ティオナ「アルゴノゥト君……食べていい?」ベル「ダ、ダメですよっ!!」 (20)

ティオナ「ねぇねぇ、アイズ」

アイズ「なに、ティオナ?」

ここはロキ・ファミリア本拠、【黄昏の館】。
団員達の憩いの場である広々とした大広間にて、一際目を惹く2人の美少女が紅茶を飲みながら和やかに歓談していた。実に絵になる光景。

話しかけたのは、ティオナ・ヒリュテ。
褐色の肌が特徴的なアマゾネスの女の子。
ロキ・ファミリアの幹部であり《大切断》の異名をオラリオに轟かす、Lv.6の第一級冒険者。
泣く子も黙る、ヒリュテ姉妹の片割れである。

姉ティオネの姿はここにはなく、彼女は現在、愛しのロキ・ファミリア団長、《勇者》フィン・ディムナの執務室で甲斐甲斐しく彼の世話を焼いている。ティオネは彼に恋をしていた。
とはいえ、残念ながらフィンにはあまり相手にされてないらしい。今後の進展に期待しよう。

そんな絶賛片思い中の姉のことは、さておき。
今日はファミリアの休日で、探索はお休みだ。
団長であるフィンは雑務に追われて忙しそうだが、他の幹部達はそれぞれ身体を休めていた。

しかし、休みと言われても正直暇で仕方ない。
というわけでティオナは、同じく暇を持て余している様子の《剣姫》アイズ・ヴァレンシュタインに、前々から気になっていたことを尋ねてみることにした。特に何も気にせず、直球で。

ティオナ「あのさ、アイズってさ、もしかしてアルゴノゥト君のことが好きなの?」

アイズ「ぶっ!?」

飲みかけの紅茶を盛大に噴き出すアイズ。
普段物静かな彼女からは想像出来ない反応。
これにはティオナも目を丸くして驚いた。

ティオナ「ど、どうしたの、アイズ?」

アイズ「……ティオナがおかしなこと言うから」

ティオナ「なんで? なんかおかしかった?」

アイズの非難の視線もどこ吹く風。
ティオナは首を傾げてキョトンとしている。
色恋沙汰に対して興味関心が強い傾向のあるアマゾネスにしては、彼女はとても鈍感だった。

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とはいえ、アイズもまた、非常に鈍感であり。

アイズ「そういうの、私にはよくわからない」

本心から、そのように返答して茶を濁した。
もちろん、彼女とて考えた末の結論だ。
考えても、考えても、答えなど出ない。
《剣姫》の異名からもわかる通り、これまでアイズは剣の道に没頭してきた。恋愛経験は皆無。
絶対的に経験値が不足していた。Lv.0である。
なので、そう答えるしかなかったのが実情だ。

ティオナが口にしたアルゴノゥト君とは、ヘスティア・ファミリア団長、《白兎の脚》ベル・クラネルのことだ。真っ白な頭髪で、赤目な男の子。
アイズは彼がまだ駆け出し冒険者の頃に知り合って、それからたびたび接する機会があった。
どうにも放っておけず、つい手を差し伸べたくなるような少年だった。良い子、だとは思う。

しかし、彼に対する感情の正体は不明である。

もちろん興味はある。なにせ成長速度が速い。
最速でLvを上げ続けて、あっという間にLv.4。
並みの冒険者ならば10年かかっても不可能だ。
強さを求めるアイズはその秘訣が気になった。
しかし、それも今となっては形骸化している。

ベル・クラネル自身の魅力に、惹かれていた。

どうして強くなったのか、その答えは簡単だ。
あまたの強敵と対峙して、それを屠ってきた。
そしてその経験を糧として、力を手に入れた。
たしかに、その成長速度は常軌を逸している。
それでも、彼の偉業は、純然たる事実である。
故に、強くなった。ただ、それだけのことだ。
シンプルで且つ、明快な雄姿に目を奪われた。

そんなベルを、アイズは好ましく思っていた。

ティオナ「よくわからないって言うけどさー。何度もあの子の修行を手伝ってあげてるよね」

アイズの返答に対して、異を唱えるティオナ。
上目遣いで探るような視線を向け真意を問う。
たしかにベルには戦闘の手ほどきをしてきた。
強くなることを望む彼の助けになりたかった。

それに、膝枕もしてあげたかったし。

とはいえ、それが恋愛感情かは不明である。
そもそも、修行内容はただの戦闘訓練なのだ。
別に逢瀬を重ねていたわけではない。訓練だ。
たまに、一緒にお昼寝なんかもしたけれど。
それでも、だからと言って、デートではない。

だいたい、ベルは他の子とデートしてるし。

主神である胸の大きな可愛い女神様とか。
ハーフエルフのギルド職員の女の子とか。
パルゥムの女の子とか、獣人の女の子とか。
いつも見かけるたびに、別の女の子と居る。

あの子はわりと節操がないのかも知れない。
先程良い子とは言ったものの、悪い子かも。
そういうのは、よくないと思う。浮気はダメ。
もっと一途に、ひとりの女性を愛するべきだ。

このモヤモヤした感情の根源も、不明だった。

これが俗に言う嫉妬なのかも知れないけれど。
どうにも理由がわからない。根拠が乏しい。
このモヤモヤが恋愛感情に基づくものなのか、はたまた可愛いペットに対するものなのか。
大事に育てた白兎を奪われたくない一心ならば、それは恋愛感情からはかけ離れている。

というか、ティオナだって一緒に修行したし。
それで疑うのならば、彼女だって同じだろう。
だからアイズは、逆にティオナに聞いてみた。

アイズ「そう言うティオナは、ベルのことをどう思っているの?」

ティオナ「へ? あたし?」

面食らった様子のティオナ。しばらく悩んで。

ティオナ「うーん……アルゴノゥト君のことは好きだけど、それが恋なのかはよくわかんないや」

それみたことか。アイズは溜飲を下げた。
どうやらティオナも自分と同じレベルらしい。
仲間を見つけて、ほっと胸を撫で下ろすも。

ティオナ「わかんないから、行ってくるね!」

ガバッと、突然立ち上がるティオナ。

アイズ「行くって、どこに?」

ティオナ「アルゴノゥト君のとこ!」

アイズ「えっ? ちょっと、待っ……」

ティオナ「行ってきまーすっ!!」

アイズの制止になど一切聞く耳を持たずに。
ティオナは手ぶらでホームから飛び出した。
取り残されたアイズはこの後、自由奔放なティオナが彼に何か迷惑をかけないかとヒヤヒヤすることになるのだが、彼女が飛び出したおかげで聞き耳を立てていた他の男性団員達はベル・クラネルを襲撃しに向かう機会を逸していた。
ベルにとっては、まさに九死に一生である。

その代わりにティオナ・ヒリュテが来襲した。

ティオナ「アルゴノゥト君! あーそーぼっ!」

場面は変わって、ここはヘスティア・ファミリアの本拠である、【竃火の館】前の大通り。
ロキ・ファミリアの【黄昏の館】と比較しても見劣りしない、立派な造りの大きなホームだ。
これでもティオナなりに気を遣って、流石に他派閥のホームに土足で踏み入るような真似はしなかったのだが、第一級冒険者である超有名人の彼女が大声で他派閥の団長の名を呼べば、近隣住民達が何事かと驚いて、飛び出してくる。

もちろんその中には暇を持て余した神々の姿も多数散見することができ、彼らは口々に「戦争だー!」、「ロキ・ファミリアがヘスティア・ファミリアに戦争遊戯を仕掛けに来たぞー!」などと根も葉もない噂を広げ、風評被害が拡大。

これには堪らず、ベル・クラネルが姿を見せた。

ベル「ティ、ティオナさん!? 突然どうしたんですか!? 何かあったんですかっ!?」

ティオナ「えへへ。遊びに来ちゃった」

顔面を髪と同じ蒼白にしたベルが尋ねると、騒ぎの発端である褐色少女は、テヘペロと舌を出す。
その無邪気なあどけなさに脱力していると、いきなり強烈な力で腕を引かれて、攫われた。

ティオナ「よし! それじゃあ、いっくぞー!」

ベル「い、行くって!? どこへっ!?」

ティオナ「ダンジョンに決まってるじゃん!」

ベル「なんで!? どうして!?」

ティオナ「つべこべ言わずに走れ走れーっ!」

ベル「そんなぁぁぁ……」

ベルの困惑した悲鳴が虚しく響き、消えた。
あっという間に、連れ去られてしまった。
ヘスティア・ファミリアの面々は何かと苦労が絶えない団長を偲び、苦笑しながら見送った。

ベル「とにかく事情を説明してください!」

ティオナ「あははー。いきなりごめんねー」

薄暗いダンジョンにこだまする、ベルの糾弾。
しかし、ティオナはどこ吹く風。誤魔化した。
まさか自分の感情の正体を知る為とは言えず。
とりあえず謝罪をするとベルはため息を吐き。

ベル「まあ、ティオナさんにはこれまで沢山お世話になっているので、とやかく言いません」

ティオナ「お! さっすが、アルゴノゥト君!」

ベル「ですが、ダンジョンに潜るのでしたら、装備くらいは整えさせてください。だって僕はいま、護身用のナイフしか持っていないんですよ? もしも何かあったらどうするんですか」

着の身着のまま連れ出されたベルは丸腰だ。
一応、護身用のナイフは持って来てあるが、神様のナイフはおろか、防具や、ポーションなどの回復アイテムはひとつも用意していない。
それなのに、更に軽装のティオナは笑って。

ティオナ「へーきへーき! あたしなんて手ぶらだよ? そんなに深く潜らないから安心して!」

言葉通り、獲物を持たない素手を振って。
グチャッと、何かが粉砕される音が響き渡る。
目をやると、ゴブリンの頭蓋が砕けていた。
うん。たしかにこの人ならば、平気そうだ。

ベル「僕はあなたよりも弱いんですよ?」

ティオナ「アルゴノゥト君なら大丈夫!」

根拠不明の太鼓判。完全に買いかぶっている。
それでも何故か、自信満々に言い切られると。
その期待に応えなければとそう思ってしまう。

ベル「わかりました。探索に付き合います」

ティオナ「ありがとね、アルゴノゥト君!」

僕は、この人の天真爛漫な笑顔に、弱かった。

ティオナ「アルゴノゥト君!」

ベル「なんですか、ティオナさん?」

ティオナ「手、繋ごっ!」

まもなく10階層に差し掛かる頃合い。
なんとか護身用ナイフで敵を倒すと。
満面の笑みで、ティオナさんが要請してきた。
手を、繋ぐ? ダンジョンの中で? なんで?
ちょっと僕には、その意味がわからない。

ベル「なぜ手を繋ぐ必要があるんですか?」

ティオナ「繋ぎたいから! ……ダメ?」

ダメじゃない。
というか、ダメなんて言えない。
拒否権を失うくらい、おねだりが可愛いから。

ベル「ぼ、僕なんかでよろしければ……」

ティオナ「やったー!」

おずおずと差し伸べると、ぎゅっと握られた。
普段は大双刃を獲物としているティオナさんの手のひらは、信じられないくらい柔らかく、そして驚くほど小さくて、改めてベルは、神の恩恵による神秘を思い知らされた。神様すごい。

ティオナ「よし! どんどん行くよー!」

ベル「は、はい! でも、この先で敵が出てきたらどうするつもりですか?」

ティオナ「そんなの片手で戦えばいいじゃん! ほら、こんな風に……せいっ!!」

空いた手で敵を殴りつけるティオナさん。
利き手じゃないのに、凄まじい威力だ。
オークの分厚い腹に、風穴が空いてしまった。
こんなに柔らかくて、小さなおててなのに。

ベルは改めて神の恩恵に対し、畏怖を覚えた。

しばらく階層を下りると、奴らが現れた。

ティオナ「後ろは任せて!」

ベル「前は僕が!」

出現したのは、ミノタウロスの群れ。
牛頭の怪物だ。僕とは縁が深いモンスター。
思えば、こいつから僕の物語は始まった。
ミノタウロスに殺されかけて、出逢った。
《剣姫》アイズ・ヴァレンシュタイン。
その時に感じた憧憬は、今も変わらず背中を焦がしている。それが僕に、力を与えてくれる。
なんとなく、そんな感覚を抱いていた。

そして現在、片手でこいつを屠れる力を得た。

ティオナ「おー! やるじゃん!」

ベル「まあ、このくらいは……」

危なげなく、ミノタウロスを倒し切った。
褒められて、気恥ずかしそうに頬を掻くベル。
そんな彼を見て、ティオナの胸が疼く。

初めてベルと出会った、あの時。
彼はミノタウロスと死闘を繰り広げていた。
文字通り、死闘である。生命を賭けた戦い。
あの頃、彼はまだLv.1だった。弱かった。
それでも、Lv.2相当のミノタウロスに勝った。

勝利したあと、気を失っても、倒れなかった。

あの時のベルは、まさしく『雄』だった。
幼い頃に読んだお伽話の『英雄』と重なる。
だからティオナは彼をアルゴノゥトと呼んだ。
今思い出しても、顔が熱くなる。胸が高鳴る。
そんな気持ちになるのは、初めてだった。

その気持ちは、今も変わらず、胸を焦がす。

ティオナ「ちょっと休憩しよっか」

ベル「そうですね」

ミノタウロスを処理してひと段落。
広めのルームで、束の間の休憩。
とはいえ、ティオナはさして疲れていない。
ベルも恐らく、大して消耗してないだろう。
別にこのまま18階層まで行っても良かった。
冒険者達が作り上げた、リヴィラの街。
そこで美味しいものでも食べて、引き返す。
当初はそんな予定を、漠然と抱いていた。

しかし、気が変わった。ベルを帰したくない。

ティオナ「アルゴノゥト君」

ベル「はい、なんですか?」

ティオナ「ちょっとだけ、大人しくしててね」

ベル「へっ?」

ティオナはペロリと舌舐めずりをして。
無防備なベルの背中に飛びついた。
そのまま、ぎゅっと抱きしめて、拘束する。

ベル「な、何をするんですか!?」

ティオナ「んー? 休んでるだけだよ?」

ベル「どうして抱きつく必要がっ!?」

ティオナ「嫌?」

ベル「い、嫌じゃないですけど……」

アルゴノゥト君は、押しに弱い。
私のわがままをちゃんと聞いてくれる。
だからつい、甘えてしまう。食べたくなる。

ティオナ「あむっ!」

ベル「ふぁっ!?」

おっといけない。
つい耳をかじってしまった。
白兎の耳たぶは、甘くて美味しかった。

ベル「ティ、ティオナさんっ!?」

ティオナ「あむあむ……ぺろぺろ」

ベル「うひぃぃぃいいいいいいいっ!?!!」

気がついたら、ここにいた。

あっ、どうも。ベル・クラネルです。
なんだか、大変なことになってしまいました。
僕は今、ティオナさんに耳を齧られています。
しかも後ろから抱かれて身動きが出来ません。
さすがは、Lv.6の第一級冒険者。格上ですね。

僕の一途な懸想も、これで終わりでしょうか。

ごめんなさいアイズさん。申し訳ありません。
僕はたぶん、ティオナさんに、食べられます。
でも、フリュネと違って、彼女は可愛いです。
それに胸も慎ましくて、あまり怖くないです。
女性に対して免疫のない僕にはぴったりです。

僕には、勿体ないくらい、素敵な女の子です。

ベル「だけどっ……それでも、僕は……ッ!!」

それでも僕は、負けるわけにはいきません。
僕の想いは。貴女への懸想は。消えません。
貴女に鍛えられた僕の熱は、冷めません。
なんて言うと、ヴェルフに怒られますね。
もとい。僕は僕なりの言葉で、操を立てます。

僕の一途な懸想は、憧憬は、貴女だけに捧ぐ。

ベル「僕はっ! アイズさん! 貴女だけをっ!」

なんとか理性を保ち、深呼吸。
僕は考える。起死回生の一手。
もう時間がない。手段もない。
敵はLv.6の第一級冒険者。階層主並みの強敵。
レベル差は歴然。正攻法では倒せない。
考えろ。否、考えてる暇などない。行動しろ。

じゃないと負ける。誰が? 僕が? 畜生ッ!!

ベル「これしか、ないのかよっ!?」

唯一閃いた、拘束から逃れる方法。
それは誰の目から見ても、邪法の極み。
正気の沙汰ではない。もとより正気ではない。

ゴォーン、ゴォーンと響く、大鐘楼の鐘の音。

チャージは既に完了している。満タンだ。
あとは、解放するだけ。しかし、躊躇う。
逡巡してしまう。他に何か手はないのか。

ティオナ「アルゴノゥト君……食べていい?」

ベル「ダ、ダメですよっ!!」

ティオナ「むぅ……ダメなの?」

全然ダメじゃない。いや、ダメだ。絶対に。
本当に? ダメなのか? なんで? どうして!?
どうしてこんなに可愛いのにっ! 僕はっ!?

いけない! 自己正当化は危険だ。落ち着け。

考えるな。考えちゃダメだ。墓穴を掘る。
理屈なんて存在しない。理屈こそ真の敵。
何故ならば、ティオナさんが可愛いから。

可愛いから、全てが罷り通る。それが理屈だ。

可愛いは正義。フリュネは悪。簡単なことだ。
ティオナさんは天使。フリュネはヒキガエル。
ティオナさんならば何をしても正当化される。
フリュネとはそこが違う。全然違うんだっ!!
要するに、可愛いティオナさんは無敵だった。

だから、僕はもう……考えることを、やめた。

ティオナ「あたし、もう我慢できないっ!」

とうとう、ティオナさんに押し倒された。
しかし僕はうつ伏せだ。まだ猶予はある。
だけどこれが最後だ。もはや、後はない。

ベル「ティオナさん、考え直してください!」

ティオナ「考えてもわかんないもんっ!」

ベル「お願いです……じゃないと、僕は……!」

ティオナ「うるさい! とにかく食べるのっ!」

駄目だ。全く僕の声が届いていない。
ティオナさんは完全に狂化招乱状態。
つまり、バーサクモードである。狂戦士だ。
そんな彼女を正気に戻すには、これしかない。
たとえ、英雄になることを諦めたとしても。
それでも僕はアイズさんのことが好きだから!

それは100年の恋すら冷めるであろう、禁忌。
ゴォーン、ゴォーンと、やり止まぬ、鐘の音。
溜めに溜めた、『それ』を、僕は解き放った。

ぶりゅっ!

ティオナ「……えっ?」

ベル「フハッ!」

嗚呼、神様。英雄になれなくてごめんなさい。
そんなものよりも守るべきものがありました。
僕は一途に、アイズさんへの愛を、貫き通す。

ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅっ!!!!

ティオナ「ふぇええええええええっ!?!!」

ベル「フハハハハハハハハハハハッ!!!!」

文字通り、もはや『やけ糞』だった。
糞を撒き散らし、彼女を幻滅させる。
これにはモンスターだって逃げ出すだろう。
階層主だって潰走する、なんちゃって。
馬鹿か、僕は。こんな時に駄洒落なんて。
我ながら笑えない冗句だ。涙が出てきた。
泣きながら、哄笑した。完全に嫌われた。
悔しくて、情けなくて、嗤うしかなかった。

ティオナさんはとても良い人だった。
僕の修業に付き合ってくれたこともある。
快活で、活発で、強くて、眩しくて、可愛い。
正直言って嫌われたくない。でも、仕方ない。
不器用な僕には、こうするしか出来ないから。

だから僕は、彼女の前で、糞を漏らした。

ベル「うぅっ……畜生……ッ!」

全てが終わり、漢泣き。無様でみっともない。
それでも、涙が止まらない。畜生。畜生ッ!
こんな結末、あんまりだ。神は居ないのか。
絶望の淵に沈む僕に、そっと手が伸ばされて。

ティオナ「泣かないで……アルゴノゥト君」

ティオナさんが、汚い僕の髪を撫でてくれた。

ベル「ティオナさん……どうして?」

どうして、彼女はまだここに居るのだろう。
てっきりもう置いて行かれたと思っていた。
僕を嫌って、愛想を尽かして、絶交されて。
街中に醜態を言いふらされるものとばかり。

しかし、彼女は本当に天使のような人だった。

ティオナ「ごめんね、アルゴノゥト君がお腹痛かったことに気づけなくて……私のせいだね」

違う。僕は自分の意思で漏らしただけだ。
そう言おうにも言葉が出ない。感激していた。
こんなに優しい子が、本当に実在するのか。
まさか、ダンジョンで天使と出会うなんて。
信じられない。間違っている。これは奇跡だ。

ティオナ「えへへ、びっくりしちゃった」

それはこっちの台詞だ。びっくりしている。

ティオナ「お詫びに、私もしてあげるね」

ベル「はい?」

ティオナ「じっとしてて……んっ」

言葉の意味を問いただす必要はなかった。
僕の背に乗った彼女は、ぶるりと震えて。
じわりと、背中に、熱い感覚が広がった。
すぐにその正体を悟り愉悦が込み上げる。

ベル「フハッ!」

僕はお返しに、おしっこを、かけられた。

ティオナ「フハハハハハハハハハッ!!!!」

ベル「フハハハハハハハハハハハッ!!!!」

僕らの哄笑は、ダンジョン全体に響き渡った。
それは、どんな咆哮よりも悍ましい、嗤い声。
モンスター? 出るわけないじゃん、そんなの。
皆、びびって引きこもってるよ。当たり前だ。
奴らにこの快楽を理解することは、出来まい。
これぞ、人の業。人の特権。冒険の醍醐味だ。

ティオナ「はあ~! 気持ち良かった~!」

ベル「ご馳走さまでした」

などと、訳の分からないことを口走りながら。
ぐりぐりと、執拗に、背中に擦り付けられて。
まるでステイタスを更新したみたいな感覚だ。
すっかりティオナさんに上書きされちゃった。

ティオナ「よーし! それじゃあ、リヴィラの街まで行って服を着替えて帰ろっか!」

ベル「はいっ!」

その後、僕らは元気に18階層へ向かった。
お互い酷い格好だったけど、気にしない。
なにせここはダンジョンだから、別に普通だ。
冒険者のトイレ事情を考えてみればわかる筈。
安全に用を足せる場所なんて、どこにもない。
故に、糞尿を漏らしても不思議ではないのだ。
リヴィラの人達も、そんなことは気にしない。

それよりも手繋ぎデートの方が、問題だった。

アイズ「ティオナ、どういうこと?」

ティオナ「えっ? なんのことー?」

数日後、【黄昏の館】にて。
ティオナに詰め寄るアイズ。
元々表情の乏しい彼女だが、今日は違う。
柳眉を逆立てて、ひどく怒っている様子。
しかし、ティオナはとぼけている。

アイズ「ベルとのこと、噂になってるよ?」

ティオナ「あちゃ~! 参ったなぁ~!」

わざとらしく顔を覆う仕草。なんかむかつく。

近頃、冒険者達の間で広まっている噂がある。
その内容は、都市を揺るがす程の大ニュース。
《大切断》ティオナ・ヒリュテに男が出来た。
しかも、その相手がなんと《白兎の脚》ベル・クラネルというのだから、聞き捨てならない。
なんでも、2人は手を繋ぎ、ダンジョンでデートをしていたのだとか。その真偽を問いただす。

アイズ「ベルと手を繋いでたって、本当?」

ティオナ「うん! おしっこもかけちゃった!」

は? 彼女は今、なんと言った?
アイズは耳を疑う。信じられない。
信じたくない。ベルに、かけただと?
聞き間違いであって欲しくて確認する。

アイズ「何を、かけたの……?」

ティオナ「だからぁ~おしっこだってばっ!」

聞き間違いではなかった。よもや、まさか。
どうやら本当に、おしっこをかけたらしい。
テーブルに両手を叩きつけて、立ち上がる。

アイズ「ティオナ、怒るよ?」

ティオナ「あはは~もう怒ってんじゃん!」

その指摘の通り、アイズは怒っていた。
いや、激怒していた。テーブルが吹き飛んだ。
周囲には暴風が吹き荒れ、めちゃくちゃだ。
他の団員達が慌てて逃げ出す程に、荒れ狂う。

アイズ「どういうつもり?」

ティオナ「あたし、やっぱりアルゴノゥト君のことが好きみたい! だから、かけちゃった!」

何が、だからなのか、さっぱりわからない。

アイズ「言ってる意味がわからないよ」

ティオナ「ま、アイズにはわからないかもね」

これには、カチンときた。イラッともきた。
何故か、上から目線。何様のつもりなのか。
まるで、一歩先を行ったような余裕の態度。
アイズはティオナに詰め寄って、釘を刺す。

アイズ「ベルに手を出さないで」

ティオナ「やーだよ! もうあたしの物だし!」

その物言いに、かっとして。
思わず、手を振り上げ、横に薙ぐ。
パァンッ! と、広間に鳴り響く、破裂音。

アイズは初めて、ティオナの頬を叩いた。

アイズ「ティオナ……ごめん」

我に返って、ティオナに謝る。
とんでもないことをしてしまった。
きっと、痛かっただろう。でも、だって。
私のベルを、取られたくなかった。嫌だった。
一刻も早く黙らせたかった。だから、やった。
これでティオナが諦めてくれたらそれでいい。
謝罪ならばいくらでもする覚悟。それなのに。

ティオナ「アイズには、絶対負けないよっ!」

にひっと嗤って、ティオナは戦線布告。
面食らったアイズを更に嘲笑う。挑発する。
さっきのお返しに、その頬を張ってやった。

アイズ「ッ……!」

ティオナ「まだわかってないアイズには負けないよ。アルゴノゥト君は、絶対に渡さない!」

あの日のことは、鮮明に記憶に残っている。

彼が漏らしたあの時、好きだと確信した。
盛大に漏らした彼は、とても雄々しかった。
その時の臭いが、未だに鼻の奥から消えない。
ツンッとするたびに、無性に会いたくなった。
まだ数日しか経っていないのに、逢いたいよ。
またダンジョンに潜って、お漏らしが見たい。

だってさ、アルゴノゥト君はずるいんだもん。
あんなに雄々しく漏らした癖に、泣くなんて。
そんなの反則だ。まるで子供みたいに泣いて。
強くて立派な雄の脆い一面にやられちゃった。

ずるいずるいずるい! 可愛いにも程がある!
絶対、胸がキュンとなるに決まってるじゃん。
だから思わず、おしっこを、かけてしまった。
この『雄』を、自分のものにしたいと思った。

そうして自分の気持ちに気づいた。理解した。
アルゴノゥト君に、恋をしている。大好きだ。
なのにアイズは、未だに気づいてすらいない。
わざと目を逸らして、知らんぷりをしている。

そういうのは、良くないと思う。勿体ないよ。

ティオナ「文句があるなら相手になるけど?」

アイズ「ティオナ……!」

今のアイズの目を見れば、わかる。

嫉妬に駆られ、憎悪を宿した金色の瞳。
彼女は眦を決して、憤激していた。
《剣姫》が、いや《戦姫》がブチ切れている。
間違いなく、アイズもあの子に恋をしている。
ならば私は、恋のライバルとなってあげよう。
この不器用なお姫様に、気づかせてあげよう。

だってこんなにも、素敵な気持ちなのだから。

アイズ「ベルは誰にも渡さないっ!」

ティオナ「だったら、取り返してみなよ!」

これから私たちは初めて大喧嘩をする。
この派閥には居られなくなるかも知れない。
しかし、それはそれで一興だ。ワクワクする。
この際、姉の元から離れて、独り立ちしよう。
アルゴノゥト君の派閥に転がり込むつもりだ。

無論、ロキが黙ってないだろうし、あそこにはフィンが執心しているパルゥムの女の子も居る。
もしかしたら、戦争遊戯が勃発するかも。
だけどそれもそれで愉しそうだ。胸が高鳴る。
上等じゃん。来るなら来い。全力で迎え撃つ。

大好きだと気づけたアルゴノゥト君を巡り。
私はこれから、大冒険をする。そう決めた。
初めて抱いた恋心を、貫き通す為に戦おう。

だって私たちは、恋する冒険者なのだから。


【ダンジョンでフハるのは間違っているだろうか】


FIN

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