神谷奈緒「フレンドライクミー」 (13)
暦の上では秋とはよく言うし、街のご飯屋さんのメニューも秋刀魚やら栗ごはんやらが目立つようになってきたけれど、依然として太陽は健在のようで、じりじりとした日差しは容赦なくあたしの頭めがけて降り注ぐ。
「あっついなぁ」
八月の頃よりは多少気温が落ちたものの、多少では日中にジャケットを着込むには適さない。
濃紺のスーツに身を包んだ男、あたしの担当プロデューサーであるそいつは、額に汗を浮かべつつ恨めし気に太陽を見上げて言う。
「大変だよなぁ。プロデューサーさんは」
「そうだぞー。奈緒と違って誕生日も祝ってもらえないし」
プロデューサーさんはびしっとあたしの手元を指で示して軽口を叩く。
それを受けて、あたしも視線を落とす。
色とりどりの花々が綺麗に束ねられていた。
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「誕生日の日、どうしても午前中に収録のお仕事が入ってしまった」プロデューサーさんにそう聞かされたのはひと月前で、あたしだって子供ではないから、すぐにその場で仕方ないよな、と受け入れたのを覚えている。
そして誕生日当日が今日で、収録の終わりがさっき。
収録を恙なく終えて、カメラが止まったそのとき、どこからともなくクラッカーの音と紙吹雪がが飛んできて、共演者の人とスタッフの人たちから誕生日のお祝いをしてもらったのだった。
みんなから「おめでとう」の言葉をもらい、最後に手渡されたのがこの花束だ。
サプライズでお祝いしてもらえるなんて思っていなかったのもあって、あまりの嬉しさにハイテンション気味で楽屋に帰ったところ、プロデューサーさんに大笑いされる、なんていうこともあったけれど、それはまぁ置いておく。
「っつーか、だよ」
「ん?」
「アンタはなんかねーのかよ」
「んんー、そうだなぁ。どうしようかな」
社用車のキーを人差し指に引っかけ、くるくる回しながらプロデューサーさんは考えているようなそぶりを見せる。
つまるところ、何も考えていなかったのだろう。
担当のプロデューサーよりもテレビ局の人たちの方があたしのことを考えてくれてるってどうなんだ、と思わないでもなかったが、既におめでとうの言葉は言ってもらっているし、何かプレゼントをもらえることを当たり前だと思うのも傲慢である気がするので、黙る他ない。
そうこうしている内に、目的の社用車が駐車してある場所に着く。
ドアのロックが解除される音を待って、その後に助手席に乗り込んだ。
「お昼どうする?」
「もうそんな時間かー。あっ、でも花束抱えたままお店入るのもなぁ」
「それもそうか。んじゃ、とりあえず事務所にしよう。事務所ならきっと花瓶もあるよ」
「あー。あるな。絶対」
二人ほど花瓶を持ち込んでいそうなアイドル仲間の顔を思い浮かべて、プロデューサーさんの言葉に頷いた。
「そういえば、奈緒は午後からの予定とか大丈夫?」
「んー。特にねーかなぁ。午前の収録の終わりが読めなかったから空けたままにしちゃってさ」
「そうか……。なんか申し訳ないな」
「いーっていーって。プロデューサーさんのせいってわけじゃないし、それに一ヶ月前から決まってたことだろー?」
「お昼はちょっと良いもの、ご馳走しよう」
「あはは。じゃあ、期待しとく!」
ゆるやかに流れる窓の外の景色に視線を移し、さぁ何をリクエストしてやろうか、とぼんやり思考を巡らす。
いつも「何が食べたい?」と聞かれた際には割と即答できるのに、誕生日のお昼ご飯となるとなんだか悩んでしまって、なかなか答えが出なかった。
そうして、結局何にするか決まらないまま事務所に着いてしまうのだった。
助手席からぴょん、と降りて一足先に事務所に入る。
廊下を抜けて、休憩室を窺うとスマホをいじっている友人、凛の姿があった。
気付かれないように、気付かれないように、と彼女の後ろに回る。
無事に気付かれずに背後を取ることに成功すると、全霊の力を込めて「わっ!」と言いながら彼女の肩を叩いた。
彼女は、うひゃあというような情けない叫び声を上げて、跳び上がる。
その勢いで吹っ飛ばされた休憩室の椅子が倒れ、かこーんという音が響いた。
「…………びっくりしたなぁ、もう」
「ごめんごめん。そんなびっくりするとは思ってなかったからさー」
「仕返し覚悟しといた方がいいよ」
「お手柔らかにお願いしたいんだけど……」
「加蓮にも協力お願いしておくから、安心してね」
「いやいやいや、勘弁してくれ……」
「っていうか、いいの持ってるね。それどうしたの?」
彼女はあたしの抱えている花束を見て、言う。
よくぞ聞いてくれました、というような勢いで、あたしはサプライズで渡されたときのことを最初から最後まで彼女に語って聞かせてやる。
すると彼女は「ああ。そういう感じなんだ」と笑うのだった。
意図がわからないあたしが首を傾げていても、彼女は「こっちの話だから大丈夫」と言うので、よくわからないままにしておくことにする。
そのまま凛と談笑を交わしている間に花瓶の話題になって予想どおり「使ってない花瓶? うん、あるよ。持ってくるね」と、取りに行ってくれるのだった。
凛がこの休憩室を後にした少しあと、入れ替わりでプロデューサーさんがやってきた。
「ここにいたんだ」
「あ。ごめん、凛がいたから」
「いや大丈夫。こっちもこっちで書類とかそういうの、片付けてから奈緒を探しに来たから。待たせてないなら良かった」
「そっか。……あ、それと凛が花瓶持ってきてくれるって」
「よかったよかった。渋谷さんにはお礼を言わんとなぁ」
あたしのために花瓶を貸してくれるだけなのに、何故かすごく恩を感じているようなプロデューサーさんは少し不思議だが、そういうところがある人でもあるかもしれない、と流す。
ややあって、あたしの隣に腰掛けたプロデューサーさんは「それでお昼ご飯はどこに行きたいか決まった?」と訊いてきた。
「んー、未定!」
「なんだそれ」
「未定だから、こう……適当にぶらぶらしたい……なんて、そういうのは……その、ダメか? あっ、もちろんプロデューサーさんが忙しいなら全然断ってくれても……」
思い付いた提案をまごまごとしながら述べるあたしを見て、プロデューサーさんは笑う。
「大丈夫。すっごい暇だよ」
「じゃあ……」
「うん。ふらふらしよう」
「ん。……その、ありがとな」
「いえいえ。それに、あんなかわいいお誘いは断れん」
言われて、先程の自身の提案の仕方を思い出す。
ぼっ、と火が付いたような幻聴が耳で響いて、全身の血が顔の方に集まっていく感覚になった。
そして、その最悪のタイミングで花瓶を携えた凛が来た。
「……お邪魔だった?」
「あはは。大丈夫です。渋谷さんお疲れ様です」
「お疲れ様です。この度はご注文いただいて……」
「いや、お礼を言うのはこっちの方でその節は……っていうか予算以上でしょ、これ」
「そこは色を付けたりなんかしてないと思いますよ。予算内で最良のものを出すのがプロなので」
「素敵なご両親ですね」
「ふふっ、またのご注文をお待ちしてますね」
「もちろん。是非」
「私に直接言いにくければ、私のプロデューサーに言ってくれたらいいので」
あたしを置いてけぼりで、よくわからない会話を繰り広げる凛とプロデューサーさんだったが、よくよく聞いてみれば、なんとなく話の流れが読めてくる。
これは、つまり?
この花束は?
「えっ、これそういうこと?」
「奈緒、今更気付いたの?」
「えっ、えっ、プロデューサーさんもなんで言ってくれねーんだよ!」
あたしの絶叫をよそに、プロデューサーはにこにことするばかり。
凛はと言えば、「じゃあ、花瓶ここに置いておくから。またね」と去って行ってしまうのだった。
「あ、もうお水入れてくれてるよ。渋谷さん優しいなぁ」
プロデューサーさんは依然としてにこにこしながら、あたしの花束をほどいて、花瓶へと生けている。
そして、プロデューサーさんはやがて全ての花を生け終わると「どこに飾ろうか」と言うのだった。
あまりにもやられっぱなしで頭にきたので、プロデューサーさんの持つ花瓶を半ばひったくるようにして奪い、休憩室を出る。
廊下をずんずん進んで、プロデューサーさんが普段お仕事をしているデスクの前までやってきたのちに、そのデスクのど真ん中に置いてやった。
「ええー。なんか死んだみたいじゃん。俺」
「あたしに内緒で、サプライズを企画して、ずっと黙ってるプロデューサーさんなんてこれでいいんだよ!」
「だってサプライズってそういうものでしょ」
「ネタばらしくらいしてくれよ!」
「いやー、だって。奈緒が駐車場で、アンタはなんかねーのかよとか言うから、もう一仕掛けくらいいるかなぁ、って」
ああ、そうだった。
あたしは何て嫌なことを言ってしまったのだろう。
サプライズを企画してプレゼントを用意してくれた相手に「なんかねーのかよ」とは結構な態度である。
気付いてしまって、急に申し訳なさでいっぱいになる。
「……それは、その……ごめん。ごめんなさい」
こればかりは、あたしが悪い。
「……ぷっ、あははは。やっぱり奈緒は面白いなぁ」
本気で頭を下げて謝るあたしを待っていたのは、謎の笑い声だった。
「え?」
「別になんとも思ってないよ。個人的なお祝いは別でご飯でも行けると思ってたし、花束はああした方が喜ぶかな、って思っただけだからね」
「…………え、そうなの?」
「そうそう。だから気にしなくていいよ。ほら、ご飯行くんでしょ?」
「……うん。あ、でも花瓶」
「ここでいいでしょ。ちゃんとした飾り場所は明日出勤してから考える」
「プロデューサーさんがそれでいいならいいけど……」
相手が気にしなくていい、と言ってくれていてもやはり罪悪感は拭えない。
そのせいで歯切れの悪い返事をしてしまうあたしの手をプロデューサーさんは軽く引いて「ほら、早くお昼行こう」と言った。
プロデューサーさんに導かれるままに事務所を出る。
少しだけいつもよりぎこちない会話をしながら通りを歩いていたところ、雑貨屋さんの前でプロデューサーさんが足を止めた。
「ん。どうしたんだ?」
「ああ、ちょっと。気になって。入ってみてもいい?」
「……いいけど」
こんな趣味がある人だっけ。
何が彼の琴線に触れたのだろうか。
などと考えながら、プロデューサーさんのあとへ続いてお店へと入る。
お洒落な内装の店内をプロデューサーさんは迷わず真っ直ぐに進んで、目的のものらしい小物を一つ手に取るとすぐにレジへと向かうのだった。
そのまま足早に会計を済ませると、買った商品を受け取って、これまたすぐにお店を出てしまった。
「……そんな即決でいいのか? もうちょっと見て回ったりとか、あたしに気を遣わなくていいんだぞ?」
「あー、うん。大丈夫だよ。これが欲しかったんだ」
プロデューサーさんは購入した小物が入っている包みをばりばりと剥いて、中身を取り出す。
出てきたのはかわいらしいブレスレットだった。
男物にしてはあまりにデザインがかわいすぎると思うのだけれど、それはまぁ個人の趣味だし、あたしが口を出すことではないか。
そう思っていると、プロデューサーさんはにっこりと笑って「はい」と言って、そのブレスレットをあたしに差し出した。
「え」
「誕生日おめでとう」
「えっ、えっ?」
「だから、誕生日おめでとう。さっき奈緒も値段を見た通り大したものじゃあないけれど」
「これ、あたしに?」
「それ以外に俺がアクセサリーを渡す相手がいると思う?」
「……いない、と思うけど」
「ちょっと傷ついた」
「あ。ごめん」
「……ともあれ。それはもう奈緒のだから、煮るなり焼くなり好きにしていいからね」
「煮も焼きもしねーって」
「じゃあどうするの?」
「……つける」
もらったブレスレットを手首に通し、太陽にかざす。
陽射しを受けて、いっそうきらきらを強めたそれは、これ以上ないくらい素敵に見えた。
「さぁさぁ。楽しいお誕生日はこれからだぞー。この程度で満足してもらっちゃあ困るな」
「……うん。でもまずは」
軽く息を吸って、ブレスレットのついた手首を触る。
ごつりとした食感が手のひらに伝わって、喜びを再確認しながら「ありがとな」と心を込めて言った。
「うん。どういたしまして」
「次はどこに連れてってくれるんだ?」
「んー。未定! ……なんでしょ?」
「そういえばそう言ったっけ。……じゃあ、今日はこのまま予定通りふらふらしてー、ご飯食べたら映画も見たりして、その後はカフェに行ったりなんかして……」
「盛りだくさんだなぁ」
「あ。やっぱり流石に多過ぎるか?」
「んーん。お安い御用だ」
「よっしゃー!」
強めに踏み込んでスキップの要領で軽く跳ねる。
文字どおり舞い上がってしまっているのは自覚しているけれど、嬉しさの方が勝っているので気にしない。
今年も、楽しい誕生日になりそうだ。
おわり
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