【シャニマス】ゼンマイリピート 七草にちか (25)

5thライブ良かったですね。昂りが凄いです。
その思いを性癖にのせて書きました。

結構長いです。28000文字ぐらいです。

初めての二次創作なので至らない点もあると思います。

よろしくお願いします。

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宝石《ダイヤ》はひとたび砕けてしまえば、もう二度とその輝きは発しない。
 EはTに。カットはpoor。透明度? I2。ブルーに光るなんて醜い。
 アイドルもそうだ。
 幸せもそうだ。
 砕けたものは、輝かない。
 私はそれを知っているから。
 知ってしまったから。
 だから、今の私は
 継ぎ接ぎだらけのイミテーション。
 
 七草にちか 283プロ所属 ユニットSHHis
 彼女は決して多を圧倒する優れた才能の持ち主ではない。SHHis・緋田美琴の優れたパフォーマンスの輝きに隠れていると言ってもいい。
 だけど色は濃い。一切の偽りなく等身大のまま、彼女はその魅力を僕たちに届けてくれる。作られた笑顔ではなく、心の底から人を小馬鹿にし、人を嘲笑い、それでいて激しく後悔を抱く。
 スターはよく作られるものだと言うが。だが彼女は作る必要などなく、本来の気質だけで人々に好かれてきたのだ。無論そのスタイルがゆえに時に反感を買い、一部では好まない者もいるのは事実だ。
 しかし、彼女は僕たちにとって、何一つ変わらない、平凡なその姿のままで居てくれるのだ。そう。道を歩けば、其処らで友人とカフェをしたり、雑誌で占いはどうとか語ったり、同校の生徒やはたまた禁じられた恋、そんな日々を過ごすような子達の一人だ。
 その姿の少女が——普段、あなたが気にも留めない、街で歩く少女が、ステージの上では果てしない、見たこともない強い強い色で、輝きを放つのだ。
 目が眩むだろう、頭はどろどろだ。
 そうだ、日常性という淑女が孕んだ突発性な悪魔的アイドル。それが彼女だ。
 さて、その輝きを放つために、果たしてどれだけの時と労力を費やしたのだろうか。分かるまい。僕も分からないからね。
 原石《ダイヤモンド》でなかった者が、偶像《ダイヤモンド》に憧れ、本物《ダイヤモンド》になったのだ。それは並大抵の者にはできないだろう? 途方もない道のりだったはずだ。だが彼女は諦めないのだ。夢を叶えるために、夢を見続けるために。
 平凡な女子高生が持っているとは到底思えない、その精神こそが、悪魔の彼女の一番の魅力なのだろうと、僕はそう思う——

 朝、書類を整理していたら、「おはようございまーす!」の一言と同時に突き付けられた一冊の雑誌。それは流行りのアーティストなどについて業界人やアーティスト当人にインタビューするといった内容のものだった。
 そこで有名なアーティストの一人が「今気になっているアーティストは?」という問いに、283プロの、SHHisの、七草にちかを答えたのだ。
 知らなかった。知らされていなかった。タイアップなどがなかったため、こちらに連絡が無かったのだろう。
 最初雑誌を見せられ「どうした?」と答えたときは「はぁ!? ありえないんですけどー!」と酷く叱責された。該当ページを広げて見せられたときは感動のあまり声を失ってしまった。
「どうですか? どうですかっ!? ど〜うで〜すか〜?」などと何とも誇らしげに胸を張る彼女を横目に、インタビュー記事を何往復もし、言葉一つ一つを反芻する。
「凄いな……凄いよ、凄いじゃないか! にちか!」感動のあまり思わず席を立って彼女を抱きしめたくなった。しかし理性が働いた。立ち上がってしまったものの、その衝動を抑え、ぐぅと堪える。しかしその分声を張り上げてしまい、にちかはギャッと目を丸くした。
「あーあー! うるさいじゃないですかー!」いつもなら顰めっ面になる彼女も、今は喜びが勝り、満面の笑みを浮かべていた。
「でも? でもでもー、美琴さんの? 魅力を? ほんっとよく分かってますよねー!」
 そう言ってにちかは手から雑誌を奪い取ると、自分のインタビューの次のページを捲った。そしてもう一度俺に手渡してくる。
 "緋田美琴。うん、彼女はそうだね。ダイヤの原石が、ダイヤとして輝くために何もかも惜しむことなく磨き上がった。そんな印象だね。上手い、凄い、そんな言葉では語り切れない。SHHisの輝きそのもの。この世全てをかき消すほどの魅了がある。といのうも彼女は——"
 何と……! にちかだけでなく、美琴について、更にはその次のページではSHHisにまで語られている。
「私ならまだまだ語れるんですけど? まあ、そこそこですよね! いやー、さすが美琴さんですよ! SHHisの輝き!」
 書かれていた文には厳しい言葉も沢山あった。ただ、それは激励に近く、アーティストは最後に彼女たちのこれからに強い期待をしていると締めくくっていた。
 感無量だ。感動だ。感激だ。 俺はこのインタビューににちかに言われて気づくだなんて、プロデューサー失格だ。
 だが、反省は後! 今はこの喜びを分かち合うのが最優先だ!
「にちかぁ!」「はい!」
「踊るかぁ!」「いいですねー!」

にちかは足で上手くステップをとり、俺は両手をあげて海藻のように腰を左右に振った。二人でアカペラでwow wowとSHHisの一曲『Fashionable』のワンフレーズを繰り返した。
 以前、にちかの仕事がうまく行ったときに「嬉しいなら嬉しいで、それなりに表現してくださいよー」と言われ、それ以来お互いに嬉しい時は小踊りするのが決まりのようになっていた。
「ふふ、二人とも、楽しそうだね」「みっ、美琴さん!」美琴がにちかの背後から声をかけると、にちかはピタリと踊るのをやめた。流石に美琴に見られるのは恥ずかしいのか、「プロデューサーさんにどーーしても! 嬉しいから踊らないかて誘われたので、仕方なく! はい、仕方なく、もう頼まれちゃ仕方ないな〜と思ったので! ね! プロデューサーさん! ね!?」と必死に弁明している。別にそんなことを美琴は気にはしてないだろうけど。
「そうなんだ。……何かあったの、プロデューサー」
「ああ、この雑誌の——「この雑誌でSHHisについて語ってくれてるんですよ〜! もう美琴さんの魅力分かってんなーてぐらいしっかり話してくれてるんですよ! やばくないですか!?」
 にちかは俺の手から雑誌を奪い取ると、美琴に該当ページを読めるように開いて手渡した。美琴は物静かにそれを読み、にちかやSHHisについて語られたページも含め何度もインタビューを読み耽る。
 その間にちかは通知簿を見られている少女のように落ち着きがなかった。自分のページを読まれているという事実と、その内容に美琴が(そんなことはないが)もし否定を入れたら等と考え出したら不安が止まらなくなったようだ。
 それは俺もそうだった。小踊りしたはいいものの、もし美琴としては(そんなことはないのだが)良い気分では無かったら、と考えると若干落ち着かない。社長に企画書を提出し、それを拝読されている時よりもハラハラする。
「にちかちゃん」「はっ、はい!」
「指摘されている箇所、確かに私も思うところはあったかも……。ダンスパフォーマンスだけじゃなく、他にも方法を考えようか」「! は、はい……」
 にちかは少ししょげたようで美琴の目を直視できず、目線を足下に落とした。
(私、こんな事ではしゃいで……馬鹿みたい。やっぱり美琴さんは凄いな)なんて思っているのだろうか。内心どこかで美琴に褒められるかもと期待していたのかもしれない。また先程まで踊るほど騒いでしまっていた分、美琴の向上心に尊敬と後悔を抱いていた。
「……。にちかちゃん」「はい……」
「踊っちゃおうか」「ッ。はい!」
 Cause I, I, I'm fashionable “先駆け”よ
 どうぞ好きなだけ Follow me now
 It's no no no explanation 強がっても
 なりたい姿はこんな私でしょ Wow wow wow...

最近はにちかと美琴の仲も良いように見える。以前にはない友情というか、付き合い方が生まれていた。二人ともお互いの力量をカバーし合う仲間として、力量を認め自分の経験値になるよう切磋琢磨し合うライバルとして良い関係を築けていた。仕事も順調だ。SHHisでのロケや雑誌撮影も増え、数ヶ月後にはまだまだ小さなステージだが、ライブもある。
 そんな折、こんなにも彼女達をよく見て、良く言ってくれるインタビューがあるのは、二人のモチベーションに強く響いただろう。
 SHHisはこれからだ。ここからだ。更なる飛躍がきっとある。

 まだまだ彼女たちが目指す限り、もっと強く輝いていける! 
 
 
 その日は、283プロの別ユニット・放課後クライマックスガールズの仕事で関西の方まで出向いていた。

 SHHisはあれから紆余曲折と何度か色々とあったが、それでもと日々邁進し、年内にはライブも決まった。今は日夜レッスンに励んでいた。
 美琴とにちかの二人は自分を追い込み、無茶をしてしまう悪癖があるので、スケジュールでのレッスン終了時刻には必ず電話を入れて確認をとっていた。勿論、トレーナーさんやはづきさんにもお願いし、スケジュールでSHHisの前にレッスンのあるユニットにも二人にはしっかりと釘を刺すよう伝言をしておいた。正直これでもまだ不安はある……。
 だが今は放課後クライマックスガールズの仕事がしっかりと終わることが大事だ。地方でのトークとライブ。小さなイベントだが、地域活性のためにも頑張りたいと彼女たちが意気込んでいるのを無碍にするわけにはいかない。
 現地に前日入りし、再度予定の打ち合わせやリハーサルを行うと、時刻は既に17時を回っていた。
 放課後クライマックスガールズの皆んなを食事に連れて行き、ご当地グルメに舌鼓を打つ。食べ盛りな子達の多い放課後クライマックスガールズは、元気有り余ってのワイワイガヤガヤとした食事で、気持ちのいい食べっぷりを見るのは眼福だ。彼女たちの旺盛とまで言える食事は個人経営での食事処の主人にも作り甲斐があるのだろう。先ほどから注文してない料理がしばしばテーブルに置かれていた。
 食事が終わった頃には外はもう暗く、時刻は19時半になっていた。まだ小学生の果穂もいる中、明日に疲労を残すのはよくない。急いで予約をしていたホテルに戻ると、明日のスケジュールを伝え、必ず体を休めるためにも早く寝ることと口が酸っぱくなるまで念を込めた。
 自分の部屋に到着したのは21時前だった。
 この時間だと既にSHHisのレッスンは終わっている。ただ無茶をする二人だ。念には念を入れなければ……。
 スーツのジャケットを脱ぎ、ハンガーにかけながら、まずは美琴に電話をした。

RRR RRR RRr...
『はい。美琴です。どうしたの、プロデューサー』
「あ、いや! レッスン、終わった頃かなと思ってさ。その、怪我とかなかったかて確認の連絡」
『そう。うん、大丈夫。私もにちかちゃんも特に何もなかったかな』
 それは何よりだ。——と言いたかったが。美琴の声がやや反響して聞こえる。まさかとは思うが。
「……美琴、今どこにいるんだ」
『…………』
「美琴?」
『……どうしても、少し確認したいところがあって』
 ああ、スタジオだ。絶対にスタジオだ。
 美琴の声はどこか申し訳なさそうに、トーンが低い。彼女自身負い目を感じてはいるのだろう。ただそれよりも練習をという意気込みが勝ったのだ。
「美琴……。気持ちはわかる。次のライブへの意気込みはこれまで以上に美琴もにちかからも強く感じてるから。ただ、だからこそしっかりと体調管理をして欲しいんだ。——ただ休むんじゃないんだぞ。誰から見ても体と心が大丈夫だなて思われてこその体調管理なんだからな」
 彼女たちの想いの強さが分かるからこそ、決して怒鳴るようなことはせず、優しく諭した。
『……うん、そうだね。じゃあ、このあとはお休みをもらうことにするから。……しっかりと体調管理、プロデューサーもね』
「そ、そうだな。しっかり……しないとな」鋭いブーメランが突き刺さった。
 確かに美琴の言う通り、ここ最近休みと呼べるような休みを取れていなかった。スケジュール管理はダンスや歌のできない自分にとって、唯一アイドルたちの模範になれるところだというのに。
『そうだね。一緒に、頑張ろうか。プロデューサー』
「ああ、そうだな! まずは美琴はこのあとしっかりと体を休めてくれ。明日もレッスンだろ? 俺はあとにちかにだけ連絡を取ったら寝ることにするよ」
『うん、分かった。……おやすみ』
「ああ、おやすみ」
 通話終了。
 さて、あとはにちかだ。美琴と一緒でないところを考えると、既に帰宅しているのだろうか。

RRR r...
『はい、にちかです』
「今日はお疲れ、にちか。もう家か?」
『えー、なんですか? プロデューサーさんて束縛系ですかー? プライバシーなので答えたくないんですけどー』
 おいおい、確認するて前もって伝えてただろ。
「にちかぁ〜?」
『もぉー、分かってますよ! まだ着いてないでーす。家に』
「ん? 時間的には家にいる頃じゃないか?」
『え!? 把握してるんですか!? やば!』
「にちか、まさか?」
『違いますー。今日は玉ねぎと卵が特売だったので、駅前のスーパーまで買い物に行ってたんです! ふふーん、推理は大外れですね〜』
「そうか……そうかぁ。それはよかったよ」
『よくないんですけどー。プロデューサーさんが送ってくれれば、もう1つずつ、買えてたんですよねー。雨も降ってくるし、最悪ですー!』
 確かに、にちかの声に混じって雨粒が地面に落ちる音がする。買い物の荷物を持っての傘、か。重たいだろうし、少し不安だ。
「タクシー、使ってもいいんだぞ? 経費で落としてもらえれば『はい! そういう無駄遣いー! 歩ける時は歩く! これが一番ですので』
「無駄遣い、か……まぁ、とにかく路面は濡れてるだろうし、気をつけてくれよ」
『はーい! 分かってまーす!』
「じゃあ、明日もレッスン頑張ってくれ。あ! 確認はまた取るからな」
『えーーーー』「当たり前だろ。俺はプロデューサーだぞ」
『もー、わかりました。はい、分かりましたー! お疲れ様でー——「ははは、ああ、お疲れ……?」
 にちかが言い切る前に電話が切れてしまった。やはり荷物を持ちながら傘を刺しての通話は困難だったか。きっと携帯を落としてしまったのだ。
「すまん、傘を刺してるなら電話切るべきだったな。明日も頑張ってくれ。おやすみムキムキマーク、と」
 トークを飛ばしてみたが、既読はつかなかった。電源が入らないまでに壊れたか。
 これは向こうに帰ったらどやされるな。
 そう考えながらも、美琴と約束した体調管理を思い返し、今日は早めの睡眠につこうと、服を脱ぎシャワーへと赴いた。

 朝起き、ホテルの備えテレビを付けると、関東で事故があったとニュースがあった。雨でスリップした車両が、横断歩道で信号を待つ人々に突っ込んだという悲惨な事故だった。
 ざわ。胸が萎んだ。
 嫌な予感がした。
(ここ、昨日にちかが言ってたスーパーの近くだよな)
 何度も彼女に連れられて行ったから、道路の感じをよく覚えていた。
(まさか、そんなはずが、あるわけ、ないだろ……)
 無意識のうちに手は電話を握っていた。
 RRR RRR RRR
(出てくれ)
 RRR RRR RRR
(朝早くうるさいて怒鳴ってくれ)
 RRR RRR RRR
(俺の思い過ごしだと、心配性なだけだと、そうだろ。にちか!)
 数十コールと耳にしたが、結局にちかは出なかった。
(そうだ、そうだ! 落として壊れたんだった。だから出ないんだ。きっと、そうだ)
 手が震えた。呼吸が浅くなる。このままどうか、思い過ごしだと突きつけてくれ。
 次に電話をかけていた相手は社長だった。
 社長はすぐに電話口に出た。
『ああ……君か』
 その声は憔悴と気遣いの入り混じったものだった。
 瞬間、歪む。ぐらりと思考が揺さぶられ、もう社長の声は遠い方へと飛んでいってしまっていた。
 事故の被害者の一人に、にちかがいる。
 それを直感した。
「に、ちかは……」絞り出した声はあまりにも小さく、か細い。
『今はまだ、何とも言えない状況だ。彼女には、はづきが着いている。お前は何も心配せず——』「社長!」
 社長の淡々とした説明と到底飲み込めない指示に、静止をかけた。荒々しい呼吸が向こうにも伝わったのか、社長は一呼吸おいた。
『……。はづき自らの頼みだ。お前が仕事を放り捨てず、気負いせず、無事やり遂げる。そのために帰ってくるまでは黙っていて欲しい、と。……私も同じ考えだ。本当なら言うつもりはなかった。だが……ニュースを見てしまったのなら仕方がない、からな。——非道外道と言ってもらって構わない。お前はプロデューサーだ、この283のアイドルたちの。そうだろう』
「…………」
『やるべきことをやるのだ。それまではこっちの事は全て任せろ。以上だ』
 通話終了。向こうから切られてしまった。

愕然とした。ベッドに倒れ込み、天井を仰ぎ見ることしかできなかった。
 自分のアイドルを、心配しないプロデューサーが何処にいるのか。社長やはづきさんの言葉が理解できないわけではない。だが割り切れと言うのはあまりにも残酷ではないか。
 年甲斐もなく、わんわんと涙と声をあげて悲しみを吐き出したくなった。
「プロデューサー!? 大丈夫?」
 戸を叩く音と共に聞こえたのは夏葉の声だった。
 時間を見ると既に朝食が始まっている時刻だった。十分前には声をかけに行くよと昨日伝えており、来ない自分を心配してくれたのだろう。優しいノックがしばらく続いた。
「プロデューサーさーん! 朝ですよー! お寝坊さんですか?」「ちょちょ、果穂〜。プロデューサーさんまだ寝てるのかもだし」「果穂、その調子だ。自分一人ゆっくり寝てるやつなんて叩き起こそうぜ!」「ふふ、プロデューサーさま。朝でございますよー」
 どうやら夏葉以外にも皆んなが自分を心配して集まってくれているようだった。
 ……そうだ。社長の言う通りだ。今、彼女たちには俺しかいないのだ。
 俺が今やらねばならないことは、彼女たちとイベントを盛り上げ無事に終え、彼女たちをしっかりと何一つ問題なく帰すことだ。
 パンと両手で頬を叩き、ベッドから飛び起きる。
 慌てた素振りの演技をして「すまん! 遅くなった!」と扉を開けると、彼女たちは安心した表情で出迎えてくれた。
 イベントは彼女たちの頑張りが強く表れ、見事成功を収めた。帰りの席では、成功の熱も冷める前に次はどういうパフォーマンスをするかという話になっていた。凄まじい向上心だ。
 果穂と智代子を家に送り、樹里と凛世を寮の前で降ろした。あとは夏葉を送るだけだった。
 すると後部座席から夏葉が声をかけてきた。
「プロデューサー?」
「ん? どうした」
「貴方、大丈夫?」
 心を見透かされているようだった。その言葉一言で、何万と言葉をかわす必要もなく、また言い訳も意味をなさないことを理解した。
 態度や言葉の節から自分がおかしい事に気付いていたのだろう。そしてそれは他の四人も同様であったことを物語っていた。
 であれば、それを知った上で、俺に知られまいとし、最大限の成功を収めた彼女たちに涙が出そうだった。
 俺はぐっと堪えた。涙も、悲しさも。腹の底にまで落とし込んで、笑って見せた。
「大丈夫だ。ああ、大丈夫だよ、夏葉」
「そう……ならいいわ」
 夏葉をマンションまで送り届けると、「プロデューサー……貴方はみんなのプロデューサーなのだから、無茶だけはしないで」と釘を刺されてしまった。
 大丈夫。大丈夫だから。
 そう夏葉には応えた。
 だが、正直気が気ではなかった。あれから社長やはづきさんから連絡はなく、またこちらから連絡をするのも、また彼らに気を遣わせてしまうと思い、こちらに帰ってくるまでは控えていた。
 だがしかし、帰ってきた今、業務報告もある。それをついでに、にちかの容態を聞くのは何ら不自然ではない。
 急いで事務所に戻っても既に誰も居なかったため、ソファに腰掛け、社長に連絡を入れてみた。

『お疲れ様です。無事、イベントは終わり、放クラの皆んなを送り届けました。あれから、にちかの容態はいかがでしょうか』18:23 既読
 返事はなかった。不在だった際のメールや連絡をチェックする。
『再三のご連絡失礼します。容態が心配です。ご返事をいただけますと幸いです』20:16 既読
 返事がない。書類整理と報告書の作成。経費計算などを行った。
『書類整理を終えたので、明日の朝、時間を作り、にちかの見舞いに行きたいと思います。病院と部屋を教えていただけますでしょうか』23:27 既読
【○○大学病院 特別病棟 308号室。行く際には社員証、名刺、身分証を忘れずに。差し入れなどは不要】23:48 既読
 仕事を終え、一息つこうとまたソファに腰掛けた際に、返事が来た。
 社長からだった。
 待った割には何とも……。無愛想じゃなかろうか。
 結局にちかの容態は分からず終いだった。
 今から家に帰ったところで心配で眠れるわけもない。病院も事務所から向かう方が幾分か早い。今日はこのまま此処で泊まることにしよう。
(スーツ……は事務所の予備があったな。風呂……は明日朝イチでネカフェかどこかで。ボードに皆んなへの連絡などを書いて、連絡して……)思考の中で、明日の予定を組んでいく。
 なるべく早く起きて、用事を全て済ませて、早く病院に向かわねばならない。
(そうだ、このことは美琴は知ってるのだろうか……電話、は昨日体調管理て言ったばかりじゃないか。この時刻。既に寝てるだろ。——まずはにちかの容態を確認して、それから美琴にも連絡して。…………事故現場の映像、結構酷かったな)考え出すと止まらない。
 体は指ひとつ動かさず、目を閉じているのに、頭の中ではわあわあと思考が喚き散らす。
 ぐぅ。ぐぅうう。ぐぐぅぁ。
(……こんな時でも、腹は減るのか)
 ソファから重たくなりつつあった体を立たせ、給湯室へ湯を沸かしに向かった。
 軽い食事を済ませ、結局睡魔に思考を堕とされたのは4時を過ぎ、外が白みがかった頃だった。
 目を覚ましたのは朝7時前であった。3時間しか就寝をとっていないのに不思議と眠気はなかった。
 急いで社長への引き継ぎを用意し、ボードへ各メンバーにそれぞれ指示を書き、『何かあれば連絡を』と追記する。
 荷物と着替えを手に持ち、一分一秒を無駄にしたくなく最短ルートで車を飛ばした。この時で7時半は当に過ぎていた。
 特別病棟の面会は朝の9時から12時まで。午後の面会は15時からだ。夕方からは仕事もある。何が何でも9時までに間に合うようにしたかった。
 本当は途中でネカフェでシャワーだけでも浴びるつもりだったが、まさかの渋滞が発生しており、寄れる余裕はなかった。
 病院に到着したのは10時を回っていた。

地下駐車場に車を停め、関係者口より手続きをする。既に社長が手回しをしてくれていたようで、思っていたより手続きはスムーズだった。
 受付を済ませ、入院病棟まで歩いていると病院特有の清潔感と薬品の匂いが鼻をついた。
 院内の空調が暑いのか、はたまた自分の熱が上がっているからか、やけに汗が出てくる。羽織っていたジャケットを脱ぎ、手に持つ。袖をまくり、ネクタイを緩めてようやく涼しさを感じた。
 入院病棟で自動扉を通ると、すぐにナースステーションがあった。朝の書類を整理しているのか、受付の前に立っても妙齢の看護師はこちらには気付いてはいなかった。
「あの……七草、にちかさんの病室は」と声をかけると、看護師はじろりと目だけを上げて、こちらを見てきた。そして、首から吊るした、受付でもらった許可証を見ると「ああ、はい。連絡にあった方ですね。今、案内させますので」と一人の看護師を呼びつけた。
 自分よりは十ほど歳上と思えるベテラン看護師は「こちらです」と慣れた口調で自分を病室へ案内した。
 にちかの病室は東棟の一番奥だった。個室だ。社長が自ら院長へお願いしたらしい。旧知の仲である社長だからこそ出来たことだろう。
「では、こちらで」と看護師は病室の手前で案内を終え、踵を返してナースステーションへと戻っていく。
 俺はというといざ病室に入ると思うと、今更ながら怖くなった。最悪が思い浮かぶばかりで、心臓の鼓動が辺りに鳴り響いてるんじゃないかというぐらいに強く跳ねていた。
 扉の取手にまでは手が伸びるが、そこから引くことができない。あまりにも重く、自分では引いているはずなのに、一ミリも動いてはいなかった。
「えーー!? それってやばくないですかー?」
 すると病室からにちかが笑う声が聞こえた。中にいる誰かと談笑をしているのか、とても明るく、何も変わりはないようだった。彼女の笑い声が自分の背中を強く押した。
(ほら、ほら! 俺の思い過ごしだ、心配のしすぎだ)
 扉を開いた。
「にちか、おはよう」
 手を挙げて、満面の笑みを見せた。
「うわー、朝から元気過ぎません? 有り余った分、分けて欲しいですー」
 そう、そんな具合に、返事をしてくれる。なんならヨレヨレの服や、乱れた髪を見て、あれやこれやと弄ってくるだろう。そう思っていた。
「プロ、デューサー……さん?」
 にちかの反応は予想だにしてないものだった。
「じゃあ七草さん、私はこれで。何かあったらまたコールしてください」室内にいた看護師が慌てた様子で部屋から出ていく。
 あれ? おかしい。にちか? どうしたんだ。いつもの、いつもみたいに。
「何、しにきたんですか……」
「何、て……。お見舞い、に」
 上げた手を降ろす。笑顔を崩して、瞑っていた目をゆったりと開ける。
 にちかはベッドから上体だけを起こしていた。見える部分では包帯などは巻いておらず、怪我は少ないようだ。声も変わりはない。顔も少しのガーゼはあったが、微傷だろう。
 俺はにちかの側に座ろうとすると、「あの! あの、近づかないで、もらえますか!? プ、プロデューサーさん……入ってませんよね! お風呂!」と制止させられる。
 そんなに臭っているのだろうか。せめて車内で脱臭をしておけばよかった。
「す、すまん。急いでいたから、入れなくって——「あの! 私! …………私。」
 にちかが自分の言葉を遮ってまで口にした言葉は、信じ難いものだった。
「私、アイドル辞めますんで」

 
 
 衝撃が全身を何十に駆け巡る。何百万Vという電撃で脳髄の奥まで麻痺したのか、言葉が何も出てこない。

 あ、う、あ。何語かも分からないものを絞りに絞って、ついに出た言葉は「お、面白くない冗談、じゃないか」だった。
「あ、あはは。やっぱりプロデューサーさんって! バカなんですねー! こんなこと……こんな冗談、言うわけないじゃないですかー……あ、はは」
 にちかは顔を落とした。作り笑顔はとても不自然で、にちかの声からは一切の喜びという感情を抜き取られたようだった。
 どさっ。手から荷物が滑り落ちた。彼女の言葉が真実だとようやく心に突き刺さった。
 止められない衝動が体を巡った。だっだっと勢いよく歩を進め、にちかのベッドにまで詰め寄った。
「な! なんで! なんで、辞める、なんて…………」

「なん、て?」
 違和感。沈む。深く。
 手をついたにちかのベッドに、強い違和感を感じた。
 にちかの下半身を覆うベッドの掛け布団に身を乗せているのだ。そこに乗せている手のひらで感じているものが、やけに柔らかい。手が体の重みでやけに沈む。
 本来ならば、そこにあるべき質感、固さ、柔らかさが、無い。
「あ、あ…………あっ!?」
 嫌に頭が冴え巡っていた。見なくても何故かを理解した。
「にちか、まさか」
 何も、無い。
「ああ、あ、にちか!」
 あるのは、掛け布団だけ。
「無いのか、にちかッ」
 にちかの左脚は、そこには無かった。
 思わずベッドから手を離す。自分の手のひらを見つめて、今手を置いていた場所を見て、自分の重みで窪んだ布団を見た。
 見て、現実を知った。
 全身が脱力していき、ベッドの手すりに手をかけ、そのままへたり込んでしまった。
 言葉が何も出ない。ぐらぐらと思考は揺らぐばかりで一向にまとまりをみせない。悔しさと悲しさと怒りで強く噛んだ下唇からは血が滲んでいた。
 そんな姿を、にちかはただただ黙って見ているだけだった。それを許してくれていた。
 だがそんな折、やっと腹から出た言葉はあまりにも残酷だった。
「で、も……辞めなくても、いいんじゃない、のか」
 七草にちかを失いたくない。そんなプロデューサーとして、つい溢してしまった願いだった。
 ハッと我に返り、見上げると、にちかは何も言わず、ただ自分の言葉を受け止め微笑んでいた。
 苦痛と絶望に染まった笑顔であった。
 彼女はあともう一押しでもしてしまえば、心の防波堤は瓦解し、ぽろぽろと涙を溢してしまいそうだった。
 そんな強い感情で押し留めた、脆い笑顔だった。
「これで、良かったんじゃないですか……?」悲哀に染まりかけている笑顔を浮かべたまま、にちかは言った。
「もともと、私なんてアイドル擬きみたいなものだったんですし。運良くラッキーが続いて、デビュー出来て、美琴さんとSHHisが出来て、色んなことが出来て……ただの女の子が、たまたまだけで経験できたにしては、良い方じゃないですかー……。私」
 何を言ってるんだ。
「あ、もしかしてSHHisの心配ですか? そうですよね、ライブ……中止ですもんねー。本当にすみません……。でも、でもー! 美琴さんには悪いことしたなーとは思うんですけどー、私より上手い人なんてごまんといるじゃないですかー。だから、次の人となら、もっと……凄いSHHisになるんじゃないですかね!」
 やめてくれ、にちか。
「あー……あーあ! あーーあ! 私、ほんっっと馬ッ鹿みたいにはしゃいじゃってましたよねー! アイドルだー、SHHisだーて……」
 悪いのは、俺なんだ。にちか。
「こんな、またこんな思いするぐらいなら…………アイドルになんて——「にちか!!」
 それだけは言ってほしくなかった。強い怒りの感情を乗せて、立ち上がり言葉を遮った。
 しかしそれ以上は何も出てこなかった。
 それはにちかも分かっていた。これ以上何も言葉が出てこない俺を見て、可哀想さへの慈悲を込めて「いいんです……いいんです」とだけ繰り返していた。
 苦し紛れの抵抗も虚しかった。にちかの悲しみを塗り替えれるほどの魔法を、俺は今持ち合わせていなかった。
 これ以上はお互いがお互いを苦しめるだけ、現実を知ったのだから今はその悲しみを知ってほしい。にちかはそんな思いで、
「帰って……くれませんか。私、このままだときっと、プロデューサーさんに酷いこと言いそうなので」と願った。

何も返せなかった。自身に恨み辛みをぶつけてスッキリするならばそれが一番だと居座るつもりだったが、彼女が流した僅かな涙に、心の奥底まで自分には救えないと思い知らされたのだ。
 俺はただただ黙って、にちかに一礼をした。
 深く深く、深く。
 長く長く、長く。
 できればこのまま、贖罪のまま時が止まればと願うほどに。
 頭を上げるとやはりにちかは微笑んでいた。
 日常でもステージでも悪態を吐く時でも美味しいと言う時でも、なんでもない時でも見せたことのない、黒い黒い笑顔。
 ぐらぐらと思考を揺らがせたまま、俺は病室を出た。
 廊下を歩いている際に(SHHisの仕事、どうすれば)なんて考えが出始めた時は、自分がいかに下劣かを知ってしまい、ついその場で腹の中のものを出してしまいそうだった。
「あの、プロデューサーさん」
 声をかけられた。柔らかい、女性の声だった。にちかと同じ緑の髪色だった。
「はづき、さん……」ぶわぁと脂汗が吹き出た。
 できれば会いたくはなかった。
 無責任で無知蒙昧、プロデューサーとして下の下である己に、「にちかを任せてもいいですか」と託してくれたのが彼女だ。
 七草はづきとにちかは、たった二人の姉妹だ。家に帰るとおかえり、ただいまと投げかけれる唯一の家族だ。
 それを俺は奪ったのだ。
 にちかの夢を叶えるとほざき、結果ぐちゃぐちゃにしてしまった。
 今、はづきさんは家に帰った時どんな思いをするのだろうか。暗い部屋の中で返ってこないおかえりに、どれだけ心を潰されているのだろうか。
 そう思うと、はづきさんの顔をまともには見れなかった。
「……会ったんですね、にちかに」はづきさんの手にはパンパンに中の詰まったトートバッグが握られていた。おそらくにちかの着替えや入院用に必要な物が入っているのだろう。
 俺は間髪入れずに頭を下げた。
「申し訳ありません……本当に、本当に!」ここが病院だと言うことも忘れ、心の底から言葉を発する。
「プロデューサーさん……顔を上げてください」
「にちかを、七草にちかさんをお預かりしたのに……俺は、私は!」
「プロデューサーさん……顔を、上げてください」
「あの時、俺が、自分が居てれば、もっと前に連絡をしてタクシーを手配してれば」
「プロデューサーさん」
 顔を上げた。ずっと見れなかったはづきの顔を見た。
 笑っていた。にちかと同じ、笑顔だった。
「いいんですよ、もう。」
 罵られると思っていた。殴られるのも覚悟をしていた。許されるはずがないと理解していた。
 なのに、彼女は、彼女たちは何も責めることなく、許すのだ。忘れてくださいと自分を諭すのだ。
 はづきさんは小さく一礼するとそれだけを済ませて、にちかの病室へと向かっていった。
 俺はしばらく呆然としていた。足だけが一人でに動いていて、地下駐車場の自車の前でキーを手にぼうっとしていた。
 何も考えられない。まるで下手なプログラムを受けたロボットのようで、幾分かの時間を過ごしてから車のロックを外し、後部座席へ乗り込んだ。
 普段はアイドルたちが座る場所。座席に身を深く委ねる。ここからだと運転席はこう見えるのか、なんて普通は見ない場所にまでふと目が向いたりした。
 にちかは、自分をどういうふうに見てたのだろう。
 俺が話しかけた時、にちかは決まって言葉を返してくれた。
 怒ったり、笑ったり、馬鹿にしたり、呆れたり、喜んだり、不貞腐れたり…………。
 俺の表情はミラーで見えるが、俺からは彼女の表情はあまり見えなかった。
 あの時、俺は彼女に正しい言葉を伝えれてただろうか。
 あの時、俺は彼女を上手く励ませていただろうか。
 あの時、俺は彼女を叱責したがそれで彼女は立ち上がれてたのだろうか。
 同じ車内の中なのに、見える位置と見えない位置とでは、こんなにも大きく離れて感じるものなのか。
 俺は、にちかを……彼女の夢を、輝かせれていたのだろうか。
 彼女のことを想い、いままでせき止めていた感情が溢れる。両手で顔を覆い、声を抑えて泣いた。
 泣いて、泣いて、泣き疲れて、気絶するように眠った。
 目覚めた時には夕方だった。
 携帯にとてつもない量の通知が来ていた。
 遡ると社長が283プログループSNSでにちかについての報告をしていた。本来ならば俺がやらねばならないことを社長が背負ってくれていた。
 それに関する追求を、皆んなしてきていたが、気付かないほどに眠っていたようだった。
 それぞれに詳細を明かすことはできなかった。にちか自身が望んでいないことかもしれないからだ。ゆえに社長同様に「怪我をしているのは事実、詳しい容体はまだ伝えれない、各々には改めて負担をかけてしまうかもしれないので先んじて謝罪を述べる」ことを伝えた。
 ピコン。通知が来た。
『今、平気?』
 美琴からだった。
「ああ、大丈夫だ。通話のがいいか?」
『ううん、大丈夫。すぐに終わるから。明日、にちかちゃんのお見舞い行ってもいいかな」
 大丈夫。……とは言えなかった。それこそにちかが望んでいないことだろうからだ。
『にちかちゃんから、連絡きて、辞めるて聞いたから』
 そうか。にちかは既に美琴に伝えていたようだ。
「分かった。美琴も話したいことがあるだろうし、はづきさんに聞いてみるよ。大丈夫だったらまた連絡する」
『うん、分かった』
 すぐにはづきさんに連絡をした。返事はすぐにはこなかった。
 だが1時間もしないうちに、『にちかも大丈夫だと言っていますので』と返ってきた。
 俺の知らないところで、にちかはこんなにも強い決断をできるようになっていたのだと知ると、また泣いた。

 次の日。美琴とは事務所にて待ち合わせをした。
「おはよう、美琴」「うん、おはよう」とだけがにちかの病室に着くまでの間に美琴と交わした会話だった。
 最早自ら何か声をかけることができなくなっていた。美琴がどう思っているのか、今の俺にはわからなかった。
 病室内は静寂としていた。
 じっとにちかを見つめる美琴。
 美琴の目を見れず、顔を伏せたままのにちか。
 そんな二人をただ半歩下がった場所で見るだけの自分。
 そんな状態が数分間は続いていた。
 沈黙を破ったのは美琴だった。
「にちかちゃん」
 にちかは返事をしなかった。
「アイドル辞める、て連絡くれたけど、あれって本当?」
 にちかは顔を逸らした。
「……そう。SHHisのライブ、諦めるの?」
 にちかは小さく頷いた。
「そう」
 それだけだった。美琴は優しくにちかの足を隠す布団を撫でると「プロデューサー、先に車で待ってるから。……あと戻ってくる前に水を買ってほしいかな、レッスンに行くから」とだけ言い残して、スタスタと病室を出て行った。
 それから部屋に残った俺とにちかは、何も言葉を交わさなかった。昨日の今日。どんな言葉をかけるべきなのか、俺にはまだ推し量れなかった。
 決してこっちを見ようとはしないにちかを、ただただ見ているだけ。それが十分以上は続いていた。
「早く、出て行ってくださいよ」
「ああ……。また、来るから」
 もう来ないで。とは言われなかった。それだけでも嬉しかった。
 帰りでははづきには出会わなかった。わざわざ時間をずらしているのかもしれないが。
 途中、自販機を横目にした時、美琴から水を頼まれていたことを思い出した。特に銘柄を聞いていなかったので、一番容量の多い物を買った。
 地下駐車場では既に美琴が自車の扉の前で立ち尽くしていた。しまった、鍵を渡してあげればよかった。
 彼女は腕を組んで、扉の前でぼぅと下を俯いていた。
「美琴、待たせてすまない。これ、水……」
「うん……ありがとう」
 美琴は水を受け取ると、かきっと蓋を開けた。
 俺はてっきり喉が渇いたのかと思ったが、美琴は一切の躊躇いもなく、中身の水を全て頭からざばりと被ったのだ。
「み、美琴!?」
「ごめん。少し……浴びたかったから」
 そう言う美琴の目は、少し赤みを帯びていた。
 嗚呼。
 俺は黙って先に車内の扉を開けると、ストックしているタオルを何枚か取り出し、美琴に渡した。
「……すまん、美琴」
 美琴は受け取ったタオルで体や頭を拭きながら、小さく笑った。
「なんで謝るの」
 美琴は座席にタオルを何枚か敷き、さっと腰掛けた。
「レッスン、いいかな」
「ああ」
 俺も運転席に座り、車のエンジンをかける。地下駐車場を出ようとした時、美琴は何かを思ったのか「あ、」と口にした。
「ライブ」
「え?」
「ダンスのパフォーマンス、変えた方がいいのかな」
 そういった時の美琴の表情は運転席から見えなかった。
 この席は、彼女たちからどれだけ遠いんだ。

それから毎日とはいかなかったが、二日に一度は必ずにちかの元を伺った。行ける時は週六度ほど、同日に二回行ったこともあった。
 はづきさんは断らず、にちかも口では何も言わなかった。
 いつも彼女は笑顔を浮かべて、1時間ほど俺が一方的に話すだけ。だが、だからといって何かが改善するわけじゃなかった。
 にちかの脚が生えるわけでもない。彼女がアイドル引退を撤回するわけでもない。
 ただ、ただにちかが居なくなるのが嫌だから、居なくなってないのを確認するためだけの訪問だった。
 俺は睡眠をしなくても平気になっていた。食事も一日一食でも腹が鳴らない。頭は常にクリアーに澄んでいて、なんだかハイになっていた。
 283プロの皆んなや社長は俺を見ていつも「大丈夫?」と尋ねてくる。
 俺は決まって「大丈夫」と答えた。目のクマが深くなっても、少し頬が痩けても、俺は「大丈夫だから」と答えた。
 なぜなら283プロの皆んなをより輝かせるための企画や繋がりをどんどん作れていたからだ。
 遠方へは社長が代行してくれたが、近辺でのロケや打ち合わせでは付き添った。その度に先方からは「いやぁ、素晴らしい案です」と褒めちぎられた。だから大丈夫だ。
 “ですがSHHisのことは………”
 余計な雑音が時折会話に混じるのだけは納得がいかなかった。
 283プロ全体で、CDの売り上げチャートは数ランクも上がった。週一度の小さいものだがラジオ番組をもてたユニットもいる。
 これも全部今の自分の冴えた頭があったから、アイドルたちが頑張ったから。
 世間にはSHHisは七草にちかの怪我により一時的に休業と公表した。
 どこから漏れたのか、にちかは事故にあったのだとか、2度とアイドルはできないのだとか、SNSでは騒ぎになっていた。そんなことはないのに。にちかは辞めちゃいないのに。
 世間ではSHHisは一過性の、一発屋のような人気でしかなかったと言うものまで現れた。
 彼女たちの頑張りが、輝きが、馬鹿にされているようで腹が立った。許せなかった。何より、このままにちかという存在が忘れられてしまうのが怖かった。街先で聞けば、「ああ、いたね」なんて言われてしまうのが恐ろしかった。
 なのに、にちかをアイドルに戻す案だけが浮かばない。
 使えない脳みそにシャワーで熱湯をかけても改善はない。
 使えない頭にSHHisの曲を大音量で響かせても何も浮かばない。
 決して諦めているわけではないのに。どうしてここまで。使えないのか。
 それは本当ににちかが望んでいるからだと理解してしまっているからじゃないのだろうか。プロデューサーとしてにちかを理解しているからこそ、彼女の想いを分かっているからこそ。
 俺は彼女を——七草にちかを。

いいや、違う。
 俺はただ諦めているだけだ。
 いつかにちかの心が変わるかも、なんてありもしない未来を望んでいるだけだ。
 臆病な狂信者だ。
 俺は誰だ? 何者なんだ?
 
 辞めなくてもいいんじゃないか。そんな残酷さを俺は言葉にしておきながら、具体的に彼女をどうすれば繋ぎ止めれるのか。そんなことは一切考えようとしなかった。浮かばないんじゃない、考えていないんだ。
 彼女が輝くのをただ見ていたいだけの傍観者。
 俺はどうしたいんだ? 俺は何をすべきだ?
 
 苦し紛れの言い訳、どうにかなるだろうという虚無への願望。それは先延ばしにすればするだけ、にちかの人生を奪い、彼女を苦しめるだけだ。
 ならば、ここで彼女の考えを全て鵜呑みにし、そうだなと切り捨てるのが正しいのか。ラッキーは終わり、不運な少女として夢は終わりだと告げるのが、俺の仕事なのか。
 俺は何だ? 俺は誰だ?
 俺は。
 283プロの。
 
 断じて違う。
 彼女がアイドルを辞めたい、なんて望んでいるわけがない。それは美琴が教えてくれたじゃないか。
 もし、万が一結果として、彼女がそう望み、それを選択したとしても、否定し、縋りつき、嘘と偽りと甘い言葉と魔法で彼女に夢を与えるのが、俺の仕事なのだ。
 現ににちかが足を失ったのは自分の責任だ。
 あの時、こうしておけば。そんなことを考えても今が変わるわけじゃない。
 だから。
 例え恨まれてもいい。憎まれてもいい。殺意や罵倒を浴びることとなっても構わない。
 だが彼女の残りの人生を光から逸脱した暗い世界に送ることなど、決してあってはならない。
 俺はどんな事をしてでも、彼女を——七草にちかをアイドルにする。
 俺は七草にちかのプロデューサーだから。

何度も通っているうちに看護師の中で俺の顔を知らない者は居なくなった。ご苦労様ですと労いの言葉ををかける者もいた。
 今日はいつもよりも大きな荷物を持ってきた。肩から下げたトートバッグは時折持つ腕を変えなければ辛くなってしまう。
 いつもならば、開けるのを躊躇う病室の扉も今日ばかりは少しも重みを感じなかった。
「おはよう、にちか」
 朝食を済ませたにちかは、はづきさんが暇つぶしにと持ってきた雑誌を読んでいた。
「なんですか……朝から」予想外のテンションの高さに、にちかはぐっと眉間に皺を寄せた。久々に彼女らしさを見た気がした。
 読んでいた雑誌を布団の端に放り投げると、にちかは両手を頭の後ろで組んだ。背中をベッドに預け、「あーあ」とため息を吐く。
 少し困った。こういった時、構うなというアピールなのだ。これから辛い痛みを伴う経過診断がある。その前に余計な体力を使いたくなかったのだ。
 これまでの俺ならば、気負いし、「すまん」と言って夕方にでも出直してきただろう。
 だが今日ばかりは一つも退く気は無かった。経過診断がある日だからこそ、退くわけにはいかなかった。
「あのさ、にちか」
 それでも言い出しにくい事ではあった。理性が喉に堤防をかけ、言葉を詰まらせる。
「なんですかー……。私、もうアイドルじゃないんで、呼び捨てとかありえなくないですか?」
 まさか話しかけてくるとは思わなかったのか、にちかはそっぽを向いた。
「その事だが。……アイドルは、辞めさせない」
 辞めないで欲しい。これまでのような懇願ではなかった。
 決定事項として、揺るがない事として、断言しきった。
「はぁ?」にちかがこちらを向いた。その表情は大きく歪んでいた。到底信じられないことを突きつけられたことで、にちかは眉を曲げていた。
「プロデュ……○○さんてバカなんですねー。アイドルてなにか知ってますか? 歌って踊って——」
 自分の言葉が突き刺さったのか、ギュッとにちかが掛け布団の裾を強く握った。
「知っている。アイドルは、歌って踊って輝くんだ」
「今の私、輝けると思いますか?」
「輝けるじゃないか」
 迷いはなかった。ここで揺らぎを見せれば、俺の言葉は偽りになってしまうから強く言い切った。
「踊れないのにですか!?」
「歌えるじゃないか」
 単純な解決法の一つを挙げた。踊らず、歌うだけのアイドルを提示した。
「へ、へー! ライブ中ずっと椅子に座るか、車椅子で移動でもすればいいんですか? それとも○○さんが担いでくれたりするんですか。ご苦労様ですー」
「にちかが……望むなら」
 これもやる気ではいた。黒子の服装なりすればいいだろう。目立たないようにする方法などいくらでもある。これが浸透すればファンも気にはしない。
「ッッ!……踊るんですか。私の代わりに! あんな、ダッサいダンスしか踊れないのに!」
 にちかが雑誌を投げつけてきた。俺はかわすつもりもなく、それを顔で受け止めた。バサリと雑誌は重力に従い、床に落ちる。
「○○さんて、プロデューサーだったのに私のこと何も知らないんですね! SHHisて実力で勝負してるんですよねー! 歌えるだけじゃ、ダメなんですよ……そんな、ありきたりじゃ、ダメなんですよ! こんな、こんな脚でどうやって」
「諦めるのか…………にちかは、辞めたくないんだろ。アイドル」
 落ちた雑誌を拾い、汚れを払うとまたにちかの手元に置いた。にちかは雑誌を手にすると、今度はそれで俺の体を叩き、追い出そうとする。
「ッ! 当たりッ前じゃないですか! 私は、アイドルになって、まだ……まだ、何も。——それともなんですかっ!? 諦めるな諦めるなて言うなら、○○さんがなんとかしてくれるんですか!」
 雑誌を振るにちかの手を取ると、俺は言った。
「なんとかするよ。そのために、来たんだ」
 にちかの動きを止めてから、俺はトートバッグから一つ、物を取り出した。
「な、なんですか……それ」
「なんとかする、物かな」
 それは膝から下だけの人足だった。ただ本物の肉でできているわけではない。特殊な合金で出来た骨組みは重さを感じさせず、樹脂と合皮で構成された肌は柔らかい。いわゆる義足だ。
 これは仮組みの見本品で、今ここでにちかに合うものではなかった。
 これは俺が、義肢工場から借りてきた物だ。
「は、ははっ。なんです? これ着けて、踊れてことですか」
「そうだ」
 馬鹿げた提案だとは自分自身思ってもいる。
「無理に、決まってるじゃないですか……」
「誰もやったことがないからか? 義足で踊る。そんなアイドルはいないからか? いないから、やらないのか? ……違うだろ。そうじゃないだろ」
「じゃあ、どうやるのか○○さんには分かるって言うんですか!? 分からないくせに!」
「分からないよ……分からないから、にちかの気持ちが分かるまで俺はぶつかるしかないんだ。馬鹿だから……俺」
「こんな、こんなもの着けたって、前みたいに踊れるわけないですよね! 美琴さんの横で、SHHisとして! ……だから、私は」
「諦めてないんだぞ……美琴は」

その日は書類整理が忙しい日だった。SHHisが空けた穴を埋めるように、多忙になった283プロの皆んなの仕事が増えれば増えるほど、やらねばならないことは必然的に増えていた。
 デスクに向かってPCのキーボードを叩く。目が霞む感覚はあるが、それでも体はよく動く。
「プロデューサー。少し、いいかな」
 PCの向こう側から美琴が声をかけてきた。
「ああ、いいぞ。どうした」
 俺はPCの画面から目を離して、美琴の方を向いた。
 美琴はジャージを着ていた。レッスン用の物だ。
 お世辞にも美琴はトークやロケが上手いとは言えなかった。何事にも生真面目に真正面に受け止めてしまうから、にちかが居ない今、SHHis緋田美琴はほとんどスケジュールが空いている状況だった。それでも彼女は凹むことなく、レッスンに明け暮れ自身を磨いていた。
 今日もレッスンをこれから行う予定だったはずだ。レッスン室の鍵は渡していたと思うが、何か用があったのだろうか。
「にちかちゃんについてだけど」
 突然の話に、一瞬身が強張った。もしかしたらの可能性だけで、自分の脳内に留めていた話を、ついに美琴自身が切り出したのかと思った。
「あ、ああ、にちか、な。うん、分かってる……分かってるよ。でも、もう少し待ってくれないか。にちかだってきっとアイドルを続けたいんだ。SHHisを辞めたいわけがないんだ。ただ、まだ整理はついてなくて。だから、その……美琴のこれからについてはもう少しだけ待って——」
「? どうして待つの」
 美琴は不思議そうな顔をしていた。俺の言葉一つ一つをうまく理解できてないのか、困ったようにも見えた。
「どうして、て……だって、美琴はSHHisだろ。にちかだってSHHisで……」
「うん、それは分かってる。なんで私に待ってなんてお願いするの?」
「それは……それ、は」
 うまく言葉が作れない。美琴のためを思えば、今ここで彼女を強くアプローチする必要がある。だが、にちかの居ないSHHis美琴、なんて……SHHisなのか。エゴだろうが、我儘だろうか。
「私は、待つつもりはないよ」
「ッ! そうだ、そうだよな……美琴のことを思えば、そうだよな」
 にちかと美琴は仲が良いように見えていた。見えていただけだったのか。
「美琴の言う通りだ。言う通りだけど……! にちかが居ないのをそこまで簡単に——」
「? ううん。私はただ待つつもりはないよ」
「え」
「次のライブは期間的に無理でも、その次までには私とにちかちゃんのパフォーマンスを考え直さないといけないでしょ。違う?」
「いや、だって」
「……私は死んでもアイドルになりたい。それは変わらない。——けど、今の私はSHHisだから。283プロの、SHHis緋田美琴だから」
「SHHisは一人じゃない。SHHisの七草にちかと一緒……それが二人での"She,s"。私がSHHisである限り、にちかちゃんもSHHisだから」
 美琴は諦めてはいなかった。いや、はなからそんなことで悩んではいなかった。
 にちかが戻ってくるのは必然で、彼女との新しいパフォーマンスをこの期間を使って考えたいと言っているのだ。
「だけど……にちかは」
 だが彼女本人はどうなのだろうか。
 美琴と同じ思いなのだろうか。
「どうして。にちかちゃん。プロデューサーがお見舞いに来るの、嫌がってないんでしょ」
「あ、ああ」
「それって、もう答えじゃないかと思うの」
 嗚呼。すとんと悩みが落ち切った感覚があった。
 俺は恥ずかしくなった。自分の愚かさに。
 美琴をちゃんと見ていなかったこと。
 にちかを信じきれていなかったこと。
 彼女たちの強い絆を知らなかったこと。
 美琴の言葉が、彼女が信じるにちかの存在が、俺を拒まないにちかの想いが。
「ああ……ああ! そうだな、美琴。ありがとう——ありがとう、アイドルでいてくれて」
「ううん、いいよ。私もアイドル、やりたいから」
「少し用事ができそうなんだ。レッスン室には一人で行けそうか?」
「ふふ、大丈夫。何度も行ってるから。今度、にちかちゃんとのダンス、一緒に考えてくれる?」
「ああ……ああ! ただ、無茶だけはしないでくれよ」
「うん、体調管理だね。お互い様」
 確かに。今の自分には美琴を叱責する権利はない。まともな思考はおおよそできてないだろう。
「そうだな」と後ろ髪を掻いて恥じらいを誤魔化した。
「まずは寝るよ。そのあと食事をして……それで、大丈夫。絶対に」
「うん、そうだね。きっとそれが良いと思うの」
 俺は美琴に改めてスケジュールを復唱させ、時間を守ることを念頭におかせた。そして帰りにはタクシーを使っていいから必ず一人では帰らないことと強く約束させた。
 そこからはデスクに置いていた資料やらノートパソコンやらを選別もせず、鞄に押し込め、急いで自車へと向かった。
 そして、まずは美琴に言われた通り、睡眠をとった。椅子を倒し、ベッドのように伸ばして、しっかりと睡眠をとった。
 起きた時には陽が落ち始めていた。ぐぅと腹が鳴るので、車を飛ばしがてら、食事を摂った。久々の油は胃に応えた。
 そこからは早かった。すぐさまに義肢工場に向かい、案を話し、にちかを史上初の義肢アイドルとして、もう一度魔法をかけることを誓った。

「そん、な……そんなの」
 美琴は諦めている。にちかはそれを疑わないでいた。きっと自分のような、未熟者が更に半端になってしまえば美琴の足手まといになってしまうと思っていた。だからこそ、美琴の言葉に涙を流していた。
「社長にはグロテスクだと言われたよ。あまりにも無謀で、にちかのことを何も考えていないんじゃないかと。けど……俺はこのままにちかにさよならで終わりだなんてしたくない」
「確かに、これまでのようなダンスは踊れない。けどにちかが最初にアイドルを始めた時だって、一からダンスを学んだじゃないか。踊ることには変わらない。もう一度……もちろん出来ることには差がある。また覚え直すのは辛いかもしれない。けれど」
「100人に見せて、100人が受け入れてくれる、とは俺も思ってない……。ひどい言葉をかけてくる様な人も、いるかもしれない。だから、全ての責任は俺に投げればいい。そのためのプロデューサーなんだ。そのための俺だから。にちかは……にちかが輝けるように用意するのが俺なんだ——それに、諦めてほしくないのは俺と美琴だけじゃない」
 俺はジャケットの内ポケットから自分のスマートフォンを取り出した。そして一つの動画ファイルを選択し、再生し、それをにちかに手渡した。
 内容は数日前にテレビで行っていた音楽番組だ。毎回一組のアーティストをゲストとして呼び、司会者や視聴者がさまざまな質問を投げ、それに答えるという番組だ。
 ここに283プロの誰かが出ている。にちかは最初そう思った。
 仲間が激励しているぞと臭いセリフを吐きたいのかと鋭い目つきでプロデューサーを睨んだ。
 だが手渡されたスマートフォンには283プロの誰も映ってはいなかった。
「え、なんで」

映っていたのは先日、とある雑誌でSHHisに、にちかについて語っていた、あのアーティストだった。トレードマークの特徴的なサングラスと肩まで伸びたウェーブかかったロン毛で一目に彼だと分かった。
 録画では、既に番組は中盤に差し掛かっているようだった。
「いやぁ、だけどねぇ、ほんとねぇ。○○くんは凄いねぇ。これを一人でねぇ、やってしまうんだから」歳を食った年配の司会者がねちっこい話し方で、褒めているのか皮肉っているのか、嫌な意味で心に残りやすい話し方をする。
「そんなことはないですよ。そういう道を選んでるので」ドライな答え方をする。彼はそういうアーティストだからだ。
「いやぁ、しかしねぇ? 話は変わるけどさぁ。シーズ、残念だよねぇ。七草にちかちゃん」
 話したこともない人に、ちゃん付けで呼ばれるのに、にちかは些か不快ではあった。
 一体何を見せられてるんだ。このままこのアーティストが悲しみを吐露するのを眺めて、頑張れと奮起させたいのかとにちかは思った。
 しかし違った。
「残念? 残念、ていうのはどういう意味ですか」
 彼の言葉が冷ややかながらも震えた。
「え? いやぁ、だってねぇ。足が、ねぇ? ないんでしょぉ? あ、噂によるとだよ、噂」
 どこから漏れたのか、ネットではにちかの足は既に無いというのが広まっていた。
「…………。●●さんは本人が話してもいない、ネットの情報を鵜呑みにする、と? 馬鹿げてますね」
「いやいやいやいやぁ! そういうわけじゃないけどぉ」
 遠回しの話題の拒否も、司会者には理解できなかったようだ。いやに食ってかかっている。
「フゥーーーーー……」と冷めたため息を吐きながら、アーティストは一呼吸おき、「僕から何を聞きたいのか知らないけれど、僕は彼女じゃないから何も話すことはないよ」と冷ややかに言い放った。
 スタジオが凍りついていた。数秒の沈黙の後、司会者が「や、いやーでもねぇ、ほら! 番組のタグでもみんな君がどう思ってるのかなぁて、ほら! ほら!」
 お便り募集で行っているSNSの公式ハッシュタグにて、実際に視聴者からの質問をモニターで流す。確かに「応援しているにちかさんが怪我で出れませんけど、どう思いますか」という類の質問がかなりの割合を占めていた。それほどまでに彼がSHHisについて語ったあの記事は反響が大きかったのだろう。
「フゥーーー…………いいかい、僕は彼女じゃない。彼女のこれまでを知らないし、彼女の今もこれからにも興味はない。何故なら僕はアーティストだからだ。自分の世界を表現し、曲として送り出し、人々に知ってもらう。僕はこれだけだ。これ以上もこれ以下もいらないし、知らない。——だから、彼女の喜びも苦しみも、僕には想像できない。無いものを語ることはできないよ」
 我が道を征く。独善的で、ナルシズムに満ちた彼らしい言葉であった。
 彼の言葉の威圧に、流石の司会者もたじろいでいた。
「ただ……まぁ、そうだね。ファンとしての僕で語るならば、寂しい。これは事実だ」
 意外だった。彼が弱音を吐くとは思ってもいなかった。それほどまでに強い人だと思っていたからだ。
「だが、僕は信じてる。彼女はこれまで諦めなかったアーティストだ。これからも諦めはしない。そう信じている。なぜ? 簡単な話だ。普通の子が宝石《アイドル》になると諦めなかったのだ。それは僕ですら想像できない領域だからだ。——そんな彼女が怪我や何やとて、夢を諦めることはない。僕はそう信じているから……こんな話、そもそも僕の記事を読んでいたなら語る必要のないことだと思うんだけど? 本当に読んだの、皆んな」
「ああ、あと——これは僕たちアーティストだけじゃない、全ての人に通ずること。あまねく生きる人々全ての話だと僕は思っている。……どうか夢を恐れないでほしい。失うことを、叶わぬことを、諦めないことを」
 アーティストがカメラに向かって顔を向けていた。サングラス越しでは分からないが、それでも強い顔をしているとにちかは受け取った。
 彼は続けた。
「僕だって成功に何年かかったか。いまだに次の曲で最後かもしれないと震えて眠れない時だってある。けれど、もし終わってしまっても僕は絶望しない。なぜなら他人の夢を見ればいいからだ。——簡単な話だろう? 自分で見る夢も、他人の夢を見ることも、そこには何も違いはない。夢には性別も、年齢も、身体も、何も関係ない。そこにあって、それを見るだけ。ただそれだけで、人はああ、明日もいい一日になるかもなて頑張ろうと思える」
「夢は活力だ、命だ、輝きだ。これは七草にちかさんも、よく分かっている事だろう。だから……どうか、今を逝きることだけはしないでいただきたい。世界の人々よ。見る夢がないなら、僕が夢を見させてあげよう。それが|僕の夢《アーティスト》なのだから……以上。……? なに? 僕はもう話すことはないよ」
 録画終了。

この後SNSでは阿鼻叫喚の騒ぎだった。彼の話に同調する者もいれば、成功した人だから言える事だと反対を唱える者も居た。様々な意見があったが、それでも彼の言葉を信じ、七草にちかの復活を望み、信じ、夢見る者たちは多く声をあげ出した。
「にちか……」
 彼女はずっとスマートフォンを眺め、握りしめていた。SNSに挙がった彼女を応援する言葉に強く心を打たれていた。目からは熱い、熱い涙が溢れていた。
 彼女の心にはさっきのアーティストの言葉が反響していた。
 見る夢がないなら、夢を見せよう。それが、|彼の夢《アーティスト》。
 私の夢は。
 お父さんと、お母さんと、お姉ちゃんと。小さい頃に見た、夢。幸せな、夢。温かい、夢。
 一度壊れてしまったから、もう壊したくなくて、失いたくなくて、どうしても叶えたくて。
 だから、壊れた時、ああもう駄目なんだて思った。
 結局、夢はユメなんだ。どれだけ頑張っても偽物《ユメ》は本物《ユメ》になれないんだて。
 なのに、プロデューサーは、美琴さんは、このアーティストの人も、ファンの人も……283プロのみんなも、お姉ちゃんも。
 諦めないで、て言う。
 夢を叶えて、て言う。
 諦める方がずっと楽なのに。
 叶えない方がずっと幸せなはずなのに。
「何なんですか……何なんですか、皆んなして。勝手すぎますよ……だって、私」
 私に辛く苦しい道を指し示す。
 そうしてくれることが、そんな胸が張り裂けそうなほどの痛みを伴うはずのに。
 夢を追えと背中を押してくれるのがたまらなく嬉しい。
「俺も……夢を、見たいんだ。にちかの夢を、見させてほしいんだ。だから……にちかに、夢を見させるのが|俺の夢《プロデューサー》なんだ」
 この人が持ってきてくれた、彼の夢と。
 こんなゼンマイ仕掛けのようなものが、今はたまらなく嬉しい。
 
 そうだ。にちかにまた夢を見てもらうための第一歩、それを踏み出す足。それがこれだ。人工的に作った機械の足だ。ロボットのような、ゼンマイだらけの機械の足だ。
 ダイヤには遠く及ばない、作られたイミテーションだ。
 それでも、にちかが望むならその輝きは、本物になる。俺はそう信じている。
 あの時、にちかが俺を軟禁した時。強く強く、俺を引き留めて、あらゆる手段を使った時だ。
 彼女は夢を見たいと言った。夢を見たい——叶えたい、叶えるためなら何だってやると。
 あの時の俺は、彼女の中に何も感じなかった。彼女の夢をまだ見ていなかったから。
 だが、次は違う。
 だが、今は違う。
 夢を見たい。俺はもう一度、彼女の夢を。
 彼女が輝く様を見て、美琴と並び煌めく様を見て、彼女と共に夢を見て。
 叶えたい。俺は、彼女の夢を叶えるためなら何だってやる。
 此処に居る俺は、彼女の持つ輝きに強く惹かれている。彼女の夢を見ているからだ。
 だからこそ、今度は俺が。
「俺の夢は……プロデューサーとして、283プロの皆んなが輝きを放つ事、その輝きで見た人々がああ、綺麗だなて少しでも思ってもらう事……だから諦めたくない。夢を、にちかを」
「その輝きの中には、前も今もこれからもにちかはずっと居るから」
 
「なぁ、にちか。俺ともう一度だけ、見てくれないか——夢を」

それから、にちかはもう一度、諦めないことにした。
 通常2〜3ヶ月はかかる義肢での歩行リハビリを1月半ほどで終わらせ、退院をした。
 義足は義肢工場とスポンサー契約することにし、ライブ用にと様々な物を用意してくれた。
 再び立ち上がる勇気を見せたにちかの強さは、一度は夢を諦めた人々を励ます良い存在になるとスポンサーの人々は信じ、託してくれた。
 強く跳ねるもの、足首が回転しより安定してターンが回れるもの、通常の関節より多動化し、より激しく動けるようにしたものと様々だった。
 それでも生身では出来たパフォーマンスが出来ないことはあった。その時は美琴やレッスントレーナー、そして俺や283プロの皆んなが共に考え、新しいパフォーマンスへと昇華していった。
 怪我の事実と、これからの活動についての会見の際には馬鹿げた質問をする記者も居た。
 会見に現れたにちかの義肢の姿に痛ましさや見苦しさを感じないのかと言われた時は、本来なら押し黙るべき俺も強く声を荒げたほどだった。
 それでもにちかは諦めなかった。
「アイドル新生、七草にちか! これからの活躍をよろしくです!」なんて明るく振る舞ったのだ。
 彼女は強い。俺が思っていた以上に。強くなった。
 最初は記者の言葉通り、にちかの存在を否定するものが多かったが握手会や地方のイベントを繰り返し、少しずつだが最近では、TV出演やモデル撮影も増えてきた。特に義肢でのモデル撮影は世論を強く騒がせた。
 にちかと同じような人々から多くのファンレターが届くようになった。強く勇気をもらった。私も頑張ってみます。にちかちゃんがんばれ! 言葉の種類は様々だった。
 ライブは延期になった。開催未定と公表したが、実際は準備期間も含め、早くとも二年後と定めた。
 だがにちかはそれを覆したかった。
「一年後です! 私、頑張るので。絶対に、一年後です!」
 にちかは夢を見ていた。
 強く、輝く、彼女らしい色をした、にちかだけの夢。
 
 ちなみにだが、にちかを応援してくれたあのアーティストは会見後日に行われたTV出演の際に、質問もされていないのに「ほら、言ったでしょ? 僕」と復活を強く喜んでいた。
 
 にちかはこれから様々な困難を前にするだろう。
 だけど、諦めはしない。
 誰よりも夢みがちで、夢を追いかけて、夢を届ける。
 それが七草にちか。

大きな歓声。胸が躍っていた。袖から見える舞台は1000カラットものライトに照らされ、強く眩しい。

 不安がある? 緊張してる? 
 当然ですよ! 
 
 宝石《ダイヤ》はひとたび砕けてしまえば、もう二度とその輝きは発しない。

 EはTに。カットはpoor。透明度? I2。ブルーに光るなんて醜い。
 怖い? 辛い? 
 当たり前じゃないですか!
 
 アイドルもそうだ。
 幸せもそうだ。
 砕けたものは、輝かない。
 私はそれを知っているから。
 知ってしまったから。
 だから、今の私は
 継ぎ接ぎだらけのイミテーション。
 
 だけど、それでも私は輝きたい。それでも私は輝いてみせる。
 見窄らしい? 可哀想?
 分かってるじゃないですか。
 
 でも、今の私には283プロの皆んながいる。お姉ちゃんがいる。社長さんも、ファンの皆んながいる。
 もう一度私を立ち上がらせたいとしてくれた人達がいる。

 美琴さんがいる
 バカでまぬけで独りよがりで我儘でバカで自分勝手なプロデューサーさんがいる。
 
 此処には、私がいる。
 諦めない、私はもう二度と。
 夢《アイドル》を——。
 リピート。

以上です。

長文連投失礼いたしました。

お読みいただいた方はお時間をいただき、ありがとうございました。

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