高森藍子「加蓮ちゃんたちと」北条加蓮「生まれたてのカフェで」 (45)

――ちいさな建物の前――

車が止まり、エンジン音が切れた途端に私の右隣でずっと足をバタバタさせていた子――入院中の子その3・そーちゃんは扉へとタックルを仕掛けて飛び出した。
慌てて追いかけようとしたら、それよりも早く運転席の看護師さんが飛び出していた。ドアの閉まる風圧が二重に起きたと思うとあっという間に首根っこを掴んでいて、お説教を始める怖い顔と、知らん顔でそっぽを向くそーちゃん。
普段の関係がなんとなく見えてきて、それは私の中で知らないと知ってるがゴチャ混ぜになる物で。

変なの、

と笑ったら、私の左隣にて膝と手を合わせて行儀よく座っていた子――入院中の子その2・しろちゃんが、ぼんやりと私の顔を見上げた。

「ううん、なんでもない。さ、行こっか」

今日は12月25日。ポケットの招待状に導かれて、ちいさな祝福の元へ。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1608896517

レンアイカフェテラスシリーズ第147話です。

<過去作一覧>
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「膝の上で」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「最初にカフェで会った時のこと」

~中略~

・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「お届けするカフェで」
・高森藍子「加蓮ちゃんが忙しい日の、いつもではないカフェで」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「あしあとを追いかけたカフェで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「昼下がりのカフェで」



※このお話は、以下の過去作を読んで頂いてから進まれることを推奨します。

第40話『北条加蓮「藍子と」高森藍子「瑞雪の聖夜に」』
北条加蓮「藍子と」高森藍子「瑞雪の聖夜に」 - SSまとめ速報
(ttps://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1482571837/)

第41話『北条加蓮「藍子と」高森藍子「膝の上で よんかいめ」』
北条加蓮「藍子と」高森藍子「膝の上で よんかいめ」 - SSまとめ速報
(ttps://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1483090417/)

第99話『北条加蓮「藍子と」高森藍子「灰を被っていた女の子のお話」』
北条加蓮「藍子と」高森藍子「灰を被っていた女の子のお話」 - SSまとめ速報
(ttps://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1577176009/)


※いつもの2.8倍くらいの分量があります。ごゆるりとお読みくださいませ。

「じゃあ私、先に入って藍子に知らせてくるから――」

と言ったら、看護師さんが左手で私の額をはたいた。

「った……。何よ」
「何よ、じゃないの。加蓮ちゃんも、招待状を受け取った立場でしょう? みんなと一緒に入らなきゃ」

ホント、お説教の好きな人。
分かってはいても、普段の人間関係より半歩遠い距離を保ってしまう。苦手意識ってヤツ?
なんて言ったら、藍子にまた怒られちゃうのかな。いつまで嫌い嫌いって言ってるの! なんてっ。

見慣れた病院の制服の代わりに、近くのデパートで目を瞑ってテキトーに選んだような上下服を身に纏う看護師さんは、未だジタバタするそーちゃんの首根っこを掴んだままでいる。
昔は私も、ああしてイタズラしてはつまみ出されてたなぁ……。
鬼のような怖い顔。でも、どこか楽しそう。

「かれんちゃん、かれんちゃん!」

一通り暴れた後、ようやく看護師さんの手から脱出したそーちゃんは短い歩幅を目一杯に駆使し、私の後ろへと駆け込んだ。

ぎゅー

と腰の辺りに抱きついたと思うと、そのまま顔を押し当ててくる。
さっきまで看護師さんに小言を浴びせられ、つんっとした不機嫌そうな顔をしていたことなんて、もう一昨日くらいの出来事だったみたい。
ひとしきり私へのスリスリを楽しんでから、

ぴょん

と後ろへ跳ぶ。髪と首元を完全に隠した、冬ならではのもこもこスタイルでも分かるくらいに、満面の笑み。

「また、かれんちゃんにあえちゃった!」
「ふふっ。また会えちゃったね」

まんまるな目をいっぱいに開いて、口も同じくらい大きく開いて。ほっほっほー! と、クリスマスの合言葉っ。

「かれんちゃん、きょうもサンタさん?」
「ううん。今日は、私じゃなくて、藍子――藍子ちゃんが、サンタクロースなの」
「う~ん……?」
「覚えてくれてた? 藍子のこと」

そーちゃんは小さく頷いた。首を傾げながら頷いたから、斜め下へこくんと垂れ下げる形に。
ゆるめに巻いたマフラーがほどけてしまったから、かがんで巻き直してあげたら、ありがと! と大声で言って、またにぱっと笑う。
少しだけ、周囲の注目を浴びちゃったかも。ま、いっか。

「…………」

私がそーちゃんへと笑い返してあげるのと、ほぼ同時に。
後ろから、くいくい、とロングスカートの端を摘まれる。あ、この格好はビターチョコ風コーデって私が勝手に呼んでるスタイルだよ。しっとりカカオ色のスカートを基本にして、アクセとか髪飾りとかも合わせていくの。ちょっぴりしっとり気味な大人の味。でも、こうしていると私もちびっこになっちゃった気分だから、少し失敗しちゃったかな?

「…………」

振り返ると、そーちゃん以上のもこもこ姿なしろちゃんが、じ、と私のことを見上げてた。
ニット帽は髪を覆うのみならず、おでこを半分くらい隠しちゃってる。
口元まで隠すマフラーと、名前通りの真っ白なセーター。雪でも降れば、妖精に見えちゃうかもしれないね。

瞳の色は、濁った灰色。現実世界に膜をかけて視界をぼやかしたような細目は、中の着色を忘れてしまったガラス細工のようだった。
……彼女は昔の私と同じ。世界の隅にて神様に嫌われて、寂しく生きている。
今日だって、一時退院の許可がギリギリ降りるか降りないか、くらいの不安定な状態だったみたい。
外気温があと2度低ければ許可がもらえなかった、なんて車内で看護師さんが言ってたっけ。

「わたし……」

周りの人達も同情しちゃうのかな。病院の人達が、逆に優しくなってしまったからこそ……。
でもね、私には分かるの。そんなしろちゃんだって、ちゃんと気持ちを持ってる子だってこと。

「わたし、は……はやく、行きたい、ですっ」

右手で私のスカートを摘んだまま、左手を建物の方へと向ける。そのまま腕ごとぶんぶん振り、「あの、あのっ……」と繰り返そうとした。

「うん、そうだね。ほら、そーちゃんも行こっか。今日は、藍子ちゃんがサンタクロースになって、待ってくれてるよ」

私達のやりとりを不思議そうに見つめていたそーちゃんは、やっぱり自信なさげに首を傾げながらも、うんっ、と大きく頷いた。

右手の小指を、しろちゃんにぎゅっと握られ。左手は、先を急かすそーちゃんに引っ張られる。
そんな私の後ろで、看護師さんが小さく笑った。
わざわざ振り返ったりしなかったけど、なんだか優しい表情を浮かべているような、そんな気がした。

住宅地をお散歩すれば10秒に1回くらいは発見できそうな、どこにでもある外観の建物。真っ白な壁と、私のスカートよりは少し甘みのかかった色のドア。そんな建物にも両側のちびっこ2人は歓声を合わせて、今から訪れるクリスマス・タイムに胸を高鳴らせる。
私も、少しだけ楽しみになってきちゃった。
藍子によると、びっくりするほどじゃないけど色々準備してるみたいだし?
何が待ってるのかな、って思うと、気付いたら私が先頭に立ってドアノブを回していた。

「あっ、かれんちゃんずるい! わたし、さきにいくっ!」
「…………」
「しろちゃんも、先に行きたいよねっ」
「は、はいっ。先に行きたい……!」
「じゃあいっしょに行こう! かれんちゃんも、いっしょだよ!」
「……ふふっ。私がズルいって話じゃなかったの?」

そーちゃんってば、私の前に回り込んで反対側のしろちゃんと手を繋ごうとして、そのまま後ろ歩きで建物に入ろうとするから、すごくおかしな格好になっちゃってる。
しかも途中で、あれっ? って首を傾げてるし。このままだと外を見ながら中に入ることになって、扉を開けた先に何が待っているのか見れないって気付いたんだろうね。
慌ててくるっと振り返って。転んだりしないで、ドアの隙間をひょいっとすり抜けていった。
どこかのドジな巫女さんなら、このタイミングで絶対足をもつれさせるんだろうなー、なんて思っちゃった。

「わーっ! すごいっ、すごいっ」

一足先に入っちゃったそーちゃんがぴょんぴょん跳ねてる。私としろちゃんも、手を繋ぎながら後に続く。

建物内は玄関とメインフロアが隔たり無く繋がり、そのワンフロアだけで構成されている状態だった。
最初に目に入ったのは、真正面のモミの木。デコレーションはされていないみたいで、まるで森からそのまま持ってきたような葉色が床の木目と相対している。
向かって左側にはどこか古めかしいレンガを積み重ねて作った暖炉と、薄橙色のマットレス。
右側には、こっちも床に直接座れる状態になっているスペースと、腰ほどの高さの長テーブルが横に2つ。それから、表紙に大きな一葉が描かれた小冊子が、これも2つ置いてある。1組分の座席の向こう、奥側の壁際にはキッチンと言うにはやや手狭なスペースと小さな戸棚、携帯冷蔵庫もあるみたい。シンクの無骨な銀色を目立たせないように、戸棚や冷蔵庫にはクリスマスカラーが着色されてあった。

そして、モミの木の隣に立ち、両手を前に合わせて深々とお辞儀をする1人の女の子――。

「いらっしゃいませ♪ 藍子のちいさな世界へ、ようこそっ」

髪の結び目をいつもより大きく作り、落ち着いた仕草に加えて普段より優しい声。
一応、お仕事扱いってことで目元と唇には軽いメイクを施している。おそらくだけど、この部屋のどこかには録画中のカメラが設置されている筈。と言ってもどこかに公開する予定もないみたいだけどね。
そんなナチュラルメイクは、前掛けに描かれた白ひげおじさんのイラストとトナカイ柄のスリッパによって、遠くから見ていたいと思わせる雰囲気を良い意味で台無しにしていた。

「加蓮ちゃん。それから、そーちゃんに、しろちゃん。看護師さんも。ようこそ、いらっしゃいました♪」
「しょうたいじょうだよ!」「……じ、じょう」
「ふふ、持ってきてくれたんですね。ささやかな場所ですけれど、今日は、ゆっくり楽しんでいってください」

靴を脱ぐのすら惜しげにそーちゃんが駆け込んでいく。自分の身長の2倍くらいは高いモミの木を見上げたと思うと壁際へ走っていき、ひとつひとつの花柄やリースを見る度に胸の奥から気持ちを取り出すような息をつく。
その後を、しろちゃんがちょっぴり必死そうに、小走りで追いかけようとしていた。

まず、靴を――靴紐の部分にちいさなリボンが2つ施されていて、だけど履いてみるとすごく歩きやすく疲れにくい、寿命も長いことで有名なブランドの靴を、ていねいに脱ぐ。
ちなみに元は藍子が教えてくれたブランドのなんだよ。リボンは1つだけどね。もう1つは……ふふっ。さあ、なんでしょうか?

靴を脱いだら、靴下越しにぺたぺたと足音を立てながら、そーちゃんを追っかけていく。でもそ―ちゃんの方が好奇心の移り変わりが早くて、次から次へと新しい物を見つけては走って行っちゃうから、歩幅がより狭いしろちゃんでは追いつけない。頑張って、ぺたぺた、ぺたぺた、と追いかけていって。息を荒くしたところで、ようやくそーちゃんが立ち止まった。

「しろちゃん、みてみて! すごいねっ」
「……で、ですっ」

今度はそーちゃんから、しろちゃんへ駆け寄ってあげる。壁の飾りを指差してゆきながら、2人で頷き合う。

「ふふ♪」

そんな2人を見守っていた藍子は、ふと、視線をゆっくりこちらへ戻した。こちら……というよりは、私の斜め向かい側へ。

「看護師さんも、どうぞ。入ってください」
「え、あぁ……そうだったわね。お邪魔します、藍子ちゃん」
「はいっ」
「……どしたの? らしくもなくポカーンとして」
「ついつい、2人のことを見ちゃってたから……。加蓮ちゃんのこと、あれこれ言えないわね。今日は私も、招待状をもらった身だってこと、すっかり忘れちゃってたわ」

肩をすくめる看護師さんへと、藍子は嬉しそうに頬を緩めた。
私もたぶん、同じように笑っていて、そして同じように、招待状をポケットに入れていることを半分忘れて、そーちゃんとしろちゃんのことを見守っていた。

ちびっこ'sの興味は壁際の飾り付けからレンガのインテリアへと移り、暖炉の形に組み立てられた中を不思議そうに覗き込む。お尻をふりふり揺らしながらどうにか入り込もうとするそーちゃんを、しろちゃんが一歩離れた位置からぼんやりと、だけどはっきり好奇心を表情に出して眺めていた。

「いつものカフェのマネ?」
「はい。やっぱり、思いつくのはいつもの場所でしたから……。あっ。店員さんには、真似してもいいですか? って、ちゃんと許可をもらったんですよ」
「いやそこは気にしてないから……。でも、こっち側はちょっと違う雰囲気だよね」

向かって左側の暖炉っぽいインテリアやマットレスは、いつものカフェのくつろぎスペースそのもの。冬になったら現れる暖炉ストーブ――昔っぽい家具と現代の道具を合わせたアイディアインテリアに、座り込むとそこがカフェであることを忘れてしまうほどゆっくりできる空間に、とてもよく似ていた。
だけど反対側のテーブルや、そこに敷かれたテーブルクロス、メニューの柄は、カフェで見る物とは少し違う。
そして、雰囲気も。こっちは藍子の言う「ちいさな世界」って感じ。

「少しだけ、私っぽさを出したいなって思ったんです。だから、半分は真似で、半分は私オリジナルなんですよ。くつろいでもらいながら、クリスマスのわくわくも味わってほしくて、いろいろ工夫したつもりですっ」
「…………」
「どうですかっ?」
「藍子。……インテリアコーディネーターとかも向いてるんじゃない?」
「えへへ……。カフェ限定かもっ」

いつかそういう企画でも提案してみよっかな、なんて思って、連鎖的に書き慣れた手書き版企画書やそれについて話し合うモバP(以下「P」)さんの顔とかを思い浮かべていると、看護師さんからまた頭をはたかれた。

「あたっ」
「加蓮ちゃんは、本当、すぐに自分の世界に入っちゃうんだから。藍子ちゃんも、苦労させられてるんじゃない?」
「……はいっ。実は、そうなんです。加蓮ちゃん、いつもマイペースで、自分の世界を大切にしていて――」
「それは藍子でしょうがっ」

なんて、いつもの調子で言っちゃったら、暖炉に頭を半分ほど入ってたそーちゃんがビクッてなっちゃった。

「っと。……それはいつもの藍子でしょ」
「えへっ。そんな加蓮ちゃんと一緒にいるのが、好きなんです」
「そう――」

後半は、看護師さんへと向けられた言葉。確認かもしれないし、独り言のようなものかもしれない。
看護師さんはそれ以上、野暮な追及を続けたりはしなかった。
代わりに室内をゆっくりと見渡して――壁の角から天井の端、テーブルの色まで全部、見通すような目で。藍子が、少しだけ緊張に身を縮こませる。

「ごめんなさいね、そういうつもりではなくて……。これが加蓮ちゃんの好きな場所だなって、ちょっと思っただけなのよ」

私の好きな場所。藍子と穏やかな時間を過ごすカフェ。
……今でも当然、看護師さんを入れてあげるつもりなんてない。聖域に踏み入るなっ、なんて言葉は、決して全部が冗談という訳ではないのだから。
そんな意地が、つい、背中を押し出したいなんて天邪鬼な衝動を生み出す。
けどさすがに、看護師さんだけを冷たい冬の風景へ追いやったりはしなかった。

半分が模倣、半分が優しさ。
この世界にいさせてあげるのは、あくまでも藍子が作った場所だからね?

心の中でそう唱えていると……ジト目が、2人分。

だからなんで私の周りにいる人達はこう、Pさんもだし、最近はアイドル仲間もそうなんだけどっ。人が内心で思ったことを、簡単に見透かしてくるかな!

「そーちゃん、しろちゃん」

冷たい視線の範囲外へ、小走りで。

「探検ごっこは、そろそろおしまいに――ううん。後でまたやろうね。サンタさんな藍子ちゃんが、何か用意してくれているみたい。一緒に、もらいに行こうよっ」

暖炉から頭を引っこ抜いたそーちゃんが、はいっ! と行儀良さげに返事すると、しろちゃんも、無言だけど、こくんと頷いた。
このまま自由に楽しむ時間を過ごして、楽しかった1日にしちゃってもいいんだけどね。
誰かさんが用意してくれたことを無碍にするのも、なんだか悪いし? なんてっ。



□ ■ □ ■ □


高森藍子ちゃん、試練の時!

「…………」
「…………」

……なんて大げさに言ってみたけど。とはいえ、目の前の光景は大げさなキャッチコピーよりも言葉にしにくい、奇妙なものだった。
藍子が両手を前に揃えて立っている。
そーちゃんが向かいに立ち、全く同じポーズを取っている。
お互いに何も言わない。
藍子は店員さんが注文を待っている時のように佇んでいるし。
そーちゃんは医者が病状を伝えるのを待っている時のように少し緊張気味。

「……そ、そーちゃん」

先に口火を切ったのは藍子だった。
声が明らかに震えているのが感じ取れて……あぁ、そっか。これは逆みたい。
緊張しているのは藍子の方だね。

「私のこと……分かりますか?」

かつて藍子と2人で病院へ向かい、そーちゃんと再会した時に、「しらない!」と言い放たれた藍子。
ここへ来る途中も、藍子の名前を出してもピンと来ていない様子だった。
さあ、今のそーちゃんの答えは!

「えっと……ええっと……だ、だれだっけ?」
「うぐっ!」

藍子の身体が「く」の字に曲がった。前掛けの白ひげおじさんがくしゃりと歪み、鼻とひげの次にお腹が位置するヤバいアートみたいな状態になってしまう。
これは、ちいさなクリスマス会が打ち切りになっちゃうんじゃ――

「あっそうだ! おもいだした、あいこちゃん! わたし、おもいだしたよ!」
「……!!」

パッションアイドルらしく、ぐっ! とガッツポーズをしてみせる藍子。過去1番のドヤ顔だったかもしれない。
それにしても、8歳の女の子に振り回される16歳……。改めて考えると、うん。……やめとこ。

「…………」

あいこちゃん、という名前を聞き、しろちゃんが顔を上げた。半歩ほど前に出たと思ったら1歩下がり、私の足へとしがみつく。

「そうです!」
「うん。そーちゃんですよねっ」
「あれ? あいこちゃんも、そうじゃないの?」
「……??」
「あれっ?」

全く噛み合っていない会話に、また、しろちゃんが半歩前へ。かと思えば1歩下がって私の足へしがみついての繰り返し。
一応、しろちゃんも藍子の顔を見るのは初めてじゃない筈なんだけど……。
そんなに怖い顔ってこともないだろうし。背丈だって私と同じ。前掛けの白ひげおじさんが怖い……ってことは、多分ないと思う。

「ほわ~っ」
「……?」
「えっとね。しろちゃんが、こんなかおをしてテレビを見てるの! ほわ~っ」
「しろちゃんが……」
「だよねっ」

そーちゃんがくるりと振り返る。しろちゃんはいつの間にか、私の足から手のひら分くらい離れていた。ぼんやりとした顔つきで藍子を見上げて、口を小指くらいに開いて……。
確かにこう、なんというか「ほわ~」って顔をしていた。
私達にとってはすごく馴染みのある表情、ってことはこの子もしかして――

「……藍子のファンになってたりする?」

背後で、看護師さんが苦笑を漏らした。
とてもとても困ったような顔だった。

「そ、そうなんだ……」

藍子もまた、瞳に困惑を滲ませ私を窺う。何の気まずさなのか分かっていないそーちゃんだけが、私達の顔を交互に見ていた。

「……藍子ちゃんがテレビに映ると、ずっとそこから離れなくなるのよねぇ。どこかぼんやりしているのはいつもなんだけど――」

そこまで説明して、看護師さんは気まずそうに視線を逸らす。

「しろちゃん、あれからずっと好きな物探しをしていたみたいなのよ」
「好きな物探し……。前よりワガママになったって聞いたけど」
「そう。でも、藍子ちゃんには特に夢中になっていたみたい。私もね、あぁ、やっと見つけたのかなって思っちゃって。藍子ちゃんのことを調べたり映像を用意してあげたりしているうちに、すっかりファンになっちゃった」
「……じゃあアンタのせいでもあるんじゃんっ」
「仕方ないでしょ、本当にようやくだったのよ。本当にようやく……。夢中になれる物なら、たくさん見せてあげたいじゃない」
「それはっ……」

ふと、過去の記憶が蘇った。……とはいえ映像の端々に罅割れのある、曖昧で、自分に都合良く改竄されているかもしれないワンシーン。
私、病院にいた頃によくアイドルの話をしてた。多分相手はこの看護師さんで、それで……。私はたぶん、そこそこ楽しそうにしてて。看護師さんのことは顔も目も見てなかったから知らなかったけど、あの時の記憶を、肌の感覚で思い出すと……この人は、ひょっとしたら嬉しそうにしていたかもしれない。
世界に幸せを見つけられなかった女の子が、瞳の中に希望を見出した瞬間。
看護師さんにとって、それは自分のことよりも嬉しい出来事だったのかもしれない。

「……しょうがないなぁ」

緊張感が、冬部屋の温かさに緩んでいく。

「それはしょうがないよ。それに、藍子のファンが増えるのは嬉しいことだし。看護師さん、今回は許してあげるっ」
「……そっか」
「? そんなに不思議がることってある? 私だって、自分らしくないこと言ってるなーって思うけど」
「それは……ふふ。加蓮ちゃん、優しくなったのね」
「そうなんですっ。加蓮ちゃんって、すごく優しいんですよ」
「こら、藍子。こういう時だけ急に割り込んでくんなっ」

悔しいって気持ちも、心の片隅にしこりとしてこびり付いてるけど……。それよりも嬉しい気持ちの方が大きい、っていうのが本意だった。
しろちゃんが好きな物を見つけられたことも、藍子のファンが1人増えたことも。

「では、そーちゃん、しろちゃん」

前掛けの白ひげおじさんをスプラッターにしないよう気をつけながら、藍子が2人へと目線を合わせた。

「こちらへどうぞ。今日は、クリスマスですから。おいしいジュースを用意しているんですよ。ほら、こっちに座って……。加蓮ちゃんも、看護師さんもっ」

ちびっこが歩幅を合わせてテーブルにつく。子供が座るのにちょうどいいサイズの座布団が並べて用意してあった……のだけど、そーちゃんはその右隣に座っちゃった。
座布団は、私の顔を見ながらぺたぺたと叩く。

「かれんちゃんは、ここっ」
「ありがとう、そーちゃん」
「…………ここ」
「しろちゃんも、ありがとね」
「これ、あけてもいい!?」

答えを返す前からそーちゃんはテーブルの上の、おそらくメニュー表と思われる冊子へ手を伸ばす。
1ページめくると、ひまわり色の紙に端っこがくるんと丸まった文字で「クリスマスメニュー」って書いてある。
その下には「わくわくするジュース」「クリスマスみたいなジュース」「ちょっぴり大人なドリンク」……。

「いや、どういうメニューよこれ……」
「わくわくするんだって! わたし、これがいい! しろちゃんは?」
「え、と……。クリスマスなジュースが、いいです」
「だってー!」
「ま、待って! わたしも、わくわくするジュースがほしい!」
「だってー!」
「ううんっ、大人なドリンク? っていうのがほしい!」
「だってー! ……えっと、どれ?」
「あらら。出ちゃったわね、しろちゃんのわがまま攻撃」

と、後ろから見守る看護師さん。

「……好きな物探しは、藍子を見つけて終わったんじゃなかったの?」
「あら。アイドルに夢中になってからも、あちこちに好奇心を向け続けていた子が昔いたような――」

罅割れた映像より、やっぱり今が大事だよね!

「じゃあ、わたしはわくわくジュースにするので、しろちゃんとは、後で分けっこしよう!」
「……いいの?」
「だから、かんごしさんは大人のドリンクね! だって、かんごしさんは大人だから!」
「ふふ、そうしましょうか」
「しろちゃんは、クリスマスのジュース! ……あれっ? かれんちゃんのジュースがないよ!?」
「ホントだよー。私のことも招待するってあんだけ言っておいて、ドリンクが3人分しかないってどういうことー?」

テーブルを挟んで向かい側、藍子が困ったように頬を掻く。

「ふふっ。私も大人なドリンクでいいよ。お願いね、藍子」
「……はいっ。では、少々お待ちくださいね」
「しょうしょう!」「……しょう?」
「すこし、待っててね」

……こんなことを考えるとまたポケットの招待状の角張りが気になっちゃいそうだけど、おもてなしをするのって難しいんだね。座布団のことも、メニューのことも。
そして、藍子らしくないミスだなって思ったから、からかったことをちょっとだけ後悔しちゃった。
緊張してるのかな……。私達の注文を受け、キッチンスペースへと向かう足取りも、心なしかレッスン漬けの後を思い出させる。

隣に並んであげて、何かアドバイスをしてあげたい。具体的に思いつかなくても、大丈夫、って声をかけてあげるだけで、心が安らぐだろうし。

「みて、みてっ。つぎのページは、ジュースをのんだ後なんだって! なにが書いてあるんだろ?」
「……だ、だろ?」
「しろちゃんも、気になるよねー?」
「ええと、ええと……」

ページのはしっこに手をかけたり離したりするそーちゃんは、結局ページをめくることはしなかった。

「かれんちゃんも、気になるよねー!」
「うん、気になっちゃうねっ。でも、ジュースを飲んだ後って書いてあるから、今は我慢だよ」
「はいっ!」
「……はいっ」
「ふふ、いい子」

そーちゃんが右手を上げれば、しろちゃんも真似する。肘のところで曲がっちゃった、少し控えめな挙手。
私も真似してあげると、そーちゃんが同じように肘を曲げて、きょとん、と首を傾げちゃった。
一瞬だけ黙り込んで。
あははっ! と、誰からともなく笑い声が起きた。

「お待たせしました♪ ……そ、それはなんのポーズでしょうか」

3種類、4人分のドリンクを運んできた藍子が、ぱちくりと瞬きする。

「はい! のポーズっ」「……ですっ」
「…………?」
「何変な顔してんの、藍子。はいのポーズだよ?」
「……………………??」

深く考えることはやめたみたい。さて、ジュースだけど……。

「まっしろだねっ!」
「はい、真っ白ですよ。クリスマスのジュースは、雪の色。でも、とってもあたたかくしてありますから」
「…………」
「わくわくするジュースの味は、秘密です。しろちゃんも、飲んでみていいからね」
「大人なドリンクは……これ、グレープの匂い?」
「加蓮ちゃんには、すぐにばれちゃいますねっ。グレープを、子どもにも飲みやすいように薄めて、甘くしてみました」

そーちゃんとしろちゃんがテーブル越しにジュースを受け取ってから、残り2人分のカップを手に、藍子がこちらへ回り込んで渡してくれる。
看護師さん用のドリンクは、少し濃い目の色。
……ってことは私はまだまだ子供ってこと? 確かに、看護師さんにはまだ敵わないけどさ。

「藍子が私のことをどう見てるのか、よーく分かったよ」
「まあまあ。大人なドリンクっていうのは――」
「いただきまーす!」「……ま、まーす」
「はい。ゆっくり飲んでください♪ それで、大人なドリンクの、大人という言葉の意味は、」
「うわあ、おいしいっ! すごい、すごいっ」「……す、すごいっ」
「ええと……」

パッショングループではまとめ役になりがちな藍子ちゃんも、子供たちの勢いには勝てないみたい。

「これ……。見た目より、甘い味なのね」

唇の先を濡らすように啜った看護師さんが、少しだけ目を見開いた。

「そうなんです。大人でも、今日は子どもの……クリスマスに、わくわくしたり、サンタクロースを心待ちにしていた頃に戻れるように。そんな想いを込めて、入れさせてもらいました」
「だそうよ? 加蓮ちゃん」
「子供の気持ちに、か」
「加蓮ちゃんも――」

早くもジュースの交換を始め、そしてまた歓声をあげる2人へと、目を遣りながら。

「加蓮ちゃんにも、子どもの気持ちで、楽しんでもらえるといいな……」

――招待状は、4人分。今日の私は、藍子の側ではなくて、そーちゃんやしろちゃんと一緒にクリスマスを楽しむ側。
その言葉の意味が、ようやく完全な形で理解できた気がした。

「かれんちゃんも、子どもなの? わたしとおなじ?」
「ふふっ。そうみたい。そーちゃんと同じだね……」
「じゃあ、これ! かれんちゃんも、これ飲んで!」「……の、のんでください」
「もう。一気に2つなんて飲めないよ。じゃあ……まずはこっちから!」
「わくわくジュースだ!」「……だっ」

レモン色のジュースはひどく薄味で、舌でたっぷり馴染ませることでようやく果物の感じが分かるくらい。それなのに明らかにレモン以外の成分が混ざっている。いつまでも口の中で浸らせていると、そーちゃんも真似をして口にいっぱい含ませて、そのうち息苦しくなっちゃったのか少しだけ溢してしまった。慌てて飲むと今度は咳き込み、看護師さんを心配させてしまう。
はい、どうぞ。そう言って手拭きを渡してあげた藍子は、以外にもあまり焦っているようには見えなかった。

「加蓮ちゃんなんて、お水を思いっきり噴き出したこともありましたから、それに比べれば」
「あら」
「……細かいこと覚えてないけど、どうせ藍子が変なこと言ったとか、そんなんでしょっ」

ホント、変なことまで全部覚えてるんだから。

>>17 下から5行目の一部誤字を訂正させてください。
誤:そう言って手拭きを渡してあげた藍子は、以外にもあまり焦っているようには見えなかった。
正:そう言って手拭きを渡してあげた藍子は、意外にもあまり焦っているようには見えなかった。


「わたし、わくわくジュースがだいすき!」

1度失敗したことはしっかり学習して、しろちゃんと代わりばんこに喉を鳴らしたそーちゃんが、はいっ、と手を上げた。
もちろん、肘のところはしっかり曲げてねっ。

「そーちゃん。口の回りが、レモン色になっちゃってますよ」
「えっ、そうなの? わたし、レモンになっちゃった!」
「……うくっ……」
「藍子ー、見てみてー。私はぶどうになったよー」
「あ、あはっ……。もぉっ……。加蓮ちゃん、変なところ、でっ……もおぉっ……!」
「しろちゃんは、なにになったの?」
「……わたしは、しろな、って、言います」
「んふっ」

藍子がお腹を抱えてあっち側を向くのを、そーちゃんはすごく不思議そうに見ていた。
あとついでに後ろの看護師さんも笑いを堪えていた。肩を震わせる度に何故か私の脇腹をどつきながら。理不尽すぎる。

「かれんちゃん、あいこちゃんがへんになっちゃったよ?」
「しばらくそっとしてあげてね。藍子ちゃんは、たまにこうなっちゃうの」
「そうなんだ!」「……だっ」
「それよりも、そーちゃん。しろちゃん。ジュースを飲んだ後はなんて言うのか、知ってるかな?」
「あっ、わたし知ってるよ! しろちゃんも、知ってるよね?」
「…………、」
「知ってるって! じゃあ、かれんちゃんも、せーのっ、で言おう!」
「いいよ。せーのっ」

ごちそうさま!

……でしたっ。

合わさった声に、少しだけ遅れてついてきたしろちゃんの付け加え。その頃には藍子もどうにか元通りに戻っていて、ほんわかと笑みを……口の端はちょっとだけつり上がっていたけど、とても優しい笑顔で頷いた。



□ ■ □ ■ □


ジュースを飲み終えたら、メニューの次のページへ。予想通り、そこにはいくつかの食べ物の名前と写真が載せられていた。

「あっ、これ見たことある! かれんちゃん、この前たべてたよねっ!」
「んー? うん、食べてたよ」
「すごい、すごいっ。わたしも、たべていいの? かんごしさん、だめって言わない?」
「ええ、今日はクリスマスだから」
「やったー!」

両手を上げてはしゃぐそーちゃんに対し、しろちゃんは顔をメニューにくっつけるほどの近さで写真を見つめていた。

「…………、」
「しろちゃん。しろちゃんは、どれが食べたいかな?」
「あ……。あの、わたし」
「うんうん」
「これが、ほしいです……っ!」

指差したのは2枚重ねのホットケーキ……の写真なんだけど、ちっちゃな指は写真の右端に映る、うさぎ柄のフォークへ向けられていた。

「え、こっちのが欲しいの? ホットケーキじゃなくて……」
「…………!」
「そっか……。藍子、このフォークは用意してる?」
「もちろん、ご用意していますよ。しろちゃん、いま持ってきますね」

程なくして、私の人差し指ほどの長さのフォークを渡されたしろちゃんは、目線の興味を写真から実物へと移す。

じぃ

と、全然喋らなくなってしまった姿に……少し不安そうに、藍子は看護師さんの方を見た。

「大丈夫よ。いつもこうなんだから、ね」

困っているような口ぶりだったけど、やっぱりどこか嬉しそう。藍子も、ほっとした顔になる。

「さて……」

これまでずっと後ろで見守ってくれていた看護師さんが、いつの間にか私のすぐ後ろにまで迫っていた。座っている私の上から、子供に絵本を読んであげる母親のような高い目線でメニュー表を見下ろす。

「そういえば、加蓮ちゃんの好きな食べ物を聞いていなかったわね」
「……病院食は嫌いだけど?」
「嫌いな物じゃなくて、好きな物のお話。あ、ポテトが好きだっていうのは、病院みんなが知っていることだからね」
「あっそう……」
「でも、さすがにポテトを差し入れるのは、病院に勤務する者としてはちょっとね? だから、他の好きな物を教えてほしいな」
「今はヘルシーポテトとか野菜ポテトとかあるんだけど知らないの? そういう思い込みばっかり――」

って、それよりも気になることが。

「差し入れ?」
「そう、差し入れ。頑張っている加蓮ちゃんへ、病院のみんなからのプレゼント。そろそろあげなきゃいけないって思ってたのよ」
「そういうのホントいいってば……」
「看護師さん、ごめんなさい。食べ物の差し入れは、基本的に駄目だってPさん――プロデューサーさんが」
「あら、そうだったのね。藍子ちゃん、今度、加蓮ちゃんの好きな物をこっそり教えてねー?」
「は~い。じゃあ、私も今度、ちいさかった頃の加蓮ちゃんの――」
「そういうのホントいいから!」

カフェの前で話した時の、今回の打ち合わせ? の時もそうだけど、この2人、どこまで私のことを共有してるのよ……!
これが終わったら、たっぷりとっちめてやるんだからっ。……もちろん藍子の方だよ? 看護師さんにはどうせ敵わないし!

ホットケーキやパンケーキといったメニューには、すべて「みに」という言葉がついていた。
たぶん、しろちゃんが渡してもらったフォークと同じくらいの、私なら一口で食べれてしまうサイズ。
そーちゃんとしろちゃんは、まだどれを選ぶか迷っているみたい……というより、ほとんどが知らない名前っぽい。
入院患者にとって、カフェのメニューは全部テレビの向こうの物だもんね。
藍子もそこをちょっと気にしているみたいで、テーブルの下でこっそりメモを取っているようだった。

「かれんちゃん……」

困った顔で、そーちゃんが振り向く。

「うん、いいよ。教えてあげる。そーちゃんは、どれが気になるのかな?」
「じゃあ、これっ。かれんちゃんが、食べてたの!」
「これはパンケーキだよ。カフェに行ったら、まずはパンケーキをくださいって言うの」
「そうなの?」
「そうなんです」
「そうです!」
「そーちゃんだっ」
「そうです!!」

ほっほっほー、に続く私達の合言葉……なんてねっ。
軽くタッチをかわしたところで、次はしろちゃんに聞く番。

「しろちゃんは、どれか気になる物はあったかな? なんでも言っていいんだよ」
「……あの、じ、じゃあ、これ――」
「それはケーキだよ。クリスマスには、みんなケーキを食べ」
「じゃなくてっ、やっぱりこれ!」
「え? そっちは、クレープかな。クレープっていうのはね……」
「ううん、やっぱりこっち!」
「ぱ、パフェはえっと、どう言えばいいかなー」
「えっと、えっと……!」

うん。しろちゃん、あなたは間違えなく藍子ちゃんのファンだよ。メニューを決めるまで1時間もかけるのは、間違えなく藍子ちゃんのファンだよ……。

好奇心が何度も爆発した結果、助け舟を出したのは藍子だった。

「実は、次のページにも用意しているんです。ほらっ」

そこには「♪藍子のオススメ♪」と、クレヨンで書いたような文字が。下には2枚の写真が貼ってあって、片方は2ページ目にもあった"みにホットケーキ"に、たっぷりとシロップをかけたもの。もう1枚は、やはりまるまった文字で「?」と書いてある。
そーちゃんとしろちゃんが、同時に写真を指差した。
そーちゃんは「?」を、しろちゃんはみにホットケーキを。

「これにする!」「……する!」
「は~い。では、ちょっと待っててね」
「はいっ!」「……!」

もしかしたら、こうなるって藍子は予想してたのかな……? 目論見通りにいかないところがあるなら、計画通りになることもあるよね。
藍子はきっと、こうなればいいなって楽しみに思い浮かべながら、この3ページ目を作ったんだと思う。

「なるほど、一部を秘密にすることで興味を惹かせて子供たちをその気に……」
「……看護師さん、ガチ分析は帰ってからやってくれる?」
「あら、ごめんなさい。今はクリスマスパーティーの途中だったものね。それなら、加蓮ちゃんのお話を――」
「それはしなくていいからっ」
「かれんちゃん、おはなししないの?」「……の……?」
「ああもう、えっと、じゃあそーちゃんの話っ! そーちゃんの好きな物の話をしようよ、それでいいでしょっ」

これ以上、暗黒昔話……もとい黒歴史を暴かれる訳にはいかないもんね。特に、キッチンで鼻歌を奏でながら、時折こちらの様子を窺う誰かさんには!

話を逸らせればなんでもよかった。でも脇道の選び方を間違えたかもしれない、そう思ったのは、そーちゃんが例の肘曲げポーズで手を上げて、その手の行き先を失った時だった。

「わたしのおはなし……」

看護師さんも、僅かに険しい顔になる。……病院の患者ならともかく、入院患者は自分の言葉をたくさんは持っていない。
見ている世界が狭く、場合によっては知識も限られる。有り余る時間と幽閉されているが故の好奇心が、その場にいながらも吸収できる知識へと向けられればいいかもしれない。
でもそうじゃない時、辛い現実を突きつけることとなる。
自分探しをした結果、何も見つからず打ちひしがれるのと同じ。

「うんっ。わたし、うたをうたうことがすき!」

だけど、そんな私達の心配を杞憂へと置き去りにして、そーちゃんは立ち上がる。

「あっ、かれんちゃんは知ってるよね!」
「……うん、知ってるよ。歌うこと、楽しいもんね」
「たのしいの! それで、たくさんうたって、わたし、いつかかれんちゃんになるの!」

その言葉を一笑で片付ける人は、ここにはいなかった。病院にもいないといいな、って思う。

「~~~♪ ~~~~♪ ……えへへっ」

私の持ち歌の、サビの終わり際。ワンフレーズだけを口ずさんで、そーちゃんは恥ずかしそうに座り直した。

「あのね、おかあさんの前でも、うたってみたの。そうしたら、おかあさん、すっごくうれしそうだった!」
「そう……なの?」
「それでそれで、いつかはかれんちゃんになれるよ、って言ってた!」
「……っ!」
「それでね、それでね。わたし、うたってもあまりつかれなくなったんだよ。おいしゃさんは、わたしががんばったから! って、言ってた!」
「そっか……!」

布の擦れる音がした。看護師さんが背を向けていた。こちらを向き直した時にはもう、あのふてぶてしさすら感じる作り表情。目が、ほんのちょっとだけ赤くなってたみたいだけど。

「うーん……。でもね……」
「……どうしたの? そーちゃん」
「おいしゃさん、ときどき家にかえってもいいって言うんだけど……。かえっても、たのしくないの。びょういんの方が、たのしい!」

一時帰宅の許可。確かクリスマス会で話した時にも、少し家に帰れるようになってて、おばあちゃんと話したとか言ってたっけ。
だけど病院の方が楽しい……病院の方が楽しい?

「は……???」
「加蓮ちゃん、そこまで怪訝な顔をすることってあるかしら」
「……そーちゃん、頭大丈夫?」
「あたまはわるくないよって、おいしゃさんが言ってたっ」

看護師さんに頭を引っぱたかれた。

実際のところ、実体験と記憶を全て取っ払って考えると、そーちゃんの考えも分からなくはない。

「加蓮ちゃんが最近、よくバラエティ番組に出るものだから。そーちゃん、真似し始めちゃうのよ。お陰ですっかり、手の焼く子になっちゃってねぇ」
「いやそんなこと言われても……。私だって色々やってみたいしっ。いいじゃん、患者さんの本音が聞きたいとか言ってたの看護師さんだし」
「だし!」「……しっ」
「……藍子ちゃんの苦労が分かるわぁ」
「こら、それどーいう意味」

いつ頃からあの個室にいるのかは分からないけど、ずっと居続けることでどんな場所でも自分の居場所だと思ってしまう。小さい頃は、なおさら。
私としては、病院という狭い世界に定着してほしくはなかった。そんな場所を自分の世界だって思ってほしくはない。
だけど、なんて言えばいいのか分からない。
楽しいって言うのなら、その気持ちを否定してあげたくはない――。

「……そーちゃん」
「はいっ」
「きっと……看護師さんやお医者さんも、そーちゃんが歌うと喜んでくれると思うの」
「そうなの?」

だから私は、別のアドバイスをしてあげることにする。

「ううん。そーちゃんが歌うと、みんなが喜ぶ、そんな人になってほしいな」
「……ええっと、わたしがうたうと、みんながよろこぶ人? に、おいしゃさんがなるの?」
「違うよ。そーちゃんが、そうなるの」
「そうなの? それって、かれんちゃんみたいだね!」
「でしょっ?」
「かれんちゃんがうたってたら、わたし、うれしくなるの! あれっ? じゃあ、わたしがうたって、みんながよろこんでくれたら……わたし、かれんちゃんになれるの!?」
「ふふっ、そういうこと。そーちゃんは、賢いんだね」
「おいしゃさんも、そう言ってくれてた! じゃあ、わたし、うたったらみんながよろこぶ人になる! ……えっと、どうやってなればいいんだろ」
「歌い続けていたら、いつか分かるよ。だから――」
「やくそく、だよねっ」
「うんっ」
「ほっほっほー!」
「……ほっほっほーっ」

答えのゴールラインをずらしている間に、藍子がちっちゃなホットケーキと、クリスマスのショートケーキをさらにミニチュアにしたような物を運んできてくれる。

ほっこりとする湯気と、真っ白の隙間から柔らかそうなスポンジの見える三角形。
そーちゃんが、笑い声に引っ張られて「ほーっ!」と変な声を出しちゃった。それで藍子が笑って、ずっと首を傾げていたしろちゃんも、ほんのちょっぴり口元を緩めて。

「これ、おいしい! かんごしさん、これ、ぜんぶたべていいの!? たべちゃだめって、言わない?」
「ええ、もちろん」
「そーちゃんと、しろちゃんが食べちゃ駄目な物は、ぜんぶ調べましたから。このホットケーキも、ショートケーキも、2人が食べられるものしか入っていないんですよ」
「すごーい!」「……い!」
「そして……加蓮ちゃんも。あなたの好きな味は、これで合っていますか?」

子供サイズのフォークは握ることも難しく、まるでマカロンを食べるように口へと運ぶことにした。
歯を立てた瞬間に凝縮された甘みが広がり……だけどサイズがサイズだからか、あっという間に身体の中へと溶けてゆく。舌に残る生地のふんわり感を、大事にしてあげたかった。
ショートケーキは、生クリーム特有の甘ったるさがほとんど感じられない。その代わりに果物的な甘味があって、こちらは一口飲み込んだ後からすぐに食べたくなる。
ジュース、少しだけ残しておけばよかった。そう思ったが矢先に、藍子が1つのカップを持ってきてくれる。
見慣れた漆黒色とほんの少しのクリーム色。今日初めてのコーヒーだった。

「……うんっ。全部、私の好きな味だよ」
「よかった。今日は、加蓮ちゃんも大切なお客さま。そーちゃんや、しろちゃんのことも、大事ですけれど……加蓮ちゃんだって、忘れた訳ではないんですからね?」
「そんなこと言ってないのに、もうっ」
「えへへ」

……少し、ズルいことを思っちゃった。
それだけ藍子は、私のことが好きなんだな……なんて。
今日の主役の2人には、決して言えないようなズルいこと。

心臓の右端に生まれたぬくもりを、そっと抱え込んで。

「そーちゃん、しろちゃんっ。どう、美味しい?」
「すごい、すごい! おいしいっ!」
「…………、!」
「そっか。美味しいね、よかったね……」

キッチンシンクに、水が一滴垂れる音がした。それはカフェで聞く水音と、よく似ている物だった。



□ ■ □ ■ □


意外にも、わんぱくなそーちゃんの方が食べる速度は遅く、逆にしろちゃんはさっさと食べ終えてしまった。
そーちゃんが開きっぱなしにして置いていたメニューの縁へと指をかけ、そ、と少し分だけ……本当にちょっとだけ自分の方へ寄せ、端の写真へと目を落とす。
灰色の瞳が、右へ、左へ。何かを言いかけて口を開いたしろちゃんは、

こてん?

と、小首を傾げた。
顔を上げて見る先は、ふんわり笑顔でそーちゃんの食べ姿を見守る藍子。
しろちゃんの視線に気づき、どうしたの? と声をかける。しろちゃんは無言。再び写真を見たと思えば、藍子へと視線を戻す。

「……、」
「加蓮ちゃん、急かさないであげて?」

助け舟がいるかもと思ったタイミングで、看護師さんに腕を掴まれた。指が食い込む感触が肌を上った時にはもう離されてたけど。

「ん、そうだね。しろちゃんにはしろちゃんのペースがあるよね」
「そう。藍子ちゃんにも、藍子ちゃんのペースがあるように」
「……って、それ私のセリフっ」
「あら。そうだったの?」
「分かって言ってるでしょー……」

静止するタイミングと言い見抜かれることを前提とした作り笑顔といい、本当に、この人を飛び越せる気がしない。

しばらくして――そーちゃんが満足げに「ごちそうさまでした!」と言い放った頃には、しろちゃんは目線の答えを見つけたみたい。
藍子のことを見つめ続ける。
藍子もまた、しろちゃんを見守ってあげて……やんわりと、頬を緩めた。

ファンを見ているアイドルの顔。
好きなアイドルを見ているファンの顔。

さっきとは違う意味での、本人たちのペースを邪魔したくはなかった。

「……看護師さん、しろちゃんはどんな感じ? 元気にしてる?」

聞いてから、我ながら変な質問だって思った。そもそも私は別に、しろちゃんのお姉ちゃんとか保護者とかって訳じゃないし。
なんたって、私じゃなくて藍子ちゃんのファンみたいだし?
とか拗ねちゃうフリをしたら、足元からそーちゃんがてくてくやってきて、だいじょうぶ! って言ってくれた。
うん、大丈夫っ。ちょっとした、ごっこ遊びだもん。

「元気か、と聞かれると……分からない、としか答えられないわね」
「そう……」
「でも、体調はだんだん安定してきてる。やっぱり、指標を見つけると強くなれるのかしらね……」
「それって藍子のこと?」
「あら。ひょっとしたら、加蓮ちゃんのことかもしれないのよ?」

かれんちゃん! と、そーちゃんが呼んだ。なぁに? と笑いかけると、にぱっと笑い返された。

「そーちゃんも、そう言ってるわね」
「いやいやいや」

「……病院、どう?」
「どう、って?」
「それは……。……アンタも、元気にしてた?」

看護師さんはとても嬉しそうに笑う。ぼんやりと泳ぐ視線が、素っ気ない装いのモミの木へと止まる。
そっか、今日ってクリスマスなんだっけ。
さっきまでケーキを食べてたのに、なんだか忘れそうになっちゃってた。
そういえば私、この人と話す時っていつもクリスマスだ。それ以外の用で行くことなんて、もうない。過去とはもう向き合って、振り返る必要もなくなったんだし。

「看護師さんが元気にしてくれないと、そーちゃんやしろちゃんも困っちゃうでしょ」
「私が疲れちゃった時には、加蓮ちゃんに後を任せてしまおうかな?」
「…………、」
「心配してくれてありがとう。私なら大丈夫よ。辛いことや、しんどいことはあるわよ。でも、加蓮ちゃんが頑張っているんですもの……。どうしてそれで、私が折れないといけないのかしらね」

その時、遠くから小さな笑い声がした。
藍子だった。

「ふふ。ごめんなさいっ。加蓮ちゃんと看護師さんって、似てるなぁ……って♪ こんなこと言ったら怒られちゃうのかもしれませんけれど、看護師さんも、加蓮ちゃんのお母さんみたい!」
「…………、」
「わ、わぁっ。加蓮ちゃん、無言でこっちに来ないで~っ。鬼のお面は、節分の日まで取っておきましょう!」
「加蓮ちゃんの母親……か。それはさすがに――」

私の憤怒はともかく、看護師さんまでも暗い顔をするとさすがに藍子も気になったみたい。手を伸ばしかけながらも肩を落とし、謝ろうと口を開いた。
その直前。
私の発言を封じ込める時と、同じようなタイミングで。
看護師さんは、おかしそうに笑う。

「加蓮ちゃんの母親なんて疲れちゃいそうだから、やめておこうかしら」

…………。

「……あ~」
「……藍子? 何ぽんっと手を叩いてんの? その納得は、何への納得なの??」
「藍子ちゃんも分かるかしらぁ。本当、加蓮ちゃんって昔も今も手がかかるばかりなのよね」
「昔はともかく今の何を知ってるっていうのよ、アンタがっ」
「だって私、看護師なのよ?」
「それが何!?」

この人ってこんなキャラだっけ? 冗談で笑えるのはいいことかもしれないけどっ。

「はいっ!」

そして、またまたそーちゃんが唐突に手を上げる。もちろん肘を曲げて……曲げすぎていて、ほんの少しだけ"ぶりっこ"のポーズみたいになっちゃってた。
それでも可愛いのがちょっぴり面白い。さすが、将来私になってくれるって言うだけのことはある。

「わたしは、げんきですっ!」
「そーちゃんは、元気なんですね♪」
「しろちゃんも、げんきです!」
「……す?」
「なんか微妙そうな顔になっちゃってるけど……」

自分の話――しろちゃんにとっては自分の話なのに、なんだか不思議そうな物を見る目。
つい、無意識に看護師さんへと意識を傾けてしまう。そういえばその話だったね。

「ええ、とっても元気よ。元気いっぱいで、いつも藍子ちゃんの出ている番組ばかり見て。消灯時間が近くなったら、いやいやって言っちゃって――」
「……さっきの話となんか違くない?」
「あら。どちらも本当のことよ」
「そんなに、私のことを見てくれているんですね……。しろちゃん、いつもありがとうっ」
「…………!」
「えっ? ごめんね、もう1回、言ってくれるかな?」
「……ありがとう……!」
「ふふっ。どういたしまして」

ひとつ笑った藍子に、しろちゃんが笑い声を重ねる。
それを聞いて、藍子がまた笑う。
しろちゃんも、飴玉を舐めているような頬で笑う。

「よかった……。さてとっ」

私たちにまで笑顔が伝播したのを確認してから、藍子は手を合わせた。

ぱん!

という音というよりは、

ぺしっ

という抜けた音。でも、2人にはしっかりとした刺激になったみたいで、そーちゃんはテーブルから身を乗り出し、しろちゃんは姿勢を正す。

「そうですね~……。では、加蓮ちゃんっ」
「ん? 私?」
「今日は、なんの日ですか?」
「急にどしたの……。今日はって、それはもちろん……クリスマス?」
「そう、クリスマスですね。メリークリスマスっ♪」
「メリークリスマスーっ!」「……まーすっ」
「そーちゃん、しろちゃん。ありがとう。では、今日はクリスマスということで――」
「……待った。藍子、この場でもう1人言ってないのがいるよね? ねえねえ、ほらほらっ。1人だけ仲間外れにするのって良くな」
「みんなに、プレゼントを持ってきたんですっ」

当たり前のように私の冗談は無視され、そーちゃんの歓声によって時間の下流にまで流されてしまった。しろちゃんがぼんやりと私を見上げてくれたのが、なんか嬉しくも虚しくもあった。

藍子は立ち上がり、勝手口の方へ。入り口と同じ、甘みがかかった茶色のドアを開けてから手だけを外に出して。

うんしょ……

軽いかけ声と共に持ち上げたのは……ものすごく大きな袋?
中が見えない白袋は何重かにされているようで、藍子のつけている前かけの、シワができたせいで仙人レベルの老け顔になった白ひげおじいさんとも相まって、絵本に出てくるサンタクロースを彷彿とさせる。それはいいんだけど……その大きすぎる袋は何? しかも、藍子が片手どころか両手でも運ぶのに苦労するほどの重さ。今日の立場を忘れて、つい私まで持ってくるのを手伝っちゃった。

「プレゼントだ!」
「……!!」
「あいこちゃん、サンタさんだったんだ! かれんちゃんが、言ってたよねっ」
「そうなんですよ~。今日は、藍子サンタがプレゼントをお渡ししちゃいます」
「ほっほっほー!」
「……ふぇ?」
「あれっ、あいこちゃん、サンタさんなのに知らないの? サンタさんって、こうやってわらうんだよね! ほっほっほー!」
「ほ、ほっほっほ~っ。……こうでいいのかな?」

上ずった声で笑ってあげると、そーちゃんは満足げに頷いた。こうで良かったみたい。

「この中から、そーちゃんと、しろちゃんの好きな物を見つけて、私……藍子サンタに、教えてくださいね」
「おしえればいいの?」
「はいっ。そうしたら、それをプレゼントにして、そーちゃんとしろちゃんにお届けしますっ」
「わかった! しろちゃん、いっしょに探そ!」

きつく縛ってある開け口を緩めると、早くもいくつかのプレゼント箱が転がり落ちてしまう。藍子はそっと、プレゼントの口の部分を床へと寝かし、1つ1つを手に取るちびっこ2人を見つめ、目を細めていた。

「これ、リボンがかわいい! こっちのも、かわいいね! すごい、すごいっ」
「ええと、わ、わたし、これがほしいです……っ! あ、やっぱり、こっちのが、でも……!」
「時間は、まだまだありますから。ゆっくり考えていいですよ」

プレゼント箱はどれも子供が両手で持つくらいの大きさで、よく見ると中身が透けて分かるようになっていた。それらをそーちゃんは目を細めて、まるでにらめっこをするみたいに。
しろちゃんは、相変わらずのわがまま攻撃を発動させていた。
でも、藍子はなんでこんな迷わせるようなことをするんだろ……? 何が欲しいか分からなかったのなら、聞いてあげてから渡せばいいのに。

「このプレゼントは、クリスマスツリーに飾れるようにもなっているんです」

しろちゃんが手に取り、床に置き直したプレゼントの、青色のリボンをそっとつまみ上げる。

「こうして、こうして……ほらっ♪ ツリーが、可愛くなりました。そーちゃん、しろちゃん。一緒に、飾り付けをしてみませんか?」
「する!」
「……うん!」

なるほど、それが狙いだったんだ。少し不格好なモミの木だけがデコレーションされていないのも、そういうことだったんだね。

こうなればもう、プレゼント選びという目的なんてどこかへすっ飛んじゃった。そーちゃんもしろちゃんも、プレゼント箱を手にしてはツリーへと運んでいく。高いところへは、藍子が抱っこしてあげて。
30分も経たないうちに、モミの木はあっという間に都会の待ち合わせ広場にあってもおかしくないくらいキラキラとした装いに。
やったー! とぴょんぴょん跳ねているそーちゃんへと、藍子が拍手してあげる。しろちゃんもそれを真似て、手を叩いていた。

「このツリー、びょういんにもあるの! あいこちゃん、知ってた?」
「ううん、初めて知りました。病院にも、ツリーがあるんですね」
「あるの! すごいでしょ。でも、こっちのツリーのほうが、すごい!」
「そーちゃんとしろちゃんが、飾ってあげたからですよ。……そうだっ。このツリーと一緒に、写真を撮りませんか? クリスマスの思い出にしましょうっ」
「はいっ!」
「しろちゃんも、こっちに……はい。ツリーと一緒にいると、まるで雪だるまさんですね」

そして、そーちゃんはしろちゃんの隣へ。うん、と満足気に頷いた藍子は、次は私へと手招きをする。

「加蓮ちゃんっ。そこで立っていないで、こっちに来てくださいよ~」
「はいはい。私はどこにいればいいの?」
「ここ!」
「だそうですよ。……加蓮ちゃん、もうちょっとツリーの方に寄ってっ。看護師さんは――」
「あら。私も?」
「もちろんです♪ 看護師さんは……この辺りの、おふたりと加蓮ちゃんを見守る位置に……。では、撮りますよ~」

はい、チーズっ。

1枚目は私たち4人の写真を。2枚目はセルフタイマーを使って、藍子も輪に加わる。
デジタルトイカメラに表示された写真を、そーちゃんが覗き込む。肩越しにのしかかる形になって、藍子がほんのちょっぴり、くすぐったそうに身をよじった。

「あははっ。どう、うまく撮れてるでしょっ」
「すごいすごい!」
「しろちゃんも。綺麗に撮れましたよ~」
「……い」

それから話題は、藍子が昔撮ったままにしていた他の写真へ。
公園や事務所、空の写真なんかもあったみたい。あまりに楽しそうにしているから、つい私も、忍び足で背後へ回ると……ちょうどそのタイミングで、私がうたた寝している写真が表示された。

「ちょ、こらっ……。藍子! またこんなの撮ってるっ」
「えへへ、つい。そーちゃん。これね、加蓮ちゃんがお昼寝している時なの」
「かれんちゃんも、おひるねするの? わたしも!」
「よかったね。加蓮ちゃんと同じですよ」
「ううん、まだなのっ。もっとうたえるようになったら、わたし、かれんちゃんになるの!」
「そっか……。その時を、楽しみにしていますね」

いつか来るかもしれない未来の光景を思い描き、藍子はゆっくりと頷いた……のは、いいんだけど。

「いつまで私の写真を表示してるのよ。こらっ」
「わ、待って。まだ、しろちゃんと看護師さんが見ていませんから」
「他の写真を見せなさいよ!」
「加蓮ちゃんの寝ている写真? あら、私はいいわよ。昔、たくさん見てきたからね」
「ちょ――」
「小さい頃の加蓮ちゃん、寝顔が一番可愛かったわね。私も、写真を撮っておけば見せられたのに」
「看護師さん、できればなんとしてでも探してくださいっ。1枚くらい、あるかもしれません!」

気を抜くと、すぐにこれだよ。もうっ……!



□ ■ □ ■ □


「…………、」

しろちゃんが、クリスマスツリーを見上げている。デコレーションになったプレゼントの箱を、上から1つずつ。
その目線が、中頃から足元くらいまで……ちょうど、しろちゃんの目の高さにまで下がったのと同時に、部屋の壁掛け時計が音を立てた。

こん、こん……

普段聞く鐘の音に比べると、お母さんが眠っている乳幼児の部屋をノックするような、優しい音。
だけど途端に、これまでずっと元気だったそーちゃんが、しゅん、と肩を落とす。

「もう、クリスマスがおわっちゃった……」

短針は6を示している。濃赤色のカーテンの向こうでは、真っ暗になった夜光景が透けて見えていた。
少し前から、室内にいるのに寒く感じていたのも、気のせいではなかったみたい。

楽しい時間は、あっという間。

「…………」

藍子は少し考える素振りを見せてから、しろちゃんの頭をそっと撫でてあげつつ立ち上がった。
それから、沈んだ空気の中では異彩に見えるモミの木へと手を伸ばし、一番伸びた枝の先にかかるプレゼント箱を手に取る。

「そーちゃん、しろちゃん。そーちゃんの好きなものは、しろちゃんの好きなものは、何ですか?」
「すきな、もの……?」
「……もの……」
「これかな。それとも、この箱のかな。なんて――1つに選ばなくたって、いいんです。それに、しろちゃんは、ほしいものがいっぱいあるんだよね?」

指先にリボンを3つひっかけて、藍子はしろちゃんへ目を合わせてあげた。恥ずかしそうに、こくん、と頷くしろちゃん。

「ふふ。……もしかしたら、しろちゃんのお母さんやお父さんは、1つじゃないと駄目だよ、って言うかもしれません。
ひょっとしたら、がんばって1つに選んでも、それは駄目だよ、って言われてしまうかも――」

「でも、そんなことないんだよ。この世界には、楽しいものも、面白いことも、いっぱいあるんだよ」

詩を諳んじるように続け――ね? と、私へと微笑みかけた。

「私は加蓮ちゃんみたいに、すごく楽しい時間を作ってあげたり、劇的な変化をもたらしたりするのは、あんまり得意じゃありません。
でも……ううん。だからその分、私はそーちゃんとしろちゃんに何があげられるかなって、ずっと悩みました。
加蓮ちゃんが、いっぱい幸せを積み重ねてあげてね、って言ってくれてからも、ずうっと」

3つのリボン付きのプレゼント箱を、しろちゃんの前へと並べてあげた。
しろちゃんは、しばらく悩んで……わかんない、と答えた。

どれを選べばいいか分からない、という意味ではなくて。
藍子の言葉に対する答えを、見つけられてないって意味。

「クリスマスは、もうすぐおしまい。明日になれば、私も加蓮ちゃんも、そーちゃんとしろちゃんも、看護師さんも、それぞれがまた、違う生活が始まります。
だから今日、そーちゃんとしろちゃんに伝えてあげたかった。
楽しいことはいっぱいあるんだよ、選べるんだよ、って……。
いつかお別れが来ても足りるように、言いたいことも伝えてあげたいことも、幸せを積み重ねるのと同じように。何度だって」

「……えっと……」
「ごめんね、ちょっと難しかったかな……。そーちゃんの好きなものを探してね、ってことだよ。看護師さん。よければ、このツリーごと持って帰ってください。おふたりに……ううん、病院にいるみなさんにも。好きなものを、何か、見つけてほしいんです」
「…………」
「1つでも、2つでも……。好きなものを、好きなだけ。幸せは、1つだけじゃなくていいんですから。そして、好きなものを見つけた分だけ、これから先も、楽しいことを見つけられるって思うからっ」

ツリーの足元まで歩いたしろちゃんの指先が、桃色のプレゼント箱を掠める。はい、とリボンをモミの木の枝から外してあげて、藍子が箱を渡してあげる。

「しろちゃんの好きなものは、これかな?」
「う、うん……。えと……ううん、わかんない」
「そっか」
「けど、やっぱり、……あの……うん。ほしいっ!」
「じゃあ、開けてあげますね。……じゃんっ」
「わぁ……! かわいいぬいぐるみっ。わたし、これ……すきなのかな。たぶん、すき……!」
「私も、可愛いぬいぐるみは好きなんですっ。お散歩している時に見つけたお店で、ときどき眺めて……つい、買っちゃうこともあるんです」
「ほかにも、ぬいぐるみがあるの?」
「はい。そうだっ。今度、しろちゃんにも見せてあげますね。テレビに出る時に、持っていっちゃいますっ」
「……!」

ぬいぐるみをあちこちの角度から見るしろちゃんは……まだ、自分が分かっていないように見えた。
これまでずっと、世界に楽しみも幸せも、ほとんど見つけられなかった女の子。
藍子のファンだって言うけど、外の世界に目を向ければ、すぐにでも迷子になってしまうかもしれない。

しろちゃんには、しろちゃんのペースがある。もちろん藍子にも。

看護師さんの言葉を思い出して……それと同時に、藍子が立ち上がった。

「今日ご用意したジュースも、ホットケーキも、まだまだいっぱいあるんですよ。この世界には、本当にたくさん。きっと、そーちゃんやしろちゃんが、すっごく好きだよって言えるものも! ……なんて、ふふ。そーちゃんは、加蓮ちゃんっていう好きなものを見つけちゃってるのかな?」
「……うん。かれんちゃんは、大すき」
「ふふっ」
「でも……ほかにも、すきなものが、あるかもしれないの?」
「うん、きっとあるよ。見つけたら見つけた分、笑顔になれるの」
「そうなんだ――」
「それを知ってほしくて、今日は……。今日は、来てくれてありがとうございましたっ。クリスマスのことも、この世界のことも。ちょっとだけ、好きになってくれると嬉しいです」

ぱちん。

音を立てて、白ひげおじさんの前掛けが外された。
これでもう、12月25日はおしまいって合図。

「あいこちゃん!」

ふと、そーちゃんが叫んだ。

「なにかな、そーちゃん」
「じゃあ、あのねっ。わたしも、いっぱいさがすから、あいこちゃんもおしえて!」
「え……」
「たのしいこと、いっぱいおしえて! もちろん、かれんちゃんも! あのね、そうしたらわたし、しろちゃんにもがんばっておしえてあげる! かれんちゃんみたいに!」

言い切ったそーちゃんは、けほ、と咳き込んだ。血相を変えた看護師さんが駆け寄る――体温が、少し高くなってる。歌っても疲れなくなったとは言ってたけど、まだまだ入院中の2人。楽しい時間が流れ続けていたから、忘れちゃってたのかも。
不安に唇を噛み締める藍子は、溜め込んだ息を真下へと吐ききった。
焦点を不安定にさせつつも、しっかりと顔を上げるそーちゃんの両目を見つめ返してあげて……表情はそのままに、後ろに回した手が逡巡を挟む。

アイドルらしくないとか。
自分にできるかどうか分からないとか。
そんな迷いや悩みは、今もきっと、藍子の中に燻っている。

藍子としては、幸せの種を蒔いてあげるつもりだたんだと思う。
その先を見つけるのは、そーちゃんやしろちゃん自身。
間違った考えじゃない。
だけどそーちゃんは、藍子に教えてほしいって叫んだ。
花が咲いたら、また自分も種を蒔くんだって――私に憧れてくれているからこその言葉で。

藍子は。

「はいっ――私も、何度だって言って、何度だって教えます。この世界は、とっても素敵だよって……♪」

いつかカフェで私に言った言葉を、何度だって言うという言葉の通りに繰り返した。

私達が共有し尽くしていることだって、まだ伝えられていない相手がたくさんいる。
今日、12月25日の私達にとっては、それがそーちゃんとしろちゃん、そして看護師さんの3人。
……ううん。私にだって、何度も届けようとしているのかな。

そーちゃんが嬉しそうに頷いたのを見送った藍子は、ふと、室内を見渡した。カフェをマネて作った暖炉側ではなく、藍子の優しさが形となったカフェスペース側。おそらく手描きで作った一葉のメニューをそっと拾い上げ、勝手口のすぐ側に置きっぱなしにしていた鞄へとしまい込む。


「素敵な世界を、たくさんの人に知ってもらって、感じてもらう私の世界。もっともっと、いっぱい広げたいな――」


18時から19時へと渡る頃合いは、室内にいても寒さを感じる。ついストーブやカイロの暖を求めてしまうほどに。

冷たい風の流れる窓際にて、藍子はちいさく、心に火を点けているようだった。



□ ■ □ ■ □


クリスマスツリーは後日、看護師さんが取りにくるみたい。ただ、クリスマスは今日でもうおしまいだから、別の形としてプレゼントを配る予定だって。
お正月、という呟きを聞いた藍子が心配して、間に合いますか? と聞くと、看護師ですから――というトンチンカンな答えが返ってきた。
とはいえ。
この人、大きめのイベントを2日や3日で計画立ててしまうエネルギーがあるから、できてしまうのかもしれない。

「……看護師さんって、すごいんですね」
「アイドルの方がすごいわよっ」

なんの意地なんだか分からなくて、言った先から自分で笑っちゃった。

「今日はありがとう、藍子ちゃん。また今度、加蓮ちゃんのことをお話しましょう」

寒空に浮かび上がるような挑発と興味を混ぜた笑みで、そんなことを付け加えた看護師さんを蹴っ飛ばそうとしたら、それよりも早く運転席へと逃げてさっさとドアを閉めてしまった。

「ぐんぬぬ……!」
「まあまあ。加蓮ちゃん、落ち着いてください」

続けて、もこもこ姿のちびっこふたりが街灯に照らされながら車へと乗り込んでいく。ドア前に置かれたミニスロープへと足をかけたしろちゃんが、車内へ入る直前にこちらを振り返った。
ちいさく開いた口が、つぶやきと言うにも小さすぎる声で何かを言う……なんとか聞き取りたくて、藍子が駆けてゆく。

「……た……。また、きても……来たいです……っ!」
「……!」

生まれたてのカフェ。そして、12月25日限定の――

だけど藍子は力強く頷いた。必ず来てくださいね、と答えて、小指同士で指切りまでした。
しろちゃんはそれで満足して、またあの灰色に塗りつぶされたような瞳を、運転席の背中側へと向け続けた。

車が去っていく。見えなくなるギリギリまでそーちゃんが腕を振り続け、藍子も振り返してあげて……信号の交差点を曲がった瞬間、ふぅ~、と大きく息をついた。

「はああっ……。うまくできて、よかったぁ……」
「お疲れ様……。ほら、藍子。中に入るよ。ここは寒いでしょ」
「ううん。もうちょっとだけここにいさせてください。なんだか、そんな気分なんです」
「……じゃあ、私もここにいるね」

ストーブによって溜まりこんだ熱が、みるみるうちに身体から放出されていくのが分かる。それはLIVE終わりに熱気が消えてゆくのと同じような感覚。すなわち、1日の終わり。
クリスマスが終わりを告げる、なんて実感を、こんなに何度も味わうとは思ってなかった。
……すごく、変な感じ。
感覚のリピートが、逆にリアル感を遠ざけている。まだまだ時間は続いていくんだよ、って。
ううん、それってきっと、リピートのせいじゃなくて、藍子の姿がそうさせているんだよね。

「また来たい、だってさ」
「……」
「しろちゃんが来た時、今日みたいな場所があったら……きっと、喜んでくれるよね」
「……」
「……」
「……」
「……明日、またカフェに行こっか。今度は、少し違った目線で」

私達の好きな世界は、いつだって循環して、いずれ私達の創る世界になる。
アイドルだってそう。アイドルに恋焦がれて、私に奇跡が訪れて、そして今度は私に憧れてくれる子がいてくれるようになった。
藍子にとっては……カフェがそうで、だけどカフェだけじゃなくて。
それは道端にあるもの。手を伸ばせば届く距離にあるもの。どこにでもあるもの。
だけどそれを知らない人、気付いていない人がいる。

藍子がこれから創るのは、きっとそういうのを教えていく世界。

藍子がアイドルとして、完成させてゆく世界。

やがて辿り着くのは……。


「加蓮ちゃん」

白い息を吐いた藍子は、頬にたっぷりの情熱を押し込めて言った。

「うん?」
「そろそろ、中に入りましょう。どこから始めましょうか……。まずは今日の反省会からですっ。失敗しちゃったな、って思うことも、たくさんあって……。あと、次はこうしたらいいかも、ってことも、ミーティングです」
「あははっ。休まなくて大丈夫? ……なんて。いいよ、とことん付き合ってあげる」

ポケットの招待状が、服の中で折り曲がっちゃった。少し悪いなと思いながら、藍子へと返してあげた。
藍子は両手で受け取って、一瞬、目を落として……大切にしまいこんでから、甘みのかかった茶色の扉へと早歩きで向かった。


【おしまい】


【あとがき】

もしかしたらお察し頂けている方もいらっしゃるかもしれませんが、
この「レンアイカフェテラスシリーズ」は来年5月頃、第10回シンデレラガール総選挙の終了前後にて完結する予定となっております。

もう少しだけ、お付き合い頂ければ嬉しいです。


……どうか第10回総選挙では、高森藍子へ投票を。1票だけでも、よろしくお願い致します。

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