狼魔王とチビ勇者 (234)


 魔王が布をはぐと、現れたのは人間の赤子だった。


 赤子はぼんやりと魔王を見つめている。魔王の姿は大人が泣きわめくほど恐ろしいはずだが、赤子におびえる様子はない。

 しばらくして赤子の目がとろんと力を失った。目元を手でクシクシとこすったあと、穏やかな寝息を立て始める。

 粗末な寝台には柔らかそうな藁が敷きつめられていて、赤子を優しく包み込んでいる。

 赤子の正体が勇者であると、魔王にはひと目見たときから分かっていた。

 勇者を眺める魔王の目にはいくつもの感情が揺れている。憎しみ、哀れみ、期待、そして──諦め。

 魔王には確信があった。赤子が成長しどれだけ力をつけようと、その先には無惨に殺される運命が待っている。ならばいっそ。

 魔王の大きな手がゆっくりと赤子へのびていく。


 撫でるためではなく、一瞬で命を奪うために。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1694336588


 千年前

 魔王城 玉座の間

『勇者1人目』

 ハア、ハア……ッ

風の勇者(なんだよ話が違うじゃねえか!  即位して間もない新人魔王だって聞いたから楽勝で倒せると思ったのに……強すぎる!)

狼牙の魔王「……」ゴゴゴ

風の勇者(人狼のくせになんだこの強さ。人狼族はもっと華奢で知能も低いはずなのにこいつは違う。

 黒い毛皮の下は鋼鉄の筋肉に覆われ戦術にも無駄がない。明らかに異質だ)

魔王「戦闘中に休憩とは余裕だな勇者。それとも力を使い果たしたか?」

風の勇者「んなわけねえだろ。見せてやるよ、俺の本気をな」スッ

 ダダダッ

魔王「ふはは、それでよい。もっと吾(おれ)を楽しませるがいい!」ブンッ

 グシャリ

魔王「む?」

 シーン

魔王「なんだもう死んだのか、つまらん。しょせん勇者など最強の魔王にかかれば赤子と同じよ!」

 フハハハハ!


『勇者26人目』

魔弾の勇者「なんで、なんでよっ」

 ドンッ ドンッ

魔弾の勇者「今までこの魔砲弾で倒せなかった敵はいないのにっ」ドンッ

 バチィン!

魔弾の勇者「なんで片手一本で弾かれるのっ!」

魔王「まさかこの程度ではなかろう? 貴様の本気を見せるがいい」

魔弾の勇者「くっ……やってやる。見なさい、これが私の全身全霊!」コオオ…

 ドバンッ

魔王「ふははよいぞ、そうこなくては──」

 シュンッ……

魔王「む、魔砲弾が消えた?」

 ザアアッ……

魔王「魔力を使い果たして体が砂になったか……興ざめだな」フウ


『勇者198人目』

剣士「なにするの勇者やめて……ぎゃっ」ブシュ

魔法使い「やめよ勇者、操られておるのか? いま助け……ぐぎ」ズバン

信念の勇者「ひひ、ひ。どうせみんな死ぬんだ。こんな強いやつに勝てるわけ、ないんだから」スッ

 ザシュッ ドサリ

魔王「……仲間を殺した末の自害か。見苦しいな」

魔王(勇者はみな弱すぎる。魔王に即位して50年。強者と戦えることを期待して玉座に座ったというのに、これではなんの意味も……)


『勇者340人目』

聖なる勇者「くそが、こうなったら盾役につれてきた奴隷どもを囮に逃げ──ぐぎゃ」グシャッ

奴隷たち「……っ」ガタガタ

魔王「……」スッ

 シッ シッ

奴隷たち「! ……っ」ダダッ

魔王「まったく……む?」

 タタッ

奴隷の子供「……タスケテ、クレテ……アリガト」

 タタッ

魔王「……」


『勇者571人目』

嘘つきの勇者「いいのか? 私はお前よりはるかに強い。いまのうちに降伏したほうが身のため」グシャッ


『勇者678人目』

剛拳の勇者「へへ、誰にも俺には敵わなかった。俺の拳で貴様も熟れた果実みたいにつぶしてや」グシャッ

────

───

──

『勇者15373人目』

木剣の勇者「うわっ」ドサッ

 カランカランッ

木剣の勇者(くっそ、勝てる気しねえ)ギリッ

魔王「ふむ。まだ若いが見どころのある戦いぶりだった。

これまで吾に挑戦した勇者は全員殺してきたが、貴様には機会をやろう。修行を積み数年後また城へ来るがいい」

木剣の勇者「……そうやって安心させといて背後から攻撃するつもりじゃねえの?」

魔王「吾は絶対に約束を守る。さあ、行け」


 10年後

『勇者15400人目(再戦)』

 ズガアアアン!

木剣の勇者「はあっ……くそ、相変わらず強いなあんたは!」

魔王「貴様も強くなったぞ。ずいぶん修行したのではないか?」

木剣の勇者「もちろん修行もしたけど、強くなった理由はそれだけじゃない」

魔王「いったいどんな方法を使ったのだ? 古代魔法か? あるいは禁術か?」

木剣の勇者「子どもができた」

魔王「……む?」

木剣の勇者「愛する人と出会って子どもが3人産まれた。俺が強くなれたのはそのおかげだ」

魔王「ふっ」

 フハハハハ!

魔王「冗談もたいがいにしろ。子どもができたから強くなっただと?」

木剣の勇者「ま、あんたには理解できないよな。でも俺が強くなったのは事実だ。そうだろ?」

 ゴゴゴ……

魔王(ほう、素晴らしい闘気だ)

魔王「確かにそうだな。あまりに予想外の答えで思わず笑ってしまった。無礼だったな、許せ」


木剣の勇者「はは、あんたのそういうとこ嫌いじゃないぜ」

 スッ

木剣の勇者「だから俺は負けるわけにいかないんだ。あんたは先代の魔王と違ってむやみに人間界を襲ったりはしないが、それでも何十年後かには俺の家族の村も侵略する。そうだろ?」

魔王「ああ」

木剣の勇者「ここで食い止める。家族の未来のために、俺を信じている全ての人のために!」ダダッ

魔王「来い! 久しぶりに全力で相手をしてやろう」フハハ

──

 ドゴオオン!

魔王「どうだ勇者、吾の拳を受けてみろ!」

 ドンッ ドガンッ

魔王「どうした圧倒されているのか? まだまだ貴様の実力はこんなものではなかろう」

 スッ

秘書「魔王様、そろそろ」

魔王「なんだ秘書、見ての通り吾は忙しい。要件ならあとで──」

秘書「すでに死んでおります」


魔王「なに?」

秘書「木剣の勇者はしばらく前に死んでおります。死体はちりも残っておりません。魔王様の攻撃で蒸発しましたわ」

魔王「……」

 クルッ

魔王「そうか、しょせんその程度か。誰も吾の強さには敵わぬようだ」フッ

 フハハハ……ハハ……ハ……

魔王「……」

秘書「木剣の勇者の家族が住む村を、侵攻リストから外しますか?」

魔王「なにをいう。敗者に情けは無用」

秘書「失礼しました」スッ

魔王「……村をリストの最後尾に回せ。それくらいの働きはしたから、な」コホ

 ゴホッ ゲホッ


秘書「魔王様!?」

魔王「なんでもない、平気だ」ケホ

秘書「……」

魔王「お前は仕事に戻るがいい」

秘書「かしこまりました」スッ


 玉座の前

魔王「……」ギシッ

 ポウ……

玉座『魔王の能力が低下しています。全盛期の約60パーセント。速やかな次代への移行を推奨』

魔王「だろうな」

魔王(結局吾は、満足のいく好敵手に出会うことなく死ぬのだろう)フウ

 
 魔王城 秘書室

秘書「……」カキカキ

『報告書 270

狼牙の魔王はその勢い衰えることを知らず、心身ともに健康そのもの。体調不良のうわさは間違いだと思われる。

弱点はまだ見つからず。引き続き監視を継続する』


──


 20年後

 境界線近くの村 とある家の前

村長「もう一度聞くが、あんたの赤ん坊を差し出す気はないんだね」

 ダンッ

勇者の父「くどい。我が子を敵に渡せといわれて従う親がどこにいる」

猟師「ふざけるな! 魔王軍が迫ってるんだぞ」

パン屋「この村が襲われるのはあんたの子どもが勇者のせいだ! 勇者を1人差し出せば村人全員が助かるんだよ」

 そうだそうだ、子どもをよこせ!

勇者の父「ふっ。本気で魔王軍がうちの子を殺しに来たと思ってるのか」

 当たり前だろ! 

勇者の父「違うな。この村が選ばれたのはただの偶然だ。周りの村は以前から襲われてる。むしろ今まで見逃されてたのが奇跡だぜ」

 減らず口を!

勇者の父「うわさによれば、現在の魔王は強者との正々堂々とした戦いを好むという。

そこまで戦いに飢えたやつが産まれたばかりの赤子を狙うわけがない。育つ前に麦の苗を刈り取るようなもんじゃねえか。どうせなら育ち切って穂が重く垂れてから刈るだろうよ」

農民「……一理あるな」

 ざわざわ

村長「それでも我々にはこの方法しかないのだ。どうか分かってくれんか」

勇者の父「分からねえな。仮に魔王軍の目的が本当にうちの子だとする。勇者を差し出したあとやつらが素直に帰ると思うかい。

相手は血に飢えた魔族だぞ。村を蹂躙するに決まってるだろうが」

 ざわざわ ざわざわ

村長「確かにわしらが助かる可能性は低いだろうな」

勇者の父「ほらな。だったら」

村長「しかしゼロではない」スッ

 ドスッ


勇者の父「なっ」ブシュ

村長「村が助かる可能性がわずかでもあるなら、それに賭けるのが村長の仕事なのだよ」

勇者の父「……らあっ!」ブオン

 バキッ

村長「がっ」ドサッ

 ……ガタン

勇者の父「! 出てくるんじゃねえ! いいか絶対に家のなかにいろよ!」ボタボタ

村長「……今だ、やれ……子どもを奪えぇ!」ガフッ

 う……うおおおお!

勇者の父(必ず家族を守ってみせる)

勇者の父「絶対に、ここは、通さん!」ブンッ


 数時間後

 村の北門付近

 ザッザッザッ

村人「逃げろ、骸骨兵(スケルトン)の大群だ!」

村人「逃げるってどこに、取り囲まれてるじゃねえか! くそ、村長が勇者を連れてくるはずじゃ──ぐふ」ドス

 ギャアアア……

スケルトンキング「くひひひ、よき悲鳴じゃ。骨の髄から震えが走るわい」

スケルトンキング(にしてもあの人間、さっき勇者とかいっておったか? まあ聞き違いじゃろうな。こんな貧相な村に勇者がいるとは思えん)

骸骨兵「村のほとんどの拠点を制圧。殲滅は時間の問題かと」

スケルトンキング「生者は一匹も逃がすでない。地中の虫まで殺し尽くせ」

骸骨兵「はっ。しかしよろしいのですか? 魔王様の許可なく人間の村を襲うなど、ばれたらどんな罰を受けるか」

スケルトンキング『雷槍』ズガアアン

骸骨兵「ふぎゃあああ!」バラバラッ

スケルトンキング「愚か者。しばらく前から一切人間界を攻めなくなった臆病者を恐れる必要などないわ。わしは本来魔王がすべき義務を果たしておるだけじゃ。

ほれいつまで転がっておる。さっさと復活して指揮に戻らんかい」

 カランカランッ……ピシッ

骸骨兵「あいたた。し、失礼しました」タタッ

スケルトンキング「この調子で多くの村を滅ぼせば、わしの名は各地に轟くじゃろう。死体が増えれば骸骨兵も増える。出来損ないの魔王を倒すのも時間の問題じゃ」クヒヒ

魔王「それは楽しみだな」

スケルトンキング「まったくじゃ笑いが止まらな──はっ!?」


魔王「では今すぐ倒してみよ。遠慮などいらぬ」

 ゴゴゴゴ……

スケルトンキング「まま魔王様! なぜこのような場所に」

 スッ

秘書「お控えなさい、魔王様の前です。ひざまずいてごあいさつするのが礼儀ですわ」

スケルトンキング(秘書も一緒か。人狼族の魔王と敵対する吸血族でありながら、魔王の側近になった女。

雪のように白い肌と髪、紅い宝玉のごとき瞳。秘書よりも夜伽役のほうが向いているのではないか?)クックッ

スケルトンキング「なにが魔王様じゃ。やるべき仕事もせず、勇者を倒すことにしか興味のない戦闘狂が」

秘書「あ?」ギロッ


スケルトンキング「ひっ」

魔王「秘書よ、そんな目をするな。こやつの主張は正しい」

秘書「魔王様! そのようなことは」

魔王「魔王の仕事は人間界を侵略し魔界の領土を広げること。それがおろそかになっているのは事実だ。スケルトンキングが反旗を翻すのも無理はない」

スケルトンキング「さすが魔王様、物分かりがよくていらっしゃる。無抵抗でわしの軍門にくだっていただけますな」

魔王「その前に質問がある。魔王にもっとも必要な資質はなんだ」

スケルトンキング「簡単なこと。あまたの生物がひれ伏す圧倒的な軍事力。これしかないじゃろう」クヒヒ

魔王「惜しいな」

スケルトンキング「なんですと?」


魔王「なぜ魔王が軍事力を持てるのか。それは魔王が恐れられているからだ。

なぜ恐れられているのか。それは圧倒的な強さを持つからだ。すなわち」パチン

 バサアッ

魔王「魔王になりたければ誰よりも強いことを証明しろ。吾と一対一で戦え」ニッ

スケルトンキング(脳筋の発想!)

 ハッ

スケルトンキング(待て、これはチャンスじゃ。魔王は肉体的には最強じゃが基本的な魔法しか使えない。

対してわしはあらゆる魔法を極めた大魔法使いじゃ。わしが使える最強の魔法をお見舞いすれば一瞬で勝負がつくじゃろう。それに)

 ククッ

スケルトンキング(魔王は体調が思わしくないと聞く。魔王の位を退く日も近いとか。わしが引導を渡してやろうぞ)

スケルトンキング「後悔するなよ魔王」

魔王「試してみるがいい」スッ


スケルトンキング「お得意のファイティングポーズか。そんなものでわしの魔法を防げると思うな!」ギュン

 ギュオオオ!

スケルトンキング「決して避けられぬ死の魔法じゃ。これで魔王の座はわしの」

魔王「しっ」シュッ

 パアアアン!

スケルトンキング「は?」

スケルトンキング(え、なにが起きた? 魔王のパンチで……強化も施していない普通のパンチでわしの最強魔法が消されたように見えたが……いやいやそんなはずは)

魔王「今度は吾の番だな」

スケルトンキング(ま、まずい! ここは転移で体勢を立て直し)

 シュッ

魔王「なるほどこれが貴様の核か。緑の宝玉のようだ」

スケルトンキング「!? その手に握られているのはまさかっ」バッ

スケルトンキング(ない! わしの体内にあるはずの核が!)

魔王「これを壊さないと何度も復活して面倒だからな」グ…

 バキィイン


スケルトンキング「あ、が……」ガクッ

 バラバラッ……

秘書「魔王様、スケルトンキングの消滅までしばらくかかります。最後に話をしてもよろしいでしょうか。

裏切り者とはいえ一度は同僚だった方。お別れと感謝を伝えたいのです」

魔王「構わぬぞ。吾は村にいる骸骨兵の後始末をする。終わったらお前も手伝え」クルッ

 ザッザッザッ……

秘書「かしこまりました」スッ

スケルトンキング「……クッ……クヒヒ。なーにがお別れと感謝を伝えたい、じゃ。

わしの反逆をそそのかしたのは貴様の父親、吸血族の長じゃ。知らないとはいわせんぞ!」カタカタ

 クスッ

秘書「……ああ。もちろん知ってるぜ」ニヤッ

スケルトンキング(被っていた化け猫を捨て、本性を現しおったか)

スケルトンキング「貴様が魔王城に侵入したのも魔王をおとしいれるためじゃろう! 魔王の勘は鋭い。気づかれていないとでも思っているのか?」

 ピクッ

秘書「あの方の勘が、鋭い?」


 フフッ……アハハハ!

秘書「もし本当に勘が鋭かったら、あたしはこんなに苦労してねえんだよ!」バンッ

スケルトンキング「!」ビクッ

秘書「どんなに好き好きアピールしても気づきもしねえ。気合い入れてセクシーな格好しても無反応! あたしはこんなに魔王様を愛してるのに! ありえねえだろうオイ!」ギラギラ

スケルトンキング「いや……知らんが……」

秘書「『お慕いしております』って何度伝えても答えは『そうか』だけ! 一体どういうことだよ。もっと大胆なアプローチをしろってことか!?」

スケルトンキング「なんというか、それは俗にいう脈がないというやつでは──」

 グシャッ

秘書「おっといけねえ。うっかり踏んづけちまったぜ」

 ニコッ

秘書「それではごきげんよう、元四天王スケルトンキング様。素敵な夢が見られるといいですわねぇ」クスッ

スケルトンキング(こんのクソ女があああ……!)ザアアッ…

秘書「……ばーか。魔王様に逆らうからそうなるんだよ。あの方の害になるやつはあたしが絶対に許さない。誰であろうとな」クルッ


 とある民家

 ガシャッ ガシャッ ガシャッ

父親(くそ、外は骸骨兵であふれてる。やっぱり勇者を差し出すなんて間違ってたんだ。なにをしようと魔物は見逃してはくれない)

少年「父ちゃん……」

父親「大丈夫、隠れていれば安全だ」

少年「うう」グスッ


骸骨兵「!」ピタッ


父親(? あの骸骨兵、なぜ立ち止まったんだ)


骸骨兵「匂いがするな。恐怖で流れる涙の匂いが」スンスン


 ガシャッ ガシャッ……バキバキッ!


父親「くそ見つかった……!」ギュッ

少年「父ちゃん……っ」

骸骨兵「死ね」ギュオッ


 バキッ! ザアアッ……

父親「なんだ? 急に骸骨兵が消え──!」ハッ

魔王「……」ギロッ

 ゴゴゴゴ

父親「……!」ヘタリ

父親(こいつは、なんだ? まるで怒りと恐怖が形を持ったような恐ろしい姿。まさかこいつが……魔王!)

少年「……っ。……っ」ガタガタ

父親(逃げたいのに体が動かない! もう、だめだ……っ)ギュッ

魔王「……」フイ

 ザッザッザッ……

父親「助かった……?」

少年「さ、さっきのやつって魔王?」

父親「ああ、たぶん」

少年「どうして僕らを見逃したんだろう」

父親「わからん。だがあの冷たい目、まるで虫けらを見るようだった。あの方にとって俺たちは殺すにも値しない存在だったんだろう」


──

骸骨兵「ひいっ、お許しを魔」

 バキッ ザアアッ……

魔王(ふむ。わかってはいたが残党を殺すのはつまらんな。この村に強者でも潜んでいればうれしいのだが、見たところ剣を握った経験もない弱者ばかり。さっさと終わらせて帰るとするか……む?)

 ピタッ

魔王「この家を中心に死体が放射状に散らばっている。しかも武装した死体ばかりではないか」

 スッ

魔王(上等な服を着ているのは村の長か。頭がつぶれているな。ほかの死体も体の一部がつぶされている。とすると)スクッ

 ザッザッザッ……ピタッ

魔王(棍棒で武装した体格のいい死体。こやつが村人どもを相手に大立ち回りを演じたのか。いくつもの刃を体に突き立てられてもなお戦い続けるとは、見どころがある)

 ジッ

魔王「こやつが守っていたのはこの家か」


 バキッ スタスタ

魔王(ふむ。家の中では男と女が倒れている。男は侵入者か? 頭が割られているな。女のほうは)スッ

勇者の母「……っ……」ハアハア

魔王(まだ息があるが、ナイフの刺さった腹から血が流れ続けている。死ぬのは時間の問題だろう)

 ゴソゴソ

魔王(ベッドでなにかが動いているな)スッ

 バサッ

魔王「!」


勇者「う、あう」キョトン

魔王(赤子……この気配は勇者か)

勇者「んー」クシクシ

 スー、スー

魔王(なるほど。村人たちは勇者を奪おうとこの家を取り囲んだのだな。おそらくはスケルトンキングとの交渉材料にするために。スケルトンキングがこの村を襲ったのは勇者を殺すため……?)

 ……フム。

魔王(違うな。あやつにそこまでの思慮はない。偶然勇者のいる村を引き当てたのだろう)

勇者「……んぅ」スヤスヤ

魔王(このまま見逃せば村の生き残りが赤子を育てるかもしれぬ。だがそのあとになにが待っている? 勇者の末路は皆同じ、無惨に魔王に殺されるだけだ。

長年勇者を殺してきて吾は悟った。おそらく魔王より強い勇者は永遠に現れない、それがこの世界の仕組みなのだ)

 スッ

魔王「つらい人生の末に魔王に殺されるくらいなら、いっそ今ここで──」


 ガタッ

勇者の母「お、お待ちください……魔王様」ハアハア

魔王(倒れていた女。まだ意識があったか)

魔王「ほう。なぜ吾が魔王だと思った」クルッ

勇者の母「ひと目でわかりましたわ。誰もが恐れずにいられないその姿。歌語りで聴いた通りですもの」ググッ

 スッ

勇者の母「伏してお願いいたします、偉大なる魔王様」

魔王「申せ」

勇者の母「はい。噂によれば、魔王様は真剣勝負がお好きとか。私と勝負をしていただきたいのです」

魔王「……ふ」

 フハハハハハ!


魔王「なにをいいだすかと思えば、面白い冗談だ。死に損ないの人間風情が吾と勝負がしたいだと? 万全の状態ですら勝てる見込みはないというのに」

勇者の母「おっしゃるとおり、私は死にかけの弱い人間に過ぎません。勇猛な戦士のごとくあなた様と死闘を繰り広げるなど不可能。そこで別の形の勝負を提案いたします」

魔王「聞くだけ聞いてやろう」

勇者の母「問答勝負はいかがでしょうか。私が問題を出します。魔王様はそれにお答えください。正解なら魔王様の勝ち、不正解なら私の勝ち」

魔王(問答か。好みではないが暇つぶしにはなる)

魔王「よかろう。吾が勝ったらなにを差し出す? 貴様が賭けられるものなどたかが知れているだろうが」

勇者の母「おっしゃるとおりです。私が差し出せるものなど、自らの命と我が子の命くらいしかございません」


魔王「ほう」

勇者の母「私の命に価値などありませんが、我が子はご覧のとおり勇者です。いずれ脅威になりうる存在を潰しておくのは将来のためになるかと」

魔王「よいのか? 勇者は魔王の宿敵。じわじわと苦しみを与えながらむごたらしく殺すかもしれんぞ」

 フッ

勇者の母「構いません。それもこの子の運命でしょう」

魔王「貴様が勝った場合は?」

勇者の母「この子を、勇者を育てていただきます」

魔王「……なに?」


勇者の母「勇者が成人するまで魔王様のもとで育てていただきたいのです。成人するころにはきっと一人前の戦士に成長していることでしょう。

魔王様とどの程度戦えるかはわかりませんが、多少は楽しめると思います。なにしろ最強の魔王様ご自身が育てた勇者ですもの」

魔王「矛盾しているな。勇者は脅威だから殺せといったその口で、勇者を育てて戦えというのか」

勇者の母「はい。ですが矛盾は誰しもが抱えているものです。魔王様のなかにも矛盾した思いがあるはず」

魔王「……」

勇者の母「勝つにせよ負けるにせよ、魔王様が損をすることはございません。

公平を期すために、勝負の際、魔法を使うことや相手の体に触れることは禁止。この条件でいかがでしょうか」

魔王「問題の内容によるな」

勇者の母「ご心配なく、問題自体は簡単です。『私はあとどれくらいの時間で死ぬでしょうか?』」

魔王「……ふっ」


魔王(なるほど。人間界に詳しくない吾なら、人間の体の構造に疎いと思ったか。だが甘い)

魔王「およそ半刻だな。出血量からすれば」

魔王(吾にはあまたの勇者を殺してきた経験がある。この女があとどれくらいで死ぬかなど、あまりに簡単な問題だ)

勇者の母「お答えになったということは、勝負成立でよろしいですね」

魔王「ああ」

勇者の母「なるほど。では……私の勝ちでございます」ギュッ

 ブシッ……ザクッ!


魔王(! こやつ腹に刺さったナイフを抜いて、自分の首に突き刺した!? ならば回復魔法を──)

 ハッ

──勝負の際、魔法を使うことや相手の体に触れることは禁止──

魔王(あの条件はこのために……!)

勇者の母「……っ」ゴプッ

 ズリ……ズリ

勇者の母「……ぅ……あ」ググッ

勇者「……ん……」スースー

勇者の母「……健やかに。あの人と私の、宝物……」ズルッ

 ドサッ

魔王「……」

魔王(なんだこの人間は。子を庇う親ならいくらでもいる。だがこやつは吾に勝ってみせた。歴戦の勇士ですらできなかったことを、自らの犠牲をもって成してみせた)

 カタカタ……

魔王(吾は……震えているのか? 馬鹿な。他人が震えるのを見たことは何度もある。だが自分の体が震えるのは……生まれて初めてだ。

認めよう。お前は真の親であり、強者だと)

 ジッ

魔王「誓おう。あなたの息子は、吾が責任を持って勇者に育て上げると」


 ソッ

勇者「!」パチッ

魔王「む、起きたか。吾は狼牙の魔王。これからお前を──」

勇者「びっ……びえぇええええええ!」

魔王「なっ」

魔王(なんだこれは聴覚への攻撃か? くっ、なんという大音量だ。赤子を抱いているせいで耳をふさぐこともできん)

 びえぇえええええ!

魔王(うう……せめて耳を寝かせるとしよう)ヘニャリ

勇者「びえええ……えぅ?」グスッ

魔王「泣き止んだか」

勇者「……」スッ

 ふにっ

魔王「!」ビクッ

勇者「おおー」フニフニ

魔王「末恐ろしいな。偉大な魔王の耳をおもちゃにするとは」

勇者「ふいー」ニコッ

魔王「! お前、笑ったのか」

魔王(誰かに笑いかけられたのは……生まれて初めてだ)


 バキッ スタスタ

魔王「とりあえず秘書と合流するか。おい勇者、いつまで吾の耳を触って──」

 ギューッ!

魔王「いっ!」

勇者「おうーっ」キャハハ

魔王「ふっ……いい度胸ではないか。吾を涙目にしたのは貴様が初めて──」

『死神の接吻』

 ギュオオッ!

魔王「!」ヒュパン

 バチイィイン!

魔王(この魔法は……秘書か!)バッ

 フワッ……ストン

秘書「申し訳ありません魔王様。わたくしがすぐに片付けますわ」

魔王「なに?」

秘書「その赤子、勇者ですわね。魔王様の宿敵である勇者を見つけられないばかりか、あまつさえ魔王様本人に接触させてしまうとは。

この秘書一生の不覚でございます。いますぐそれを消しますわ」


魔王「待て! お前の献身には感謝するが、今回は事情がある」

秘書「まあ。普段の魔王様ならそのような甘いことはおっしゃらないはず。勇者に魔法をかけられたのですね? 赤子だというのになんと恐ろしい。速やかに排除しなければ……『雪華刃』」キンッ

 ギュオオオッ

魔王「くっ」バッ

 シュパパパンッ

勇者「おおー」キラキラ

秘書(さすが魔王様、この程度じゃ足止めにもならねーか。

魔王様の強さは純粋な肉体の強さ。死の魔法ですら素手で無効化される。正面から戦えばあたしみたいな魔法使いに勝ち目はない。

ひとまず勇者に攻撃を続けて注意を引き、頃合いを見て足元の地面を削るか。割れた地面で体勢を崩させれば勇者を殺す隙が生まれるはず……)コオオッ


魔王(話にならんな。一度秘書を昏倒させねば。

秘書の目的は勇者の殺害、そして吾の目的は勇者を守ること。ならばあえて逆の行動で撹乱する。

次の攻撃が飛んできた直後に勇者を宙へ放り、秘書が視線を上に向けた瞬間彼女の間合いに、……!?)ガクン

 ゲホッ ゴホッ


秘書「!」

魔王(くそ、こんなときに)ハアハア

秘書「……」

 スッ

秘書「取り乱して申し訳ありませんでした。もう赤子を殺す気はありません。お許しください」

魔王(む、なぜ急に態度をひるがえした?)ゲホ

秘書「わたくしを信用できないのはごもっとも。お疑いならこの場でわたくしを殺してくださいませ。抵抗はいたしません」

魔王「……」

秘書「……」

 フッ

魔王「卑怯だな。吾がお前を殺せないと知った上で、そのような提案をするとは」

秘書「! め、滅相もありません。半端な覚悟でいったわけでは」

魔王「わかっておる、もうよい。この赤子は魔王城で育てる。お前はそれを手伝え。よいな」

秘書「魔王様の御心のままに。では城まで転移で帰りましょう」スッ

魔王「転移は赤子には負担が大きい。歩いていくぞ」

秘書「えっ。ですが魔王様、城まではかなり距離がありますが」

魔王「平気だ。行くぞ」スタスタ

勇者「……」ウトウト

秘書「……」


 数時間後

 魔王城 書庫

 コッ コッ コッ

秘書「確かこの本だったはず」スッ

『不老不死の儀式』

 ギィ……トスン

秘書「……」パラパラ

 ピタッ

秘書(あった)

『新月の儀式

強力な魔力を持つ人間を生贄に、対象の魔族を延命、あるいは蘇生する儀式。生贄の体に魔族の魂を移す。具体的な条件は以下。

1、儀式が可能なのは新月の夜

2、生贄は強力な魔力を持つ3歳以上の人間であること。魔力が強ければ誰でもいいが、もっとも適性があるのは勇者である

3、儀式に必要な供物は4つ。銀龍の鱗、悪魔の牙、人魚の涙、グリフォンの羽根

4、対象の魔族を心から愛している者が、魔法以外の方法で直接生贄を殺すことで儀式が発動する。ナイフや剣で生贄の心臓を貫くのが望ましい』


秘書「3歳まで育てる必要があるのか……面倒だな」

 パタン

秘書「勇者も運が悪い。せっかく生き残ったのに、駒として使い潰される運命なんて」

──

秘書の父『また失敗したのか、本当に出来損ないだな。お前は父である私の望みを叶えるために生まれてきたのだ。忠実な駒になるためにね。分かったらお仕置きをはじめよう』ビュッ

 ビシッ ビシッ

──

秘書「……」ギュッ

秘書(あたしもしょせんはお父様と同じだ。自分の望みのために、勇者を生贄にしようとしてるんだから)


 魔王城 食堂

魔王「どうだ、興味を惹かれるものはあるか」

 ズラッ……

勇者「おおー」

魔王「螺旋コウモリのパイ、紫電鳥の丸焼き、毒ニンジンのケーキ。他にもあるぞ、気に入ったものを食べるがいい」

勇者「んっ」ピシ

魔王「毒ニンジンのケーキが好みか、気が合うな。吾も毒入りの料理はよく食すのだ。ぴりっとした刺激がなんともいえず美味い」

勇者「んあ」

魔王「吾に食わせてほしいと? いい度胸だ」スッ


 ドサドサドサッ!

秘書「なっ、なにをなさっていますの魔王様」

魔王「む、秘書よ。大量の本が落ちたぞ」

秘書「あら失礼いたしました。これは育児本で──ではなく! なにを! なさって! いるのですか!」ダダッ

 パシッ

秘書「人間にとって毒は有害です! 特にこんな小さい子が食べたらすぐに死んでしまいますわ!」

魔王「! そうなのか!?」

 バッ

魔王「本当にすまぬ勇者、お前を殺すところであった」

勇者「あうー?」

秘書(ああん、すぐに謝れるところも素敵……じゃねえ! 心を鬼にしろあたし! このままだと儀式の生贄にするまえに死んじまうぞ!)

秘書「わたくしにお任せください。先ほど人間の幼体を育てるための知識を頭につめこみました。必ずや一人前の勇者に育ててみせますわ」スッ

 ヒョイッ

勇者「んー……」ウトウト

魔王「それは心強いな」

秘書「ありがとうございます。勇者を育てるのはわたくしに任せ、魔王様はお好きなことをなさっていただければ──」

魔王「それはダメだな」スッ

 ヒョイッ


秘書「魔王様!? 勇者をお返しください」

魔王「吾に託されたのだ。吾が自ら子育てをしなくてどうする」

秘書(あなたに任せるとうっかり殺しそうなんだってば!)

 フッ

魔王「わかっている。吾には人を育てる知識がないといいたいのだろう。吾はこれまで戦いに明け暮れていた。無頼漢に子育てが向かないことは理解している」

秘書「魔王様……」

魔王「だが、だからといって挑戦する前から諦めるのは違う。向いていないという理由で背を向けるのは愚かなことだ。吾は……勇者の子育てに関わっていきたい」

秘書「……」

魔王「手始めにお前が持ってきてくれた育児本を全て読もうと思う。それまでこの子を頼むぞ」

秘書「……わかりました。そこまでおっしゃるなら応援いたしますわ」


『勇者が魔王城に来て2日目』

魔王城 執務室

 パタン

魔王「これで全ての育児本を頭に叩き込んだ。いまや吾は育児のエキスパートだ」フッ

 フハハハハ!


『勇者が魔王城に来て5日目』

 魔王城 勇者の部屋

魔王「育児本の内容とぜんっぜん違うのだが!?」

 うええ~ん

魔王「ミルクは飲ませた、ゲップもさせた、オムツも替えた、睡眠も十分、部屋の温度は適正……いったいなにが不満なのだ。育児本によればこれで泣き止むはず」

勇者「ああ~ん!」ビエー

魔王「ああよしよし、大丈夫だぞ」ポンポン

 バタン

秘書「ハア、ハア……遅れて申し訳ありません。仕事の調整が長引きましたわ」

魔王「もう交代の時間か。遅れたことは気にするな。それより勇者が泣き止まぬのだ。考えられる手は全て尽くしたのだが」

 うええぇええん!

秘書「失礼いたします」ヒョイ

 ポンポン

勇者「ふえ……ぇ。……」

魔王「なっ……秘書よ、魔法を使ったのか? 勇者に魔力耐性ができると困るゆえ、なるべく使わないと決めたではないか!」


秘書「魔法ではございません。おそらくは体の柔らかさの問題かと」

魔王「なに?」

秘書「魔王様は筋肉の鎧に覆われた素晴らしい肉体をお持ちです。ですがあまりにも戦闘に特化した肉体は、子育てに向きません。端的に申しますと、抱かれ心地が悪いのです」

魔王「……」ガーン

秘書「あっ……でもご心配なく。そのうちこの子も慣れてくれますわ」ポンポン

勇者「あーう」キャッキャッ

魔王「……」


 次の日

秘書「なっ……なにをなさっているのです、魔王様」

魔王「しー、静かにせよ。さっき寝ついたばかりだ」

勇者「ん……」スースー

秘書「そ、そのお姿はいったい」


 ボヨヨーン

魔王「クッションを服の下に入れてみたのだ。勇者も寝心地がいいのかすぐに寝てくれてな」

秘書「ですがあの」

魔王「どうした」ボヨヨーン

秘書「魔王の威厳というものが……」

 フッ

魔王「威厳など、一ツ目カラスにでも食わせておけばよい。この程度の屈辱、お前に抱かれて泣き止んだ勇者を見たときの悔しさに比べればなんでもないわ!」

秘書(そんなに悔しかったんだ……)


 その日の夜

 魔王城 秘書室

秘書「……」カリカリ

『報告書 782

とある村で、狼牙の魔王は勇者の赤子を見つけ、即殺害。情け容赦のない姿に部下一同震え上がる。

反乱の時期はいまではない。相変わらず弱点は見つからず──』

 カリカリ……

秘書「……」フウ

 シュルシュル キュッ 

秘書「……」スクッ

 スタスタスタ……ガラッ

秘書「書けたぞ」


コウモリの死体「早かったですね。まあそのほうがありがたいですけど」

 キュッ

コウモリの死体「では確かにお届けします。お嬢様も大変ですねえ、野良犬くさい城に閉じ込められて」

秘書「無駄口はやめてさっさと行きな、屍術師(ネクロマンサー)」

コウモリの死体「はいはい。ではお元気で」

 バサバサッ

秘書「……」


『勇者が魔王城に来て2週間後』

 ビエエエエーン!

魔王「うう……これが夜泣きか。魔族は数日寝なくとも平気だからなんとかなっているが、人族の親はどうしているのだ? 強力な回復薬でも常備しているのか?」

 ビエエエエ……

魔王(もしこの泣き声に耐えきれるのだとしたら、人族の親は吾が考えていたような弱者ではなく、歴戦の勇士なのかもしれぬ)

魔王「お前といると、自分の見ていた世界がどれほど小さかったかわかる。礼をいうぞ勇者。だがそれはそれとして」

 ビエエエエーン!

魔王「そろそろ泣き止んでくれぬか……」ゲッソリ


『勇者が魔王城に来て半年後』
 
勇者「あー……んむ」モグモグ

魔王「……」ハラハラ

秘書「……」ドキドキ

勇者「……んあ」

魔王「よし! 気に入ったのだな。忘れぬうちに書き留めておかなくては。えー、蒸したひよこ豆の──」

勇者「ぶーっ!」

魔王「ああ、すまんすまん。ほら、あーん」

勇者「あーんむ」モグモグ

秘書「食べられるものがずいぶん増えましたわね」

魔王「そうだな。この子は豆のなかでもしっとりとしたものが好みのようだ。今後の参考にしよう」カキカキ

秘書「……本気だったのですね」

魔王「む?」


秘書「この子を育てるとおっしゃったとき、てっきり気まぐれのようなものかと思ったのです。失礼ながら、すぐに音を上げるのではないかと」

魔王「ふむ」

秘書「ですが、あなたは諦めなかった。この子にとって魔王様は本当の親同然ですわ」

魔王「……違うな」

秘書「えっ」

魔王「勇者の親は別にいる。もうこの世にはいないが、命をかけて勇者を愛し、守った者たちが。吾は一生この子の親にはなれぬ。

その証拠に吾はまだ夢見ているのだ。立派に成長した勇者と戦える日を。そのとき吾はためらいなくこの子を──」

勇者「ひーしょ」

魔王「む!?」バッ


勇者「ひしょ! ひしょ!」

秘書「えっ、あた……わたくし? わたくしのことですの!? まあ。初めての言葉がわたくしの名前だなんてうれし……っ!」ハッ

魔王「……」ジトー

秘書「ちっ、違いますわよ!? わたくし教えたりなんてしておりません。抜け駆けなんてしてませんからねっ」

魔王「……」フイ

秘書(ああっ、信じてない! そんな、あたしは本当に)

勇者「ま、おー」

魔王・秘書「!?」


『勇者が魔王城に来て三年後』

 魔王城 中庭

 ピチチ……

勇者「とり!」

魔王「そうだな。何羽いるかわかるか」

勇者「いっぱい!」

魔王「ふはは正解だ。おいで。木陰に座ろう」ケホ

 ドサッ

魔王「ふう……」

勇者「まおー疲れてる?」

魔王「少しな」

魔王(吾も長く生きた。次代に道をゆずる時期が来たのだろう。だがもう少しだけ、勇者が成人するまで生きなくては。

魔王の死に様はおぞましいものだ。子どものうちに見せるわけにはいかぬ)

勇者「……」

 ギュッ

魔王「!」


勇者「まえね、おれが転んだとき、ひしょがぎゅってしてくれたの。そしたら痛いの消えたんだよ。だからまおーも」

魔王「そうか、ありがとう」ポンポン

勇者「えへへ」

 フワッ……

魔王「! この記憶は……」

勇者「どうしたの?」

魔王「忘れていた過去を思い出したのだ。吾の母も、こうして吾を抱きしめてくれたことがあったと」

魔王(魔王に即位すると、強力な魔力と引き換えに思い出を失う。冷酷な魔王となるために。

勇者は魔王と対極にあるもの。この子がそばにいることで魔力が反発し、記憶が戻っているのか)


 ピー チチチ……

 サワサワ……

魔王(安らいでいる。吾の生涯でこれほど穏やかなときがあっただろうか)

勇者「ん……」ウトウト

──愛する人と出会って子どもが3人産まれた。俺が強くなれたのはそのおかげだ──

魔王(いまなら木剣の勇者のいった言葉の意味がわかる。子どもというのは不思議な力を与えてくれる存在だ)

魔王「勇者よ。お前は本当に……あたたかい、な……」

 スー……スー……


 コッコッコッ

秘書「魔王様ー、勇者ー、どこに、……!」

秘書(中庭で仲良く昼寝してたのか。ひだまりのなかで気持ちよさそう。あたしも──)スッ

 ピタリ

秘書(……バカだな、あの2人に加わる資格なんてない。魔王様をスパイし勇者を生贄にしようと企む、自分なんかに。

あたしには吸血鬼らしく、暗がりがお似合いだよ)フッ

 コッコッコッ……


勇者「……ん」パチッ

魔王「……」スースー

勇者「んしょ」スルッ

 トコトコ

勇者(お花つんであげたら、まおーとひしょ喜ぶかな)スッ

 ピタッ

勇者「やっぱりやめた。お花だって、おれと同じで生きてるもんね。……あれ?」

 ピチ……ピ

勇者「1人でどうしたの? みんなは?」

 ピチュ……

勇者「ケガしてる。大丈夫だよ」スッ

 ポン ポン

勇者「痛いの痛いの、とんでけ」ナデナデ

 ポウッ……


 ピチチッ バサバサッ

勇者「わ、元気になった! よかったねえ」スクッ

 ……クラッ

勇者「あ、れ」ペタン

勇者(なんだろ。いま、頭がグルってした)

勇者「……もう、平気かな」スクッ

 トコトコ

魔王「む……う……」ハアハア

勇者(まおー、苦しそうに寝てる)

 スッ

勇者(大丈夫だよ。痛いの痛いの、とんでけ)ギュッ


『勇者が城に来てから4年後』

 魔王城 書庫

勇者「秘書、これ読んで」スッ

秘書「いいぜ。次はどの絵本を──」

『不老不死の儀式』

秘書「……!」

勇者「わからない言葉が少しだけあるから、読んで」

秘書「その本……どうして」

勇者「おれね、この本で魔王を元気にするの。ふろーふし? ってずっと生きるってことでしょう」


秘書「うん……」

勇者「この本読んで勉強して、魔王の寿命をのばすの。そしたら魔王はずっと生きられる」

秘書「だめ、だよ」

勇者「なんで?」

秘書「この本に書かれてる儀式は、全部すごく危ないんだ。手を出したら死んじゃうかもしれないんだよ」

勇者「うん」

秘書「え……」


勇者「いいよ別に。代わりに魔王が生きられるなら」

──

『3歳まで育てる必要があるのか……面倒だな』

『勇者も運が悪い。せっかく生き残ったのに、駒として使い潰される運命なんて』

──

秘書「……め……て……」

勇者「おれが死んでも、魔王が元気に生きられるならそれでいい。秘書と魔王が2人で仲良く暮らせてるって思えば、寂しいのも我慢でき──」

 ギュッ

勇者「? 秘書、どうしたの?」

秘書「……ごめ……なさ……」カタカタ

勇者「寒いの? おれがあっためてあげるね」ポンポン


 3ヶ月後

 魔王城 医務室

 ガシャン!

秘書「ダメ、この薬も効かない! いったいどうしたら……っ」

魔王「落ち着け。勇者が怖がる」

勇者「……ぅ……」ハアハア

秘書「あ……申し訳ありません」

魔王「……」ピトッ

魔王(熱が高い。まるで火のようだ)

秘書「魔王様。どうか治癒魔法の使用許可を」

魔王「……それは」

秘書「わかっています。ダメで元々ですわ」スッ

 コオオッ

 ……バチィッ!


秘書「きゃっ!」グラッ

 ガシッ

魔王「大丈夫か?」

 ヌルリ

魔王「!」

秘書「……平気ですわ。勇者の様子は?」バッ

勇者「……っ」ハアハア

魔王(変化はないか)

秘書「申し訳ありません。わたくしの力が足りないばかりに」

魔王「それは違う。吾はお前以上の魔法使いを知らぬ。お前に落ち度はない」

秘書「ですがこのままでは」

魔王「ああ」

魔王(この子は勇者としての能力があまりに高すぎる。勇者はどれもある程度の魔法耐性を持つが、この子はずば抜けている。強力な回復魔法を弾いてしまうほどに)スッ


 ナデナデ

勇者「……ま、おー?」パチッ

魔王「ああ。ここにいるぞ」

勇者「頭、痛い……体が熱い、よ……」

魔王「大丈夫だ。吾がずっとそばにいるからな」

勇者「ん……」

 スー、スー

魔王(眠ったか)

 スクッ

魔王「吾はいまから、この子を人族の医者に見せに行こうと思う」

秘書「!」


魔王「人族の医者なら最適な治療をしてくれるだろう。北の地に腕のいい医者がいると聞いたことがある」

秘書「いけませんわ、魔王様が城を離れるなど。勇者はわたくしが連れていきます」

魔王「その状態でか」

秘書「!」

魔王「不発の魔法は刃となって術者に跳ね返る。幻覚魔法を解け、命令だ」

秘書「……かしこまりました」スッ

 ドロッ

魔王「血だらけではないか……愚か者」


秘書「わたくしは平気……っ」クラッ

 ガシッ

魔王「強がるな。立っているのもやっとだろう」

秘書「どうかこのことは、勇者には……」ハアハア

魔王「黙っている。安心して休め、勇者は吾が面倒をみる。吾のことは心配するな。なぜかはわからぬが最近以前より体調がいいのだ」


 人間界と魔界の境界 黒の森

 ハッハッハッ……

魔王(ふむ。やはり完全な狼の姿が一番速いな。……そろそろ人間の村が近いか)ザッ

 シュルルル……

魔王「……人間に化けるのは久しぶりだが、やはり慣れぬな。毛に覆われていないのは落ち着かぬ」

勇者「魔王……?」パチッ


魔王「ああ、そうだ。もうすぐ医者のいる村に着く。背負い紐を結び直すぞ」シュル

 ギュッ

魔王「よし、これで落ちる心配はない」

勇者「……っ」ハアハア

魔王(城を出たときよりも悪化している。一刻も早くたどり着かなくては……む?)

 ガサガサ……

魔王(いくつもの足音が近づいてくる。気配からして魔族ではないな。とすれば)

 スタスタ

盗賊頭「いい満月だなあ、おっさん」


魔王(人族が9人か)

盗賊頭「あんたずいぶんいい格好してんな。貴族かなんかか? さぞかし金を溜め込んでるんだろうなあ、羨ましいぜ」

 ギャハハハ

魔王(なるほど、この格好はそう見えるのか。あとでもっとみすぼらしい服に変える必要があるな)

 ジャキン!

盗賊頭「金目のものは全部おいてけ。さもないと」

魔王「わかった」

盗賊頭「このナイフで──は?」

 ジャララ……ドサドサッ


魔王「これでいいか?」

ターバンの盗賊「ぷっ」

 ギャハハハ!

片耳の盗賊「なんだよこいつ、一切抵抗しないとか恥ずかしいやつだぜ」

紫髪の盗賊「しょうがないんじゃない? あたしらの迫力に恐れをなしたんでしょうよ」

ターバンの盗賊「違いねえ!」

 ハハハハ!

盗賊頭「……」

魔王「通る。追ってくるな」

 スタスタ……

盗賊頭「待てよ」


魔王「……」

盗賊頭「あんたが背負ってるの、ただのガキじゃねえな。勇者だろ、それ」クルッ

魔王「……」

盗賊頭「俺も昔そう呼ばれていた。途中でバックレたけどな。魔王討伐なんてバカのすることだ」

 ジャキッ

盗賊頭「気が変わった。ガキを置いていけ。勇者ならきっと高く売れるだろうぜ。金持ちの愛玩用か、禁術の生贄用にな」ニヤッ


紫髪の盗賊「さっすがお頭、血も涙もないねえ」キャハハ

片耳の盗賊「さっさとしろよおっさん。勇者崩れのお頭を怒らせたくなかったら──」

盗賊頭「俺を勇者崩れと呼ぶな殺すぞ」ギロッ

片耳の盗賊「ひ……っ」

ターバンの盗賊「バカ、お頭をそう呼ぶなって教えといたろ」ボソッ

魔王「……勇者、聞こえるか」

勇者「ん……」ハアハア

魔王「今夜は満月が美しい。近くで見てくるがいい」シュル…


ターバンの盗賊「あ? なに意味不明なこといってんだおっさん。さっさとそのガキを──」

魔王「……」ビュン

 ポーン

盗賊頭(! ガキを宙に放った? なんか知らんが……やばい!)

盗賊頭「おい、待て!」

ターバンの盗賊「こっちによこせって──」ガシッ

 シュパン

ターバンの盗賊「……え?」ズルッ


 ヒュルルル……ポスン

魔王「ケガはないか?」

勇者「ん……平気」

魔王「急ごう」スタスタ

盗賊頭(ちくしょう……俺としたことが)

盗賊たち「……ぁ……が」ズルッ

盗賊頭(襲う相手を間違えるとは……っ)ズ…

 ドパアアン! ザアアアッ

魔王「……」スタスタ

魔王(血の雨で汚れてしまった。村に入る前に消さなくては)ポタポタ

勇者「ま、おー」

魔王「ん? どうした。つらいだろうがもう少し我慢──」

勇者「泣かないで」

魔王「!」ピタッ


勇者「泣か、ないで……」スッ

 ピトッ

魔王「吾は……泣いて、など……」

勇者「大丈夫……だよ。おれがずっと、そばにいるから」

魔王「……っ」

 ギュッ

魔王「……もうすぐ村に着く……頑張れ」


 医者のいる村

 ワオンッ! ワンワッ……クゥーン……キューン……

医者(えっ? なにかしら。あの勇敢な犬がおびえるなんて)ムクッ

 ソロソロ……ガツンッ

医者「きゃっ」ゴチン

医者(いたた、壁であご打った……そそっかしくてやんなるわもう)

 ギイッ

医者「誰かいるんですか? ……ひいっ!」


魔王「……」ゴゴゴ…

医者(なんなのこの人。すごい迫力だわ。ま、まさか強盗!? どうしよう……!)

医者「あ、ああああの、な、なにがご用……」ガタガタ

魔王「おま……あなたが医者か」

医者「そ、そうですぅ……どうか命だけは……」ガタガタ

 シュルッ

魔王「この子を診てほしい」

勇者「……」ハアハア

医者「! 早く中へ。すぐに診察をはじめます」バッ


──

医者「……」

魔王「どうだ?」

医者「おそらく魔界熱ですね。首のところに赤いアザがあるのがわかりますか?」

魔王「! 気づかなかった。毎日見ていたというのに」

医者「無理もありません、あせもとよく似ているので。でも、この薬液を落とすと」ポタッ

 ……ジワッ


魔王「! アザが紫色に変わった」

医者「これで確定ですね。魔界熱は魔界の瘴気に長期間さらされるとまれに発症する病気です。お住まいは魔界との境界線近くですか?」

魔王「……そんなところだ」

医者「では一週間ほどこちらでの入院をおすすめします。この村は西海からの風が届くので空気がいいんです。……でも変ですね」

魔王「なにが」

医者「魔界熱は通常、生命力の弱い赤ん坊やお年寄りがかかる病気です。このくらいの年の子がかかるのはとてもめずらしいわ」


 ズキッ

医者「いたた……」

魔王「どうした」

医者「あ、いえ。さっきあごをぶつけてしまって。嫌ですね。医者なのにそそっかしくて」ハハ…

勇者「……せん、せ」

医者「ん? どうしたの。さっきより苦しかったりする?」スッ

勇者「あご……平気?」

医者「えっ。やだ恥ずかしい。大丈夫よ、あとで適当に薬塗っておけば──」

 ピトッ

勇者「おれが、治してあげる」ポウッ

 パアアアッ


魔王(! これは)

医者「えっ」

 スッ

医者「あごの痛みが消えた? ……!」ハッ

勇者「はあ、はあ……」クタリ

医者「大変。さっきより熱が高いわ」バッ

魔王(……まさか)

 ──魔王、寝る前のだっこして──

 ──おれが魔王を元気にしてあげるからね──

魔王(お前は自らの生命力と引き換えに、吾を治していたのか……?)


 ギュッ

魔王(この子が病を得たのは吾のせいだ。なにも気づかなかった。こんなことなら、魔王城に連れてくるべきではなかった……!)

 チャプン

医者「この薬で様子をみましょう。よく効く薬ですが、一つだけ注意点が」

魔王「……なんだ」

医者「飲んで数時間経つと今以上の高熱が出ます。苦しいですが、それを耐えれば回復に向かうでしょう」

 スッ

医者「苦しいだろうけど、頑張れる?」

勇者「ん。おれ、頑張る」


 数時間後

勇者「う……っ」ビクン

魔王「! どうした」ガタン

勇者「……苦しい……熱、い……」ハアハア

魔王「……っ本当に命の危険はないのか!? こんなに苦しがって……!」

医者「大丈夫です、落ち着いて」

勇者「うう……ひっく……うぅ……」ポロポロ

魔王(吾には……なにもできない。世界の半分を統べる最強の魔王が、子どもの病気一つ治せない。吾は無力だ)

魔王「すまぬ。吾の……吾のせいで、こんな目に……っ」

医者「……」スクッ

 バシン!


魔王「!」ヒリヒリ

医者「落ち着きなさい。あなたの恐怖がこの子に伝染しています」

 ガシッ

医者「必ず治します。私を信じて」

魔王「……」

医者「……!」ハッ

医者(どうしよう……勢いでビンタしてしまったわ。こんなに我が子を案じている人に私はなんてことを……)

医者「あ、あの……ごめんなさい、私……」

魔王(昔の吾なら殴られる前に相手を殺していただろう。だが)

魔王「感謝する。あなたのおかげで冷静になれた。この子を、よろしく頼む」


──

 チチチ……

勇者「ん……」パチッ

魔王「! 起きたか。調子はどうだ」

 ピトッ

魔王「……よかった。だいぶ熱が下がったな」

勇者「おなかすいた……」グウウ

魔王「ふ、元気になってきた証拠だ。待っていろ、食べ物を持ってきてやる」ギイッ

 フウ……

勇者「よかった。これでおれ、捨てられないね」

 ピタッ

魔王「……いま、なんと?」


勇者「えっ」

魔王「吾がお前を……捨てると思っていたのか?」

勇者「……」

 ギシッ

魔王「勇者。なぜそう思った」

勇者「……だって……魔王がおれを拾ったのは、強い勇者にするためでしょう」

魔王「!」

勇者「弱いおれは魔王のそばにいられない。だから病気が治れば、これからもそばにいられるよね?」

魔王「……」グッ

魔王(吾は……いまほど自分を愚かだと思ったことはない)

 ガタン

勇者「魔王?」


 スッ

魔王「吾が間違っていた。強くなくても、よいのだ」

勇者「えっ」

魔王「弱くてもいい。剣を握れずとも、病気がちでも一向に構わぬ。お前が生きていてくれさえすれば、吾はそれだけでよいのだ」

 ギュッ

魔王「すまなかった。お前を追い詰めてしまって」

勇者「……いいの? おれ弱くても……捨てられない?」ポロッ

魔王「絶対に捨てたりなどするものか。お前は吾の……世界で唯一の宝物だ」


──

 数日後

 魔王城 秘書室

 カリカリカリ……

秘書「はあ……」

侍女「お疲れではありませんか? まだ傷が完全に癒えていないのでしょう。無理はなさらないでください」

秘書「え?……ああ、平気平気。ちょっと考え事してたんだ。次の書類を持ってきて」

侍女「かしこまりました」クルッ スタスタ

秘書(勇者は大丈夫かな。あんまり何度も魔王様に念話をつなげるのも申し訳ないし。

勇者の熱が下がったのは知らせてくださったけど……ただ待っているのがこんなにつらいなんて)

 ホウ……

秘書「たくさん絵本を取り寄せたんだぜ、勇者。帰ってきたら魔王様と一緒にたくさん読んであげる。だから早く元気になって……」


 タタタッ

侍女「秘書様。城門前にお客様です。至急秘書様を呼んでほしいと。ですがフードを被っていて顔が見えないそうで……」

 ガタン!

秘書「あたしが出迎える。人払いをよろしく」


 城門前

 タタタ……

秘書(きっと魔王様だ。顔をお見せにならないなんて、なにか事情があるのかな。……まさか勇者の身になにかあったんじゃ……)

 ギイッ

秘書「お待たせしました。お帰りなさいま──!」

 フワッ……

秘書(血と死体の臭い。この臭いはよく知っている)


屍術師(ネクロマンサー)「お迎えに上がりましたお嬢様。お父上が──族長がお待ちです」パサッ

秘書「あんたが直接来るとはね。お得意の死体はどうした?」

屍術師「それだけ今回は緊急ということですよ」

秘書「……」

屍術師「今すぐ私と来ていただけますね」

秘書「嫌だね」


屍術師「おや」

秘書「あの件はあたしに一任されている。任務の途中放棄はできない」

屍術師「あの件などとぼかさずにはっきりいえばよろしい。あなたは現魔王を引きずり下ろすために侵入したスパイだと」

秘書「……」

屍術師「とはいえもはやスパイとも呼べませんか」フウ

秘書「どういう意味だ」

屍術師「お父上がなにも知らないとでも? お見通しですよ。あなたが魔王の体調不良を隠していること、この城で勇者を一匹飼っていることも!」

秘書「……!」


屍術師「久しぶりに娘と水入らずで話したい、と族長は仰せです」

秘書「……」ポウ…

 パリッ

秘書(くそ、魔法が封印されてる。無策でこいつに近づくんじゃなかった。これじゃ魔王様に警告できない)

屍術師「城の者には適当な口実をでっちあげてください。魔王への連絡ができないよう、あとで城の周囲に大規模な結界も展開しておきましょう」

 スッ

屍術師「ではまいりましょうか、お嬢様」ニコ


 真紅城(吸血一族の城)
 
 ギャアアア……

 イヤアアア……

屍術師「ああ、いいですね。今日は活きのいい血袋が入荷したようです」スタスタ

秘書(幼いころ、あたしは常に耳をふさいでいた。人間の悲鳴を聞きたくなかったから。

あたしたち吸血鬼は月に一度、少量の血液を摂取すれば十分生きられる。なのにこの城では毎日浴びるように血を飲んでいる。そんな必要はどこにもないのに)


 コンコン

屍術師「陛下、お嬢様がお帰りです」

──入りなさい──

屍術師「失礼します」ギイッ

 城主の部屋
 
屍術師「では、私は別の仕事がありますので」スタスタ

秘書「……」ギュッ

秘書(白い肌、長い白髪、そして真紅の眼。あたしも同じ特徴を受け継いでいるはずなのに、どうしてこの男はこんなに恐ろしく見えるんだろう)カタカタ

吸血族長(秘書の父)「どうした? 我が娘」スクッ

秘書「!」ビクッ


吸血族長「震えているのかい? かわいそうに。具合でも悪いのかな」

秘書「い、いえ……あたしは」

吸血族長「……」ギロッ

秘書「! ……わたくしは、平気ですわ」

吸血族長「ああ、ようやくかわいい声が聞けたね。おいで。お前の人形のように美しい腕で、父を抱きしめておくれ」ニッコリ

秘書「はい……お父様」

 スタスタ……ギュッ

吸血族長「よく帰ってきたね、うれしいよ。たとえ与えられた仕事を放棄した裏切り者の娘でも」


秘書「!」バッ

 ガシッ!

秘書「放してください……っ」

吸血族長「本気で私をあざむけるとでも? どうやらお前を買いかぶっていたようだ」ギリギリ

秘書「痛い! やめてお父様……っ」

 ブンッ

秘書「キャアッ!」ガシャン

吸血族長「私は全て知っている。魔王の体調が悪化していることも、お前がやつに恋心を抱いていることも!

野良犬に恋するなど、誇り高き吸血一族への冒涜ではないか!」


 ……ニコッ

吸血族長「だがそれでもお前はかわいい娘だ。私が知りたいことを教えてくれれば全てを許そう」スタスタ

 スッ

吸血族長「魔王城の玉座の秘密を、私に教えなさい」

秘書「!」

吸血族長「お前も知っての通り、魔王は玉座が選ぶ。魔力の結晶体である玉座に比べれば、魔王など実のところ飾りでしかない。

魔王を操り人間界を侵略させているのも玉座なのだ」

秘書「……」

吸血族長「玉座の意向は絶対だ。例えば玉座の間に入れるのは魔王と勇者一行のみ。それ以外は門前ではじかれる。四天王すら例外ではない。ところが」ガシッ

秘書「!」ビクッ


吸血族長「お前は玉座の間に入ったと聞いた。部外者であるお前が入る方法はただ一つ。玉座を解析して抜け穴を使ったに違いない」

秘書「……玉座の秘密を知って、お父様はどうするのです」

吸血族長「簡単なことだよ。私が次の魔王になる」

秘書「!」

吸血族長「犬魔王の体調不良は魔王の交代が近いことを示唆している。私ほどの大魔法使いが座れば玉座はすぐさま私を新たな魔王にするだろう。

だが万が一ということもある。私の知らない、魔王になるための未知の条件が存在するかもしれない。だから」スッ

  バシンッ

秘書「きゃあっ」


吸血族長「さっさと玉座の秘密を私に教えろ。さもないとその頭に入っている知識を、魔法で強引に吸い出すぞ!」

秘書「……教えません」

吸血族長「なに?」

秘書「わたくしは魔王様に忠誠を誓った。あの方を裏切るくらいなら死を選びますわ」ガタガタ

吸血族長「……」

 ニッコリ

吸血族長『千針の呪い』ギャルン


秘書「……っ」ズキン

 ギャリギャリギャリッ!

秘書「……っ……」ブルブル

吸血族長「ほう。悲鳴をあげないとは大したものだ。千の針が全身の血管を突き刺すような痛みだというのに。

いつまで続くか見ものだな。お前も知っての通り、私は拷問魔法が一番得意だからね」スッ

 ギャリギャリギャリ……

吸血族長「さっさと吐くがいい。玉座の秘密も、魔王と勇者がそれぞれどこにいるのかも!」

秘書「!」


秘書(そうか……見落としていた。お父様はなんでも知ってるといったけれど、魔王様と勇者のいる正確な場所は知らないんだ。

しかも魔王様と勇者が一緒にいるとも思っていない。当然か。恐ろしい魔王が勇者を我が子のように愛しているなんて、想像もできないんだ。

あたしが拷問に耐え、記憶吸引の魔法にも耐えれば2人を守れる。たとえあたしが死ぬとしても)フフッ

吸血族長「この状況で笑うとは、あまりの痛みに狂ったか? まだまだ拷問は始まったばかりだよ」

秘書(2人が生きていてくれさえすれば、あたしは……)

 ギャリギャリギャリ……


 その日の夜

 黒の森

 ガサッ

屍術師「おや、こんな山奥に死体が9つ。なんと幸先のいい」スッ

 ペロッ

屍術師「この芳醇な味……死んでからまだ4日ほどですか。実におあつらえ向きだ」スクッ

屍術師『死徒作成』ヴオン

 ズズズズ……


屍術師「さあ目覚めるがいい我が下僕たちよ。私のために魔王と勇者の匂いを追跡するのです」

盗賊の死体「グガ……ギシャアア……」ムクッ

 ガサガサッ

屍術師「おや?」

グリフォン「グルルル……」

屍術師「森の主が侵入者を追い払いに来ましたか」ククッ

 スッ

屍術師「死徒たちの試運転にちょうどいい。さあ皆さん武器をかまえなさい。手始めにあのグリフォンを血祭りにあげるのです!」

 ギシャアア!

屍術師(フフ……私は強い。族長は魔王を恐れているようですが、あんな野良犬のどこが怖いのか理解に苦しみますね)

 アハハハハ!


 次の日の朝

 医者のいる村

勇者「こっちだよー!」タタッ

村の少年「うひゃー速ぇ!」

村の少女「待てー!」

犬「ワンワンッ」

 アハハハ……

魔王「……あなたのおかげだ。感謝する」

医者「私は仕事をしただけです。今日中に発ちますか?」

魔王「ああ、日のあるうちに。……だが本当は迷っている。吾の住んでいる場所は魔界の瘴気が濃くてな。

あの子の幸せを考えれば、別の場所にあの子を預けたほうがいいのではないかと」


医者「魔界熱は一度治癒すると抗体ができます。もう一度かかる可能性はほとんどないでしょう。

でも確かに、魔界の瘴気が濃い場所に住むのはおすすめできません。魔界熱だけでなく他の疾患にかかる可能性も高くなりますから」

魔王「やはりそうか。なら」

医者「ですが、それはあの子が決めることです」

魔王「! ……そうか。そうだな」

 ピチチチ……

医者「あの子は勇者ですね?」


魔王「ああ」

医者「そしてあなたは人間ではない」

魔王「そうだ。怖いか」

 フフッ

医者「いいえ。最初ドアを開けたときは死ぬほど怖かったですけど、今はまったく。だって私から見たあなたたちは、ただの親子ですから」

魔王「!」

医者「お互いを心から愛している、ただの親子です」

魔王「……そうか」フッ

 パキッ

医者(あら、枝が折れる音……森の中に動物でもいるのかしら)


魔王「そろそろ帰ろうと思う。世話になった。両手を出してくれるか」

医者「?」スッ

 ジャラララッ

医者「ひゅっ」

魔王「金貨100枚だ。足りるか?」

医者(こ、これだけあれば医療器具を買い足せるしベッドも増やせる。それどころか施療院の改築だって余裕で……。

いいえダメよ。100枚なんてとんでもない、早く断らなくちゃ)

魔王「足りぬか。では1000枚」


医者「ひえええストーップ! 3枚! 3枚が適正価格です! こんなにあったら私堕落しちゃう!」

魔王「そうか? 吾はこれでも足りないと」

医者「これ以上誘惑しないで」ハアハア

魔王「そ、そうか……分かった」

──

屍術師(さっき走り回っていたのが勇者ですか。思っていたよりも幼いですね。

勇者を守っている、やたら体格のいい護衛が邪魔ですが……しょせんは人間、私に敵うわけもありません)

──


 ザッザッザッ

魔王「勇者、近いうちあの村の近くで暮らさぬか。お前と吾と秘書の、3人で」

勇者「! 3人で、家族みたいに?」

魔王「ああ」

勇者「えへへ」

魔王「賛成か」

勇者「うん、楽しみ」ピョン

 ピチチ……

魔王「体調はもう平気か?」


勇者「うん、平気。魔王も平気?」

魔王「む?」

勇者「寝ないでずっとおれのそばにいてくれたから」

魔王「当然のことだ。吾はお前の親代わりだからな」

勇者「……ねえ魔王」

魔王「ん?」

勇者「魔王は、おれの──」

 ガサガサッ


仔グリフォン「キャンッ」

勇者「わっ」ドサッ

魔王「平気か?」スッ

勇者「だいじょぶ、1人で起きる」ムクッ

仔グリフォン「キャウ……ルルル……」フラッ

 ドサッ

魔王(重傷を負っているな。グリフォンの幼体に見えるが、この気配はおそらく……)

勇者「……」

魔王「治したいと思っているな?」


勇者「うん。でもだめだよね。先生にも注意されたし」

魔王「いや、治してみろ」

勇者「いいの?」パッ

魔王「ただし条件がある。自らの生命力は使わずに相手の生命力を使え」

勇者「相手の?」

魔王「そうだ。相手が持っている生命力を増幅させるのだ」

勇者「できるかな……」

魔王「吾がついている」ポン

勇者「うん、やってみる」


仔グリフォン「ヒュー……ヒュー」

魔王「まず相手の魂を探れ」

勇者「……見つけた」

魔王「! 早いな。魂を覆っている温かな気を感じるか? それが生命力だ」

勇者「あったかくて、ふわふわしてるやつ?」

魔王「うむ。それをギュッとしてガーッと……あーなんというか……自分の魂と同調させて、こんな風に震わせる感じで……」ブルブル

勇者「?」


魔王(くっ。秘書がいれば完璧な説明をしてくれただろうに。感覚派の吾には荷が重い)

勇者「……こう?」キュッ

 ……フオオオオッ

仔グリフォン「……!」シュウウ…

魔王「おお!」

仔グリフォン「……ゴロゴロ」スッ

 ペロッ

勇者「あはは、ざらざらしてくすぐったい」

魔王(まさか一度で習得してしまうとはな)

仔グリフォン「……」

 ボワンッ


グリフォン「グルル……」

勇者「わっ、おっきくなった!」

魔王「やはりか。力を取り戻したおかげで元の姿に戻ったのだろう」

グリフォン「ウルル」スリスリ

勇者「えへへ、どういたしまして」ナデナデ

グリフォン「……!」クルッ

 グルルルル……

勇者「どうしたの? そっちになにかいる?」

魔王「勇者、吾の後ろへ」スッ

 ガサガサッ


盗賊頭の死体「ゥ……ガア……」

紫髪の死体「ア……ウ……」

片耳の死体「ヒギ……イ……」

魔王(あのときの盗賊共か)

 スタスタ

屍術師「はじめまして勇者。いきなりですが、私と一緒に来ていただきます」

勇者「……やだ」

屍術師「君の意見は聞いてな……おや?」


グリフォン「グルルル……」

屍術師「森の主ですか。追撃が甘かったようですね。殺せと命じたはずですが」ギロリ

盗賊頭の死体「!」ビクッ

勇者「なんで」

屍術師「はい?」

勇者「なんで殺そうとしたの」

屍術師「邪魔だったからですよ。私の行く手を遮るものは誰であれ殺す。当然でしょう」

勇者「……」

屍術師「あの女が育てたにしてはずいぶん優しいですね。まあ、彼女が以前より丸くなったのは確かですが」

勇者「彼女?」

屍術師「魔王の秘書ですよ。私は昔から彼女を知っています。まあ、いまも生きているかは知りませんが」

勇者「えっ」

魔王(なに?)


屍術師「彼女は実家である真紅城に囚われています。仕方ありませんね、裏切りの代償は常に重いものです」

勇者「どういうこと!? なんで秘書が」

屍術師「おしゃべりはここまでにしましょう。下僕たちに命じて体中の骨を折って差し上げます。そうすれば運びやすくなるでしょう?

もちろん声帯もつぶしますよ。耳元で泣き叫ばれたらたまりませんからね」クスクス


魔王「……勇者、しばらく目を閉じていろ」

勇者「ん」スッ

屍術師「なんですか人間。私は魔王以上の実力者。あまり怒らせないほうがいいと思いますが」

魔王「なるほど、貴様は魔王より強いと」

屍術師「その通り。邪魔するならあなたから殺しますよ。私が一声命じれば、下僕たちは一瞬であなたを食い尽くすでしょう」ニヤニヤ

魔王「ふむ」

 シュンッ

魔王「声帯がないのにどうやって命じるのだ?」ポタポタ


屍術師「!?──!」パクパク

魔王「それと貴様は少々うぬぼれが過ぎるようだ。魔王より強いとぬかすなら最低限相手の正体は見破れ」ポイッ

屍術師(声が……声が出ない!)パクパク

死体達「……」クンクン

 クルッ

屍術師(や、やめろ近づくな! くそ、声が出ないから命令できない!)

 ザッザッザッ

屍術師(や、やめ)

死体達「ニグ……ウマ……」ガブガブ


魔王「行くぞ勇者」ヒョイ

勇者「目を開けていい?」

魔王「もうちょっと待て」

グリフォン「ルル……」スッ

魔王「お前も来るか」

グリフォン「ガウンッ」

魔王「いいだろう。遅れるなよ」


 ザザザザ……

勇者「もういい?」

魔王「もういいぞ」

勇者「ふう。ねえ魔王、ゾンビを倒さなくてよかったの? 先生の村が襲われたら……」

魔王「心配ない。屍術師が死ねば奴らはすぐに機能を停止する」

勇者「そっか。……じゃあ」ギュッ

魔王「ああ。秘書を助けに行くぞ」


 真紅城 地下牢

拷問官「ケヒヒ、大したやつだ。族長の拷問魔法にも記憶吸引魔法にも屈せず、一切情報を漏らさないとは」スッ

 バシャッ!

秘書「……っ」ポタポタ

拷問官「いい酒だ、傷口に沁みるだろう? ったくつまらねえ女だぜ。引き継いだ俺が拷問しても悲鳴一つあげやしねえ。さすが族長の娘ってか?」カラン

秘書「……はっ。当たり前だろ。ザコの拷問なんて……そよ風と同じだっつーの」


拷問官「いうねえ。族長からはあんたの処分許可をいただいてる。情報を漏らそうが守ろうが、あんたの死は確定だ」

秘書「……だろうな」

 ジャラ……

秘書(さすがに鎖を切って逃げる体力は残っていない。けど魔王城の秘密は守ったし魔王様の居場所も漏らさなかった。勇者はきっと魔王様が守ってくださる)

 ドクドク……

秘書(あは、もう血を止める魔力すら残ってないや。あたしはここで死ぬんだ。ま、いいけどね。これで少しは魔王様の寿命も伸びる)

拷問官「……」ニヤリ

 ビリビリッ


秘書「……なにすんの? 魔王様からもらった……大事な服なのに」

拷問官「ケヒヒ、拷問てのはいろんな種類がある。物理的に責める方法、精神を責める方法。

このやり方はどっちも兼ね備えてる万能な方法だ。俺もいい思いができるしな」カチャカチャ

秘書(予想通りの行動すぎて逆に笑える。なんで男ってのはみんなこうなんだろう……でも、あの方は違ったな)

 ポタポタ

秘書(そっか。魔王様はあたしを尊重してくれてたんだ。対等の存在として扱われたのは生まれて初めてだった)

拷問官「ケヒヒ」

秘書「触るな……気持ち悪ぃ……っ」

 バシンッ

秘書「……っ」ジンジン


拷問官「抵抗したら何度でも殴るぜ」ヒヒッ

秘書(残った生命力を魔力に変えれば、こいつを殺すことはできる。引き換えにあたしは死ぬけど。……あたしが死んだら、魔王様少しは悲しんでくれるかな。

……無理だよね。ずっとあの方を裏切ってたんだもの。あんなによくしていただいたのに、なにも返せなかった。あたしは最低の部下だ)

拷問官「観念しろぉ」グイッ

秘書(さよなら。魔王様、勇者……)ポウ…

 ……ズズン……


拷問官「あ? 地震かあ?」

 ……ズズ……ズン……

 …………

拷問官「おさまったみてえだな。じゃ続きを──」

 バゴンッ! ガラガラ……

魔王「……」ジャリッ

拷問官「!? な、なんだてめえ!」カチャカチャ…グイッ

秘書(嘘……夢じゃ、ないんだ)

魔王「遅くなってすまない」スタスタ

拷問官「は、例え魔王だろうとこの檻は破れねえぞ。吸血一族に代々伝わる悪魔の炎で鍛えた」

 グニャリ


拷問官「最硬の金属でできて……は?」

 スタスタ……バキン!

秘書「……」フラッ

 ガシッ

魔王「これを着ろ。地下は冷える」バサッ

秘書「いけ、ません……わた……し、血だらけで汚い……です。大切なマントが……汚れ、ます」

魔王「お前を汚いと思ったことは一度もない」


拷問官(兵士はどうした? 城のなかにも外にも大勢いたはずだ。まさかこいつ1人で全員倒したってのか?)

秘書「勇者、は……」

魔王「元気になった。森で待機させている」

秘書「よかった……」

拷問官(こっちに背中を向けてるいまなら、俺でも殺せる! ……死ねやあっ!)ビュッ

魔王「……」スッ

 ピッ……ゴトン


拷問官(は? なんで急に目線が下がったんだ? あれ……あそこに転がってるの、俺の……体……)ザアアッ…

魔王「……」ポウッ

 シュウウ……

魔王「すまぬ。吾の魔法では血を止めるのが精一杯だ」

秘書「族長が……私の父が、反旗を翻しました。王位簒奪のため、魔王城に」

魔王「そうか」

秘書「すぐに向かってください。わたくしのことなど放って……」

魔王「案ずるな。奴が魔王になることは絶対にない。理由はお前も知っているだろう」

秘書「……」

魔王「いいから、いまは休め」

秘書「……はい……魔王、さま……」スウッ…


 真紅城の近く 森の中

勇者「……」コオオオ…

 シュウウ……

魔王(この短時間で秘書のケガを全て治すとは。やはり治癒魔法の才がずば抜けている)

魔王「どうだ?」

勇者「……」

魔王「勇者?」

勇者「だめなんだ、いまのおれじゃ。体の傷は治せても、魂の傷は治せない。魂の傷はすごく、すごく深くて……たぶん秘書は、今日中に……死んじゃう」ポロポロ

魔王「いや、そうはならない」

勇者「本当?」グスッ

魔王「ああ。一つだけ、秘書を救う方法がある」


 魔王城・最終四天王の間

ベテラン魔法使い『血染めの王冠』コオオ

 バシャン!

四天王・古代竜「ギシャアアア……」ドロッ

 ジュワアア……

新人勇者「やった! すごいです魔法使いさん!」

ベテラン魔法使い「いやいやとんでもない。皆さんの助けがあってこそですよ」

剣士「謙遜すんなって。このパーティで一番強いのは明らかにあんただろ」

神官「本当に助かりましたわ。昨日魔法使いが突然失踪して途方に暮れていた私たちに、あなたは手を差し伸べてくださった。

きっと女神様の思し召しですね。どうかあなたのために祈らせてください」スッ

ベテラン魔法使い「……っ」フイ

神官「魔法使いさん?」


ベテラン魔法使い「お気持ちは大変ありがたい。ですが今は魔王との決戦直前。戦いが終わったら改めて祈っていただきましょう」ニコ

神官「そ、そうですわね。やだ私ったら、時と場所をわきまえず……」カアッ

剣士「天然の神官らしいぜ」

 アハハハ……

新人勇者(本当にベテラン魔法使いさんが加入してくれて助かった。

見たこともない不気味な魔法を使うのが、少し気になるけど……)


 玉座の間 入口前

ベテラン魔法使い「では勇者どの、玉座の間への扉を開けてください」

新人勇者「はい。みんな、いよいよだね」

剣士「おう、腕がなるぜ」

神官「サポートはお任せください」

新人勇者「よし。いざ!」ギィッ

 ギイイィイ……


 玉座の間

 スタスタ……

剣士「おお、すげー豪華な内装」ポカン

神官「本当、こんなに絢爛な広間を見たのは初めてですわ。人間の王様のお城ですら、ここまで豪華な広間はなかったですもの」

新人勇者「……あれ? ベテラン魔法使いさん、どうしたんですか。広間に入る直前で止まったりして」

ベテラン魔法使い「……勇者さん。私はあなたの仲間ですよね?」


新人勇者「もちろん。頼りにしてますよ」

ベテラン魔法使い「そうですか」スッ

 スタスタ……

ベテラン魔法使い「ふふっ……ふふふ……」ブルブル

新人勇者「え? どうしたんです?」

ベテラン魔法使い「入れた! ようやく入れた! これで玉座は私のものだ。『変身解除』」シュルン


新人勇者「! 白い肌、赤い目……あんた吸血鬼か!」バッ

剣士「なんだと!?」スラッ

神官「えっ? えっ?」

吸血族長(ベテラン魔法使い)「いやいや本当に助かったよ。私一人で玉座の間に入るのは不可能だったからね。……とはいえ」シュン

 トスッ

神官「……?」クラッ

 ドサリ

剣士「神官! てめえよくも!」ビュン

吸血族長「できればこの手は使いたくなかったんだ。貴様らのような下等種族に化けるなど私の美学に反する」トスッ

剣士「がは……っ」グラッ

 ドサッ カランカランッ


勇者「神官! 剣士!」

吸血族長「虫酸が走るとはいえ玉座の間に入れたのは君たちのおかげだ。お礼をさせておくれ。『雷縛』」バリバリッ

新人勇者「……! (体が動かない!)」

吸血族長「大丈夫、君の仲間たちは殺してないよ。殺すわけがない。生きたまま啜らないと美味しくないからね」ニッコリ


──

 フキフキ

吸血族長「さてと」

 スタスタ

吸血族長(階段の上にあるのが玉座か。もっと金や宝石で装飾されているのかと思ったが、意外と簡素なのだな)

 シーン

吸血族長(ここまで玉座に近づいても魔王は出てこないか。予想はしていたが少しあっけないな。

屍術師からの報告もないし、いったい奴はどこへ行ったのやら。……いや、もうどうでもいい)

 カツン カツン

吸血族長(玉座に座った瞬間私は新たな魔王となる。そうなればこの豪奢な城は私のもの。魔王軍の全てを掌握し人間たちを滅ぼしてやる。

村を焼き国を焼き……ああ、美しい子どもは家畜用に残しておくか。新鮮な血がいつでも味わえるのは素晴らしい)クックッ

 ギシッ

吸血族長「玉座に座った。これで──」


 シーン

吸血族長「……なんだ? なぜなにも起こらない」

 スクッ

吸血族長「そんなはずはない! 私はこの世で一番の魔法使いだぞ! なにかの間違いだ。私は最強の──」ハッ

 ズズズズ……

吸血族長(この気配は)クルッ

 ザッザッザッ……

魔王「残念だが、貴様が座っても意味はない。次の魔王はすでに決まっている」


吸血族長「……これはこれは。お目にかかれて嬉しゅうございます、魔王様」スッ

吸血族長(次の魔王は決まっているだと? 馬鹿馬鹿しい。私に匹敵する強者などいるわけがない。

私が魔王になれないのは、まだ現魔王が生きているからだ。奴を殺せばすぐ玉座に認められるだろう)

吸血族長「思ったより元気そうで安心しましたよ。ところで御身の後ろに控えているのは……」

秘書「……」スッ

吸血族長「ふん、生きていたのか。馬鹿な娘だ。救い出されたのならさっさと遠くへ逃げればいいものを」


秘書「わたくしは秘書ですもの。魔王様を置いて逃げるなどありえませんわ」

吸血族長「そうか。ならばもろとも死ね。『赫酸の雨』」ポウ

 ジュワアアア……

吸血族長「この程度で死なないのは分かっている。『開闢の焔』『死神の接吻』『氷円斬』」ポウ

 ドドドド……

吸血族長『爆雷雨』

 ピシャアアアン!

吸血族長「……なるほど」


 ブゥウウン……

吸血族長「素晴らしい強度のバリアだ。ようやく私の教えが活きてきたかな?」

秘書「退いてください、お父様」

吸血族長「なぜ」

秘書「お父様は確実に負けます。魔王様とこちらへの攻撃は、わたくしが全て防ぐので」

吸血族長「やせ我慢はそこまでにしたらどうだ? 知っているよ。お前の命はもうすぐ尽きる。『雪華刃』」ビュン

秘書「……っ」バシン

吸血族長「私自ら念入りに魂を破壊したのだ。どれだけ外見を取り繕おうが無駄だよ。

私には見える。ドクドクと血を流す、お前のちっぽけな魂がね」スッ

 バリバリッ


秘書「……くっ……」

吸血族長「考えてみればお前は昔からそうだった。無能、のろま、グズ。なぜこんな出来損ないが生まれてしまったのかと毎日嘆いたよ」ビュン

 バシンッ

秘書(くそ、力んだせいで傷が開いちまった)ポタ…ポタ

魔王「……」スッ

 カツン カツン

吸血族長(! まずい、魔王が玉座に近づいてくる。玉座に座られたら魔力を回復され、さらに手に負えなくなる。早く娘の気力を折らなければ)

吸血族長「……どうせお前は誰からも愛されていない。家族はもちろん上司からもな。見ろ! お前がどれだけ苦しもうと見向きもしないではないか」


秘書「当たり前ですわ。わたくしがそうするように頼んだのですもの。お父様を倒すのはわたくしです。魔王様は……わたくしを信じてくださっている」ドクドク

吸血族長「違うな。ただ利用しているだけだ。お前は駒として利用しつくされて人生を終える。無能なお前にはふさわしい最期だな」

秘書(くそ、もうすぐ魔力が尽きる……っ)

 カツン、カツン

魔王「……吾が魔王になって千年と少し経つ。多くの部下を率いた。その中でも群を抜いて優秀な者がいま、吾を守ってくれている」


秘書「!」

魔王「無能? 出来損ない? なるほど、貴様の目にはそう見えるのか。

……ふっ」

 フハハハハ!

吸血族長「なにがおかしい!」ギャルン

 バシン!

吸血族長(くそ、すでに娘の魔力は枯渇しているはず。なぜ防がれる!?)

魔王「感謝するぞ、吸血族の長よ。貴様の目が曇っていたおかげで、吾は最高の部下を得た!」

秘書(……ああ)

 コオオオッ

秘書(魔王様の部下になれて、あたしは……幸せだ)


 ジジジッ……!

吸血族長(なんだ!? 魔王を覆うバリアの強度が上がっていく……!)

魔王「さっさと玉座から退け簒奪者よ」

 カツン カツン

吸血族長「近づくな! くそ……我が娘よ、なぜ父の危機だというのに味方をしない!」

秘書「……あなたはもはやわたくしの父ではない。さようなら。わたくしをこの世に生み出してくれた人」

 カツン カツン

吸血族長「来るな! 来れば……そ、そうだ! お前が育てているというあの子どもを殺──」

秘書(ああ……バカなやつ)

 ドスッ


吸血族長「は……?」ポタポタ

吸血族長(なんだ? 魔王の手が、私の胸に突き刺さっている?)

 ズルッ

吸血族長「か、返せ。それは私の、心臓………」フラッ

 フラフラ……

吸血族長「この世の全ては……私のものだ。世界も、この玉座も……」
 
 ギシッ

吸血族長「認めろ……認めろ認めろ認めろ! 私を魔王と認めろお!」

 ポウ……

吸血族長「! はは、やった……ぞ。これで……」


玉座『強力な魔力の残滓を確認。数分で霧散すると測定。資源の有効活用のため魔力の吸収をはじめます』

吸血族長「は……?」

 ズッ……ズズズズズズ

吸血族長「ぎ……が……」シワシワ…

 ザアアアッ……

玉座『魔力の吸収が完了しました』


魔王「……だからいったであろう。貴様が座っても意味はないと」

 クルッ

魔王「すまぬ、秘書。手を出さないと約束していたのに」

 コッコッコッ……

秘書「よいのです。勇者のことを口にされればわたくしだって黙っていられませんわ。……さあ魔王様、玉座で魔力の補充をなさってください」

魔王「……」

秘書「魔王様?」

魔王「秘書よ、体調はどうだ」

秘書「もちろん元気ですわ。わたくしは大丈夫……っ」クラッ


 ガシッ

魔王「お前の唯一の欠点は、吾を心配させまいと嘘をつくことだ」

秘書「……少し躓いただけです。本当に元気ですわ」

魔王「……そうか」

秘書(魔王様の大きな手……あったかいな)

 スッ

秘書(ああ……離れちゃった。元気だなんていわなきゃよかった。そしたらもっと支えてくれたかも)


 カタカタ

秘書(震えるなあたしの体。わかってんだよ、とっくに限界だってことは。それでも魔王様に無様な姿は見せたくない)

秘書「どうぞお座りください魔王様。ここはあなたの席です」

魔王「いいや。この玉座はもはや吾の席ではない」

秘書「え……」


魔王「もっと早く王位を譲るつもりだった。だが……勇者に出会った」

秘書「……」

魔王「最初は義務感だった。だがあの子と過ごすうちに欲が出た。勇者が大人になるまで成長を見ていたい……だが叶わぬ願いだ」

秘書「おやめください……」

魔王「魔王城には強大な魔力が溜め込まれている。玉座から魔力を得ればお前の魂も癒えるだろう」

秘書「引き換えにあなたと勇者のことを忘れて?」

魔王「そうだ」

秘書「嫌です。わたくしは忘れたくない。魔王になどなりたく……ありません」ポロポロ


魔王「これは……吾のわがままだ。お前には生きてほしい。例え全て忘れても勇者が思い出させてくれるだろう。

勇者は魔王と対極にいる者。あの子のおかげで、吾も魔王になる前の記憶を取り戻せたのだ」

秘書「……」

魔王「秘書」

秘書「……分かりました。それがあなたの望みならば」

魔王「感謝する」

 スッ

秘書(ごめんなさい魔王様。あたしはどうしてもあなたを死なせたくない。

ここであたしが死ねば、魔王様はあと数年生きられるはずだ。

……よかった。自害用の魔力を残しておいて)ポウ

 トスッ


秘書(! 首のうしろを……っ)クラッ

 ガシッ

秘書「な、ぜ……分かっ……」ガクン

魔王「……分かるさ」

 スッ ギシッ

魔王「すまない秘書。吾はお前の死を見たくないだけなのだ」

 コオオオッ

魔王(玉座が光りはじめた。すぐに継承の儀式がはじまる)

秘書「……ぅ……」

魔王「生きろ。生きて、吾の代わりに勇者の成長を……っ」ガクン

 ガフッ ゲホッ

魔王「……そう、か。時間切れか」ボタボタ

 ズルッ

魔王(……勇者。死ぬ前に、ひと目お前の顔を……っ)ググッ


 魔王城近く 森の中

 ゴゴゴ……

勇者(城が震えて、光ってる。まるで喜んでるみたい)

グリフォン「グルルル……」

勇者「大丈夫だよ。おれがついてる」ナデナデ

 タッタッタッ……

勇者「? なんだろう。なにか近づいてくる」

 ハッハッハッ……

勇者「(おっきな狼? あれは……)魔王!」タッ

 ダダッ

勇者「魔王1人? 秘書はどうし──」

魔王「……っ」グラッ

 ズズ……ン


勇者「魔王!?」

魔王「安心……しろ。秘書は……無事だ。魂の傷も……癒えるだろう」

 ドクドク

勇者「す、すごい血が……待ってて、いま、いまおれが」

魔王「よい」ハアハア

勇者「えっ」

魔王「吾はすぐに死ぬ。前から決まっていたことなのだ、勇者」


魔王(本当は人型になりお前を抱きしめてやりたい。だが今の吾にはその力すら……)

勇者「どういうこと!? 死ぬってなんで……」

魔王「赤子のお前と出会った日、吾はすでに限界だったのだ。魔王は千年ごとに代替わりする。あの日はちょうど千年が終わった日だった。

城に帰って死ぬつもりだった吾は、ある人間から……お前の母から赤子を託された。だからもう少しだけ生きることを決めた」ゲホ

 ガハッ

勇者「魔王……血が、血が止まらない! 待ってて、いまおれの生命力を」


魔王「よい! 意味がないのだ。お前なら分かるだろう。吾はもう手遅れだ」

勇者「いやだ……いやだ、死なないで」ポロポロ

魔王「……幼いお前と過ごすうち、どんどん欲が出てきた。この子の成長を見守りたい、どんな人生を歩むのか知りたい、大人になった姿を見たい……。

いま思えばなんと身の程知らずな願いだろう。散々勇者たちを、人の子たちを殺しておいてなにをいまさら……まっとうな幸せを願うなど」ガフッ

勇者「魔王!」

 ギュッ

勇者「いやだよ、これからもおれのそばにいて。魔王と秘書とおれの三人で暮らすんだ。本当の家族みたいに」ポロポロ


魔王「……頼みが、ある。秘書のことだ。彼女はもうすぐ新たな魔王となり全てを忘れるだろう。

お前が大人になったら会いに行き、正体を明かせ。そうすれば全て思い出すはずだ。吾と共にお前を育てた……日々、を……っ」ゴフッ

 ガフッ……ゴホッ!

勇者「魔王!」

魔王「……もうすぐ……魔物たちが集まってくる。吾の体を喰らいに……その前にここを……離……ガ、ウ……っ」


魔王(ああ、もう人語も話せなくなったか。もっと伝えればよかった。お前を世界一愛していると。息子だと思っていると。

吾に親になる資格はない。だが、それでも……)ドクドク

 ……グルルル……

勇者「!」バッ

魔王(まずい。魔物が集まってきた。勇者、早くここから)

 スクッ

勇者「魔王は食べさせない。おれが、守る」


魔王(! ……愚か、者……)ギリッ

魔物たち「グルルル……」ボタボタ

勇者「……っ」ガタガタ

魔王「……グ……オオオ──(グリフォンよ!)」

グリフォン「!」バッ

魔王「ガルル……グオオオッ(いますぐ勇者をくわえて逃げよ! 振り返るな、主人を守れ!)」

グリフォン「ガウッ」

 パクッ


勇者「! いやだ、おれ魔王と離れたくない! まおー!」ポロポロ

 バサッバサッ

魔王(……健やかに育てよ、勇者)

勇者「やだ……死なないで……っ。

そばにいてよ、父ちゃんっ!」

魔王(! 

 ああ……)

魔物たち「ガルルル……」ガパア

魔王(お前に出会えて、吾は……幸せだった)

 ガブッ……ブチッ……グシャッ……

────

───

──


 12年後

 医者のいる村 施療院

熱のある子ども「先生早く逃げて。魔物がそこまで来てるよ……っ」

 ピトッ

医者「……熱が高い。熱冷ましが必要ね」ゴソゴソ

肺病の少女「先生、私たちのことはいいから」ケホ

歩けない老人「そうじゃ、あんただけでも」

医者「いいえ。私は残ります」

 ──

 ギイ……バタン

医者(……なーんて、啖呵切ってみたけどさ)

 ズシン ズシン

医者(いざ魔物を目の前にしたら、やっぱり足がすくむよねえ。ああ……ぶっちゃけ逃げたい)ガタガタ

医者「……そこで止まりなさい! ここは病院です」


 ズシン……ッ

悪鬼「ファッファッファ。俺様になんの関わりがある? 俺様の仕事はこの村を、人間界を、全て燃やし尽くすことだ」ボッ

 ボオオオッ!

医者「ひぃーっ」バッ

悪鬼「俺様の恐ろしさが理解できたか? ならさっさとどきな」

医者「えっ」

悪鬼「お前の肉には濃い薬の匂いが染み込んでてまったく食欲がわかねえ。見逃してやるから失せな」

悪鬼(ま、どこに逃げようと無駄だけどな。村を包囲している部下が殺すだけだ)クックッ


医者「……私が逃げたあとあなたはどうするの」

悪鬼「そりゃ当然、中にいる死にかけの病人どもをむさぼり食うのさ。薬の匂いは嫌いだが死の匂いのする人間は好きだ」

医者「あなたの鼻は飾りのようね」

悪鬼「あ?」

 スクッ

医者「彼らは私が治します。だから死にません。もちろん患者を食べることも許しません。いますぐ去りなさい」

悪鬼「貴様……バカか?」

医者「バカで結構。ここで患者を見捨てたら私は二度と医者を名乗れない。病院に立ち入ることは絶対に許さ──」

 バチンッ!


医者「ああっ!」ドシャッ

悪鬼「気に入った。ご立派なあんたの絶望した顔が見たくなっちまった。

そこで見てろよ。俺様があんたの大事な患者たちをむさぼり食うところを」クックッ

 バキバキッ

 キャアアア……

悪鬼「ファッファッファ! 泣き叫べ人間ども!」

医者「ぐ……う……みんな……っ」ググッ

 スタスタスタ ザッ

少年「なあ、おじさん」


悪鬼「いいぞ、もっと絶望を、恐怖を」

少年「なあって。無視すんなよおじさん。傷つくだろー」

悪鬼「……まさかおじさんってのは俺様のことか?」クルッ

医者(あの少年は誰? あんなところにいたら殺されてしまう)

医者「君、はやく逃げなさい!」ゲホ

悪鬼「……」グルルル

少年「おじさんに聞きたいことがあるんだよ。あんた魔王軍の所属だろ? 

魔王城がどの方角にあるか教えてほしいんだ。久しぶりすぎて分かんなくなっちゃってさ」


悪鬼「俺様はおじさんじゃねえ……というかこの気配、貴様勇者だな」

医者「!」

再生の勇者「よく分かったな。おじさん軍のなかでも結構上のほうだったりする?」

悪鬼「勇者……勇者か。ここで貴様を殺せば俺様はさらに昇進できる。なにより真紅の魔王様がお喜びになるだろう」

 ピクッ

勇者「……魔王は元気か?」

悪鬼「ファッファッファッ。まるで友のような口をきく。安心しろ。貴様は魔王城に辿り着くことも魔王様の美しいお顔を拝謁することも叶わん。

俺様の爪に引き裂かれて肉片になるのだからな」ギラッ

勇者『爪ってどれのことだ?』

悪鬼「なにをいう。この鋭い爪が見えないの……か……」

 ボロッ


悪鬼「は?」

悪鬼(なんだ? なぜ急に爪がボロボロに!? 直前までなんともなかったはず)

勇者「爪がないんじゃ、俺を引き裂くことはできねえな」

悪鬼「ふ……ふん、それなら鋭い牙でお前を食いちぎってやる!」ギラリ

勇者『牙なんて生えてないだろ』

悪鬼「ああ? なにをいって」スポッ

 ボトボトッ


悪鬼「がっ……!? な、なんだ? 突然牙が抜けちまった!」

悪鬼(こいつなんの魔法を使った? 俺様は知らないぞ、こんな恐ろしい魔法!)

勇者「牙がないんじゃ、俺を食いちぎることはできねえな」スタスタ

悪鬼「く、来るなあっ! 今すぐ俺様の翼で貴様を吹き飛ばしてやる!」バサアッ

勇者『翼なんて見えねえけど』

 ドサドサッ


悪鬼「ぎゃああああ! 俺様の、俺様の自慢の翼があああっ!」

悪鬼(くそ。こうなったら村を包囲している部下たちを呼び寄せて──)

 ザッザッザッ

悪鬼(? あれはグリフォン? なぜこんな場所に。というか……あいつがくわえているのは……)

グリフォン「……」パッ

 ボトボトボトッ

勇者「腕もそんだけ大量にあると壮観だな。全員仕留めたか?」

グリフォン「クルル!」


勇者「よしよし、いい子だ」ポンポン

悪鬼(まさか……全滅……?)

勇者「……」スタスタ

悪鬼「ひいっ……ち、近づくなあっ!」ブンッ

 ザンッ ボトリ

グリフォン「!」

勇者「あちゃー、油断した」ブシュッ

悪鬼「ファッ……ファッファッファやったぞ! お前の右腕を切り落としてやっ」

 ギャルンッ

悪鬼「……へ?」


医者(腕が……一瞬で生えた?)

 ガシッ

悪鬼「ひえっ」

勇者「魔王城の方角は?」

悪鬼「あ、あっち」ガタガタ

勇者「教えてくれてどうもな。お礼に……『痛みのない死をやるよ』」コオッ

悪鬼「……──」フッ

 ズズ……ン


グリフォン「……」ダラダラ

勇者「喰っていいぜ。腹減ってるだろ」

グリフォン「ガウ!」

医者(彼は……本当に勇者なの? あの姿はまるで……まるで……)

 スタスタ

医者「!」

勇者「久しぶり、せんせー」

医者「……あなたは……まさ、か……」クラッ

 ガクッ


──

 ポウ……

医者「ぅ……」パチッ

勇者「気がついたか? 全治2日くらいまで回復しといたぜ。全回復は俺が疲れるからな」

医者「ありがとう……そうだ、私の患者……うっ」フラッ

 ガシッ

勇者「一通り見て回ったけど、新しくケガしてる人はいなかった。みんな無事だ」

医者「そう。でも行かなくちゃ。手を貸してくれる?」

勇者「うん」

 スタ……スタ

肺病の少女「あ、先生!」


熱のある子ども「大丈夫?」

医者「私は平気。みんなは?」

熱のある子ども「なんかねー、さっきより体が軽いんだ」

歩けない老人「病院の壁が一部崩れただけで、わしら患者はケガしとらん。ありがとう勇者殿。それに先生も」

医者「えっ」

熱のある子ども「見てたぜ、魔物に立ち向かうところ。すごくかっこよかった!……すぐやられちゃったけどなー」ヘヘッ

医者「もう当たり前でしょ。私はただの人間──」

 ギュッ

医者「あら、どうしたの?」


肺病の少女「ただの人間なのに、先生は魔物に立ち向かってくれた。痛かったでしょう。なにもできなくて、ごめんね……」ポロポロ

医者「いいの。みんなが無事で本当に良かった」ギュッ

勇者「……」

 ──

 スタスタ……

勇者「どうしたんだ先生、こんな村の外れに連れてきて。村の復興を手伝わなくていいのか?」

医者「……あなたに聞きたいことがあるの」クルッ

勇者「うん」

医者「さっき魔物を倒したとき……失った右腕を一瞬で生やしたわね」

勇者「……」


医者「あなたが強大な魔力を持っていることは、一般人の私でも分かる。でも大きな力には必ず代償があるわ。

あなたが子どものころ、治癒魔法と引き換えに病に侵されたように」

勇者「そうだな」

医者「あなたはまた、生命力を対価にしているのね」

勇者「……」フイ

 ガシッ

医者「どうして……っ。あなたの命はあなただけのものじゃない。せっかく私が魔界熱を治したのになんて、恩着せがましいことはいわないわ。

でもいまのあなたを見たらきっとお父さんは──」

勇者「やめてくれ!」


医者「!」パッ

勇者「……俺、先生には感謝してる。本当だ。でもいくら先生でも、そのことには触れてほしくない」カタカタ

医者「一体……なにがあったの」

勇者「父ちゃんは、死んだ。俺のせいで、死んだんだ」


 2日後

 魔王城近く 森の中

 ホー ホー

勇者(闇の中に浮かぶ魔王城。今日は新月だからなおさら恐ろしく見える)

 ブルッ

勇者(震えるな。もう決めただろ、目的を果たすって)

勇者「……」スタスタ

 ザッザッザッ

勇者「!」タタッ

 ザザザザッ

勇者「……っだああもう! ついてくんなっていったろ!」クルッ


グリフォン「ガウ」フルフル

勇者「魔王は滅茶苦茶強いんだ。お前は足手まといなんだよ」

グリフォン「……」ジトー

勇者「な、なんだよ……そりゃ俺だって最強ってわけじゃないさ。目的の前に死んじまうかもしれない。……てか、たぶん確実に死ぬ」

グリフォン「グルル」

勇者「いや逃げない。決めたんだ。必ずあの人を救うって」

グリフォン「……」

勇者「分かってくれ。お前を死なせたくないんだよ」


グリフォン「……」シュン

勇者「最後にあれやるか……グリフォン」

グリフォン「ガウ?」

勇者「仰向け!」ビシッ

グリフォン「ワフッ」ゴロン

 スッ

勇者「よーしよしよしよし」ワシャワシャ

グリフォン「ゴロゴロゴロ……」トローン

勇者「よしよしよし……っと。どうだ? 気持ちよかったか?」

グリフォン「ウニャーン……」

勇者「元気でな。せっかくふるさとに帰ってきたんだ。幸せに暮らせよ」スクッ

 スタスタ……

グリフォン「……キューン……」


 魔王城 玉座の間

 ギイッ

勇者「……」スタスタ

 ジャラ……

真紅の魔王「……新鮮な血の匂い。私の大事な四天王を倒した方は、どこのどなたかしら?」

 ピタッ

勇者「あんたを救う者だよ」

真紅の魔王「あら。私を救ってくださるの?」


 クスッ

真紅の魔王「初めてですわ、そんな風におっしゃった方は。皆さん無言で斬りかかってきたり、物騒な言葉を使うばかりでうんざりしてましたの」スクッ

 ジャラララ……

真紅の魔王「私を戒める鎖を砕いて、城から連れ出してくださる? 絵本に出てくる王子様のように」

勇者「その鎖は?」

真紅の魔王「玉座から生み出されていますの。私を固く縛る黒い鎖。

おかげで城から一歩も出られませんのよ。別に魔王の座から逃げる気はないのに、玉座はなにを恐れているのやら」


 フフッ

真紅の魔王「でもいいこともある。常に玉座と繋がれているおかげで膨大な魔力を思いのままに使えますの。こんな風に」コオッ

 ジュワァッ

真紅の魔王「最高位の魔法も呪文の詠唱なしで行使できますのよ。どうかしら、私の魔法の味は」

 シュウゥウ……

真紅の魔王「……少しは期待したのだけれど……やはり誰も私には敵わないんですのね」フウ

 ギシッ

真紅の魔王「眠りましょう。次の勇者が現れるそのときまで──」

勇者「勝手に話進めないでくれよ」ビュン


 ギィイイン!

勇者(ちっ。丈夫な鎖だ)

真紅の魔王「あら。てっきり跡形もなく蒸発したかと思いましたわ。ふふ、嬉しいこと」

勇者「!」

──

『お前はかわいいなー勇者。魔王様が虜になるわけだぜ』フフッ

──

 バッ  シュタン

真紅の魔王「あら、もう終わりですの? てっきり追撃がくるかと」


勇者「……あんたの手札を知らない以上、慎重にいかないとな」

真紅の魔王「手札ねえ。別に大したものはありませんわよ。この世に存在する全ての魔法を無限に使用できるくらいで」

勇者(うわ聞きたくなかった)

真紅の魔王「あなたの手札も悪くないですわね。先ほどは素晴らしい再生魔法でしたわ。心臓が停止したら自動で発動するように設定しているのかしら?

一瞬で全身を再生するなんて素敵ね。再生魔法に限れば私に匹敵するかも」

勇者「……」


真紅の魔王「でもあれは禁術。体への負荷は凄まじいはずよ。あなたの魔力量ではあと2回が限度かしら?」

勇者「そこまで分かるのはさすがだな。ならこれはどうだ? 『お前の体は石になる』」

真紅の魔王「!」ピシッ

勇者「あんたはもう動けない。大人しく──」

 パキィイイン

勇者「……まじかよ」タラッ


真紅の魔王「……なるほど。声に魔力を込めて相手の体に流し込むんですのね。『声』を使えば相手を治すのも壊すのも思いのまま。

私が知らないということは、あなたが生み出した魔法ね?」

勇者(くそ、時間稼ぎにもならないのか)

真紅の魔王「面白い魔法だから初めての相手は戸惑うでしょうね。

でもしょせんは既存魔法の組み合わせ。仕組みが分かれば防ぐのは簡単ですわ」


勇者「一応、防がれたのは初めてだけどな」

真紅の魔王「でしょうね。よくできた魔法だもの。もし私が魔法に耐性のない、例えば純粋な肉体に頼ったタイプの魔王なら、あるいは通じていたかも……」

 フワッ……

真紅の魔王(? なにかしら。いま、誰かの面影が胸をよぎった)

勇者「……」

真紅の魔王「ふふ。あなたの手札はもう終わりかしら。なら残念だけど、あなたが私に勝つことはありえないでしょうね」

勇者『脚力強化』

 ギシッ


勇者『感覚鋭敏化 筋力増強 移動速度向上』

 ギシッ ギシッ……

勇者「……っ『視力強化』」ギュルンッ

真紅の魔王(結局シンプルな方法を選ぶのね。でも理解しているのかしら? 

それが魔法である限り、最強の魔法使いである私には通じない。最上位の強化解除を使えば一瞬で振り出しに戻るのだから)

勇者「ぐ……っ」ギシギシッ

真紅の魔王(……当然、理解しているのでしょうね。それでもその戦い方を選んだ。なんて無様で不器用で……まっすぐな人間)フッ

真紅の魔王「あなたの覚悟に免じて、強化解除はしないであげますわ。全力で私に攻撃なさい」

勇者「……っらあ!」ドンッ


 ──

勇者「……っ」ガクッ

 カハッ ゲホッ

真紅の魔王「あなたの猛攻、素敵でしたわ。他の勇者にはできなかったことよ。私の髪飾りをわずかに傷つけるなんて」

勇者(ちくしょう。魔法でほとんど防がれちまった)ドクドク

真紅の魔王「久しぶりに楽しかったですわ。少なくともあなたは最後まで諦めなかった。

他の勇者は皆途中で命乞いをはじめるから興ざめでしたの」

勇者(どんな手を使っても、彼女に直接攻撃をさせないといけない。そのためには……)ギリッ


真紅の魔王「宴は終わり。私の魔法で跡形もなく消してあげますわ」コオッ…

勇者「覚えてるか? 先代、狼牙の魔王のこと」

 ピクッ

真紅の魔王「……いいえ。魔王継承以前に会ったのかもしれないけれど……覚えてませんわ」

勇者「ああ、魔王を継承したらそれまでの記憶を玉座に奪われるんだっけか。なら教えてやるよ、先代魔王のこと」ググッ

真紅の魔王「……?」

勇者「先代はな。最低最悪の魔王だったんだ」


真紅の魔王「!」

勇者「領土を広げることも村を焼くこともせず、ただ魔界の維持に腐心した臆病者。それが先代、狼牙の魔王だ」

真紅の魔王「……」ジャララ…

真紅の魔王(なぜかしら。なぜ私の胸はこんなにも怒りで満ちているの? 知らない者を侮辱されても私には関係ないはずなのに)

勇者「だが最も軽蔑されたのは人間の子どもを拾って育てたことだ。滅ぼすべき人の子を育てるなど魔族の面汚し、だ……ろ」ガクガク

勇者(まだだ。まだ倒れるな。なにも考えず口を動かせ)


真紅の魔王「……そろそろお黙りなさい」

勇者「おいおい。これだけ先代魔王を侮辱されても、あんたはまだ玉座にふんぞり返ってるのか?」

 バッ

勇者「降りてこい。その手で俺を殺してみろ! 先代魔王への侮辱は魔族の歴史を侮辱するのと同じこと。遠くから魔法で殺しても怒りは収まらないはずだぜ」

真紅の魔王「……」

 ジャラッ ジャラッ

真紅の魔王(この少年はなにを企んでいるのかしら? 魔力は底をついているはず。もはや逆転の目はないのに)


勇者「警戒するなよ。俺はあんたの手で直接ケリを付けてほしいだけだ。そのためなら何度でもいってやる。

狼牙の魔王は臆病者の、最低の、歴代で最も汚れた──」

真紅の魔王「黙れ!」スクッ

 ジャララ……ビンッ

玉座『鎖を外すことは許可されていません。速やかに……ザザ……席へ戻りなさい』

真紅の魔王「それ以上先代を侮辱することは許さない。いいでしょう、望み通り直接殺して差し上げますわ」ググッ

玉座『ザザ……我が娘よ……ザザ……お前は一生鎖で縛られる運命なのだ。諦めて席へ戻れ……』

真紅の魔王「……」スッ

 ッドゴオオオン!


玉座『……ガッ……なぜだ……我が、娘……』ガラガラ

真紅の魔王「はっ。あなたに娘と呼ばれる筋合いはありませんわ」

勇者「……ひゅー、すげえ魔法。よかったのか? 玉座と鎖は魔力の源だろ」

真紅の魔王「ずっと壊したいと思ってましたの。いい機会でしたわ」バキンッ

 コッ……コッ……コッ……

真紅の魔王「飾りの短剣ですが、瀕死のあなたには十分ですわね。これでとどめを刺してあげますわ」スラッ

勇者「……刺すなら心臓にしてくれよ」グイッ

真紅の魔王「いわれなくてもそのつもりでしてよ」ビュッ

 ドスッ!


勇者「……はは」ゴプ

真紅の魔王「なにがおかしいんですの」

勇者「あり、がとう」

真紅の魔王「?」

勇者「これで……儀式の条件が、そろった」パチン

 バサアッ

真紅の魔王(? マントの内側になにか縫い付けられてる。これは……)

勇者「どうだ? 全部……揃ってる、だろ。俺、昔から記憶力だけは……いいからさ」


──新月の儀式 強力な魔力を持つ人間を生贄に、対象の魔族を延命、あるいは蘇生する儀式。生贄の体に魔族の魂を移す。
 儀式に必要な供物は4つ。銀龍の鱗、悪魔の牙、人魚の涙、グリフォンの羽根──

真紅の魔王(新月の儀式に使われる素材……?)

 ザザ……

──

勇者『秘書、これ読んで』

──

真紅の魔王(なん……ですの、この記憶は。なぜ勇者の顔に見覚えが)

勇者「……ごめんな」

真紅の魔王「え……」

勇者「あのとき父ちゃんを、魔王を助けられなくてごめん。でもこれからはさ、2人で仲良く暮らしてくれよ……秘書」グラッ

 ドサッ

──


勇者「……っ!」ガバッ

勇者(なんだここ。白い霧でなにも見えない。俺は……死んだのか?)スッ

勇者『炎弾』

 シーン

勇者「魔法も使えない。ちょっと移動してみるか」スクッ

 スタスタ

勇者「おーい、誰かいないか?」

 ……ザワッ

勇者「!」バッ

勇者(なんだこの気配。さっきまでなにも感じなかったのに、急に……!)

 ズズズズ……

勇者(すさまじい怒りを感じる。強大な力を持った誰かが近づいてくる)

 ザッ ザッ ザッ

勇者(霧の向こうから大きな影が、……!)


 ヌッ

狼牙の魔王「……」ギロッ

 ゴゴゴゴ……

勇者「……ま、おー……」

勇者(そうか。ここはたぶん魂の世界。俺が魔王に倒されることで魔王は現世に蘇るんだ)

狼牙の魔王「……」ガチッ ガチッ

 ズズズズ……

勇者(すげえ殺気……当然だよな。秘書に直接刺されるためとはいえ、すげー侮辱しちまったし)スッ

 スタスタ……ピタッ

狼牙の魔王「……」ジッ

勇者「秘書に俺が謝ってたって伝えてよ、魔王。そんで2人で末永く、幸せに暮らして……」

狼牙の魔王「グルルル……グオオオッ!」グッ

 ギュオオッ

勇者(さよなら、父ちゃん)


 ゴチン!

勇者「……いっ……てええええ!」シュウウ…

 ギュッ

勇者「!」

狼牙の魔王「自らを生贄に吾を蘇らせようなどと……この愚か者が」

勇者「……」

狼牙の魔王「伝えたではないか。秘書を救うには自らの正体を明かせと。それだけで彼女は全てを思い出すだろうと」スッ


勇者「……それじゃダメなんだ。魔王のいない世界に秘書はきっと耐えられない。だから……」

狼牙の魔王「秘書がそういったのか?」

勇者「えっ。いや、でも……」

狼牙の魔王「お前は思い違いをしている。彼女は吾の死を乗り越える強さを持っている。だが一方で……」ジッ

勇者「?」

狼牙の魔王「……いや。それより……成長したな勇者」

勇者「そうかな。俺はなにも変わってない気がする。魔王の命を救えなかったあの日から」

狼牙の魔王「救えなかった? なんのことだ」


勇者「えっ。だって」

 ポン

狼牙の魔王「お前に出会ったあの日から、吾はずっと救われていた。

お前と過ごした幸せな4年間に比べれば、それまでの千年間はないのと同じだ」

勇者「……っ」

狼牙の魔王「自分に幸せになる資格がない、などと考えるな。お前は幸せになっていい。それだけが吾の望みだ」

 スウッ……

狼牙の魔王「……そろそろ時が来たか」

勇者「! 待って、まだ消えないで」

狼牙の魔王「生きろ。吾の最愛の息子よ。お前の人生に、数え切れぬほどの喜びがあらんことを……」スウッ

 サアッ……


──


──しゃ──ゆ──

 ポタッ

勇者(……? なんだろう、雨……?)

「勇者っ!」

勇者「!」ハッ

秘書(真紅の魔王)「バカ! あんたは本当に……大馬鹿だよっ!」ポロポロ

勇者「秘書……記憶が戻ったんだ。よかった」

秘書「よくないっ!」

 スッ

勇者(! 胸の傷が塞がってる)


秘書「……魔王様の死は、あなたのせいじゃない」

勇者「!」

秘書「あたしにとって魔王様は初恋で、憧れで……大切な方だった」

勇者「……うん」

秘書「でもね、あなたも同じくらい大切なんだよ。分かってた、でしょう?」

勇者「……家族だと思ってくれてるのは知ってた。でも……」

 ギュッ


勇者「!」

秘書「もう命を粗末にするのはやめなさい。あなたを愛してる。魔王様が愛した勇者を。あたしを初めて抱きしめてくれた、あなたを」

勇者「……秘書。魔王が、死んだ」

秘書「うん」

勇者「死んじゃったんだ。おれの……父ちゃんが」ポロッ

秘書「……うん」ギュッ

勇者「う……あ……っ」ポロポロ

 うわああぁあ……ん……!


 10年後

 魔界と人間界の境界 死の荒野

 タタッ

人狼の子供「もうすぐだよ。荒野を抜ければ人間界に入る」

ゴブリンの子供「でも、本当……なのかな。この先の村に、人間も魔族も分け隔てなく診てくれるドクターがいるなんて」ゲホッ

 ゴホッ ゲホゲホッ

人狼の子供「大丈夫? 少し休もう」スッ

ゴブリンの子供「だめ、だよ……この場所は危険だから、早く通り抜けなくちゃ──」

『必中の矢』

 ヒュンッ……ドスッ!


ゴブリンの子供「うわああっ!」ブシュ

人狼の子供「!」バッ

 ザッ

隊長「……ふん。我らの目を欺いて人間界に侵入しようなど、やはり魔族は害虫だな。虫酸が走るわ」

弓兵「あなた方の墓はここです。大人しく駆除されなさい」

ゴブリンの子供「うぅ……っ」ドクドク

人狼の子供「ま、待って! 私達は悪い魔族じゃないよ。人間を傷つけたり悪さをしたりしない。どうか通して、お願い!」

槍兵「ぶっ」

 ぶひゃひゃひゃ!


人狼の子供「!?」

弓兵「あんまり笑うとかわいそうですよ」フッ

槍兵「わりーわりー、だっておかしくってよ。こいつら、自分たちが駆除される理由が『悪い魔族だから』だと思ってやがる。

こんなん笑わずにいられるかよ」ギャハハ

隊長「勘違いするな害虫ども。貴様らの内面になど興味はない。人間界への侵入を企む魔族は全て殺す。それだけだ」

人狼の子供「どうして……っ」

弓兵「決まっているでしょう。あなた方の見た目が不快だからですよ」


人狼の子供「!」

槍兵「そういうこった。ま、人間と違う見た目に生まれたのが運の尽きってやつだな」

隊長「我が国の王は現在、軍を招集している。魔王が倒されて十年、魔族が弱体化した今こそ魔界侵略の好機。

いずれ不快な魔族は全員殺される運命なのだ。それが少し早まっただけのこと。……矢を」


弓兵「はい」キリリッ

人狼の子供「そんな……っ」

ゴブリンの子供「……僕を囮にして、逃げて」ハアハア

人狼の子供「! できないよ、そんなこと!」

ゴブリンの子供「僕はもう、ダメだ。種族の違う僕と友達になってくれて、ありがとう」ニコッ

隊長「放て!」

 ビュオオオッ!



『爆雷雨』

 ビシャアアアアン!


ゴブリンの子供・人狼の子供「わあああっ!」バッ

隊長「な、なんだ一体……!」

弓兵「! 見てください、上空に!」

 バサッ バサッ

放浪者「うーん。やっぱいつまで経っても秘書の威力には敵わないな」

グリフォン「グルル、ガウ」

放浪者「はは、慰めてくれてありがと」バッ

 シュタン

人狼の子供(誰? 分からないけど、私が友達を守らなくちゃ)バッ


放浪者「よっ、頑張ったなお前ら」

ゴブリンの子供「お兄さんは、誰……?」ドクドク

 スッ

放浪者「大丈夫。お前はすぐに良くなるよ」

ゴブリンの子供(! ケガが……治ってく)パアッ

人狼の子供(魔法? でも魔法を使う素振りなんてなかったのに……)


隊長「マントに描かれた狼の紋章……手配書で見たことがあるぞ。貴様『放浪者』だな。

どこからともなくグリフォンと共に現れ、人と魔族の区別なく弱い者に味方する不届き者。邪魔するなら貴様から駆除してやる……『炎鎧』」ボウッ

弓兵「私達は魔法と武芸を修めた最強兵団。一人ひとりの強さはかつて存在した勇者に匹敵します……『雷神の矢』」バリバリッ

槍兵「逃げるなら今だぜえ? ま、逃がさねえけどな……『氷雪槍』」パキンッ


人狼の子供「早く逃げなきゃ! あの兵士たちは魔法を使うんだよ。絶対に殺されちゃう!」


放浪者「魔法? あいつら魔法なんて使えないだろ」

 ボシュウ……

隊長「!? なっ……」

弓兵「魔法が、消えた?」

槍兵「な、なんだあいつ……化け物があっ!」ダダッ

隊長「待て!」

放浪者「そうだよ。少し落ち着けって」

 ピタッ

槍兵(……か、体が……動かねえ……!)


隊長「貴様あっ! なぜ魔族どもを庇う! どうせもうすぐ魔族は全滅するのだ。意味のない行為はやめて即刻ここから立ち去」

 ビー、ビー

隊長「! 念話か……こんなときに」

弓兵「無視しますか?」

隊長「いや、緊急時以外は連絡するなといってある……繋げ」

 ブゥウン

兵士『し、至急応援を求む! このままでは国王軍が壊滅する!』


隊長「なに!? どういうことだ。我ら国王軍には五万を超える精鋭が集まっている。一体どれだけの軍勢が攻めてきたというのだ!」

兵士『たった1人だ』

隊長「……なに?」

兵士『たった1人に国王軍は為すすべもなかった。彼女はもうすぐこの場所に』

 バゴオオン!

兵士『! ああ……なんと、美』

 ザザッ……ザーッ

隊長(……なんなのだ。一体なにが起こっている?)


人狼の子供「どうしてあなたは人間なのに、私達を助けてくれるの?」

放浪者「……もしここに父ちゃんがいたら、同じことをしたと思うんだ」ポン

ゴブリンの子供「お父さん?」

放浪者「ああ。強くて優しい、最高の父ちゃんだった」

弓兵「た、隊長……っ」カタカタ

隊長「お前は……お前は一体、なんなのだあっ!」

放浪者「俺か? 俺はな。

 最強魔王の、息子だよ」



『狼魔王とチビ勇者』 おわり


おまけ1『いたいのいたいの、とんでけ』

 魔王城 勇者の部屋

勇者「う……しょ」フラフラ

秘書(もう壁につかまりながら歩けるのか)

秘書「ほら、こっちおいで。ゆっくりでいいよ」

勇者「あーう」スッ

 ヨチ……ヨチ

秘書「そうそう、うまいうまい!」

 ハッ

秘書(つい、忘れてた。あたしはこの子を生贄にしようとしてるんだった。

あまり心を動かされたらダメだ。もっと事務的に……)

勇者「……」グラッ

 ゴチン


秘書「!?」

 タタッ

秘書「だ、大丈夫か? おでこ打ったでしょう、見せてごらん」スッ

勇者「……ふ」ジワッ

 ふええぇ〜ん!

秘書(……よかった。少し赤くなってるだけだ。

あたしも昔、こんな風に泣いてたっけ)

──

幼い秘書『うえーん! うえぇーん!』ポロポロ

吸血族長「不思議だな」

幼い秘書『う……?』

吸血族長『なぜそんな無駄なことをする? 醜い顔で汚い水をまき散らして、恥ずかしくないのか?』ビシッ

秘書『!』ビクッ

吸血族長『もう一度。この初歩魔法が成功するまで食事は抜きだ』

──


秘書(……あの日からあたしは泣かなくなった。泣いても無駄だと思い知ったから)

勇者「うああ〜ん」ポロポロ

秘書(……ああ、そっか)スッ

 ナデ……ナデ

勇者「!」

秘書「いたいのいたいの、とんでけ」パッ

秘書(本当はあたし、ただこうして慰めてほしかったんだ。……それだけで、よかったんだ)

勇者「……」スッ

 ギュッ

秘書「!」

勇者「ひしょ、すきー」ギュー

秘書(あなたに抱きしめられる資格、あたしにはない。……ないのに)

 ギュッ

秘書「あなたはどうして……こんなにあったかいの、勇者」


 おわり

おまけ2『魔王の手料理』

 魔王城 執務室

 カリカリ……

魔王(終わらんな。仕事を溜め込みすぎたか。もっと効率的に処理できればいいのだが)

 ギイッ……

魔王「! 勇者か」

 トコトコ

魔王「どうした? 秘書と一緒に寝ていたのではないのか?」

勇者「秘書、先に寝ちゃった」

魔王「ふむ?」


 勇者の部屋

 ギィ……

秘書「……」スースー

勇者「ね?」

魔王「本当だ」

魔王(めずらしいな。よほど疲れが溜まっていたのだろう)

秘書「ん……」ブルッ

魔王(少し寒いか)シュル

 フワッ


魔王「……いつも苦労をかける」ボソッ

秘書「うーん……魔王様の上腕三頭筋……」ムニャムニャ

魔王(個性的な夢だ……)

 クイクイ

魔王「ん?」

勇者「おれねー、おなかペコペコ」

魔王「そうか。なら夜食でも作ろう」スッ

勇者「ん」ギュッ

 スタ……スタ……ギィッ……パタン


 大厨房

 ズズ……

魔王「……ふむ、悪くない出来だ」

勇者「おれも味見するー!」

魔王「そうか。しばし待て」スッ

 フー、フー、フー、フー、フー、

 フー、フー、フー、フー、フー、

 フー、フー、フー、フー、フー……

魔王「よし。どうだ?」スッ

 コクッ

勇者「おいしー」ニコッ


魔王「では食べよう」カタン

勇者「はーい」ピョン

魔王(大厨房の粗末なテーブルで吾が食事しているのを見たら、料理長は腰を抜かすであろうな)フッ

勇者「まえのポトフよりおいしい!」

魔王「そうか。お前のおかげですっかり料理がうまくなった。ありがとう」

 ──
 
 コトン

魔王「どうした、もういいのか」

勇者「ねえ魔王。おれの親って、どんなだった?」

魔王「……!」


 グッ……

魔王「……素晴らしい人たちだった。お前を心から愛し、命がけで守り抜いた。あれほど強い人間たちを吾はほかに知らぬ」

勇者「……そっか。おれ、愛されてたんだ」

魔王「……」

魔王(いつかお前も知るだろう。両親が死んだのは、元をたどれば吾の侵攻のせいだと……)

勇者「親のことはほとんど覚えてないけど、一つだけ覚えてるんだ」

魔王「なんだ」

勇者「おれのほっぺたを、両手で包んでくれたこと。あったかくて大きかった」


魔王「そうか。決して忘れるな。その記憶はお前の芯になるかもしれぬ」

勇者「しん?」

魔王「生きる上での指針。お前の人生を根底から支えてくれるもの。それさえあればつらいときでも自分を保っていられるはずだ」

勇者「魔王にも、しんはあるの?」

魔王「……かつてはなかった。いまは……」

勇者「?」

魔王「……そろそろ寝るか。洗い物をするからしばし待て。綺麗にしないと料理長に悪いからな」スクッ

勇者「おれも手伝うー!」ピョン


 勇者の部屋

秘書「……」スースー

 ポンポン

魔王「これでよし。いい夢を見るがいい」スッ

勇者「まおー」

魔王「む?」

勇者「魔王は、死なない?」

魔王「! ……」スッ

 ナデナデ

魔王「吾は……生きたいと思っている。お前が成長した姿を見たい、と」

勇者「そっか。……まおー」スッ

魔王「ん」スッ

 ギュッ

勇者(ずっとそばにいて、魔王)


 おわり

ありがとうございました。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom