【デレマス時代劇】速水奏「狂愛剣 鬼蛭」 (34)
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速水奏は悩ましげな息を吐いた。
20歳足らず、世間的には“小娘”と呼ばれる年齢である。
しかし奏には、奇妙に円熟した妖艶さがあった。
深い海のような髪。
しっとりと甘い色をした肌。
整った目鼻。形の良いあご。
だが、全体的な容貌よりも、
特別美しい場所があった。
唇。
薄すぎず、厚すぎすぎず。
丁度よく、ふっくらしている。
ほんのり桜味がかって、ふにふにと柔らかい。
そしていつも濡れるように、
つらつらと輝いている。
奏の唇は、男だけでなく、女もでも狂わずにはいられなかった。
また彼女自身も、様々な人間に“狂って”きた。
奏が初めて愛情を覚えたのは、速水家の下男だった。
特に美しくもなく、醜くもない。
賢いわけでも、馬鹿でもない。
ただ、奏に優しかった。
奏は時間を見つけると、その下男に引っ付いて甘えた。
幼いときも、少女に成長したときも。
身体が女としての変化を始めたときも。
年若く魅力的な娘が、自分にしな垂れかかってくる。
下男はある時我慢ができなくなり、奏の唇を奪おうとした。
しかしその瞬間、愛情が強烈な憎悪に変わって、
奏は彼を斬り殺した。
また、奏は神道流居合術の道場へ通っていた。
特に理由はない。
ただ、速水家から近かった。それだけだ。
だが神道流の剣は、奏の肌に合わなかった。
静謐と一撃。気に食わぬ。
奏はもっと激しく、執拗に相手を斬りたかった。
彼女は神道流剣術の摂理を捻じ曲げ、
独自の法則性を築き上げた。
そして、剣術とも舞踊とも
なんとも言えぬものが出来上がった。
奏はそれを用いて、親しかった道場の皆を弑殺した。
奏の動きを馬鹿にしたからだ。
愛と憎悪。
速水奏の人生は、その間の往復かのように見えた。
藩で1番の男娼。
接吻が上手と自慢したので、斬り殺した。
尊敬していた上役。
奏が身を寄せたとき、唇にふれようとしたので
顔面の皮を剥がした。
初めての嫁。
せっかく貞淑だったのに、
次第に奏に媚びるようになった。
だから、閨で解体した。
しかし二年前程から、彼女の心はにわかに落ち着きはじめる。
理想の親友を手に入れたためである。
奏と同じく馬廻、新田美波。
奏とは、まったく異な魅力を持つ女だった。
初夏の清流のような、さわやかな笑顔。
木漏れ日のような、心地よい優しさ。
奏は美波に夢中になった。
美波の方は、あくまで友人としての
立ち位置を守った。
肩を寄せれば一歩離れる。
手をつなごうとすれば解く。
「好き」と告げようとすれば、話をはぐらかす。
だが奏はそうされると、
かえって、ますます美波のことが愛おしくなった。
聖女。
奏の美貌に溺れず、奏に優しくしてくれる。
彼女は永らく、そのような人間を待っていたのだ。
その美波が、藩から終われる身になった。
罪状は家老の殺害。犠牲になったのは、奏の母親だった。
だが、奏は美波を全く恨まなかった。
奏の母親は、よく娘に添い寝をせがんだ。
そして娘が寝静まると、その身体をまさぐるのであった。
奏はある時目を覚まして、奏の臍を吸っている母親を見た。
気持ちが悪かった。
とはいえ、家老を簡単には殺せなかった。
このような経緯があったから、
彼女は美波に対して、感謝の念と深い愛情を抱いた。
周囲の人間達は、奏のことを哀れんだ。
実の親友に、実の母親を殺された。
さぞ憎かろう。
そして藩主はまったくの同情から、奏に美波の成敗を命じた。
仇を自身の手で討て、と。
その命を受けたとき、奏の背筋はぞくぞくとした。
現在の奏は馬を駆り、美波の潜伏する農村へ向かっていた。
奏ではまた、悩ましげな息を吐いた。
美波を討つつもりは毛頭なかった。
だが、黙って見逃すわけにもいかぬ。
やはり共に行くべきか。
奏と美波の腕前を以ってすれば、造作もないことである。
美波は澁川流薙刀術の猛者。
そこらの武士など、瞬く間になます斬りにしてしまう。
そして藩内で美波と渡り合えるのは、奏のみ。
どこの国へ逃れようかしら。
奏は、幸福そうな笑みを浮かべた。
果たして美波は、奏を待っていた。
村の中心に立って、逃げも隠れもせず。
美波の表情にいつもの笑顔はない。
唇をきつく引き絞って、奏を睨んでいた。
「速水様から聞いたの」
奏は愛した人間の血を刀に吸わせる、剣の鬼。
お前もじきに殺される。
「ずっと私を斬りたかったの!?」
美波は薙刀を振るった。
村に吹く木枯らし、舞い散る葉、砂利の混じった地面。
それらがばっくりと裂け、抉られる。
美波は悲しんでいた。そして、奏を憎んでいた。
少々距離の近い友人。
そう思っていた相手が、虎視眈々と自分の命を狙っていたとは。
奏にはそれを否定する余裕がない。
今の美波の薙刀は、達人を通り越して、
怪物的ですらあった。
奏は暴風のような攻撃を、“ぬめり”とした動きで躱す。
これが奏の工夫である。
自分と相手の間合いから絶対に離れない、
見た目に反した攻撃的な動き。
だが奏は美波を傷つけるわけにはいかぬ。
せめて相手の動きを止めねば。
奏は水が滴るように、ゆっくりと剣を抜いた。
美波の薙刀さばきは激しさを増す。当然である。
奏が臨戦態勢に入ったのだから。
だが薙刀は重い。まして、気の休まらない逃亡の身。
美波の表情には疲れが浮かんできていた。
彼女の攻撃は勢いを保っていたが、大雑把になってきていた。
奏はその隙を見逃さず、美波に斬り返す。
狙いは彼女の武器。
がっと乾いた音がして、刀身が薙刀の柄に食い込む。
奏はちょうど美波を押し倒す形となった。
美波の誤解をはやく解かないと。
殺気のない鍔競りをしながら、奏は思った。
しかし身体には力が込もっているから、声が出せぬ。
どうしたものか。
奏が考えあぐねている間に、美波の限界がきた。
ふっと薙刀から彼女の力が抜ける。
その拍子に奏の刃が、美波の綺麗な首筋に
すっと滑り込んだ。
「美波…!」
奏は親友の名を読んだ。
しかし刀は引かず、押し込んだままだった。
身体が自然にそうした。
奏は気づいてしまった。
美波を斬れと命じられた時感じた、甘い疼痛の正体を。
奏は無意識の内に、美波を斬りたいと、ずっと願っていたのだ。
いや、美波だけではない。
今まで愛した人間達は、心底斬りたいと望んだ者ばかり。
憎悪は、ほんのきっかけでしかなかったのだ。
「美波…」
奏は再び、親友の名を読んだ。
結局、母親と美波の言う通りになってしまった。
奏は今まで誰にも許さなかった唇を、
美波の唇に重ねた。
そして喉から噴き出してくる血を、じゅるじゅると啜った。
その姿は人ではなく、一匹の大きな蛭のようであった。
おしまい
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