態に対応できなくなってしまう」
短髪女「今度はボクと弐号がこの2013年から研究に参加できるんだぞ?遅れるわけないじゃん」
博士「…君達が」
短髪女「むしろ元より早くタイムマシン完成しちゃうよ?」
博士「君は将来私が作るタイムマシンの仕組みを、そんなに深くまで理解しているのかね」
短髪女「いんや、タイムマシン本体についてはさっぱり」
男「なんだそりゃ、じゃあだめじゃねーか」
女「けれど博士が何より研究に時間を要したのは、時標のメモリに書き込むための思念データ解析だったと伺ってます」
博士「そうだろうな…実際に今の装置では人間の思念をスキャンする事はできても、それを解読する目処がついていない」
短髪女「なんと、ボクと弐号が主に研究を手伝ってたのはそこなんだよねー!」
女「思念図…総合的な思念の結びつきは博士にしか組み立てられなかったのですが、断片的な部分なら私達も解読できます」
博士「それはすごい、研究が一気に進むぞ。早速だが誰かの思念をスキャンして、解読してみせてくれないか」
短髪女「…ボクは遠慮しとく」
女「じゃ、じゃあ二人で解読するから男さんの思念をスキャンしましょう」
男「え、俺なの?」
博士「男君…それではスキャンを始めるが、いいかね?」
男「なんか恐いっすね」
短髪女「きししし…」
博士「…スキャナ起動、読出し開始」
男「…いだだだだだ!?」
短髪女「あっはっはっ!…アレ、けっこう痛いんだよねー」
女「思念よりも更に強力な一定の電気信号を送って、相殺される部分の波長を読み取ってるから…」
男「あばばばばば」
女「…ごめんね、男さん」
博士「データが入り始めたな」
女「うん、綺麗に読み取れてますね」
男「あだだだだだだ」
短髪女「うっさいなー、大袈裟過ぎ」
博士「このグラフに時々入る大きな歪は何なんだ?振幅は同じ位なのに、あまりに不定期だ」
女「スキャンし始めに読み取るのは主に記憶の思念です。この歪は言わば記憶のインデックス、栞にあたる物です」
男「うべべべべべべ」
短髪女「なんか震えだした」
女「普通は5分くらいで慣れてくるんだけど…」
博士「弐号くん、この波形は」
女「これは非常に深い階層に埋れた記憶。つまりとても長い間、使われていない記憶です」
博士「圧縮されている…という事か」
女「仰る通りです」
男「…………………」
短髪女「あ、白目剥いてる」
女「うーん、あんまり見たい姿じゃないなぁ…」
短髪女「でも、なんかおかしくない」
女「………うん」
短髪女「なんか、グラフもデータも綺麗過ぎるんだよな」
博士「弐号くん、この空白域は…」
女「あ、あの…博士?スキャナのゲインはいくつに設定されてますか」
博士「うむ?…80位だが」
短髪女「は…80っ!?」
女「博士!強すぎます!12か13位で充分ですから!」
博士「そうなのか?だがこの位の方が波形もデータもよく出るものでな」
短髪女「そりゃ強い程ハッキリは出るけど、80は無茶苦茶だよ!」
女「死んじゃう!男さん死んじゃう!」
短髪女「ゲイン落とすよ!」
男「……………」
女「博士…ご自身でもこんなゲインレベルでスキャンされてたんですか」
博士「いや、私自身はした事がないんだ。いつもはたまに来る学者仲間に被験者となってもらっていたんだが」
短髪女「そりゃ、仲間がいなくなるわけだよ…」
…30分後、スキャン続行中
男「ひでぇ目にあった…」
博士「男君、すまなかった。今はどうだね」
男「最初に比べたらマッサージくらいのもんですよ」
女「………」
短髪女「どうしたの、弐号。黙り込んで…」
女「…波長が」
短髪女「ん?…ああ、そろそろかな」
博士「何の事だね…?」
女「………」
短髪女「あ、出た…かな」
博士「何だ、この無茶苦茶なノイズは」
女「…やっぱり、出ちゃったな」
短髪女「弐号…」
博士「これは、とても同じ思念とは思えん。もしやこれが」
女「お察しの通り、これが蜂のノイズ。おそらく宿主の思念を覗き見るために、思念に寄生しているのだと思われます」
博士「なんと…思念にまで寄生するのか」
女「………」
短髪女「さ…こっからはキリが無いよ。オッサン、止めて」
…1時間後、研究所廊下
女「男さん、お疲れ様でした。はい、ブラックのコーヒー」
男「女、終わったのか。結局三人ともスキャンされちゃったな」
女「もうすぐ参号も終わります。サンプルは多い方が良いですから、仕方がないですよ」
男「そうなんだろうね」
女「ごめんなさい、最初に男さんを受けさせてしまって」
男「いや、最初のあれは君に受けさせたくはないな」
女「…少しね、期待しちゃいました」
男「何を?」
女「もし、男さんの中に蜂がいなかったら…って。そしたら、五日後にさよならしなくていいのになって」
男「それで俺にスキャンを勧めたのか。けど、それじゃ未来の滅亡を防げなくなってしまう」
女「でも10年…長ければ20年、一緒に居られます」
男「ははは…最初の目的、見失ってんじゃん」
女「うん…いけません、ね」
男「…たかだか30分位でも結構大変だった。短髪女がここからはキリが無いって言ってたけど、どの位かかるもんなんだ?」
女「全てを一巡スキャンしてしまうには、だいたい18時間位ですね」
男「長いなー」
女「長いんです」
男「それにしても蜂のノイズの事、知ってるみたいだったけど」
女「本当は研究所にはもう一人、被験体壱号がいました」
男「…もしかして?」
女「2031年、10億の被害者の一人です。…とても頼れるお姉さん的な存在でした」
男「………」
女「2029年、世界中で1億の被害が出たその数日後から、壱号をスキャンすると思考領域に入った途端にノイズが出るように…」
男「…思考領域?」
女「記憶領域の次にある思念の階層、思念の内の大半を占めるデータです」
男「ふーん…記憶ってそんなちょびっとの割合なんだ。18時間中の30分程度だもんな」
女「意外でしょう?…いくら膨大でも、記憶はただの記録データ。思考や感情の方が遥かにややこしいの」
男「思考…感情か、喜び…悲しみ…怒り」
女「それから…愛や恋も。今、私の思念はどんな風に貴方を捉えてるんでしょうね」
男「女…」
女「少なくとも恋を知る前よりも、ずっと複雑なんだろうなぁ。…それとも貴方の事ばかり考えてるから、単純かしら」
男「…俺も、君の事ば」
博士「やあ男君、ご苦労だったね」
男&女「はぅあ」
博士「おや…お邪魔だったかな」
短髪女「ところ構わず発情してんなよなー」
女「参号っ!」
男「それよりあの電流、かんべんして下さいよ…まったく」
博士「面目無い、危うく私が蜂の宿主になってしまうところだった」
男「そこですか、問題なのは」
博士「ははは…冗談だよ。ところで、気分は悪くないかね?」
男「ちょっとフラフラするけど、平気です」
博士「スキャン前に、血液の約6%を信号に感応しやすい人工血液に入れ替えているからね。馴染ませるためにも、丸1日は運動を控えてくれ」
男「はい」
博士「それじゃ、私は今のデータを整理させて貰うよ。疑問が一気に氷解していくようで、興奮がおさまらない」
女「無理をなさいませんよう」
博士「ありがとう。弐号と男君は帰るのだろうが、ゆっくりしていってくれ」
短髪女「今日は運動禁止だって。残念、夜にハッスルできないね!」
男「しねーし。ませた事言ってんなよな、チビ」
短髪女「あれあれー?そういう意味でも気を遣って家を出たつもりだったんだけどなー」
女「もう!」
短髪女「でもあと五日しかないんだから、思い出はカラダに刻みつけておかないと後悔するよー?」
男「ばーか、昨日お互い告ったばかりだぞ」
女「そ、そうだよ。そんなの…すぐにしていい事じゃないよ」
男「俺は、五日間めいっぱいレンアイをしてみたいとは思ってるけど、その間に女を穢すような事はしないつもりなんだ」
短髪女「え?そーなの?」
男「すぐに忘れられるのも嫌だけど、そのうち女には新しい恋もして貰いたいしな」
女「…私は」
短髪女「古っるい考え方。ま、好きにすれば」
…研究所からの帰り道
女「星…綺麗」
男「少し郊外だもんな。どうせなら残り五日間、どっか小旅行でも行くか」
女「いいですねー」
男「北海道…行ってみたいけど、金かかるしな。うーん、京都とか?」
女「どこでもいいです、男さんとなら」
男「グッとくる台詞だね、言われてみたかった」
女「…言ってみたかったんです」
男「じゃあ、行き当たりばったりで。着替えとかだけ用意して、明日は駅へ行こうか」
女「はい」
…翌日、8月18日
男「電車の時間、もうちょいあるな」
女「やっぱり地方行きの電車は少ないんですね」
男「ちょっと買い物しよう。女、せっかくの旅行だから少しいい服買ってやるよ」
女「え、いいんですか」
男「冬ならキツイけど、夏だからね。アウターとか要らないし」
女「じゃあ…お言葉に甘えて」
男「たぶん博士は服とか買ってくれそうにないしなー」
面白い
>>134
ありがと、がんばる
女「どう…でしょうか」
男「すっげーすっげーすっげえ…可愛い」
女「ありがとうございます」
男「それだけですか、そーですか」
女「じゃあ…腕組んでみたりします」
男「…幸せだなぁ」
女「大事にします」
男「うん?」
女「この服、ずっと大事にしますから」
男「うん、時々着てくれよな」
女「はい、…でも」
男「でも」
女「綾も錦も、きみありてこそ…です」
男「…うん」
じゃあ独り言
わかった、これからは基本レスしない
…ガタン、ゴトン
女「あ、富士山です」
男「そういえば富士山の噴火が近いなんて言ってたりするけど、2032年ではどうだった?」
女「相変わらずの、するする詐欺です」
男「そーなんだ」
女「しない方がいいですけどね」
男「そうだね」
ガタン、ゴトン
女「ところで」
男「なに?」
女「そろそろじゃありませんか」
男「何が」
女「こういう事は、あまり女性が催促するものではありません」
ガタン、ゴトン、ぐううぅぅ、ガタン、ゴトン
男「なんだ今の」
女「線路が歪んでたんでしょう」
男「つまりさっき買った駅弁を出せと」
女「そんな事、口では言ってません」
男「口ではね」
ガタン、ゴトン…
女「海の色、違いますね」
男「やっぱり砂が白いとねー」
女「こないだの水着、持って来てますよ」
男「用意いいな。俺、バッグに入れてないや」
女「じゃあ海に入るのはやめときます?」
男「入ってもいいけど、女は泳げないだろ」
女「水遊びくらいいいじゃないですか、この暑さですし」
男「まぁ…男物は買っても安いから、いいけどね。何なら浮輪も要るか?」
女「今度は抱きついておけるでしょう?」
男「君は俺の理性を過信しすぎてる節があるな」
女「(…崩壊しろー)」
…旅館、露天風呂男湯
男(温泉…両親が生きてた時以来かなー)
男(ぬるめだから、ずっと入ってられそうだ)
男(明日からをカウントして、余命4日か)
男(ここ半月ちょい、とんでもなく濃い日々だよな)
男(短髪女は研究所でおとなしくしてるのかな)
男(…してねーか、してねーな)
男(全人類を護るために最愛の女性を残して、英雄的に死ぬ…か)
男(アイツ、変に説得力あんだよな。お土産くらい買ってやるかなー)
男(…やべ、来た晩のチビの裸…思い出しちまった)
男(あれは危うくつるぺた趣味になるとこだったぜ)
男(ぬるめの湯で良かった、これはしばらく出られないぞ)
女「男さん、入ってます…?」
男「うぉ!?…こ、この竹垣の向こう女湯か」
女「気持ちいいですねー、私こんな気持ちいいお風呂はじめて」
男「お、おぅ…」
男(…おかげで今度は君の裸を思い出したよ)
女「今、えっちな事考えたでしょ?…なーんて」
男(くっそ、変にのぼせてきたぜ…)
…旅館の部屋
女「お帰りなさい、随分ゆっくりでしたね?」
男「おかげさまでね」
女「…?」
男「もう御膳、出してくれてるんだな」
女「はい、さっき来て下さいました」
男「ハラ減った、食べよーぜ」
女「お酒、つけてもらいます?」
男「んー、やめとく。いろいろ酔いそう」
女「(…ガード固いな)」
男「美味しかったね」
女「すっごく、懐石料理なんてはじめてでした」
男「それだけいろいろ初めてで喜んでくれたら、連れて来た甲斐があるよ」
女「はー、お腹いっぱい…」
男(…うっ……、旅館の浴衣ってやべぇな。帯細いから色んなとこがはだけかけて…)
女「男さん」
男「はい」
女「なんで『はい』なんですか」
男「いや、なんとなく」
女「…色っぽいです?」
男「女…お前、わざとか」
女「男さん、隣…もう布団あるんですよ」
男「お前、酒でも飲んだんじゃ…」
女「あと四日しかないです。…夜はあと4度しかないんです」
男「お、女…ちょっ…」
女「男さん、私…」
トントン、スーッ
仲居「御膳を下げに参りました」
男&女「はぅあ」
…布団の上
女「こほん…男さん、改めて」
男「女、言ったろ?俺は君を穢すつもりは無いって」
女「往生際が悪いです」
男「…女、真面目に言ってるんだ」
女「そんな真剣な顔をするの、ずるいです」
男「前に言ったよな…君と恋をしたら、死ぬのが嫌になりそうだって」
女「はい」
男「君とこうしている事を、後悔する気は無い。でも、やっぱり恐れていた事は…本当だった」
男「今さら死ぬ日を延ばすつもりは無いし、逃げても喚いても9月1日には死ぬんだろう」
女「…はい」
男「でも、確かに死ぬのが嫌になってる俺がいるんだ。日々、怖くなるんだ」
女「怖くて当たり前です」
男「君を抱いたら、きっと…もっと怖くなる。もっと君に依存してしまう」
女「男さん…」
男「君の全てを俺の物にしたら、俺は君と心中しようとするかもしれない」
女「…いっそ」
男「だめだよ、それじゃ」
女「だめ、ですか」
男「…格好悪いところまでぶっちゃけてしまえば、猿になっちゃいそうなんだよ。一回したら…ね」
女「なってもいいです」
男「俺は嫌なんだ。最後の時間、俺はもっとたくさんの風景を君と一緒に見たい」
女「………」
男「君が俺を思い出す時、できるだけ綺麗な記憶の中にいる二人でありたいんだよ」
女「…わかりました、もう言いません」
男「うん」
女「でもひとつだけ言います」
男「何?」
女「男さんは、女心わかってません」
男「…なかなか、手厳しい」
女「ばーか」
男「ごめんな」
女「はだけた浴衣、色っぽかったでしょ?」
男「うん」
女「無理しちゃって」
男「…うん」
女「変なところ頭が固いんだから」
男「そうだね」
女「でも…もうひとつ、固そうですよ?…言ってる事と矛盾してます」
男「言うなよ、これは仕方ないんだ。AVで学習したんだろ?」
女「本当は、ちょっとだけ勉強しました。…だから」
男「女…おい?」
女「私が男さんを穢すのは、構いませんよね」
男「ちょ…その手つき」
女「すっきり…させてあげる」
…翌朝、8月19日
女「おはよう、男さん」
男「おはよ…」
女「…まだ足りませんでした?」
男「ばっか、その手つきやめれ。朝は仕方ねーんだよ」
女「えへへ、またして欲しくなったらいつでも言って下さいね?」
男「参ったな、一方的なだけにエラい弱みを握られたっぽい…」
女「一方的なのは頑固な男さんが悪いんじゃないですか。さ、朝風呂でも行って」
男「女は?」
女「もう行ってきました」
男「早起きだな」
女「私は体力使ってませんから」
男「うるせ」
女「さて、男さんがお風呂の間に…チェックアウトの準備でも」
女「もう、男さん脱ぎっぱなしじゃない…」
女「…ジーンズは今日も履くよね。シャツは替える…と」
女「夫婦って、こんな感じ?えへへ…」
女「…ずっと、こうならいいのになぁ」
女「22日、来なきゃいいのに…な」
女「ちょっとだけ…男さんが居ない間だけ、泣いちゃおうかな」
女「………幸せ…なのに…なぁ」
…8月21日深夜、帰りの夜行列車
…カタタン …カタタン
男「さて、あと1時間程で21歳の誕生日…か」
女「…です、ね」
男「誕生日くらい短髪女も優しくしてくれるかなー」
女「参号は…本当は優しいんです。素直じゃないけど」
男「うん、なんとなく解るよ」
…カタタン …カタタン
男「自分の誕生日ケーキを自分で買うのもなんだけど、駅前のケーキ屋美味しいんだ。博士は甘い物食べるのか?」
女「ああ見えて、結構甘党なんですよ」
男「そっか。お土産も饅頭だし、ちょうどいいかな」
女「………」
…カタタン …カタタン
男「旅行、楽しかった?」
女「…はい」
男「よかったよ。ほんと…たくさん遊んだね。俺も、楽しかった」
…カタタン …カタタン
女「男さん」
男「ん?」
女「やっぱり…ね?あの…」
男「…うん」
女「あの…えっと…」
…カタタン …カタタン
女「ほんと、この4日間…幸せで」
男「…うん」
女「ずっと、こうしてたくて」
男「そうだな」
女「男さんの心残りになる事…言っちゃいけないって、解ってるんです…けど」
男「………」
女「やっぱり…無理で」
…カタタン …カタタン
女「抑えるの、苦しくって…」
男「…泣くなよ」
女「無理…言わないで」
男「…ごめん」
女「もう…止めらんない…です」
男「女…」
女「やっぱり、死ぬのギリギリまで…延ばしましょうよ」
…カタタン …カタタン
女「ね…、それがいいです。このまま、もう少し旅をしましょう?あと1日だけでも」
男「一度延ばしたら、癖になってしまうよ」
女「大丈夫ですよ、男さんは変なところだけ頑固なんだから」
男「最初、君が言ったよ。俺は周りに流されるタイプだって」
女「だったら今、流されて下さい…」
男「それを踏みとどまろうとしてるんだ」
…カタタン …カタタン
女「…きっと蜂が羽化する前には、何か前触れがありますよ。だからそれまで、延期にしましょう?」
男「未来で、壱号って人が亡くなった時は前触れがあったの?」
女「………」
男「どっちにしても、延ばしちゃだめだ。本当に決心が鈍ってしまう」
女「…やだ」
男「女…」
女「やだよ…死んじゃ、やだ…。ねぇ、やめよう?…やめましょうよ…」
男「それは…できないよ」
女「全部、忘れてた事にしましょうよ…このまま…私…このままが…いいよ…」
男「うん…ありがとう」
女「なんでお礼なんて言うんですか…。解った…って、そうしようって…言ってよう…」
男「…ごめん」
女「謝られたいんじゃ…ないよ…」
…カタタン …カタタン …カタタン …カタタン
男(…それから列車は、あまり灯りも無い田舎の小さな駅で、夜間停車した)
男(いつの間にか日付は変わり、俺の誕生日であり命日となる一日は、ついに訪れた)
男(女はあの後、俺の肩に寄りかかって暫く泣いていたが、いつしか泣き寝入りしてしまったようだった)
男(列車が停まる時の揺れで肩からずれ落ちそうになった女の頭を自分の膝の上に直して、俺はその寝顔を飽く事無く眺めた)
男(もし君を抱いたら、今よりもっときみに依存してしまう…そう俺は言った)
男(けれどそれは自分の感情ばかりで、彼女が俺にどれだけ依存しているかを考えない言葉だった)
男(残される人の悲しみなんて、考えてもいなかったんだ…俺は)
男(…ごめんな、女)
男(やがて明け方、列車はまた走り出した)
男(膝の上で眠る女の頬に落ちたのは、俺の人生最後の涙なんだろう)
…8月22日 夜、研究所
短髪女「誕生日、おめでとー!」
女「おめでとう、男さん」
博士「…私まで参加してしまってよかったのかな?」
男「多い方が嬉しいですよ」
博士「そうか。では、おめでとう男君」
短髪女「ケーキ!ケーキ!」
女「美味しそう、蝋燭たてますね」
短髪女「オッサン、電気消して」
博士「火は着けたかな?…消すぞ」
短髪女「蝋燭の灯り、綺麗…」
男「お、短髪女もやっぱり女の子なんだな?」
短髪女「その言葉、今日くらいは大目にみてやるよ」
女「こんなのはじめてですから、参号も私も」
短髪女「オッサンこんな事してくれなかったもんなー」
博士「まだ身に覚えは無いが、すまないね…」
男「こんな誕生日、本当に久しぶりだよ」
女「…男さん」
男「それでも両親が死んでから、まだ2年…か。まあ高校生になってからは誕生日パーティって程の事はしなかったからな」
短髪女「すればよかったのに、ケーキ食えるんだぞ」
男「そういう時期だったんだよ、たぶん。…でも両親が居なくなるなんて解ってたら、しときゃよかったな」
短髪女「事故…だったんだろ?」
男「本当に突然でさ、あの時は辛くって。葬式が終わってすぐに独りで実家を出て、夜の海へ行ったんだ」
男「砂浜にうずくまって、ずっと泣いてた。そしたら不意に海岸が明るくなったんだよ」
女「………」
男「すごい大きな流れ星だった。しばらく夜空を駆け抜けたあと、光は消えたんだけど…妙に胸騒ぎがして」
博士「おそらく東京湾大火球として記録されているものだろうな」
男「もしかしたらだけど、あの流れ星に蜂の卵がついてたのかな」
博士「昼間に念のため行ったスキャンでも、ノイズは消えていなかった。…残念だ」
短髪女「や、やめようよ!この話、やめよう!」
女「…そうです、せっかくの誕生日パーティなんだから。ごちそうも作ったんですよ」
男「うん、そうだな。ごめん…変な話をした」
女「さ、男さん蝋燭消して」
短髪女「そーだよ、ケーキに蝋が垂れちゃう」
男「じゃ、ひと息で…」
女「おめでとう!男さん」
短髪女「おめでとー!」
博士「じゃあ明かりをつけるぞ」
短髪女「いっただっきまーす!」
男「おいおい、俺が先じゃねーのか」
短髪女「うんまーい!」
男「女、料理がんばったなー。いただきます」
女「うん、がんばりました。博士もどうぞ」
博士「ありがとう、頂こう」
短髪女「あ、そだ!変態…じゃなかった、男!お土産ありがとうな!」
男「ああ、大したもんじゃないけど」
女「そういえば参号には何を買って帰ったんですか?」
男「ご当地ゆるキャラのぬいぐるみリュックだよ」
女「じゃーん!背負ってたりして!」
男「餓鬼っぽくて似合ってるぞ」
短髪女「大目にみてやるの、あと1回な」
博士「すまないね、誕生日なのにプレゼントできる物も無い」
女「私も…何も用意出来ませんでした」
男「女はこの料理で充分だよ。博士は今後この二人を住まわせてやってくれたら、俺の肩の荷も降ります」
短髪女「ボクは…ボクも、何もないから」
男「いーよ、気にすんな」
短髪女「キス…してやるよ。ほら、ほっぺた向けろ」
男「あ?まじか…」
短髪女「…ん」
男「ありがとな、記念になるよ」
短髪女「弐号、妬いた?」
女「そんな事で妬くほど子供じゃありません」
短髪女「ちっとも?」
女「…ちょっとしか、なんてね」
男「ははは。…あー、楽しいなぁ」
女「…はい」
短髪女「楽しい、すごく…楽しい」
男「みんな、ありがとうな。俺…こんなに幸せな夏、はじめてだよ」
女「………」
短髪女「………」
博士「また来年がある…そう言えないのが、辛いな」
短髪女「男…ボク、これ大事にするから」
男「うん」
短髪女「変態とか、オマエとか…生意気な事ばっかり言ってゴメンな」
男「どうした、らしくないな」
短髪女「ボク…最初は男を殺しに来たんだ。だからなんとなくずっと意地張っちゃって…」
男「うん…そうか」
女「私だって、男さんに散々…それはもう二週間もずっと、自殺しろ自殺しろ…って」
男「そうだったな」
短髪女「ゴメン…男、…そういう指令だっただけなんだ。本当は男の事、嫌いじゃない」
男「解ってるよ、ケーキ食べよう」
短髪女「う…うえええぇぇぇん…」
博士「参号くん…泣いてはいかん。男君の心残りになってしまう」
短髪女「うわああぁぁぁん、男ぉ…死んじゃやだぁー」
女「参号…やめてよぅ…私、もう泣かない…つもりだったのに…」
短髪女「うええぇえぇぇん」
女「う…うっ…男さん…」
男「本当、もう…感無量だな。こんなに惜しんで貰えるなら」
博士「憎いな、優男。だが…私も断腸の思いだ」
男「飲みましょう、博士。棚に色々あったじゃないですか、頂けませんか」
博士「ああ、いいとも。とっておきを空けよう…」
男「女…ありがとう。でも泣いてないでさ、お酒ついでくれよ」
女「*…う…はぃ…」
博士「ロックでいけるかね?」
男「なんでもこいです、もう明日に残る事も考えなくていい」
博士「違いない。乾杯だ、男君の誕生日に」
男「…乾杯」
…数時間後
博士「よく…寝ているな」
男「はい」
博士「最後の別れはいいのか、男君」
男「…さよならなんて、言うほど悲しくなるだけです。本当は俺だって…怖い」
博士「当然の事だ。私には二人の事は心配するな…その位の事しか言えないが」
男「充分ですよ。じゃ…行きます」
博士「男君、もし君がどうしても自殺する事が出来なくとも、それは誰にも責められん事だ」
男「よして下さい、それこそ決心が鈍る」
博士「…握手を」
男「はい、博士…お元気で」
博士「君もな…と、そう言いたい所だ」
男「…それじゃ」
キィ…
男「…さよなら、女」
…パタン
博士「…ふぅ」
博士「今は眠る二人に、明日の朝は何と声をかければいいのだろうな…」
博士「情けない事だ…科学者でありながら、彼一人救えんとは」
博士「飲み直す…か。今夜位は自棄酒も赦されるだろう」
キィ…
…バタン
女「…さよなら、男…さん…」
…翌朝
ピーンポーン…
博士「誰だ…こんな朝に、無粋な借金取りめ。う…飲み過ぎたな…」
短髪女「う…ん…オッサン、誰か来たの?」
博士「無視しておこう、今日から研究を急ぐぞ。男君のためにもな…」
ピーン…ポーン…
女「………?」
短髪女「あ、弐号…起きたね。呼び鈴、オッサンが無視しとけって」
ピンポーン…
ピーンポーン…
ピンポンピンポンピンポンピンポン
ピーーーーーーーン………
………ポーーーーーーーン
女「…まさか」
短髪女「あ、弐号…!?」
ガチャッ!
女「あ…」
短髪女「…えっ!?」
男「…おはよう、バツが悪いけど」
短髪女「…なんで…」
女「男さんっ!」
男「わっ…!?ちょ…ちょっと、女…!」
女「うわああぁぁぁん!」
博士「男君…いや、よく帰ってきた。何も言うまい」
男「そ、そうじゃなくて」
短髪女「なんだよオマエ!昨日あれだけ人を泣かせといて…!」
男「いや、ごめん」
短髪女「また…泣かすなよぅ…うわああぁぁぁん!」
博士「まあ入りたまえ。蜂の羽化まで、残る時間は君の自由にすればいい。誰も文句は言わん…」
男「博士、本当に違うんです。事態はもっと深刻なんです」
博士「…深刻?」
男「最初は部屋で首を吊ろうとしました。でもどうしても輪に首を通す事が出来なくて」
博士「………」
男「怖がってるだけだって、そう思ったんですが。じゃあ、練習だって…首を通すだけしてみようとしても、無理だったんです」
博士「…ふむ」
男「その後、近くのマンションの外部階段に上がって飛び降りようとしても、どうしてもあと片足が上がらない」
女「まさか…」
男「風邪薬をひと瓶飲もうとしても、瓶を口に持っていけないんです。ただ怖いと思ってるなら飲んでも吐けばいいだけなのに」
短髪女「蜂に邪魔されてるってのかよ」
博士「…これも思念に寄生する理由なのか」
男「なんか本当に情けないんだけど、自分じゃ死ねないみたいで…」
短髪女「ボクが殺して自殺しようとしても…同じなのかな」
博士「犠牲者を悪戯に増やすばかりだろうね。打つ手無し、か…」
男「…めちゃくちゃ覚悟したんだけどなぁ」
短髪女「蜂め…どれだけ人を弄ぶんだ」
博士「羽化まであと9日しかない。すぐに研究に入ろう、良い手は無いかもしれんが。弐号くん、スキャンの準備を」
短髪女「…あれ?…弐号、どしたの」
女「え?…あ、はい…すぐ準備します」
女「男さん、お疲れ様。…はい、コーヒー」
男「ありがとう、なんか複雑だよ…」
女「私は嬉しいです。もう昨夜、諦めてたから」
男「うん、もう一度こうしてられるのが嬉しく無いんじゃないけど…スッキリしなくて」
女「すっきりさせて欲しいの?」
男「女、こんな時にからかうなよ」
女「あはは、ごめんなさい」
男「なんか妙に明るいな?どしたんだ…女」
女「…あのね、男さん」
男「うん?」
女「さっき男さんがスキャンを受けてる間、ずっと考えてたの」
男「何を」
女「…で、もう決めたの。だから反対はしないで」
男「…?」
女「男さん。これからもう一度、旅に出ましょう」
男「は…?そんな場合じゃないだろ」
女「反対しないでって言ったわ。…何も言わないで、私を信じて」
…翌日、8月23日
女「博士、お世話になりました」
男「元気でな、短髪女」
短髪女「…うん」
博士「二人とも、目一杯楽しむんだ。思い残す事が無いよう」
男&女「はい」
短髪女「男…」
男「どした?」
短髪女「…今度は、弐号を大人の女にしてやるんだぞ?」
女「参号っ!」
男「お、おぅ…任しとけ」
博士「弐号くんの考えを聞いた時は驚いたが…」
女「…すみません、博士」
短髪女「男、弐号…やっぱり行っちゃ、やだ…」
男「しっかりしろよ、短髪女。ほんとにらしくねぇぞ」
女「ごめんね、参号…」
男「よっしキスしてやるよ、ほっぺた向けな。…ん
短髪女「う…うええぇぇん…」
男「それじゃ、行ってきます」
女「さよなら…参号、博士」
…8月31日、研究所
短髪女「オッサン、見た?」
博士「ああ、新聞の地方欄に出ていたな」
短髪女「『アパートの一室で男女の遺体、抱き合ってお互いの背中を刃物で刺す。心中か…』だってさ」
博士「推定日は28日だそうだな、旅の最後は男君の部屋へ帰ったか」
短髪女「ボクもだけど、あの二人が出会った所だからね」
博士「これで蜂が消えていればいいが」
短髪女「消えてるよ。そうじゃなきゃ自殺を邪魔する意味ないもん」
博士「そうだな。誰も知らない英雄が二人…か」
短髪女「いつまでも、泣いてらんないね」
博士「ああ、忙しくなるぞ」
短髪女「…なんだ、オッサンもやっぱりその気なのか」
博士「無論だ」
短髪女「クローン用のサンプルは?」
博士「人工血液と入れ替えに採取した血液が300ml」
短髪女「充分だね、あとは…」
博士「23日時点のものだが、思念のスキャンデータも揃っている」
短髪女「よっし、気合い入れてくかぁ」
…研究所、とある暗い部屋
女「…う…ん……?」
女「…ここは?研究所…?」
???「あ、起きた」
女「え?…さ、参号!?」
???「参号…?ボクは博士娘だよ?待ってて、お母さん呼んでくるね」
女「博士…娘…?」
博士娘「…おかーさーん、弐号さん起きたー!」
???「…おはよう、弐号。気分はどうかしら?」
女「はい…大丈夫です。貴女は…?」
???「私は博士妻。…意識ははっきりしてそうね」
女「博士妻…博士の奥さん?」
博士妻「ふふ…わからない?じゃあ…ボクだよ、弐号!…って言えば解るかしら」
女「…まさか、参号…じゃあ今は」
博士「やあ、久しいな」
女「博士…その姿、じゃあやっぱり」
博士「そう、今は2032年だ」
女「私…どうして」
博士「君が男君と死を共にした、そのすぐ後から、私と参号…妻はクローン技術を完成させる研究に入った」
女「クローン…」
博士「そしてすぐに一体のクローンの培養をスタートし、追って2017年…君の培養を始めたんだ」
女「2017年…元々の私のクローン製作より2年後…」
博士妻「そう…だから貴女は今、前より若い15歳」
博士「それと同時進行で、思念のスキャンデータから記憶領域を抽出し、クローン体に書き込む技術も開発した」
博士妻「タイムマシンも予定通りの時期に完成させるよう目指したから、なかなかハードだったけれどもね」
博士「まあ、私独りでは無かったからね。助け合う内に…その、なんだ」
博士娘「ボクができたんだよね!」
女「まあ、それは素敵です」
博士「ごほん、それで…弐号くん。早速だが君に頼みたい事があるのだ」
女「…何でしょう」
博士「君の隣にある培養ケース、そこで培養されている『彼』は、もう2年ばかり経ってから起こす事になる」
女「はい」
博士妻「2013年から培養を始めているから、2034年まで。予定では8月22日に起こすつもりなの」
女「はい」
博士「そのメンテナンスを、君に頼みたい」
女「…お任せ下さい」
博士「…ずいぶん良い手つきだね?」
女「得意なんです」
…fin
駄文お付き合い頂いた方、ありがとうございました
最後、無理矢理まとめで申し訳ないです。
えっと二人が心中したのは蜂は自殺を許さず、また殺した相手に伝染るからです。互いを殺せば自殺にならない、伝染しても構わないって事で。
それから博士と短髪女は男と女のクローンを作っています。女は最後に目覚めました。男はあと二年で死んだ時と同じ21歳になって目覚めさせられます。女は15歳で目覚めさせられたので、男が目覚める時には前と同じ17歳です。
二人のクローンは2013年において始めてスキャンを受けた時に、人工血液と入れ替えられた血液サンプルから作られています。
また記憶は最後に二人が旅立った日、何らかの理由をつけて博士がそれぞれ30分のスキャンを行ったとお考え下さい。
ほんと、グダグダですが、ありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
やばいめちゃくちゃ良SS
このやろう泣けるじゃねぇか
素晴らしいです。
出来ればこの続編ないし、番外編とか読みたいです。期待してます。
とても良い作品でした!