『未来に生きる男』
友人「やあ、遅くなってすまない。こう人が多いと迷ってしまってね」
N氏「まあ座りたまえ。マスター、いつものやつを頼む」
マスター「かしこまりました」
友人「じゃあ、私も同じものを。コートはどこに掛ければいいのだろうか」
N氏「マスター、彼のコートを」
マスター「どうぞこちらへ」
友人「ありがとう。いや、随分立派になったものだ。君はこういう店に慣れているようだね」
N氏「なに、都会に住めば皆こうなる」
友人「そういうものだろうか」
N氏「さあ、飲み物がきた。学生時代の思い出を語ろうじゃないか」
友人「――そうか、広告業か。道理で華やかな雰囲気があると思ったよ」
N氏「いやいや、都会の喧騒に揉まれる毎日だよ。君と過ごしたあの田舎が懐かしい」
友人「覚えているかい? まだ見ぬ未来に想像を膨らませ二人で語り合ったあの丘を」
N氏「もちろんだとも。星間を光の速さで駆け抜ける宇宙船、どんな病でも治せる薬……ああ懐かしい」
友人「ああ、懐かしいとも」
N氏「ところで君は今どんな職に就いているのだ? 頭の良い君のことだ、教師だろう」
友人「いいや、違うよ」
N氏「では商社か。ああ、そうだとも。君ならきっとやり手の商売人だろう」
友人「ははは。それも違う。私はね、まだあの夢を叶えようとしているのさ」
N氏「まさか、発明家か?」
友人「そうさ」
N氏「ははは、面白い冗談だ」
友人「冗談ではないよ。光の速さで動く宇宙船や、万病に効く薬を日々開発しているのさ」
N氏「そんな馬鹿な。こういってはなんだがね、そんな物は夢物語だ。SF、空想の類いだろう」
友人「それを叶えるのが僕らの夢だったじゃないか」
N氏「夢では食べていけないだろう。君、生活はどうしているのだ?」
友人「父の残した財産と、あとは知人から借りた幾ばくかのお金でなんとか」
N氏「ほら、私の言った通りじゃないか。そのお金もなくなったらどうするつもりなのだ」
友人「そうなる前に完成させるさ」
N氏「無謀にも程がある。職は私が紹介するから、今からでも真っ当な道を進むべきだ」
友人「もう少しで完成するところまで来ているのだ。諦められないよ」
N氏「もう少しなものか。そんなもの絶対に出来やしない」
友人「いいや、出来るさ。何といわれようとも私は未来に生きる」
N氏「君という奴は……。ああ分かった、もうなにを言っても無駄なようだな」
友人「それはこちらの台詞だ。なにを言っても君には理解出来ないだろう」
N氏「気分が悪い。私は帰る」
友人「……ああ、お別れだ。残念だよ」
N氏「私もだ。君が他人の親切な助言を無視できる男になっていたとはね」
ガチャ、バタン
運転手「――ええ、そんなことが」
N氏「酷い話だろう? 彼はこれからどうしていくのだろうか」
運転手「タクシーの運転手をやっていると色々な方に出会いますがね、そういう夢を捨てきれない人は多いですよ」
N氏「嘆かわしいことだ。――ああ、そろそろかな?」
運転手「はい。空中マンションB62棟に到着致しました」
N氏「代金はここに置いておく。また頼むよ」
運転手「ありがとうございました。浮遊タクシーを是非またご利用下さいませ」
N氏「全く。SFじみた妄想も程ほどにして欲しいところだ」
『未来に生きる男』終
『空を漂う倦怠期』
N氏「君、そこの君」
男「はあ、私のことでしょうか」
N氏「間の抜けた男だな。君しか居ないだろう」
男「失礼な。周りにも人は大勢居るでしょうに」
N氏「浮いている人間は私と君しか居ない」
男「確かにそうですね」
N氏「全く。だいたい死人が呼び止めて返事が出来るのは死人だけだろうに」
男「なるほど、それでなんの御用ですか? 私は忙しいのです」
N氏「私はどこに行けばいいのだ?」
男「さあ、どこへなりとも行けばいいでしょう」
N氏「そう言わず教えてくれ。なにか知っているのだろう?」
男「なにも知りませんよ。私はこれから劇場へ行くのです」
N氏「そんな物はあとでいくらでも観られるだろう。私達は入場料がいらないのだから」
男「しつこい方ですね。そもそもなにかと言うのはなんのことです」
N氏「天国なり地獄なり、私達の行くべき場所がある筈だろう」
男「そう言われましても、私は死んでから一度もそんなものを見たことはありません」
N氏「なんと、君もそうなのか」
男「ええ。そもそも、そんな世界があるとは信じがたいですがね」
N氏「それはおかしな話だ。現にこうして死後の世界があるではないか」
男「確かに死人は居ますが、だからと言ってあなたの言う天国や地獄があるとは限らないではありませんか」
N氏「屁理屈を並べるな」
男「それに、このままでも良いではありませんか」
N氏「なにが良いというのだ」
男「自由に空を漂い、誰にも咎められず好きなことをする。仮に天国があるとすれば、まさにここは天国だ」
N氏「天国なものか。ここは地獄そのものだよ」
男「どうしてそう思うのです?」
N氏「飽きたのだ。私はもうあらゆる国を漫遊したし、劇場にも通いつめた。もうやることがない」
男「それはお気の毒に。しかし私にはまだまだやりたいことも行きたい場所もあるのです。邪魔をしないで頂きたい」
N氏「そう暢気に構えていられるのも今のうちだ。君にもいつか飽きが来る。そうなったらどうするつもりなのだ」
男「やめて下さい、なんだか不安になるではありませんか」
N氏「こうして死人同士が出会うのは稀だ。さあ共に先のことを考えようではないか」
男「分かりました。しかし、本当に私はなにも知らないのです。時の流れるがままに死後を楽しんでいたものですから」
N氏「私もそうなのだ。こう考えると、もう少し思慮を巡らせておくべきだった」
男「他の死人に聞いてみませんか? 数日探せば何人かは見つかるでしょう」
N氏「――それだ。そもそもそれがおかしいのだ」
男「なにがです?」
N氏「人は死ぬとこうして宙を漂うようになる。しかし、それにしては死人の数が少なすぎるとは思わないか?」
男「確かにそうですね。皆が皆宙を漂っていれば、今頃ここは死人で溢れかえっているでしょう」
N氏「では何処に行ったというのだ」
男「それこそ、天国や地獄でしょうか」
N氏「だからそれは何処にあるというのだ」
男「何度も言いますが、私にも分からないのです。……そうだ、川はどうでしょう。三途の川といいますし」
N氏「それは先日試した。泳ぐなり潜るなり上るなりしてみたが、どうにも要領を得ない」
男「それは困りましたね……ああ、そうだ。そうですよ」
N氏「なにか分かったのか?」
男「空ですよ。天国は天にあるものです。空を目指しましょう」
N氏「なるほど、それは盲点だった。そうか、私達は空へ昇る為に宙を漂っていたのだな!」
男「――どんどん昇っていきますね」
N氏「ああ、死人には空気が必要ないことが幸いしたな。生前であればもう満足に息を吸えない高さだ」
男「まだでしょうか」
N氏「なに、そう簡単に着きはしまい」
男「そうですね」
N氏「ああ、もう鳥も居ないな」
男「寒さに耐えられないのでしょう。死人は便利ですね」
N氏「ああ、天国とは死人にのみ辿り着ける場所なのだろう」
男「――とうとう着きましたね。なんというか、天国とは随分暗いところのようですね」
N氏「いや、ここは宇宙だ。見たまえ、地球がこんなにも青いぞ」
男「では天国は何処にあるのですか?」
N氏「私に聞かないでくれ。ああ、困ったぞ。一体どうすればいいのだ」
男「見てください、あそこで輝いているのはなんでしょう。あれが天国でしょうか」
N氏「む、あれは月だ。天国ではないよ」
男「近くで見るからでしょうか、随分と神々しい光ですね」
N氏「ああ、とても綺麗だ」
男「ちょっと行ってみましょう。もしかすると兎が居るかもしれません」
N氏「そんな馬鹿な。ああ、君。待ちたまえ」
女「あら、こんにちは。月へようこそ」
N氏「なんだこれは。何故こんなに死人が居るのだ?」
男「やはりここが天国なのでしょうか」
女「いいえ、ここは月よ。もしかしてあなた達、月に来るのは初めて?」
N氏「ああ、そうだ」
女「ここは死人がよく休憩をする場所なの。ほら、あそこに居る人たちも先程帰ってきたばかりよ」
男「一体どこから帰ってきたのです?」
女「どこにって、旅行に決まっているじゃないの。あらゆる星を巡っては、皆ここに戻ってくるのよ」
N氏「では、天国はないというのか?」
女「さあ、どうでしょう。今のところ天国を見つけた方は居ないようだけれど」
N氏「なんということだ、死人は皆宇宙に来ていたのか! 本当に、なんということだ……」
男「一体なにが悲しいのです? 文字通り行き先は星の数程あります、楽しみましょうよ」
女「そうよ。私はもう300年程宇宙を旅しているけれど、まだまだ楽しげな星は多そうよ?」
N氏「そうは言ってもだな」
女「さあ行きましょう? せっかくだから私が案内をしてあげましょう。木星辺りはどうかしら?」
N氏「いやしかし……」
男「なにが気に入らないというのです。見てくださいこの広い宇宙を、私はもうそれだけで胸が躍ります」
N氏「星々が数えられぬ程あろうとも、いつかは行きつくしてしまうだろう。そうなったら、どうすれば良いというのだ?」
『空を漂う倦怠期』終
『天気予定』
N氏「なかなか良い味の料理店だな。そうだ、ここの会計は支払わせてくれ」
友人「随分と羽振りが良いじゃないか」
N氏「私から誘ったのだから、遠慮することはないよ」
友人「ではありがたく頂くよ」
N氏「なに、そのくらいの稼ぎはあるさ」
友人「気象庁勤めは良いな。俺にもそんな才能があれば良かったのだが」
N氏「そんなことはないさ。商社勤めも立派なものだろう」
友人「一介の勤め人の稼ぎには限界があるよ。国の仕事とは違う」
N氏「ははは、そう卑屈になることはないだろう」
友人「羨ましくもあるが、友人として尊敬もしているよ。本当に立派な仕事だ」
N氏「そうかい?」
友人「今後の天気が確実な予定として放送されはじめてから、うちの会社も随分助かっているんだ」
N氏「商社と天気になにか関係があるのかい?」
友人「うちの会社は他国と貿易をしているからね。天候に合わせて船を出せるようになってから随分と事故が減った」
N氏「なるほど。そう言って貰えると私も嬉しいよ」
友人「もちろん船だけじゃない。農業や建築業者に至るまで、今では気象庁の天気予定が不可欠なものになっている」
N氏「それだけじゃないぞ、私達が今日こうして昼食を共にしているのも、一重にこの時間が晴れだからだろう」
友人「ははは、その通りだ。友人と会うのに雨模様では気が滅入ってしまうからね」
N氏「ではそろそろ店を出ようか?」
友人「ああ、美味しかったよ」
友人「――良い天気だな。このまま道端で寝てしまいたくなる程の陽気だ」
N氏「そうだな」
スピーカー『こちらは、気象庁、予定部です。こちらは、気象庁、予定部です』
友人「午後の予定か。今朝新聞を読み損ねたから助かるよ」
スピーカー『当地区は、午後2時25分より、午後5時6分まで、雨を、予定しております――』
友人「良かった、職場を出る頃には晴れているな」
N氏「そうだ、夕食も一緒に済ませないか? お互いの妻も呼ぼう」
友人「ああ、それは良い考えだ。そうしよう」
スピーカー『では、該当地区の晴れ男、雨男は、降雨時刻に、移動下さい』
N氏「ははは、言われずとも分かっているさ」
友人「君が晴れ男で良かったよ。もし雨男だったら、会う度に傘が必要だからね」
N氏「ははは、そう悪くもないぞ? 一生雨の中で過ごす分彼らの方が給与が多いんだ、もし私が雨男なら夕食も奢っていたよ」
友人「それは残念だ。いや、本当に羨ましい才能だよ」
『天気予定』終
完。ありがとうございました。
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