少女「祭囃子をつかまえて」 (88)

祭囃子が聞こえたら 振り返ってはいけないよ

そんな噂が流れていたのは、私が小学校に通っていた頃の噂だった。

どこの学校にでもあるような七不思議の一つとして、この話は私のクラスでまことしやかに流れていた話のうちの一つだった。

小学校時代の怪談話は思い出に残りやすい……だから、もう十年以上前の事なのに実家に帰省してこの小学校を見た瞬間ふと思い出したのだ。

祭囃子……お祭りの間に流れる、あの音だ。

それは随分楽しげで、はっきりとした記憶はないもののそのイメージと情景が合わさって、お祭りの様子が私の頭に浮かび上がってくる。

女「お祭り……そういえば明日だったっけ」

それと同時に、明日行われるはずであろうお祭りの事を私は思い出す。

山に囲まれたこの小さな町、私が育った町、そして今はこの静かな町を離れて騒音と排気ガスで満たされた街で暮らす私。

そんな私が誰に言うでもなく、独り言のように呟いたお祭りの事。

この夏の時期、神社の横にある小さな広場で毎年行われるお祭りだった。

……といっても、出店があったり人でごった返すような規模のお祭りではない。

町内会で人が集まり、地元の小学生やお年寄りが集まってひっそりと行うような……そんな小さなお祭り。

規模が規模なので、誰もが中学生になった頃からいかなくなってしまう、私もその一人だった。

小学校高学年の頃まではワクワクしながら毎年お祭りに行っていた記憶がある。

けれども学校が変わり新しい友達が出来ると自然とそこを離れてしまっていた。

周りの地元の友人も同じようだった。

田舎の行事とは、そんなものなのだろう。

しかし実家を離れて久しぶりに懐かしい空気に触れると、むしろ今はそういう場所にいきたかった。

実際、その空気を感じるために私は用もなく昔通っていたこの小学校まで来ていたのだ。

……空は高く、雲が大きく大きく青に広がっている。

都会ではビルが遮るその青空も、この場所からならばはっきりと見る事ができる。

透き通った風が私の頬を撫でる……その中にふと緑の匂いを感じた。

それは、私が十八年間吸い続けてきた懐かしい匂いだった。

女「お祭り、どうしようかな。まだやっているのかな」

誰に言うでもなく私はまた呟いた。

しばらくはこの空を見ていたかった。

もう少しだけ、あの頃を思い出すように感傷に浸っていたかった……。

遠くの入道雲を、私はずっと見つめていた……。

しかしそこにあるのは子供心でもなんでもない、ただの乾いた大人の瞳が雲を見つめているだけだった。

夕方、実家で軽く食事を済ますと私は神社に向かった。

女「あのお祭りって、まだやってるの?」

と、帰ってから母に聞いたが、やっているよとの事だった。

廃止が心配だったが、母のその言葉を聞き私はお祭りに出掛ける事にした。

まだ夕焼けの欠片が空の向こうに残っている……お祭りが始まるのは夜になってからだったはずだ。

お祭りの会場である広場には櫓がたっている。

空が暗くなって、それと同時に櫓に繋がった光に灯りがともる……。

そして、それと同時にお祭りの「音」が聞こえ始めて祭りが始まる。

イベントの一環で、盆踊りなどもあったような気もするが……いかんせん昔の事なのであまり記憶にはなかった。

女「この道、懐かしいなぁ……」

神社に向かう途中の道を歩く私の心に、また懐かしさがあふれ出す。

昔は何度も何度も通った道だが、やはり地元を離れるとその記憶は段々脳内の奥へ奥へと追いやられるらしい。

記憶が忘れられ新しい記憶を取り入れ変化していくのと同じように、馴染んだ地元の風景もその姿を変えていた。

以前よりも道が広くなり全体的に舗装されているのに気付く。

ああ、ここはもう昔の道じゃあないんだな……となんだか少し寂しくなったのは夕方が終わりそうだからじゃ、きっとない。

私は新しくなった道を噛み締めるように歩いた。

しばらく歩くと、もう神社が見えてくる。

鳥居の朱はあまり変わっていないように見えた。

そして奥へと伸びる本堂への道も……変わってはいなかった。

なんだが、それだけは少し安心した。

本堂へ向かう途中の横に、会場の広場は広がっている。

辺りはすっかり暗いが、櫓に巻かれた赤と白の布がやや遠くからでも確認できた。

そして私が着いたと同時に、櫓に灯りがともるのが見える。

その瞬間、笛の音、太鼓の音……楽しそうな祭囃子の音が響く。

私にとって数年ぶりのお祭りの日が始まったのだった。


しかし私は、しばらくその場所から動けずにいた。

懐かしいのになぜか「帰ってきたんだ」とは思わなかった。

それは目に見える景色が変わってしまったからなのか、私の気持ちがもう童心を忘れてしまったからなのか。

子供の頃に聞いたのと同じ音のはずなのに、同じ情景を見てきたはずなのに。

私の胸には小さなろうそくのような火だけがともっているような感じだった。

女「……変わったんだなあ。私も」

そう苦笑いしながらも広場に目をやり、まだ灯りに慣れない中、光を見つめる。

櫓の光に照らされて、広場に何人かの影が見えた。

小学生くらいの子供が走り回り、また櫓を囲むお年寄りの姿が見えて……。

あとは何人か実行委員らしい人が簡易テントの前で立って何か話し合いをしているのと、保護者であろうか大人の姿が数人ほど見える。

それだけであった。

その人の少なさがまた私の心を寂しくさせた。

その寂しさを消すように、私は祭りの灯りに近づいて行く。

中央に向かうにつれて、やがて祭りの音は大きくなり胸に響く。

耳がちょっとだけジンとしてきた。

子供たちの賑わいも聞こえる。

そこに少しだけ祭りらしさを感じた。

横を走り去る子供、浴衣を着た小さな女の子たちを見てほんのちょっとだけ昔の事を思い出す。

女「そういえば昔は私も浴衣とか着てたっけ……」

微かな思い出がよみがえる。

まだ小学生の頃、紫色の浴衣に身を包んでこのお祭りに来た事を。

小学生にとって夏のお祭りが一大イベントだったあの頃……。

祭りの中心から少し離れた場所、神社の本堂前……クラスのみんなで集まって何かたわいもない話をしていた気がする。

そして目線の先には……活発に夜の道を走り回る同じクラスの男子がいた。

自分がその目で誰を追っていたのかは、今でも鮮明に思い出せる。

淡い、初恋の思い出だった。

それくらいにお祭りの記憶は今も私の心に残っていて……というか、このような記憶だけがよく残っていた。

櫓の灯りが、その男子達の横顔を照らす。

私はそれを遠くから見つめて、見つめて……。

女「あれ、それからどうしてたんだっけか?」

やはり、思い出は思い出のままらしい。

そこから、どう行動したかはよく覚えていない。

ただその一瞬だけが、まるで線香花火のように私の脳裏によぎって……そこで止まっている。

思い出なんてそんなものか、と苦笑いした後に私は櫓に近づいてみた。

その上では町内会の人が太鼓を叩いて音を奏でている。

私はボーッとそれを見つめて、ただ浸っていただけだった。

今の私には、それ以上に何かをする事がない。

心の中にワクワクとした気持ちが浮かばないのだ。

確かにこの景色は綺麗でそして懐かしい。

でも……何かが違う。

もう私の心の中にこの祭囃子の中で踊れるような心は持っていない。

持っていないのだと……そう感じた。

それは今私が一人でこの場所にいるからだろうか?

隣に誰かいれば懐かしむ事が出来るのだろうか?

……いや、きっともう無理なのだろう。

昔とは違う、思い出はしょせん思い出なのだと。

女「……帰ろう」

ふっと櫓を見上げて、灯りをもう一度だけ見つめて私はその場を後にした。

特にする事もなくこのような場所に来てしまった。

まあ、たまにはこういうリフレッシュもいいだろう、久しぶりに故郷に帰ってこれただけでよかった。

そう思いながら元来た道を歩き出した。

帰る途中、もう一度祭囃子の響く灯りの方を振り向く。

随分音が遠くに聞こえた……そして横目に神社の本堂が奥に見える。

すると……。

その本堂のところに、ぽぅっと、なにか、小さな小さな灯りが見えた。

女「……?」

最初はお堂の横にぶら下がっている、作り物の提灯の光かと思ったけれども……。

その小さな光はゆっくり、ゆっくりと揺れている。

わずかに風は吹いているが、それに合わせての揺れじゃないのを感じた。

なんて言うか……人がその灯りを手に持ちそれに伴って揺れているような、そんな気がする。

女「なんだろう……あの火」

私はそれを直感的に火だと感じた。

ゆらりゆらりと踊る炎に呼ばれるように、まるで誰かが手招きしているように。

私の足は自然と奥の本堂へと向かっていた。

目線の横に、先ほどの広場の光が見える。

歩けば歩くほどに、その光と音は小さくなりそして本堂に着く頃にはやがてそれすらも聞こえないくらいに辺りは暗い。

本堂へのぼる階段の前に、それはあった。

私の目の前にぽつりと小さな火の玉が浮かんでいる。

私がそれを不思議な気持ちで見つめていると……。

「ねえ」

いきなり後ろから声がした。

女「きゃ!」

私は思わず短い叫び声をあげてしまうと同時に後ろを振り返る。

「あ、ご、ごめん。大丈夫、怪しい者じゃないですから」

物腰柔らかそうな声が聞こえた。

暗闇に慣れた目をこらしてみると……そこには男の人が立っていた。

「ごめんなさい、いきなり」

男は申し訳なさそうにまた私に謝った。

女「い、いえこちらこそ……」

まだ心臓がバクバクしている。

しかしそれ以上に驚いたのは……。

女「あ、あれ? もしかして……」

「え? あ」

女「同じクラスだった……僕……ちゃん?」

僕「……もしかして……」

偶然だった。

話を聞いてみると、彼もこの夏実家であるこの町に帰省しお祭りに来ていたのだという。

そんな話をほんの少しだけしか出来なかった理由は……目の前に浮かんでいる火の玉のせいだった。

僕「見えてる? これ」

女「う、うん。なんだろうね、これ」

話はすぐその不思議な光の話題になった。

僕「僕もお祭りに来ていてさ。なんか人と光が見えたからなんとなく来てみたら……」

僕「二人に見えてるって事は夢とかじゃないだろうし……」

女「本物の炎かな? それとも、幽霊……?」

僕「でも、なんだかこの光さ。見てると安心するような気がしない? なんとなくだけど」

確かにその炎からは怖さは感じない。

むしろ独特の橙と赤の混じった炎に安らぎさえも感じるような気さえした。

女「そう……だね」

私は少し困惑しながらも同意した。

僕「……熱いのかな?」

そう言って彼は火の玉に手を伸ばした。

女「え、だ、大丈夫?」

と言い終わる前に彼は火の玉に触れていた。

その時……炎が私達を包み、光の空間を作り出した……ように見えた。

一瞬の閃光が走ったかと思うともうそこは橙色の中に体があった。

私も彼も、不思議そうにその空間を見回した。

まるで閉じ込められたようだった。

言葉が出ない。

なんだかこの中は、とても暖かい……。

ここに来た瞬間から、目の前にの炎はとうに無くなっていた。

代わりに、彼の手には……。

シャン、と一鳴り。

鈴の付いたお守りのような物が握られていた。

僕「なんだよ、これ……それにここは?」

女「神社……なのかな?」

戸惑いながらも私は左右をキョロキョロとしている。

その時もう一度、彼の手の中にある鈴がシャンと鳴った。

すると……。

「いらっしゃい、お二人さま」

背後から声がした。

私達は二人して物凄い勢いで振り向いた。

見るとそこには、身長130センチくらい……だろうか。

小さな女の子が立っていた。

……といっても、顔は見えなかった、少女は真っ白いキツネのお面をしている。

声は明らかに女の子、髪の毛も長い黒髪が垂れているのがお面の向こうに見えた。

顔はキツネのお面に隠れているが、その浴衣姿は可愛らしくその場所にちょこんと立っている。

明るい橙色の浴衣に身を包み、その色に浮かぶようにして巻きつけられた紅い帯がまた印象的だった。

僕「あ、あの。ここはいったい……」

そんな少女を目の前に、先に口を開いたのは彼だった。

少女「?」

少女は首をかしげて私達を見つめなおしてきた。

と言っても相変わらず表情は見えないのだが。

女「ね、ねえ。ここは……神社なの?」

私がもう一度場所を尋ねてみる。

少女「じんじゃ」

少女「おまつり」

そう言うと少女はくすくすと笑ったようだった。

仮面の中で、少女の笑い声が反響している。

その音にのって……遠くから何かが聞こえた。

僕「これは……笛?」

女「お祭りの音?」

耳をすますと、限りなく近い場所からお囃子が聞こえてきた。

それはまるで頭の中で響いているようだった。

女「ねえ、お祭りっていったい……?」

少女「くすくす」

少女は笑い声を残して、走り出してしまった。

僕「あ、ちょ、ちょっとまっ……」

二人して視線を追いかけた先には、櫓があった。

先ほど広場で見たのとあまり変わらないようにも見えたが……なんだか随分とキラキラしているような気がした。

それを見つけた瞬間、櫓を中心としてその両隣に一気に屋台が広がる光景が見えた。

そうするとその光の広場はすぐに活気であふれ出す。

お祭りのお囃子、発電機を動かす機械の音、人の活発な声、そして……なつかしい屋台の食べ物の匂い。

あらゆる感覚がいっぺんに刺激され、私は思わずその光景に魅了されてしまった。

僕「……すごいね」

隣にいた彼もそれは同じようで感嘆の声を漏らしていた。

女「すごい、けど……」

ここが一体どこなのか、それがまだ私には不安だった。

しかし……。

「いらっしゃい、カキ氷食べていかないかい?」

「リンゴ飴いかがかな、リンゴ飴ー」

「美味しい美味しい焼き鳥屋だよ、いらっしゃいいらっしゃい」

この光溢れる空気と屋台を笑顔で営んでいる人々をみているとなんだかその不安は段々と薄らいでいってしまった。

僕「……どうしよっか」

困ったように彼は笑っていた。

その笑顔はまるで子供のように見えた。

女「せっかくだから、少し寄っていこうか?」

自然と、私もフフッと笑ってしまった。

造り笑顔以外で笑ったのは久しぶりなような気がした。

僕「じゃあ……行こうか!」

彼は足も軽く、早速最寄の屋台に向かった。

私もその後をついていく……。

女「カキ氷、メロン味ください」

私は満面の笑みで氷が器に盛られる様子を見つめていた。

こんなにワクワクしたのは……いつぶりだろうか。

「はいよ、おまちどおさん」

女「あ、お金……」

私が支払いを済ませようよした時、屋台の人はいいよいいよと言った感じで手をはらった。

「お代はそれで十分だよ、またどうぞ」

それ、と指差したのは彼がまだ握っていたお守りだった。

また鈴がシャン、と小さくなった。

僕「え、これを渡せばいいんですか?」

「いやいや、それは持ってるだけでいいんだよ。毎度どうもね」

そう言って、私たちは何やら不思議に感じた。

お金がいらない?

このお守りだけで大丈夫?

一体どういう事だろうか。

僕「……どう思う?」

途中見つけたベンチに座りながら、彼は私に話をふってきた。

女「何か変だけど……」

僕「悪い居心地はしない、よね?」

確認するように彼が私に聞いた。

女「……うん」

口の中に広がるメロン味のカキ氷は本物だし、夢を見ている感覚もない。

僕「携帯は?」

言われて私は携帯を見てみる。

女「あ、あれ。おかしいな。電源切れてる……充電してきたのに」

その後携帯は何も反応がないままだった。

それは彼も同じようで、連絡がとれないのは困るという考えになった。

でも……「別に大人なんだから、少しくらい遅れても文句言われないよね」と。

最終的にはそんな判断になってしまった。

これが子供時代だったら、大慌てで家に帰ろうとしていた事だろう。

帰ったらどれだけ叱られるのかと怯えながら、全速力で家へと向かっていただろう。

今はもう、親にどやされる事も夜道に怯える事も無くなっている。

むしろ、この心地いい空間にいられる喜びの方が大きかった。

僕「さ、次は何食べようか」

彼は元気にベンチから立ち上がると、目を輝かせながら他の屋台を食い入るように見ている。

本当に少年のようだった。

その姿に私もつい楽しくなり、元気に走り回ってしまった。

あの頃に、少しだけ戻れたような気がした……。

…………。

僕「……ふう、疲れた。ちょっと休憩しよう」

私たちはなんだかんだで屋台を一通り見て回っては食べ歩きをし、はしゃぎながら辿り着いたのは神社の本堂だった。

本堂といっても、空間はまだ光に包まれたまま、屋台も櫓も人の声も消えてはいない。

ここは、この空間の中の本堂のようで私たちがいた神社の本堂とは少し様子が違っていた。


どれだけ時間が経っただろうか。

時間を忘れるほどに、私は何とも言えない充足感で満ちていた。

女「なんか、すごいね」

僕「ね。なんだろうこの感覚……まるで子供の頃に戻ったみたいでさ」

彼も少し興奮気味に話をしている。

女「……子供の時は、こういうお祭りすごいワクワクしたよね。お小遣い片手に握りしめてさ」

僕「そうそう、少ないお金で何買おうか必死で悩んで……友達と夜の神社を走り回ってたっけな。懐かしい」

女「女子もいたでしょ?」

僕「ああ、浴衣とか着てて、やっぱ特別な日って感じがしたね。昔みたいだよ、ホント……」

そこまで話すと彼は急に顔を落とした。

そしてしんみりと語り出す。

僕「……そういえばさ、久しぶりの帰省って言ってたよね?」

急に、さっきの話題をふってきた。

女「うん。帰ってもお正月に数日とかだったから……今回は少し長くいるの」

女「といっても、明後日くらいにはもう帰っちゃうけどね」

帰っちゃう。

地元はこの場所なのに、そう表現してしまう自分が何だか少し寂しくなった。

僕「……時期的にそうだよね。僕もだよ」

女「でもホント偶然だったね。僕ちゃんもお祭りに来ていて、こんな場所にまで……」

僕「もしかしたら誰か同じように帰省しているかもしれないけれど、もう連絡もとってないから、本当に会えたのが不思議なくらいだよ」

女「……ね」

身の回りの友人と連絡をとらなくなったのは、いつからだろう。

特に理由もなく、お互い離れていってしまった、誰もがみんな同じだろう。

いつの間にか、過去からはどんどんと離れていく。

そして今を生きている私たちは、この空気に慣れ親しんでいる。

話題はいつの間にか、昔話の雑談へと変わっていった。

その中には、例の噂の話も出てきた……。

女「お祭りっていえばさ……あの噂覚えてる? クラスではやった、振り向いちゃいけないやつ」

僕「……そんな話もあったね」

彼はあまり驚かなかった。

むしろ私たちが今経験している事がその噂の内容かもしれない、とひそかに思っていた。

僕「でも、それって具体的にどうなるかって噂も無かったよね。神隠しにあうとか、お化けが出るとかそんなのばかりだったけど」

と、彼は小さく笑いながら話している。

女「まあ、振り返ってはいけないって話自体はよくあるけどさー……」

私は少し頬を膨らましながらむくれてみせた。

あまりにもケタケタと、まるで意地悪男子に戻ったような彼の笑顔がなんだか小憎たらしく、そして幼く見えたのだ。

それは私も同じだったかもしれない。

僕「でもさ、これがその噂の真相だったら大発見じゃないかな?」

相変わらず彼は嬉しそうだ。

女「うーん、でも帰れないのは困るよ」

少女「帰りたいの?」

話の途中、急に背中から少女のくぐもった声がした。

女「わ! お、脅かさないでよ……もうっ」

少女「帰りたいの?」

キツネの目が私を優しく見つめている。

女「そりゃあ……あまり遅くなってもあれだし……」

多少しどろもどろに答えていると。

少女「いいよ」

意外にもあっさりと少女は返事をした。

本当に神隠しにでもあうんじゃないかと心配していたが、そのような気配は今のところ……無い。

僕「えー、もう帰るの? もう少しいいじゃん」

彼が少し駄々っ子のように見えたのは気のせいじゃないはずだ。

明らかに不満の声を漏らしている。

少女「帰りたくないの?」

少女はくすっと笑って彼の方を見た。

僕「まあ、いられるなら……」

と彼は曖昧に返事をした。

少女「……」

少女「まあ、いいや」

少女は急に興味を失ったのか、そっぽを向いてしまった。

その後ろ姿には面を結んである紐と、そこに長く垂れる黒い髪の毛、橙と赤の帯……それだけが見えた。

お面のせいか、雰囲気はいまいち読み取れない。

そんな背中を見つめていると少女を急に。

少女「お祭りは、今日だけじゃないものね」

そう少女が呟いた瞬間、手元の鈴がリンと一度鳴った。

そして一度瞬きを終えると、もうそこにはさっきまでの明るい景色はなかった。

私たちが前にいた、暗い神社の本堂の前だった。

明るい場所から真っ暗ば場所にいきなり来たため、やや目が慣れない……。

私は彼を心配した、もしかしたら帰ってないなんて事が……。

僕「……ん、帰ってきたのか」

しかしその心配は杞憂だったようだ。

彼もちゃんとその場にいた。

そしてその手にはあのお守りが握られていた。

女「……」

僕「……」

帰り道は二人とも静かだった。

広場でのお祭りはまだ続いていた、どうやらあれから時間はほとんどたっていなかったらしい。

今は携帯の電源もちゃんと入るし、時間の確認だって出来る。

ますます、あの出来事が今では夢のように思えてしまう。

しかし、彼の手の中ではまだお守りの鈴が鳴いていた。

そしてあの美味しいかき氷の味も覚えている……それだけは事実だ。

女「結局、なんだったんだろうね」

沈黙と疑問に耐え切れず私は口を開く。

僕「あれが……噂の先に待ってる事だったのかな?」

女「噂……確かにそうかもね。何か関連性があるのかもしれないけど」

けど?

私の胸には疑問に思う事が二つあった。

まず一つは、最後に少女が呟いた言葉だ。


少女「お祭りは今日だけじゃないものね」


女「……あのお祭り、明日もやってるのかな?」

僕「え、どっちの?」

女「どっちのって……あ、そっか」

その質問をした後で私は記憶を思い返した。

あの現実世界で行われる普通のお祭りは二日間開催されるものだ。

彼が言ってきたのは、向こうのお祭りも明日やっているのか、という意味でだろう。

女「どうだろうね、わからないけど。明日も多分行けるんじゃないかな。そのお守り持っていれば」

僕「お守り、ね。でもお祭りって毎日やるものじゃないし……やっぱりあそこもいつか終わるんじゃないかな?」

女「終わる……」

いくら賑やかなお祭りでも、いつかは終わってしまう。

蝉の寿命は短く、ひと夏しかもたない。

花火は数秒しかその命に灯をともさない。

いずれ、終わる。

線香花火の終わりが夏の終わり。

この夏も終わっていく。

夏が終わって紅い落ち葉が舞って、白い雪が降って……紫色の桜が散ればまた夏が来る。

これを何年間も繰り返して私たちは大人になった。

誰でもなってしまうのだ。

終わらないお祭りなんて、あるはずがない。

色褪せない思い出なんて、無い。

全て時間が経てば変わっていく事ばかりだ。

そうして私は生きてきた……。

でも、あの煌びやかなお祭りが終わるのはなんだか格別に寂しいようにも感じた。

実際にはこの感情も、あのお祭りが本当に終わるのかどうかもわからないのだけれども……。

わからないからこそ、私は彼に話をしてもう一度明日同じ神社へ行ってみようと話をした。

彼もそのつもりだったらしく、すぐに返事をしてくれた。

僕「やっぱり行くよね!」

その目はまるで少年のようだった。

それだけは今もはっきりと覚えている。

今日の日はそれでお別れをした。

僕「じゃあ……また明日」

女「ん、また。バイバイ」

こうして挨拶をして帰るのも……いつぶりだろうか。

昔は学校帰りに毎日していた事なのに、最近ではもう、一人で帰るだけの日々だ。

疲れた体を家になんとか運んでも、ご飯を作って待ってくれている家族はいない。

機械的に沸かされたお湯でシャワーを浴びて自分の手で食を得て、そして孤独に眠る。

……久しぶりに帰省したせいだろうか、こんなにも感傷的になるのは。

私は少し小学校の帰り道をなぞるように帰って行った。

あの不思議なお祭りほどの懐かしさは得られなかったけれども、少しだけ懐かしく感じる事ができた。

そして私は家族が待つ家へと無事着いた。

女「ただいま」

母の「おかえり」という声がかえってくるだけでなんだか泣きそうになってしまった。

その夜は母が用意しておいてくれたお風呂にはいり、その後すぐに眠ってしまった。

今日の不思議な体験を胸に……私は寝なれたけれども離れていたベッドの上で、ゆるやかに段々と深い眠りについていった……。

次の日、私は昨日と同じ時間にお祭りが行われている広場にいた。

日はもうすっかりとくれて、櫓に繋がれた提灯の灯り一つ一つがパッとつきだした。

今日もお祭りの始まり……そしてこれがこのお祭りが終わる日だ。

しばらくぼーっと、昨日とあまり変わらない風景を眺めていると後ろから肩をポンと叩かれた。

僕「ごめんね、待った?」

彼だった。

女「ううん、お祭りだから退屈せずに待ってたよ」

僕「そっか……今日も行けるかな、あの場所」

女「……どうだろうね。時間はこれくらいでいいはずだけれども。あ、お守りちゃんと持ってる?」

僕「もちろん。ほら、これ」

シャン、とまた鈴が鳴く。

私たちはお守りを確認するとまだ賑やかな広場を後に本堂の方へと向かった。

道は相変わらず暗い。

本堂に向かう途中の道で私は彼に話をした。

女「そのお守り、あの空間に入ってから手に入れた物だよね?」

僕「まあそうだけど……」

女「それがあの場所に行くための鍵なのかな?」

僕「うーん……あくまでも勘というか、思った事なんだけどさ」

僕「なんだか、最初の火の玉もそうだけど呼ばれたような気がして」

女「……やだ、幽霊の話?」

僕「違う違う、だってあんな居心地のいい空間に幽霊って考えにくいじゃん?」

女「居心地よすぎてかえって気になるよ……それにあの女の子だって」

どこか不思議な雰囲気を持つ、キツネのお面の少女。

とても怪しい存在だが、悪意は感じなかった。

だからこそ余計にひっかかる、あの場所がどこで少女がどういった存在なのかが……。

僕「あの子は不思議だよね。悪いような気はしなかったけど……幽霊なのかな?」

感じる事はやはり一緒らしい。

女「それを確かめるためにも……」

私たちは本堂の前に辿り着いた。

もう、随分前から私たちの目にはあの火の玉が揺られているのが見えている……。

あの、橙の炎が昨日と同じように私たちを呼んでいる。

僕「触れるよ」

彼は迷いなくその炎に触れた。

そうするとまた、昨日と同じようにパアっと空間が広がっていくのが見えた。

今度は最初からはっきりと見える。

光が拡散するのと同時に、櫓と屋台、そして遠くに神社の本堂が形を成していくのがうつった。

そして背後からは……。

少女「いらっしゃい、お二人さま」

昨日と全く同じ声が聞こえた。

姿も、あのキツネのお面も相変わらず顔を覆っているので表情は見えないが。

それでも、少女は笑っているのだと私には感じとれた。

僕「やっぱり、夢じゃなかったんだよね……」

彼の瞳がまたキラッとしたのも私には見えた。

しかし、次は少女がお面の向こうで声を曇らせた。

少女「あのね」

少女「おまつりは、今日で終わりなの」

えっ、と私たちは顔を見合わせた。

女「終わりって……どうして?」

どうして、と聞いた自分が変だった。

祭りは終わるものだと昨日自分で考えておきながら、私はそれを少女に問うた。

少女「……」

少女はなんだか、私の方を見つめているような気がした。

そして、暗い声で一言。

少女「お祭りは、終わるものって思っている人がいるからだよ」

女「え……!」

それだけ言うと、少女は走り去ってしまった。

長い黒髪と可憐な帯が揺れながら、本堂の方へと消えていってしまった。

女「……いまの、どういう事?」

僕「どういうって……」

彼は戸惑った様子で私を見ている。

僕「お祭りの終わりって、気持ち一つで変わるものなのかな」

女「それって私の気持ちって事?」

僕「……あの子の言い方だとそうみたいだけど」

女「……」

なんだか気になる答え方だった。

私は率直な疑問を彼にぶつけた。

女「ねえ、僕ちゃんはどう思っているの?」

女「このまま、ずっとお祭りが続いていけばいいって思ってるの?」

少しの間があった後。

僕「そんなの……現実逃避しているだけの考えだよ」

彼はそう答えた。

僕「だからこそ、今の時間を楽しもうよ。終わるなら、それまで思い切り遊べばいいだけだし……」

どこか歯切れの悪い答えのようにも聞こえた、が。

彼の手から鈴がシャンと鳴り、それに応えるようにまた祭りの「音」が聞こえ始めた。

僕「さ、いこうよ。お祭りを楽しもう」

彼は自然に、屋台の方へ歩みを進めていく。

どうせ終わるなら楽しもう……私の胸にも、そんな気持ちが浮かんできたのはやはりこの楽しげな雰囲気のせいだろうか。

ここにいると子供の心を思い出す。

何をするにも楽しみで仕方がなかった毎日、イベントでいちいち大はしゃぎしていた昔……。

この場所はそれを思い出させてくれる。

私は彼の後に続いて、また屋台を巡る小さな冒険に出たのだった……。

僕「……はあ、疲れたよ」

女「昨日以上に歩き回ったもんね」

屋台を三回りくらいした後、私たちは神社の本堂にある階段に腰掛けて休憩をしていた。

僕「……祭り、終わっちまうのかあ」

彼の気の抜けた声が漏れる。

女「仕方ないよ、そういうものだもの」

それはきっと、この場所も例外ではないのだ。

楽しい時間は永遠ではない。

それが当たり前なんだ。

僕「……だよな。じゃ、そろそろ帰ろうか」

そういう彼の横顔はどこか元気が無いように見えた。

しかしそれでも彼は私たちがこの場所に「入ってきた」であろう場所に向かいだした。

その途中、彼がある屋台の前で足を止めた。

女「どうしたの?」

私は疑問に思って聞いてみた。

僕「ここに、お面屋なんてあったっけ?」

指差す方向を見ると、そこには確かにお面屋があった。

おかしい。

女「え、でも屋台はさっき何度も見て回ったから……」

しかも、このお面屋にあるのは全部……。

僕「これあの女の子のお面と同じ……?」

一面に飾られているのは、あの白いキツネのお面だった。

その全ての瞳が私を見つめているような、ちょっとした寒気を覚えた。

寒気……?

そういえば、この場所に来てから暑さを感じただろうか?

汗を一滴もかいてないことに、いまさらながら気付く。

女「ね……は、早く帰ろうよ」

私は急に怖くなって、彼の腕を引っ張った。

僕「いや、でも……これ何だか気になるんだよな」

彼はお面屋の前で立ち止まったまま進もうとしない。

「いらっしゃい、一つどうだい?」

お面屋の主人が声をかけてくる。

その顔には、あのキツネのお面……しかし、店主はすぐにそのお面を顔からはがしてニコッと笑ってくる。

普通のおじさんの顔が、人懐っこい笑いを見せていた。

僕「あの、これ一つください」

そんなおじさんを横目に、彼は無造作にお面を一つ選び取った。

「まいど、お兄さんこのまま付けてく?」

僕「んー、あ、袋に入れて下さい」

「あいよ」

さすがにちょっと付けるのは恥ずかしくてね、と彼は小声で私に笑いながら言ってきた。

これで、終わる。

お面は紙袋に包まれ、覆おう感じの包装として彼の手に渡された。

私たちはそのまま歩いて入り口の辺りまで戻ってきた。

僕「さて、そろそろお別れかな」

女「……そうだね帰ろうか」

少女「帰りたいの?」

私の声を合図にしたかのように、あの少女がまた私たちの前に現れた。

僕「……残念だけど帰るよ。今日でお祭りは終わりなんでしょ?」

少女「終わらないよ、終わらない。終わらないって思う人がいれば」

少女は、今度は彼の方に向かって話をしていた。

僕「……」

その言葉を受けて、彼は何か考え込んでしまった。

少女「帰りたいの?」

次に少女は私の方に向き直って、疑問を投げかける。

女「……帰るわよ。お祭りは、いつか終わるものだもの」

当たり前の返事を私はした。

少女「そう……」

当たり前のはずなのに、少女はとても悲しそうだった。

その姿はお祭りが終わった後の子供そのものだ。

もう、楽しい時間は終わり。


おうちにかえって、おふろにはいって。

まだのこっているなつやすみのしゅくだいをして……またがっこう。

そうした季節をくりかえしてやがて大人になっていった。

夏の終わりは悲しかった。

でも、時間は進んでいくんだから……。

次の瞬きの時には、もう景色は真っ暗闇の神社に戻っていた。

僕「……」

私たちは帰ってきたのだ。

女「……」

最後に少しだけ恐怖を感じたあの空間も、無くなってしまえばなんだかとても虚しい。

そして。

「ばいばい」

どこからかそんな声が聞こえたような気がした。

私たちは黙ってその場所から逃げるように帰っていった……。

歩いて通りへ出る途中、私はある違和感に気付いた。

視線に入ってくるはずの、広場の灯りが今はもう消えている。

広場は真っ暗で、櫓はあるもののもう祭りはとうに終わったような雰囲気だった。

私は少し慌てて携帯電話を取り出してみる。

電源が入ると、真っ先に画面に現在時刻が表示された。

AM02:04……とそこにはあった。

昨日は時間はほとんど進んでなかったのに……。

少なくとも私たちが広場についてからもう六時間は経っている事になる。

これはどういうことだろう?

疑問に思いながらも、私の足は帰り道に向かっている。

前を歩く彼の足も昨日と同じ方向へ向かう……はずだった。

しかし……。

僕「ねえ」

急に彼は歩みをやめ、その場に立ち尽くした。

こちらを向かず、帰り道の方向を一点に見つめている。

女「……どうしたの?」

私は恐る恐る尋ねてみた。

なんだか彼の次の言葉を聞くのがとてもこわかった。

僕「……あのさ、僕あの場所に戻ろうと思うんだ」

女「戻るって、もうお祭りは終わったんだよ? あの女の子だって私たちを帰した……」

だから、と言葉を続けようとした瞬間。

僕「うん。でもさ、聞こえない? ほら……」

耳をすますと、夜風にのってどこからか……聞こえてくる。

女「笛の……音?」

聞きなれた旋律、それは先ほどまでいた光の広場でずっと鳴り響いていた祭りの「音」だった。

女「……」

私は思わず、かたまってしまった。

僕「昨日話した噂ってさ」

背中から聞こえるお囃子と、彼の手元のお面を包んだ紙がカサカサと音をたてている。

僕「もしかしたら、今この時の事なんじゃないかなって……はっきりと聞こえるあの音が噂の真相なんだって思って」

ああ。

背後からは、とても楽しげな音がずっと聞こえる。

懐かしい。

いつか、子供の頃に聞いた祭囃子だ……。


『祭囃子が聞こえたら、振り返ってはいけないよ』


僕「……僕には、これから起こる事がなんとなくわかるよ」

彼は口調を早めどんどん語り出した。

私は、相変わらず金縛りにあったように身動きが出来ない。

頭でも何も考えられていないでいる。

僕「でもさ、いいんじゃないかな。たまには、そういう夢みたいな事があっても」

だめ、と言いたかったが私の声は声にならない。

僕「……実をいうとさ、あのお面の子。当時僕が好きだった子に似てるんだ」

僕「綺麗に浴衣を着こなして、長い髪の毛が素敵で……なぜか、そういう思い出はよく覚えているんだ」

僕「当たり前だよね、お祭りって言ったらとても大きなイベントだもの」

僕「好きな子の事、夜の闇の中探して……橙色の光に照らされたその子を見つける。それだけで昔は……」

まるで私ではない誰かに話しているようだった。

僕「昔は……すごくドキドキしたよ」

僕「現実逃避な考え、なんて言ったけどさ。一番思い出に甘えたいのは今の僕なのかもしれないね」

その時背後から、少女の透き通った声が聞こえた。


「まつりばやしがきこえたら ふりかえってはいけないよ

僕「……」

そのまま彼は、私の方を振り向いてそして……地面にこぼれ落ちた鈴のお守りが一度だけ、シャンと鳴った……。

もう目の前には誰もいなくなっていた。

持ち主を無くしたお面はその包み紙から半分顔を露出し、キツネの面(おもて)を覗かせていた。

それは私の事をじーっとを見つめているようにも見えた。

私は怖くなり、それからは一目散に家に帰った。


あれからの記憶は、あまり無い。

ただ次の日に神社に行くと広場では祭りの後片付けが始まっていた。

解体される櫓、おろされる灯り……一つの夏が終わったのだ。

そして本堂に向かう道を歩いてみるも、あのお面とお守りがあったはずの場所なのに何もない事に気付く。

確かに地面に落ちていたはずのお守りも、お面もそこには何もかもが彼と一緒に消えてしまった。

……そのひと夏の終わりから、何年の時が過ぎただろう。


あれから数年が経った夏の日、私はまた一人で同じ祭りにやってきていた。

少しだけ見て、帰ろうと思い歩き出した瞬間……本堂にまた火の玉が浮いた。

あれは、また誰かを呼んでいるのだろうか。

そして反射的に、消えてしまった彼の事を思い出す。

彼はあの光の向こうで祭囃子に包まれながら暮らしているのだろうか、それとも……。

広場の灯りと本堂の灯り、二つを背に帰ろうとした瞬間……聞こえた、あの祭囃子が。

そして、祭囃子だけじゃない。

その音にはいやにはっきりと……鈴の音が混じっている事に気づいた。

以前の記憶では無い音だった。

『祭囃子が聞こえたら 振り返ってはいけないよ』

私はスウッと一呼吸すると、楽しげな音が響く神社を後にした。

暗くなった空を見上げると……そこには小さく見えながらも満月が浮かんでいる。

数ある夏の中で、私はその一度だけを生きていく。

私はそう決めたのだ。

振り返ってはいけない。

どんどんお囃子が遠くなる……そして聞こえる、少女の。

「ばいばい」

という声と……。

「あげるね」

という、あのお面のせいでくぐもった声が聞こえた……。


少女は今も、あの神社で思い出のお祭りの中にいるようだった。

もし、現世に疲れたら私もまたあの場所を訪れてみようか……。

そう思ったのは、私の手にいつのまにか握られていた……ううん、少女がくれたというべきか。


手のひらの上で、鈴の付いたお守りがシャン、と一回だけ嬉しそうに鳴いた……。

いつかの夏、私は祭囃子に消えてしまうかもしれない。

また来年も、夏がくる……次も、その次の夏も……私はどこにいるのだろう。


それは、この鈴が飾られたお守りと真っ白いキツネのお面、そしてあの少女だけが知っている……。



終わりです。
本殿の指摘ありがとうござい、以後気をつけます。
読んでくれた方ありがとうございました。

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