渋谷凛「水風船のように」 (27)
奏と凛が夏祭りにいく話
速水奏「ゆらゆら揺れて、夢のようで」(速水奏「ゆらゆら揺れて、夢のようで」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1456130977/))と関連が深いです。
・奏が一人暮らしを始めた
・凛がよく遊びにいってる
・奏が18歳、凛が16歳になってる7月終わりの話
上の三点
地の文です
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1489720885
桜はとっくに散った。
ツツジが咲いたと思ったら、アジサイが信号機みたいに咲き始めた。
傘を差す日が多くなった。
制服が夏服に切り替わった。
教室の窓を開け放っても、暖かい風ばかりが入って来るようになった。
かたつむりが我がもの顔でアスファルトを這っていた。
たまに晴れたと思ったら、突き刺さるような日差しに目が眩んだ。
憂鬱な定期テストを潜り抜けたら、大きな入道雲が梅雨前線を蹴っ飛ばして、気がつけば夏だった。
ジクジクと鳴き始めた蝉の声、風鈴、プール帰りの小学生。
夕焼けがアスファルトを溶かして、それが蒸発したみたいに真っ黒の夜がやってきて。
その中でも奏は涼しい顔をして、からころ、アイスコーヒーの氷を鳴らしている。
私が奏の家に泊まるようになったのは、確か去年の冬だった。
大きなライブが終わって、私の中で一区切りがついてしまいそうになった頃。
奏が一人暮らしを始めたって聞いたのは、誰からだっけ。
周子か、フレデリカか、文香か。
とにかく私はそのとき、奏の家に行ってみようと思った。冬の、とても寒かった日のこと。
どうして奏だったんだろう?
私自身よくわかっていなかったけれど、初めて泊まった日に「寒かったでしょ?」と差し出されたホットチョコレートの味は覚えている。甘くて、暖まって、とても落ち着く味だった。
一人暮らしの彼女の部屋はいやに物が少なくて、モノトーンのオーディオコンポ、柔らかいソファー、間接照明、テーブル、本棚、ベッド、大きなテレビ。たったこれだけだった。
私たちがいつも暮らしているごちゃごちゃした世界から隔離されたみたいで、不思議と落ち着く。
ただ、生活感の薄いこの部屋は、奏が実際に生きているという気配がしなくて寂しかった。
世界から隔離されているのは部屋じゃなくて、奏なのかもしれないって。
だから一カ月に一度は奏の家に泊まりにいった。存在を確かめるみたいに。
私はソファーの上で足をバタつかせていた。
クッションを抱えて、ファッション誌を開いていた。
なにも言わないのをいいことに、私は奏の部屋に物を増やした。
雑誌のバックナンバー、犬のクッション。今だって奏はミュージカル映画を見ていて、私と一緒なのに、一人でいるみたいな顔をしている。
夏の夜に子どもの声がした。
映画をちらと見ると、主人公とヒロインが手を繋いで踊っている。
奏は退屈そうにコーヒーを飲んでいた。
恋愛映画、嫌いなんだっけ。カップを空にしたタイミングで、私は奏に声をかけた。
「夏祭りに行かない?」
☆
赤と白の提灯が街灯代わりにぶら下がっていた。
アイドルになるまでは友達と行っていたお祭りを、最近は「忙しいから」と断ってしまっていた。
最近、変装のためにベースボールキャップを被っている。
奏はプライベート用の眼鏡、ノースリーブのブラウスにストライプのガウチョパンツを履いて、ボーイッシュな格好になってしまった私と比べると、本当に大人に見えた。
まだ十八なんだけどとむくれるのが、唯一と言っていいくらいの、奏のハイティーンらしいところだった。
同じ東京でも、奏の実家は結構離れたところにあるらしい。
こっちに越して来たのは去年の秋のはずで、だからこの辺りのお祭りは私の方が詳しかった。
今日は三日間あるうちの最後の日で、小さいけれど花火大会がある。人が一番集まる日だった。
露店が並び出すあたりにもなれば人でごった返して、前に進むのもひと苦労だろう。
奏は人混みに当てられたと言って、
早々にベンチに腰を下ろした。私は一人買い出しにでも行こうかと思った。
「なにか食べる?」
「要らないわ。人でお腹いっぱいになっちゃいそう」
「そっか」
去年までの私だったら、わけもなくたこ焼きやチョコバナナでお腹をいっぱいにしていたものだったけれど、「今年はそんなに食べられないよね」と独り言ちた。
ソースの焼ける匂いに負けて、1パックだけ。
「焼きそばひとつ」
「お姉ちゃん美人だからおまけするよ」
パックからはみ出そうなほど焼きそばを詰め込んで、おじさんは私にウィンクをする。
愛想笑いをしてそれを受け取った。
「何度でも来てくれ! いくらでもおまけするぜ」
「考えておくね……」
ただそれだけだったのに、ざわざわの中に噂する声が聞こえだして、お祭りに行くのも大変になってしまったんだな、と実感した。
キャップを深くかぶり直して、大騒ぎにならないように、逃げ出すようにその場を離れる。
奏はベンチで足を投げ出していた。人混みの向こうで、まるでそんなの関係ないみたいに一人だった。
提灯の明かりに照らされているからだろうか? その白い頰は赤みが差していた。
私に気づいた彼女はひらひらと手を振る。
人をかき分けるようにして、私は奏に駆け寄った。
「焼きそば。食べる? 多すぎて食べきれないよ」
「なら、一口頂戴?」
そう言って奏は、ほんとうに一口を上品に食べる。
どうやったらこんな風になれるんだろう。歳なら私と少ししか違わないのに。
ラムネを一本差し出す。透明なガラス瓶は暑さで汗をかいている。
どうやって飲むのだろうと奏が珍しく困っていたから、私は笑って飲み口のビー玉を叩いた。
「長くは居られないわね」と奏は言った。
「最初からそのつもりだよ」
人混みが一斉に高台に向かっている。「私たちも行こうか」
「どこに?」
「とりあえず、あの人たちとは逆の方に」
帰る前にこれだけと、彼女は大きな綿あめを買った。
左手でふわふわをちぎって、小さな口でそれを食む。
「お祭りって初めてかもしれない。こんなに人が多いのね」
「初めてって」
「ううん、気にしないで」
砂糖でべたついた指を舐めている。
はしたないはずの仕草さえ絵になっていて、何人の男の人が奏に見惚れてるか、途中で数えるのもやめた。
そんなの、奏は疲れるに決まってる。
「奏は楽しい?」
迷惑じゃなかったかと思ってそう訊くと、彼女はもちろんと言った。
「みんなどうして向こうに行くのかしら。なにかあるの?」
「花火があるんだ」と私は答えた。
ぞろぞろと高台に向かう人混みに、私たちは逆らって歩く。
奏はちらちらと彼らを見ていた。
眼鏡越しの瞳は一層レモン・イエロウを濃くしている。
浴衣姿の人たちを見て、奏はなにを考えているんだろう。
提灯が少しずつ減っていく。
灯りにはバタバタと蛾が集っていて、奏はするりとそこから離れた。
「観に行こうよ、花火。そこの川から綺麗に見えるんだ」
ほら、と右手を出せば、そろりと左手が差し出される。掴むと、びっくりするくらい小さかった。
河川敷はもうすぐだった。
☆
思っていたよりも、河川敷で花火を待つ人は少なかった。
「この辺りかな……綺麗に見えるんだ。お父さんに教えてもらった」
「そうなんだ。ふふっ! 仲が良いのね」
そう言って奏は、草むらにスッと座り込んだ。
「汚れちゃうよ」
「気にしないわ。帰ったらすぐに洗濯するし。凛も今日は泊まるんでしょ?」
「そりゃあ、泊まるつもりだけど」
「なら、ほら」
促されて、私も奏の横にしゃがみ込む。
「ねえ、見て?」奏がそらを指差した。
「真っ暗でしょ? なにも見えない。目が慣れたらなにか見えるようになるかと思ってたのよ」
「なにも見えないよ。多分これからも」
「そうよね。気づくのが遅かったのかも。もう暗闇に慣れちゃったみたい」
「夏祭り、本当に楽しかった?」
「楽しかったわ。すごく」
そう涼やかに笑った。蒸し暑さを一瞬忘れさせるくらいに。
奏はもう小さくなった綿あめをひとつちぎって、口に入れる。
美味しいのね、と言って、最後のひとかけらをちぎる。
左手の人差し指と親指で摘んだふわふわを、今度は私の口に押し付けた。「……甘いね」
「甘いでしょ?」
奏は嘘つきだ。いつも肝心なことははぐらかして、今だってただ楽しかったわけじゃないって、そんなの誰だってわかる。
わざとらしいくらいに物の無かったあの部屋も、笑い方も、その涼しげな表情も。
彼女の嘘はいつだって優しくて、それでも、自分の一番柔らかいところを守る仮面なんだろう。
誰でも受け入れるその嘘は、奏が誰も受け入れていないことの証明のように思えた。
私は、綿あめみたいな嘘に甘えてる。
甘えていたんだ。
私はなにをしたらいい? また彼女は指を舐めた。
唇のグロスが透き通って見えた。
今から綺麗なものを観ようよ。
私はそう言った。もうすぐ八時半、お祭りは初めてと奏は言っていた。
「夏の花火も初めてなんでしょ?」
「……そうね。誰かと観るのは初めて」
「これからさ、たくさんのことをしよう。一人でじゃなくて、例えばだけど……私と」
奏の過去になにがあったか、今までは気づかないふりをしていたけれど、甘えてるだけじゃだめなんだろう。私は草むらを握りしめる。
「明日はなにをしようかな。奏がなにもないなら、一緒に映画館に行こうよ。私、観たい映画があるから」
「そうね、映画館。わかったわ」
「そしたらその後、二人でハンバーガーを食べて、感想会をしたり……どう?」
「……ねえ、どうかしたの? 凛がそんなに」
奏と目が合う。
レンズ越しの目が小さく揺れている。
どうもしないよ。
「私はただ」
私が言いかけると、眼鏡のレンズに光が映った。ヒュルという音がした。「あっ」
真っ黒だった空に、大きな色が飛び散った。
まるで水風船が弾けたようだと思った。
その後一拍おいて、ドン、と音が響く。
草むらが大きく揺れる。奏のショートヘアがサラサラと流れる。
続いて、二度、三度。
ライブでも聴いたことのないくらい大きな音で、奏は花火が開くたびに小さく震えていた。
大きなやつがいくつか続いて、今度は緑、赤と黒いキャンバスに色が散っていく。
色はすぐ夜に溶ける。花火の音の隙間を縫って、遠くからたまや、かぎやと声がする。
奏が小さく、すごいと口を動かした。
花火の色に照らされた奏を見て、なんてきれいなんだろうと思った。
「私はただ、奏のことを知りたいんだ」
花火の音にかき消えてしまえと思った。
光るたびに、私たちの後ろには大きく影が伸びる。確かに私たちは夏にいた。
☆
それまでよりずっと小さな音で、パンと空に音が鳴った。
「あの音はなに?」
「あれで終わりっていう合図だよ」
「そうなの……随分、寂しいんだね」
奏は立ち上がって、服についていた草を払う。
「凛、さっきはなんて言おうとしたの? 聴こえなかった。あんなにすごいのね」
「なんでもないよ。明日楽しみだねって、それだけ」
「ふふっ、嘘が下手だね。凛って」
奏には言われたくないって、少し思った。
今まで花火に照らされていたからか、辺りは一層暗く感じた。
街中が音を無くしてしまったように静かで、周りにはこそこそと話す人の声だけだった。
花火の後はいつもこうだったことを私は思いだした。
「帰って、シャワーを浴びて、今日は早く寝ましょう? 明日は映画館に行かなくちゃ」
楽しそうに鼻歌を歌って、奏は歩き出す。いつか奏の部屋で聴いた歌を口ずさんでいた。きっと好きなんだ。
「うん、急いで帰らなくちゃね」
花火の余韻が去っていく。
私は奏の好きな歌すら知らない。
ようやく街は音を思い出したようだった。
草むらの中からギィと虫の声がした。
お わ り
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