モバP「カミさんとホームカミング」 (26)

久しぶりに速報に投げるカミさんな神谷奈緒のおはなし

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「落ち着いて聞いてくれ……お義父様が……入院したって、連絡があったんだ……」

「えっ」

 何も変わらない1日のはずだった。いつものように起きてカミさんとスキンシップをして朝食を食べて、目の前で愛情を込めさせた(恥じらう姿がまた可愛いんだ)愛妻弁当を持って出社して、担当することになった新人アイドルたちのファーストステージのレッスンをして、ドタドタドタと騒がしい足音が聞こえたと思えばカミさんが血相を変えてレッスルルームにやってきて。元トップアイドルの神谷奈緒が来たものだからビックリしているアイドルを尻目に、奈緒は震える声でそう言った。いきなりの出来事に、持っていたタブレットを落としてしまう。買ったばかりというのに、画面に小さくヒビが入ってしまった。

「親父!!」

 事務所に事情を説明して早上がりさせてもらった俺は奈緒と一緒に飛行機に飛び乗って地元へと帰ってきた。一瞬、一秒でも早く着いて欲しい。何時もなら心踊る空の旅も楽しんでる余裕なんてなく、落ち着けない俺を心配してかカミさんはずっと手を握ってくれていた。その暖かさが何よりも嬉しくて、つかの間の安らぎをくれたんだ。
 空港からタクシーを捕まえて病院へと急ぐ。タクシー代はバカならないことになったけど、そんなことは瑣末なことだ。病院ではお静かにという注意を無視して病室へと駆け出す。勢いよくドアを開けて、そこに待っていたのは。

「そうなんだよねぇ、俺の倅芸能プロダクションで働いてて、しかもあの神谷奈緒と結婚してるんだよ……はい、それロン」

「……お義父様?」

「んおっ? おお、噂をすればなんとやらだな。紹介するよ、うちのバカ息子とその出来すぎた奥さんの奈緒ちゃん……」

「何やってんだよ、親父……」

 見ればわかる。白い病院着を見にまとった同年代くらいのおっさん4人が病室で麻雀をしていることくらい、一目瞭然だ。

「なぁ、奈緒。俺には親父がピンピンしてるように見えるんだけど」

「いや、あたしに言われても。お義母様から電話があって、凄いトーンで倒れたっていうから……」

 親父も一緒に卓を囲んでいる人たちも、今すぐ天に召されそうな雰囲気ではなかった。

「だってそうでも言わないと、帰ってこないでしょ?」

「お義母様!」

「奈緒ちゃん、久しぶりね。調子はどう?」

 夫婦そろって困惑していると後ろからおふくろが顔を出してきた。

「倒れた、んだよな親父」

「ええ。それはもう、お腹を抑えて凄いうめき声をあげていたわよ。この世の地獄、みたいな顔をしてたんだから」

「ちなみに病名は?」

「盲腸よ。ちなみに手術は二時間もかからなかったわ、今週中には退院できるって」

 あっけらかんとお袋はそう言ってのけた。

「はぁ……なんか、急いで帰ってきて損した……」

「おーい、大丈夫かー?」

 ドッと疲れが一気に体を襲う。そのままヘナヘナと崩れ落ちてしまいそうになるが、カミさんに支えられて立ち上がる。

「酷い言い様だなぁ。盲腸だって立派な病気だぞ? 放っておいたらそれこそ命が危ないんだから」

「それもそうだけどさぁ」

 勿論軽視していい病気なんてこの世にないだろう。虫歯だって無視していたらシャレにならないことになるんだし。

「でも、無事でよかったよ」

 紛れもなく本心だ。俺もカミさんも半ば脅される形で帰郷することになったけど、いつもと変わらない両親を見てホッとしていた。

『ここのところ仕事詰め込んでたんですし、有給使って今日と明日はゆっくりしてきてくださいね。あの子達なら大丈夫ですから』

 親父の無事を確認したから帰ろうとしたタイミングで、事務員のちひろさんから状況確認の連絡があった。そのまま戻るつもりでいたのだけど、会社が気を使ってくれたのか夫婦水入らずの時間を過ごしてくださいね、と電話を切られてしまう。

「今日と明日は、こっちでゆっくりしておいでってさ」

「ライブ近いのに大丈夫なのか?」

「仕上げは上々だったから、俺があとできることなんて知れてるしね」

 病院を出て小高い丘を登ると青々とした海が一望でき、潮風の香りが懐かしさを呼び起こす。そういや地元に帰ってきたのって奈緒を紹介しに行って以来だっけか。

「何もない街だけど、案内するよ。前に来た時はそれどころじゃなかったもんね」

「あの時はお義父様とお義母様がどんな人かなってビクビクしてたからそんな余裕なかったし、Pさんの仕事もあったからとんぼ返りだったもんね」

 両親に合わせる前の奈緒ときたら、今までいくつものオーディションでステージや役を勝ち取って来たはずなのにすっかり萎縮しちゃっていて、まるで小動物のようだった。スマホの履歴には「彼、両親、挨拶」と残っていて例文をドラマの台本のように何度も繰り返して読んで練習していたくらいだ。まぁ、そんな杞憂もいざ2人に会えば消えてしまったようで、奈緒とお袋は割と頻繁にLINEでやり取りをしているんだとか。

「だからさ、こっちに来る時ちょっと不謹慎だけど……楽しみでもあったんだ。Pさんの生まれ育った街にまた来れるんだ、って。仕事のこととか全部忘れて、うんと楽しもうよ」

 遠くから聞こえる潮騒に包まれて、カミさんは柔らかな笑みを浮かべる。

「だな」

 離してしまわないように、強く手を繋ぐ。群れなして飛ぶカモメたちの鳴き声が波の音に隠れて消えていった。

「いち、に、さん、し! に、に、さん、し!」

 あてもなくぶらぶらと歩いているとラジオ体操の歌が流れてくる。その方向へと足を向けると懐かしい光景が目に入って来た。

「ここさ、俺の母校」

「へぇ……」

 柵の向こうから校舎を覗き見る。生徒の数は多くはないけど、元気一杯にみんな走り回っている。休み時間に教室を飛び出してみんなで鬼ごっこやドッジボールをした記憶が蘇る。

「奈緒はさ、逆上がりできた?」

「どうしたんだよ、藪から棒に」

「なんとなく、目についたからかな?」

 グラウンドの端にポツンと大中小の鉄棒が並んでいる。小学校を卒業してから見ることはなかったけども、いざ目の当たりにすれば苦い思い出が蘇る。

「俺さ、結局逆上がりできなかったんだよね」

「なんか、意外かも」

「みんなが簡単にやってのける中で、俺だけ出来なくて。いつも体育の先生が後ろで補助してくれてた。逆上がりが出来なくてみんなから笑われてさ、すっげー悔しくて。親父と一緒に練習もしたんだけど、最後の最後まで出来なかった。逆上がりできなくたって、大人にはなれるって言い聞かせてきたけど……やっぱなんか、悔しいな」

 逆上がりが出来なくたって良い会社に入れる。逆上がりが出来なくたって世界一のお嫁さんと結婚できる。逆上がりが出来ない=人生の負け組になるなんて道理はどこにもないんだけど、大人になった今もどこかしこりが残っていたみたいだ。我ながら女々しいと言うか、なんというか。

「じゃあさ、今からしてきなよ」

「へ?」

「逆上がり、見ててあげるからさ。大人になった今だと案外簡単にできるかもしれないよ?」

 カミさんはパッと笑顔を浮かべている。この顔には見覚えがあった。カミさんで遊ぼうとする某トライアドの2人と同じ顔だった。

「いや、今やれって言われても」

 グラウンドまで行って逆上がりさせてください、って言いに行くのか? 変質者じゃあないかそれ?

「すみませーん!」

「お、おい!」

 困りきった俺をよそに奈緒はジャージ姿の先生を呼び止める。

「なんでしょうか……ん? んん?」

「どうもー、通りすがりの神谷奈緒で」

「もしかしてお前……ピー助か!?」

「なっ!?」

 ピー助。その名前で俺を呼ぶのは、同じ小学校に通っていたやつくらいだ。つまりこの先生は……。

「え、なに? 知り合いなの!?」

「俺の同級生、っぽい……」

「うわー、すごい偶然……」

 ジャージに縫われた名前を見る。松井……。

「あぁ! まっつん!!」

「そうだよ! 6年間ずっと同じクラスだった松井だよ!」

 思わぬ同級生との再会に俺とまっつんは柵越しにテンションが上がって行く。

「何やってるの、先生?」

「おーい、2人ともー。みんな戸惑ってるぞー?」

 事情を知らない生徒たちとカミさんは盛り上がる俺たちを冷ややかな目で見ていた。

「まさかピー助君がこっちに来ていたなんて。一言言ってくれたらよかったのに」

「いやぁ、いかんせん急な話だったので……お久しぶりです、先生」

 この学校を卒業して20年近くが経って、かつて俺たちのクラスの担任だった現校長先生は熱血教師から落ち着いた初老の教師へとレベルアップした一方で、あれだけフサフサだった髪の毛はすっかり寂しくなっている。俺はハゲないぞ! と言っていた過去の先生へ。現実は残酷でした。

「芸能事務所に就職してアイドルと結婚した! とは聞いていましたが、美人な奥さんで羨ましい限りです」

「美人だなんて……」

 褒められたのが嬉しいのか、カミさんはフニャッとした顔になる。

「教え子たちが大人になって活躍して家庭を持って行く。それに勝る喜びはありませんよ。この校舎も、きっと満足して新しい役目を果たせるでしょうね」

「え?」

「あぁ……この街も少子化の波には勝てなくて、近くの学校と合併することになったんです。だからこの校舎も、来年には廃校になるんです」

「そう、だったんですか……」

 廃校。たった四文字の言葉で、俺たちを作ってくれた思い出がもう二度と帰らない過去のものとなってしまう。

「校舎も取り壊されるんですか?」

「いえ。幸いなことに、校舎を再利用して生涯学習施設や地域のコミュニティの場として活用される予定です」

「そうですか……良かった……」

 心からホッとして息を吐く。目的は変われども、この学校が残り続けることが嬉しかった。そりゃあ良い思い出ばかりじゃないけど、それでも6年間をみんなで過ごしたこの場所は特別だったんだ。

「さようならー!」

「はい、さようなら」

「元気のいい子供達だなぁ」

 先生への挨拶を終えて校内を懐かしい気持ちで見学する。古びた教室も柱の傷もあの頃のままで、木造建築の優しい香りが思い出を泉のように湧き上がらせてくれた。ちょうど帰りの会が終わったところなんだろう、教室から駆け出す子供達は元気いっぱいで体力が有り余っているみたいだ。このままグラウンドでサッカーでもやるのだろうか。

「なぁ、奈緒。本当に良いのか?」

「まだ言ってるのかー? あたしなんかでも力になれるのなら、いくらでも歌ってあげるって。笑顔でさ、この学校とサヨナラして欲しいし」

 きっと先生もまっつんも本気で言ったわけじゃなかっただろう。明日の全校集会で奈緒に歌ってほしい。軽い冗談のつもりで言った一言を、カミさんはなんと間に受けてふたつ返事で許諾してしまった。その瞬間の2人の焦りっぷりと来たら写真に撮って52期生同窓会の案内状に貼り付けたいくらいだった。

「ほら。昔やってたじゃんか。廃校になる小学校にツインテールの3人が遊びに行ったやつ。ああいうの好きだからさ、あたし」

「ツインテールになるのが?」

「あたしがしたら雑コラにしかならないぞ!?」

 その反応は予想外だったのか顔を真っ赤にして反論する。ツインテールの奈緒かぁ。今まで意識したことなかったけど……。

「わっ」

「かわいいよ、似合ってる」

 カミさんの髪を両手で持ってツインテールを作る。恥ずかしさが極まったのかあわあわとしているが、そんな姿も愛おしくてついついツインテールを揺らしてしまう。

「ほ、ホントかぁ? あたし、四捨五入したら」

「30でも可愛いものは可愛いよ。でもこれは明日やめとこう。俺だけが独占したいもん」

「ま、まぁ……Pさんの前だけならたまになら……」

「あー、そこのバカップルバカップル。校則違反だぞー」

 2人だけの甘い時間になりそうなところをまっつんに邪魔される。彼だけじゃない。高学年の生徒だろうか。目をキラキラさせながら俺と奈緒を見ていた。

「あああ!! 見るな見るな見るなー!」

 我に帰ったカミさんは耐えられなくなったのか廊下を走って校舎を出てしまった。

「可愛いだろ? 俺が育てたアイドルにして奥さんだからね」

「小学生に惚気るな惚気るな。それよりピー助、夜は暇か?」

「ん?」

「せっかくこっちに帰って来たんだし、プチ同窓会でもしようぜ」

「「「かんぱーい!!」」」

 ビールが注がれたグラスが重なり心地いい音が響く。

「ふぃー……最高」

 今日もいろいろあって身体はすっかりお疲れモード。そんな時に飲むキンキンに冷えたビールはまさに殺人的だ。

「あれ? ピー助ビール飲めたっけ? 成人式の時は飲んでなかった気がするけど」

「昔はな。こんな苦いの誰が飲めるんだって思ってたけど、社会の波にもまれていくうちに美味しさがわかったというか」

 いつしか苦さが癖になってくる。これが大人になる、ということなのかもしれないな。

「あんま飲みすぎるなよー?」

 カミさんはというと最初に軽いチューハイを飲んで以降はウーロン茶をチビチビと飲んでいる。あんまりお酒に強くないのもあるし、酔っ払った奈緒はそれはもう……今話すことでもないか。あまり他の人には見せたくないし。

「でもピー助君がアイドルと結婚したなんてねー。みんなビックリしてたんだよ?」

 割烹着姿の梅ちゃんが空になったグラスにビールを継ぎ足してくれる。彼女も俺達と同じでこの街で育った幼馴染で、今は親の跡を継いでこの小さな居酒屋を切り盛りしている。子供の頃は遊び終わった後にお店に来て、おばさんに賄いを出してもらっていたっけか。

「そうだぞー。竹井なんか奈緒さんのユニットの大ファンで、奈緒さんがプロデューサーと結婚した時はそれはもう仕事が手につかないくらいに落ち込んでたのに、その相手がよりにもよってお前だと知った時の顔は今でも忘れられないよ……人間ってあんなに絶望的な顔ができるんだな」

「あはは……」

 竹井は学年で一番運動ができて中学高校とバスケ部のエースだった男だ。逆上がりができない俺をいつもバカにしていたけど、その相手に推してたアイドルを取られたんだ。凹むのも無理はないか。まぁその悔しさをバネに社会人バスケで活躍しているらしいからザマァ見ろとはとても言えないんだけどね。

「あのー、ちょっと良いですか? ずっと気になってたんですけど、なんでうちの人のあだ名がピー助なんですか?」

 そういえば。奈緒に小学校の頃の話をしたのは今日が初めてだった。だから周りのみんながピー助と呼んでいても、カミさんからすれば違和感が大きいのだろう。

「なんでって……なんでだっけ? 梅ちゃん、覚えてる?」

「いやー、覚えてないわ。気付いたらみんなピー助ピー助って呼んでたから」

「んな無責任な」

 理由もないのにピー助って呼んでいたんかい。ため息が自然と出てしまう。でも彼らがいうように、理由がさっぱり思い出せない。確かに今の俺はプロデューサーだからピー助と呼ばれても納得はできなくないけど……ダメだ、思い出せない。

「特に意味はないんじゃないかな? 子供の頃ってそんな感じであだ名つけてたし」

「そういうもんかー? まぁ、良いけど」

 いまいち釈然としていないみたいだけど、奈緒自身も思い当たる節があったのかそれ以上尋ねることはなかった。

「そうそう。ピー助君にはまだ話してなかったんだけどね……じゃん!」

 梅ちゃんはポケットから小さな箱を出し、パカっと開けるとそれは小さく輝いた。

「おっ! それ、結婚指輪? 梅ちゃん結婚するんだ。相手は誰々? 俺の知ってる人?」

「それはもちろん。結婚することで私は高級感のある苗字になるのだ」

「高級感のある……梅井……あっ、まさか!?」

 梅井が高級になる。つまりそれは。

「まっつん! お前かよ!」

「おお、おめでとうございます!」

 気がつけばまっつんの薬指にも同じ指輪が光っていた。結婚会見みたいに並んで指輪を見せる2人に俺とカミさんは素直に拍手を送った。

「俺も人生の墓場行きってことさね」

「ちょっと墓場って言い方はないでしょー? ねぇピー助君」

「それな。だいたい俺奈緒との結婚を墓場って考えたこと、一度もないし」

「Pさん……」

 夜は墓場で運動会なんて歌があるくらいだしな、ふふふ。

「ちょっと今の下ネタは引くわー……」

「えっ、声出てた?」

「出てた出てた、ドヤ顔してるし」

 カミさんは本気で呆れてるみたいで椅子3つ分距離を取る。

「ピー助君サイテー」

「よっ! セクハラプロデューサー!」

「セクハラプロデューサーだぁ!? バカ言っちゃいけないぞ、俺こそアイドル達に真摯な向き合っているプロデューサーは」

「現役時代何回か胸触られましたー」

「奈緒ー!?」

 いつもの仕返しだ! って言わんばかりにあっかんべーをする奈緒を尻目に俺は旧友達にボコスカにされるのだった。

「……で、奈緒ちゃんの胸って、どうなん?」

「感度いてててて!」

 耳! 耳が千切れるから!

「なぁ、まっつん」

「どうした、ピー助」

 ざわざわ、ざわざわ。

「生徒の数よりも大人の方が多い気がするんだけど気のせいだろうか?」

「気のせいじゃないな……」

 翌日。どこからかあの神谷奈緒がミニライブをする! という情報が流れたみたいで、体育館の中には生徒達だけじゃなくて近隣の方々まで見に来ていた。

「引退したって言っても、流石はレジェンドアイドルの1人だなぁ。街の人全員来てるんじゃないか?」

「な、なぁ? あたし、本当にこれで出なきゃダメなのか!?」

 そして本日の主役であるカミさんはというと舞台裏に隠れて出てこようとしない。昨日、あれだけノリノリだったのに。

「そうだけどさぁ!? でも流石に……この衣装はないだろ!?」

 そもそも俺とカミさんは親父の見舞いのために地元に帰っていたんだし、ライブをするというのも話の流れで決まったこと。すっかり衣装のことを失念していた俺は、私服でステージにあげるのもどうかと思って、奈緒と背格好の近い梅ちゃんに貸してもらったのだ。梅ちゃんが高校生の時に来ていた、体操服を。

「アラサーが体操服着てパフォーマンスをするなんて聞いたことないよ!」

「いやぁ……うちでもそこそこ前例はあるぞ……?」

「そうかもしれないけど! んなー!」

 せっかくセットした髪をクシャクシャにしてヤケクソが若干入る。

「じゃあみんな、奈緒ちゃーんと元気よく呼びましょう」

 時間も推しつつあるので先生はヒーローショーの司会みたいにそう言い、館内の子供も大人も声を1つにして叫ぶ。

「奈緒ちゃーん!!」

「Pさん、後で覚えとけよなー! みんな! おまたせ!」

 恨めしそうなそう吐き捨てると一瞬でアイドル神谷奈緒に変身して壇上のステージへと立ち上がる。

「今日は目一杯楽しんでいってくれよな!」

 眩しいサイリウムもバックダンサーもいない。でもうちのカミさんは、どこであろうと輝けるスターだった。今だってそう。夏のひまわり畑のように咲き誇る笑顔の中で、誰よりも高く飛び上がった。

「えーと、奈緒? やらなきゃダメなのか……?」

「妻に体操服でライブさせといて、自分だけ逃げようって言ってもそうはいかないからなー!」

 カミさんによるミニライブは大盛況のうちに終えた。きっと子供達も、この学校を懐かしむ時に体操服で歌い踊ったお姉さんのことを思い出の1つとして振り返るだろう。ただ、そこで終わるはずだったのに。

『実はねー、あたし旦那のお父さんのお見舞いでこっちに着ていて。旦那がこの学校のOBだからライブを開いたんだけどね……うちの旦那様、逆上がりが出来ないまま学校を卒業したんだって。だから後で逆上がりができるように応援してあげて!』

 と全員の前でのたまうものだから、逃げ場をなくした俺は20年近くぶりに鉄棒の前に立っていた。よう、久しぶりだな。会いたくなかったよ。

「はぁ……失敗しても笑うなよ?」

「笑わないって。20年前の忘れ物、取って来なっ!」

 カミさんはパシンと背中を叩く。いつも俺が背中を押していたように、勇気つけるかのように。

「あんがと、なんだか行ける気がしてき……た!」

 強く地面を蹴って勢いに任せる。くるりと世界が反転したのは一瞬のこと、俺は勢い余らせて足を滑らしてお尻で着地してしまう。

「いってて……」

「ほら、出来たじゃん」

 逆光のように太陽の光を帯びたカミさんが手を伸ばす。薬指の指輪に光は反射して強くきらめいた。

「尻餅ついた、けどな」

「青春の勲章ってやつだろ?」

「かもね」

 パチパチパチと拍手を浴びてカミさんに立たされる。

「おめでと。梅ちゃん、まっつん」

 この時ようやく、俺は大人になれた。そんな気がしたんだ。


「んじゃ帰るよ。無理すんなよ、親父」

「アホ抜かせ。孫の顔見るまでは[ピーーー]るものか」

「あー、そうか、うん」

 まぁ、言うよなそりゃ。親父だって孫を抱かないと死んでも死に切れないよな。

「予定はあるの奈緒ちゃん?」

「そ、そのうち……ですかね?」

 奈緒も奈緒でお袋に絡まれて若干困惑しているようだ。

「まぁ、なんだ。年末年始忙しいのはわかるが……たまには帰ってこい」

「ま、頑張ってみるよ」

 紅白歌合戦が打ち切りになるまでは、難しいだろうけど。

「ここだけの話なんだけど」

「うん」

「初恋の相手だったんだ、梅ちゃん」

「やっぱり?」

「あれ、そんな素振り見せたっけ?」

「妻の勘、ってやつかな」

 帰り道、口にしなくても良かったことを話してしまった。カミさんはそれを怒るどころか、知ってたよって言わんばかりに笑う。

「でも俺は友達以上になれなかった。逆上がり出来なかったからさ」

「そっか」

 逆上がりなんか全くといっていいほどに関係ないのにね。もし卒業までに逆上がり出来ていたのなら、隣に立っている女性は別の誰かだったのだろうか。それとも、そんな相手はいないのかな。

「奈緒」

「うん?」

「出会ってくれて、ありがと」

「なんだよ、気持ち悪いなぁ」

 照れ臭そうにカミさんは笑う。どちらからと言わず、自然と手がつながる。最初からそうであったかのように、強く強く。

以上になります。お付き合いくださった方がいたらありがとうございます

>>21

ピーのところ「死ね」るです。相変わらずこの機能残してるんですね……

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