男「住み込みメイドとな?」 女「なんなりとお申し付けください、ご主人様」 (32)


仕事でクタクタになった体を引きずってようやくの思いで着いたマンション

鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ時点で違和感に気がついた
鍵が開いている

今朝鍵をかけないで家を出たのかと思い返すが、やはり鍵をかけた記憶はある

まさか空き巣か?
なんて最悪のことが脳裏を駆け巡る

警戒をしながらドアを開くとそこには白と黒であしらわれたエプロンドレスを身にまとったメイドがいた
恭しく礼をし、その長い黒髪が一房、肩から流れ落ちる


女「おかえりなさいませご主人様」



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女「どうぞ」


ダイニングテーブルにティーカップが置かれる
紅茶の良い香りが漂い、それを口につける

うん、うまい


男「で、何してんの澪ちゃん?」

女「はい。 メイドの修行を積み、一人前となりましたので蓮様のお世話をさせて頂くこととなりました」

男「意味分かんないけど」

女「旦那様のご指示であります」

男「クソ親父ィ!!」


実家はまさに大富豪だったと誇張なしに言える
日本人ならその会社の名前を聞いたことがない人はいないと言うほどの大企業で、俺はその御曹子だ
子供の頃から大人達に囲まれる堅苦しいパーティやら、いい大人になるための高等教育に嫌気が差し、高校卒業と同時に家を出て、今ではただの会社員だ

だが稀に親から連絡が来たり、知らない間に口座に大量に金が入っていたりと過保護な両親と縁を切れないでいる
まぁ両親は俺が好き勝手にやっているのを許してくれているし、無理に家族の縁を切るのもあれだろう

だがこんな突拍子もないモノ、というかメイドを送らせてきたのは初めてだった


男「別にメイドとかさ、いらないから帰りなよ澪ちゃん」

女「お断り致します」

男「あのさ、男の一人暮らしの家に入り込むの不味いでしょ」

女「私は蓮様を信じておりますので」

男「あのさ、俺一人暮らしでもやっていけるんだよ? 親父に言われなくても平気だから」

女「洗濯物と洗い物が溜まっておりました」

男「そんな心配されるようなことはないよ」

女「私がいれば心配どころか安心して頂けるかと」

男「これ以上親の世話になるつもりなんてない訳」

女「私がやらせて頂きたいのです」

男「俺は一人で……

女「嫌です」

男「…………」


メイドの澪(みお)は断固として譲る気配はないらしい
俺の発言をことごとく秒殺で否定していく


この子とは知らぬ仲ではない
澪は実家の住み込みのメイドの娘で、昔はよく遊んでやった

俺がこの子の5歳上でお兄さんとしてよく遊んだりしたものだ
だが俺が中学、高校と歳をとっていくにつれて徐々に遊ぶこともなくなっていた

その頃には澪がメイドの仕事も始めていて、友人というより主人と召使いという立場がはっきりとしてしまってなんだか取っ付きづらくなってしまったためだ

それが再びこのような形でまた近づくことがあるとは思わなかった


男「だからって年頃の女の子を家に通わせるのはなぁ」


俺が23だから、彼女は今年で18だ
大学生になる歳であるし、彼女には彼女の生活があるだろう
それなのに毎日のように通わされたら彼女の生活に支障をきたすだろう


女「いいえ、通いではありません。 ここで住み込みのメイドとして働けと仰せつかっております」

男「はぁっ!?」


思わず手に持っていたティーカップを落としそうになる
すんでのところで手に収めたが、揺れた水面はカップから零れ、テーブルを濡らした

澪は慣れた手つきでそれを拭きながらポツポツと抑揚のない口調と表情で話を続ける


女「蓮様のお部屋とは別の部屋を頂きました。 そこでお世話になります」

男「嘘だろ!?」


慌ててその倉庫のように使っていた部屋のドアを開ける
するとそこにはアイボリーと淡いピンクを基調にした女の子らしい部屋があった

俺が仕事の間に荷解きも終えているとは実に仕事が早い


女「蓮様? そこはメイドの詰所とはいえ、私の私室でもあります。 私の許可やノックも無しにドアを開けるのは如何なものかと」

男「あ、ごめん」


いやここで俺が謝るのおかしくないか?
と謝ってから思う


女「昔からそうやって蓮兄は……」


足元に吐き捨てるように呟かれた小声を俺は務めて聞こえないふりをする
ふぅと一息ついてまた無表情に戻した澪はぐいと顔を近づけてくる


女「これからよろしくお願い致しますね蓮様」

男「…………」

女「よ、ろ、し、く、お願い致しますね?」

男「……うん、よろしく」


彼女の剣幕に圧された俺は全てを諦めて彼女に頭を下げる
彼女もにっこりと笑みを浮かべてふんわりとした仕草で一礼した


翌朝。


女「おはようございます、蓮様」

女「お目覚めください蓮様」


ゆさゆさと体を揺すられ、意識が徐々に覚醒してくる
ぼんやりと目を開けるとそこには端正な顔立ちで十人に美女かと問うたら十人がそうだと答える容姿を持つメイドがそこにはいた

驚いて上半身を起こすと、それを澪は体を反らして避ける


女「私にヘッドバッドとは挑戦的ですね」

男「違うわっ!」

女「おはようございます、蓮様」


恭しくドレスの裾を掴んでの一礼
あまりのことに言葉を紡げず、開いた口が塞がらない


女「いつまでも眠り呆けられる蓮様を起こすのもメイドの務めでありますから」

男「口が悪いメイドだ」

女「朝食が出来ております。 顔を洗ってお越し下さいませ」


俺の言うことを無視して彼女は音もなく部屋を後にする
ふと時計を見ると既に9時を超えていた
ゆっくり眠ったはずだが、なんだか目覚めた瞬間からどっと疲れてしまった


スクランブルエッグとミニサラダ、トーストという洋風な朝食
ベタであるがそれはとても美味しい
だが澪はテーブルから離れ、俺の斜め後ろにピシッと背筋を伸ばして立っている


男「澪ちゃんはなにしてんの」

女「私はメイドでありますので、何か御用がございましたらお申し付けください」

男「え、あぁそう……」


実家では確かにこんなふうに食べていた
だがそれはあくまで広いダイニングではの話で、今一人暮らしのこの狭い部屋でこれは非常に違和感を感じるものだった


男「すげー食いづらいんだけど」

女「お気になさらないでください」

男「するわっ!」


澪から返事がなくなってしまったため仕方がなく話題を変える


男「澪ちゃんのご飯は?」

女「私は蓮様の後に頂きます」

男「大変だねメイドも」

女「えぇ、なのでとっとと食べてください」

男「ん…… なんか言葉遣いがおかしくない?」

女「……後がつかえておりますので」

男「……はい」



朝食をかきこんだあと、なんだか居心地が悪くて外へ行こうと思い立つ
靴を履いて玄関に手をかけたところで澪から声がかかった


女「どこかへお出かけになられますか?」

男「あぁ、少しブラブラしてくるわ」

女「お帰りは何時頃に?」

男「さぁなー適当に帰ってくるから」

女「畏まりました。 いってらっしゃいませ」

男「あぁ」


自分の家なのに居心地が悪い
それはメイドがいるからだけではない

昔は仲が良く、妹のように可愛がっていた澪があまりにも他人行儀すぎて、辛くなってしまうのだ

自分は主
彼女はメイド

その立場の違いが分かってはいても苦しい
苦々しい気持ちをぶつける子供のように勢いよく玄関を開いた


近くのショッピングモールをぶらりとするが特に欲しいものもなく、本屋で雑誌を立ち読みする
しかしそれでも時間はなかなか潰れない

特に行く宛もなく目に付いたレンタルCDショップへと入った
気になっていたアーティストのCDを手に取り、そしてある映画のDVDに目がとまる

ゲームが原作のゾンビ映画
とある会社の薬が原因でゾンビがパンデミックを起こし、大混乱になる超大作だ

これは昔、澪と2人で原作のゲームをやって、本気で泣かせてしまった俺にとっては後悔を覚える作品だった

それを今彼女と一緒に映画を見れば…… また泣かせてしまうかもしれないが昔のような関係に戻れるかもしれないなと
そんな子供のような都合のいい考えで俺はこのDVDを借りることにした


玄関を開けるとそこにはメイドが立っており、俺に綺麗なお辞儀をする

帰ってくるのが分かったのか? どんな忠犬だ


女「おかえりなさいませ、蓮様」

男「あぁ」


礼をする彼女の横を通り抜ける
するすると廊下をついて歩く彼女はやがてキッチンに入っていった


男「ん? 買い物いったのか?」


床に置かれたビニール袋を漁るとそれはスーパーの袋であり、中には野菜やらなんやらが詰め込まれていた


女「はい、蓮様がそこら辺をほっつき歩いている内に」

男「言い方っ!!」

女「生産性のない時間を過ごされている間に」

男「……澪ちゃん俺のことそんなに嫌いなの?」

女「いえ、特別嫌悪感を抱くほどのものではありません」

男「あんまり否定してくれないんだ……」


肩を落としながら自室へと入ろうとする俺に彼女は声をかける


女「夕食は6時半頃でもよろしかったですか?」

男「あぁ、ありがとう」

女「あ、あの……蓮様?」

男「うん?」


事務的な淡々とした口調から、少し含みのある、どこか思い詰めたような口調に思わず足を止めて振り返る
意を決したように口を開く彼女に釣られて俺も生唾を飲んだ


女「暇なら、下から夕刊を取ってきて頂けませんか?」

男「クソッタレめ!!」



夕飯を終え、片付けをしていた澪がキッチンから顔を出して声をかけてくる


女「お風呂が湧いております。 入られては如何ですか?」

男「澪ちゃんが入ってきなよ。 俺が食器は片付けておくからさ」

女「いけません蓮様。 これは私の仕事なのです。 私の仕事を奪うことはメイドの魂を奪うこととお知り下さい」

男「そんな大げさな…… さっき夕刊取らせにいったじゃん」

女「……ごほん。 それはそれです。 後でバスタオルをお持ちいたしますのでどうぞお入りください」

男「じゃあ頼むよ。 早く入らないと後がつかえるからな」

女「お戯れを…… 朝のは冗談です」

男「分かってる。 じゃあ先に頂くよ」

男「あ、そうだ。 後で一緒に見たい映画があるんだ、時間をくれるか?」

女「それがご用命とあらば」

男「うん、じゃあ一緒に見よう」

女「はい」


風呂から上がった澪はドライヤーで既に髪を乾かしたのか、濡髪スタイルではなかった
少しもったいないと思いつつも、いつものエプロンドレスではなく淡いピンクの生地になぜかアイスクリームが点々と散らばっているパジャマを着ていた

そのレアな姿を見れただけで内心でガッツポーズをする


女「お風呂頂きました」

男「じゃあやろうか。 ここおいでよ」

女「では、失礼致します」


ソファーをポンポンと叩き隣に座るようにすすめる
少し間を開けて座った彼女からシャンプーのいい香りがして、少し手を伸ばせば触れてしまう距離に、意識せずとも心臓の鼓動が早くなる

俺の中で澪は妹のような存在だった
だがいつの間にか月日が立ち、彼女は一人の立派な女性へと成長している
それどころか男なら誰もが視線を釘付けにさせられるであろうその美貌に改めて息を飲んだ

そんな俺の様子を知ってか知らずか、彼女はあざとらしさもなく首を傾げ、俺の顔を覗き込んでくる


女「どうなさいました、蓮様」

男「いや、なんでもない! 風呂気持ちよかったか?」

女「はい、私の好きな入浴剤を入れさせていただきましたし」

男「え、俺の時、入浴剤なんて無かったよ……?」

女「…………」


彼女の視線を逸らす
わざとらしく視線が宙を彷徨い、やがて誤魔化すようにDVDをせがんだ


女「さぁ、映画を見るんですよね」

男「…………」

女「早くみたいなー」
意訳:これ以上触れるな

男「そんなに見たいのか」

女「はい! 早く見たくてお風呂の中でも楽しみにしておりました」

男「ふっ、その言葉に二言はないな?」

女「え……?」



結論から言えば映画を最後まで見ることは出来なかった

映画の冒頭の方で、人がエレベーターに挟まれ、上半身が外に出たままエレベーターが急落下するシーンがある
エレベーターと床に挟まれる直前でブラックアウトするが、その後どうなるかは容易に想像ができる

そのシーンだけで彼女のライフはごっそりと持っていかれ、
そしてトドメとなったのが狭く逃げ場がない通路でレーザーが人をズタズタに豆腐のように切り崩すシーンで彼女は限界を迎えた


女「ひっく……もう……いやっ…」

男「あー……なんていうか澪ちゃんにはキツすぎた?」

女「もう二度と怖い映画は見ません…… 夢に出たらどうしてくれるんですか」

男「おもらしすんなよ」

女「……うるさいです」

男「悪かったよ」

女「ひっく…… ぐすん…… 蓮様最低です……」

男「……っ!?」


ドキリとした
己の迂闊さを呪いたくなるほどに

すっかり涙でぐしゃぐしゃになった顔には赤みがかかり、いつものキリッとした無表情からは考えられないほどに崩れた表情が俺の胸を刺す

揺れる焦げ茶色の瞳は、見ているだけで吸い込まれていきそうなほどの魔力を帯びていた
思わず手を伸ばしかけるがグッと堪える

彼女はフラフラとした足取りでトイレへと行き、そのまま自室へと入っていった
それを確認し俺も床へと入るが、先の彼女の表情が瞼に焼き付いていた

距離を近づけようとしたことで彼女を泣かせてしまった。 昔みたいに泣かせて、仲直りすれば昔のように戻れるのではないかと勘違いをしていた
涙の価値は子供と大人では違うことを失念していたことに、今更になって気がつく


彼女の涙で濡れた顔を見た時の、どうしようもない罪悪感は俺を苛み続けた


あぁ、くそっ!


毒づいても眠れないものは眠れない
時間は刻々と過ぎ、気が付けば時計は1時間ほども進んでいた


コンコンとドアから控え目なノックの音が響く
ノックをする人物など一人しかいない


女「あの、まだ起きてらっしゃいますか蓮様」


ドア越しからでも震えているのが分かる声音を聞いて俺の胸はまたチクリと痛んだ


男「あぁ、起きてるぞ。 入ってくれ」

女「失礼致します」


綺麗な所作で彼女が部屋に入り、そして音もなくドアを閉めた

俺も体を起こしベッドに腰掛け、彼女も隣に腰を下ろした


女「申し訳ございません…… 寝付ける気がしなくて……」

男「丁度よかった、俺も話相手がほしかったんだ。 よかったら少し話さないか?」

女「はい」

男「その、なんだ…… さっきは悪かった。 まだ怖いもの苦手なんだな」

女「……はい。 やっぱり何年経ってもダメなものはダメでした」

男「そうか。 すまないな、あれを見て昔みたいに仲良く出来ればと思ったんだけどな」

女「仲良く、ですか?」

男「あぁ、昔は仲良かっただろ? でもいつからか話すこともなくなって、今ではこんな他人行儀な話し方だ」

女「……それは蓮様が私のことを避けるようになったからです」

男「年頃の男の子だったんだよ」

女「それは分かっていたつもりです。 ですがいきなりお屋敷を出ていかれたのは本当に驚きました」

女「……いえ、驚くどころか、とても寂しかったです」

男「澪……」


ポツポツと話す彼女の姿はとても小さく見えた
エプロンドレスを着た彼女はキリッと強い姿だが、それを脱いだ今の彼女は年頃の女の子相応に見える


女「私、蓮様のお役に立てるように頑張りました」

女「友達とは言いません。 昔のような兄妹のようにとも言いません」

女「せめても主と使い、その関係でもと、修行を頑張っておりました」

女「ですが……蓮様はいきなり居なくなってしまって……」

男「そんなに寂しかったのか?」

女「はい」

男「そうか、すまなかった」

女「実は今回のことも、私が旦那様に無理を言ってのことなのです」

男「は?」

女「一人前になった私のことを蓮様に認めて頂きたく…… 無礼を承知でこうして押しかけさせて頂きました」

男「犯人はお前かっ!」


彼女の頭を軽く小突く
おちゃらけたその行為で俺は彼女に笑って欲しかったのだが
正反対に彼女は何かが溢れるように表情を崩し、涙が頬に筋を作った


女「申し訳、ありません…… 私の内なる気持ちを押し止めることが出来なかったのです」

女「蓮兄にもう一度、会いたかった…… 名前を読んで欲しかった…… またふざけて頭を小突かれたかった、撫でてもらいたかった!」

男「…………」

女「あのまま、さよならだなんて耐えられませんでした…… ですからこうして……」

女「蓮兄の都合も考えずに、ごめんなさい……」

男「いや、澪が謝ることはない。 驚いたけどまた澪に会えて嬉しいよ」

女「……ぐすっ」

男「何も言わずに居なくなって悪かった。 だけどもうそんなことはしないからな」

男「改めてこれからよろしく、澪」

女「ふふ、昨日は私が無理やり言わせてしまいましたからね」

女「こちらこそ、よろしくお願い致します蓮様」


男「それにしても、ちょこちょこ酷いよな澪」

女「なんのことでしょう?」

男「見に覚えないんですかねぇ」

女「……だってなんだか普通にお仕えするだけでは気が済まなくて」

男「こえぇ」

女「ごほん、あんまり私を怒らせないでくださいね蓮様」

男「昔は澪が怒っても怖くなかったからなぁつい」

女「私はついでいつも蓮兄に泣かされてたの!?」

男「ほら、あるだろ? 男の子が好きな女の子にちょっかい出したくなるっていう」

女「なっ、好きっ!?」

男「あぁ!? 例え話だし、昔のことだぞ?」

女「あ、はい、そうですね……」


沈黙
なんだか気まずくなってしまい、彼女の方を見れない

なんの気にもなしにベッドに横になると、澪は少し躊躇うようにしながらも同じように隣に横になってくる


男「おやおやおや?」

女「蓮兄のせいで怖くて…… 寝れなくなってしまったんです」

女「責任、取ってください……ね?」

男「ん、一緒に寝れば怖くねえだろ?」

女「……はい」


そして電気を消した
真っ暗な部屋の中で、さっきの映画のショッキングな映像が一瞬脳裏を駆ける

それを振り払い、安心を得るかのようにお互い向き合って、存在を確かめ合う
吐息の間隔がいつの間にか合い、二人は眠りの中に沈んでいく

また今度


明くる朝


女「おはようございます蓮様。 起きてください」

男「ん……あと10分……」

女「畏まりました。 では10分後にまた起こしに伺います」

男「あぁ……」


朝はいつもメイドが起こしに来る
血圧が低く、寝起きが悪い俺には有難いのだが、ゆっくりと寝ていたい休日でもこうして起こしにこられるのだからたまったものではない

だが時刻は既に9時を回っていることに蓮は気が付く由もない

10分が経ち、時計の針がきっちりと動いた瞬間にドアがノックされる
そっとドアを開けて部屋に入り、眠り呆けている主の体を揺さぶるがやはり起きない


女「10分後に起こせと申されたのは蓮様ですからね」


澪は布団を勢いよく剥がすがそれでも蓮は身を屈ませるだけで起きはしない
ならばと、強硬策に出るため澪は蓮の両脇に手を入れ、肩をがっちりとホールドする


女「えいっ!」

男「のわぁーっ!?」


部屋主の頭から勢いよくベッドの下へと引きずり下ろす
突然後頭部から転落した蓮は訳も分からず、悲鳴を上げて飛び起きた


男「な、なんだ!? 何が起きた!?」

女「おはようございます蓮様」

男「お前か澪ぉぉ!!」

女「はい。 朝食のご用意が出来ております。 リビングまでお越し下さいませ」

男「…………」


メイドが出ていってから密かに二度寝をしようかと考えていると、ドアが再び開き、澪が顔だけ出す


女「二度寝しようなどと考えているのなら、次はもっと激しい起こし方をさせていただきます」

男「……はい」


二度寝は、やめておこう


男「あのさ、もう少し普通の起こし方は出来ないわけ?」


時間が経って怒りが徐々に込み上げてきた連は、思わず後ろに控える澪にぼやく
しかしあくまで平坦に、自分に非はないと言外に伝わってくる澪の声音はどこか空恐ろしさを感じさせるほどだ


女「では明日からの仕事の日はご自分で起きられるのですね?」

男「お、おうそうやって生活してきたからな!」

女「畏まりました。 もし自力で起きられないようなら今日よりも激しいですが…… それは御容赦くださいませ」

男「……そういうの、楽しんでない? なんか趣味の域すら感じるよ」

女「…………」


返事はない。 俺の視線から逃れるように斜め上を向いて素知らぬ顔だ


男「せめてさ、もう少し優しく起こしてよ?」

女「それで起きられるのですか?」

男「方法によるな! 例えば体を密着させて耳元で囁かれるようにされたら起きる自信がある」

女「…………」

男「違うところが起きるか! なんつってなー!」


沈黙。 いや、澪の目がマジだ
目は口ほどに物を言うとはまさにこの事か
ナイフのように突き刺さる視線に耐えかね、話を強引に進める


男「せ、せめて休みの日くらいは……ですね? とても良い目覚めが欲しいのですよ」

女「……申してみろ」


立場逆転。俺が下僕で澪が主。


男「ベッドに一緒に潜り込んで、抱きしめ合いながら、二度寝とか」

女「なっ……!?」


俺の冗談に固まるメイド
押し黙ったメイドを横目で見ると、これまた茹でダコよろしく顔を真っ赤にして俯いていた


女「一考させて頂きます……」

男「おぉ、マジか」


案外言ってみるもんだ


女「……まったく、ふざけたことを申される主ですね」

男「言い方っ!」

女「もうお食事はお下げしてもよろしかったですか?」

男「まだ半分も食ってねえわ!!」


このメイド、俺のことを絶対に主と思っていないなと今確信した


女「蓮様、今日のご予定は?」

男「寝る」

女「まだ眠られるのですか? 寝すぎは体に良くないと聞きます」

男「いーんだよ、寝溜め大事。 澪はなにすんの?」

女「私は蓮様のメイドです。 主と共に有るのがメイドですから」

男「つまり引きこもるんだな」

女「一緒にしないでください」

男「……あっさり裏切っていくスタイルね、おーけ」


興味が無さそうにそっぽを向かれるのはいつもの事だ
だが、昨日の夜のことが思い起こされる
 
昨晩、澪は涙ながらに俺に会いたかったと言ってくれた
その言葉にきっと嘘はなかったのだろう、だからこうして無理矢理同棲生活が始まったのだ

そのことを考えると少しむず痒くて、でも嬉しくもある
俺はこの子といてもいいんだと、認められるような気持ちになるのだ


女「……なんでニヤニヤしてるんですか」

男「……その一言で俺の浮き足立った気持ちは台無しだよ」

女「……ん?」


男「……澪、紅茶入れるの上手いね」

女「メイドですから」


食後のまったりとしたティータイム
澪のいれてくれた紅茶を飲みながら、休日のまったりとした空間を楽しむ

外からは遊んではしゃいでる子供の声が、部屋からは休日の朝特有のバラエティ番組の音が聞こえる

俺はこういう休みの日の空間が好きだった
特に何をするわけでもなく、休みの日の空気を全身で味わうのが俺の密かな楽しみだったりする

だけど今日はその空間にもう1人、澪がいるのだ
食器を洗い終わり、俺のソファの後ろに控えて姿勢よく立つ彼女に手招きする


男「一緒に飲もうよ」

女「蓮様がそう仰られるのでしたら。 失礼致します」


2人がけのソファーに、横並びで座る
肩が触れ合いそうな距離
手を伸ばせば彼女に触れ、そして抱きしめることも容易だ
そこから唇を奪うことだって容易いだろう
事実部屋には俺たちしかいないのだから、止められることもない

でもそんなことしたいとは欠片も思えなかった

今はただ、彼女といられるこの空間が恋しい
彼女のいれてくれた紅茶を飲んでいたい


男「ほんと……おいしいなぁ」

女「ありがとうございます」


彼女はいつもの無表情のメイドの顔ではなく、一人の女の子の顔で嬉しそうにはにかんだ


二人の間に会話はない
澪はメイドとしての仕事は俺を起こす前にあらかた終えていたのだろう
ベランダを見ると洗濯物が風に揺られている

二人で何もしない時間を楽しむ
澪との沈黙は苦じゃなかった、むしろ心地良さすらあるほどだ

ぼんやりとテレビを見ながら、横にいる澪の息遣い、体温を楽しむ
言葉はなくとも心地よい空間にただいる
そうして時間は流れるように過ぎていくのが気持ちがいい


女「紅茶、入れ直しますね」

男「あぁ、ありがとう」


澪が席を立ち、まるで止まっていたかのような時間が動き出した
ふと、読みかけの本があったことを思い出し、自室にあったその本を取ってくる

ソファーの同じところに腰掛け本を開く
話を思い出すために、少し前のページから読み返すとその内容を徐々に思い出してくる

すぐにその本に没頭し、意識を吸い寄せられていく

蓮はまさに、本の虫と化した



蓮は澪が紅茶を入れ直したことにすら気がついていない
いや、気がついているが無意識の行動として紅茶を口に運んでいた

蓮が本の虫となって10分、20分、30分
澪はじれったさを感じていた

先程までは何もしていなくても二人でいるということが肌で感じることが出来て幸せな気持ちになれていたからだ

だが今は、蓮が一人本にのめり込み澪は置いてけぼりなのだ
そのことがなんだか腹立たしく、同時に寂しさも覚えさせた


澪が手持ち無沙汰に、髪を手でほぐす
腰ほどまで長く伸びた黒い髪は痛むなどという言葉とは無縁のように艶めかしい
普段メイド姿では結んでしまう髪の毛を解いても蓮は気付きもしない

むっとしながら澪は、ならばと拳一つ分蓮の方に腰をずらして距離を詰めた
肩と肩が触れ合い、二人の距離は限りなくゼロに近づく

だがそれでも蓮からは何もリアクションはない
その目は真剣に文字を追って上から下へ、そしてまた上へと動いていく

こうなれば根比べである
どこまでやれば蓮が気が付くのか
澪の口元が釣り上がり、いたずらを思いついた子供のような無邪気な笑みがこぼれた

自分の長い髪を一房手に取り、それをつまんで筆のように持つ
そのままさらさらとした毛先の束で蓮の首筋を撫でた


男「ん……」


蓮がピクリと肩を動かし反応を漏らした
だがそれでも反応はそれだけで、まるで取り憑かれているかのように本から目を離さない

ならば、逆に視界の中に入ってしまえば良いのでは?
そう思った澪は、屈んで本の目の前から蓮の顔を覗き込んだ
目の前をちょろちょろと動き、普通なら鬱陶しいことこの上ないはずなのだが、蓮はそれでも動かない

澪なんて視界に入っていないのではないかと思うほどの集中力に、メイドは最早ため息を隠そうともしない


女「私は本以下ですか、そうですか」


ため息と共に吐き出したその言葉は当然の如く蓮の右耳から左耳へ抜けていく


諦めたように蓮の横に腰を下ろす
スカートの裾を抑えながら座るその所作は無駄がなく、美しい

しかし見るものもいなければ、ぞんざいに座ろうがしなやかに座ろうが違いはないのだ

蓮の横に座り、きっかり三秒後、本の虫は澪から離れるように横に少し尻をずらした


女「へっ!?」


今まで何の反応も示さなかった大仏が、何気ない仕草で逃げるように反応を示したのだ

あまりにも挑戦的な蓮の態度は、癪に障るなんて生易しいものではなかった

大声で文句の一つでも言わなければ気が済まない、と勢いよく立ち上がる澪
だが蓮の顔を見ているうちに熱は急速に沈静化していった


女(お休みの日に好きに過ごされているだけなのに邪魔をするのは気が引けますね)

女(私が勝手に本に嫉妬しているだけではありませんか)


怒りの赤みを帯びた顔はすぐにいつものメイドの無表情に変わる
軽めの昼ご飯を作ろうと思い立ち、キッチンに向かって歩みを進めようとした時、何かに手を掴まれる


女「えっ!?」


そのまま勢いよく手を引かれる
たたらを踏んで、蓮の横になんとか腰を下ろすことが出来た

澪の手を引いたのは、もちろん蓮だ
悪戯をしている子供のように、先までの澪の顔のように笑みを浮かべながら澪を真っ直ぐに見つめる


男「もうちょっかいはおしまいか?」

女「なっ……!」


気付いてたんならなんか言ってください!

そう文句が喉元まで出かかった時、蓮に強く手を握られる


男「可愛くてつい、な? 次何してくれんのか楽しみだったぞ」

女「~~~~っ!!」

男「あはは、怒るなよ」

女「…………」


プシューと音を立てながら熱は急上昇していく
蓮にからかわれていたことが分かって悔しい反面、ちゃんと自分のことを見ていてくれたのだという嬉しさ
そして何より、左手を覆うように繋がれた蓮の大きな右手が温かかった


男「いいから、俺の隣に座っててくれ」

女「……はい」


手をさらに強く引かれて、さっきよりも近くになる
体が密着するほどのまさにゼロの距離
お互いの心拍すら感じれてしまいそうなほどの近さに澪は目を回してしまう


女(うん、これは目眩のせいなんですからね?)


先程までのように朝の静かな時間が穏やかに時間は流れる

違うのは澪が蓮の肩にもたれるように頭を乗せ、蓮もまたそれに答えるように頬を寄せていること
そしてぎゅっと強く握られた二人の手はお互いの熱を溶け合わせるようにしっかりと繋がれていた

12:名無しNIPPER[sage]
2017/09/24(日) 02:23:22.33 ID:ga/yP1SQ0
>>11 次があるさ

13:名無しNIPPER[sage]
2017/09/24(日) 02:39:30.65 ID:U5O5Ds+8o
(安価の流れへのレスだったなんて言えない…!)

14:名無しNIPPER[sage]
2017/09/24(日) 02:51:35.69 ID:ga/yP1SQ0
(困ってる人に優しい言葉をかけられる俺KAKKEEEEEEEEて思ったなんて言えない//)

15:名無しNIPPER[sage]
2017/09/24(日) 03:08:48.88 ID:U5O5Ds+8o
>>14 次があるさ

16:名無しNIPPER[sage]
2017/09/24(日) 06:24:08.01 ID:LvT8ybGBo
この流れに失笑を禁じ得ない

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