提督「屋上を見上げて指さすと」 (8)

ある時、提督は外の空気を吸おうと鎮守府の周りを散歩することにした。

道を歩いていると、艦娘たちが「おはようございます。提督」と挨拶をしてくれる。中には駆け寄ってきて自分が焼いたクッキーを渡してくれる娘もいた。

提督と彼女たちの関係は良好であった。それは常日頃から誠実にこつこつと仕事をこなし、信頼を築いたゆえにであった。

「しかし、ここは案外人通りが多いな。単なる脇道だと思っていたから、今度改めてここの整備を十分にしてもらおう」。

提督はふと上を見上げる。鎮守府の屋上が空を切り取っていた。こんな感じだったか? と気になった提督は屋上が良く見える位置に移動し、再び眺める。

人が飛び降りるのに丁度良い屋上だなと思った。すぐさま提督は疲れでも溜まっているのかと自問する。どうしてこんな不吉な感じを持ってしまったのか。


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「どうしましたか? 司令官」。突然横から声を掛けられて提督は驚く。いつの間にか提督の隣には朝潮が控えていた。

「ああ。朝潮か。いやなに……」と言いかけたはいいが何と言ったものか迷う。

「そうだな。朝潮。あそこを見てみろ」と先ほどまで提督が眺めていた屋上を指さした。

提督の指先につられて朝潮も屋上の方を見る。その途端に朝潮は顔を青くして叫んだ。「司令官が飛び降りようとしている!」

提督が一体何を言っているんだと混乱している間に、朝潮のよく響く声を聞きつけた他の艦娘たちが大勢集まってきた。

悲鳴を上げる者もいれば、状況を落ち着かせようと指示を出す者、スマホで写真を撮る者と様々な反応を見せる。

彼女たちの様子が余りにも本物らしいので、提督は再度屋上の方を見上げるもやはりそこには誰もおらず、ただの屋上のようにしか見えなかった。

提督がどうしたものかと、まごついている内にも、騒ぎはどんどん大きくなっていく。

拡声器を持った艦娘が説得を試みる。それは彼女たちがこれまでどれほど提督に助けられ、提督を頼りにしてきたのかから始まり、その恩への礼、彼女たちの提督への慕情の表明と、感動的な様子で語られた。

屋上の提督に向けられた言葉を、横から提督は恥ずかしいような嬉しいような他人事のような気持ちで聞く。

そうこうしている内に、屋上に人影が現れた。今度は提督の目にもはっきり見えた。朝潮だった。彼女はいち早く提督を助けるために移動していたようだった。

朝潮が一歩二歩と屋上の縁の方へと近づく。提督の周りにいる艦娘が息をのむ。朝潮がえいやと飛び掛かり、そのまま空中に躍り出る。周りから悲鳴。朝潮は何かを抱きしめるかのような姿勢で地面に広げられた安全マットの上に落下した。

朝潮が大丈夫と腕を大きく振ると歓声を上げながら艦娘たちが落下地点の方へと集まっていく。

「もう心配させないでよね!」「いやでも無事でよかった」「バカ!」「君たちも少し待って提督の話を聞いてやろうじゃないか」と騒ぎ立てている。

中心にいる人物の場所はすっぽりと空っぽで、艦娘たちが何か不格好な円陣を組んでいるようにしか提督には見えなかった。

提督が艦娘たちの輪から離れたところで一人待つことしばし。「本当ですか! 司令官! 私も……いえ私たちもです! 司令官!」と感涙した朝潮の声がよく響いてきた。感動の一幕はどうやら終わったようであった。

それからより絆が深まった艦娘と提督は戦争において多大な貢献をし、終戦の英雄とも言われるようになる。

提督が執務室で書類仕事を片付けていると、朝潮がトレーを持ってきた。「司令官。コーヒーをお持ちしました」「ああ、ありがとう」「それで以前に言われていた遠征編成の件ですが……」「……ああ。そのことか」

提督は曖昧な返事を返す。あれ以降ときおり記憶のない指示が彼のものとして出されていることが生じていた。しかも、またそれが非常に優れた案なので彼自身も訂正できないほどであった。

「ああ。以前言った通りに進めてくれ」「はい。分かりました」。だから、提督はその場合、適当に話を合わせて穏便に済ましてきた。その方が世界のため彼女たちのためになる気がしたのだ。

「司令官のことは本当に尊敬しております」。朝潮が切り出すも提督は「ああ……」と気のない返事。

「艦娘だけではなく世界中であなたは感謝されています」「ああ……」「それもあの時のことがあってからですね」「ああ……」。提督の返事が良くないので話は続かなかったが、朝潮は気にした様子もなく薬指の指輪をいじっている。

「そ、それで……」と突然に朝潮は決意したかのような声で顔を赤らめ言う。「こ、今夜、司令官の寝室に来いとの命令は、つまりそういうことで良いのですよね……?」。提督はそれも記憶になかったが、「ああ……」と答えた。

朝潮が嬉しそうに去った後の執務室。提督は静かにただ座っていた。終戦となって各方面から賞賛の声がかけられ、英雄として最高の名誉も手にした提督であるが心には果てのない空虚感のみがあった。

終戦の偉業に関して何回も尋ねられたことがある。その度に提督は「それは私の力ではありません。……ええ、艦娘たちをはじめ、みんなのみなさんのお力があってこそ成しえたことです」としか答えられなかった。それ以外に何が言えるというのか?

しかし、そうして口を重くし語りたがらない振る舞いは、衆目には非常に謙虚で感じが良く思われてしまうそうで、艦娘たちは余計に提督に熱を上げているのであった。



おわり

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