勇者になれなかった君へ (12)

ある日、勇者が俺たちの村に来た。

勇者は、【特に用事はないのだけれど、君たちの顔が見たくて来た】という。

村の奴らは、なにが心に響いたのか手を叩いて勇者の下で拝んだ。

だが、勇者の言葉はうそだ。俺にはわかる。

勇者は嘘をつくとき、必ず眉をひそめて小声になるのだ。

勇者が村のやつらと会話するたびに、眉間に寄せられた皺が深くなっていくのが分かる。

まあ、勇者には、どうでもいい話だろうな

しばらくして勇者はすっと背を伸ばして見まわした後、輪から外れてその様子を眺めていた俺と目が合った。

【いたのなら、早く声を掛けてくれないか。わたしはこの人たちに用事はないんだ】

眼から脳内へ響くそのメッセージは非難の色があるように思える。

【君がこないのなら、こいつらを殺す】

俺は唇を噛み締めて、手を振った。

「よう、相変わらずみたいだな」

勇者はひょいと村の輪から抜け出し、俺の前に立つ。

勇者は口元を暗色の布で隠し、狡猾そうな眼は獲物を眇めている、

漆黒のマントで体全体をすっぽり覆い隠し、勇者がどのような体型であるかを判断するかも困難だ。

だが、こんな格好でも勇者は勇者だ。

なぜかって?こいつは、先代の魔王を殺したからだ。

ゆえに勇者だ。人類の敵を殺せば、勇者だ。

だが、この勇者の気性は昔と変わらず、冷酷で優越感にまみれていて

【君こそ、昔と変わらず剣の練習は怠っていないみたいだね】

勇者は俺を嘲る。

【でも、弱いなぁ。不意打ちしたってわたしにすら勝てない】

「そりゃ、そうだ。魔王を殺した化け物と戦う方が間違っている」

【あはは。そうだねえ。魔王を討ち取った勇者にそんなことはしないよね】

すっと懐へ入った勇者は俺の胸板を小突くように見えた、刹那、鉄の砲丸が胸を突き破るような痛みが走った。

声にならない悲鳴を上げる。もうすでに喉は万力のような勇者の手によって、文字通り、閉じられている。

【わたしのお願いを叶えるなら、手を放す。もし、断ったり、次にわたしを馬鹿にしたら殺す】

こいつはまったく容赦がない。

なんとか頷くことで、呼吸が可能になった俺はしばらく咳が止まらなかった。

【わたしの願いは、わたしについてくること。わたしを怒らせないこと。わたしのために動くこと。以上】

本当に嫌だった。特に勇者相手は。

「他の奴に頼めよ」

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【君が一番、もう一人のわたしを分かっているから、選んだんだ】

「…まさか勇者が二つ目の人格であることは、まだ秘密なのか?」

【あはは。魔王を殺してからもうほとんどわたしが出ずっぱりだからさ。気づかないんだ。むしろ、こちらが一番目だよ?】

おどけた口調で、俺のひきつった口角へ手をのばし柔らかくほぐす。

【それでも、もう一人のわたしも、あたしの一部さ。あたしは、あたしのためならなんだってする】

【もうひとりのあたしは。かわいそうだ。まだ、ずっとあのときのままなんだ。こんな世界で生きたくないとさ】

俺の首を絞めるように手を滑らせていく、勇者。

【あたしを助けて】

そのときの言葉はどちらのものだったか、俺はまだ分からないけど

もう一人のものであったなら、助けたいと思った。

だけど、それ以上に大切なものが今の俺にはあって。

「なあ勇者」

【なに】

「病気で寝たきりになってしまった父親がいるんだ。少しでも金を残してやりたいんだが」

【あたしはお金はあるけどイヤ。君が気になるなら殺してやろっと】

勇者はきっぱりと断って、俺の家へ向かおうとする。

相変わらず、だ。確かに疲れるよな、こんなやつ一緒だと。

「お前を助けるから、俺も助けてくれ。じゃないと親を勇者に殺されてしまう。」

「・あ・・ああ・・・・・」

勇者は立ちどまった。

【…一か月振りに聞いたな、あたしの声】

俺は目をそらす。

【君はよくやった】

「あのな…」

【いいからあたしを元気にしろ。あたしのためになにもかも捧げろ。】

勇者は懐から金貨10枚を取り出して、俺の手に無理やり持たせる。

【そうすれば、金もやるし、次の魔王も殺す】

勇者の愛は、どこまでも自分に注がれている。

そのあたしは愛を知らぬまま壊れて

俺は愛をつくる、操り人形だ。

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