女「……行くのね」
男「ああ」
女「行かないでって頼んでも?」
男「ごめん……君は待っていてくれ」
女「……」
男「女……」
女「ごはん!」
男「?」
女「最後に、ご飯食べていってよ」
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女はそういうと、台所へと消えていった。
包丁のトントントンと軽快な音が聞こえ、はやくもよい匂いが漂ってきた。
甘く、香ばしく、食欲を促す良い匂いに、男はごくりと喉をならす。
「召し上がれ」と、机に並べられた膳に、男は瞠目した。
何かの肉をぶつぶつと乱切りにしたものに、煮えたぎった汁がかけられている。
しかしその料理は、いったい何処から、その匂いが立ち上がっているのか理解できないほどの禍々しさを放っていた。
泥と苔を煮詰めたかのような黄土色の汁と、妙に発色のいいピンクの肉が男の食欲を急激に衰えさせる。
男は、女をちらりと横目で見、しばしの沈黙が流れる。
女の自信あふれる笑顔に観念すると、男はようやく皿に箸を伸ばした。
「あぁ……」声にならない声が、男の口から洩れた。
まずい。心の底から、男はそう思った。生まれてこの方、知るよしのなかったまずさだ。
男は、その精悍な身体つきとは裏腹に、自ら台所に立つほどに料理に精通していた。
その男をもってしても、この目の前の料理?が如何にして作られたのか、想像すらつかなかったのだ。
「どう?」
「……もう行かなくちゃ」
女の問いに答えることなく、男はスッと立ち上がった。
嘘をつくことが苦手な男は、沈黙を守った。正直な感想を言って、女が悲しむことを避けたかったのだ。
女「ねえ……もう行かないでなんて言わない。ただお願いがあるの」
男「なんだ?」
女「私も連れて行って!」
男「……女」
女「私、いっぱい!いーっぱい修行したのよ!むかしの私とは比べ物にならないくらい強くなった!」
男「……」
女「無茶を言っているのはわかってる……ただ、もう貴方に守られるだけの女でいたくないの!」
女「だからお願い!私も一緒に戦わせて!」
男(止めても無駄だろうな……女に手を上げるのは気がひけるけど仕方ない)
男(しばらく、眠っていてもらおう)
と、男は手刀をもって女の首筋のあたりに打ち込んだ。
が、しかし、何の手ごたえもない。男の手刀は空を切っていたのだ。
「言ったでしょう?修行をしたって……」
女の声が、男の背後から聞こえてきた。慌てて振り向くと、そこには既に鯉口を切った女がいた。
「や、これは……」と、男は気合を入れなおす。女から発せられている殺気が、ぴりぴりと男の肌に突き刺さったのだ。
いま男の目の前に居る女は、かつて男によって守られてきた者とは別人。そう、彼女は一人の剣客であった。
男は、後ろへと飛び退って女との間合いをとった。
そうして、愛刀国綱を正眼に構える。
「貴方は私が守護る」
女もまた、きらりと備前兼光の大刀を抜いた。
すっと、上段に構えられた刀からは、女の持ちうる内気が立ち昇っている。
男は、呼吸をととのえ、気力の充実を確信し、女との間合いをせばめた。
女の上段構えから繰り出されるであろう、打ち下ろしを避け再度、女の首筋に剣戟を与える。その腹積もりであった。
しかし、女はするすると後退してしまった。
男は虚を突かれ、慌てて女を追う。が、それがいけなかった。
女は、間合いをつめようと前進してきた男に対し猛然と突進したのだ。
二度にわたり虚を衝かれた男は、慌てて剣をふるうも、女は身をひねりざまに男の肩口を切った。
大勢をくずした女が尻もちをつく。
「てやぁっ!」
男が跳躍し、必殺の一撃を繰り出す。転瞬、めざましい身体のうごきで女は間一髪で剣をかわし、そのまま男の右足の腱を浅く殺いだ。
今度は、男が尻もちをつく番であった。しかし、男への追撃がなされることはなく、女は既に剣を鞘へと納めていた。
「その足では、もう立てまい」
「あ……」
「隠居するがいい、あとは私に任せい」
「おそれいりました」
「ふふふ、見ろ、男、もう春だ。蝶が舞うておる」
そうして、俺は世界を救うことを諦め10年の時が経った。
今は、日がな一日、好きな料理をしたり、本を読んだりしている。
娘「ただいまー!」
男「おかえりなさい、学校はどうだった?」
娘「すごいたのしかったー!おとうさんは!?」
男「今日は、ハンバーグをいっぱい仕込んでおいたよ」
娘「わーい」
娘「でも変なの」
男「ん?」
娘「友ちゃんの家じゃ、お父さんは夜遅くまで帰ってこないんだって」
娘「でも、うちじゃ、お父さんはいつも家にいる!代わりにお母さんの帰りが遅い!」
男「お母さんは、世界を守るのに忙しいからね」
娘「ふつう、そういうのは、おとこのほうが守るんじゃないの?」
男「お母さんは、強いからね」
男「それに、お父さんだって、大事なものを守っているさ。世界最強のお母さんにすら、任せられないものを」
娘「それはなーに?」
男「台所さ」
おわり
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