本作品には性転換要素が含まれておりますので、苦手な方はくれぐれもご注意ください。
それでは以下、本編です。
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ダーズリー家で監禁中のハリーは部屋から出れない不自由な生活を余儀なくされていたが、それでもその暮らしは意外にもこれまでの扱いと比べると格段にマシであった。
「台所からくすねて来たぞ」
「ありがとう、ダドリー」
ダーズリー夫妻の息子であるダドリー・ダーズリーが毎晩食事を提供してくれたのでハリーは飢えに苦しむことなく、ペットの梟であるヘドウィグも狭い鳥籠に閉じ込められている不満を除けば文句はない様子だ。
狭い部屋に閉じ込められているのはハリーも同じで、この仕打ちに対してダドリーはこのように考察していた。
「きっと、パパやママはお前が逃げてまた自分の息子が引きこもりになるのが怖いんだろう。だからこうしてお前を閉じ込めている」
先日、引きこもり生活から脱却したダドリーだが、それはあくまでも彼が自分の意思で部屋から出てきただけであり、特別なことは何もしていないが、ダーズリー氏はハリーが何らかの魔法を用いたのだと信じているらしく、腹を下したことを口実に監禁していた。
「このままじゃ2年生の教科書も買えない」
「お前を解放しないとまた引きこもるぞってパパとママを脅してみるか?」
「勘弁してくれ。余計に悪化するよ」
ダドリーに引きこもって欲しくないバーノン夫妻には強すぎる脅しであり、逆効果になることは目に見えていた。何か手はないか。
すると、コツンと。
「なんだろう……?」
鉄格子が嵌められた窓に小石が当たるような音がして、次の瞬間には眩いライトが窓を照らした。そして突然、空飛ぶ車が現れた。
「ハリー! 迎えに来たよ!」
「ロン!」
部屋の窓を開けると、ホグワーツの学友、ロナルド・ウィーズリーが空飛ぶ車の窓を開けてロープをこちらに投げて指示してきた。
「それを鉄格子に結んで!」
「わかった!」
「手伝ってやる」
ハリーがダドリーの手を借りて鉄格子にロープを固く結ぶと同時に空飛ぶ車は急発進して鉄格子を窓枠から外すことに成功した。
「なんだ、今の音は!?」
その衝撃で就寝中だったバーノン叔父さんが目を覚ましたらしく、すぐにハリーの部屋に飛び込んでくるかと思ったが、なかなか現れない。その間にハリーは自分の荷物を空飛ぶ車のトランクに押し込んだ。
「行くのか?」
「ああ、こんな家とはおさらばだ」
「そうか……寂しくなるな」
空飛ぶ車に乗り込もうとするハリーにダドリーは何やら手渡してきた。それはカードだ。
ハリーは目を丸くして、従兄を見つめた。
「ダドリー、これって」
「いいから早く行け。パパが来るぞ」
ドンドンッ! と、ドアが激しく叩かれた。
「小僧! 開けろ! 絶対に逃がさんぞ!!」
ダーズリー叔父さんは何故か何度も階段を転げ落ちたらしく悪態を吐きながらドアを破ろうとしている。ダドリーは背中でドアが開くのを阻止してくれていた。もう時間がない。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてな」
短い別れを交わしてハリーは空飛ぶ車に飛び乗った。車は空高くに登って、すぐにダーズリー家が豆粒のほどに小さくなっていく。
「あの従兄、マグルにしてはまともだな」
「つい最近、まともになったんだ」
ロンのその評価に頷き肯定して、ハリーは貰ったバースデー・カードに目を落とす。
「そうだ。ハリー、誕生日おめでとう」
「ありがとう、ロン。それに、ダドリー」
カードの中身と同じ言葉をロンにかけて貰いハリーは12歳となった喜びを噛み締めた。
「さあ、ここが我が家だ!」
空飛ぶ車でしばらく夜空の旅を楽しみ、たどり着いたのはウィーズリー家であった。
建築基準法など度外視で建てられたと思しきその家は、無茶な増築が繰り返されており、今にも倒れそうな家だからこそ魔法によって成り立っているという奇妙な説得力があった。
「それにしても、まさか我が家にスリザリン生をお招きする日が来るとはな」
何やら感慨深そうに腕を組むロンに、ハリーは申し訳なさそうに尋ねた。
「迷惑だった?」
「とんでもない! パパやママは大感激さ!」
ロンの言葉は嘘ではなく、家主であるアーサー氏も、モリー夫人もハリーを温かく迎えてくれたのだが、空飛ぶ車の使用についてはお怒りの様子でロンは大目玉を食らった。
「だってママ! 奴らはハリーの部屋に鉄格子まで嵌めて監禁していたんだよ!?」
「お黙り! さっさとお尻を出しなさい!」
「ひえっ!?」
ロンがモリー夫人にお尻を叩かれている様子を眺めながら、兄である双子のジョージとフレッドがハリーに左右から耳打ちしてきた。
「これぞ、我が家の名物」
「我が弟ながら、良いケツしてるぜ」
「フハッ!」
嗤ってはいけないと思いつつも、存外ロンのお尻が綺麗だったこともあり、ハリーは愉悦を漏らした。あとでロンを謝っておこう。
「おっと、我が家の姫君がご起床だ」
「ハリー、寝癖を直してやれよ」
ロンのお尻叩きが終わる頃、ジョージとフレッドに促されて視線を向けると、階段を降りてきたばかりのお姫様が固まっていた。
「やあ、おはよう」
「ハ、ハリー・ポッター……?」
恐らくロンの妹だと察して声をかけると、震え声で名前を呼ばれたので頷くと、彼女は目をゴシゴシこすって再び確認してきた。
「ほ、本物……?」
「もちろん。偽物なんているのかい?」
「あ、兄たちが化けてよく揶揄うから……」
未だに半信半疑な様子なので、ハリーは自分の額に残る稲妻のような傷跡を見せた。
「ほら、これで信じてくれる?」
「さ、触っても……?」
「こら、ジニー」
「英雄殿に失礼だろう」
「ご、ごめんなさい」
おずおずと手を伸ばしたジニーを揶揄うジョージとフレッド。なんだか不憫に思ったハリーは兄たちに嗜められて手を引っ込めたジニーの手を取って、傷跡へと導いてあげた。
「大丈夫。触っても消えたりしないよ」
「っ!?」
傷跡をなぞらせて、安心させようとしたのだが、ジニーは何故か髪の色よりも真っ赤になって逃げてしまった。ジョージとフレッドが今度は女に逃げられたハリーを揶揄う。
「おやおや、我が校きっての英雄殿は女の子の扱いをご存じないらしい」
「それとも我が家の姫君が初心なだけか?」
ハリーまで赤くなっていると、同じくらいお尻を赤くしたロンが釘を刺してきた。
「ハリー、君にはもうお姫様がいるだろう」
それがあのドラ子・マルフォイのことを指していることは明白であり、ハリーはあの銀色のお姫様のことを懐かしく感じて、会いたいと思った。
「お嬢様、ただいま戻りました」
さてその頃、件のお姫様は大忙しだった。
父親と同行して魔法省に出向いてウィーズリーがやらかしたことの後始末を終えて、それから洋服の採寸をして、出来上がった服に難癖をつけるのに忙しかったのである。
「ドビー、これはどう?」
「大変よくお似合いかと」
「あのお方の好みかしら」
「ハリー・ポッターは恐らくもう少し大人しい格好のほうが好まれるかと……」
「そうね。じゃあ、これはどう?」
魔法使いの着替えは見ていてとても面白い。
杖を振ると服がするりと脱げて、また振ると着ることが出来るのだ。まさしく魔法少女の変身シーンを繰り広げるお嬢様に召使いは咳払いをして、報告する。
「お嬢様、ハリー・ポッターがウィーズリー家に到着しました」
「マグルの足止めはちゃんとこなしたの?」
「言いつけ通り、滞りなく」
「そう。よくやったわ、ドビー」
お褒めの言葉を預かり、ドビーは光栄であった。長くマルフォイ家に仕えてきたが、屋敷しもべ妖精を褒めるという習慣がこの家にはなく、ドビーは長年虐げられてきた。
しかし、ホグワーツに入学し、1学年を終えて帰って来たドラ子お嬢様は変わっていた。
それも悪い方向ではなく、良い方向に。
尊大なところはあるものの、全体的に角が取れて丸くなられた。優しくなったのである。
「でもハリーを監視出来ないのは不便ね」
非魔法族のマグルであるダーズリー家を監視することは障子に穴を開けるよりも容易いが、魔法族であるウィーズリー家に匿われてしまえばドビーにはもう手が出せない。
「ウィーズリー家ならば安全かと」
「私はご主人様のご様子を逐一知りたいの」
「お気持ちはわかりますが……」
「そう言えば」
不満を口にするお嬢様を宥めていると、何か思い出したようにウィーズリー家に関する資料を手に取りそして眉を顰め顔を曇らせた。
「如何されましたか?」
「ウィーズリーの末妹が今年入学だそうよ」
「それはおめでたいことで」
「ふん」
何がめでたいものですかと言わんばかりにドラ子は鼻を鳴らして、懸念を口にした。
「つまりその子は今、ハリーとひとつ屋根の下で暮らしているということよね」
「沢山の家族と一緒に、ですが」
「間違いが起こるかも知れないわ」
「さすがに考えすぎでは?」
たしかにドラ子は考えすぎていた。
ここ最近、ご主人様依存症を発症しているお嬢様は禁断症状まで出始めていた。
夢にハリーを見るのである。夢の中でドラ子はいけないことをしそうに何度もなった。
だからこそ、確信を持って警戒していた。
「ドビー」
「はっ」
「このジニー・ウィーズリーを調べなさい。ウィーズリーの末妹に興味が湧いたわ」
「はっ、かしこまりました」
果たして敵となるか、味方となるか。
引き込めるのか、引き込めないのか。
排除せざるを得ないのか、はたまた。
白と赤の姫君。ドラ子とジニーがどのような関係を築くのかは、まだ誰にもわからない。
「ダイアゴン横丁!」
ハリーはしっかりとそう発音した。
手に持った粉を暖炉に撒きながら行き先を告げるとそこはもうダイアゴン横丁であった。
「初めてにしては上出来じゃないか」
「まあね」
灰で黒くなったロンの鼻の頭を擦って綺麗にしてやると、聞き覚えのある声で呼ばれた。
「ハリー!」
「やあ、ハーマイオニー」
振り返るとハリーたちと同じく2学年で使う教科書などを買いに来たハーマイオニーがそこに居た。彼女はハグしようとして躊躇う。
「どうしてそんなに汚れているの?」
「僕ら煙突を飛んできたんだよ」
「煙突は飛ばないわ」
誇らしげなロンの要領を得ない説明に首を傾げつつ、ハーマイオニーはエチケットブラシを取り出してでふたりを綺麗にしてたから改めてハグをした。
「久しぶり」
「うん、久しぶり」
久しぶりの再会の喜びを分かち合いつつ、煙突ネットワークについて熱く語るロンを促して、横丁をブラブラした。
「やあ、ポッターさん」
「どうも」
「進級おめでとうございます」
「ありがとう」
ハリーは有名人なので道行く人から声をかけられたり、教科書や道具を買う際にお祝いされたりしてちょっと疲れていた。
だから、闇の魔術に対する防衛術の教科書を揃える際、著者のサイン会やらで混雑している店内の壁際でハリーは休んでいた。
「あの人も有名人なんだな」
ハリーがぼんやり見つめる先には、にこやかにサインしている有名人が居た。
何やら今話題の魔法使いらしく、華々しい武勇伝を本にして売り出しているらしい。
ハリーは到底、真似出来そうにないと思う。
あんな風にサインするのは恥ずかしい。
人には向き不向きがあるのだとそう悟った。
たとえばそう、あの銀色のお姫様だったら。
「ハリー、こんなところで偶然ですね」
店の2階から、白銀の妖精が降りてきた。
銀糸のようなプラチナブロンドの髪を靡かせながら、真っ白なワンピースを着た女の子。
「ドラ子……」
「お久しぶりです」
その名を口にすると、品良く微笑んだ。
しかし、そこに以前の気安さはなかった。
あくまでも知り合いと偶然出会った空気感。
ハリーはもっとドラ子と親しかった筈だ。
「混んでますね」
「あ……うん」
ハリーの隣に来て、ドラ子は混雑の原因である著者、ギルデロイ・ロックハートへと薄いグレーの視線を向けた。ハリーはよくわからないが、ドラ子に見つめられているロックハートのアホ面にイライラした。
「あの人のこと、どう思われますか?」
「え? えーと、なんかすごい人らしいね」
「すごい人に見えますか?」
質問の意味はよくわからないが、ひとまず個人的感想ではなく客観的に観察して述べた。
「スネイプ先生やダンブルドア先生と比べると、なんだか普通の人のように見える」
「それは比べる相手があまりにも……」
ハリーの率直な感想に、ドラ子はくすくすと笑った。ハリーはよくわからないが、ロックハートのへっぽこぶりに感謝しておいた。
「君も本を買いに来たの?」
「ええ、お父様と一緒に」
ドラ子の父親とはどんな人だろうと気になり、店内を見渡すと該当の人物を発見した。
「やあやあ、アーサー! 奇遇だな!」
「これはこれは、どうも……ルシウス」
ロンの父親に声をかけているあの身なりの良い人こそ、ドラ子の父親、ルシウス・マルフォイであるとすぐに察した。
貴族特有の高貴な雰囲気を醸している。
「先日、君のところの子供がやらかしたことはもちろん法に触れることだが、娘が不憫に思ったらしくね。法順守を促す立場としては不本意ながら、便宜を図っておいたよ」
「その節は……どうも」
「気にするな! 我々の仲じゃないか! それはそうとアーサー、聞いたぞ。どうやらハリー・ポッターをホームステイさせているそうじゃないか。今日は彼も来てるのかね?」
人の良さそうな笑みと言葉を口にしているが、あれは間違いなく見え透いた嘘だ。
嘘と皮肉によってロンの父親を口撃しつつ、ルシウス氏は鋭い視線で獲物を見つけた。
「やれ嬉しや、ハリー・ポッター!」
存在自体が衆目を集める大貴族に名指しされたことによって、壁と同化していたハリーの擬態は解けてしまった。どよめきが広がる。
「お父様がお呼びよ」
「僕、もっと君と話していたい」
「先に挨拶を済ませましょう」
そんな嬉しいことを言ってくれるご主人様には悪いがひとまず父親に紹介するのが先だ。
「お父様、こちらがハリー・ポッターです」
「うむ。ドラ子の父のルシウスだ」
「どうも、初めまして」
「少し、失礼するよ。傷を見せてくれ」
紹介して頭を下げるハリーの額にかかる前髪を、ルシウス氏は蛇を模した杖の柄頭で慎重にかき分けて、その傷を晒した。
「この傷は伝説だ。偉大なる魔法使いを退けたその証拠。そのことをもっと誇りたまえ」
「ヴォルデモートは偉大ではありません」
反論して傷を前髪で隠すハリーに、ルシウス氏は気を悪くした様子もなく諭す。
「あの方を侮るな。君もスリザリン生ならばわかるだろう。あの方は蛇のように執念深く、どこまでも君のことを追い、襲撃するだろう。ポッター、君は備えなければならない。あの方が再び力を取り戻したその時、再び退ける力を身につけなければならない」
どうやらルシウス氏はヴォルデモートの復活を信じているらしく、そして同時にそれを恐れているのがわかった。彼は耳打ちをする。
「ホグワーツを支配するのだ、ポッター」
突拍子もないことを言われて困惑するハリーに、ルシウス氏は夢物語を語って聴かせた。
「あの方に対抗出来るだけの軍隊を作りたまえ。そしていずれ、魔法界を。さらに我ら純血の一族の悲願たる人間界を征服するのだ。あの偉大なる魔法使いを魔法使いを破った君ならば出来る。そしてその時こそ、我が娘を、ドラ子を妃として与えよう」
思わずドラ子を見た。話は聞かれていない。
内容はともかく、景品だけには惹かれた。
とはいえ、自分の娘を景品扱いするルシウス氏のことは好きになれそうもなかった。
「ルシウスさん」
「何かね?」
「ルシウスさんはマグルがお嫌いですか?」
ハリーが尋ねると、ルシウス氏はロンの父親に視線を向けて、このように見解を述べた。
「現代において我々魔法族はマグルから身を潜めて生活している。そして厚かましくもマグルは一部の魔法使いから法によって守られている。何故、我々が魔法を扱えないマグルの目を避け、そして奴らを守らねばならんのか、私は常々疑問に感じている」
その疑問にロンの父親が役人として答えた。
「ルシウス。魔法族と非魔法族が険悪となれば双方に甚大な被害が生じると何度も……」
「被害? 被害があるのはマグルだけだ。我々魔法族ははマグルに被害を出さないように大人しくしているだけに過ぎない」
「しかし、マグルの兵器は無視出来ない」
「だからこそ、支配して管理するべきだ」
「我々の価値観は互いに相容れないですな」
ロンの父親とルシウス氏の応酬は平行線を辿り、その間にハリーはダーズリー家での日々を思い出していた。辛く、苦しい毎日。
たしかに、マグルにはどうしようもなく、魔法で支配したほうがいいような存在もいる。
けれど、一概に、全てがそうとは限らない。
「ルシウスさん」
ハリーはポケットからカードを取り出した。
「何かね、この紙切れは」
「この前、マグルの従兄が初めて僕にくれた、バースデーカードです」
ダドリーのように話せばわかる存在も居る。
「僕はマグルの支配には反対です」
ハリーは引きこもりのダドリーに対して魔法を使わなかった。厳密には使わずに済んだ。
もしもあの時、ダドリーが拒んだら後先考えずに魔法を使う寸前だったことはたしかだ。
そのほうがダドリーのためになるかも知れないと思って、杖を向けたことは間違いない。
けれど、それでも、魔法を使わずに済んだ。
「話せば分かり合えると信じています」
「ふん。綺麗事はやめたまえ」
「貴方とも、分かり合える筈です」
「子供の分際で知ったような口を……」
「ルシウス・マルフォイ」
辛抱強く言うとルシウス氏は初めて苛立ちを見せたので反論しようとする彼を見つめた。
「ひっ……」
するとルシウス氏は怯えたように後ずさる。
「ハリー、お父様をあまりいじめないで」
「え? 僕、そんなつもりは……」
気づけば、店内は静まり返っていた。
12歳の少年が大貴族を脅す様子を固唾を飲んで見つめていた。そこに能天気な声で。
「おや? もしや、ハリー・ポッターでは?」
ようやくハリーの存在に気づいたロックハートがヘラヘラしつつこちらに向かって来た。
「さあ、せっかくですから一緒に写真を撮りましょう。そこの綺麗なお嬢さんも一緒に」
空気が読めないロックハートのおかげで店内はいつもの賑わいを取り戻して、ハリーとそして何故かドラ子は日刊・預言者新聞のカメラマンにパシャパシャ撮影されてしまった。
同じフレームに収まるハリーとドラ子の姿にお似合いだのベストカップルだのと囁かれる中、ひとりの少女だけは認めたくなかった。
ジニー・ウィーズリーである。
いつの間にか、それでいて当然のような顔をしてハリーポッターの隣に立つ、ドラ子・マルフォイはたしかに見目麗しいお姫様だ。
対して自分は煤まみれのチビ。世界が違う。
「えいっ」
それでもジニーはせめて一矢報いようと思って、古本だらけの教科書を放り出して、撮影が終わったハリーに思いきって抱きついた。
「は?」
瞬間、活気を取り戻した店内がまた静まる。
比喩ではなくドラ子を中心として冷気が吹き荒れて、ジニーもハリーもまつげが凍った。
「何をしているの?」
ドラ子に尋ねられて、ジニーはガタガタ震えた。ハーマイオニーはオロオロしている。
ロンとジョージとフレッドはワクワクした。
「離れなさい」
「い、嫌」
「そう……それなら、もう頼まない」
瞬きをする間に、ドラ子が杖を抜いていた。
ハリーは動けなかった。ジニーに抱きつかれて物理的に動けなかったし、ドラ子があまりにも早く杖を抜いたので反応出来なった。
せめてジニーを守ろうと庇った、その時。
「これ、ドラ子。騒ぎを起こすでない」
「お父様……申し訳ありません」
「目的は済んだ。帰るぞ」
間一髪でルシウス氏がドラ子を止めた。
大人しく店内を出るまで、ドラコは冷たい灰色の視線向けていたのでジニーは怖かった。
怖かったけど、あの超然としたお姫様の顔が嫉妬で歪むのを見てスッキリしていた。
だからジニーは放り出した教科書を拾い集める際に、見覚えのない黒い日記帳が混ざっていることに気づくことはなかった。
「スリザリン!」
新年度が始まったホグワーツで例年通りに帽子により組み分けが行われ、ひとりの少女の番となった時、どよめきが起こった。
代々グリフィンドールの家系のウィーズリーの娘がスリザリンに配属されたのである。
周囲の喧騒、とりわけロンを始めとしたウィーズリー家の騒ぎには目もくれずにジニーはハリーの席へと向かった。
「よろしくお願いします、ハリー先輩」
「うん。よろしくね、ジニー」
丁寧にお辞儀をして、彼の左隣に座る。
右隣には当然、ドラ子・マルフォイが居た。
ジニーはついでにその怖い先輩にもハリーごしに挨拶をしておいた。戦線布告である。
「ドラ様もよろしくお願いします」
「ドラ様って?」
「下級生の間ではそう呼ばれているんです」
ハリーが思わず尋ねると、ジニーは当たり前のようにドラ子の渾名について説明した。
ドラ様呼ばわりされたドラ子はアズカバンに収監されている叔母を思い出して不愉快になりつつも、言うべきことを言っておく。
「スリザリンは同胞には寛大だから多少の無礼は許してあげる。でも、次はないわ」
次というのはまたハリーに抱きついたらただじゃおかないという意味なのは明白だったので、ジニーは言われた通りにしばらくは大人しく過ごすことにした。
せっかく組み分け帽子に頼み込んでスリザリンに入れて貰えたこの機会を無駄にしないように、執念深く、忍耐強く、好機を待った。
ひとまずは、この怖い先輩と仲良くなることが必要であると、ジニーは考えていた。
「ドラ様ドラ様!」
「なによ」
「宿題を教えてください!」
ジニーは執念深く、そして健気であった。
どれだけ邪険に扱われてもしつこくドラ子に付き纏って、夜遅くまでいろんな話をした。
「ドラ様はハリー先輩にも勉強を教えているなんてすごいですね」
「ふっ。主君に尽くすのは当然よ」
ドラ子はハリーを主君と仰ぎ、ハリーの学校生活をサポートしていた。そのことについてはジニーは素直に感心して尊敬している。
だが、しばらく生活していて疑問を抱いた。
「ドラ様はどうしてハリー先輩に素っ気なく接しているのですか?」
「あら、おチビの癖によく見てるわね」
疑問を口にすると、ドラ子は得意げにプラチナブロンドを指で巻きながら説明した。
「お母様に言われたのよ。ただ尽くすだけが良妻の務めではないと。たまには冷たくして、相手から求められることも重要なの」
「ほほう! なるほど!」
手の内をあっさり晒した色ボケのドラ様はものすごくアホっぽかったが、ジニーはその説明に納得して感心した。たしかに効果的面。
ハリーはこの頃、1年生の時のようにドラ子が親しくしてくれないことに寂しさを覚えているようで、数日に1度、ドラ子に勉強を教えて貰う時にはとても嬉しそうにしていた。
「さすがドラ様ですね!」
「まあ、それほどでもあるわ」
ドラ子はこの後輩という存在にどう接するか迷っていたが、褒められるのは悪い気はしない。マルフォイ家ということもあり、どちらかと言えば恐れられているドラ子に付き纏うような度胸のある後輩は他には居なかった。
「いいこと、おチビ。私の配下ならば、同じ主君を仰ぐということ。だから間違っても主君に抱きついたりしてはいけないのよ」
ドラ子はジニーのことを分別のつかない子供だと思っているらしく、何度も繰り返してハリーに馴れ馴れしくするなと警告してきた。
「ドラ様も抱きついたりしないのですか?」
「当たり前よ。もちろん、主君がそれを望まれるなら拒みはしないけれど」
それを聞いて、ジニーはドラ子が忠義と自尊心によって回りくどいアプローチを考えていることを理解した。要するに、向こうから自分を求めさせようとしているのだ。姑息だ。
「しかし、ハリー先輩は紳士ですので」
「そう。困ったことにね」
残念ながらハリーは紳士なのでドラ子を人気のないところに呼び出して襲ったりはしなかった。そうしたドラ子の失敗から、ジニーは学び、そして不思議な日記と相談しながら戦略を考えていった。
「やあ、ネビル」
さて、ハリー・ポッターはこの頃、湖のほとりで新たな友人作りに精を出していた。
「やあ、ハリー」
彼の名前はネビル・ロングボトム。
極めて地味なグリフィンドール生である。
そんな彼は何故有名人のハリーが毎日自分に声をかけてくるのかよくわからなかった。
「またトレーニングを見ても良いかい?」
ハリーは変わった人で、毎日ネビルの秘密のトレーニングに付き合ってくれた。
時には一緒に走って、汗を流すこともある。
「ネビル、聞いてもいいかい?」
「なんだい、ハリー」
その日も木の棒での素振りを終えてクタクタになったネビルに、そろそろ話してくれるだろうと考えたハリーは質問を投げかけた。
「君はどうして身体を鍛えているの?」
むしろどうしてこれまでそれを聞かないのかとネビルは思っていたのであっさり答えた。
「いざという時のためにだよ」
ハリーはもっと具体的にその理由を尋ねた。
「いじめっ子を返り討ちにするため?」
「まさか」
ネビルは笑ってきっぱり否定してから、少しだけ言いづらそうな口調で説明してくれた。
「僕の両親は死喰い人によって正気を失ってしまったんだ。君の両親と違って、生きてはいるけれど、それはそれで地獄だよ」
ハリーはようやくネビルが身体を鍛え続けている動機を知り、強い親近感を彼に抱いた。
「そうだったのか……」
「あと、僕は魔法の才能に恵まれなかったから、だからせめてこうして身体を鍛えたり、植物の勉強をしようと思ったんだよ」
最初に重い話をしてから笑い話をすることでハリーの気持ちを軽くしてくれるネビルの優しさを感じつつ、もう一歩だけ踏み込む。
「ネビル。君は死喰い人に復讐したいの?」
ネビルは困ったように苦笑していた。
憎しみと怒りが心の奥底に眠っている。
しかし、目の前に両親を廃人にした死喰い人を差し出されたとしても、その首を刎ねることを彼は躊躇するだろうとハリーは思った。
「僕はただ……周りの誰かがパパやママみたいにならないようにしたいだけだよ」
彼は間違いなく高潔だと、ハリーは思った。
あくまでも、自分がしたいことをするだけ。
それが独善であるとネビルは理解している。
「……欲しいな」
「え?」
「いや、なんでもない。鍛錬、頑張って」
ネビルと別れて、城に戻ると一部始終を見ていたドラ子がハリーを待っていた。
「またネビル・ロングボトムですか」
「ああ、すっかり気に入ったよ」
「ですが彼はホグワーツ始まって以来の落ちこぼれで、とても友人として相応しいとは」
「彼は高潔だよ。貴族の君よりもね」
ぴしゃりと言われて、ドラ子は悔しかった。
同じ純血でも、ロナルド・ウィーズリーやネビル・ロングボトムに対する評価と、自分に対する評価が違うのは何故か。不満だった。
「ハリー先輩、少々よろしいですか?」
「やあ、ジニー」
最近、ドラ子が元気ないのでジニーはその原因であろうハリーと少し話すことにした。
ハリーもロンからジニーのことをくれぐれもよろしくと頼まれていたので、こうして話をする機会を得てほっとしていた。
「そろそろ寮には慣れた?」
「はい、おかげ様で」
「礼儀正しいのはドラ子の影響?」
「先輩ですから」
「堅苦しいのは僕、苦手だ」
それなら膝の上にでも座ろうかとジニーは考えたが、やめておいた。ただ少しだけドラ子の言いつけを破って、馴れ馴れしく話そう。
「ハリー、教えて欲しいことがあるの」
「勉強かい? それならドラ子のほうが……」
「ハリーってドラ様のこと好きなの?」
不躾ではあったが、ハリーは特に考える素振りもなく、あっさりと頷いて肯定した。
「うん。好きだよ」
「好きなのに、優しくしないの?」
「状況によるかな」
「なんで?」
「好きな人が大切だから」
その瞬間にジニーは悟ってしまった。
ハリー・ポッターに付け入る隙はないと。
その無念を、日記に吐き出し、書き殴った。
「ご主人さま?」
ある日の晩、夜中に目を覚ましたドラ子が談話室に灯りがついていたので覗いてみると、ハリーが暖炉の前のソファで寝息を立てていた。
起こさないようにこっそりと隣の椅子に腰掛けて、ハリーの寝顔を独占する。
ソファの前のテーブルには何やら本が沢山広げられていて、調べ物をしていたらしい。
ゴースト関連のことを調べていた様子だ。
近頃、ハリーの様子がおかしかった。
管理人のフィルチの猫が石となって発見されたあの日、ハリーの顔色は真っ青だった。
それから何人かの生徒が立て続けに石となり、伝説の秘密の部屋が開かれたのではないかとまことしやかに囁かれ始めた。
秘密の部屋とは、ホグワーツの創立者である4人の魔法使いのうちの1人であるサラザール・スリザリンが残したとされる、彼の後継者にしか開けないという部屋のことだ。
その中には太古の怪物が棲みついており、その怪物が生徒を襲っていると噂されている。
そして名前を言ってはいけないあの人を倒したハリーは、そのスリザリンの後継者候補の筆頭として注目を集めていた。
「ドラ子……?」
ドラ子が本を片付けていると、ハリーが目を覚ました。起こしてしまったこと謝罪する。
「起こしてしまってごめんなさい」
「いや、いいんだ。ありがとう」
何に対する感謝なのかはわからないがハリーは嬉しそうだったのでドラ子も嬉しかった。
スリザリンの後継者であろうと無かろうと、ハリーはハリーであると、安心出来た。
「あの声はいったい何なんだろう」
ハリーは近頃、正体不明の声に悩まされていた。それは他の誰にも聞こえないらしい。
声は壁の中から聞こえて、気になって後を追うとその先で生徒が石になっていた。
すぐに現場から離れたため目撃されたことはないが、ダンブルドアだけは勘が鋭く、ハリーのことを呼び出して尋問を行った。
「何がわしに話したいことはないかの?」
あくまでも人の良さそうな口調ではあるものの、ハリーは直感的に疑われていると察して声のことを話す気になれなかった。
初めて入った校長室での唯一の収穫は校長のペットである、不死鳥のフォークスとの出会いであった。
他は物言わぬ組み分け帽子が鎮座していただけで、試しに被ってみたところ、「君は偉大になれる素質を持っている」などと余計に不安になることしか言ってくれなかった。
魔法界においても自分にしか聞こない声というのは精神に異常を来たす前兆と思われているらしくハリーは誰にも相談出来ずにいた。
仕方なく独りで図書館に通い、声に関係する現象を調べていくとゴースト関連の書籍ばかり該当したのでそれを持ち帰り読んだ。
とはいえ、ゴーストならばこのホグワーツにも何体か住みついているので彼らから話を聞いたほうが早いとハリーは判断した。
ゴーストは死後もこの世界に留まり続けているだけあって個性が強烈で、特にハーマイオニーの紹介で女子トイレに住みつく嘆きのマートルを尋ねた時などはまともな会話すら出来なかった。
トイレの床には古ぼけた日記が落ちていて、マートルに聞くと誰がが投げつけてきたと言って泣き喚いたので、日記を拾いすぐにトイレから出た。
もちろん、きちんとコミュニケーションが取れるゴーストも存在していて、丁度グリフィンドールのゴーストであるサー・ニコラスから話を聞いたその日に、彼は生徒と一緒に石となってしまった。
「ポッター。あまり校内をぶらつくな」
被害が増えるたびに秘密の部屋やスリザリンの継承者の噂が校内を駆け巡り、スネイプ教授もハリーに行動を控えるように告げた。
やはり自分が無意識に石に変えているのだろうかと不安に思ってなかなか寝付けず、談話室で調べものをしている最中に寝落ちしたところで久しぶりにドラ子に癒やして貰った。
彼女だけはハリーが何者であろうとこれまで通り接してくれると感じて、心底安心した
「さあさあ、皆さん! 最近物騒ですからね。自分の身は自分で守れるようにしましょう」
ギルデロイ・ロックハート。
魔法界の有名人の彼は、闇の魔術に対する防衛術の教授として決闘クラブなるものを開いて生徒たちに防衛呪文を伝授した。
「エクスペリアームズ!」
「どひゃあっ!?」
とはいえ、実用的な防衛術を披露したのは決闘相手であるスネイプ教授であり、彼が早撃ちした武装解除術は見事なもので、ロックハートは壁まで吹っ飛ばされて杖を失った。
「今日は調子が悪かったようだ。さあ、皆さん! それぞれ相手を見つけて武装解除を実践しましょう。事故だけは御免ですよ」
存在自体が事故みたいなロックハートは生徒たちにペアを組ませて決闘させた。
しかし、ハリーだけはペアが見つからない。
どうやらみんな、ハリーと決闘して石にされたら堪らないとそう考えているらしい。
「ドラ子。ポッターの相手をしてやれ」
「はい、先生」
見かねたスネイプ教授がドラ子をハリーの決闘相手に指名した。彼女は優雅に礼をする。
ハリーは慌てて、無様な礼をしてしまった。
ドラ子はこの機会に自分が有能であるとご主人さまに見せつけようと、張り切っていた。
「サーペンソーティア!」
ドラ子は速かった。反応が出来なかった。
ハリーが何かするよりも先に、巨大な蛇を作り出して、鎌首をもたげで周囲を威嚇した。
ハリーは敗北感に苛まれつつも、真っ先に蛇に対処した。蛇への対応には慣れている。
『大人しくしろ』
ハリーが命じると、蛇は従順にその場をとぐろを巻いて動かなくなった。
これでひと安心だと胸を撫で下ろしたハリーだったのだが、周囲の様子がおかしい。
「ヴィペラ・イヴァネスカ」
すぐにスネイプ教授が蛇を消してくれた。
すると、緊張の糸が切れたように生徒たちが逃げ出した。安全は確保されていたのに。
ハリーが首を傾げていると、興奮している様子のロンに引っ張られて問い詰められた。
「ハリー。君、パーセルマウスだったの?」
「なにそれ?」
「パーセルタング、つまり蛇語を理解して蛇と話せる人のことよ。サラザール・スリザリンもパーセルマウスだったらしいわ」
ハーマイオニーに補足されて、ようやくそれがどのような意味を持つかを理解した。
この日からハリーがスリザリンの継承者であるという噂は真実味を増していった。
「先程は失礼しました」
「いや、見事な魔法だったよ、ドラ子」
談話室に戻ってもハリーは孤独だった。
スリザリン生は他の生徒ほどハリーのことを恐れてはいないが、代わりに畏れていた。
親しげに声をかけてくれる者はおらず、ドラ子も畏った口調でハリーに接してくる。
「もしかしたらとは思いましたが、まさか本当にパーセルマウスとは」
「まさか、試したの?」
「スネイプ教授からも蛇を出して様子を伺うように言いつけられておりましたので」
どうやらスネイプ教授とドラ子はハリーがパーセルマウスかどうか確認したかった様子。
だったら蛇と話せるか聞いてくれたら良かったのにと、ハリーは少しだけ腹が立った。
「おかげで僕は完全にスリザリンの継承者扱いだよ。これからどうするのさ」
「よろしいではないですか。例のあの人をも退けたスリザリンの継承者。これで誰も、貴方様に逆らうことは出来なくなるでしょう」
ハリーはガッカリした。ドラ子はルシウス氏と同じくハリーにこの学校を支配させようとしている。その事実が無性に虚しかった。
「ドラ子。それに何の意味がある?」
「純血の一族の地位が高まります」
「それで誰が喜ぶ?」
「私の父はとても喜びます」
たしかにルシウス氏は大喜びだろうが、その先のことを考えていないように思えた。
「僕だって混血だ」
「それは、そうですが……」
ハリーにはマグル生まれの母親の血という覆せないものがあり、そしてダドリーという従兄もいる。少なくとも、ダドリーを襲撃して魔法で宙吊りにしようとは思えなかった。
「T.M.リドルか……」
この頃、謎の声も含めていろいろ考え事が多いハリーは情報の整理もかねて書き出そうと思い、丁度マートルに投げつけられた日記があったのでそれを使うことに決め、ついでに中身を調べてみた。
表紙に持ち主の名前が書かれている以外は何も手がかりらしきものはなく、日付けから50年以上前のものだとわかったが、肝心の中身が何も書かれていなかった。
途中で飽きて書かなくなったならばまだしも、最初から白紙なのを奇妙に思いつつも、ハリーは秘密の部屋に関する疑問を書いた。
「あの声は、なんなのか……恐らく蛇だ」
なんとなく、蛇であることは察していた。
パーセルマウスは希少で、校内でハリー以外に蛇と話せる者が存在しないからである。
だからあれは蛇の声だろうと断定出来た。
そして生徒が襲われていることから、それが秘密の部屋の怪物であると推察出来る。
「蛇の怪物。人を石に変える力を持つ……」
その推理をハーマイオニーに明かすと、すぐに該当の怪物を突き止めてくれた。
彼女はなんでも知っている。マグル生まれでもハリーの学年でもっとも優秀なハーマイオニーはそれを『バジリスク』だと断定した。
「バジリスク……蛇の王」
バジリスクは眼から即死の効果を持った光線を出せるらしく、まさしくひと睨みで獲物を絶滅させることが出来ると言われている。
しかし生徒は石になっただけ。死んでない。
「リドル……君は何か知ってないかい?」
日記に問いかけるも、日記は沈黙していた。
「ハリー、大変よ!」
しばらく襲撃が起きずに、ネビルのトレーニングに付き合うなど平和な日々を送っていたハリーであったがある日、盗難に遭った。
ハリーの部屋と持ち物は無惨に荒らされていて、そしてあの日記が消え去っていた。
ハリーは焦った。
あの日記は便利な代物で、ハリーが情報を記すとインクを吸い込み、文字が消える。
そして以前に書いたことを思い出そうとすると、また文字が浮かびあがるという便利な機能があった。だから中身を読まれる心配はないが、それでもハリーにしか知り得ない情報が書いてあったことは事実であり、たとえばダンブルドアあたりに読まれれば、ハリーの立場が危うくなる危険があった。
とはいえ、部屋の様子を見るにこれをダンブルドアがやったとは思えず、あの老人ならば痕跡すら残さず、なんなら盗んだ日記の代わりを用意してハリーに盗られたことを悟らせることすらしないだろう。
この荒らし様を見るに、犯人は余程焦っていたか、はたまた思慮を持ち合わせていない人物の犯行と思われた。まるで散らかった子供部屋のようだ。
「日記がないけど、たぶん大丈夫」
「そんな、ご主人さまの日記を盗むなんて」
「一応聞くけど、ドラ子じゃないよね?」
「私だって読む前に盗まれて怒ってます!」
その反応を見るに日記について知ってたら盗み見ていたと白状したドラ子に苦笑しつつ、彼女だけは信用出来るとハリーは安堵した。
「ポッター、来たまえ」
その日、空を飛ぶ相手との戦闘を想定して、ロンとハリーは箒に跨り空中からネビルに対して攻撃を仕掛ける訓練をしていると、突如、厳しい顔をしたスネイプ教授がやって来てハリーを連行しようとした。
「ハリーは別に校則を破ってない!」
「ロナルド・ウィーズリー。お前も来い」
抗議するロンまで連行されて、独り取り残されたネビルは寂しそうに素振りを続けた。
「どうしたんですか、スネイプ先生」
「見ればわかる」
ハリーとロンを連れたスネイプ教授は医務室へと向かい、そこで寝台に寝せられた新たに石となった生徒を見せた。ロンが叫んだ。
「そんな! ハーマイオニー!?」
石になったのはハーマイオニーと、そして。
「ドラ子……君まで、どうして」
石になったドラ子を見て、ハリーは愕然となった。そして確信した。自分ではないと。
たとえ無意識下であっても自分は絶対にドラ子を石にすることはないと断言できる。
ハリーではない。他の何者かの犯行だった。
「ドラ子の父親はこの学校の理事だ。そしてウィーズリー。君の妹が行方不明となっている。ダンブルドア先生は事態の責任を取り、ホグワーツを去る」
ダンブルドアが居なくなる。それはホグワーツが安全ではなくなるということだ。
しかし、ダンブルドアが居たにも関わらず、何人もの生徒が石となり行方不明となってしまった事実は変わらない。責任は免れない。
「まもなく、ホグワーツは閉鎖されるだろう。それまでは大人しくしていろ」
スネイプ教授はそう言って立ち去った。
ハリーやロンがそんなことを言われて大人しく出来る筈ないと知っているだろうに残された時間が残り少ない現実を突きつけてきた。
「ハーマイオニーだけじゃなくジニーまで」
「ごめん、ロン」
ハリーは居た堪れない気持ちだった。
ロンにジニーのことをよろしくと頼まれたのに、近頃は謎の声のこともあって気にかけてあげることが出来なかった。
そしてすっかり冷たくなってしまったドラ子の姿を見て、ハリーは心の支えを失ったかのように気力がなくなってしまった。
そんなハリーの肩を掴みロンが叱咤した。
「しっかりしろ! なんとかしないと!」
「石化ならマンドレイクの薬で治る。でも、行方不明のジニーはどうしようもない」
「ジニーを諦めろって言うのかっ!?」
諦めるしかないのが現実だった。
気にかけてやれなかったハリーにも責任はあるが、今となってはどうしようもなかった。
赤毛の小さなジニー。
ハリーの初めての後輩。
ドラ子と並ぶと白と赤で鮮やかだった。
どうにかしてやりたいけど手がかりがない。
「秘密の部屋の場所さえわかれば……」
ロンの啜り泣きを聞きながらハリーは考えた。日が暮れても、考え続けた。
「ふたりとも、大丈夫だった?」
連行されたハリーとロンが気になって、ネビルが医務室まで探しに来た。ロンに状況を説明されて、なんとか力になりたいと思った。
しかし、魔法の才能も知識も不足しているネビルは、ハリーたち以上に役立たずであった。
「ハリー、そろそろ寮に戻らないと」
消灯時間が迫っていた。これ以上粘っても、教師たちに強制的に連行されるだろう。
考え続けるハリーの手を引いて、ロンが無理矢理立たせようとするその仕草を見て、ふとネビルがそれに気づいた。
「ハーマイオニーが何か持ってるよ」
ハーマイオニーは割れた手鏡を持っている。
ドラ子も同じく、割れた手鏡を持っていた。
そんなことは誰でもわかる。その意味もハリーはバジリスク対策だと理解していた。
鏡ごしや水面ごし、ゴーストごしならば怪物の即死光線を緩和出来るのだろう。
そしてそのことをハーマイオニーがドラ子に伝えた直後に、怪物と遭遇して石化した。
状況からそこまでハリーは推理していたが、肝心の怪物の出現場所がわからない。
「ハリー、ロン。手伝って」
「ネビル、その手鏡はもういいんだ」
「手鏡と手のひらの間に何か挟まっているんだよ! だから外すのを手伝って!」
それはハリーもロンも気づかなかった。
毎日棒切れを振っているネビルだからこそ、何かを握りしめている拳の違和感を感じ取れたのだろう。3人は慎重に拳をこじ開けた。
'' マートル ''
ハーマイオニーが握りしめた紙片には何故かあのマートルの名が書かれており、あの喧しいゴーストがこの一件にどう関わっているのかは定かではないが直接尋ねることにした。
「ロン、ネビル。マントから出ないでね」
一度寮に戻ったハリーは父親の形見である『透明マント』を用意し、夕食の際にロンとネビルと待ち合わせそれを被り姿を消した。
ハリーたちが居なくなったことが発覚すれば大騒ぎになるだろうが、既に夕食の席でホグワーツの閉鎖が副校長から告げられている。
これ以上悪化することはないと判断した。
タイムリミットは今夜。
明日の朝の始発から生徒たちは送り返される。行方不明のジニーを残して、このホグワーツを去ることは出来ない。決意は固い。
しかし、ハリーたちは存在自体がイレギュラーであるあの教師と遭遇してしまった。
「あいたっ!?」
「むむっ?」
その先生は横着しようとしたのか巨大なトランクを沢山浮遊呪文で浮かべて運んでいた。
しかし下手くそなので軌道を読むことは困難であり、ロンがぶつかってしまったのだ。
「そこに居るのは誰ですか!?」
息を潜めてシラを切るが、ロンの頭上にデカいトランクが降ってきて、ぶっ倒れた。
透明マントから飛び出たロンを放置することは出来ず、仕方なくハリーはマントから姿を現した。
「これはこれは、実に怪しいですね」
教師の名はギルデロイ・ロックハート。
へっぴり腰だが、杖を構えた自称・英雄がハリーたちの行手に立ち塞がっていた。
「ロックハート先生」
「やあ、ハリー。良い夜ですね」
ロックハートはいつもの爽やかな笑みではなく、邪悪に笑っていた。まるで後ろめたいことを隠す手間が省けたと言わんばかりに。
「実はスネイプ先生からスリザリンの継承者を探し出して欲しいと依頼されてましてね、丁度、それらしき人物とこうして出会った」
スネイプ先生はハリーを捕まえろとは言っていないだろうに、ロックハートはハリーこそが継承者であると決めつけているらしい。
「ハリー、ハリー、ハリー」
今にも笑い出しそうなのを堪えるかのように、邪悪な笑みを噛み締めるのに失敗したロックハートはゲラゲラ笑いながら宣告した。
「現行犯だ。君を逮捕する」
「先生。僕は何もしていません」
「マントを被って姿を消し、校内を徘徊していたでしょう。それだけで充分、逮捕拘束するに値すると私は思いますがね」
ならばと、ハリーはロンを下敷きにして転がっているトランクを指差して質問をした。
「お言葉ですが先生こそ、こんな大荷物を運んでいるなんて怪しいじゃないですか」
「私は教師だ! 君たちよりも立場が上だ! 私の証言のほうが、君たちより優先される!」
勝ち誇ったようにそう語るロックハートにハリーは反感を覚えた。これまで何度も真実を捻じ曲げてきたことが伺える発言であった。
「君を捕らえて突き出せば、私は真の英雄となれる! 名前を呼んではいけないあの人を退けたスリザリンの継承者を捕らえた、本物の英雄に! さあ、覚悟はよろしいですか!?」
勝利を確信しきっているロックハート。
完全に隙だらけではあるが、既に杖を構えているのでどんなに決闘が下手でも圧倒的に有利であった。そう、相手がハリーだけなら。
「ふっ!」
やれと、ハリーが念じると、透明マントに隠れて密かに忍び寄っていたネビルが、棒切れでロックハートが構えた杖を叩き折った。
「エクスペリアームズ!」
「ぐきゃっ!?」
吹き飛ぶロックハート。しかし、彼は執念深かった。ゴキブリのように床を這いずり、折れた杖で何とかハリーに呪文を撃とうとし。
「オブリビエイト!」
バーン!と大音響が轟き、折れた杖が爆散して呪文が逆噴射して吹き飛ぶロックハート。
「ネビル、無事かい?」
「あ、ああ……大丈夫」
ネビルの無事を確認してハリーは胸を撫で下ろした。今の音を聞いてすぐに教師がやってくるだろう。ロンを起こそうとしたが、トランクの下敷きになって完全に伸びている。
足音が聞こえてきた。マントを被り直す。
ジニーの兄であるロンならスリザリンの継承者と疑われる可能性は少ないとハリーは考え、断腸の思いでその場を離れることにした。
「やあ、マートル」
ようやく嘆きマートルの住処である女子トイレに辿り着き、ハリーは彼女に質問した。
「君に聞きたいことがあるんだ」
「私がどんな風に死んだかについて?」
ハリーは別にマートルの死因が知りたいわけではなかったが、興味ないなんて言えば泣き喚いてまた会話にならなくなると考えて、ひとまず彼女の話を聞くことについた。
「もし良かったら聞かせてくれ」
「やっぱり私に興味津々なのね。いいわ。この前、グレンジャーにも話したけど、改めて話してあげる。50年くらい前に、私はこのトイレの個室で泣いてたの。友達に酷いことを言われてね。そして……死んだの」
マートルは何故か誇らしげに、脈略もなく自分が死んだ時のことを話してくれた。
あまりに端的すぎて、これ以上掘り下げるのは無理がある話だが、ハーマイオニーがこれを聞いて何かに気づき、メモを握りしめていたのならばきっと何らかの重大な事実がある筈だと思い、根気強く追求してみた。
「どんな風に死んだの? 詳しく教えて」
「女子トイレなのに男子の声が聞こえて、そいつに文句を言おうと個室の扉を開けた瞬間、黄色い2つの眼が見えて……それで終わり」
それは間違いなくバジリスクの仕業だろう。
彼女はバジリスクの即死光線の餌食となったのだ。つまり、それが意味するところは。
「このトイレが秘密の部屋の入口なのか」
「ハリー! でもここは女子トイレだ!!」
ネビルが困惑している。ハリーも同じだ。
サラザール・スリザリンは何故女子トイレに秘密の部屋の入口を作ったのだろうか。
「ハリー、もしかしてスリザリンって……」
「ああ、真性の変態だったのかも知れない」
「フハッ!」
秘密の部屋の入口よりもよっぽど深淵なる真相に辿りついて、ネビルは壊れてしまった。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「うるさい! 私のトイレで高嗤いするな!」
スリザリンの愉悦を継承してしまったネビルの哄笑に激怒するマートルを眺めながら、ここにあの潔癖なドラ子が居たらきっと怒り狂っただろうとハリーはそう思い、泣きたくなるほどに彼女を恋しく思った。
ドラ子。君が居ないと僕は、ネビルやロンと一緒に愉悦を分かち合うことすら出来ない。
「さて、ネビル」
「うん。入口を探そう」
一周回って冷静になったネビルと共に秘密の部屋の入口を捜索する。必ずここにある筈。
「マートル、君が死の間際に見たっていう男の子はどの辺に立っていたんだい?」
「そこの手洗い場に居たわ」
マートルから情報を提供されたハリーは手洗い場を重点的に探して……そして見つけた。
「ネビル、ここを見て」
「蛇の彫刻……スリザリンの紋章だ!」
ネビルは驚愕して震える声で事実を認めた。
「そんな……本当に変態だったなんて」
「変態かどうかは今はどうでもいい」
限りなく変態だと思うが、スリザリンの特殊な性癖の解明に関しては魔法史のビンズ先生にでも依頼しておこう。ゴーストの彼ならば愉悦を抱くことなく調査してくれるだろう。
「ハリー、紋章に向けて何か言ってみて」
「えーと、開け!」
「そうじゃなくて、蛇語で命令するんだ」
なるほどとハリーは納得した。うっかりだ。
パーセルマウスだったスリザリンなら蛇語をキーワードにしている可能性が高い。
『開 け』
推察は正しかった。手洗い場が複雑に収納されて、地下に向かう太いパイプが現れた。
秘密の部屋の入口に違いない。滑り降りた。
「行こう」
「う、うん……」
ルーモスと唱えて杖の先に光を灯し、ネビルと共に太いパイプを歩いた。暗く湿ってる。
まさしく大蛇の住処に相応しい陰気なパイプの底には動物の骨が大量に敷かれていた。
「ハリー」
バキバキと骨を踏み締めながら、ポツポツと小さな声でネビルがハリーに語りかけた。
「僕、怖いよ」
「僕だって怖い」
「でも、君は自信に満ち溢れている」
たしかに、ハリーには自信があった。
それは己の力を過信しているわけではない。
では無謀なる勇気だろうか。それも違う。
ハリーはスリザリン生だ。勇気はあるが、それはあくまでも勝算に基づく原動力だ。
「ネビル、君がいるから僕は安心している」
ハリーは独りではなかった。
隣には震えるネビルが居る。
ネビルは努力を重ねている。
ハリーにはない強さを持つ。
ただ彼は自信がないだけだ。
「いざとなったら、君が僕を助けてくれ」
助けてくれと、ハリーに言われた。
ネビルはずっと、誰かを助けたかった。
廃人となった両親のことを救いたかった。
しかし、起こってしまったことはどうしようもなく、この世には手遅れがあると知った。
薬草学を如何に極めようとも、失ったネビルの両親の心までは引き戻すことは出来ない。
だからネビルは身体を鍛えた。
もう二度と、誰かを失わないように。
ハリーも、攫われたジニーだってそうだ。
「うん……僕に任せて」
ネビルはもう震えていなかった。
油断なく、周囲に気を配り、ハリーの背後を守るように慎重に先を目指して進んだ。
「ジニー!」
大きな広間に出た。そこにジニーが居た。
床に横になって、ぴくりとも動かない。
ハリーが駆け寄る。ネビルは慎重だった。
ゴーストのような何かが、そこに現れた。
「ようやく会えたな、ハリー・ポッター」
「君は……?」
「トム・リドルと言えばわかるかな?」
ゴーストのようにぼやけているが、透き通るほどに希薄ではない黒髪の青年。
彼はトム・リドルと名乗った。T.M.リドル。
「まさか、あの日記の……?」
「そうとも、あれは50年前の僕の日記だ」
50年前の人物にしては、彼は若々しい。
せいぜいハリーよりも少し年上くらい。
ゴーストにしては存在感がありすぎる。
「奇妙に思うか? 何故日記の持ち主がこうして実体を得ているのか。そしてその赤毛の小娘が、何故今にも死にそうな顔をしてそこに転がっているのか。知りたいか?」
「ジニーに何をした!?」
ハリーは杖を向けようとして、見失った。
「これは預からせて貰おう」
実体と幽体の狭間のリドルが霞となってハリーの杖を奪い取っていた。彼は敵だった。
リドルはだんだんと力を増しているようだ。
「さあ、ポッター。今こそ全てを明らかにしてやろう。日記だ。過去を未来に伝える日記が、僕を……いや、『俺様』を現在に呼び戻した。その愚かな小娘の魂を生贄としてな」
自らを『俺様』と呼称するリドルの口角が吊り上がり、残酷な笑みを形作り、耳をつんざく甲高い嘲笑が広間にこだました。
「日記……?」
「そう、日記だ」
ジニーの近くに日記が落ちている。
ハリーが盗まれた、あの日記だ。
どうしてジニーがそれを持っている。
「どのような経路で手に入れたのかは知らないが、その小娘はホグワーツに入学したその日から、俺様にいろんな悩みを打ち明けてくれた。偉大なる魔法使いを退けた、ハリー・ポッターに懸想していることも含めてな」
ジニーは日記に己の悩みを吐露したらしい。
ハリーにも気持ちはわかる。自分の頭の中に収まりきらないことや、その時感じたこと、考察、思いなどを日記に書いたのだろう。
「そうして俺様は少しづつ、小娘の心を蝕み、傀儡にして、そして魂を得ていった」
文字通り、ジニーを生贄としてリドルはついに実体を得た。そこまでは理解した。
しかし、その先にある目的がわからない。
「現在に甦って、何をするつもりだ?」
「そうだな。まずは復讐を果たそうか」
「復讐?」
「そう。未来の俺様を退けたお前にな」
「未来の君を退けた……僕?」
「まだわからないか、ポッター? ヴォルデモートは僕の過去であり、哀れな俺様の未来であり、そして再び甦った現在なのだ」
指揮を振るようにリドルが奪ったハリーの杖で中空に自分の名前をフルネームを書いた。
Tom Marvolo Riddle
その文字の順序が置き換わっていく。
I am Lord Voldemort
トム・リドルは、ヴォルデモート卿だった。
「お前が、ヴォルデモート?」
「ほう? さすがにお前は我が名を恐れないか。誰もが恐れ、口にすることが出来ないよう、俺様が自分自身に名付けたこの名を!」
正体を明かしたリドルは不遜なハリーを鼻で笑いながら、自分を退けた要因を尋ねた。
「死ぬ前にひとつ聞きたい、ハリー・ポッター。どうやって僕を、最も力を身につけた全盛期の俺様を退けることが出来たんだ?」
ハリーはあえて包み隠さずに、リドルに取るに足らないつまらない事実を話してやった。
「お前を退けたのは母さんの防衛魔法だ」
「ああ、そうか。ならば、お前自身に何か特別な力があったわけではないのだな? そうだとも。スリザリンの継承者たるこのヴォルデモート卿に匹敵する力などありはしない!」
リドルは意外にも臆病らしく、ハリーに特別は力がないと知って大喜びだった。
だが、馬鹿ではないらしく、防衛魔法がかかったハリーを直接攻撃しようとはしない。
「また火傷する気はないからな。お前は我が忠実なる蛇の王の餌食となって貰おう」
リドルが蛇語でバジリスクを呼んだ。すぐにハリーは目を閉じた。ネビルも目を閉じる。
バジリスクが寄ってきた。一か八か試そう。
『攻撃するな』
「バカめ! バジリスクは俺様の言うことしか聞かん! さっさとやれ! バジリスク!!」
蛇語でバジリスクに命じる。もっと強くだ。
『や め ろ』
攻撃は来なかった。蛇の王がたじろぐ気配。
「馬鹿な!? 何をしているバジリスク!」
蛇の王が命令を聞かないことに憤るリドル。
そしてその時、不思議な音色が聞こえた。
そして何かを引っ掻くような音と、轟音。
薄目を開けると、バジリスクが不死鳥に突かれて、危険なその両眼を潰されていた。
「ええい、役立たずが! 目が見えないのなら音と匂いでポッターの息の根を止めろ!!」
リドルの命令に蛇の王は従わない。
しかし、バジリスクはもう1匹の獲物を見つけていた。じっと好機を伺っていたネビルだ。
「おい、どこにいく! 俺様の命令を聞け!」
リドルの怒声を無視してバジリスクは美味そうな匂いの元へと向かっていく。
ネビルは落ち着いていた。危険な両眼を潰されたバジリスクは、ただのデカい蛇だ。
しかし、有効な攻撃手段を持っていない。
ネビルの魔法などあの硬そうな鱗で弾かれて終わりだろう。出来れば柔らかそうな口腔内を攻撃したい。リーチのある剣が欲しい。
たが、ネビルの手元には古ぼけた帽子だけ。
何処からともなく現れた、あの不死鳥がネビルに渡したこの帽子は組み分け帽子だった。
かつて、ゴドリック・グリフィンドールが被っていたとされるこの帽子なら、きっと。
「来い、蛇の王!!」
ネビルは勇気を見せた。真の勇気を奮う。
音と匂いを頼りにするバジリスクを呼んだ。
ただひとえに、誰かを守ろうとする思い。
その高潔な精神を、組み分け帽子は認めた。
柄に卵ほどの大きさのルビーが付いた、細く鋭い銀の剣。杖ではなく剣で、ネビルは蛇の王を迎え撃つ。グリフィンドールのように。
「リドル、君の負けだ」
「はっ! あんな小僧に何が出来る!?」
「ネビルは強い」
ハリーはネビルを信じていた。本人よりも。
蛇の王の攻撃を掻い潜り果敢に剣を振るう。
一進一退の攻防を繰り広げているネビルに、さすがのリドルも認識を改めて戦慄した。
「そんな馬鹿な……年端もいかぬ餓鬼が両眼を潰されたとはいえ、バジリスクと渡り合うなどありえん! あの小僧は何者だ!?」
「彼こそが、グリフィンドールの継承者だ」
グリフィンドールの継承者。
ハリーはネビルをそう評した。
その認めたくない事実を、スリザリンの継承者たるリドルは否定したくても、出来ない。
「バジリスクだぞ! スリザリンが残した、この学校を支配するための最強の怪物が!!」
一閃。長い毒牙を、ネビルが切り払った。
言葉を失うリドル。ハリーは動いた。
毒牙を拾い、そして日記に突き刺した。
ザクッ!
「ぐあっ!?」
突き刺した穴から大量のインクが溢れてくる。まるでリドルの血のように。ハリーは何度も何度も、毒牙を深く深く日記に刺した。
「ポッター! これで終わりと思うなよ!?」
「何度でも何度でも、返り討ちにしてやる」
真っ赤に光る、蛇のように執念深いヴォルデモートの視線と、ハリーの母親が遺したエメラルドの視線が絡み合う。崩壊するリドル。
「あがっ!? ああああ、あああああっ!?」
断末魔をあげて爆散し、そして、奪われていたジニーの魂は持ち主の元へ戻っていった。
「ハリー……ジニーは無事かい?」
リドルとハリーの戦いが終わるのと同時に、バジリスクとネビルの戦いも終わった。
倒れ伏すバジリスク。しかし代償は大きい。
「ネビル!」
ネビルは腕を毒牙に深く貫かれていた。
蛇の王の皮膚は想像以上固く、厚かった。
だから致命傷を与えるためには口腔内から剣を刺すしかなくその際に牙が腕に刺さった。
「ああ、ネビル! そんな!?」
「ハリー……ジニーは?」
「ジニーはもう大丈夫……でも、君が……!」
今にも死にそうな顔をして、ジニーの身を案じるネビルは泣きたくなるほど高潔だった。
死なせたくないとハリーは思った。願った。
「だめだ! 死ぬな、ネビル!!」
「ハリー……信じてくれてありがとう」
「いくな、ネビル! 僕には君が必要だ!」
ハリーは必死だった。引き裂かれそうだ。
ネビルを失えば、そう遠くないうちに自分も死ぬと直感的に理解していた。何よりロンも、ハーマイオニーも、ドラ子すらも喪う。
「ネビル・ロングボトム!!」
自分と似た境遇を持ち、それでも復讐に囚われないこの友は、ハリーの心の支えだった。
ハリーはネビルを信じていた。バジリスク相手でも無傷で勝利出来ると。しかし、彼はまだ若く、幼かった。あと少し、身長が高ければ。あと少し、腕や足が長かったならば。
ハリーは見誤ったのだ。ネビルの実力を。
だから、ネビルは死ぬ。ハリーのせいで。
ハリーが死地に送り出した。そして死ぬ。
「フォークス!!」
哀しい歌を歌う不死鳥に向けて叫ぶ。
ダンブルドアが送ってきたのだろう。
あの老人なら、全てお見通しの筈だ。
「ネビルを救え!!」
フォークスは降りてこない。
蛇じゃないから蛇語も通じない。
本人の意思が必要だ。ネビルに懇願した。
「頼む……ネビル。生きたいと願え」
「ハリー……僕はもう」
「いいから……僕のために、生きろ」
掠れゆく意識の中で、ネビルは願った。
ハリーのために、死にたくないと。
フォークスが降りてきた。不死鳥は本当に必要な時にしかやってこない。そしてネビルの傷を癒やしてくれた。融通の効かない鳥だ。
「以上です、ダンブルドア先生」
「ご苦労じゃった、ハリー」
秘密の部屋から帰還したハリーはホグワーツに舞い戻ったダンブルドアに全てを語った。
ネビルが危うく死にかけたこともあり、ハリーは内心穏やかではなかった。
「今回は本当にギリギリでした」
「前回もそうじゃったのう」
こっちは死ぬ思いをして来たというのにダンブルドアは涼しい顔をしている。
そして教育者として、教訓を生徒に刻む。
「今回、君は大事な友達を失いかけた。どうしてそうなったか、理解出来るかの?」
「校長先生のペットの性格が悪かったので」
ハリーが止まり木で羽根を繕っているフォークスに視線を向けつつ皮肉を口にすると、ダンブルドアは愉快そうに笑って付け加えた。
「ペットは飼い主に似るからのう」
「ええ、本当に」
なんならフォークスに掴まりダンブルドアが来てくれたらあんなにギリギリの戦いにはならなかった。そうしなかったのはひとえに。
「校長先生の思い通りに踊れましたか?」
「思った以上じゃよ、ハリー」
やはり食えない老人だとハリーは思った。
あのままネビルが死に、その喪失すらもハリーに対する教育で済ませそうで恐ろしい。
「君は今回、友の力を見誤った」
「はい、先生」
「むざむざトムに杖を奪われた」
「はい、先生」
「結果として大切な友を喪いかけた」
あくまでも、ネビルが助かったのはフォークスとそしてダンブルドアの慈悲であると、言外にそう告げられた。反論は出来なかった。
「みっともなく泣き喚いても、力を振り翳しても、それで解決する問題だけではない」
それでもそうすることしか出来なかった。
そうならないようにしようとしても、そうなってしまえばどうすることも出来ない時がある。
「理不尽です」
「左様。この世は理不尽で溢れておる」
リドルもバジリスクも不死鳥も、校長も。
全てが理不尽でハリーの敵で、敵わない。
ハリーには勝てない。負ければ友を喪う。
「備えるのじゃ、ハリー。ネビルに目をつけたのはさすがじゃ。君の目に狂いはない。しかし、先を見過ぎるあまり目の前のことを疎かにしてはならん。友に期待しすぎることも禁物じゃ」
悔しいなら、喪失が怖いなら、備えなければならない。ヴォルデモートの襲撃は続く。
友に期待しすぎるなとダンブルドアは言う。
妙に実感がこもっていて、自分自身の失敗談か、もしくは歴史的な裏付けがあるのか。
「グリフィンドールとスリザリンも互いに期待しすぎた結果、破綻したのでしょうか?」
「その可能性は大いにある。彼らは仲違いする前は唯一無二の友じゃったからのう」
グリフィンドールの剣に視線を落として、ダンブルドアはハリーの考察を肯定した。
ハリーとしては、女子トイレに通うスリザリンにグリフィンドールが不信感を募らせたのではないかと思うのだが、真相は誰にもわからない。
「ルシウスさん」
校長室から出たハリーが医務室へと向かうと娘の見舞いに来たルシウス氏と遭遇した。
「この日記は貴方の仕業ですね?」
「そんなものは知らん」
リドルはあの怪物をホグワーツを支配するための生物だと口にした。そしてルシウス氏もホグワーツを支配するように言っていた。
偶然にしてはあまりに出来すぎた話だ。
「貴方は今回、自分の娘も危険に晒した」
「私にはそんなつもりは……」
「ルシウス・マルフォイ」
この場には彼を庇う優しい娘はいない。
「目的を求めるあまり過程を疎かにするな」
それはハリーが1学年において賢者の石を巡ってヴォルデモートと戦い、校長に言われた訓告だった。ハリー自身の戒めの言葉だった。
「覚えておいてください」
「悠長なことを言ってられるのも今のうちだポッター! 君は焦らなければならん!!」
ルシウス氏は怯えていた。そして必死だ。
「あの方が力を取り戻せば、こんなものでは済まなくなる! にも関わらず、お前は強大な力を我が物としなかった! あの方に対抗する強大な力を何故得ようとしない!?」
ルシウス氏もドラ子を守ろうとしたのだろう。他はどうなってもいいから、ドラ子だけは救おうと足掻いているのだろう。きっと彼はヴォルデモートの力が増していることを知っていて、だから無茶な手段に打って出た。
「僕は僕のやり方でドラ子を守る」
「何も知らない若造が……!」
ルシウス氏が杖を抜いた。ドラ子を彷彿とさせる速技だ。やはり彼女の父親だと思った。
「エクスペリアームズ!」
だが、もう目が慣れた。なんならドラ子のほうが速かった。ルシウス氏の杖が飛んだ。
倒れ伏すと背後にスネイプ教授のむっつり顔が見えた。教授は鼻を鳴らして立ち去った。
ダンブルドアもあの人くらい過保護ならもう少し命の危険が減るのにとハリーは思った。
「やあ、ドラ子」
這々の体で逃げ出すルシウス氏を見送ってから、ハリーは目的のドラ子の見舞いをした。
マンドレイクの薬が完成したらしく、ドラ子の石化は解けて、隣のベッドでは頭に大きなたんこぶを作ったロンが、同じく石化が解けたハーマイオニーを見舞っていた。
「お父様と喧嘩したの?」
「そうだね。嫌われてしまったかも」
廊下での戦闘の音は聞こえていたらしく、心配そうなドラ子に嘘はつけなかった。
今回起こったことと、その原因がルシウス氏の暴走にあることを包み隠さずに伝えた。
「お父様、話せばわかってくれるわよね?」
「もちろん。僕はそう信じてるよ」
嘘ではない。だからドラ子も信じてくれた。
「おチビ……ジニーは無事なの?」
「ああ、無事だよ。すぐに目を覚ますよ」
「そう……」
ハリーはジニーがドラ子のためになると考えていた。ハリーにとっても初めての後輩である彼女ならばきっとドラ子を変えてくれる。
すぐにジニーが目を覚まして、謝りにきた。
「申し訳ありませんでした」
「まったく、困った子ね」
ハリーはドラ子がどんな反応をしても対応出来るように身構えていたが、杞憂であった。
「ジニー・ウィーズリー」
「は、はい!」
凛とした声で名を呼ばれ、灰色の冷たい瞳に見つめられて、ジニーは処罰を覚悟した。
しかし、ドラ子はふっと笑って、赦した。
「私の妹になりなさい」
「妹、ですか?」
「スリザリンは家族よ。困った妹の面倒を見るのは、お姉さんの務めなんだから!」
「はい、お姉様!」
スリザリンは本当に素晴らしい寮だと思う。
お姉さんぶるドラ子はとても魅力的で、ハリーもジニーと同じく年下に生まれたかったなどと、馬鹿みたいなことを思ってしまった。
願わくば、この姉妹がずっと仲良しでいられるように、ハリーは備えようと決意した。
【ハリー・ポッターと赤毛のシスター】
FIN
" ヴォルデモートは、
僕の過去であり、
未来であり、
そして現在なのだ。
……ハリー・ポッターよ “
ーー トム・マールヴォロ・リドル ーー
かっこいいですね。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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