【ミリマスSS】北沢志保「記憶を探して」 (37)
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\キーンコン カーンコーン/
教室のスピーカーからチャイムの音が鳴り響いて、終わりのHRの始まりを告げる。
いつものように私は自分の席に座り、終わりのHRが始まるのを待つ。
周りの男子は鞄の中に教科書を乱暴につっこみ、HRが終わるとすぐに部活に行けるように準備をしている。
周りの女子は近くの席の子同士で、放課後の買い物の予定をたてている。
そうでない子たちは授業中と変わらない机に突っ伏した姿勢でただこの時間が過ぎるのを待ったり、授業プリントの白紙に向かってペンを走らせたりしている。
私は今日のスケジュールの予定を頭の中で反芻する。今日は確か、可奈と一緒にダンスレッスン。あの子、きちんと振りの予習してきたかしら?なんて少しの心配をする。
授業から解放されて、思い思いの時間に期待を馳せる。それを一旦リセットするように先生が扉を開けて、席を立ち頭を下げる。
そんないつもと変わらない終わりのHR。
でも、今日は少し違った。
先生「よーし、みんな揃ってるな。今日は宿題を出そうと思う」
「宿題」という単語にすぐさま反応して、みんなが一斉に「えー」っと非難の声を出す。これも、ときどきあるよくある風景。
私はそんな声を聞いておかしくなってしまう。ライブが終わるときと、結構似ているから。
先生はその非難に少し眉をひそめて、何も聞いてないように変わらないテンションで話を続ける。ある種、お約束のようなやりとりだ。
でも、先生から飛び出した言葉はそんな『いつもの風景』を一瞬で切り裂いた。
先生「母の日は終わって、次は父の日だ。参観日もその日にあるし、みんなにはお父さんに向けて作文を書いてきてほしい」
その言葉をきちんと飲み込む前に、ドクっと心臓がはねる。一瞬、すーっと全身に寒気が走って、それを回避するように両手にギュッと力が入る。
先生「俺もそうだけど、母の日に比べて父の日は忘れがちになっちゃうからな。きちんと普段の感謝を言葉にして伝えるのは大切なことだぞ」
その言葉は以前、尊敬する先輩から言われたことがある。それからは、恥ずかしくない限りは言葉にするように努めているのだけど、これはあまりにも、そうあまりにもな宿題だ。
先生「今日の連絡事項は以上だが、みんな他になんかあるか?ないならHRは終わりだ」
先生の問いかけに、みんなは無言で返事をする。そうだ、宿題に動揺してるのはきっと私だけだ。
みんなが沈黙を返して先生がHRを切り上げるまでの時間が、今日はなんだかいつもより長く感じた。
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トレーナー「ワン、ツー、スリー、フォー!どうした北沢?きちんと予習はしてきたのか?」
レッスンルームにトレーナーさんの怒声が響く。今日怒られるのはもう5回目だ。いつもよりもずっと多い。
きちんと予習はしてきたのに、身体が思うように動かない。イメージしているように、手も足も表情も動かない。
いつもはトレーナーさんの指摘に身体が反応するのだけど、今日はそれがうまく私の心に入ってこない。
トレーナー「よし!今日のレッスンは以上だ。矢吹は一通り振りが身体に入ってきたから、次は細かいメリハリを意識しよう」
可奈「はいっ!」
トレーナー「北沢は...もう一日レッスンを増やさないとな。何があったかは知らないが、次のレッスンまでにきちんと気持ちを切り替えてくるように」
志保「...はい」
さすがはトレーナーさんだ。今日の私のダメな点にキチンと気がついている。それを詮索しないのも、私を理解してくれているからだと思う。
可奈「志保ちゃん...あの、今日はどうしたの?」
レッスン後、シャワーと着替えを済ましてドリンクを飲んでいると、可奈が心配そうに話しかけてきた。
可奈の表情は辛いって気持ちに満ちていた。レッスン後でもいつも元気な可奈にこんな顔をさせているのは私だから、少し罪悪感が出てくる。
志保「うん。ちょっと、学校でね」
そう返すと、可奈はぐいっと私に顔を近づけて、本当に心配そうな顔と声で告げる。
可奈「何があったの?何か私にできることがあったら、言って欲しいな」
可奈にできること、きっと今の時点ではそれはないのだけど、辛そうな可奈を見るのが苦しいからできるだけ明るく返事をする。
志保「ありがとう。少し落ち着いたら話すわ。気分転換しないといけないから、帰りにアイスを食べにつきあってくれる?」
そう言うと可奈はぱあっと笑顔になった。そんな可奈の単純さが、少し私の心を軽くしてくれる気がした。
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志保「ただいま」
弟「お姉ちゃん!おかえり!」
家に帰ると、ぺたぺたと小走りで弟が元気よく出迎えてくれた。奥からはいい匂いがする。
今日は週に一度、お母さんが早く帰ってくる日。3人で夕飯が食べられる日だ。弟もこの日はいつもより上機嫌。
弟「お姉ちゃん、疲れたでしょ?荷物持ってあげるよ!」
弟がニコニコと私の鞄を引っ張る。少しはしゃぎすぎてるせいか、力が少し強くて立ってるバランスが崩れそうになる。
志保「ありがとう、でもお姉ちゃんこけちゃうからちょっと待っててね」
弟「はーい!」
弟は鞄から手を離して、私が靴を脱ぐのをまだかまだかと待つ。その姿が可愛くて、思わず頭を撫でる。
弟「もー!子供じゃないよ!男の子だよ!頭やめて!」
育みたいな可愛い抵抗をする弟。そう言いながらも、嬉しさを隠せていないところがまた可愛らしくて、ついナデナデのおかわりをしてしまう。
弟はぷんすか抵抗しながら、きちんと鞄を部屋まで運んでくれた。そんなところもまた可愛らしい。
お母さんが食事ができるまでもう少しかかると言うから、部屋着に着替えて机の前に座って時間を潰す。
目の前には、黒猫のぬいぐるみが座っている。キーホルダー用の、少し小さなネコさん。もう何年も一緒にいる、大切な友達。
ネコさんの腕の付け根に白い糸が見える。長年一緒にいたせいで、一度だけ取れてしまったからだ。
あの時はたくさん泣いたっけ?記憶は薄ぼんやりとしていて、思い出すことは難しい。私があまりにも泣くものだから、お母さんが急いでその場にある糸で直してくれた気がする。
それだけこのネコさんとはずっと一緒にいる。このネコさんをくれたのは確か...。
志保「ねぇ、ネコさん。教えて。お父さんってどんな人?」
ネコさんは私をじっと見つめたまま話さない。それもそうだ。ぬいぐるみが話しだしたらちょっとしたホラーだ。
ネコさんの頭を指でなぞる。そうすると、あの人と何かがつながる気がして。
でも私に残るのは、ネコさんの柔らかい感触だけ。やっぱり、思いも、感情も、暖かさも、何も思い出せない。
志保「なんてね、ごめんなさい。忘れてね」
ネコさんは、変わらない瞳で私を見つめてくれていた。
あの人がいなくなったのは、きっと私のものごころがついた後だ。
きっと私はあの人ときちんと話をしていて、ハグをしていて、心を通い合わせていた。
だけど、私は忘れてしまった。悲しいことから、逃げ出してしまった。
あの人はどんな顔で泣いたり、怒ったりしたのだろう?
あの人はどんな声で私に話しかけていたのだろう?
あの人は優しかっただろうか?厳しかっただろうか?
その記憶を私は捨ててしまったのだろうか?閉じ込めてしまったのだろうか?
何もわからない。何も。
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夕食が終わり、弟はソファーに座ってテレビを見ている。私とお母さんはテーブルに座り、食後のお茶を飲んでいる。
母「志保、最近どう?仕事、無理してない?」
お母さんはこの時間、いつも私の体調を心配する。いくら大丈夫だって言っても、毎回言葉にして聞いてくる。
前まではそれが少し煩わしかったのだけど、今ではありがたく思う。
そんなお母さんの心配に、私は本心で返す。
志保「大丈夫。いろんなことに挑戦できるし、すごく楽しい」
私の言葉を受け取っても、お母さんはまだ心配そうにたずねる。
母「本当?この前は急に遺跡に行って、ダイナマイトで爆破なんてしてたんでしょ?アイドルって危ない仕事だから心配だわ」
はぁ...。何やらお母さんはアイドルを大きく誤解してるみたい。あぁ、でも仕方ないか...。
母「冗談はさておき、本当に大丈夫なの?志保?」
お母さんが同じ質問を繰り返す。冗談を挟んでもう一回質問をするのは、お母さんが何か確信している合図だ。
その証に、お母さんは私の眉間を優しく突いて言う。
母「気づいてないかもしれないけど、ずっとここに皺が寄ってるわ。何かあったんでしょう?」
多分ずっと皺が寄ってるはずはないのだけど、心を見透かされているのは間違い無いので、観念して告げる。
志保「学校で、父の日の作文の宿題が出て...」
お母さんにあの人の話をするのは嫌だった。いつも、とても苦しそうな顔をするから。
お母さんにそんな顔をして欲しくないし、私がお母さんのそんな顔を見るのも嫌だ。
だから、お母さんにはずっとあの人のことは聞けなかった。
でも、そろそろそれときちんと向かい合わないといけない気がする。弟ももう、1人の立派な男の子なんだから。
母「そっか...作文...」
あぁ、お母さんの顔がぐにゃりと苦痛に歪む。どうしようもない痛みに、ただ耐えようとする悲しい顔。
身体の痛みなら薬を使えばいいけど、心の痛みはなかなか和らげる手段がない。だから、じっと耐えて耐えて、痛みが引くのを待つしかない。そんな悲しい顔。
志保「ごめん...先生には私から」
宿題を免除してくださいと言おうと思う、と告げようとしたのをお母さんがさえぎる。
母「そうね。あなたも1人の立派な大人だから、きちんと話してあげないとね」
母「その前に行ってきて欲しいところがあるの...」
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次のオフの日、私は電車に揺られていた。
時刻表の数字はまばらで、やっと乗った電車も2両しかないような電車。
道は平坦に見えるのに、やたらとガタンゴトンと大きく揺れる。窓の外は一面の緑。
そんな風景の中で、ただただ思いを馳せていた。
お母さんはあの日、私の知らない遠い場所の名前を出して、そこに行ってきて欲しいと言った。そこはお母さんとあの人が出会った場所だからだと。
そこにあの人に繋がる何かがあるのだろうか?お母さんに聞こうとしたけど、あまりにも辛い顔をしていたので結局聞けなかった。
私はこう思う。きっと、お母さんは時間が欲しかったんだ。今までしまいこんでた思いを、言葉にして伝えないといけないんだ。それは簡単に引っ張り出せるものじゃない。
思いをしまい込む思いは、私はよくわかる。今の私ならなおさらだ。だからやっぱりあの日、お母さんに何も聞けなかった。
\次はー◯◯!◯◯!/
電車のアナウンスが目的地の名前を告げる。私は乗車券と運賃を財布から取り出す。
あれ?小銭がない。財布の中には5000円しかない。しまった両替を。あれ?1000円しか両替ができない...。
このままでは支払いができない。車掌さんに両替をお願いしようと告げると、車掌さんは腰に下げた小袋を探った後ニコニコした顔で言った。
車掌「お釣りないから、次乗るときに払ってくれたらええよ」
え、でも、それじゃズルできちゃうんじゃ...。あたふたしてると、車掌さんは出口に手を差し伸べてさらに告げる。
車掌「こんな片田舎にようこそ。ほらほら、降りて降りて」
その言葉に促されて電車を降りる。はぁ、なんだか違う世界に来てしまったみたい。
無人の駅を降りると、小さなロータリーが広がっていた。駅にはコンビニもない、あるのはお手洗いだけ。駅の近くのお店は全部シャッターが閉まっていて、何屋さんなのかもわからない。
こんなところで、私はどうすればいいのだろう?立ち止まっているばかりではここまでの電車賃がもったいないので、とりあえず気の向くままに歩いて時間を潰すことにした。
歩いても歩いても、人とすれ違うことはなかった。車も走っていなかった。綺麗に舗装された道路が、何かすごい違和感を生む。
鳥の鳴き声だけが響く静かな風景。普段歩いている都会の道とは違って、なんだか私の周りだけ世界が綺麗に切り取られたみたいだった。
お母さんは、そしてあの人は、この風景を見て何を感じていたのだろう?
のどかでいいとこだってのんびりしていただろうか?何もない風景にやきもきしていただろうか?
そう考えながら歩いていると、いくらか2人の記憶に触れている気がした。お母さんがここに行って欲しいと言ったホントの気持ちが、少しずつ理解できている気がした。
少し歩くと商店街に着いた。でも、やっぱりお店のシャッターは閉まってるところばかり。今日は確か日曜日なはずだけど、大丈夫なんだろうか?
十字路の前で立ち止待って考える。次はどっちに行こう。スマホの地図を眺めながら考えていると、私を呼ぶ声が聞こえた。
おばさん「あなた?もしかして...」
声をかけて来たのは50代くらいの女性だった。もちろん私は彼女を知らない。きょとんとしていると、おばさんは言葉を続けた。
おばさん「あなた、北沢××って知ってる?」
その言葉を聞いてハッとする。それはあの人の名前。少ないながらも、私があの人について確信が持てる情報のひとつだった。
驚いて立ちすくむ私を見て、おばさんはさらに続ける。
おばさん「あぁ、やっぱりそう!あんた、××の娘さんね!?だって顔そっくり!あー懐かしいわぁ」
返答できずにいる私を置いて、いろいろと喋り続けるおばさん。
何も言葉を返さない私の手を取って、嬉しそうに言う。
おばさん「時間ある?立ち話もなんだしねぇ、よかったらウチにおいでなさい」
勢いのままに「はい」と肯定の返事だけすると、おばさんは嬉しそうに私の腕を引っ張って案内してくれた。
連れていかれたのは商店街の片隅にあるバーだった。カウンターだけで10席もない小さなお店。
おばさん「営業は夜からだから散らかっててごめんね、何か飲む?ビールもウイスキーも焼酎もあるよ」
おおおおおお酒はだめです!慌ててダメってジェスチャーをすると、おばさんは大笑いして言った。
おばさん「冗談だよ。あんた可愛いねぇ。はい、お水。スーパーのミネラルウオーターじゃないよ、今そこで汲んだ井戸水だから美味しいよ」
はぁ、と一つ息を吐いて心を落ち着ける。初めてこんなお店に来て、知らない人にからかわれて少し大変。
気を取り直して水を飲むと、いつも飲んでるのと違ってすごく美味しくて驚いた。
志保「...おいしい」
私の言葉を聞いて、上機嫌でおばさんは答える。
おばさん「だろう?ここは何もないけどね、かわりに美味しいものはたくさんあるよ」
私はちびちびと水を飲んで、おばさんはお店の準備をすすめている。グラスを洗いながら、おばさんは私に問いかける。
おばさん「で、あんたはここに何をしに来たんだい?」
私はその質問に目を丸くする。てっきりあの人について聞かれるものだと思っていたから。
おばさんの方を見ると、優しい目でこっちを見つめてくれていた。だから、私もきちんと言葉を返す。
志保「学校で父の日の作文の宿題が出て、お母さんにそれを話したら、ここに行けって言われました」
きちんと言葉を返しすぎて、これじゃよくわからないって自分でも思う。何か補足をしようと頭を巡らせていると、おばさんが先に話し始めた。
おばさん「そうかい。こんな田舎まで、よく来てくれたねぇ」
おばさんは、私の言葉を暖かく包み込むように柔らかく目を細めた。
きっと、おばさんはあの人の今について知っているのだろう。だからそれについては何も聞かなかったんだろう。それはおばさんがあの人についてよく知ってることの証だ。
おばさん「その席は、よくあの子が座ってた席さ」
懐かしむように、おばさんはボソッと声にする。
この席に昔あの人も。腰を上げて、座席を見つめる私におばさんは続ける。
おばさん「弱いのにカッコつけてウイスキーなんて飲んでさ、酔いつぶれて私が面倒みることなんてしょっちゅうだったよ」
おばさんから初めて聞くあの人の話は、あまりカッコよくないものだった。
おばさん「店に若い子が来ればよく声をかけてさ、今じゃあれだね。セクハラ?みたいなことも言ってたよ。まぁ、そんな時代だったから」
あぁ、あの人は私が描いてた理想とは少し違う人みたいだ。心の中だけで、肩を落とす。
おばさん「でもね、仕事には真面目だった。せっかくひっかけた女の子が『お仕事は何してるんですか?』なんて聞くとね、急に目が真面目になって語り出すのさ」
あっ、よかった。少し私の理想に戻って来たみたい。
おばさん「そんなもんだから、なかなか女の子が捕まんなくてねぇ。そんで捕まったのは、あんたもよく知ってる人だよ」
その言葉を聞いて驚く。そっか、2人はここで出会ったんだ。
それを聞いてお店を見渡す。たくさんお酒の瓶が並んだキッチン。カウンターの後ろには知らない外国の人の写真。この空間をしっかりと目に焼きつける。
おばさん「あの子はいっつも言ってたよ。都会に出て大っきくなるんだって。まぁ、田舎に住んでる若い子はたいてい言うんだけどさ」
ずっと都会で暮らして来た私には想像もできなかった。故郷を捨てるって、なんだか悲しいことのような気もするけれど。
おばさん「でも、たいていはそう言うだけで田舎に留まり続ける。ちょっとだけホントに都会に行く子もいるけど、まぁしばらくしたら戻ってくるさ」
その気持ちもあまりわからない。夢があるなら歩き出して、そして歩き続けるべきなのに。でも、だからこそ私はこうやってアイドルをやれているのかもしれない。そんな風にも思う。
おばさん「でもあの子は帰ってこなかった。偉いよ。かわいらしい子だったから、少し寂しかったけどね」
洗い物の手を止めて、うつむくおばさん。この人の中にもあの人はきちんと生きていて、そして悲しむことができる。
私は無性に、それが羨ましかった。
おばさん「ごめんね、おばさんばっか喋って。なんか聞きたいことない?」
聞きたいことはたくさんある。でも、なんだかうまく言葉にできなかった。だから、直感的に浮かんだことを聞いてみることにする。
志保「私とあの人...お父さんはそんなに似ていますか?」
もちろん私はあの人の写真を見たことがある。でも、写真は写真だ。あの人の顔は動いてくれない。だから、私には本当のあの人の顔はわからない。
おばさん「あぁ、似てるよ。商店街で見た顔なんて、その席で見たあの子の顔そのままだったよ」
おばさん「困った時に眉間に皺が入って、目が細くなって、顎に手を当てるとこまでおんなじさ」
顎に手を当てたあの人なんて、どの写真にもなかった。そっか、写真を撮ってるんだから困ってるとこをわざわざ撮らないか。
そっと顎に手を当てる。いつもしてる仕草なのに、すごく特別なことをしているみたいで心がじわっとあったかくなる。
おばさん「そういえば、あんたの名前なんだっけ?教えてくれる?」
もうかれこれ1時間も話し込んでいるのに、自己紹介がまだだったことに気がつかなかった。
志保「北沢志保です。志を保つと書いて、しほって読みます」
おばさん「志保か。真っ直ぐでいい名前だ。あの子がつけそうな名前だね」
そう言われて気がついた。そっか、この名前はあの人とお母さんでつけてくれた名前。そんな当たり前のことを忘れていた。
私自身にあの人の思いは、感情は繋がっていた。何よりも私を私だって決める、「志保」って名前の中に。
ねぇ、お父さん?私は、あなたの願ったように生きられていますか?
問いかけに答えは返ってこない。それもそうだ。その答えが出るのは、ずっとずっと先だ。
そして私はあの人のことをたくさん聞いた。カッコ良かったところ、ダメダメだったところ、おばさんは昨日あったことのように詳しく私に教えてくれた。
ひとつひとつ、その話を心の大事な場所にしまう。どんなに情けなくても、どんなに素晴らしくても、どれも全部大事なあの人の記憶だ。
たくさんの記憶を繋ぎ合わせてみると、あの人は私の思い描いた理想の『お父さん』とはやっぱり少し違った。でも、なんだかこそばゆいほどに素敵な人だった。
真面目で、優しくて、でも少しエッチで。うん、なんだか身近に似ている人もいるような気がする。
そんな大事な時間は過ぎて、そろそろ駅に向かわなければいけない時間になった。私はそれをおばさんに告げて、何杯か飲んだ飲み物のお代を払うために財布を取り出す。
おばさん「あー、いいよいいよお金なんて。私が連れてきたんだ。あんたからお金をとっちゃバチが当たるよ」
でも、私にはお金を払わないといけない都合がある。商店街から駅までの道に開いているお店はなさそうだったので、電車賃を作るためにお札を崩せそうにない。
それを告げると、おばさんは何か閃いたように言った。
おばさん「お札を崩してあげてもいいんだけど、それじゃあんたの気が済まないならこうしよう。100円だけ払っとくれ。でもこれは支払いじゃない。あんたの貸しにしよう。気が向いたら、取りに来てちょうだい」
そう言ってケラケラ笑う。少しキザな話だと思うけど、私は嬉しかった。大人になったとき、お母さんと弟と来たいと思う。
そんなことを考えていると、思いもしない言葉がおばさんから飛び出した。
おばさん「あと、サインちょうだい。お店に飾るから」
驚きに目を丸くしてると、彼女が続ける。
おばさん「ごめんね。実は最初からあんたのこと、知ってたよ。でも、あんたはそんな感じでここに来たんじゃないだろうから、黙っといたんだ。知らないふりして悪かったね」
おばさん「あんたの仕事は立派だよ。こんな田舎にもきちんと届いてるんだ。だから頑張りな。応援しているからさ」
テレビに出てCDも出しているのだから当たり前のことなのだけど、想像もしなかった。こんなに遠いところにも、私の活動は届いているんだ。
色紙を受け取って、サインを書く。それを見ながら、おばさんは優しく告げる。
おばさん「きっともっと遠くにも、あんたの頑張りは届いてるよ。遠く、遠くまでね」
私も、心からそうであって欲しいと願う。
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ガタンゴトンガタンゴトンと大げさに電車が揺れる。
きっとお母さんが期待していた以上に、私はここに来て多くのものをもらえたと思う。
薄暗い駅の明かりがどんどん小さくなっていく、またここに来た時は、もっとゆっくりといろんな風景を見よう。そして、あの人の記憶をもっと辿ろう。
窓の外は夕焼けのオレンジに染まっていた。初めて来るところなのに、なんだかすごく懐かしい風景に思えて寂しくなる。
さて、帰ったらお母さんに何を話そう?『あのお店でお父さんにどうやって口説かれたの?』なんて聞いたら、お母さんは驚くだろうか?ちょっと楽しみ。
あの人についてお母さんに何を教えてもらおう?知りたいことは山ほどある。
窓の外の景色を眺めながら、顎に手を当てて思いを馳せる。遠い遠いあの人と、心を通わせるように。
E N D
終わりだよ~(○・▽・○)
読んでくださった方、ありがとうございます。
いいね、いいね
分かってる設定からこういう話作れる凄いと思う、乙です
北沢志保(14)Vi
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>>6
矢吹可奈(14)Vo
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