速水奏「ここで、キスして。」 (22)
SSR奏が可愛いすぎてカッとなって書いちまいました。
初ss、地の文アリ、書き溜めアリ
良かったら読んでください。
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ファーストキスは、血の味がしたの。
貴方のせいよ。
『ねえ、今だけは私を見て? つらいことも、あの人の事も……すべて忘れさせてあげるから。』
……色っぽいなぁ。
ソファに追い込まれた戸惑う中年と、跨がって迫る美少女。
その先のストーリーを知っていても、そのシーンのすぐ手前に設置されたゴチャゴチャした設備や明るすぎる照明が目の中に写っていても、思わず、世界観に引き込まれる。
「おはようございます、346さん。速水奏さん、すごいですよね。」
「ん? ええ、ありがとうございます。おかげさまですよ、本当に」
共演の女優に話し掛けられて、束の間、撮影から目を話した。
「今回のドラマ、プロデューサーさんが企画されたんですよね? すごいですねぇ」
「企画なんてもんじゃないですよ、たまたま原作の作家が好きでして、ディレクターさんに試しにこんなんどうですか、と。上手くハマってホッとしてます。」
今、奏が出演しているドラマは、家族中も冷えきり、人生にあまり期待をしなくなった壮年の既婚男性の前に、理想そのものの少女が現れ……というストーリーだ。海外で人気を博した小説が元ネタで、奏が扮するのは年齢不相応な妖艶さを持つヒロイン役。
「ディレクターさん、346さんのおかげで今期の覇権はもらった!って言ってますよ。私もバーターで朝の情報番組に出させて頂いたりネットニュースで特集組んでもらったりして、役得って感じ」
「バーターだなんてそんな。こちらの方こそ美味しいところ取らせて頂いてありがたいです。キャスティングだとかは製作陣にお任せして、私はうちの奏のところ以外タッチしてませんから。」
実際、今回の仕事で俺にとっての山場らしいところはせいぜい、スポンサーの確保と交渉くらいなものだった。予算の目処さえつけば346のコネで芸能関係者は動くし、こちらで企画をきっちり仕上げて持ち込めば番組の枠をとるのはそう難しくない。
正直、俺じゃなくたってすべてうまくいくだろう。
「私もプロデューサーさんみたいな方にプロデュースしてほしいなぁ」
甘ったるい声が、俺のパーソナルスペースに入ってきた。
白いブラウスに青いスカートの衣装が良く映える白い肌と細いシルエットの、透明感のある容姿。綺麗だ、と思う。
だが失礼ながら、圧勝だと思った。
キャストの中では同じ年代で、ファンの食い合いになるならこの子かな、と思っていたが、こうして目の前で見れば一目瞭然。
手を伸ばせば触れられるくらいの距離で見つめても、スポットライトの向こうにいる奏のほうがずっと存在感がある。欲目を抜きにしても、うん。
演技になればわからない? いや、それこそ奏のここ一番の集中力は――――――
『すいませーん! 今のところもう一度お願いします!』
って、あれ?
「NG? 珍しいな」
「あらっ、速水さんでも緊張するんですね?」
「そういうタイプでも無いんですがね」
……実際には、あいつも人並みに緊張するタイプだ。が、共演者にわざわざ言うことじゃない。
しかし、別に初めての現場じゃないし、緊張が原因ってわけじゃないと思うんだがな。
『……』
「……?」
目で大丈夫か? と問いかけると、何故かものすごく睨まれた。なんか、責めるというか咎めるというか。
プライドに障ったか? いや、よくわからん。意図を図りかねてるうちにフイッと視線を外されてしまった。
「それで、どうですかあ、プロデューサーさん? さっきのお話し。」
振り返ると、ふわりとベビードールの香りが届いて、触れられるほど、さっきより近い。デコルテが目に入ったのがわかったのか、にやっと笑ってきた。
「申し訳ないが、所詮サラリーマンですからね。ウチの所属以外のアイドルのプロデュースには応じかねます。」
「いいんですよ、プロデューサーさんの企画でキャストに空きがあるときなんかに、思い出してくれたら使ってください……お願いですよ?」
耳元で囁きながら、手の中に紙を渡してきた。軽く触れた指先が年相応に細くて、却って驚いた。
「……因果な商売だぜ」
少女は素早く物事を理解する、らしいが、制服着ててもすでに女か。ま、あの制服はただの衣装なんだろうけれど。
紙に書かれた携帯番号に掛けると、果たしてどこにつながるんだろうかね。
『はい、OKです! 速水さん、お疲れ様でし……ひえっ!!』
斜め後ろから声が飛んできた。たぶん終わったんだろう。これで奏の今日の撮る分は終わり、少し休憩したら、次の現場に向かって、今日は仕舞いだ。
紙をくしゃっと丸めて、ポケットに突っ込む。スポーツドリンクでも持ってってやるか――――――と、思うんだけど。
なんだろう、なんかスゲエ振り向いちゃいけない気がする。なんだろうな、コレ?
「奏えー……」
「…………」
「奏さーん」
「…………」
機嫌が直らん。
撮影が終わって引き上げてきた直後、お疲れさまと言っても「ありがと」と言ったきり一言も話さなかったり、演技を褒めても「そ。」と、冷たい目で済まされたりとした時にはどうしようかと思ったが、楽屋に戻って様子を見ているうちにだんだんとわかってきた。
怒ってるんじゃない、拗ねてる。
椅子に腰掛けて足を組んで頬杖を突き、つーんとそっぽを向いたまま黙っている。これが怒ってるときは大概、面と向かって自分の思うところをキッパリ言ってくるか、無言で爪の手入れやバッグの整理を済ませてさっさと現場を離れようとするかのどっちかになる。
つまり、このお姫様のお気に召すことをして差し上げれば、冷たい表情も晴れてこっちを向いてくれるのだが。
ふだん手がかからないだけに、こうなるとどうしたものかな。
「……はあ、わかったよ。奏。」
「……」
「知られたら嫌われると思って、黙ってた。けど、それでごまかせるわけないよな。すまない」
無言。流し目。
目力あんだよなあコイツ。顔が整いすぎてるから特に。
「……事務所の冷蔵庫に入ってたお前の分のゴージャスセレブプリン、食っちまったのは俺なんだ……周子ちゃんと周子Pが食ってたから食っていいもんだと思って食っちまった。必ず埋め合わせする。許してくれ。」
「…………」
「…………」
「……はあ。本当ばかね、あなた。」
……俺の寒い冗談がウケたというわけではなさそうだが、努力は認めてくれたらしい。
溜息をついて、しかめっ面して立ち上がる。射竦めるような迫力のある鋭い顔――――――
「――――――おうっ」
ぼすん、と、胸に大きく振りかぶって放たれた正拳突きが飛び込んできた。
ウチの事務所の武闘派連中が時折ガチで放ってくるソレみたいなもんじゃない、怖さも殺傷力もまったく無いゲンコツだが。
「さっき違う事務所の子と話をしてたでしょう。」
「そりゃ、共演者と世間話くらいするさ。」
「それで今日の私のハイライト見逃したのね。」
「う……」
「知ってるのよ。わかるんだから。」
すとん、と、胸元に頭を預けてきた。
「違う女の匂いがする。」
お前はデレプロの凛ちゃんかよ。怖いわ。
「……怖くなるの。ひょっとしたら貴方がどこかに行ってしまうんじゃないかって。捕まえていて欲しくて、見ていてくれないと不安で……」
押し付けられるわずかな重み、両腕にすっぽり入りそうな細い肩。
服越しに吐きかけられた、熱い吐息。
「――――――なんてね。フフ、ちょっと焦った?」
こうやって、すぐに悪戯っぽく笑って顔を上げるのはわかっていたけど。
それでも一瞬、目眩がした。
「タチが悪いぜ」
「あうっ」
宙に浮いた両腕をごまかすように、ぼすっ、と台本で頭をはたいた。
「大人をからかうんじゃありません」
「なぁに、さっきのこと? ふふっ、意識しちゃった?」
346プロのいいところのひとつは、社用車のクオリティが高いことだ。
都内の走りにくい道でも、助手席で面白げに微笑むシンデレラが束の間、くつろげるくらいには。
「嘘は吐いてないわ。違う子と仲良くしてて、妬けちゃったのは本当。」
「仲良くって、お前な。」
「ねえ、気付いてる?」
一瞬、ちらっと彼女を見て目が合い、はっと、すぐに視線を前に戻した。
まるで、盗み見を咎められたような、我ながらそんな風。実際にそんなことで責められる理由はどこにもないのだけれど、思わずそんな風にしてしまった。
「最近、こうして過ごすことが少なくなったわ」
「……そりゃ、最近の奏はすごく充実してるからだよ。どこでオフを作ってやろうかって困るくらいだ。」
「前はほとんどのお仕事に付きっ切りで付いてきてくれたけど。」
「今はユニットでの仕事もガンガン入って来てるだろ? 今だって奏をLiPPSの合同レッスンに合流させたら俺はスポンサーとのアポに向かわなきゃいけない。」
「なんだ……プロデューサーさんにとって、私ってお仕事だけの女だったんだ……ううっ」
ときには飄々としたり。
俺は目の前の吹っ飛んでいく景色を見続ける。冗談めかした仕草の手の隙間から、ちらっとこっちを見てくる彼女をなるべく見ないように。
「お前らしくないよ、奏」
「私は自分にいつも正直よ。あなたもそれが私の強みだって、知ってくれてるでしょ?」
シフトレバーにかけた手の甲に、そっと人差し指が添えられる。すらりとした白く、綺麗な爪。
目をそらすな。そう言われた気がした。
「プロデューサーさんは、どんな私でいてほしい?」
彼女の視線、斜めの視線の俺に対して、まっすぐな問いかけ。呼吸が少し浅くなったのを、努めて悟らせないようにしながら、自社ビルの地下駐車場に車を入れた。
「……着いたぞ。遅れるから、早く行きなさい。」
「そうやってごまかそうとするの、ずるいわ。」
「子供みたいな事言わないの。」
「子供扱いしたり、大人扱いしたり、都合の良い人。」
猫のようにしなやかに、シートベルトをさっと外して俺の上に覆い被さり、運転席側の窓に左手をついて、逃げ道を塞いだ。
「ねえ」
薄暗い明かりに、鮮やかな赤い唇が浮かぶ。
何だかって名前のブランドの、柑橘系の香水の香りに包まれる。
ゆっくり、音もしないほど静かに、太股と胸の辺りに、柔らかな重みが加わる。
「私は、貴方の望んだ以上のアイドルになってみせる。けど、貴方の前では、普通の女の子でいたらいけない?」
濡れた声、潤んだ上目遣い。
表情のひとつひとつが、ひどく印象的なんだ、この少女は。
「……夕方には迎えに来るよ。」
声が上ずらないように注意しながら、答えた。
「遅れそうならLINEするからさ。待っててくれ。」
「そのあと、お仕事残ってる?」
「……いや、対客は無い。事務作業片付けたら、今日は終わりだ。」
「そう。なら、そのあと付き合ってね。」
「は?」
「仕事の出来るプロデューサーさんだもの。一時間もあれば終わるでしょう?」
「おい」
「待ってるから」
待ってろって言ったでしょ? 貴方がそう言ったの。
悪戯な瞳がそう言い返してきたら、観念するしかなかった。
「……可能な限り早く終わらせますよ、シンデレラ」
「ありがと、ふふっ!」
狙った獲物を捕らえたときの笑みを浮かべて、パッと体を起こして軽やかに車を降りていった。
「ふぅ……」
ため息をついて、浅くなっていた呼吸を取り戻す。
ドアが閉まる音に合わせて、ポケットを探って、煙草を取り出す。
----と。
「ん?」
コンコン、と、運転席側の窓を叩く音。さっき出ていった奏が立っている。後ろ手に手を組んで、猫みたいな顔で。
火の付いていないタバコをくわえたまま、パワーウィンドウを開く。
「忘れ物でもしたか?」
「ええ、ちょっと確認。」
「どうした?」
「コレ。今日の夜、予定入っちゃったから、もういらないわね?」
ぴらっ、と、奏の長い指に挟まれた紙を見て、思わずタバコをを落としそうになった。
「おま。いつのまに」
「それと」
表情が変わらないよう努めた俺の問いかけをフイッとかわすように、くわえたままのタバコの先に、人差し指をそっと当てた。
「私とキスする前は、煙草は吸わないでおいてね。その香りも嫌いじゃないけど……やっぱり、あなた自身の匂いが好きだもの」
くすりと笑うと、そのまま顔を近づけ、赤い唇を開く。
白い歯、唾のすべる舌を一瞬だけ垣間見せて、指に挟んでいた紙切れをくわえた。
ピーっと音を立てて千切っていく。あっけなくまっぷたつになり、彼女の華奢な手で握り潰された。
「ね?」
息を呑みそうになるほど綺麗な顔で得意気に笑うと、ダンスのようにサッと身を翻して、今度こそ去っていった。
「……魔女か、あいつは」
欲しいものをたちまちに魅了してしまう魔性を、10代らしい奔放さできまぐれに撒き散らす。
将来、あいつの隣にいる男ってどんなやつなんだろう。
ふと、あってはいけない男の姿を想像した。
それを、彼女が残していった残り香と一緒に振り払いたくて、旨くもないタバコに火をつけ、むせるほど吸った。
「……ん?」
タバコは別に好きじゃない。若い頃は吸っていなかった。この仕事を始める時に、この業界には未だタバコを吸う人間が多くて、話のネタのひとつとして吸い始めたのがきっかけだ。
だが吸い慣れると間が持たないときなど、ついくわえたくなる。こうしてだんだん深みにハマるんだろう。
運転中、くわえたタバコを一吸いした矢先に、専務から電話が入った。まだ大分長さの残っていた火を消して、スピーカーを繋ぐ。
『首尾はどうだ?』
余計な挨拶もなく、単刀直入な硬い声。
「無事に一本プラの4000万で決まりました。打ち合わせ通り、うち二本は例のプロジェクトの運転資金で使うということで、企画を固めます」
『約定は?』
「22日です。今月の決済には間に合いますよ」
『そうか、ご苦労。引き続き頼む。』
「ありがとうございます」
『いつも君は期待に応えてくれるな』
似合わない専務の褒め文句に、タバコの残り香が、一層苦く感じた。
「ひとえに奏の力です。」
それは、本心だった。
ひょっとしたら傍目にはそれなりに仕事が出来る男のように見えてるのかもしれない。けど、俺なんて男は、所詮、奏がいなきゃ何もできない。本当は奏の流し目一発あれば決まる仕事を、さも必死に走り回っててめえの力で仕上げましたってツラして手柄ぶってるのがこの俺だ。
俺じゃなくたって奏は飛ぶように上へあがっていくだろう。いや、アイドルじゃなくても、奏は女性として順風満帆な未来を送ったに違いない。
俺じゃない、よっぽどふさわしい誰かと。それくらい、あの煌めくような少女とこの石ころみてえなおっさんのモノの違いは明らかだった。
『----担当者としては、それを最後の仕事にしてみないか?』
「はい?」
わざとらしく聞き返したが、たぶん何を言われるかはわかっていた。
「エグゼクティブに昇格、ですか?」
『ああ、かねてから君には大局の仕事についてほしいと思っていた。それにに君は、いち担当者としては関わっているプロジェクトがやや多すぎるのでな。頃合いだろう。』
「私はまだ若造ですし、まして中途です。年次的にももっとふさわしい方がいると思いますが」
『この業界で三十代の管理職など珍しくもない。それに役職は能力で付くものだ、年次でつくものではない』
消したばかりの、好きでもないタバコを吸いたくなった。
それは、『速水奏の敏腕プロデューサー』で無くなることが惜しかったのではなく。
もっと根源的であさましい、俺の。
『まだ私の考想でしかないが、君が良ければ次の役員会議で発案しようと考えている』
「そうなると、奏の担当は外れることになりますね」
『速水の後任は心配しなくてもいい。君は十分に成果を出してくれたといえる』
「サラリーマンですからねえ」
『君の前歴は知らぬではないが、346に籍を置く以上は能力は発揮してもらうよ。善処を期待している』
通話が切れて、旨くもないタバコに手を伸ばす。
“ねえ、気付いてる?”
ぼんやり浮かんだついさっきの、何気ない居住まいが、絵に描いたように完璧で、鮮烈で。
そう、何とも言えず、モノ。存在感というか、オーラというか。
もう全然、ものが違うんだな。威厳すら感じた。ただの17歳の少女に。
「キリだよな。ここらが。」
今更、出世やカネに興味はなかった。だからうれしくはなかった。
だが、いい機会だとは思えた。彼女から離れるのも、答えの出したくない気持ちに区切りをつけるのも。
「ねえ、煙草吸わないの?」
「人の前では吸わないよ」
「私の前では吸ってよ、プロデューサーさん」
「吸うなっつったろう」
「……へえ、キスしたいんだ?」
事務所のソファで隣り合ってコーヒをー飲む。結局、帰社したらしたであれやこれやと仕事が出てきてしまい、一段落ついた頃にはすっかり外に出るような時間ではなくなっていた。
仕方ないので事務所の休憩スペースをカフェがわりに、コーヒブレイク。
気の利いたサービスもインテリアも無いが、そんなくだらない時間でも、奏は楽しそうにしてくれた。
「悪いな、待たせて」
「ふふ、待つのが得意な女って、良い女だと思わない?」
「恋愛映画みてえだな」
「あら、それ、ちょっとイジワルよ」
口元に手を当てて、クスクスと笑う。
いつからだろう、まっすぐ見るのがこわくなった。
女にしては大きな華奢な手も、悪戯な笑顔も、長い睫毛も、濁りひとつ無い琥珀色の瞳も、すべて眩しい。
俺が彼女と同じ17歳だったら、彼女に話しかけすら出来なかったかもしれない。そして彼女は俺の年になるまでに、もっと綺麗になって、素敵な人と出逢っていくんだろう。
「そういえばさ」
「なに?」
「はい」
「え?」
「べつにブランドとかじゃないんだけどさ」
仕事の帰り道に買ってきてその場で包装してもらった、ペンと手帳のセット。
プレゼントなんて呼べるほどの代物じゃない小物。
「え、いや、なに、これ」
ぽかんとしている。珍しい顔だ。
「あ、ごめん。ピンク嫌いだったか? 使わないか?」
「つ、使う! 使うわ。使うけど……どうして?」
「今まで青とか寒色系が好きなのかと思ってたんだが、奏はアイポッドとか小物がピンクだろ? だから意外と可愛い色も好きなのかと思ったんだ。」
「そういうことじゃなくて! あぁ、もう……」
素肌をさらした長い足を抱え込み、プレゼントを抱いた手に顔を押し付けるように丸まって、隠してしまった。
隙間からのぞく白い首筋が紅くなっていく。
「どうした、奏」
「いや、今だめ。あっちいって」
「……見してみ?」
「こないで。だめ、絶対だめ」
抵抗する奏の表情をこじ開けようと戯れる。つかんだ手首が折れてしまいそうなほど細い。顔を伏せた奏が暴れるたび、彼女の香りが鼻から脳髄まで浸透してくる。
情けない男だな。頭の隅で誰かが言う。
彼女の好意に付け込んで、いつまでこの甘やかな時間に浸っているのか。それが彼女の可能性を刻一刻と奪うことだとはわかっているのに。
彼女にはもっとずっと相応しい男がいるよ。それがわかってるのに、いつまでも自分の満足のために食い潰すつもりかい?
「……何よ」
こじ開けた両手の中から出てきた真っ赤な顔は、キッと鋭くにらみながら、口元はにやけていた。
むりやり口を閉じて隠そうとするが、どうにも止まらないらしい。
苦心の末に作る妙なしわと唇のゆがみが、まぬけというかコミカルというか。
奏らしくない締まりのなさ。
それを眺めてるだけで、とけるような心地になる。
「いや……みないでよ、もう……」
ソファの背に体を、頭を押し付けるように、目線をそらしてうなだれた。手首を掴んでいると、まるで押し倒しているかのよう。
無防備な首筋に、細い肩に、どうしようもなく噛み付きたくなった。
「俺、奏の担当外れることになった」
けど、言わなくちゃ。
深みにはまって、止められなくなる前に。
「え?」
「なんかさ、昇格するんだって。まだ確定じゃないけど」
「……へ、へー……そう……」
にやけ顔が消えて、言葉は途切れ途切れになる。平静を装おうとする奏に、後ろ髪引かれる思いになる。
「その、転勤、とか?」
「都内なんじゃないかな、わからんけど……」
「!……そう、どんなお仕事になるのかしら」
「んーそれも詳しくはわからん。何人かのプロデューサーの指揮を執るって感じになるんじゃないか」
「私とプロデューサーさんの間に誰か入るってこと?」
「たぶんな」
「そう、なんだ」
少しだけ泳いだ視線。
「お祝い、しなきゃね。ねえ、次にオフが噛み合うのはいつ? どこにいくか決めておかないと、ね? 仕事で会える機会が少なくなるなら、次にいつ会うかもその時に決めなきゃね」
いつも通りを装った不自然。
手の中を滑り抜けていくものを焦って繋ぎ止めるような、そんなふうな早口だった。
体を起こして近くにこようとした奏を、手首をつかんだまま、押さえ付けた。
「もう会わないほうがいいと思う。」
奏のその時の表情は、少し唇が震えただけで、眼は腹の据わったもんだった。
「どうして?」
「奏はもっと上に行くからだよ。もっと輝ける。」
「なら、ちゃんと最後まで見ててよ。仕事の立場なんかなにも関係ないじゃない。」
「俺の事なんか気にしなくたって良いさ」
「貴方のアイドルよ! 私は!」
「みんなの、だろ?」
しんと部屋が静まった。
「……もう、帰らないとな。あんまり事務所遅くまで開けてたらちひろさんにどやされちまう。」
「……帰っていいなんて言ってないわ。」
手首をそっと離した瞬間、するりと掌を絡めとられる。
しっかりと指を絡めて、決して離すまいとするようだった。
「逃げないでよ。」
まっすぐに俺を貫く琥珀色の瞳。
綺麗な女だなあ、本当に。
「俺じゃお前に釣り合わないさ。」
普通ならすれ違いざまに振り返って呆然と見遣ることくらいしかできないだろう良い女と、たまたまいいタイミングで出会って、少し近くに居られた。
それだけなんだよ、本当に。
「奏は……たぶん、今が人生のすべてだと感じてるだろうけど、実際には10代なんてのは本当に一瞬でさ。これから俺の年になるまで、ずっと濃くて遥かに多くの人間と出会っていく。片や俺はお前に寄っかかってるだけの、何にもねえカラッポさ。上司の指示一つで吹っ飛ぶ、速水奏のプロデューサーって看板取ったら何も残らないただのサラリーマンのおっさんだよ。こんな詰まらん男に、勘違いしちゃダメだ。五年もすれば、ああ、あんな奴もいたな、って思えるようになる。俺じゃとても手の届かない良い女になってな。」
吐露した、情けない本心。奏の若さと純粋さに対する、自分の若くなさと、引け目を感じてしまう卑屈さ。
煌めくばかりの奏と、何も持たない俺。
心のどこかでは、やっぱりわかっている。たぶん奏の未来を邪魔したくないというのも建前で、本当は自分が傷付きたくないんだと。この素敵な女と並んで、幸せにしてやれない惨めさを味わうのが怖かった。
何処までも臆病で、なおさら、釣り合わねえな、と思った。
「なに、それ」
目線を外した独白。再び向き直ったとき、奏はまっすぐ俺を見つめていた。
最初から最後まで、俺が視線をそらしているときも、ずっと、奏は俺から目をそらさなかった。
「馬鹿にしないでよ……」
明らかに高ぶった感情が、締め付けるような琥珀の瞳と、指に込められた力で分かった。それと、震えた声も。
一瞬のうちに、視界は奏でいっぱいになり、近づきすぎて見えなくなった。
「……っ!」
触れ合う唇の感覚。押し当てられる舌の温さ。歯が、かちんと鳴った。
彼女のにおい、熱。思わず息を止めた。時間まで止まった気がした。
不意に強烈な痛みで、留まった意識が覚醒する。ガリ、という音と、広がる鉄の味。
思わず眉をしかめる、唇の感覚。スッと離れていったぬくもり。
「……最低。」
長い睫毛に滴った雫。震える唇は、俺の血で濡れていた。
握り返した手をぐっと押し返し、ぬくもりがすり抜け、事務所から出ていく。
冷めたコーヒーと、ろくでもない男だけが残った。
一人の事務所で、タバコを手でもてあそんでいた。くわえてはみたものの火を付ける気にもならず、ゆびのなかでくるくると回してみたり、とんとんと机を叩いたりしていた。
天井を見上げたら、ソファの上からバイブレータの音がする。
「あいつ……」
奏の口の空いた学生鞄のなかに、ケータイが入りっぱなしにしてあった。あいつ、着の身着のままで出てったのか……間違っても、俺が言えた台詞じゃないが。
「ん……?」
ふと、気になってケータイを取り上げる。
「いつのだっけ、これ」
黒猫のストラップ。昔々に、奏にゲーセンで取ってやったもの。
確かあの時は、奏がアイドルに成り立ての頃で、あるレッスンのあと、妙に神妙だった奏を飯に誘って、結局そのあと遅くまで連れ回されたんだっけ。
聞いたら、伊吹にダンスのレッスンで水あけられて悔しかったんだってな。
『別に、練習に勝ち負けなんて無いし。次のステップアップの為の糧にしていければそれでいいじゃない。』
なんて、口尖らせながら言ってて、こういう面もあるんだな、って思った。
伊吹は伊吹で『少し教えたら覚え早くってさ、負けてられないよ!』なんて言ってたけど。
そう、自信満々で、堂々としてて、気高くて、なんでもそつなくこなしちまって。
でも背伸びしてて、負けず嫌いで、がんばり屋で、実はちょっと怖がりで、たまに癇癪も興して、いつも周りの期待に応えようとしていて。
最後の最後で自分のわがままを言えない、器用なくせに不器用な、そんな優しい子。
『キスと好きって、裏返しよ。心を伝えたくてするの。遊びじゃないのよ? ふふっ。』
普段冗談めかしてばかりの奏が、ふといつだったか、溢した一言。
「……あぁ。」
遊ばせていたタバコを、勢い余って握りつぶした。
俺は結局、自分の事しか見てなかった。あいつはいつも、俺のことを見ててくれてた。
この期に及んで逃げてたら、たぶん後悔するな、一生。
今更になって走るのも間抜けだし、だせぇけどよ。最低、よりちょっとはマシだろ?
あいつを傷つけたままにするくらいなら、カッコなんか付けるの、懲役モンだよな。
しゃあねえ、行くか。
「----奏。」
東京の海沿いで佇む後ろ姿が振り返る。
はじめて会った場所だ。
潮の匂いは変わらないが、彼女の佇まいは変わった。
表情も、あの時とは違う。
「時間かかっちゃったよ。ごめんな。」
「……ご苦労なことね。」
すぐに海の方を向いてしまう。涙声もそっけない。
「あの時とは、随分変わったよな。あの速水奏がこんなところにいたら、今じゃ大騒ぎになる。」
「……こんな顔じゃ、誰も気づかないわよ」
「どっからどう見たって速水奏さ。俺は気付く。何処に居たって。」
さっき一瞬見えた、崩れきったメイクに腫れた目。手でグシグシと顔を拭う後ろ姿は確かに、まったく速水奏らしくはねぇな。
でも、今だってちゃんと見付けただろ? まあ、手遅れなんじゃないかってくらい、遅くなっちゃったけどな。
「帰ってよ。仕事ならちゃんとやるから。」
「わかってる。奏はそういう女だよな。」
「もういいから。何処かへいって。」
「聞いてくれよ。」
「嫌っていってるの! もういいじゃない、貴方は去って、はじめからなにも無かったことになって……すっきりするでしょ。もう嫌なのよ、話したくないの。」
凍えそうな白い腕に触れたら、思いきり振り払われた。
徹底的に嫌われるかもな、けど、それならそれで仕方ねぇや。
「触らないで」
「やだ」
ちょっと強引に肩を抱いて、くるっとこっちを向かせて、抵抗される前に頬っぺたを両手ではさんだ。
「……離して、よ。」
「嫌だ。俺わがままなんだよ。おまえよりずっと。」
濡れた頬っぺたから伝わる火照りと、真っ赤な目の壊れそうなくらい綺麗な顔が。
めちゃくちゃに抱き締めたくなるくらい、愛しくなった。
「奏が好きなんだ。ずいぶん前から。ずっと。」
ぶん殴ってやろうかと思ったの。
だってそうじゃない、あんなにはっきりと拒絶したのに、今更のこのこやって来て。
お前の気持ちなんて勘違いだ、なんて言われて。それなのに放っておいてもくれなくて、何様のつもり?
大泣きと鼻水でぐちゃぐちゃだし、こんな情けない顔、貴方にだけは死んでも見せたくなかったのに、追いすがってきて隠させてもくれないし。
「ビビってたんだ、ごめん。俺がいくら命懸けになったって、奏には足りないんじゃないかって。お前をアイドルにしてお前の人生変えたくせに、お前の人生の責任を取れる自信が無かった。それくらい、俺にとっては眩しかったから。ましてプロデューサーって立場利用して、お前の気持ちにつけこむなんてやり方は、絶対嫌だった。けど、俺はお前ほど強くないから。だから……わがままを言うよ。」
ひっぱたいてやろうと思った掌を、頬を包んでくる彼の手に添えてしまった。
そうしてより確かになった彼の体温は、もうどうしようもなく、離しがたくて。
滲んだ彼の顔を見てたら、あとからあとから、涙が溢れてくる。
「いつも俺のことを見てくれるお前が、どうしようもなく愛しい。正直、今でもお前を幸せにしてやれる絶対の自信なんてない。でも、お前が笑ってくれたら、俺は幸せになれるんだ。その時、出来たら、俺のすぐ側で、俺の事見て笑って欲しいんだ。こんな風に思える人に、もう二度と出会うことは無いと思う。」
野暮ったいし、タイミング悪いし、ド直球だし。
でも好きになったほうが負けって、本当なのね。自分でわかるくらい、まるっきりただの女の子になっちゃうんだもん。
「俺にとっては、きっと奏が最後の人なんだ。俺の全部をお前にやるから、俺と一緒になってくれ。一瞬だけでも、構わないから。」
恋愛映画のラストって、いつも少し冷めた目で観ちゃうの。恋と愛って永遠のテーマじゃない、それなのにこんなに簡単に決着つくもの? って。
でも、本物の恋は確かに、私が思ってるよりずっと単純で、都合が良いものだったみたい。
そっと体の力を抜いて、彼の胸に預けた私の頭を、彼が優しく抱き締めてくれたとき。
本当に、死んでも良いわって思えたものね。
「……今更」
彼の胸におでこを押し付けながら呟く。彼の胸の中で反響した自分の声が、なんだか気恥ずかしい。
「ただのアイドルとしての好き、なんて言わないでよね。そういうこと言ったら、また泣いてやるから。」
泣いてないし、あなたの前じゃ絶対泣いたりしないから、なんて本当は意地を張りたかったけど。
彼がそっと肩に腕を回して包んでくれたら、そんな意地さえ、張るだけ無駄ね、なんて思えてしまった。
この包まれてる感覚。抗いがたいのね、こんなに。
「ごめん。不安にばかりさせたな。」
「本当よ。年上のくせに。」
柔らかい彼の声。顔は見えないけど、甘い顔をしているのがわかる。
なんだか少し悔しくて、彼のシャツを、きゅっと握ってみた。
……汗でびっしょりじゃない。車で来たはずなのに、そんなに焦ってたの?
それとも、緊張してたのかしら、あなたも。
本当、スマートなフリして、けっこう不器用なんだから。
そんなことですら嬉しく感じてしまう、私も私ね。
「もっと男らしい告白しなさいよ。俺がさらってやる、くらい言えないの?」
「ごめんな。」
「嫌と言ってる女の子に追いすがって。みっともな。」
「わかってる。でも、好きなんだ。かっこ悪くたってお前がほしい」
「ダメ。嘘つきだもの、あなた。」
あなたのしてくれることは、きっとなんでも嬉しくて。
冷めた目で観てた恋愛映画のヒロインのように、都合の良い女になってしまうことが目に見えてわかってるから。
今のうちに、言いたいことは言っておく。
「勝手に思い詰めて暴走しないこと。ホウレンソウは大人の基本。」
「……おっしゃる通りです。」
「あと他の女の子と話すのは、なるべく控える事……意外と嫉妬深いので。」
「それは、誓います。」
「本当かしら? 結構信用してないのよ、そこに関して。」
私だって貴方が夢見てくれてるほど、強くも良い女でもないわ。
寝起きではぼーっとしてて、流行りのお店でパンケーキを食べすぎちゃって。学校の課題に頭を痛めて、夜眠る前は、貴方を想うの。
何処にでもいると思うわ。
貴方に付いていこうと決めたのは、ほんの思い付きだった。ろくに希望もない毎日が、少しでも色づけばと思って。
初めてのステージの一週間前、不安だったのよ。言い訳の出来ない舞台の上で、私が、何も持たない取るに足らない存在なんだって、思い知らされるかもしれなかった。貴方はそんな私の不安はどこ吹く風で、私より私のことを信じてた。
貴方が信じてくれたから、私は私を信じられたの。
いつも全力を尽くしてくれる横顔に、大丈夫だって背中を押す笑顔に惹かれて、最高の私を、貴方にあげたいと思った。
それはとても自然で、確かなことよ。
「信じられない、言葉じゃ」
「……どうしたらいい?」
「ほら。そういうところ、ほんとうに意地悪」
わかってるくせに、わからないはずないのに。
どんなときも、どこにいたって。
私のことを見抜いてくれてるでしょ?
「ごめん」
「……あやまってばかり。意気地無し。ばか。」
「離さねえから」
「……絶対?」
「お前が望む限り、何度でも」
「……ばか。」
ああ、もう。私のことをこんなにしてるくせに、なんて優しい顔で笑うのかしら。
本当にずるい人。
意地悪なくせに情けなくて、臆病なあなた。でもそんなあなたに自信をつけさせてあげるのも、良い女の務めだと思うことにする。
貴方が私にくれてたものを、これからいっぱい貴方に返して、貴方がどれくらい良い男かって、ちゃんと教えてあげるから。
だから、いい加減、ちょっとでも迷ったり、期待はずれだったらもう、許してやらない。
ねえ、いますぐ。
「ここで、キスして?」
以上です。
1レス目に書くべきでしたがモチーフはお察しの通りかの名曲です……
個人的にいま奏に一番カバーしてほしい曲。なんか奏って退廃的だったり破滅的な雰囲気が似合うと思うんだ。
魔性の女のくせに情深さと健気さが加わり最強に見える。そんな印象がある。
他にもひたすらイチャこく展開とか初夜を越えてタガが外れたモードの話とか、むしろ一旦別れて10年後くらいに再開する展開とか「二番でもいいの」なんて言っちゃう奏とか……
いろいろ妄想は広がりましたが冗長になってしまうので今回こんな感じになりました。SSって難しいのね……
機会があれば他の妄想も具現化したいぜ。
乙
さあ、まだスレには余裕があるじゃないか
>>15
あざす!
書き溜め分は吐き出しちまった……長くなったら別スレ立てます。
未経験Pが奏に翻弄される展開も良いと思う一方で、百戦錬磨系Pが奏をひらひらとかわすような展開も一興
個人的には若手に奏のPは荷が重いだろと思う一方で奏本人の攻略と考えるとド直球の青いアプローチで赤面硬直処女ヶ崎さん化する奏も見たいっつーか
結論:奏はかわいい。
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