佐久間まゆ「たった一つの光、願い込めて」 (23)
選挙なので、拙作、佐久間まゆ「星屑サンセット」を少しだけ訂正して再掲載させていただきます。
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私は恋をしている。
アイドルの私は許されざる恋をしている。
読者モデルを経験し、人に見られる仕事に就いた私が最も危惧しなければならないことを、私は自ら起こしている。
「プロデューサーさん? どうしたんですか?」
だから私はプロデューサーさんに嫌われるために努力をする。
ひたすらに彼に執着して、ひたすらに彼以外を拒絶する。
「まゆ以外を見たら許しませんよ?」
嘘だ。
表面を取り繕っても、臆病な私は他人には隠せても――。
私は私のことを偽れない。
本当の私は、ただのさみしがり屋。
プロデューサーさんの泣き出しそうな苦笑いを思い出して広い部屋で泣くだけの、狂った哀れな一人の女。
私は嫌われなくてはいけない。
嫌われなければ、この想いが彼をも滅ぼしてしまうから。
私は一般人なら良かった。彼に危害が及ばぬ存在であれば良かった。
でも、それはかなわぬまま。
もうすぐ日が暮れる。徐々に遅くなる夕焼けが空を蝕み、鳥の群れがV字に並んで空を翔けてゆく。
その鳥たちの行方を見つめてから、私はもう一度テレビに視線を向ける。
「まゆ、この後、暇?」
プロデューサーさんの声で、事務所のテレビを見つめていた私は我に帰る。
テレビの内容は、幸子ちゃんのバラエティロケの話題。
彼女は自信家だがそれに見合う、いや、それ以上の実力を持っている。
だからこそ、私ではかなわないと思っている。
彼女はトップアイドルになることができる器だ。
私ではどうしたって届きそうにない頂点の器。
「突然どうしたんですか?」
私は心の内側を悟られないようにいつものような声色で言葉を紡ぐ。
プロデューサーさんに嫌われるためだけの甘い声で。
「いや、まゆに見せたいものがあって。夜じゃなきゃだめなんだ。だから――」
「プロデューサーさんと一秒でも一緒にいられるのならまゆはいつだって、どこだってかまいませんよ」
我ながら重い重い、馬鹿な女だと思う。
これだけ執着してやれば、鈍感な彼でも背筋が凍ってくれるだろう。そして、私の担当から離れてくれるだろう。
私はただのアイドルで、彼は私のプロデューサー。
この恋は実ってはならない。実らせてはならない。
私はシンデレラで、彼は私を舞踏会へ送ってくれる魔法使い。
シンデレラは魔法使いに恋をしてはいけないのだ。
プロデューサーさんは、にっこりと笑う。
泣きだしそうに見える、彼特有の笑みで。
「じゃあ、今から行こう。夜は冷えるから仮眠室の毛布を持っていこうか。先に鍵を開けて待っていてくれ」
「うふ。どこへ連れて行ってくれるんですか?」
「内緒。でも、きっと気に入る場所だと思う」
くつくつと喉を鳴らして、私は馬鹿な女を演じる。
この恋心は、知られてはいけない。
「じゃあ、まゆはお先に車の中で待ってます。プロデューサーさんの、車の中で」
口角を吊り上げて、私は笑う。
プロデューサーさんはまた、泣きそうな笑顔で私の笑みに応えた。
夕日はすっかりと沈んでもう夜の時間。
プロデューサーさんの車に乗って、私たちは曲がりくねった山道を進んでいる。
プロデューサーさんの席の後ろでなるべくバックミラーに映らないように、私はプロデューサーさんを見つめている。
事務所から数十分ほど車を走らせるとそこはもう山道だった。
道端には草が生い茂り、対向車が来たらどちらかが引き返さなければいけないような道。
そんな道を、プロデューサーさんはまるで慣れ親しんだ道のように進んでゆく。
「プロデューサーさんは、良く此処にいらっしゃるんですかぁ?」
「ん? あぁ。昔、良く来てたんだ。気分転換したいときとか、嫌なことがあったときとかにね」
そうして、なつかしむようにプロデューサーさんは大きく息を吐いた。
彼の表情はうかがえないけれど、きっと彼は穏やかな顔で前を見つめているのだと思う。
山道は暗いけれど、不思議と不安や恐怖はない。
細い山道をたどるのは、たった一台の車だけ。
古びた街灯の根元に車が止まる。
「よっし、着いたぞ、まゆ」
プロデューサーさんは楽しそうに言う。
プロデューサーさんが下りてから少し遅れて私も車から降りる。
そんなに高い山ではないはずだが、やはりこの季節の夜は冷える。
あらかじめプロデューサーさんが積んでくれた毛布を後部座席から引っ張り出して、それを両手で抱えて私はプロデューサーさんの隣に立った。
舗装されている駐車場のいたるところから背の高い草が生えてアスファルトは隆起し、その草にうずもれるように、放置された車が駐車場に二台だけ存在している。
長い間この場所が行政から忘れ去られているような、そんな雰囲気を抱いた。
「何もない場所だからここが良かったんだ。ほら、毛布をかぶって。冷えないように」
プロデューサーさんだって寒いだろうに、彼は私に半ば無理やり毛布をかぶせる。
なすすべもなく、私はすっぽりと毛布をかぶった。
「ねぇ、まだ此処に来た目的を内緒にするんですか?」
毛布の下から顔を出して、私はいたずらっぽく彼に尋ねる。
彼が無計画に行動を起こすのはいつものこととはいえ、いくらなんでも今回は読めない。
夜にこんな場所まで連れてきて、一体何が目的なのだろうか?
「ん、それじゃあ、歩きながら話そうか」
そういうと、プロデューサーさんは街灯の明かりでできた道へゆっくりと歩を進める。
私の小さな歩幅に合わせた、普段のせわしない彼とは違う歩き方で。
「俺の生まれはこの近くで、この場所を初めて知ったのは小学生のころだったんだ。あの時まだ駐車場もきれいだった。あ、でも、あの二台の車は昔からあったっけ」
くすくすと笑みをもらしながら、なつかしむようにプロデューサーさんは言う。
「俺は昔から自然が好きだったから、良くこの山に来てたんだ。親に怒られた時、テストで悪い点を取った時、先生に怒られた時、嫌なことがあった日はいつも此処にいたっけなぁ」
しみじみと、プロデューサーさんは言葉を紡ぐ。
いつの間にかアスファルトの舗装はなくなり、柔らかな芝生が足を包み込んでいた。
「あの展望台、あの場所から周囲を眺めては一人で泣いたり笑ったりしてたんだ。さあ、手を取って。暗いから足を踏み外すといけない」
そうしてプロデューサーさんは、私に手を差し伸べる。
どうしてこの人は、私の思いに気づいてくれないのだろう。
私は嫌われたいのに。それなのに、彼は私の心に近づいてくる。
でも私は魔法をかけられたようにその手を取ってしまった。
プロデューサーさんは慣れたように展望台へ一歩を踏み出し、私は恐る恐る、彼の足跡をなぞるように一歩を踏み出す。
どうやら、ペンキがはがれた展望台でも、二人分の体重を十分に支えきれるようだ。
軋むことはなく、展望台の足場は私たちを支え続ける。
やがて私たちは展望台を登り切り、鉄柵に両腕を置いた。
プロデューサーさんが体重をすっかりと鉄柵に預けているのを見て、私も恐る恐る彼の真似をする。
プロデューサーさんはスーツ姿、私は毛布をかぶったお化け。
周囲に街灯は申し訳程度にしかなく、その電球ももうすぐ切れそうで、時折点滅を繰り返している。
「……どうして夜につれてきたんですか?」
私の疑問に答えるかわりに、また彼は泣き出しそうな顔で笑みを浮かべる。
「空を見てごらん」
彼の声に導かれるままに、私は視線を上げる。
「うわ……ぁ……!」
視界に入ったのは、満点の星空。事務所の周辺からは決して見えない、星空だけの世界。
吸い込まれそうな錯覚を覚える、白と黒だけの世界だった。
「奇麗だろう? 昔泣き疲れてこの場所で眠ったら、偶然見つけたんだ。その頃は寒くて次の日に風邪をひいたけど、それに見合って余りあるくらいの体験をしたと思っているよ」
瞬く星から目を離せない私にプロデューサーさんが言葉をかける。
やっとのことでその光景から視線を離し、私はプロデューサーさんの瞳を見つめた。
「でも、なんでまゆを連れてきたんですか?」
一番の疑問は、それだ。どうして幸子ちゃんや凛ちゃんではなく、私なのか。
私は嫌われるために行動したのに。
私は、こういう二人きりの時間とは、全く無縁になるように努力したというのに。
気づけば胸が高鳴っている私自身が腹立たしい。
私の問いかけにプロデューサーさんは困ったような、照れくさいような笑みを浮かべて私の瞳をじっと見つめた。
私は気恥ずかしさから目をそらしたくなる。
私が見つめることは慣れていても、彼のほうから見つめてくるのには慣れていない。
「俺は、まゆの前にも数人アイドルをプロデュースしてきてる。だから、アイドルが考えてることくらいはわかるつもりだった」
独り言のような調子で、プロデューサーさんは呟く。
「最初に担当したアイドルは、凛だった。彼女はじゃじゃ馬だったが、今思えばあいつの考えてることはわかりやすかったな。俺が思うアイドル像に、一番近い奴だった」
ふふ、と笑みをこぼし、彼は言った。
「それから、幸子。彼女には本当に手を焼いた。俺はああいうタイプにあったことはなかったから、一体どうやって接してやれば良いのか分からなかった。でも最近はやっと、付き合い方がわかってきた」
そうして彼は。もう一度私の瞳を見つめた。
星空のように、吸い込まれてしまいそうな瞳で。
「でもな、まゆ。お前はそれ以上に分からないんだ。お前は俺に良くコミュニケーションしてくれるが、どこか遠慮してるようにも見える。お前はどうしたいのか、さっぱりわからないんだ。プロデューサー失格かもしれないが、お前が俺に嫌われようとしているような、そんな感じがするんだ」
思わず私は息をのむ。
完璧に演じたはずなのに、彼には見透かされていた。
彼が新米のプロデューサーなら、私が彼の初めてのアイドルなら、こうはならなかったのかも知れない。
「教えてくれ、まゆ。お前は一体、何を考えているんだ?」
プロデューサーは申し訳なさそうに、そう呟く。
その言葉に、私は毛布を目深にかぶって、言葉を考えることしかできなかった。
「まゆは……プロデューサーさんのことが大好きです」
「それはさんざん聞いたよ。それも、演技じゃないのかと俺は考えている。その一人称や笑い方が演技なんじゃないかって、俺の考えすぎかな?」
乾いた笑いがこぼれる。
結局私が隠すためにつくろったものは、彼に全部お見通しだったというわけだ。
「ふふ。かなわないなぁ。プロデューサーさんには」
私は無意識に、ありのままをさらけ出していた。
それでもプロデューサーさんは驚いた様子はなく、ただただ、私の言葉を待っていた。
「えぇ。今までの『私』は、演技でした。貴方にスカウトされた時からずっと、私は貴方に嫌われるためだけの『佐久間まゆ』だったんです」
「どうして、そんなことを?」
目元をすこしだけ毛布から出すと、肌寒さが体に張り付く。
寒さのせいか、声が震えた。
一番近くの灯りが再びちかちかと輝くと、それっきり明かりがつくことはなくなった。
月光と星明かりを背負うプロデューサーさんの顔を伺うこともできないほどに、周囲は暗い。
「――私が、アイドルの私が、夢を与えるのが仕事の私が、貴方に恋をしてしまったから」
私は穏やかに目をつむってそう呟く。
いつもの調子とは違うと感じたのか、プロデューサーさんは短く息をのんだ。
「私は、プロデューサーさんを嫌いになんてなれませんでした。だから、貴方に嫌われるような私になろうと思ったんです」
そして私は、プロデューサーさんに背を向けて星空を見上げる。
「でも、貴方は私のことを嫌ってはくれませんでした。あんなに重い女を演じていたのに、どうして貴方は私の心に歩み寄ってきたんですか?」
声が震える。泣いてしまいそうだ。
たまらず私はまた、目元をすっぽりと毛布で覆った。星空も月も見えなくなったが、泣き顔を彼に見られるよりはずっと良い。
「私のことを嫌いと言ってください」
胸が締め付けられるような感覚に、涙があふれ出した。
声と肩が震えてしまう。
プロデューサーに、私が泣いてしまったのを気づかれただろうか。
最後まで面倒くさい女だ、と、私は泣きながらも冷静に自分を見つめる。
初めから、こうしていればよかったのかもしれない。
こうして素直に心情を吐露すれば、立派な社会人である彼なら、私を嫌ってくれただろう。
君の想いに応えることはできない、と、やんわりと私を拒絶してくれたのだろう。私の初恋は、緩やかに終わりを迎えたのだろう。
だが、私はそうできなかった。
彼に嫌われるのが怖かったから。
彼に嫌われることを望んで、彼に嫌われることを恐れて。
つくづく面倒くさい女だと、私はまた冷静に自らを嘲った。
「まゆ」
プロデューサーの声に、私の肩はびくりと跳ねる。
ようやく、私の初恋は終わる。
嫌われるためだけの、病んで狂った『佐久間まゆ』も、今日でおしまい。
そう思っていたのに、彼は毛布ごと、私の背中を抱きしめた。
「まゆは馬鹿だなぁ。俺がまゆを嫌いになれるわけないじゃないか」
穏やかに彼は言う。
彼の意図が私にはわからない。
「どう……して……」
「だって俺も、まゆに恋しているから」
嘘だ。
「やめてください……そんな優しい言葉……本気に……しちゃいますから……」
「俺は本気だよ。君が好きだ。だから俺は、まゆを嫌いになんてなれないんだ」
両目からこぼれた涙が毛布を濡らす。彼の体温が私の背中を伝う。
「最初は、君のことを苦手だと思っていた。でも、レッスンやライブに一生懸命な君を見ていたら、どうしようもなく君が愛しくなってきたんだ」
まるで夢のような言葉に、私はただ泣き続けることしかできない。
「俺はプロデューサーで、君はアイドル。こんなことがあってはいけないのはわかっていたさ。だから俺は、君とつかず離れずの距離を保った」
そして、プロデューサーさんは、喉を鳴らして笑う。
またいつもの、泣き出しそうな笑みを浮かべているのだろう。
「君は俺から離れるように努力して、俺は君と離れすぎないように努力して。はは、皮肉なものだ」
そして彼は、毛布を抱く腕の力を緩める。
私は、もう一度彼を見つめる。
涙でぐちゃぐちゃな顔を見られなくて、辺りが暗くて、本当に良かった。
きっと私の泣き顔とプロデューサーさんの表情をうかがい知ることができるのは、夜空に散らばった星と月だけなのだろう。
「……これから、どうしましょうか」
務めて声を震わせないように、私はそれだけを呟く。
プロデューサーとアイドルが恋仲なんて、スキャンダルも良いところだ。
「何も変わらないさ。君はいつもの佐久間まゆで、俺はいつものプロデューサー。君はいつも通り事務所で美味しい紅茶を淹れて、幸子と凛と笑いあうのを俺は見つめながら仕事する」
プロデューサーは正面から私を抱きしめて、耳元でそう囁いた。
「でも、今までと違うのは、互いが互いに遠慮をしないということだ。俺はもう君と距離を保ち続けようとはしないし、君も俺に嫌われようとしなくて良い。オフのときは君の買い物に付き合ったり、一緒に食事をしたりして二人の時間を過ごすんだ」
涙が溢れそうになる。プロデューサーさんのスーツにしみをつけないように、私はまた、毛布に顔をうずめた。
「それから、君がアイドルを引退したら、俺がプロデューサーを引退したら、今までできなかったことを少しずつ埋めていくんだ。時間をかけて、ゆっくりと。それまで、待ってくれるか?」
「うふ、他の子から迫られても、私を捨てないでくださいね?」
「はは、まゆこそ、俺を捨てないでくれよ?」
毛布から視線を上げて、私たちは暗い輪郭を見失わないように、自然に顔を近づけてゆく。
「キス、してください。月と星しか、見ていませんから」
私たちの距離が近づく。プロデューサーさんの吐息が感じられるほどに顔を近づけて、私は彼の瞳をもう一度見つめた。
流れ星が一筋、私達の上を横切るように流れる。
私は目を閉じて、緊張を隠しながら彼を待つ。
緊張で震える唇に彼が気づかないように、ほんの少しの願いを込めて。
――――FIN
以上です。少ししたらHTML依頼出してきます。ご覧くださりありがとうごさいました。
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