キョン「またお祈りメールか…」 (13)
12月初旬。街は早くもクリスマスムード一色で、至るところが緑と赤のイルミネーションに彩られている。
聞き覚えがあるけども、曲名まではわからないというクリスマスソングあるあるを感じつつ、街を行き交うカップルや家族連れを横目に見る。
彼らは皆、どこか浮き足立って幸せそうに見える。
高校時代の俺なら、そんな彼らを見て
「都合のいい時だけキリストを信じやがって。民間企業のマーケティング戦略に踊らされてるだけじゃねえか。資本主義の成れの果てだな。」
と全力で見下していただろう。
だが、大学4年生22歳になった俺には、もうそんなことを吠える気力もない。
「資本主義の成れの果て?バカねぇキョン。こういうもんは楽しんだもの勝ちなのよ!生きる上で確固たる信念は必要だけども、楽しむ上で余計なものはシャミセンのオヤツにでもしてやりなさい!」
とか叫ぶであろうあいつはもう俺の側にはいないしな。
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高3の時、俺達SOS団は朝比奈さんが進学した京都大学を目指して勉強に励んだ。
高3の1年間、団活はほぼせず毎日みっちり勉強漬けだった。
涼宮達と共に黙々と勉強に取り組む日々は辛かったが、楽しく思えることもあった。
例えば、涼宮の世界史特別講座は面白かったな。
始皇帝が如何に偉大な皇帝か、フロイトとユングの思想の違いは何かなどを語ってもらった記憶がある。
終わりさえよければ、間違いなくいい思い出になったんだがな…
合格発表の日、俺達SOS団は全員部室に集まっていた。
そして合格発表が行われる12時。俺達は各自のスマホで自身の受験番号を入力し、合格通知を調べた。
そこには、俺の番号のみが欠けていた。
俺以外のSOS団は京都大学に進学し、
俺は共通試験利用でギリギリ引っかかった法政大学に進学した。
そして、SOS団から逃げるように法政大学に進学し、独り東京の地にやってきた。
東京にやってきてからは、地元に帰省することはあれど、SOS団の皆とは会っていない。会えるわけがない。だから奴等とは高3の卒業式以来疎遠となっている。
言うまでもなく涼宮ともだ。
そして現在。大学4年生の12月。
今の俺は受験戦争に次ぎ多くの学生が経験するであろうとある競争に身を投じていた。
就職活動である。
そして俺は、まだ内定を獲得していない。1つも。
いわゆる無い内定というやつだ。
俄に俺のスマホが振動した。メールの着信を告げているようだ。先週受けた企業の選考結果の連絡だった。
【◯◯様】選考結果のご連絡(◯◯株式会社)
俺くらいになるとこのメールタイトルからわかる。今回も駄目だった、と。
念のため本文にも目を通す。
───────────
先日は弊社一次選考にご参加頂きまして誠にありがとうございました。
今回の選考結果についてですが、
慎重に選考を重ねました結果、
誠に残念ながらご期待に添えない結果になりました。
◯◯様がこれからの社会人生活でご活躍することを心よりお祈り申し上げます。
───────────
案の定、お祈りメールだった。
何度も見たテンプレのメール。もう見慣れてしまった。
震える手で缶コーヒーを飲む。
───────────
慎重に選考を重ねました結果、
誠に残念ながらご期待に添えない結果になりました。
───────────
先程見たメールの文章が脳内でリフレイン。
慎重に選考を重ねた?嘘つけ。
ご期待に添えない?何様だ。
「くそっ…!」
飲みかけの缶コーヒーを、屑入れに投げ捨てる。
こんなことをするなんて、さっきのお祈りメールで狼狽している証拠だった。
「はぁ…」
「どうしてこんなことになっちまったんだろうな…」
俺の独白は白い息へと変わり、イルミネーション煌めく街に消えていった。
俺の意識はそのままおセンチな気分にさせてくれず、思い出したくもないのに、先週行われた件のお祈りメールを喰らった面接を思い出していった。
「なぜ弊社を志望したのか理由を教えてください。」
先週。つまり11月下旬。久しぶりに漕ぎ着けた面接でこのような質問を受けた。
この会社以外にも何度も受けた質問。定番の質問。当然俺も回答を用意している。
「はい!御社を志望した理由は、私は地方創生に興味があり、御社でその地方創生ができそうだと感じ〜、加えて御社理念にも共感しており〜」
事前に用意してきた回答を澱まずに言えた。
ここまではいつも通り問題ない。
「なるほど。それではそのように思う理由を教えて頂けませんか?」
と、面接官からいつものように質問を受けた。当然これも理由を考えてある。
「は、はい…!それは…ですね…大学生時代のアルバイトの経験から…」
「大学時代のアルバイトからどうしてそのように思ったのですか?」
「えっと…それは…」
駄目だ。言葉が出てこない。あんなに考えたのに。
当然だった。俺は地方創生には興味がないし、この会社の掲げている理念に共感なんて全くしていない。
つまり、俺が面接で話していることは全くの嘘だった。
無い内定を脱したい。なんとか1つ内定を手に入れたい。
そんな思いで必死だった。
「…わかりました。では、面接を終了します。ありがとうございました」
「…こちらこそありがとうございました」
そんな俺の甘い考えを見透かされていたかのように、面接官は静かに終わりを告げた。予定の時刻より30分ほど早く面接が終了した。
結果は先に述べたように予想通りの惨敗。
まぁ、当然だよな。嘘しかついてないからな。仕方ないな。
「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
どこかの小説で読んだフレーズが脳内に響き渡る。
「…」
先週の面接を思い出し、ただでさえ暗い気分が更に重くなった。
かぁっと耳が赤くなる感覚がする。
「一度頭を冷やそう」
そう呟き、俺は大学に行った。
大学3年の3月からみんなで打ち合わせしたかのように、黒のリクルートスーツに身を包んだのに、夏を過ぎると一気に元の量産型ファッションに戻る。
秋になると、またリクルートスーツの奴等が増える。
しかし、奴等の話題は就活ではなく、サマーインターンやウインターインターンだ。つまり、一個下の後輩達が就活を始めるのである。
そんな中、4年生の俺は未だにリクルートスーツを着たままESを書いている。
「△先輩、伊藤忠から内定貰ったらしいよ!」
「えーすごい〜△先輩から話聞こうかな〜」
「A先輩、まだ就活終わってないって聞いたけどほんとかな?」
「あーらしいよ。あの先輩、就活上手く行かなそうだったもんね〜」
こういった会話が大学のパソコンルームの至る所から聞こえて来る。
キツい。
気付いたら俺は大学の図書館に移動していた。
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図書館でESを書く。
図書館は静かでいい。ノートパソコンを叩く音と、学生達のささやき声しか、音が存在しない。
「くすくす…」
女子生徒2人の噛み殺した笑い声が聞こえてきた。
瞬間、その生徒の方を振り向く。目が合う。目を逸らす。
俺を…笑ってるのか…こんな時期にリクルートスーツを着て、ES書いてる俺を笑っているのか…!
叫ぶ代わりに、俺は席を立っていた。
早々と図書館を去る。
背中には、12月には似つかわしくないじっとりした汗が染み付いていた。
いつからだろう。
俺は笑っている人を見ると、必ずそちらを見てしまうようになった。
自分が笑われている訳ではないと理性ではわかっている。
しかし、俺の根深にいるものは俺を指差し、お前また笑われてるぞ、と告げる。
笑っている人を見ると、足の先がじわじわと熱くなり、首の後ろにじっとりした汗をかく。
笑われるようなことをしてますか?
何か間違っていますか?
恥ずかしいですか?
おかしいですか?
「教えてくれよ…ハルヒ…」
俺はもう限界だった。
逃げ込むように、大学から一駅離れた四ツ谷の喫茶店に駆け込んだ。
ESを書くためにパソコンを開こうとしたが、そんな気にもなれない。
手持ち無沙汰に、スプーンでホットコーヒーをかき混ぜていた。
そんな弛緩しきっている俺に、思いも寄らない人物の声が降りかかった。
「あれ?キョンじゃないか?こんなところで何をしているんだい?」
何年かぶりに鼓膜を震わせた声。そして、今話したくない類の声。
できれば知らないふりをしてやり過ごしたい。
しかし、かつて親友と自己紹介された声の主に、理性に反して口が勝手に動いていた。
「さ…佐々木…?」
「やっぱり。キョンじゃないか。高2のあの事件ぶりだから、5年と7ヶ月ぶりだね」
SOS団全員が『驚愕』したあの事件ぶりに出会うかつての親友、佐々木がそこにいた。
「いやぁ。ほんと久しぶりだねぇキョン。大学はこの辺りなんだっけ?」
「あぁ、そうだ。佐々木は大学は東大だろ?四ツ谷に何の用があって来たんだ?」
「覚えていてくれて嬉しいよ。近くの大学の授業を受けているんだ。聴講ってやつだね。僕の研究テーマで面白い講義をしている教授がその大学にいてね」
「なるほど。そういうことか」
他愛もない会話。
側から見れば、途絶えた交友を暖め合っている旧友同士にしか見えないであろう。事実、佐々木はそう思っているだろう。
しかし、俺は違った。
胸の奥にじめっとしたもやが生まれてきた。
そうだ。佐々木は東大生なのだ。俺よりも遥かに学歴が高い。当然、大手企業から内定を貰っているだろう。
佐々木はどこに就職するんだ?
確かに知りたい情報ではあったが、絶対に自分からは聞けなかった。
聞いて大手企業の名前が出て来たら、俺は自分自身がどんなドス黒い気持ちになるか想像もしたくない。
何でお前が。
俺だって頑張ってるのに。
お前も俺のことを馬鹿にしてるんだろ。
女のくせに。
自分にこんな一面があるなんて気付きたくない。
だから聞けない。
何よりそんなことを聞けば、「キョンは?」と聞かれるに決まっている。それだけは避けたかった。
「ところでキョン…」
「どうした?」
自分の想像によって自己嫌悪に陥っていたため、気が抜けていたのだろう。
次にされた質問には思わず絶句をした。
「君はリクルートスーツを着ているみたいだけど、内定者インターンか何かに行って来たのかい?」
「……っ……」
佐々木は頭が良い。俺が避けたくて選ばなかった話題を的確に選んでくる。
俺は、そういった頭の良さに惹かれて、彼女と話すようになったんだろうな、と思う。
そんな彼女の頭の良さを俺は初めて憎く思った。
そして、そんな考えに苛まれる自分にほとほと嫌気がさした。
もう、言ってしまおうか。
バイト先の人にも、学部の友人にも、家族にも、就活について聞かれた時は曖昧に答えて誤魔化していた。
しかし、聡明な佐々木にはそんな誤魔化は通用しないだろう。
そして何より、俺はこれまでの苦しみを誰かに伝えたかった。
褒めて欲しかった。よく頑張ったね、と。
許して欲しかった。もういいんだよ、と。
「実はだな…」
乾き切った唇を舐めて、切り出した。
受験に失敗したこと。
SOS団の皆は京大に進学したこと。
涼宮達と連絡をとっていないこと。
就活でまだ内定を獲得していないこと。
先週の面接で嘘の志望動機を伝えてお祈りされたこと。
俺は滔々とこれまでを語った。
「………………」
長い沈黙だった。いや、実際のところあまり長くないかもしれない。
しかし、俺にとっては永遠にも感じる沈黙だった。
痛々しい沈黙を打ち破るべく、俺は、
「なんかごめんな。久しぶりの再会なのにこんな話しちまって」
努めて明るく言った。
「……キョン」
佐々木が口を開く。
顔を直視できないため、どんな表情しているのかわからない。しかし声が震えている。
この声は…怒りと悲しみ…?
「僕はね、中3で君と同じクラスになってから、君のことが好きだったんだよ」
「え…」
突然のことに、呆けた声を出すしかできなかった。
「キョンのことだ。驚くのも無理ないだろう。キョン、僕はね、君のどんなところに惹かれたかというと、その正直さに惹かれたんだ」
佐々木は俺に構わず続ける。
「僕の話に疑問を感じたら必ず聞き返してくれる素直な好奇心、面倒臭い授業で気怠い態度を隠さない子供のような純粋さ、僕と2人で帰る時に仄かに微笑むいじらしさ。どれもがキョンの正直という一番の魅力を表していたよ」
「そんな僕がね、キョンのことを好きでいるのは諦めよう。と高2になって君と再会した時に思ったよ。だってね、涼宮さんと話す時の君の目が、私とキョンが話してる時の私の目と全く同じなんだよ…」
「あぁ、キョンは涼宮さんに恋をしている。これは勝てないな。直感的にそう思ったんだ」
佐々木は長い告白を終えた。
更に、俺の目を真っ直ぐに見据えて追い討ちをかけた。
「キョン。今の君は正直なの?僕にはそうは思えない。一体なんのために就活をしているの?なんで嘘をついてまで内定を得ようとしているの?君にとっての一番の魅力を破棄してまでもそんなに就活、いや見栄が大事かい?そんなに意固地になって何を守ろうとしてるんだ?何を隠そうとしているんだ?」
佐々木にここまで好き放題言われて、何も言い返せない自分が情けない。
「こんなキョンに会いたくなかったよ。もう僕の好きなキョンはいなくなったみたいだね」
佐々木は席を立ち上がる。
「さよならキョン。もう会うことはないだろう」
佐々木は紙幣を机に置き、出口へと歩きだす。
「最後に一言だけ言わせてくれ」
店から出る前に佐々木が言った。
「……なんだ」
乾き切った喉から辛うじて出た俺の言葉に対して、佐々木はとどめを刺した。
「今のキョンを見て、涼宮さんはどう思うかな…」
ついに佐々木は出て行った。
もうすっかり夜になっていた。
佐々木にあのようなことを言われた後に、すぐに家に帰る気にはなれず、辺りを散歩していた。
『キョン。今の君は正直なの?僕にはそうは思えない』
さっきの喫茶店で、佐々木に言われた言葉の一部が頭の中で繰り返される。
不思議と怒りは湧かなかった。全くもっての図星でもあったし、佐々木があんなに激情を露わにすることに驚いていた。
「正直…か」
自分自身の魅力についてそのように評されたのは初めてだった。
確かに、高校時代の俺は正直だったかもしれん。
ハルヒの強引な提案に苦言を呈したり、古泉の気持ち悪い発言にツッコんだり、朝比奈さんに対してかわいい!と連発したり、長門には苦しくなったらすぐに助けを頼んだっけな。
それに対して、今の俺はどうだ?
嘘をついてまで内定を得ようとし、薄いプライドを守るためだけに就活を続けている。
いや、もっと正直に言おう。
今の俺は怖い。怖いんだ。
未だに内定を獲得できないでいる自分の無能さを知ることが怖い。
人と違っていってしまってることが怖い。
かといって人と全く同じでいることが怖い。
自分のことを笑っているように聞こえる他人の笑い声が怖い。
そんな奴等を見下すことでしか自我を保てない自分の浅慮さが怖い。
俺はいったい、何を守りたいんだ?
何を隠したいんだ?
俺はいったい、何がしたいんだ?
『今のキョンを見て、涼宮さんはどう思うかな…』
再び、佐々木の言葉が脳内に響く。
そうだ。心の奥底ではわかっている。
東京に出てきてから4年。片時も頭から離れたことのないあいつ。
俺は助けて欲しいのだ。
他ならぬ涼宮ハルヒに。
俺独りでは何もできない。そんなことは高校時代に嫌というほど痛感した。
しかし、SOS団を離れて、東京という華やかでもあり、冷たく無関心な街に生きるにつれて正直に生きることを忘れていた。
無様に助けを求めよう。
「なんで忘れてたんだろうな…」
スマホを取り出し、LINEを起動させる。
意図的に非表示にしていた涼宮ハルヒのアカウントをタップする。
あいつとのトークは3年前の卒業式を境に一切行われていない。
ここにきて指が震えた。怖い。通話のボタンが押せない。
内定を取れていない俺を知ってバカにされたら?
逆に今の俺に対して同情をされたら?
ハルヒが俺のことを忘れていたら?
「そんなこと…知るか…!」
構わない。
これまでのこと。
今の俺の就活のこと。
今後の進路について。
俺はハルヒと話したかった。
これが、今の俺の正直な気持ちだった。
ここからまた始めよう。
俺独りではなにもできない。それを認めて、無様に助けを借りて、仲間を巻き込み、
正直に生きよう。
「こんな気持ち、久しぶりだな…」
少し熱くなってしまった俺は照れ隠しに、自嘲気味に呟いた。
通話ボタンをタップした。
Fin.
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