上条当麻の再誕 (73)
とある魔術の禁書目録のSSです。
上条さんが一巻の記憶喪失直後に、インデックスへ記憶喪失を正直に話し、また仲良くなっていくお話です。
コメディ、シリアス、バトル有り 上条さん×インデックスな感じで
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雲一つ無い夏の空の下、白い壁紙を基調とした、大学病院の病室に少年と少女がいた。
少年はベッドに上半身だけを起こした体勢で患者衣を着ており、頭には包帯が巻かれている。
少女は少年の傍らに立っており、白い修道服に金色の刺繍が織り込まれた
どこか豪華なティーカップを連想させる、シスターの格好をしていた。
少年は、医者から記憶を失った理由を聞いている。
でもそれは、少年を病院に運んだ魔術師と名乗る二人組みが医者に話したもので、又聞きにしか過ぎない。
失った記憶は欠片も残っておらず、喪失した自覚すら少年には許されていない。
「でもさ、俺は君を助けれたんだろ? だったら、それでいいじゃないか。
きっと、そうしたかったから。そうしないといけない訳があったんだ」
「……駄目なんだよ……すんっ、とうまが犠牲に、なる理由なんて……ないんだよ」
少年は困ってしまう。
少女の言うとおりなのかもしれないが、失った意味そのものを無くした少年には、それがわからない。
どちらかと言えば自分の記憶よりも、少女が悲しんでる事のほうが、辛く思えるぐらいだ。
けれど少年が気にするなと幾ら言っても、少女の罪悪感は消えず、忘れられた悲しみは癒えやしないのだろう。
(……そんなんじゃ駄目だ)
以前の自分が何を考えていたかなんてわかる訳がない。
けれども、想像する事ぐらいはできる。
きっと上条当麻という少年はインデックスという名の少女に、泣いてほしくないと思ったはずだ。
ましてや、記憶喪失の責任を少女に背負わせたいなどと考えるわけもない。
「じゃあさ、俺達が初めて出会った時からの話をしてくれよ」
「ん、ぐすっ……話?」
「ああ。なんでもいいんだ。いい思い出でも悪い思い出でも
インデックスと俺が知り合ってからの話を聞きたい。
忘れてしまったのは悲しいけど、それで俺達の関係全部が駄目になるわけじゃないんだろ?」
「そ、そんなの当たり前なんだよ!」
まだ涙を流していて、頬は真っ赤になっているが、少女は意気込んで答える。
「安心した。これではいサヨナラですよーって言われたら、人間不信になっちまう」
「とうまにそんなこと言う訳ないんだから!」
怒っているような返事は、少し元気があって少年も安心する。
無理はしないで欲しい。でも泣いてばかりなのも見たくない。できれば笑っていてほしい。
混ぜこぜになった感情は今の少年自身のものか、以前の上条当麻が持っていたものかはわからない。
ただ少女を見ていると、そんな想いが沸いてくるのだ。
「だから思い出を話すだけじゃなくて、これから先の思い出も作ろう。
覚えてないからこそ、俺もインデックスを知りたいし、仲良くしたい」
少年は気づいていない。
記憶喪失になる前、少年と少女が最後に語ったものはそういう夢だった。
上条当麻がついた優しい嘘は、少年から真実の言葉となって放たれている。
「とうま……うん、うん……そうだね……私も思い出作りたい……」
ごしごしと少女は目元を袖で擦って顔を上げると、まだまだ瞳は赤く
涙の残滓が残っているが、顔には笑顔が浮かんでいる。
割り切れるものではないが、少年の言葉は確かに少女へと届いている。
「とうまと初めて会ったのは、とうまのお家のベランダなんだよ」
泣き笑いの笑顔のまま、語り出した声色は見違えるように明るくて、少年はそれが嬉しいと思った。
「……それで俺が先生から聞いた話に繋がるわけか」
「途中からはよくわからないんだけどね」
出会ってから、上条が記憶を失うまでの、短いようで長い話を語り終えたインデックスはそう締めくくった。
インデックスが怪我をしたり、魔術に蝕まれて気を失っていた時の記憶はないのだが
魔術師が残した言葉である程度の補完はできていた。
「でも実感が沸かないな。魔術なんてものがあって、インデックスが凄い力を出せて、それを俺の右手が消せるだなんて」
「私の力というのはわかんないけど、魔術は確かに存在するんだよ。
とうまも、その……魔術のせいで記憶喪失になっちゃったんだから……」
また振り返ってしまって、インデックスの瞳が潤んだ。
「あーいやいやいや、疑ってるわけでもインデックスを責めてるわけでもない。
なんでこんな力を俺が持ってるんだろうなーって。
えっとなんだっけ、歩く教会ってその魔術絡みの修道服壊しちゃったんだよな」
「…………」
適当に誤魔化そうとする上条と、何故か俯き無言になるインデックス。
「あれ? 服が壊れて……それをいっぱいの安全ピンで繋げてるから……」
慌てながらも上条は余計な事に気付いてしまった。
目の前の少女の格好は、服というよりはシーツっぽい布を巻きつけ止めているようにしか見えない。
右手で触った結果、安全ピンで縫いとめないといけない事態がインデックスに起きたという事は。
「……とうま」
「はいぃ!?」
悲しんでいると思っていたインデックスから、やたらと低くて、重々しい呼びかけ。
「とうまはやっぱりとうまなんだね。変わってないかも」
「あ、ああ……」
顔をあげたインデックスは微笑んでいるのに、強烈なプレッシャーを感じる。
さっきまではとても笑顔が見たくて、見れたら嬉しいはずなのに、今は酷く怖かった。
それは今とか前とかの自分とは関係ない、根源的な恐怖なのか。
「あえて軽く流した恥ずかしい部分に触れちゃうデリカシーのない所……」
笑顔の隙間からギラリと歯が輝いた瞬間
「変わってなさすぎるんだよ! がぶっ、がぶっ、がぶぅ!」
「ぎゃあぁぁ……! 何も覚えてないのに理不尽だあぁぁぁ……!」
生々しい咀嚼音が白い病室に響いたりしていた。
わりと洒落にならないぐらい痛いのだが、インデックスが元気なのが嬉しかったり。
「って無理! 嬉しくない! 不幸だー!」
「がうぅぅぅっ……!」
「上条ちゃん! ってあれーですー?」
そこへ医者から入院の連絡を受けたのだろう。
騒がしくしている所に、慌てて駆け込んできた月詠小萌が見た光景は、以前と変わらなく見える上条の姿だった。
「……先生を忘れちゃったのは、ぅぅ、すん……本当なんですねー」
「はい、すみません……」
「ぐすっ……上条ちゃん、色々出歩いて慌ててましたし、先生もついてあげるべきでした……」
「先生のせいじゃないですって。むしろ助けてくれたとインデックスに聞きましたよ」
「でもでもですねー……」
どう見ても小学生ぐらいにしか見えない、担任の先生である小萌は瞳を潤ませている。
先日、上条から脳と完全記憶についての電話を受けた後の事は何も知らず、アパートに
大穴が空いたのをどうしようかと考えていたら、生徒が事故で記憶喪失になったと連絡を受けたのだ。
負うべき負債などはないのだが、身近にいただけに責任を感じてしまっている。
なんと言えばいいか上条が悩んでいると
「こもえ。きっと大丈夫なんだよ。とうまはとうまなんだから」
インデックスが先に声をかけた。
「シスターちゃんは強いですねー」
「さっきは泣いてましたけど」
「とうまっ!」
「自分の記憶喪失をネタにしてからかうのは、流石に悪趣味だと先生は思いますー……」
どうもこんなキャラのほうが、いいのではないかと上条は考えているのだが、小萌は複雑な顔を見せている。
「それは置いといてですね、確かに上条ちゃん、入学式で初めて会った時と同じ事言ってました。
なんで高校に小学生がいるんだ、迷子にでもなったのかって」
「以前も勘違いしてたんですね俺」
小萌の容姿を見ればしょうがないものがあるだろう。
記憶喪失じゃなくとも、初対面で先生とわかるほうがおかしい。
「本質的な意味で、上条ちゃんは上条ちゃんのままということでしょう。先生もそう信じたいですー」
「そうだったらいいんですが」
「はい。それでは改めて自己紹介しますね。先生の名前は月詠小萌といって
上条ちゃんのクラス担任です。よろしくお願いしますねー」
「えーっと上条……当麻です。よろしくお願いします」
「インデックスなんだよ。……自己紹介ってなんか面白いかも」
インデックスにつられるように二人も笑う。
小萌はまだ、瞳を濡らしている泣き笑いで。
インデックスは希望に満ちた笑顔で。
上条は二人が笑ってくれているのが嬉しくて。
インデックスの言うとおり、きっと大丈夫だと、上条は自然にそう思えた。
「こっちなんだよ」
「わかった」
数日経ち、上条とインデックスは第七学区にある寮への道のりを歩いていた。
少し曇り気味だが、強い夏の日差しが遮られている、散歩にはよい日で
インデックスが先導し、上条が後からついていくような形だった。
まだ通院する必要はあるのだが、一刻も早く日常生活に復帰するため、早い帰宅を上条は望んだのだった。
インデックスはインデックスで上条が記憶喪失なため、リハビリに協力する気満々で意気込んでいる。
「とうま。この扉開かないんだよ?」
「スイッチ式だって。ほれ」
とは言っても記憶喪失の上条以下の常識だったりするのだが。
二人は帰る途中、インデックスの退院ぱーてぃなんだよっという主張に引っ張られて手近なスーパーへ寄っていたのだった。
「インデックスは料理作れるのか?」
「ちっとも」
なんでこの子、外国人なのにカタカナがひらがなっぽいんだろうと思いつつも聞くと、力強いご返事。
「俺は作れそうだけど、自信ないな」
「料理の作り方は覚えてるの?」
「ああ、俺も医者から聞いただけなんだけど、エピソード記憶って言って脳の中の思い出を司る部分だけが壊れたらしい。
料理みたいに、手順が決まってる奴は思い出じゃなくて意味記憶か知識として覚えてるんだ。
でもそれがどんな味かは覚えてない」
「そうなんだ……しょうがないね」
「だから、色々食べて覚えてから今度インデックスに作ってやるから」
「うん! 少ししか食べさせてもらえなかったけど、とうまに作ってもらった野菜炒め美味しかったんだよ」
「お、おう……」
出会った直後、お腹を空かせたインデックスへ自分が作ってあげたと聞いている。
ただ酸っぱい味で、食べてる最中に上条が奪い取って全部食べたとの事だ。
味は覚えてなくても、知識として、野菜の状態が悪かったというのは想像がつく。
色々と自分にも葛藤があったのだろう。
深く問い詰めるのもなんなので、そこは流してみた。
上条にだって、敢えて触れない部分はあるのだ。
しかし、そんな事より上条にはもっと知っておくべきものがある。
「あの、インデックスさん? 惣菜を買うのはよろしいんですが、その量は一体?」
「主は仰っています。人はパンのみに生きるにあらずと……ぱーてぃだから、いっぱい食べないと!」
惣菜コーナーのワゴン棚から取り出された、骨付きチキン、唐翌揚げ、トンカツ、チキン南蛮
などなどの高カロリーな肉類が買い物カゴへと積み重ねられていく。
「待て待て待て。記憶喪失だからって適当言ってんじゃねえ。
知らないけど絶対違う意味だろそれ。大体こんなに幾つも食えるかよ」
「食べれるよ。うーんとね……」
インデックスがワゴンに並べられた惣菜らを指差してぐるぐると一回り二回り。
「二周分ぐらいなら」
「単位が違う!?」
財布を鑑みた上条は、すぐにも料理を作れるようになろうと、堅く誓ったのだった。
「……ホントに食べきりやがった」
「美味しかったねとうま!」
帰宅して夕食パーティを始めると、あれよあれよと言う間にインデックスは平らげてしまい
若干引き気味の上条を尻目に、食後のお祈りをしていた。
(俺んちなんだよな)
上条は、適当に食事の後片付けをしながら室内を見渡すが、これといった実感が持てなかった。
もちろん自分が住んでいた部屋だという証拠はある。
学生寮には上条と表札があるし、学生手帳には自分の写真も載っている。
けれども、他人の家にいるような居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「……気にしてもしょうがないか」
誰からも文句がくる訳でもなし、すぐに慣れるものなのだろうと上条は結論づける。
「どうしたの、とうま?」
「なんでもねえよ」
返事をしながら上条は浴室に向かい、湯を張り始めるとインデックスもついてきて目を輝かせた。
「私もお風呂入るかも!」
「ああ、わかってる。先に入っていいから」
「うん! ありがと!」
湯が溜まる間、ずっとウキウキとしてるインデックスが微笑ましくて、上条もなんだか気分がよい。
「もう入れるぞ」
「わかったんだよ」
そう言いながらも座ったままインデックスは動かない。
「…………とうま」
上条が疑問を感じるほどの間があって、先ほどのテンションとはまるで違う、思いつめたような硬い声で、呼びかけられた。
「な、なんだよ」
「私ずるいのかも」
「へっ?」
突然の言葉に上条は疑問符を浮かべる。
「病室で、私の事は話したよね。一年前に気づいたら日本の路地裏にいて、魔術師から逃げまわってたって」
「……ああ。俺なんかよりずっと辛いんじゃないか」
とても苦しく、辛かっただろうという想像しかできない。
ゴールすら定まらず、ただ頭のなかの禁書目録を守れという、強迫観念にも似た動機で逃げるだけなのだから。
上条は病院で目覚め、インデックスと小萌と医者がついてくれたというのに、彼女には助力など一切なかった。
「比べるものじゃないかも。それでね、とうまと出会って初めて人に助けてもらって
すっごく嬉しくて。でもとうまは私のせいで記憶を失っちゃって……
魔術師が襲ってきたら、また巻き込んじゃうかもしれない。私はそれをわかってるけど、とうまと一緒にいたいんだよ」
「いいじゃん。巻き込んじまえよ」
「え……?」
即答すると、緊張と自省を含んだ表情が、きょとんとした顔へと変わるのが若干面白い。
「気にしすぎなんだって。忘れた俺が言うのも変だけどさ、やりたいからやった事まで
お前の責任になったら、前の俺が救われない。今、こうしてるのだって、俺とお前が望んだからだろ。
どんなに危なくても、魔術師と戦う事になっても、簡単には捨てれない。
もしお前が、私のせいで俺が危ないから、やっぱサヨナラつったら、それこそ責任逃れじゃねえか。約束破る気かよ」
「約束を破るのはよくないね……でも、とうまは怖くないの? もっともっと酷い事があるかもしれないんだよ」
「正直実感が沸かない。魔術師が怖いってのがよくわからねぇ。強いて言えば
インデックスが噛み付いてきたり、食い過ぎなのが、色々な意味で怖かった」
「もう! 真面目な話してるんだよ」
「一応真面目なんだって」
上条は嘆息して怖さというものを想像すると、たいした時間をかけることもなく、結論に達した。
「今はお前がいなくなるのが一番怖い。多分インデックスならわかるだろ。
お前と出会ったのが前の俺だったとしたら、今の俺が出会ったのもお前なんだぞ」
「あ……」
上条が自分をどう思っているか、インデックスには想像ができてなかったのだろう。
自分の中の感情と理屈を制御するのに精一杯で、そこまで気が回らなかったのだ。
一年前の自分と同じ不安と恐怖を、上条が感じているというのが、わかっているようで全然わかっていなかった。
目の前の少年が自分だと言う事に、インデックスは気づいていなかったのだ。
もしもインデックスが一年前に上条と出会ったとすれば、独りでまた逃げるだけの毎日にきっと耐えられないだろう。
だって、こんなにも離れ難く想っているのだから。
「いなくなったりなんかしない。ぜったい、ぜったいに、とうまと離れたくなんかないんだよ」
「……ありがとな」
自然に口から言葉が紡がれて、少しだけ弱気になっていた上条の顔が明るくなったように見える。
「ううん。私こそありがとう。辛いのはとうまなのに、私の事情ばかり考えてたんだよ」
「気にすんな。お互い様だ」
「……あのね。とうまは、もっと自分の事を考えたほうがいいんだよ。
記憶喪失になったばかりなのに、優しすぎるかも」
「何言ってんだ。目茶苦茶テメエの事しか考えてねえよ。たった今、ガキ染みた事言っちゃったし。
ボクを離さないでーってか。……うわ、思い返すとホント恥ずかしいな。忘れよう」
「ふふーん。完全記憶能力があるから、絶対忘れないんだよ。甘えんぼなとうま可愛いかも」
「ぎゃぁぁっ! これから先ずっとからかわれるぅぅぅー!」
上条が頭を抱えてしゃがみこむと、インデックスは微笑みながら背と頭を抱きしめ囁く。
「よしよし、とうま。いっぱい、いっぱい考えてね」
「あっ……あ、ああ」
「お風呂入ってくるんだよ」
不意の抱擁と、思いのほか真剣な声音に戸惑いながらも上条は頷きを返した。
インデックスが浴室に向うのを見送って、座ったまま上条は唸る。
「自分の事つってもなー、なにがある…………っていうか、こんなんで考えられるかよ……」
背中に感じるインデックスの残滓で、思考そのものがまとまらない。
胸の内に芽生えた感情は、忘れたくても忘れられない。
心を象ったパズルのピースは、自分ではない誰かで敷き詰められているようだった。
明朝のそろそろ昼間にさしかかろうとする頃、上条は自分が通っていた学校の教室にて、小萌とこれからについて話していた。
設備の確認や、同級生へ記憶喪失をどう伝えるか、授業勉強はどの程度覚えているのか。
当然ながら記憶喪失になった人間が、蓄えないといけない情報は沢山にあった。
「ひとまずこんな所でしょうかー」
「すみません。色々とありがとうございます」
「何を言っているんですか、私は先生なんですよー。当然の事です。
それよりもですね、上条ちゃん、なんだか顔色が悪いです。まだ退院は早かったのではー」
「いえ、体調が悪いとかじゃありません。ちょっと睡眠不足気味で」
それを聞いて小萌の表情が翳った。
「そうですか……記憶を失ったばかりなので不安なのも当然です。なんでも先生に相談してくださいね」
「……大丈夫ですよ。多分」
実際のところ寝不足と記憶喪失は、なんの関係もなかったりする。
昨夜、上条はインデックスにベッドを譲り、自分は床に布団を敷いて寝ていた。
そこで寝ぼけているインデックスが、寝床へ入り込んできてしまう事態が発生してしまったのだ。
しかも上条に真正面から抱きつくような形で。
暗闇に慣れた目は、長い睫毛や整った顔がはっきりと映った。
鼻や頬が触れ合うくらいに密着してる身体は、細くて軽いくせにやたらと柔らかい。
薄手のパジャマの隙間から触れた肌は、すべすべとしていて、指に絡む髪は絹のようにしなやか。
呼吸すれば、同じシャンプーとソープを使ってるとは思えないくらい、甘くていい匂いがする。
年下の少女と言えども、女の子という存在を如実に感じさせられた。
これは誘われてる!? みたいな妄想をしつつも、そんな訳がないと否定する。
いや大好きって言ってくれたから問題はないはずだ。
違う。それは前の俺だろうが、っていうか問題ってなんだよ。何するつもりだ。そんな事考えるわけないだろ。
自己問答をしつつも、このままぎゅっと抱きしめたいなとか思ったりもして。
ぐちゃぐちゃとした思考に襲われながらも、空が白むまで待って
起きそうなインデックスに合わせ、寝たふりしたのはきっと褒めるべきなのだろう。
驚きの悲鳴を上げインデックスが離れた後、たった今起きたかのようにおはようと告げた。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらも、はにかんでおはようと返すインデックスに、自分は正しかったと確信していたものである。
「上条ちゃん、本当に大丈夫ですー?」
「ぜ、全然平気ですことよ!」
「だったらいいんですがー」
少しばかり思考がどこかに、飛んでいってしまっていたらしい。
寝不足も相まって、目を瞑れば今にも感覚や匂いが蘇って来て……
「寝ちゃ駄目ですっ」
「うぉっ」
幼いながらも、ピシャリとした声で呼びかけられ、今度こそ上条は我に返る。
「大事な話がまだあるんです。上条ちゃんのご両親と連絡がつきました。
先生の勝手な判断かもしれませんが、記憶喪失になったというのも伝えてあります。
明日学園都市に着くそうです」
「あ……」
想像もしていなかったのだろう。上条はぽかんと口を開き戸惑いの色を見せる。
生徒が事故によって入院して、記憶喪失にまでなれば伝える義務が学校にはある。
だが上条本人は、両親に伝えるどころか、自分に家族がいるということすら思い浮かばなかったのだ。
「忘れてしまっているので、会いにくいかもしれませんが……」
「……もちろん会いますよ。覚えてなくても俺は俺なんでしょう?」
「そうです。と簡単には言えません。けれど上条ちゃんなら大丈夫と先生も信じたいです」
二人の声には少しばかり力が足りていない。
上条は両親という大事な存在を、忘れてしまっているのを自覚して。
小萌は親子に起きてしまった不幸を想像して。
思い出の重みを感じながらも、小萌は話の続きを始めた。
上条は学校からの帰路を歩きつつ、悩んでいた。
両親に、なんと言って会えばいいのか、どのような対応をしていたかがわからない。
両親が子から忘れられているという心情も、想像できない。
もし記憶喪失でなければ、会うのに気負いも何もなかったに違いないのに。
そこまで考えた所で上条は顔をしかめた。
たかが会うだけで、対応だとか気負いだとか、身構えて親を迎えるのが申し訳ないと思えたのだ。
「どうっすかなー。まあ、いつも通りでいれば……ん、雨が降らなきゃいいけど」
なんとはなしに上を向けば、厚い雲が空を覆っていて、昼なのに薄暗くて夕方のよう。
「ちょっと待ちなさい! 無視すんじゃないわよ!」
唐突に後ろから呼びかけられて上条は後ろを向いた。
茶がかかった髪の女子中学生と思われる少女が、眼光鋭くこちらを睨みつけている。
わりと可愛いのだが、目つきが妙に怖い。
「あー……」
「あーじゃないわよ! 真正面の相手が見えないなら視力矯正しろやゴラァ!」
やたらとドスの効いた恫喝。
どうやら正面にいた少女の横を、知らずに通り過ぎてしまったらしい。
言われてみれば、視界の端で手か何かが動いていた気がするが、思考の範囲外にあった。
以前からの知り合いなんだろうけれども、このケンカ腰はよほど仲が悪かったのだろう。
全然覚えていないので、上条は説明のために口を開いた。
「えーとだな……最近事故にあって記憶喪失になったから、悪いけどお前が誰か覚えてないんだ」
告げ終わった後沈黙が続き、真面目な顔の上条を少女がじっと睨みつけて
「そう……そんな嘘をつくくらい、私が疎ましいってわけね……」
「あ、いや違う、ちょっと待て」
双眸が稲妻のごとき、蒼い輝きを宿す。
「上っ等じゃない! アンタの脳みそに、私の電流を刻みつけてやろう!」
なんだかラスボスっぽい怒声と共に、雷光とゴロゴロ音が少女から吹き荒れた。
「うわっ!」
「へっ?」
上条は無意識に動いた両手で身を庇ったまま、放電の衝撃に弾き飛ばされ、尻餅をついた。
痛みは一瞬でたいしたものではない。
けれど、電流を受けた両手はショックで、意思と関係なく痙攣している。
一緒に触れた左手はもちろん、右手もなんの自由も利かず、伸縮する筋肉の誤作動に逆らえていない。
「なんで……だ……」
上条は自分の右手を呆然と見つめる。
能力者と思われる少女の電気を受け、右手は動かせなくなっている。
この右手は、神様の奇跡だって打ち消せる、魔術師を退け、インデックスを助けた右手だというのに。
少女もまた、驚きで上条を見つめて動けない。
攻撃どころか牽制ですらない、ただの威嚇で上条を倒してしまったのだ。
上条をつけ狙っているのは、戦って倒すためという理由ではあるが、こんな勝利は望んでいなかった。
「……もしかしてアンタ、本当に事故にあったの?」
少女は労わりの眼差しで上条を助け起こした。
腕の痺れがまだ消えていない上条を、少女こと御坂美琴が喫茶店へと連れていった。
そうして自己紹介や以前出会っての話をし、上条のほうは魔術の説明は省いて
事故と部分的な記憶を失ったというのを伝え終わる。
「……しかし話を聞く限り、ガキ扱いしたからって、何度も喧嘩売られてる理由がわからん」
「アンタねー、人のプライドとかわかんないわけ。まあいいわ。記憶なくしたくせにそういうとこは変わんないのね……」
美琴は憂いを帯びた表情で上条を見つめている。
上条からすると、能力で喧嘩を売られていただけとしか思えないのだが、忘れられるというのは誰であれ、思う所があるのだろう。
先ほどの肉食獣っぽい形相とは大違いだとも、上条は思ったが言わないでおいた。
それぐらいの分別はあったりする。
「大方アンタの事だから、何かに首つっこんでそうなったんじゃないの?」
「そんな感じかもな」
「やっぱりね」
美琴はお見通しと得意げに笑う。
「前に事件があって、能力で爆弾を作る男がいたの。そいつが洋服店を爆破しようとして
友達と女の子が巻き込まれそうな所に、ちょうどアンタがいたのよ。
で、私はそいつを止めようとしたんだけど、ヘマしちゃって。爆発が起きたのをあんたが守ったわ」
「へー……」
自分が覚えていない上条当麻は、よそでも同じような事をしていたらしい。
「結局、私が爆弾魔を捕まえたけど、洋服屋の件は私が女の子を助けたみたいになっちゃってね。
いなくなったアンタを問い詰めにいったら、誰が助けたかなんてどうでもいい事だろって。
スカしちゃって。カッコつけてるのが蹴りたくなるぐらいムカついたわ」
「怒るとこじゃねえだろ」
上条も唇の端をあげた。
過去の自分の武勇伝染みた話は、他人事とも言えずむず痒い気分になる。
「だから今回もそうじゃないかって…………うん。私の話はもういいわ。
それより能力のほうが気になるんじゃない?」
美琴は頬を軽く叩き、何かを振り払うように軽く首を振ってから上条に問うた。
「ああ。自分でもどうしてなのかわからない」
「普通に考えると、事故直後で不調だと思うんだけど……」
「頭と身体が治れば右手も戻るかもしれないか」
「……ただ、アンタ本人が言ってたけど、身体検査では無能力者扱いらしいのよね。
私の電撃に対抗できるなら、そんな訳がないのに。……っていうかアンタの力はなんなのよ。覚えてるの?」
ずずっと美琴が上条へと顔を寄せ、近づきすぎたのか少しだけ引かれる。
「……俺の右手は幻想殺しと言って、学園都市の開発を受ける前から持ってて
異能とか超能力みたいもんなら、神様の奇跡だって消せるらしい」
「はぁっ?」
なんだか馬鹿にされてるような響き。
自分で言ってても可笑しく聞こえる。でも実際そうだったのは間違いないのだ。
「……うーん、そうね。どこの学校でも、能力を消す能力者なんて聞いた事ない。
アンタと戦ってた時、右手で触れられた瞬間に、私の操作している力も物も全て無力化されたわ。
そこらへんの不良から逃げてたのも、単なる喧嘩には役に立たないって訳ね。
でも……そうするとさっきの話は関係ないのかもしれない」
上条がよくわからないと首を傾げる。
「学園都市以外の能力機関で開発を受けてたのか、そんなものがあるのかは知らないけど……
それともそういう才能があるのか、どちらにしても、私の知識じゃアンタの能力を測れないし、治るかもわからないってことよ」
「そっか……」
沈黙が降りた後、美琴はグラスを持ってジュースを飲み、上条は握力がまだ弱いため、顔だけを近づけストローで吸う。
お詫びと言ってはなんだが、一応美琴の奢りになっている。
「まあ……あんまり深刻にならなくていいんじゃないの? 誰だって調子が悪い時もあるわよ。
大体記憶喪失になるだけの怪我しといて、すぐ出歩いてるほうがおかしいでしょーが。もう少し休んで様子を見なさい」
「むむむ……」
もっともな意見ではある。
身体に異常はないようだが、自分の記憶がわからないぐらい、自分自身をわかってないのも確かだからだ。
「それにね……」
ガタンとテーブルをずらしながら美琴が立ち上がると、瞳には挑みかかるような熱が感じられる。
「何かまた事件があったら、アンタは能力が使えなくなったからって、濡れた犬みたいな
情けない顔しっぱなしのまま、黙っているような奴じゃないでしょう?」
「てめぇ……人を暴発寸前の鉄砲玉みたいに言いやがって……」
買い被りすぎじゃないかと思う。
けれど記憶を失ったばかりの自分を、美琴は信じていてくれる。
ならば、上条当麻がそういう人間だと、上条当麻が証明しなくてどうするというのだ。
「どうなのよ?」
悪戯した子供のように美琴は笑っていて
「ドヤ顔してんじゃねえよ。言われなくてもやってやるぜ」
上条も立ち上がり、歯を剥き出し不敵な面構えで笑う。
「その意気よ。……なんならリハビリに私も付き合ってあげるから」
「それは断る」
「なんでよ!」
ビリビリと稲光が飛び散り、上条が身を伏せた。
「だって危ないだろ。さっきの話だけど、人に雷落とすとか普通しねーぞ。
なんかお前、死線を越えて力を取り戻せっ! とかいいそうだもん」
「なぐっ! リ、リハビリでそんなもんやるわけないでしょーが!」
元々、努力家の美琴は女子中学生にも関わらず、決闘とか修行とか少年漫画のノリが大好きだったりする。
興が乗ってシチュエーションが噛み合えば、言っちゃうかもとか自分を疑ってみたり。
「と に か くっ! 能力を確かめたかったり、聞きたい事があれば力貸してあげるから。ほら」
携帯が突き出される。
「記憶無くしても携帯ぐらいは使えるんでしょ? いつでもいいからかけてきなさいよ」
「あ、ああ」
勢いに押されて上条も携帯を取り出し通信で番号を交換する。
「これでよしと。さて私はもう行くわ。アンタも早く帰って休みなさい。
こうしてる間も、忘れちゃった脳に負荷がかかってるかもしれないわよ」
美琴は立ち上がって伝票を取った。
上条が壁にある時計を見ると、話し込んでいたためかおやつの時間が近くなっている。
昼には帰るつもりだったため、朝食しか食べていないインデックスがお腹を空かせているだろう。
「そうだな。俺も帰るよ。サンキューな御坂」
「なっ……! た、たいした事じゃないわよ」
追っかけっこばかりのせいか、名前を呼ばれたのは初めてで、慌ててしまう。
手を振って出て行く上条に、美琴は変な顔をしながらも手を振り返し見送った。
「うーなんか変な感じ……勢いで番号交換しちゃったじゃない……
ま、まあ、あいつも大変だから、助けてやらないとねっ」
なんだか言い訳してるかのように呟いてから
(にしても、記憶喪失か……)
美琴は上条について思考を巡らせた。
脳の異常や疲れで、演算や出力が低下するのはよくある。
けれども、健康体に見える状態で全く使えなくなる事はあるのだろうか?
美琴の知る限り、能力開発というのは新しい学問で、病に関した情報はそう多くはない。
記憶喪失が能力に影響した前例も、またない。
美琴は考えながらも会計を済ませて、外へのドアを開いた。
記憶と言えば、専門家といっていい能力者もいるのだが。
(無いわね。あんな奴に何かさせたら、能力どころか遊び半分に記憶を無茶苦茶に改竄されかねないわ。私の知り合いってだけでなんかしそうだし)
そこまで、考えた所で美琴は脚を止めた。
「記憶の改竄……アイツがアイツじゃなくなる……」
自分だけの現実『パーソナルリアリティ』
もしも記憶を失ったことで、それが改変されていたとしたら?
精神の変質に伴って能力そのものが変化・消失してしまう可能性が考えられるのではないだろうか。
前述の通り、能力開発の歴史は浅く、パーソナルリアリティを見出した先、それを変容させる所までは進んでいない。
突き詰めれば、能力を変えるために記憶と精神を操作するという非人道的な研究に辿り着くかもしれないが、美琴にはそこまでの発想はなかった。
慌てて携帯を取り出し連絡しようとしてる途中で、動作を止める。
推測というよりは、当てずっぽうな妄想でわざわざ不安にさせてもしょうがないからだ。
それに記憶喪失になった人間へする話でもない。
お前が別人になったから、能力が消えたとでも言えばいいのか。
(アイツの力は学園都市とは関係ない。考え過ぎよ。アイツは全然変わってなかったじゃない)
美琴は自分に言い聞かせるよう心の声にしがみつく。
けれど一度宿った不安は、鉛のごとく胸の中に重く沈み込んで、再び浮かび上がる事はなかった。
午後六時を過ぎた頃、上条は米袋と他食料品を両手に持って、一人でスーパーから学生寮へと帰る最中だった。
夏の空はまだ明るくて、人通りも多くにぎやか。
「米が安くて助かったな。インデックスがすげぇ食べるし」
最初は第一印象と結構違うなーとか思ったりもしたが、美味しそうに、嬉しそうに、食べている様子を見るのは嫌いではない。
病室で会った時の、脆さを感じさせる笑顔よりは、ずっとよかった。
昼間も素麺を作ってあげると、1kg近くは食べたものだ。
「でも、この米ホントに大丈夫かぁ……?」
『私たちが作りました!』と、大々的に写真が貼ってあったのだが、写っている場所は
どこかの研究所みたいなとこで、白衣とマスクとゴーグルで完全武装した人達が
稲穂をわんさかと握っているのは、なんというか洒落が効き過ぎてる感がある。
人工栽培100%という謳い文句が通じるのは流石学園都市と言ったところなのだろうか。
そんな益体も無い事を考えていると遠目に、学生寮が見えてくる。
上条はまだ、インデックスに右手が使えない事は伝えていない。
それを伝えるのは若干の恐怖がある。
魔術師との戦いに巻き込みたくないというインデックスが知ったら、上条を案じて離れようとするかもしれない。
それが間違いというのはわかっているのだが、言えない。
今は時間が解決するのを祈るばかりだった。
「久しいね。上条当麻」
「え」
そう考えていた矢先、赤髪の、黒衣を纏った長身の男が目の前に立っていた。
よく見れば上条よりは年下に見える。
けれど、そうとは思わせない異質な雰囲気を纏った異様な少年だ。
「誰だお前……!」
瞬きする間に、影から湧き出たかのような出現に上条は叫び買物袋を捨てる。
身体が勝手に動いて、そうするのが当たり前かのような無意識の行動。
「ふむ。そう答えるのか。……なら初めましてとしか言いようがないね。
僕はステイル=マグヌス。禁書目録に関わった魔術師の一人といえばわかるかい?」
「……話には聞いてる」
上条はそう言われても、睨むのをやめない。
その言葉が本当ならば、上条と戦ったものの最後は共闘してインデックスを助けたらしかった。
ただ、あまりに胡散臭い見かけと突然の登場に警戒が先に立っていた。
「悪くないね……いい緊張感だ」
「……お前があまりに怪しいからな」
「科学最先端の学園都市では、浮いているのを認めるよ」
「お前はどこでだって、浮くんじゃねえか」
白人で、2メートルはある身の丈を覆う漆黒の修道服に、五指にゴテゴテしく嵌められた銀の指輪。
染めた赤髪や、目の下にあるバーコードの刺青を持つ少年が相応しい場所など、上条の知識には存在しない。
人通りは多かったはずなのに、気付けば浮いたステイルの姿を見るものは上条以外いない。
「さて……世間話はどうでもいいんだ。君が記憶喪失になったのと同じくらいね」
「……なんだと」
記憶喪失を知っている事と、あまりな物言いに上条は気色ばむ。
「大事なのは、君が記憶と一緒に落っことした、右手の力さ」
「なっ……ッ……!」
反応できなかった。
ステイルの片手が振るわれ、右手へカードが飛び燃え上がったのだ。
炎は一瞬で消えたが、煙草でも押し付けたかのような、小さな火傷痕が残っている。
「ぐっ、テメェ……なにしやがる……!」
「やれやれ。情報通りか。本当に幻想殺しは使い物にならなくなったみたいだね」
「記憶喪失といい、何故、お前がそれを、知って―――」
「囀るなよ一般人」
「う……っ!」
冷たい声と共に、視界が赤く染まった。
爆音と共にアスファルトが焼け焦げて、辺りに熱気と悪臭を飛び散らせる。
ステイルが、上条の足元にカードを投げて炎の壁を作ったのだ。
業火はカードから絶え間なく噴き出して、二人の間を完全に遮っている。
仮に液体燃料か何かをカードに染み込ませていたとしても、こうは燃えないだろう。
上条の脳裏に、人払いや炎のルーンを使っているという知識が勝手に浮かび上がった。
謎の知識に混乱するが、ステイルの言葉は続いている。
「僕が一時でも、あの子を、インデックスを預けた理由は、君が魔術師を追い払う程度には
使えると判断したからだ。それが、これはなんだ? 子供騙しにもならない
かんしゃく玉程度の火で火傷するなんて。おちおち監視もしてられないよ」
つまり、上条がインデックスを守れないだろうから、現れたと言っている。
反論しようとするが、熱気に押されて、上条は数歩ほど無意識に後ずさった。
魔術による高い熱量は、並みの人間ではその場にいる事すら許されない。
炎の壁は、力有る者と無い者を、はっきりと分け隔ててしまっている。
上条の様子を見て、ステイルの口が皮肉げに弧を描いた。
「まあ……危機に対処する能力も何も無いなら、そんなものだろうね。誰だってそうだろう。君も例外なく」
笑っているのに、つまらそうな言葉の響き。それが何故なのか、上条にはわからない。
ステイルは軽く腕を振っただけで炎を収め、背を向け歩いていく。
「お、おいまて、テメェどうするつもりだ!」
「別になにもしないさ。君はあの子と適当に、仲良くやっていればいいよ」
揺れがある上条の問いに、ステイルは首だけで振り向き、どうでもよさそうに答えた。
「だって、お前は、俺が無力だから、インデックスを連れて行こうとしてるんじゃ―――」
「そうしたいならば連れて行ってもいいけど、そういう命令は出てないからね。
あの子も望んでいないだろう。君の力がチェックできたから、もう用はないよ。
あの子が魔翌力を感知して、来るかもしれないし」
「待てよ!」
「まだ何かあるのかい」
上条が更に呼び止めると、立ち去ろうとするステイルが面倒そうに向き直った。
「俺が力不足なのはわかっている。でも、インデックスを守りたいのは俺も同じだ。
今の俺だって、何かあれば手伝えるかもしれない。だから―――」
「ふうん……君は今にもあの子をさらおうとする魔術師にも、同じように訴えるのかい?
自分が何かできるかもしれないから、待ってくれと」
「なっ……!」
最後までステイルは言わせない。言葉にはなんの価値も無いと断ずる。
「君は何もしなくていいよ。敵の魔術師が来たなら、僕が処理すればいいだけだ。
役目が欲しいって言うならさ、せいぜいあの子のご機嫌でもとっておいてよ。
あの子は優しいから。君も楽しいんじゃないかな」
そのまま薄暗がりへと消えていくのを、上条は呆然としたまま、見送るしかなかった。
ステイルの言葉には皮肉の色がない。
本当に、それがいいと判断したからそう言った。そのように思えた。
だからこそ、苛烈なほどの事実に、上条は打ちのめされる。
お前はいらない。守れないなら、代わりに子守りでもしていろ。
危険は退けておいてやる。お前も楽でいいだろう。
そう言われてるも同然だからだ。
けれど、何も言えなかった。
俯いた目で見れば、地面のアスファルトは焦げ溶け、炎があった所は、真っ黒く抉れた溝を曝け出している。
もしも、先ほどの炎がアスファルトではなく、上条の真下で巻き上がっていたらどうなっていたか。
インデックスを狙う魔術師が敵だとしたならば、被害は上条だけでは済まないのだ。
「ち、くしょうっ……! 勝手な事ばかり言いやがって……!」
気持ちとは裏腹に、身体に力が入らない。
まだ熱気が残る道路は熱いのに、恐怖で凍えて震えている。
インデックスに、美琴に、大きな口を叩いてこのザマだ。
精神論や気持ちでは追いつかない、インデックスを守るどころか、自分の身すら覚束ない絶望的な戦力差。
力が欲しい。上条は無力な右手を強く、強く、握り締めた。
明朝、上条は床に敷いたマットの上で目を覚ました。
前日は、ほぼ徹夜してる上に精神的疲労が重なって、夢も見ずに寝ていた。
傍らには一昨日と同じよう、インデックスが寄り添っている。
どうやら、昨夜のうちに寝床へ入り込んでいたようだが、上条は疲れで気づかなかった。
昨日は慌てたものだが、今はそんな気にはなれない。
結局、右手も、ステイルとの会話も、インデックスには言えていない。
そんなつもりはないのに、秘密を重ねてしまっている。
インデックスを失いたくないから。負い目を見せたくないから。
どう言い繕っても情けないと、自分でも思う。
前の自分は、記憶を失ってでもインデックスを守りきったというのに、今の自分はなんなのかと。
上条は上体を起こして、インデックスへ向き直った。
眠っている姿は、普通の女の子にしか見えない。
生意気で、食いしん坊で、小さいくせに、上条を巻き込みたくないと悩む、優しい女の子だ。
そんな女の子の頭の中に、魔道書の知識なんてものが入っていて、それを幾人もの魔術師が狙っているという。
「……っ」
上条は一瞬、インデックスを抱きしめたい衝動に襲われたが自制した。
親愛や愛情などではなく、ただ自分が甘えたいだけじゃないかと感じたのだ。
そんな風に自分の都合で、インデックスに触れたいとは思わない。
よりにもよって、守れないことを理由に、慰めを求めるなど、自分で自分が許せない。
葛藤と、怒りと、無力感を抱えたまま、インデックスを見つめていると目と目があった。
「あれ?」
「………………」
一瞬、抱きしめようとしたためか、インデックスとの距離が近づいており、上から覆い被さる形になっている。
インデックスから見ると、それはどのように見えるか。
起きたばかりの、インデックスの白い頬が急激に赤く染まり、くわぁっと口が開き始めて、慌てて上条は身を引いた。
「まてまてまてまて、勘違いするなよ? 起きたらお前が隣にいたから見てただけだ。大体ベッドがあるだろうが」
「……だって、とうまと一緒に寝たかったんだもん」
「ぬぐぅっ……!」
予想外の言葉に上条はパニックに陥る。
「そんな馬鹿な! いつフラグ立てた!? いや、前に立て終わってた!? 何してたんだ俺!? 助けたりしてるよ!?」
「フラグって初めて会った時も言ってたよねスラング? どういう意味なのかな?
まあいいんだけど昨日ね、とうまの様子がおかしかったかも。ご飯食べたらすぐ寝ちゃうし、寂しかったんだよ」
混乱する上条に構わずインデックスは寂しさを訴えてくる。
どうやら変な意味ではなく、ただ一緒に寝たかったらしい。
考えてみると一年ぐらいは一人で過ごしていただろうから、眠る時だって人恋しいのは当然の事かもしれない。
「……あー、そうだな。昨日は疲れてた。もう元気出た」
「むー。全然そうは見えないんだよ。さっきはすごく怖い目をしてたんだから。まだ疲れてるのかも」
「むむっ、こーんな目でもしてたのかよ」
目じりを指で吊り上げ、変な顔をして誤魔化した。
心配しているつもりが、逆に心配をかけては意味がない。
ステイルの言うとおりにするしかないのが癪ではあったが、上条にはそれぐらいしかないのも確かだった。
昼前、小萌から連絡があった。
両親が学園都市に着いたので、学生寮まで連れていくとのことだ。
自室で待っている二人は、出迎えるにあたっての話をしていた。
「とうま。私もここにいていいのかな? 邪魔にならないかな?」
「いてくれたほうが助かる。でも魔術の話はしないでくれよ。信じてもらえないし、巻き込んじまうかもしれない」
「……記憶喪失になった理由は話すの?」
「ただの、ってのも変だけど事故って言うしかないな。当然これも魔術とかナシで」
「むー。嘘になっちゃうかも。私のせいなのに……」
「もう済んだ話だろ。余計な事は知られなくていいよ。
とりあえず、記憶は無くしたけど俺は元気だって伝えて、安心してもらおう」
「本当にそれでいいのかな……?」
「多分な」
インデックスは嘘とは言い切れないものの、真実とも言えない説明に疑問を覚える。
しかし上条がそう望むなら、口出しできるものではない。
ほどなくして呼び鈴が鳴った。小萌が両親を連れてきたのだ。
上条には緊張と不安があった。
家族だからこそ、記憶喪失は、深く広い断絶を作ってしまっているのではないかと思う。
「もしかして嫌な人達だったりしてな……」
杞憂なのだが、悪い事が続いたためか、上条は妙に弱気になってしまっている。
「大丈夫かも。私が始めて会ったとうまの第一印象はいい人なんだよ。
だからとうまのお母さんもお父さんも、いい人に決まってるんだから」
若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いてもそれから離れない。
聖書の一節にはそう記されている。
「すまんインデックス……ありがとな」
また、甘えてしまっている、そう考えつつも、上条は玄関の扉を開き、両親を出迎えた。
父親だと思われる人が目の前にいた。
上条より背が高く、顔の造作が似ているが、歳の為か精悍な印象がある。
息子が事故にあったためだろう、上条を見つめる瞳には焦りが感じられる。
そこまで考えて、なにか他人事のようだと上条は思った。
横には母親らしき女性の姿。
高校生の息子がいるとは思えないくらい若い。
父が三十代なら、母は二十代半ばぐらいに見える。
綺麗過ぎて、上条はあまり自分に似ていないと感じられた。
普段は、おっとりとしているだろう柔和な顔には、僅かに緊張が垣間見える。
上条親子は見詰め合ったまま、止る。
口の中が乾いた。そもそも自分は、どのように両親を呼んでいたのだろう。
覚えていない。
「当麻、本当に父さんも、母さんの事も、覚えていないのかい?」
沈黙に耐えかねたように、父が問う。
上条は頷こうとして、それでは曖昧だと思い直し、答えを返した。
「父さん……かな……その、顔とか、何も覚えてないんだ。ごめん」
軽く頭を下げた。
言葉よりも、戸惑いある呼び方や空気が、何より雄弁に、断ち切られた思い出を表しているようだ。
「そうか……いや、お前が無事ならそれでいいんだ。他に怪我はないんだろう?」
「大丈夫、だと思う」
父はショックを受けていると感じる。でもそれを押し殺しているようだ。
上条に余計な負担をかけないために。強い人なんだろうと上条は思った。
「私は上条刀夜。正真正銘お前の父親だ。……ほら、母さんも……」
「……はい」
そっと前に出る母の顔を見ると、上条はデジャブに囚われる。
微笑んでいるのに辛そうなその表情は、初めて見たインデックスとよく似ていた。
「当麻さん、母の上条詩菜です」
「ええと、そんな、他人行儀に言わなくても……」
「あらあら。いつも通りの喋り方ですよ。……ねぇ、当麻さん、ぎゅってしていいかしら」
「わざわざ聞かなくたって、もちろんいいよ」
どこか恐る恐ると手が上条の肩に触れ、抱きしめられる。
嫌ではないが、慣れた感じはしない。
きっと、何度も抱擁されただろうに、覚えていない。
「当麻さんが去年、帰ってきた時は、恥ずかしがってこんな風にさせてくれなかったの」
「今も少し恥ずかしいけど、幾らでもこのままでいいよ」
「あらあら。当麻さんは記憶喪失になっても優しいのね…………っ、」
言葉が途切れる。
抱きしめながら母は鼻を鳴らした。
「ごめん、なさいっ……そんなつもりじゃ……」
上条は抱きしめ返して、父にも肩を抱かれる。
「その……忘れたかもしれないけどさ、俺達は親子なんだろ。だから――」
「ああ、わかってるよ当麻」
「ありがとうね、当麻さん……」
父と母がより強く抱きしめてくる。
元気だからと伝えて安心してもらおう。
出会う直前は、そう考えていたはずなのに言葉に詰まっていた。
悲しませてはいけない。慰めないといけない。
でもそれができるとは思えなかった。
こんなにも両親は悲しんでいるのに、自分の感情が定まっていない。
こんなにも両親は悲しんでいるのに、自分は強く悲しんでいない。
とうまはとうまのまま、インデックスに言われて自分でもそう思っていた。
けれどもインデックスや小萌の悲しみは、本当には理解できておらず
両親に伝えるべき、息子の上条当麻としての言葉を発する事もできなかった。
上条はその時初めて、とても大切なモノを失っていたのだと、今更のように、気付いた。
学生寮の部屋で親子水入らずの会話が続けられていた。
インデックスは挨拶と自己紹介だけした後、気を利かせた小萌と一緒に外へ出ており、今は彼女の話へと変わっていた。
「アイツは俺が記憶を失う前から知り合ってて、今まで一緒にいてくれてたんだ」
「そうか。インデックスちゃんには父さん達からも、お礼を言わないといけないな」
「あらあら。当麻さんがお世話になったのね」
刀夜も詩菜も、表面上は落ち着いており、普段通りといった雰囲気で会話をしている。
上条もできる限り普通に。以前はこうであったろうという風に話している。
心配をかけないようにと、ばれていたとしても、そうしたい気持ちは確かにあるから。
「うーん、インデックスは食いしん坊だから、今は俺が世話してるのかも」
「ん? 当麻がご飯を食べさせてるのかい? ご両親はどうしたんだ?」
「あー……あいつ色々あって家族がいないみたいで家にいるんだ」
正確に言えば忘れているので不明なのだが、余計な事を言ってしまったと上条は口ごもる。
行き当たりばったりじゃなく、もう少し設定を詰めておくべきだったのかもしれない。
とはいえ、それはそれで騙すみたいで、やらないのも正解だとは思うのだが。
「あら、あらあら。当麻さん、お世話したりされたりする関係なのかしら」
「こら当麻。男子学生寮で同棲はよろしくないぞ」
「そんな色気あるもんじゃねーし、寮じゃなきゃ同棲はいいのかよ」
思っていたよりもフランクな両親だったらしい。
とはいえ、こんな風な話になるのも、お互いがあまり深い所につっこめないせいでもある。
上条の思い出の品や過去の写真を幾つか見せられたが、破壊された記憶にはひっかかるものがなく、何とも返せない。
両親からしても、過去の話で思い出を強要して、困らせるわけにはいかない。
そういうわけで、一緒にいたインデックスや小萌は悪くない話題の一つであった。
「なあ当麻、ここに来る前に母さんと話し合ったんだがな……」
お互いに気遣いながらも当たり障りの無い会話を続けていた所、刀夜が本題へと踏み込んだ。
「学園都市から家へと帰ってこないか」
「え」
思ってもいなかった言葉に息が一瞬止まった。
「お前は覚えていないんだろうが、父さん達が小学生に上がる前の当麻を、学園都市へ
通わせたのは、…………なんというかな。お前が酷く不運だったのが理由なんだ。普通考えられないぐらいにな」
曖昧な物言いと伏し目がちな表情は、詳しくは説明したくないというのが伝わってくる。
「不運……」
病室で、インデックスに前の自分が聞いたらしい話を思い出す。
幻想殺しが幸運を打ち消してしまって、結果的に運の悪い人間になっていると。
今の右手には、そんな力は残っていない。
少なくとも病院で目覚めてからは、人災は有れど不運と言えるような出来事もない。
「学園都市なら、もしかしたら解明できるかもしれない。治せるかもしれない。
そう考えていたし、学園都市に行ってからそれほど悪い話は聞いていなかった」
上条は幻想殺しの事を刀夜が知らないのを疑問に思ったが、話はまだ続いており、そちらへと集中する。
「ただそれでもお前の手紙を読めばお前が不幸な人間だと扱われていたというのがわかったよ。何も変わらなかった。だから家に帰っておいで」
「……でも、それは……」
「インデックスちゃんに身寄りがいないんだったら、一緒に来るのもいい。
当麻に何があるにしても、父さん達の目の届く所にいてくれないと、心配でしょうがないんだ。
父さんは海外に出張しないといけなくなるが、できる限り傍についてあげたい」
それは至極まともな主張だ。
学園都市で改善を望んでいたのに、決定的な不幸が起きてしまっては子供を預けていた意味がない。
上条からしても納得はできた。家族で暮らすほうが両親も安心するだろう。
けれどインデックスを連れていけば、魔術師との争いに巻き込む可能性がある。
会ったばかりかもしれないが、目の前の家族が昨日体験した魔術に晒されるなどとは、想像すらしたくない。
上条の幻想殺しは機能しておらず、家族を守るにしてもステイルの様子では
インデックスのため以外の助力を望めるとは思えなかった。
かといって、インデックスを置いたまま帰る選択肢もまた有り得ない。
上条は喉元を抑える。
唾を飲み込もうとするが、渇いててうまくいかない。
まるで。これでは。両親とインデックスのどちらかを選べと言われているようで。
「当麻さん、今すぐに決めなくていいのよ」
表情に出ていたのだろう。気遣わしげに詩菜が助け舟を出す。
普通ならば、悩む必要も無い話だ。ただ両親の所に子供が帰るだけなのだから。
感情的にも道義的にも金銭的にも、もっと強硬に言われてもしょうがないのに
二人は記憶喪失の上条を気遣って、お願いという形にしてくれている。
「その、ごめん、少し考えさせてくれ……」
申し訳なさを抱えながらも、上条はそれだけを告げると、トントンと玄関からノックが聞こえてきて、三人が振り向く。
「お取り込み中の所、すみませんー」
小萌は玄関のドアを開けて、居心地が悪そうに顔を出した。
「どうしたんだよ小萌先生」
「あのですね、シスターちゃんが突然走り出してどこかに行っちゃってですねー。上条ちゃん心当たりがないかとー」
「どこか? えーっと……」
食べてからさほどの時間は経っていないし、腹が減って出て行ったとかはないだろう。
かといって、他に出て行く理由も場所もインデックスにはないはず。
そこまで考えた所で、ステイルの言葉が脳裏に浮かび上条は目を見開いた。
あの子が魔術を感知して、来るかもしれないし――――
インデックスが出て行った理由。
魔術を察して、自分や家族を巻き込まないように、解決しようと考えたのではないか?
それが思い過ごしだとしても、ほっといてはいられない。
「ごめん。インデックスを探しに行って来る。三人とも待っててくれ。話しはまた後で!」
上条は脱兎のごとく駆け出して、止める間もなく寮を出て行った。
先ほどまで悩んでたとは思えない即断に、刀夜と詩菜は唖然としたまま、見送るしかない。
「……上条ちゃん。そういうトコは本当に変わってないんですねー」
「月詠先生、当麻はいつもああだったんですか?」
「ですですー。トラブルメーカーな所も有りますが、何かあったらあんな風によく走っていました。そうですねー、一学期の話なんですがー……」
小萌や同級生しか知らない、上条の話を小萌は続ける。
それが正しいのか悩みつつも、何かがあれば首をつっこまずにはいられない、そんな少年の話だ。
時間は少し前に遡る。
学園都市、第七学区の道は、雨が降りそうなぐらいの曇りで天気予報は雨だ。
日差しは雲に遮られているが湿度は高く蒸し暑い。
だからと言って子供達が夏休みに出かけるのを止めるはずもなかった。
学生が好き勝手にたむろしている通りの端を、二十代前半の白人男性が散歩というには速い速度で歩いている。
欧米人らしく長身で、金髪碧眼の端正な顔立ちをしているが、周りの学生達は気にかけてはいないよう。
古い文化や、四季の美しさがクローズアップされがちな日本だが
科学技術の最先端を往く学園都市もまた観光地として有名で、外国人はそう珍しいものではないからだ。
しかし、細身ながらも筋肉質な身体を覆うスーツの着こなしと、隙の無い足取りは観光というよりは、それ以外の目的があるように思えた。
男は上条の住む学園寮へと足を向けていたが、しばらくすると表情に緊張を含ませて、人気のないほうへと歩みを進めていく。
「待ってたよ」
路地や通りを幾つか抜けた先にはステイルが立っていて、男は瞳に剣呑な光を宿す。
目立つ罠の魔術によって、行き先を誘導されていた事に気付いたのだ。
「学園都市を観光しにきただけなら、このまま見逃してもいいんだけど」
「そうもいかん。生憎仕事でな」
「なら存分に燃やしてやろう」
ステイルの右手から炎が膨れ上がり、一抱えの炎弾となって男へと飛ぶ。
上条に見せたものとは段違いの熱量の炎が、男を火達磨に変えようとする直前、風切る音と共に軌道が真上へと変化し、上空で爆発した。
「危ない、な」
男は何事もないような顔で呟く。
片手を仰ぐように上へと向けただけで、致命の魔術を退けたのだ。
「なるほど。風の精霊使い(エレメンタラー)か」
「ご名答」
指揮者のごとく、優雅に男が腕を振ると、涼やかな音と共に風が周囲を舞う。
「私はアルベルト=フォン=シュピッテラー。禁書目録を譲り受けにきた」
格式ばったお辞儀と共に、幾つもの疾風が短く強い空気を裂く音を響かせ、ステイルへ目に見えない弾丸が殺到。
ステイルは腕を振るって、眼前で炎を爆発させる。
風音を打ち砕く轟音が響き、煙が晴れたそこには、傷一つついていないステイルの姿がある。
「名乗りながら、攻撃するなんて礼儀正しいのか正しくないのかわからないね」
「たやすく退けて何をいう、流石はルーンの天才、ステイル=マグヌス」
「よく調べてるんだね。僕は君の事なんか知らないけど」
「禁書目録に近づく魔術師を、何人も仕留めていれば有名にもなる」
「無名の君はいつものごとく、僕に焼かれるんだろうね」
挑発にアルベルトは乗らない。
ただ会話をしているようで、ステイルからは強い殺気が放たれている。
油断すれば、風の防御ごと焼き尽くされるというのが嫌がおうにもわかる。
木でできた短いスタッフを取り出して、ステイルへと向けた。
「魔法使いの杖ね……今時、正統派というかクラシックとでもいうか……」
「褒め言葉と受け取ろう」
スーツ姿には不釣合いなスタッフから、文字通りの意味で圧力が発される。
スタッフを中心にして、大気へ魔翌力が織り込まれていく。
「いくぞSuperbia194!」
「ははっFortis931!」
風と炎が衝突し、衝撃と爆圧を撒き散らす。
魔術師が殺し名を告げた以上、もう言葉は必要ない。
全身全霊を持って、互いを殺し尽くす以外の道はなかった。
人払いのルーンによって、魔術師以外存在しない街並みで戦いは続いている。
魔術の炎と風が炸裂し、爆炎となって空へ吹き上がる。
焦げた匂いが撒き散らされて、平和な街の空気を戦場へと塗り替えていく。
ステイルが煙を払いながら突進すれば、アルベルトは横へ飛び、詠唱と共に小さな風の弾を連打し牽制。
「下がりたまえ」
防ぎ、避けるステイルがさらに距離を詰めようとするが、かわしようのない範囲の広い強風に絡み取られ、間合いを離される。
そうしてまた、銃弾のごとき連射が襲ってきて、ステイルは建物の陰に隠れた。
お返しとばかりに風の弾ごと飲み込む勢いの炎を撃つが、スタッフから放たれたより強く凝縮された風が迎え撃ち相[ピーーー]る。
(なかなかやり辛い……!)
ステイルの魔術は、威力においてアルベルトを大きく上回っている。
しかし、炎は風で容易く揺らぐため、距離をとるアルベルトには当てれない。
ゆったりとした黒の修道服も風に煽られ動きの妨げになっていた。
風の銃弾の威力はさほど高くはなく、防げる建物の陰でチャンスを伺いたい所だが、いつまでも隠れていられるものではなかった。
気圧が変化して、ステイルは痛いほどの耳鳴りを感じた。
建物の陰から飛んだ瞬間に、空気がひしゃげる轟音が響き、コンクリートが丸く窪んで圧壊。
空気の塊が、大砲のごとく炸裂したのだ。
壁に貼っていたルーンのカードも風で吹き飛ぶか、穿たれて使えなくなってしまう。
ルーンによる陣形成をアルベルトは許さず、見えた端から風で処理をしている。
アルベルトはステイルを炙り出すと、風に乗って回り込み、再び風の弾による射撃を放ち続けた。
威力は低いが小銃の連射で牽制し、釘付けにした相手を溜めのある重火器で圧[ピーーー]る。
機動の速さでつかず離れずを維持して、ひたすらにルーチンを繰り返す。
風という始原の属性を、古びたスタッフで扱うには似つかわしくない、戦闘目的で魔術を研鑽している軍人染みた戦い方。
ステイルを師匠と呼ぶ三人娘の一人も風を使うが、ここまでの精度と徹底した戦法は確立していない。
息を荒げているステイルは疲労を感じながらも笑みを浮かべた。
「……はっ、だからどうしたって言うんだ。こんな甘い戦い方で僕は殺せない」
魔術の強さ故に、魔翌力精製によって疲労しやすいステイルには、長期戦かつ機動戦は有効な戦法だ。
アルベルトは最小限の魔翌力使用で優位を維持し続けている。
調べているというのは伊達ではないのだろう。このままでは遠からず体力が尽きる。
だがしかし、ステイルもまた魔術で相手を殺傷する事に関しては、誰よりも優れているという自負がある。
アルベルトが軍人ならば、ステイルは殺し屋と言ってもいいだろう。
あらゆる防備を潜り抜け押し壊し、隙がないのならば、それを作り出すための方法を見つけ出すだけだ。
引いて撃ち、押しては放つ、そんな単純な戦いが長く続いており、優位のはずのアルベルトは僅かな焦れを感じていた。
気流に乗り高速で飛びながら撃つ戦法に、ステイルは追いついていない。
炎はアルベルトに焦げ一つ作れずにいて、ステイルのほうは風の痕が幾つか服に残っている。
致命打はどちらもないものの、攻撃が無為に終わっているステイルのほうが、肉体的にも精神的にも徒労を感じているだろう。
なのにステイルは戦いながらも、笑みを浮かべていて、突撃と共に炎を放ってくる。
大きくかわして、掃射するがステイルの炎とルーンの守りは崩せていない。
痛撃を加えるには、それ相応の攻撃でないと足りないよう。
しかし、アルベルトが無理をする必要が無いのも確か。
このまま削っていればステイルは疲労で動けなくなるはず。
それはアルベルトの期待にしか過ぎないのか、ステイルが均衡を壊しにかかった。
ノタリコンによる短縮詠唱をしながら、突進を止めようとする強風を炎弾の連打で爆砕し押し勝つ。
「ぐっ……」
風を打ち消し、なお余る爆発の余波がアルベルトの動きを制限。
その一瞬のうち眼前に広がった光景は、アルベルトの心胆を凍えさせるものだ。
上空には数十枚のカードが撒き散らされていた。
それぞれから重油のような黒い液体を内包する炎が黒ずんだ帯となって噴き出し、アルベルトを空から覆い包み込もうと顎を広げる。
黒油混じりの炎は重く粘っており、弱い風では弾けそうにない。
「……届かん!」
対抗よりも拒否を選んだアルベルトは、後方へと強く風を吹かせかわそうとする。
「それでいいのかい?」
「なっ、私の風を使うだと!?」
読んでいたステイルはアルベルトを運ぶ風に身を任せ、飛びながら炎剣を振りかざす。
上空から黒炎を降らせ、真正面からの炎剣による突撃。
(正気の沙汰ではない……!)
しかしそれは、自らも黒炎を被さるだろうタイミングだ。
炎を扱う上の守護はあろうが、自らの身を省みないステイルの戦いにアルベルトは戦慄を隠せない。
「うおぉぉぉっ!」
脅威を感じながらもアルベルトは眼前に強力な竜巻を瞬時に巻き起こした。
数十条の黒炎が油ごと巻き取られ、重ねられた炎剣と共に爆発する。
二人は弾け飛び、竜巻は十数メートルの火炎龍となって舞い上がる。
黒油が撒き散らされて木や自動販売機、植木などに飛び移り辺りを焼いた。
炎への魔術抵抗の差か。アルベルトの所々は焼き焦げており、ステイルは影響が小さい。
立ち直るのもステイルのほうが早かった。
「吸血殺しの紅十字!」
両手に炎剣を呼び出し、アルベルトへ突進する。
炎によるダメージを受けながらもアルベルトは、風で離れるように飛んだ。
「いい加減見飽きたんだよ!」
それを見るやステイルは背を向けるほどに身体を捻って、背後の地面へと炎剣を叩きつける。
アスファルトを容易に砕く爆圧はステイルの身体を加速して飛ばし、瞬時にアルベルトへと接敵。
残った炎剣を振りかざした。
(やられる……!)
アルベルトは致命的な動作の遅れを感じながらも、風の砲を放とうとする。
刹那、ステイルの視線はアルベルトの背後に向けられ表情に迷いと戸惑いを浮かべた。
炎剣を持っていた手を、あらぬほうへと向けて炎を放ってしまう。
そうして隙だらけとなったステイルを、アルベルトがカウンターで撃ち致命的な勢いで吹っ飛んでいった。
学園都市の通りは戦時下のように様変わりしている。
所々には焼け落ちた樹木があり、パチパチと木が焼き爆ぜる音が鳴っている。
風の魔術を受けた建物はガラスが割れ、銃弾のような痕が幾つもあって、砕けたコンクリートが鉄筋を曝け出している。
火が煽られて、大きな火事になっていないのが不思議な光景だ。
「くっ、う、はあはぁはぁ……」
アルベルトは火傷と戦闘による疲労に膝をつき、倒れたままのステイルへ顔を向ける。
風を受けたステイルは数十メートルは吹き飛んで動かない。
まともに受けていれば、胴体が砕けてもおかしくない魔術なので、辛うじて防いではいるのだろう。
「……何故だ?」
アルベルトは衝突の瞬間、死を覚悟していた。
あのままステイルが炎剣を振り切っていれば防御も間に合わず、死んでいたはずだった。
「ぁ……」
アルベルトは小さな声を聞き背後を向く。
そこには制服を着た女子学生が、腰を抜かしたように座り込んで震えている。
灰や木屑が降り掛かっているが、怪我や火傷はしていないようだ。
その周りには粉々になっている木の欠片と、真ん中からへし折れた一本の樹木がある。
竜巻と炎の余波で木が折れて、そこにいた少女を巻き込みかけたようだ。
移動しながら戦い、ルーンをアルベルトが壊しているうちに、人払いの死角を作って少女が入ってしまったのだろう。
「まさか、あの状況で……? あり得ない……」
ステイルは非情な男だと聞いていた。
任務遂行のためには、人命などを気にするような人間ではないと。
自らを焼くのすら躊躇わない敵への殺意は、戦ったアルベルトにはよくわかる。
なのにステイルは少女を助けて地に伏している。
人物像の違いに、アルベルトは戸惑ったまま立ち上がった。
「ステイル=マグヌス。お前を尊敬しよう。……だが私にもやらねばならぬ訳がある」
もしも一ヶ月前のステイルならば、見も知らぬ少女を巻き込み見殺しにしてもアルベルトを殺していただろう。
その行為が正解にしろ、間違いにしろ、一種の狂気と純粋さを持って事に当たっていたはずだ。
それを変えたのは何故なのか。アルベルトにはわからない。
ただ少女を助けた魔術師を見る瞳には、僅かな憧れがあった。
まるで自分もそう在りたかったかのように。けれどもそれは望んではいけないものだ。
アルベルトは自分のためだけに、人を助けるどころか禁書目録の少女をさらおうとしているから。
感情を振り払い、精一杯に優しい顔を作り少女を助け起こそうとした。
「巻き込むつもりはなかった。立てるかい」
「い、いや、こないで……!」
だが怯えた顔で首を振るばかりだった。今しがたの争いを見ていればしょうがないだろう。
「当然か……すまない。もう消えるよ」
「おい、テメェ何してやがる!」
女子学生の傍にいたアルベルトを警戒する呼び声。振り向くとどこにでもいそうな男子学生の姿があった。
上条当麻が戦場へと駆けつけたのだ。
数分ほど前、学生寮を出たばかりの上条は、インデックスを探すために走っていた。
(魔術師をどうにかしようなんて、馬鹿な事考えてるんじゃねえぞ……!)
インデックスが魔術を感知しているとしたらステイルが敵と戦っているのだろう。
自分がその場にいたとして何ができるとも思えないが、インデックスをそこに行かせるわけにはいかない。
走る上条は、ステイルがルーンで人払いをしていたのを思い出す。
(魔術師が人目を気にして人払いするんだったら、その逆にきっと奴はいる!)
交差点や人通りの多い道を見渡して、歩いてくる人間の数をざっと比べ、多いほうへ進む。
分かれ道を見てはまた選んで進む。当てずっぽうだが、上条にはそれぐらいしか探す宛てがない。
不思議と、幻想殺しが無い上条でも人払いの妨害は感じなかった。
まるで上条が予め対象から外されているかのように。
「!?」
重く響く轟音。遠くに炎の竜巻を発見し、戦いの場へと辿り着いた。
「滅茶苦茶じゃねえか……!」
爆弾が幾つも爆発したかのような無残な街並み。
魔術師の争いはそういうものだと、嫌でも上条に伝えてくる。
見回して見つけたものは、遠くで倒れているステイルと、外人男性に怯えている女子学生だった。
(ステイルが負けた……!)
そんな動揺があったが男をにらみ付けた。
「おい、テメェ何してやがる!」
振り向いた男はどこか覇気が無い。傷つき落ち込んでいるようにも見えた。
しかしステイルが倒れているという事は、この男がインデックスを狙う魔術師に違いないのだ。
「…………私はこの子にも君にも用はない。すぐに行くよ」
そう言って立ち去ろうとする先は学園寮の方向。
「待ちやがれ! お前になくても俺にはあるんだよ! お前がステイルを倒した魔術師だな!」
「……君は禁書目録の関係者なのか。都合がいい」
茫洋さが含まれた男の表情に、生気がみなぎってきたように見えた。
「こちらに来たまえ。この子は巻き込みたくない」
そう言って突風が吹くと、地面を滑るように飛んで通りの向こうへと進んでいく。
(風で飛んでる……? ステイルが炎とルーンを使うように、風を使う魔術師なのか?
……そもそも着いていって、ステイルが負けた敵を俺なんかがどうにかできるのか?)
記憶喪失前、ステイルに勝ったらしいのは幻想殺しがあっての事だ。
今の上条当麻は正真正銘の無能力者でしかない。
それでも行くしかなかった。こいつをほおっておいたら必ずインデックスに害が及ぶだろう。
「ごめん、あいつに救急車を呼んでやってくれ」
女学生にそれだけ頼んで、上条は走って魔術師を追いかけていく。
壊れた建物やえぐれた通りを幾つも抜けて曲がった先には男が立っている。
「私はアルベルト=フォン=シュピッテラー。先ほど見た通り、風を扱える魔術師だ。君は?」
「……上条当麻だ」
「ふむ。知らないな。情報にはなかった。
まあいい。私はステイル=マグヌスと戦って……少々疲れていてね。
恐縮だが、手早く禁書目録の居場所を教えてくれると助かる」
「ふざけてんじゃねえぞ! 知ってても知らなくてもテメェに言うかよ!」
「つまり君はステイル=マグヌスと同じく禁書目録を守ろうとしているのだな。
そして私は禁書目録が欲しい。ならば戦うしかないだろう? 学園都市には超能力というものがあるそうじゃないか」
「あぐあぁっ!」
上条が風を感じた瞬間、風切る音と共に痛烈な衝撃が構えた右手を弾き押し退け、胸板に当たって跳ね飛ばされた。
痛みと衝撃で頭の中がグチャグチャになりそうだ。
散らばった思考を集中し、耐えながらも立ち上がる。
見れば、着弾した所のシャツが螺旋の形に皺がよって傷んでいる。
凝縮された小さな空気の塊が、ライフリングを通った銃弾のごとく、回転しながら飛んできたのだ。
「ぐっ……風なんて優しいもんじゃねぇ」
実際の銃弾のように、貫通するほどの殺傷力はないようだが
高圧の空気がひしゃげ、爆発する衝撃は、生身の人間がそう耐えられるものではない。
アルベルトは上条の様子を訝しげに見ながら再びノーモーションで風を放った。
(避けろ……!)
左へ飛ぼうとし、今度は右肩に食らって、半回転しながらうつ伏せに倒れこむ。
「つぅっぅっ……速い……!」
右腕の痺れで滑りながらも、立ち上がろうとする。
ステイルと違い、守護も何もない上条はたった二発でもダメージを受けている。
「君は戦えないのか?」
戸惑いを含む問い。敵を望んでいたのか、残念がっているようにすら聞こえる。
「ほざい……てんじゃねえぞ……!」
痛みを押し殺し、痺れる右手を無理矢理に握り締めて、十数メートル離れたアルベルトへ突進する。
「……なかなか速いが常人の範疇」
が、しかしその半分もいかないまま、アルベルトはアスファルトを滑るように下がり、上条の足元を風で弾いた。
「うわぁっ!」
勢いのまま、ゴロゴロと無様に転がってしまう。
どうにか立て直そうとする上条へ、追い討ちの弾が胴体に幾つも食い込み弾き飛ばす。
「ごっ……がぁっ……!」
上条は苦痛と衝撃で、十秒は倒れたまま動けなかった。
その動けない時間に百の銃弾と三の砲をアルベルトは撃てただろう。
容易く殺される隙を上条が晒したという事は、防ぎ抗するための能力が一切無いという証明。
上条が辛そうにアルベルトを見上げると、顔には失望の色が浮かんでいる。
読みづらい、改行してください。
pixivで未完で終わってるので楽しみにしてます。
「君は何をしにきたんだ?」
「ぐっぅっう、くそっ……!」
土と埃で汚れた上条を見る視線は、場違いの闖入者へのものでしかない。
敵と認識すらしてもらえない。魔術師と戦う土俵に、上条は立っていない。
学園都市製の火器でも用意していれば、驚異にも成りえるが上条は完全な無手。
能力も魔術も武器すらない、単なる一般人にしか過ぎない。
「できれば拷問などしたくはないし、無力な少年をいたぶる気もない。素直に禁書目録の居場所を話すのを勧める」
「誰が……言う、……かよ……!」
腕をつき立ち上がろうとすると、骨に皹でもできたのか、胸に鈍い痛み。
(くそ……! 右手さえ……幻想殺しさえあれば……!)
ずっと寝たままでいたい、もしくはのた打ち回り叫びたい。
そんな衝動に耐えて、フラフラになりながらも、立ち上がってアルベルトを睨む。
「わからないな。君は何故そこまでする?」
「アイツを、……インデックスを、ぐっ……守るのに理由なんているかよ……」
「守る……か。君は弱くとも立派な人間だな。少し羨ましい」
納得しているらしいアルベルトに上条は疑問を覚える。
(なんでこいつは……俺を簡単に殺せるくせに、話なんかしてるんだ……?
あれだけ速く動けるんだ。俺をほおって探したほうがいいだろ。それに羨ましいってどういう意味だ……?)
殺そうと思えば殺せるし、インデックスの場所を知りたいというわりに、上条へ関係ない質問をする。
眼前の敵は何か定まっていないように思えた。
「俺も一つ……聞かせてくれ」
「なんだね」
戦うための糸口はないかと考えながらも問うと、無力な上条相手だからかアルベルトは耳を貸した。
「どうしてインデックスを狙う。そんなに魔道書ってのが欲しいのかよ」
「魔道書はわかるのだな。妖精の書というものがある。
我が祖国スイスの医者であり錬金術師でもあるパラケルルスが書いたもの。
妖精や精霊の生態が克明に書き記されている幻想を描いた本だ。
かの錬金術師は、この世界に隣り合う霊的な世界を認識していた」
「……頭おかしい人じゃねーか」
「君はパラケルルスが体系付けたものでもある、四属性の風で満身創痍になっているのだがね。
生態を知るという事は、その存在を捕らえ入れる事ができるということ。妖精と精霊を自らの力として扱う術があるということだ。
ただ彼はその力を扱えなかったのか、深淵に入り込みすぎたのか、脳と精神に障害を負ったようだが」
「だったら……お前だって、危ないんじゃねえか」
「そうかもしれない。そうではないかもしれない。だが精霊とは森羅万象を司る存在だ。
その一つである風の精霊を真なる意味で従える事ができたならば、風という現象そのものを手中に収めるのと同義。
日本では台風が多いそうじゃないか。
その規模を遥かに超えた風を、私の指一つで自由に引き起こせると想像したまえ。
それは神の御業と言っても過言ではない。手に入れるだけの価値はあるだろう」
「なんだよ、それ……」
上条は病院でインデックスに聞いた魔神の話を思い返した。
魔術を極めすぎて神の領域にまで到達した人間は、魔神と呼ばれるモノになる。
世界の全てをねじ曲げるだけの力を持つ人ではなくなった存在に。
アルベルトが魔道書を扱えるかはともかくとして、絶対にインデックスを渡すわけにはいかない。
そう思わせるには十分な理由だ。
―――でも、だからこそ、アルベルトに対する疑問はより深まった。
「魔術師ではない君にも理解できる十分な理由だろう。そろそろ禁書目録の居場所を話したまえ」
「……わかるけど……わからない」
「どういう意味だね?」
訝しげなアルベルトを見据えて上条は強く言い放った。
「妖精の書とやらの力が本当だとしても、それをお前が欲しいってのがわからない」
「な……」
予想外だったのだろう。アルベルトは目を見開き、驚きを瞳に映した。
「だってそうじゃねえか。お前は言ったぜ。女の子を巻き込みたくないって。
なんで女一人の安全を気にするような奴が、そんな物騒な魔術を欲しがるんだ?」
「…………」
口をつぐむアルベルトに上条は言葉を続ける。
「それにインデックスを守ろうとする俺が羨ましいって言ったよな。力も何もない俺を。
もしもお前が、本当に誰かを守りたいのだとしたら、台風なんて誰も彼もふっ飛ばしちまうような魔術なんて使えないだろ。
多分……魔道書は目的じゃねえ。お前は嘘をついている」
指摘に沈黙が続き、ようやくといった時間をかけてアルベルトは口を開いた。
「面白い妄想だ。学園都市ではそんなものも習うのだな」
「誤魔化すんじゃねえ。お前は別の何かのためにインデックスを狙っているんだ」
「……例えそうだとしても君に関係はないな」
声には詰問を切り上げようとする意思が感じられた。
(それじゃ困る……! 勝てないなら、せめてこいつを遠くへ惹き付けないと……!)
挑発し、インデックスではなく自分を狙わせる。あわよくばジャッジメントなり学園都市の警備までおびき寄せる。
作戦とも言えない人頼りだが、無力なまま負けに甘んじるつもりは上条にはない。
「違う。関係とかじゃなく、お前には言いたくない理由がある」
アルベルトの眉間に皺が寄った。
「何故、そう思う」
「女の子を巻き込みたくない癖に、女の子をさらおうとするからだ。おかしいだろ」
「禁書目録と、ただの学生では価値も立場も違う」
「違わねぇ! テメェは誰かを傷つけたくないと考えているのに!
人様に言えないような理由で、インデックスを連れていこうとしてやがる!」
「黙れ」
声と同時に放たれた風の弾を初めて上条は避ける事ができた。
見えたわけではない。今までモーションなく放たれていた風がスタッフを向けられた事で予測できたからだ。
「図星だから攻撃したんだ。何度でも言ってやる。
テメェはテメェの主義とか信条に反した事をしようとする、自分を裏切った恥知らずだ!」
「優しくしていれば……! 調子づくんじゃない……!」
ほとんど転がるように移動する上条を幾つもの銃弾が襲う。
触れられたくなかったのだろう。激昂しており、狙いはブレて一つも当たらない。
話してるうちに少しは回復した痛みや疲労を抱え、上条は走って逃げ出した。
「逃がさん!」
「CR」右方へ変更
風に乗ろうとアルベルトが浮いた瞬間、透き通った声が高く響いた。
「なっ……!?」
アルベルトは上条のほうではなく、右へと勢いよく飛んでコンクリートビルへ衝突する。
「がはっ……な、なにが……」
激していた分だけ風の勢いも強かったのか、アルベルトは大きくダメージを受けて、動けないようだ。
上条が自爆に驚く間もあろうか
「こっちだよ、とうま!」
「インデックス! なんでここに!?」
インデックスが逃げようとした先の路地から現れたのだ。
「それはこっちの台詞なんだよ! とうまがなんで魔術師と戦ってるの? 怪我は大丈夫なの!?」
「説明は後だ。とりあえず逃げるぞ!」
二人は路地へと駆け出した。
「これ以上は駄目なんだよ」
「どうしてだ?」
幾つかの路地と道を抜けた、人がいない広い道路でインデックスが歩みを止めた。
「人払いの結界から出ちゃう。きっと追いついてくるし、誰か巻き込んじゃうかも」
「……そんな奴じゃなさそうだったけど、さっき怒らせちまったからな」
一息ついて、お互いを見やる。
「で、どうしてとうまはこんなとこにいるのかな。お母さんお父さんと一緒だったんだよ」
「オマエこそ、小萌先生置いて何してるんだよ」
疑問と疑問がぶつかって二人はムッとした顔になる。
「私は魔術の気配を感じたから、追ってきたんだよ。すっごくダミーが多くてグルグル回って、色んなとこ探しちゃったかも」
「そういう事を聞きたいんじゃねえよ。なんで一人で行ったかって聞いてるんだ」
インデックスは不満げな顔をして、俯き顔を曇らせた。
「だって……せっかくとうまが家族と会えたんだから、邪魔しちゃいけないって思ったんだよ」
一年前から記憶を無くしており、以前の家族や友達も覚えていないだろう少女は
自身の身の危険より、上条の両親との時間が大切だと思っているようだった。
なんでこいつはそんな事を考えているのかと、上条の怒気は急速に沈む。
「……ばっかやろう。気遣ってつまんねー遠慮してんじゃねーよ」
「っあう」
ぺしっと頭を軽くはたき、フードごと頭を軽くかき混ぜる。
「父さん母さんは大事だけど、今すぐどうにかなるもんじゃねーし、インデックスも俺の家族みてーなもんだろうが」
「……とうま……ありがとう。すっごく嬉しいかも。うん……本当に嬉しいんだよ」
インデックスが顔を上げて、ちょっぴり涙を滲ませながらも上条へと微笑む。
「……でも、とうまも一人で戦ったりしちゃって。お互い様なんだからね」
それでも注意は忘れないのはインデックスらしいが。
「う……悪かったよ。なんつーかな……戦ってわかった。俺も人の事言えないかも。気負ってたよ」
「……?」
小首を傾げるインデックスに、上条は心中を吐露する。
「記憶を失う前の俺がお前を助けたりして、別の奴からも前に誰かを助けたって話を聞いたんだ。
ステイルって魔術師からも色々言われるし、俺がインデックスを守らなきゃって思った。
前はできたんだから、今の俺もできるはずってな」
「えっと、あの魔術師と会ってたの?」
「ちょっとな。後で話すよ。でもステイルはさっきのアルベルトって奴に倒されて、俺は相手にもならなくて……い、つぅ……」
「大丈夫!? さっきより酷くなってるかも……」
上条のシャツはボロボロになっていた。
隙間から見える胸板や腹は所々青黒くなって、熱を持った痣が幾つもできて痛々しい。
あまり大丈夫とは言えないが、手で制止して話を続ける。
「無茶だった。理由はわからないが幻想殺しが使えなくなって異能が消せないんだ」
「えっ」
息を飲んだインデックスが右手を見つめる。手には似たような青痣が残っている。
「そんななのに魔術師と戦って……? もしかして、とうまが怪我で記憶を失ったから? ……私の―――」
「わからない。けど誰かのせいって言うんならやっぱり俺のせいだよ」
「でも……」
「そんな場合じゃないだろ。とにかく本当に守りたいんだったら、一人じゃ駄目だってのがわかった。
だからインデックスも協力してくれ。さっきあいつが壁にぶち当たった時、インデックスが何かしたんだろ?」
「うん。強制詠唱(スペルインターセプト)って言って、魔術の制御を奪ったり乱したりできるの」
「それでアルベルトは俺に向かってくるつもりで横に吹っ飛んだのか。じゃあ風を飛ばしてくるのも防げるのか?」
「ポピュラーな精霊使いだね。多分大丈夫。私がいる限りとうまに魔術は当たらない」
「……頼もしいじゃねーか。よし。俺はあいつを殴って倒す。インデックスはそこまでの道を作ってくれ」
「わかったんだよ!」
作戦とすら言えない稚拙なものだ。
しかし近づく事ができない、敵と扱ってすらもらえない相手に、なんの能力もない上条が戦える可能性があるのだ。
(それだけで十分……!)
闘志が満ちる。身体の痛みよりも強く右手を握り締める。
逃げてきた路地を見れば、アルベルトが歩いてくるのが見える。同じ徹は流石に踏まないらしい。
「絶対に倒すぞ」
「うん!」
上条はインデックスの前を陣取りアルベルトへと立ちはだかった。
「一般人が本当に禁書目録の知り合いとはね、君はなかなか顔が広い」
「ほざいてろ。次はそうはいかない」
「ふむ……お姫様と守護の騎士、さしずめ私は悪い魔法使いと言った役どころかい?」
十メートルほど離れた距離で、身構える上条とインデックスを見て、アルベルトは複雑そうに唇を歪めた。
「わかってるならいい加減諦めろ。御伽噺ならお前が負けるシチュエーションだ」
「偉そうな口を……先程の妨害は禁書目録のものだろう。君は少女の手を借りないと戦えないのか」
「そうだ。俺は弱いから。こんなちっちゃな女の子の力でも借りなきゃ、魔術師なんて怪物と戦えない」
「とうま、ちっちゃいは余計なんだよ」
挑発に上条は乗らない。
アルベルトのように激せず、拳を握り、その時を待っているようだ。
目は爛々と輝き、どこか危険なものを感じさせる。先程まで痛みで這い蹲っていた少年とは思えなかった。
(だが……所詮は何の力もない一般人にしか過ぎない。真に注意すべきは禁書目録のほうだろう)
「どこ見てんだよ。俺を倒さなきゃインデックスは手に入らないぞ」
「君ごときが私を止めるつもりかね」
「今度は負けない!」
上条は突進する。
アルベルトがスタッフを向けると、空気が目に見えるほど歪んで風の銃弾が装填された。
瞬時に三十を超える弾が生成。上条へと殺到する。
「CFA」上方へ変更
しかしその全てが着弾する前に、インデックスの強制詠唱で空へと曲がり消えていく。
アルベルトは先ほど身を持って実感し、情報通りの力だったので驚きはしない。
銃弾による牽制で鈍るだろう上条の動きを予測し、続く行動で対処しようとする。
「なっ……!」
が、しかし上条は予想よりも早く接近してきており、辛うじてアルベルトは拳を防いだ。
つい先程、風によって傷めつけられたのに、同じ攻撃を向けられても躊躇することなく上条は向かってきたのだ。
(なんという精神力! 或いは禁書目録を信頼しているがためか……!)
ステイルの殺意にも似た気迫を目の前の少年から感じる。それはアルベルトが持っていない何か。
上条の拳を受け止めたまま、アルベルトも蹴りを返すが避けられる。
続く上条の拳と蹴りは酷く重い。
スイスで兵役を務めていたアルベルトは格闘訓練を受けており、身長も体重も上条より勝っているのに圧されてしまう。
「……ぐぅっ!」
顔面を殴ろうと振り下ろすような右フックを撃つと、上条は額で受け止め微かに流血。逆にアルベルトの右拳に強い痛みが走った。
喧嘩慣れしているとでもいうのか、でたらめな動きだと言うのに、アルベルトの攻撃を身を削りながらもしのぎ、攻撃を加えてくる。
「くっ……おおぉおぉっ!」
「とうま! 右に!」
苦し紛れに上条の足元へ発生させた身長ほどの竜巻は、事前に察したインデックスによって避けられた。
「TAF」進み捻じれよ
それどころか、竜巻の上端が捻るようにアルベルトに向かい、上半身に絡みついて束縛する。
「げふっ……ごぉっ……!」
隙だらけになったアルベルトに上条の左ボディが突き刺さり、顎が落ちたところに右フック。
好機と見た上条が右拳を強く固め大きく振りかぶったのを見て、アルベルトの瞳に覚悟が宿る。
「……! 逃げてとうま!」
切迫した言葉を聞いた上条の背にゾワリとした悪寒。
振るおうとした拳ごと身を引こうとするが
「がっ……!」
轟音と共に、目の前で起きた何かに吹き飛ばされた。
視界が黒くなり瞬きを何度もするが、なかなかはっきりと見えない。
ぼやけた何かが目にうつって、音らしきものが聞こえるが判断がつかない。
さらに数秒ほど時間が経ち視界の真上にインデックスがいた事に気づいた。
十メートル近くも吹っ飛び倒れたまま、意識が飛んでいたようだ。
「な、にが……起きて……」
「無茶苦茶なんだよ! 自分も巻き込まれるのに空気を爆発させてる!」
胃液を吐き出しそうになるのを堪え、抑え、打ちつけた背中の衝撃でふらつきながらも、上半身を起こす。
それだけで体中が痛み、同じ様にアルベルトも倒れ起き上がろうとしているのが見えた。
「……ふ、ふふ、禁書目録よ。魔術の制御をいかに乱そうが、単一の命令は邪魔できないのだろう……?
はぁはっ……できるなら……魔術の起動を、止めれるが、そうしないのだから……」
インデックスは表情を凍らせた。
風の銃弾の魔術構成が生成、射出、着弾、衝撃の開放という過程を辿り、目標に攻撃を
行うものだとしたら、強制詠唱はその生成を感知して射出以降の制御を奪い取るもの。
アルベルトは高密度に圧縮した空気を左手に生成、即時解放爆発させて、制御を奪われる前に衝撃波で自分ごと上条を巻き込んだのだ。
例えるならば、銃で相手を狙い撃つ代わりに、手元で暴発させ、その破片で攻撃する行為。
それは自爆と変わらない。
アルベルトもダメージは大きく、左腕は衝撃をもろに受け、骨まで砕けてしまっている。
「ごめんなさいとうま……! あんな事するなんて、予想できなかった!」
「違う……そうせざるをえないぐらい……アルベルトを追い詰めていたんだ……あいつも、必死なんだよ……」
上条は、ステイルと自分がそう行動させるだけの覚悟を、アルベルトにもたらしたのを知らない。
自身の安全を確保したままでは勝てないのだと、戦いを通じ理解させたとは。
(でも、勝機はある。アルベルトだって苦しんでいる……!)
仰向けから起き上がろうとするが
「あ、れっ……?」
地面につけた両腕から力ががくんと抜けて這い蹲る。
風の銃弾で一方的に打ち倒され弱っているのに加え、殴り合い爆発を食らって体力を使い果たしている。
「……先程までのは、火事場の馬鹿力というものかい……? 私も弱っているが君よりはマシなようだ」
「くそっ……な、んでだ……」
先にアルベルトが立ち上がると、上条とインデックスへゆっくりと近づいていく。
「あっ……」
「インデックス……逃げろ……」
「逃げるのはやめておいたほうがいい。逃げれば無防備な彼に遠慮なくとどめを刺させてもらう」
十メートルほど離れていた距離が詰められていく。
砕けた腕の苦痛が大きいのだろう。アルベルトの歩みは遅く、インデックス一人ならば逃げられる。
しかし、そうすれば上条は間違いなくやられてしまう。
かと言って、インデックスが戦っても腕力で勝てるはずもない。
動きたくても動けないまま
「どけ」
「きゃっ……!」
踏み込んだアルベルトによって腕で払い飛ばされ、インデックスは防ぐこともできずに倒れた。
「テメェっ……!」
砂利に爪を立て擦れる音が響く。
「よくもインデックスを……!」
腹の奥から絞り出す獣のような唸り声。
体力でも気力でもなく、精神力だけで上条はもがき、腕を踏ん張らせる。
「上条当麻。……君は酷く危険に思える。侮ってなどいられない」
上条を見下ろすアルベルトは空へスタッフを向けた。
耳鳴りがする。空気が密度を増し、頭上に巨大な物体が在るかのような質量が感じられた。
気流が吸い込まれて気圧が急激に低くなっていく。
魔翌力を感知できない上条にも、風の銃弾やさっきの爆発とは比較にもならないだけのエネルギーがあるというのがわかる。
きっと、人間なんて問題にもならない破壊力が内包されているということが伝わってくる。
上条は亀のごとき速度で上半身を起こし、立ち上がろうと足を曲げた。
とてもかわせるような状態ではない。その代わりと言うように、上条は右手をアルベルトへと向ける。
「命乞いを聞くつもりはない。死にたまえ!」
違う。そうではない。
右手は、インデックスを守るという確固たる意思で、拳へと握り締められたのだ。
「うぉあぁぁっ……!」
熱く吐息を吐き出し、地を蹴りつけ、上条は確信を持って右手を突き上げた。
上条の拳と見えない巨人の鉄槌が交差する。
人の拳では、魔術という不条理に勝てるはずもないのは自明の理。
儚い抵抗は無為に終わり、人だったものが跡に残るのは明らかだったろう。
―――されど、アルベルトは思い知る。
上条当麻にとって不条理とは、享受するものでも、うな垂れ諦めるものでもなく、その右手で打ち壊すものだと言う事を。
鈍く、軋む音が響いた。それは肉が骨を打ち、骨が肉を叩く打楽器の協奏。
「……おっ、ぐ……ごぉっ……な、にが……起きた……?」
立ち上がった上条の右拳が伸び上がり、アルベルトの顔面をカウンターで突き刺しているのだ。
空気を圧縮爆砕する魔術は、なかったかのように霧散霧消してしまっている。
樫で造形されていたスタッフも拳によって、粉々にされていた。
鼻血を噴き出し後退するアルベルトの身体がぐらりと傾く。足にきて震え揺れている。
「そうだ……禁書目録が……」
横を見るが、インデックスはまだ倒れたまま。そもそも強制詠唱によるノタリコンを聞いてはいない。
「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な……! 上条当麻……! 君に何ができたと言うのだ……!」
「……俺だってわかんねえよって言っても信じないよな」
強がり混じりの不敵な笑みを浮かべ呟く。
失われていた幻想殺しを実感できたのはこれが初めてで、どうしてそんな力があるのかも知らない。
でも理解る。なんでもないはずのただの右手に、どんな異能も超能力もぶち壊せる力が、確かに存在している事に。
「一つだけ教えてやる。俺とこの右手が上条当麻だ!」
右拳をまっすぐアルベルトへ向け咆哮。
「ひっ……」
無意識にアルベルトは風に乗って後ろへ数十メートルも跳ね飛んだ。正体不明の相手に怯え、逃げた。
「く……ぐぅぅ……! こんなものはあり得ない……!」
認めないと首を振って叫ぶ。プライドに縋り付き、恐怖を押し[ピーーー]。
「魔道書など無くとも! 我が力は天災に等しい!」
叫び魔術を全開で開放した。魔翌力を空間へ練り上げると、アルベルトを中心にして激しい上昇気流が立ち昇る。
十数秒もかからずそれは、雲の高さまで貫く巨大な竜巻となって空と学園都市を繋いだ。
雲を飲み込み広がって、上部だけが膨れ上がった歪な竜巻。
吹き荒れる風は耳が痛いほどの轟音を響かせる。
樹木や街灯に車など、地上にあるもの全てを嵐の中へと巻き込み吸い込んで、天へと運んでいく。
建物すらきしみ、今にも引っ張られそうだ。
竜巻は規模を増していき、このままならば上条とインデックスのみならず、学園都市全域まで被害が及ぶだろう。
「もう私でも止められないぞ! はははははははっ……!」
アルベルトの哄笑。
ふらつく身体で慌ててインデックスの傍へ寄り、飛ばされないように抱き上げた。
庇にした右手は魔術の風を無効化して無風の空間が上条の背後に広がっている。
「……あ、とうま……え……!?」
暴風の音と抱かれた感覚で目覚めたインデックスは、竜巻を引き起こしているアルベルトを見て驚愕に瞳を揺らした。
インデックスの耳に口元を寄せ上条は問う。
「これ、どうにかできるか?」
「え、えっと……この状態で強制詠唱すると色々巻き込んじゃうかも……」
何故か顔が赤いインデックスを見ないまま、上条は拳を握った。
「そうなっても構わないってことか……人を守るのが羨ましいんじゃなかったのかよ……」
こんな力を最初から使っていれば上条などひとたまりもなかったのに、今更のようにそれを行使した。
そもそも殺そうと思えばいつでも上条を殺せたのだ。
実行しなかったのはインデックスを連れ去る目的はあれど、アルベルトに守りたい境界線があったから。
でもそれはアルベルト自らが踏み越えてしまっていた。
「だったら―――テメェ自身が間違ってるとわかってるんだ。俺が止めてやる―――!」
上条は、油切れの機械のようにぎくしゃくとしながらも立ち上がった。
「インデックスは俺の後ろで飛ばされないようにだけ気をつけてくれ。幻想殺しは右手に在る。もう大丈夫だ」
「とうま……!」
見上げるインデックスの大きな瞳に右手が映り、喜びが灯った。
上条は眼前にある竜巻へ腕を向けた。
もし魔術でなければこの至近距離では、飛ばされ巻き込まれてしまうだろう。
しかし所詮はただの異能にしか過ぎない。疲労と苦痛でガタがきている身体でもなんの問題もない。
気負う必要もなく無造作に数歩歩く。ドアを押し開くよう渦の一部分に触れる。
刹那、静寂が空間を満たした。
竜巻は消滅し、異能に導かれた物理法則は消えて、吹き飛ばされたものは地に落ちていく。
「は……?」
大小様々な物が落下して、二台目の車が地面に潰れた所でアルベルトは行使した魔術が消えていたのに気づいた。
「終わりだ」
「は、はははっ……? ……な、ぜ……そんな……」
極大の魔術を破られ茫然自失のまま、恐怖で視線は上条を見ればいいのか離せばいいのか宙へ舞っている。
「く、くるな……!」
ほんの一歩、足を踏み出しただけで、アルベルトは後方へ飛ぼうとし
「RTB」後方から反転せよ
インデックスの強制詠唱で逆に上条のほうへぶっ飛んでいった。
「うわあぁあぁあぁぁっ………………!」
「サンキュ、インデックス……!」
腰を回し右腕を弓のごとく引き絞り、飛んでくるアルベルトの顔面へ、全身ごとぶつけるように硬く握った右手で殴りつけた。
鈍っと重低音が轟き、アルベルトの身体がノーバウンドで叩きつけられる。
確かめるまでもなく意識は寸断。起き上がる事はない。
強く息を吐きだし上を向けば、曇り空には巨大な円状の穴が開いていて、太陽から陽光が差し込んでいる。
戦いは決したのだ。
「やったねとうま!」
「……ああ、俺達の勝ちだ」
伏せていたインデックスが喜び走り寄るが、上条の状態を見て眉を顰めた。
「でも、とうま。酷い怪我なんだよ……」
「インデックスこそ、顔がちょっと腫れてる。救急車呼ばないと」
ポケットに手を入れようとしたが、気が抜けると両腕共に痛みやら痺れやらがあって動かせない。
立っているのもやっとと言った所だ。
「ズボンのポケットに携帯電話が入ってるから、取り出してくれ」
「うん。わかったんだよ。んっとこっちかな」
「あ、いや右じゃなくて、左ポケットのほうに……」
伝えていると上条の視界が暗くなって地面に影が差した。
「……!?」
もう雲が流れたのかと上を向けば、数十メートル先から車が降ってくるのに気づく。
落下は速く、きりもみ状に回転しているのに、不思議とナンバーがはっきりと見えた。
雲よりも高く飛ばされた車が、不幸にも直撃する角度で向かってきたのだ。
(……やばい! 逃げないと……!)
とっさに地を蹴って、インデックスを押し出そうとする。
「……と、とうま?」
しかし、限界に達していた体は言うことがきかず、意に反してもたれかかるようにしか動かなかった。
「あ……」
インデックスも上条の肩越しに車に気づいて、身体を硬直させる。
この世界で最も単純で強い物理法則。質量と速度に幻想殺しは通用しない。
一歩も動けない二人が押し潰される直前、視界は紅蓮に染まった。
「うわ!」
「きゃっ!」
熱気に二人が目を瞑りながら倒れると、車は轟音と共に吹っ飛び、地面に何度もバウンドして遠くで爆発する。
「やれやれ……最後までかっこはつかないものだね」
炎弾の爆発で二人を救出したステイルが呆れ顔で現れた。
「ステイル……! サンキュ助かった!」
「あの状況じゃ君ごと禁書目録も圧死するからね」
「なんでもいいよ。ホント助かった」
言外にお前一人では助けなかったと言っているようだが、あまり上条は気にしない。
「それよりも、いい加減離れたらどうだい?」
「とうまぁ……重いんだよ……」
「おっ……!?」
ステイルは上条とインデックスを半眼で見ている。
上条はインデックスを押し倒しているような体勢になっていたのだ。
「ぬ……てりゃ……いてて……」
しんどそうに転がって上条は地べたへ横になり、インデックスは身を起こし埃を払っている。
「とうま、立てる?」
「無理かも……すっげぇきついし痛いし、このまま寝ていたい……」
「じゃあ救急車くるまでこうしてるね」
インデックスは正座で座ると上条の頭を膝枕する。
「お、おい、これ目茶苦茶恥ずかしい」
「だってこんな硬いとこじゃ頭が痛くなるんだよ」
「お前こそ、足痛くなるだろ」
「私は平気かも。この感じ……五分ぐらいなら大丈夫そうなんだよ」
「あんまり平気そうじゃねえ!」
「ふうん……仲がよろしいことで」
(なんか怒ってるっぽい!?)
先日の口ぶりだけではよくわからなかったけれど、インデックスを守ろうとしているだけに、何か思う所があるのかもしれないと思った。
当のインデックスは、ステイルから発せられる無言の怒気に気付いていないのか
携帯を恐る恐ると取り出してどうするの? と言った感じで上条を覗き込んでいた。
「えっとだな……」
上条はダイヤルを押してもらい、救急車を呼んだ。
「……さっきの竜巻で少し被害があったみたいだな。なんか慌ててたよ。
それよりもだ、ステイル。俺だけの力じゃないけどインデックスは守れた。……これで文句は言わせないぜ?」
「…………」
「どういうことかな……?」
先日の上条とステイルの諍いをしらないインデックスは疑問符を浮かべている。
「……まぁ、僕も負けちゃったしね。合格だよ上条当麻。君は魔術師と戦える実力があると証明した」
「よし! ふはははは、敬え崇め奉れー」
昨日のお返しとばかりに驕ってみる上条。
ステイルは女学生を庇って負けたとは、おくびにも出さず
「おかげで僕もやりやすい。禁書目録に頼まないといけない仕事もあったし、人手が足りてないんだ」
「え゛」
続けられた予想外の言葉に上条は濁った声を出してしまう。
「禁書目録を守っていればそれでいいつもりかい? 彼女の手伝いをしないとパートナーとは言えない。
この学園都市はなにかと魔術師達に人気だから。退屈はしないと思うよ」
「どうしてもとうまを巻き込まないといけないの?」
インデックスは以前ステイルから、自分が必要悪の教会に属しているシスターだというのを聞いているため、自分が働くのに疑問は持たない。
「君一人では魔術師に勝てないからね」
「そうだね……」
ステイルが肩をすくめながら問いに答えると、少しだけ悲しそうにインデックスは頷いた。
「あーもうわかった。任せろ。なんだってやってやる。魔術師なんか幻想殺しで楽勝だ」
『調子に乗りすぎ』かも、だね。
見かねた上条は強がってみるが二人にいきなり否定されて
「とうまの幻想殺しはあくまで魔術を消せるだけのげんこつ一つなんだよ。対抗できる魔術だって色々とあるんだから」
「僕は決着をつけた所しか見てないけど、禁書目録がいなかったら逃げられていたんじゃないか。大体女の子に膝枕されながら偉ぶられてもねえ」
「悪かった……」
平謝りするしかなかい。
「でもだ。インデックスがやらないといけないなら俺も手伝うよ。言われたい放題はもう沢山だ」
「いい心がけだね。……それじゃ、救急車も来たようだ。僕は退散するよ」
サイレンの音が聞こえてきて、インデックスは道路のどちらから来てるのかわからずキョロキョロと見回している。
ステイルは気絶しているアルベルトに体重を軽減するルーンを貼ると軽々と持ち上げた。
「く……」
とは言っても痛めた身体には若干負担があったようだが。
「そいつはどうするんだ? あとお前大丈夫なの?」
「君に心配される筋合いはない。こいつは情報を絞るだけ絞りとって始末するさ」
「ま、待ってくれよ。多分そいつはそこまで悪い奴ってわけじゃ……」
身体を起こそうとするが、身じろぎしか上条はできていない。
「良い悪いを決めるのは君じゃない。敢えて言うならアルベルト本人だね」
「どういう意味だ?」
「さて……ね。アルベルトも禁書目録を狙ってきているんだ。敗北が何を意味しているか本人も織り込み済みだろう。
なんにしろただで返すわけにもいかないのは君だって理解しているはずだ」
「それでも[ピーーー]のだけはやめてくれよ。頼む」
「……君はお人好しだね。考えてはおくよ」
そう言ってステイルがどこかへ行こうとする前に
「ちょっと待って。一応感謝しておくかも。さっきは死んじゃうとこだったし」
微妙な態度でインデックスは礼を言う。
「……どう致しまして。これも仕事だからね」
「むー」
ステイルも不躾に返答して立ち去ると、不満気に頬を膨らませる。
(なんかわざとらしいなあ)
自分から距離をおいているような。上条はステイルの様子にそう感じたが
「……ぅ、いたいんだよ……」
インデックスに注意を向けた。
赤くなった頬を撫でながら涙目になっている。
「大丈夫か? 救急車つくからあとちょっと我慢だ」
「うん……とうまこそ頑張ってね」
そうこうしてるうちに駆けつけた救急車によって二人は病院に運ばれていく。
搬送される上条は、ある意味戦いよりも難しい問題が待っている事をこの時は忘れていた。
退院して数日も経っていない病院に運ばれた上条は、馴染みの病室で馴染みのカエル顔の医者に怪我を診てもらっていた。
「僕も医者を続けて長いけど、君みたいな続けての入院は初めてだねえ。
竜巻で怪我をしたと聞いたけど、打撲痕を見る限り暴徒鎮圧のゴム弾でも受けたみたいだ。どこかでデモ運動でもしてきたのかい?」
捏造した怪我の理由をあっさりと見破られたりもした。
「…………いやーボールがぴゅーって飛んできてぶつかっただけですよ」
「ボールでこんな痕が幾つもできるほどの風が吹いてたら、この病院は患者どころか死体でいっぱいになるだろうねえ。
まあ突然発生して消えた竜巻なんて異常気象だから、そういう事もあるかもしれないけどね?」
苦しい言い訳をするが、医者はそこまで追及するつもりはないようだ。
「内出血は酷いけど幸い骨折はしていないみたいだ。麻酔も効いてくる頃だし少し休むことだね」
頷いて目を瞑る。
言うとおり痛みはあまりなく、気づかないうちに眠っていた。
夢も見ずに目を覚ますと、両親が気遣わしげにベッドの傍に立っているのに気づく。
「あ、……父さん……母さん……」
「当麻。大丈夫なのかい?」
「当麻さん。心配したのよ」
二人は気が気でない様子だ。瞳には怯えすらある。
息子が記憶を失ってから、立て続けに事故に遭ったと聞いてショックを受けているのだ。
窓を見ればもう夕闇が迫ってきていて薄暗い。
「まだ寝ていなさい」
「大丈夫だよ」
身体を起こそうとするとわずかな鈍痛。上条の体は包帯や湿布だらけで痛々しい有様。
インデックスも疲れたためか、椅子に座ったまま上条が寝ていたベッドの縁に腕枕で眠っており、右頬には冷却シートが貼ったままだ。
「インデックスちゃんを探しに行って竜巻に巻き込まれるなんて……」
「当麻さんもインデックスさんも……災難だったわね……」
詩菜が慈しみを込めて上条の頭を撫でる。
懐かしい、なんて思ったりはできないが、心地良くて安心できた。
「ごめん……心配かけちゃって」
「痛みは平気なの?」
「大分マシになったみたいだ」
「そう……よかった……」
涙混じりの鼻声になっている詩菜を見て胸が痛くなる。
やらなきゃいけない事とはいえ、傷つくことでこうも心配されるとこたえるものがあった。
「当麻。急かすようで悪いが、退院したら学園都市からすぐに引越しをしよう」
「……!」
突然の刀夜の言葉に上条は目を見開き驚いた。
「そろそろ潮時なんだろう。今までは大丈夫だったかもしれないが、これ以上は難しいのかもしれない。
こうも続けて事故に遭うなんて異常だ。父さんは信心深くないし迷信なんて信じたくもない。
けれど、十年近くなかった大きい不幸が、今になってお前に追いついてきたんじゃないかと考えてしまう」
思いつめた表情は悲壮に満ちていた。
「父さん。ごめん……それでも俺は帰れない」
「当麻……!」
悲痛な呼び掛けを聞きながらも上条は続ける。
「俺が記憶を失ったのも怪我したのも不幸なんかのせいじゃないんだ」
「……どういうことなんだ当麻?」
学園都市で暮らす事で一般的に不幸といわれるような出来事は起きるかもしれない。
けれども、それに出くわす理由は不幸ではなく、上条の行動故だ。
しかし説明するのは憚られた。
原因となった事件を伝えるのは両親を魔術師との争いに巻き込む可能性を生んでしまうから。
(だとしてもだ……)
「とうま」
「……起きてたのか」
逡巡していた上条の袖を、いつの間にか起きたインデックスが引っ張っている。
「あのね。話さなかったら、とうまも怒るんだよ」
「……ああ。逆の立場ならな」
「当麻。何か隠している事があるのか?」
上条は頷く。
インデックスが一人で魔術師を探しに行ったとわかって、感じた感情があった。
焦りや心配もあったが、なにより大きかったものは怒りだ。
そんなに頼りなく思えたのか、そんなに信用していないのか、そう思った。
実際、上条は負けてしまったし、家族を大事にしてほしいと思っての行動ではあったが、勝手に決めて行ってしまうのを許せなく思った。
両親に対しても同じ事。
出会う前は魔術を隠そうと考えていたが、秘密にされて喜ばないだろう。
何より上条も、両親に真摯な気持ちで接したかった。家族で在りたかった。
魔術に関わった事件など、納得してもらえるかはわからないが上条は言葉を紡ぐ。
「俺が記憶を失ったのも、今日怪我をしたのも魔術師と戦ったからなんだ」
「魔術師……」
突拍子もない単語だが刀夜も詩菜も真剣に、耳を傾けている。
「俺が記憶を失う前の話だから、まずインデックスから話してくれ」
「うん……とうまとね、初めて会ったのは、とうまのお家のベランダなんだよ」
インデックスは刀夜と詩菜に向き直って、少し前にこの病室で上条に話したように、物語の始まりを語りだした。
病院の面会時間を大幅に越えていたが、医者の配慮で話を続けられていた。
外は暗く、夜になっていて、語るインデックスと上条も疲れてはいたが、話を中断するつもりはなかった。
「それで……風を使い、昼間の竜巻を起こした魔術師を俺とインデックスで倒したんだ」
沈黙が続いた。
上条もインデックスも正直に全てを話した。
インデックスと出会ってから、巣食っていた魔術を破壊して代償に記憶を喪った事。それはもう戻らないだろう事。
幻想殺しの力や、魔術師と戦って、友人とは言わないが顔見知り程度になった所まで分け隔てなく語った。
その間、魔術についてなどの質問をしつつも黙って刀夜も詩菜も聞いていた。
話は終わり、刀夜と詩菜は考え込んでいるのか口を開かない。
「多分、信じられないと思う。俺もインデックスと出会った時は疑ってたみたいだし
俺達の常識で、魔術なんてオカルトを受け入れる訳がない。
でも、できれば信じてほしい。学園都市で俺にしかできない事があるんだ。だから帰れない」
語ろうとする上条を、刀夜は手で制した。
「信じるよ当麻」
「当麻さん。もちろん私も信じるわよ」
「父さん……! 母さん……!」
「よかったねとうま!」
上条とインデックスは少しだけ微笑む。しかし本題ではなく足がかりにしかすぎない。
「けど、荒唐無稽つーか有り得ない話なのに―――」
「こんなにも真剣な目をしてる子供を信じない親がどこにいる」
事も無げに刀夜は告げる。
「それに在り得ないという話でもない。父さんも竜巻が出てすぐに消えるのは見た。
月詠先生から聞いたアパートに穴が開いた事や、原因不明の人工衛星が壊された
ニュースも学園都市に来る前に見た。荒唐無稽とは言うが証拠はあるし
当麻がこんな嘘を吐くのも逆効果だろう。しかし、真実だとしても
……いや真実だからこそ当麻が危険な目に遭うのをほおってはおけない」
「……それでも父さん達には納得してほしい。戦いに巻き込みたくないんだ」
「父さん達にそのまま帰れと?」
逡巡しつつも上条は頷いた。
「お前は親を何だと思っているんだ? 子供が危ないかもしれないのに、置いていけるわけないだろう」
「…………」
怒る刀夜に口ごもる上条。
これからも戦って危険な目に遭うかもしれない。
けれど気にせず帰ってくれと、無茶を言っているのが自分でもわかっているから。
刀夜も唇を引き締めて、これ以上強くはいえないようだ。
上条の傍らで、申し訳なさそうに小さくなっているインデックスを助けたのが息子の力だと理解している。
上条が戦わなければ、ここにインデックスはいなかったろう。
親子はお互いの心情を慮るが故に、言葉が出せなかった。
「……当麻さん的には記憶を失って平気だったのかしら?」
「!」
沈黙する息子へ詩菜はおっとりと声をかけた。
優しい表情や口調とは裏腹の鋭さに、どくんと上条の鼓動が鳴った。
その問いかけは、上条が家族関係そのものをどう思っているかの核心のようなものだからだ。
「母さん……それは……」
刀夜も気になってはいたが、深く切り込めなかったというのが窺い知れた。
息子が記憶を失った事で、親をどう思っているのか聞くのが怖かったのだ。
「……最初は平気だったよ。何もわからなかったけどインデックスがいてくれて助かった。
でも母さんも父さんと会って、悲しんでる二人に俺は何も言えなくて。
記憶を失うというのが、とても怖くて悲しい事だとわかった。俺は大事な家族を忘れていたんだってその時に気付いたよ。
できるなら、父さんと母さんとも一緒にいたい。けどインデックスを置いていくわけにもいかないんだ」
心中を吐露する上条の表情は暗い。
二者択一を迫られてインデックス側に寄っているのが、申し訳なさそうだ。
「そう……辛かったわね……当麻さん優しいから……」
詩菜は上条を抱きしめた。優しく背中を撫でられると、泣きそうな気分になってくる。
「刀夜さん決めました。私達も学園都市に住みましょう」
「……えっ」
「……なるほど」
「えっと……」
詩菜の突然の決断に、三者が思い思いに声をあげてから
「ちょ、ちょっと待ってくれよ母さん。今までの話聞いてたのかよ。俺は巻き込みたくないから―――」
上条が反論する。だがしかし
「それがおかしいと思うわ。当麻さんはインデックスさんが怪我した時に、月詠先生に助けを求めたんでしょう。
先生は巻き込んでよくて、私達はダメなのかしら?」
「う……」
ゆったりとした口調ながらも、畳み掛けるように詩菜は言葉を重ねる。
「学生寮だって火事になったんだから、学校のお友達も被害に遭ってると言えるわ。
当麻さんは家族だけが安全なら、それでいいの?」
「うう……」
詰問に上条は唸った。
家族を守るというのは、とても、とても大事なのは間違いない。
とは言っても、他人は気にしていないのかと面と向かって言われれば、流石にそうとは返せない。
家族とインデックス以外を簡単に切り捨てれるような上条ではない。
「ね。前提に無理があるのよ。当麻さんが迷惑をかけたくなくても、多かれ少なかれ誰かを巻き込んでしまうの。
だったら私達がいても別にいいんじゃないかしら」
「いや、でもそれは…………」
「と、とうま……! そんな助けを求めてるように見られても困るのかも……」
上条が横目に見たインデックスは話に入り込めず、聞くがままだ。
刀夜が学園都市から上条を連れていくと聞いて動揺したが、口を挟めたのは秘密にしてはいけないという部分だけ。
家族が決める事に踏み入ってはいけないと自省していた。
「それじゃあインデックスさんにも質問。当麻さんにどうしてほしい?」
「あの……その……!」
突然、話を振られて手をわたわたと揺らすインデックス。
しばらくそうしていたが、真剣に自分を見つめる詩菜の瞳を見返していると慌てていた手が落ち着いていく。
「……とうまは家族と一緒にいるべきだと思うんだよ。私は家族を覚えていないから……
とうまにはお母さんとお父さんを大切にしてほしいかも」
「インデックス……」
上条を見つめて、躊躇いを相貌に浮かべながらも
「…………けれど私もとうまと一緒にいたい。ずっと傍にいたいんだよ」
思いを吐き出した。
インデックスが上条と出会ってからは、まださほどの月日は経っていない。
しかし灰色の一年の記憶を思えば、上条と出会ってからの日々はインデックスの世界をどれだけ鮮やかに彩らせたことか。
上条と出会う前のインデックスは、人間の形をした自律する魔道図書館でしかなかった。
インデックスは上条と出会って初めて人間で在れたのだ。人と成ったのだ。
「でも……私がいなかったらとうまは記憶喪失にならなかったんだよ……」
「……何度も言わせんな。インデックスの責任じゃねえ。俺が好きでやったことだよ」
暗い顔のインデックスに上条が言葉をかけるが、やはり明るくはならない。
「そうだなぁ。当麻の記憶に関して、インデックスちゃんに思わない気持ちが無いわけではないよ」
「……」
悲しげな上条の視線に刀夜はまあ聞けと手で抑える。
「ただ、それを責めるのは当麻の選んだ選択までをも責める事になる。私はそうしたくない。母さんも同じだろう」
詩菜は隣で頷いた。その微笑みから芯の強さが感じられた。
悲しくても、自分達のために抑えてくれているというのがわかる。上条当麻とインデックスを尊重してくれている。
「何よりもだ。嬉しいことをインデックスちゃんは教えてくれたんだ」
「嬉しい?」
インデックスはきょとんとした顔で刀夜を見上げる。思い当たるものがなかった。
「当麻が本当は不幸ではないってことだよ」
見つめ返してにっこりと刀夜は笑う。
「幻想殺しというものに、不運になりやすい副産物があったとしてもだ。
当麻はインデックスちゃんを助けるために、幻想殺しを使ったんだろう?
だったらそれが。人を助けた力が、不幸なんてものであるはずがない」
「うん!」
明るく、笑顔で強く頷く。インデックスもよくわかっていることだから。
「……なんつーか変な気分だ」
照れ隠しに上条は苦笑。
「じゃ決まり。みんなで一緒に住みましょう」
「ふぇ……」
「う……」
詩菜はインデックスと上条を両腕で優しく抱きしめる。
「当麻さんもインデックスさんも二人だけで苦労を背負わないで。私達でもきっと手伝えるんだから」
「ありがとうなんだよ……」
「ありがとう……」
子供らは母の抱擁に涙ぐみながら
「……その、父さんも混ぜてほしいな」
遅れて参加しようとする父に微笑みを誘われて、一緒に抱きしめ合った。
「引越しの準備をしないといけないな」
「ホントに魔術師が来たとき、大丈夫かなぁ……」
マイホームをどうするのか、色々と苦労するだろうが、刀夜に迷いは無いようだ。
今まで上条のために蓄えたオカルトグッズの処分を考えたりしている。
上条は不安を持ちつつも、これ以上反対するつもりはなかった。
両親とインデックスが喜んでくれているようだし、自分だって負けないくらい嬉しかったからだ。
「しいなしいな、本当に私もいていいの?」
「もちろんよ。私も娘ができたみたいで嬉しいわ」
「娘……えへへ。とうまも家族って言ってくれたかも」
「ほほう当麻。もうプロポーズを済ませてたとはやるじゃないか」
「あら。あらあら。当麻さん的には結婚願望強いほうなのかしら」
「そんな意味じゃねえよ!」
といったつっこみは家族の耳に入っていないようだ。
(……まあいいか)
呆れ混じりに上条はため息をついた。
戦うのは不安だし、魔術師からインデックスを守り、両親を傷つけさせず
できれば心配もかけたくないというのは、ハードを通り越してレジェンドとかインポッシブルとかいった無茶な難易度だろう。
ハードルを上げるにもほどがある。
しかしインデックスと両親と一緒に暮らせるのだ。これ以上のものが望めようか。
(そのためだったら、幾らでも戦える……!)
人知れず上条は決意に燃えていると
「お話は終わりましたか」
「ああ、大変申し訳ない。ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、息子さんも大変なようですし」
カエル顔の医者が現れて退出の案内を始めた。
「そっか。とっくに時間だよな。父さん達は先に帰っててくれよ。インデックスもどうせ腹空かせてるだろ」
「任せなさい」
「む。とうまはすぐそんな言い方するんだから。確かにお腹ペコペコだけども……!」
「だったら強がってるんじゃねえ。すぐ退院するから。とにかくまた明日な」
「うん」
インデックスは上条と刀夜と詩菜の顔を順繰りに見る。皆でご飯を食べたかったようだ。
「早く退院したいのならいいものがあるよ。まだ試験中なんだけどね」
なにやら医者が箱を取り出した。
そこには大丈夫。学園都市製だよ。などと書かれた栄養サプリメント的な食物品。
有体に言って、プロテインが詰め込まれていた。
「えー?」
「アミノ酸の遺伝子改良をして、高密度のタンパク質形成に成功したとかで
サンプルが送られてきたんだ。他に食物も作っているし、信頼の置ける会社だよ」
「うわ、米買った時の写真が載ってる」
白衣と顔が見えないゴーグルに包まれた人達が、白っぽい粉をどっさりと両手で掲げてる様子は、なかなかに怪しい。
「……インデックス。腹減ってるだろ。ちょっと一口―――」
「とうま……私とうまが退院するの、ずっと、ずっと待ってるんだから……!」
「いきなり見捨てやがった!」
だっと音がでそうな勢いでインデックスは上条夫妻を引っ張って逃げていく。
「いやいや、本当に効くんだよ。この会社はなかなか革新的な所でね。
以前なんてプロテインの中にミオスタチンを阻害させる薬物を入れることで
服用した被験者の腕が一週間くらいで倍に膨らんで……」
「革新つーか進化だろそれ!」
「はっはっはっ、ビルダーの方々には人気だったけどドーピングを疑われてね。科学の発展と倫理問題は切っては切れないものだねえ」
叫ぶ上条と煽る医者が、看護婦から周りに迷惑ですと怒られるのはこれから五分後の事であったそうな。
アルベルト=フォン=シュピッテラーは、過去の夢を見ていた。
彼はスイス人で、ドイツ系の血を引く風の魔術を生業とする家に生まれた。
裕福で幼い頃から不自由なく育った彼は、魔術を習っていた事もあり誰にも負けないほどに優秀であったが、心にはいつも空虚なモノを抱えていた。
それは両親が魔術師としての生き方を教えてくれていても、家族としては失格であった事や
スイスの多様な人種の中では拘る必要もない、元貴族という血筋に執着しているせいかもしれなかった。
彼からすれば魔術師は、我を通すためならば、どんな事でもするだろう人でなしで、貴族の証であるフォンは単なる名残にしか過ぎなかった。
魔術の腕や、貴族としての立ち振る舞いは優れていたが
それは家族が望んでいたもので、彼が本当に欲するものではなかったのだ。
少年期を過ぎて、彼に熱を吹き込んだのは自国にある一つの史実だった。
それは御伽噺やフィクションではない、スイスがヨーロッパで傭兵業を営んでおり戦争が続いていた中世。
傭兵が金のために裏切り、戦争からの逃亡を図るのがごく当然の時代
スイス傭兵は勇猛で忠誠心が高く、諸国の王や領主から大変な人気があった。
ローマ正教の中心地であるバチカンにも、百九十人ほどのスイス傭兵が衛兵を務めていた。
しかし1527年、世界に所領を持ち、ヨーロッパを席巻する神聖ローマ帝国がバチカンへと侵攻したのだ。
歴史ではローマ略奪と呼ばれ、軍はローマの何もかもを破壊し、略奪の限りを尽くした。
当時の教皇クレメンス七世も捕らえられようとする中、スイス衛兵らは数千の軍を
相手取って教皇を護り続け、城へと逃げ込み篭城するまでに百四十七人が戦死し、四十二人しか生き残れなかった。
教会は深く感謝を示し、バチカンの衛兵はスイス人と定められたまま、五百年をかけ現在にまで至っている。
英雄譚というにはあまりに血生臭く凄絶な話だ。
けれども、スイス傭兵の勇気と覚悟と誠実さを疑うものは、誰もいないだろう。
アルベルトは自国民への敬意と共に、自分もこう在りたいと憧れた。
史実のスイス人とは血の繋がりはないものの、両親から伝えられた魔術や貴族などよりは生き方として、ずっと貴いと、そう想った。
彼の魔法名Superbia194に込められた『我が誇りは守護の槍斧と成りて』はその決意の表れだ。
本当に欲しかったものは、歴史と祖国にあったのだ。
バチカンの衛兵はスイス国籍を持つ若い軍人が努めており、スイスの成人男子には兵役が義務付けられている。
幸いにも彼は座学も軍人としても優秀で、軍の上官も同僚も、就任は間違いないだろうと考えていた。
ところが、それにストップをかけたのはよりにもよって、バチカンからの伝書だった。
衛兵と成りえるには、素性や人格に問題があると、戸惑う上官からそう伝えられた。
素性と言われても、スイスにはドイツ系の人間は非常に多く、現役で務めている衛兵もいるため、理由としてはあまりに不適当だ。
両親が持つ貴族への妄執は考えられる一つではあったが、他国の衛兵業務に影響はしない。
魔術にしても、一般には秘匿されており、ローマ正教には魔術を扱う部隊も存在するため
助けにはなれど反対する理由になるとは思えない。
軍での問題行動や前科も無く、真っ当に生きているアルベルトが人格を疑われる言われもなかった。
夢を意味不明なまま潰され、酒場で酒を呷るアルベルトは、場違いな法衣を着た男に声をかけられる。
男はアルベルトの持つスイス衛兵への想いを知っており、自分ならば願いを叶えられると書類を取り出した。
それはローマ司教ビアージオ=ブゾーニのサインが入った衛兵への推薦状。
目の前にある夢を掴むチケットに、アルベルトは切望し縋り付いてしまう。
落ち着くように言われ、代わりにと条件に出されたものは、日本に在る十万三千冊の魔道書を保有する禁書目録の奪取だった。
写真で見せられた幼いシスターにしか見えない少女の頭にそれがあると。
アルベルトは、添えられた禁書目録を守る魔術師や学園都市の資料に目を通しながらも、疑問を覚える。
強大な魔道書を持つとはいえ、どうしてローマ正教がイギリス清教のシスターを狙うのか
何故自分に依頼をするのか、反対はこのためだったのか、考えつつもそれを胸の内に飲み込んだ。
現実として反対を受け、真っ当な手段では衛兵に就くのは難しい。
ローマ司教の推薦状がある今、これしか道はないと、打算的に男の提案を受け入れた。
手段と目的を履き違えた、歴史にあるスイス衛兵の誠実さとはかけ離れたものだとしても、自分を誤魔化した。
担当外の人事をサイン一つで行った、ビアージオの手間をかけないやり口だと、もし知っても、受け入れていただろう。
アルベルトが最初からそういう男であったと考えるべきなのか。
彼の想いを利用し歴史を冒涜する、司教の策略を憎むべきなのか。
どちらにしても、彼は夢を叶えるため、誇りに背を向けた。
それは欲望と妄執に彩られた、両親の望む魔術師像であったに違いなかった。
アルベルトは意識を取り戻す。
見渡せば仮滞在に使っていたホテルのベッドで寝ていて、近くにはステイルの姿があった。
倒された上に居場所まで突き止められ、暢気に敵の前で寝ていたのだ。
顔と左腕が酷く痛み、身体には幾つかの火傷と殴打が残っているが動くには支障はない。
戦えるかもしれないが、この間合いではステイルの炎に勝てないだろう。
それ以前に、戦う気力など欠片も沸かなかった。
「私は上条当麻に負けたのか」
「ああ。お前は負けたよ」
「何故私は生きている」
「お前は僕と戦う前に仕事と言ったな。誰の差し金か、口を割らせないと。
とは言っても、もう終わったよ。お前の頭の中は既に調べ終えた」
今しがたアルベルトが見ていた夢はステイルのルーンによって、情報を引き出されていたものだ。
羞恥を感じたが、どうでもよかった。アルベルトの中で何もかもがもう終わっている。
「ならいいだろう。殺せ」
「命乞いしないのかい。バチカン衛兵とやらにはなれないよ?」
「記憶を読んだのならわかるだろう。そんな資格はない。私には誇りなど無かった。
過去に憧れ夢を見ていただけの利己的で純粋ですらない子供だ。だから勝てなかった」
迷いを捨てさるほどに渇望があれば。もしくは迷いを飲み込めるほどに大人であれば、足をすくわれることは無かっただろう。
「僕は負けたんだけどねえ」
「あんなもの勝ちだと言わん。私はあの時、炎の一振りで間違いなく死んでいた。それは見逃されたというのだ」
ステイルは口の端をあげた。
「そんなつもりはないんだけどね。お前は実力も戦い方も悪くはなかった」
「だが負けた。貴様と上条当麻に。……上条当麻になんの力があったかはわからないが
彼には禁書目録を守ろうとする信念と、自己を省みないほどの闘志があり
私の裡にはそれに匹敵する何かがなかった。迷いばかりがあった。少女をさらおうとする外道などそんなものだ。……もういいだろう殺せ」
「死にたがりはつまらないね」
ステイルの手に炎が宿りアルベルトは目を瞑る。
家族も夢も思い出さない。そんな価値は自分にはない。
焼死者が出るホテルには迷惑をかけるなとだけ考えながら、炎を待つ。
しかし、五秒、十秒と経っても何も起きず、訝しげに目を開きステイルを見た。
「ホテルの従業員に顔を見られているんだ。こんな所で殺せるわけないだろう?
それに実の所、お前は僕の予想していたような敵とは少し違っていてね。聞きたい事があるんだ」
「……なんだ」
「お前は何も守れないまま終わって、それで満足なのかい?」
歯が擦り合わされる、鈍く軋む音が部屋に響いた。
「そんなわけが……! そんなわけがあるか! 私は守りたかった!
国もバチカンも! 我が力の全てを尽くして、そうしたいと願っていた!」
痛みを忘れ立ち上がり、ステイルを見据え火を吹くようにアルベルトは叫ぶ。
「……だが、私は愚かだった。挫折に屈して本質に目を瞑り、単なる称号に縋った。
衛兵を反対されたのも当然の話だ。私は最初から歪んでいる人間なのだから。
守護など似つかわしくない魔術師だった。貴様とも上条当麻とも違っていたのだ」
一瞬で鎮火した吐露は自虐的で、情けなくすらある。
「やれやれ。エリートってのは負けると折れやすいね。だが誇りが無くなった訳でもないらしい。
……もう一つ聞くが、お前の誰かを守りたいという気持ちは本物なのか?」
「どういう意味だ」
「お前に衛兵とは言わずとも、守護の仕事を紹介してやろうと言っているんだ。
バチカンとは相容れないかもしれないけどね」
「それは貴様と上条当麻が守る……禁書目録の事を言っているのか?」
「そうだ。お前はなかなか使えそうだ」
「馬鹿な……私は敵だったのだぞ。また彼女を襲うとは思わないのか」
「お前に誇りが残っていないのなら。自分を二度も裏切れるのならそうするだろうね」
「…………人の心を読んでおいてなんという言い草か。悪魔か貴様は」
言うとおり、少女を引き換えにして手に入れたいものなど、もうなかった。
アルベルトは憑き物が落ちたかのように、さっぱりとした表情を浮かべている。
「負けて失うだけだった命だ。こちらからも願いたい。
私はお前達の力が知りたい。守るための力を。薄っぺらな私の誇りと力を真実の意思へと変えたい」
戦いに負けて、喪った夢の代わりというには、あまりにかけ離れたものだろう。
しかしアルベルトの心にはそれ以上の熱と風が吹き込んでいた。
ステイルと上条の闘志が戦いを通じて伝わったかのようだ。燎原の火のごとく胸の奥で燃えさかっている。
「僕も上条もそんな大仰なものは無いと思うけどね。
まあいい。ようこそ必要悪の教会へ。とは言ってもお前は一時的な傭兵みたいなものだけれど」
「望むところ」
肩書きに拘るタイプのアルベルトは、若干嬉しそうだ。
「格好つけている所悪いが、頬を触ってみなよ」
「む……凄いなこれは……痛みも増してきた……」
「左腕と一緒に、まずは病院に行ったほうがよさそうだね」
アルベルトが頬に触ると、大丈夫かと思うほどに腫れていて、ステイルが小さく笑う。
釣られたようにアルベルトも笑い、その拍子か痛みのためか、それとも別の理由かで瞳の端から涙を零す。
ステイルは、それを見ないふりしたまま煙草を取り出すと、火を点し紫煙を深く吸い込んで美味そうに目を細めた。
終了
基本R-18書きなので別の板で書いていたのですが、書き込み行や書き込み時間などここは利用しやすい板でよいですね
>>18
すみません、改行タイミングが掴めませんでした。これで終わりです
色々すみません。
改行についてですが、以前から書いてたエロパロ板でそういった指摘を受けたことがなく
SS速報での流れがよくわかってませんでした。以後気をつけます。
一応行間が最初からあるpixivでのURLを置いときます。
ttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2513862
それと、お褒めの言葉は本当に、大変とっても有り難いのですが、続きは現状考えていません。
もしやるんならインデックスの出番的に魔術側の話だと思うんですが、ストーリーものに慣れてないため、何一つ展望がないです。
今作完成に何ヶ月も時間がかかっており、エロが書けなかったので次に何か書くものはこの話とは全く関係ないエロにするつもりでした。
後であるのに気づいたのですが、とあるシリーズSS総合スレに投稿すべき量だったのもすみませんです。
乙ありがとうございますー
上インの小ネタ書きます パロディで元ネタはヒナまつりです
上条は玄関のドアを開けて突如叫んだ。
「毎日毎日こんなん我慢できるかー!!!」
「ふぇ? 突然どうしたのとうま?」
「どうしたもこうしたもあるか! 部屋散らかしすぎだろ!」
「えっ、だってその、いつもこんな感じかも」
「そのいつもを! 食べた食器にスフィンクスの毛や、スナックの袋に、出しっぱなしの漫画を片付けてるのは俺ですー!!」
「……えーと、私は食べたり遊んだりする人で、とうまは作ったり片付けたりする人だからなのかも」
「不公平すぎるわー! なのでっ、特訓だ!」
「えええっ? ひゃっ! なんか怖そうな眼鏡の人がきたかも!」
「常盤台の寮監さんだ。インデックスには常盤台でお淑やかになってもらいます!」
「任せろ。借りは返そう」
「と、とうま―――きゃ~~~」
インデックスが連れて行かれて一週間の時が流れた。
「……いないならいないで張り合いがないつーか、ぶっちゃけ寂しいなぁ」
「にゃぁっ、ガリガリ」
「わ、悪かったよスフィンクス。引っかくなって」
ガチャ
「あ、インデックス……!」
「ただいま帰りました。とうまさん」
「えぇ?」
「今まで大変ご迷惑をおかけして申し訳御座いません。ペコリ
私が至らないばかりにとうまさんに大変辛い思いをさせてしまって……」
「え、あれ、その、いや」
「スフィンクスさんも、ちゃんとお世話できなくてごめんなさい」
「にゃぁっ~~!」
「隠れた……あ、そうだ。夕食にしよう! インデックスも久しぶりに俺の作った食事食いたいだろ!」
「はい、とうまさん」
「…………ほらできた! こんな事もあろうかと上条さん奮発してステーキを用意してて―――」
「すみません。修行中の身なれど、聖職者として肉食は禁じられてまして……」
「そ、そうだったな! ところで、常盤台では一体なにしてたんだ?」
「すみません。お食事中の私語を禁じられていまして……」
「そうだよな! お嬢様だもんな!」(どうしよう! 気まずい!)
「ごちそうさまです」
「ごちそうさまってインデックス、オマエいつもの三分の一も食べてねーぞ」
「これぐらいが普通です。とうまさんは座っていらしてください。私が洗い物をしますので」
「あ、ああ」
カチャカチャカチャ キュッキュッキュッ
(割らずに洗えてる……常盤台すげぇ……)
「……ごめんなさいとうまさん」
「え?」
「とうまさんはいつも美味しいお食事を作ってくださるのに私はこんな事しかできなくて。
お料理も勉強したのですが、適正がないと先生はおっしゃっていまして」
「そ、そういうこともあるよな!」(常盤台でもそこはダメだったんだ……)
「終わりました」
「そっか、じゃあ久々だしゲームでもしようぜ」
「すみません。そろそろ就寝の時間になります」
「まだ九時前なのに?」
「はい。スケジュールを決めていただきまして。守らなければいけません。
私は床で寝ますので、とうまさんはどうぞベッドをお使いください」
「いや、いい! 布団も無いし、今日の所はベッドで寝てください! お願いします!」
「あ……はい、では就寝前にお風呂に……」
(一体何が起きてるんですかー! お淑やかすぎて逆に怖い! こ、こうなれば荒療治あるのみ!)
ガチャリ
「きゃっ」
「あ、ワリィ。間違えて開けちまった」(こ、こい! ほらっ! ガブッときやがれ!)
「そんなに見ないで下さい……恥ずかしいです……///」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! すんませんしたー!!」
そんなこんなで次の日の放課後。
「お帰りなさいませ、とうまさん」
「あ、ああ。……インデックス。なんか顔色が悪くないか?」
「そんなことありません。私は……」パタッ
「倒れたー!? おい! しっかりしろインデックス!」
「―――警告、極度の栄養不足、及び心理的圧迫により生命維持に支障があります」
「え、えっ? なんでインデックスの目が赤くなって浮いてんの?」
「よって、原因となった障害、上条当麻の排除を開始します」ゴウゥッ!
「吹き飛ばされ……! うわっ空間割れたりビーム出てきた!」
「聖ジョージの聖域を発動――」
「……さ、させるか! てりゃ」ガシッ
「妨害を確認。続けて有効魔術の第二詠唱に移ります」
「移るじぇねえ! もういいから、いつものインデックスに戻ってくれ!」
「指令の変更を受領。確認します。お嬢様になる訓練は終了でしょうか?」
「終わり終わり!」
「お嬢様道場による修行もですか?」
「オマエ常盤台で何してたんだよ!」
「思考にノイズ、身体に原因不明の震えが発生。
当事例は自動書記の判断により、記憶の深海に沈めております。浮上させますか?」
「トラウマになってるじゃねーか。ホントいいんで。飯食ってダラダラしててください」
「了承しました。自動書記終了します………………―――あれ、とうま?」
「よくわからねえけど頑張ったんだな、インデックス」ギュッ
「ふえぇ……!」
なにはともあれ次の日。
「ただいまー」
「おかえり、とうま」
「あーはいはい。いつもどおり散らかっていて……食器は片付いているな」
「なんかね。片付けないといけない気持ちになってきて」ブルリ
「どっちでもいいから無理すんなよ」
そんなこんなで上条は少しの間、いつもより優しくなったのだった。おしまい
ヒナまつりは自堕落超能力少女による日常もので、インデックスに近いものがあったりして、面白いです
余裕があったら小ネタを挟んだりして、ちまちまインデックスのエロを書くと思いますー
ただ上インは思いついてないので、上条さんがほぼ出てこないもので誰得な内容になります
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