男「この夜は僕らのもの」(60)


カランコロン

BARの扉を開けると、小気味いい音が響いた。

何度となく聞いた音だ。

僕は今日も、この音を聞いて気を引き締める。

「やあ、隣いいかな?」

僕は今日も、彼女に声をかける。


「ちょっと飲みすぎじゃない?」

「いーいーのーよー、今日くらいっ」

彼女は酒が大好きなようだ。

今日もすでにたくさん飲んだ後だった。

「なにかあったの? 今日?」

「部長に怒られたのー! 服装がなってないとかー! 言葉遣いが間違ってるとかー!」

「へえ、それは大変だ」


彼女はいつも愚痴を言う。

日によって少しずつ違うようだけど、基本的には仕事がうまくいってないという内容だ。

彼女の部長さんは彼女に期待しているのか単に嫌味なのか、よく彼女に当たるようだ。

「なんかー、TKOだかPTAだかがナントカカントカってー」

「TKO?」

「TKOってなに?」

「ボクシングの、なんかヤバめのノックアウトじゃない?」

「へー、ボクシングとか詳しいんだ、なんか意外、うふふ」

別に詳しくはないけどね。そう心の中でつぶやく。


「TKOは関係ないと思うよ?」

「じゃあPTAだったかな?」

「それあれでしょ、小学校とかの保護者会でしょ」

「服装それ関係ある?」

「ないな」

「ないのか」

「あ、服装がオバサン臭かったとか?」

「バカ!! 失礼!! セクハラ!!」


「それはね、多分TPOに合ってない、って言いたかったんじゃないかな」

「ああそれ! そんな感じのこと言われたの!」

だろうね、と心の中でつぶやく。

似たようなやりとりは、前にもあった気がする。

「で、なんだっけ、TPOって」

「時と場合と、場所? それに合ってない服装をしていたんじゃないかな」

「今日の、この服、だめ?」

「んー、ちょっと胸元開きすぎ?」

「えろい?」

「えろい」


ふふーん、と言って、彼女は少し上機嫌になった。

えろいと言われて嬉しいのか。

取引先にこの服で行ってたんだとしたら、確かにTPOに合ってない。

いつもはもう少しおとなしめの服装で来ているのに、今日はなんだか珍しい。

だけど僕はどういう言葉をかければいいかわからなかった。

だからちょっと誤魔化して言った。

「いつもそんなセクシーな服を着ているの?」


「んー、いつもってわけじゃないけど、今日はちょっとおしゃれしたい気分だったの」

「取引先に行く予定なんて聞いてなかったし」

「そんな予定聞いてたら、もうちょっとおとなしい服で行ってたし」

「あーもう、だから部長の言うこともわかるんだけどさー」

「なんかさー、腑に落ちないっていうかさー」

「あー!! もう!!」

そう言いながらまたお酒をあおった。


「見返したいんだ? 部長さんのこと」

「んーまあ、ねえ……」

「部長さんっていえば、かなり偉い人でしょう?」

「まあ、そりゃ」

「そんな人が、末端の服装にまで気を配ってくれるのって、すごいことなんじゃない?」

「末端……」

「ね?」

「むう、あんたわりと若造のくせして核心をついたことを言うわね」

「若造……」


「ねえ僕、何歳くらいに見える?」

「キショイそれ言って許されんのは妙齢の女性だけだからね」

「キ……」

「あんたなんか、20そこそこでしょ、酒飲めるようになってすぐでしょ」

「んー、ふふふ、ほんとは100くらいだよ」

「なにそれ面白くない」

でも、本当のことだった。

こんな感じで ノシ


「ね、明日私は、どういう不幸を経験するの?」

「それを回避する術はないの?」

「だって、ずっとこのままじゃ、他の人に迷惑じゃない」

回避する方法。
あると言えばある。
今まで彼女が僕にそんな風に聞いてくること自体がなかったから、忠告もできなかった。

だけど、彼女が不幸を回避しようとしてくれるなら。

僕の言葉をちゃんと信じてくれるなら。

もしかしたら、彼女の不幸は霧散するかもしれない。


「まず、ね、明日はヒールを履かないこと」

「ヒール……うん、わかった」

「それから、カバンに入れてある大事な書類は、ビニールに入れて保護すること」

「……うん、帰ったらすぐやる」

「あとマスクね。カバンに入れておいた方がいいと思うな」

「マスク……ふつうの風邪のとき用のでいいの?」

「うん、それで大丈夫」


「え、それだけなの?」

「うん、まあ、僕からできるアドバイスはそれくらいかな」

「それを怠ると、私はどうなるの?」

「聞きたい?」

「……聞きたいよ」

「本当に?」

「……怖いけどね」

「……まず、君は出勤途中に駅の階段で足を踏み外す」

「……う」

「高いヒールのせいだね」


「そこで顔から落下し、前歯を折る」

「……」

「それから庭の水やりをしているおばさんに水をかけられ、カバンも含めてびしょぬれになる」

「……」

「持ち前のファイトで出勤するも、大事な商談にそのまま参加することになる」

「……あるわ、明日商談あるわ」

「大事な書類は濡れているし、笑顔は見事な歯抜けだしで、商談はパァ」

「……」

「怒り狂った上司によって厳しく叱責され、出勤する意欲を失い、絶望し……」

「……」


「BARで憂さ晴らしする気力もなくなり、実家に逃げ戻り、無職となる」

「……」

「……って感じ」

「え、死なないの!?」

「し、死なないよ!?」

「え、死なないの!? 私!?」

「死なないよ!? なんで死ぬと思ったの!?」

「あなたが『不幸』とか紛らわしい言い方するからじゃん!!」


「……わかった」

「無理してヒールを履かなけりゃ、階段を踏み外す心配も減ると」

「さらに書類を濡れないようにビニールで守っておくと」

「万一歯を折っても、マスクがあれば少しは隠せると」

「そういうことね?」

すべてがうまくいくとは限らない。
だけど、起こるらしい未来に対して防衛策を講じれば、少しはマシな未来になるかもしれない。

「もしかしたら、また別の不幸が起こるかもしれない」

「だけど、今言ったことは、防げるかもしれない」


「……よっし、頑張ってみる」

「私の不幸を、吹き飛ばしてみせる」

「なにがなんでも、明日もBARで飲む」

「だから……ふつうに、明日を迎えさせて?」

酔いのさめたすっきりした目で、彼女は僕を見て言った。
素敵だ。
お酒を飲んでいない時の彼女も、きっととても素敵な女性なんだと思う。

「……わかった」

永遠なんて、どうせないってわかってた。
何度今日を繰り返したところで、彼女の不幸を先延ばしにしていただけだ。
歩みを止めていただけだ。


「じゃあ、おやすみ」

「面白かったよ」

彼女はあっさりと別れを告げた。
僕がまた性懲りもなく今日を繰り返しても、彼女は気づかない。
今の会話はなかったことになる。
でも、僕は繰り返しをやめてみようと思う。

楽しみだった。

久しぶりの明日が。


―――
――――――
―――――――――

カランコロン

BARの扉を開けると、小気味いい音が響いた。

何度となく聞いた音だ。

昨日と同じ音だ。

だけど、いつもと違う気分になるのは不思議だ。

「やあ、隣いいかな?」

僕は今日も、彼女に声をかける。


「あれ、今日は若造バージョンか」

すぐに見抜かれた。

「どうしてわかった?」

「だって、しゃべり方が同じじゃん」

そう笑って、僕のために「緑のお酒」を注文してくれた。
店員さんは少し怪訝な表情。


「今日こうしてお酒が一緒に飲めるってことは、大きな不幸はなかったのかな?」

「まあね、あんたのアドバイスのおかげ」

昨日は「あなた」だったのに、今日は「あんた」と呼ぶ。
やっぱりこの姿はなめられやすいらしい。

「ありがと」

礼を言われるほどのことはしていない。

僕は自分の都合で時間を巻き戻していただけだ。
不幸になる君を見たくなかっただけだ。


「さ、おいしいお酒を飲みましょ!」

「今日は愚痴は?」

「ないない! 部長も優しかったし!」

けらけらと笑い、強いお酒をぐっと飲む。

「で、明日は私、なにに気をつけたらいいの?」

「知らない!」

僕の知らない、今日が来た。
それはなかなか、刺激的な経験だった。


★おしまい★

めっちゃ久しぶりのSSです
「ずっと明かりの消えた街で」に出てきた少年(青年?)再び、です

    ∧__∧
    ( ・ω・)   ありがとうございました
    ハ∨/^ヽ   またどこかで
   ノ::[三ノ :.、   http://hamham278.blog76.fc2.com/

   i)、_;|*く;  ノ
     |!: ::.".T~
     ハ、___|
"""~""""""~"""~"""~"


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