幼馴染でクラスメイトな小日向美穂 (160)
これはモバマスssです
かなりの独自設定があります
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幼馴染
幼い頃に親しくしていた友達の事。 英語で書くと old playmate
同性・異性を問わない「友達」を指す。
けれど一般的には幼馴染という単語を聞くと異性の相手を思い浮かべる人が多く。
まぁ僕も異性の事を指す意味として使っている。
なぜ僕が月曜日の朝っぱらに布団から抜け出すよりも早く幼馴染について語っているのかと言えば。
それはもちろん、それに関するお話しをしようとしているからで。
で、今回もまた例に漏れず異性としての幼馴染の話になる訳だけど。
さて……と、本題。
美穂「……ぅうぅん……Pくん…………寝てません……寝てま……」
幼馴染である小日向美穂が、今日も今日とて僕の布団に潜り込んで眠っていた。
高校も二年生にあがりそこそこ慣れて来た五月の頭、第一週目の月曜日。
本日も当然の如く学校があって七時に掛けたアラームで目を覚ませば、隣には毎日見ている幼馴染の顔。
P「……まぁ、慣れてるけどさ」
小学校よりも前からの付き合いであるこいつは、朝に弱い。
なのに、何故か毎日朝早く僕の家に来る。
そしてバスが目の前で出発してしまうくらいの頻度で、僕のベッドで寝落ちする。
なぜ来る、ほんと、なんで来るんだろう。
P「……家で寝てればいいのに……」
かなり昔になんでくるの? と尋ねたところ、起こしに来てあげてるんですっ! とふんすふんすしながらドヤ顔で答えてくれたけれども。
小日向がその役目を果たしてくれたのはおそらく片手以上両手未満の回数と記憶している。
確かに中学あがりたての思春期入った頃はドキッとして目がぱっちり覚める事はあったが。
もう、うん、慣れた。
……さて。
いつまでもこのまま寝かせておく訳にもいかないだろう。
だって今日学校あるし。
僕も早く布団から出て着替えたいし、その為にも小日向を起こさないと。
だって今日学校あるし。
今日が祝日だったのならそのまま放置していくが、そう世界は都合よくできていない。
と、言うわけで。
ゆっくりと布団をめくって抜け出し、肩を揺すって起こしてあげよう。
そう、考えて。
P「…………げ」
なんと言う事でしょう。
めくった布団に巻き込まれ、小日向のスカートまでめくれ上がってしまっているではありませんか。
かつて灰色の生地に覆われていた太ももは肌色になり。
匠の意匠が凝らされた(であろう)下着が晒されるまであと数センチ。
P「……やっべ」
一旦布団を掛けてからもう一度めくるも、スカートはめくれ上がったままだった。
大丈夫だ、まだ下着までは見えていない。
しかし次小日向が寝返りをうってしまえば、おそらくアウト寄りのアウトになってしまう事間違いなし。
更にもし目を覚まされてしまえば、頬にはくっきり紅葉が作られ一足早く秋を堪能する事になってしまう。
……僕が直すしか、ない。
大丈夫だ、まだ目を覚ます気配は無い。
小日向の眠りは深いから、少しスカートに触れたくらいじゃ目を覚まさない筈だ。
この部屋には僕と寝ている小日向しかいない。
誰にも見られる事無く、完全犯罪は成立する。
P「……すー……」
大きめの深呼吸を重ねつつ、少しずつ手をスカートに近付ける。
僕は小日向の威厳の為にスカートを直してあげようとしているだけであって、決してやましい気持ちは一切微塵も無いと心から断言しよう。
だからこれは悪い事じゃないし謝らなきゃいけないような事でもないし。
もし、もしもではあるが僕の手が太ももに触れてしまったとしても、それは不慮の事故であり不本意であり欲望に忠実になっただけであると弁解出来る。
P「……よし……!」
最後の深呼吸を終え、僕は小日向の太ももに手を伸ばした。
ガチャ
響子「おは…………お兄ちゃん、何してるんですか……?」
ドアが開き、妹の響子が挨拶も抜きに軽蔑と蔑みと侮蔑の目を向けてきた。
まったく、朝の挨拶はおはようであってお兄ちゃん何してるんですかじゃないぞ。
そんな事すら忘れてしまうなんてお兄ちゃんとしては大変胸が痛いしあと視線が痛い。
取り敢えず上手く話を逸らさないと多分物理的にも痛い思いをしてしまいそうだ。
P「……おはよう響子、今日も昨日に引き続きいい天気だな」
響子「……おはようございます、お兄ちゃん。今日もいい天気なのに朝から何してるんですか?」
P「こう天気も良いと、ピクニックとかハイキングとかトレッキングとかしたくなるよな」
響子「ですねー、こうも天気もいい日に何してるんですか?」
P「…………」
響子「まさかとは思うけど、美穂ちゃんの太ももに手を乗せようとなんてしてないですよね?」
P「…………いや、してませんが?」
響子「……そのポーズは何ですか?」
P「ハイキングのポーズです」
響子「ハイキングのポーズは美穂ちゃんのお尻に触ろうとする体勢である必要があるんですか?」
P「いやいや違うって偶々小日向がそこに居ただけだから。逆にそんな不埒な事をしようとしてる奴がいたら待って待って警察は呼ばなくて良い」
スマホを取り出しパピプペポ。
僕の良いとこなんて今はいいからできれば早くドアを閉めて頂きたい所存。
けれど僕の思いなんて知った事かと言わんばかりに響子はなかなか立ち去ってくれず仁王立ち。
それどころか視線の温度がどんどん下がってしまっている次第で。
美穂「……んぅ……ぁ、おはよう……Pくん……」
悪い事は嫌なタイミングで重なるものだ。
小日向が目をしょぼしょぼさせながら意識を覚醒させている。
なんで今この最悪なタイミングで起きてくれやがった。
いや、大丈夫だ。
まだ寝ぼけているならなんとかなる。
響子への弁解は後だ。
今は、最優先で小日向のスカートを……
ゴロンッ
寝返りをうってこちら側を向き、目をこすりながら身体を起こそうとする小日向。
めくれ上がるスカート。
際どい感じにギリアウトで太ももとコネクトしてしまう掌。
あ、柔らかい。
そして……
P「……おはよう、小日向」
美穂「……っ! …………っっ!! きゃぁぁっっ!!!」
パンッ! と優しさの欠片も無い乾いた音と共に。
いつも通りの、僕らの一日が始まった。
響子「ほんっとうに……信じられませんっ!」
P「……いや……こう、不可抗力だと思うんだ。僕はただ寝てただけだし」
響子「そんな事言って、お兄ちゃんが美穂ちゃんの事誘ったんじゃないんですか?」
P「え僕が? そんな訳無いだろ。僕が? 小日向を? 一発ギャグならトロフィー取れるぞ」
怒りながらも朝食を準備してくれる我が愛しの妹からの罵倒に耐えつつ、僕は頭を回していた。
上手い弁解が思い付かなかったからだ。
と言うよりも、そもそも小日向が僕の言葉を聞いてくれない。
ツーン、とそっぽを向き時折足元を蹴ってくる。
P「……悪かったって小日向。僕だって触ろうと思って触った訳じゃ無いんだから」
美穂「……ふーんだっ」
それを口で言う人を初めて見た。
それはそれとして、本当に僕は別に悪く無いと思うんだけど。
まぁ役得だとも思っちゃってたりもしたと言えばしてたわけだけど。
なんともまぁ居心地のわろしな状況で、我が家の朝食が始まった。
響子「それと、美穂ちゃんも少しは反省して下さいっ! もう高校二年生なんですから、小学校の頃みたいに無用心なのは女の子としてどうかと思います!」
美穂「わ、わたしだってPくんのベッドで寝たくて寝たんじゃないもんっ!」
響子「……本当ですか? だったらどうして……」
美穂「そ、それはー……えーっと……ねっ?」
響子「ねっ? じゃありません! 朝からえっちなワンシーンを見せられた私の気持ちにもなって下さい!」
美穂「そ、そんな事言ったらわたしだってエッチな気持ちになったもん!!」
P「えっ」
響子「えっ」
美穂「…………あっ、い、今のは言葉の綾といいますか……いただきます! ぱくっ! 美味しいです!!」
露骨に話を逸らす小日向。
まぁ、彼女の尊厳の為に聞かなかった事にしてあげよう。
あるよな、寝起きでエッチな気持ちになる事。
あるか? 僕は無い。
そもそも、太ももくらい触っても良いじゃないか。
もし僕がAV男優なら逆に給料が発生するんだぞ。
響子「あ、それと。今夜はお友達の家に泊まるからお夕飯は準備出来ません。お兄ちゃん自分でちゃんと作ってね?」
P「おっけー、久々にカップ麺」
響子「自炊して下さいね?」
P「はい」
響子の目力が強過ぎて勝てなかった。
カップ麺、美味しいんだけどなぁ。
しかもお湯沸かす時間含めても五分あれば完成するんだぞ。
時間効率の具現化かよ。
美穂「……あっ、だったらわたしが夕ご飯作りに来てあげますっ!」
P「いや良いよ、久々に自分で料理するから」
美穂「わたしがっ! 作って! あげますっ!!」
P「はい」
また勝てなかった。
僕も別に料理苦手な訳じゃ無いんだけどなぁ。
しかもお湯沸かす時間含めても五分あれば完成するんだぞ。
やっぱりカップ麺って最強かよ。
響子「……美穂ちゃん、ちゃんと夜は寮に帰るんですよ?」
美穂「あ、当たり前です! Pくんなんかと夜二人っきりなんて危なくてイヤだもんっ!!」
とても酷い言われようだけど、じゃあお前なんで来るんだよ。
いや、夕飯振舞ってくれる事自体は有り難いけど。
イヤならなんで来るんだよ。
いや、まじで。
P「小日向お前僕の事嫌いなのか?」
美穂「…………」
響子「…………」
P「……えっ僕今変な事言った?」
美穂「……Pくん、後片付けお願いします」
響子「汚れ一つにつき千円お小遣い減らすからね?」
理不尽の極みの様なフルボッコを受けながらも、美味しい朝食を堪能した。
あっお茶が涙の味してしょっぱい。
アライグマもびっくりなレベルで食器をピカピカに洗い、準備を整えいざ学校へ。
五月の風はまだ冷たいけれど、我慢出来ない寒さじゃない。
さて……と。
さぁ、一週間の始まりだ。
美穂「さ、Pくん。早く行きますよ!」
P「ん、待ってたのか」
とっくに学校に向かったものだと思ってたけど。
美穂「一人だと心細いかなーって心配してあげたんです」
P「小日向じゃないんだから」
美穂「わ、わたしは一人で学校行けるもんっ!」
いや高校生にもなって行けない方がヤバイだろ。
なんでそんなドヤ顔で威張れるんだ。
……まぁ、いいか。
さぁ、一週間の始まりだ。
美穂「あ、あの! 待っててあげたわたしに……こう、何かないんですか?」
P「…………いや、別に……頼んでな」
美穂「わざわざ朝の貴重な時間を『Pくんを待つ』なんてコマンドで消費してあげたわたしにっ! なにかっ! ないんですかっ?!」
めっちゃグイグイくる。
というか、ならわざわざ僕を待たずに学校行けば良かったのに。
P「……お勤めご苦労様です」
美穂「えっへんっ! もっと褒めて下さいっ!!」
P「……はやく学校向かわない?」
美穂「良いですよ? Pくんがそこまで言うなら、お姉ちゃんは吝かでもありません」
いや僕が言わなくても学校行こうよ。
遅刻するよ。
逆に聞きたいけど僕が言わなければ学校向かわなかったの? ってなる。
あとそこまでも何も僕まだ一回しか言ってない。
そして何より、小日向は僕の姉じゃない。
美穂「Pくん、自分の誕生日は何月ですか?」
P「え? 二月だけど」
美穂「わたしは十二月十六日です」
いやご存知ですけど。
誕生日アピールにしてはまだ七ヶ月程早い。
美穂「ねっ? わたしの方がお姉ちゃんだよね?」
P「……まぁ、うん」
美穂「弟ならお姉ちゃんの事を敬って慕うべきですっ!」
なんかよく分からないけど。
小日向が楽しそうだし、放っておこう。
そんな事より早く学校向かわないと。
美穂「ま、待って待ってPくんっ! お姉ちゃんを置いてかないで下さいっっ!!」
P「お前今は良いけど教室では絶対それ言うなよ?!」
キーンコーンカーンコーン
P「っふー……セーフ!」
美穂「もうっ! Pくんのせいで遅刻しちゃうところだったじゃないですかっ!」
予鈴と同時に教室に駆け込めば、まだ先生は来ていなかった。
朝読書に励むクラスメイト達の視線を全身で摂取しつつ、自分の席に座る。
苗字的に僕の席は一番廊下側の前から二番目。
そろそろ席替えして欲しい、あわよくば窓際の列が良い、もっと言うと近くに可愛い女子がいれば大満足。
卯月「あ、おはよう美穂ちゃん」
美穂「おはようございます、卯月ちゃんっ!」
小日向は、一つ後ろの島村さんと朝の挨拶をしていた。
……良いなぁ、島村さんと近いの。
島村さん、可愛くて優しくておっぱい大きいからなぁ。
僕ももっと彼女とお近付きになりたいところだ。
あぁいや、決して島村さんと付き合いたいとかそう言う訳ではなく。
なんて言うんだろう、島村さんとは仲の良い友達でありたい。
多分クラスの男子殆どがそんな認識だろう。
と言うよりも僕らみたいなクソガキが島村さんに手を出すとか世が世なら世界拷問ツアーにご招待される。
卯月「今日も五十嵐君と一緒なんですねっ」
美穂「わたしが迎えに行ってあげなとい、Pくん絶対遅刻しちゃうから……」
言いたい事はあるが、島村さんの前でムキになるのもダサいし黙っておこう。
一瞬だけ島村さんがこっちを見たし、また見られるかもしれない。
であれば、周りの喧騒など気にならぬと言うかの様にクールに読書に励むが吉と言える。
朝アレだけこき下ろされたんだ、少しくらいカッコつけたって許されるだろう。
卯月「仲良いんだね、二人とも」
美穂「そ、そんな事ないよ? いつも喧嘩してばっかりだもん。あっ、で、でもね? 周りから見たらそう見えちゃうかもって思う時はあるし、それを否定するつもりはないですけどっ」
一回の発言で矛盾が生じている。
美穂「わたしとしてはPくんの事なんてぜんっぜん好きじゃないですけど、きっとPくんはわたしと仲良くしたいって思ってる筈だから気を使ってあげてるんですっ! そ、そう! お情けです!」
周りの女子が溜息をついている。
小日向の声でかいもんな、なんかテンション高いもんな。
朝読書の時間にご迷惑おかけしました。
卯月「で、二人はいつデートに行くんですかっ?」
美穂「で、でででっ?! デート?! ですかっっ?!?!!」
小日向。
声、でかい。
美穂「わっ、わたし別にPくんと付き合ってないし恋人じゃないしデートしたいなんて全然思ってないもんっ!!」
卯月「あ、あれ? 私、てっきり二人は付き合ってると思ってたんですけど……」
美穂「まだ付き合ってません!!!」
周りの女子の溜息が二次関数的に増えてゆく。
頭を抱えながらあちゃーと呟く人もいる。
いや、集中してる時にお邪魔してしまい本当に申し訳ない。
逆に男子は『……あれほとんど言ってね?』みたいな事を言っているが。
別に僕は悪い事してないけど、流石にそろそろ注意するべきだろう。
P「……小日向」
美穂「ひゃ、ひゃいっ?」
P「朝読書の時間だから静かにしような」
美穂「……………………」
クラスメイト「……………………」
……えっ?
いきなりそこまで静かにならなくても良くない?
なんか急に教室中が静かになった。
ラインのトークが自分の呟きを最後にストップしてしまった時の様な居心地の悪さを感じる。
あと男子はなんで僕の事睨んでくるんだ? 僕間違ってなくない?
おいなんか迫って来るんじゃないやめろ教科書降ろして。
卯月「…………? あ、あれ? なんでみんな五十嵐君の方に……い、いけません! 暴力反対です!!」
ガラガラガラ
ちひろ「おはようございます、みなさ……ちょ、ちょっと男子の皆さん五十嵐君に向かって何してるんですかっ!!」
結局、千川先生が止めに入るまで僕は男子全員から教科書で殴られ続けた。
P「……いや酷くない? 見ろよ僕の制服、戦場帰りでもここまでボロボロにはならないと思うんだけど」
新田「いや、それはお前が悪い」
P「えぇ……」
一時間目までの休み時間。
さっきまでのリンチなんてなかったかの様に平和な教室で。
新田「そもそもな? お前がさっさと気付けばぜーんぶ丸く収まってるんだよ」
P「…………気付く……世界の真理か」
新田「持ってかれるぞお前」
P「出来れば生活に支障の無い部位にして欲しいよな」
仲の良いクラスメイトである新田と駄弁りながら、ロッカーの教科書を机に移していた。
まぁこいつ真っ先に僕の事殴ってきたんだけど。
P「ブレザーぼろっぼろだよ。絶対響子に怒られるだろ……」
新田「あ、響子ちゃんって妹だっけ? いいよなー妹。一つ屋根の下、久し振りに昔みたいに一緒の布団で寝ようとした時、子供だと思っていた妹が思いの外成長していた事を意識してしまい……」
P「ねぇよ」
そんなのは二次元の世界だけだ。
もっと言うと、僕は響子が小さい頃を知らない。
お互い小学校高学年の頃に親が再婚して、僕らは兄妹になったのだから。
まさか父さんの再婚相手も五十嵐だとは思わなかったけど。
P「ってかそんな事言ったらお前姉ちゃんいるだろ。確かお前が忘れ物した時届けに来てくれてたけどさ…………めっちゃ美人だよな。風呂上がりにバスタオル一枚の姿とか見て興奮したり」
新田「ねぇよ」
僕と同じ反応が返ってきた。
まぁ、世の中の姉や妹なんてきっとそういうものなんだろう。
P「ちなみにさ、お前の姉ちゃんっておっぱいどれくらいあるんだ?」
新田「二つだけど」
P「マジかよ! 片方僕にお裾分けしてくれないかなぁ!!」
新田「あれって着脱可能なのか?」
P「分かんない。今日姉ちゃんに聞いてみろよ」
新田「殺されるわ」
なんともまぁ実に男子高校生な会話をしていると思う。
有り難い事にクラスの男子はみんなバカだからこういう会話をしても全く浮かない。
後ろの方では本田がアイドルソングを歌いながら踊ってるし。
ど真ん中の席の鷺沢は静かに読書してる様に見えるけどあれカバーの中身エロ本だし。
まぁ、居心地はいい。
ちょっと煩悩に塗れたクラスメイト達だとは思うけど。
美穂「あ、Pくん。ちょっと良いですか?」
P「ん、なに?」
新田「あ、ごめんな小日向さん、俺席外すから。後は若い二人で!」
なんか気を遣ってますオーラを出して新田が自分の席に戻って行った。
あとなんか小日向に向かって親指を立てている。
ついでにクラスの全員が僕らの方を見ている。
居心地わっる。
美穂「え、えっと……放課後、空いてますか?」
おぉぉっ! っと歓声が上がる。
うるさい、男子うるさい。
P「空いてるけど、掃除なら手伝わないぞ?」
コンッ
なんか消しゴムが飛んできた。
普通に驚くし痛いからやめてくれないかなぁ。
美穂「そうじゃなくって、お夕飯のお買い物です。一緒に買いに行きませんか?」
男子s「ふぉぉぉぉぉっっ!!」
P「うるせぇ!!」
なんでみんなあんなにテンション高いんだ。
女子は祈るかの様に手を合わせてるし。
美穂「Pくんの為に作ってあげるんですから、わたし一人で買い物なんておかしいじゃないですかっ!!」
P「確かに」
それもそうだな。
無理矢理だったとは言え、一応は小日向が僕の為に夕飯を作ってくれるのだから。
なら確かに、小日向に行かせるのは悪いし。
……うん、なら。
美穂「ほ、ほらっ! ですよね! だから二人で」
P「僕一人で買ってくるから、メモだけ頼めるか?」
美穂「はいもう作ってあげませんっ! キャンセルですっ! Pくんは一人で出来合いの漬物でも齧ってればいいんですっ!!」
走って席に戻ってしまった。
ついでに女子のみんながまた溜息を吐いた。
P「……新田ー、夕飯どっか食いに行かない?」
新田「死ね」
あ、また男子が群がって来た。
ガラガラガラ
ちひろ「はい、みなさん一時間目の授業が……ちょっとちょっと! 男子のみなさん五十嵐君を殴るのはやめて下さい!!」
キーンコーンカーンコーン
六時間目が終わるチャイムが鳴り、本日の授業がすべて終わった。
さて、夕飯はどうしたものか。
誰かと外で食べて帰ろうと思ってたのに、クラスの男子全員から『死ね』と言われてしまったし。
……普通に考えていじめなんじゃないかな。
P「……ラーメン食べて帰ろ」
いいよ別に、僕はおいしいラーメン食べるから。
今更一緒に行きたいなんて言っても遅いんだからな。
智絵里「あ、あの……」
P「ん、緒方さん。僕に何か?」
クラスメイトの緒方さんに声をかけられた。
雰囲気もおっぱいもおとなしめだが小動物系でとても可愛い緒方さんが、僕に何の用だろう。
自分から男子に話しかけるような子だと思ってなかったから、普通にドキッとした。
この後屋上で告白とかそんな展開だったりしないかな。
智絵里「えっと、その……五十嵐くんは、好きですか……?」
P「…………ものによるとしか……」
智絵里「な、なら……逆に、何なら好きなんですか……?」
え、そこで逆に僕からの好物を引き出そうとするのか。
……成る程、これがデキる女子のテクニックというヤツなんだろう。
曖昧に誤魔化しつつ、相手からの答えを引き出す、と。
そんなテクニカルでハイレベルな恋愛戦術を用いるとは……さては緒方さん、僕の事好きなのでは?
P「……僕は、緒方さんの」
っぶない、勢いで『緒方さんの事が好き』と言ってしまうところだった。
確かに緒方さんはとても可愛いが、しかしお互いの事をあまりよく知らない。
知ってる事と言えば、さっき新田から教わった『あれは俺の鍛えられたバストアイによれば79だな』というクソ程本人に言う訳にはいかない情報くらいで。
うん、お友達から始めよう。
智絵里「…………?」
P「……緒方さんの好物が知りたいな」
智絵里「わ、わたしの……ですか……?」
P「うん、もっと緒方さんと仲良くなりたいし」
ガタンッ!
後ろから机が揺れる音がした。
多分本田が踊っててぶつかったんだろう。
智絵里「え、えっと……じゃあ、辛子蓮根です」
……辛子……蓮根……
智絵里「五十嵐くんは……辛子蓮根、好きですか……?」
あんまりにも突然で一瞬思考が止まりかけたが、可愛い女の子の前なので凛とした表情は崩さない、つもり。
辛子蓮根……なんか、こう、分からない。
食べた事無いし、見た事も無い。
まぁ嫌いとか言っても会話は広がらないだろうし、ここは尋ねるという形で繋げさせて貰おう。
P「辛子蓮根ってなに?」
智絵里「熊本の一般家庭でお正月に昔から作られた郷土料理……らしいです」
P「どんな料理なの?」
智絵里「え、ええと……蓮根をたわしでよく洗い、両端を切り落としておいたものを……」
緒方さんがチラチラと僕の背後を見ながら説明しはじめた。
やけに固い口調な気がするけど、あんまり普段会話しないしきっとそういう子なんだろう。
智絵里「油は通常……な、な……え、ええっと……なしゅ? なしゅゆ?」
卯月「智絵里ちゃん。あれはなたねあぶらって読むんです!」
智絵里「あ、ありがとうございます、卯月ちゃん」
卯月「ところで、五十嵐君の後ろで美h」
智絵里「ちょ、チョップですっ!」
緒方さんが島村さんの口をものすごい勢いで塞いだ。
おどろいた島村さんが目をグルグルさせながらモゴモゴ言ってる。
……なんか、エロイ。
それはそれとして、僕の後ろに誰かいるんだろうか。
振り向くも、机に隠れてはいるがピョコンと伸びたアホ毛が見えてしまっている小日向しか見つからなかった。
智絵里「揚げあがったら、適度な厚さで輪切りにして食べる……以上が辛子蓮根の説明です……!」
やり切った、みたいな晴々とした表情をする緒方さん。
かわいい。
そして、おかげで辛子蓮根の事がよく分かった。
あまりにも説明口調と言うか、まるでウィキを読み上げているかの様だったけど。
智絵里「五十嵐くんは、その……辛子蓮根が食べたくなったよね……?」
P「えっ、いや別に……」
智絵里「えっ……ぁ……ぅ…………」
P「めっっちゃ食べたくなった! 今年のクリスマスプレゼントに欲しいくらい辛子蓮根食べたい!!」
智絵里「……よ、よかった……」
馬鹿野郎僕、こんな可愛くてキュートな女の子を泣かせるなんて罰当たりだぞ。
ごめんね緒方さん、つい思わず本音が出ちゃっただけで本当は僕の頭は今辛子蓮根でいっぱいだから。
美穂「Pくんっ! 今辛子蓮根のお話をしてましたかっ?!」
にゅっ、っと後ろの机から小日向が生えてきた。
智絵里「美穂ちゃん。五十嵐くんが辛子蓮根食べたいって言ってました……!」
美穂「へ、へー! Pくん、辛子蓮根が食べたいんですねっ!」
P「正直そんなに」
智絵里「……ぁう……」
P「食べたい! 今夜にでも作るつもり!!」
美穂「でも、辛子蓮根って前日や前々日から仕込んでおかないと作れないんです」
P「食べるのは明後日の夜かなぁ!」
美穂「あっ、見て下さいPくん! わたしの鞄の中から偶然仕込み済みの辛子蓮根が出てきましたっ!」
そんな偶然ある?
美穂「しょ、しょうがないですねーっ、今夜Pくんに振舞ってあげますっ!」
P「いやでもさっきお前」
美穂「振舞って! あげます!!」
P「感謝の気持ちでいっぱいです」
有無を言わさぬ押し付け辛子蓮根。
そんな訳で、結局夕飯は小日向が振舞ってくれる事になった。
卯月「それで、智絵里ちゃんは何をしてたんですか?」
智絵里「……美穂ちゃんに協力して下さいって泣きつかれちゃったから……」
美穂「やっぱりまだ寒いですね……」
P「だな、走るか?」
美穂「女の子にその提案ってどうなんですか……?」
P「え、でもお前よく走ってるじゃん」
いつも僕にキレた後走り去ってく奴の台詞とは思えない。
それに、実際走ると体あったまると思うんだけど。
美穂「そ、そこは……その! なんと言いますか、こう……あるよね?」
分かるよね? みたいな目をされても残念ながら全く分からない。
小日向が僕に何かを求めているのは分かるが、それが何なのかが分からない。
寒ければ走るが道理ではないのだろうか。
走って温まろうとしない奴は何やってもダメだ。
美穂「Pくんっ! わたしの手は今とっても冷たいです!」
P「あっごめん、僕ポッケにカイロ入ってるからあったかいんだ」
美穂「捨てて下さい」
P「酷くない?」
これ一個五十円もするんだぞ。
うまいボウ五本分の熱量を摂取出来るんだぞ。
美穂「そ、その分わたしがPくんの手をあっためてあげるって事で……ダメですか?」
「ついに言ったぁぁぁっ!!」
「よく言った美穂!」
なんか遠くの方で変な叫び声が聞こえた。
驚いて振り返るも、電信柱でかくれんぼをしているエロ本マイスター鷺沢と北条さんの姿しか見えない。
P「……え? あっためるって……カイロ以上に?」
美穂「が、頑張りますっ!」
P「無理じゃない?」
美穂「無理じゃないもん!!」
いや、まぁ無理とは言わないが難しいんじゃないだろうか。
カイロを超える温かさなんて多分焚き火くらいだぞ。
P「どうやって?」
美穂「え、えっと……ふ、二人で温まる方法があるんですけど……」
P「あ、セック」
ゴンっ!
頭が痛い、なんか本が飛んできた。
振り向くと鷺沢が明後日の空を見上げながら口笛を吹いている。
絶対投げたのお前だろ、古書店の息子が本を投げるな。
いや、まぁ反射的に下ネタを口にしようとしてしまったのを止めてくれた事には感謝するけどさ、もうちょい手段を選んでくれ。
P「…………げっ」
美穂「もうっ、本を投げるなんて……」
P「待てストップ小日向」
小日向が飛んできた本を拾おうとしているけど。
鷺沢が投げて来たという事は、それは性的娯楽を扱う書である事に間違いない。
あいつ学校にエロ本しか持ってこないから。
教科書全部置き勉してて、鞄の中パンパンにエロ本が詰め込まれてる奴だから。
美穂「えっ、でも拾ってあげないと……」
P「動くな、僕がOKするまでそのままでいるんだ」
美穂「……えっ、ももももっ、もしかして……き、きききっ、キ……」
顔を真っ赤にしてあたふたする小日向をよそに、僕は落ち着いた動作で本を拾い上げた。
このサイズ、厚み、重さ、手に持った時のトキメキ……ブックカバーが掛けられているが、間違いなくエロ本だ。
良かった、小日向が見ずに済んで。
鷺沢あの野郎……明日ロッカーの教科書も全部エロ本にすり替えてやるからな。
それはそれとしてこのエロ本は僕が美味しく頂きます。
美穂「……まだ、ですか……?」
P「あ、もういいぞ」
美穂「えっ、もうキスしたんでふか?!」
P「えっ、キスなんてしてないけど?」
美穂「えっ、キスしないんですかっ?!」
P「えっ、なんでキスするの?」
美穂「……で、ですよねー! 知ってました! 知ってたもんっ!」
なんかテンション高いな。
あぁ、気分を上げて身体を温めようとしてるのか。
美穂「ち、ちなみに……話を戻しますけど……」
P「どこまで?」
何の話をしてたんだったか。
緒方さんの慎ましいおっぱい良いよねだっけ……あぁ違う、これさっき教室で新田と話してた内容だ。
美穂「ふ、二人で温まる方法です」
P「走るんだっけ?」
美穂「走りませんっ!」
P「キスするんだっけ?」
美穂「キスしませ……えっ、あっ、します! あっ、あぅ、し、しません!」
P「しないのか、そりゃそうだ」
美穂「あ、当たり前です! どうしてわたしがPくんなんかとキスしなきゃいけないんですか!!」
顔を真っ赤にブチ切れられた。
流石に悪ふざけが過ぎた様だ。
美穂「…………はぁ……」
「はぁ…………」
「はぁ…………」
P「悪かったって、小日向」
ため息が三つ重なって聞こえてくる。
美穂「……手を繋いで、Pくんの事をあっためてあげようと思ってたんです」
P「…………あぁ、なるほどね」
手を繋ぐ、か。
それは確かに、二人でする事で。
きっと、お互いに温まる事が出来て。
P「……でもお前さっき自分の手が冷たいって言ってたじゃん」
釣り合ってない。
僕だけ冷たい思いをしなきゃいけないじゃないか。
美穂「だったらPくんがあっためて下さい!」
あまりにも理不尽。
けれど、まぁ。
小日向がそういうなら……
P「小日向。手、出して」
美穂「っ、ひゃ、ひゃいっ!」
ビクッと跳ねてから、小日向が恐る恐ると言った様に手をこちらに伸ばして来た。
そんな、小さくて冷え切っているであろう手に。
僕もまた、手を伸ばして。
P「はい、カイロ。まだ十分あったかいと思うから」
美穂「エジプトの首都パンチ!」
美穂「おじゃましまーす」
P「どうぞ、ごゆるりと……」
美穂に踵をゲシゲシ踏まれながら、ようやく自宅に着いた。
ローファー、擦り減ってないと良いんだけど。
そのまま着替える為に自分の部屋に戻ってストーブをつける。
おい小日向暖風を独り占めするんじゃない。
美穂「何時からお夕飯にしますか?」
P「十八時くらいで良いんじゃないか? あんまり後だと小日向が帰るのもかなり遅くなっちゃうし」
美穂「二十二時にしましょう!」
P「夜食夜食、そんな時間に食事してたってバレたら響子に怒られるから」
というか僕の提案をちゃんと聞いてくれてたんだろうか。
二十二時に作り始めたら間違いなく終電なくなるぞ。
まぁうちから小日向の家まで徒歩で十分もかからないけど。
なんなら自転車使えば三分で着く。
はてさて、暇。
なんにもする事がない。
いや、正確にはあるっちゃあるのだが。
それは小日向が部屋に居る状態でしたい事ではない。
……さっき鷺沢から没収したエロ本、何系だろう。
楽しみで楽しみで仕方がない。
あいつが学校に持ってきてまで読んでたという事は、かなりの質が期待出来る。
クラスの女子に似てるヤツとかだと、とてもとても嬉しいんだけど。
……我慢出来ない、カバンの中でこっそり表紙だけでも確認してやろう。
美穂「何してるんですか?」
P「えっ、あーいや、ちゃんと教科書持って帰って来たかチェックしてるだけ」
美穂「……あれ? Pくんって教科書持って帰ってたっけ?」
P「ほら、今月末中間テストだからちゃんと勉強しようかなと」
美穂「……Pくん、そんな殊勝な心がけしてないよね?」
P「変わるんだ、今から。僕は雑念や煩悩や邪念を切り捨て真人間になる」
美穂「Pくんにそんな善性は求めてませんっ!」
いや小日向、別に僕お前に求められてると思って真人間になろうとしてる訳じゃないから。
まぁそもそもそんな事言いながらやってる事が女の子の目の前で隠してエロ本チェックだから僕も何も言い返せないけれど。
……お、この本だ。
ブックカバーを外して……暗くてうまく見えない……
美穂「何隠してるんですかっ?」
僕のベッドでゴロゴロしてた小日向が、鞄の中を覗き込もうと近付いて来た。
まずい、これで興味を持たれて見られたら大変な事になる。
小日向には、こう、なんだろう、見られたくない。
多分そういう免疫無さそうだし。
なんとかして隠すんだ。
今から別の物に興味を逸らさせるのは無理だろう。
……で、あれば。
小日向自ら諦めて貰える様な物の名前を出せば……
P「ぇあ、えっと……ら、ラブレターだよ!」
どうだ、僕の会心の策。
これで無闇に興味本位で見ようとはせず引き下がってくれる筈……
美穂「は?」
……だったんだけどなぁ……
美穂「誰からですか?」
P「うぇ? そ、それはほら、プライバシー的な」
美穂「誰」
P「嘘です見栄張りました、本当はラブレターなんて貰って無いです」
単純に嘘をつき通す様な人間にはなりたくなかったから撤回しただけであって、小日向の声が怖くて耐えられなかったからとかいう惨めな理由ではない、決して。
膝と手の震えが止まらないのは、きっとまだ暖房が効ききってないからだ。
美穂「もうっ、驚かせないで下さい! そもそもPくんが誰かに好かれる訳無いじゃないですかっ!」
P「あんまりだろ。僕だって本気出せば」
立ち上がって反論しようとして。
鞄の中に手を突っ込んだままだって事を失念してて。
バタンッ、ズザァッ
鞄の中の漫画や教科書が飛び出てしまった。
P「あ゛っ」
美穂「……もう、いっつもPくんは落ち着き…………が……」
春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
きっと響子が彼氏作って家に連れて来た時、こんな気まずさになるんだろうな。
良かった、先に経験する事が出来て。
現実逃避終了、全力で頭を回せ。
まだなんとかなる、この空気を変えられる。
状況を整理。
部屋には僕と小日向、二人の間にはブチまけられた書籍等々。
その一番上にはエロ本、表紙はギリギリ全年齢本だと言い張れない際どさのイラスト
っていうかこのイラストの女の子、島村さんにめっちゃ似てる。
美穂「…………………Pくん」
P「僕のじゃない」
美穂「別に誰のでもいいんです。問題はPくんが持ってたって事ですから」
P「…………きちんと鷺沢の野郎に注意しておくから、流石にクラスメイトに似てるやつを学校には持ってくるなって」
美穂「ふふ、それが良いと思います」
P「だよなー、僕もそう思う」
あぁ良かった、平和に一件落着だ。
さて、一息ついたところでのんびり夕飯の準備にとりかかるとしよう。
実は辛子蓮根が結構食べたかったりするんだ。
あれだけ説明されれば、気になりもするものだ。
美穂「…………」
P「…………」
美穂「っ捨てて下さいっっ!!」
P「待って! 僕まだ読んでないから!」
美穂「即刻破棄するべきです!!!」
P「ダメだって読ませて読んだら捨てるから!!」
ビーチフラッグよろしく全速力でエロ本を拾い上げ、小日向が届かない高さまで持ち上げた。
そんな僕に向かってジャンプしながら手を伸ばし説教をしてくる小日向。
美穂「卯月っ、ちゃんにっ! 言っちゃうよっ!」
P「やめろばか! ってかそれお前言えるの?!」
美穂「い、言える訳無いっ、けどっ! 兎に角ダメだと思いますっ! そういうのはっ! ダメですっっ!」
P「三大欲求を否定するな! それにほら、知識は多い方が良いだろ!」
美穂「Pくんには必要ありませんっ!!」
P「あるしっ!」
美穂「実践する機会あるのっ?!」
P「…………無い」
美穂「あっ…………えっと、ごめんなさい……」
P「……うん…………」
突然のお通夜ムードになった。
いや、良いよ別に。
いざとなったら風の俗となるから。
だからマジで心から申し訳なさそうな表情はやめてくれると嬉しい。
美穂「と見せかけてっ!」
ダンッ!
ベッドを使って高くジャンプし、勢いよく手を伸ばして僕の掲げるエロ本に触れた。
しまった、という表情をしているであろう僕。
してやった、みたいな表情の小日向。
エロ本一冊に、何をムキになっているんだろう僕らは。
……あ。
…………なぁ、お前さ。
着地の事、一切考えてなかっただろ。
美穂「……あ……」
全てがスローモーションに見えた。
少しずつ落ちてくる小日向。
弾かれて落下して行くエロ本。
僕は、どっちを助ければ……
P「っっらぁっ!」
ガシッ、っと。
自分の身体が倒れるのも御構い無しに、僕は片腕で小日向を抱きかかえ。
もう一方の腕を伸ばして、床スレスレのところでエロ本をキャッチした。
そのまま勢い良く倒れるが、僕が下敷きになっているから小日向に怪我は無い。
美穂「ぁ…………ごめんなさい、Pくん……大丈夫ですか……?」
P「いって……あぁ……エロ本は?」
美穂「……無事、みたいです……」
P「そうか……」
なら、良かった……
小日向もエロ本も無事なら、それで良い。
美穂「……ありがとうございます、Pくん」
P「小日向こそ痛いとこはないか?」
美穂「大丈夫です。Pくんが助けてくれましたから」
さて、ところで。
今現在僕は床に仰向けの状態で倒れていて。
そこに小日向がうつ伏せでのしかかっている訳であるが。
ここで問題。
ガチャ
響子「えへへっ、お泊まり会来週でしたっ! ただいまお兄ちゃ……」
そんな状況で、一つ下の妹が部屋に入って来てしまった時の対処法は?
なお、僕の片手にはエロ本が握られているものとする。
響子「っっっっ!」
誤解を解くのに一時間、機嫌を直してもらうのに二時間。
合計三時間もの長丁場、僕らは二人で謝り続けた。
P「なぁ、今日の体育って何時間目だっけ?」
新田「火曜だし三時間目じゃなかったか?」
連絡事項も特になく、いつも通り朝のHRが終わった後。
これまたいつも通りといった風に、僕の席に新田が寄ってきた。
鷺沢「いや、二時間目に変更になってる」
朝読書のエロ本を机にしまった鷺沢がそう教えてくれた。
……鷺沢、なんでもうジャージ着てるんだろう。
バカなのか?
昨日の事でいろいろ言いたかったのに、全部吹き飛んでしまったじゃないか。
鷺沢「あと、体育祭への練習も兼ねて女子と合同だぞ」
P・新田「「マジで?!」」
鷺沢「確かな筋から聞いた情報だから間違いない」
つまり、だ。
女子と合同で体育の授業が行われるということは、体育の授業に女子がいる。
そういうことで間違いないのだろう。
……ふむ。
鷺沢「ちなみに俺は少しでも早く体育館に行く為に、家から体操着着てきた」
あ、だからジャージ姿なんだ。
頭良いなこいつ。
さて、それでは僕も少しくらい知能的であることをお見せしておかないと。
新田「どうしたんだよ、いきなり屈伸とかして」
P「少しは頭使え、今のうちに身体ほぐして後でかっこいいところアピールするために決まってるだろ」
だって女子いるんだぞ。
するしかないだろ。
島村さんとかにかっこ悪いところ見せたくいじゃないか。
新田「あー、小日向に?」
P「え? なんで小日向?」
……なんでそこで二人ともため息を吐くんだ。
男子のため息になんて需要はないのだから控えて頂きたい。
逆に緒方さんとか北条さんのため息は可愛いからもっと見たい。
あわよくばおっぱいも見たい。
美穂「あ、呼びましたか?」
新田「こいつが二時間目の体育で小日向にかっこいいところ見せてやる! って意気込んでたんだよ」
P「言ってないけど」
捏造はやめて欲しい。
それに、小日向だって僕がかっこつけたところで鼻で笑うだろ。
美穂「へ、へぇ~……わたしに…………殊勝な心掛けだとおもいますっ!」
なにやらニコニコしているし、否定した事を無理にアピールする必要もないか。
鷺沢「ちなみに、あわよくば胸も見たいとか言ってた」
P「言ってはないけど」
美穂「……思ってはいたんですか?」
わぁ、声が平坦。
ローラーかけたてのコンクリだってここまでは平らにならないだろう。
おい待て新田、鷺沢。
燃料だけ投下して逃げるんじゃない。
美穂「……Pくん」
P「あぁいや、別に……? な? そんな事考えてもいなかったって」
信じて欲しい、心から、嘘だけれども。
だってクラスメイト全員がこっち見てるんだもの。
おいそこ『修羅場か?』じゃないんだよ助けてくれ。
美穂「あのね? 男の子だからしょうがないとは思うけど……他の子に迷惑掛けるのはダメですよ?」
いえいえ、迷惑掛けずに一人でひっそり楽しむに留めるつもりでしたのでご心配なく。
もし不可抗力で触れてしまった場合はあしからず。
P「……ん? 小日向ならいいのか?」
美穂「……えっ、そ、それは……その……」
え、なんで逆にそこで否定してくれないんだよ。
このままじゃ僕が小日向におっぱい見せろって要求してるみたいじゃないか。
教室中が沈黙を貫いている。
ここから先、一言たりとも迂闊なことは言えない。
美穂「…………Pくんは……わ、わたしの……その……見たいんですか?」
智絵里「うわぁ……美穂ちゃん大胆……」
良かった、どうやら僕に弁解のチャンスをくれたようだ。
だったら、きちんと言わないと。
クラスのみんなにも、僕が変態だというイメージを抱かせないために。
確実に、簡潔に、正確な事実を。
P「大丈夫だよ、小日向。僕は別に小日向の胸には興味ないから」
殴られた。
卯月「礼!」
クラスメイト「ありがとうございました!!」
一時間目の授業が終わり、女子は更衣室に向かって行った。
鷺沢は誰よりも先に体育館に向かって走って行った。
バカだなぁ、女子の体育着姿を少しでも長く見る為だけにあんなに必死になるなんて。
それはそれとして僕も下に体育着着込んであるし、さっさと制服脱いで体育館に行こっと。
体育館は少し暖房が効いていて、ジャージを着なくても大丈夫なくらいだった。
つまり、だ。
暖房の温度を上げれば、女子のジャージを脱がし透けブラを狙えるというこ事に他ならないのではないだろうか。
名付けて北風と太陽作戦。今春だけど、頭の中はお花畑だけど。
P「鷺沢」
鷺沢「分かってる、既に暖房の温度を五度上げておいた」
完璧だ。
あとは、女子が来るのを待てば良い。
貴様らが此処へ来た時が最後、この暖かさに油断しジャージを脱ぎ透けブラを晒す事になるのは確実と言える。
さぁ……来い!
卯月「頑張ってください、美穂ちゃん!」
美穂「もちろんですっ! たまにはわたしだってPくんにかっこいいところ…………を……」
最初に来たのは小日向と島村さんだった。
美穂「えっ、もう来てるなんて早すぎませんか?!」
卯月「えへへ、五十嵐君。美穂ちゃんが『Pくんにかっこいいところ見せるんだーっ!』って意気込んでましたよ!」
美穂「い、言ってないもん!!」
想定外だ。
小日向の着替えはもっと遅く、来るのは後の方になると思っていたのだが……
隣の鷺沢は二人がジャージを脱ぐのを今か今かと待ち望んでいるが、僕の中では葛藤が始まっていた。
其れ即ち、取捨選択である。
島村さんの透けブラは、見たい。
それはきっとクラスの、ひいては世界の男子の共通認識だろう。
新田曰く83のおっぱいを包むきっとかわいらしいブラは、見たい。
たとえどんな手を使ってでも、僕は島村さんのブラが見たい。
…………けれど。
P「……鷺沢、暖房の温度を下げてくれない?」
鷺沢「なんだお前、今になって怖気づいたのか?」
いや、そうじゃないんだ。
そうじゃなくって……だな……
小日向の透けブラを晒されるのが、嫌だ。
先に説明しておくと、僕は本当に小日向の透けブラには興味が無い。
何故なら、もう飽きるほど見てきたから。
だってあいつ僕の前でよく前屈みになるんだもん。
そうじゃないんだ。
これは半分は小日向の為とも言える事ではある。
……他の男子に、小日向の透けブラを見られるのが嫌だ。
タダの我儘で、島村さんの透けブラが見たい! とかほざいてた奴の言って良い言葉では無い事なんて重々承知だけど。
鷺沢「…………成程な。オッケーオッケー、俺も配慮が足らなかったよ」
P「いや僕まだ何も言ってないけど」
なんかニヤニヤされた。
鷺沢「みなまで言うなって、分かってっから。俺だって加れ……北条が来たら温度下げるつもりだったし」
P「お?」
鷺沢「あっ、やべ」
まぁ、それに関しては後で優しく問い詰めるとして。
ぴ、ぴ、ぴ。
暖房の温度を下げる音が聞こえてきた。
よし、これで丸く収まった……
卯月「体育館、なんだか暖房強すぎませんか?」
美穂「だね、ジャージ脱いじゃおっか」
……まぁ、分かってたけどさ。
暖房の温度下げたところで、すぐに体育館の温度が下がる訳じゃないよね。
P「まぁまぁまぁまぁ、島村さんは兎も角小日向はまだジャージ着てた方が良いんじゃないか?」
美穂「どうして?」
卯月「私は脱いでいいんですか?」
是非!!
美穂「……なんでわたしはジャージ脱いじゃダメなの……? えっと、新手のイジメ…………?」
なんで悲しそうな顔をするんだ。
これは小日向の為でもあるんだって。
というか僕が小日向をイジメる訳がないだろう。
P「……ジャージ着てたくさん汗かいた方が、健康的だと思うから……」
美穂「わ、わたしが太ったって言いたいんですか?! 確かに最近、ちょっぴりおなかが気になってはきてるけど……」
いや、小日向お前十分以上に痩せてるだろ。
こういうのは伝えても碌なことにはならないって過去の経験から学んでるから、口にはしないけど。
P「いや、その……代謝を良くして、綺麗な肌を手に入れる為に……」
我ながら苦しい発言だと思う。
そんな折助け船を出してくれたのは、ジャストナウで体育館に入って来た北条さんだった。
加蓮「要するに、五十嵐は美穂にもっと綺麗になって欲しいって言ってるってことじゃない?」
違うが。
けれど折角出してくれた船だ、泥だろうが乗ってやる。
毒を食らわばサラマンダー。
P「そ、そうだ。僕は小日向にもっと綺麗になって欲しいんだよ」
美穂「え、ええっと……ど、どうしてですか?」
どうして……だと?
そんなの、適当言ってるだけだから僕にだって分るはずがない。
そんな頬を赤らめながら期待した様な目で見られても、どう言えば正解なのかわからない。
……仕方ない、もう全部諦めよう。
幸い室温は下がり始めてるし、僕が止めなくてももうジャージを脱ぐなんて言い出さないだろう。
P「やっぱりいいや、小日向が綺麗にならなくて」
美穂「…………え……」
卯月「い、五十嵐君! 女の子にそんな事言うのは……」
加蓮「うっわ、サイテー」
悲しみと怒りとジト目。
六つの目に囲まれて、もうどうすれば良いのか分らない。
もうやけだ、この場を流せるなら何でもいい。
P「……ていうかさぁ! 実際もう十分綺麗じゃん」
美穂「え……」
P「小日向ってすっごく綺麗だから、これ以上綺麗にならなくても良いんじゃないかなぁ!!!!」
かなぁ、かなぁ……なぁ…………ぁ…………
加蓮「わぁお……やるじゃん五十嵐」
卯月「お、おめでとうございます美穂ちゃんっ!」
美穂「あ……あぅ……え、えっと……ありがとうございます……」
僕の大声が体育館中に反響し、響き渡り、海を越えて遥か彼方の地へ。
……とまではいかないが、体育館に入って来たクラスメイト全員に聞かれてしまった。
クスクスと笑う人、ガッツポーズをする人、ヒューヒューと冷やかす奴。
とてつもなく、居心地がわろす。
P「い、いや違うんだって」
美穂「え……違うんですか……?」
P「あぁいや、えっと……」
加蓮「そういえば、なんか体育館暑くない?」
冷やかしか?
加蓮「ううん、物理的に暑い気が…………ねぇ。五十嵐と鷺沢、あんたたち暖房の温度上げたでしょ」
鷺沢「いや、もう下げたぞ」
はいバカ。
それ『さっきまでは上げてました』って言ってるようなもんだろ。
加蓮「……どーせ女子にジャージ脱がせるつもりだったんじゃない?」
卯月「ジャージを脱ぐとなにかあるんですか?」
加蓮「透ける」
卯月「透ける…………?」
美穂「…………? …………っ!」
やべ。
さて、こんな事してないで早く準備体操しようみんな。
まぁ僕は一時間目の前のうちに済ませてあるけど。
おい男子共ニヤニヤ笑うな。
美穂「…………さ……さ……!」
卯月「さ?」
加蓮「さ?」
P「魚?」
鷺沢「NASA?」
美穂「さいっっっっってい!!」
パンッッ!!
響いた音は、授業開始のチャイムより大きかった。
新田「……ほー、悪くないじゃないか」
隣に体育座りしている新田が、大縄の練習をしている女子を見ながら鼻の下をのばしていた。
ちなみの僕は正座させられていた。
足の痺れがしんどいし、そろそろ許してくれても……
あ、ごめん小日向分ってるから睨まないでくれ。
ちなみに鷺沢はどこかへ消えた。
北条さんに連れて行かれたと思ったら北条さんだけ戻って来たけど無事だろうか。
まぁあいつはいいや。
新田「にしてもお前、盛大な告白だったな」
P「いや、まぁいろいろあったんだよ。とりあえずあれは告白じゃない」
どうせ新田も分かって言ってるんだろ。
新田「でも実際、小日向綺麗だよな。お前が羨ましいよ」
P「草」
新田「本人に聞かれたら怒られるぞ」
大丈夫だって、小日向は今大縄跳んでるんだから。
時折こっちチラ見してくるけど、多分聞かれてないだろう。
卯月「はい、次は男子の番ですよー!」
面倒だなぁ。
別に殆どの男子は練習しなくても跳べるんだし、ずっと女子が跳んでて欲しい。
大縄と言えば跳んでる女子のおっぱいばかり見ている奴が大多数だけど、僕はそんな低能とは違う。
真の良さは大縄を回している女子のおっぱいにある。
美穂「へへーんっ。Pくん、どうでしたか?」
北条さんってけっこうおっぱいあるんだなって思ってた。
おっと危ない、口に出してしまうところだった。
……北条さん、おっぱいでかいな。
縄回してる時、ジャージ越しでも分かるくらいすごかった。
美穂「…………Pくん、エッチな事考えてる時の顔してますよ」
P「ん、あぁごめん。鳥の胸肉って身体に良いんだよねって話だっけ?」
美穂「きみが何処を見てたのか分かったのでもう十分ですっ! ふんだっ!」
なんか怒られてしまった。
僕は普通に至って健康的なトークをしようと思っていただけなのに。
卯月「あ、そうでしたっ! みんなの出場する種目を決めようと思います!」
出場する種目、かぁ。
何にも出場しないのって無理かなぁ、無理だろ普通に考えて。
卯月「じゃあ、まずは短距離走から――」
島村さんがバインダーを持って用紙に記入してゆく。
50m走、100m走は足が速い奴が出るだろう。
僕は……一番目立たない障害物走とかがいいな。
それか複数人で出る系のやつ。
卯月「次、二人三脚に出たい人ー」
加蓮「あ、はーい私それ出る。ペアは鷺沢って書いといて」
卯月「え、勝手に決めちゃっていいんですか?」
加蓮「うん、あいつ今なんか居ないし、居ない方が悪くない?」
なんか鷺沢の出場する種目が勝手に決められていた。
加蓮「美穂も二人三脚にしたら?」
美穂「えっ、でもわたしまだ誰ともペアじゃないから……」
加蓮「私に任せてって」
それから次々とクラスメイト達が挙手していって、残る種目は障害物走だけになった。
現時点まで殆どトントン拍子にきまってたし、おそらくまだ一度も手を挙げてない人がそこに振られて終わりだろう。
卯月「それじゃ……障害物走の人ー」
P「はーい」
これで終わり、っと。
障害物走、面倒だけどやるからには一位を……
卯月「あ、それだと五十嵐君は二種目になっちゃいますけど大丈夫ですか?」
P「もちろ……ん?」
あれ?僕、まだ何にも出場予定なかった筈なんだが。
卯月「え? でも二人三脚のところに名前が……」
P「ちょっと見せてもらっていい?」
島村さんの抱えるバインダーを覗き込みつつ、ワンチャンジャージの襟元からブラが見えないか試したが無理だった。ジャージのガードは固い。
P「ん……ほんとだ。でもペアいなくない?」
卯月「美穂ちゃんもペアが決まってないので、二人で組んだらどうですか?」
美穂「えっ、Pくんとわたしがペアなんですかっ? が、がんばろねっ!」
おい、なんで目を逸らす。
お前か勝手に僕の種目決めたの。
加蓮「あ、私が勝手に書いちゃった」
P「おいおい、勝手にそんな事」
加蓮「さっきの透けブラ狙ってた事クラスの女子全員に言っても」
P「しといてくれてありがと! 丁度二人三脚出たかったところなんだよね!!」
勝ち目のない戦いに挑む程、僕は愚かではない。
ここは一旦引き下がり、隙を見て……出来る事なくない?
美穂「わ、わたしは本当は乗り気じゃないですけど? Pくんがどーしてもっ、っていうならペアになってあげます!!」
P「いや、別に」
加蓮「透け」
P「頼む小日向! 僕と一緒に二人三脚頑張ってくれ!!」
加蓮「よろしい」
美穂「そ、そこまでいうならわたしも覚悟を決めます! 頑張ろうね、Pくんっ!」
そんな感じで。
半どころか全強制的に、僕の出場する種目が決まってしまった。
P「ふぅ……帰るか」
六時間目までを乗り越えて、ようやく帰宅する権利を手に入れた。
今日一日はなかなかに災難だったと思う。
二人三脚の練習中、ずっとみんなこっち見てたし。
『ヒューヒュー、新婚カップルの夫婦共同作業ー!』とか冷やかされたし。
美穂「あ、Pくん。一緒に帰りませんか?」
新田「お前らぁ! 新郎新婦の退場だぞー!!」
男子s「ヒューヒュー!!」
多分殴っても許される。
僕まだ十六歳だし。
そもそもそんな事言われたって小日向も迷惑するに決まってる。
おいバカ誰だバラ投げてるの、掃除の班が苦労するだろ。
美穂「そ、そんな……新婚さんだなんて……えへへ……」
P「普通にやめて欲しいよな、そういう冗談」
美穂「…………」
げし、げし
かかとを踏まれた。
さっさと帰るぞの合図だろうか。
ちなみにばら撒かれたバラは男子達がちゃんと回収してた。
P「ん……なんか曇ってるな……」
美穂「夕立が降るかもしれないですね……早く帰ろ?」
ローファーに履き替えて、わたしはPくんの隣に並びます。
何年もずっと、このポジションが続いてて。
これからも誰かに譲るつもりなんてないですけど。
本音を言えばもう少し。
もう半歩だけ、きみに近付きたいな、なんて。
P「今日は悪かったな、なんか男子が色々うるさくて」
美穂「素敵なお友達だと思うよ? みんなやさしいもん」
クラスメイトは全員、女子も男子も。
わたしの事を応援してくれてますから。
みんながみんな、わたしの背中を押してくれてるから。
本当にいつも、感謝してばっかりで。
P「なにが新婚だよなぁ。勝手に僕らを人生の墓場に送り込まないで欲しいよ」
……全員、じゃありませんでした。
たった一人だけ、クラスで違う人。
その人は、他のクラスメイトとは違って。
わたしの想いを知らなくて、わたしの恋を応援してくれなくて。
わたしにとって、とっても大切な人で……
美穂「……ふーんだ」
P「悪かったって。ちゃんと明日変なことは言うなって言っとくから」
……にぶちん。
もう、何年になるんだろうね。
わたしがこうして、片思いを続けて。
いつも、独り相撲に勝てなくて。
ま、まぁ……その、たまーにわたしも素直になれない時もありますけど。
普段はかなりストレートに好意をぶつけられてると思うんだけどなぁ……
P「あ、この後どうする?」
美穂「Pくんの家でお勉強でもしようかな」
P「いいけど、絶対勝手に人の引き出しとかを開こうとするなよ?」
美穂「わ、分かってるもん!!」
以前、勝手にルーズリーフを借りようとしてPくんの机の引き出しを開けた時。
高校に上がってすぐの頃だったかな。
その時、こう、本を見つけちゃって。
うわぁ、Pくん大人になっちゃった……ってなんだか色々ショックを受けて泣いちゃったんですよね。
……あの時の響子ちゃん、凄い形相で怒ってたなぁ。
Pくん、本当に何もしてないのに怒られて。
美穂「……ふふっ、今はちゃんと隠してるんでしょ?」
P「もちろん。いつ響子や小日向に部屋を漁られても良いように、日雇いバイトやって金庫買ったんだよ」
たまに暗証番号忘れて焦るんだよなー、なんて笑うPくん。
うん、なんでそれ言っちゃったのかなぁ……
わたしに隠しておきたかったんじゃないんですか?
P「あ、今の全部嘘だから。クローゼットの奥に金庫なんてないからチェックしようとはするなよ」
……ばかだなぁ、Pくん。
ぽつり
P「……ん、雨?」
美穂「あ……降ってきちゃった」
空から大粒の雫が一つ。
気づけば空は真っ黒で、厚い雲が太陽を隠しています。
更に二つ、三つと道路に跡を残して。
それが五を超える前には、一気に土砂降りになりました。
美穂「折り畳み持ってませんか?!」
P「先週なら持ってた!!」
美穂「先週は一回も雨降ってないよ!!」
急いで近くのバス停に駆け込みました。
あぁ、もうっ。
あと少し、Pくんのおうちに着くまで待っててくれればよかったのに。
髪も制服も、今の一瞬でぐしゃぐしゃです。
P「…………始まったか」
あっ、あんまり近くに居て欲しくない時のPくんだ。
一時期『封印されし闇の力がっ!』とか言ってた頃よりはマシになったけど。
P「そういえば小日向、お前いつも折り畳み持ち歩いてなかったっけ?」
美穂「加蓮ちゃんに貸しちゃったんです……Pくんの家は近いから大丈夫かなー……なんて……」
半分ほんと、半分は嘘です。
加蓮ちゃんに貸したのは本当ですけど。
『あ、どうせなら五十嵐に相合傘してもらっちゃいなよ』って言われて乗り気になっちゃってたから……
Pくんも持ってないとは思ってませんでした! もうっ!
P「こないだ新田と折り畳みと普通の傘ってどっちの方が滞空時間伸びるか勝負してたら壊れちゃってさ」
一番とんでるのは二人の頭だと思うけど……
仕方なく、しばらくバス停で雨宿りします。
遠くの方の雲に切れ間が出来てて、そこから光が射し込んでるから長くはならないと思います。
目の前はまだ土砂降りですけど。
雨音が強くて、お互いの声も聞き取り辛いくらい。
ざぁぁぁぁぁぁぁっ
聞こえてくるのは雨の音だけ。
人通りの少ない田舎道だから、車の音も自転車の音もありません。
まるで雨に、二人きりの世界に閉じ込められちゃったみたい。
……それも悪くないかな、なんて。
美穂「…………あ……」
P「ん? どうした?」
美穂「な、なんでもありませんっ! 本当になんでもないのでこっちを見ないで下さい!」
バス停の屋根はそんなに大きくないので、わたしの前に立たせたPくんは多分前半分は濡れちゃってます。
ちょっと申し訳……楽しそうにしてるし、罪悪感感じないなぁ。
完全に失念してました。
今、わたしは制服を着てて。
ブレザーは来てるけど、胸元までは覆ってくれてなくて。
シャツが雨に濡れると、どうなるか。
……別に、Pくんに見られるのは良いんです。
ここにはわたしとPくんしか居ませんから。
まぁ、どーせPくんはわたしの下着なんて興味ないんでしょーけどねー、ふーんだ。
見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありませーん、ふーんだっ!
……ごっほん。
そうじゃなくて……その……
今日は体育があって、大縄の練習をすることも分かっていたので……
ブラ、かわいくないんです。
ふ、普段は何があっても良いようにもっと可愛いの着けてるもん!
ごっほん!!
美穂「っくしゅん!」
P「誰かに噂されたか?」
きみがされてるんですよ、なんて。
ちょっぴり心の中でアピールしてみたり。
美穂「……寒いですね」
P「僕なんて現在進行形で前半身雨に打たれてる訳だけど。なんで入っちゃいけないんだ?」
美穂「雨、早く止まないかなーって考えてたんです」
P「文脈……高度なコミュニケーション能力が求められている……」
……うそ。
ずっと、降ってて欲しいです。
こうして、わたしとPくんを二人きりにしてくれて。
その上で、誰にも見られないようにしてくれてるんですから。
P「ふーん。僕はもっと降ってて欲しいけどな」
わたしに背を向けて立つPくんが、ぽつりと呟きました。
えっ、そ、それって……
もっと、わたしと一緒に
P「雨ってテンション上がるし」
……はい、知ってました。
分かってたもん! ときめく様な言葉なんて期待してなかったもん!!
P「あとかつての戦いでの古傷が疼く気がしなくもない」
万年健康元気少年が何を言ってるんだか。
P「それに、小日向と居るから楽しいし」
美穂「…………えっ?」
P「小さい頃、雨の中だろうが二人で遊びまわっただろ。二人で居る時に雨が降ると思い出すんだよな、あの頃」
美穂「あっ、あの……えっと……ありがとうございます……」
感謝される様な事か? なんてきみは笑うけど。
きみの昔の思い出にわたしが居て。
そんな風に、時折思い出してくれてることが。
すっごく、うれしくて。
美穂「あ……ぁぅ……え、えへへ…………」
P「で、いつになったら振り返っていいんだ?」
美穂「ま、まだだめっ!」
今のわたし、見せられないな。
きっと雨に濡れた髪や服に負けないくらい、くしゃくしゃな表情してると思います。
心の中で何回も深呼吸します。
落ち着こう、落ち着かなきゃって思ってるのに、心は舞い上がったままで。
美穂「すー……はー……」
だんだんと、息が整ってきました。
多分まだニヤけてるかもですけど、Pくんだしきっと気づかないよね。
美穂「はいっ、どうぞ!!」
言った直後に、思い出しました。
なんでPくんに、あっちを向いて貰ってたか。
……あっ。
美穂「や、やっぱりまだっ」
時既に遅し、Pくんの体はこっちに向き直っていて。
P「うっわ、お前制服びちゃびちゃじゃん! 僕のジャージ着とけ!」
ぱぱっと、自分のジャージを引っ張りだして投げてくれました。
P「げ、もう雨止みそうじゃん! 降ってるうちに僕ちょっと前の道走ってくる!!」
そう言って、焦った様にバス停から飛び出し叫びながら走り回るPくん。
わたしが風邪をひかない様にジャージを貸してくれるなんて、優しいですね。
……あぁぁぁぁぁぁ、もうっっ!!
卯月ちゃんとかだったら嬉々としてシャツの胸元じーっと見つめる癖に!!
なんですか! わたしじゃ足りませんか?!
一応卯月ちゃんと殆どサイズ同じなんだよ?!?!!
……見られなくて良かったです、良かったですけど!
でも! そもそも見ようとすらしてくれないのって!
どうなんですか、Pくん! ねぇ!! どうなんですか!!
もぉぉぉぉぉっっ!!
美穂「……着替えよ……」
誰も居ないバス停で、わたしはブレザーを脱いでPくんのジャージを羽織りました。
……あったかいです。
あくま美穂「……自分のジャージ着れば良かったんじゃないかな?」
頭の中の悪魔の囁きが聞こえました。
……確かに……
あくま美穂「今からでも遅くないから、自分のに着替えよ?」
てんし美穂「だめだめ、わたしっ! 悪い自分に負けちゃだめですよ!」
あくま美穂「えっ、こっちが悪なの?!」
頭の中で悪のわたしと善のわたしが口論してます。
てんし美穂「折角Pくんの方から渡してくれたのに、その優しさを無碍にするつもりですか?」
た、確かにそれもそうだよね。
それに、Pくんに包まれてるみたいでなんだか安心するし……
てんし美穂「……におい、嗅いじゃいませんか?」
あくま美穂「ちょっと、あの」
てんし美穂「いつもは勝手にPくんのブレザー羽織ったりしてるけど、今は向こうから貸してくれたんですよ?」
な、ななな、なんで知ってるのかな?!
……それもそうですよね、わたし自身なんですから。
あくま美穂「だ、だめだよわたしっ! そんなへんたいさんみたいな事しちゃ!」
てんし美穂「袖も、襟も、裾も……くんくんし放題ですよ? 今なら誰も見てませんから」
……誰も……見てない…………?
な、なら……いいよね?
P「おーい小日向! 来い! 来い!!」
美穂「ひゃっ!」
少し離れたところから聞こえるPくんの声で、わたしは正気を取り戻しました。
勝機はのがしちゃったかもしれませんけど。
もう、まったく……
危うく悪いわたしの誘惑に負けちゃうところでした。
あくま美穂「えぇぇ……」
P「早く来いって! 雨もう止んでるから!!」
美穂「はーいっ! 何かありましたか?」
Pくんの声はやけにはしゃいでいます。
えっちな本でも落ちてたのかな……
P「空空! ほら空見て!」
美穂「空……?」
そんな場所に何かが落ちてる筈が……
美穂「わぁぁ…………っ!」
Pくんが指さす先には、さっきまでの厚い雲はなくなってて。
そこには、大きくはっきりと、綺麗な虹が掛かっていました。
P「虹なんて久々に見たわな……消える前に三回願いを呟くと叶うんだっけ?」
美穂「難易度低過ぎませんか?」
それにしても……本当に、綺麗で。
Pくんがはしゃぐのも無理ないと思います。
P「……虹色のブラってどんな付け心地なんだろ」
台無しです。
ぼそっと呟いたつもりなんだろうけど聞こえてるからね?
P「……色によって変わるものなのか?」
美穂「…………聞こえてるよ、Pくん」
P「…………虹、綺麗だな」
美穂「誤魔化せてないよ……」
はぁ……もう。
せっかくいい感じの雰囲気だったのに。
美穂「なんでいきなり下着の話なんて……」
P「さっき小日向のが透け……やべ」
美穂「…………見たんですか?」
P「見てない!」
美穂「本当に?!」
P「あぁ! 見てたとしても忘れられる! 簡単に忘れられる!! はい忘れた!!」
美穂「そんな簡単に忘れられちゃうんですかっ?!」
P「じゃあ覚えてる! 大人っぽくはない白!!」
美穂「バッッカじゃないですか?! 忘れてくださいっ!!」
P「お前が振り返って良いって言ったから、着替えたもんだと思ったんだよ!」
美穂「あぁぁもうっ! 普段はもっと可愛いのなのに!!」
P「すー……ふー……」
深呼吸をしようと思う。
そんな事を考えているうちに、僕の体は既に深呼吸を終えていた。
無意識下に深呼吸をこなしてしまうなんて、僕の体はなんて優秀なのだろう。
いずれ無意識のうちに夏休みの宿題を終えてしまう日も来てしまうんじゃないだろうか。
……ここまで現実逃避、ここから現実。
下校中に夕立に降られ制服がびっしゃびしゃになり、そのままでは風邪をひいてしまうからなんとかしなければならなかった。
そんな訳で、僕の家に着いた時の会話がこちらになります。
P『よし、小日向。着替え貸すからシャワー浴びてこい』
美穂『えっ、あ、あぅ…………はい』
思い返して恥ずかしくなった。
バカか、バカなのか僕は。
もうちょっとマシな言い方があっただろ。
絶対小日向の奴内心で大笑いしてただろ。
家に親が居ないからと彼女を誘ったはいいものの、どう切り出せばいいか分からずテンパった童貞かよ。
童貞だけれども。
小日向に、空回りしてる童貞みたいですねとか思われてるんだろうな。
童貞だけれども。
けれどさっさと風呂に向かわせたのは正しかっただろう。
あのままだと風邪をひいていただろうし、こういう時はレディーファーストであるべきだ。
小日向のシャツも透けてたし……そういえば新田あいつ小日向のサイズだけは言ってこないんだよな。
僕が何を言わなくても他の女子のバストサイズ予想を述べてくるあの新田が、小日向に関してだけは一切そういう情報を口にしない。
いや、別に僕も知ろうとは思わないけど。
なんだろう……小日向に関してはあまりそういう事を知りたくないし、他の奴にそういう目で見て欲しくない。
これは……なんだろう。
家系ラーメンはおいしいけどカロリーは知りたくない、みたいな感覚なのかな。
話が逸れたがネクストモア―、次の問題へ進むとしよう。
現在、家に響子は居ない。
どうやら響子のクラスは放課後に大縄の練習があるらしく、帰りが少し遅くなると聞いていた。
それ自体は別によくあることだ。
問題が響子がいない事に起因する事に間違いはないが。
小日向の着替えが、無いのだ。
夕立のせいで制服どころかジャージまで濡れてしまった様で、シャワーを浴びてもその後着る服が無い。
響子が居ると思って先にシャワーを譲ったは良いが、その後響子が居ないことを思い出し。
着替えの確保が出来なくなってしまった僕は。
申し訳ないけれど、僕の部屋着で我慢してもらうことにした。
下着だけはどうしようもないので、引き続きさっきまで身に着けていたものでお願いするしかない。
多分夕立とはいえ下着までは濡れてはいないだろうし。
……殴られるだろうなぁ、僕。
着替えここに置いとくぞーって言ったはいいけど、男物だもんなぁ。
P「……おっぱい」
以上が、現状の説明になります。
分からなかったところや疑問等あれば後程教卓まで来て頂ければ受け答えいたします。
P「……さっむ」
暖房はまだ効ききってなくて、部屋は少し寒い。
バスタオルで体は軽く拭いたけど、やっぱり僕もこの後シャワー浴びようかな。
ザァァァァァッ
静かにしていると、遠くからシャワーの音が聞こえてきた。
小日向がうちの風呂使うの、何年振りだっけな。
ガラガラガラ
「…………えっ、あっ……」
小日向が浴室のドアを開けた音がした。
あとなんか狼狽する声も聞こえてきたから、おそらく僕の置いた着替えも見たんだろう。
いや、本当に申し訳ない。
今回ばかりは完全に此方に非があると思ってる。
さて、と。
小日向があがったんならさっさと僕も入ろうかな。
コンコン
美穂「あ、あのー……失礼しまーす……」
ドアの外から小日向の声が聞こえた。
お前ノックとかする様な奴じゃなかっただろ。
P「どうぞ?」
美穂「…………すー…………ふー……失礼しまふっ!」
ガチャ
勢いよくドアが開き、小日向が入って来た。
僕の貸した薄手の白いシャツにハーフパンツ。
首からかけられた白いフェイスタオル。
……子供っぽい、なんて言ったら怒られるんだろうな。
P「あ、悪いな小日向。響子が居なくて、僕の服しか貸せなくてさ」
美穂「えっ? あっ、むしろ別に何と言いますか……そ、そうです! わたしは怒ってます!」
その表情でか?
何があったのかは分からないが、とんでもなく機嫌が良さそうだった。
美穂「それで……ど、どうですか……?」
P「子供っぽい」
美穂「もう一度だけチャンスをあげますっ!」
P「……若々しい」
美穂「さっさとシャワー浴びて来たらどうですか?」
キレられた。
これは余りにも理不尽だと思うのだが、エジプトにお住いの方々はどう思うだろう?
ピラミッドで街頭アンケートを取ればおそらく7:3くらいで僕への擁護コメントが集まる気がする。
それはそれとして、シャワー浴びよっと。
P「んじゃ、適当にくつろいで」
美穂「言われなくてもくつろいでまーす! ふんだっ!」
僕のベッドでゴロゴロしだした。
あまりにも他に対する敬意が感じられないが、まぁそんなものだろう。
着替えを持って風呂場へ向かい、さっさとシャワーを……
ん、小日向あいつ脱いだ制服置き忘れてる。
仕方無い、持ってってやるか。
綺麗に畳まれた制服一式を抱えて、一旦部屋に戻る。
今響子に見つかったらなんて言い訳しよう。
お兄ちゃんこういう趣味に目覚めたんだ! なんて言ったら多分泣かれるよなぁ。
まぁその心配は杞憂に終わり、無事僕は何事も無く部屋まで辿り着けたが。
P「おい小日向、脱いだ制服置きっぱだったぞ」
美穂「あっ、ありがとうございます」
P「まったく……いくら幼馴染だからって親しき仲にも礼儀ありという四字熟語があってだな」
まだ小日向の制服は濡れている。
仕方ない……ハンガーに掛けて、軽く乾かしてやるか。
美穂「……あっ、ストップPくんっ!」
P「え何? あ、悪いけどそこのハンガー取ってくれ」
美穂「待って下さい! Pくん、理由は聞かずにその制服ワンセットを床に置いて部屋から出て行って下さい!!」
P「こっわ爆弾かよ」
美穂「強ち間違いじゃないです……」
P「まぁいいや、制服乾かしといてやるから」
美穂「あーもう! ダメって言ってるでしょPくん!!」
なんで親切にしようとしているのに怒られにゃならんのだ。
そう思いながら小日向のシャツをハンガーに掛けようとして……
ポトッ
何かが、シャツとスカートの間から落ちた。
あっ、これパン……
P「……………………」
美穂「……………………」
P「……………………」
美穂「……………………」
P「…………ごめん、シャワー浴びてくる」
美穂「…………もうお嫁に行けない……」
シャワーを浴びた。
あっという間に浴び終わった。
もう一度浴びてみる。
あっという間に浴び終わった。
部屋に戻るのが憂鬱で仕方ない。
怒られるのが分かっているのに、自らそこへと赴かなければならないこの苦しさよ。
けれどまぁ、逃げる訳にもいかないし。
というかこの手のって後に伸ばせば伸ばす程怒りが大きくなるだろうし。
と、言うわけで。
P「大変申し訳ございませんでした」
親しき仲にもを敢行出来ていなかったのは僕も同じだった。
きちんと小日向が言う通り止まっていれば良かったのに。
なので、今回はきちんと向こうの確認を取ってから行動すべく。
美穂「…………取り敢えず、入って来たらどうですか……」
部屋の外から謝ってみた。
入って良しとの令が出たので、ゆっくり恐る恐るドアを開けて自室に入る。
部屋の中では小日向が僕の布団に包まっていた。
その布団の隙間から顔が少しだけ見えるが、ジト目の様な悲しんでる様な。
P「……ごめん」
美穂「…………良いです……気にしてません……置いてきちゃったのはわたしだもん……」
P「……なんで着けて無かったのさ」
美穂「だって、替えの下着が置いてなかったから………………そういう事なのかなって……」
どういう事なのだろう。
というか逆に、僕が女性物の下着を保持していたらそれこそそういう趣味って事になってしまわないだろうか。
……あぁ、もしかして。
P「下着も濡れてたのか?」
美穂「ぬ、濡れてなんてませんっ!!」
P「そ、そうか……そんな大声で主張しなくても……」
美穂「Pくんにはもっと、こう……デリカシーを持った発言を!」
P「雨強かったから……え、でも濡れてないなら着けろよ」
美穂「…………あっ、雨…………っですよね! そ、そうですよね! 雨だよね!」
逆に雨以外の何で濡れる機会があったんだよ。
P「で、もう下着は着けたか?」
美穂「もちろん、ちゃんと鞄に仕舞いました」
何がもちろんで何がちゃんとなんだ。
小日向の思考が面白い程理解出来ない。
女心と秋の空、気象予報士の資格を持っていない僕では分からなくて当然なのかもしれないけれど。
それはそれとして、下着はきちんと着けて頂きたいものである。
P「……ま、同じの着けるのが嫌ならもうすぐ響子が帰って来ると思うからさ。そしたら頼んでみるよ」
美穂「…………良いんですか? Pくんは……」
P「え、何が?」
ノソノソと、布団のカマクラから小日向が出てきた。
おいバカ、下着着けて無いんならもう少し動作に気を付けろ。
美穂「……わたし、今下着つけてないんですよ……?」
P「…………知ってるけど……」
美穂「…………それを知って、どう思いましたか……?」
P「下着を着けて欲しいなって思いました」
美穂「…………ばか」
下着着けて無い奴にバカと言われるなんて思ってなかった。
今どちらがバカか投票すれば間違いなく小日向に満票入るぞ。
美穂「どーせわたしは魅力ありませんよーだ……」
P「あっ、ソシャゲの更新来てる」
美穂「もう少しフォロー入れようとしてよっ! 『いや、小日向はとっても魅力的な女の子だよ』とか気の利いた事言うシーンだったと思うんだけど!!」
P「小日向ってラーメンにニンニク入れる?」
美穂「場合によるもんっ!」
P「じゃあ今からインスタントラーメン作ってきてやるけど、何味ならニンニクいれていい?」
美穂「Pくんと居る時は入れないもん!!」
P「僕に消えろと?」
美穂「わたしは別にニンニクジャンキーじゃありません!!」
P「じゃあ逆に何ジャンキーなんだよ!!」
美穂「会話が下手! わたし下着つけてないんですよっ?!」
P「お前なぁ! こっちだってお互い意識しないように話逸らそうとしてやってるんだから一々アピールするなよ!!」
美穂「…………えっ。あっ、ごめんなさい……」
小日向とそういう会話はあんまりしたくないんだから。
理由はともあれ、僕がこうやって考えないようにしてあげてるんだから。
そもそも小日向だって嫌だろ、突然僕が『下着着けてないとか原始人じゃん! やーいPrimitive man!』とかネイティブも真っ青な発音でバカにしても。
美穂「…………一応、意識はしてくれてたんですね」
P「いや別に、というより意識したくない」
美穂「そんな事言っちゃって、もー! ほんとはわたしに欲情しちゃったり」
P「それだけは絶対に無い、神に誓える」
安心しろ小日向、例えお前が今此処でシャツを脱ぎ出しても僕はきちんと冷静に説教出来る自信がある。
だから小日向も安心してくつろいでて良いぞ。
美穂「…………もしもし、響子ちゃん? うん、あのね? Pくんに下着盗られちゃって今わたしノーブラノーパ」
P「興奮するーーー!!!!!!!」
「パスパス! へいマイボマイボ! ゴール下居るよへいパス! へいへいへいパス! マイボマイ…………ナイッシュー!」
一日のオアシス、昼休み。
全校生徒たちが思い思いに自らの欲望を叶える事が許される、この六十分に満たない中休み。
ある男子生徒は食欲を満たすべく焼きそばパンを食べ、またある男子生徒は性欲を満たすべくエロ本を読み。
女子は屋上へお弁当を食べに、男子は体育館でバスケを。
そんな、集団が構成員としてではなく個としての活動が許されるこの時間。
美穂「Pくん、もう少し歩幅合わせて下さいっ!」
P「小日向がもっと足長くなれば良いんじゃないかな」
美穂「わたしが短足だって言いたいんですか?!」
僕と小日向は、貴重な昼休みの時間を割いて二人三脚の練習に勤しんでいた。
本当は僕だってのんびり弁当食べて他のやつらとバスケしたかったさ。
その予定だったさ。
さー。
P「ほんとはバスケしたかったなぁ!」
美穂「わ、わたしだってほんとはPくんなんかと二人三脚の練習なんてしたくなんて無かったなんて思ってなんてないもん!」
どっち?
どちら様?
結局小日向の本音はどっち?
あまりにも正誤が入れ分かり過ぎて明後日の方向を向いている。
昼休み開始直後、弁当の包みを開こうとした僕の机へと訪れた北条さんの
加蓮「あんた達二人三脚で一位取らなかったら教壇でキスね。あ、そういえばちゃんと練習してる? してないでしょ? 今からしてきたら? って言うかしてきて」
という優しい提案によって現在こうして二人三脚の練習をしてるナウ。
あの体育館北風と太陽透けブラ未遂事件以降こうして北条さんには優しいアドバイスを頂いている。
あぁいえ、別に歯向かうとか意見するとかそういうつもりは一切ございませんのでお願いだから黙ってて下さい。
新田「おいお前らー、全然息合ってねーぞ!」
他の男子とバスケをしていた筈の新田が野次を飛ばしてくる。
あと何故か他の男子も全員体育座りしてこっち見てる。
……体育館の入り口に女子の皆様もいらっしゃる。
些かギャラリー多くないですかね、どんだけ僕らの二人三脚に期待を抱かれているんだろう。
ちなみに小日向にはジャージの長ズボンを履かせてある。
転ぶ可能性もあるし、何よりスカートだけだと絶対覗こうとする男子がいるだろうからだ。
何故そんな事が分かるかって?
普段から僕ら男子は体育館にうつ伏せになってスカート姿でバスケする女子を眺めてるからに決まってるだろ。
P「なんかクラスメイト全員の顔が見えるんだけど」
美穂「走馬灯ですか?」
P「いや別にまだ僕死んでないから」
なんでそんなに集まってるんだ。
と言うか北条さんもそんなに言うんだったら練習しようよ。
P「もっかいやるぞ、準備良いか?」
美穂「……ふー……いけますっ!」
P「せーのっ!」
美穂「せーのーでっ!」
一歩目からズレて僕が倒れた。
せーのーでってなんだよ、スタートの掛け声はせーのっだろ。
P「……せーのっ、な?」
美穂「Pくんがわたしに合わせて下さいっ!」
P「……まぁ別に良いけどさ」
特に拘りがある訳じゃないし。
P・美穂「せーのーでっ!」
クラスメイト「「「いっちにっ! いっちにっ!」」」
クラスメイトの皆様が掛け声を下さった、めっっっちゃうるさい。
体育館で遊んでた他の生徒たちが驚いて一瞬動きが止まってた。
まぁそのおかげもあって僕と小日向の息は揃い、少しずつ前に進み出す。
右足、左足、右足、左足……うん、良いペース。
加蓮「もっとはやくーっ!」
クラスメイト「「「いちにっ! いちにっ! いちにっ!」」」
P「速い速い速い速い」
美穂「わっ、あっ、ちょっと止まって下さいっ!」
P「少しずつ遅くするぞ!」
クラスメイト「「「いちにさん! しごろくっ! なな! いちにさん!」」」
なんつーアンバランスな掛け声なんだ。
お陰で僕らはタイミングがズレて、そのまま床に倒れ込んでしまった。
P「いって……大丈夫か?」
美穂「大丈夫です……立ち上がりたいんだけど、先に立って貰っていい?」
P「ん、あいよ」
足が暇で結ばれてるから、二人同時に立とうとすると恐らくまた転んでしまうだろう。
言われた通り、僕の方から先に立ち上がる。
美穂「あ、そしたら……その……起こしてくれますか?」
P「らじゃ」
こちらへと手を伸ばしてくる小日向。
その手を取ろうとして、僕もまた手を伸ばし……
新田「あっ、手が滑ったぁ!!」
ボンッ!
背中にバスケットボールが当たり、僕はまた前方へと倒れ込んだ。
背中も床に着いた手も普通に痛い。
あの野郎、絶対ワザと投げただろ。
体育座りしてこっち見てた癖に何をどうやったらボール投げられるんだよ。
美穂「…………あ、ぁの……えっと……」
P「…………あ、ごめん」
新田の方を睨んでたから気付かなかったが、どうやら僕は美穂の上に覆い被さる様に倒れ込んでしまっていた様だ。
声のする方に顔を向ければ、思いの外近過ぎる距離の小日向の顔があって。
その表情は紅く、けれどなんかこう、怒ってるという訳ではなさそうで。
というかこれ、側から見たら僕が小日向を押し倒してしまってる様なビューイングなんじゃないだろうか。
……まぁ、良いか。
P「悪い、すぐどくから」
美穂「えっ? も、勿体無いと思いませんかっ?!」
P「えなんで?」
何がどう勿体無いんだ。
強いて言うならこうして二人三脚に失敗し無駄に流れて行く時間の方が勿体無い様な気がするのだけれど。
P「立ち上がるから、今は動くなよ」
加蓮「美穂ーっ! 今! 左足伸ばしてっ!!」
遠くから北条さんが何やら指示を飛ばしている。
美穂「えっ? あ、は、はいっ!」
おいバカ小日向、何焦ってるのか知らないけどそんな事したら……
P「っうぉっ!」
美穂「きゃっ!」
ドスンッ
結ばれてる足が後方へと引っ張られて、四度僕は腹から倒れ込んだ。
今日だけで何度倒れただろう。
三年峠だったらあと十二年は生きてられる事になる。
いや短いよ、流石にもうあと4.50年は生きてたい。
美穂「……ぁ……Pくん……」
P「すまん……って、今のはどちらかと言うと小日向の方に非が……」
言葉を止めて、再度状況確認。
正しい状況を把握する事が、戦場を生き延びる第一の条件である。
かつて昔多分古い時代とかその辺の偉人がそれっぽい名言を遺したんじゃないかな。
がんばれ偉い人。
美穂「その…………近……」
把握完了。
オペレーション二人三脚倒れ込み状態からの復帰大作戦の第一段階を終了する。
なるほど、ふむ。
どうやら僕は小日向の上にまるまるのしかかっている状況らしい。
P「…………ごめん」
のしかかると言うか、押し潰してしまっていると言うか。
頬から伝わる床の感触がどうにも柔らかいなと思ったら、小日向の頬だったり。
…………おっぱいから伝わってくるこの感触は、気付かなかった事にしておこう。
多分言ったら小日向傷付くし怒るだろうし。
さて、と。
それじゃ、さっさと起き上がらないと……
美穂「…………Pくん……その……」
P「……ん? どうかした?」
小日向に言われて、ようやく僕は思い出した。
あぁ、うん、そうだった。
美穂「…………みんなが、見てるから……」
ここが、体育館で。
昼休みに遊びに来た沢山の生徒達が居て。
なんかやけに静かだなぁと思ったら。
P「……見てんじゃない! 見せもんじゃねぇんだぞ!!」
生徒指導室でこってりお説教され、教室に戻る頃には昼休みは終わっていた。
パンッ!
新田「っけぇぇ!! やれ! ぶん殴れ!!」
卯月「あ、あの……新田君、50m走はそう言う競技じゃ……」
体育祭当日。
第二種目である50m走は熾烈を極めてるんじゃないかな、僕は別に見てないけど。
そんな事よりも目に収めなければ、記憶に残さなければならないものがある。
それ即ち、透けブラとかシャツの袖から覗くブラ紐とか揺れるおっぱいとか。
この日の為に用意した双眼鏡は響子に没収されたけど、それでもやれる事はある。
美穂「見て見てPくんっ! うちのクラス2位ですよっ!!」
P「……悪いな小日向、今僕はそんなお遊戯みたいなガキの駆けっこなんかよりも集中して見なきゃいけない事があるんだ」
美穂「ガキって……同い年だよね?」
おっと、おっぱいに集中してお口が悪になってしまった。
……あの合図用ピストルを構えてる女の子良いな……良い、デカイ、良い。
体育祭、正直面倒だと思っていたけれどなかなかどうして悪くないイベントじゃないか。
これならカメラとか持って来ても良かったかもしれない。
加蓮「何々? 五十嵐はまたバカな事言ってるの?」
P「おはようございます北条さん! 今僕は誠心誠意クラスメイトの応援に励んでいる次第です!!」
加蓮「うん、よろしい。ところで鷺沢見なかった?」
P「あいつなら多分ゴールテープ横に居るんじゃないかな」
ゴールする瞬間に揺れるおっぱいがこの上なく素晴らしいとか言ってたし。
僕も最初はそっちに行こうと思ってたんだけれど……
加蓮「……あっつ……いいや、戻って来たらで」
P「うん、僕もテントから出たくない」
なんといっても、今日は暑いのだ。
各クラスに一つずつ割り振られたテントから出た瞬間に焼き殺されてしまうんじゃないかと言うくらい暑い。
これでまだ5月末なのだから、8月になればどうなってしまうんだろう。
8月になっちゃうんだろうな。
けれどそれはそれとして、暑いのは良い。
何故なら汗をかくからである。
暑ければ人は汗をかく、それ即ち自然の摂理にして青春なり。
もちろん高校の一大イベントである体育祭を楽しく盛り上がり汗をかく事が素晴らしいと言っているのであって、決して透けブラひゃっほうとかの理由じゃないよ。
卯月「あ、美穂ちゃんに五十嵐君。知ってると思いますけど、出場種目の二つ前までにゲート前に集合ですからね?」
P「分かってるって島村さ……」
願わくば、花のもと及びおっぱいのもとにて、春死なむ。
そのもっちもちのおっぱいの頃。
世の文学家に聞かれたらブン殴られそうだが、それも仕方ない事だろう。
だってあぁぁぁぁ! 親方! 目の前に女の子のおっぱいが!
ごほん、話題修正。
何が分かってるって島村さん、だ。
僕は何も分かってなかったじゃないか。
少しムチっとしたお尻にくびれに豊満な果実、やばい。
……エデン。
卯月「……? 五十嵐君……?」
キョトンとした表情で首をかしげるおっぱ……島村さん。
なんて無邪気な殺意を帯びた女の子なんだ。
これが無料って時点で学生で良かったと思える、学費は考えない。
ビバ体育祭、世界は幸せ粒子で満ちている、あんだばだえー。
美穂「……Pくん」
P「あぁいや、島村さんが張り切ってるし僕達も頑張らないとなって思ってたんだよ」
卯月「えへへっ! 島村卯月、張り切って頑張りますっ! ブイッ!」
両手でピースをする。
腕は身体の内側に寄せられる。
身体の内側にはおっぱいがある。
寄せられる。
P「……もう一回みんなでそのポーズやらない?」
美穂「はいはい、後でわたしがやってあげますよーだ! ふんっ!」
P「痛い痛い。足の小指だけピンポイントに踏み抜くの痛い」
美穂「…………小日向美穂、頑張ります! ぶいっ!」
P「…………笑顔引き攣ってるぞ」
美穂「なんで顔見るんですかっ!!」
P「普通顔見るもんだろ」
美穂「わたし以外だったら別の場所見るクセに!」
P「じゃあ逆に僕はどこ見れば良いんだよ!」
美穂「ふーんだっ! 自分で考えて下さいっ!!」
P「あ、新田走ってんじゃん。あいつ結構足速いよな」
美穂「なんで普通にクラスメイト応援してるんですか?!」
P「体育祭って本来そういうものなんじゃないかなぁ!」
加蓮「……他所でやってくれないかな」
智絵里「……暑いです」
余りにも無意義な会話に、他の女子に笑われてしまった。
僕だって新田とか鷺沢とかが走ってたら応援ぐらいするさ。
いつもいつも女子の胸ばっかり見てる訳じゃないんだぞ。
おいバカ新田邪魔だ、順位の旗持った女子のおっぱいが見えないじゃないか。
加蓮「あ、ねぇ美穂飲み物買いに行かない?」
美穂「構いませんよー。Pくんバイバーイ! べーっ!」
なんで僕はここまでこき下ろされなければならないんだろう。
べーっ! じゃないんだよ小日向お前今何歳だと思ってるんだ。
加蓮「はぁ……五十嵐、テントから出るの嫌だから私の分買って来てよ」
美穂「えっ」
P「え、僕だって暑いし畏まりました丁度買いに行こうと思ってたところだし。何がお好みですか?」
加蓮「ふむ、よろしい。私ポテト」
P「飲み物の概念」
加蓮「私がポテトって言ったらポテトはポテトなの!」
いや、北条さんが言わなくてもポテトはポテトである。
加蓮「智絵里は?」
智絵里「えっ? わ、わたし……? 五十嵐君に頼むの悪いから……」
加蓮「良いから良いから! ねっ? 五十嵐」
可愛くおねだり、と言えば聞こえは良いが。
僕にはハッキリと、北条さんの声ならぬ声が聞こえて来た。
加蓮『(分かってるよ)ねっ? (私に逆らおうなんて考えず智絵里の分まで買って来てよ)五十嵐』と。
P「うん、もちろん。緒方さんは何が良い?」
智絵里「あ、えっと……なら、ほうじ茶で……」
ほうじ茶……チョイスが渋い。
果たしてこのグラウンドの自販機にほうじ茶なんてあっただろうか。
あ、いえ、きちんと探して来ますので。
最悪近くのコンビニまで行ってきます。
加蓮「卯月は何が良いー?」
卯月「生ハムメロンソーダでお願いしますっ!」
絶対に売ってない自信がある。
加蓮「じゃー五十嵐、美穂と一緒に行ってらっしゃーい」
美穂「えっ?! わ、わたしもPくんにおつかい頼んじゃいます!」
加蓮「一人で五本は持てないんじゃない?」
美穂「むぐぐ……じゃあ飲み物要らないもん」
加蓮「ほらほら意地張らない。二人三脚まだ先だしゆっくりして来なって」
美穂「……早く自動販売機行きますよ、Pくん!」
P「行ってらー、僕コンビニ行くから」
加蓮「五十嵐」
P「よし行くぞ小日向!」
智絵里「…………はぁ……」
加蓮「手のかかるカップルだよね、仲介手数料取りたいくらい」
テクテクテク
早歩きで僕の前を行く小日向。
先程からずっと無言だが、どうしてこうも女子の機嫌というのは変わりやすいものなのか。
その原因すら分からない僕では、どうにもこうにもしようが無い。
という訳で放っておこう。
美穂「……Pくん!」
P「ん? どうかした?」
美穂「……そ、その! わたし、不機嫌っぽくありませんか?!」
P「うん、不機嫌っぽい」
美穂「ですよね!」
P「……うん」
美穂「…………」
P「…………」
再び会話が無くなった。
不機嫌っぽい? 不機嫌そのものだろ、不機嫌の権化だろ。
まぁ、良いか。
何を求めているのか分からないし、放っておこう。
美穂「……何か言ってくれないと……さ、寂しいんですけど!」
そう……
P「……今日、暑いな」
美穂「ですね、すっごく暑いです」
P「…………」
美穂「…………」
三度、会話が無くなった。
美穂「……下手! 圧倒的会話下手ですPくん! きみいつもだったらもっとベラベラ喋ってくれるじゃないですか!!」
P「余りにも理不尽なキレだと自分で思わない? なんか不機嫌な人相手に一人でトークショーする程僕もコミュニケーションに飢えてはないから」
美穂「じゃあ逆にわたしが機嫌良かったらもっと会話してくれるんだよね?!」
P「まぁそりゃ」
美穂「わーい! わたし、今とっても幸せですっ!!」
P「…………熱中症なら保健室連れてくけど……」
美穂「なんでこんな時に限って本気で心配するんですか!!」
突然不機嫌だった人がそんな事言い出したら誰だって心配する。
現に今はとんでもない暑さだし、機嫌不機嫌は置いといて塩分と水分はこまめに摂取しておくべきだろう。
美穂「……あ、PくんPくんっ!」
P「テンションの落差」
突然何かを思いついたかの様に、楽しそうに話しかけて来た。
美穂「熱中症、ってゆっくり言って下さい」
P「熱中症」
美穂「速いです、やり直し」
なんでだよ。
ゆっくり言うと熱中症が治ったりするのだろうか。
P「ねぇぇぇぇぇぇぇ……つぅぅぅぅぅぅぅぅ……ちぃぃぃぃぃ」
美穂「もうすこし丁度よく!」
P「オーダーがアバウトすぎる」
美穂「熱と中と症を一字ずつ分けて言う感じです」
P「なるほど」
美穂「感情を込めて、何かを求める感じでお願いします」
熱中症に何を求めているんだこいつは。
感情を込めてと言われても、どうにも良く分からない。
P「小日向が先に手本を聞かせてくれよ」
美穂「…………えっ?」
P「いや、スピードが分からないから小日向に言って欲しいって」
美穂「……Pくんは……その、わたしに…………言って欲しいんですか……?」
……なんで、照れていらっしゃるんでしょうか。
熱中症なんでしょうか、顔赤いですよ。
P「……いや、別に……そこまで無理してまでは……」
美穂「……む、無理じゃないもん……ただ、その……覚悟が必要と言いますか…………だって、ね?」
だって、ね? じゃない。
そんな覚悟が必要な事を僕に言わせようとしていたのか。
と言うかだから、熱中症がなんなんだよ。
熱中症だよ、熱以上でも熱以下でもなく熱中症だよ。
美穂「すー…………ふー…………」
ため息をしている。
僕もしようと思う。
P「すー……………ふー…………」
酸素と窒素の味がした。
どんな味なんだろう。
美穂「…………Pくん……わ、わたしと…………」
そう言って、小日向は目を瞑った。
…………熱中症だろ、これ絶対。
美穂「わ、わたしと……! ね、ねっ……」
P「小日向」
美穂「へっ、はっ、ふぁいっ!」
P「おでこ、触るぞ」
美穂「えっ? あっ、えぇぇっっ?!」
そう言って、僕は小日向に近付いておでこに手を当てた。
熱は…………分からない。
僕の手も暑いからだろうか、熱が出ているのか分からなかった。
自分のおでこをくっつけてみるも、良く分からない。
美穂「わっ、あわわわわわわわわわっっ!!」
P「……さっきよりも顔が赤いな……大丈夫?」
美穂「だ、だだだっ! 大丈夫じゃなす! です! はい!」
ナス。
美味しいよね、うん。
少なくとも大丈夫ではなさそうだ。
言語野に大きな影響が出ている。
美穂「わ、わたしは大丈夫ですから……いつでも……はい! どうぞっ!!」
暑さで意識が朦朧としているのだろうか。
小日向の目が物凄い勢いで行ったり来たりしている。
これは保健室まで連れて行った方が良さそうだ。
P「…………保健室行くぞ」
美穂「えっ?! あぅ、ええっっ?! ほ、保健室ですかっ?!」
何をそんなに慌ててるんだ。
体調悪いかもしれないのなら保健室だろう。
P「ちゃんと診るぞ」
美穂「ちゃんと! みっ、見るっ! ほ、保健室で……それって……あぅ……」
ぷしゅぅぅぅ、と蒸気機関車の様に頭から水蒸気を吹き出している(様に見える)小日向。
果たして彼女は今現在正常な思考を出来ているのだろうか。
美穂「…………や、やっぱりまだダメッ!」
P「お、おい小日向!!」
だっ、っと脱兎の如く走り去って行った。
P「そっちに自動販売機無いぞー!!」
僕の声は、どうやら届いていない様だ。
あっと言う間に、その背中は小さく見えなくなって行った。
P「…………まぁいいや、飲み物買いに」
加蓮「…………」
智絵里「…………」
新田「…………」
振り返れば、自動販売機の陰に北条さんと緒方さんと新田が居た。
まるで何かに隠れているみたいだけど、何してるんだろう。
P「……ん? どうした皆んな、結局自分で買いに来たの?」
新田「……救えないバカだな」
智絵里「い、今のは美穂ちゃんもじゃないかな……」
加蓮「両方バカでしょ」
あまりにも酷い言われ様だ。
小日向は兎も角、僕は別にバカな事してない筈なんだけれど。
加蓮「追い掛けなよ、五十嵐」
P「え、でも飲み物買いに……」
加蓮「良いから、代わりに私が買っといてあげる! 貸しひとつだから!」
代わりも何も貴女がたのパシリなんですが。
加蓮「ダッシュ! はいダッシュ! 美穂道に迷って泣いてるかもよ!」
P「北条さん割と小日向に対する評価低いよね」
校舎内で迷子になるアホが何処にいる。
なってそうだな、と思ってしまった自分もいたけど。
……まぁ、それはそれとして。
P「追い掛けないと後々また怒られるし……行ってくるか」
グラウンド内を駆け回った。
校舎内も駆け回った。
きちんとロッカーの中とか机の中も探した。
けれども……どこにも、小日向の姿は無かった。
小日向、本当に迷子になってたりしないだろうか。
帰る道が分からなくなって、泣いたりしてないだろうか。
でもよく考えたら、あいつ迷子になっても泣く様な奴じゃないな。
小さい頃二人で迷子になった時も、楽しそうにしてたし。
P「…………何処だ……」
まぁ、でも。
小日向の考えている事なんて手に取るように分かる。
何年付き合ってると思っているんだ。
十年くらいだ。
どうせ屋上だろう。
あれ、違った。
今のはフェイクだ、本当は校舎裏に居るに決まってる。
むむ、居なかった。
……どこ、ほんと何処。
正直そろそろ疲れて来たんだけど。
この炎天下の中、孤独な独り相撲を取らされる僕の気持ちも考えて迷子になって頂きたい。
もういっそ遭難届でも出して警察に任せてしまおうか。
美穂「……ふぅ……お茶美味しい……」
加蓮「あ、おかえりー五十嵐」
P「…………やぁ、久し振り」
と思ったら普通にテントに居た。
なんで居るんだよ、遭難してろよ。
もう被害届出しちゃっただろ。
P「小日向……北条さん……僕にこう、何か一言あったりしない?」
美穂「あ、Pくんっ! もうすぐ二人三脚なのに何処ほっつき歩いてたの?」
加蓮「まったく……ペアに心配かけちゃダメでしょ」
P「いや、おい…………まぁ良いや」
いいよ、もう。
そうだよな、この炎天下の中ずっと迷子やってたらそれこそ熱中症になっちゃうもんな。
それならテントの下で休んで貰ってた方がよっぽど良い。
但し僕の気持ちは考えないモノとする。
あーちくしょう、この時間で一体どれだけのおっぱいを見逃したと思ってるんだ。
え、もうチア部の応援終わっちゃったの……?
めくれ上がるスカートは? 揺れる双峰と靡く髪は?
体育祭の楽しみの99割が消し飛んだんだけど。
加蓮「そう言えば美穂、さっきなんでキスしなかったの?」
美穂「えっ? な、なななっ、なんでわたしがPくんなんかとキスしなきゃいけないの……?」
加蓮「え、逆に聞くけどしたくないの?」
美穂「……逆に聞きますけど、加蓮ちゃんはどっちだと思いますか?」
智絵里「…………はぁ」
加蓮「面倒くさい女だね……」
美穂「わ、わたしは結構ストレートなつもりだもんっ!」
何やら騒がしい声が聞こえる。
けれど僕の耳に内容までは入って来ない。
何故なら今、校庭の真ん中では大縄が行われているから。
三年生の大縄は凄い迫力でついつい見入ってしまう。
大縄、それは神が与えし無限の可能性。
縄の有無はどうでも良い、大縄の本質は跳躍する事による副産物にある。
……揺れる、とても揺れている。
世界が、そして僕の心が跳ねている。
加蓮「はぁ…………五十嵐」
P「え、あ、はい」
加蓮「アンタなんで美穂の事探してたの?」
P「え……? そりゃ迷子になっちゃったら大変でしょ」
加蓮「ふーん、心配してあげてたんだ」
P「心配…………?」
いや、そんなんじゃないが。
探しに行かないと、追いかけないと小日向怒るんだもん。
あとこいつぽーっとしてるから校舎内で迷子になってもおかしくないし。
確かに熱中症っぽかったから心配してなかった訳じゃないけれど。
P「なんかこう、僕が追い掛けるべきかなって」
智絵里「うわぁ……こういうの、彼氏面って言うんですよね……?」
加蓮「チア部の発表より優先して?」
P「正直凄く後悔してる」
美穂「あのっ!」
P「でもほら、小日向は……」
美穂「……こ、小日向は……?」
智絵里「ま、まさか……」
加蓮「お、これはー……?」
P「…………あれ? ほんとなんで僕小日向なんかを探してたんだ?」
美穂「…………」
P「なんだろ、北条さんが追い掛けろって言って……あぁあれだ、ゴミ箱にゴミ投げたのに入らなかった時みたいな感覚」
おそらく誰しも経験した事があると思う。
ゴミを投げたが入らず、意地になって何度もゴミを投げ入れようとしてしまう感覚。
あれ大体三回くらい入らなくて、結局ちゃんと投げずに入れる事になるんだよな。
今回も多分、そんな感じ。
美穂「……例えが酷過ぎませんか?」
P「あれ? でもなんで見つかった時安心したんだろ……」
美穂「…………安心……したんだ……」
P「投げたゴミがちゃんとゴミ箱に入ってるの確認した時みたいな安心感だった」
美穂「うるさい! ゴミゴミゴミゴミうるさいです!!」
智絵里「…………はぁ」
加蓮「面倒くさいカップルだね……」
『二人三脚に出場する生徒は、ゲートまで集合して下さい』
そうアナウンスが入る。
クラスメイトの他の出場者達は既に向かっているのか、テント内に動きはなかった。
P「ん、そろそろ行かないとまずそうかな」
美穂「ゴミ箱にですか?」
P「引きずらないでくれると嬉しいんだけど」
美穂「ゴミ袋みたいにですか?」
P「もう水に流してくれよ」
美穂「液体ゴミみたいにですか?」
智絵里「…………もう……」
加蓮「ゴミゴミゴミゴミうるさい! さっさと行け産業廃棄カップル!!」
智絵里「加蓮ちゃんもだよね……?」
加蓮「は? 何? 私が産業廃棄物って言いたいの?!」
P「いや二人三脚出場者だよねって意味だろ」
加蓮「うるさい不燃ゴミ!」
P「可燃だよ!!」
美穂「ねぇ、智絵里ちゃん。加蓮ちゃんってPくんと仲良いよね……」
智絵里「……面倒くさ……」
ガヤガヤガヤ
既に出場者の集まったゲート裏は、物凄い熱気だった。
炎天下の中遮蔽物も無しに大人数が集まればどうなるかの実験じゃないんだぞ。
周りを見回せば、さっきまでは殺意に溢れてた生徒が暑さにバテていて。
何というかこう、早くテントに戻りたいって気持ちが伝わって来た。
加蓮「……他のクラスに手回しは?」
鷺沢「出来てるよ。やる気ない奴らばかりで良かった」
北条さんと鷺沢が何やら打ち合わせをしている。
落とし穴でも掘ったんだろうか。
驚く程勝ちに貪欲な気もするが、もちろん僕だって負ける気は無い。
この日の為に沢山の練習と醜態を積み重ねて来たのだから。
……体育館で、何回視線を集めたかなぁ。
今なら一番知名度の高い二人三脚ペアである自信がある。
『それでは、二人三脚の選手、入場!』
「「「うぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」」」
何処か一箇所だけテンション狂ってるクラスがあった。
なんでこんな二人三脚とかいう競技にそんな盛り上がってるんだよ。
大丈夫か、ほんと疲れてるなら休め。
あ、うちのクラスだ。
美穂「……が、頑張ろうね、Pくん」
P「緊張してる?」
美穂「し、してなく……なく……ない……ある……」
P「どっちだよ」
美穂「き、緊張してるに決まってるでしょっ!」
P「僕はしてない」
美穂「ず、ズルイっ! わたしはこんなに緊張してるのに!!」
P「いや別にバランス取れて丁度良いんじゃないか?」
美穂「Pくんの落ち着き程度じゃ釣り合わないくらいドキドキしてるもん!」
P「なんでそこ張り合うの?」
美穂「な、なんとかして下さいっ!!」
P「えぇ……じゃあまぁ、ありきたりだけど……」
緊張している人を落ち着ける方法。
そんな事に関して詳しい訳じゃないから、僕がやってもらって落ち着けた経験から引っ張って。
ぎゅ、っと。
僕は小日向の手を握った。
美穂「えっ? あっ、えっ? っあぅ……」
P「どう? これ割と落ち着くと思うんだけど」
美穂「そ、そうでもないんじゃないかな?」
どうやら不発に終わってしまった様だ。
小日向の顔はより一層赤くなってしまっている。
美穂「こ、こんな事されて……落ち着ける訳無いもん……」
P「放した方が良い?」
美穂「ダメっ! も、もうちょっとだけ……繋いでて下さい」
P「うん、まぁ小日向が落ち着くまでは」
少しずつ、小日向の息が整って来た。
うん、失敗じゃなかったみたいだ。
握った手が汗で凄い事になってるけど、言ったら怒られそうだし黙っておこう。
にしても、柔らかいな……
美穂「…………あ……」
P「ん? どうかした?」
美穂「……あ、あははー……ねぇ、Pくん」
P「なんだよ、早く言え……って……」
完全に、失念していた。
『すいませーん! イチャついてないで早く入場して下さーい!!』
ゲートに取り残されていた僕たちは、間違いなくその日一番の注目を集めてしまっていた。
P「なんだかなー……」
新田「なんだよ五十嵐、お前勝ったのに湿気た面してよぉ」
P「いや、なんかさ……なんだろう、この納得いかない感じ」
新田「うるせぇ! 女子と二人三脚やってる時点でお前はもう勝ち組なんだよ!!」
P「いやでも小日向だぞ」
新田「お前一回捨てられた方が良いわ」
二人三脚は、僕らのペアが一位だった。
ゴールテープを切った小日向の顔は輝いていたらしい。
いや、まぁ、うん。
獲得ポイントが多いに越した事は無いのだけれど。
P「ゴール直前で僕ら以外のペアが全員転ぶってある?」
新田「焦り過ぎてテンポズレたんだろ」
P「そう、なのかなぁ……」
同時に走ったペアは、僕らのペア以外全員男子同士で組んでいて。
スタートから差をつけられ、僕らの最下位は殆ど決まった様なものだった。
……のだけれど。
ゴール直前でそいつらが全員転び、僕らはなんか一位を取ってしまった。
P「立ち上がる時間は十分あった筈なんだけどなぁ」
新田「焦っちゃったんだろ」
P「あと1.2歩でゴールされてたのに」
新田「焦っちゃったんだろ」
そうなんだろうか。
まぁ、そうなんだろうな。
卯月「おめでとうございますっ! 美穂ちゃん、五十嵐君っ!」
P「ありがとう島村さん! いやぁ、辛くも辛勝って感じだけど練習した甲斐があったよホント! 頑張って良かった!!」
新田「お前ほんとなぁ……」
うるさいな。
島村さんの前じゃカッコよくいたいというのは人類全員の共通認識だろうに。
智絵里「おめでとうございます、五十嵐くん」
P「ありがとう緒方さん! 緒方さんの応援のおかげだよ!」
新田「お前……」
うるさいな。
緒方さんの前じゃ優しくありたいというのは人類全員の共通認識だろうに。
加蓮「いぇーい美穂! お互い一位おめでとっ!!」
美穂「いぇーいっ! とってもステキな思い出になりましたっ!」
うるさいな。
真横で騒がないで欲しい。
加蓮「じゃあもうウチのクラスの体育祭は終わった様なものだし、ヒーローインタビューとかいっちゃう?」
男子「「「ヒューヒューっ!」」」
ヒーローインタビュー?
加蓮「二人三脚で無事一位を取ってクラスに貢献してくれたアンタと美穂に決まってるじゃん」
P「それは北条さんペアもでしょ……あれ? 鷺沢は?」
加蓮「お礼言いに行ってる」
なんのだろう。
深くは考えない方が良さそうだ。
卯月「それでは皆さん、テント裏に体育座りで集まって下さい!」
ぞろぞろとクラスメイトが裏に回り、各々その場に座る。
え、これ本当に何か喋らなきゃいけないやつでは。
加蓮「それじゃ、今日のMPカップルからのスピーチ始めるよ」
Vはどこ?
マジックパワー消費するの?
美穂「ええっと……み、みなさんの応援のお陰で無事Pくんと一位を取れましたっ! ありがとうございますっ!」
クラスメイトs「「「ひゅーひゅー!!」」」
クラスメイトの連中、何か応援してくれてたか?
背中にバスケットボール投げつけられた記憶しかない。
美穂「あと直前に緊張してる時、Pくんが手を握ってくれて……えへへ……」
男子s「「「ひゅーひゅー!!!!!!」」」
美穂「ほんとうにっ! ありがとうございましたっ!!」
各地から拍手が送られた。
他のクラスの方々が怪訝な目で見てくるけど、誰も気にしてなさそうだし僕も気にしない事にする。
加蓮「それじゃ、次は新郎の五十嵐から」
P「おう、それじゃ……みんな!」
沢山の目が此方に向けられた。
今、僕にはきちんと言っておかないといけない事がある。
こうして、みんなの前で。
誰もが僕の言葉を聞き逃さんとしてくれている、今だからこそ。
P「僕ら! 別にカップルじゃないかなら!!」
午後の部は涼しい保健室で過ごす事が出来た。
P「んで、お前と北条さんって結局どう言う関係なのさ」
鷺沢「言うなれば……クラスメイトだな」
P「へー、それ北条さんに伝えとくから」
鷺沢「ここに150円ある」
P「おっけ、僕は何も聞かなかった」
いつも通りの朝の昇降口。
小日向は日直らしく職員室に向かっているそうで、たまたま校門前で会った鷺沢と駄弁りながら上履きに履き替えようとして。
けれど、言葉には表せないが。
なんだか、普段とは違う感じがした。
鷺沢「……ん? どうした五十嵐、下駄箱見つめて」
P「……開けられた形跡がある」
鷺沢「は?」
P「僕ってほら、見ての通り几帳面だろ? ドアきちんと閉じて帰るんだよ。だけど見ろ、今はこの通り微妙に閉まり切ってない」
鷺沢「隣の俺が閉めた衝撃で開いちゃったとか」
P「いや、お前そんな勢い良く閉めてないだろ」
鷺沢「……お前の記憶違いじゃないのか?」
P「バカ言え、僕は生きるメモリーカードと言われた男だぞ」
鷺沢「シーラカンス的な?」
確かにメモリーカードって名前は既に化石な気がしないでもない
それはそれとして、だ。
誰が、なんの目的で僕の下駄箱を開けた?
一番可能性としてあり得そうなのは、他の男子が開け間違えた場合だ。
けれど、クラスメイトの男子どもだったら多分閉めてくれてすらいない。
だってみんな僕への扱い雑なんだから。
P「…………今日ってバレンタインだっけか?」
鷺沢「一昨日体育祭だったの忘れたのか?」
P「つまり体育祭は2/12に開催されたって事か」
鷺沢「時空を歪めてまでバレンタイン説を推すんじゃない」
だったら嬉しいな、ってだけではあるが。
え、でもチョコの可能性あるじゃん。
例えば僕の事を好きになってくれた女子がチョコを下駄箱に潜ませてくれた可能性とか信じたいじゃん。
ジャンバラヤ。
P「……開けるぞ」
鷺沢「爆弾処理班かお前。早くしないと予鈴鳴るぞ」
P「へーへー」
下駄箱のドアを開けた、空気が入っていた、上履きが入っていた。
手紙が入っていた。
P「…………は?」
鷺沢「なんだお前、本当に爆弾でも入ってたのか?」
P「それに近いモノが入ってる」
目を擦ってみる、手紙はまだそこにあった。
頬をつねってみる、爪の跡がついた。
ドアを一度閉じてもう一度開ける。
けれどそこには、まだ手紙が入っていた。
P「…………なぁ、鷺沢。これってさ……」
鷺沢「……おいおいマジか、遂に成し遂げたんだな……」
白い封筒。ハート形のシール。
ソリッドビジョンでは成し得ない確かな質量。
ほんのりと香る甘い匂い(は別にしないけどイメージとしてはそんな感じ)。
紛れもなく、これは。
P「……ラブレターだ」
鷺沢「速報速報速報! 遂に五十嵐にラブレターが渡されたぞ!!」
新田「えっ、マジ?!」
智絵里「……わぁ……美穂ちゃん、頑張ったんだ……」
加蓮「やれやれ、ようやくって感じじゃない?」
卯月「えっ? 五十嵐君にラブレターっ?! 誰からなんですか?!」
僕が教室に着く頃には、なんかもう大騒ぎだった。
女子は歓声を上げ、男子はロッカーから大量のクラッカーを取り出し打ち上げている。
時たま思うが、このクラスの男子は何故常にパーティーグッズを常備しているのだろう。
というか、うるさい。
P「やれやれ……なんで僕以上に盛り上がってるんだみんな」
人の恋路は蜜の味と言うのは分かるが、それはそれとして盛り上がり過ぎだろう。
余りにも精神年齢が幼いと言わざるを得ない。
新田「おい五十嵐! お前なんで喜んでねぇんだよ!」
鷺沢「そうだぞ、ラブレター貰うとか羨まし過ぎんだろ喜べよ!!」
P「全く…………あのな? こういう時は下手に舞い上がらず落ち着いて振る舞いたいもんなんだよ」
すー、っと。
僕は、大きく息を吸って……
P「っっっひゃっほぁぁぁぁぅぅぅぅっっ!!」
っしゃぁぁぁぁぁっっ!!
僕に! 春が来たぁぁぁぁっっ!!
えマジで?! これマジでラブレターだよな?!?!
っほぉ、やっべマジかやっべおほほ。
P「誰かなぁ! 誰がくれたんだろうなぁ!」
新田「開けろ開けろ!」
P「いやぁ、でもこういうのは一人で落ち着いて読みたいんだよなぁ!!」
鷺沢「まぁお前以外のみんなは誰が書いたのか分かってるけどな」
P「なんでさ」
男子たちが謎のダンスを踊っている中でラブレターを読む気にはなれない。
いつの間にここは古代の集落みたいになってしまったのだろう。
僕だって勿論早く読みたい気持ちはあるが、いかんせん落ち着かない。
女子の皆さん、黒板に祝! とか絵とか描かなくて大丈夫ですので。
ガラガラガラ
美穂「ふぅ……日直じゃなければもう五分くらい長く寝れるのに……えっ、な、なんでこんなに盛り上がってるの?!」
職員室から戻って来た小日向が、宗教の会合と化した教室に驚いていた。
そりゃそうだよな、うん、僕だって多分ビビる。
加蓮「やるじゃん美穂! 末永く幸せにね!!」
智絵里「美穂ちゃん……勇気、出したんですね……!」
美穂「……ん? え? 何の事……?」
ピタッ、っと。
その瞬間だけ時間が止まったかの様に、教室中から音という音が消えた。
まるで音や声が忘れられてしまった世界の様で。
誰もが、音を一切発さずに。
動く事無く、静寂だけを保っていた。
加蓮「…………え……ねぇ美穂、一応聞くけど……誰かにラブレター渡したり……してない?」
美穂「え? らっ、ラブレターですかっ?! ま、まだ渡せてませんっ!」
智絵里「え、えっと……誰かの下駄箱にコッソリ入れたり……」
美穂「まだ出来てませんっ!」
加蓮「…………」
智絵里「…………」
鷺沢「…………」
新田「…………」
クラスメイト全員「「「…………」」」
なんか、教室が静かになった。
なんだみんな、情緒不安定か。
まぁ、いいや。
静かなら静かに越した事はない。
P「それじゃ、読むかー!」
加蓮「鷺沢っ!」
鷺沢「分かってるっ!!」
ダンッ!
物凄い勢いで鷺沢が飛び込んで来た。
バネの様に一気に距離を詰められ、その手が僕の顔面に伸びる。
P「っぶなっ! 何すんだよお前っ!」
それをすんでのところで躱し、僕は一歩飛び下がる。
一発目から顔面なんて、僕みたいに慣れてなかったらトラウマモノだぞ馬鹿。
鷺沢「事情が変わった、お前にそのラブレターを読ませる訳にはいかない」
P「うるせぇ! こいつは僕が貰ったラブレターだ!」
美穂「Pくんっ! 後ろっ!!」
突然小日向が叫んだ。
その声で殆ど反射的に伏せた僕の頭上を、新田の脚が通り過ぎる。
軌道的に明らかにラブレターを握った腕を狙っていた。
という事は……こいつらの目的はこのラブレターか。
……それはそれとして、さ。
こいつら、余りにも容赦が無さ過ぎるんじゃないかな。
小日向の助けが無ければ、下手したら腕折れてたぞ。
なんでそんなに僕にラブレターを読ませたくないんだ。
新田「お前ら! 目標はラブレターだ! 五十嵐自体には可能な限り怪我を負わせ無いように!」
P「お前が言うなよ」
新田「間違えた、可能な限り怪我を負わせろ! 死なない程度にブッ殺せ!!」
男子s「「「応っっ!!」」」
P「クソッ!!」
ダンッ!
ゴキブリの様に飛び掛かってくる男子の群れを掻い潜り、僕は教室の外へと逃げた。
何故かは分からないが、連中は僕にこのラブレターを読ませたくないらしい。
でも、僕は読みたい。
ならばこちらの勝利条件は単純明快。
逃げて、読む。
ただそれだけだ。
新田「逃すかボケェ! 追え!!」
男子s「「「新しい女に手を出させるなこの妻帯者!!」」」
走る、走る、走る。
かくして、ラブレター争奪戦の火蓋は切って落とされた。
P「…………ふぅ……」
四階、屋上へと繋がる階段。
僕は腰を下ろし、大きく深呼吸をしていた。
遠くから追っ手の怒号が聞こえてくるが、此処に近付いて来てはいない。
どうやら正解みたいだ。
この時間、屋上は開放されていない。
つまりこの屋上へと繋がる階段は、現在行き止まりになっている。
だからこそこんな場所には逃げ込まないだろう、という思考の裏をかく。
まぁ長くは居られないだろうが。
けれど、長い時間留まるつもりもない。
僕はラブレターさえ読めれば、それで良いのだ。
後は既に読んでしまったとの旨を伝えれば、おそらく暴行は必要最低限のもので済ませてくれるだろう。
痛いのは嫌だが、手加減はしてくれる……と信じてる。
P「すー…………開くか……っっ?!」
シュッ!
突然、遠くから何かが飛来して来た。
それをブレザーの裾でガードし、うっわ刺さってるよ響子に怒られるじゃん……
P「これは…………栞」
ブレザーの裾には、栞が数枚突き刺さっていた。
……栞を何枚も持ち歩いているのは、クラスに一人しかいない。
鷺沢「次は股間を狙う」
P「使い物にならなくなるから本気で辞めて欲しい」
鷺沢だった。
かつん、かつんと階段に近付いてくる。
P「よく分かったなお前」
鷺沢「小日向にお前が逃げそうな場所を聞いたんだ」
P「えっズルイ。あとよく栞投げて刺せるな……」
鷺沢「姉さん直伝だよ。15メートル以内なら外しはしない」
お前の姉さんは忍者か何かなのか。
っていうかお前姉さんいるの? 羨ましいなぁ……
鷺沢「従姉妹だよ」
P「結婚出来るじゃん」
鷺沢「いや、でも姉さんってこう……家だと女捨ててるから……」
P「は? 従姉妹の姉さんと同居してんのかお前。事情が変わった殺す」
鷺沢「こっちのセリフだ馬鹿。妻帯者でしかもあんなに可愛い妹さんがいるのに更にラブレターが読みたいだと? 寝言は永眠してから言え」
少しずつ、鷺沢が距離を詰めて来た。
地の利は階段の上に居る僕にある。
蹴って階段から落としても鷺沢なら多分死にはしないだろう。
僕だってラブレターが読みたいんだ、お前の様なラノベ主人公みたいな奴に奪われてたまるか。
P「……あ、窓の外におっぱい!」
鷺沢「マジ?!」
ダンッ!
鷺沢「あっ、騙したなお前!」
馬鹿が窓の外を見ている間に、僕は手摺を超えて一気に下のフロアまで飛び降りた。
大きな音が響いてしまったが、さっさと逃げれば問題無い。
栞の射程距離である15メートルはおそらくもう開いているだろう。
鷺沢よりは僕の方が足が速いから、このまま……
加蓮「逃す訳無いじゃん」
ばっ、っと両手を広げて通せんぼをする北条さんが目の前に居た。
……やっぱり北条さん、結構おっぱいあるよな。
P「……どいてくれ北条さん」
加蓮「だーめ、悪いけどアンタにラブレターを読ませる訳にはいかないの」
P「鷺沢と海行った時の写真送るから」
加蓮「…………そ、そんなんで私が釣れると思ったの?」
分かりやす過ぎる。
加蓮「今回ばかりは私も譲れない……あの子を傷付ける様な事はさせないから」
鷺沢「よし、北条。そいつをそのまま引き留めててくれ」
くそ、鷺沢が追って来てる。
まずい……なんとか逃げないと……
P「……鷺沢! 今朝の150円返すわ!!」
突っ走って来る鷺沢に150円を投げ付け……
P「北条さん。今朝鷺沢に二人はどんな関係なの? って聞いたらただのクラスメイトだって言ってた」
加蓮「…………ふーん」
鷺沢「…………言ってないぞ」
加蓮「……そっか……そうだったんだ……」
鷺沢「…………」
加蓮「…………何か言ったら?」
よし。
夫婦喧嘩は犬も食わないって言うし、僕はさっさと逃げよう。
鷺沢「……五十嵐後で覚えてろよ」
加蓮「へー、後があると思ってるんだ」
タッタッタッ
ペースを落とさず校舎内を駆け巡る。
男子トイレの個室は全て鍵が掛かっていたが、あれ普通に他の生徒に迷惑だからやめた方が良いと思う。
まぁ、それ程までに男子の連中は本気で僕を仕留めようとしているという事だろう。
他人の恋路を邪魔するのがそんなに楽しいのかあいつら。
此処、二階の渡り廊下は眺めが良くある程度クラスメイトの位置は把握出来る。
けれど両方から挟み撃ちされた場合、逃げ場は無い。
P「そろそろどっかに隠れて……うぉっ?!」
ダンッ!
目の前をバスケットボールが豪速球で通り過ぎて行った。
P「……新田か」
新田「殺す」
P「会話して」
狂戦士となった新田の目には、かつての優しさはどこにもなく。
いや、元から優しさなんて無かったか。
あいつは今、僕を仕留める事しか考えていない。
頭を狙って来たの、普通に怖いからな。
P「……悪いな、新田」
新田の方が足が速い。
力だって向こうの方が上だろう。
更にバスケットボールまで持っていて、戦力差は絶対的だ。
……それでも。
P「僕は逃げ切る。ラブレターの為なら……手段は選ばない!!」
新田「死ねオラァ!!」
新田が腕を振りかぶる。
あのバスケットボールが放たれれば、おそらく次に僕が目を覚ますのは夕方ごろだ。
……だから。
それよりも早く、叫ぶ。
P「先生ぇぇぇっ! 廊下でバスケしてる奴が居まぁぁぁぁす!!!」
新田「げっ、おい馬鹿やめろ! もう今月何回反省文書かされたと思ってんだ!!」
……いや、なら廊下でバスケするなよ。
P「先生こっちです! あいつあいつ!!」
新田「覚えとけよ五十嵐っ!!」
新田が全力で走り去って行った。
……馬鹿め、ハッタリに決まってる。
先生なんて来てないというのに。
P「…………さて」
今の声を聞きつけたクラスメイト達が、間も無くこの場に到着してしまうだろう。
おそらくこの渡り廊下の両方から、奴らは来る筈だ。
P「……やるか」
窓を開ける。
健やかな空気が、肺を駆け巡る。
真下は中庭、芝生だからそこそこ衝撃を吸収してくれそうだ。
もう既に廊下を走る足音は近くに聞こえていた。
屈伸して、伸脚して。
僕は、窓の枠に手を伸ばす。
良い子は、絶対真似してはいけません、っと。
~中庭~
男子A「お゛う゛ゴラァ五十嵐ぃ! 出てこいボケェ! 出すもん出さんかぃ!!」
男子B「エロ本あるぞー、すっごく良いエロ本だぞー」
……ふぅ、行ったか。
中庭の茂みから辺りを見回すも、近くにクラスメイトの気配は無かった。
よくスパイごっこをしていたから、見つかりづらい場所は熟知していて。
一緒に遊んでいた鷺沢は多分今頃必至に弁解してるだろうから、見つかる可能性は低い。
……着地、上手くいって本当に良かった。
さて、と。
北条さんには後で謝るとして。
それじゃ……ラブレター、読んじゃいますか。
ふふふ……ラブレター……ふふ……
智絵里「……五十嵐くん」
P「っ?!」
背後に、緒方さんが居た。
いつの間に背後を取られた?
近くにクラスメイトの気配は無かった筈だ。
それに、女の子がこんな茂みの中入ってくるもんじゃないぞ。
智絵里「えへへ……わたし、いつも中庭で四つ葉のクローバー探ししてるから……」
P「……緒方さんも、ラブレターを奪いに?」
智絵里「うん……その、本当は良くない事って分かってるけど……それでも、お友達の為だから……」
P「……ごめん、緒方さん。悪いけど、このラブレターは渡せない」
智絵里「…………良いんですか?」
P「え、何が?」
なんで、緒方さんはそんなに強気なんだろう。
気付かれずに背後を取ったと言うのに、その圧倒的な優位を捨ててまで僕に声を掛けて。
それは、まだ僕を説得する奥の手が残されてると言う事か?
いや、言いたくは無いが緒方さんに僕が負ける筈が……
智絵里「……ここ、茂みなんです」
P「そうだな」
智絵里「……今は、わたしと五十嵐くんしか居なくて……」
P「……そうだけど……?」
智絵里「…………わたしが悲鳴を上げたら、どうなっちゃうのかな……」
P「……………」
……………。
…………………………。
P「……………勘弁して下さい」
智絵里「えへへ……だったら……ラブレター、下さい」
ここまで胸がときめかないラブレター下さいは初めて聞いた。
いや、ときめきに関係なくラブレター下さいとか言われた事は無いが。
それと心臓のバクバク半端ないが。
緒方さん、もしかしなくてもめっちゃ強いのでは。
P「……逃げ」
智絵里「ようとなんて考えないで下さい……余計に罪が重くなっちゃうから……」
不味い不味い不味い。
本格的に、僕に勝ち目がない。
緒方さんが悲鳴を上げた時点で、僕は強姦未遂だ。
けれど逃げられない……それでも、僕は……!
P「……緒方さん!」
智絵里「えっ? は、はい……!」
絶対に勝てないと分かっていても。
それでも男には、逃げられない時がある。
やってやるさ、ラブレターを読む為なら。
僕は、勢いよく息を吸い込んで……
P「参りました!!!!!」
ラブレターを、緒方さんに手渡した。
P「…………」
新田「…………」
鷺沢「…………」
加蓮「…………」
智絵里「…………」
クラスメイトs「「「…………」」」
卯月「反省して下さいっ!」
教室にて。
島村さんと小日向以外のクラスメイトが、全員こうべを垂れていた。
卯月「……先生、怒って職員室に戻って行っちゃいました。誰が呼びに行かなきゃいけないか分かってますよね?」
……授業、始まってたもんな。
なのに殆どの生徒が教室に居なければ、それは先生だって怒るだろう。
いや、他の奴らが追いかけて来なければこんな事にはならなかったのだが。
あ、本当にごめんなさい反省してます。
卯月「……私が行くんです。戻って来たら全員ちゃんと謝って下さい」
ガラガラガラ
島村さんが教室を出て行った。
教室に、居心地悪い空気だけが残る。
新田「五十嵐が逃げなければ丸く収まってたんだぞ」
P「僕悪い事してないんだけどなぁ……あれ? 鷺沢は?」
加蓮「保健室じゃない?」
深くは追求しないでおこう。
加蓮「にしてもホントナイスじゃん智絵里」
智絵里「……先生に怒られちゃう……」
P「……僕のせいにして良いから」
緒方さんに奪われたラブレターは、結局僕は読む事が出来なかった。
渡してくれた女の子には本当に申し訳ない。
あーあ……どうしよう。
嫌われるよな、僕。
加蓮「あ、美穂。せっかくだしラブレターの差出人だけ見ちゃえば?」
美穂「えっ? そ、そんな事出来ませんっ!」
加蓮「ライバルの事くらいは知っといた方が良いと思うけど」
美穂「ら、ライバルだなんて……」
加蓮「智絵里それ美穂に渡してあげて」
智絵里「え……っ、あっ、はい」
美穂「そ、そんな事悪くて出来ないです……」
良かった、小日向に良心があって。
美穂「……あー、何もしてないのに開いちゃいましたーっ!」
おい。
それはそれとして、差出人は僕も気になる。
クラスメイトって事はなさそうだけど、だとすると誰だったんだろう。
美穂「…………あれ?」
加蓮「ん?」
智絵里「ど、どうかしたんですか……?」
まだ封を開けただけの小日向が、ポツリと呟いた。
美穂「これ、『鷺沢君へ』って書いてあります……」
加蓮「…………」
智絵里「…………」
新田「…………」
P「…………」
クラスメイトs「「「…………」」」
……あぁ、そういう事。
僕と鷺沢の下駄箱、隣同士だからか。
間違えて僕の方に入れちゃったって事か。
おっちょこちょいな女の子だな。
成る程…………成る程。
P「保健室行ってくる」
新田「行くぞ」
男子s「「「応っ!!!」」」
ガラガラガラ
卯月「…………」
一時間目の授業は反省文になった。
美穂「はぁ…………」
加蓮「何ため息なんて吐いてるの? 幸せ逃げてくよ」
美穂「良いですよねー加蓮ちゃんは。そういう悩み無さそうで」
加蓮「心配したら毒吐かれたの普通に傷付くんだけど」
木曜日の放課後。
ため息と毒を吐きながらの通学路。
Pくんはお友達と本屋に寄って帰るらしいので、わたしは加蓮ちゃんとのんびり歩いていました。
ため息を吐いてた理由はとっても単純です。
Pくんが、ぜんっぜんわたしの気持ちに気付いてくれないから。
自分で言うのは難だけど、結構ストレートな好意をぶつけてるつもりなんだけどな……
あのにぶちんさんは、多分まっっったく意に介してくれてません。
……ま、まぁ……た、たまに土壇場で素直になれなくなっちゃう時とかもありますけど。
そ、それだってPくんがデリカシー無い発言したり急にわたしがドキッとしちゃう言葉を言うからだもん!
美穂「今日だって一緒に帰りたかったのに、お友達と本屋さんに行っちゃうし……」
加蓮「美穂も行けば良かったじゃん」
美穂「勿論わたしも一緒に行きたいです、って言ったけど……ダメって言われちゃったんだもん……」
加蓮「もしかして鷺沢と一緒に買いに行くって言ってた?」
美穂「あ、うん。なんで分かったんですか?」
加蓮「あー、うん。確かに断るよね。…………あのバカ……私がいるじゃん……」
どうやら加蓮ちゃんは、Pくんが断った理由を知ってるみたいです。
……仲良いですよねー、Pくんと加蓮ちゃん。
加蓮ちゃんも結構胸あるもんねー、そうですよねーPくんはおっぱい大好き星人だもんねー。
…………わたしだって! あるのに! 2つも!!
加蓮「……何? 私の胸に何かついてる?」
美穂「加蓮ちゃんにも2つついてました……」
加蓮「……美穂、結構五十嵐に影響されてるよね」
美穂「ところで加蓮ちゃん、サイズの方は」
加蓮「83だけど」
美穂「卯月ちゃん一族の方でしたか……」
加蓮「美穂もそんなに変わらないでしょ」
美穂「わたしもあと1大きくなればPくんも興味持ってくれるのかな……」
加蓮「……無理でしょ、五十嵐が美穂の事そういう目で見るなんて」
幼馴染だからなのかな。
ずっと一緒に居たからなのかな。
Pくんとの距離、近過ぎたのかな。
もちろん、だからって幼馴染じゃ無ければ良かったのになんて事は思いませんけど。
美穂「……Pくん、もしかして他に好きな人いるのかな……」
加蓮「いないんじゃない?」
美穂「……そんな気はするけど……だったら! 尚更! わたしの事好きになっても良いじゃないですかっ!!」
加蓮「……はぁ……あ、そういえばこないだ美穂ラブレター書いたとか言ってなかったっけ?」
美穂「家に厳重に保管してあります」
加蓮「渡す気0!」
美穂「そ、そんな勇気あったらとっくに付き合えてるもん!!」
加蓮「余りにも自過剰」
美穂「加蓮ちゃんはわたしとPくんじゃ釣り合わないって言ってるんですか?!」
加蓮「めんっっっっどくさい!! 美穂割とめんどくさいとこあるよ?!」
美穂「加蓮ちゃんにだけは言われたく無かったかなぁ!」
加蓮「……やめとこ? 不毛過ぎるから」
美穂「…………うん」
……じ、自分でもたまーに思う事はあるんです。
わたしって、もしかしてめんどくさい女の子なんじゃないかな、って。
だって、自信無いんだもん……
……Pくんにもそう思われてたらどうしよう……
加蓮「……はぁ……仕方ない、頼らせたく無かったけど」
美穂「え?」
そう言って、加蓮ちゃんはこっちを向きました。
加蓮「……隣のクラスにさ、優秀な恋愛アドバイザーがいるんだよね」
美穂「恋愛……アドバイザー……」
加蓮「通称、ラブ師匠」
美穂「ラブ師匠……」
……だ……ダサい……
加蓮「あいつが恋のキューピットになったカップルは数知れず、豊富な知恵と大胆な作戦でどんな難産カップルもあっという間にバカップルにしちゃう」
まぁ本人はあのざまだけど、なんて笑っている加蓮ちゃん。
……恋愛アドバイザーかぁ……
わたし一人が考えたアタックじゃダメだったし、たまには誰かに頼っても良いのかな。
それにしても加蓮ちゃん、随分その子をこき下ろすね……
加蓮「明日、行ってみたら?」
美穂「……うん、そうしてみます」
ダメで元々、上手く行ったら儲けものくらいに考えて。
何でも一度は試してみるべきだよね。
美穂「……あ、ところでその子の名前は?」
加蓮「…………あいつの名前は……」
ひゅぅうっ、って。
五月にしては、冷たい風が駆け抜けました。
カラスの鳴き声も車の騒音も、やけに遠くに聞こえて。
……ここ引き延ばす必要ある?
加蓮「……なんだっけ」
美穂「そんな事ある?」
キーンコーンカーンコーン
四時間目の終わりのチャイムが鳴って、お昼休みに突入です。
男子達はボールを持って体育館に、例に漏れずPくんも。
……バスケやってる時のPくんカッコいいから見に行きたいな。
あ、違う違うラブ師匠でした。
卯月「美穂ちゃん、一緒にお弁当食べませんか?」
美穂「あ、ごめんね卯月ちゃん。わたしこれからラブ師匠だから」
卯月「……ラブ師匠だから、って断られたの初めてでビックリです」
大きく息を吸い込んで。
わたしは、隣の教室の戸をノックしました。
美穂「し、失礼します! ラブ師匠はいますかっ?!」
先生「…………」
生徒「…………」
どうやらまだ授業中だったみたいです。
先生が驚いてチョークを落としました。
沢山の目がこっちに向いてます。
でも、誰も喋ってくれなくて。
…………ふふ……
美穂「…………きょ、教室間違えました……っ!」
バタンッ!
急いで締めて自分達の教室に戻ります。
卯月「あ、おかえりなさい美穂ちゃん。ラブ師匠ってなんなんですか?」
美穂「まだ授業してました……」
卯月「そんな授業ありました?」
5分後、テイク2。
今度は少しだけドアを開いて、きちんと休み時間になってる事を確認してから入ります。
あ、やめて見ないで……さっきの子じゃんとか言わないで下さい……
美穂「ら、ラブ師匠……居ますかー……?」
加蓮ちゃんから名前も特徴も教えて貰えなかったから、恥ずかしいけどラブ師匠とお呼びして探します。
これ、普通に罰ゲームか何かなんじゃないかな……
??「……あの、恥ずかしいのでその呼び方辞めて貰っていいですかぁ?」
美穂「っ! あ、貴女がラブ師匠ですかっ?!」
??「ねぇ聞いてました?」
美穂「わ、わたしだって恥ずかしいもんっ!!」
??「だったら呼ぶのやめれば良いじゃないですかぁ!」
美穂「じゃあなんて呼べば良いの? 裸婦師匠?!」
??「それじゃただの露出狂ですよぉ!!」
……ごほんっ。
どうやら、目の前にいる子がラブ師匠らしいです。
やっぱり本人も恥ずかしかったんだ……
まゆ「ごっほんっ! 佐久間まゆです。貴女のお名前は?」
なんだかおっとりしてそうな女の子です。
背もそんなに高くなくて、胸もそんなに……初対面で胸見ちゃうの、完全にPくんのせいですからね。
美穂「あっ、えっと……小日向美穂です。その、相談したい事があって……」
まゆ「ラブ師匠って呼んで来た時点で恋愛相談だって分かってますよぉ」
美穂「ところでなんでラブ師匠って呼ばれてるんですか?」
まゆ「あの女が馬鹿にして呼んでただけです。なのに何故かそれが広まってしまって……」
あの女……?
美穂「それで……今相談しても大丈夫ですか?」
まゆ「はい、まゆは恋する女の子の味方ですから。あ、一名だけ対象外ですが」
明らかに敵視されてる女の子がいるんですね……
まゆ「では……美穂ちゃんでいいですか?」
美穂「うん、わたしもまゆちゃんって呼べば良い?」
まゆ「構いません。それで……好きな男がいるって前提で大丈夫ですよね?」
美穂「はい……ええっと、幼馴染で今も同じクラスです」
まゆ「ふむふむ」
それからわたしは、Pくんについての説明をしました。
にぶちんさんな事。
わたし以外の女の子の胸が大好きな事。
現在好きな人はいない事。
まゆ「成る程……鈍感過ぎて美穂ちゃんのアピールに全く気付いてくれない、と」
美穂「うん……酷いよね、女の子の敵だと思う」
まゆ「いえあの、まゆは別に愚痴を聞く係って訳ではないので」
美穂「Pくん、胸がついてれば誰だって……きっと鶏だって良いんです!」
まゆ「あの」
美穂「エッチな本読むし! 女の子の事エッチな目で見てるし! そのくせわたしにはそう言う感情一切抱いてくれないの!」
まゆ「アドバイス受ける気あります?」
美穂「…………でも優しくてカッコいいんです……」
まゆ「…………重症ですねぇ……」
あ……思わずヒートアップしちゃいました。
まゆちゃんに苦笑いされちゃってます。
まゆ「……それ程までに、美穂ちゃんはその方にお熱なんぇすねぇ」
美穂「…………うん、好き。とっても好き」
まゆ「それを伝えてみるのが一番手っ取り早いと思いますが……」
美穂「出来ないから……その、良いアドバイスを貰えたらな、って……」
まゆ「……うふふ、良いでしょう。まゆにお任せですっ!」
にこっ、って笑うまゆちゃんはとっても可愛くて。
Pくんには絶対会わせてあげないって誓いました。
まゆ「ところで、その方の写真とかって持ってますか?」
美穂「スマホは学校に持って来て無いから……おうちに帰ればアルバムがあるんだけど……」
まゆ「……あ、アルバム? ……あぁ、小学校とか中学校の頃のですかぁ?」
美穂「え? ううん? Pくんの写真だけのアルバムだよ?」
まゆ「…………美穂ちゃんとは仲良くなれそうです」
美穂「あ、ありがとうございます……」
なんだか分からないけど、取り敢えずありがとうございます。
まゆ「……まず、簡単な所ではデートですねぇ。デートという名目でなくとも、男女二人きりでのお出かけともなれば自然と距離が近付く筈です」
美穂「あ、休日はいつも二人でのんびり過ごしてます」
まゆ「むむ、やりますねぇ……何処にお出かけしてますかぁ?」
美穂「Pくんのお部屋が多いかな」
まゆ「は?」
美穂「何処かに出かけるよりものんびり出来るし、Pくん朝起きられないからわたしが迎えに行ってあげないといけないから……」
まゆ「は?」
美穂「あ、平日はいつもわたしが起こしに行ってあげてるんです。そのまま一緒に寝ちゃう時もたまーにあるけど……たまーにですよ?」
まゆ「は?」
美穂「でもね? Pくんの寝顔、とっても可愛いんです。無防備で、無邪気で……き、キスはまだ出来てないですけど……」
まゆ「は?」
美穂「あ、それでね? Pくんには妹がいるんだけど、その子が居ない二人っきりの時はいつも心臓バクバクしちゃって……緊張して空回りしちゃったりするんだ」
まゆ「……ず、随分と進んでらっしゃいますねぇ」
美穂「そうなのかな? 当たり前になっちゃってて分からないかも……」
あれ?
幼馴染の家に上がるのって普通だよね?
起こしに行くって名目で会いに行くものだよね?
……あれぇ?
まゆ「幼馴染とは言え異性ですよ?」
美穂「でももう慣れちゃってるから……」
まゆ「……ごほんっ、それはそれとして……お部屋に入り込めているようであればもうこっちのものです」
美穂「そうなんですか?」
まゆ「どうやらその方は随分と性に対する興味が大きそうですから……そうですね、シャツのボタンを一つ多く開けてみたり、スカートの裾をさり気なく上げてみたりは如何でしょう?」
美穂「うーん……Pくん、わたしが下着つけてなくても全然興味無さそうなんです」
まゆ「…………は?」
美穂「わたし今下着着けてないんだよ? って言っても全然恥ずかしがってくれないし……驚いちゃうよね」
まゆ「今まゆは美穂ちゃんに対して今世紀最大の驚きを覚えてます」
美穂「あ、ところで他には何かないかな?」
まゆ「無いです、無理です。まゆには手に負えません」
そ、そんな……
まゆ「何というか……きっと、二人の距離が近過ぎるんだと思います」
美穂「そう?」
まゆ「普通、異性の部屋でノーブラノーパンになったらそこでゴールインですよぉ!」
美穂「お、幼馴染だから……昔はよくお風呂借りてたし……」
まゆ「その『幼馴染だから』が最大の弊害ですねぇ……」
美穂「……だよね……たまに思うんだ」
まゆ「押してダメなら引いてみろ……とは言いますが、美穂ちゃんには難しそうですねぇ」
美穂「そ、そんな事ないよ? 別にPくんと一日くらい会えなくても……」
まゆ「それ殆ど答えじゃないですかぁ……とは言え、きっと不安になるだけなので下手に距離を置いても良い事はなさそうですね」
美穂「…………うん。毎日会いたいです」
まゆ「……その気持ちを伝えれば良いだけではあるんですが……ところで美穂ちゃんは、どうしてその方が好きなんですか?」
美穂「えっ?」
まゆ「好きになった理由です。きっかけとか、意識し始めた理由とかありませんか?」
美穂「……それは……」
まゆ「……思い出せないのであれば、きっと思い出してみた方がいいと思います。無いのであれば……うふふ、今から見つけるだけです」
美穂「…………」
まゆ「どうやら美穂ちゃんが好きな男の子には、意中の子はいない……なら、美穂ちゃんが諦めなければ、きっといつか結ばれる日が来ると思います」
美穂「で、でも……もし他の子がPくんに告白しちゃったら……」
まゆ「そうなったら…………うふふ、ふふっ」
美穂「……………ど、どうするの……?」
まゆ「カラオケならお付き合いしますよぉ」
美穂「失恋してるー!!!!」
美穂「ありがとね、まゆちゃん」
まゆ「うふふ、お安い御用ですっ」
それから、お昼休み中ずっとまゆちゃんには相談に乗ってもらいました。
まゆちゃんは聞き上手で、わたしもついつい話し過ぎちゃって。
アドバイスというアドバイスはあんまり無かったけど、気分がとっても軽くなったかな。
今はきっと、焦らなくても大丈夫そうです。
まゆ「あ、そう言えば近々隣の駅に屋内プールが出来るそうです。誘ってみると良いかもしれませんねぇ」
美穂「ぷ、プール…………うん、誘ってみます」
プールかぁ……水着、だよね……
恥ずかしいな……
あ、別にPくんに見られるのは別に恥ずかしくないんです、どーせ見てくれないですから。
まゆ「ラブレターも、書き終えている様でしたら持ち歩いた方が良いと思います。もし勇気が出せそうな時、すぐその場で渡せる様に」
美穂「……うん。ほんとにありがとね、まゆちゃん」
まゆ「決して下駄箱に入れるなんて事はしないように。焦って隣の人の下駄箱に入れちゃったら大変ですから」
美穂「そんな事ある?」
……あれ?
そういえばこないだ、そんな事があった様な……
まゆ「……思い返したら恥ずかしくなってきました……あぁもう、まゆのおバカ!」
美穂「…………あー……」
あのラブレターって……
「あれ? 小日向教室に居ない? 僕のお弁当あいつに没収されてるんだけど……困ったな」
廊下の方から、そんな声が聞こえてきました。
まゆ「……うふふ、彼氏さんが呼んでますよ?」
美穂「……返してあげるの忘れてた……ごめんねPくん、今行きますっ!」
お昼休み、もう後5分しかないですけど。
わたしもまだだから、一緒に食べようかな。
響子「お兄ちゃーん! 玄関雨漏りしてますっっ!!」
P「バケツ何処だっけ?!」
響子「洗面所の下!!」
美穂「わ、わたしも手伝いますっ!」
P「いいって、取り敢えずそっちは連絡入れとけ」
慌ただしく家を駆け回る午後七時。
外の天気は大雨、数年に一度クラスのタイフーン。
余りにも強い風が窓を叩き、家中に振動を伝えていて。
外を飛び交う植物やビニール袋がその凄まじさを語っていた。
P「ふぅ……響子、洗濯物取り込んであるよな?」
響子「ちゃんと取り込んで屋内に干してありますからっ!」
出来た妹で本当に良かった。
ついさっきまでは風が強いなと感じる程度だったが、本当に突然世界が変わってしまったかの様に雨と風の大行進。
各地で停電が多発していて、避難勧告が出た場所もあるらしい。
これは……外、出たくないなぁ。
P「小日向、どう?」
美穂「うん……無理そうです。ピークが今夜の一時だって」
P「え……これまだ強くなるのか」
美穂「どうしよう……『帰れないからPくんの家に泊めて貰います』って連絡はしましたけど……」
P「いやそれもう答え出てるじゃん」
まぁ別に僕は構わないけれど。
寧ろこの大雨の中、女の子を放り出す方がマズイだろう。
窓を叩く雨はどんどん強くなって、家中に響き渡っている。
藁の家を作った子ブタも、狼に襲われた時こんな気持ちだったんだろうな、なんて。
美穂「いいですか?」
P「もちろん」
響子「着替えは私が貸しますから。あと美穂ちゃん……私の部屋で寝るんですからね?」
美穂「そんな……事分かってますからね?」
響子「今露骨にがっかりしてませんでした……?」
夕飯は既に済ませている。
であれば、後はお風呂入って寝るくらいだけれど。
P「先二人で風呂入ってくれば?」
美穂「えっ? わ、わたしとPくん」
響子「の妹の私とですからね?」
響子が小日向の言葉を繋いだ。
それにしても響子、今日はいつにも増して元気だなぁ。
兄としては喜ばしい限りだが、それはそれとしてずっとこっちをジト目で見てくるのは居心地が悪いのでやめて頂きたい。
美穂「わ、分かってるもんっ!」
響子「……お兄ちゃん、絶対に覗いちゃダメですからね!」
P「僕が響子と小日向の風呂を覗くと思ってるのか?」
美穂「ど、どーだかっ。Pくんエッチだもん」
P「流石に妹と小日向をそういう目でみる事はないから安心して欲しい」
美穂「…………」
響子「あの美穂ちゃん、私が居るのにそんな事されても本当に困るからやめて貰えますか?」
美穂「響子ちゃんはどっちの味方なの?!」
響子「少なくとも正しい人の味方です!!」
美穂「わたしの味方って事だよね?!」
響子「今までの言動に美穂ちゃんが正しいところあった?!」
美穂「でもPくん男の子だよ? 欲望に従うのが正しい事なんじゃないかな?」
P「いやだから別にお前ら二人にそういう欲望は」
美穂「Pくんは黙ってて! わたし正論に打ち負かされちゃうじゃないですか!!」
何を言っても僕の発言に意味は無さそうだ。
仕方がない、テレビでも見てよう。
『今も台風は勢力を増しており、このまま東へとーー』
リビングで天気予報を眺めながらスマホを弄る。
停電した時用に、モバイルバッテリーの充電もしといた方が良いかもしれないな。
「わぁ……響子ちゃん、結構あるんですね……」
「美穂ちゃん、結構お兄ちゃんに影響されてますよね……」
「……ちなみに、その……おいくつですか?」
「えっと、15ですけど……」
「その胸で?! 嘘つき!!」
「年齢の話ですっ!!」
「……あっ……でも、15でそんなに……」
「助けてお兄ちゃーん……!」
お風呂場の方からは、時折二人の会話が聞こえて来る。
なんとも仲睦まじい事で。
あー僕も美少女と二人で仲睦まじくお風呂に入りたいなぁ。
今突然島村さんがこの家を訪れてくれたら良いのに。
求む美少女イエスタッチ。
イエスタッチって凄いな、神に触れし者じゃないか。
僕も神話の時代に生まれていたら女神たちとお風呂に入れたんだろうか。
その頃ってシャワーとか追い焚き機能とかあったのかな。
それにしても……と、僕は溜息をついた。
分かっていた事ではあるが、女の子というのはなかなかにお風呂が長いものだ。
普段響子一人でも長いのに、小日向と喋ってるからだろうが普段の二倍近く長く入っている。
この時間で宿題終わらせられたな。
「……あれ? バスタオルが……」
「あ、さっき畳んだの持って来るの忘れてました……お兄ちゃーん!」
P「はいはーい、バスタオルなー?」
「はいっ、お願いしまーす!」
「つ、つーかーだなんて……二人は仲良いんですねー、ふーん」
「妹に嫉妬は流石にどうかと思います……」
響子に言われた通り、畳んであったバスタオルを運んで来た。
さて……どうしよう。
脱衣所の前に置いておけば良いだろうか。
それとも浴室前に置いた方が良いだろうか。
響子「お兄ちゃん今そこに居ますか?」
P「うん、ここに置いとけば大丈夫?」
響子「あ、今私が取りに行きます」
ガラガラガラ
扉が開いて、バスタオル姿の響子が僕からバスタオルを受け取った。
いつも思うけど、髪下ろしてる響子も可愛いと思うんだよな。
響子「美穂ちゃーん、バスタオル補充完了でーす!」
美穂「りょーかいですっ!」
おいバカまだ僕居るって。
ガチャ
浴室の扉が開いた。
と殆ど同時、僕は脱衣所の扉を全力で閉めた。
美穂「……? 今凄い音しませんでした?」
響子「今のは私も悪かったと思ってます……」
良かった、僕は完全に小日向を見ずに済んだ。
見てたら多分申し訳なさでこの雨の中フルマラソンのフルコースだったろう。
美穂「それにしても蒸し暑いね……ここの扉開けても良い?」
響子「あっ、美穂ちゃ」
ガラガラガラ
…………ば、バスタオル巻いてるからセーフ。
P「…………」
美穂「…………」
P「…………よく考えたら僕は別に悪く」
美穂「っ!!」
バスタオル一枚の小日向と、目と目が合う。
瞬間、好きだと気付く猶予すらなく。
美穂「わたしが悪いような気もしますけどっ!」
パンッ!!!
P「じゃあなんで叩いたの?!」
手加減なく、思いっきり頬を赤く彩ってくれた。
美穂「うぅ……もうお嫁にいけない……」
響子「美穂ちゃんって結構隙だらけですよね」
美穂「Pくんに貰ってもらうしかありません……」
響子「妹の目の前でその発言はちょっと……」
僕もさっさとシャワーを浴び終え、リビングで三人でゼリーを食す。
とても美味しい、やるじゃないかゼロカロリーのくせに。
響子も小日向もかなりラフな格好しているが、それでも湿度の高さに暑そうにしている。
外の雨は弱まる気配は無く、ただただ勢いを増すばかり。
今田んぼの様子を見に行ったり川見に行ったら大変な事になるんだろうな。
流石の僕も今日ばかりは家で大人しくしてようと思う、新田や鷺沢が居たら分からなかったが。
P「ゼリー食べ終えたら僕は宿題やるけど、小日向はどうする?」
美穂「あ、じゃあわたしもやっちゃいます」
響子「私も明後日数学の小テストだからお勉強しようかな」
美穂「お姉ちゃんが教えてあげよっか?」
響子「結構です小日向さん」
美穂「……Pくん……響子ちゃんが冷たいです……」
P「何度くらいだ?」
美穂「多分36度くらいかな」
P「平熱だな」
響子「二人っていつもそんな会話してますよね……」
ゼリーの容器を捨て、スプーンを洗い終え宿題と睨めっこ。
数学というのはどうしてこうも分かり辛いのか。
こんな公式を覚えて役に立つのか?
……こんな公式すら覚えられない僕の方が役に立たないだろうな。
美穂「……ねぇ響子ちゃん響子ちゃん、響子ちゃんって恋人いるの?」
響子「宿題するんじゃなかったんですか……」
美穂「えー、だって気になるんだもんっ! お姉ちゃんと恋バナしよ?」
響子「……い、いないですけど……」
美穂「じゃあじゃあっ! クラスに気になる人とかは?!」
響子「いないです……」
勉強は良いのか二人とも。
しかもガールズトークは僕がいないところでやって頂きたい。
美穂「…………」
響子「…………」
美穂「……つ、次はそっちがわたしに聞くターンだよ?」
響子「……はぁー……! 小日向さんはエジプトに気になる人はいますか?」
美穂「ら、ラムセス二世かな! あの渋さ良いですよね!」
響子「はい、宿題に集中して下さい」
美穂「……Pくん……響子ちゃんが冷たいです……」
P「どこらへんくらいだ?」
美穂「多分インドくらいかな」
響子「……私自分の部屋で勉強……ううん、今日は美穂ちゃんの見張りに専念しなきゃ……」
美穂「響子ちゃんはわたしを何だと思ってるのかな……」
響子「臆病な肉食獣」
美穂「正直何も言い返せない!」
カリカリカリ
ザァァァァッ
カチ、カチ、カチ
シャーペンの音、雨の音、時計の音。
声の無い部屋に様々な音が響いていた。
雨は未だに強いまま、風の音の主張も激しい。
宿題の基本問題が終わって任意でやれば良い応用問題だけになった頃には、既に時計の針は両方とも真上を向こうとしていた。
P「っふぅ……そっちはどうだ?」
美穂「…………寝てます……ません……」
広げたノートの上に頭も身体も突っ伏していた。
あれやると頬が黒くなるんだよな。
響子「……ふふふ、妹みたいですねっ」
P「まったく、手の掛かる妹だ」
響子「手の掛かからない妹とどっちが好き?」
P「手の掛かる掛からないに関わらないぞ」
響子「……そういう事さらっと言えちゃうよね、お兄ちゃんは」
P「今の早口言葉っぽくなかったか?」
響子「……そういうところだよ、お兄ちゃん」
なんだか分からないが、取り敢えずそろそろ小日向を起こそう。
リビングで寝てしまうと翌日身体がバッキバキになってしまう。
毛布でも持ってきてそのまま寝かせてあげたいくらい幸せそうな寝顔をしているが、ここは心を鬼にして……
P「……小日向、起きろー」
美穂「……んぅ…………うぅん……」
P「おーい、小日向ー」
美穂「……まだ…………ダメ……」
P「……小日向ー」
美穂「……くん……そこは……ダメ、んっ……」
P「…………」
響子「…………」
P「……僕は何も聞かなかった」
響子「起きて、美穂ちゃん」
ユッサユッサと無表情の響子が小日向の身体を揺する。
……果たしてこいつは、どんな夢を見ていたんだろう。
まぁ小日向に限って変な夢は見てないだろうな。
美穂「……ふぁ……あと五分……あれ……? なんで二人がわたしの部屋に……」
P「なんでだと思う? ここが僕らの家だからなんだけど」
響子「おはようございますっ! 小日向さん! ステキな夢を見てたみたいですねっ!!」
美穂「……っ! っっ!! きょ、響子ちゃんっ!!」
響子「……もうっ、夢の内容にまで口を出すつもりはありませんけど」
美穂「あと五分で……! ご、ゴールインだったのにっ!!」
響子「そろそろ私怒っても良いよね?」
フッ
突然、部屋の電気が真っ暗になった。
響子「きゃっ!」
美穂「ひゃっ!!」
P「ぐぇ」
僕は潰れたカエルになった。
両サイドから万力の様な力で押し潰されている。
まってまって出ちゃう内臓出ちゃうから。
痛い痛い頭ゴリゴリしないで。
P「……停電か? ブレーカー落ちただけ、って事は無さそうだけど……」
響子「み、見てきて?」
P「じゃあまず腕を離し」
響子「ませんっっ!!」
じゃあ僕動けないのだけれど。
あと痛い、腕に血が行ってない。
美穂「Pぐぅ゛ぅ゛ん……びっぐりじだよぉ……」
響子「み、美穂ちゃん……妹の前で抱き着くのはどうかと思いますよ……」
美穂「でも怖かったんだもん!!」
響子「胸を当てるなんて女の子として良くないですよ!」
言わないでくれ。
此方も出来る限り意識しない様心掛けております故。
それと響子、それお前もだからな。
美穂「でも! 怖い!!」
響子「い、今だけは大目に見てあげます……っ」
二人を腕に装備したままブレーカーを確認。
……あぁ、これ停電だ。
下手に上げとくと復旧した時危ないし、落としたままにしておこう。
……さて。
P「寝るか」
テレビも見れないし、こういう時は寝るのが一番だ。
美穂「……Pくん、その……」
響子「ダメです! 美穂ちゃんは私のお部屋です!」
美穂「わ、わたしはお部屋じゃありません!」
響子「小学生なの?!」
ピシャァァァンッッ!!
響子「きゃぁぁっっ!!」
美穂「っっっっっっ!!」
P「ぐぇぇぇっっ!」
雷が轟いたと同時、僕の腕がとても痛い痛い。
美穂「Pくん! はやくPくんの部屋に連れてって!!」
大層誤解を招きそうな発言です事。
女性としての尊厳を失いそうな事言ってるとまた響子に説教されるぞ。
響子「お兄ちゃん早く! 私もそっちで寝ます!!」
……だそうです。
美穂「……そっち、もっと詰めて下さい……」
響子「こっちも縁ギリギリです……あっ、落ちちゃうお兄ちゃん助けて……」
P「……苦しい」
シングルベッドに高校生が三人はなかなか無謀だと思う。
そんな痛み深まる梅雨の夜。
春過ぎて夏来にけらす、その前の事。
暑苦しさに耐えられず除湿はつけたが、それ以上に密着具合がドキュメンタリー番組並みの身体の右半身と左半身がとても暑くて。
けれど小日向を壁に押し付ける訳にも響子をベッドから落とす訳にもいかず、僕は多分中世辺りに存在したであろう拷問に耐え続けていた。
最初は出来るだけ触れない様に寝転がっていたのだが、雷が響く度に段々と距離がつまり。
今では多分くっついて無い場所を探す方が難しいレベルにまでなっている。
ちなみに当然の提案として『僕床で寝ようか?』と言ってはみたが、返答は抱き着きでもって代えさせられた。
どうやら僕の発言はこの場において一切の効力を発揮しないらしい。
美穂「……Pくん、居る?」
P「居なかったらこの抱き着いてる奴誰だよ」
美穂「ゆ、幽霊じゃないですよね?!」
P「勝手に殺さないでくれ」
響子「お、お兄ちゃん……雷止めて……」
P「世界は広しと言えどそんな事出来るのはタケミナカタの兄くらいなんじゃないかな……」
響子「じゃあ私の手を握ってて下さい……」
P「まぁそれくらないなら」
美穂「ず、ずるいっ!」
響子「ずるくない!」
美穂「ずるいもん!」
響子「ずるくないです!!」
……バイノーラルで聞こえてくるズルズルが非常に五月蝿い。
二人は間に僕が居るって事を忘れてはいないだろうか。
P「……寝るぞー」
美穂・響子「「はーい」」
……仲良いな二人。
ザァァァァァッ!
窓の外はひたすらに雨の音が大きくて。
時折遠くで雷の音が響き、僕の腕も悲鳴をあげる。
これ、明日きちんと僕の両腕は着いているだろうか。
それにしても……なんともまぁ、落ち着いて考えれば凄い状況ではある。
クラスの男子に知られたらブン殴られそうだな、なんて。
いや、しかし鷺沢も従姉妹の姉と暮らしていると言っていたし。
……年上の女性と二人っきりで過ごす機会があるだと?
許さん、ふざけるな、年上おっぱいは世界文化遺産だぞ。
美穂「……Pくん、なんかエッチな事考えてる時の顔してる」
響子「美穂ちゃん、良く分かるね」
美穂「いっつも見てるもん」
響子「…………ふふっ、女の子ですね」
美穂「逆になんだと思われてたの?」
響子「そう言うめんどくさいところ、お兄ちゃんに似ちゃってますよ」
何も言っていないのに誹謗中傷が飛んで来た。
とばっちりにも程がある。
美穂「…………」
響子「…………」
美穂「……ねぇ、響子ちゃん。まだ起きてる……?」
響子「…………はい」
なんとなく。
二人の会話を、邪魔しちゃいけないと感じた。
美穂「……響子ちゃんは、しっかり者だよね」
響子「美穂ちゃんに比べればそうかもしれませんねっ」
美穂「もーっ! でも……そんな響子ちゃんだからこそ……頼み事があるの」
響子「…………なんですか……?」
美穂「あのね…………?」
僕の身体越しに、小日向が響子にこしょこしょ話ししている気配。
響子「…………」
美穂「…………ダメ?」
一体、小日向は響子に何を伝えたのだろう。
きっと、僕には聞かれたくない事だったんだろうな。
なら、僕はこのまま寝たふりを続けるのが正解だろう。
小日向にだって、僕に知られたくない事くらい沢山あるはずだ。
響子「……はぁ……良いですよ」
美穂「ほんとっ? ありがとうございます、響子ちゃんっ!」
響子「お兄ちゃん起きちゃうから静かに……ね?」
そう言って、ゴソゴソと二人がベッドから抜け出して。
そのまま、部屋から出て行った。
…………あぁ、お手洗いね。
ピシャァァァンッッ!!!!
響子「助けてお兄ちゃーんっ!!」
美穂「きゃぁぁぁあっっっっ!!」
結局お手洗いは僕まで付き合う羽目になった。
新田「髪の毛サラサラー、おっぱい揺れるー」
吐瀉物みたいな替え歌が聞こえてくる七月七日、7/7、約分して1。
世間一般的には七夕と呼ばれる今日この日、高校生にもなって僕らは教室で短冊を書いていた。
綴られるは願い、届けるは天へ。
願い達の向かう遥か先には、年に一度の逢瀬を迎える彼等。
離れ離れとなり永い時が流れても、尚愛し合い続ける二人。
そんな二人に想いを馳せて、地上に暮らす人間達も短冊を結ぶ。
卯月「書けた人から結んでって下さい」
P「……高校の授業で短冊書いて笹に吊るす事になるとは思わなかったよ」
新田「国民的行事にネガティヴな意見とかお前ホントに日本人か?」
P「割と真っ当な疑問だと思うんだけど口にしただけで非国民呼ばわりは普通に傷付く」
最初は千川先生の『今日は七夕ですっ! だからと言って何をする訳でもありませんが!』から始まった。
突然大量の短冊を取り出した鷺沢、ロッカーから笹を取り出した新田。
そして気付けば折り紙の輪っかでデコレーションを終わらせていた北条さんと緒方さんによって、この授業は『七夕』となったのだ。
凄い、とてもめっちゃアクティブなクラスである。
P「って言っても……願いなんて大それたものは無いんだけどな」
願望なら幾らでもあるが。
女の子の透けブラが見たい。
可愛い女の子の透けブラが見たい。
おっぱいが大きくて可愛い女の子の透けブラが見たい。
ざっと挙げただけでもこの通り、時間をかけて考えれば更に大量の尽きる事ない透けブラに対する願望は述べられるが。
それはそれとして、短冊に綴れる様な願いと問われれば……
……健康に過ごせます様に、くらいだろうか。
そういえば、他のクラスメイトはどんな願いを書いているんだろう。
そっと新田の短冊を覗き込んでみる。
『おっぱい 新田』
さて、誰の短冊を参考にしようかな。
クラスメイトはどんな願いを書いているんだろう。
そっと鷺沢の短冊を覗き込んでみる。
『姉や恋人にエロ本の隠し場所を暴かれませんように 鷺沢』
……さ、さて。
誰の短冊を参考にしようかな……
男子はどうせ廃棄物みたいな願いしか書いていないだろうし、女子のを参考にすると言うのはどうだろう?
そうと決まれば話は早い。
P「北条さんはどんなお願いを書いた?」
加蓮「げ、アンタデリカシーってものは無いの? 普通そういうの女の子に聞く?」
P「いや、だってこの後笹に結ぶのに?」
加蓮「……忘れてた、書き直す」
P「ちなみに書き直す前はなんて書いてたんだ?」
加蓮「ポテト」
P「聞いた僕がバカだった」
このクラスにまともな人間はいないのか。
……前から思っていたが、いかんせんクラスメイトの皆様はたまにメンタル大丈夫か? ってなる。
P「……あ、緒方さん。緒方さんはどんな願い書いた?」
智絵里「……え、えへへ……内緒です……っ」
あ、ヤバイ可愛い。
照れて顔を短冊で隠そうとしている緒方さんは、このクラスの良心だ。
智絵里「……き、聞きたいですか……?」
P「うん、参考にさせて貰えると嬉しいなって」
智絵里「……えへへ……飾るまでナイショです……!」
……僕の願い、『緒方さんの笑顔を守りたい』で良い気がしてきた。
余りにも可憐なその笑顔が、僕の心を浄化する。
クラスが汚れているからこそ、その儚くも綺麗な一輪の花は尚の事美しく見えて。
一緒に短冊を書いていた小日向に足を踏み抜かれた。
P「痛い……今なんで踏まれた僕」
美穂「Pくんが智絵里ちゃんの事をヘンな目で見てたからです」
P「違う、僕はただ純粋に緒方さんの事を……」
美穂「事を? なんですか? 返答によっては響子ちゃんの刑です」
人の妹を刑罰にしないで頂きたい。
卯月「書けましたっ!」
どうやら島村さんが書き終わったらしく、笹の真ん中ら辺に自分の短冊を結びつけていた。
さてさて、クラス委員長の島村さんは果たしてどんな願いを書いたのだろう。
ここは僕がチェックしてやらないと。
ふへへ、僕が一番乗りだ。
新田「『新田君が好き』とかだと良いんだけどなぁ」
P「バカ言え、『五十嵐君と付き合いたい』に決まってるだろ」
『みんなが仲良く過ごせますように 島村卯月』
P「死にたい」
新田「消えたい」
自分の汚れた部分を見せ付けられた気分だ。
僕の人生って一体なんだったのだろう。
加蓮「ところで美穂はなんて書いたの?」
美穂「み、見ちゃダメっ!」
加蓮「いやいや、この後飾るから皆んなに見られるのに?」
北条さんがそれを言うのか。
加蓮「…………はー……へー……やるじゃん」
美穂「……うぅ……」
加蓮「じゃ、私もそれを応援する願いを書いてあげる」
美穂「……ありがとうございます……」
小日向は一体どんな願いを書いたのだろう。
他の人に応援される様な願い……ダイエットだろうな。
加蓮「で、肝心の五十嵐はなんて書いたの?」
P「無病息災」
加蓮「つまんなっ!」
智絵里「……ガッカリです……」
新田「お前それでも男か?」
鷺沢「ゴミ箱にすら捨てられたゴミだな」
なんで僕怒られてるの。
割と健全でかつ悪くない願いだと思ったのだけれど。
卯月「それじゃ、私が回収しまーす!」
教室中を巡って、島村さんが全員の短冊を回収した。
それを一つ一つ、千川先生と協力して丁寧に結びつけてゆく。
……背伸びする島村さん、良い。
おっおっおっおっ、おぉおっ、っおぉ……!
2 Pi = Universe
卯月「…………えっ? あっ、わぁ……!!」
ちひろ「どうかしましたか? 島村さん」
卯月「この短冊、告白ですっ!!」
ざわめくクラスメイト、弾けるクラッカー。
各所から歓声があがり、紙吹雪が舞い散る。
美穂「……う、うぅ……」
すごいな、短冊に告白を書く生徒がいたなんて。
そのラブレター、届く先は宇宙だぞ。
新田「俺か?! 俺に告白か?!」
男子s「「「いや俺だな!」」」
男子たちの醜い争いが始まった。
誰も彼もが自分への告白だと思い込んでいる。
全く……バカな奴らだ、結果は既に決まっているというのに。
僕に決まってるだろ、普通に考えて。
加蓮「で、誰がなんて書いたのー?」
卯月「むむ、読んで良いんですか……?」
加蓮「良いでしょ別に、この後飾るんだし」
卯月「それじゃあ……」
島村さんが大きく息を吸った。
対する男子は全員息を止めて祈っている。
……さっきまでおっぱいおっぱい書いてた連中とは思えないな。
卯月「『Pくんの恋人になりたい』……だそうです、五十嵐君っ!」
P「…………え、マジで?」
一瞬、クラスに静寂が訪れた。
僕も余りの出来事量の大きさに脳がフリーズしている。
前のラブレターと違って、今回はきちんと僕が名指しされていて。
……それはつまり、このクラスに僕の事を好きな女子(であって欲しい)が居ると言う事で……
クラスメイトs「「「「「ヒューヒュゥーーッ!!!」」」」」
一気に、クラスが戦場の様にうるさくなった。
跳ね回る男子、踊り狂う女子
付いて行けず唖然として居る島村さんと千川先生。
そして、未だ脳の処理が終わらずオーバーフローしている僕。
新田「誰だーっ? 誰が書いたんだーっ?!」
ニヤニヤしながらこっちを見てくる新田。
気持ち悪いな、でも今は僕の気分も良いし許してやろう。
加蓮「卯月ー、それ誰の短冊ー?!」
ニヤニヤしながらこっちを見てくる北条さん。
悪くない表情だな、癖になりそうだ。
卯月「…………えっと……」
教室の誰もが、期待のこもった目で島村さんを見つめて次の言葉を待つ。
もちろん僕も期待MAXの最小値も無限大。
今積分しても0になる。
卯月「……名前、書いてないんです……」
美穂「…………あっ」
名前が…………書いてない…………
誰……教えて……この後僕屋上行くから逢いに来て……
再びクラスが静かになった。
沢山のため息だけが飛び交っている。
くそ、ため息を吐きたいのは此方の方だというのに。
いや、けれどきっとここまで来たらその女の子が僕に直接伝えてくれる筈だ。
新田「はぁ……マジか……」
加蓮「ここまでやってそのミスはどうなの……」
美穂「……うぅぅ……」
P「……いや、逆に全部の短冊をチェックすれば特定出来る……」
全ての短冊の名前を見て、見つからなかった人がその短冊の書き手だ。
……ふむ、やるか。
加蓮「どうする?」
美穂「今回はナシで……」
加蓮「……みんなっ! 時間稼いで!!」
ダンッ!
突然、クラスの男子が飛び掛かって来た。
けれど、もうそれも慣れている。
伸ばされた手を弾いて、別の奴の腕にぶつけて軌道を逸らす。
投げつけられた消しゴム程度じゃ僕の動きは怯む事すら無い。
……ところでこいつら、さっきまで祝ってた癖になんで邪魔するんだ?
加蓮「卯月、短冊回収!!」
卯月「えっ? あっ、はい!」
ちひろ「ちょっと、女子の皆さん?!」
男子の壁を掻い潜って突破した頃には、既に短冊は全て笹から外されていて。
女子がほぼ全員、自分の短冊の名前だけを消していた。
P「…………」
泣いても許されると思う。
なんでこいつらは僕の恋路を徹底的に妨害してくるんだ。
いや、多分僕も他の男子への短冊だったら同じ事してたと思うけど。
女子の皆さんも流石の団結力ですね、辛い。
美穂「……Pくん、ごめんね……?」
P「……ん、小日向は消しに行かなくて良いのか?」
美穂「……う、うん。わたしは別に……」
まぁ一人や二人消さなかったところで、どの道僕にはもう特定出来ないし。
あぁ……何が七夕だよ、ところで夕刊とタモリって似てるよね。
P「まぁ良いか! どうせ近いうちに告白してくれるだろ!」
公開されても良いと思って書いたのだとしたら、いずれ僕のところに本人が来てくれる筈だ。
残念だったなクソ男子共!
新田「……無理だろうなぁ」
P「結局、みんなはどんな願い書いたんだろ」
卯月「見てみますか? 男子も女子も関係なくバラバラに結んじゃってますけど」
授業が終わって休み時間。
特にやる事も無いので、僕はみんなが書いた短冊を見に来た。
卯月「ちなみに五十嵐君はなんて書いたんですか?」
P「無病息災」
卯月「……息が促になってますけど……」
災害を促してしまった様だ。
P「北条さんはこれだな、名前消さなかったのか。『さっさと結ばれます様に』……? ジャガイモ農家とかファーストフード店とかの契約か?」
卯月「智絵里ちゃんは……『早く結ばれますように』……? どういう意味なんでしょう?」
緒方さんは可愛い願いだなぁ。
誰か、きっと思い人がいるのだろう。
ところで『結ば』の下に薄っすらと『別』と書いてある様な気がしたけど、気のせいだろう。
……気のせいだろう。
P「他の短冊、女子のはほとんど名前消されてるっぽいなー」
卯月「ちなみに千川先生も飾ってました!」
P「ん、これか……『商売繁盛』……どうなんだこれ、教師として」
それからのんびり、みんなの短冊を見て回る。
名前は無いがおそらく女子の短冊はなかなか面白い、絵とか描いてあるのもあるし。
男子のは殆ど『おっぱい』だった、滅びろ。
貴様らは短冊に願いを書くなエロ本でマスかいてろ。
…………ん?
P「そう言えば小日向のが無いな……」
卯月「そういえば無いですね……美穂ちゃんは名前消してなかった気がするんですけど……」
P「……なんでだろ? あいつは最初から名前書き忘れてたとかかな」
卯月「かもしれませんねっ! 美穂ちゃん、おっちょこちょいなところありますからっ!」
少し、気になったんだけれどな。
あいつが何か願いがあったとして、出来る事なら僕も応援したかったし。
P「まぁ良いか」
そんな事より……うん。
P「島村さん、水着持ってたりしない?」
卯月「…………五十嵐君、流石に女子の水着を借りるのは……」
違うって……そのうちプールでも行こうよって誘いたかっただけなのに。
それからしばらく、島村さんは口を聞いてくれなかった。
スイパラ、略さず言うとスイートパラダイス。
常時約30種以上のデザートやパスタ・サラダ・スープなどの軽食の食べ放題をバイキング形式で提供しているこの世の楽園。
ズラリと並ぶスイーツは人の心を掴み離さず、心行くまで楽しませてくれる。
目移りしそうな一つ一つのスイーツその全てが食べ放題という、なんかもうカロリー忘れて狂った様に皿によそってしまう場所。
まぁ僕は写真でしか見た事が無いけれど。
……スイパラに、行きたい。
世の男子高校生全てが一度は抱いた望みなのではないだろうか。
スイパラに、行きたいのだ。
たくさんのスイーツを悩む事なくその全てを味わいたいのだ。
スイパラに女の子がいたらおっぱいも食べ放題なんだけれど、残念ながら提供されていないらし……ごほんっ。
けれどここで一つ問題が生じる。
男子高校生だけだと入りづらくない? というアレ。
おそらくこの問題のせいで、沢山の男子高校生が門前払いを受けてきた事だろう。
スイーツと言えば女子みたいな固定概念(偏見とも言う)があるせいで、とてもとても入りづらいのだ。
鷺沢や新田を誘ったところで、この問題は改善されない。
どの道男子だけだからだ。
女子だ、今僕には女子が必要とされている。
いやいつも欲しいけど、出来ればおっぱいが大きくて可愛くて島村さんみたいな女子が。
……と、言うわけで。
P「なぁ小日向、良ければ明日一緒にスイパラ」
美穂「行きますっ!!」
フライングする程スイーツに貪欲である。
まぁそれもスイーツの魅力と言う事で。
美穂「そ、それって…………デートのお誘い……だよね?」
P「…………ふむ……」
いや、僕としては全くそんなつもりは無かったのだけれど。
とその旨を伝えようとして、気付けば小日向の姿が消えている事に気付いた。
P「島村さん、今此処に小日向居なかった?」
卯月「美穂ちゃんなら今さっきジャンプしながら帰って行きましたよ?」
小日向、僕の話はちゃんと最後まで聞いて欲しい。
けれどまぁ、良いか。
場所や時間は後でラインすれば。
いや、おそらく僕の家に行ってるだろうしその必要もないか。
P「あ、島村さん。明日小日向とスイパラ行くんだけど一緒に行かない?」
卯月「えっ? 良いんですか?」
P「勿論、多い方が楽しいし。正午に駅前で大丈夫?」
それに確かに小日向が言っていた様に、男女のペアではデートと思われてしまうかもしれないし。
スイパラに男女のペア、うん、完全にデートだ。
小日向もそんなんじゃ嫌がるだろうし、ここは島村さんを誘う事で複数人にしそう言った誤解の発生を未然に防ぐ事が正しい判断と言える。
あと島村さんと一緒に遊びに行けるとか最高では?
卯月「はい! それじゃ、楽しみにしてますっ!」
P「ア゛ッ」
眩しすぎる島村さんの笑顔に、僕は浄化され極楽浄土へと向かいそうになった。
三途の川なんて島村さんの笑顔があればバタフライで泳ぎ切れそうだ。
さて。
せっかくだし、他の男子も誘うか。
男子が僕一人だと居心地悪そうだし。
P「鷺沢、新田。明日暇ならスイパラ行かない?」
新田「死ね」
鷺沢「お前が行くべきは楽園じゃなく地獄だ」
P「もう二度と誘わないからな」
響子「お帰りなさい、お兄ちゃんっ!」
P「ただいまー響子。小日向来てる?」
響子「え? 来てないですけど……来るって言ってたんですか?」
P「あぁいや、あいついつも僕に言わずに勝手に来るからさ」
どうやら今日は来ていないらしい。
ならまぁ、ラインで予定立てるか。
P「あ、そうだ響子。良ければ明日一緒にスイパラ行かない?」
響子「…………えっ?」
P「男子一人だと行き辛いし、一緒に行ってくれると嬉しいなって」
響子「……もー、お兄ちゃんってばー……えへへー、そんな言い訳しなくたって一緒に行きたいって言ってくれれば良いんですよー?」
なんだか響子がとってもとっても上機嫌。
カロリーが! とか、糖分が! みたいなお説教も覚悟していたのだけれどその心配は杞憂に終わった。
響子「お洋服どうしようかなー。もー、もっと早くに言ってくれれば色々お買い物とか行けたんですよー?」
全く怒ってなさそうだ。
いや可愛いなこいつ、なんで笑ってるんだろう怖い。
P「んじゃ、午前中は服とか買いに行く?」
響子「行きますっ! お兄ちゃんが選んでくれるんですよねっ?」
P「別に構わないけど、センスの保証は出来ないぞ」
ん、どうせなら小日向にも選んで貰えば……うーん、あいつ私服そんなに……
響子「それじゃお夕飯の準備してくるね、お兄ちゃんっ!」
P「……お、おう……」
余りにも響子の機嫌が良すぎて怖くなってくる。
これこの後殺られたりしない?
最後の晩餐はもっと年取ってからが良いのだけれど。
出来ればハンバーグが嬉しいな。
響子「貴方ーにたにたに~、ちっちゃなハート~」
上機嫌で鼻歌を歌いながら包丁を振る響子の後ろ姿は、なんだか狂気染みている様に感じた。
なんでだろう、あんまり良い予感がしない。
と言うか、うん。
響子や小日向の機嫌が良すぎる時は、大概その後僕が酷い目にあう。
……まぁ、良いか。
P『おーい、小日向ー』
美穂たん星人@明日はデート『はい! 小日向さんちの美穂たんですっ!!』
小日向にラインして気付いたけど、あいつのアカウント名なんだこれ。
誰かに勝手に弄られたのか?
P『明日良ければ、午前中買い物に付き合ってくれたりしない?』
美穂たん星人@明日はデート『つもろんです!!』
ツモとロンを同時にしたらしい。
時空間の重複が発生している。
美穂たん星人@明日は一日中デート『もちろんです!!』
なるほどね、誤字ね。
ところでこの一瞬でアカウント名が変わったけれど何があったのだろう。
P『んじゃ十時に駅前で。ところで今日うち来なかったけど何かあった?』
美穂たん星人@明日は一日中デート『了解ですっ! 今日はお洋服選ばなきゃいけないですから……』
お洋服……響子も言っていたが、スイパラにはドレスコードでも存在するのだろうか。
だとしたらとても困る、僕の私服はお世辞にもしっかりしてるとは言えない。
いっそ制服でも着て行ってやろうか。
いや、午前中に響子か小日向に選んで貰えば良いな。
響子「おにーちゃーんっ! お夕飯出来ましたっ!!」
P「はーい!」
夕飯はやけに豪華だった。
それと、響子がいつもと違って僕の隣で食べていた。
せっかく四角いテーブルで辺が四つもあるのに、何故。
キリスト達かよ。
……最後の晩餐、強ち間違いでは無い気がしてきた。
P「響子ー、まだかかりそうかー?」
響子「ごめんねお兄ちゃーん! 先に行ってて下さーいっ!」
翌日、朝。
どうやら響子はなかなか服が決まらない様で、僕は一人で駅前に行く事になった。
七月中旬、外の気温はなかなかに高い。
冷房の効いていないアスファルトはこれでもかと熱気を発していて、太陽が二つあるかのように錯覚させられる。
遠くを揺らす陽炎が、夏はまだまだこれからだと嗤っている様だった。
夏が、そこにあった。
あと少しで夏休み。
海に行ったり、プールに行ったり、夏祭りに行ったり、花火をしたり。
キャンプなんかもみんなとの予定が合えば行きたいところだ。
……あぁ、なんだ、楽しみしか無いじゃないか。
暑さのせいもあるのだろう、この時間に駅前のロータリーに出ている人は少なかった。
これなら待ち合わせも難なく済ませる事が出来る。
正直これが正午にもなれば、本当に耐えられない程の暑さになってしまうんだろうな。
島村さんとの待ち合わせは駅の構内に変更しておくべきかもしれない。
P「……まだ、後十分はあるな」
どうやら少し早かった様だ。
シャツをパタパタと仰ぎながら身体に風を送り込む。
汗はまだかいていないが、それも時間の問題と言えるだろう。
茹だる様な夏を降り注がせる太陽を睨み付け、その眩しさに負け視線を戻すまでワンセット。
P「……まだかな」
小日向も、響子も早く来て欲しい。
まるで恋人を待ってる彼氏みたいだな、なんて。
美穂「…………あっ、おっ、おはようございますっ!!」
P「ん、おはよう小日向。早いな、まだ後十分はあるけど」
美穂「そ、それは……ねっ? その……わ、分かって下さい!」
そう言えば、ちゃんとした私服の小日向は久々に見た気がする。
普段は制服だし、土日うちに入り浸ってる時は僕がそれは女子としてどんなんだろうと不安になる程凄くラフな格好だし。
ピンク色にストライプが入って、フリルの付いたシャツ。
青いチェックのスカートにリボンの付いたカチューシャ。
普段とは異なる雰囲気と言うか、これでもかと女の子女の子している小日向に一瞬だけ目を奪われて。
でもこいつ小日向なんだよなと我に帰るまで約一秒。
美穂「それに、Pくんだって早く来たって事は……わたしと同じ気持ちって事……ですよね?」
P「暑い?」
美穂「正直この格好ちょっと暑いですけど! でも! せっかくの……その…………」
言い淀む部分にどんな言葉が当てはまるのか、僕には分からなかった。
けれどそれはそれとして、彼女はそれでも『お洒落したい』という気持ちを優先したのだろう。
だとしたら、僕が伝えるべき事は?
P「……うん、すっごく可愛いと思う」
美穂「……えっ、あっ…………あぅ……ありがとうございます……」
僕じゃ無かったら一目惚れしていたかもしれないな、などと。
それはきっと余計な言葉だし、今言う必要も無いだろう。
それに沢山のエロ本やラブコメ小説から僕は学んでいた。
『取り敢えず褒めておけ』、と。
美穂「……きょ、今日は! よろしくお願いしますっ!!」
P「うん、よろしくな。ありがと、付き合ってくれて」
正直とても助かる。
だってスイパラ行きたかったし。
四人だと席的にも収まり良いし。
ついでに響子の服も選んでやって欲しい。
美穂「そ、それで……最初はお洋服選びですよね?」
P「その予定だけど、小日向も何か見たいものあった?」
美穂「はい、その……こないだプール誘ったけど、まだ水着買ってなくて……」
P「あぁ、成る程。んじゃそっちも見に行くか」
幸い駅前のデパートは大きく、レディースであれば揃わない物は無いだろう。
流石に男性の僕は入り辛いし、そっちは響子と一緒に選んでくるといい。
美穂「……ふふふ……えへへ……っ」
P「……小日向も随分と上機嫌だな」
美穂「だって念願の…………え? んん?? 小日向『も』?」
訝しむ小日向。
突然一時間目に小テストあるのを知ったみたいな顔してどうしたのだろう。
響子「お兄ちゃーんっ!!」
約束の時間に十分遅れて、響子が駆け寄って来た。
花柄でフラフラなワンピースにネックレスを着けた響子は、年齢以上に大人びて見える。
まるでデートみたいな気合の入り方でお兄ちゃんはとてもビックリしています。
響子「えへへー、お待たせしましたっ! 遅れちゃってごめんなさいっ、その代わりに手を繋いであげ……ま…………」
美穂「…………」
響子「…………」
美穂「…………」
響子「…………」
突然黙る二人。
やけにうるさく聞こえる蝉の声。
空は高く馬肥ゆる夏。
誰かこの居心地の悪い沈黙をなんとかしてくれないだろうか。
卯月「あれ? あ、やっぱり五十嵐君だ! おはようございますっ!」
P「あ! おはよう島村さん! まだ十時だけどどうしたの?」
救いの女神は僕の良く知るクラスメイトだった。
やっぱり島村さんは天の使いで間違いないだろ。
卯月「早起きしちゃったので、せっかくだからお買い物しようかなーって思って来たんです」
P「丁度良いし、一緒にデパート行かない?」
卯月「もちろんですっ! えへへ、ブイッ!」
よし、自然な会話の流れが作れた。
これで後は小日向も響子も楽しく喋りながら……
息を吸い込む音。
腕を大きく振りかぶる二人。
スローに近付いてくる二本の腕。
……ふむ、成る程。
美穂・響子「「最っっっ低っ!!」」
響く音は、高い空に吸い込まれて行った。
響子「ほんっと、有り得ないですよね」
美穂「そんな気はしてたけど……してましたけどっっ!!」
女三人集まれば姦しいとは言うが、二人でも十分以上に成り立っている気がする。
そんな遠くからでも聴こえてくるグチグチとした愚痴をbgmに、僕はデパートのソファに沈み込んでいた。
卯月「……わ、私居ない方が良かった?」
美穂「ううん、卯月ちゃんは悪くないんです。悪いのはあっちに座ってる朴念仁だから」
響子「えっと、お久しぶりです卯月ちゃん」
卯月「はい、お久しぶりです響子ちゃん! 前にお話ししたのって体育祭の委員会の時だよね」
響子「体育祭ではウチの愚兄と美穂ちゃんがご迷惑おかけしてごめんなさい……」
美穂「わ、わたしもっ?!」
響子「二人三脚の入場の時イチャついて進行遅らせたのって誰と誰でしたっけ?」
美穂「い、イチャついてた訳じゃないもん!!」
女の子とはなかなかどうして体力があるものだ。
既にデパートに入って一時間は経過しているが、未だ彼女たちの元気が衰えそうな気配は無い。
ちなみに僕の体力が尽きて座り込んでいるのは単なる体力不足ではなく重たい荷物全てを持たされていたからですので。
財布の入った鞄すらも渡されると盗難に気をつけなきゃいけないので普通に精神も磨り減る。
美穂「水着はどうしようかな……」
卯月「学校のじゃダメなんですか?」
美穂「プールにそれはナシじゃないかな……」
卯月「海は?」
響子「余計ナシだと思いますけど……」
私服の方はひと段落ついたらしく、次なるターゲットに目標を定め直す三人組。
あぁ、これはスイパラ行くのは三時くらいになりそうだ。
卯月「そう言えばこないだ、五十嵐君が私の水着を借りたいって……」
言ってないです。
一緒にプール行かないか誘おうとしただけです。
美穂「…………最低」
響子「…………お兄ちゃん、そんな趣味が……」
だから言ってないです。
今ここで叫べば他の方々に聞かれて恥をかくのが分かってるからやめておくが。
美穂「え? 着る訳じゃ無いよね?」
響子「え? じゃあ何に使うんですか……?」
美穂「それは、その……ナニって言うか……」
響子「…………っ!」
卯月「…………?」
違う、もうやめて。
美穂「こ、この水着可愛いですよねっ! 響子ちゃん食べますか?!」
響子「美穂ちゃん焦るとお兄ちゃんみたいになりますよね」
美穂「バカにしないでっ! 焦ってるんだもん!!」
それは此方のセリフである。
それからしばらく、三人はワイワイ楽しく水着を選んでいた。
僕は荷物から離れられないので鷺沢にでもライン送って暇潰すか。
P『女子の買い物って長いよね』
鷺沢『死ねって言いたいけどそれはとても分かる』
P『お前分かるのか? 死ね』
鷺沢『は? 死ね』
余りにも無意義な会話で貴重な土曜日の時間を一分も無駄にしてしまった。
新田にでもラインを送ろう。
P『女子の買い物って長いよね』
新田『死ね』
無意義が群れを成して襲い掛かってくる。
どうしよう、とても虚無。
誰でも良い、なんとかしてこの虚無を取り払ってくれる人はいないのか。
P『北条さーん』
加蓮『どーせ女子の買い物って長くない? とか愚痴るつもりだったんでしょ、考え方改めた方が良いよ』
なんで?
P『緒方さん……』
既読は付いたが返信は無かった。
この世界には敵が多過ぎる。
そろそろ本格的に解脱浄土するか涅槃寂静に至るしかなさそうだ。
卯月「五十嵐君! 来て来て! 来て下さいっ!」
美穂「ま、待ってわたし着替えるからっ!」
響子「お兄ちゃーん! 早くっ、早く来てっ!!」
お呼び出しがかかったので、大量の荷物をぶら下げて呼ばれた方へと向かう。
水着、水着、ひたすら水着のアーチを抜けて声がした方へ向かえば試着室。
そこにはやり切った……! と言わんばかりに晴れ晴れとした表情の島村さんと響子。
そしてその中央には、水着姿の小日向。
P「……来たけど?」
響子「パスは無しです」
卯月「ほらほら、照れずに褒めてあげて下さいっ!」
水着姿の小日向……うーん、水着である。
普段の少し恥ずかしがり屋な小日向にしては珍しく(?)、露出がそこそこ多目なピンクにフリルのビキニ。
肌色の面積が多くて、けれどその色はほんのりと紅くそまっていて。
美穂「……うぅ……もう着替えちゃダメ?」
卯月「ダメですっ!」
響子「まだダメっ!」
照れている表情は、ピンク色の水着に負けないくらい染まっていた。
P「…………良いんじゃない? 可愛いと思うけど」
卯月「わー、五十嵐君って照れるんですねっ!」
響子「あれ? お兄ちゃんならもっと水着に食い付くと思ったんですけど……」
美穂「ほらね? 言ったでしょ? Pくんってわたしにはそういう興味一切無いんです!!」
何故か僕がエロ魔神の様な扱いを受けている。
大変不本意ではあるが、普段の行いが悪い様な気がしなくもないので自己弁護せずにおこう。
P「恥ずかしいなら小日向も着替えれば良いだろ」
卯月「わー……五十嵐君、それは男の子としてどうなんですか……?」
響子「美穂ちゃんだって勇気だして水着に着替えたんですよ?!」
美穂「いえ、二人が着なきゃダメって言ったからですけど……」
というよりも、僕が早く着替えて欲しい。
単純に目のやり場とか、そういうのもあるけど。
P「それ、プール行く時来てくのか?」
美穂「えっ? そ、その予定だったけど……あんまり似合ってなかった……?」
P「いや……なんだろう、それ他の男に見られるのが……」
卯月「……ふふっ、五十嵐君が嫉妬しちゃうんですよねっ?」
響子「わー彼氏ヅラだー」
なんでだろう。
赤点取ったテストを他の人に見られたくないみたいな感じなのだろうか。
赤点取った事無いけど。
美穂「……ふふふー……ふふ、えへへへへ……」
響子「美穂ちゃんが他の人にはお見せ出来ない表情してます……」
卯月「あ、私知ってます! メスの顔って言うんですよねっ!」
響子「卯月ちゃんそれちょっと意味違うから……」
なんだかよく分からないが、これで満足して頂けただろうか。
終わったのであれば僕はまた早くソファに戻りたい。
荷物重いし、居心地も悪いし。
やれやれ、僕が呼ばれた意味あった?
卯月「それじゃ、私も水着選ぼうかな」
P「是非お付き合いします!!」
ハンガーは結構威力が高かった。
卯月「わぁぁ……私、スイパラって初めて来ましたっ!」
ズラリと並ぶスイーツを眺めて目をキラキラさせる島村さん。
あぁ、誘ってよかった。
それはそれとして島村さんのスイパラ処女は僕のものだ。
誰にも譲らんぞ。
美穂「……Pくん、鼻の下」
響子「お兄ちゃん、絶対変な事考えてる……」
いえいえ、僕だって目の前に広がるスイーツに夢中ですので。
83のおっぱいと言うスイーツに、ではありますが。
響子「糖分……ううん、今だけは忘れないと……」
美穂「せっかく買った水着が着れないなんて事になりませんように……」
女の子は色々と大変だなぁ。
僕は気にせず好きなだけ食べるけれど。
響子「あ、皆さんは座ってて大丈夫ですよ? 私が取って来ますからっ!」
美穂「ううん、わたしも選びたい! 悩むのも醍醐味じゃないかな」
卯月「ですねっ! 行きましょう!!」
女の子三人が突撃して行った。
僕はまた荷物の見張りをしなければならなそうだ。
トングを装備して次々とお皿を彩って行く皆様。
空腹だから今はそんなに取ってるけど後半絶対後悔するぞあれ。
卯月「お待たせしました!」
美穂「いっぱいあって迷っちゃった……また後で取りに行こっと」
響子「はいっ! お兄ちゃんの好きそうなスイーツ沢山取って来ましたっ!」
P「ん、ありがと響子」
響子「ふふっ」
隣の席の響子が何故かドヤ顔をしていた。
一体誰に向けたものなのだろう。
美穂「ぐぬぬ……」
それ口で言う人初めて見た様な気がしないでもない。
美穂「わ、わたしは……あ、アーンしてあげます!!」
不良に喧嘩を売られた。
普通にビビった。
卯月「不良になるって事ですか? ダメですよ!」
美穂「ちょ、ちょっと声が裏返っちゃっただけだもん」
響子「えへへー。お兄ちゃん、私腕が疲れちゃいましたっ」
P「奇遇だな、僕も荷物持ちで腕が疲れてるんだ」
響子「疲れてません」
P「はい、疲れてないです」
響子「食べさせてくれますよねっ?」
美穂「はい響子ちゃんアーン!」
響子「美穂ちゃんが喧嘩売ってくる……」
美穂「そんなつもりじゃないのに!!」
そんなこんなで会話をメインに時間は過ぎて。
あっという間に制限時間が来てしまった。
……僕、結局自分で選べなかったな。
次は恥を捨てて鷺沢や新田と来よう。
新田「おっぱい!」
鷺沢「おっぱい!」
P「バカかお前ら……おっぱい!」
新田・鷺沢・P「「「おっぱい!!」」」
この世の地獄の様な冒頭からこんにちは、五十嵐のPです。
えー本日はですね、屋内プールに来ております。
最近出来たばかりと言う事で色々な設備が新しく、当然お客さんの入り具合も凄いですね。
沢山の人が詰め込まれてギュウギュウになっている流れるプールなら意図せず女性の胸部に身体がコネクトする事があっても不慮の事故として水に流して頂けるでしょう、流れるプールだけに。
右を見れば水着の女性、左を見れば水着の女性、また右を見れば水着の女性。
横断歩道を渡る時の約束はきっとこの為にあったのだろう。
おそらく女性の人数だけ男性も居るだろうが、残念ながら僕らの目には映らない。
需要という物を考えろ、男の水着なんざ男子トイレのビデみたいに必要無いんだよ。
新田「あっやべ」
鷺沢「理解したから報告しなくて良い、さっさとプールにでも入って隠せ」
新田「うっす」
新田が慌ててプールに飛び込んで行った。
果たして何が起きたのだろう。
起きたんだろうな。
あぁいい言わなくていい。
P「さて、準備体操でもしとくか」
鷺沢「だな、後で足つっても大変だし」
いっちにっ、さーんしっ。
中学や小学の水泳の授業でやらされていた頃はさっさとプールに入りたくて仕方なかった準備体操だけど、今思えば本当に必要な事だったんだよななどと。
……屈伸とか伸脚とかさ、水着の女子がやったら凄いんじゃないかな。
やっぱり超重要だよね準備体操。
加蓮「お待たせー」
僕らの準備体操が後半に差し掛かった辺りで、北条さんが着替え終えて向かって来た。
鷺沢「…………いや、待ってないぞ。今来たとこ」
加蓮「ふふっ、分かりやすっ」
水色のビキニ姿の北条さん……
……で、デカ……っうおぉ……
P「……良いな、北条さん」
鷺沢「何見てんだよ殺すぞ」
P「褒めてるのに殺されるの理不尽過ぎない?」
褒め殺しとはまさにこの事な気がする。
P「そう言えば小日向と緒方さんは?」
加蓮「え? 居るよ? 私の背後に」
美穂「……うぅ……やっぱりやめておけば良かった……」
智絵里「そ、そんなに恥ずかしがらなくても……」
加蓮「はいはい、あんた達も準備体操するよ」
北条さんがサッっと横にズレた。
その先には、先日買いに行ったビキニ姿の小日向。
……そして、天使。
正式名称水着姿の緒方智絵里。
智絵里「……ど、どう……かな……」
P「凄く似合ってて可愛いと思うよ」
鷺沢「あぁ、最高に可愛いぞ緒方さん」
智絵里「……え、えへへ……」
加蓮「ふんっ!」
美穂「せいっ!」
同時、僕と鷺沢の足が別々に踏み抜かれた。
P「アビスッ!」
鷺沢「中世の拷問!!」
裸足なのにそれは本当に痛い。
しばらくプールサイドを無様に飛び跳ねるゴミが二匹居た。
美穂「もーっ……わたしだって勇気出したのに……」
鷺沢「あぁごめん小日向、めちゃくちゃ可愛いと思うぞ」
P「何見てんだよ殺すぞ」
鷺沢「お前なぁ」
加蓮「……ふーん、目移りなんていい御身分じゃん鷺沢」
鷺沢「……プール入ってくる」
鷺沢も流されに行った。
……さて。
P「準備体操はちゃんとやっといた方が良いぞ」
加蓮「言われなくても分かってるって」
屈伸した後、ぴょんぴょんとその場で跳ぶ北条さん。
揺れるエデン、宙を飛ぶラピュタ。
豊満な果実は正しく禁断のソレであり、手を出すのは禁忌である為眺めるのみに済ます。
……ふふふ……来て良かった。
美穂「……Pくん、わたしも準備運動してるんですけど!!」
P「ちゃんと体ほぐしとけよ」
美穂「他にっ! 言うべき事とか見るべき場所とか向けるべき視線とか抱くべき欲望とかあると思いませんかっ?!」
めっちゃ早口である。
よくそれ噛まずに言えたなと褒めたら多分怒られるんだろうな。
智絵里「暑い…………加蓮ちゃん、わたし達はあっちのプール行きませんか?」
加蓮「ん、おっけー。また後でねー五十嵐、美穂」
北条さんと緒方さんが遠くへと行ってしまった。
美穂「……ほ、褒めてよ! わたしにも可愛いって言って下さい!」
P「ん、前も言ったけどすっごく可愛いと思うぞ」
美穂「……そういう時だけはほんっとにアッサリ言えちゃうんですよねー、Pくんって」
P「割と心に素直に生きてるつもりだからな」
美穂「……よ、欲望に素直になっても良いんですよ……?」
P「マジで?! 緒方さん達のとこ混ざってくる!!」
美穂「天使の施し!!」
僕の小指に落とされた一撃はまるで悪魔の様だった。
おっぱいを、集めてはやし、流れるプール(字余り)。
そんなに流れも早くない流れるプールにて、僕はひたすら揺られていた。
いや、本当は鷺沢とか新田とウォータースライダー行きたいのだが、小日向が流れるプールでのんびりしたいと言うので僕も居る。
北条さんとか緒方さんが居ればそっちに任せて僕もはしゃぎに行くんだけど、残念ながらその二人は別のプールに行ってしまった為今こうしてるナウ。
僕が居る必要? あるに決まってるだろ知らないゴミ(男とも言う)が小日向に触れたらどうすんだお前責任取れるのか? あ?
美穂「ふわぁ……寝そう……」
P「寝るな、死んじゃう、比喩じゃなく冗談でもなく」
浮き輪に座って揺られている小日向は、時折あくびをしながら幸せそうに流されていた。
……まぁ、いいか。
小日向が幸せそうだし。
別にこの流れるプールでも沢山おっぱいあるし。
美穂「あ、PくんPくんっ! 一緒にウォータースライダーしに行きませんかっ?!」
P「別にいいけど、どれにする?」
一口にウォータースライダーと言っても、直線タイプから複数人で浮き輪に乗ってトンネル状のスライダーに流されるタイプと色々ある。
美穂「うーん……一緒に乗れるのが良いですっ!」
P「んじゃあっちのだな。浮き輪は借りられると思うから」
適当なタイミングで流れるプールから上がり、ウォータースライダーを目指す。
……む。
加蓮「あれ、さっきぶり二人とも」
智絵里「あ……二人も並びますか?」
美穂「うん、せっかくだから乗りたいなーって」
P「ならせっかくだし四人で乗らない?」
どうやら一度に四人まで浮き輪に搭乗可能らしいし。
せっかくなら大人数で楽しみたいし。
決して、決っっして北条さんや緒方さんとの接触を意図的に試みようとしている訳では無い。
それはそれとして不可抗力って言葉はとても便利だと思う。
加蓮「やだ、今五十嵐ゲスな視線してたし」
智絵里「美穂ちゃんと二人で乗って下さい……」
P「…………」
美穂「……やっぱりわたし、加蓮ちゃん達と乗ろうかな……」
P「一人で乗るの寂しすぎるし一緒に乗ってくれ小日向」
新田「この借りてきた浮き輪、さっき女子大生集団が借りてたやつだぜ」
鷺沢「寄越せ新田、命が惜しくばな」
P「生ゴミみたいな理由で喧嘩してるんじゃないよゴミ共、喧嘩両成敗だその浮き輪は僕が貰う」
水深1メートルもない波のプールの端で、男子高校生三人が全力で浮き輪を奪い合う構図。
多分見るに耐えない映像だと思う。
女子組はどうやらジャグジープールの方で遊んでいるらしい。
きっときゃっきゃウフフしてて華やかなんだろうな。
それに比べて僕らはなんだ。
比べるのも烏滸がましくなるくらいに底辺オブ底辺、高さは0だから面積も0だ。
まぁだからって女子大生浮き輪は譲らないけど。
新田「……ん、そう言えばだけど」
鷺沢「……妙案を思いついた顔してどうした? 妙案でも思いついたか?」
P「発言前半の無駄さ何?」
新田「……これだけ女性が居るんだし、ナンパしたら成功すんじゃね?」
鷺沢「…………成功! あわよくば性こ」
P「やめろ汚い」
……ナンパ、かぁ。
残念ながら僕にそんな勇気は無い。
突然話しかけられて怖い思いをしてしまう女性もいるだろう。
ところでナンパって漢字で書くと軟派なんだろうか。
P「硬派なナンパもあるのか?」
新田「やぁやぁ其処行く美しい御嬢様方、是非とも拙者達とお茶の一つでも如何であろうか?」
無さそうだ。
鷺沢「……後が怖いしやめとくか」
新田「なんだお前チキってんのか?」
鷺沢「なんだお前、俺が本気出せば女性の二人やマンション二棟くらい楽勝だからな」
P「マンション関係ある?」
っていうかどんな財力してるんだよ。
鷺沢「……でも後が怖いんだよなぁ」
新田「チッ、これだから妻帯者は……おい五十嵐」
P「僕も嫌だよ」
新田「女子大生のおっぱい」
P「やっぱやるか」
新田「そうこなくっちゃ」
鷺沢「待て、俺も同行する」
P「そうこなくっちゃ」
新田「先にナンパ成功させた奴が勝ちな!」
鷺沢「良いだろう」
同行とはなんだったのか。
かくして、さっきまで浮き輪一つを奪い合ってたバカ三人がそれぞれナンパに挑戦する事となった。
……筈だった。
二人と別れてからしばらく暇そうな女性を探しつつおっぱいを眺めて歩いていた僕は、どうやらプール内を一周してしまった様で。
ナンパとかさっさと諦めて女子組と合流して遊ぼうと思っていた所……
仮面を付けた男性A「……へ、へいへーいそこのエンジェルちゃん達、俺らと一緒にご飯どーよ!」
仮面を付けた男性B「……やぁやぁ其処行く美しい御嬢様方、是非とも拙者達とお茶の一つでも如何であろうか?」
加蓮「もっと上手くやんなよ」
美穂「た、助けてPくん……」
加蓮「美穂も演技下手過ぎ」
智絵里「……あっ、違うんです……あの人達は、その、恥ずかしいけど知り合いで……」
小日向と北条さんが、二人の不審者にナンパされていた。
は? 殺す。
……なんてバイオレンスなシーンを近くに居る緒方さんに見せる訳にもいかないので。
P「……すまーんはぐれて! さ、お昼ご飯にしようぜ!」
プランA、颯爽と登場してさっさとみんなを連れて退場する。
仮面を付けた男性A「おいおいなんだよ兄ちゃん、この子達の知り合い?」
仮面を付けた男性B「我らは今軟派とやらをしている故、口出しは許さぬ」
なんか聞いた事ある声だけど、こんな不審者みたいな奴らは僕の知り合いには居ないので多分知らない人。
加蓮「おー、カッコいい登場」
美穂「こ、怖かったですPくんっ!」
智絵里「違うんです……あの、本当に大丈夫ですから……!」
小日向が水着だと言うのに腕に抱き付いて来た。
……慣れすぎてなんの感動も無い、と言うか女子としての意識をちゃんと持ってくれ。
軽々しく男子にしがみつくもんじゃないぞ。
北条さんは是非僕に抱き付いてくれ。
P「悪いっすけど、こいつら僕……俺の連れてなんで」
仮面を付けた男性A「へいへーい、何カッコつけちゃってんのー?」
仮面を付けた男性B「もうこの際貴様で良い、我々とお茶をしろ。断るのであれば貴様の命は保証出来ぬ」
一人やべぇ奴居る。
いや、仮面付けてる時点で両方ヤバいけど。
警備員何やってんの早く追い出して。
加蓮「俺の連れだってさ、キモッ」
美穂「……俺って言うPくん、すっごく不自然……」
背後の二人は僕の味方なの? 敵なの?
仮面を付けた男性A「まぁテメェは良いや。へいへーい女の子、俺らとお昼どーよ? 奢っちゃうよー?」
仮面を付けた男性B「奢るよ」
P「僕にも奢ってくれたり」
仮面を付けた男性A「する訳ねぇだろボケ」
仮面を付けた男性B「ボケ」
P「じゃあさっさと別を当たって下さい、こいつらは俺と食うんで」
しつこいなこいつら……
北条さんも小日向も怖がってるじゃないか。
仮面を付けた男性A「へいへーい、行くぜお嬢ちゃん達!」
仮面を付けた男性B「へいへーい!」
加蓮「きゃっ! 離して! ……あっ、でも無理矢理求められる感じも悪くないかも……!」
美穂「た、助けてPくん!!」
P「お前らっ!!」
斯くなる上は、肉を切らせて骨を断つプランBに移行だ。
P「でもこっちの照れ屋っぽい方、めっちゃ食うぞ!」
加蓮「は?」
美穂「は?」
P「お前らに払えるのか? 福沢の一人や二人で足りると思うなよ?」
仮面を付けた男性A「…………」
仮面を付けた男性B「…………」
ふふふ、諦めるが良いさ。
割と冗談抜きに、福沢とは行かなくても小日向めっちゃ食べるし人に奢られるとなると値段見ないぞ。
仮面を付けた男性A「……嘘吐くにしても女子の気持ち考えろボケ!」
仮面を付けた男性B「……だからお前は女心が分からないって言わるんだよ!!」
P「仮面付けてナンパする不審者には言われたくないかなぁ!」
智絵里「はぁ……ごめんなさい……やっぱりあの人達、知り合いじゃ無かったです……」
警備員に二人が連れられて行った。
逆になんでさっきまで警備員が来なかったのかほんと不思議でならない。
P「……ふぅ、良かった良かった」
さて、気を取り直してお昼ご飯にしよう。
新田と鷺沢は何処行ったんだろ、まだナンパしてるのかな。
加蓮「……最っ底」
美穂「ふんっ! ふんっ!」
足の指が小指から順に踏み抜かれ。
昼ご飯全額奢りになった。
P「……暑い……」
気温35度、天気は快晴。
嫌になるほど空は広く太陽は眩しい八月頭。
夏の暑さも彼岸までというのであれば、去年の時点で彼岸過ぎてるんだからさっさと涼しくなって頂きたい。
そんな地球相手に恨みを覚えてしまうくらいには、八月に入った日本は暑過ぎた。
夏休みに入り色々な場所に遊びに行こうと思っていた日が懐かしい。
余りにも暑過ぎる夏の空気は、人々から気力とか水分とかその辺をごっそりと奪っていた。
P「……まだか……」
待ち合わせの時間から既に八分。
何があったんだワッツハップン。
期せずして韻を踏んでしまったが、もしや僕にはラッパーの才能でもあるのだろうか。
無いよ、暑さで脳が蒸発してる。
正直、適当な喫茶店に入って待ちたい。
けれどそういう時に限って待ち人が来てしまう。
得てして待ち合わせとはそういうものだ。
だから、早く、来て。
美穂「あっ、Pくーんっ! お待たせしましたーっ!」
P「お、おはよう小日向。十分遅刻とは随分な重役出勤だな」
長い針が数字を二個刻んだところで、小日向が此方へと駆け寄って来た。
以前は余り意識していなかったが、最近の小日向はどんどんお洒落になっている気がする。
中学や高校入りたての頃に比べて、私服が、こう、垢抜けてるって言うんだろうか。
まぁ僕はファッションに詳しい訳では無いし下手な事は言わずに……
美穂「どうですかっ?」
P「可愛いと思う」
美穂「えっへん! 雑です!!」
褒める、取り敢えず褒める。
いや、実際嘘偽りなく本心から思っている為取り敢えずも何も無いのだけれど。
美穂「…………」
P「何キョロキョロしてるんだ、首がまだ座ってないのか?」
美穂「……響子ちゃんは?」
P「来ないよ、呼んでないし」
美穂「卯月ちゃんは……?」
P「だから呼んでないって」
美穂「加蓮ちゃんとか智絵里ちゃんとか……」
P「今日はちゃんと二人きりだって」
美穂「…………ほんとに?」
P「ほんとに。もし居たとしても僕が呼んだ訳じゃ無いし、ただの尾行だろ」
美穂「……なら良いでしょう!」
なんでこいつが、やけに二人きりである事に拘るのか。
他の誰かが居るかどうかを気にしているのか。
それは……
P「デートなら二人でするものだしな」
美穂「って言っておきながら鷺沢くんと加蓮ちゃんを呼んでダブルデートとか……」
P「流石に僕への信頼無さ過ぎじゃないか?」
今日は、デートだからだ。
先に言っておくと、僕と小日向が付き合っている訳ではない。
ただ単純に、久し振りに二人っきりで出掛けようってなっただけだ。
まだまだ先の長い夏休みの一日をこいつに割くくらい、別にわけない。
美穂「……それじゃ……ふー……」
こいつが深呼吸をする時は、大体その後大胆な発言か大胆な行動が飛び出す事を僕はよく知っている。
何が起きても対処出来る様に、僕も大きく息を吸って構えた。
美穂「え、えいっ!」
ぎゅぅぅっ、っと。
小日向が僕の腕に抱き着いて来た。
美穂「……どっ、どうでしょうかっ?!」
P「腕が痛い」
美穂「もー、照れなくたって良いんですよっ?」
いや、照れてる余裕無いから。
小日向の方が恥ずかしい思いをしてるんだろうが、それはそれとして力加減はして頂きたいものである。
美穂「ほらほらPくん。今日はデートなんですから、今日のわたしは恋人です!」
P「恋人……小日向が恋人……恋人が小日向……小日向が小日向……」
美穂「……ダメ?」
P「ダメ」
美穂「ふんっ!」
被っていた帽子でバシーンと顔を叩かれた。
痛い。
美穂「もう一回チャンスをあげますっ!」
P「叩かれる?」
美穂「叩かれない様にする、に決まってるじゃないですか!!」
P「……出来るだけ手加減してくれると嬉しい」
美穂「ほんとに本気でグーパンするよ?」
P「じゃあ僕はパーを出す」
美穂「じゃ、じゃあわたしはチョキを出しますっ!」
P「じゃあ僕はグーを出す」
美穂「女の子に拳を振るうなんて……」
どうやら僕に勝ち目は無さそうだ。
仕方ない……
P「ほらっ、行くぞ」
美穂「きゃっ」
少し強めに、小日向の腕を引いた。
よろけながらも僕の腕にしがみついて、そのまま暫く黙って小日向は着いてから。
P「……強引なのはお望みじゃなかった?」
美穂「えっ? あっ、いえ……その、突然積極的になられてビックリしちゃっただけですから!」
P「そう。ところでさ……」
美穂「なんですか?」
取り敢えず歩き出したは良いけれど。
P「僕らは何処に向かってるんだ?」
美穂「……え、デートプランは?」
P「月々定額使い放題だけど」
美穂「それデータプラン!!」
と、言うわけで。
行き当たりばったり明後日の方へと向かって、僕らのデートが始まった。
映画、全席満員。
ボーリング、全レーン使用中。
遊園地、改装中。
プラネタリウム、全公演終了。
行く先行く先悉く、誰かが先回りして妨害してるんじゃないかと思うくらいの不振っぷり。
歩いて、歩いて、蹴られて、歩いて。
P「またプール行く?」
美穂「水着持って来てません」
それもそうだよな。
僕も持って来てないし。
P「買い物は?」
美穂「奢ってくれるの?」
次。
P「……ゲーセン……」
美穂「何分もつと思いますか?」
……次。
P「スイパラ」
美穂「カロリー」
P「田んぼ」
美穂「大雨の日にでも一人でどうぞ」
P「校庭」
美穂「運動部が使ってます」
P「下駄箱」
美穂「そんなデートありますか?」
非常によろしくない。
これじゃまるで僕が良いとこナシじゃないか。
……あぁいや、別に小日向にそう思われるのは構わないんだけど。
P「……あ」
美穂「何か思い付きましたか?」
P「……動物園とかどうだろ?」
美穂「……Pくんにしては悪くない案だと思います」
よかった、咄嗟に思いついて。
いつも通りうちで良くない? なんて言わずに済んで。
……それはそれとして、小日向も否定するばっかりじゃなくて案出してくれれば良かったのに。
言わないが、結果は見えてるから。
P「んじゃ、電車使うか」
美穂「ですねー」
……なんだろう?
なんとなく、いつもの小日向と違う気がする。
……まぁ、良いか。
美穂「見て下さいPくんっ! Pくんが沢山居ますっ!!」
P「あれニホンザル、僕は人間」
美穂「わぁっ、自分でバナナ剥けるんですね! Pくんも出来ますかっ?!」
P「…………出来るよ」
出来るけれども。
張り合ってる時点で、もう既になんか負けな気がした。
やって来たのは隣町の動物園。
入場料もそこそこの値段で一日中楽しめるデートに割と持ってこいなスポット。
案内は有難い事に木陰が多く、猛暑もある程度は和らいでいた。
それでも汗はかくけれど。
美穂「あっ! ハトが居ます!!」
P「あれ多分野生のハトだよ」
美穂「……野生の猿も居ます!!」
P「そろそろ怒っても許されると思う」
さっきのは、僕の勘違いだったのだろうか。
今では小日向も全力ではしゃぎ回っている。
……勘違い、だろうな。
きっと、そうに違いない。
美穂「あれはなんて動物ですか?」
P「自動販売機って言ってお腹に沢山飲み物を溜め込む生き物だな」
美穂「その隣のスペースに決まってるじゃないですか!!」
P「ゴミ箱だな。お腹に沢山ゴミを詰め込められる生き物だ」
美穂「逆逆そっちじゃなくて」
P「あれは……鳥?」
美穂「いえそれは見れば分かりますけど……」
僕だって別段動物に詳しい訳じゃないんだから。
そもそもそう言った特別な知識が無くても楽しめる様に出来ているのが動物園だろう。
ほら、こうしてボードにその動物の正式名称と説明が事細かく記載されて……
P「……カタカナって八文字以上続くと読み辛い」
美穂「凄く同意します」
名前を覚える事は出来なかったが、取り敢えずなんか鳥だった。
きっとカッコいい名前なんだろうな、だってカタカナだし。
それからしばらく、僕らは腕を組みながら園内をのんびりと歩き回った。
会話が少ないのは、消費エネルギーの抑制という事で。
ぐるっと一周、外に出ているゲージの殆どは見終わった筈だ。
後は屋内にある特別なブースとかその辺だろう。
P「……正直な事言って良い?」
美穂「……どうぞ」
さて、どうしたものか。
正直な事言って良い? という前置きに許可まで下りたが。
……言うのは、よしておくべきなのだろう。
P「……暑い、疲れた」
美穂「……腕、組んでるからですか?」
P「いや単純に今日暑いだろ」
美穂「……腕、組んでるからなんじゃないんですか?」
P「そっちは別に良いや、デートだし」
美穂「……それじゃ、そういう事にしておいてあげます」
……なんだこいつ。
ほんと、今日はいつにも増して面倒くさいぞ。
P「……それじゃそろそろお互い疲れただろうし、喫茶店でも入るか!」
美穂「はいっ!」
コーヒーを飲む。
カップを下ろす。
コーヒーを飲む。
カップを下ろす。
この行動を何度か繰り返すとコーヒーは全て飲み干されてしまう訳だが。
驚く事に、なんとその間お互い一切の会話が無かったのだ。
凄い、今までこんな事あった?
僕も自分で驚いてるよ、自分が喋らずにコーヒー飲み干した事。
P「……涼しいな」
美穂「溜めに溜めた感想がそれですか……」
P「事実であれど口に出して確認するのは大切だぞ、プラシーボ効果ってのもあるし」
美穂「難しい言葉で誤魔化そうとしてる?」
P「プラシーボ効果を難しい言葉だと言い張るのは若干無理がある」
コーヒーの味は正直あんまり分からなかった。
これで500円とか、それならドーナツショップのお代わりし放題のコーヒーの方が良いな。
P「……え、もう十六時回ってんのか」
外がまだ明るいから気付かなかったが、どうやら結構な時間を動物園で使っていたらしい。
夏だし、仕方ない。
美穂「Pくんがデートプランちゃんと立ててこないからじゃないですかー?」
P「悪かったって、次は気を付けるよ」
美穂「…………そうですか」
再び、沈黙。
こんな時に新田とか鷺沢とか北条さんが居てくれれば良いのに、とか思ってしまう。
けれど勿論、この場にアイツらは居ない。
であれば……僕一人の力で戦うしか、ない。
P「……カンガルーの誕生日って、母親の袋から顔を出した日らしいな」
美穂「へー」
スマホを弄るな。
普通にしんどい。
P「……キリンの交尾は九割が雄同士らしいぞ」
美穂「そうなんですね」
せめてこっち見て、スマホ置いて。
僕が聞いてもいないのに豆知識を披露する動物オタクみたいになっちゃってるから。
さっき動物園で知ったばっかりでちゃんと調べた訳でもないし。
それもそろそろネタ尽きるし。
……いや、実際聞かれてないんだけどさ。
僕が勝手に喋ってるだけなんだけどさ。
P「コウモリの睡眠時間ってナマケモノより長いんだってさ。真の怠けキングはコウモリに」
美穂「ねぇ、Pくん」
僕の雑学は、小日向に遮られた。
美穂「…………そろそろ、帰りませんか?」
八月、コンクリートが続く道。
道の両脇はひたすらに畑、またその先には夕方の空。
昼が暑過ぎたせいだろう、この時間の風は涼しく感じて。
遠くから響く様々な虫の鳴き声だけが、やけに大きく五月蝿く聞こえた。
P「一日ってあっという間だな、ほんと」
美穂「ですね、あっという間です」
今が一番、陽が長い時期だと言うのに。
長い夏に憧れて過ごして来たなら、今はどの時期に憧れれば良いんだろう。
もっと、もっと長く。
そう思ってしまうのは、無い物ねだりが過ぎるだろうか。
P「で、どうだった? デートってのは」
デートラストの帰り道にするには、丁度良い話題だった。
美穂「うーん……そうですね……」
人差し指を顎に当て、空を見上げて考える小日向。
うーん、えーっと、なんて言いながら今日一日の出来事を思い出しているかの様に。
……そんなフリをしなくても、答えなんて分かってるのに。
美穂「正直、こんなものなんだなーって感じでした」
がっかりした様な素振りすら見せず、サラッと言ってのける小日向。
まったく、軽く言ってくれるなよ。
沈黙を出来るだけ埋める為に、僕がどれだけ必死に知恵を振り絞ったと思っているんだ。
なんて、言っても仕方ないか。
P「そっか、良い勉強になったな」
美穂「ずっと憧れてた筈なんですよね、デート。わたしだって女の子だもんっ」
P「そっか……いや、お前が女の子って事は分かってたけどさ」
憧れてた筈、か。
その念願のデートで楽しめなかったのだとしたら、落胆させてしまったのだとしたら。
その原因は、一つしかないのだろう。
美穂「わたしが、君の事を好きじゃないからだと思います」
……そうだろうな。
P「デートってのは好きな人とするものだからな」
美穂「うん、お勉強になりましたっ」
当たり前の事だ。
恋愛感情かどうかはおいといて、好きでも無い奴と一日過ごして楽しい筈がない。
そんな当たり前の事、知ってただろうに。
P「……僕の事が好きじゃない、か」
美穂「はい。今日一日Pくんと二人っきりで過ごして思ったけど……やっぱり君は、そんなにカッコ良くありませんでした」
嫌われてないだけ良かったよ、なんて巫山戯るのはナシだ。
P「……そんな事は僕が誰よりも知ってるよ」
美穂「ざーんねんっ! わたしの方がずっとずーっと沢山知ってますっ!」
P「そこ張り合うのか」
美穂「ずっと君の事を見てきましたから……ここだけの話、ほんとはわたし……」
……出来れば。
その言葉の先は、言って欲しくなかったな。
美穂「…………君の事、好きだったんです」
P「…………そっか」
美穂「気付いてなかったでしょ?」
P「うん、気付いてなかった」
気付かないフリをしてた。
いや、違うか。
自分の勘違いで、小日向が僕に恋愛感情を抱いてる訳が無くて。
僕がこいつに恋愛感情を抱く訳も無い、と。
そう、ずっと自分に思い込ませていただけだ。
美穂「……そっかー、結構アピールしてたつもりなんですけど……」
P「で? そこから?」
美穂「……でも、ふと思ったんです。なんでわたし、君の事が好きなんだろう、って」
P「で、デートしてみた、と」
美穂「はいっ、一日君と二人っきりで過ごせば、好きになったところが見つけられたり思い出せたりするんじゃないかなーなんて思ったんです」
P「それで、良いとこが無かった。思い出せなかった」
美穂「うん、ダメな所なら幾らでも見つかりましたけど」
P「だろうな。自分で言うのはアレだけど、今日のはデートとしては0点だ」
美穂「……多分わたしは、恋がしたかっただけだったんじゃないかな……」
P「恋に恋する、ってやつか」
美穂「多分それだと思います。だから、ずっと一番近くに居た君の事が好きなんだって勘違いしてた」
P「勘違いか」
美穂「はい。勘違いです」
だったら、僕は間違いじゃなかった。
勘違いで向けられた好意で、僕まで勘違いしてしまえば。
こいつの……僕が一番大切にしたかった幼馴染の人生を、僕なんかが無茶苦茶にしてしまうから。
実際はそんな大それた事にはならないにしても、そんな恋に恋する女の子の恋心を踏み躙る事になり兼ねなかったから。
P「……良かったな、早目に気付けて」
美穂「はい、良かったです」
でも、小日向がそれをようやく勘違いだと気づいて。
……ここまで言い訳。
ここから本音。
だから、僕は……
P「実を言うと、僕も昔は小日向の事が好きだった」
……ようやくきちんと、勘違いが出来る。
嫌だったから。
きちんと僕が、自分の力で好きになって貰いたかったから。
小日向の勘違いした、恋に恋する気持ちを利用するなんて。
そんな事、絶対にしたくなかったから。
だから待った、ずっと待った。
小日向が一度冷めるのを、目を覚ますのをずっと待った。
美穂「…………そっか」
P「……正直、僕も今日はつまらなかったぞ。暑いし、小日向が全部僕のせいにしてくるし、自分からは全然喋らないし」
美穂「そうだと思います。それに、君だってもうわたしの事好きじゃないですよね?」
P「何がこんなもんかだよ、自分から楽しもうとしない奴がよく言えたなって思ったし」
美穂「君だって……わたしと楽しむつもりなんて無かったでしょ……?」
P「人を試すとか普通に僕の嫌いなタイプの人間だし、どうせ小日向は良い所を探すつもりなんて最初から無かったんだろ」
美穂「…………君だって……わたしの事なんて……」
文句は尽きない。
言おうと思えば、この十年以上に渡る付き合いの中から幾らでも捻出出来る。
でも、そんな事したって意味無いし。
ここで怒ったら、それこそダメだって事くらいは僕の頭でも理解出来てるし。
……そんな辛そうな顔してる小日向なんて、見たくなかったから。
P「……何があった?」
今日一日、ずっと聞こうと思ってた。
何があって、こんな事を僕に伝えた?
何があって、こんな時にデートをした?
恋に恋する女の子は、なんで今突然目を覚ました?
……これは自惚れだけど。
なんで、無理やり恋を諦めようとしたんだ?
美穂「……何もありません」
P「何を焦ってるんだ?」
美穂「……焦ってなんてません……」
P「…………いなくなったり……しないよな?」
美穂「…………教えてあげません……」
P「…………そっか」
あーあ……
最低な気分だ。
考えた事すらなかった、最悪な事だ。
P「…………」
美穂「…………」
会話、続かないな。
今までは何があっても大体僕一人で喋り続けてた気がするけど。
気不味くなるのが嫌で、ひたすら喋れる様に頑張って来たのに。
僕は今まで、どうやって喋っていたんだっけ。
P「…………よしっ! 考えても仕方ない!!」
美穂「…………えっ、ここで何時ものテンションに戻すんですか?!」
うるさいな。
これ以上沈んでたらダメだろうに。
お前、今にも泣きそうな表情していたんだぞ。
……もしかしたら、それは僕にも当てはまるかもしれないけれど。
P「リベンジだ」
美穂「…………えっ?」
負けっぱなしではいられない。
僕だって人生初デートだったのに、こんなにつまらなくて最低な思い出ばかりじゃ悔しくて仕方がない。
P「……だから、もう一回デートするって事だよ」
美穂「……君、さっきのわたしのお話聞いてました?」
P「……今日はちょっと調子悪かったから」
美穂「……ダサい……」
P「……明後日、神社の夏祭りあるだろ。あれ一緒に行こうぜ」
美穂「…………」
P「毎年一緒に行ってたけど……今年は、デートとして」
美穂「…………」
P「……そして、今度こそ……勘違いじゃなくしてみせる」
美穂「……君がそんな事する必要なんて無いのに……」
P「まぁ見とけって、ダメ出しする場所なんて無いくらい最高の彼氏になってやるよ」
美穂「…………無理だと思う」
P「そんなの自分が一番分かってる。でも……もし小日向が一瞬でもそう思ったのなら……全部、聞かせてくれ」
美穂「…………」
P「…………ダメか?」
これでダメなら、もうどうしようもない。
美穂「…………」
P「…………」
しばらく俯いて考え込んで。
待たされている時間は、凄く長く感じて。
今更になって、先程の僕の言葉が殆ど告白の様なものだったと自分で気付いた頃に。
ようやく小日向は、頭をあげた。
美穂「……もう少し現実的に可能な条件にしませんか?」
P「お前何がしたいの?」
ドンッ! ドンッ!
太鼓の音に祭囃子、絶え間ない喧騒にテキ屋の客引き。
油断すると一瞬で人の波に流されてしまいそうな人口密度。
夕方の涼しさを上塗りして昼以上に熱くする人々の熱気。
匂い、音、光、雰囲気全てが四方からひたすらに押しかかってくる。
夏の風物詩ーー夏祭りは、目の前でひたすらに夏を作っていた。
はてさて、僕はと言えば。
例年通りだったのであれば他の連中と浴衣の女性ひゃっほうとか言いながらはしゃぎ回って他の方々に迷惑を掛けていたであろうが。
今年、今日、この夏祭りだけはいつも通りと言う訳にもいかず。
今回こそはとひたすら必死に組み上げたデートプラン(と言う名の行き当たりばったり)を小日向相手に敢行しようとして……
加蓮「ばっっっか! なんでポテトに勝手にケチャップつけちゃったの?!」
鷺沢「え、だって加蓮いつもつけて食べてるじゃん」
新田「浴衣の真の良さは浴衣自体ではなく、それを着こなしきれず慣れないながらそれでも可愛らしく振る舞おうとする女子にこそあると思う」
智絵里「あっ……金魚さん、全然掬えませんでした……」
卯月「あ、五十嵐くーん! こっちですこっち!」
響子「お兄ちゃーん! たこ焼き一緒に食べたせんかーっ?!」
……なんか、みんな居た。
あぁいや、こいつらが来る事は分かっていた、地元だし。
問題はそっちでは無くて……
美穂「やっぱり大勢で楽しんだ方が楽しいですからっ!」
小日向が、デートだと言うのに他の連中に声を掛けた、という事だ。
えーってなってる。
お前ほんとどっちなの?
ホントはホントにデートしたくなかった?
僕がこの二日で立てた綿密な計画が水の泡となってしまった訳だが、その辺はどうお考えなのだろう。
美穂「だって君、前にわたしとのデートの時に響子ちゃんと卯月ちゃん呼んだじゃないですか」
P「…………あれはデートでは無かったので」
今思うと、僕なかなか酷い事をしてしまってたんじゃないだろうか。
いや、けれどあれは別にデートでは無かった訳で。
加蓮「美穂ーっ! 射的やるよ!!」
美穂「はーいっ!」
……行ってしまった。
やっばい、本格的に僕に勝ち目が無い。
この時点で既に減点食らっててもおかしくなさそうだ。
新田「なぁ五十嵐、あっちで浴衣コンテストが」
P「黙れゴミ、こっちは頭使ってるんだ」
新田「明日殺す」
……ふむ、明日……ね。
どうやらこいつらは、僕と小日向が今どうなっているかを知っていそうだ。
……なんで来た、帰れ。
今日も今日とて僕の恋路の邪魔をするんじゃない。
鷺沢「ん、俺? 悪いけど俺彼女いるから……」
鷺沢は浴衣の女の子にナンパ(?)されていた、死ね。
背は低めおっぱいは小さめだけどとっても可愛らしい女の子に声掛けられるとか死ね。
っていうかお前らやっぱり付き合ってたのか、死ね。
にしてもあの子可愛いな、読モとかやってそう、鷺沢は死ね。
P「……マジでどうしよう」
卯月「聞きましたよ、五十嵐君」
P「島村さん……浴衣、めっちゃ似合ってて可愛いよ」
卯月「…………五十嵐君、一回きちんと振られた方が良いと思います」
振られたんだけどね、一昨日。
それはそれとして、島村さんまで敵に回ってしまったのが哀しくて仕方がない。
智絵里「……五十嵐くん……えっと、お願いがあるんですけど……」
P「緒方さん……」
今僕の心を癒してくれるのは緒方さんしか……
智絵里「……鷺沢くんの事呼んで貰えますか……?」
……あいつやっぱ一回きちんと死んだ方が良いと思う。
……さて。
何はともあれ、まずは小日向を探さないとお話にならないな。
加蓮「げ、来た」
再開して早々酷い。
美穂「か、加蓮ちゃん。型抜きしに行きませんか?」
加蓮「おっけー。そんな訳で五十嵐、アンタは他所の女の尻でも追っかけてれば?」
P「随分なご挨拶だな、さっき鷺沢がナンパされ……してたぞ」
加蓮「何処」
P「鳥居付近」
僕がそう言葉にした頃には、北条さんの姿は無くなっていた。
恋する女の子は強い。
P「……さて、小日向」
美穂「わ、わたし門限が」
P「無い」
美穂「今日はお祭りなので……」
P「だったら尚更遅い筈だ」
美穂「……珍しいですね、君が強引なの」
P「うるさいな、必死なんだよ」
と言うか小日向。
なんとなくだけど、僕以外には全部の事情話してるんじゃないか?
美穂「……どうだと思いますか?」
P「そうだとしたら凄く辛い」
美穂「積年の怨みです」
P「勘違いだったんだろ?」
美穂「勘違いだったとしても、です」
……やめておこう。
ここで僕が捻くれたって、話は何も進まない。
P「……さ、デートだ。まずは親御さんに挨拶からだな」
美穂「そんなデートある?」
と、冗談は置いといて……
P「射的やりに行こうぜ。僕この日の為に家のエアガンで練習したんだ」
美穂「さっき加蓮ちゃんとやって来たから……」
P「……じゃあ金魚掬い。お望みとあらば全匹掬ってやる」
美穂「わたし、多分ちゃんとお世話出来ないから……」
P「……御神籤引く?」
美穂「お祭りである必要性が……」
P「…………型抜き、苦手なんだよな……」
美穂「なんで次わたしがやりに行こうとしたのはピンポイントで苦手なんですか……」
P「うるさい! やってやるよ! ほら腕組むぞ!!」
美穂「あ、浴衣崩れちゃうのでちょっと……」
リベンジ、早速失敗しそうな予感がする。
美穂「……だから……手くらいなら、握ってあげます」
P「汗凄そう」
美穂「ふんっ!」
小日向がいつも通り僕の足を踏み抜こうと足を振り上げた。
おいバカ、こんな人混みの中浴衣で片足上げたら……
美穂「きゃっ!」
近くを通り過ぎた人がぶつかり、小日向が倒れ込んで来た。
予定調和とも言える。
P「っと、セーフ」
勿論、僕も慣れている。
普段から僕の方へと倒れ込んで来る奴だったから。
倒れかけた小日向を支えつつ、そのまま引き寄せ腕を組んだ。
美穂「…………なんだか今の動き、すっごく洗礼されてませんでした?」
P「気のせいだろ」
良かった、小日向が倒れ込んで来た時に支えつつナチュラルに腕を組む練習しといて。
プンスカ怒りながらも付き合ってくれた響子には感謝しかない。
美穂「……あ、あと…………ありがとうございました」
P「今の割とカッコよくなかった?」
美穂「今ので大幅減点です」
仏頂面、照れ顔、苛ついた顔、満面の笑顔。
目まぐるしくコロコロ変わる小日向の表情を眺めながら、僕は沢山の屋台へとエスコートした。
分かっていた事ではあるが、小日向ってやっぱりすっごく可愛いんだよな。
勿論二日前の僕なら、だからと言って付き合いたいとか恋人になりたいなんて思いは微塵も抱かなかったけれど。
と言うよりも、だからこそ僕なんかが彼女の勘違いのせいで付き合ってしまうなんて事態を避けようとしての今な訳だが。
美穂「あのっ! やっぱりあのクマのぬいぐるみ取って下さいっ!」
P「任せとけ、一発で射止めてやる」
二千円かけて射的でぬいぐるみを落としたり。
美穂「あの金魚、怒ってる時の加蓮ちゃんに似てませんかっ?!」
P「でも胸が無い」
美穂「さようなら」
金魚掬いで勝負したり。
美穂「…………」
P「…………」
お互い無言で型抜きに熱中したり。
美穂「あっふ、あっっふいれふっ!」
P「ちゃんと冷ましてから食べぁっっっつ!!」
たこ焼きで口の中を火傷したり。
美穂「あっっっっふいっ!」
P「っふぁっふいっ!!」
お好み焼きで口の中を火傷したり。
美穂「熱くないって良いですね……」
P「あぁ、このアイス熱くない」
アイスキャンデー交換して食べたり。
喉自慢の音痴なおじさんの熱唱で笑ったり。
あんず飴落として僕の足べちゃべちゃになったり。
かき氷食べて舌の色見て笑い合ったり。
……なんだか、デートとかそんな事忘れて楽しんでた。
きっと小日向も、なんだろう。
自分で言うのは難だが僕はそこそこ鈍感な方なので、もしかしたら去年も一昨年も僕へと小日向はアタックしては砕けてたんだろう。
けれど今は、そんな恋心とか計算とか打算とか抜きに子供の様にはしゃぎ回って。
……こんな時間がずっと続けば良いな、って。
正直こんな時間が続くのであれば、別に僕は小日向と恋人にならなくたって良かった。
友達で、その中で誰よりも距離の近い幼馴染でいられれば良かった。
教室に行けば毎日会える様な、クラスメイトでいられれば良かった。
幼馴染でクラスメイトな、そんな小日向美穂と……
P「……さて、休憩がてら神社裏でも向かうか」
美穂「ふぁーい」
綿あめを齧りながらかき氷を頬張る器用な小日向と、少し静かな神社の裏手に回る。
更にそのまま林の方に向かうと石段があって。
知ってる人は少ないから、今年もそこは僕らだけの陣地で。
毎年此処で、祭りの最後に打ち上げられる花火を眺めてた。
P「っふぅ……疲れた」
美穂「年寄り臭いですよー」
P「まだ十六なんだがな」
美穂「じゃあわたしもおばあさんです」
そうはならない気もする。
……ふぅ。
現実逃避も程々に、聞かなきゃいけない事がある。
小日向も、もう気付いている。
僕がこれから、きちんと向き合おうとしている事に。
大きく息を吸い込んだ。
遠くの喧騒が、少しだけ静かになった気がした。
きちんと、お互いに目を見て。
これから、僕は……
P「……小ひにゃ」
美穂「…………」
P「…………」
…………死にたい。
緊張し過ぎて噛んだ。
本っっっ当に恥ずかしい。
人生でも屈指の人生の汚点だ。
人生の汚点を人生以外で作れないから当たり前だが。
美穂「…………」
P「…………」
美穂「…………」
P「…………」
美穂「…………ふふっ……」
一拍。
まるで、打ち合わせたかの様に。
P・美穂「「っふふふふふふっっっ、っあっはっははははっっ!!」」
僕らの笑い声が、林中に重なって響いた。
美穂「こひにゃ! こひにゃって誰ですかっ?! っふふふふっっっ!!」
P「うるせぇぇぇぇぇぇっっっ!! 今のはほんと無かった事にしてくれないかなぁぁぁぁ!!!!」
美穂「カッコつけといてっ! ちょっと良い雰囲気作っておいて! こひにゃ! こひにゃですかっ!!」
P「…………こひにゃ」
美穂「っっっ! キメ顔っ!! ズルイっっっ!!!!」
しばらく持ちネタに出来そうだ。
出来れば墓場まで持って行きたいが。
遠くから聴こえてくる喉自慢の演歌がbgmとして良い味をだしてる。
P「……帰る」
美穂「待ってくださいっ! こひにゃた美穂さんは優しいのでもう一回チャンスをあげますからっ!!」
P「お前ほんと……」
バカにするのも程々にして欲しい。
今いい感じにメンタル磨り減ってるから。
P「……で、何があった?」
美穂「うーん……別に今更隠す必要は無いので話しますけど……」
一回、大きく息を吸う。
……あぁ、これは碌でもない話だ。
美穂「…………わたし、アイドル始めるんです」
そう言った小日向の目には。
まだ、迷いがあった。
P「…………アイドル、か……」
知らない訳が無い。
歌や踊りでテレビで活躍する、若いタレントみたいな仕事だった筈だ。
ドラマに出たり、写真集を出したり、ライブをやったり。
そんな、誰もが一度は憧れた存在で……
P「小日向が? アイドル?」
美穂「むっ、バカにしてますか?」
本気で言ってるのか?
引っ込み思案で、臆病で、なのに時折勇猛果敢で。
ひたすらに真っ直ぐで、傷付きやすくて、優しくて、バカで。
アホ毛で、恥ずかしがり屋で。
人一倍誰かの事を考えられる奴で、なのに自分の事となると途端に弱くなって。
……僕が知る限り、一番可愛い女の子なら。
P「……頑張れよ、小日向」
絶対、上手くいく。
僕は絶対、応援する。
美穂「……はい、頑張ります!」
P「あだ名にこひにゃって使って良いぞ」
美穂「絶対イヤです」
P「……アイドルか、ヤバイな……テレビで小日向が全国放送されるのか……」
美穂「嬉しいですか?」
P「…………あぁ、勿論」
そんな訳あるか。
嫉妬に狂うに決まってる。
最近の自分のよく分からない感情に、ようやく名前を見つけられたんだ。
日本中の男性が小日向を見るならその目を潰すってハンムラビ法典にも書いてあったぞ。
美穂「…………今日、君とデートして……やっぱり思ったんです。わたしは本当に、君の事が好きじゃなかったんだって」
P「……デートの点数は?」
美穂「減点式なら0点です」
P「……手厳しいな」
美穂「どんどん減ってって、こひにゃで0点になりました」
P「……無かった事にしてくれると嬉しい」
美穂「それでも赤点です」
P「……ま、そうだよな」
美穂「……はい」
自分でも分かってた。
リベンジは、お世辞にも良いデートとは言えなかった。
グダグダだし、あまりカッコいいところ見せられなかったし。
っていうか多分序盤必死なの本当に見苦しかったと思う。
美穂「……でも……」
えへへ、とはにかんで。
小日向美穂は、花火の様に笑顔を咲かせた。
美穂「……加点式なら、花丸です」
P「……加点式とか減点式とか、よく知ってたな」
美穂「こひにゃ」
P「僕の負けだ」
勝ち目は無さそうだ。
美穂「……だから今は、君の事が好き」
P「お、やったね」
美穂「必死になって空回りしたり、カッコつかなかったり……でも、そんないつも通りのキミも……わたしは、好きかな」
ひとまず、ひと段落。
僕の方の課題はクリア。
……本題は。
きっと、ここからだ。
美穂「…………何か、言わないんですか?」
P「動物に纏わる豆知識で良ければ」
美穂「……遠くに行っちゃうかもしれないんですよ?」
P「……応援してるよ」
美穂「……学校にも、全然行けなくなっちゃうかもしれないんですよ?」
P「ちゃんと席掃除しといてやるよ」
美穂「…………今までみたいには会えなくなっちゃうかもしれないんだよ?」
P「……でも、テレビとかラジオで」
応援するんだ、僕は。
例え何があっても、例えファンが僕だけだったとしても。
必ず、小日向を応援して、背中を押して。
かつて自分で決めた、『小日向の為』をこれからも守る為に。
……って言うかそれ知ってれば、僕はこんな好きだとか言ったりデートとかしなかったんだけど。
美穂「…………わたしは……? わたしの気持ちは……?」
P「……アイドル、やるんだろ」
美穂「…………止めてよ……引き留めてよ……」
P「……僕は、小日向の事が大切だから。邪魔したくないんだ」
美穂「……分かってよ…………分かってよ!!!」
そこから先は、ただひたすらに思いが溢れただけだった。
美穂「今更好きとかずるいよ! わたしずっと片思いだったんだよ?! この数年間ずっと! そのくせわたしが諦めようとしたら突然好きだったなんて言うとかあり得ないよ!!」
美穂「どうせ君は分かってるんでしょ?! わたしが君を諦めた筈が無いって! 諦められる筈が無いって! だからそんな事言ったんじゃないの?!」
美穂「ふざけないでよっ! 大好きだったんだもん! ずっと! 君の事が!!」
美穂「好きじゃないなんて言葉もウソですよ! それも分かってたんですよね? 分かってくれてたよね?! だったらその時言ってよ!」
美穂「君の事が好きじゃないって勘違いしたかったの! でも出来なくてっ、そのくせ君はわたしの恋心だけを勘違いにしようとするんだもん! そこは普通に怒ってるよ!!」
美穂「勘違いだったかもしれないよ? 最初はっ、きっかけはそうだったかもしれないですけど!」
美穂「でもっ! それからずっと一緒にいてどんどん好きになって! ずっと好きだったって気持ちまで……勘違いな訳無いじゃないですか!!」
美穂「……だからっ、今も分かってよ! 引き留めてようとしてよ! そしたら! わたしは……っ!!」
P「……小日向、僕は……」
美穂「……そうやって君は……自分だけ涼しい顔して……結局わたし一人だけがまたこうやって空回りしちゃってるんだもん……」
P「……違う、小日向……っ」
美穂「もういいですっ!!」
ダッ、っと。
僕が手を伸ばすよりも早く、小日向は祭りの方へと走って行った。
浴衣なのにお速い事で、それでも僕の方が早いっ!
卯月「あ、五十嵐君! ゴミはちゃんと捨てなきゃダメですよ!」
P「……これ小日向の……あ、はい」
あいつが残した綿あめの割り箸とかき氷の容器をきちんとゴミ箱に捨ててから、僕も走りだした。
ドンッ!!
祭りも終盤宴もたけなわ、今になって花火が上がりだした。
そのせいでお祭りは更に熱気を増し、人は尚更ギュウギュウになる。
小日向の姿は見当たらない、けれどあのまま走ってると怪我をしかねない。
……なんとかして、小日向を探さないと……
賽銭箱前、居ない。
ベンチ、居ない。
北条さんの近く、居ない。
どこ、ほんとどこ。
多分あいつは、本気で逃げてる。
僕が普通に叫んだ程度じゃ、止まってくれない。
そして今、逃したら。
きっともう、お互いに伝え合う機会なんて……
P「……新田!」
新田「ん、なんだ? 浴衣の女子大生ナンパなら付き合うぞ」
P「……喉自慢、まだエントリー出来るかな!」
嫌い! 嫌い! 嫌い!
君なんで大っ嫌いです!!
好きになって、大好きになって。
ようやく好きじゃなくなった筈なのに、余計に大好きになっちゃって。
だから、大っ嫌いっ!!
わたしの事分かってくれるくせに、肝心な時だけ全然分かってくれなくて!
分かって欲しい事だけは分かってくれなくて。
そのくせ自分はきちんと分かってるみたな。
わたしの為みたいな、そんなわたしが言い返せない事ばっかり言って……!
ドンッ!
花火が上がり始めたみたいです。
でも、そんなの見る気分じゃありません。
人混みを掻き分けて、わたしは神社の外へと目指します。
もう、早く帰りたかったから。
……引き留めて欲しかったのかもしれません。
本当は、追い付いて、わたしの事を止めて欲しかったのかもしれません。
分かんないですけど、今わたしが本当はどんな事を求めてるかなんて。
……だから、君だけは分かっていて欲しかったのに……!
神社の出口、鳥居が見えて来ました。
あれを潜り抜ければ、今みたいな人混みは無くなって。
わたしは、もう完全に逃げ切れちゃうんですよ?
……なのに、君は追い掛けてくれなくて。
あと一歩で、神社の外で。
君は結局、追い付いてくれなくって……!
美穂「…………もうっっ! 君の事なんてっ! 大っっ」
P『小日向ぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!』
キィィィンッッ!
美穂「えっ…………っ?!」
神社内の各所に取り付けられたスピーカーから、ハウリングと聞いた事のある声が響きました。
P『ボリュームでっかっっ! 耳いてぇ!!』
……な、何をしてるんですか……?
P『どうせまだ居るんだろ! 居なかった場合とんでもなく恥ずかしいから居て欲しいなぁ!!』
そんな『居ない人は手を挙げて』みたいな……
ザワザワって、神社内がどよめきました
それもそうです、花火が上がってみんな鑑賞に夢中になってた筈なんですから。
P『ふぅぅー…………小日向美穂さんっ!!』
美穂「はっ、はいっっ!!」
思わず返事しちゃいました。
周りの人達がわたしの方を驚いた目で見てきます。
……どうせこっちの声なんて届く筈が無いのに。
それでも、わたしは立ち止まっちゃって。
P『……気付かないフリしてたのは本当に申し訳ないと思うし! もっと言うとフリじゃ無くて本当に気付いて無かったって言ったら怒るだろうから言わないけど!!』
美穂「言ってるーー!! 言っちゃってる! 言っちゃってますよー!!!!」
P『密着されてもドキドキするってより、女の子としてどうなんだろうって心配する事の方が多かったけど! 毎朝起こしに来てあげてるとか言う癖に、いつも僕が起こす羽目になるのどうかと思うけど!!』
美穂「それ今叫ぶ必要ありますかっっっっ?!」
これ以上わたしの恥を他の人に知られる訳にはいきません。
急いで翻して、神社中央のヤグラに向かって走り出しました。
P『そんな! 面倒な幼馴染で! 隙だらけなクラスメイトな! そんな小日向美穂と……ずっと一緒に! 誰よりも側に居たかったから!!』
美穂「……だったら……言ってよ! 叫んでよ! 愚痴とかじゃなくて! 失言とかじゃなくて!!」
P『……何があっても、僕が小日向にとって一番近い場所に居たいから! これから会える機会が少なくなっても! 邪魔しないように! 小日向の事を見守っていたいから!!』
美穂「言い訳とかいらないから! 聞かせてよっ!」
P『……っ! それでも! やっぱり僕はっっ!!』
美穂「君の気持ちを……っ! 素直な気持ちを!! わたしへの想いを叫んでよっっっ!!」
P『っっ僕はっ!! 小日向の事が大好きです!! もし今この場にまだ居てくれて、僕の想いを聞いてくれていたなら!! 僕と! この夏だけでも! 付き合って下さいっっ!!!!』
一瞬、神社全体が静かになって。
その瞬間だけは、花火の音も聞こえなくなって。
夏の全てが、凍っちゃったみたいで。
そんな時間を溶かしたのは、わたしの、わたしより先にステージで熱演しちゃったPくんへの素直な想いでした。
美穂「他の人に迷惑です!!」
P『……喉自慢だし、これオリジナルソングって事にならないかな』
そんな恥ずかし過ぎるオリジナルソングはやめて下さい……
美穂「……会えなくなっても良いの?!」
P『会いに行くから!!』
近くで聞くと、想像以上にうるさい音でした。
それでもヤグラの真下なら、この場所なら。
わたしの返事も、想いも、君に届けられるから。
美穂「止めてくれないの?!」
P『どうせもう色々決定してるんだろ?!』
美穂「そうだけど!!」
P『それで……返事、貰えるか?』
……もちろんです。
わたしの気持ちなんて、とっくに決まってます。
君が抱くより、ずっと前から。
君が勘違いしてると思い始めたよりも、きっと前から。
美穂「……わたしもっ!」
ドンッ!
止まっていた時間が動き出したかの様に、花火がまた上がり始めました。
でも、わたしの声は、想いは。
そんな音じゃかき消せないくらい、大きいから。
止まったままの恋心を、前に進める為に。
美穂「誰よりも側に居たいです! もっと見てたい! 素直になりたい! Pくんの笑顔を、想いを! わたしだけに向けて欲しいから!!」
すーっと。
大きく、息を吸って。
美穂「ーーPくんの事が大好きですっっ!! この夏だけなんて言わないで! わたしと! ずーっと! 付き合って下さいっっ!!!!」
やっと……言えた! 伝えられました!
恥ずかしさと嬉しさと、もう自分でも分からない気持ちがゴチャ混ぜになって涙が出ちゃいましたけど。
それでも、ようやく。
勘違いは、あまりにも場違いな告白で本物になってくれて。
静寂は、一秒にも満たなかったと思います。
「「「「「ふぅぅぅぅぉぉぉぉぉうっっっ!!」」」」」
神社全体が叫んだみたいに、歓声が巻き起こりました。
大量の花火がひたすらに広がって、夏の夜空を恋の色に染め上げます。
P『…………ごめんっ!!』
美穂「…………えっ?」
「「「「「は?」」」」」
……えっ?
断られた……?
自分から告白しておいて、返事まで求めておいて。
なのに、振ったんですか……?
P『うるさくて聞こえなかった! もう一回言って貰えない!?』
……もう一度だけ。
わたしは大きく、息を吸い込んで…………
美穂「二回も言える訳無いでしょっっ!! ばかぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
夏祭りは節分に姿を変えて。
Pくんに向かって投げつけられた大量のゴミや小銭やスーパーボールや風車は。
今だけは、結婚式のフラワーシャワーみたいに輝いて見えました。
ピピピピッ、ピピピピッ
目覚ましのアラームで目を覚ませば、窓から既に朝陽が射し込んでいた。
自ら温もりを手放さなければならない事実に恨みを募らせながらも、僕は布団を捲り上げる。
……もちろん、布団の中に僕以外の誰かが居る訳も無い。
思い切り布団を足元までまくり、寒さに備える為制服に着替える。
十月になった朝の空気は、余りにも人間に優しくない。
これで十二月とかになったらどうなってしまうのだろう。
すぐ来年になっちゃうんだろうな。
あと師走でよく思うのが、師を走らせるなよ、と。
P「…………ふぅ」
こうして静かな朝を迎えるのも、もう慣れた。
一学期以前だったら、もっとうるさく又は騒がしい朝を迎えていたのだけれど。
うるさいも騒がしいも似たような意味か、寝起きだからまだ思考にキレがない。
頭のキレる最近の若者達を目指して頑張ろう。
コンコンッ!
響子「お兄ちゃん、朝ご飯出来てますよー」
P「はーい、すぐ行くから」
……ふぅ、今日も寒そうだ。
そろそろブレザー着ようかな。
鏡の中の僕はまだ眠そうな顔をしている。
ぱんっと頬を叩いて、根気入れて冷たい水に手を伸ばす。
顔を洗って歯を磨いて、暖房の効いたリビングへ。
テーブルには既に朝ごはんが並べられていた。
P「……ん? 辛子なんて僕使わないぞ」
響子「……あ、そっか……」
使わない物は冷蔵庫へ。
調味料長持ちの秘訣である。
ところで辛子って要冷蔵だったっけ?
響子「それで、最近学校で話題のラブ師匠なんですけど……」
P「そんな奴居るのか、そう呼ばれて恥ずかしくないのかな」
二人で食べる朝ごはんも、もう慣れた。
いや、元々慣れるも何もそうだったんだ。
響子「……お兄ちゃん、元気無いですよね」
P「そうでも無いさ」
響子「ほんとですかー? 素直になれば私が慰めてあげるんですよー?」
P「いやほんと、まだ眠いだけだ」
二学期入ってから、響子が随分と僕を揶揄う様になって来た。
いや、正確には八月のあの日からだけれど。
P「……ところでラブ師匠って女の子? 可愛いのかな」
響子「噂によると醜さと汚さの塊らしいです」
P「可哀想過ぎるだろ噂もあだ名も」
新田「あーあ、何が衣替えだよ。おっぱいが遠ざかっちまうじゃねぇか」
鷺沢「じゃあお前ブレザー着るなよ?」
加蓮「はー……ほんと、男子って馬鹿ばっかだよね」
智絵里「え……加蓮ちゃんって男の子だったんですか……?」
いつも通りの教室。
僕はさっさと荷物を置いて、寝る。
机は良い、うるさくないから。
二学期に入って席替えをしたから、僕の席は窓際後ろから二番目。
窓の外から吹き込む朝の空気がめっちゃ寒いなんで窓開いてるの。
卯月「二十五分までは換気しなきゃいけないって決まりがあるんですっ」
P「あ、おはよう島村さん」
……やっぱり島村さんはブレザー着てる方が可愛いな。
あの生地の下には、抑え付けられたおっぱいが二つもあるのか。
僕もブレザーになりたいな。
……ダメだ、その下にはシャツとセーターとブラが立ちはだかってる。
新田「よう五十嵐。元気か?」
P「元気だよ昨日も会っただろ、今僕は『たちはだかる』って言葉の響きに心を打たれてるんだ」
新田「心配して損したわ」
P「誰も頼んで無いだろ」
いつも通りとは言ったが、二学期に入って僕の周りは多少変わった。
教室にいると、やたら心配される様になった。
あの日の僕の告白は殆ど全員が知ってるだろうから、二学期入ると同時にからかわれまくると思っていたのたけれど。
なんだか……こう、気遣いが心地悪い。
鷺沢「……五十嵐、これやるよ。寂しくなったら使え」
P「なんだこれ」
鷺沢「テンガ」
P「滅びろ」
慰め方がとても不器用。
というか教室でそんなもん渡すな。
加蓮「捨てられてないと良いけどね」
智絵里「か、加蓮ちゃん……」
新田「そうだぞ五十嵐、お前使わないなら俺が貰ってやる」
鷺沢「絶対加蓮が言ったのは意味違ってるから」
……そして。
卯月「…………美穂ちゃん、今日も来れないんですね……」
加蓮「…………」
智絵里「…………」
新田「…………」
鷺沢「…………」
僕のとなりの席は。
二学期に入ってから、一度も座られていなかった。
新田「ほんと、からかい辛いからお前さっさと元気出せよ」
P「いや単に眠いだけなんだって」
鷺沢「元気出せよ、ソープでも行くか?」
P「行きた……あぁいや、高校生って行けるのか?」
鷺沢「まぁ俺は行かないが」
P「なんで誘った、僕も行かないが」
新田「はーっ、これだから妻帯者はよぉ!」
頭の悪い会話をしながらのお昼休み。
野郎三人で机を寄せ合って食べるお弁当はなんとも悲しい。
以前だったらここに小日向も居たのだが。
どうやら残念ながらあいつは今日も仕事らしい。
新田「にしても凄いよな。デビューしたてでもう新曲出すんだろ?」
P「随分凄い大手の事務所なんだとさ、専属のマネージャーとかプロデューサーとかがつくとか」
鷺沢「取られないと良いな、小日向の事」
P「女性だってよ、担当さんは」
新田「今や恋愛に性別なんて関係の無い時代だぞお前」
P「んでレッスンとオーディオ受けつつ撮影やったり収録したりと大忙しらしい」
鷺沢「二学期入ってから一回も来てないからな……寂しいんだろお前」
P「…………別に」
鷺沢「連絡は?」
P「殆ど来ない」
新田「…………」
鷺沢「…………」
P「……なんだよ」
新田・鷺沢「「…………ソープ、行くか?」」
新田「なぁほんとにソープ行かないのか? 行こうぜ! 元気とか色々出るぞ!!」
キャッチの兄ちゃんみたいなテンションの新田と歩く帰り道。
こいつどんだけ飢えてるんだよ。
普通に怖いよ。
そんなに行きたいなら一人で行ってこいよ。
小日向と二人で帰ってたあの頃がどれほど平和だか良く理解した。
カムバック小日向、今ならカムバックログインキャンペーンやってるぞ。
新田「……はっ、恋人いるのにますかくしか能のないチキンが」
P「お前一人で行くのが不安なだけだろ」
新田「…………怖くない?」
P「分かるけれども」
新田「不安は仲間と分かち合うもんだろ」
P「喜びを分かち合えよ」
新田「悦びなら」
P「……お一人でどうぞ」
新田「……お前、本当に元気無さそうだな……悪い」
……いや、だから本気で心配されても困るんだって。
本当にただの寝不足だから。
新田「……良い店探しとくから、必ず行こうな」
P「行かないって言ってんだろ」
新田と別れて、一人で歩く帰り道。
あぁ……寒い。
こういう時隣に恋人がいれば、身も心も温まれたろうに。
カイロ、そろそろ使おうかな。
何事もなく、一日が終わった。
特に面白くもなんとも無い一日だった。
というか、ひたすらに眠かった。
睡魔……スイマー……大して面白い事は言えなさそうだ。
それもこれも、全部……
P「……ただいまー」
家の扉を開けて、ただいまの挨拶。
家の内側から、外よりは温かい空気が流れ出てきて。
二階の部屋から、扉の開く音がして。
ドンドンドンドンっ! とうるさい音が降りて来て。
その音源は一直線に、僕へと向かって突っ込んで来た。
美穂「おかえりなさいっ、Pくんっ!!」
P「痛いっ!!」
ギュゥゥっと、抱き着かれると、人は死ぬ(575)。
いつになったらこいつは力加減というものを覚えてくれるのだろう。
美穂「もうっ、Pくん。ただいまの挨拶はただいまですよ?」
P「凄い、何も言ってないのと同義だ」
美穂「寒いので早く部屋に戻りませんか?」
P「凄い、何も言ってない事にされた」
小日向に腕を引っ張られ、階段に躓きながら部屋に拉致された。
まさか自分の部屋に拉致される日が来るとは本当に思わなかった。
美穂「はい、Pくんっ!」
P「はい、なんでしょうか」
美穂「わたしはずーっとPくんの帰りを待ってました」
P「僕はずーっと学校に居たけど」
美穂「帰って来てよ!!」
P「帰って来たよ!!」
美穂「……おかえりなさいっ!!」
P「勢いで誤魔化せると思うな」
美穂「……ぎゅ、ぎゅぅぅぅぅっっ!!」
P「だから苦しい」
美穂「幸せ過ぎてですか?」
P「いや物理的に」
美穂「……つ、つまりそれって……わたしの胸がPくんに密着しちゃってるからって事……だよね……?」
P「いや、別に…………まぁそれで良いか」
夏祭りのあの日、僕はてっきり小日向が何処か遠くの街に行ってしまうものだと思っていたけれど。
どうやら別にそんな事は無く、引っ越しも特に無かったらしい。
確かにこいつ、引っ越すとは言ってなかった。
けれども色々とスケジュールが詰まっていて学校にはしばらく殆ど来れないと聞いた時はやっぱり悲しくなったが。
こいつ、多分あの日以降殆ど毎日僕の家に来てる。
仕事の方が終わるとすぐうちに来ると言ってたけど、それアイドルとして大丈夫なんだろうかと不安にもなる。
事務所曰くバレないようにとの事らしいが、まぁそれはそれとして、そんな訳で。
僕が帰れば小日向が僕の部屋に居て。
僕の帰宅時点で居なくても大体夜勝手に入ってくる。
時間帯が朝から夕方や夜に変わっただけの、以前と殆ど変わらない小日向との距離が此処にはあった。
そのせいで僕が寝不足気味連日記録を更新し続けてるわけだけど、こいつにとっちゃそんな事はどうでも良いのだろう。
美穂「学校も行きたいんですけど、最初の三ヶ月は本当に色々と大変なので……」
P「ふーん」
美穂「……もうちょっと興味持ってくれませんか?」
P「……なぁ、小日向」
美穂「もー、Pくんっ。せっかく恋人になったんですから美穂って呼んでくれても良いんですよっ?!」
P「あぁいや、それは今は」
美穂「…………呼んでくれないんですか?」
P「……いや、だからさ……」
美穂「……Pくん……ほんとはわたしの事好きじゃないんですよね……」
P「…………美穂」
美穂「……えへへ……ふふふ……はいっ! Pくんの恋人の小日向美穂ですっ!」
P「……なぁ、一つ聞いて良いか?」
美穂「82です!」
P「聞いてないから」
美穂「…………そうだよね……卯月ちゃん達くらいないと、Pくんは満足してくれませんよね……」
P「…………してるよ……」
美穂「……えっち」
P「言わせた奴が何を」
いや、そんな罵倒は別に良いんだ。
そっちでは無い。
今聞きたいのは、小日向に尋ねたいのは。
お前のバストサイズでも生理周期でも好みの体位……ごほんっ。
P「…………このダンボールの山、何?」
美穂「わたしの私物ですっ!」
P「…………そう」
もうオチが読めた。
P「…………響子ー! お客様がお帰りになるってよ!!」
美穂「やだっ! 住むーっ! 住むのーっ! わたしPくんのお部屋で暮らすんだもんっっ!!」
幼馴染
幼い頃に親しくしていた友達の事。 英語で書くと old playmate
同性・異性を問わない「友達」を指す。
けれど一般的には幼馴染という単語を聞くと異性の相手を思い浮かべる人が多く。
こいつに至っては、もはやそのレベルじゃない誤認をしていて……
美穂「だって幼馴染ですよっ?!」
P「そこ恋人ですよじゃないのかよ!」
余りにも近過ぎる距離感は、けれど幼馴染だからという言葉で全て解決させられ。
それでも僕が反論すると、今度はそこで恋人なのにと納得させられる。
あんまり以前とそんなに変わっていない気もするけれど。
美穂「じゃあ恋人だから同棲しても良いんですよねっ?」
P「……一部屋貸すから」
美穂「この部屋で良いのに……」
P「僕のプライベートとは」
美穂「わたしとの恋人生活って意味ですっ!」
幼馴染は恋人に。
クラスメイトはルームメイトにランクアップした。
……まぁ、良いか。
美穂「……ところで、これってテンg」
P「ごめんなさい」
fin
以上です
お付き合いありがとうございました
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