僕「…幻覚が見えるんです」 (53)

※ジャンルはミステリー
※テーマは『嘘』

・蘇我 馬子(そがの うまこ)
女子高校生を想定。サラブレッドマスクを被る探偵。

・僕(ぼく)
男子高校生を想定。根暗。

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僕「…こ、こんにちは」

馬子「ようこそ、『芸術的にSFを研究する部活』へ」

僕「…芸術?SF?…んん?」

馬子「ついに、SFの芸術的解釈について弁論できる部員が現れたわね。心ゆくまで此処にいるといいわ」

僕「…」

馬子「"美女ありき"No Woman Bornは読んだ? 肉体を失った舞踏家が金属の体で生まれ変わる。生前の美しさは保たれたか?美を容姿ではなく動作に集中させた表現に説得力があって秀逸よ」

僕「…」

馬子「…何か飲む?」

僕「………。なんなんですか、その本棚。茶葉の銀缶でいっぱいじゃないですか」

馬子「紅茶が好きなの」

僕「…本への冒涜ですよ」

馬子「ふうん…。さては、文芸部を取り返しに来たのね」

僕「…そういえば、文芸部でしたね、ここ。文化部部室棟の中でも一番歴史があったのに…」

馬子「『歴史を変えて、なぜいけない?』」

僕「…小松左京(こまつ さきょう)ですか?」

馬子「ふうん…。気に入ったわ」

馬子「あなたの話、聞いてあげる。アップルティーでどう?」

僕「お願いします…」

僕「………。そういえば、完全に聞くタイミングを失っていたんですけど」

馬子「?」

僕「その、なんですか。その、被り物は?」

馬子「サラブレッドマスクよ」

僕「いや、そうじゃなくて。…どうして被っているんですか?」

馬子「…、それはあなたの男性器がなぜ包皮に包まれているか問うのと同義d」

僕「ちょぉお!」

馬子「…はい、アップルティー」

僕「ありがとうございます。アップルティー好きなんですよ。久しぶりに飲みます」

馬子「どうぞ」

僕「…うん、あたたかい」

馬子「えぇ。それに安眠効果もある。最近、寝れていないんでしょ。けれど、その要因はなかなか人には話せない。アフガニスタンへ行ってきましたね?」

僕「…どうして眠れていないって分かったんですか?

馬子「観察よ」

僕「観察?」

馬子「目の下のクマが酷いから。…寝不足の証拠としては十分じゃない?」

僕「それだけで判断したんですか…?」

馬子「…シャツのシミはコーヒー。左手の親指と人差し指の爪がボロボロ、カップじゃなくて缶コーヒーをよく飲んでる。棚にある銀缶を見分けるぐらいだから、視力は別段悪くない。寝不足の原因はゲームやテレビじゃない。それに夜遊びするタイプじゃなさそうだし…。毎朝、嫌いなコーヒーを飲んでまで、授業を受けようとするあたり馬鹿に真面目ね。そんな人間が不眠症を医者に相談せず、私を訪ねて来たという事は特殊なケースだ。…人を二人殺した?」

僕「コーヒーが嫌いだとは一言も言ってませんが」

馬子「私が嫌いなのよ」

僕「…。幻覚が見えるんです」

馬子「続けて?」

僕「…。髪の長い女性の幻覚が見えるんです。今もそこで笑っています」

馬子「今も?」

僕「はい」

馬子「私の隣?こっち?扉の方?」

僕「…扉の方です」

馬子「ふうん…。その女性に見覚えは?」

僕「分かりません」

馬子「彼女は君に何かを伝えようとしている?」

僕「分かりません」

馬子「分からないの一点張りでは話が進まないな」

僕「…。幻覚の女性は、度々夢に現れます。そこでは雪が降っているんです」

馬子「雪ね」

僕「彼女は僕に何かを言っているような気がします。でも僕には何も聞こえない。彼女は笑っている。僕は手にナイフを持っている。それで彼女を刺す。僕は彼女を[ピーーー]んです」

僕「…。幻覚の女性は、度々夢に現れます。そこでは雪が降っているんです」

馬子「雪ね」

僕「彼女は僕に何かを言っているような気がします。でも僕には何も聞こえない。彼女は笑っている。僕は手にナイフを持っている。それで彼女を刺す。僕は彼女をころすんです」

馬子「へぇ」

僕「…へぇって。それだけですか?」

馬子「面白い話だったわ」

僕「面白いって…。僕は真実が知りたいんです。幻覚の意味を。彼女が何者かを。本当に彼女を殺してしまったのかを」

馬子「…知れば傷付くわ。全てを知れば傷付く」

僕「僕は、」

馬子「あなたに限った話じゃないわ。私の元を訪ねて来る者は皆そう。最後には傷付いて、私から離れていく。『真理』とは、誰かが秘密にしたかった真実、闇に伏せられたのには理由がある。私は墓荒らしの如く、それを無理矢理明るみに引きずり出す。そこに存在した人の気持ちも思い遣りも踏みにじり、ただ『真理』を求める。傷付く覚悟がなきゃ知らなくていい、軽い口先の言葉で関わろうとするようなら、一生知らない方が良いんだよ」

僕「…それでも僕は、知りたいです」

馬子「どうして?」

僕「…痛みを知らない人間にはなりたくないから」

馬子「…気に入った。君の見たかった答えはすぐそこだ。一緒に来るなら、期待してくれてかまわない。名前は?」

〜放課後・美術部〜


馬子「綺麗な髪ね」

秋野「そうですか?自分じゃあんまり分からないです」

馬子「とても綺麗よ。ショートヘアはやめて伸ばしてみたら?」

秋野「…。私は、大人っぽい雰囲気は似合わないんです」

馬子「伸ばしてみて。そうしたら、毎日こうやって結ってあげる」

秋野「馬子さん…」

僕「あの。僕は何を見せられているんでしょうか。何故、美術部の秋野が馬子さんの膝に乗せられて、こう、女の花園のワンシーンみたいな光景を見せ付けられているんですか?」

馬子「だって、今回の本当の依頼人はあなたじゃなくて、秋野ちゃんだもの」

僕「どういう事ですか?」

馬子「秋野ちゃんに言われたんでしょ? 文化部部室棟の最上階に悩みを解決してくれる人がいるって。金の髪と碧の瞳、そして人形か妖精と見紛うほどの美しい容姿をした少女がいるって」

秋野「私が、馬子さんに頼んだの。同じクラスの子が最近不眠症で辛そうだから、原因を突き止めて欲しいって。ほら、美術部のアトリエは、馬子さんのいる文芸部と近いし、噂は知っていたの、探偵さんだっていう…」

僕「…なんというか。ありがとう」

秋野「んーん。だって不眠症で倒れちゃったら、数学教えて貰えなくなっちゃうから…」

僕「僕じゃなくても、数学得意な人はいっぱいいるけど…」

秋野「だめ。だって一番聞きやすいから…」

僕「…なんというか。気恥ずかしいな」

馬子「…。ふうん。あんたは秋野ちゃんみたいな小動物っぽい、いかにもウサギさんっぽい子が好きなのね」

僕「え、いやいや、違いますよっ」

秋野「え? 違うの?…ウサギ、可愛いのに」

僕「いやいや、ウサギは可愛いんですけど、いやそうじゃなくて、え? どうなってるの?いや!もうっ、何しに来たんですか?」

馬子「私はまだ、あなたの事をほとんど何も知らないからね。まずは依頼人の秋野ちゃんに、君の事を聞いてみようかと思って」

僕「というか、秋野に僕の不眠症の解決を依頼されたのなら、もう不眠症を知っていたのでは…?」

馬子「ええ」

僕「じゃあ、先ほど「観察」と言ったのは嘘ですよね…?」

馬子「人は皆嘘をつく」

僕「はあ…」

馬子「秋野ちゃんは、彼の不眠症の原因を知ってる?」

秋野「…いえ、分かりません」

馬子「それじゃあ、何か異変は?彼の身の回りで起きた、どんな小さな事でも良いわ、気が付いた事は?」

秋野:「…三ヶ月前に心臓の手術をしたんです」

僕「…もともと、僕は心臓が弱くて」

秋野「…うん、結構大変な手術だったみたいです。手術が始まる前に病院全体が数秒停電になった、みたいで…」

馬子「ふうん」

馬子「じゃあ、その右手は?」

秋野「…右手の怪我ですか?包帯の?…えっと、分からないです」

僕「ああ、これは怪我じゃなくて後遺症みたいなものです。心臓の手術中に血液が足りなくなって輸血をして貰ったんです。たぶん、それの影響で麻痺が続いていて」

馬子「別に包帯はいらないと思うけど。なんか、ぬ〜べ〜みたいね」

僕「いや、妖怪は退治しないですよ」

馬子「じゃあ、その内に右手が喋り出して、全身を支配し、人間に擬態しながら他の人間を捕食し始めるとか?」

秋野「こ、怖いですよ」

馬子「じゃあ、幽霊は?」

秋野「幽霊なんていません」

馬子「彼は幽霊が見えるようだけど。髪が長くて綺麗な女性の幽霊が…ね」

僕「幽霊じゃないですよ、あれは幻覚で」

馬子「幽霊の名前はアンバー。アンバーは囁く。彼が一人になった時に。どうして私を殺したの?どうして?どうして?…って」

秋野「幽霊なんていません。それに誰も殺してないですよ。そういう事をする人じゃないです」

馬子「ワトソン君、アンバーは今どこにいる?」

僕「馬子さん、馬鹿な事はやめましょう」

馬子「深呼吸をしたまえ。アンバーは今どこにいる?」

僕「馬子さん」

馬子「答えろ」

僕「…秋野の後ろに立っています」

秋野「…そうですか。…笑っていますか?」

僕「うん」

秋野「…やめましょう。こんな事。仮に幽霊さんがいるなら、そうやって からかうのは、死人への冒涜です」

〜帰り道〜


馬子「錆び付いた車輪 悲鳴を上げ 僕等の体を運んでいく♪」

僕「…楽しそうですね」

馬子「女の子とこんなに密着する事がないから結構ドキドキしてるでしょ?ワトソン君、正解でしょう?ふふん、これが観察だよ」

僕「…いや、してないですよ」

馬子「つまんないの」

僕「自転車で送るの、駅までで良いですか?」

馬子「なんなら私の家まで送っていいですけど」

僕「遠慮しときます」

馬子「つまんないの」

僕「…馬子さん。あんまり秋野を脅かさないで下さいよ。彼女、怯えていました。幽霊とか化け物とか苦手な子なんですから」

馬子「人は皆嘘をつく」

僕「秋野は嘘をつかない子ですよ」

馬子「あの子の肩を持つのね」

僕「日数はそう多くないですが、多少会話した仲ですから。何となく分かりますよ。彼女は嘘をつかない」

馬子「…、そうやって自分に言い聞かせるような言い方をして、傷付くのを恐れているのか?覚悟がなければ『真理』には辿り着けないぞ? 傷付く覚悟がなければ…」

僕「…分かっていますよ」

僕「でも、どうして秋野にあんな質問を?」

馬子「秋野ちゃんは幽霊の正体、幻覚の正体を知っているから」

僕「…幻覚の正体を知っているなら、秋野は、どうして僕に正直に話さないんですか?」

馬子「馬鹿ね、傷付けたくないのよ、あなたを」

僕「はあ…。じゃあ明日、秋野に聞いてみます」

馬子「やめといた方が良いわ、墓を荒らすのは私の役割だから」

僕「…馬子さんは、もう答えが分かっているんですか?」

馬子「そうね。でも『事実』が分かっても、それが『真理』だとは限らないわ」

僕「…僕は少し頭が混乱してきました」

馬子「分からない事は2つだけよ。1つ何故幻覚が見えるのか、2つ髪の長い女性は誰なのか」

僕「そうですね」

馬子「アンバーは今どこにいる?」

僕「…どこにもいませんよ」

馬子「そう…」

僕「………」

僕「馬子さんは、どうしてマスクを被っているんですか?」

馬子「…それが会話を埋めるための軽い質問なら答えないわ」

僕「…どうですかね。知りたいとは思っていますよ」

馬子「ふうん。どうせ。傷付けて悲しませてしまうわ」

僕「それでも知りたいと言ったら?」

馬子「無闇に痛みを知る必要なんて、本当はないのよ。何も知らずに幸せに生きている人間だっている、私は時々そういう奴らが羨ましくなる。仲間と楽しそうに笑って、自分の仕事に少しも疑いなく誇りを持って、こんなに素敵な生活をしている私ってどう?って周りに自慢して」

僕「でもそういう奴らは嫌いでしょう?」

馬子「えぇ、嫌いよ」

僕「…。なんで楽しそうなんですか?」

馬子「ひみつよ」

〜病院〜


僕「どうして都市病院に来たんですか?」

馬子「あなたは三ヶ月前に、この病院で心臓の手術をしたんでしょう?」

僕「はい。この病院です」

馬子「なら、この都市病院に答えがある」

僕「どうして?」

馬子「秋野ちゃんは、あなたの心臓の病気を知っていた。『寄生獣』には怯えた様子を見せたが、幽霊のアンバーの話には怯えた表情を見せなかった。恐らく女性の正体を知っているから。でも手術の後遺症が残る右手については知らなかった。本来それは後遺症の筈だが、彼女は『怪我』だと答えた。どうしてだと思う?」

僕「分かりませんよ」

馬子「その場にいなかったからよ」

僕「…その場って、病院ですか?あんまりにも飛躍しすぎた憶測じゃないですか?」

馬子「偶然なんてないのよ」

僕「はあ…」

橋本さん「ぉーぃ、おーい、おーい!君!どうしてここに?」

僕「あ、え、ぼ、僕ですか?」

橋本さん「君だよ、君。あー良かったあ。心臓の移植手術は上手くいったんだね」

僕「はい、おかげさまで。…あの、失礼ですが、どちら様ですか?」

橋本さん「橋本だよ。三ヶ月前、君の隣のベッドだった橋本だよ。いやまあ覚えていないのも無理はないか。君は数日で移植の話が決まって緊急手術になったんだから。顔を合わせたのなんて数日だったもんで」

僕「すみません。あの頃の記憶は曖昧だから」

橋本さん「いやいや、まあしょうがないよ。手術の時も麻酔で眠らされていたんだから。僕も妻に後から聞いたんだ、隣の子が緊急手術で運ばれたって。医者が何人も総動員した凄い手術だったらしいんだよ」

馬子「心臓移植?」

僕「はい、そうですよ」

馬子「そんな大病の筈がない」

橋本さん「ん?な、な、なんだ、君?その、馬の被り物は、なんなんだ?」

馬子「心臓移植はそもそも適合するドナーを探すだけでも時間がかかるんだ。現代社会の平均待機期間は653日。なおかつ脳死状態で、加えて血液型が一致した人間じゃなければならない。年齢も体格も体重も慎重に評価されるのに、一週間やそこらでドナーが見つかる訳がないじゃない…」

橋本さん「あれは偶然みたいなものだよ。まさに奇跡だ。停電が起きて、急いで復旧作業をして。そんなトラブルがあったにも関わらず手術を成功させて…、お医者さんには頭が上がらないね。ああ、君がこうして元気に動いている姿を見れて僕は安心したよ。本当に良かった」

僕「いえ、ありがとうございます」

橋本さん「それなのにそっちの君ときたら…、こんなところで馬の被り物をして、ふざけているのか。病院の中では外しなさい。周りの患者さんに失礼だろ」

馬子「触んなっ!」

橋本さん「なっ…」

僕「はっ!は、橋本さんっ!じ、実は、入院してるクラスメイトがいて…。ほら、ずっと入院しているから、ふさぎ込んじゃって、なんとかその子を楽しませようと思って、笑える小道具を持って来たんですよ。馬の被り物とか、笑えるでしょう?ははは…」

橋本さん「…ふう。いや、びっくりしたよ。まあそういう事なら余計な口出しだったね。ごめんね」

僕「いえ、すみません、こちらこそ」

橋本さん「良いんだよ。病院にいる時は誰もが憂鬱になる。僕も入院していたからよく分かる。よく分かるよ」

僕「そうですね。今日はどうされたんですか?」

橋本さん「ああ、実は、僕の次は、息子が骨折してしまったんだ。だから今日はお見舞い。林檎の差し入れだよ。息子が好きなんだ。君も好きだったよね?」

僕「ええまあ」

橋本さん「息子には良い父親でありたいからね、僕も笑顔が足りなかったのかもしれない。それを思い出させてくれたお礼という事で、一つあげるよ。入院している友達に持っていってあげなさい」

僕「はい。ありがとうございます」

橋本さん「辛かったら、きちんと大人に言いなさい。黙ってて良い事なんかないからね。自分の中で問題を抱え続けるという選択肢は、あまりにも自分勝手過ぎる。知らないからこそ幸せ、そういう言葉があるかも知れないけれど。君が死んだ時、周りがどれだけ辛い想いをするか、周りにどれだけ迷惑をかけるか、それが分かるなら決して一人で抱え込もうとはしない筈だ。僕は、何も知らずに息子が死んだら凄く後悔するよ…」

僕「そうですね…」

馬子「…橋本さん、あなたが入院していた部屋の番号は?」

橋本さん「501号室だよ」

馬子「…ありがとうございます、…行きましょ」

僕「あ、ちょっと!」

馬子「嫌いよ、ああいう人間」

僕「…橋本さんは悪い人じゃないですよ」

馬子「黙って良い事なんかない?はあ?そういうのは、誰にも言えない程の痛みを味わった事がない、頭が最高にハッピーな人間が口にできるクソみたいに感情のこもってない言葉なんだよ。なんであんたに相談しないか分かるか?話す価値のない人間だからだよ。あんたにその価値があるなら、とっくのとうに話してるさ。死にたいって気持ちは、死にたいって痛み抱えた人間にしか、分からないんだよ。

僕「馬子さん…」

馬子「…ふう…、ごめん、行こう…」

僕「501号室ですか?」

馬子「ええ。…心臓移植の話、橋本が嘘をついているとは思えない。あそこで嘘をつく必要もない。ひとまず真実と仮定しよう。その上で不可解な話がある」

僕「停電ですか?」

馬子「…たまには頭が回るな、ワトソン君」

僕「ありがとうございます」

馬子「さて…、」

僕「到着しましたけど。普通の病室ですよ、501号室…」

馬子「何か思い出す事は?」

僕「………。差し当たって特別な事はないです」

馬子「ここに来れば何かを思い出すと思ったんだのだけれど、ふむ、君が寝ていたベッドは?」

僕「窓際の一番奥です」

馬子「ふうん…」

僕「どこも変なところはないですよ」

馬子「…いや、ここの壁だけ塗りが新しい。病室は他と同じなようだが、ん?なんだ?何を隠すために塗り替えたんだ?…壁の汚れ?違う。焼け跡か? これは?…使用禁止のコンセント…?」

先生「嗅ぎ回るのはそこまでにして下さい」

馬子「…。ごきげんよう」

先生「…君の噂は端々から耳にしていますよ。素顔を見せない、ふざけたマスクを被った、馬の探偵さん。好き勝手に病院を嗅ぎ回って、答えが見つかりましたか?…まったく、…名乗るのが遅れましたね。責任者の田口です。不法侵入で警察に突き出すつもりはありません。穏便に済ませましょう。…あなた達の知りたい事はなんですか?」

馬子「入院から退院までを記したカルテを開示しなさい」

先生「個人情報を易々と見せる訳にはいきませんね」

馬子「…心臓移植のドナー提供者の名前は?」

先生「それも個人情報に関わる質問です、回答できかねる」

馬子「…そう。じゃあ聞くわ。ドナー提供者の名前は、秋野じゃないかしら?」

先生「…ほう」

僕「…馬子さん、っ、どういう事ですか?いや、どうして秋野の名前がここで出てくるんですか?」

馬子「確証は無かった。けれど、ずっと秋野千波が、今回の一連の出来事に対して詳しい事に疑問を感じていた。君の病気の事についても知っている。不眠症の事についても知っている。幻覚の少女の正体も知っているだろう。今回の依頼も君からではなく、秋野千波から依頼して来た事にも違和感を覚えた。君の心臓の手術の事も知っていたよね。手術の内容が心臓移植だという事も恐らく知っていた。そして停電の事も知っていた。だが、同時期に負ったであろう右手の後遺症については知らなかった。右手の後遺症は、君の言う通り病院の手術の影響で負ってしまった軽い後遺症だ。けれど秋野千波は知らない。まるで真ん中が抜けたドーナツのように、物語の大筋は理解しているが、中心となる出来事は知らない。恐らく、その瞬間、ここに居なかったからだ」

僕「秋野が、僕の心臓移植の相手だと言うんですか、そんな、馬鹿な…。彼女は生きています、心臓移植は、馬子さんが言う通り、脳死状態の患者にしか適応されない。生きている人間には」

馬子「じゃあ彼女の兄弟は?姉妹は?」

僕「いや、そんなっ、」

馬子「秋野千波が知り過ぎていた理由は、彼女の身内が、君の心臓移植の相手だったからだ。やけに親密過ぎるのも恐らく君のベッドと、近かったから」

僕「…僕の隣は橋本さんでしょうっ?」

馬子「橋本はこう言った筈だ。数日で移植の話が決まって緊急手術になったから。顔を合わせたのは数日だった。彼は、君の手術の数日前に入院して来た。裏を返せば、その前に誰かがいた、という事だろう?
確証を持ったのは、病室に入った時の君の視線だ。自分では気が付いていないだろうが、数秒の間、君は一点を見つめて立ち止まった。…幻覚の女性、アンバーが見えたんだろう。アンバーは今のどこにいる?」

僕「そンな、筈は、ないですよ」

馬子「答えろ」

僕「やめてください」

馬子「答えろ!」

僕「僕の、隣の、ベッドに座っていますっ!」

馬子「…君の心臓移植のドナー提供者は、秋野千波の姉だよ」

先生「…なるほど、君の噂はかねがね聞いていたが…。もはや、ここまで分かっているのか。それならば、私の口から答えた方が早いですね。恐らく、君たちが話している幻覚の女性の正体は秋野茜、秋野千波の姉にあたり、君の心臓のドナー提供者です。………彼女は画家として有名でした。しかし交通事故で利き腕である右腕が動かなくなってしまった。後遺症の麻痺です。それ以降、秋野茜の体調は悪くなる一方でした。絵の才能を期待されていた分、日が経つに連れて描けなくなっていく、期待に応えられなくなってしまっていく。理想と現実のギャップに、秋野茜は相当のストレスを負っていたようです。病院側の診断でも、食事を摂取しなくなる拒食症や、睡眠薬、抗うつ剤の乱用など薬物依存症の前触れを確認できました。秋野茜が搬送されて来たのは、6月の上旬の事です。…君と秋野茜は隣同士のベッドになった訳ですが、まあ、お互い共通の話題があったのでしょう。非常に仲が良く見えましたよ」

僕「秋野、茜、さん…」

馬子「覚えていない?」

僕「僕は。僕は、全てを、忘れてしまった、っていうんですか?」

馬子「忘れたのには理由がある。偶然なんかないんだよ」

僕「答え、を、教えてください」

馬子「あなたは心臓の病気が悪化し心臓移植が必要になった。だがドナー提供者を知ったあなたは心臓移植を拒んだ。だって移植をしてくれる相手は、あなたがこの病院に来てから最も心を許した人だったから。秋野茜から心臓移植を受ければ、もちろん彼女は死んでしまう。大切な人を、間接的に殺してしまう形となる。あなたは心臓移植を拒んだ。手術のため無理やり麻酔を打とうとする医者たちを遠ざける必要があった。とっさにあなたは武器を手にした。一番近くにある武器よ。ええ。例えば、林檎の皮を剥くために使う凶器とか…」

僕「果物ナイフ…」

馬子「そう。ナイフを振り回して牽制する。でも次第に追い詰められてしまう。あなたは何処まで行っても袋小路だという事に気が付いてしまう。逃げられない。逃げられないのならば、自[ピーーー]ればいい。自殺をすれば移植手術は中断だ。でも首を切って死ぬ方法は取れなかった。仮に一刺しで[ピーーー]なかった場合、ここは病院だ、直ぐに治療されてしまう。じゃあどうするか、あなたは手にした果物ナイフを刺し込んだ、コンセントに」

僕「コンセント、ですか?」

馬子「そう。あなたは感電死を選んだのよ。壁の火傷の跡、そしてあなたの右手が焼けた跡、それが証拠。包帯を解けば分かる。その右手には、心臓移植の後遺症ではなく、感電による火傷の跡が残っている筈。
あなたは幻覚を見る時、最後に髪の長い女性を刺し[ピーーー]と言っていたね?実際は女性を刺し殺した訳ではなかった、あなたはコンセントにナイフを刺し込んだの。電気ショックによって記憶の大半を失ってしまった。けれども、心臓移植を受ける事で秋野茜を殺してしまう、その罪悪感だけが強烈に残って、間違った幻覚を脳に植え付ける結果となってしまったのよ」

僕「…僕は、ほんとうに、僕は、すべてを忘れてしまったんですね」

馬子「ええ。秋野茜という存在も、彼女の心臓が移植されたという事実も。あなたにとって、きっと秋野茜という存在が大き過ぎたんだわ。だから、感電と共に記憶を失う形になってしまった」

僕「秋野も、…秋野千波も全部知っていたという事ですか?」

馬子「ええ。恐らく、あなたが幻覚を見て眠れていないという相談をされた時、直ぐに気が付いたと思うわ。それでも、全てを忘れてしまったあなたに、真実は伝えなかったのは、秋野千波という少女の優しい嘘よ。だって全てを知ってしまえば、あなたは己を責めて傷付いてしまうから」

僕「僕は、僕は…、うううあっ、はぁ、はぁ、ううううああああああああ!」

馬子「…傷付くって言ったじゃない」

僕「…しばらく、ひとりに、して、下さい」

先生「良いんですか?彼を止めなくて?」

馬子「自分で自分の首を切る勇気がない子よ。自殺は選ばないわ」

先生「そうですか。素晴らしい推理でした。まさか、手首の怪我と、壁の焼け跡を結び付けるとは」

馬子「病院の停電は、その影響でしょう」

先生「そうですよ」

馬子「田口先生、」

先生「なんでしょうか?」

馬子「本当は、心臓移植なんて、してないでしょう?」

>>38
すみません。


馬子「あなたは心臓の病気が悪化し心臓移植が必要になった。だがドナー提供者を知ったあなたは心臓移植を拒んだ。だって移植をしてくれる相手は、あなたがこの病院に来てから最も心を許した人だったから。秋野茜から心臓移植を受ければ、もちろん彼女は死んでしまう。大切な人を、間接的に殺してしまう形となる。あなたは心臓移植を拒んだ。手術のため無理やり麻酔を打とうとする医者たちを遠ざける必要があった。とっさにあなたは武器を手にした。一番近くにある武器よ。ええ。例えば、林檎の皮を剥くために使う凶器とか…」

僕「果物ナイフ…」

馬子「そう。ナイフを振り回して牽制する。でも次第に追い詰められてしまう。あなたは何処まで行っても袋小路だという事に気が付いてしまう。逃げられない。逃げられないのならば、自さつすればいい。自殺をすれば移植手術は中断だ。でも首を切って死ぬ方法は取れなかった。仮に一刺しでタヒなかった場合、ここは病院だ、直ぐに治療されてしまう。じゃあどうするか、あなたは手にした果物ナイフを刺し込んだ、コンセントに」

僕「コンセント、ですか?」

馬子「そう。あなたは感電死を選んだのよ。壁の火傷の跡、そしてあなたの右手が焼けた跡、それが証拠。包帯を解けば分かる。その右手には、心臓移植の後遺症ではなく、感電による火傷の跡が残っている筈。
あなたは幻覚を見る時、最後に髪の長い女性を刺しころしたと言っていたね?実際は女性を刺し殺した訳ではなかった、あなたはコンセントにナイフを刺し込んだの。電気ショックによって記憶の大半を失ってしまった。けれども、心臓移植を受ける事で秋野茜を殺してしまう、その罪悪感だけが強烈に残って、間違った幻覚を脳に植え付ける結果となってしまったのよ」

先生「……。一体、何を言い出すんですか、君は?」

馬子「本当は心臓移植なんてしてない。そうでしょう? 心臓の病気を患う少年、症状が悪化し移植が必要になる。偶然にも隣のベッドの女性が適合者。心臓移植は成功し、ハッピーエンド。…そんな偶然なんて、この世にはないのよ」

先生「…何が言いたいんですか?」

馬子「秋野茜の精神状態は不安定で、薬物乱用の恐れがあった。危険な薬物を飲んだ場合、それを吐き出させるための薬がある。イペカック、催吐剤(さいとざい)。延髄(えんずい)の嘔吐中枢(おうとちゅうすう)を刺激することにより催吐作用を発揮する薬。しかし、この薬は誤用すると危険だ。筋肉損傷を招き、缶コーヒーすら簡単に開けられなくなる。そして、ついには心不全を引き起こす。
…田口先生、秋野茜に与える筈の薬を、誤って彼に与えてしまったのでは?」

先生「なるほど、病院側のミスによって、心臓移植が必要になったとでも言うつもりですか?馬鹿馬鹿しい。そもそもイペカックは一度誤って服用したからといって、心臓疾患にまで及ぶような危険な薬ではないですよ」

馬子「ええ。でも元々心臓の弱かった彼の病気を進める形となってしまった。…薬の投与だけで済む筈だったが、ここに来て手術の必要性がでてきてしまう、が、移植に至るまでではない。だが容易に心臓の手術は行えない。理由が必要だ。まさか病院側のミスで手術させて下さい、なんて、口が裂けても言えない。そんな失態が広まれば病院の評判はガタ落ちだ。どうしようか。どうしようか。ああ、そうだ、彼の隣のベッドにいる秋野茜は、もう心身ともにボロボロで回復する見込みがない。秋野茜の心臓を彼に移植する事を理由に手術を行えば、このミスを誤魔化す事ができる。どのみち秋野茜の寿命は長くはない。もって二ヶ月といったところだろう。死期が多少早まったところで問題はない。彼女を早めに脳死状態にさせれば問題は解決する、どの道 すぐに死ぬ人間だから。あなたは秋野茜を、薬で脳死状態にさせ、ころした」

先生「ははは、ははは。愉快な推理ですね。…だが証拠がないぞ」

馬子「…証拠なんてないわ、別に。ただの想像に過ぎない。この殺人事件にこれ以上私が口を挟む事はない。彼はただ、幻覚の少女の正体を知りたがっていただけだから」

先生「…仮に、心臓移植がされなかった、心臓移植が作られた嘘で、まだ自分自身の心臓で生き続けているのが真実だとするならば。君はなぜ彼に真実を伝えない?」

馬子「ええ。そうね。伝えないわ。彼はこれから、自分が二人分の命を抱えていると思って、その重みを背負って生きていく事になるでしょうね。でも、たとえそれが嘘であっても、生きる理由になるなら吐くべき嘘だわ」

先生「それが君の嘘か」

馬子「人は皆嘘をつく」

〜病院・屋上〜


馬子「屋上にいたのね、探したわ」

僕「…僕はたぶん秋野茜という人間を、思い出せないです。忘れたままで一生を過ごして生きます。そんな自分が情けなくて仕方ないです」

馬子「人なんて死んだらいずれ忘れ去られるわ。死人を想うなんて馬鹿よ」

僕「…秋野茜、さんは、本当に、僕に、自分の心臓を移植する事を同意してくれたんでしょうか?僕は自分が、他人から命を譲り受けてまで生きて良いような、そんな価値のある人間だとは思えません」

馬子「秋野茜は、恐らくあなたに自分の人生を託したんだと思うわ。託してもいい人だって思ったから、心臓移植を受けたんじゃないかしら」

僕「…そうでしょうか」

馬子「昨夜、あなたと別れた後、秋野ちゃんの家に行ったわ。話を全て聞いてきた」

僕「じゃあ、全て知っていたんですね」

馬子「ええ…。彼女の姉とあなたの話を聞いたわ。それと彼女の姉の遺留品を見てきた。偶然目に付いた、このスケッチブックにはあなたの絵がたくさん描かれている…。これも、これも、これも、あなたが描かれている。生前に秋野茜が描いたものよ。それだけ彼女はあなたを想っていたんじゃないかしら」

僕「…、誰かが、僕という人間を、見てくれることなんて、あるん、ですかね」

馬子「ええ。あるのよ。人生きっと、悪い事ばかりじゃないわ」

僕「………。いつの段階から幻覚の正体が、秋野のお姉さんだと分かったんですか?」

馬子「秋野ちゃんに、髪を伸ばしたらと聞いて、返って来た答えが大人っぽい雰囲気は似合わないって言った時よ。自分と比較する身近な存在がいるんじゃないかと思って、少し調べたわ」

僕「…そうですか」

馬子「ええ」

僕「一つだけ疑問に残っている事があります。幻覚の茜さんが夢で出てきた時、雪が降っていました。彼女と会ったのは冬の季節ではなかったんですが…、あれは、…あの雪には理由があるんですか?」

馬子「偶然雪が降る筈がないわ、偶然なんかないのよ」

僕「…何ですか、それ。枕ですか?」

馬子「屋上で昼寝でもしようかと思って、偶然、持って来ていたの」

僕「偶然なんかない…」

馬子「そう。…あなたは、心臓移植を受けたくないと果物ナイフを手に取り、病室で暴れまわった。その時ナイフが枕を切り裂く。中に詰まった羽毛が舞い散る。まるで冬の夜にしんしんと降る雪みたいに…、ほら、こんな感じで」

僕「…綺麗ですね」

馬子「ええ」

僕「…馬子さんは、どうしてマスクを被るんですか?」

馬子「…ママが40歳で死んだの、ハンチントン病よ。ママが死んだ時、すごく悲しかったわ。何日も泣いた、何週間も泣いた。それで気が付いたの。ママという存在を知らなければ、こんなに悲しむことはなかったんじゃないかって」

僕「そんなこと…」

馬子「だから私は仮面を被るの。誰も私を知らなければ、私が死んでも誰も悲しまない。誰も傷付かないって。透明人間が死んだって誰も悲しまないでしょう?」

僕「だからって、誰も馬子さんの事を知らないのは、なんだか、悲し過ぎますよ」

馬子「ハンチントン病は遺伝する。私も、ママと同じように、20代後半で身体が上手く動かなくなって、その内、歩く事もできなくなって、自分でご飯も食べられなくなって、当たり前にできている事が少しずつ出来なくなって、やがて無様に死んで行く…」

僕「分かんないですよ、そんなの。もしかしたら、奇跡的に遺伝しないかもしれないじゃないですか。分かりませんよ、えぇ。奇跡はきっと、起きます。僕が保証します」

馬子「ロマンチストね」

僕「…あっ」

馬子「どう?」

僕「馬子さん、とても、綺麗、ですよ。でも脱いでしまうんですか?みんなを悲しませないためのマスクじゃないんですか?」

馬子「…。あなただけは悲しませたいの」

『おまけ』

馬子「錆び付いた車輪 悲鳴を上げ 僕等の体を運んでいく 明け方の駅へと♪」

僕「…楽しそうですね」

馬子「ペダルを漕ぐ僕の背中 寄りかかる君から伝わるもの 確かな温もり♪」

僕「…同時に言葉を失くした 坂を上りきった時♪」

馬子「迎えてくれた朝焼けーが あまりに綺麗過ぎて♪」

僕&馬子「笑っただろう あの時 僕の後ろ側で 振り返る事が出来なかった 僕は泣いていたから♪」

藤原さん結婚おめでとうございます。

以上です。
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