「……」
「……」
「……」
「……」
漣がいるのは当然だった。なぜなら、俺が執務室の書棚の整理を頼んだからだ。
彼女は俺を睨んでいた。それもまた当然だった。
完全に無意識の呟きだったと弁明しても、果たしてどれだけの意味があるだろうか?
名誉のために言っておくが、俺はロリコンではない。
世の中には便利な言葉がある。「自分はナントカではない。ただ愛した相手がカントカだっただけだ」。そんなおためごかしの嘯きさえも俺には当てはまらないくらいに、性癖は至って普遍的だ。
俺はロリコンではないし、俺は決してロリコンなどではないし、俺は断じてロリコンなんかではありえない。
「……」
漣がしかめっ面でこちらを見つめていた。
肩をほぐすふりをしながら、視線を逸らす。
「頭がおかしくなったんですか?」
彼女のその言葉は実に正鵠を得ていた。あぁ、その通りだろう。俺はきっと頭がおかしくなってしまったに違いない。
でなければ、無意識に漏れ出た言葉が「おっぱい触りたい」などというのは、まるでただの変態になってしまう。なけなしの、ちっぽけな名誉を何とか守るためにも、そこは譲ることのできない一線だ。
その結果頭がおかしいと認めることも吝かではない。
……いや、わかっている。本当はわかっているのだ。仕方がない、頭を垂れよう。確かに俺はおっぱいが触りたい。とても触りたい。だから無意識に零した言葉がそうであったとしても、何ら不思議はない。
若い子女に囲まれた生活は、どうしても煩悩が山積していく。それは俺が正常な男である証左でもあるのだが、そんなことは俺の職務には一切正の効用を生まない。
僻地の泊地で艦隊指揮を執り早二年が経過した。泊地運営は順調だし、艦娘の運用もまた同様。俺は彼女たちを家族として愛していたし、彼女たちからの信頼も十分に勝ち取れているという自負はあった。
ただ、それでもやはり、溜まるものは溜まる。
基本的に提督という地位には秘書艦が一名つく。よって、一人の時間はそれほど多くはない。自慰の時間も満足に作れず、かといって外でプロに処理してもらうほど、この辺りには活気がない。
先月の末、研修で呉の方へと寄った時、同期に風俗に誘われたのを断らなければよかったとつくづく後悔する。あの時は持ち合わせがあまりなく――いや、自分自身に嘘をつくのはやめよう。結局のところ俺は、金を払ってまでセックスの相手をしてもらうのは恥ずかしいと思っていたのだ。
俺は臆病な男だったのだ。
「……触ります?」
漣がおずおずと尋ねてくる。
「なに言ってんだ」
「それは漣の台詞なんですけど?」
それもまた正鵠を得ている。漣、お前は案外駆逐艦よりも、空母として弓を射る才能の方があるんじゃあないか。
そんな現実逃避の冗談を漣は「はぁ?」と一蹴した。いや、一蹴ですらなかった。そもそも相手にされていない。
「触りたいんじゃないんですか?」
上目遣い。それは俺の心拍数を上昇させるには十分すぎるほどの威力を秘めている。
俺は顔が引き攣るのを全身全霊で抑えつけた。自制のしかたを身に着けたのは、あくまで上官として適切な指揮を行うためだったはずなのだが。
「触りたくない」
「でも、さっき」
「あのなぁ、漣」
「またそれですか? 『指輪はあくまで儀礼的なもので――』」
あぁ、そうだ。俺は大きく頷いて、その先を引き取った。
「『お前と俺とはあくまで上司と部下の関係でしかない』」
それは何度も何度も繰り返し、念入りに漣へと伝えたフレーズ。
漣はどうやら、俺に恋慕の情を抱いているらしかった。
ばからしい、と切り捨てる真似は、思春期の少女を相手に大人のすることではない。けれど、一回りも離れた男が好きなのだと言い出したとき、それを宥めてやることは大人の責務だと俺は思う。
あの指輪がいけないのだ。あれが全て元凶だ。上層部の悪趣味の発露。徽章にでもしておけばいいものを。
漣のことは無論嫌いではない。嫌いになれるわけがない。大輪のひまわりのように笑う快活な少女を嫌いになれるやつがいたら見てみたかった。いっそ目の前に現れてほしい。即座にぶん殴って説教してやる。魅力を半日かけて講義してやる。
ただ、それと手を出すかどうかとは別問題なのだ。俺は漣のことが好きだ。彼女を大事にしたい。守りたい。ずっとそばで笑顔を眺めていたい。
だから、絶対に手を出すつもりはない。
そもそも、だ。健全な泊地運営のためには、まず俺が健全な背中を見せる必要があるだろう。駆逐艦と男女の交わりをする提督が率いる泊地など、一体どれだけ後ろ指を指されるものか。
仮に漣が俺を愛してくれているのが本心からだとして、一時の思春期の火炎ではないとして、ならば俺はより漣の模範として立たなければならない。彼女の愛する男が、少女に手を出すような男であってはならない。
二律背反。背に腹は代えられぬ。あちらを立てればこちらが立たず。
「じゃあなんでおっぱい触りたいなんて言ったんですか?」
「……」
聞こえないふりをした。その質問への返事は、どうやっても俺の立場を悪くするばかりに思えたからだ。
「だから、触ってもいいですよって」
「触らねぇって言ってんだろうが!」
「触りたいって言ったじゃないですか!」
「俺は、あー……俺は、その、巨乳が好きなんだ。ぼいんぼいんがいいんだ」
「へんっ」
苦し紛れの嘘を漣は軽く笑い飛ばす。
「嘘ですね」
「嘘なもんかよ」
巨乳が嫌いな男はいない。
「いーや、嘘です。何故なら、本当にご主人様が巨乳フェチだったとしたら、ご主人様はこう呟いてるはずです。
……『おっぱい揉みたい』と」
論理的な思考回路。俺の言葉が無意識であるがゆえの、抗いきれない言葉の選択。
「ご主人様は『揉みたい』ではなく『触りたい』と呟きました。それが意識しての言動なら、あえて柔らかい言い回しを択んだともとれます。だけど、状況的に、そうではない!」
漣は指を勢いよく俺に向ける。
「つまり! ご主人様は確かにおっぱいが触りたかった! しかも巨乳じゃなく、ちょうどいいくらいのサイズのおっぱいを! たとえば、そう、漣くらいの!」
そうだったのか! となるはずはなかった。
「いや、触んねぇから……」
「もう! なんでさっ! どうしてさっ!」
漣は俺の腰のあたりを平手でべちんべちんと叩いてくる。艦娘と言っても陸では単なる少女に過ぎない。スナップをきかせた攻撃はそこそこ痛いが、そこそこ止まり。
「漣はっ、漣はぁっ! ご主人様の、ご主人様がっ、好きだからっ! 好きな人のために一生懸命頑張って、それで指輪もらって、超嬉しかったのにぃっ! ばかばかばか! ばーかっ!」
泣いていた。マジ泣きだった。
洟さえ垂らすほど全力で、漣は喚き散らしながら、俺に怒りをぶつけていた。
「……」
言葉が出ない。
それは決して漣の醜態に呆れ果てたのではなく、寧ろ、醜態を晒しているのは俺自身なのだと理解したからだ。
平手打ちの痛みなど比較にならないほどの苦痛に、漣は苦しんでいたのではないか。
「……漣の好きと、ご主人様の好きが違うってんなら、はっきりそう言ってください。それもしないで、指輪渡して、だけど触っちゃくれなくて……なんでそんないじわるするんですかぁ……」
涙で濡れた瞳は、紅潮した頬は、眩暈がするほどに美しい。
いや、だが、でも、しかし、けれど、とは言っても!
俺には艦隊を率いる重責がある。天秤の反対側に漣がいるのか? 本当に? それは俺がそう思っているだけなのではないか? うまくいかなかったら? 笑って済ませる問題じゃないだろう? 俺の更迭で話が収まるかわからないだろう!
俺はロリコンではなかった。「ただ愛したのが漣だっただけ」? 証明はどこにある? いいのか? 俺の愛する彼女が愛する男が、いたいけな少女を愛する男でいいのか? 俺は止めなければならないんじゃないのか? 大人として、何よりこいつの……、
……あぁ、くそ!
俺はこいつのなんなんだ!
論理構造はどうなっている? 何が正しい?
この知恵の輪を、誰か、解いてくれ。
手首が掴まれた。
はっとして真正面を向くと、漣が怒ったような笑ったような、やけくそじみた、それでいて勝ち誇った、この世のものとは思えない顔をしている。
両手が俺の手首へ。全力で握られているのか、痛みさえ伴うその握力に、腕はびくともしない。
力任せに引き寄せられる――柔らかいものが俺の手のひらに収まる。
柔らかいようでいて、少しごわついているのは下着の感触かもしれない。ただ、覆い隠せるくらいの控えめなサイズではあるものの、そこには確かに主張があった。
「既成事実、です」
僅かに呂律の回らない口調で漣は言った。
「……既成、事実」
鸚鵡返し。俺もまた、呂律が回っているかどうかは怪しい。
「愛してます、ご主人様」
「俺も、だけど……」
俺たちの間には壁がある。
その壁にはでかでかとした文字で「倫理」「道徳」「規範」と書かれていて、万里の長城が如く、迂回さえさせてくれない。
漣の柔らかさが手の中で暴れている。
発破解体の轟音が頭の中で反響していた。これは罷り間違っても正規の方法ではない。ないのだが……。
開いた穴から差し込む光の眩しさには到底抗えず。
「これから一歩ずつ進んでいきましょうね、ご主人様」
一歩ずつどころか一足飛びじゃねぇかとは、思っても言えなかった。
* * *
漣の柔らかさが頭から、手のひらから、数日経っても離れない。寧ろ日を追うごとに増すばかりで、それはこじらせた風邪のように俺の心を蝕んでいく。
かぶりをふって煩悩を吹き飛ばそうと試みる。いやいや、流石に手は出さない。出せない。人間は理性を強くもってこその人間なのだから。
いまは漣に会いたくはなかった。あまりに会いたくて、なにをするかわからない。あの柔らかさを手のひらと言わず全身で貪れたならばどれだけ気持ちがいいだろう。
だがしかし、俺はロリコンではないのだ。名誉のために言っておかなければ。
執務室へと素早く滑り込み、鍵をかける。とりあえず一人になろう。少しゆっくりして落ち着こう。書類に判子を押していれば、この悶々とした欲もどこかへ消え去ってしまうはずだ。
海軍の回線は検閲されているだろうから、アダルトサイトの閲覧はご法度。もういっそ妄想でなんとかしてしまうというのも手ではあるが。
「あー……セックスしてぇなぁ……」
呟く。殆ど無意識に。
がたん、と大きな音がして、俺のデスクが大きく震えた。
「……」
漣が、
「いや、あはは、驚かせようと思ってたんですがー……」
震えた声とともに立ち上がって、
「……」
俺は無言で、
「……」
漣もついに無言になって、
……おい、頼むから、お前は無言になるんじゃねぇよ。
何か喋ってくれ。じゃないと、なぁ、おい。
「……します?」
なるほど、コミュニケーションは不全のようだ。
名誉のために言っておくが、俺はロリコンではない。
そして名誉を守るため、俺は部屋の施錠をもう一度確認したのだった。
――――――――――――――
おしまい
駆逐艦って倫理観が邪魔をしません? ってお話。
スレタイと冒頭だけの一発ネタから二時間で書けた。この調子で毎日書きたい。
よろしければ過去スレもご覧ください。
また、「潜水艦泊地の一年戦争」再開しました。こちらもお暇があればよろしくどうぞ。
濡れ場あるので苦手な方には非推奨です。
【艦これ】潜水艦泊地の一年戦争 - SSまとめ速報
(https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1542629601/)
待て、次作。
エロ同人の導入部分だけ置いていくのやめろぉ!
>>17
恋愛は成就するまでが一番楽しいので
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