奈緒「志保、傘があらへん」 (20)

・ミリオンライブの奈緒と志保のSSです。
・奈緒「志保、○○」で前に何本か書いた者です。
・よろしくお願いします。

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「傘があらへん」

 隣でぽつりと呟かれた言葉が、水っぽい空気に溶けた。
 奈緒さんは掌を上にして、空を見上げている。
 視線はさておき、ポーズはついさっき飴をねだられた時そのままだった。
 もう一つ飴を載せたら雨は止むだろうか、なんてつまらないことを考える。

 レッスン終わりの夕方五時、事務所への帰り道に二人で赤信号に捕まっていた。
 三月も終わりだというのに、まだまだ肌寒い。
 こんなに寒いと桜の開花に影響があるんじゃないかと思っていたら、やはり平年よりも遅いとニュースでやっていた。
 それでも来週には咲くらしいから、桜もなかなか頑張り屋さんなのかもしれない。
 まだコタツをしまっていないと自慢げに言う奈緒さんとは大違いだ。 

「なんでないんですか。天気予報、降るっていってましたよ」

 大方、みていないのだろうと思っての発言だったけど。

「50%やんか! 普通ふらんやろ!?」

 みていて、これらしい。今までの自業自得とは違うパターンだ。
 あとどれくらい種類が増えるのだろう、少し気になる。
 手帳にメモでもつけてみようか。

「いや、大抵の人は傘を持ち歩く確率だと思いますけど……」
「志保だって持ってないやん! 人のこと言えへ——」

 無言でカバンから折りたたみ傘を取り出す。
 カエルみたいな呻き声が聞こえた。なんて声だしてるんですか。

 赤信号が青に変わり、だっと奈緒さんが駆け出した。
 向かいにあったパン屋のサンシェードに潜り込み「裏切り者ォ!」なんて声を上げている。
 人がいないからいいけど、完全に不審者で営業妨害だ。

 私は折りたたみ傘——黒猫のイラストが入っていてお気に入りだ——を開いて、のんびり横断歩道を渡る。
 雨は少し強くなっていた。仮に傘をささず事務所まで走ったら、ビショ濡れになるのは間違いない。
 くわえてこの寒さだ、風邪を引くこと請け合いだろう。

 奈緒さんと向き合う。
 お互い、サンシェードと傘で雨を凌いでいる。
 違うのは一つ。そのまま移動できるかどうか。

「それじゃ奈緒さん、おつかれさまでした。
 明日は朝に現地集合なので、遅刻しないようにお願いしますね」

「こら、見捨てていくんか!」

「えっ、だって、傘は一つしかないから……」

「なにをほんまにきょとんとした顔しとんねん、この薄情もん!
 コンビニで傘買うてくるとかそういう配慮はないのんですか!?」

「だって奈緒さん、さっきコンビニで財布に70円しか入ってないって、
 ジュースすら諦めて私に飴をたかったじゃないですか……」

「せ、せやけども……! そ、そうや、志保のお財布にはまだたーんと残っているはずやろ!」

「まぁ、十七歳にもなって70円しか持ってない人よりは……」


 ばちん、と手と手を合わせて、拝むように奈緒さんが言う。


「貸して!」

「中学生にお金を借りようとする十七歳……」

「めっちゃ哀れみのこもった冷たい視線をありがとう!
 でもアイドルたるもの体調管理は気をつけんとな!」

「その心意気があるなら、折りたたみ傘を持ち歩いて欲しいんですが……」

「ド正論まいどおおきに!」


 はぁ、とため息をつく。
 別に貸すのはやぶさかではない。
 うっかり忘れてしまうことはありそうだけど、踏み倒したりする人ではないし。
 ただ……。

「コンビニの傘、高いですよ」

「え、いくらやっけ」

「五百円くらいだと思いますけど」

「はぁ! ただのビニ傘で!? ダイソーいけば百円やろ!?」

 その百円すら持っていない人の言葉ではない気もする。

「どうします? 貸してもいいし、買ってきてあげてもいいですけど」

「あかん、悩む……! 差額でたこ焼き食えるやん……!」


 頭を抱えて、わなわな震えている。
 私もコンビニで傘を買うのはちょっといやなので気持ちはわかるけど、
 リアクションの大きさに思わず笑いが零れそうになる。
 目聡く察した奈緒さんが、きっと顔を上げた。


「人の窮地をなにわろとんねん!」

「いや、窮地というよりは、ただ奈緒さんで笑ってるので」

「もっとひどいやつや! 私は志保をそんな子に育てた覚えはありません!」

「育てられた覚えがないんですが……」


 ともかく、地団駄まで踏みそうな勢いなので、そろそろからかうのはやめにしてあげよう。
 奈緒さんより引き際はわかっているつもりだし。


「ここで待っててくださいよ。事務所まで傘取りに行ってあげますから」

 置き傘がいくつかあったはずだ。妥当な落としどころだろう。奈緒さんも顔を上げ、ぱっと輝かせる。

「え、ほんま? 志保、実は天使やった?」

「育てた子が天使とか忙しい設定ですね……」

「言ってなかったけど実は私も天使やから……」

「雨が降る日に傘を忘れて財布には70円とラーメンの割引券のみ、挙げ句の果てに年下に500円借りるか頭を抱えて悩む天使って……」

「天使にだって生活はありますぅ!」

 唇を尖らせる。
 天使はともかく、そこをアイドルに変えても人によっては幻滅されてしまいそうだけど。
 まぁ、奈緒さんの愛嬌に引かれたファンなら問題ないか。

「ここで待っててくださいよ。ふらふらどこかへいかないように」

「志保は私をなんやと思ってるんや」

「いや、子どもと同じだと思ってるから言ってるんですけど……」

「オブラートに包もう……な?」

 不意に何かに気づいたのか、奈緒さんがぼけっと空に目をやった。私も同じように視線をあげる。

 雨はまだやんではいない。
 けれど、遠くの空には雲の切れ間が出来ていた。
 向こう側に濃い藍色が見える。
 太陽はまだ落ちきっていないのか、そこにうっすらと放射状の光がみえた。それが雨に透けている。

 みると通りを歩く人も足を止め、空に視線を投げていた。
 珍しい光景に、スマホを取り出す人もみえる。

 きれいだな、とシンプルに思った。多分、写真にするとなんてことない景色なのだと思う。
 でも、普段歩く街並みの色がこんな風に変わるなんて、中々みられない気がしたのだ。

 しばらくそれに目を奪われていると、視線を感じた。
 みれば隣の奈緒さんがにこにこと笑っている。
 サンシェードと傘の間を縫って降る雨が、光に触れて一瞬だけ青く輝いたようにみえた。


「空をみてくださいよ」

「いや、きれいな景色をみて呆けとる志保の方が——おもしろかったからなぁ」

「……傘はいらないわけですね」

「それとこれとは話が別やろ! それに……ほら、わらっとったんは他にも理由があって……あれ、なんやったっけかな……」

 奈緒さんが空を見上げて唸っている。
 最近、小鳥さんが偶に単語が出てこないと悲しんでいる時があるけれど、もう奈緒さんにも来てしまったのだろうか。
 加齢ってこわい。

「百合子に教えてもらって……あれ、なんやったっけ……天使がどうとかで……話の流れにあっとるなと……
 いやネタを説明したいわけやないねんで、ちょっと、ちょぉっと疲れてるから言葉が出ないだけやで……?」

「天使……? あぁ、天使のはしごですか」

 雲の切れ間から太陽の光が差し込むと、ハシゴが降りてきているようにみえる。
 今回だと日没直前だから光は上の方に伸びているし、隙間も小さいからとてもハシゴにはみえない。
 こういう時にでもあてはまるのかな?

 ともかく、その辺りの細かいことは気にしないのか、奈緒さんは、それっ、と嬉しそうに手を打った。

「私達を迎えに来たハシゴやね」

 空を見上げる。

「もう消えましたけどね」

「ネタのハシゴを外された感があるわ」

「まぁ、そもそもあんまりおもしろくなかったですけど。テレビだったらカットですかね」

「オブラートって知ってる?」


 二人の間に、雨が降っている。まだまだ、やみそうにない。
 私はそれに手を伸ばして、掌で受け止めた。水滴で掌が湿る。


「この雨だと、オブラートも溶けてしまうもので」


 一瞬、奈緒さんが虚を突かれたようにきょとんとする。その後、はんっと息を鳴らした。


「なにうまいこといってドヤ沢志保になっとんねん、たいしておもろないわ」

「ど、ドヤ沢ってなんですか!」

「ドヤ顔北沢志保を略してドヤ沢志保ですぅー。そもそも、晴れの日でも志保のオブラートなんてみたことないし」

「そんなことないですよ。時と人と場合を選びます」

「つまり、私はいずれにも選ばれてないんやね?」

「……そろそろ行きますね」


 無駄話をしてたら雨があがってしまいそうだ。
 別に困りはしないけど、帰りが何時になってもいいわけじゃない。
 奈緒さんじゃあるまいし、ミーティングに遅れるのは勘弁だ。

 だっていうのに。奈緒さんは再びふざけているのか、どんと私に肩を寄せてくる。


「……いや、邪魔なんですけど」

「気が変わったわ。このまま事務所までゴーや!」

「え、端っこ濡れるんですけど……」

「ちょっとくらいええやん! そもそも往復しとったらミーティング間に合わんくなるよ」

「えっ、もうそんなにですか?」


 手首の時計を確認する。
 ……そうでもない気がする。
 じゅうぶん間に合う気はするけれど……まぁ、いいか。

「わかりましたよ。ほら、もっと寄ってください」

「お、話がわかるぅー。なんやかんやいっても、志保も温もりを求めて……ちべたっ。雨粒落ちてきてるからっ!」

「折りたたみ傘だから仕方ないんですよ。持ち主は私なんだから奈緒さんが我慢してください」

「そやけど、先輩への敬意ってもんがたりんな?」

「けいい……?」

「持ってるわけないじゃないですかみたいな顔やめーや」

「ふふ、冗談ですよ」

「いや、そうはいうても持ってはいないんやろ」

「……それとこれとは話が別なので」

「このぉ!」


 ばかなやり取りをしながら、雨の道を歩く。
 事務所までの道程は全然進まなくて、
 肩と肩が何度もぶつかって、
 走る車があげる水しぶきに何度も怯えて、
 暗くなった空と更に冷え込む空気から逃げるように事務所へ急いだ。


 やがて事務所に着く頃にはお互いの肩はもちろん、
 髪の毛まですっかり濡れていた。

 奈緒さんがひどいくしゃみをしたものだからプロデューサーが大慌てでバスタオルを持ってきた。
 それを眺めて苦笑いしていると、私も盛大なくしゃみをしてしまい、奈緒さんに笑われた。


「まったく、誰のせいだと思っているんですか」

「うーん……傘が小さかったせいやね? 次はもっと大きい傘でよろしく!」


 バスタオルを頭から被った奈緒さんがそんな風にうそぶく。
 傘についた水滴をすべて顔に飛ばしてやりたかったけれど、さすがに自重した。


「……次は傘を持ってくるか財布にお金を入れておいてくださいね」

 私の言葉に、奈緒さんがにっと口角を挙げる。

「また相合い傘したいからやめとくわ」

 傘を開いて奈緒さんに向けるところまでいった。「持ってくる、持ってくるから!」と言質を取れたのでよしとする。


 まぁ、なにはともあれ。
 五百円を惜しんで相応にひどかったけど、偶にはこういうのも悪くないかな、とは思った。

 思ったのだけど……。


 何日か経って、降水確率が50%の朝がまたやってきて。
 玄関で折りたたみ傘か、普通の傘を持っていくか暫し悩んだ末……
 折りたたみ傘を選んでしまったのは、自分でもちょっと頂けないな、とは思う。

 だって——。
 事務所を出るとき、掌を空に掲げて、奈緒さんがこっちをみる。
 雨を背にして、笑う。


「志保、傘があらへん」


 どうせ奈緒さんは、傘なんて持ってこないのだ。
 わかっているのに、私もダメだな。


     おわり

終わりです。
読んでくれた方いましたら、ありがとうございましたー!

乙です

>>2
横山奈緒(17) Da
http://i.imgur.com/ondvToc.jpg
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北沢志保(14) Vi
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