「あの時、私はね…」 (41)


満月が大きい

春先のまだ冷える夜のお話です



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真夜中に部屋を抜け出して外へ出る。

空気が氷のように冷たく、星はLEDライトのように一つ一つが主張している。

大きく息を吸い全身に冷たい空気を送り、

深く吐き出して息を白く染める。

白く染まった息が消え去ったのを確認してから歩き出す。

目的地の丘の麓までは歩いて2分、正確には100秒と17秒かかる。

物音ひとつしない凍りついたような街並み。

皮膚があることを実感させる冷たい風。

心地よささえ感じる寒さ。

普段と変わらないそれらを感じながら歩き、丘の麓に着いた。

空を見上げると満月が大きく、綺麗だった。

視線を下げ、夜露に濡れた草で滑らないように注意しながら登り始める。

少し息を切らしながら頂上に着くと、いつもの先客がいた。




「こんばんは」

「ああ、また来たんだ。こんばんは」


いつものように先客の横に座る。地面は少し冷たい。


「またってなによ」

「再び、とかって意味だよ」

「そうじゃなくて、なんでそんなことを言うのかってこと」

「こんな時間にこんな所に来るなんて物好きだなって」


嬉しそうに笑いながら言う。

月の光に照らされていて、けっこう素敵だなと評価した。




「それ、自分のこと?」

「君のこと」

「まあいいや。今夜はどうしてここに?」

「星と月と…あとは君に会いに」

「それ、けっこう恥ずかしいって自覚してる?」

「してるよ。心拍数だって70回毎分ぐらいになってる」

「それ、平常時とほとんど変わらないじゃない」

「十三分の一も増えてるなんて大ごとだよ」

「そうかなぁ…」


腑に落ちない、と顔に大きく書いてから私は黙った。




「…君はどうして来たの?」

「私は…ううん、私も……あなたに会いに」

「やっぱり物好きだよ、君」

「ひどいなあ」

「でもさ、名前すら知らない男と1ヶ月以上も、それもこんな真夜中になんて、そうとしか言えないよ」

「それは、そういういやらしい言い方をするから…。それに、名前を知っているかどうかは問題じゃないでしょう?」

「名前を知りたい、とか思ったこと無いの?」

「ないなあ。名前を知らないと不便だって場面に遭遇したら、そう思うかもね」

「あはは、僕と一緒だ」


無邪気に笑う。晴れた日の真昼の空みたいに。




「ねえ、なんで私たちって会うようになったの?」

「それはきっかけを尋ねているの?それとも、こうやって毎晩会うようになった理由?」

「両方」

「きっかけは単純だよ。僕がここにいた。君がここに来た。それだけだよ」

「うーん…事象としてはそれで終わりだけど…」

「あ、最初に来た時にさ、泣いてたよね」

「あ…なんでそれ思い出すのよ…」


恥ずかしい。恥ずかしさメーターが振り切れそうだ。




「あの時の君、すごく綺麗に泣いてたんだよ。言わなかったけど」

「綺麗にって…ああもう恥ずかしい…」

「あはは、ごめんごめん。でもさ、なんであの時、君はここに来たの?」

「珍しいね?」

「何が?」

「今まで、私のことなんてそんなに聞かなかったから」

「そうかな?」

「うん。何かあったの?」

「何かってわけでもないけどね、まあなんて言うかその…」

「あ、分かった。心拍数が十三分の一増えたからでしょ」

「ご名答。やっぱりさ、すごいなあって思うんだ」


月を見上げながら言う。

私もつられて見上げた。



「何が?」

「名前すら知らない、連絡の取りようもない、そんな2人が毎晩会って気持ちが通じ合うなんてさ」

「確かにね…」


私は視線を下ろして足元の草を弄る。


「どうかした?」


私の声のトーンが変わったことに気づいたのか、こちらを向いて彼が聞いた。



「私さ、心拍数が上がってたみたい」

「どれぐらい?」

「2倍ぐらい。手、貸してくれる?」


黙って差し出された手を握る。

温かい。

その手を開いて私の胸に押し当てる。



「ね?すっごいドキドキしてるでしょう?」

「あーうん……待って、これダメだ」


顔を真っ赤にして手を振りほどかれてしまった。



「君、意外と大胆なんだね」

「あなたの前だと大胆になれるみたい」

「スイッチ式なのかな」

「うーん…それよりはパブロフかな、意識してないもん」

「ふうん…」


そのまま右上を向かれてしまった。

星はまばらで、たぶん視界の端に満月がぼんやり見えているのだろう、と思った。



「ねえ、こっち向いてよ」

「やだよ、いま顔あついもん」

「いいから、ほら」

「なにさ…」


しぶしぶ、と言った感じでこっちを向く。



「キス…してみない?」

「ああもう…どうしてさ」

「あなたとしたいから」

「なんで?」

「心拍数が上がったから、じゃ理由にならない?」

「十分すぎるぐらいだね」

「じゃあ良いじゃない」

「なんで心拍数が上がったの?」

「分からないよ」

「分からないんじゃダメだよ」

「分からないからするの。確かめるために」

「確かめるって?」


訝しげな顔をして聞く。



「この気持ちを、かな…」

「へえ…まあ良いや、僕も嫌じゃないし」

「嫌じゃないってひどくない?」

「拒絶よりはマシでしょ?」


楽しそうに笑う。修飾したら「カラカラと笑う」になるだろう、と思えるように。



「それはそうだけど…」

「ねえねえ、キスの前に少しいい?」

「良いけど…なに?」

「さっきも聞いたけどさ、君はなんでここに来たの?」

「…あなたはなんでここにいたの?」

「理由が気になる?」

「理由が気になる」

「お先にどうぞ、レディーファースト」

「それなら、あなたがファーストペンギンになってよ」

「うーん…僕はそういうタイプじゃないから」

「そんなに言いたくない理由なの?」

「そうじゃないけど…君は?」

「私は……うん…あまり言いたくないかも」

「ふーん…じゃあ良いよ。僕だけが話して終わり。それだけで」

「あ、でもね…」

「うん?」

「あなたには、理由を知っていてほしいの」

「どうして?」

「心拍数が2倍になったから」

「そっか」

「うん。ゆっくりになっちゃうと思うんだけど…話しても良い?」

「いいよ。夜はまだ長いから、ゆっくり話そう」

「ありがとう」



深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

冷たい空気が気持ち良い。

吐き出して、白く染まった息が少し残っているうちに続けた。


「あの時、私はね…」





あの時、私はね…悲しかったんだ。

その日の夕食の少し後だったかな、電話があったんだ。

私の好きな人が死んだって、彼のお母さんからね。

幼馴染って言うのかな。幼稚園から一緒でさ、

それはもう兄妹みたいな感じだったの。

好きだって気づいたのは多分、中学生の時。

中2の時、バレンタインにチョコを作ったら少しからかわれてさ、

悔しかったから今年も作ったんだ。

受験があったから、ちょっと遅れたけど。

それで、その時に告白して付き合うことになったの。

幼馴染だったし、聡い人だったから彼のお母さんには気づかれちゃったんだよね。

気づかれることに問題はないけど、やっぱり何となく気恥ずかしいわけで。

まあいいや。



それでさ、卒業式も終わってから何回かデートしてね、高校は別だけどがんばろう、なんてお互いに言い合ったんだ。

で、最後のデートの時にさ、彼が思い出したように言ったんだ。

大学は同じとこに行こう、って。

あ、最後のデートって結果的にそうなったってだけで、別れ話が出たとかじゃないよ?

私と彼の名誉のために一応言っておくけど。

私が行きたい大学があるなら、そこに行けるように俺も頑張るから、なんて言っちゃってさ、ほんとにご苦労なことだよね。

最後に交わした言葉は、また明日電話するね、だったなあ。

結局、電話をすることはなくなったんだけどさ。



聞いた話だと、私と別れた後で近所のスーパーに買い物に行ったんだって。

そしたらその途中で車に跳ねられて…だったみたい。

電話を取ったのは私のお母さんでね、私にそれをオブラートに4重ぐらいに包んで教えてくれたの。

まあ意味はなかったんだけど。

それを聞いた私はもうパニック。

この辺のことは覚えてないんだけどね、あんまり。

私が病院に行くって言って聞かないからお父さんが車を出してくれてね、それで病院まで行ったんだ。



病院でさ、あいつ、普通に治療をするベッドに横になってたんだ。

だから、最初に部屋に入った時はさ、実はまだ生きてるんじゃないかなんと思ったんだ。

結局それは幻想だったんだけど。

顔だけすごい綺麗だったの。

バカじゃないのって言っちゃうぐらい。

なにがバカなのかも分からないんだけどさ、バカみたいだったの。

涙は出てなかったんじゃないかなぁ。



それで、お互いの両親が少し話をして、私は家に戻ったんだ。

でも眠れるわけもなくてさ、

なんとなく散歩をしてみようかなって思って家を抜け出したの。

今より一段、空気も風も冷たくて、でもそうじゃないと自分が溶けちゃいそうな気がしてさ、だからある意味、寒さに助けられたんだ。

そうやってしばらく街をふらふら歩いてるうちに思い出したの。

この丘で小さい頃によく遊んだなって、

この丘でがんばろうって言い合ったなって。

それで、ここに来なきゃいけない気がして、

そしたらあなたがいたの。



あなたを見たらなんだか涙が出てきちゃってさ、

あの時の私、本当に意味不明だったよね、ごめんなさい。

まあこんな感じかな。

あとはご存じの通り、毎晩会っては話をしたりしなかったり、

月とか星とか雲を眺めて夜明けを待ったり、

そんな毎日だったね。





明るく話そうと努めたけれど

それはあまり上手にできなかった。

また私は泣いてしまった。

あの日みたいに。

あの日の出来事を、思い出をなぞったから。

あの日と同じように、彼の目の前で。



「ごめんなさい…私……」

「ううん、たまには泣くのも大事だよ」

「ありがとう…うん、もう大丈夫」


涙を袖で拭い、深呼吸をする。

ぎこちなく笑って、続けた。



「私の話はこれで終わりだけど…あなたは?」

「僕は…うーん…言う必要ある?」

「私が言ったことの中に含まれてた?」

「うん」

「やっぱり。そうじゃないかなって思ったんだ」

「いつから気づいていたの?」

「分からない。もしかしたら最初からかな…」

「どうして?」

「なんて言うのかな…雰囲気?」

「へえ…」

「なんであなたは言ってくれなかったの?」

「言ったって信じてもらえるかは分からないし、それなら黙っていた方が良いかなって」

「そう、あなたはいつもそうだったよね。私に振られるのが怖いからってずっと黙ってて。挙句バレンタインにチョコを作ったらからかうってなによ」


口を尖らせて言う。

きっと、タコみたいだろうなぁなんて思った。



「あはは、ごめんね。照れ隠しだよ、照れ隠し」

「ね、今年のチョコはどうだった?聞くの忘れてたから教えてよ」

「美味しかったよ?」

「そ、なら良かった」

「まあもう食べることはできないけどね」

「そうかなぁ…」

「たぶん」

「でもさ、私には触れたじゃん。だから食べ物も触れるし、きっと食べられるよ」

「だと良いけど」

「あ、そうだ」


今思いついたんです、と言わんばかりにアピールをする。



「なに?」

「お供えってあるじゃん。あれなら普通に食べられるんじゃない?」

「どうだろう…」

「食べたことないの?」

「まず、食べよう、って発想に至らないよ」

「そうなんだ…」

「まあ良いじゃん、試してみようよ。お墓参りがてらさ」

「お墓参り?」

「うん。明日とかどう?」

「それはまた急だね」

「だめ?」

「良いよ、行こう」

「わあ嬉しい」


とびきりの笑顔で言う。

こんな笑顔は一年の中でも数えるほどしかしないな、と思った。



「でもさ、変な気分だよ」

「なにが?」

「自分のお墓参りなんてさ、普通しないじゃん」

「この状態だって異常だし今さらじゃない?」

「あー…言えてる」

「ね、明日は何が食べたい?」

「この前のチョコが良いな」

「そんなに気に入ったの?」

「気に入ったし…何より大切なチョコだからね」


左下を向いて、うなじを触る。

5歳の頃から変わらない、照れている時の仕草だ。



「あ、なんで僕が僕だって気づいたの?それがすごく不思議なんだよね」

「気になる?」

「とっても」

「さっきも言ったけど雰囲気が大きかったかな。あとは話してる内になんとなくそうかなって…」

「ふぅん…」

「あとは聞きたいことはない?」

「うん、特には…どうして?」

「全部解決したならキスしようかなって思って」

「ああ…そこに戻るんだ」

「やっぱりさ、できる間にしておきたいから。ダメ?」

「ううん、良いよ」



お互いに向き合って顔を近づける。

唇同士が軽く触れ合う。

柔らかさ。

温もり。

一瞬の間に沢山のものを感じた。

顔を離して、お互いを見る。



「わりとあっさりというか…」

「こんなものか、って感じ?」

「うーん…なんか違うかな。でも、今すっごいドキドキしてる」

「どれぐらい?」

「十三分の五、増えるぐらい」

「それ、わざわざ数えたの?」

「ううん、カンで」

「アナログだね」

「そういう君だってドキドキしたでしょ?」

「えへへ、2.4倍ぐらいになったかな」

「そりゃ大変だね。全力疾走した後ぐらいじゃん」

「だってキスだよ?ドキドキしないわけないじゃない」

「あはは、確かにね。こんなに幸せな気分になるなんて思わなかったよ」

「うん、私も。…ね、明日は待ち合わせをしてみない?」

「初めてだね、待ち合わせなんて。何時ぐらい?」

「うーん…1時で良い?」

「良いよ」

「あ、チョコ持ってくね?」

「楽しみにしてる」



話が途切れ、静寂が2人を包んだ。

風にそよぐ草の音が僅かに聞こえる。

しばらくしてから私は、わざと大げさに思い出したように口を開いた。


「あ、そうだ」

「なに?」

「ハグしてよ、ハグ」

「いいよ」


両手を広げてねだった私を、

彼は優しく包み込んでくれた。



「あったかい…」

「僕も」


しばらくこのまま2人で抱き合った。

極めて健全に、文字通りに。

決して卑猥な意味ではない。



「ありがとう、もう大丈夫」

「うん」


そう言って、ほぼ同時に離れる。



「…あ、空が明るくなってきたよ」

「ほんとだ。僕さ、明け方の白い空って大好きなんだ」

「私も。心が落ち着くよね」

「うん…」

「どうかしたの?」

「そろそろ時間みたい」

「時間って?」

「日が沈んでる間じゃないとダメなんだ、僕」

「そうなんだ。日が出てる間はどうなってるの?」

「自分でもよく分かんないんだ。なんかふわふわしてて…うん、ザ・幽霊って感じなのかな多分」

「それ、なんか面白そうだね」

「あんまり。ほとんど動けないから退屈でさ、雲を眺めるぐらいしかすることがないんだ」

「ふうん…なんだつまんないの」



口を尖らせながら言う私を見て、彼が笑って言う。


「期待した?」

「楽しいことがあるなら、そうなっても良いかなって」

「あはは、君とこうして話せるだけで十分だよ」

「あ、それ嬉しい」

「良かった。そろそろ帰る?」

「んー…そうする。また明日」

「うん、また明日ね。楽しみにしてる」

「私も。バイバイ」



笑顔で手を振って、彼に背を向けてから二歩進んで止まった。

言っていなかったことがあったから。

振り返って彼をじっと見る。


「言ってなかったけど、私、あなたのことが好き。大好き」

「知ってる。僕も好きだよ」

「あはは、良かった」


少しだけ無理をして笑って、

それから一つだけ質問をした。



「……ね、明日も会えるよね?」

「君が望めばいつだって」

「分かった。じゃあね」

「うん、じゃあね」


手は振らずに後ろを向いて、歩き出した。



斜面に生えた草はまだ少し湿っていて、

ちょっとだけ滑りそうだった。

慎重に、一歩ずつ確実に歩みを進める。

途中で少し転びそうになったけれど、無事に降りることができた。

丘の麓で深呼吸をする。

空気の冷たさが少し和らいでいた。

ごく僅かに白く染まった息が消える。

月は、うっすらと半透明で、遠くの空にのんびりと浮かんでいる。

朝の日差しに照らされて、街はゆっくりと溶け出して日常を取り戻す。

家に帰ったら買い物に行って、チョコをめいっぱい作ろう。

そう考えると、少し楽しい気分になった。



振り返って丘の上を見る。

「また明日ね」

自分だけに聞こえる声でそう呟いて、家へ向かった。



おしまい


以上です。お付き合いありがとうございました。

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