好きな食べ物の長い話。 (17)

お世話になっております
新作の再掲をさせて頂きます

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【丸山紗希編】

辺り一面の草原に、僅かな肌寒さを含んだ風が通り抜ける。
夏も終わりに向かっているのだと感じた。

装填手とは、甚だ暇な仕事である。

暇だが、楽ではない。
砲弾の種類はひとつではないし、その悉くが酷く重い。
十五の小娘には文字通りの重労働となる。
しかし、装填する状況以外は暇なのだ。
楽と暇とは、似て非なるものである。

もう一人の装填手である宇津木は通信手も兼ねているので何時でも忙しない。
一方、私は装填専門なので、現状は実に暇である。
少なくとも、物思いに耽る時間がある。

声には出さない。
声には出さないが、今、私は無性にきんつばが食べたい。
きんつばで甘くなった口の中に、熱い昆布茶を流し込み、ほう、と息を吐きたい。

安物でも構わない。
今、私が欲しているのは好物ではない。
好物を口にするという行為だ。

特に近頃は碌なものを食べていない。
そういった欲も増そうというものだ。
声には出さないが、そんなような事を考えている。

好みが渋いと言われる。
誉められているのか、小馬鹿にされているのか、判然としない。
どちらでもないのかも知れない。

只の反射で言っている場合もあるのだ。
操縦手の阪口などは完全に反射である。
紗希ちゃん渋いね、と。

詰まる所、渋いとは何なのか。

良いのか悪いのか。
言葉としては誉め言葉の類なのであろうが、時折、どうにも誉められた気がしない事がある。
それは、渋いという言葉に微かな侮りの響きを感じ取っているからか。
恐らくは、渋いと言った当人ですら気が付かない程の、微かな響き。
そんなものが気になるのは、その微かな侮りが、私の内にある、侮られたくないという意志と衝突しているからかも知れない。

衝突するから響き、響くから無視できなくなる。
だから近頃は、渋いと言われるだけで条件反射のように内心うんざりしてしまう。
相手に一切の悪意が無いと分かっていても、私の意志に衝突するのだ。

私の意志。

私にも意志はある。
顔にも声にも出ない質であるだけで、感情も人並みに持ち合わせている。
時々、感情が希薄だと勘違いされる事がある。
感情はあるが、感情表現が希薄なのだ。

言い方は悪くなるが、私から感情表現を奪ったのは父である。
と言っても、虐待などの理由ではない。

まあ厳しい目で見れば虐待と見做す場合もあるのかも知れないが、私自身が虐待を受けたと思っていない。
あれは、仕方が無かった。

父は、私が片親である事を私以上に気に掛け、何不自由無く育ててくれた。
本当に、何不自由無く。
身の周りの全てに介入し、過保護という言葉では足りぬ程、甲斐甲斐しく私を育てた。
私の気持ちを不思議な程に汲み、理解し、把握した。
何時しか私に出来るのは首を縦か横に振る事だけになっていた。
思えば、私を育てる事、それ自体が父自身にとっての支えであったのかも知れない。

しかし何時までもその様な生活を続けられる筈も無い。
まあその気になれば、進学せず家に籠る人生もあったのかも知れない。
少なくとも父にはその気があった様に思う。
だから私は父の頭を冷やす目的もあって、父の手を離れ学園艦に乗った。

反発も覚悟していたが、父は何も言わず私の言い分に従った。
私の気持ちを汲み、理解し、把握したという事なのだろう。
逆に父の心配もしないではなかったが、毎月の仕送りが途切れぬ所を見るに無事なのだと思う。
小娘一人が生活するには過剰なまでの金額で、貯まる一方だ。
いつかこの金で孝行をしてやろうと思っている。

まあ、それはそれである。
父のお陰で現在に至るまで、私の感情表現は希薄なままだ。
育ててくれた事には感謝しているが。

もっと、主張する必要はあるかも知れない。
私の好みは渋くなんかないよ、普通だよ、と。
友人達の豊かすぎる感情表現に埋もれないように。

そんな友人達は、何やら喧々諤々と話し合っている。
作戦会議の様相であるが、要するに、如何すれば良いか分からないという様な意味の事を、口々に叫んでいるのだ。
山郷と大野の砲手二人も、遣り場の無い戦意を持て余している。

弾を込める装填手が暇なのだ。
それを撃つ砲手はもっと暇に違いない。

如何すれば良いか分からない状況。
ここで私も同じ事を言えば、満場一致で如何すれば良いか分からなくなってしまう。
それは酷く、厭だ。

という事は、私が主張をする絶好の機会なのかも知れない。
千載一遇とは正にこの事か。

私は渋くなどない。
もっと、年相応の気概を見せ付けるのだ。
そう思い、辺りを見渡す。

蝶が飛んでいた。
曲がりなりにも戦場の只中で暢気なものである。
しかしそれが活路に繋がった。

蝶の飛ぶ先に、嗚呼。

澤、おい車長、あれを見ろ。
後にしろとは何事だ。
蝶ではない、その先だ。

「観覧車」

【丸山紗希編終了】

おまけ

【ノンナ編】

カチューシャの好物はボルシチです。

ですが、カチューシャはボルシチを食べたことがありません。

しかし今、カチューシャはボルシチを食べています。

謎掛けの様になってしまっていますが、これがプラウダの日常です。
ボルシチを食べた事が無いカチューシャは、好物のボルシチを食べているのです。
ノンナの作るボルシチは最高ね、と。

それが何なのかも知らずに、大喜びで平らげます。

そもそもボルシチとは、ビーツという野菜を主な材料とした煮込み料理。
地域や家庭によって他の材料に違いはありますが、ビーツだけは変わりません。
ビーツを煮込むことによって、ボルシチの赤いスープが出来上がります。
ですが日本ではビーツがなかなか手に入らないので、主に赤蕪で代用します。
混同されがちですが、ビーツと赤蕪は別物。

しかし、カチューシャは赤蕪が嫌いです。

まあ、赤蕪に限らずカチューシャは大抵の野菜が嫌いです。
なので、カチューシャが食べている料理に赤蕪は入っていません。
主材料たるビーツも赤蕪も入っていないのですから、あれはボルシチではありません。
カチューシャが食べられるよう、試行錯誤を繰り返した末の形です。

カチューシャが食べている料理のスープは、トマトで赤く色付けしています。
味付けは、カチューシャの舌に合うように味醂、醤油、砂糖などで調えています。
具も、カチューシャの嫌いな野菜は入っておらず、ジャガイモ、蒟蒻、牛肉などを使っています。

早い話が肉じゃがです。
カチューシャが食べているのは、ボルシチと名付けてある肉じゃがなのです。

カチューシャの好物はボルシチです。
赤蕪が食べられないカチューシャの為に、私が作ったボルシチという名の肉じゃがです。

カチューシャはボルシチを食べたことがありません。
ビーツや赤蕪の入った、本当の意味でのボルシチは、カチューシャは食べた事がありません。

しかし今、カチューシャはボルシチを食べています。
私の作ったボルシチという名の肉じゃがを食べています。

ノンナの作るボルシチは最高ね、と。
それが何なのかも知らずに、大喜びで平らげます。
その姿が愛おしい。

ええ、私の好物の話ですよね。
してるじゃないですか、先程からずっと。

【ノンナ編終了】

以上です
お付き合いありがとうございました

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